秋月瑛二の「憂国」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

鈴木光司

2050/鈴木光司・ループ(角川書店、1998)。

 鈴木光司・ループ(角川書店、1998/角川ホラー文庫、2000)。
 <リング>・<らせん>の物語世界がコンピータ内の「仮想空間」だったと暴露?されて、気が遠くなる感覚とともに、よくもこんなことを考えつくなという感想も、生じたものだった。
 適当にp.310から引用すると、こうある。
 「新しく生まれた細胞は細胞分裂を繰り返し、やがて親と同じような動きで、ディスプレイの中を這い回るようになっていった」。
 人工知能・人工生命・人工人間(ロボット?)を通り越した「人工世界」・「仮想空間」だということになっていた。プロジェクト名が「ループ」だ。
 現実?世界での「転移性ヒト・ガンウィルス」の発生・拡大を防止するため、「貞子」のいる元の世界へと(死んだはずの)高山竜司=二見馨は戻っていく。
 それを可能にするのがNSCS(Neutrino Scanning Capture System)というもので(と真面目に書くのも少しあほらしいが)、つぎのようなものだとされる。p.319-p.320。
 「ある物質にニュートリノを照射しその位相のズレを計測して再合成することにより、物質の微細な構造の三次元デジタル化が可能にな」る。
 「ニュートリノ振動を応用すれば、脳の活動状態から心の状態、記憶を含めた、生体がもつすべての情報を三次元情報として記述する画期的な技術が可能になる」。
 これによって再び仮想空間に送り込まれて高山竜司となる予定の二見馨は、作業?室・手術?室で、つぎのような「操作」を受ける。p.356-。
 「あらゆる方向からニュートリノは照射され、馨の身体を突き抜けて反対側の壁に達し、分子情報を逐一積み上げていく…。その量は徐々に増え、…、肉体の微細な構造の三次元デジタル化の精度は増していく」。
 「現実界での肉体は消滅し、ループ界での再生が…」。
 「解析がすべて終了すると、さっきまで馨が浮いていたはずの水槽に、人間の姿はなかった。水は…<中略>これまでと違った どろりとした液体に変じてしまった」。
 最終的?形態は、こう叙述される。p.358。
 「肉体の消滅にもかかわらず、馨の意識は存在した。
 ニュートリノは死の直前における馨の脳の状態、シノプスやニューロンの位置や化学反応に至るまで正確にデジタル化し、再現させていた。
 ---
 「ニュートリノ」なるものは今でも理解していないが、上にいう「脳の活動状態から心の状態、記憶を含めた、生体がもつすべての情報」の「三次元デジタル化」というものも、かつては、将来的にはいつかこういうことが可能になるのか、と幼稚に感じてしまった可能性がある。
 だが、人間の脳内での意識(覚醒)を超える「心」・「感情」・全ての「記憶」のデジタル化・記録・記述というものは、かりに一人の人間についてでも、不可能だろうと今では感じられる。
 人工知能の進化によって囲碁・将棋レベルのAIはさらに優秀?になるかもしれず、基礎的な「感情」を表現する動作のできる犬・猫ロボット(Sony-aiboのような)はできるかもしれず、クイズ解答大会で優秀する人工「頭脳」もできるかもしれない(これらはすでに現実になっているのかもしれない)。
 しかし、たとえ一人についてであれ「心」・「感情」・全ての「記憶」をコンピュータに<写し取る>のは不可能だろうと思われる。
 ましてや、生存する人間の全員について、これを行うのは不可能だろう。
 いや、かりに「理論的・技術的」には可能になる(可能である)としても、実際に人類がそれを行うことは、おそらく決してないのではないか。最大の理由は、種々の意味での<コスト(費用)>だ。
 G・トノーニら/花本知子訳・意識はいつ生まれるのか-脳の謎に挑む情報統合理論(亜紀書房、2015)。
