秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

進歩的文化人

1057/竹内洋・革新幻想の戦後史(2011)と「進歩的大衆」。

 〇二つの雑誌での連載をまとめた(大幅に加筆・補筆した-p.513)、竹内洋・革新幻想の戦後史(中央公論新社、2011.10)が刊行されている。
 その「はじめに」の中に以下。
 ・「『進歩的文化人』という用語は死語になったが、『進歩的大衆人』は増えているのではないか。や昔日の進歩的文化人はコメンテイターやニュースキャスターの姿で跋扈している」。
 「戦後」は終わったなどという妄言を吐いている東京大学の現役教授もいるようだが、<革新幻想の戦後史>は、現在もまだ続いている。著者・竹内もそのように理解していると思われる。
 親社会主義・<進歩>主義・<合理>主義を「知的」で「良心的」と感じる体制的雰囲気あるいは「空気」は、月刊WiLL(ワック)や月刊正論(産経)等の存在と奮闘?にもかかわらず、ましてや隔月刊・表現者(ジョルダン)という雑誌上でのおしゃべりにもかかわらず、決して弱くなっていないだろう。
 竹内洋の上掲書の終章の最後の文章は以下。
 ・「繁栄の極みにあった国が衰退し没落する例」をローマ帝国に見たが、「その再現がいま極東の涯のこの地で起こりかけていまいか。……『幻想としての大衆』に引きずられ劣化する大衆社会によって…。」(p.512)

 いかに問題があっても「日本」がなくなるわけがない、「日本」国家とその文化が消滅するわけがないと多くの人は無意識にでも感じているのだろう。しかし、歴史的には、消滅した国家、消滅した民族、消滅した文化というのはいくらでもある。緩慢にでも、そのような方向に紛れもなく向かっている、というのが筆者の決して明瞭で決定的な根拠があるわけでもない、近年の感覚だ。
 竹内によると、そのような「衰退と没落」は増大している<幻想としての・進歩的大衆>によって引き起こされる。
 〇最近、知人から、「在日」韓国・朝鮮人問題や日本のかつての歴史に関することを話題にしている、ある程度閉じられているらしい投稿サイトの関係部分のコピーを送ってもらった。
 元いわゆる「在日」で今は日本でも韓国でもない外国で仕事をしているらしき人物は、かつて(「併合」時代の)日本政府は「当時韓国でハングルの使用(読み書き話す)を禁止した」、という<歴史認識>を有している。
 この点もいつか問題にしてみたいが、とりあえず今回は省略する。
 興味深いのは、かつての朝鮮半島「併合」やかつての日本を当事者とする(大陸での)戦争に関するやりとりの中で、第三者にあたる人物が、つぎのように記していることだ。
 元「在日」の人物に対する純粋の?日本人をAをしておこう。女性らしき、「seko」または「せこ」をハンドル・ネームにしている人物は、次のように書いている。
 「A君の歴史的認識には納得できません。…。いろいろなブログで勉強しているそうですが、なんでも鵜呑みにしないで事実確認をして書き込んでほしいです。日本の歌は現在では韓国でも歌われていますし、韓国人のファンも多い…。日本で韓国の歌手が売れているのは、歌も上手だし踊りも素晴らしいアーティストが多いからで、日本でどんどんいい歌を聞かせてほしい…。友人は韓国が大好きで年に7,8回行っていますが、反日どころか親日の人が多くて親切だと言っています。私はまだ韓国には行ったことがありませんが、韓国ドラマは…好きでよく見ます。…親や目上の人に対して服従で尊敬し、家族の繋がりが深くて強くて、感心しながら見ています。最近、韓国ドラマが日本でもたくさん放映されていますので、A君もよかったら見てください。特に歴史ドラマは男性にはお薦めです。」 

