秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

門田隆将

1699/門田隆将8/6ブログの「ファクト」無視と「夢見」ぶり。

 門田隆将は「ファクト」重視の「リアリスト(現実主義者)」か。どの程度に?
 出所の特定が最近はむつかしい。援用、二欄以上にほぼ同時に掲載、などによる。
 門田隆将が8/6のどこかのブログサイトで書いている。
 第一。つぎは、「ファクト」無視だろう。
 いわく。-「森友や加計問題で、“ファクト”がないままの異常なマスコミによる安倍叩きがやっとひといき…」。
 「異常なマスコミによる安倍叩き」があったことは、私も「ファクト」だと思う。
 しかし、「“ファクト”がないままの」と断じるのは、ファクトを無視している。
 何らかの<違法>とか明らかな<裁量権逸脱>のレベルだけが、議論の際に考慮されていた「ファクト」ではないだろう。
 森友にさしあたり限る。門田隆将さん、以下は、「ファクト」ではないのか?
 ①森友の籠池某氏は、「日本会議」の会員か役員だった(現在どうかは別として)。
 ②安倍晋三首相夫人・安倍昭恵は、同首相在任中に、森友関係学校・学園の「名誉校長」だった。
 ③安倍晋三首相夫人・安倍昭恵は、同首相在任中に、森友関係学校・学園で講演をしている。(謝礼受領の有無・金額はともかく)。
 ④安倍晋三首相夫人・安倍昭恵は、籠池某氏の妻(法人役員)と、今年になって、<電子メール>のやりとりを数回した。
 ⑤籠池某氏は、<安倍晋三記念小学校>と命名することを考えていた(安倍晋三が断った、固持したからといって、この事実は消えないだろう)。
 ⑥竹田恒泰は数回、この森友関係学校・学園で講演をした(本人が語った)。
 上は、「ファクト」だろう。もっと他に、このレベルのものはあるに違いない。
 むろん、⑥は安倍晋三とは無関係。しかし、産経新聞派的「保守」派の竹田の行動は、①とともに、籠池某氏の、少なくともかつての、申請時や行政折衝の時代の<政治信条>を推認させうる。もとより<政治信条>によって法廷で裁かれてはならない(法的な「優遇」もいけないが)。
 ②、③、④は、安倍晋三ではなく、安倍昭恵のこと。安倍晋三そのものではない。しかし、そのようには切り離せないことは、門田隆将も理解できるはずだ。安倍晋三は妻・昭恵の行動をどこまで放任、容認、了解していたのか、という疑問が出てきても<やむをえない>。
 以上は、何の犯罪でもないし、補助金適正化等々の違反でもない。
 しかし、「ファクト」ではあるだろう。
 第二。門田隆将は書く。-「用意周到な計算の末に改造され、“リアリズム内閣”となった安倍政権が、対『石破茂』戦争という明確な方針を示し、かつ、憲法改正問題や、都民ファーストとの戦いを念頭に動き出すことで、永田町はこの夏、『新たなステージ』に進んだのである。」
 美しい応援、激励の言葉だ。「リアリズム内閣」は意味やや不明だが、これから明確になるのかもしれない。
 対石破茂論あるいは「『決められない都知事』小池氏は、これまで書いてきたリアリズムの“対極”にいる政治家であろう」という小池百合子観も、まあよいとしよう。産経新聞・「日本会議」派的評価だが。
 しかし、以下は、門田隆将がリアリスト(現実主義者)ではなく、ドリーマー(夢想主義者)であることを示している。「6月に、私は当ブログで『やがて日本は“二大現実政党”の時代を迎える』というタイトルで、民進党の『崩壊』と、自民党に代わる新たな現実政党の『出現』について」書いたとし、民進党や小池新党はそういう現実政党ではない旨を述べたあとで、こう書く。
 いわく-。「しかし、国民は『二大現実政党』時代を志向し、実際に政局がそういう方向に向かっているのも事実である」。
 何だ、これは。最後の「…事実である」という断定は、何を根拠にしているのか。
 国民の声、多数の声なるものを紹介するふりをして自説を主張する、というレトリックはよく見られる。しかし。
 ①「国民は『二大現実政党』時代を志向」しているかは、実証されていない。
 ②「実際に政局ががそういう方向〔=おそらく二大現実政党の方向〕に向かっていることも、実証されていない。
 「ファクト」を大切にするはずの門田隆将にしては、えらく単直な、安易な「断定」だ。
 秋月瑛二は、日本共産党とそれを支持する国民が全有権者、正確には投票者の最高でも5%以下にならないと、絶対に二大政党制にはならないと、確信的に想定している。
 二つのうちの一つの大政党が完全な<容共>政党であれば、そんな二大政党制など形成されてほしくない。
 一方でまた、10%程度、500-600万票も日本共産党が獲得していれば、その票を欲しくなる政党が絶対に出てくる。
 二大政党制を語る前に、日本共産党を国会での議席がせいぜい2-3程度の、零細政党にしてしまわないとダメだ。
 小林よしのりが最近簡単に、二大政党制が日本の「民主制」のためにもよい、民進党頑張れ、との趣旨でつぶやいておられることにも、承服しかねる。
 以上の門田隆将に対する批判的コメントは、上のブログの内容に対するものであり、この人のこれまでの全仕事に対するものでは、当然に、ない。
 ---
 加計問題については、安倍晋三首相は、7/24に国会・委員会で、こう語ったとされる。 
 「友人が関わることですから、疑念の目が向けられるのはもっともなこと。」
 (「今までの答弁でその観点が欠けていた。足らざる点があったことは率直に認めなければならない。」)
 内閣改造の日、8/3の記者会見の冒頭で、安倍晋三首相は、こう言ったとされる。
 「先の国会では、森友学園への国有地売却の件、加計学園による獣医学部の新設、防衛省の日報問題など、様々な問題が指摘され、国民の皆様から大きな不信を招く結果となりました。/そのことについて、冒頭、まず改めて深く反省し、国民の皆様におわび申し上げたいと思います」。
 これら「発言」があったこと自体は、「ファクト」になっている。
 門田隆将によると、こんな言葉はいっさい不要だったのか? 安倍晋三は心にもないことを「口先」だけで言ったのか?
 門田隆将は、民進党や共産党(+小池・自民党内非安倍)だけを批判しておきたいのか?
 「ファクト」重視の「現実主義」とは、そういう姿勢を意味するか??
 