 これの原書は、2013年刊行。
 10年以上前よりも後でこの本に書かれているような関係学問分野の議論状態であるとすると(全体として面白くなかったという意味では全くないが)、上のような感想が生じ、かつ実際的・経済的にというよりも「理論的・技術的」にも不可能ではないか、という気がする。
 もちろん、「理論的・技術的」にも実際的・経済的にも可能で、かつそれが実践される人間社会というのは、一定の障害・病気の治療または防止のために対象はきわめて限られるとかりにしてすら、とてつもなく<恐ろしく、気持ちが悪い>のではないか。障害・病気ーこれらが何を意味するのか自体が曖昧なままであるに違いないが、この点を度外視するとしてもーの治療・防止のために使わない「人間」がきっと発生するに違いない、と想定される。

2028/鈴木光司・リング/らせん(角川,1991・1995年)。

 精神と物質、意識と「現実」あるいは<こころ>と肉体・身体の区別や差違について、考える。
 我々の<こころ>以外の<身体>全体を<精神>だとはふつうは考えないだろうが、しかし、身体全体が<神経>だ、と答える人はいるかもしれない。では、<神経>は精神と同じ意味で、物質ではないのか?
 道徳、倫理、規範は(ほとんど精神と同一の意味で用いると)、全て「意識」だ。
 法規範もまた「意識」であって、物質ではない。
 人文社会科学、さらには自然科学の所産としての著書・論文等々も、「現実」とのかかわり方の程度・態様が異なるが、「精神」・「意識」の世界に入る。「知」的営為だ。「学問」とも言われるようだ。もとより、「知」的営為はアカデミズム界(学界)が独占するものではなく、私もまた「知」的営為を行う。
 ----
 精神というと精神異常とか、精神障害という語を連想する。
 しかし、「おばけ」、「化け物(ばけもの)」の話をしても精神異常を通常は、又はただちには、疑われないだろう。
 「心霊」現象とか「超常」現象とか言われるものもある。
 <耳なし芳一>や<牡丹灯籠>の話には仏教が不可欠だし、京都・貴船神社には<亥の刻参り>とやらの話が残っているらしい。
 だが、つぎの小説・物語は、<宗教>とは関係がないようだ。但し、「神」なるものには言及があったかもしれない。
 鈴木光司・リング(角川書店・1991年/角川ホラー文庫・1993年)。
 鈴木光司・らせん(角川書店・1995年/角川ホラー文庫・1997年)。
 むかしにたぶん読んで、日米の映画も視たような気がする(ナオミ・ワッツは容貌とその名からして半分は日本人だと勘違いした)。あらためてきちんと読むと、ストーリーや「理屈」がよく分かる。
 これらは、映像上の<サダコ>に注意を奪われなければ、「ホラー」小説よりも「オカルト」小説だ。いや「オカルト」小説でもなく、むしろ<科学小説>または<反科学小説>だ。また、SFはサイエンス・フィクションのことだから十分に「科学小説」=「SF小説」と言えるかもしれない。
 小説・物語としては成り立っているが、また専門的知識と筆力で成り立たせてはいるが、「現実」には、または「科学」上は成立し得ないだろうと「文科」系人間でも感じる、物語上の骨格点は、つぎにあるだろう(第三著の<ループ>には立ち入らない)。
 第一に、特定の人間(山村貞子)は死の瞬間または直前に抱いた現世または人間に対する強い「怨み」を、死亡場所(井戸)の真上または直近にあるビデオテープ(VHS)に直接に<念写>することができる。
 こういうことが可能であるならにば、死の瞬間または直前の「視覚」の記憶は、死後もその脳細胞(視覚神経を通じた記憶細胞)の中に(ある程度の期間は)生きて残せるのではないか。
 そうすると、例えば自分を殺そうとして前に立っている人間の映像記録も「網膜」を通じて脳内に残り、死後に脳細胞を「視る」ことで、容易に殺人者が判明し、容易に逮捕されるのではないか?
