秋月瑛二の「憂国」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

集団自決

0556/サピオ6/11・6/25の小林よしのり、1998年の小浜逸郎の本-沖縄・大江健三郎。

 〇やや遅いが、サピオ6/11号(小学館)。小林よしのりは、私は見ていない(その予定もない)映画「靖国」を観て書いて(+描いて)いる(p.55-)。
 靖国神社のご神体を知らず、かつ「剣」と「(日本)刀」の区別もついていない、要するに<神道>一般に関する知識のない中国人監督の作ったものものだから、その「作品」のレベルも容易に想像がつく。もっとも、恥ずかしくも、三種の神器の一つでもある「剣」(諸刃でまっすぐ)と「日本刀」(片刃で反っている)の区別を私も知らなかったのだが。
 そういえば、胡錦涛がちょうど来日していて東京宿泊中の夜に、NHKの「クローズアップ現代」は、<表現の自由>への圧迫問題として、この映画問題を取り上げたのだった。司会者・国谷裕子が一生懸命、上映中止圧力は<表現の自由>への圧迫ですよね、とコメンテイターに質問していたが、希望にそった回答ではなかったことを記憶している。
 ネットで調べてみると、コメンテイターは吉岡忍。この人は、少なくとも、<単純な左翼>ではなさそうだ。
 また、この放送(5/07)の意図は、「去年末の週刊誌記事で"反日的"と指摘されたことをきっかけに、国会議員向けの試写会、右翼の街宣活動、さらにネットでの抗議活動などの"見えない圧力"へと波紋が拡大。映画館は相次いで上映中止を決定し、「表現の自由」をめぐる議論が巻き起こった。その後名乗りをあげた映画館も妨害活動などを警戒し、緊張した空気の中で準備を進めている。なぜ中止は広がったのか、公開までに何を乗り越えなければならなかったのか、関係者の証言や配給会社の密着取材などをもとに検証。『靖国』をめぐる波紋が、いまの社会に何を問いかけているのか、考えていく」と書かれている(NHKのウェブサイト内。現在時点で読めた)。
 NHKは下請けに相当程度任せているのだろうが、国費による助成の当否には全く触れていないこのような制作「意図」は、中立的・客観的と言えるだろうか。
 〇同じくサピオ6/25号(小学館)。小林よしのりは、沖縄集団自決訴訟や大江健三郎に触れている。
 ①私は大阪地裁判決の全文を読んでいないが、小林は読んだのだろう。同感できるところが、少なくない。
 とくに、大江が岩波新書・沖縄ノートを初めて刊行した時点では、日本軍(隊長)による「命令」があったと信じた合理的根拠がかりにあったとしても、その後30年以上の間、反証も出てきたり実際に訂正・削除した本もあったりしたのにそのまま刊行し続けた合理的根拠こそがさらに問われる必要があった旨の指摘はそのとおりだ。しかし、小林によると「裁判長は、今後の出版について、何も触れなかった」のだという。
 ②小林によると、15000超の大江支持の署名が沖縄から(大阪地方)裁判所に届けられた、という(p.58)。法的判断の枠組みの中での心証形成過程にこうした「外圧」は影響を与える可能性がある(それを実証するのはほぼ不可能だが)。それ以上に、結論それ自体に早々に影響を与えていたのだとすると、この訴訟の地裁の裁判官たちは自ら、憲法上保障された「独立」を放棄していることになる。
