秋月瑛二の「憂国」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

長井暁

1235/「左翼」メディアと特定秘密保護法-月刊WiLL2月号。

 〇別冊正論Exttra20(2013.12、産経新聞社)が「NHKよ、そんなに日本が憎いのか」と題する一冊丸ごとNHK批判の雑誌を出し、月刊WiLL2月号(ワック)も櫻井よしこと高池勝彦の対談「NHK偏向報道判決と秘密保護法」などを掲載している。
 上の対談の中で櫻井は、「NHKや朝日新聞」ととくに名指ししたうえで、秘密保護法反対の煽り方は「もはや報道機関ではなく運動体であり、新聞はプロパガンダ・ペーパーと化している」と述べ、高池は「秘密保護法反対派は『言論の自由』や『知る権利』が制限されると言いますが、では報道機関は本当に国民の権利に応えてきたのか」と、正当な疑問を示している。
 〇NHK固有の問題は別にまた触れるとして、秘密保護法とNHKを含むメディアとの問題については、月刊WiLL2月号の表表紙には記載されていない、つぎの二つの小稿が興味深かった。
 西村幸祐の連載コラムの今回の「加速する報道テロの防止策」は、「鳩山政権で九回、菅政権で八回、野田政権で四回の強行採決があった」し、2010年の公務員国籍条項削除の国家公務員法改正案の強行採決の際には「三宅雪子の転倒演技に」報道を集中させ、法案の危険性や強行採決の問題性もが当時のメディアは問題にしなかった、しかるに……、と説く。朝日新聞等の「左翼」メディアが民主党政権時と自民党等の安倍政権時ではまるで異なる報道姿勢をとっていることを気づかせてくれる。<審議が十分でない。なぜ急ぐのか>というキャンペーンはある程度は効を奏したようで、これを肯定する世論調査結果もあったと思われる。しかし、上の民主党政権時の「強行採決」の回数は知らなかった。朝日新聞等のメディアは、その当時、強行採決を「多数の暴挙」等々と厳しく批判したのか。
 <ご都合主義>、<ダブル・スタンダード>の、朝日新聞を中心とする「左翼」メディア。「プロパガンダ」団体であり、政治団体であることはますます明確になってきている。
 上の一文と同じことをまた書かなければならないが、門田隆将の連載コラムの今回の「『秘密保護法』と『人権擁護法』どちらが怖い」は、(国会に上程までされたかは確認していないが)2012年9月に野田内閣が人権擁護法案(人権委員会設置案)を閣議決定したとき、強大な権限をもつ「人権委員会」が「人権擁護」の名のもとに「裁判所の令状なしでジャーナリストたちに『出頭命令』や『家宅捜索』、『押収』等をできることにメディアは反対しなかった、しかるに……、と書く。
 鳥越俊太郎、金平茂紀らは昨年に人権擁護法案に反対する運動をし、記者会見等をしたのか。現役の放送会社員・TBSの金平茂紀も含めて<政治活動家>であることははっきりしているから、もはや驚きはしないのだが。
 <ご都合主義>、<ダブル・スタンダード>の意識の一片もなく、真面目に(安倍内閣提出の)特定秘密保護法案には反対したのだとすれば、これらのメディアの人々の「神経」を疑うし、そのような人々が平然とテレビ画面に出てくる現実に恐怖を覚える。
 なお、上の西村幸祐のものを読んで、前回に記した「朝日新聞」の<犯罪>の中に、2005年1-2月の、安倍晋三・中川昭一の政治的生命を奪おうとする、<女性戦犯法廷放映政治家圧力>事件も加えておくべきだった、と思い出した。朝日新聞の本田雅和らNHKの長井暁らが「共犯」の事件だった。

