秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

鈴木安蔵

1391/日本の「左翼」-中野利子/カナダ人ノーマン。

 江崎道朗・アメリカ側から見た東京裁判史観の虚妄(祥伝社新書、2016.09)を半分程度、第四章の終わり(p.125)まで読了。月刊正論(産経)にどの程度掲載済みだったのかは確認していない。
 第四章はアメリカ共産党のルーズヴェルト政権下での活動に関するもので、現在の日本共産党の基本方針と酷似している。
 アメリカ共産党はキリスト教団体への影響力も強めたのだったが、その際に江崎はp.120-1で中野利子・外交官E・H・ノーマン(新潮文庫、2001/原著1990)の一部を引用して参照資料としている。
 中野著は江崎著の最後の主要参考文献にも掲載されているので、中野利子は江崎道朗に似た政治的立場の人物だと誤解させかねないところがあるように思われる。
 中野利子・外交官E・H・ノーマンという書物は、著者が日本共産党員ではなかったかと疑われる中野好夫の娘だということを差し引いても、徹底的に「外交官」E・H・ノーマンを擁護するものだ。
 中野の本の最終章は「ノーマンの復権」で、1990年に、カナダ政府が歴史学者ベイトン・ライアンに委嘱して行った調査にもとづき、<ノーマンが(ソ連またはコミンテルンの)スパイではなかった>ことが連邦議会でも確認・承認された、という。
 これをもって中野はノーマンは例えば卑劣な人間ではなかったと言いたいようなのだが、しかし、問題は「スパイ」だったか否かではないだろう。また、どこかの国の「共産党」の正規の構成員(党員)だったかどうかも、本質的なことではないだろう。
 中野利子自身が書いている-「どの国の共産党にも加入していなかった」ものの、「あらためて書くまでもないが、ケンブリッジ、ハーヴァード、コロンビア各大学において、それぞれの時期に程度の差こそあれ、彼は明らかに共産党のシンパサイザーだった」(p.299)。
 カナダ外務省に「入省以前のノーマンのコミュニズムへの共感は想像以上であった」(p.300)。
 1952年の(カナダ政府による)「二回目の審問によって、彼が学生時代には共産党の同調者〔ふりがな-フェロウ・トラベラー〕であったとわかっても」外務省公務員としての彼への信頼は(アメリカと違って)揺るがなかった(p.303)。
 中野はノーマンが自ら「入党した」と手紙に書いたことを認めつつ、本心ではなかった、かの書き方もしている(p.301)。
  中野の書き方、その文章から滲み出ているのは、ノーマンは「スパイ」ではなかった、党員でもない「共産主義者」(共産党同調者も含む)であったことがなぜ論難されなければならないのか、という気分だ。
 中野利子の共産党・コミンテルンに対する擁護・支持の気分は、つぎの文章でも見られる-「価値観の目盛りが反ファシズムであった1930年代に、ファシズムの成立を防ぐための連合戦線、統一戦線の政策を提唱し、つらぬいたのが各国の共産党だった」(p.302)。
 この統一戦線(人民戦線)戦術はソ連・スターリンのもとでのコミンテルン1935年大会により採択されたもので、中野がスターリンをどう評価しているかが気にはなるが、中野は立ち入っていない。また、日本共産党もこの1935年のスターリンは批判しない(都合よく ?、1936-7年辺りから「道を踏み外した」と主張している)のだが、この点もまた別に触れる。
 そして、中野利子はノーマンの自殺は①疑惑をかけられたことに対する抗議-つまり無実主張、②有罪告白-死んで詫びる、のいずれだったかと発問し、後者説を支えるかのごとき「偽造遺書」なるものを疑問視している。
 最後に中野は書く-ノーマンを結果として自殺に追い込んだ「マッカーシズムは、形はコミュニズム批判だったが、…実は、多元的価値観に対する攻撃がその実質だった…」(p.312)。
 このように、中野利子が「左翼」・「容共」の人物であることは明らかだ。彼らにとって当然だろうが、<共産主義>を悪いものだとは考えておらず、<共産主義者>であっても何ら疚しいところはない。ただ、「スパイ」には抵抗感があるようだ。
 最後の文からは、「共産主義」もまた「多元的価値観」の一つとして守られなければならない、という考え・主張もうかがえる。
 ところで、あらためて記しておくが、ノーマンはGHQの日本占領初期の「協力者」であり、木戸幸一、都留重人らとも親交があり(近衛文麿を最後には見放したともされ)、日本共産党がいつからか「日本国憲法の父」とか称し始めた鈴木安蔵を見いだして憲法草案作成へと誘導した、ともされる日本にとって<重要な>人物だ。
 ノーマンの「共産主義者」性は、占領初期のGHQとも通底するところがあったことを忘れてはならないだろう。
 ノーマン、さらには尾崎秀実、リヒャルト・ゾルゲ、さらには戦前・戦中に日本にいた「共産主義者」たち…。この欄でまだ書いたことはたぶんないが、これらについての<勉強>もかつてよりは遙かに行ってきている。

1307/日本共産党は「将来、情勢が熟したとき」<天皇制>を廃止する。

 産経新聞5/18で日本共産党・小池晃(政策委員長)は、現行憲法の「全条項を守る」と明言している。
 しかし、これは日本共産党独特の言い方、あるいは<ペテン>であって、<今のところは>または<当面は>という副詞が隠されている、と理解しなければならない。
 軍・戦力の保持を一般に禁止している九条2項についてもそうなのだが、とりわけ一条以下の「天皇」の存在を前提とする諸規定も含めた「全条項を守る」つもりであるとは思えない。
 小池によれば、1946年6月に同党が発表した日本人民共和国憲法草案は「歴史的文書」で、現在における憲法改正案として掲げているのではないらしい。
 だが、そうであるとしても、戦前に<天皇制打倒>を掲げた政党が戦後にその目標を降ろしたとは考え難い。また、日本共産党系の、鈴木安蔵を初代の代表理事とした「憲法改悪阻止各界連絡会議」(「憲法会議」)が、<護憲>ではなく<憲法改悪阻止>と謳っているのも、日本共産党にとっての(改悪ではない)<改正>は追求する趣旨を込めていると解することができるし、実際、そうであるはずだ。
 日本共産党は1961年綱領を2004年に改定した。同綱領は、日本の戦後の変化を、①「アメリカの事実上の従属国」になったこと、②政治制度が「天皇絶対の専制政治から、主権在民を原則とする民主政治」になったこと、③「戦前、天皇制の専制政治とともに、日本社会の半封建的な性格の根深い根源となっていた半封建的な地主制度が、農地改革によって、基本的に解体されたこと」の三点にまとめ、②についてはさらにこう書いている。
 ②の変化の代表は日本国憲法で、「民主政治の柱となる一連の民主的平和的な条項を定めた。形を変えて天皇制の存続を認めた天皇条項は、民主主義の徹底に逆行する弱点を残したものだったが、そこでも、天皇は『国政に関する権能を有しない』ことなどの制限条項が明記された」。
 また、今後について、次のように書いている。これ以外に綱領上の言及はないようだ。
 「天皇条項については、『国政に関する権能を有しない』などの制限規定の厳格な実施を重視し、天皇の政治利用をはじめ、憲法の条項と精神からの逸脱を是正する。/党は、一人の個人が世襲で『国民統合』の象徴となるという現制度は、民主主義および人間の平等の原則と両立するものではなく、国民主権の原則の首尾一貫した展開のため民主共和制の政治体制の実現をはかるべきだとの立場に立つ。天皇の制度は憲法上の制度であり、その存廃は、将来、情勢が熟したときに、国民の総意によって解決されるべきものである」。
 ここでは、<将来、情勢が熟したときに、国民の総意によって><天皇制度の存廃>が解決される、と言っている。
 これについて、2004年党大会では「国民の総意に転嫁するのは無責任」等の意見があったようで、不破哲三(中央委議長)は次のように「報告」している。以下、不破哲三・報告集/日本共産党綱領p.33-(同党中央委出版局、2004)による。
 党の立場は「明確」だ。「党は、一人の個人あるいは一つの家族が『国民統合』の象徴となるという現制度は、民主主義および人間の平等の原則と両立するものではなく」と、その「評価を明確にして」おり、今後についても、「国民主権の原則の首尾一貫した展開のためには、民主共和制の政治体制の実現をはかるべきだ」という方針を明示している。だが、天皇制について「国民の現在の多数意見はその存在を肯定する方向にあ」り、「その状態が変わって、国民多数が廃止あるいは解消の立場で合意しない限り、この問題での改革は実現でき」ない。「天皇制の問題」については「なんらかの改変」自体が、「憲法の改定を必要とする」。「一方、戦前のような、天皇制問題の解決を抜きにしては、平和の問題も、民主主義の問題もないという、絶対主義的天皇制の時代とは、問題の位置づけが根本から違っていることも、重視すべき」だ。
 「いま、憲法をめぐる中心課題は、第九条の改悪を主目標に憲法を変えようとする改憲のくわだてに反対し、現憲法を擁護することにあ」る。「わが党は、当面、部分的にもせよ、憲法の改定を提起する方針をもちません」。だから、「天皇制の廃止の問題が将来、どのような時期に提起されるかということもふくめて、その解決について」は、「将来、情勢が熟したとき」の問題だ、と「規定するにとどめている」のだ。
 このように、綱領上の文章ではやや曖昧ではあるが、天皇制度廃止を明記しないのは天皇制度を現在の国民の多数は肯定している、したがって廃止論が多数にならないかぎり改憲による天皇制度の廃止はできないからだ、現在の「憲法をめぐる中心課題」は「現憲法を擁護」することだが、平和・民主主義にとって「天皇制問題の解決」は不可欠なので、その解決は「将来、情勢が熟したとき」の問題だ、という趣旨を述べている。
 要するに、当面は「現憲法を擁護」するが、国民多数の意見の動向によって「将来、情勢が熟したとき」に、憲法改正によって「天皇制の廃止」を図る、と主張していると理解して差し支えない。
 このような理解に、小池晃も反対はできないだろう。不破哲三が述べた内容の合理的な理解のはずだからだ。
 したがって、当面は「守る」が、将来は「廃止」する、というのは、やや複雑な言い方をしているが、日本共産党の既定の方針だ、ということになる。日本共産党は、このような、<戦術的>な政策表明をするので、注意しなければならない。
 <未来社会-社会主義・共産主義社会>を目指す手段・過程としての(「自由」と「民主主義」の擁護・徹底を通じての)<民主主義革命>なのであって、この政党にとっては「自由」と「民主主義」も、第二段階の「革命」のための手段あるいは<便法>であることは言うまでもない。