 第二次大戦や沖縄問題について、戦後教育の<優等生>の裁判官たちがまともに(幅広く)勉強している筈がない。裁判官たちの殆どは<何となく左翼>の心性から仕事の経歴を歩んでいると見てほぼ間違いない。この人たちが明瞭な<左翼>、そして<アジア諸国や沖縄地域への贖罪意識>の持ち主ならば、いくらまともな法的議論をしても無駄になるだけだろう。控訴審を担当する裁判官たちがまともであることを期待する。
 ③小林によると、岩波書店は、判決後に大江・沖縄ノートを増刷したのだ、という(p.59)。岩波は大江とともに被告だったが、名誉毀損等の疑いがかけられている(但し、基本的には損害賠償請求の要件の一つとして)というのに、無神経で傲慢なものだ。この岩波書店に<良心的>などという形容詞を絶対に使ってはならない
 ④小林は、大江・沖縄ノートを「究極の差別ブンガク」だと規定する。「土民」・「屠殺」といった語が平気に使われているということもある。
 小林いわく-「すでに大江は日本人ではないところの何かになっている!」(p.61)。
 現在73歳の大江健三郎は<晩節を汚しまくっている>のだが、そうとも知らずにいずれ死んでいくのだろう…。
 〇もう1カ月ほど前に読んだ部分だが、小浜逸郎・いまどきの思想、ここが問題。(PHP、1998)の第二章にあたる、「自虐するあいまいな私―現象としての大江健三郎批判」(p.36-61、初出・月刊正論1995年5月号(産経新聞社))は、読み応えがあり、大江という人物の理解・分析のために参照されてよい、と思う。
 要約はしない。印象に残った文章を一部省略しつつ、列挙しておく。
 ①「晦渋な文体と教養主義的な観念の連鎖によって埋めつくされた、驚くべき饒舌の合い間にいつも露出しているのは、…押しつけがましくかつ単純な、サヨクの政治主題以外のものではなかった」(p.42-43)。
 ②ノーベル賞という「より普遍的な」賞は受け、文化勲章という「村落的」栄誉を拒否することで、「自分が『日本国家』という村落よりも優位なところに立っていることを示そうとした」(p.46)。
 ③大江は、「日本人は原爆を投下させるような戦争を起こした国の人間としての反省」を行うべきだが、していない、と言った(p.54。岩波新書・あいまいな日本の私所収の講演録にあるようだ)。〔何という自虐!、あの戦争についての何という対米批判意識のなさ!〕
 ④「内に向かっては…無責任に日本国家を批判して自分の反体制的スタンス」を示す一方で、中国・韓国からの日本非難に対しては「たちまち日本国家の罪を自分の罪であるかのようにひっかぶってみせること」により、「少しも自分が日本国家から自立していないことを暴露している」(p.55-56)。
 ⑤大江はある時期から、「核や障害者やエコロジーといった倫理的主題」によるしか「文学的活路」を見いだせなくなり、彼の「天才的な空想力は、これらの主題の奴隷として酷使」された。かくして、大江作品は「物語としても面白くなくなり、表現や文体も、みずみずしい初発の文学的感性の欠落をただ教養主義と饒舌で覆い隠すためだけのようなこけおどしの性格をますます深めていった」(p.59-60)。
 以上。なお、小浜逸郎の姓はオバマではなくコハマ。上記の本のタイトルの末尾の「。」は、原書のまま。

