秋月瑛二の「憂国」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

金正日

0466/北朝鮮という「国家」のイメージ形成の思い出。

 思い出すに、北朝鮮という国の異常さを知ったのはたぶん1992年に崔銀姫=申相玉・闇からの谺―北朝鮮の内幕―(上・下、文春文庫、1989)を読んでだ。北朝鮮の映画を「向上」させるために韓国の映画監督・女優夫妻を金正日の指令で「拉致」したというのだから、その「人間」・「個人」無視の精神には唖然とした。続いて、1994年頃に姜哲煥=安赫・北朝鮮脱出(上・下、文藝春秋、1994、単行本)によって北朝鮮の印象は決定的になった。デマの可能性はあったが、これだけの全てを捏造することはできず、少なくとも大半は真実だろうと感じ、こんな国がすぐ近くに存在していることについて信じ難い思いをした。これらを出版した文藝春秋の勇気?は称えたい。
 他にも、関川夏央・退屈な迷宮―「北朝鮮」とは何だったのか(新潮社、1992、単行本)等の若干の本も読んでいて、平均的日本人よりは北朝鮮の実態を知っていただろう。従って、日本人拉致問題には詳しくはなかったものの、2002年の09/17に金正日自身が拉致の事実を認めたとき、驚天動地の思いではなかった。この国なら何でもする、と感じていたからだ(むしろ認めたことの方に驚いた)。
 北朝鮮の歴史の知識もすでに持っていて、種々の金日成・金正日伝説は「ウソ」らしいと知っていた。市井の一日本人が若干の文献から「ふつうの感覚」でそう思っていたのに、より多くの情報に接する可能性があるはずの日本社会党等々の政治家たちが北朝鮮に「騙され」、日本共産党もまた「疑惑の程度に応じた」交渉を、などと能天気なことを言っていたのはこれまた信じ難い。社会主義幻想と朝鮮総連との接触の成した業だっただろうか。今でも北朝鮮にはできるだけ甘く、米国や日本政府にはできるだけ批判的又は揶揄的に、という姿勢が垣間見える人々がいるしメディアがあるのは困ったものだ。
 そうしたメディアの代表は朝日新聞だが、読売新聞論説委員会編・読売VS朝日・社説対決/北朝鮮問題(中公新書ラクレ、2002)の中で作家・柘植久慶いわく―「一方の朝日新聞の社説となると、悲惨なくらい過去の主張や見通しの外れているのがよく判る。これは…空想的社会主義と共産主義諸国に対してのダブルスタンダードが、ベルリンの壁の崩壊とソ連―社会主義の終幕によって、一気に価値を喪失したから…」、「地盤沈下の著しい左翼政党―共産党や社民党と同じように、朝日もまた地盤沈下の同じ轍を踏む危険性が大きい」(同書「解説にあたって」)。本当にこうなっていればよいのだが。