1274/田久保忠衛・憲法改正最後のチャンス(並木)を読む-2。

 〇 田久保忠衛・憲法改正、最後のチャンスを逃すな!(並木書房)は、憲法改正の具体的内容については、①前文、②天皇条項、③九条に触れているにとどまる。また、これらに限っても、起草委員会委員長を務めた産経新聞社案「国民の憲法」はいかなる理由で自民党草案と異なっているのかについての詳しい説明があるわけではない。
 つぎに、改正の優先順位は、上の三点を優先的に考えているのだろうとは推測できるが、その中での順位・重要性の程度に言及してはいない。
 また、いかにして国会内に「憲法改正」発議に必要な勢力を作るか、有権者国民の過半数の支持を得るにはどうすればよいか、についての戦略・戦術についても、言及するところがない。
 したがって、田久保忠衛を<改憲派>の代表的論者だと見るかぎりは、先日1/05に述べた<憲法改正に関する保守派の怠惰>という感想を変更する必要はなさそうだ。このような感想を書いてしまったがゆえに、もっと正確に田久保忠衛の主張を知っておこうと上掲書を読んだのだったが、印象は変わらない。
 〇 「憲法改正」に関する議論のあり方については、2013年につぎの三つの文章をこの欄で肯定的に引用した(その前にもあるかもしれないが、自らの投稿ながら、探索を省略する)。
 2013.08.11-中西輝政「いっさいの抵抗を排して憲法九条の改正に邁進することである。…もし九条改正の妨げとなるならば、『歴史認識』問題をも当面、棚上げにする勇気をもたなければならない。」(中西「憲法改正で歴史問題を終結させよ-アジアの勢力均衡と平和を取り戻す最後の時が来た」(月刊ボイス2013年7月号(PHP))。
 2013.08.12-遠藤浩一「多くの人が憲法改正(ないし自主憲法制定)の大事さを説きますが、現実の政治プロセスの中でそれを実現するにはどうすればいいのか、どうすべきかについてはあまり語りません。多数派の形成なくして戦後体制を打ち破ることはできないという冷厳なる事実を直視すること、そして現実の前で身を竦ませるのではなく、それを乗り越える戦略が必要だと思います」(遠藤発言・撃論シリ-ズ/大手メディアが報じない参議院選挙の真相(2013.08、オ-クラ出版))。
 2013.10.11-中西輝政「これまでの日本の保守陣営が、原理主義ではなく、戦略的現実主義に基づいてもっと賢明に対処していれば、ここまで事態は悪くならなかった」。「原理主義」によって「妥協するならお前は異端だ」という「神学論争的な色彩を帯びてしまったのが、日本の保守の悲劇」だ。「一歩でも前進することの大切さ」を知ることが「いま日本の保守陣営に求められている」。「玉と砕け散ることが一番美しい」という「古い破滅主義的美学に酔いしれることから早く脱」するべきだ(中西「情報戦/勝利の方程式」歴史通2013年11月号(ワック))。
 ここでは、中西輝政の、上の二つの文章、すなわち併せて読めば、<憲法九条の改正のためには「歴史認識」問題も棚上げすべきで、保守「原理主義」ではなく、「戦略的現実主義」に立つべきだ>ということになると考えられる見解に注目したい。
 いわゆる「慰安婦」問題、南京「大虐殺」事件問題、「百人斬り競争」問題、沖縄「集団自決」命令問題等々、<歴史戦>とも産経新聞が呼んでいる<歴史認識>問題がある。またそもそもより基本的には、先の戦争をどう認識し評価するかという問題もある。この、先の大戦・戦争の認識・評価の問題について、田久保忠衛は一定の叙述をしているので、別の機会に触れる。その他、占領期のアメリカをどう評価するかや、「日本国憲法」の制定過程の認識とその評価もまた、<歴史認識>の問題に他ならない。だが、個々人のこれらについての「歴史認識」がどうであろうと、それが「憲法改正」の問題につながりはしないし、また、つなげてしまうと「憲法改正」は不可能になるだろう。
 「憲法改正」運動のためには、「日本国憲法」の制定過程の実際を広く知らしめることは必要だ。例えば、①GHQによって100%「押しつけ」られたのではなく、二院制の採用・参議院の設置などの日本側の意見・希望が採用された部分もあるが、基本的な部分については又は全体としてはほぼ「押しつけ憲法」と評価してよいと見られること、九条二項は幣原喜重郎、つまり日本側が提案したとの理解は疑わしく、鈴木安蔵ら日本人の憲法案もあったことは、ほぼ「押しつけられた憲法」との評価を変える理由にならないこと、②1946年の総選挙で選出された衆議院議員により憲法改正案は審議されたので国民の意思が反映されているはずだという憲法学者の文章を最近に読んだが(氏名と媒体は忘れた)、その衆議院選挙前に新憲法案の全文が知られていたわけではまったくなく(したがって、新憲法案の当否は選挙の争点にほとんどならず)、また「公職追放」の危険性もある中でGHQ草案をもとにした政府案を議員たちが「自由」に審議できたはずはないこと、などを現在の国民はもっと知っておいてよいと思われる。
 しかし、上の意味で現憲法を<占領憲法>と略称するのはかりによいとしても、現憲法を「占領基本法」と称するのがよいかどうかは別の議論が必要だ。そして、この「占領基本法」なる言葉の意味を、現在の有権者国民は容易にはまたは的確には理解できないように思われる。
 田久保忠衛はむろん、現憲法の改正に賛成する者はそれを「占領基本法」だと認識・評価すべきだとか、現憲法を「占領基本法」と認識・評価できない者は改憲に賛成するな、と言っているわけではない。しかし、何気なくであれ、現憲法は「占領基本法」だと一般国民が読む可能性のある書物で書き、その意味もきちんと説明していない、というのが、前回に問題にしたことだ。
 上に記したような<歴史認識>の問題に比べれば、些細な問題であるとは言える。だが、もともと<保守派>の中においてすら完全な一致があるとはいえない用語法だとは思うが、<仲間うち>だけで通用するような概念・用語を一般国民が読む可能性のある書物で用いるべきではないだろう。そこに私は、中西輝政のいう「保守原理主義」の匂いを感じてしまった。
 「保守原理主義」で突っ走って勝利するのであれば、それでもよいだろう。しかし、「憲法改正」をめぐる戦いは、<正しいことを主張しました。しかし、力及ばず負けました>では済ますことが絶対にできないものだ。
 有権者国民の過半数が理解でき、かつ賛同できるような議論・主張・運動をしなければならない。産経新聞の読者だけが、あるいは仏教寺院関係者ではなく神道政治連盟に属する神社関係者だけは、理解でき、賛同できるような議論・主張・運動であってはならないだろう。
 〇田久保忠衛の上掲書の内容については、奇異に感じた部分もある。初めに記した改正の三論点に関する議論、田久保の先の戦争についての評価とともに、近いうちに論及するだろう。