1142/「広島型平和熱」→「自虐史観症候群」。

 短いコラムのごときものだが、ジャパニズム08号(2012.08、青林堂)の、中書島亘の文章(p.174-5)には同感する。
 「主に8月になると日本に限局して流行し、NHKやTBSあたりが感染源になることで知られる」感染症を「広島型平和熱」と呼んでいる。そして、この病気が慢性化すると「自虐史観症候群」という「根治不能な重病」に移行するので、この危険性を厚労省や国立感染症研究所は一刻も早く国民に周知徹底させるべきだ、と結んでいる。
 「広島型平和熱」とか「自虐史観症候群」とかの造語が面白い。
 今年はロンドン五輪のおかげで、例年ほどには感じなかったが、毎年8月が近づき、あるいは8月になると、NHKは「戦争」ものや「原爆」もののドキュメンタリーを多く放送するので、うんざりしてきた。もちろん、これらを扱っていることが理由ではなく、<扱い方>に理由がある。上の言葉を借用すれば、<自虐史観症候群>に陥るような番組作りがされているからだ。
 「平和」それ自体にむろん反対しないが、あの戦争について、<日本が悪かった>、<日本は(道徳的・道義的にも)間違ったことをした>という「史観」を基礎にして、国家系放送機関が、特定のイメージを撒き散らしてほしくないものだ。
 見ないようにしているから具体的な疑問を示せないが、戦争を体験した現在の老人(旧軍人を含む)の記憶を映像・録音に残そうとしても、現在のまたは<戦後の>戦争観(特定の、あの戦争についての見方)に影響されて、事実についての記憶やその評価は語られることになるのであり、戦争の経験者が語っているから、その評価も含めて、すべて<真実だ>ということには全くならない。
 NHKの中には、長井暁のような「極左過激派」もいたし、現在もいて、「広島型平和熱」を発症させ、蔓延させようとしているようだ。NHKはましな番組も作っているが、とくに、こと「戦争」がテーマになると、公正・中立ではなくなる。
 だからといって、民間テレビ局の方がマシというわけでもない。NHKのように金をかけて同種の番組を作り難いだけのことで、別の面では、NHKよりもはるかにタチが悪い。
 ところで、「広島型平和熱」でも、文章を読めば意味はわかるが、とくに説明を施さなくとも、8月を中心にNHKが放送している「反戦・反原爆」ドキュメンタリー類の悪弊を表現できる、もっと的確な用語はないものだろうか。

0757/NHK「売国反日プロデューサー」列伝-長井暁・濱崎憲一ら。


 西村幸祐責任編集・撃論ムック/NHKの正体(オークラ出版、2009.07)p.150-1による、「NHK売国反日プロデューサー列伝」。執筆主体は「本誌『NHKデビュー』取材班」。
 ・長井暁 所謂「女性国際戦犯法廷」を取り上げた番組「問われる戦時性暴力」のチーフ・プロデューサー。2005年01月〔13日〕、「涙」の会見。2009年退職〔この退職を親友あるいは同志の朝日新聞はわざわざ報道した〕。東京学芸大学出身。同大学「史学会」所属。同会は「反君が代・日の丸・反つくる会教科書」を会是とし、中心教授は君島和彦
 ・池田理代子 「問われる戦時性暴力」を実質的に仕切った。早稲田大学出身。上記「法廷」を仕掛けたバウ・ネット(VAWW・NET)の運営委員
 ・塩田純 NHKスペシャル「日中戦争―なぜ戦争は拡大したか」で名を馳せた。2005年に海老沢会長辞任に触れて「これで作りたい番組が作れる環境になった」と発言。
 ・濱崎憲一 <JAPANデビー>チーフ・ディレクター。1992年入局。「血も涙もないNHKディレクター」とも評される(p.25、林建良)。
 <JAPANデビー>第一回に関する日本李登輝友の会等からの質問状に対して「被取材者からクレームはきていない」と嘘をつく柯徳三(台湾)は放送直後に電話で濱崎にこう言ったという-「私は濱崎さんに言うたんだ。あんた、中共の息がかかっているんだろう。私が聞くところによると、朝日新聞とNHKは、北京に呼ばれてチヤホヤされて、貢物を持って行ったんだろう!」(p.34、井上和彦)。上の柯徳三の抗議に対して濱崎は番組を支持する視聴者のコメント(のみ)をファクスで柯に送ったが、濱崎は「ファクスを送ったことは内緒に」と頼んだ(p.26、林建良)。別の文章によると、濱崎は柯への電話で「さっきのFAXは、柯さんだけに留めてほしい」と「泣きついてきた」(p.32、井上和彦)。
 顔だけの印象では殆ど何も言えないだろうが、少なくとも、思慮深い、聡明な、という印象は、全くない。この程度の人物が
 ・高橋昌廣 ハングル講座プロデューサー。民団・総連との関わりも「噂されている」。
 本名(戸籍名)は上田昌廣。2005年に「団体職員・上田昌弘(53)」の名で娘「Sちゃん」渡米手術費用の寄付を国民に呼びかけ、二億円を集める。妻もNHKディレクターで夫婦で年収4千万円。
 「Sちゃんを救う会」メンバーには、例えば以下も含めて、NHK「エリート職員」も多数いた。
 ①永田恒三(会代表、長井暁とともに「女性国際戦犯法廷」問題に関与)、②倉森京子(「新日曜美術館」プロデューサーで、姜尚中を司会者とした)、③塩田純(前掲)、④濱崎憲一(前掲)。
 〔なお、サンデー・ブロジェクト(朝日系)を観るのを止めたあと、「新日曜美術館」をしばしば観ていたのだが(壇ふみ司会の時代)、今年たぶん4月から姜尚中(と局アナ)に代わって、完全に止めた。姜尚中起用は上の倉森京子の「意向」のようだ
〕。

