秋月瑛二の「憂国」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

週刊朝日

1166/資料・史料ー橋下徹対週刊朝日・朝日新聞再燃?

 週刊朝日の最近号(4/02発売号?)の一記事が再び橋下徹を刺激したようだ。ほとんど「資料・史料」扱いだが、以下に関連橋下徹ツイ-トを全文引用しておく。
 橋下徹には大いに週刊朝日と、そしてとりわけ、背後にいる、昨秋には第三者委員会の見解を紹介しつつ、自らは「深刻に受け止めている」とだけ述べ、厳密には橋下徹に対する「詫び」・「謝罪」の言葉をひとことも語らず、「深刻に受け止め」今後はもっと巧妙に橋下徹を非難・攻撃しますと内心では思っているのではないかと勘ぐることすらできる朝日新聞社と対決し、これらを攻撃してもらいたい。
 ただ、主観的意図を疑問視はしないが、ツイッタ-での表現方法には十分に気をつけてもらいたい。大丈夫だろうとは思うが、校正・推敲しないままで書きなぐっているとみえる文章が思わぬ致命的な誤りや言葉使いを含んでしまう可能性がないとはいえないだろう。
 せっかくの人材・逸材なのだから、つまらないミスで退場しなければならなくなるようなツイッタ-文章にならないように、公人・政治家の橋下は(周囲に人物がいるとすればその人物も)十分に気をつけてほしいものだ。
 2013年04月05日夜ツイ-ト

 「しかし週刊朝日も頭が悪いと言うか常識がないと言うか。こいつらは自分たちがやったことの反省と言うものがないのかね。自分たちは重大な人権侵害をやったにもかかわらず、半年やそこらでもう忘れているようだ。」
 「週刊朝日が僕に対して重大な人権侵害をやったのはつい半年前。そのことで公人チェックを緩める必要はないが、せめてそのような大失態をやったなら、真正面からの政策批判かルール違反行為の追及で攻めて来いよ。それを、こんな人をバカにしたような記事を載せやがって。」
 「5年も知事と市長をやってたら飽きられるのも当然だし、だいたい視聴率とるために知事や市長になったわけではない。自分でやらなきゃならないと思ってやっていることを、メディアが報じているだけだ。飽きられても結構毛だらけ。行列やたかじんのNOマネーに出たことを週刊朝日はちゃかしている。」
 「俺が知事になって今があるのは、行列のおかげだし、たかじんさんのおかげでもある。たかじんさんが復帰したと言うことで番組に伺って何が悪い。週刊朝日な、いい加減にしろよ。重大な人権侵害雑誌よ。こっちも公人だから公人チェックまでは否定しない。それでもやり方ってあるだろ。」
 「重大な人権侵害雑誌の週刊朝日よ、真正面からの政策批判か、ルール違反を追及する記事で勝負しろよ。だいたいお前らの100%親会社の朝日新聞は、日本の過去の歴史についてとにかく謝り続けなさいと、素晴らしい徳性に基づいて主張しているじゃないか。子会社の週刊朝日は社訓になっていないのか?」
 「僕は報道の自由を尊重する。民主主義の根幹だからだ。公人チェックの重要性を承知している。一度人権侵害を受けたからと言って、週刊朝日の僕に対するチェックを否定するつもりはない。それでもやり方ってあるだろ。真正面から来いよ。」
 「だいたい週刊朝日は、僕に対する人権侵害記事で、その号の部数を大幅に伸ばして利益を増やした。重大な人権侵害行為で儲けているんだ。普通だったら贖罪寄付をするが、どうしたんだい、人権侵害週刊朝日よ。まさか従業員の給料に回したんじゃないだろうな。」
 「報道の自由、表現の自由が民主主義の根幹だからと思って黙っていたが、こういう人権侵害週刊誌は、性根が腐っている。黙っていたら調子に乗るばかりだ。公人になってから報道の自由は絶対的に尊重していたが、こりゃダメだ。人権侵害週刊誌の週刊朝日に対して法的手続きを執ります。」
 「今回の茶化し記事についてではないです。過去の人権侵害記事について、民事、刑事の法的手続きを執ります。ほんと週刊朝日もバカだよねえ。」

 2013年04月06日朝ツイ-ト

 「週刊朝日は何を考えているのかね。そしてあの人権侵害記事をどう考えているのか。呆れるばかりだ。週刊朝日から市役所に面会申し入れが来た。誰が会うかバカ。僕はそんな暇人じゃない。報道機関だからと言って調子に乗るな。民主国家のルールで週刊朝日のやったことがどういうことがはっきりさせてやる。」
 「週刊朝日が社長を更迭し、僕に謝罪に来たが、それで僕が呑み込んだと言うことがどういうことが、あのバカ集団は分かっていないらしい。普通なら、慰謝料請求が当たり前だろう。僕は呑み込んだつもりだ。しかし請求権を放棄したわけではない。事実上、黙っていただけ。」
 「週刊朝日も終わっているね。事態が全く分かっていない。週刊朝日がとりあえず反省の姿勢を示したので、公人と言う立場から黙った。週刊朝日は自分の立場が全く分かっていない。報道機関だからと言って特別な地位にあるとでも思っているのか?あれだけのことをやって全てがチャラになると思っているのか。」
 「普通は配慮するだろう。ただ、僕も公人。あのような人権侵害があったからと言って、公人に対する正当なチェックまで否定しようとは思わない。ところが、週刊朝日のバカは、おちょくった記事を書いてきた。社を挙げて、半月前に頭を下げてきたあの日の事をもう忘れたか
 「報道機関だからと言って調子に乗るんじゃない。俺に対する人権侵害の記事で、いつもは売れない週刊朝日が10万部も増刷になったとか聞いた。人権侵害で利益を得たなんて、不法団体そのものだ。こちらの心情も推し量らずに、報道機関と言うことで、特権意識を持ったのか。」
 「週刊朝日よ。お前らがそういう態度なら、こっちもとことん行ってやるぜ。」
 「週刊朝日よ。二度目の面会なんてあるか、バカ。久しぶりに弁護士魂が燃えてきた。余計な仕事を増やしやがって。司法の場で決着を付けようぜ。」
 「週刊朝日だけでなく100%親会社、人材も重なり合う朝日新聞も訴えます。法人格否認の法理でね。週刊朝日と朝日新聞は別だとご気楽なコメントを出していたコメンテーターに何が問題なのか教えてやる。さて弁護士の仕事も一つ増えた。週刊朝日、朝日新聞が人権侵害報道機関であることを明らかにする
 「ツイッター返信で誤解が多い。しょうもない記事を書かれるのは公人だから仕方がない。週刊朝日は、重大な人権侵害行為をやったんだからそこは意識しろってこと。真正面から批判してくるなら良いが、自分たちがやったことをもう忘れたのかってこと。報道機関と言えども一民間企業だ。」
 「こっちは慰謝料は一銭たりとも何も受け取ってない。やつらは人権侵害行為で売り上げ増、利益増収。これはやっぱり公正じゃない。きちんと慰謝料請求する。そして刑事告訴もする。普通なら、こんな記事くらいで目くじら立てない。週刊朝日は過去に重大な人権侵害行為をやった。それを忘れるな。」

1164/2012.11.09朝日新聞社報道と人権委員会見解-週刊朝日橋下徹記事。

 資料・史料
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 週刊朝日の橋下徹・大阪市長についての連載記事に関する、朝日新聞社・報道と人権委員会の見解
 2012年11月9日  朝日新聞社報道と人権委員会
 委員 長谷部恭男
 委員 藤田 博司
 委員 宮川 光治

 1.当委員会の調査の経緯と見解の要旨
  当委員会に対し委員藤田博司から,本年10月20日,週刊朝日10月26日号掲載の標記記事(以下「本件記事」という。)に関して,重大な人権侵害,及び朝日新聞出版記者行動基準に触れる行為があると判断されるので当委員会で取り上げることが相当であるとする問題提起があった。また,株式会社朝日新聞出版(以下「朝日新聞出版」という。)から,10月24日,今後の再発防止策等を検討するため記事の内容や作成過程,批判を招いた事態などについて見解を示すよう要請があった。当委員会は調査を開始した。まず,朝日新聞出版より企画段階から取材・報道,連載中止に至るまでの経緯について報告書の提出を受けた。次に,本件記事の取材・報道に関わった週刊朝日編集部(以下「編集部」という。)の河畠大四編集長(以下「編集長」という。),デスク,記者,雑誌部門の責任者である雑誌統括ら及び筆者であるノンフィクション作家・佐野眞一氏から聞き取りを行った。11月3日,委員会を開催し,朝日新聞出版から詳細な説明を受けたうえで,編集長,デスクらのほか佐野氏からもあらためて説明を聞いた。そして,以上の調査の結果を踏まえて審議し,以下の通り本見解をまとめたものである。