 「私たちが生まれる前の出来事でしたが、日本が韓国や中国に侵略し、地元の人を苦しめたことは消すことができない事実です。反日感情が大きいのも納得できますし、私たちが謝ってすむ問題でもありません。でも謝りたいです。大好きな韓国と仲良くしたいから・・・申し訳ありません。」
 こんな内容の書き込みは、私は全くといってよいほど閲覧してしていないが、このイザ!のサイトにもいくらでもあるのだろう。
 ただ、より<大衆レベル>のサイトで、今日の日本の多数派を占めるようにも思われる<大衆>の意識が示されているようで、興味をもち、引用してしまった。
 この女性は(紹介・引用をしていないが)Aの「歴史的認識」は誤っている旨を断言し、ほぼ同じことだが、「日本が韓国や中国に侵略し、地元の人を苦しめたことは消すことができない事実」だと断言している。
 このような断定的叙述はいったいどこから生じているのか?
 村山談話(1995)、菅談話(2010)、NHKの戦争「歴史」番組等々からすると、これこそが体制的・公式的な、そして時代の「空気」を表現している見解・「歴史認識」なのだろう。
 そして、上に見られるように、生まれる前のことだが「謝りたい」とも明言している。
 これこそ、「左翼的」・「進歩的」な歴史認識そのものであり、そして過去の日本の「責任」を詫びて「謝る」のが「進歩的」で「良心的」な日本人だ(そして自分もその一人だ)、という言明がなされているわけである。いわゆる「贖罪」意識と「贖罪」史観が示されている、とも言える。
 そしてまたこれこそが、「進歩的文化人」はなくなったとしても増え続けている、竹内洋のいう「進歩的大衆人」の言葉に他ならない、と思われる。
 このような意識・認識・見解を持っている「進歩的大衆」は、どのようにすれば歴史に関する異なる見方へと<覚醒し>、<目覚める>ことができるのだろうか。
 上の人物が専門書や諸雑誌をしっかりと読んで、上のような「歴史的認識」と「謝り」の表明に至ったわけではないだろう。上で少しは触れたように、時代の「空気」、体制的な「雰囲気」なのだ。
 この人物とて、新聞広告や書店で、自らの「感覚」とは異なる見解・考え方をもつ者の本等もあることくらいは知っているだろう。
 しかし、<思い込んで>いる者は、<歴史に謙虚に向かい合わない>「右翼」がまだいる、日本人はもっともっと<反省>し、過去の「歴史」を繰り返してはならない、などと思って、そのような本や雑誌を手にしようとする気持ちを抱く可能性はまるでないのではあるまいか。
 月刊WiLL、月刊正論等々、あるいは産経新聞がいくら頑張っても届かない、<進歩的大衆人>が広汎に存在している。
 <保守>論壇や<保守>的マスコミの中にいて、仔細にわたると対立がないわけではないにしても、<閉鎖的>な世界の中であれこれと言論活動をしている人々は、<井の中の蛙>の中にならないようにしなければならない。自分たちは「進歩的大衆人」に囲まれた<少数派>であることをしかと認識しておく必要があるだろう。むろん、櫻井よしこに対しても、このことは言える。
 なお、上の女性(らしき、「seko」という人物)は「日本の歌は現在では韓国でも歌われていますし、韓国人のファンも多い…。日本で韓国の歌手が売れているのは、歌も上手だし踊りも素晴らしいアーティストが多いからで、日本でどんどんいい歌を聞かせてほしい…。友人は韓国が大好きで…反日どころか親日の人が多くて親切だと言っています。私はまだ韓国には行ったことがありませんが、韓国ドラマは…好きでよく見ます。…親や目上の人に対して服従で尊敬し、家族の繋がりが深くて強くて、感心しながら見てい」る、と書いて、自らの「歴史的認識」の妥当性を補強しているようでもある。
 だが、むろん、現在の韓国が、あるいは現在の日韓関係がどうであるかということの認識・見解と、かつての日本の行動の「歴史的」評価とはまるで関係がない。多少とも関連させているとすれば、「お笑い」だ。