0749/毎日新聞5/02の岩見隆夫の勇気、6/22の戦後論壇史の無謀。

 〇毎日新聞、7週間以上前だが、5/02付朝刊。OBの岩見隆夫の連載「近聞遠見」は「改めて『マッカーサー憲法』」という見出し。そして、現憲法制定過程を素描して最後にこう書く。
 「現憲法は完全にマ元帥ペースで作られた。評価はともかく、占領中の<押しつけ>であることははっきりしている」。
 毎日新聞紙上にしては(?)率直な断定で、文句はない。
 <押しつけ>との指摘に護憲論者、とくに憲法九条二項護持論者は敏感なようで、①日本国憲法は鈴木安蔵ら日本人の民間研究会の案を参考にしたとか、②九条は幣原喜重郎が提案したとか、言っている。このような主張・詮索にほとんど意味はないことを知るべきだ。上の②
とおらく将来も断定できない。①は日本人の諸種の、例えばA~Hの案の中にGHQの案と類似のものが偶々あったというだけのこと。さらには、GHQの示唆によって鈴木安蔵らが行動したらしいとの事実も明らかにされている。
 もともと、かりに<押しつけ>でなくとも、憲法に不備・状況不適合な条項があれば改正するのは当たり前のことだ。
 〇毎日新聞6/22付朝刊。
 何を思ったか、今頃になって、1面で諸君!(文藝春秋)廃刊の理由につき、「保守系雑誌に扇情的な言葉が広がり」、<基本は保守だが「反論も含め幅のある議論を」>という姿勢が風潮に抗しきれなかったのも「遠因」とされる、と推測している。
 「保守」論壇側に問題があると指摘し、「保守」が自らの首を絞めたという「逆説」を語りたいようだ。
 いったい毎日新聞の社説・論説委員の「思想」は何なのか? 記者内部の噂話・雑談程度のことを活字にしないでほしい。
 14-15面で、なんと戦後論壇の概観! 図表等を入れると、2面分活字で埋まっているわけでもない。よくぞまぁ、新聞記者というのは、大胆なことができるものだ。多少の勉強や聞きかじりで、対米関係を軸にした「戦後論壇史」を書けると考えた記者がいるのだから、驚きだ。
 その中央の図表?によると、左から「共産党、新左翼」、「進歩派(リベラル)」、「現実主義」、「保守派」、「歴史見直し派」と並んでいる。
 研究論文、専門書だとそれぞれの<定義・意味>を明記しないと無意味・無謀のはずだが、そんな期待を新聞記事に期待してはいけないのだろう。
 「現実主義」という<思潮>があるとはほとんど知らなかった。その意味も問題だが、あったとして、5つうちの一つに位置づけられるのか? そこに含まれている人々を「現実主義」で一括するのはかなり無理がありそうだ。
 東京大学法学部の現役憲法学教授・長谷部恭男は、この「現実主義」の最左端あたりに位置づけられている。はて? 五百旗頭真もこの仲間?の右の方にいるからまぁいいか。
 しかし、高坂正堯あたりから始まり、岡崎久彦、田久保忠衛も、寺島実郎佐々木毅も、坂元一哉福田和也も「現実主義」派なのだから、ほとんど無意味なグループ分けではないか、との強い印象を覚える。
 さて、では毎日新聞の社説・論説委員の「思潮」はいずれに属するのか? 朝日新聞と同じだと、図表では幅狭くなってきている「進歩派(リベラル)」に違いない。

0678/佐伯啓思・現代日本のリベラリズム(講談社、1996)を読む-その3・現憲法の「正当性」。

 佐伯啓思・現代日本のリベラリズム(講談社、1996)には、佐伯にしては珍しく、日本国憲法の制定過程にかかわる叙述もある。
 ・日本国憲法は形式的には「明治憲法の改正」という手続をとった。これは、イタリア・ドイツと異なる。イタリアでは君主制廃止に関する国民投票がまず行われ、その廃止・共和制採用が多数で支持されたあとで、「憲法会議」のもとの委員会により新憲法が作成された(1947年)。ドイツでは西側諸国占領11州の代表者からなる「憲法会議」により「基本法」が策定された(1949年)。
 ・日本国憲法の特徴は、内容以前に「正当性の形式」に、さらに言えば「正当性という問題が回避され、いわばごまかされた」点にある。明治憲法の「改正」形式をとることにより、「正当性」を「正面から議論する余地はなくなってしまった」。
 ・むろん、新憲法の「出生の暗部」、つまり「事実上GHQによって設定された」ことと関係する。さらに言えば、日本が独自に憲法を作る力をもちえなかった、ということで、これは戦後日本国家・社会のあり方そのものの問題でもある。
 ・「護憲派」は、「仮にGHQによって設定されたものであっても、それは日本国民の一般的感情を表現したものであるから十分に国民に受容されたもの」だ、と弁護する。かかる議論は「二重の意味で正しくない」。
 ・第一に、「受容される」ことと「十分な正当性をもつ」ことは「別のこと」だ。新憲法は形式的な正当性はあるが実質的なそれにはGHQによる「押しつけ」論等の疑問がつきまとっている。「問題は内容」だとの論拠も、問題が「正当性の根拠」であるので、無意味だ。「GHQによって起草」されかつ趣旨において「明治憲法と大きな断想」がある新憲法を明治憲法「改正による継続性」確保によって「正当性を与え」ることができるか、はやはり問題として残る。
 <たとえ押しつけでも、国民感情を表現しているからよい>との弁護自体が、「正当性に疑義があることを暗黙のうちに認めている」。
 ・第二に、「国民感情が実際にどのようなものであったかは、実際にはわからない」。それが「わからないような形で正当性を与えられた」ことこそ、新憲法の特徴だ。少なくともマッカーサー・メモ(三原則)は日本側を呆然とさせるものであったし、「一言で言えば、西洋的な民主化が、決してこの当時の日本人の一般的感情だなどとはいえないだろう」。「もし仮に、この〔GHQの〕憲法案が国民投票に付されたとしても、まず成立したとは考えにくい」。
 以上、p.147-p.151。
 現憲法の制定過程(手続)については何度も触れており、結果として国民に支持(受容)されたから「正当性」をもつかの如き「護憲派」の議論は論理自体が奇妙であること等は書いたことがある。
 1945年秋の段階では、美濃部達吉や宮沢俊義は明治憲法の「民主的」運用で足り、改正は不要だとの論だったことも触れた。
 さらには、結果として憲法「改正」案を審議することになった新衆議院議員を選出した新公職選挙法にもとづく衆議院選挙において、憲法草案の正確な内容は公表されておらず、候補者も有権者もその内容を知らないまま運動し、投票した、という事実もある(岡崎久彦・吉田茂とその時代(PHP、2002)に依って紹介したことがある)。従って、新憲法の内容には、国民(有権者)一般の意向は全くかほとんど(少なくとも十分には)反映されていない、と見るのが正しい。
 ついでに付加すれば、衆議院等での審議内容は逐一、正確に国民に報道されていたわけでもない。<占領>下であり、憲法(草案作成過程等々)に関してGHQを批判する、又は「刺激」するような報道を当時のマスコミはできなかった(そもそもマスコミが知らないこともあった)。制定過程の詳細が一般国民に知られるようになるのは、1952年の主権回復以降。
 「押しつけられた」のではなく、国民主権原理等は鈴木安蔵等の民間研究会(憲法研究会)の案が採用されたとか、九条は幣原喜重郎らの日本側から提案したとか、反論する「護憲派」もいる。のちには日本共産党系活動家となった鈴木安蔵は、「日本の青(い)空」とかの映画が作られたりして、「九条の会」等の<左翼>の英雄に最近ではなっているようだ。立花隆は月刊現代(講談社)誌上の連載で、しつこく九条等日本人発案説を(決して要領よくはなく)書き連ねていた。
 だが、かりに(万が一)上のことを肯定するとしても、日本の憲法でありながら、その策定(改正)過程に、他国(アメリカ)が「関与」したことは、「護憲派」も事実として認めざるを得ないだろう。彼らのお得意の言葉遣いを借用すれば、かりに「強制」されなくとも、「関与」は厳としてあったのだ。最初の「改正」への動きそのものがGHQの<示唆>から始まったことは歴然たる事実だ。そして、日本の憲法制定にGHQ又は米国が「関与」したということ自体がじつに異様なものだったことを、「護憲派」も認めるべきだ。
 ところで、長谷部恭男(東京大学)は、一般論として<憲法の正当性>自体を問うべきではない旨のわかりにくい論文を書いている。
 この点や本当に新憲法は国民に「受容」されたのか等々を、佐伯啓思の上では紹介していない部分に言及しつつ、なおも扱ってみる。