  (当委員会の見解の要旨)
  本件記事は,橋下徹・大阪市長(以下「橋下氏」という。)についての人物評伝を意図したものであり,10回から15回を予定した連載の第1回分であるが,見出しを含め,記事及び記事作成過程を通して橋下氏の出自を根拠にその人格を否定するという誤った考えを基調としている。人間の主体的尊厳性を見失っているというべきである。そして,部落差別を助長する表現が複数個所あり,差別されている人々をさらに苦しめるものとなっている。また,各所に橋下氏を直接侮辱する表現も見られる。さらに記事の主要部分が信憑性の疑わしい噂話で構成されており,事実の正確性に関しても問題がある。
  以上は,報道を通じて差別や偏見などの不当な人権抑圧と闘うことを使命の一つとし,正確で偏りのない報道に努めなければならない報道機関として,あってはならない過ちである。本件記事の作成及び掲載に携わった者たちは差別に対する認識及び人権への配慮を欠いていたというべきで,編集部におけるチェック体制が的確に機能していないという問題も存在している。
  また,企画段階からタイトルの決定,表紙の作成,情報収集,原稿チェック,おわびの掲載まで編集部が主体になり,佐野氏は編集部の意向を受けて取材・執筆活動をしており,問題の責任は全面的に編集部側にある。ただし,佐野氏も人権や差別に対する配慮の足りない点があったと思われる。
  以下,企画から掲載後の対応に至る経緯を検討し,そこにおける問題点を指摘する。

  2.企画段階での問題
  この連載企画は,本年春頃,編集部において,編集長の提案により将来の首相候補とも言われる橋下氏の人物評伝として検討され,編集部の「目玉企画」として部数増対策の一環にも位置づけられた。編集長は外部の作家に執筆を依頼した方がよりインパクトの強い記事ができると考え,ノンフィクション作家として多くの実績があり孫正義ソフトバンク社長の評伝『あんぽん』を上梓した佐野氏が適任であると判断し,同氏と親交があるデスクに本企画を担当させた。担当デスクは,『あんぽん』と同様の手法で,橋下氏の人物を描くことはもちろんのこと,家族の視点で日本の社会史を描くというスケールの大きい作品をイメージした。
  デスクは佐野氏と話し合い,企画の狙いとして概ね次の3点を説明し,単なる人物評伝にとどまらず,各視点を総合した作品とすることに関して佐野氏の同意を得た。①橋下氏を知る多くの人たちの証言を得て橋下氏の人物像に迫り,それが彼の政治姿勢や政治思想とどう関わるのかを探る。②橋下氏の巧みなマスコミ操作を検証し,他方,メディアに今何が起きているのかを考える。③ツイッターを多用する橋下氏の手法を通じて,政治とネット社会を探る。担当デスクは,①との関連で,橋下氏の政治信条や人格に出自が投影しているであろうとの見方に立ち,出自について書くべきだと考えていた。それが差別を助長することにならないかという点に関しては,橋下氏は公人中の公人であり,知る権利,表現の自由からもその名誉及びプライバシーは制限されること,その人物の全体像を描くこととの関連で取材の対象に家系を構成する人々を入れることは必然であることから,表現することは可能であると考えた。
  6月末頃から,記者2人が取材活動を開始した。9月半ばまでに,橋下氏の親戚,各地の知人,維新の会議員,関西政界関係者,部落解放同盟関係者,郷土史家ら,60人近い人々に取材した。9月中旬には数日,佐野氏も取材に出向いた。9月20日頃,デスクは佐野氏から構想について書かれたペーパーを受領し,説明を受けた。2回目までは父親の話,3回目,4回目は母親の話,5回目以降は橋下氏の中学・高校時代,弁護士時代,知事時代,市長時代と続き,各回においてマスコミ論やツイッター社会論に触れるという構想であった。10月初め,10月16日発売の10月26日号から連載を開始することが決定した。
  以上の経緯によれば,本企画は,多様な視点を含みつつも,差別や偏見を助長する危険の伴う極めてセンシティブな内容であったことが認められる。したがって,本企画については,その狙いの当否,各視点の相互関係,手法,表現のあり方等について,社内において慎重に議論すべきであった。しかし,これらを検討する資料となる企画書はなく,レジュメもコンテもない。佐野氏が示した連載展開の概要像も編集部で検討した事実はない。本件は,企画の段階において,慎重な検討作業を欠いていたというべきである。

  3.タイトルの決定及び本件記事の問題
  9月23日頃,担当デスクと佐野氏が打ち合わせる中で,デスクは孫正義氏に関する評伝が,孫氏の通名であった「安本」からとった「あんぽん」というタイトルであることにも影響され,また,すでに週刊朝日(8月17日,24日合併号)で,橋下氏の父が「ハシシタ」姓を「ハシモト」に変えたと報じていたこともあり,連載のタイトルをもともとの呼び名である「ハシシタ」とすることを思いつき,佐野氏に提案した。佐野氏はこれを了承した。
  氏名はその人の人格を表象するものであり,氏名権は人格権の一つとされている。一般に,氏名と異なる呼称をことさらに用いることは,人格権を侵害することにもなりかねない。本件では 
,「ハシシタ」とことさら呼称することに,読者は橋下氏に対する侮蔑感情を読み取ると思われる。また,「奴の本性」というサブタイトルの「奴」「本性」という言葉にも橋下氏への敵対意識,侮蔑意識を窺うことができる。それらが大きなタイトル文字として表紙を飾っていることが,一層,敵対・侮蔑の度合いを強めている。なお,表紙の作成には佐野氏は関与していない。
  表紙の「DNAをさかのぼり 本性をあぶり出す」といった表現を含め,本件記事全体の論調から,いわゆる出自が橋下氏の人柄,思想信条を形成しているとの見方を明瞭に示している。人物像を描く際に,出自をたどる取材をすることはあり得る。しかし,極めて慎重に報道することが求められる。出自が人格と何らかの関連を有することがあり得るとしても,それは人格を形成する非常に多くの要因の一つにすぎないのであって,決定的要因とはなり得ないものである。出自と人格を強く関連づける考えは,人間の主体的な尊厳性を見失っており,人間理解として誤っているばかりか,危険な考えでもある。なお,家系図を掲載しているが,こうした流れに照らすと橋下氏が家系(血筋)に規定されているという前提での参考図と位置づけられているとも理解でき,極めて問題である。
  本件記事の主要部分は,「大阪維新の会」の旗揚げパーティーに出席していた正体不明の出席者と,縁戚にあたるという人物へのインタビューで構成されている。彼らの発言内容は,橋下氏の親族に関する話であり,橋下氏の出自につながる部分であるが,噂話の域を出ていない。前者は発言自体から信憑性がないことが明白である。後者はその信憑性を判断する手がかりが読者にはまったく提供されていない。人権に関わる伝聞事実については裏付け取材をすることが基本であるが,本件記事ではそうした裏付け取材がなされていることを読み取ることができない。
  本件記事には被差別部落の地区を特定する表現がある。朝日新聞出版記者行動基準には「報道を通じて,民族,性別,信条,社会的立場による差別や偏見などの人権侵害をなくすために努力する。」とあるほか,報道の取り決めにも「人権を守る報道」に関する基本的な考えが示されている。また,取り決めには,具体的に「被差別部落の場所が特定されないよう十分配慮する。」と明記されてもいる。本件記事は,これらに明白に違反している。

  4.記事チェック段階での問題
  10月9日夕刻,本件記事の原稿が佐野氏から担当デスクの手元に届いた。デスクと2人の担当記者は読んだが,編集長の手元に原稿が届いたのは12日昼頃であった。遅れた理由について,デスクは「原稿には秘匿すべき情報提供者らの名前が入っており,そのままでは渡せなかった」と言っている。しかし,編集長は当然すべての情報源を知るべき立場にあり,編集部の責任者にデスクが情報源を伝えないという考えは誤りである。
  原稿を読んだ編集長は,部落差別に関連する文章上の問題点をデスクにいくつか指摘し,同時に,雑誌統括に当該原稿をメールで転送した。折り返し雑誌統括は「こんなことを書いていいと思っているのか。掲載できると思っているのか」と編集長と電話で激しくやり合った。雑誌統括からの依頼で原稿を読んだ他部門の社員からも,原稿には多数の問題があるという指摘があった。12日夕刻にも雑誌統括の依頼で原稿を読んだ雑誌編集の経験が長い社員は,「出自が悪い者はろくなやつがいないという考えそのものが誤りだ。完全な差別表現であり,これはダメだ。」という意見を述べている。雑誌統括はこうした意見を編集長に伝え,編集長は,デスクに佐野氏と交渉して直しを検討するよう求めた。佐野氏は当日,テレビのゲストコメンテーターとしての仕事があり,検討が遅れたが,締め切り日である13日夕刻,数点の修正を行った。雑誌統括は,さらに被差別部落の地区の特定その他の削除を強く求めたが訂正されなかった。最後は,編集長が「これは佐野さんの原稿です。これで行かせてください」と押し切った。表紙が12日に校了しており,この段階では掲載中止は困難であった。掲載するか雑誌自体の発行を停止するかという選択であったが,発行停止が検討された形跡は見られない。 
 こうして16日発売に至った。
 編集部内ではこれまで,このようなセンシティブな問題に関する記事掲載の際には,顧問弁護士に助言を求めるリーガルチェックを行うことがあった。しかし,締め切り間際に表現の手直しに追われたため,今回はリーガルチェックを受けることもなく,最後は「時間切れ」の状況で,掲載に至っている。出自が人格を規定しているという誤った考え方を基調とし,主要部分を信憑性が乏しいインタビューで構成していることが問題なのであって,表現の手直しでは解消できる問題ではなかった。編集部としては,その点にいち早く気づき,本件記事の掲載を止めるべきであった。佐野氏から本件記事の原稿が編集部に届いたのは9日夕刻であり,デスクが原稿を直ちに編集長に示していれば,編集長は社内の意見を聞くとともにリーガルチェックを受けることが可能であった。
 なお,社内では差別的表現や侮蔑的表現に関し多くの点が指摘されている。編集部はデスクを通じて佐野氏にすべて伝えたとしているが,佐野氏は「指摘があったところで飲めないところはなかった」といい,言い分が食い違っている。社内の指摘が担当デスクを通じて佐野氏に的確に伝えられていたかどうか疑問である。また,編集部は筆者のオリジナリティーを大切にしたいという思いがあったとしているが,そのような範疇の表現ではなく,事柄の重大性に対する認識が欠けていたといわなければならない。
 本件記事と同内容に近い記事が既に他の月刊誌・週刊誌等に複数掲載されている。編集部や記事をチェックした者たちは,それらについては橋下氏からの特段の抗議はなく,社会問題ともなっていないと即断し,こうしたことから本件記事も許されるものと考えたとしている。しかしながら,仮にそうだとしても,人権侵害を拡散し,再生産した責任を免れることはできない。