0371/水島朝穂(早稲田大学)は学者なら真摯に反応したらどうか。

 1/03頃に、川人博・金正日と日本の知識人(講談社現代新書、2007.06)を読了。
 親北朝鮮の「日本の知識人」を批判した本だが、具体的に固有名詞が挙げられ、批判的論評がされているのは、姜尚中、和田春樹、佐高信、水島朝穂の4名。
 和田春樹佐高信の二人についてもはや言う必要もない。姜尚中については、この本とは別の観点からいつか近い将来に述べたいことがある。
 残る水島朝穂はこのブログでも批判的に取り上げたことのある早稲田大学所属の憲法学者だが、私も所持はしている同著・憲法「私」論(小学館)や他の発言等を対象に、著者の川人(弁護士、特定失踪者問題調査会常務理事)は次のように批判する(p.91~p.99)。
 ・2002年9月以降に(いったん北朝鮮から)帰国した五人について、安倍晋三(当時、官房副長官)は(帰国させないという)「駄々っ子のような方向」を選んだが、返せば(帰国させれば)よかったと主張した。「ここまで人を罵倒する発言をする」なら、「もっときちっと根拠を示しなさい」。
 ・具体的には第一に、五人は日本に滞在したいとの意向だったのに、日本が無理やり北朝鮮に連れて行くべきだ、という主張は、「国際人権法の、あるいは日本国憲法の、どの規定に基づき正当性を有するのか、ぜひ、憲法学者として責任をもって明確にしてもらいたい」。
 ・第二に、北朝鮮に戻った五人とその家族が無事に日本に帰国できるという「具体的根拠を述べていただきたい」。
 ・上記の憲法「私」論の中で、「韓国での米軍犯罪、日本の戦争責任」等には多くを語りながら、「拉致問題」には「わずか一〇行程度触れるだけ」で、「北朝鮮国内の人権侵害に関しては、一言も語っていない」。「中国国内での人権侵害にも一切触れていない」。また、「国境を超えた市民運動」が重要との旨を主張しつつ、「北朝鮮独裁者と対峙して活動しているNGOや民衆」について一切語らず、「北朝鮮独裁体制に親和的なNGOの活動を紹介するのみ」。
 総括的に、こんな批判的な言葉もある。
 「民衆の闘いを忘れ、独裁者の『メンツ』を気にするのが、憲法学者のとるべき態度であろうか」。(p.96)
 「自らの思想や論理を真摯に総括することもなく、『半径平和主義』(狭い『平和主義』のわく)ともいうべき殻の中に閉じ籠もる、それが水島氏の姿」だ。(p.98)
 「真にアジアの民衆の人権と平和を希求している」のなら、「まず、過去の暴言を真摯に反省していただきたい」。(p.98)
 名指しされてこうまで批判されると―姜尚中は週刊誌上で<応戦>したようだが―、ふつうの人ならば、反論(あるいは釈明、可能性は少ないが「真摯な反省」)をしたくなるだろう。ましてや、水島朝穂は、著書の数も多そうな大学教授なのだ。このまま黙っていれば「学者」の名が廃(すた)り、批判を甘受していることになってしまうのではないか。水島氏よ、真摯に対応したら、いかがか(すでにどこかでしているのかもしれないが、私は気づいていない)。
 いや、そもそも水島朝穂は学者・研究者ではなく活動拠点を早稲田大学に置く政治活動家なのかもしれない。とすると、弁護士・川人博についても―かりにこの文を彼が読んだとして秋月瑛二についても-<「保守・反動」が何やら喚(わめ)いている>といったレッテル貼りで内心で反論したつもりになって済ますのかもしれない。
 怖ろしいのは、憶測にはなるが、水島朝穂ほどには目立たなくとも、憲法改正反対・憲法九条擁護の憲法学者には、水島の上記のような対北朝鮮反応、対北朝鮮感情と同様のものを<空気>として抱え込んでいる憲法学者が日本には少なくない、と見られることだ。日本の憲法学者・憲法学界とはかくも<異様な>ものだということは広く大方の共通理解になってよいものと思われる。
 ところで、この本は昨年6月に刊行されているが、新聞・雑誌の書評欄で採り上げられているのを読んだことはなく、その存在自体を昨年末に知った。テーマは単純ではあるが、少なくとも紹介くらいはされる価値のある本だろう(新書で読みやすくもある)。
 だが、かりにだが、どの新聞・雑誌も採り上げなかったとすれば、それは、姜尚中、和田春樹、佐高信、水島朝穂という特定個人(の主張)を批判している書物のためなのかもしれない。
 各「知識人」または新聞・雑誌への各寄稿者(またはその可能性ある特定個人)に遠慮し、その背後にいるグループ・団体・出版界にも遠慮しているのだとすれば、新聞・雑誌の「表現・出版の自由」も疑わしいものだ。この例のみで言うつもりは全くないが、一般論としても、新聞・雑誌の「書評欄」を(参考にしてもいいが)<信頼>してはいけない。
  