0444/朝日新聞3/29の社説執筆者は「全くの無能者」か「狂人」。

 朝日新聞3/29の社説執筆者は全くの無能者か「狂って」いるのではないか。
 朝日新聞が沖縄集団自決「命令」訴訟にかかる前日3/28の大阪地裁判決について結論を支持する社説を書くだろうことは予測できたことだが、あまりのヒドさに驚いた。
 こういう社説は司法(裁判)担当の社説担当者が書くのが通常だろうが、政治(+歴史認識)担当の執筆者が書いたかに見える。
 精神衛生にも悪いので、できるだけ簡単におさえる。
 1.冒頭の第一文-「慶良間諸島」で「起きた『集団自決』は日本軍の命令によるものだ。/そう指摘した岩波新書『沖縄ノート』は誤りだとして、…元守備隊長らが慰謝料などを求めた裁判…」。
 さっそく間違いがある。大江健三郎は抽象的に「日本軍の命令による」と書いたわけではない。「日本軍の…」ではなく<特定され得る元軍人の命令>なのだ。
 2.関連して、第七段の第一文-「『沖縄ノート』には座間味島で起きた集団自決の具体的な記述はほとんどなく、元隊長が自決命令を出したとは書かれていない」。
 後段は、よくもまぁ社説で、という感想だ。氏名を明示していなくたって、簡単に他の情報と結合して特定できれば同じこと。こんな単純な常識もこの執筆者は持ち合わせていないらしい。
 また、前段は、だからどうなのだ、と言いたい。大江健三郎は、「元守備隊長ら」が「命令」を発した<悪人>だ、ということを前提として、沖縄を再訪する当該元軍人の「心理」を小説家らしく勝手に捏造した(創作した)のだ。「集団自決の具体的な記述はほとんどなく」て、何ら不思議ではない。
 3.最後の段の二文-「教科書検定は最終的には『軍の関与』を認めた。そこへ今回の判決である。集団自決に日本軍が深くかかわったという事実はもはや動かしようがない。」
 これで社説を締め括るとは<狂気の沙汰>だ。
 既に書いたが「軍の関与」の有無はこの訴訟の争点ではない。にもかかわらず「集団自決に日本軍が深くかかわったという事実はもはや動かしようがない」とまとめて、安心し、判決によっても裏付けられた、と思っているなら、アホとしか言いようがない。
 「集団自決に日本軍が深くかかわった」か否かという問題設定ならば、私とて、何らかの意味での、何らかの程度での、「集団自決」と「日本軍」の関係を否定はできない。すなわち、端的にいって、戦争中のこと、<敵軍>が眼前に上陸してきたときのこと、なのであって、「集団自決」が戦争・戦時中のことであれば、日本軍と全く無関係だ、とは言えないだろうからだ。
 だが、そのことと、特定の旧日本軍人が特定の住民(島民)に対して集団自決「命令」を発したかどうかは全く別の問題だ。
 上のことを朝日新聞の社説執筆者は理解できていない。全くの無能者に思える。あるいは理解できてもそのことを記したくないのだとすれば、何らかの<怨念>に囚われた<狂人>ではないだろうか。
 もちろん、そのような<無能者>か<狂人>の執筆者は、判決が「自決命令それ自体まで認定することには躊躇を禁じ得ない」、「自決命令を発したことを直ちに真実であると断定できない(としても…)」と述べていることに、全く言及していない。判決理由文(<要旨>であっても)を読めない(理解できない)馬鹿=<無能者>であるか、読んでいても意識的に(自分たちに都合の悪いことは)無視してしまうという、<倒錯した変人>であるに違いない。
 4.第八段-提訴の「背景には、著名な大江さんを標的に据えることで、日本軍が集団自決を強いたという従来の見方をひっくり返したいという狙いがあったのだろう。一部の学者らが原告の支援に回ったのも、この提訴を機に集団自決についての歴史認識を変えようという思惑があったからに違いない。」
 もっともらしいこの文章に、朝日新聞の<体質>も表れているだろう。社説にこんな<推測>を書くこと自体いかがかと思うが、法的問題あるいは歴史的事実の問題を<政治的>にしか捉えることができないのだ。最も<うす気味悪く>感じたのは、この部分だった。むろん、<正しい>「歴史認識」の確認(<誤った>「歴史認識」の是正)を「一部の学者ら」が追求するのは、一般論としても何ら非難されるべきことではない。
 こんな社説が数千万人に読まれ、何がしかの<空気>を作っていることを想像すると、日本の現状と将来に諦念にも似た<空恐ろしさ>を感じる。
 なお、この判決に関する読売新聞の社説はしごく「まっとう」だった。読売は、社説だけはまだしっかりしている。