0607/岩波講座・憲法1の編集責任者・東京大学の井上達夫。

 一 本体・中身は未読だが、岩波講座・憲法1(岩波書店、2007.04)の編集責任者であるらしき、かつ東京大学法学部・法学研究科の「法哲学」担当教授であるらしき井上達夫という人物は、「哲学」の一種の専攻者である筈にもかかわらず(?)、沈着冷静ではなく、なかなかに<感情的>心性をお持ちのようだ。
 井上達夫による「はじめに」の最初の2~3頁は、皮肉を込めていうのだが、読みごたえがある。
 井上は次のように冒頭から書く。
 ・現憲法は還暦を迎えたが、「改憲論が政治的に高揚する中、祝福慶賀の声より、『憲法バッシング』の声の方が喧しい」。
 ・敬意を表するどころか、「昂然と侮蔑するような」態度が横行している。「『戦後憲法は紙屑だ』などと吐き捨てる」言動は、「右派知識人」・「草の根保守の民衆」にのみ見られるのではない。
 ・公権力の担い手・首相や閣僚たちも「靖国公式参拝を執拗に繰り返し、憲法の政教分離原則をまさに『紙屑』扱いしている」。
 冒頭の6行が上のとおりだ。冷静・沈着な落ちついた叙述とはとても言えない。改憲論者に対する<呪詛>の感情に溢れている。
 私にはよくわからないのだが、「『憲法バッシング』の声」とは具体的に誰のどのような言葉なのだろう? 改憲論=「憲法バッシング」とは論理的には言えない筈だ。また「『戦後憲法は紙屑だ』などと吐き捨てる」言動をしているのは具体的に誰々のことなのだろう?

 また、上では「靖国公式参拝」は憲法を「『紙屑』扱い」するものとも述べているが、「靖国公式参拝」が政教分離原則に反する違憲のものという前提らしきものそのものは適切なのだろうか? 首相・大臣らの伊勢神宮参拝も政教分離原則違反なのだろうか? 靖国神社だけを特別扱いしているとすれば、それは何故なのだろう。A級戦犯合祀がその理由なら、それは政教分離原則とは別の次元の問題ではないか?

 こんな疑問がつぎつぎに湧くが、井上は微塵も疑っていないかの如く、首相や閣僚たちは「靖国公式参拝を執拗に繰り返し、憲法の政教分離原則をまさに『紙屑』扱いしている」と断定しているのだ。恐れ入る。 
 二 井上達夫は、護憲論者の多くと同様に、現憲法に対する<押しつけ(られた)憲法>という批判を相当に気にしているようだ。
 上記のように書いたのち、井上はいう-憲法は制定時の反対勢力のほかに「後続世代の政治的意思に対しても、『押し付け』的性格を多かれ少なかれ内包している」。憲法は元来「押し付け」の性格をもつのだから、「憲法の出自にかかわる『押し付け』問題に拘泥」するのは憲法の真の問題性を暴くものではない。
 興味深い論調だ。ここには、「押し付け」概念の拡散・横すべりがあり、争点隠しの心情が読み取れる。
 「強制」で旗色が悪くなると、「関与」という概念に逃げ込んで満足しているのと、どこか似ているところがある。
 改憲論の論拠は、米国又はGHQによる「押し付け」、つまり日本国民・当時の国会議員の自由な議論を経ずして現憲法が制定された、という手続的(・形式的)問題にのみあるわけではない。

 だが、井上があえて上のように書かざるを得ないのは、手続的(・形式的)問題はやはりなお護憲論者たちの弱点なのだろうと推察される(鈴木安蔵たち日本人の原案があったとする「押し付け」論回避・批判論も近時はさかんなようだが)。
 三 改憲論者憎しの感情は先に紹介の部分でも窺えるが、表紙カバーの見開き面裏側にはこんな言葉がある。
 「空疎な改憲論が横行するなか、いま、改めて立憲主義というキーワードへの関心が高まっている」。
 岩波書店の編集担当者の文章かもしれないが、この巻の編集責任者である井上達夫が承認・同意を与えたものだろう(あるいは井上自身が書いた文章である可能性もある)。
 上の一文において、「空疎な改憲論」と空疎ではない改憲論とは区別されているのだろうか。「横行」しているのは「空疎な改憲論」だというのだから、改憲論はすべて又は殆ど「空疎」だ、と言っているに等しいものと思われる。
 それではなぜ「空疎」なのか。むろん、これに応える文章はない。
 要するに、「改憲論」を悪玉にするためのそれこそ「空疎」な決めつけ、あるいは思い込みに他ならないだろう。
 四 東京大学法学部・法学研究科には現在もれっきとした「左翼」が棲息している。
 また、個々の論文の執筆者とその内容について一律に判断するつもりは全くないが、「九条の会」の事務局的役割を果たしていると思われる岩波書店の憲法関係の出版物は、<政治的>色彩を帯びていることをあらためて確認しておく必要があるものと思われる。