 

1396/日本の「保守」と「左翼」ー小林よしのりと仲正昌樹を機縁に。

 日本の「保守」とか「左翼」とか書いているが、保守・左翼という概念にはしっくりきていない。保守・革新(進歩)も右翼・左翼も同じ。
門田隆将が昨年2015年春頃に月刊WiLLで書いていた「R・現実」派・「D・夢想」派も面白いとは思うが、最近では「正視派」・「幻想派」が気に入ってきた。「左翼」とは、少なくともソ連型の社会主義の失敗(過ち)という「事実」を「正視」することができない者、すなわちいまだに「幻想」をもつ者という印象が強いからだ。また、諸歴史認識問題についても、「事実」を「正視」する姿勢を続ければ、いずれ「現実」だったか「幻想」(・捏造)だったかは明らかになるはずだ、という思いもある。
 ちなみに、<自称保守派>にだって「幻想派」・「夢想派」はある。
 もっとも、日本の又はどの国にもいそうな「左翼」は自らを「幻想」派だとは自認せず、右派あるいは「保守」派こそが「幻想」をもっていると思い込んでいそうでもあるので、この用語法の採用は結局は水掛け論になってしまうかもしれない。
問題はまた、保守・革新(進歩)とか右翼・左翼という「二項対立」または「二元論」の思考方法にあると思われる。
 これらは、すぐに「保守中道」とか(保守リベラルとか)、右でも左でもない「中間・中庸」派という観念を生んでしまい、多くの人は(少なくとも半数くらいの日本人は ?)えてして、(極端ではない)「中道」・「中庸」の立場に自らはいると思いたがっているようにも見える。
 この欄で「保守」とか「左翼」とか使っているが、一種のイメージとして、特定の考え方・主張や特定の事実理解について語っている。人間・人格または全知識・全感覚がいずれか二つに画然と分けられるわけではないことは当然のこととして了解しており、個別の問題・論点によって評価が分かれることはありうる。また、特定の個別問題・論点についても各立場にグラディエーション的な差違はありうるだろう。
 もっとも、基本的または重要な問題・論点があるのも確かで、これに対する考え方・立場によって(何らかの概念を使って)大きく二分することはできる。<基本・重要>性の判断もまた人によって異なるのだろうが、この欄では秋月瑛二なりの選択と判断によるほかはない。
 「保守」(又は保守主義)とは何かについては、諸文献を参照にしてこの欄でもたびたび触れてきた。保守とは「反共」だ、と書いたこともあるし、「保守」とは「イズム」・イデオロギーではなく姿勢・ものの見方だという説明に納得感を覚えたこともある。
 自分が「左翼」ではないとするときっと「保守」なのだろうが、実態としては、「正視」派と言いたいところだ。
 もっとも、世界中に(正確には欧米世界には)conservative(conservativ) とかleft(link) とかの概念・観念は確固として又は広く用いられているようなので、しっくりこないが、用いざるをえないのかもしれない。
 いずれまた、秋月瑛二の「保守」としての考え方・理解を整理してまとめておく必要がある、と考えている。
 とこんなことを書きたくなったのも、とりわけ、小林よしのり・ゴーマニズム戦歴(ベスト新書、2016)と、仲正昌樹・精神論ぬきの保守主義(新潮選書、2014)という、珍しいとりあわせの ?(秋月瑛二はできるだけ特定範囲の文献だけを読むことをしないつもりなのだ)二著をたぶんこの一ヶ月の間に少しは読んだからだ。