0968/進歩的文化人の始まり、石川達三・横田喜三郎-山田風太郎1945年日記に見る。

 山田風太郎・新装版/戦中派不戦日記(講談社文庫、2002。原文庫1985、原書1971)は、1945年(昭和20年)の、その年に23歳になる年齢の作者の日記をのちに公開したもの。公開用の削除はあるが公開された部分に修正・加筆はないだろうと思っていたが、どうやら削除すらなく、全文が掲載されているようだ。

 筆者のコメントとともに、記載されている事実自体にすら、まだ生まれてもいない者には重要な価値がある。
 以下は、「文化人」の当時の言論とそれへの批判だ。網羅的ではないかもしれない。
 ①1945年一〇月二日付の一部「『闇黒時代は去れり』と本日の毎日新聞に石川達三書く。日本人に対し極度の不信と憎悪を感ずといい、歴史はすべて忘れよといい、今の日本人の根性を叩き直すためにマッカーサー将軍よ一日も長く日本に君臨せられんことを請うという。〔二文、中略〕

 ああ、何たる無責任、浅薄の論ぞや。彼は日本現代の流行作家の一人として、戦争中幾多の戦時小説、文章、詩を書き、以て日本民衆の心理の幾分かを導きし人間にあらずや。開戦当時の軍人こそ古今東西に冠たるロマンチストなりと讃仰の歓声あげし一人にあらずや。

 彼また鞭打たれて然るべき日本人の一人なり。軍人にすべての責任を転嫁せしめんとする風潮に作家たるもの真っ先きに染まりて許さるべきや。戦死者を想え。かくのごとき論をなして、自らは悲壮の言を発せしごとく思うならば、人間に節義なるもの存在せず、君子豹変は古今一の大道徳というべきなり。〔一段落、中略〕
 この人、また事態一変せんか、『いや、あの時代はあのように書くより日本の蘇生すべき道あらざりき』などといいかねまじ。余は達三の言必ずしもことごとく斥くるものにあらず。されど彼には書く権利なく、資格なく、義務なしという。少くともこの一年くらいは沈黙し、座して日本の反省(悪の反省にあらず、失敗の反省なり)の中に生きて然るべしと思う。

 〔一文、略〕而して死者に鞭打つがごとき軍人痛撃横行せん。これはある程度まで必要ならんも、当分上っ調子なる、ヒステリックなる、暴露のための暴露の小説評論時代来らん。而してそのあとにまた反省か。――実に世は愚劣なるかな」(p.542-3)。

 「悪の反省にあらず、失敗の反省なり」とは適確だ。それにしても10月初め、まだ『真相はかうだ』とかの放送は始まっていないはずだが、9月半ばにGHQによる実質的な「検閲」が始まって以降、すでに「軍人にすべての責任を転嫁せしめんとする風潮」は始まっていたごとくだ。お先棒を担いだのは、朝日新聞、毎日新聞等のマスコミだったのだろう。

 石川達三といえば、戦時中の小説「生きている兵隊」がのちの某下級審判決における事実認定(!)にまで利用されていたことを思い出した。この「社会派」作家は戦後、文壇のトップクラス(?)にいて、文芸家たちの団体の要職にも就いていた(1905-1985)。

 ②一一月五日付の一部「東京新聞に『戦争責任論』と題し、帝大教授横田喜三郎が、日本は口に自衛を説きながら侵略戦争を行った。この『不当なる戦争』という痛感から日本は再出発しなければならぬといっている。
 われわれはそれを否定しない。それはよく知っている。(ただし僕個人としては、アジアを占領したら諸民族を日本の奴隷化するなどという意識はなかった。解放を純粋に信じていた)
 ただ、ききたい。それでは白人はどうであったか。果して彼らが自国の利益の増大を目的とした戦争を行わなかったか。領土の拡大と資源の獲得、勢力の増大を計画しなかったか。
 戦争中は敵の邪悪のみをあげ日本の美点のみを説き、敗戦後は敵の美点のみを説き日本の邪悪のみをあげる。それを戦争中の生きる道、敗戦後の生きる道といえばそれまでだが、横田氏ともある人が、それでは『人間の実相』に強いて眼をつむった一種の愚論とはいえまいか」(p.609)。
 横田喜三郎、当時東京帝大法学部教授、のち新制東京大学法学部教授、法学部長等を経て、最高裁判所長官(1896-1993)。国際法の分野の「権威」。戦後当初はGHQ初期政策迎合の「左派」だったが(かなり早い時期の上の「侵略戦争」明言もその一つだろう)、のちに<保守派>にさらに転じて最高裁長官の地位を獲得したとも言われる。