0531/ハーバート・ノーマン(コミンテルン工作員)の所業-中西輝政による。

 中西輝政「『冷戦』の勝敗はまだついていない」同・日本の「岐路」(文藝春秋、2008)の紹介のつづき。
 中西は「コミンテルン工作員」であるハーパート・ノーマンのしたことを、四点にまとめている(p.312-3)。
 第一。石垣綾子(スメドレーの親友)・冀朝鼎都留重人らとともに、アメリカ国内で、「反日」活動をした。日本に石油を売るな・日本を孤立させよ等の集会を開催し、1939年の日米通商航海条約廃棄へとつなげた。
 第二。GHQ日本国憲法草案に近似した憲法案を「日本人の手」で作らせ、公表させる「秘密工作」に従事した。この「秘密工作」の対象となったのが鈴木安蔵。そして、鈴木も参加した「憲法研究会」という日本の民間研究者グループの案がのちにできる。
 中西によると、現憲法は、「GHQ憲法」というだけではなく、「ディープな」「陰の工作」を基礎にしている点で、「ノーマン憲法」、さらに「コミンテルン憲法」という方が「本質に近い」。
 コメントを挿むと、ここのくだりは<日本国憲法制定過程>にとって重要で、この欄でも複数回にわたって取り上げた、小西豊治・憲法「押しつけ」論の幻(講談社現代新書、2006.07)という本の価値・評価にもかかわる。小西は日本人たる鈴木安蔵らの研究会が当時の日本政府よりも<進歩的な>草案を作っていて(但し、現九条は含まず)GHQはそれを参照したのだから(アメリカ又はGHQによる)<押しつけ>ではない、と主張しているからだ。
 中西輝政が根拠資料としている文献も小西豊治の本を読んだあとに入手しているので、別の回にこの問題にはより詳しく論及する。
 少し先走れば、結論的にいって、中西の叙述は誤りではないが、より詳細な説明が必要かと思われる。小西豊治もノーマン・鈴木の接触に言及しているが(上記講談社現代新書p.126-7)、ノーマンを共産主義者・コミンテルン「工作員」と位置づけていない(又は知っていても隠している)小西は、ノーマンに「甘く」、ノーマン・鈴木の接触の意味を何ら感じていないか、その<解釈>が中西とは大きく異なる。
 第三。都留重人の縁戚の木戸幸一を利用して、近衛文麿の(東京裁判)戦犯指名へとGHQを動かした。近衛文麿は出頭期日の1945.12.16に自殺した。
 第四。「知日派」としての一般的な活動として、GHQの初期の日本占領方針の「左傾」化に大きな影響を与えた。
 以上。あと1回で終わるだろう。
 今回紹介したことに限らず、感じるのは、コミュニスト、当時でいうとコミンテルンやソ連・中国各共産党の謀略・陰謀の<スゴさ>だ。この点を抜きにして、いかなる(アジアの)第二次大戦史も書かれ得ないだろう。終戦直後も同様であり、またコミンテルンがなくなってからは主として各国共産党(とそれらの連携。日本では日本社会党(とくに左派)を含む)が謀略・陰謀を担うようになっていき、現在まで続いている、と考えられる(日本社会党は消失したが社民党・民主党「左派」として残存)。
 文藝春秋・スペシャル2008年季刊夏号/日本人へ-私が伝え残したいこと(文藝春秋、2008.07)というのが出版されていて、半藤一利・保阪正康の二人の名前(対談)が表紙にも目次にも大きく載っている。
 すでに書いたことだが、半藤は松本清張と司馬遼太郎に関する新書を書きながら、松本の親共産主義と司馬の反共産主義には何の言及もせず、骨のない戦後日本史の本を書き、かつ<九条の会>よびかけ賛同者、一方の保阪は朝日新聞紙上で首相靖国参拝によって「無機質なファシズム」が再来したと振り返られたくはないとか書いて小泉首相靖国参拝を強く批判した人物。
 こんな二人に、日中戦争や太平洋戦争についての<本質的な>ことが分かる筈はない。優れた又は愚かな軍人・政治家は誰だったとか等々の個別の些細な問題については比較的詳しくて何か喋れる(出版社にとって)貴重な=便利な人たちかもしれないが、この二人はきっと、<共産主義=コミュニズムの恐ろしさ>を何ら分かっていない
 文藝春秋は自社の元編集長(半藤)を厚遇しすぎるし、小林よしのりも<薄ら左翼>と評している保阪正康をなぜこんなに<昭和史に関する大評論家>ごとき扱いをするのか。不思議でしようがない。商売のために、多少は<左・リベラル>の読者・購買層を確保したいという魂胆のためだろうか。諸君!の出版元だが(そして「天皇家」特集で売りたいのだろうが)、文藝春秋も、言うほどには<とても立派な>出版社ではないな、と思う。

0379/親日本共産党作家・井上ひさしと「個人の尊重」。

 樋口陽一・憲法第三版(創文社、2007)は、憲法のどこにも明文では書かれていないことだが、「日本国憲法の基本的諸原理」を「国民主権の原理」、「平和主義の原理」、「人権の原理」の三つにきれいに分けて説明している(p.109~p.165)。憲法の専門書としてはむしろ珍しいと思われるくらいで、こうした「三原理」で説明する本が高校以下の教科書の執筆者(大学の憲法学者も含む)には影響を与えているのだろう(余計ながら、「象徴」としての天皇制度の存置は日本国憲法の「基本的諸原理」の一つではないのだろうか。専門家に尋ねてみたい)。
 ところで、今年1/12のこの欄でこう書いた-「私自身の記憶のみに頼れば、憲法学者の樋口陽一は日本国憲法上の「個人の尊重」規定を重視し(参照、第13条第一文「すべて国民は、個人として尊重される。」)、樋口と対談したことのある井上ひさし
は、<個人の尊重>または<個人の尊厳の保障>が最も大切または最も基本的なこととして印象に残った旨を何かの本に記していた」。
 この「何かの本」は、不破哲三=井上ひさし・新日本共産党宣言(光文社、1999)だった。
 この本のp.103-4で井上はこう書いている。
 高校同級生の樋口陽一から聞いた「忘れられない言葉」は次だ。…「日本国憲法のアイデンティテイ」は「一般的説明ではその三本柱(主権在民、人権尊重、平和主義)というのが正しい」が、「この三つを束ねる”遡った価値”」は「個人の尊重」だ。「条文でいうと、第一三条」。「国民主権という原理も一人ひとりの個人の生き方を大事にするということが原点でなければならない」。
 この内容は、未読だが、樋口=井上・日本国憲法を読む(講談社)によるらしい。
 上の「個人の尊重」の強調、それを憲法上最大・究極の理念だとすることに、一見問題はないかにも見える。しかし、はたしてそうだろうか。むろん、言葉としては、「一人ひとりの個人の生き方を大事にするということ」に反論し難いのだが、かかる主張の行き着くところをさらに見据えなければならないだろう。とくに憲法学者が強調する「個人主義」、そして<戦後民主主義>のもとで空気の如く蔓延している「個人主義」には胡散臭さを感じているからだ。
 この点は別の回で書こう。
 ところで(と二回目の「ところで」を使うが)、不破=井上ひさしの上の本は、微笑み合いながら並んで立つ二人の写真から始まっている。そして、「わたしにとってかけがえのない大切な一票を日本共産党に投じる」(p.101)井上ひさしが、一生懸命に日本共産党の主張・政策を勉強し?、関連する諸問題も日本共産党の主張・考え方に添って論じる、という、井上の勉強成果報告書の趣がある。
 井上は占領時の現憲法制定過程にも言及していて、鈴木安蔵らの憲法研究会の新憲法案のことも知っており、「民間憲法」がマッカーサー憲法を「先取り」していた等と述べて、「押しつけられた」憲法論を批判又は揶揄してもいる(p.191)。
 マルキスト(又は少なくとも親マルクス主義者)・鈴木安蔵らの憲法研究会の新憲法案およびこれに焦点をあてた小西豊治・憲法「押しつけ」論の幻(講談社現代新書)にはこのブログで以前とり上げたので、ここではもはや触れない。
 強調しておきたいのは、井上ひさしとはただの作家・小説家・戯曲家ではない、じつは日本共産党員であるかもしれないと思ってしまうほどの<左翼イデオローグ>だ、<左翼>活動家だ、ということだ。仔細をいちいち書かないが、不破哲三に迎合しつつ?あれこれと発言・主張している上の本を読むだけでもわかる(この本が当然に日本共産党を<宣伝する>本になっていることは言うまでもない)。
 しかるに井上は、作家等の肩書きを利用して、公正さを装った?文化人として発言しているようであり、司馬遼太郎の菜の花忌という追悼会のパネラーになったりしている。
 ひょっとして昭和・戦前に対する想いでは司馬と井上に共通するところがあるのかもしれないが、司馬遼太郎の基本的作風・基本的考え方の<継承者>のごとく振る舞われると、彼界の司馬遼太郎にとっても大迷惑だろう。司馬遼太郎の<遺産>をいわゆる<保守派>に占領されないために、井上は司馬遼太郎(又は同記念館)関係の行事等に<政策的に>関与しているのではないか、とも勘ぐってしまう。
 日本共産党系作家・文化人の活動には警戒要。大きな顔をしての跋扈を許してはならない。
 追記-最近は佐伯啓思・イデオロギー/脱イデオロギー(岩波、1995)と佐伯啓思・現代日本のイデオロギー(講談社、1998)の未読の部分を読むことが多かった。まだ、いずれも読了していない。
 1/24の夜に、赤木智弘・若者を見殺しにする国(双風舎、2007)を入手し、一気にp.117-p.286(第三~第五章)を読んだ。面白い。これとの関係で、1/25は堀井憲一郎・若者殺しの時代(講談社現代新書、2006)の一部を読んだ。
  阪本昌成の本(法の支配(勁草))の読書は、遅れている。