1258/月刊正論を最近は毎号きちんと読んでいる。

 ・前編集長時代とは異なり、交替後の月刊正論(産経新聞社)は「メディア裏通信簿」も含めて、なかなか面白い。何よりも、くだらない、又は反発を覚えるような論考や記事がほとんどなくなった。
 とは言っても、なぜか、日本共産党、社民党、生活の党(小澤一郎は見事に?変身した)という「左翼」政党、とりわけ日本共産党の現状の紹介や批判的検討が全くと言ってよいほどないことは相変わらずで、中国(中国共産党)を熱心にかつ批判的に分析しても、なぜ日本の月刊雑誌は日本の「共産党」を、あるいは日本のコミュニズムを正面から扱わないのだろうというもどかしさは依然として残る。
 ・月刊正論1月号もおそらく90%以上読み終えた。最近と同様に、かつてほどに逐一言及する余裕はない。
 門田隆将の文章も小浜逸郎(この人は一時期は信用していなかったのだが)の文章も、印象に残ったが、平川祐弘が紹介している、竹山道雄の、朝日新聞1965.04.05号の文章の一部が目を惹いた。
 「私には戦後の進歩主義がほんものの平和と民主主義であるとは思われない。それはむしろ、人々の平和と民主主義をねがう気持ちにつけこんで、別なものが進歩主義を利用して浸透する手段としたのだった」。(p.347)
 ビルマの竪琴という小説の作家としてしかほとんど知らない竹山道雄だが(もっとも、同・昭和の精神史は所持していていずれ読みたいと思っているし、著作集も半分以上所持している)、60歳をすぎた時期に朝日新聞紙上でこんな文章等でもって論争しているとは、相当な人物だったに違いない。
 「人々の平和と民主主義をねがう気持ちにつけこんで、…進歩主義を利用して浸透する手段」としている「別なもの」は現在も厳然として存在するし、「別なもの」に「平和と民主主義をねがう気持ちにつけこ」まれていることを知らずに、戦争と<全体主義・ファシズム>の復活?を許さず「平和と民主主義」の理想を追求していると自らを評価しているものも厳然として多数存在している。
 すでに「別なもの」になっているのかどうかは知らないが、個人的に知る某憲法研究者は、<日本の自衛隊(軍事組織)は信用できない。正式に軍として認知すれば何をしでかすか分からない>という旨を<公言>していた。
 日本軍国主義=日本のかつての軍部は<悪>でありかつ<拙劣>であったので、そのDNAを継承している自衛隊、そして日本人そのものが<正規の軍として位置づけられるものを保持するとアブない>というわけだ。
 かかる戦後・占領期の<時代精神>を、日本の憲法学者の多くはなおも有し続けているのだろう。
 開いた口がふさがらないし、そのような感覚を平然と語るれっきとした<おとな>らしき人物などとは、もはやとっくに、「口をきく気にもなれなくなっている」のだが。
 