0701/週刊新潮4/23号におけるNHK4/05番組批判と「お詫び」。

 〇4/05のNHK番組「JAPANデビュー・第1回」につき、「少なくとも<一面的>」と前回に評した。週刊新潮4/23号(新潮社)によると、やはりその程度では済まないようだ。
 上の番組を「歴史歪曲と『台湾人』も激怒したNHK『超偏向』番組」と評する同号の巻頭記事によると、「人間動物園」との表現、台湾での「改姓名」、「宗教弾圧」につき、誤り又は歪曲等がある、という。また、番組に登場した台湾人・某氏はNHKの取材に対して日本の台湾統治は「プラスが50%、マイナスが50%」というスタンスで答えたが、放送を観たら「悪口ばかり使われているので、大変驚きました」との感想を述べた、という。以下は省くが、これらによると、「一面的」は柔らかすぎる表現で、むしろ<捏造>に近いのではないか。
 上の某氏はNHKのこの番組の背後には「日台の関係を引き裂こうとする中共の意向があるのではないか」とも「邪推」しているというが、「邪推」ではないかもしれない。
 NHKは<戦時性犯罪国際女性法廷>とやらの番組で少しはコリたかと思っていたが、確信犯的な「左翼」制作者グループがまだ残っているようだ。
 なお、同誌同号の高山正之連載コラムも結果としては全体を、上のNHK番組批判にあてており、番組制作者として、「田辺雅泰」の名前のみを出している(p.142)。
 〇週刊新潮上掲号には、朝日新聞阪神支局事件に関する同誌掲載手記が「誤報であったことを率直に認め、お詫びする…」編集長名の長い文章も載っている(p.130-)。
 これに関係して不思議に思うことがある。すなわち、2005年1月頃以降に話題になった、上でも言及した<戦時性犯罪国際女性法廷>とやらの番組放送に対する政治家(自民党)の圧力問題に関していうと、今回の週刊新潮記事(編集部)にあたるのが朝日新聞・本田雅和ら二人の記者であり、今回の件の島村征憲にあたるのが、自分自身が直接に接触をした(を受けた)わけでもないのに上司・幹部が<安倍晋三・中川昭一から「圧力」を受けた>ために改編を迫られた旨を記者会見して(涙ながらに)述べた長井暁(チーフディレクター)なのではないのだろうか。長井暁は(少なくとも中核部分では)「嘘」を述べたにもかかわらず、それを信じて取材を十分にしないまま記事にしてしまったのが朝日新聞・本田雅和らではないのだろうか。
 そうだとすると、朝日新聞は誤りを認め謝罪するべきだったと思われるが、<取材不十分>を外部委員会に指摘させただけで、訂正も「詫び」もしていない。この<開き直り>と比べれば、新潮社の方がまだマシだ。
 亡くなられた朝日新聞記者にはやや気の毒かもしれないが、彼に関する事件と自民党による<政治圧力>問題は、少なくとも同等の又は後者の方がより大きな重要度をもっていたと思われる。やや別言すれば、今回の週刊新潮には特段の<政治的>意図はなかったと見られるのに対して、朝日新聞・本田雅和には、特定の(反朝日スタンスの)政治家を貶める方向へと世論を誘導しようとする明確な<政治的>意図があったと思われる。朝日新聞はなぜ、<取材が不十分でした>程度で済ますことができたのだろう(まともな・ふつうの新聞社ではないからだ)。
 最近、某芸能人・タレントがラジオで「不適切」発言をして番組が終了し、出演停止措置が執られたとか報道されている。
 このタレントは経済的な制裁も結果として受けるわけだが、朝日新聞のとくに本田雅和、NHKの長井暁はいずれも「不適切」な仕事をした(記事を書き、あるいは「異常な」番組作成しかつ虚偽の記者会見をした)にもかかわらず、それぞれ朝日新聞とNHKを辞める又は辞めさせられることもなくのうのうと給料を貰いつづけた。これはどう考えても、不衡平・不均衡ではないか。新潮社は週刊新潮編集長を交代させるようだが、朝日新聞とNHKはそれぞれ、本田雅和と長井暁に対して、「不適切」な仕事との関係が明確に判る形でのいかなる人事的措置を行ったのか。
 朝日新聞やNHKについては、どうも腑に落ちないことが多すぎる。