0277/立花隆の「護憲論」(月刊現代)を嗤う-その6。

 10番目ということにしておくが、立花隆という人は、内容のない罵詈雑言的言辞を好む品性の物書きのようだ。
 私自身もかなり批判的な言葉を使うこともあるので完全に他人事にすることはできないが、立花の表現技術?もなかなかのものである。
 月刊現代8月号p.44によれば、彼のいう「自明の理が見えない政治家は愚か」で、「自明の理が見えずに改憲を叫ぶ政治家は最大限に愚か」で、「金の卵を産む鵞鳥の腹を裂いて殺してしまう農夫と同じように愚か」である。この「愚か」というのは、立花隆お得意の批判の言葉のようだ。相手を見下して、<莫迦>と言っているわけだ。
 こうも言う-「いまの改憲論者のほとんど」は「安倍首相も含めて」、「憲法に関して基本的知識をちゃんと持ち、深くものを考えた上での改憲論者というよりは、頭の中が軽くて浅いだけの軽佻浮薄な改憲論者か、時の勢いに安易に乗るだけの付和雷同型の改憲論者と思われる」。
 本人は気持ちよく書いているのかもしれないが、論理も内容もないこうした殆ど罵倒だけの文章は、改憲論者に対して何の影響も与えないだろう。少なくとも私に対してはそうだ。
 私から見れば、立花隆こそが、「憲法に関して基本的知識をちゃんと持ち、深くものを考えた上での」護憲論者ではない。彼が「頭の中が軽くて浅いだけの軽佻浮薄な、「時の勢いに安易に乗るだけの付和雷同型の」護憲論者である可能性も十分にある。護憲論、とくに九条護持論は巷に溢れており、その中には「軽佻浮薄」あるいは「付和雷同」的なものも多いからだ。
 ところで立花隆は「いずれ軽佻浮薄派と付和雷同型が多数を占めて、憲法改正が実現してしまう日がくると私は見ている」とやや唐突に書いている(p.45)。
 これは一体何だろう。この人が「私の護憲論」を書いているのは憲法改正を阻止したいからではないのか。だとすれば、かりに内心思っていても、こんな予想を書くべきではないのではないか。
 この文を見て、立花隆という人は、歴史又は政治の当事者では全くなく、安全な場所に身を置いて社会を論評する、無責任な評論家だとあらためて感じた。結局は、現実がどうなってもよい、あれこれと自由に論評でき、駄文を綴れる自由があればよいとだけ考えている、歴史という舞台の鑑賞者にすぎないのではないか。
 第一一に、立花隆は憲法九条が「占領軍の押しつけではなく、日本側の発案でできたものだということを明らか」にする、という。
 ここでの「日本側」とは幣原喜重郎のことで、マッカーサーと二人での密室の会談において幣原が提案したという、これまでも語られた又は主張された歴史上の理解の一つだ。但し、支配的見解ではない。
 さて、幣原がかりに提案したのだとしてもそれを「日本側」の発案と表現するのは厳密にはおかしい。内閣の承認を受けた内閣総意の発案ではないし、国会の多数派の意見でも(天皇の意見でも)ないからだ。
 そんなことよりも、そもそも、憲法九条が「占領軍の押しつけではなく、日本側の発案でできたものだということを明らか」にすることによって、立花隆は何が言いたいのだろうか。
 <押しつけ>られたのではなく「日本側の発案」によるものだから、現在及び今後いっさい改正してはならない、ということなはならないことは明らかではないか。
 このことをじつは立花隆も認めている。日経BPのサイト上の連載コラム「改憲狙う国民投票法案の愚・憲法9条のリアルな価値問え」において、立花自身がこう書いていたのだ(今年4月)。
 「
憲法9条を誰が発案したかについては、いまだに多くの議論があり、いずれとも決しがたい。参照すべき資料はすでに出尽くした感があり、いまつづいている議論は、どの資料をどう解釈するかという議論である。同じ人物の同じ発言記録をめぐって、そのときその人がそう発言していたとしても、その真意はこうだった(にちがいない)というような形で、いまだに延々と生産的でない議論がつづいている。
 
私はそのような議論にそれほど価値があるとは思わない」。
 「いま大切なのは、誰が9条を発案したかを解明することではなく(究極の解明は不可能だし、ほとんど無意味)、9条が日本という国家の存在に対して持ってきたリアルな価値を冷静に評価することである」。
 立花隆は月刊現代誌上で、自らつい最近に「生産的でない」とか「それほど価値があるとは思わない」と書いた議論を展開するつもりのようだ(まだ終わっておらず、9月号へと続く)。
 私は幣原発案説は採用し難いと考えている。だが、そんなことよりも、幣原発案説の正しさを論証しようとし、かつかりに論証し得たとして、一体何に役立つのか。立花隆自身が4月に述べていたように、「大切なのは、誰が9条を発案したかを解明することではなく」、9条の現在・今後の存在意義ではないか。
 立花隆は月刊現代の誌面を無駄に費しそうだ。
 なお、このブログでも既述だが、憲法<押しつけ>論に対しては、国民主権原理の明記や基本的人権条項のいくつかは「日本側」の私的な研究会(鈴木安蔵らの「憲法研究会」)の案がかなりの影響を与えた、あるいは採用されたとの議論があり、小西豊治・憲法「押しつけ」論の幻(講談社現代新書、2006)がほぼ全面的にこのテーマを扱っており、実教出版の高校「政治経済」教科書にまで書かれている(執筆はおそらく浦部法穂。6/14参照)。
 立花隆はなぜか、こちらの方には関心はないようで、「憲法全体は基本的に押しつけだったのに、どうも問題の憲法九条だけは…」(p.49)という書き方をしている。
 立花の議論は、どうやら、かなりムラがありそうな気もがする。せっかくの「日本側」の鈴木安蔵らの「憲法研究会」案には一切の言及がないのだから。
 月刊現代9月号発売は先のことになる。とりあえず「嗤う」シリーズはこれで終えておこう。
 立花隆、老いたり、の感が強い。

0258/憲法現九条の目的は「日本を永久に武装解除」すること。

 産経7/01のワシントン・古森義久「憲法の生い立ち想起」との記事は、彼が1981年4月に元GHQ・民政局次長で日本国憲法草案起草に携わったケイディスに長時間インタビューしたことの記録又は記憶によるもので(インタビュー時ケイディス氏は75歳)、日本国憲法の制定過程に関心をもつ者としては興味深い。
 歴史的に重要な意味をもつ点に関係しているので、すでに古森氏は書物にしているのかどうか、私は知らない。もし未だならば、新聞の、かつ中途半端な月日に掲載するようなものではないだろう、という気がする。
 さて、インタビューへの回答内容の記述を信頼するとして、ケイディスは、1.日本国憲法現「第9条の目的」について、「日本を永久に武装解除されたままにおくことです」とあっさり答えた、という。また、2.上司が示した「日本は自国の安全を維持する手段としての戦争をも放棄する」との案を、自衛権がなければ国家でなくなるとして採用しなかった旨発言した、という。さらに、3.現9条2項冒頭の「芦田修正」の採用につき、上官と協議する必要はないと芦田氏に答えたと言った、という。
 「永久に武装解除」はするが自衛権による「戦争」=「自衛戦争」は認めるというのは分かりにくいが、前者は「自衛戦争」以外の「戦争」のための「武装」の「解除」の「永久」化という意味であるとすると理解できる。
 それはともかく、「武装解除」することによって米国に二度と刃向かうことができなくする、そのかぎりで日本を軍事的に弱体化することに九条導入(採用要求)の目的があったことはこれまでも指摘されてきたことで、とくに新しい情報ではない。
 鈴木安蔵らの<憲法研究会>案にも現九条にあたるものはなかった。幣原喜重郎発案説をのちにマッカーサーは述べたが、信憑性は低いと思われることはすでにいつか述べた。
 あとは、東京裁判での天皇訴追を免れさせる代わりに現九条受容が要求されたという話がかなり有力だが(今回の古森記事は天皇制度との関係には言及がない)、これは信頼してもよいのではないか、と感じている。
 このように見ると、平和を希求する米国人が<世界平和>に向けた一つの<理想>を実現するために現九条の案を作った、というのはとんでもないデマ話だということになる。
 再述すれば、日本の軍事力の復活を米国が怖れたからこそ、九条ができたのだ。
 しかるに、そのように日本を弱体化させるために制定された九条をもって、<世界平和>を追求するための、世界で先進的な、当時としては<最も理想的な>憲法条項だったなどと理解する<お人好し>の日本人が少なくない(憲法学界では多数派?)のはまことに奇妙で、倒錯した感覚だとしか思えない。
 なお、どなたかがすでに書いていたのを読んだか、私の推測がある程度は混じるのかは明瞭でないが、GHQは九条を日本に「押し付け」たことをすみやかに後悔しただろう、と思われる。
 憲法改正(又は新憲法制定)を要求した1946年2月頃から議会審議等を経て公布する同年11月頃まではギリギリ<冷戦>構造の発生は鮮明でなかったかもしれないが、その後<冷戦>の発生=東西両陣営の対立が明確になり、1950年の朝鮮戦争を米国は日本「軍」の助けなく闘わなければならなかったからだ。また、ソ連・中国に対抗する又は日本を防衛するために米軍の本格的な日本駐留が余儀なくなったからだ。
 この両者の矛盾から出てきたのが、警察予備隊→保安隊→自衛隊に他ならない。
 元に戻って、九条は平和を希求した米国人の<善意>だったなどという呆けた理解をすべきでないことは、今回紹介されたケイディスの言葉によっても明らかだ。