 5.掲載後の対応の問題
 掲載後の対応にも問題があった。橋下氏が記者会見をした10月18日前日の17日夜に朝日新聞出版が発表した「今回の記事は,公人である橋下徹氏の人物像を描くのが目的です。」などとするコメントは,発行から2日経っていながら,本件記事の正当化とも受け取れるものである。また,18日夜に発表したおわびコメントや,週刊朝日11月2日号に掲載した編集長名での「おわびします」でも,タイトルや複数の不適切な記述に関するおわびにとどまっていた。この段階においても,問題の本質に気づいていなかった
  連載中止については,佐野氏は「1回目だけを読んで判断すべきではない。中止は言論機関の自殺行為だ」としている。また,この問題に関する新聞等の報道では,中止は読者の期待を裏切り,知る権利を損なうことを意味すると指摘する識者もいた。しかし,連載を続けるためには,この問題についての検証,編集態勢の見直し,企画の狙いや記事執筆の基本的な考え方などの再検討,タイトルの変更などが必要だった。さらに,2回目以降も橋下氏の親族を取り上げることが予定されており,過ちを繰り返さないためには一層の慎重さが求められた。以上の点を考えると,継続は困難であり,連載中止はやむを得なかった。

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 <出所-朝日新聞出版ウェプサイト。太字化・下線は掲載者>

1163/日本の中にいる「反日」・「左翼」団体・個人をこそ徹底的に批判すべき。

 一 産経新聞や月刊正論(産経)等々の(少なくとも自称)保守派(的な)メディア・雑誌類が、月刊WiLL(ワック)も含めて、中国や韓国(・北朝鮮)に対する、警戒的または批判的な論調でいたり、そのような特集を組むことに反対はしないが(但し、中国と韓国は同じではない。後者については歴史認識や竹島問題にほぼ限られるだろう)、たび重なる類似の特集類の中には、少なくとも私には、もう読むまでもない、またかと思わせるものも少なくない。
 両国に共通するところもある歴史認識等の問題についての正確な情報・見解を発信し続けていくことも重要だが、第三の(または北朝鮮を含めると第四の)「反日」国家とも言われているのは日本そのものであり、日本の中にいる(ある)「反日」勢力・「反日」マスメディア、「反日」人士の言動を読者ができるだけ正確に把握できるできるように報道し、また執拗にと言ってもよいほどに的確かつ迅速に批判または反論していくこともまた(少なくとも自称)保守派(的な)メディア・雑誌類の重要な役割だろう。少なくとも、広い意味での(例えば現憲法九条2項削除・軍の保持の明記に賛成するような)「保守」派の中に分裂・対立を持ち込むような、あるいはそのような対立を過大に重視して、主観的には「真の」保守派であるつもりで「真正保守」ではないと見なす論者・政治家等を批判・攻撃することに情熱を傾注するような編集方針は、<広く>保守派(例えば憲法改正賛成派)を結集させたいならば、採用すべきではないだう。

 二 月刊WiLL2月号(ワック)には、重要なまたは興味を惹く論考類が含まれているが、上のような観点からすると、西村幸祐の新連載らしい「メディア・スクランブル」の中の次の二つの指摘は、あえてここにも記しておきたい。これによると、次のようだ(p.29)。

 ①東京新聞は、「十月に実施した憲法九条の世論調査で、改憲派が護憲派を一〇%以上、上回っていたことをできるだけ隠していた」。韓国・朝鮮日報の「慌てふため」いた報道によって多くの日本人が自国の有力紙の世論調査結果を知った。

 ②テレビ朝日が番組「モニングバ-ド」で、「安倍総裁の経済政策を批判するように経済学者に強要していた」。これを当の学者飯田泰之がBSフジの生放送の連携動画で明らかにした。

 これらをいずれも私は(読むまで)知らなかった。東京新聞(親会社の中日新聞)やテレビ朝日の、たんに政治的立場の違いにすぎないとは言えない<偏向ぶり>、マスコミとしての<異常さ>を、できるだけ多くの国民が(ますます)気づいていくようにしなければいけない。

 そして、別の機会に(も)書きたいが、朝日新聞も含めて、そんな媒体に広告を出していれば、その企業自体が「まっとうな」企業ではないという印象を読者・視聴者に与えるに至るまでに、同業?か同業に近い報道機関・マスメディアであっても、まっとうな人々やマスコミ・雑誌等は(産経新聞社も含めて)、勇気をもって<偏向ぶり>や<異常さ>を指弾し続けるべきだ。
 前後するが、同じことは指弾されるべき者が評論家・学者という「個人」であっても言える。日本人らしい、または日本的でもあるのだろうか、個人名を出しての(とくに現役の者に対する)批判は遠慮しがちなのが、日本の論者、評論家等の傾向ではないだろうか。主張・見解に対する批判と人物・人格全体の批判・攻撃とは同じではないはずなのだが。

 三 撃論プラス第4号(オ-クラ出版、2013)の中には、大室久志「朝日新聞の偏向報道を暴く/紙面徹底検証!朝日が殺そうとした安倍晋三」もある(p.52-)。
 新しい、最近についての有益な具体的な指摘はじつはあまりないのだが、一般論として、「仮に、朝日新聞の意向に従わない政権が存在した場合、あらゆる手段を用いてその政権を潰そうとするのが朝日新聞なのだ。全く事実に基づかない印象操作、誹謗中傷、有識者を騙る似非知識人によるプロパガンダ、『声』欄を利用した読者投稿による印象操作…」(p.56)、ということは、広く国民多数の「常識」にしなければならない。そして、そのような卑劣な新聞は広告出稿企業を失い、読者も失う(経営的・財政的に朝日新聞的メディアを消失させる)ようにしなければならないだろう。「朝日新聞とは、報道機関ではない。政治結社なのである」(p.63)。

 同誌の小川榮太郎「すでに始まっている安倍バッシング」(p.81-)の方が、昨秋以降の<安倍たたき>のマスコミの実際についてはるかに具体的で詳しい。つぎに触れる無署名「…報道分析」の方が詳細だが、フジテレビ系の小倉智弘の安倍からかい発言と安倍による批判と小倉の謝罪についても触れている(こういうのは、よほど熱心な視聴者でないと知らないままだろう)。また、とくに、週刊朝日10/16号の経済関係記事の(安倍を批判したいがための)杜撰さの指摘は長くて具体的だ。

 同誌編集部によるのか、無署名の「2012年度/テレビメディアの報道分析」(p.87-)には、「偏向」発言者等の具体的氏名が記載されている。以下、これに依拠して列挙しておく。

 まず、TBS系番組の中での、みのもんた、金井辰樹、北川正恭、テレビ朝日系番組の中での、愛川欽也、川村晃司、早野透(元朝日新聞)、前北美弥子、テレビ朝日番組等の中での、青木理。
 また、「異様なまでに安倍氏に対して『敵視政策』を続けるTBSは今も健在である」、らしい。先に少し言及したフジテレビ系番組内での小倉智弘、田中雅子。見ていないが、安倍晋三は橋下徹と同様に?、自身の「フェイスブック」10/23付で「痛烈に批判した」らしい。

