秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

雅子妃

2636/加地伸行・妄言録—月刊WiLL2016年6月号<再々掲>。

 加地伸行月刊WiLL2016年6月号(ワック)での発言と秋月瑛二のコメント(2017年07月16日No.1650)の再々掲。
 対談者で、相槌を打っているのは、西尾幹二
 最初に掲載したとき、冒頭に、つぎの言葉を引用した。
 「おかしな左翼が多いからおかしな右翼も増えるので、こんな悪循環は避けたい」。
 平川祐弘「『安倍談話』と昭和の時代」月刊WiLL2016年1月号(ワック)。
 2023年5月末の時点で書くが、平川祐弘はこのとき、自分自身が「おかしな右翼」と称され得ることを全く意識していなかったようで、可笑しい。
 なお、花田紀凱編集長の月刊Hanada(飛鳥新社)の創刊号は2016年6月号で、加地伸行の対談発言が巻頭に掲載されたのは、「分裂」後最初の月刊WiLLだった。おそらく、手っ取り早く紙面を埋めるために起用されたのが、加地伸行・西尾幹二の二人だったのだろう(対談だと録音して容易に原稿化できる)。
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 <あほの5人組>の一人、加地伸行。月刊WiLL2016年6月号p.38~より引用。
 「雅子妃は国民や皇室の祭祀よりもご自分のご家族に興味があるようです。公務よりも『わたくし』優先で、自分は病気なのだからそれを治すことのどこが悪い、という発想が感じられます。新しい打開案を採るべきでしょう。」p.38-39。
 *コメント-皇太子妃の「公務」とは何か。それは、どこに定められているのか。
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 「皇太子殿下は摂政におなりになって、国事行為の大半をなさればよい。ただし、皇太子はやめるということです。皇太子には現秋篠宮殿下がおなりになればよいと思います。摂政は事実上の天皇です。しかも仕事はご夫妻ではなく一人でなさるわけですから、雅子妃は病気治療に専念できる。秋篠宮殿下が皇太子になれば秋篠宮家が空くので、そこにお入りになるのがよろしいのでは。」p.39。
 *コメント-究極のアホ。この人は本当に「アホ」だろう。
 ①「皇太子殿下は摂政におなりにな」る-現皇室典範の「摂政」就任要件のいずれによるのか。
 ②「国事行為の大半をなさればよい」-国事行為をどのように<折半>するのか。そもそも「大半」とその余を区別すること自体が可能なのか。可能ならば、なぜ。
 ③ 「皇太子はやめるということです。皇太子には現秋篠宮殿下がおなりになればよい」-意味が完全に不明。摂政と皇太子位は両立しうる。なぜ、やめる? その根拠は? 皇太子とは直近の皇嗣を意味するはずだが、「皇太子には現秋篠宮殿下」となれば、次期天皇予定者は誰?
 ④「仕事はご夫妻ではなく一人でなさる」-摂政は一人で、皇太子はなぜ一人ではないのか?? 雅子妃にとって夫・皇太子が<摂政-治療専念、皇太子-治療専念不可>、何だ、これは?
 ⑤雅子妃は「秋篠宮家が空くので、そこにお入りになるのがよろしい」-意味不明。今上陛下・現皇太子のもとで秋篠宮殿下が皇太子にはなりえないが、かりになったとして「空く」とは何を妄想しているのか。「秋篠宮家」なるものがあったとして、弟宮・文仁親王と紀子妃の婚姻によるもの。埋まっていたり、ときには「空いたり」するものではない。
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 「雅子妃には皇太子妃という公人らしさがありません。ルールをわきまえているならば、あそこまで自己を突出できませんよ。」 p.41。
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 「雅子妃は外にお出ましになるのではなくて、皇居で一心に祭祀をなさっていただきたい。それが皇室の在りかたなのです。」p.42。
 *コメント-アホ。これが一人で行うものとして、皇太子妃が行う「祭祀」とは、「皇居」のどこで行う具体的にどのようなものか。天皇による「祭祀」があるとして、同席して又は近傍にいて見守ることも「祭祀」なのか。
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 「これだけ雅子妃の公務欠席が多いと、皇室行事や祭祀に雅子妃が出席したかどうかを問われない状況にすべきでしょう。そのためには、…皇太子殿下が摂政になることです。摂政は天皇の代理としての立場だから、お一人で一所懸命なさればいい。摂政ならば、そ夫人の出欠を問う必要はまったくありません。」
 *コメント-いやはや。雅子妃にとって夫・皇太子が<摂政-「お一人で一所懸命」、皇太子-「出欠を問う必要」がある>、何だ、これは? 出欠をやたらと問題視しているのは加地伸行らだろう。なお、たしかに「国事行為」は一人でできる。しかし、<公的・象徴的行為>も(憲法・法律が要求していなくとも)「摂政」が代理する場合は、ご夫婦二人でということは、現在そうであるように、十分にありうる。
 以下、p.47とp.49にもあるが、割愛。
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 この加地伸行とは、いったい何が専門なのか。素人が、アホなことを発言すると、ますます<保守はアホ>・<やはりアホ>と思われる。日本の<左翼>を喜ばせるだけだ。
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 以上。