0223/実教出版・高校政治経済教科書ー憲法は再び浦部法穂。

 6/01に高校教科書、実教出版・高校現代社会に批判的にコメントした。同じ出版社・実教出版高校政治・経済(2007.01発行、2003検定済み)を今回は見てみる。表紙に記載されている執筆・編修者は次の7名だ。
 宮本憲一(大阪市大→立命館大/経済学、1930-)、山口定(大阪市大→立命館大/政治学・政治史、1934-)、加茂利男(大阪市大/政治学)、浦部法穂(神戸大→名古屋大/憲法学、1946-)、菊本義治(神戸商科大→兵庫県立大/経済学、1943?-)、成瀬龍夫(滋賀大/経済学、1944-)、杉本昭七(京都大→阪南大/経済学)。
 この教科書はまず初めの方の2つの写真で驚かせる。
 1.目次の前、表紙裏とその次の2頁を使った世界地図めくって次にあるのは、何と、「沖縄サミット参加の各国首脳へ「基地も戦争もない21世紀」を訴える人間の鎖」と題された嘉手納基地周辺の<人間の鎖>の写真だ。
 これだけで驚いてはいけない。2.第1編・現代の政治の始まりの頁を飾るのは、「同時多発テロへの報復攻撃に反対するワシントン平和集会」の写真で、「プラカードには「目には目という報復主義は、全世界を盲目にする」と書かれている」との解説が付いている。
 この教科書が、<「基地も戦争もない21世紀」を訴える人間の鎖>に参加した「市民」や、「同時多発テロへの報復攻撃に反対するワシントン平和集会」に参加した「市民」を肯定的に評価し、支援していること又は望ましい行動と見なしていることは明らかだ。
 だが、このようにこれら「市民」の行動を評価してよいのか。とりわけ、その旨を高校生用の教科書に示してよいのか、という疑問が湧いて当然だろう。
 とくに上の後者は、「同時多発テロ」への批判的姿勢は全く示すことなく、これに対する米国の行動を掣肘しようとする「市民」を好意的に見ている。朝日新聞がこういうスタンスをとるならば、分からないでもない。だが、高校生用教科書がこんなことでよいのか?
 奇妙と思える叙述は本文の中にもある。
 3.政治学者のいずれか(山口定加茂利男だ)の執筆によると思われるが、<社会主義の誕生と崩壊>との見出しの文章はこうだ。
 「1917年、…社会主義政権…。レーニンらに指導されたこの革命は…。…資本主義国の包囲のなかで社会主義の建設をめざした結果、スターリンのもとで共産党一党支配や自由の制限、少数派の弾圧などが強まり、民主主義が失われた。…1991年、…ソビエト連邦は消滅するにいたった」(p.19)。
 この文章を正確に理解すれば、レーニンの時代には「共産党一党支配や自由の制限、少数派の弾圧などが強」くなかったかの如くであり、「民主主義
」があったかの如くだ。
 意図的なのかどうかは不明だが、レーニンは間違っておらず、スターリンから誤った(社会主義国でなくなった)という現在の日本共産党の主張と同じ叙述の仕方をしている。
 それに引用は省略しているが、この部分の叙述では、なぜソビエト連邦・東欧「社会主義」が崩壊したかの原因がさっぱり解らない。強いて探せば、上記の「スターリンのもとで共産党一党支配や自由の制限、少数派の弾圧などが強まり、民主主義が失われた」という部分しかない。これでは「社会主義」崩壊の理由説明としては不十分だろう。
それに東欧諸国については言及が一切ない。
 
4.将来の展望を書いていると見られる第一編5の中の最後の<民主政治の課題>にこういう文章がある。
 「…このような混乱が、民主政治の発展によって解決できるのか、それとも新たな独裁政治の台頭に道をひらくのかが、21世紀に問われることになる」(p.20)。
 執筆者(山口定加茂利男)は、「新たな独裁政治の台頭
」の具体的イメージをきちんと説明できるのだろうか。また、そもそもこういう対立軸で21世紀の課題を捉えてよいのか。
 これよりも、すぐ下方の次の文章の方が問題かもしれない。
 21世紀の問題は「20世紀の体制や制度の枠をこえた方法で、解決をはからなければならない。地球環境保全の市民運動などに見られるように、国家の枠をこえた地球的民主主義がいま求められている」(p.20)。
 「20世紀の体制や制度の枠をこえた方法」とは「地球環境保全の市民運動」のような「国家の枠をこえた地球的民主主義
」だ、との趣旨のようだ。
 政治学者はもう少しリアルに現実を把握する必要があるのではないか。国連も飛び越えて「国家の枠をこえた地球的民主主義」の提唱とは、大いに笑わせてくれる。かかる「市民運動」賛美意識が1.2.で触れた写真の掲載になっているのかもしれないが、国家の枠をこえ
」ることがまだ困難な時代であることは殆ど常識のことではないのか
 朝日新聞が5/03に<地球貢献国家>とか何とか喚いていたらしいが、この教科書の非現実的・空想好きも朝日新聞に似ている。だが、この本は高校生用教科書だ。美しい、しかし偽善的な」言葉で教育すれば、そのような大人たちがやがてまた育ってくる。
 5.第一編第2章の日本国憲法に関する執筆者は上記のような執筆者・編修者名を見ると、実教出版・高校現代政治と同じく、おそらく、浦部法穂だろう。何点か指摘しておく。
 ア.現憲法の制定過程につき、日本の民間草案発表者として唯一「憲法研究会」を挙げ、「高野岩三郎、森戸辰男、鈴木安蔵ら7人の…研究会。…マッカーサー草案は…これを参考にしたのではないか、ともいわれている」との4行の解説を載せている。
 これはどう見ても「憲法研究会」に肩入れしすぎだ。この研究会については古関彰一・新憲法の誕生(中公文庫、1995)や小西豊治・憲法「押しつけ」論の幻(講談社現代新書、2006)も触れていて、とくに後者は「押しつけ」論否定の根拠にすらしているが、4/09に書いたように、それほどに評価はできないだろう。
 また、鈴木安蔵は日本共産党員又は少なくとも同党系マルクス主義憲法学者で「ふつうの」学者でないこともすでに書いた。
 高野岩三郎も個人的には天皇制廃止を構想していた、戦後の日本社会党創立に参加した「社会主義」者だ。
 叙述の紙幅を考えると、執筆者があえて高野岩三郎鈴木安蔵等(
森戸辰男についても書けるが省略)の固有名詞を出して叙述するのは<異様>で、執筆者の何らかの政治的意図すら私は感じる。
 イ.「唯一の被爆国として、非核3原則を堅持し、さらには、全世界の核廃絶にむけて努力することが求められよう」と書く。
 これは一つの主張・考え方だ。教科書に書くべきではないと思うし、又はもっと抑制的な文章であるべきだ。
 上の点を除くと、すでに実教出版・高校現代社会の浦部法穂執筆(と見られる)部分について書いたのと同様のことが言える。なぜなら、文章までよく似ていて、又は殆ど同じで、現代社会の教科書に書かれていることが、政治経済の教科書にも書かれているからだ。
 すなわち、ウ.「日本国憲法は、…徹底した軍備廃止を宣言している点で、まさに世界史的意義をもつ画期的なもの」だと(p.25)、九条二項が積極的・肯定的に高く評価される。
 エ. 現代社会の教科書にはこう書かれていた。-「日本国憲法の平和主義は、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼」」したもので、「国際社会の現実」はかかる「全面的な信頼関係には、まだ遠い」ことから、「ときに非現実的だとの批判を受けることもあった。しかし、…日本の地理的条件は…大きな弱点である。また、日本は、食糧やエネルギーの大半を輸入にたよっているから、諸外国との友好関係を維持していかなければ、国民生活は成り立たない。こうした実情を考えると、軍事力によって日本の安全を確保するという考え方の方が、むしろ現実性に乏しいとさえいえるのである」。
 今回見た政治・経済の教科書にはこう書かれている。
 「国際社会の現実」は憲法が前提とする「全面的な信頼関係には、まだ遠い」ことから、「ときに非現実的だとの批判を受けることもあった。しかし、…平和主義はたんなる理想論ではない…。とくに、…日本の地理的条件は…大きな弱点である。また、日本は、食糧やエネルギーの大半を輸入にたよっているから、諸外国との友好関係を維持していかなければ、国民生活は成り立たない。こうした実情を考えると、軍事力によって日本の安全を確保するという考え方の方が、むしろ現実性に乏しいとさえいえるのである
」(p.31-32)。
殆ど同じ文章だ。
 殆ど同じ文章であることを問題にしているのではない。むろん、その内容が問題だと改めて感じている。上の部分についてはすでに6/01で批判したので反復しないが、6/01と同様に、こう書いておきたい。
 「大学の学者たちよ、おそらくは浦部法穂氏よ、決して一般的・客観的ではない自分の主張を、教科書を利用して、その中に潜りこませるな。
 こうして改めて(一部だが)高校教科書・政経の中身を見てみると、「左翼」又は日本共産党系ではないかと推測される大学の学者たちが、堂々と教科書を書き、それが全国のある程度の高校で使われているのが明確だ。
 教科書として採択される(その前に検定を受けて合格する)という方途を通じて、日本共産党系又は少なくとも「左翼」の考え方が、高校生の頭の中に注入されている
 日本共産党系又は少なくとも「左翼」は、教科書の世界では完全に「体制内」化している。特定の<イデオロギー>の持ち主が大学教授との肩書きに隠れて、それを利用して、正規の教科書に自分たちの特定の考え方を堂々と叙述している。
 思わず哄笑したくなるほどに?怖ろしい現実だ。
 日本共産党や朝日新聞を好ましく思わない方々の子女が現在高校生で、かつ政経・現代社会の教科書が実教出版のものであれば、<用心>するにこしたことはないだろう。