 日本テレビ番組の中での、テリ-伊藤、加藤浩次。テレビ朝日系ケ-ブル局番組の中での、辛淑玉、永六輔、中山千夏、石坂啓、福島瑞穂(この5名は堂々たる「左翼」だ)。TBSラジオの中での、永六輔、外山恵理、久米宏、大橋巨泉、田中均、青木理、宮台真司。NHK深夜双方向番組の、津田大介、速見健朗、古市憲寿。この古市は、上野千鶴子の「教え子」らしい(p.96)。

 四 朝日新聞の、今年になってからの安倍晋三関係社説の「異様さ」、そもそも民間テレビ放送局は「報道機関」といえるような存在では本質的になく、戦後日本を腐らせた元凶とすらいえること(まさに大宅壮一の言葉どおり、「一億総白痴化」をもたらす最大の道具になったこと)、同じことだが民間テレビ放送局の番組制作関係者が「ジャ-ナリスト」であるなどとは大笑いの戯言であること、佐伯啓思の乱調ぶり、等々、書きたいことは他にも多いが、時間の余裕がないのは残念だ。

1157/週刊朝日12/21号、森田実-日本での「右派」性は欧州では<あたりまえ>のこと。

 〇週刊朝日12/21号の表紙は「原発再稼働派 悪夢の430議席」と大きく謳っている。中身を読むと「原発再稼働派」とは少なくとも「民自公維」の四党を指しているらしい。
 記事中の森田実の予測では4党合計で419、田崎史郎のそれでは436なので、これらから「430」と記者(そして編集長)は表現したようだ。
 細かくいえば国民新党や新党改革も単純な「反・脱原発」派ではないと思うが、それは別として、興味深いのは週刊朝日がこの430議席/480を、「悪夢」と表現していることだ。
 すなわち、週刊朝日は「原発再稼働派」ではない、日本未来の党、社民党、共産党(、ついでに新党日本=田中某)らと同じ立場(・立ち位置)にいることを自ら明瞭にしているわけだ。
 前回に書いたばかりだが、日本未来の党、社民党、共産党らは「左翼」政党と称してよく、これらと同じ立場に立つのも、朝日新聞社系の週刊誌ならば、不思議でも何でもない。朝日新聞グループの「左翼」性をあらためて確認することになる
だけだ。
 その「左翼」性からすれば、自民党単独過半数獲得等の予想は、まさに「悪夢」に違いない。朝日新聞本紙も週刊朝日も最近は何やら精彩を欠くよう見えるのは、民主党による「歴史的」政権交代に喝采を浴びせたことを少しは気恥ずかしく感じているからだろうか。それならばよいが。一時的に温和しくしているだけの可能性が高い。
 〇森田実は一部の自民党候補の推薦者に名を連ねているが、そのことと矛盾するかのような次のような発言を、上記週刊朝日に載せている。
 「参院選で維新が飛躍すれば、公明を外した『自維連立』も考えられる。そうしたら極右政権の誕生で、一気に『戦争ができる国』へかじを切ることになる」(p.32)。
 一部の自民党候補の選挙公報上の推薦者になっておいて、上のような、「極右…」とか「戦争ができる…」とかの表現はひどいだろう。
 ひょっとすれば、週刊朝日の記者または編集長・小境郁也が元の森田の言葉を修正・改竄したのかもしれない。それくらいのことを、朝日グループの記者たちはするだろうし、これまでもしてきた。
 そうでないとすれば、元日本共産党員だった森田の「地」の気分が思わず出たことになるのかもしれない。どちらでもよい、些細な問題だが。
 〇森田実の発言の正確さはともかく、自民党(とくに安倍晋三)や維新の会(とくに石原慎太郎)の主張について「右派」、「右翼」、「右傾化」といった批判をしばしば目にする。
 だが、きちんと指摘しておきたいことだが、①国家が国家・国民の防衛のための軍隊(国防軍・自衛軍)をもつこと、②「集団自衛権」をもち、かつ行使することは、NATOに加盟している諸国、つまりドイツも社会党出身大統領のフランスも、あるいはチェコ等々でも当たり前のことであり、当たり前の現実であって、<ごくふつう>のことなのであり、欧州的意味での「左翼」政権の国でも変わりはない、ということだ。
 上の二点の主張をもって「右派」、「右翼」、「右傾化」というならば、NATOに加盟している諸国はすべて「右派」、「右翼」であり「右傾化」していると叙述しなければならない。朝日新聞は、そのような書きぶりをしないと論旨一貫していないことになる。
 つまりは、上の二点のような主張をし、憲法改正や憲法解釈変更を唱えることをもって「右派」、「右翼」、「右傾化」と評する一群の者たちがなお存在するというのは、じつに日本に特殊・特有の、異様な現象なのだ。このことに気づかない、1947年時点での思考状態のままで停止したままの政党や人々を、できるだけ早く消滅させ、またはできるだけ少なくする必要がある。日本が生き延びるためには。

1144/資料・史料-2012年10月18日12時50分・橋下徹による朝日新聞/週刊朝日批判。

 橋下徹の2012年10月18日の対朝日新聞ツイート(12時50分)