0429/週刊新潮の<新・「裁判官」がおかしい!>に感じる。

 週刊新潮が2/21号から<新・「裁判官」がおかしい!>との短期集中連載をしている。
 3/06号では「百人斬り」名誉毀損訴訟での東京高裁の裁判官・石川善則の<「言論封じ」の訴訟指揮>の異様さを、3/13号では住民基本台帳法上の「住所」が都市公園内にあることを認めた大阪地裁2006.01.27判決(裁判長・西川知一郎)の異様さ(但し、大阪高裁2007.01.23判決で逆転。「ホームレス」のテント生活者が敗訴)を問題にしている。
 これらに逐一コメントする能力も余裕もないが、今の日本の裁判官の資質・感性については、感じるところがある。
 すなわち、彼らは戦後教育・「戦後民主主義」の(最)優等生で、通常の又は細かな法律知識・法的論議は十分に持ちかつ可能なのかもしれないが、その<育ち>ゆえにある種の<偏向>を避けられていないのではないか、という<仮説>を抱いている。
 具体的には、彼らはおそらく日本の「歴史」を十分に知らず、司法試験の対象には実質的にはならないと言われているために日本の「天皇」制度に関する(憲法典に規定があること以外の)十分に正確な知見も持たず、信仰の自由・「政教分離」に関する条文解釈や関係判例を知っていても「神道」に関する関心も知識も十分になく、昭和に入っての「戦争」についても(日本史の、高校までの)歴史教科書に書いてあること以上の知識・知見は持っていない、と推測している。なぜなら、これらに関心を持って深く勉強しようとするなどしていれば、激烈な司法試験に合格することができなかった筈だからだ。そして、合格して裁判官になってからも、上に書いたようなこと(あくまで例示だが)について<教養>を身に付けるような勉強をする時間は殆どなかっただろう。
 このような平均的日本人(またはそれ以下の)レベルの知識・「教養」しかない裁判官は通常の、多数の事件に対応することはできても、次のような事件には何らかの<偏向>・<異様さ>が生じうる、というのが<仮説>だ。
 つまり、例えば、戦没者追悼・靖国神社関係等の宗教あるいは政教分離にかかわる事件、中国人・韓国人等が原告となるかつての<戦争被害(補償)>にかかわる事件だ。後者に関して、裁判官の中には、戦後教育が教えてきた<(昭和)戦争観>にもとづき、中国人・韓国人等の<「日本軍国主義」の被害者・犠牲者>に「甘く」なるような傾向に陥る者はいないだろうか。
 後者に類似しているのは、<沖縄問題>かもしれない。戦後教育の(最)優等生の裁判官たちは、高校までの歴史教科書の「知識」にもとづき、(最も「犠牲」となった)<沖縄>県民の感情といわれるものを不必要に配慮した(感情、そして客観的には「政治」に流れた)判決を書いてしまわないだろうか。
 思いは、沖縄住民集団自決にかかわる対岩波・対大江健三郎訴訟へとつながる(ちなみに、昨日言及した岩波ブックレット(2005.11)の後扉裏には、大江健三郎・沖縄ノート(岩波新書)の広告が堂々と載っている)。ふつうに考えれば、名誉毀損・不法行為責任の発生要件は十分に充たしていると思うが、裁判官たちが<沖縄>関係のために余計な<配慮>をしてしまわないか、と心配する。
 これは必ずしも杞憂ではなかろう。原告側代理人・弁護士(衆院議員)の稲田朋美が何度も書いており新書も刊行しているが(同・百人斬り裁判から南京へ(文春新書、2007))、対中国「戦争」にかかわる<百人斬り名誉毀損>訴訟で原告たちは勝てなかった。そして、判決理由にはかなり無理なところがある(と感じる)。また、原告外国人たちの「戦後左翼」と同様の歴史観(「占領史観」=「GHQ史観」にほぼ近いと言えるだろう)をそのままなぞったような長い文章を「理由」中に書いていた判決も現実にあったのだ。
 司法部・裁判官<批判>はなかなかむつかしいが(行政官僚に比べれば、なおも高い「権威」を持っているだろう)、全面的に信頼することはできない、そういう部分があることは間違いないと考える。

0348/大江健三郎は「非常識で不誠実、一片の良心も感じとれない」。

 産経のウェブ上で読める記事だが…。
 産経11/21の「正論」欄で秦郁彦は書く。11/09の大阪地裁での大江健三郎(被告)証言について。
 「…と言い張ったときには、国語の通じない『異界』の人から説話されている気がした」。「これほど非常識で不誠実、一片の良心も感じとれない長広舌に接した経験は私にはない」。
 秦郁彦のまっとうな感覚を信頼したい。
 1970年代半ば以降も岩波新書「沖縄ノート」を(訂正することなく)出版し続けたことについて、大江健三郎と岩波書店には、他の著者や出版社とは異なるのだ、というような傲慢さがあったのではなかろうか。むろん、<良心>は欠如している。
 たんに事実認識に誤りがあると見られるだけでなく(むろんこれだけで名誉毀損→不法行為となるが)、心理内容の<創作>=<想像>=<捏造>によって、<輪をかけた>名誉毀損となっていることは既に紹介のとおり。
 ノーベル賞作家・大江健三郎は日本の誇りでも何でもない。むしろ、こんな同朋・先輩が日本にいることを恥ずかしく感じる必要がある。この人物が<九条を考える会>の代表的な呼びかけ人であることも、この会を実務的に支えているのは岩波書店と見られることとともに、想起されてよい。