2629/西尾幹二批判063。

 以下は、西尾幹二の言説(妄言)の「歴史的記録」として。あるいは、その「人格」を例証する一つとして。このとき、満76歳。
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 西尾幹二「『雅子妃問題』の核心」歴史通2012年5月号(ワック)
 一部(当時の皇太子妃批判・攻撃)を引用する。以下での「皇后陛下」は現在の上皇后陛下、「皇太子妃殿下」・「雅子妃」は現在の皇后陛下、「皇太子殿下」は現在の天皇陛下—以上、引用者。一文ずつで改行した。/は本来の改行箇所。下線は引用者による。
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 ①「皇后陛下は…耐え、馴れて、ご自身の世界を切り拓いて新境地に達した。
 皇太子妃殿下はいまだその域に達していない。
 『適応障害』といわれて九年目になる。
 一般人の自由を奪われたことが病気の原因であることは間違いない。
 皇室という環境にあるかぎり病気は治らないと医師も証言している。
 であるなら、道は二つに一つしかない。
 皇室を離れて、一般人の自由を再び手に入れるか、それとも皇室の掟に従うことを覚悟して、わが身に自由は存在しないことを大悟徹底するか、の二つに一つである。/」p.36。
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 ②皇室問題に「独特の混乱」を招いているのは「女性宮家創設」問題ではなく、「男系か女系か」も「緊急のテーマ」ではない。
 「最重要の問題は、雅子妃が皇室に一般的人の自由を持ち込み始めていることである。
 そしてそれを次第に拡大し、傍目にも異常に見えるようになったのは、単に皇室の掟に従わないだけではなく、一般社会人も当然生活する上で日常のさまざまな掟に縛られているのであるが、彼女はそこからも解放され、自由であり、天皇に学び皇后に従い皇室の歴史における自分の立つ位置を定めるという義務を怠っているので、一般社会からも皇室からも解放され、ついに何者でもない宇宙人のような完璧に自由であるがゆえに、完璧に空虚な存在になりはじめていることである。」p.36〜p.37。
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 ③「皇太子殿下」は…と「発言されたのだ」。
 「病気治癒に役立つなら公務を私的に利用すると平然と言ってのけたのでる。
 つい口を滑らして本音が出てしまったのかもしれないが、一般人が享受する私的自由は皇室にはない、との覚悟を内心深く蔵していたなら、不用意であっても、こんな言葉が出てくる筈はない。
 一般人の自由を皇室に持ち込み、なにごとも "自分流" を通されようとする妻の影響下に置かれている有様が透けて見えるようで、悲しい。/」p.37。
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 ④佐藤あさ子『雅子さまと愛子さまはどうなるのか?』(草思社)の「以上の叙述と思想から浮かび上がってくるのは、一般社会からも皇族社会からも完全にフリーな、どちらにもコミットしていない真空地帯、稀にみる楽園のような、地上に滅多に存在しない『自由』の実験劇場の舞台を浮遊するそうに、幻のように生きている不可解な存在である。…
 天皇陛下皇后陛下には生活があり、佐藤さんはじめ働く一般庶民にも生活があるが雅子妃には『生活』がない。
 無限の自由の只中にあって、それゆえに自由を失っている。
 ご病気の正体はこれである。/
 『裸の王様』という言葉があるが、ご自分ではまったく気がついていないものの、外交官のライフスタイルを失ったという嘆きやぼやきが思うに唯一の生き甲斐となり、夫への怨みや脅迫となり、与えられた花園の中を好き勝手に踏み歩く権利意識になっていると思われる
 …、学歴も高く才能もあるといわれて久しいのにほとんど目ぼしい活動もなく、子供の付き添い登校にひどくこだわって顰蹙を買ったのも、理由ははっきりしている。
 『生活』のないところにどんなライフワークも生まれようがないからである。/」p.41〜p.42。
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 ⑤「妃殿下に皇族として生きる覚悟が生じたときにはじめて彼女の『生活』が開始する。
 あるいは、ご離婚あそばされ、一般民間人になられたなら、そこでも『生活』が始まることは間違いない。
 その中間はない。
 どっちつかずの真中はない。
 あれかこれかの二つに一つで、選択への決断だけが彼女に自由を与える。/
 これがどうしてもお分かりならないでいる。
 そのために現代社会では起こり得ない次のような奇怪な絵図が展開されている。/
 「雅子妃の愛子さま付き添い登校」等…。
 「…、つい先頃まで毎日のように学習院初等科の校門前で行われた…珍妙な儀式は、封建時代の悪大名の門前を思わせる、たしかに ”異様” の一言でしか言い表せない光景である。
 こんな出来事がわれわれの現代社会に立ち現れていたことはまことに嘆かわしいし、恥しい。/」
 ——
 参考。→即位祝賀奉祝曲・嵐「Ray of Water」(作曲・菅野よう子)、2019年11月9日