 そうしたたんなる感覚的「記憶」ではなく<怨念>がビデオテープの情報を変えてしまえる、というのだから上の小説は非現実的だ。しかし、種々の叙述を織り交ぜて、そういうこともあるのかな、くらいには作者は誘導することに成功しているかもしれない。
 何しろ、「お化け」なるものはいないと分かっていても、人間の中には(日本人の中には?)<お化け屋敷>に入って(かつ実際に驚きかつ恐くなって)しまう人々がいるのだから。
 第二に、強い<怨念>によって<念写>された映像を見てしまった者の身体には、<リング・ウィルス>が潜在的に発生する。
 死者は「天然痘」に感染していたので、「天然痘ウィルス」の一種または類似物だとされる。
 正確にはこうも書かれる。映像を視て「ある心の状態が出来上がり、その影響によって、既に存在する体内のDNAが変貌を遂げ、天然痘ウィルスに酷似した未知のウイルスが発生する」。
 人間の身体には、ある病気をもつ特定の人が映像化した物をみてしまうと、それが第一点にいう「念写」ではなくとも、その病原菌(ウィルス)が宿るのか?
 そうだとすると、病気による、または病気をもって死んだ者が少なくとも死の直前に執筆した、またはビデオに撮った文章・紙やビデオ・テープはすぐさま廃棄しなければならない。
 万が一 「怨念」をもつ死者の「念写」が可能であったとしても、「現実」には、または科学的には、そういうことはあり得ないだろう。
 しかし、不思議なこと、奇妙なこと、類書に書かれていないことは、人間の関心・興味を惹き付けることがある。
 その時点で、そういうこともあるのかもしれないかな、くらいには、作者は誘導することに成功しているかもしれない。
 読者または映画鑑賞者は「真実」を求めているのではなく、「刺激」あるいは「娯楽」を求めているのだ。
 第三に、一定のことをしないかぎり、<リング・ウィルス>に感染した者は発症して、(もともとは一週間後に)死ぬ。より正確には、上に引用部分の続きはこうだ。
 発生した「擬似天然痘とも呼べるウィルスは、人間の心臓を取り巻く冠動脈の内部を癌化させ、肉腫を作り上げる」。この肉腫は「ちょうど一週間で」「最大になり、血液の流れを遮断された心臓は動きを止めることになる」。
 (登場人物・高野舞の場合は少し異なるが、省略する。)
 よく知らないが、最終的には(ほとんど)みな結局は「心不全」で死ぬので、「変死」とか「事件」性のない自然死の場合は、「心不全」の原因になったのは冠動脈か(心筋梗塞等か)それとも脳内動脈か(脳梗塞等か)等々を<解剖>して突き止める、ということはしない、と聞いたことがある。
 冠動脈の一部に出来た「腫瘍」による急性心筋梗塞だったか否かは、そもそもは分からないのだ。きっと。それは、おそらく、死んでしまい、血流も滞ってしまった時点では、心臓付近や脳内を「解剖」しても、直接の原因を見出すことはできないことによるのだと思われる。
 このことは、「犯罪」に使える、とかねてより思ってきた(実行するつもりはない推理小説作成次元の「お話」だ。また、間違っている可能性もある)。つまり、「神経」等々に過大なストレスを与え続けて、いつか対象者を心筋梗塞または脳梗塞等で「殺す」ことは、成就の時期を確定することはできないが、将来的な漠とした「見込み」としては可能なのではないか。そして、かねてより血圧等々に問題があったということであれば、かつ年齢もある程度上であれば、脳梗塞または心筋梗塞による「心不全」による死も、(突然ではあっても)自然死と理解されて、「殺人」が疑われることはない。
 こんな関連することも思い浮かべるが、ともあれ、「リングウイルス」なるものが冠動脈癌化→死をもたらす、というのは、もちろん、科学・「医学」の裏付けが全くない(と思われる)捏造話だ。
 それでもしかし、そのようにストーリーの「論理」を解き明かされて?、そんなこともあるのかな?と感じてしまうのが、人間の身体、心臓、冠動脈等に詳しくない読者の多くだったかもしれない。
 第四は、上に「一定のことをしないかぎり」と書いたことだ。つまり、「リング・ウイルス」は(ウィルスは生物に取り憑いてしか存続できないらしいのだが)<(自己)増殖>を求める。従って、たんにビデオテープをダビングするだけではなくて、それが第三者多数に「視られる」ことをその本性上要求している。
 よって、ビデオテープをダビングして第三者に見せた者や、登場人物・浅川のように映像をそのまま「文章」化して多数の読者に読ませた者は、潜在的なウィルス保有者であっても、発症・死亡はしない。
 これまた、一般論としての<ウイルスの増殖>という点を除けば、第一~第三を前提にしたことなので、現実性があるわけではない。
 ----
 この小説・物語に関心をもつのは、「怨念」という「意識」が「現実」を変える、ということから出発していることだ。
 この小説・物語のように強い「怨念」が一定の映像(・記憶)をテープに「念写」するというのではなくしても、しかし、怨念(「恨」?)あるいは「ルサンティマン(ressentiment)」が、広くは「強い狂熱的感情」が一定の社会階層・集団に蓄積されると、(以下が重要なポイントだが)その発生に「正当な」事由があるか否かとは関係なく、「現実」に影響を与えてしまう、ということはあり得るし、現にあった。