1235/「左翼」メディアと特定秘密保護法-月刊WiLL2月号。

 〇別冊正論Exttra20(2013.12、産経新聞社)が「NHKよ、そんなに日本が憎いのか」と題する一冊丸ごとNHK批判の雑誌を出し、月刊WiLL2月号(ワック)も櫻井よしこと高池勝彦の対談「NHK偏向報道判決と秘密保護法」などを掲載している。
 上の対談の中で櫻井は、「NHKや朝日新聞」ととくに名指ししたうえで、秘密保護法反対の煽り方は「もはや報道機関ではなく運動体であり、新聞はプロパガンダ・ペーパーと化している」と述べ、高池は「秘密保護法反対派は『言論の自由』や『知る権利』が制限されると言いますが、では報道機関は本当に国民の権利に応えてきたのか」と、正当な疑問を示している。
 〇NHK固有の問題は別にまた触れるとして、秘密保護法とNHKを含むメディアとの問題については、月刊WiLL2月号の表表紙には記載されていない、つぎの二つの小稿が興味深かった。
 西村幸祐の連載コラムの今回の「加速する報道テロの防止策」は、「鳩山政権で九回、菅政権で八回、野田政権で四回の強行採決があった」し、2010年の公務員国籍条項削除の国家公務員法改正案の強行採決の際には「三宅雪子の転倒演技に」報道を集中させ、法案の危険性や強行採決の問題性もが当時のメディアは問題にしなかった、しかるに……、と説く。朝日新聞等の「左翼」メディアが民主党政権時と自民党等の安倍政権時ではまるで異なる報道姿勢をとっていることを気づかせてくれる。<審議が十分でない。なぜ急ぐのか>というキャンペーンはある程度は効を奏したようで、これを肯定する世論調査結果もあったと思われる。しかし、上の民主党政権時の「強行採決」の回数は知らなかった。朝日新聞等のメディアは、その当時、強行採決を「多数の暴挙」等々と厳しく批判したのか。
 <ご都合主義>、<ダブル・スタンダード>の、朝日新聞を中心とする「左翼」メディア。「プロパガンダ」団体であり、政治団体であることはますます明確になってきている。
 上の一文と同じことをまた書かなければならないが、門田隆将の連載コラムの今回の「『秘密保護法』と『人権擁護法』どちらが怖い」は、(国会に上程までされたかは確認していないが)2012年9月に野田内閣が人権擁護法案(人権委員会設置案)を閣議決定したとき、強大な権限をもつ「人権委員会」が「人権擁護」の名のもとに「裁判所の令状なしでジャーナリストたちに『出頭命令』や『家宅捜索』、『押収』等をできることにメディアは反対しなかった、しかるに……、と書く。
 鳥越俊太郎、金平茂紀らは昨年に人権擁護法案に反対する運動をし、記者会見等をしたのか。現役の放送会社員・TBSの金平茂紀も含めて<政治活動家>であることははっきりしているから、もはや驚きはしないのだが。
 <ご都合主義>、<ダブル・スタンダード>の意識の一片もなく、真面目に(安倍内閣提出の)特定秘密保護法案には反対したのだとすれば、これらのメディアの人々の「神経」を疑うし、そのような人々が平然とテレビ画面に出てくる現実に恐怖を覚える。
 なお、上の西村幸祐のものを読んで、前回に記した「朝日新聞」の<犯罪>の中に、2005年1-2月の、安倍晋三・中川昭一の政治的生命を奪おうとする、<女性戦犯法廷放映政治家圧力>事件も加えておくべきだった、と思い出した。朝日新聞の本田雅和らNHKの長井暁らが「共犯」の事件だった。

1216/井上薫は婚外子「差別」違憲判決を厳しく批判する-月刊WiLL11月号。

 月刊WiLL11月号(ワック)に、井上薫「婚外子違憲判決/八つの誤り」があり、井上薫はこの判決(正確には決定。最高裁大法廷平成25年9月4日決定)を結論自体も含めて批判している。
 この最高裁決定についてはすでに9/12に言及した。