 「朝日新聞社グループの考えを聞くまでは記者の質問を受けないについて」 退庁時は最後の部分です。本日、14時からの定例会見でメディアサイドと議論をします。
  僕は報道の自由を最大限尊重してきたつもりだ。民主国家においては報道の自由こそが権力チェックになるからだ。僕自身も永く政治家をやるつもりはない。
 普通の住民に戻った時に、報道機関が権力チェックをしなければ、それは恐ろしい国になる。報道で腹立つことは山ほどあったけど、それにも会見時やツイッターで反論してきた。
 当たり前だけど、行政の権力を使って報道機関に何かしたことなど一度もない。言論には言論で、を徹底してきたつもりだ。毎朝夕と週に一度の定例会見。時間の許す限り質問には答える方針でやってきた。それは報道機関こそが民主国家を支える骨だと思ってきたからだ。
 しかし今回の週刊朝日の記事だけは、どうしても納得ができない。週刊朝日は、朝日新聞の100%子会社なので、朝日新聞にもその考えを聞かなければ、納得できない。
 週刊朝日の記事は、僕のルーツを探るらしい。この著者は「政策論争をするつもりはない。橋下の敵を許さない人格を暴くために徹底的に両親や祖父母、先祖、親族の出自を暴いて、橋下のDNAを明らかにする」との趣旨で連載を始めると言い切った。
 この著者が、毎朝夕、記者会見に姿を現したことはない。僕が知事時代にやったこと市長としてやっていることへの取材は全くやならい、そんなことには全く興味がないようだ。著者は、僕のやっていることが全て気に入らないらしい。それも有権者がどう感じるかは自由だ。
 政策については一切取材せず、府庁時代のこと、今の市長時の態度振る舞い、こういうことには全く無関心で、ただただ僕の出自、先祖、親族を徹底的に調べる。「橋下のDNA」を明らかにするという一点のみで。僕は、生まれてから今に至るまでを丸裸にされるのは仕方がないと思っている。
 それが権力チェックだ。どのように育てられ、育ちどのような人格形成になったのか、分析・評論されても当然だろう。友人関係などへの取材で全て明らかにされても仕方がない。まあ真面目にやってきたわけではないから、それも含めて有権者に判断してもらわなければならない。
 また死者の名誉権侵害は、虚偽の事実の適示でなければ法的には成立しないことも承知している。だから死者となった僕の先祖について一定の報道があっても法的には已むを得ない。
 ただ、今回の週刊朝日は、死んだじいさんや、死んだ実父の知人と言われる人に取材して、その人がしゃべったことをそのまま載せているだけ。完全なる客観的証拠と言うよりも、知人がしゃべっていることをそのまま事実として報じている。それが信用に値するかどうかの裏付け検証はまったくない。
 じいさんや、実父の知人と言う人が、じいさんや実父とどういう関係にあったのか、信頼に値する人物か、客観的事実に符合するのか、そういう検証は全くなく、しかも80歳ほどの人がしゃべったことをそのまま記載しているらしい。何が事実で何が事実でないのか、僕ですら分からない。
 そして朝日新聞に一番問いたいのは、朝日新聞は血脈主義、身分制度を前提にするのかどうかということ。これは優生思想、民族浄化思想にもつながる極めて危険な思想だ。僕の権力チェックは良い。それだったら政策論争か、僕が生まれてから今に至るまでを丸裸にすべきだ。
 僕は実父に育てられた記憶はない。それでもなお、実父の生き様が、僕の人格に影響しているという今回の週刊朝日の連載目的を肯定するなら、それはまさに血脈主義そのものである。僕が母親にどう育てられ、育ち、友人関係がどうだったのか。こちらが僕の人格形成の主因ではないのか。
 育てられた記憶もない実父、実父の親族の非嫡出子で、僕は2度ほどしか会ったことのない遠戚者の生き様。これから報道されるであろうじいさんなどの生き様。こういうものが全て著者の気に食わない僕の人格に影響して、それを明らかにしなければならないというのは、権力チェックの一線を越えている。
 朝日新聞の思想そのものの問題だ。個人を重視せず、血脈を重視する。政策論はどうでもよく、血脈を暴くことだけを目的とする。こういう報道が必要と言うなら、朝日新聞は堂々と社会にその考えを示すべきだ。
 血脈主義は身分制度の根幹であり、悪い血脈というものを肯定するなら、優生思想、民族浄化思想にも繋がる極めて危険な思想だと僕は考えるが、朝日新聞はどうなのか。アメリカでの人種差別、ヨーロッパにおけるナチス思想に匹敵するくらいの危険な思想だと僕は考える。
 僕がどう論じられようがある意味仕方がないが、しかしこの血脈主義を肯定すると、僕だけの問題ではない。僕の子どもや孫までの否定につながる。僕は公人だが、人間でもある。公人として制約されることはあるにせよ、それでも権利が全くないわけではない。
 今回の週刊朝日は、「政策論争は全くしない。橋下の人格を暴くために、橋下の血脈を徹底的に暴く」とする。この血脈思想を朝日新聞は肯定するのかどうか、ここを聞きたい。人は先祖によって全てが決まる。先祖の生き様が子孫の存在そのものを規定する。当該個人の努力、生き様など全く無意味。
 週刊朝日はこのような思想を肯定した上での連載である。その完全親会社である朝日新聞もそのような思想を肯定しているのか。そこが明らかにならなければ、民主国家にとって重要な言論機関として対応するわけにはいかない。ただ報道の自由を侵害するつもりはない。
 取材会見場に来てもらうのは一向に構わない。またこれは僕個人の問題なので、大阪市役所や日本維新の会の他のメンバーまだ取材に応じないというわけではない。僕が朝日新聞社の質問には答えないというだけ。他社とのやり取りを取材してもらえればいい。
 こういうときにバカな学者がバカコメントを一斉に出している。経歴は報道の範囲だと。だから僕は、生まれてから今に至るまでは丸裸にされても良いと言っている。死者に関する事実も報道の範囲だ。僕が問題視しているのは、政策論争や僕の生き様ではなく、実父や先祖、遠戚の生き様を暴く目的だ。
 それが民主国家を支える権力チェックの範囲内なのかどうか。身分制度や優生思想につながる血脈主義という思想を堂々と肯定するのか。刑法理論でも日本では否定されている。また部落差別思想を堂々と認めるのかどうか。朝日新聞こそ言論機関としてきっちりと国民に説明すべきだ。
 週刊朝日は部落差別を堂々と展開している。僕個人は良い。しかしこれは日本では認められていないのではないか?部落解放運動に問題があったのは事実だ。それはそれで批判をすれば良い。しかし部落差別自体を肯定するのか。
 もしこれが僕でなかったら、この部落差別報道は問題になる。公人ならそれを甘受しろと言うのか。朝日新聞社に問いたい。
 週刊朝日は「橋下の公人としての人物像を描く目的」と説明。それは結構だ。それなら僕が生まれてから今に至るまでを徹底して取材し、公にして欲しい。きれいまっとうな人生じゃないかもしれないが、それでも後ろ指を差されるものではないと自信を持っている。しかし週刊朝日はその気はない。
 週刊朝日は、僕の人物像を描くとしながら、僕の実父や祖父母、母親、遠戚のルーツを徹底的に暴くとしている。血脈を暴くことが人物像につながるという危険な血脈思想だ。そして僕の人格を否定することを目的として血脈を暴くと言うことは、これは僕の子どもや孫の人格否定にもなる。
 要するに、週刊朝日は僕の人物像を描くとしながら、僕の血脈を否定しようとしている。これは権力チェックの一線を越えている。そして週刊朝日は朝日新聞の100%子会社。朝日新聞は無関係とは言えないし、こんなことを許したら、子会社を作っていくらでもやりたい放題できる。
 今回は僕個人への批判ではない。僕の血脈、先祖や子や孫への批判、否定でもある。そして、育ててもらった記憶もない実父方がいわゆる被差別部落地域で生活してたという事実の開示。これは人物像を描くものでも何でもない。だいたいこの地域がいわゆる被差別部落地域であるということを公にして良いのか。
 週刊朝日の記事は、僕を人格異常者だと断定し、それを明らかにするために血脈を徹底調査すると言う。すなわち僕の血脈が僕の人格異常の原因だと。そうであれば、それは子や孫も人格異常だと断言していることになる。これは許せないし、今の日本社会では認められない思想だと思う。
 週刊朝日や朝日新聞は、公人の人物像を描くと言うなら、真正面からしっかりと描くべきだ。僕が生まれてから今までどのような人生を歩んだのか、丸裸にすべきだ。産経新聞が以前やったように。血脈を暴くことと、人物像を描くことは全く異なる。
 14時からの記者会見で朝日新聞に考えを問います。大阪市ホームページで公開します。朝日新聞は、子会社がやったことなので自分たちには関係ないと主張するようです。
 僕は報道の自由を侵害するつもりはない。朝日が取材の場所や会見場に来ることは拒まないし、市役所はもちろん日本維新の会の他のメンバーはこれまで通りだ。ただ僕が朝日の記者の質問に答える「法的」義務はない。答えなくてもそれは説明不足と有権者にとられるかどうかの政治的責任の問題。
 僕は他社の質問には答えていくが、血脈主義、部落差別思想を全面的に肯定する朝日新聞を相手にするつもりはない。この対応については有権者の判断に委ねます。また天皇制は血統主義を認める憲法上の制度であり、個人の血脈を否定するものではないので、僕は天皇制を否定しているわけではありません。
 繰り返しますが僕は厳しくチェックを受けるのは当たり前。人物像を描かれるのも当然。しかし今回の週刊朝日のDNA論を肯定したらとんでもないことになる。親が犯罪を犯した子ども、親が何かしでかした子ども全てを否定し、差別し、親の出自や生き様を調査することを認めることに繋がる。
 ひいては人種差別、民族浄化論そのものにもなる。人種差別やナチス肯定論はアメリカでもヨーロッパでも公言することは禁止されている。人が心の中でどう思うかまでは制約できないが、少なくても公言することは禁止されている。一線を越えた言論は民主国家でも許されない。
  <出所-ツイッターサイト「BLOGOS」>
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 週刊朝日の記事を読まないままでの、ごく僅かなコメント
 1.共産主義者そして確信的「左翼」は、<(自分たちが正当と考える)目的のためならば何でもする(または書く)>。虚偽も記すし、人権も侵害する。場合によっては人を死に至らしめても、良心の呵責、内心の葛藤を覚えない。
 朝日新聞週刊朝日については、例えば2007年参議院選前の、安倍晋三内閣に打撃を与えるための「謀略」報道にも見られた。他にもある。
 2 取材等に協力したとされている二人のうちの一人、今西憲之は、文化人類学者・今西錦司の子か孫(たぶん孫)。けっこうな「血筋」のようだが、週刊朝日にとくに「飼われ」つつ、祖父の名を辱め、人権侵害的な取材や記事執筆をしてきている。