 宮沢俊義(憲法)等も含めて、戦後(とくに占領期)の大学教授たち、とりわけ東京帝大(法学部)教授たち(のちの新制東京大学法学部教授たち)の<処世ぶり>は批判的に分析しておかねばならない。それが未だ十分になされていないのは、「弟子」・「後輩」の東京大学(法学部)出身者たちが「恩師」や「先輩」を批判的・客観的に検討するのを期待しても無理がある、ということに理由があるだろう。東京大学に残って学者生活を続けた者たちだけではない。同大学出身者は日本の多くの大学に散らばって(?)かつ各分野で総じては有力な地位を占めてきたのだ。

 谷沢永一によってだっただろうか、横田は、<横田喜三郎現象>という語を使われて批判・蔑視されるようなこともしたらしい。

 上の山田の文章のあとに平林たいこへの言及があり、批判的コメントもあるが省略する。

 石川達三も横田喜三郎も上の山田風太郎日記が刊行されたとき(1971年)、まだ存命だった。その本の自分に関する部分を読んだだろうか。読んだとして、自分の生き方に、少なくとも言及されている自分のかつての文章に、羞じるところは全くなかったのだろうか。

0955/週刊新潮12/23号の櫻井よしこ・連載コラムと福田恆存。

 週刊新潮12/23号櫻井よしこ・連載コラムは、持丸博=佐藤松男・証言/三島由紀夫・福田恆存たった一度の対決(文藝春秋、2010)に言及し、自らの文章として、「1960年の安保闘争から70年の安保闘争まで、左翼的思想で満ちていた日本で孤高の闘いを続けた福田恆存と三島由紀夫はたった一度、『論争ジャーナル』という雑誌で対談した」と書く(p.138)。
 持丸博らのミス(?)を引き継いでいるのだろうが、「たった一度」の対決・対談というのは、誤りだと思われる。
 決定版三島由紀夫全集39巻〔対談1〕(新潮社、2004)を見てみる。

 たしかに、論争ジャーナル1967年11月号で三島と福田は「文武両道と死の哲学」と題する対談をしている(全集39巻p.696-728)。

 だが、三島由紀夫・福田恆存・大岡昇平の三者は文芸1952年12月号で「僕たちの実体」ど題する対談をしている(同上p.111~127)。

 これは鼎談であって、対談でも「対決」でもないというならば、三島由紀夫と福田恆存の二人は、中央公論1964年7月号で、「歌舞伎滅亡論是非」と題する対談を行っている(同上p.415-424)。

 持丸らの上掲書を未読なのでどのような注記等がなされているのかは知らないが、「たった一度」の対決というのは事実に反しており、櫻井よしこもその瑕疵を継承しているようだ。

 つぎに、櫻井よしこは福田恆存「滅びゆく日本」(サンケイ新聞1969年02.01。福田恆存評論集第8巻p.261-264)の一部を紹介・言及して福田による「戦後」に対する警鐘・批判に同感する旨を書いている。

 たしかに福田恆存のこの一文からも福田の考えていたことの一端は分かる。しかし、この数頁しかない一文が福田恆存の代表的論文(・評論)とは思えない。いわゆる<進歩的文化人>と対決し、彼らを批判した1950年前後以降のものも含めて、福田恆存が「戦後」を批判的に分析し、批判し、憂慮した文章は、上記の評論集(麗澤大学出版会、刊行中)の中に多数見出すことができる。
 それに、遠藤浩一・三島由紀夫と福田恆存(上)・(下)(麗澤大学出版会、2010)が今年に刊行され、全集に直接に当たらずとも、福田恆存が1950年代以前から反「左翼」の立場で評論活動も行い、1960年前後にはすでに<高度経済成長>の「影」を視ていたことも明らかにされている(この遠藤著に今回は立ち入らない)。