0026/吉永小百合様、美しい「言葉」の力で金正日と「粘り強く話し合い」して下さい。

 「団塊」世代のマドンナと称されているかもしれない、あの吉永小百合様が岩波ブックレット・憲法を変えて戦争に行こうという世の中にしないための18人の発言(2005.08)の中で、次のように書いておられる。-「人間は『言葉』という素晴らしい道具を持っています。その道具で粘り強く話し合い、根っこの部分の相違点を解決していく――報復ではなく、半歩でも一歩でも歩み寄ることが「言葉」を持つ私たちの使命だと思います」(p.18)。
 「言葉」という「道具で粘り強く話し合い、根っこの部分の相違点を解決していく」ことができれば、それに越したことはない。「粘り強く話し合」っても何ら誠意をもって対応せず、言葉と矛盾する行動を平気で行う人や国家が存在するからこそ問題なのであり、経済的・軍事的「圧力」も必要になるのだ。吉永小百合には是非、朝鮮半島の北半分にいる将軍様(ウンサンニム)に「『言葉』という素晴らしい道具」で話しかけ、「粘り強く話し合」っていただきたいものだ。
 美しい心の小百合様には、国民を餓死させ、開発凍結と言っておいて平気で核実験実施をする国家の存在を想像すらできないのだろう。
 彼女はまた、「命を大切にすることは、憲法9条を大切にすること。国際紛争を解決する手段として、武力行使は永久にしないと定めた憲法は、人間の命を尊ぶ、素晴らしいものです」と憲法九条を讃える。
 だが、残念ながら小百合様には憲法に関する基礎的素養がなさそうだ。9条1項が規定している「国際紛争を解決する手段」としての武力行使の禁止は、少なくとも憲法学説上の多数見解および政府見解によれば、「侵略」戦争の放棄の意味だ。9条1項は「防衛」又は「自衛」戦争をも放棄(禁止)してはいない。そしてこのことは日本国憲法に限らず、今日の世界においては当然のことなのだ。
 憲法改正に際しての焦点は、「戦力」不保持、「交戦権」否認の9条2項をどうするかにある。1項によって「自衛」戦争が禁止されていないとしても、2項で「戦力」保持・「交戦権」が否定されているために、結果として「自衛」のための「戦争」もできなくなる、というのが多数見解による9条の条文の読み方なのだ。ここで「戦争」や「戦力」・「交戦権」の厳密な意味が問題になるが、そこに立ち入らないとしても、「戦力」不保持・「交戦権」否認の憲法9条2項があるがゆえにこそ外国からの攻撃によって日本国民の生命が奪われることを有効に防止できないとすれば、「憲法9条を大切にすること」は日本国民の「命を大切に」しないこと、を意味することになる。
 かくの如く、小百合様の文章は美しいが、<戦争反対という情緒>(これ自体を悪いとか誤っているとかは言わない)が書かせたものにすぎない。
 朝日新聞社が<私たちは「言葉」の力を信じます>とかのコピーで宣伝していたが、小百合様の上の文章にヒントを得たのではなかろうか。それはともかく、朝日は、事実を否定し又は存在しない事実を作り出す(「捏造」)ために「言葉」を用いた、あるいは「言葉」の力によって虚報をさも真実のごとく装ったことがある。当然ながら「言葉」の力は良い方向にも逆の方向にも働きうる。それが明確でないコピーは「言葉」の力でウソを真実に変えますと言っているようで、じつに気持ちが悪い。
 続けて記せば、吉永小百合様は、昨年の毎日か日経のインタビュー記事中で、広島・長崎に原爆を投下されたのは、当時の日本政府の<ポツダム宣言受諾が遅れたためだ>ということのみを語り、あたかも責任はすべて日本政府にあったかの如き旨を語っていた。表現・記述不足ということも考えられるが、当時の国際法上も違法だった可能性が高い非戦闘員・一般市民の大量殺戮を行った米国に対する批判的視点が全くないとすれば、由々しき「歴史認識」をお持ちだ。小百合様にとっては、広島・平和公園内の「過ちは繰り返しませんから」との碑の主語は、おそらく間違いなく日本、あるいは日本政府・日本軍なのだろう。ということは、彼女が生まれる直前の東京大空襲による非戦闘員・一般市民の大量殺戮も、決して米国に責任はなく、そのような反撃を招くような戦争に至らしめた日本政府・日本軍に責任があると考えておられる可能性もある。そのような「歴史認識」でおよろしいのかどうか。
 「九条を考える会」のアピールに賛同しておられる(賛同人名簿に載っている)吉永小百合様の個人的な「歴史認識」はもうお変わりにならないかもしれない。だが、実質的には日本共産党が実働部隊となり主導権を握って運動していく可能性が高い「九条の会」に政治的に利用なされることないよう願っている。

-0055/某韓国人から金日成は3人いると1980年代に聞いてから。

 北朝鮮という国の異常さを知ったのはたぶん1992年に崔銀姫=申相玉・闇からの谺―北朝鮮の内幕―(上・下、文春文庫、1989)を読んでだ。北朝鮮の映画を「向上」させるために韓国の映画監督・女優夫妻を金正日の指令で「拉致」したというのだから、その「人間」・「個人」無視の精神には唖然とした。
 続いて、1994年頃に姜哲煥=安赫・北朝鮮脱出(上・下、文藝春秋、単行本)によって北朝鮮の印象は決定的になった。デマの可能性はあったが、これだけの全てを捏造することはできず、少なくとも大半は真実だろうと感じ、こんな国がすぐ近くに存在していることについて信じ難い思いをしたものだ。これらを出版した文藝春秋の勇気?は称えたい。
 他にも若干の本は読んでいて、平均的日本人よりは北朝鮮の実態を知っていただろう。従って、日本人拉致問題に詳しくはなかったものの、2002年9月17日に金正日自身が拉致の事実を認めたとき、驚天動地の思いではなかった。この国なら何でもする、と感じていたからだ(むしろ認めたことの方に驚いた)。
 北朝鮮の歴史の知識もすでに持っていて、種々の金日成・金正日伝説は「ウソ」らしいと知っていた。
 市井の一日本人が若干の文献から「ふつうの感覚」でそう思っていたのに、より多くの情報に接する可能性があるはずの日本社会党等々の政治家たちが北朝鮮に「騙され」、日本共産党もまた「疑惑の程度に応じた」交渉を、などと能天気なことを言っていたのはこれまた信じ難い。社会主義幻想と朝鮮総連との接触の成した業だったろうか。今でも北朝鮮にはできるだけ甘く、米国や日本政府にはできるだけ批判的又は揶揄的に、という姿勢がかいま見える人々がいるしメディアがあるのは困ったものだ。
 そうしたメディアの代表は朝日新聞だが、朝日を批判する本又は論文・記事を一部抜粋して引用していくだけでもこの日記は続けていけそうだ。
 読売論説委編・読売VS朝日・社説対決北朝鮮問題(中公新書ラクレ、2002)の中で作家・柘植久慶は言う。
 「一方の朝日新聞の社説となると、悲惨なくらい過去の主張や見通しの外れているのがよく判る。これは…空想的社会主義と共産主義諸国に対してのダブルスタンダードが、ベルリンの壁の崩壊とソ連―社会主義の終幕によって、一気に価値を喪失したから…」、「地盤沈下の著しい左翼政党―共産党や社民党と同じように、朝日もまた地盤沈下の同じ轍を踏む危険性が大きい」(同書「解説にあたって」)。

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