1040/朝日新聞・「政治活動家」集団について久しぶりに。

 〇朝日新聞社の存在を意識すると、この国に住みたくなくなる気分が生じるほどだ。
 こんな社の作る新聞が700万部も発行され、2000万人程度には読まれ、評論家類は必ず目を通し、マスコミ関係者も参照してテレビでもワイドショー類を通じて拡散されていく。恐ろしい現実だ。
 その「左翼・売国」ぶりは相変わらずで、「野田佳彦財務相が、靖国神社に合祀されているA級戦犯について、戦争犯罪人ではないとの見解を示した」ことについて、8/18付朝日新聞社説はさっそくいちゃもんをつけている。そして、「首相になれば過去の歴史を背負い、日本国を代表して発言しなければならない。行動を慎み、言葉を選ぶのが当然だ」などと説教を垂れている。さすがに、「歴史認識」問題に関して、中国・韓国(政府・マスコミ)に対して「ご注進」してきた新聞社だ。
 〇3.11あるいは6.02以降、「政治」的話題に事欠かなかった。
 震災対応への不手際や内閣不信任頓挫等の事象・事件は、自民党(中心)内閣下のものであれば、朝日新聞はもっと大きくとり上げて騒いでいただろう。大震災への「政治」の誤った作為・不作為を問う姿勢に乏しく(むしろ原子力政策を推進したのは自民党内閣だったという自民党への批判が記事作りにも感じられた)、政府にむしろ暖かかったのではないか(他紙に比べて)。
 また、民主党出身議長による菅直人首相への辞職要求発言は客観的には大きな話題とされてよいとてつもない「事件」の筈なのだが、朝日新聞は大きくとり上げた気配がない(他紙も問題の大きさのわりには、話題を大きくしなかった。菅直人の不人気ぶりが極まっていたので、それに埋没した感もある)。
 震災への対応、不信任頓挫事件、参院議長発言等々、これが自民党(中心)内閣下のものであったなら、朝日新聞はまったく異なる報道ぶり・紙面づくりをしていたと思われる。なぜなら、この新聞社は「政治活動家」団体であり、自民党内閣打倒のためならば、いかなる誇張もデマ宣伝まがいのことも平気でしてきた新聞社だからだ。
 〇安倍晋三内閣のもとでの2007年参議院選挙の前後の朝日新聞や「週刊朝日」の報道ぶり・誌面や記事作りは、産経新聞が「何たる選挙戦」との連載記事に含めたほどのヒドい、悪辣なものだった。
 と思いつつ最近の「週刊朝日」の表紙のタイトルを見ていると、面白いことに気づく。3/11以降、一号(6/17号)だけを除き、08/19号の「菅直人が3.11以後のすべてを語る」まで、すべて「政治」性を直接には感じさせないテーマ・タイトルが選ばれている。以下のとおり。
 110812 プロ13人が注目する31銘柄
 110805 あの店の肉は大丈夫?
 110729 社長の年収
 110722 食品から解毒法まで・放射能の疑問に答える
 110715 忍び寄る放射能から家族を守れ!
 110708 放射能・震災からペットを守る!
 110701 食べてはいけない!夏の食材・見分け方
 110624 あなたの街の放射能汚染
 110617 今度の総理はだ~あれ?
 110610 放射能汚染・食べてはいけない見分け方
 110603 放射能から身を守れ!
 110527 浜岡原発停止はフクシマの「罪滅ぼし」
 110520 ビンラディン射殺作戦の全貌
 110506・13 東電が公表しない放射線量データ
 110429 響け!負けないで
 110422 復興への祈り(両陛下)
 110415 福島原発のデス・ロード
 110408 東北振興で始まるニッポン復活のへの道
 110401 日本は必ず復興する!
 110325 東北関東大震災・奇跡の生還
 110318 元「暴」系タニマチが豪語・前原は総理になる<震災以前の発行と思われる>
 2007年の安倍晋三内閣時代との違いは大きい。
 本来は「政治」が好みの朝日新聞が、上のごとく「政治」的話題をできるだけ避けていることは明白だ。「政治」状況が、「歴史的な政権交代」をなしとげた民主党には不利で、それに輪をかけるような報道・記事作りをしたくなかった、というのが本音だろう。
 さすがに、「政治活動家」組織の朝日新聞社だ。この新聞社が消滅するか大きく弱体化しないと、「戦後」は終わらないし、終わらせることもできないだろう。

0948/松本健一著と司馬遼太郎と週刊朝日(編集長・山口一臣)。

 〇松本健一・三島由紀夫と司馬遼太郎―美しい日本をめぐる激突(2010.10、新潮社)を全読了。計237頁。

 司馬遼太郎につき、その(「思想」と言わないでおくが)考え方・歴史観等にいっそうの関心を覚える。「思想」嫌いで、従って反マルクス主義者・反「左翼」教条主義者でもあったはずだが、司馬遼太郎が<天皇>をこれほどに(松本が指摘するように)避けていたとは気づかなかった。それも、1970年の三島由紀夫の死(正確にはたぶん死に方)によって、その後の司馬の作風(?)に大きな影響が生じたとは、例えば<軍神>乃木希典に対する消極的評価もこれに関係しているとは、松本を信頼するかぎりで、はなはだ興味深い。
 〇三島由紀夫の自決直後に、司馬遼太郎の「街道をゆく」の連載が始まっている。朝日新聞本紙に連載することなどはその<主義>からして朝日側も嫌がり、まだ融通のきく媒体だからこそ<週刊朝日>が選ばれた、と何となく感じてきたが、三島由紀夫(の死が発した「思想」)と対抗するためにも、司馬はあえて<左翼>の週刊朝日を選んだのかもしれない、とも思ったりする。この点には、松本健一は言及していない。

 〇その週刊朝日だが、最近は(ますます?)精彩を欠くようだ。

 最近二号の表紙を見てみると、12/03号では最も大きな文字で「紳士服AOKIの怪経営」。12/10号の最大文字は「酒井法子独占インタビュー」。

 朝日の好きな筈の<政治>ものが表紙の最大の見出しになっていない。

 もっとも、<政治>ものを取り上げていないわけではないようで、12/03号にはかなり小さい文字で「裏切りの15カ月/民主党はどこで間違えたのか」とあり、12/10号にはこれまた小さく「…対北朝鮮日本の『迎撃力』」・「…仙石官房長官が狙う『前原擁立』構想」とある。

 昨年2009年に民主党が総選挙で勝利した直後には、この週刊誌は表紙に<民主党革命!>と大書した。

 同じ週刊誌が「裏切りの15カ月/民主党はどこで間違えたのか」を同じように表紙に大書しないのは、その<政治性>=<左翼性>によると考える以外にない。
 一般週刊誌のごとく見られるために現在の民主党に批判的な記事も掲載せざるをえないのだろうが、さすがに民主党支持政治団体である朝日新聞社系出版物としては、「裏切りの15カ月/民主党はどこで間違えたのか」と大書するのを躊躇したのだろう。

 そもそもが、このタイトルは、間違ってもいる。「民主党はどこで間違えたのか」などと問うのは無駄で、<民主党は最初から間違えていた>のだ。鳩山由紀夫が選挙前に月刊ヴォイスに寄せた論文(?)の内容を読んでも、そのことは明らかだった。

 もっとも、編集長・山口一臣は民主党・政府による<非核三原則の見直し(緩和)>の方向に苦言を呈しているのだから、この「政治活動家」編集長によって編まれる週刊誌がまともな内容になるはずはない。朝日ジャーナルはなく月刊・論座もなく、週刊朝日はいつまで発刊され続けるのだろう。

0893/本格的な<左翼(・売国)>政権誕生。

 本格的な<左翼(・売国)>政権誕生。
 麻生太郎が「本格的な左翼政権」が生まれた旨を演説しているシーンをどこかのテレビニュースで一回だけ見たが、これは他局や新聞では(産経新聞も含めて)取り上げられていない。
 (麻生太郎は田母神俊雄を「見殺し」にした首相だったので、その<保守>性を全面的に信頼しているわけではない。)
 マスメディアは、相変わらず正常ではない。NHKの報道ぶりも、どこか<菅期待>を滲ませている。
 鳩山退陣の週の週刊朝日6/11号は民主党・鳩山問題を隠して「みんなの党大研究」とやらを表紙に出していたが、同6/18日号は大きく「民主党革命/再スタート!」と表紙に掲げて、あらためて民主党を支持せよ(自民党等の<右派>に投票するな)旨を煽動している。今回は朝日新聞社説の厚顔無恥ぶりに言及しないが、朝日新聞社論説委員・編集委員、週刊朝日編集長・山口一臣は<恥ずかしく>ないのだろうか。
 確信的な<左翼>活動家集団は、民主党(・同政権)を当面は(叱咤激励しつつ)守ることが「ジャーナリスト」の使命だと思い込んでいるのだろう。
 それにしても、「首」が代わっただけで民主党支持が10%以上も回復する(支持なし層から移る?)というのだから、日本の有権者国民の<日和見>ぶり、<浮遊>ぶりには、あらためて呆然とする。
 偽善者たちの喜劇はまだまだ続きそうだ。