2457/西尾幹二批判038—皇太子妃問題②。

 本来の予定では、西尾幹二個人編集の同全集第17巻・歴史教科書問題のつぎの重要な特徴を書くことにしていた。すなわち、一定時点以降にこの問題または「つくる会」運動(分裂を含む)に関して西尾が自ら書いて公にした文章を(「後記」で少し触れているのを除き)いっさい収載していない、という「異常さ」だ。
 いつでも書けることだが、再度あと回しにして、新しい「資料・史料」に気づいたので、それについて記す。
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  西尾幹二が2008年前後に当時の皇太子妃は「仮病」だとテレビ番組で発言した、ということは高森明勅の今年になってからのブログ記事で知った。
 その番組を見直すことは到底できないと思っていたら、実質的には相当程度に西尾の発言を記録している記事を見つけた。つぎだ。
 「セイコの『朝ナマ』を見た朝は/第76回/激論!これからの“皇室”と日本」月刊正論2008年11月号166-7頁(産経新聞社)。
 ここに、2008年8月末の<朝まで生テレビ>での西尾発言が、残念ながら全てではないが、かなり記録されている。引用符「」付きの部分はおそらく相当に正確な引用だと思われる。
 以下、西尾発言だけを抜き出して、再引用しておく。「」の使用は、原文どおり。
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 雅子妃は「キャリアウーマンとしても能力の非常に低い人低いのははっきりしている」。「実は大したことない女」。
 雅子妃には「手の打ちようがないな」。
 「一年ぐらい以内に妃殿下は病気がケロッと治るんじゃないかと思います。理由はすでに治っておられるからです。病気じゃないからです。」
 「これも言いにくいことですが、私が書いたことで一番喜ばれているのは皇太子殿下、その方です。私は確信を持っています」。「皇太子殿下をお救いしている文章だと信じております」。
 ****
 以上、「仮病」というそのままの言葉はないが、「病気じゃない」という発言があるので、実質的に同じ。上の<セイコ>も、「最後に平田さんも雅子様を仮病と批判」と記して「仮病」という言葉を使い、出席者のうち西尾幹二と平田文昭の二人が「仮病」論者だったとしている。
 <セイコ>の感想はどうだったかというと、「二人とも、やけくそはカッコ悪いよ」と書いているから、西尾・平田に対して批判的だ。
 なお、上の引用文のうち最初の発言に対して、矢崎泰久は「天皇家にと取っ掛かることによって自分の存在価値を高めたいという人」と批判し、出版済みの『〜御忠言』についても「天皇をいじくるな」「あなた、天皇で遊んでいるよ」と批判した、という。
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  あらためて「仮病」発言について論評することはしない。