 というわけで、櫻井よしこによる福田恆存発言の紹介の仕方には、たんに紙数の制約によるとばかりは思えない、かなりの不備があると感じられる。ついでながら、おそらくは、福田恆存は櫻井よしこ以上の文筆活動をしたと歴史的に評価されるだろう(たんなる量の問題ではない)。

0664/佐伯啓思・自由と民主主義をもうやめる(幻冬舎新書、2008)を読む・その3。

 一 佐伯啓思・自由と民主主義をもうやめる(幻冬舎新書、2008)は、丸山真男にも言及する(つづき)。
 p.176以下。1970年前後に全共闘学生の攻撃対象になったのは丸山真男のような「穏健左翼」で、「最高の権威に守られた安全な場所」での「民主主義こそ大事」論は「左翼の偽装」・「欺瞞」だとされた。この時期以降、丸山は東京大学を辞職し「社会的に発言」しなくなる。
 上の点はともかく、丸山真男によると、日本が近代国家でなかった最大の証拠は「天皇が、政治的主権者であると同時に宗教者である」ことにあった。「西洋近代国家」の主権者の「価値に対して中立的」という「最大の要件」を充たしていない。あの戦争の開始も天皇主権(・民主主義の不在)と無関係ではない。「民主主義と天皇主権国家は両立」せず、「戦後日本」が「民主主義に生まれ変わったことはすばらしい」。従って、つねに「八・一五」に立ち返るべきだ。民主主義が成熟すれば日本はもう戦争を起こさないだろう。
 かかる趣旨の丸山真男論文(「超国家主義の論理と心理」)は「戦後民主主義の理論的支柱」となり、「弟子の政治学者」や「大江健三郎」らを含めた「進歩的文化人」を生み出した。
 だが、と佐伯啓思は続けるが、相当に省略する。佐伯は吉田満(・戦艦大和の最期)に言及しつつ、丸山真男は公式的「戦後民主主義、平和主義」の立場からの「悔恨の共同体」論だったのに対して、吉田満が示したのは、戦争の善悪はともあれ、「死んでいった若者たちに、われわれは非常に多くの何かを負っている」という「負い目の共同体」という考え方だ、とも述べる。
 ちなみに、今回の冒頭にいう「穏健左翼」の中には、日本共産党(員)も、丸山真男が支持していたと見られる日本社会党も入っていた。丸山の「悔恨の共同体」論からすると、戦死した若者たちは間違った戦前の<(騙された)無意味な犠牲者>になるのだろう。また、佐伯啓思・現代日本のリベラリズム(講談社、1996)は、もう少し専門的に?より詳しく丸山真男に論及している。いつかの機会に紹介する。
 二 佐伯啓思は「八・一五」(こういう言い方を彼はしないが)前後の歴史にも言及している。そして、言い古されたものもあるが、また議論がなお必要な論点もあるだろうが、佐伯自身の文章で書かれていることに、やはり注目しておきたい。
 ・アメリカはポツダム宣言や初期の対日占領政策文書では「日本国民の自由意思」に日本の最終政治形態は委ねるとしつつ、降伏文書では日本の主権はGHQに属する(subject to)とする。この二重性は日本国憲法にも表れており、形式的には明治憲法の改正手続によりつつ(日本国民の意思によると見せかけつつ)、「実質的には、GHQがつくり上げたものに」 なった(p.198)。
 ・そもそも「根本的に問題」なのは、主権を制限された国家が「いずれの形であれ憲法を持つことができるのか」、だ(p.197)。
 ・東京裁判の法的根拠は「マッカーサーの指令」にあり、「東京裁判そのものが占領政策の一環」だった。
 ・さらに厄介なのは日本が講和条約で「アメリカの歴史観を受け入れたとみなされている」ことだ。同条約11条の「…を受諾し」は、「諸判決」の「履行まで義務づけ」る(=拘禁刑受刑者をただちには解放しない)という意味で、「東京裁判の全体なり、東京裁判を支えている歴史観を受け入れたわけでは、毛頭ない」。にもかかわらず、日本は「アメリカの歴史観」を認めたことに、諸外国がそう見なしただけでなく、「何となく」、「日本自らも…みなしてしまった」(p.202-3)。