0117/NHK「憲法九条-平和への闘争/護憲と改憲」の偏向=放送法違反。

 NHKが5/02に放映した「その時歴史は動いた」は憲法九条や60年安保がテーマだった。
 占領終了から60年安保、池田内閣発足あたりまでの歴史を振り返るとき、この番組を生で部分的に、録画を早回しで観てもそうだったが、二つのことを強く感じる。
 第一。占領終了=主権回復後すみやかにではないにせよ、保守勢力は自主憲法制定を目標に掲げたにもかかわらず、日本社会党等の反対勢力が国会各院で1/3以上を占め続けたために、憲法改正=日本人だけの手による自主的な憲法制定ができなかった。この責任の過半は、日本社会党等の反対勢力、所謂「革新」勢力にあり、多数講和論ではなく全面講和論の主張に続いて憲法改正阻止を主張し、日本社会党等を指導・支援した「進歩的知識人」たちの責任は頗る大きい。<60年安保>闘争を煽った人たちも同罪だ。
 1950年代遅くにでも憲法が改正され自衛隊が正規の防衛軍と認知されていれば(自由民主党結成は1955年)、常識的にみて「…軍その他戦力」に他ならない自衛隊を、核兵器を持たないことを除けば世界有数の兵力があるらしい日本の自衛隊を「戦力」とは見ないなどという「大ウソ」をその後50年も継続して吐きつづける必要はなかった。
 「解釈改憲」という名の「大ウソ」なのだが、国家の基本問題についてこんな「大ウソ」をついておいて、まともな国家とは見られないし(東アジア諸国の考えはまた別だろうが省略)、そんな「大ウソ」つきの大人たちを子どもたちが信用して成長する筈がない。若い人たちについて指摘されることのある道徳規範の希薄さ等を、大人たちは批判する資格はないのではないか。
 第二。国会で2/3以上の議席を占める可能性はないと予想したのか、改憲を実質的に諦め、九条のもとで自衛隊の兵力の「近代化」を進めつつも、「大ウソ」をつき続けた自民党、とくに池田勇人内閣の情けなさ。
 その代わりに、種々の弊害・反作用を撒き散らしつつ、「高度経済成長」政策に邁進したのだ。
 次に、それにしても、NHKのこの番組制作者の歴史理解は相当に狂っているのではないか。深夜にある視聴率が低そうなニュース解説で奇妙なことを大真面目で言っていることがあるが、この番組はけっこうな人気番組の一つだろう。そんな番組が奇妙な立場と見解にもとづくものであっては困る。
 明瞭ではないが、「憲法九条-平和への闘争」とのタイトル自体が「憲法九条を守ろうとする闘い」は「平和への闘争」だったということを十分に示唆していそうだった。
 私もまた「平和主義」者であり、「平和」を愛するが、問題は、どうやって現実に「平和」(と安全)を確保するかにある。平和主義と戦争主義などという対立はありえない(侵略された時の非武装無抵抗主義と自衛戦争主義の対立はありうる)。
 九条を守ることのみが平和につながるが如きタイトルは、それ自体が国民を欺瞞するもので許せない。中立的に考えても、保安隊、自衛隊の設置等もまた、日本の「平和」(と安全)を確保するための措置であった、との見方は十分に成り立つ筈で(当時の政府はそう考えていた筈だ)、これを(侵略)戦争と結びつけるのは公平さを欠いている。
 今改めて観てみると、開始後45分辺りで「国民の多くが岸(信介)の政策は九条一項の精神に反し、戦争に向かっていると感じたのです」と松平定知にナレーションで語らせている。