 だが、想像していたよりも醜い発言ぶりだ。「能力の非常に低い」、「実は大したことない女」とは、凄いではないか。
 これによると西尾幹二は自著を最も喜んでいるのは当時の皇太子殿下だと「確信」し、同殿下を「お救い」していると「信じて」いる、とする。
 別に書くかもしれないが、西尾幹二著によって最も傷つかれたのは、雅子妃殿下に次いで、皇太子殿下だっただろう。さらに、現在の上皇・上皇后陛下もまた。「ご病気」の継続の原因にすらなったのではないか。
 西尾幹二
 この氏名を、皇族の方々は決して忘れることはない、と思われる。もちろん、天皇男子男系論者としてではない。
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 三 1 上を掲載している月刊正論2008年11月号の<編集者へ>の欄には、西尾幹二を擁護して当時の皇太子妃に批判的な投稿が二つあり、逆の立場のものはない。
 同編集部は、<セイコ>記事とのバランスを取ったのか。それとも、<セイコ>の原稿を訂正するわけにもいかず、編集部は西尾幹二の側に立っていたのか(代表は上島嘉郎で、桑原聡よりは数段良い編集者ぶりなのだが)。
 2 上の<セイコ>記事を読んで、当時に月刊正論上で西尾と論争していたらしい松原正は、月刊正論同年12月号にこう「追記」している。
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 「西尾幹二という男について真顔で論ずるのは、所詮、愚か者の所行なのかもしれない」。
 なぜ唐突にこう書くかというと、11月号の(セイコの)記事を読み、「呆れ返ったから」だ。
 「西尾が狂っているのではなく、本当の事を喋ってゐるのならば、西尾が…くだくだしく述べてきたことの一切が無意味になってしまう」。
 「かふいう無責任な放言を、それまで熱心に西尾を支持した人々はどういふ顔をして聞くのであらうか」。
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 ほとんど立ち入らない。
 ただ、「西尾が狂っているのではなく、本当の事を喋ってゐるのならば」、という部分は、相当にスゴい副詞文だと感じる。
 --------
  ついでに。
 西尾幹二『皇太子さまへの御忠言』(2008年)は相当に話題になり「売れた」はずの、単一の主題をもつ西尾の単行本だ(主題が分散している単行本もこの人には多い)。
 しかし、同全集には収載されないようであり、そもそもが「天皇・皇室」を主テーマとして函の背に書かれる巻もないようだ。
 個人編集だから、自分の歴史から、自著・自分が紛れもなく書いた文章の範囲から、完全に排除できる、と西尾は考えているのだろうか。全集第17巻にも見られる、自分史の一種の「捏造」・「改竄」なのだが。
 だが、活字となった雑誌や本は半永久的に残り、こういう文章を残す奇特な?者はきっといる。
 ——

