旧たちあがれ日本の日本維新の会への合流について、維新の会の純粋さ・新鮮さがなくなった、政策があいまいになった、等の批判もあったようだ。しかし、私は、橋下徹グループと石原慎太郎グループの合流・新しい日本維新の会の結成は、結果としてもよかったことだ、と思っている。
 橋下徹はもともとは全選挙区に候補者を立てるとか過半数の獲得を目指すとか言っていたが、これらは橋下一流の建前的「ホラ」のようなものだっただろう。そして、衆議院議員選挙で(合流後の)日本維新の会が民主党の57に次ぐ(ほぼ並ぶ)54議席を獲得したことは、第三極の失速とも言われた中での、大きな成果だっただろう。
 小選挙区での当選者が大阪府下に限られていたことをもって、全国的な広がりに欠けた、という論評もある。だが、選挙区では自民党2564万、民主党1360万に対して日本維新の会は694万で大きく劣ってはいたものの、比例区では、自民党1662万に次ぐ1226万を獲得して第二党であり、民主党の963万を大きく上回った。
 54という議席のかなりの部分は、比例区での獲得票の多さによる。そして、この全国的な(東日本を含む)比例区票の獲得は大阪中心の橋下・松井グループだけでは不可能で、石原慎太郎のネームバリューや(もともとたちあがれ日本が持っていた)全国的に散在する「保守」への期待によって可能になったものと思われる。繰り返せば、もともとの、橋下・松井グループだけの日本維新の会では、54議席の獲得は無理だったに違いないと思われる。
 そして、54という数は決して小さくはない。この欄の11/30付で「来月の総選挙の結果として憲法改正派2/3以上の勢力が衆議院の中にできるとは想定しがたい(この予測が外れれば結構なことだ)」と書いたのだったが、自民党と日本維新の会を合わせて、348も、みんなの党まで含めると366と、2/3をゆうに超える(3/4をも超える)議席を獲得してしまった。これで憲法改正(・自主憲法制定)が一挙に近づいたとはもちろん考えないが、理念的・理論的には改憲派の政党がこれだけの議席を衆議院で持っていることの意味は、決して軽視してはならないだろう。
 ところで、すでにこの欄の11/24と11/25で11/22の産経新聞上の佐伯啓思「正論」に言及したが、「大衆迎合の政治文化問う総選挙」というタイトルを掲げた同欄で佐伯啓思は、「今回の選挙の基本的な争点」は「あまりにポピュリズムや人気主義へと流れた今日の政治文化に決着をつけうるか否かでもある」と(も)述べていた。
 佐伯啓思にまじめに質問したいものだ。そのように述べていた佐伯啓思において、今回の総選挙の経緯と結果は、いったいどのように総括され、評価されているのか? 「大衆迎合の政治文化」は、あるいは「あまりにポピュリズムや人気主義へと流れた今日の政治文化」はさらに拡大したのか、それとも少しは(あるいは大いに)是正されたのか?
 この問いに答えることは、全国紙の11/22付で上のように述べた言論人の<責任>なのではないか。
 たまたま読んだ読売新聞12/30朝刊の中で、細谷雄一(慶応大学教授)は、「反原発や反増税などポピュリズム(大衆迎合主義)とも思える政策」という表現を用いて少なくとも「反原発や反増税」は「大衆迎合主義」の政策だったという見解を示し、これらの政策を掲げた政党は支持を得られなかった、とも述べていた。
 佐伯啓思にまじめに質問したいものだ。佐伯は11/22に「橋下徹氏の唖然とするばかりの露骨なマキャベリアンぶり」という言辞も使っていたのだが、日本維新の会、あるいは自民党の原発、増税、憲法等々についての諸政策は「大衆迎合主義」に陥っていたのかどうか。
 石原慎太郎グループとの合流前の維新の会の主張が<脱原発>寄りだったことは否定できず、それには飯田哲也(のち日本未来の党代表代行)等から成る大阪府市(?)エネルギー戦略会議の見解の強い影響があったと思われるが、石原グループとの合流後は、よい意味でこの点は曖昧になったと私は思っている。
 佐伯啓思は、「(政治)改革」という「大衆迎合主義」(・ポピュリズム)の流れの中に橋下徹や維新の会がある、という捉え方をこれまでし続けてきた。
 このような評価はそもそも適切だったのか。中高年層に「痛み」を求めることもあることを明言し、決して「大衆」受けはまだしそうにない「憲法」問題にも論及する日本維新の会は、そして橋下徹は、決して「大衆迎合主義」者・ポピュリストではないのではないか。
 真摯な言論人・研究者であるならば、佐伯啓思にはぜひ、上の問いに答えてもらいたいものだ。