 その例を記し出すとキリがない。また、それは、「意識」(怨念も入る)と「現実」、「脳細胞」と「こころ」といった問題の関心からすると、生々しく、具体的すぎるようだ。
ギャラリー
  • 2098/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史08。
  • 2098/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史08。
  • 2098/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史08。
  • 2098/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史08。
  • 2098/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史08。
  • 2098/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史08。
  • 2096/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史07②。
  • 2096/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史07②。
  • 2096/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史07②。
  • 2096/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史07②。
  • 2095/西尾幹二の境地・歴史通11月号②。
  • 2092/佐伯智広・中世の皇位継承(2019)-女性天皇。
  • 2085/平川祐弘・新潮45/2017年8月号②。
  • 2085/平川祐弘・新潮45/2017年8月号②。
  • 2083/団まりな「生きているとはどういうことか」(2013年)。
  • 2083/団まりな「生きているとはどういうことか」(2013年)。
  • 2083/団まりな「生きているとはどういうことか」(2013年)。
  • 2081/A・ダマシオ・デカルトの誤り(1994, 2005)②。
  • 2080/宇宙とヒトと「男系」-理系・自然科学系と<神話>系。
  • 2066/J・グレイ・わらの犬「序」(2003)②。
  • 2047/茂木健一郎・脳とクオリア(1997)②。
  • 2013/L・コワコフスキ著第三巻第10章第3節①。
  • 1982/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史05⑤。
  • 1982/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史05⑤。
  • 1982/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史05⑤。
  • 1982/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史05⑤。
  • 1982/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史05⑤。
  • 1980/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史05④。
  • 1980/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史05④。
  • 1980/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史05④。
  • 1978/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史05②。
  • 1978/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史05②。
  • 1978/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史05②。
  • 1978/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史05②。
  • 1920/L・コワコフスキ著第三巻第四章第5節。
  • 1920/L・コワコフスキ著第三巻第四章第5節。
  • 1916/S・フィツパトリク・ロシア革命(2017)⑳完。
  • 1916/S・フィツパトリク・ロシア革命(2017)⑳完。
  • 1906/NYタイムズ2009.07.20の訃報-L・コワコフスキ。
  • 1906/NYタイムズ2009.07.20の訃報-L・コワコフスキ。
アーカイブ
記事検索
カテゴリー