0837/<左翼・容共(親中・隷中を含む)>政権の先導役・朝日新聞。

 一 朝日新聞には感心する。文化・芸能・スポーツ等々、日本共産党の機関紙・赤旗にスポ-ツ欄やテレビ欄があるのと同様に、まるで一般的諸問題を扱い、あるいは高校野球大会(夏の甲子園)の主催者にもなって、まるでふつうの・まともな新聞社・団体であるかに装ってはいるが、その実、見事に<左翼・容共(>親中・隷中)>で、民主党新政権を支持・掩護する政治団体であることを隠そうとする、その巧みさに、だ。しかし、-。
 今月に朝日新聞社系出版社から出た本に、あくまで例えばだが、朝日ジャーナル別冊1989-2009/時代の終焉と新たな幕開け-希望の思想はどこにあるのか?、がある。ここでは2009年の政権交代が「新たな幕開け」と肯定的に理解されていることは間違いない。はたしてそうか。良い方向への「幕開け」だったかどうかを判断するのは、少なくともまだ早すぎる。
 山崎養世・高速道路無料化-新しい日本のつくり方(朝日文庫)というのも、今月に出ている。この本は、「民主党のブレーンでもある著者が、無料化問題を集大成。『無料化こそが日本経済を復活させる』成長戦略であることを明快に説く」ものらしい。朝日新聞が民主党および民主党ブレーンを好んでいることは明らか。
 先月(9月?)には、表紙に「民主党がわかる/民主党衆院議員308人完全データ」等と書かれた、アエラ2009年10月号増刊が書店に並んでいた。選挙直後に、表紙に「民主党革命」と大きく謳ったのは、週刊朝日だった。
 二 最近の社説を見て喫驚したのは、11/23付「外国人選挙権―まちづくりを共に担う」だ。
 これを読むと、朝日新聞は民主党政権を支持し掩護するのみならず、自分たちが好ましいと考える方向へと政権を先導する役割をも果たそうとしているようだ。<左翼・容共(>親中・隷中)>への世論誘導者でもあり、アジテーターでもある。
 むろんかつての(今もある?)「左翼過激派」 活動団体のビラのような、煽情的な書きぶりはしない。紳士的?に書いてはいる。だが、中身はすごい。
 ①「鳩山政権は『多文化共生社会』をめざすという。実現へ踏み出すときではないか」。「…そうした外国人を排除するのではなく、多様な生き方を尊重する社会にしたい」。
 ここでの「多文化共生社会」・「多様な生き方を尊重する社会」とは近年の「左翼」が好んで口にするフレーズであることを読者は知らなければならない。あるいは、こんな情緒的な言葉でもって、外国人(地方)参政権付与の是非を議論してもらっては困る。
 ②「世界を見ても、一定の要件を満たした外国人に参政権を付与する国は、欧州諸国や韓国など40あまりに上る」。
 読者はこれを読んで、世界の傾向などと誤解してはいけない。欧州にはEUの存在などの特有の事情がある。それに、この社説が「一定の要件を満たした外国人に」とだけ書いていることに注目すべきだし、かつその「一定の要件」を朝日新聞社説は明確に書いていないのも杜撰であり、じつは卑劣だ。
 ③反対論の中には、「人々の不安をあおり、排外的な空気を助長する主張」があり、「首をかしげる」、と書く。これは一種のデマゴーグ文章だ。反対論=<排外主義>者(排外的・偏狭なナショナリスト)とのレッテルを貼ろうとしている。
 ④民主党は国交のある国籍の者に限る=北朝鮮国籍者を排除する法案を検討しているらしい。これにも朝日社説は噛みつく。現時点の民主党よりもさらに<左翼(容共)>に位置する主張だ。「左」から民主党を実質的に批判していることになる。
 「しかし、朝鮮籍の人が必ずしも北朝鮮を支持しているわけではない。良き隣人として共に地域社会に参画する制度を作るときに、別の政治的理由で一部の人を除外していいか。議論が必要だろう」。
 「北朝鮮を支持しているわけではない」者を配慮した文になってはいるが、実質的・結果的に親北朝鮮の姿勢であることは明らか。北朝鮮だけを特別扱いするな、と言いたいわけだ。
 また、「朝鮮籍の人が必ずしも北朝鮮を支持しているわけではない」ということは、選挙権付与のためのまともな根拠になるのか。つまり熱烈な北朝鮮体制支持者であれば選挙権を付与しなくてもよい、と朝日新聞は主張するつもりなのか。
 もう少しはまともで論理的な議論をし、そのような文章を書いてほしい。
 「良き隣人として共に地域社会に参画する制度」とは、上の①のこともあてはまるが、民主党・鳩山由紀夫と同様の美辞麗句でもある。「必ずしも」、「良き隣人」ばかりではないのではないか、と感じることの方が常識・良識をもつ人間の感覚だろう。ここでは、(特定の)在日外国人(日本国籍をもたない者)はすべてが「良き隣人」だと理解されているようにも読める。「東アジア共同体」構想にも通じるところがあるが、なぜか(いや確信的にだろう)朝日新聞は東アジア諸国には<優しく、甘い>。
 三 他の社説を見てみると、11/22付の「G2が動いて世界が動く」で最後にいう米国と中国についての「二つの大国」という表現は、たんに温室効果ガス排出量一位と二位の国だという意味ではなさそうだ。
 11/21付「たじろがず新成長戦略を」も面白い。
 新政権による「デフレ宣言」による、経済政策・景気対策の観点からの民主党政権批判の増大、支持率低下を怖れてだろう、<助け舟>を出している。
 「いまは、鳩山政権が掲げる「コンクリートから人へ」の大方針に沿った福祉経済化や雇用対策、地球温暖化対策としての「グリーンな経済」づくりを基礎に、民間の投資や消費を引き出すような成長戦略を組み立て、実行に移すことが期待される」。
 「福祉経済化や雇用対策、地球温暖化対策としての『グリーンな経済』づくり」が、民主党の採る経済政策だと言っている。これは民主党の立場に立っての釈明だとも理解できる。
 「来日したOECDのグリア事務総長は今週、日本の課題について、女性の社会進出や環境技術の発展で「新たな成長をめざす必要がある」と指摘した。このエールにこたえたい」とも最後に書く。これは「女性の社会進出や環境技術の発展」による経済成長・景気対策を是として、民主党政権に期待するものだ。
 民主党・現政権を何とか援護したい気分は分かるが、どうせ経済オンチの朝日新聞論説委員のご高言を信頼していたのでは、日本経済は立ちゆかないことは目に見えている。

0819/鳩山由紀夫・民主党政権と朝日新聞(・週刊朝日)・花田紀凱。

 ・「東アジア共同体」につき、鳩山首相は米国を排除しない旨を言い、岡田外相は米国抜きで、インド・豪州等も含むことを想定する旨発言している。
 「東アジア共同体」構想の実現は現政権の重要政策の一つのはずだが、首相と外相でこうもイメージが違っていてよいのか?
 もともと、鳩山由紀夫が(自民党<保守>派と異なる?)親アジア(とくに東アジア)姿勢を示しておきたくて、かなりの程度は幼稚な「思いつき」の域を出ないことを書いたことに、各閣僚のイメージの違いの原因があるのだろう。
 しかし、首相と外相との間の重大な<不一致>ではある。
 重要課題として掲げるテーマの<閣内不一致>を、なぜ、朝日新聞を先頭とするマスメディアは重大視して問題にしないのだろうか?。自民党中心内閣の場合だと、朝日新聞は一面に持ってきて、首相と外相の不一致を大々的に取り上げて、問責するのではないか?
 ・衆院選で近畿比例区で当選した民主党の渡辺義彦は、今年3月に大阪地裁により破産手続開始の決定を受けていた。そのことは選挙中は本人も有権者に公にしていなかった。
 立候補資格の欠如や当選を無効とする効果はないとしても、破産手続の渦中にあるということは、渡辺義彦にとっての、重要な個人的履歴であり(しかも過去のものではない)、そのことを公にしていなかったのは、選挙公報への重大な(消極的意味での)虚偽記載にあたるのではないか。
 ポルノ映画に出演していた以上に、現在に関係する、重要な個人情報であり、有権者に提供されていなければならなかった、と思われる。
 しかるに、なぜ、朝日新聞等のマスメディアはこのことを大きく取り上げないのか?
 ポルノ映画出演の過去もある程度はそうだろうが、破産手続中の者が国会議員として居座っていることを、その国会議員が民主党ではなく自民党所属であれば、朝日新聞を先頭とするメディアは一面でも大々的に取り上げて、少なくとも<道義的>責任を問題にするのではないか。
 ・たまたま二つ挙げたのみだが、建前として朝日新聞がジャーナリズムとして<権力監視・批判>を続けると言った(書いた)ところで、信用することはできない。
 朝日新聞は2006年夏、安倍晋三が自民党総裁になりそうなときに、<福田(康夫)氏よ、対抗馬として立て>旨の社説を書いた。
 2007年春、石原慎太郎の都知事再選が有力視されていた頃、<菅直人よ、対抗馬として立て>旨の社説を書いた。2007年7月参院選の前哨戦として、朝日新聞は都知事選の結果を気にしていたのだ。
 とっくに明らかなことだが、朝日新聞(社)は、<ふつうの>新聞(社)ではなく、<政治団体>に他ならない。なお多くの国民が朝日新聞(社)が<ふつうの>新聞(社)の一つと見なしているようであることにこそ、現代日本の悲劇はある。
 ・そのような朝日新聞(社)が、自分たちに近いか、自分たちと同じ見解・主張・歴史観をもつ内閣を支持しない筈がない。そして、反対や攻撃から新内閣を守ろうとするのはむしろ当然又は自然のことだ。
 朝日新聞(社)や同グループは、今後、再び「右派政権」(かつて安倍内閣を朝日新聞社説が称した言葉)が誕生しないように、懸命の努力をするだろう。
 ・週刊朝日10/16号(朝日新聞出版)は、冒頭に、「国会の質問王・前衆院議員」と紹介して、保阪展人に、「八ツ場ダムの隠された真実」と題する文章を書かせている。
 保阪展人は社民党の前国会議員だったのだが、「社民党」との紹介が一言もないことにも驚く。あえて隠したとしか思えない。
 週刊朝日の記者の文章ではなく本文の全体が保阪展人のもののようで、5頁分の紙面を保阪にまるまる提供していることにも驚く。
 中身は、「八ツ場ダム」建設中止問題についての前原国交相の立場を支持するものだ。
 この問題の賛否に立ち入るつもりも知識もほとんどない。
 だが、明確なのは、朝日新聞(社)とほぼ同一視してよい週刊朝日が、この時期に、客観的に見て、民主党を応援する文章(5頁)を冒頭にもってき、かつ表紙でも大きく宣伝していることだ。
 朝日新聞は、「八ツ場ダム」建設中止問題で民主党のイメージが悪くなるのを懼れた。前原大臣の意向に反対する地元住民や町長・知事等の声がかなりテレビ等で流された。朝日新聞(社)は、この辺りから民主党政権に傷がつき始めることを、さっそく危惧したのではないか。
 10/25には参院補選もある。それに(民主党に不利な)影響が及ぶことを避けようとしたのではないか。
 客観的・中立的に「八ツ場ダム」建設中止問題を扱ったのではないのは明らかだ。朝日新聞(社)・週刊朝日の<政治的>狙いを感じても当然だろう。
 ・だが、朝日新聞(社)はそんな<政治>性を持たないと考えている人物がいるようだ。
 月刊WiLL編集長の花田紀凱
 花田紀凱は産経新聞10/10の「週刊誌ウォッチング」のほとんどを、上の保阪展人の文章(リポート)の紹介にあて、「詳細は是非このリポートをお読みいただきたい」と結んで、反国交省官僚、つまりは民主党の大臣の見解を支持するかのごとき文章を書いている。
 なるほど保阪展人は重要なことを指摘し又は明らかにしているのかもしれない。だが、前社民党国会議員が書き、週刊朝日(朝日新聞出版)が掲載する内容を、花田紀凱のごとく簡単に又は安易に注目し又は<信頼>してよいのか?
 花田紀凱は<保守>系(のはずの)雑誌・月刊WiLLの編集長。いつから、社民党と朝日新聞(・週刊朝日)にこんなに甘くなったのだろう?。
 それとも、民主党批判ではなく国交省の官僚を批判しておくことの方が重要だと考えたのだろうか。
 西尾幹二ーの文章を掲載する週刊朝日に、西尾幹二の皇室論議を支持している花田紀凱は親密感でも持ったのだろうか?
 産経新聞の読者の中にも花田紀凱の文を読んで週刊朝日上掲号を購入した者もいるだろう。かくして、経営的にも花田紀凱は週刊朝日に貢献していることになる。
 不思議で奇妙な構図だ。   