0343/大江健三郎・沖縄ノート(岩波新書)のひどさ。

 大江健三郎沖縄ノート(岩波新書)については、むろん、集団自決命令名誉毀損訴訟との関係で、すでに3/30にこの欄で言及している。上の本に関係する部分のみを再掲しておく。
 * 原告が虚偽としている大江・沖縄ノート(岩波新書)の関係部分を探して読んでみた。例えばp.169-170、p.210-5が該当するとみられる。興味深いのは、前者ではすでに集団自決命令が事実であることを前提にしており、つまり事実か否かを多少は検証する姿勢を全く示しておらず、後者では(上の存命の人とは別の)渡嘉敷島にかかる軍人の(沖縄を再訪する際の)気持ちを、彼が書いた又は語った一つの実在資料も示さず、「想像」・「推測」していることだ。「創作」を業とする作家は、事実(又はそう信じたもの)から何でも「空想」する秀れた能力をもつようだ。当然に、「創作」とは、じつは「捏造」でもあるのだ。大江・沖縄ノートp.208のその内容を引用すると、長いが、次のとおりだ。
 新聞は「「命令」された集団自殺をひきおこす結果をまねいたことのはっきりしている守備隊長が…渡嘉敷島での慰霊祭に出席すべく沖縄におもむいたことを報じた」と記した。大江は続けてその元守備隊長の気持ち・感情を「推測」する。
 「おりがきたら、この壮年の日本人はいまこそ、おりがきたと判断したのだ」、「いかにおぞましく怖しい記憶にしても、その具体的な実質の重さはしだいに軽減していく、…その人間が可能なかぎり早く完全に、厭うべき記憶を、肌ざわりのいいものに改変したいと願っている場合にはことさらである。かれは他人に嘘ををついて瞞着するのみならず、自分自身にも嘘をつく」(p.208-9)。
 「慶良間の集団自決の責任者も、そのような自己欺瞞と他者への瞞着の試みを、たえずくりかえしてきたことであろう。人間としてそれをつぐなうには、あまりに巨きい罪の巨塊のまえで、かれはなんとか正気で生き伸びたいと願う。かれは、しだいに稀薄化する記憶、歪められる記憶にたすけられて罪を相対化する。つづいて…過去の事実の改変に力をつくす。いや、それはそのようではなかったと、1945年の事実に立って反論する声は、…本土での、市民的日常生活においてかれに届かない。…1945年を自己の内部に明瞭に喚起するのを望まなくなった風潮のなかで、かれのペテンはしだいにひとり歩きをはじめただろう」(p.210)。
 「かれは沖縄に、それも渡嘉敷島に乗りこんで、1945年の事実を、かれの記憶の意図的改変そのままに逆転することを夢想する。その難関を突破してはじめて、かれの永年の企ては完結するのである。…とかれが夢想する。しかもそこまで幻想が進むとき、かれは25年ぶりの屠殺者と生き残りの犠牲者の再会に、甘い涙につつまれた和解すらありうるのではないかと、渡嘉敷島で実際におこったことを具体的に記憶する者にとっては、およそ正視に耐えぬ歪んだ幻想までもいだきえたであろう」(p.210-1)。
 「あの渡嘉敷島の「土民」のようなかれらは、若い将校たる自分の集団自決の命令を受けいれるほどにおとなしく、穏やかな無抵抗の者だったではないか、とひとりの日本人が考えるにいたる時、まさにわれわれは、1945年の渡嘉敷島で、どのような意識構造の日本人が、どのようにして人々を集団自決へ追いやったかの、…およそ人間のなしうるものと思えぬ決断の…再現の現場に立ち入っているのである」(p.211-2)。
 以上は全て、大江の「推測」又は「想像」だ。ここで使われている語を借用すれば「夢想」・「幻想」でもある。
 このような「推測」・「想像」は、「若い将校」の「集団自決の命令」が現実にあったという事実の上でこそ辛うじて成立している。その上でこそようやく読解又は論評できる性格のものだ。だが、前提たる上の事実が虚偽だったら、つまり全く存在しないものだったら、大江の長々とした文は一体何なのか。前提を完全に欠く、それこそ「夢想」・「幻想」にすぎなくなる。また勿論、虚偽の事実に基づいて「若い将校」=赤松嘉次氏(当時大尉、25歳)の人格を酷評し揶揄する「犯罪的」な性格のものだ。大江は赤松氏につき「イスラエル法廷におけるアイヒマン、沖縄法廷で裁かれてしかるべきであった」とも書いた(p.213)。* 再掲終わり
 (下線追加、青字化・太字化は今回行った。)