 ・上のことが「現在に至るまで、様々な問題を引き起こしている」。主権回復後、憲法改正も再度の裁判も可能だったのに、しなかった。日本人なりに「あの戦争の意味づけや解釈や批判的な検討もすべきだった」のに、しなかった。「占領期という特異な期間をそのまま承認」し、「その特異な産物である憲法もそのまま認めてしまった」。それどころか、「進歩的知識人も、保守系の政治家も」「日本は民主的な平和国家に生まれ変わった」、と言い出した。「自分たちでそうだと思い込んでしまった」、「そのことが現在でもわれわれの上に、非常に重たくのしかかっている」(p.204-5)。
 以上の文章を読んで、あらためて慨嘆する。ほとんど同じ世代の佐伯啓思にも私にも、そして「団塊」世代にも、実質的な<責任>は全くない。やや広く1946~1951年生まれを「団塊世代」というとしても、彼らが(我々が)成人を迎えた=有権者たる20歳になったのは、早くて1966年であり、占領期、同時期内での日本国憲法の制定、同じく東京裁判、サンフランシスコ平和(講和)条約、「戦力」ではない「自衛隊」発足、さらには所謂55年体制の成立、「60年安保」、1965年の日韓基本条約締結等に、実質的には(意見表明・選挙権行使等によって)関与することを全くしていない(なお、田母神俊雄は1948年生まれで狭義でも「団塊」世代)。
 すべてが、じつは明治後半から大正時代生まれの者たちによってなされた(昭和元年生まれの者でも敗戦の年にようやく20歳だ)。日本人先輩はそれぞれに苦労したのだとは思うが、敗戦後60年を経ても残っている課題があり、それらについて現在でも「国論」が分裂しているのは、到底正常な事態だとは思われない。せめて、自主的な憲法制定(・日本軍の正式認知)でも1960年代の前半までにしておいてくれれば、その後の政治の様相は大きく異なったに違いない。そして、だからこそ、日本社会党は過半数の議席を取れなかったが、憲法改正阻止のためには必要な1/3以上の議席を日本社会党(等の「護憲」政党)に与え続ける、その理論的支柱となり又は大衆的雰囲気を提供した<左翼・進歩的知識人>(多くの大学教授を含む)や朝日新聞等の<左翼・進歩的>マスコミの果たした役割は歴史的に見ても<きわめて犯罪的だった>とあらためて思う。
 三 最近関心を持つのは、論者たちが現在の日本に続く近未来の日本をどう予想しているか、だ。佐伯啓思はこの本の本文を、次のように述べて終えている。
 「日本の愛国心」とも言える「近代日本が宿命づけられた悲劇の感覚」を「絶えず想起する」ことはできるし、想起する想像力をもつ必要がある。「それさえあれば」、まだ「日本の愛国心」は「か細くも脈々と受け継がれていくように思われる」(p.224)。
 「それさえあれば」という条件つきの、「か細くも(脈々と)」とは、かなり悲観的な表現ではなかろうか。
 潮匡人・やがて日本は世界で「80番目」の国に堕ちる(PHP、2008.12)の最後の文章はこうだ。なお、日本は戦後の国連に80番目に加盟した。
 「日本は今後『衰退の一途を辿る』。やがて世界で八〇番目の国に堕ちる」。田母神俊雄が「暗黒の時代」の到来を身をもって示した如く、田母神論文の主張の正しさを「日本は身をもって示すに違いない」(p.221)。
 ここで言及されている昨秋の田母神俊雄論文の最後の二文はこうだった。
 「私たちは輝かしい日本の歴史を取り戻さなければならない。歴史を抹殺された国家は衰退の一途を辿るのみである」(田母神俊雄・自らの身は顧みず(ワック、2008)所収p.228)。
 潮匡人が悲観的又は絶望的な一文で終えているコラム的文章を二つほどは読んだような気がするが、上の本の末尾でも、楽観的な部分は全くない。
 他の論者については別途触れることがあるかもしれない。
 ともあれ、このような鬱陶しい時代状況の下で<老後>に入っていくとは想像していなかった。個人的にもひどく鬱陶しい。