 九条一項のうち自衛戦争の余地を(同項自体は)残している根拠とされる「国際紛争を解決する手段としては」の部分を省略して同条項の内容を紹介している。意識的であれば犯罪的だし、無意識であれば無知も甚だしい。
 岸の政策とは日米安保の60年改定を意味するが、これが戦争につながるのではなく、日米を対等化し、米国に日本を防衛する義務を負わせることで日本の「平和」(と安全)をより確保しようとするものだったことは、<60年安保闘争>参加者の一人だった田原総一朗も同・日本の戦後上-私たちは間違っていたか(講談社、2003)の中で認めている。しかるに、NHKのこの番組は、そういう異なる見解を紹介もしておらず、不公平で<偏向>している。
 それに、「国民の多く」が岸内閣の政策に反対していたなら、1960年の後半にあった総選挙で何故、岸が属していた自民党は第一党のままで、日本社会党は政権を取れなかったのか。NHKの制作担当者はいい加減な言葉を使うな、と言いたい。
 どの程度<60年安保闘争>のことが触れられたかをきちんと観てはいないが、これもまた「平和への闘争」でないことは明らかだ。中心は日本社会党・日本共産党・共産党を離党して共産主義者同盟(ブント)に結集した多数派「全学連」の学生たちで、「平和への闘争」という美しいものでは全くなく、反米・親社会主義国の闘争だった。資本家階級(日本独占資本)に支持されるとする岸政権(すでに日本帝国主義?)と米国(アメリカ帝国主義)に反対して、混乱を生じさせ、あわよくば日本社会党を中心とする政権の樹立を目指した、<社会主義への闘争>だった、というのが本質に近いだろう。
 60年当時日本社会党委員長の浅沼稲次郎(1898-1960)の顔がこの番組に頻繁に出ていたが、この人物は1959年3月の書記長時代に、中国で<アメリカ帝国主義は日中両国人民の共通の敵である>と、彼のいう「毛沢東先生」の前で演説した。
 <60年安保闘争>をどう評価するかについてすでに大きな対立があるのだろう。この<闘争>に参加した(要するにデモに参加という意味だが)立花隆・滅びゆく国家(日経BP、2006)はこれを肯定的に捉えている。私は消極的に評価する。余計なことだが、この<60年安保闘争>のおかげで貴重な青春を犠牲にした多くの青年男女がいた(樺美智子の死はその究極だろう)。
 反米や戦争反対だけならまだよいが、客観的に見てソ連や中国に利することとなる<闘争>など、決して行ってはならなかったのだ。
 NHKは他局以上に、例えば8月には、戦争や安全保障に関する番組を放送することが多いだろう。偶々気がついた番組が以上までに述べたようなものだったので、些か、げんなり、又はうんざりせざるを得ない。NHKの中にも朝日新聞と同様の考え方をもつ者が多いようで、要注意だ。
 ところで、2年前に泣きながら記者会見し、上司が政治家の圧力を受けた「らしい」と語った長井暁は、当然にNHKを辞めているはずだが、まさか居座っていないだろうね。

ギャラリー
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  • 1734/独裁とトロツキー②-L・コワコフスキ著18章7節。
  • 1723/2017年秋-兵庫県西脇市/大島みち子の故郷。
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