0334/嘘つき朝日。

 前日の記事につづいて10/03の朝日・天声人語は書いた。
 「…沖縄は怒った。抗議の県民大会は11万人でうねった。…」
 数字に主催者発表との注もない。こうして、主催者又は当事者の言い分をそのまま<紹介して>既成事実化するのは、本多勝一、過去の朝日新聞と同じ。
 かかる「嘘つき朝日」と業務提携をするらしい読売新聞社は、きっと自らの墓穴を掘っている。

0274/朝日新聞社説-「突出した情緒論で終始」・「事実無根に近い」。

 産経7/06「正論」欄の秦郁彦「沖縄集団自決をめぐる理と情」は、新聞の中でもとくに朝日新聞を批判している。
 秦は南京事件については4万人説論者で、「なかった」派ではない。
 秦は書く-沖縄県住民集団自決問題につきさすがに社説となると各紙は冷静になるが、「朝日だけは突出した情緒論で終始している。……と書いているが、いずれも事実無根に近い」。
 そして、研究者の中にも、集団自決や慰安婦強制連行の証拠文書が発見されないのは終戦時に焼却されたからだとか、命令はなくとも「天皇制や軍国主義教育」が原因だと「強弁する」者が少なくないが、朝日社説の結びの文章も「同類項なのだろうか」と締め括っている。
 朝日新聞の本質をよく知っている者にとっては珍しくもない話題だが、朝日新聞が「突出した情緒論で終始」する社説は勿論記事を書き、「事実無根に近い」内容の社説は勿論記事を書く新聞社であることを、あらためて確認しておきたい。

-0025/沖縄集団自決冤罪訴訟・大江健三郎など。

 2005年10月28日に大阪地裁法廷で朗読された沖縄集団自決冤罪訴訟の訴状要旨の最後は次のとおり(徳永信一・正論2006年09月号による)。
 「以上のとおり、被告大江健三郎が著した『沖縄ノート』を含む被告岩波書店発行の書籍は、沖縄戦のさなか、慶良間列島において行われた住民の集団自決が、原告梅澤裕元少佐あるいは原告赤松秀一の兄である亡き赤松嘉次元大尉の命令によるものだという虚偽の事実を摘示することにより原告らの名誉を含む人格権を侵害したものである。よつて、原告らは、被害の回復と拡大を防止するため、それらの出版停止、謝罪広告及び慰藉料の支払いを求めるものである」。
 原告側に有利な発言をする人物も近日登場したようである。
 すでに各所で言及されているが、小泉靖国参拝にかかる世論調査報道は各紙とも賛成・よかったが反対・よくなかったを上回っていたところ、なぜか最も遅かった朝日でも前者優勢と出た。49%対37%だ。0815前には昭和天皇発言にかかる富田メモ報道もあってか反対の方が多かった、「それなのに」と朝日中枢部はガックリしているだろう。が、朝日はメゲない。「小泉首相の<8・15参拝>は<よかった>49%、<するべきではなかった>37%で肯定的な見方が多いが、次の首相の靖国参拝となると一転、反対が増える。…7月調査の60%より少ないものの引き続き多数で…」(23日)。なんと、現首相については副文・従属節の中で触れ、主文・主節で次期首相については<反対が多いんだよ>と書いて、重点を自社に不利な前者にではなく後者に置いているのだ。さすがに「築地をどり」名取りは長年の経験によって多少のことでは悲観と失望を白状しないシタタカさを会得している。
 これまた旧聞だが、8月3日に韓国民族派極左政権の韓明淑首相は、<アジアには今でも日本により強制動員された「めぐみさん」が多数いる>と日本の記者に発言。事実かどうか極めて怪しい「強制連行」と北朝鮮の拉致を同一視することに唖然とするし、こんな人が首相とは韓国政府の性格とレベルを示している。だが、日本のマスコミはこの発言を「妄言」として何故抗議し、取消すまで紙面で頑張らなかったのか。朝日新聞は自国の過去・現在の非をあげつらうなら、なぜこの韓発言にも食いつかないのか。近隣諸国条項は日本の大半のマスコミにもあるようで、情けないこと著しい。
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