0301/黄文雄・日本人から奪われた国を愛する心(徳間文庫)をほんの少し読む。

 黄文雄の本はいくつか読んでいるが、すでに私の血肉の(正確には歴史認識等の)一部になっていることもあって、とり上げたことは、たぶんない。
 未読の黄文雄・日本人から奪われた国を愛する心(徳間書店、2006。初出2005)の文庫本を購入した。
 「はじめに」によると、日本人が愛国心を失った「最大の元凶」は日本国内の「平和運動や市民運動」にある。そして、かつての学生運動・共産主義運動のような反戦運動は冷戦崩壊以降鳴りを潜めたが、そうした勢力・思潮は消滅しておらず、「とくに、マスコミや教育界、法曹界などではこうした思想教育やプロパガンダが、形を変えて行われている」、と言う(p.3-4)。
 とくに珍しくもない指摘なのだが、そのとおりだろう、と思われる。共産主義思想の支持者が、あるいは日本共産党の支持者がたいして存在するとは思えないのだが、例えば日本共産党への投票者の数以上に、「革新」・「進歩」・「反日」・「媚中」・「反政府」・「反権力」等々の雰囲気はかなり蔓延している。
 日本共産党の潜在的影響力との一言では済まないだろう(だが、歴史的な形成過程ではマルクス主義の影響力は大きかったとは思われる)。別の何か、つまり共産主義(日本共産党)を支持しないが例えば安倍自民党をも強く嫌悪するという<思潮・雰囲気>が、根強く存在しているようだ。「平和運動や市民運動」となって表出してもいるこれの根源的な思考方法・思想・理念は何なのか、は大いに関心を惹くが、必ずしも適確な答えを目にしたことはないように思う。簡単に言ってしまえば、朝日新聞のような新聞が、なぜ今日も、一定の読者層をもち、一定の影響力をもっているのか、だ。
 ところで、黄文雄の上に引用の文は、「とくに、マスコミや教育界、法曹界など」と記している。おそらくは正鵠を射ていて、マスコミ・教育界・法曹界はある種の考え方・ムードを醸成する基礎分野?のようだ。
 出身学部でいうと、 「マスコミ」(とくに文章を書いている人びと)は文学部をはじめとする文科系学部、「教育界」は教育学部をはじめとする各科目関係学部で、文科系学部の比重はたぶん大きい。「法曹界」は法学部。とすると、法学部・文学部をはじめとする文科系学部出身者が<反戦平和運動>・<反戦平和の雰囲気>の中心にいることになる。
 黄文雄は上の本でこうも言う-日本の反戦平和運動は世界的に見ても「きわめて異質かつ「滑稽」の一言に尽きる」もので、特色の一つは「日本の思想、哲学、芸能、文学といったさまざまなジャンルにおける代表的な人びと―…代表する知識人―などを通じ、政治、文化に巨大な影響力を行使」してきたことだ。これは「戦後日本史を彩る一大風物詩であるとすらいってもよい」(p.6-7)。
 いわゆる<進歩的文化人>(大学所属者を含む)を想定すれば、かかる指摘もそのとおりだが、<進歩的文化人>なるものもまた、出身学部でいうと殆どが文科系学部だろう。
 とすると問題又は関心の一つは、文科系諸学部において学生たちを教授している教師たちはどういう人物で、どのようにして養成されているのか、ということだ。このあたりは、戦後日本史の隠れた重要テーマではないか。しかし、適切な参考文献はどうも見あたらない。

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  • 2102/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史11①。
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  • 2101/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史10。
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