0789/朝日新聞系出版社と「共闘」する月刊WiLL・花田紀凱。週刊文春8/13・20号の友納尚子は違う。

 週刊文春8/13・20号(文藝春秋)に友納尚子「『離婚・別居・廃太子』論・皇太子と雅子さまは何を思われたのか」という文章がある(p.168-171)。
 これで初めて知ったが、橋本明は月刊WiLL9月号(ワック)で初めて<廃太子>論を述べたのではなく、橋本明・平成皇室論-次の御代にむけて(朝日新聞出版、2009)という本を出している。月刊WiLLの彼の文章はこの本のいわば要約・反復あるいは<ついで>の作品だったようだ。
 友納はこの橋本明の議論を批判している。すべてに言及しないが、例えば、①「根本的にいえる」のは橋本には「精神疾患に対する知識と理解が足りないのではないか」、②橋本は天皇・皇后<一体>論(この名称は私による)を説くが、それならば、皇太子ご夫妻は「多くの場合おひとりで公務にのぞまれた昭和天皇と、香淳皇后のあり方を否定したというのだろうか」。
 そしてタイトルに見られるように、皇太子・同妃両殿下に対して友納は同情的だ。西尾幹二も述べなかった(西尾は基本的には<離婚>論だろう)<廃太子>論を含む議論を明言する著書が出版されていること、そしてその内容を両殿下が全くお知りにならないとは考え難い。こんな本と議論の存在を知って、両殿下、そして今上天皇・皇后両陛下のご心情はいかばかりか。
 ついでに書いておくと、昨年に八木秀次が述べた(少なくとも示唆した)のは現皇太子の皇位継承不適格論で、直接の(現時点での)<廃太子>論とは少し異なる。中西輝政が述べたのは現皇太子妃殿下の皇后就位疑問論で、やはり現皇太子についての<廃太子>論とは同一ではない。
 だが、月刊WiLL(ワック)の編集長・花田紀凱は当然にこの友納尚子記事に不満なようで、産経新聞8/08の週一連載「週刊誌ウォッチング」を利用して「雅子妃べったりが目に余る」と述べる。そして、問題意識や結論が彼と同じらしい週刊新潮8/13・20号(新潮社)の記事については紹介するだけで、批判的コメントはない。
 「細かいことだが」として、花田紀凱はこう結ぶ。「橋本氏は『別居、離婚、廃太子』と言っている。『文春』が『離婚・別居・廃太子』と順番を変えたのは何か意図があるのか」。
 以下は上の点よりは細かいこととは思えないので、指摘しておこう。花田の述べるとおり「橋本氏は『別居、離婚、廃太子』と言っている」のだとすれば、花田紀凱が編集長の月刊WiLL9月号(ワック)の橋本明の文章のタイトルは、いったいなぜ、「『廃太子』を国民的議論に」になっているのか。この点に編集長・花田の意向が全く働いていないとは言い難いように思われる。内容的にも橋本は「別居、離婚、廃太子」に触れているが、なぜタイトルは「『廃太子』を国民的議論に」なのか
 花田紀凱によるこの簡略化には「何か意図があるのか」。
 ところで最後に、橋本明の上の本の出版元は掲記のとおり朝日新聞出版。これは元は朝日新聞社の一部(出版関係)だったものが別会社になったもので、週刊朝日アエラは現在は朝日新聞社ではなく朝日新聞出版によって刊行されている。また、<朝日新書>シリーズも朝日新聞社ではなく、この朝日新聞出版が発行元だ。
 本多勝一・中国の旅(朝日文庫)等々の明瞭な「左翼・反日」本も、現在はこの朝日新聞出版が発行しつづけている。
 ついでに書くと、朝日新聞出版のウェブサイトのトップには朝日新書等の執筆者だからだろう、「保阪正康さんサイン会」、「姜尚中サイン会」の案内へのリンクもある。
 上でほとんど明らかなように朝日新聞出版とは実質的に朝日新聞社と同一で、かつ明瞭な「左翼」出版社だ。新潮社や(株)文藝春秋が「左翼」から「保守」までかなり幅広く出版しているのとは異なる。
 そんな出版社が刊行・発売する本を書いた者に月刊WiLLは同様の内容の原稿執筆を依頼した。<反雅子妃殿下>において、少なくとも皇室に混乱をもち込む又は混乱を過大にする目的において、月刊WiLL・花田紀凱と朝日新聞社は<共闘>していると評してよい。
 月刊WiLLと朝日新聞系出版社発行の本の一つは同じ論調だ-この指摘を花田紀凱は否定できないだろう。正しい又は妥当な内容であれば<朝日新聞>出版の本の執筆者でも<利用>する、と釈明する他はないものと思われる。
 ともあれ、奇妙な構図だ。  

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