 そこで「世界的な状況の推移の中で,我が国における…法制等も変化してきた」という理由しか書かれていないと疑問視したが、井上薫は理由不明で、日本で「社会環境の変化」があったとは言えないと中身も批判しつつ、この決定を「世の中が変わったから身を任せた」という「風見鶏の真似」、「風見鶏ごっこ裁判」だと酷評している(p.230-1)。

 ほぼ同旨の批判だと言ってよい。

 また、「子にとっては自ら選択ないし修正する余地のない事柄を理由としてその子に不利益を及ぼすことは許されず,子を個人として尊重し,その権利を保障すべきであるという考えが確立されてきている」と格調高く?述べている部分を「偽善的な美辞麗句にすぎない」と批判しもしたが、井上薫も「一般的に誤りであることを強調したい」と述べる(p.232)。

 子ども間の平等の是非とともに、よりその母親(法的な正規の妻と事実上の妻)間の平等の是非の問題であることも井上は指摘している(p.236。但し、法律上の妻との間がつねに「愛情溢れた」夫婦関係とは限らず、形骸化していて「愛人」との間の方が夫婦らしい場合もありうるので一概にはいえないという旨を、先日のこの欄では書いた)。

 大まかにいって、最高裁のウェブサイトから全文を一度概読しただけで書いた9/12の一文は、大きくは的を外していないようだ。

 但し、概読したときには意識しなかったまたは気づかなかった論点だが、井上は本来裁判所が持たない「抽象的違憲審査権」を行使したものとし、三権分立等に違反する、と述べている(p.235-)。この部分は専門家でなければ分かりにくいだろう。また、専門家の間でも議論がありそうにみえる(同様のことは、「司法のしゃべりすぎ」や<傍論>に関する井上薫の主張についてもいえそうだ、という旨は書いたことがある)。
 冒頭掲記雑誌の同じ号の最初の方に門田隆将「…偽善に満ちた最高裁判決」もある(p.26-)。門田は一四人の裁判官一致であることに驚いたとし、内容的にも「日本人の長年の英知を否定」するものだとし、この決定は日本で「事実婚」が促進される契機となる「歴史的」なものだ、とする。また、「なんでも『平等』を訴えて権利ばかり主張する風潮」=「偽善」への違和感を示してもいる。

 明確に「反対」とは書かなかったが、私もまたほぼ同様の感想をもつ。
 ところで、門田は、「大手新聞が一紙の例外もなく」この最高裁決定を支持したことにも驚いたとし、「偽善」に「最高裁も大新聞も」毒されている、とする。

 この大手新聞、大新聞の中には当然に天下の産経新聞も含まれている。

 この件は、最高裁判決(・決定)を新聞社が批判することの困難さを示してもいる。最高裁とはそれだけの「権威」を今の日本社会では持っているのだ。

 井上薫も論及しているが、法律上は何の基準も定められていない、内閣による最高裁裁判官の任命(憲法79条)の仕方、それについての現在までの戦後の「慣行」を問題にし、きちんと再検討しておく必要があるだろう。

 この「慣行」についての新聞記事は(雑誌記事もだが)見たことがない。一種の「ブラック・ボックス」になっていて、既得権が生じている分野・「業界」があるはずだ。「大手新聞」・「大新聞」はまずは、最高裁裁判官の任命(方法・基準)の実態についての取材と報道から始めたらどうだろうか。

 最高裁は私の見るところ、これまでは致命的な失態を冒してはいないようでもある。だが、ぎりぎりの過半数であれ、「左翼」的判決の確定が続いたのちでは、もはや取り返しがつかない、という事態が生じないとも限らない(今回の婚外子差別違憲判決がそのような「左翼」的判決の連続の始まりにならなければよいのだが)。

 最高裁裁判官といっても「人の子」であり、無謬ではありえないし、「政治的」・「社会的」的状況あるいは「時代の空気」の影響を十分に受けうる、と見ておく必要がある。

 最高裁の判決・決定を正しく分析し批判できるだけの力量を、天下の各「新聞社」は持つ必要があるのだが、これは一朝一夕には無理かもしれない、産経新聞社も含めて。

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