0055/「押しつけ」憲法論をめぐって-低レベルの小西豊治・講談社現代新書(2006.07)。

 現憲法の制定過程を扱った比較的簡単な本として古関彰一・新憲法の誕生(1995、中公文庫)がよく知られている。この本については別に扱いたいが、日本国憲法は「押しつけられた」かという論点については、一方で「押しつけ」の意味は何かと発問して日本の憲法思想の敗北だ等の答を示し、「押しつけ」を肯定していることを前提とするかの如き叙述をする、だが一方では吉田回顧録等を素材に「押しつけ」を否定している、という論理一貫性のない、又は途中で概念の意味を変えている、奇妙な本だ、というのが私の感想だ。
 憲法学者ではなく日本政治思想史等専攻のようだが、小西豊治・憲法「押しつけ」論の幻(講談社現代新書、2006.07)という本がある。数年前に依頼されたというが、2006年にこんな題の本が出るのも「政治」的な匂い-即ち「押しつけ」論が改憲の方向に寄与する可能性があるためにそれを阻止・緩和するという狙い-を感じなくもない。
 改憲論者は、私も含めて、現憲法は「押しつけ」られたものだから、ということを唯一の論拠にしているのでは全くない。従って、憲法「押しつけ」論が否定されたとしても改憲論が否定されたことにはならない、という論理的帰結はきちんと押さえておくべきだ。
 さて、斜め読みだが、この本の基本は、a国民主権明記・b天皇の象徴化には日本人の原案があり、それをGHQが採用したのだから「押しつけ」ではない、ということだ。
 ただちに次の感想が生じる。
 1.憲法現九条は対象外である(=日本人発案者はいない)とされていることになることがむしろ重要だ。
 2.当時、各政党、憲法研究者グループ、研究者個人が種々の憲法草案を発表していた。その中に結果として実際に成立した日本国憲法と同じ又は同様の案を一部につき示していたものがあったとして、「「押しつけ」論の幻」の論拠になるだろうか。GHQが参考にしたものもあったかもしれないが、参考にし、採用を決定して原案を作ったのはあくまでGHQではないか。
 精読していないが、aとbの発案者は「憲法研究会」という私的研究者集団だとされる。やや離れるが、その研究会で重要な役割を果たしたのは鈴木安蔵(1904-83)らしく、彼にかなりの頁数を割いている。
 ところが、この鈴木は著名な日本共産党員又は少なくとも同党系マルクス主義憲法学者で、主権在民論を含むかつての自由民権運動の内容に詳しくて不思議ではないし、共産党系の護憲(憲法改悪阻止)団体の役員を務めたりした。こうした彼の思想的・政治的背景に全く言及せず、「ふつうの」研究者の如く描いているとすれば、著者・小西の個人的「思想」も判明してしまうだろう。
 なお、古関彰一の本にも共産党系等々の紹介は避けて鈴木安蔵に肯定的に言及している部分がある。共産党員そのもの又は少なくとも「容共」の憲法関係研究者が今でも多いことを、これらは示している。
 古関・新憲法の誕生によれば、民政局行政部内の作業班の運営委員4名のうちケーディス、ハッシー、ラウエルの3名は「弁護士経験を持つ法律家」だった。それがどうした、so what ? と言いたくなる。
 小西の著p.101はホイットニー局長と上の3名は「実務経験を持つ法律家」でかつ「会社法専門の弁護士」という点で共通する、ともいう。「会社法専門」でも米国では問題は広く(州)憲法に関係するとの説明も挿入されている。
 このように、古関や小西がわざわざ草案作成者は素人ではない、法学的素養をもつ、いやそれ以上の弁護士資格をもつ法律家も加わったメンバーだったのだ、ということに言及し、かつ強調するのは、いかに「護憲」のためとはいえ、「護憲」のための十分な論拠にはなっていない。
 上の二冊を見ても、GHQ案の作成者は法律実務家(当時は軍人)で、米国憲法の基礎にある憲法思想・憲法理論の専門家・研究者でなかったことは間違いない。ましてや基本的にはドイツ又はその中のプロイセン(プロシア)の憲法理論を基礎にした当時までの日本の憲法「思想・理論」を熟知していたとはとても言えない。そしてもちろん、日本の歴史・伝統、天皇制度や神道等々の日本に独自のものに対する十分な知識と理解などおそらくは全くないままに、草案は作られたのだ。米国の!弁護士資格をもつ者が草案作成に関与していたことをもって「まともな」憲法だと言うための根拠にするのは、いじましい、嗤われてよい努力だろう。
 おそらくは、被占領中に、米国憲法の基礎の表面的な理解のもとで、米国的「憲法」が明治憲法に「強引に」接ぎ木されたのだ。両者に断続があり、今だに(少なくとも私には)自分たちのものではないような感じが残るのも制定経緯からするとやむをえないように思われる。
 さらに筆を進めれば、GHQ案作成者の主観的な憲法的素養がどうであれ、米国的「憲法」が日本で採用されたことにより、同憲法を通じて、-原案作成者が十分には予測しなかった可能性が高いが-欧州、とくにフランスや英国の憲法「思想・理論」も<侵入>することとなったのだろう。
 ここからさらに論述を展開したいことが出てくるが、この文は小西著の感想ということで、とりあえずここで止めよう。
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