0810/屋山太郎が民主党を応援し「官僚内閣制」の「終焉」を歓迎する。

 民主党政権誕生を屋山太郎が大歓迎している。
 イザ・ブログ上の屋山によると、「民意を反映した民主主義とは根本的に異なる」、明治以来の「官僚内閣制」が「終焉を迎えた」。そして、「民主党の『官僚内閣制』から『議会制民主主義』へ脱却するための仕掛けは実によく考えられている」らしい。
 また屋山は、「民意を汲み上げることを日本ではポピュリズムと非難する」が、「民意とほとんど無関係に政治が行われていることを国民が実感したからこそ、自民大敗、民主圧勝の答えを出したのではないか」、と書く。今回の結果は、上のような「実感」の答えではない、と私は思うが、この点はさておく。
 憲法上、国会が(法律が必要な場合は)法律を制定し、「内閣」を筆頭とする行政官僚が法律を「実施」する。国会議員を「政治家」と言うならば、憲法上、行政官僚よりも「政治家」の方が上、政治家が行政活動(・行政官僚)を監視し、とくに法律に従って適正に行政がなされているかを監督することは当然のことで、あえて言うまでもない。
 「官僚内閣制」という概念は-決して一般的ではないと思うが-法律自体が行政に「裁量」を認めていること、補助金のように具体的な事項を法律が定めなくてもよいとされる分野があること、法律を実施するための具体的細目等を定める政令・省令等々は内閣や所管大臣が定めるもので、実質的には補助部局たる事務次官以下(実質的には課長・課長代理・室長あたりが決定すると言われる)が決定していること、さらには法律案・法律改正案すら内閣に法案提出権がある(国会法)ことを根拠として、形式的・表面的には「内閣」提案でありつつ、実質的には事務次官以下(カッコ内、上と同じ)が決定してきた、といった現象を指しているのだろう。
 これを行政「官僚」ではなく「政治家」に取り戻す、<政治家主導>にする、というのが民主党の方針であり、屋山太郎が拍手を送っているものだ。
 しかし、いろいろと言いたいこともある。
 まず、国会と内閣の関係の問題と捉えた場合、<政治家主導>というならば、国会構成員であると同時に行政担当者となった大臣・副大臣等々、あるいはそれ以下の行政官僚が法律(改正)案を検討して国会に提案できるということ自体が奇妙とも言える、すなわち、法律(改正)案を国会に提案できるのは(一定数以上の)国会議員に限る(いわゆる「閣法」をなくす)という抜本的改正も考慮されるべきと考えるが(その方向での国会法改正は違憲ではないだろう)、そんな議論は(マスメディア上では)誰もしていない。
 法律(改正)案の検討のための審議会類を行政部局である「内閣」、「大臣」、各省「局長」レベルに置くことこそ、本当は奇妙で、国会こそが、国会議員=政治家こそが、字句改正の技術的なことも含めて法律(改正)案を形成・提出できる能力を身につけなければならないのではないか。また、そのような能力のある者こそが国会議員に選出されるべきではないか。
 次に、屋山は事務次官会議を廃止し重要案件を「閣僚委員会」で決することを是としているが、一省でも反対なら閣議決定にならないのは異常であることは認めるとしても、「閣僚委員会」なるものに実質的決定権を持たせた場合、本来は内閣で議決すべき案件の場合(現行法上は法律案の決定もそうである)、「閣僚委員会」が実質的に「内閣」の権限を奪ってしまう危険がある。閣議による自由闊達な議論こそ「内閣」制度の基本だとすれば、「関係閣僚」だけに限った「閣僚委員会」なるものは(法制化するのか?)憲法・現行法律に違反するこことなる、あるいは「内閣」での議論を-事務次官会議と同様に?-形骸化する可能性がある。
 第三に、これが最も言いたいことだが、「官僚」主導か「政治(家)」主導は憲法を離れていえば、システム(又は手段・方法)の問題にすぎず、それらのシステムを通じて形成される決定・判断・意思の合理性、他方に対する<優位>を何ら保障するものではない。
 てっとり早く言って、「政治家」主導は結構だとしても、その「政治家」主導で決められた政策等が国民等にとって<悪い>ものだったら、どうなるのか。民主党を中心とする「政治家」たちが決定し実行しようとしている諸政策は、「政治家」主導だ、と歓迎するほどに<よい>ものなのか。
 総じて、「政治家」主導の方がよい結果になるだろう、という見方はありうる。選挙で洗われる危険のない行政官僚ではない「政治家」は、次回の当選のために、行政官僚と違って「民意」を尊重して、政策判断・決定する、というのだろう。だが、むろん何が<よい・悪い>のかが問題なのではあるが、「民意」を尊重した政策判断・決定はつねに<よい>決定だとは絶対にいえない。
 むろん「民意」は何かの問題もある。全国の国民か特定の地域の国民か、現在の国民か将来の国民も含めてか、等々。
 要するに、<政治家主導>だからといって手放しで喜んで済む問題ではない。
 「官僚内閣制」→<政治(家)主導>は憲法上はタテマエとして当然のことで、実質論をするとしても、<政治(家)主導>だからといって長期的観点を含めた日本国民の利益となる保障は、論理的には、どこにもない。<政治家主導>によって何が具体的に決定されるかが問題なのだ。
 総選挙後の週刊朝日は表紙に「民主党革命」という語を使っていたが、<明治以来の大変革>というようなイメージは、おそらくは間違っている。スタイル・方法よりも(あるいはそれだけではなく)具体的政策の内容を議論すべきだ。

0752/司馬遼太郎は嘆いていないか-司馬遼太郎賞。

 「司馬遼太郎賞」の授与は司馬遼太郎館(財団法人)の事業の一つ。
 上のこと自体に問題はない。しかし、司馬遼太郎館(財団法人)の事業に司馬遼太郎自身の意向が反映されていないことは言うまでもなく、その運営には、財団の専務理事である上村洋行(記念館長、妻・福田みどりの実弟)の意思・意向の影響が大きすぎるのではないか、との疑いを持っている。
 司馬遼太郎は「国民作家」と言われるが、明確に<反イデオロギー>、そして<反共産主義>・<反マルクス主義>の人だった。
 連載小説の多くは「龍馬がゆく」・「坂の上の雲」等を含めて産経新聞紙上等で、朝日新聞には一つも連載しなかった筈だ。朝日新聞と生前の司馬遼太郎の縁は、週刊朝日誌上の<街道をゆく>シリーズにすぎない。朝日新聞本体は、司馬遼太郎を「産経」ゆかりの作家として意識的に避けていたと推測される。週刊朝日だからこそ、まだ自由があり、冒険?もできたのだ。
 にもかかわらず、現在は朝日新聞社が週刊司馬遼太郎なる季刊雑誌?を堂々と出版しているのは何故なのだろう。遺族あるいは上記の財団や記念館の(形式的ではなく実質的な)関係者の意向によるところが大きいと推測せざるをえない。
 既に書いたことがあるが、「菜の花忌」の講演会に井上ひさしが堂々と司馬遼太郎の後継者の一人のような顔をしてときどき登場しているのにはきわめて違和感をもつ。
 不破哲三との対談本を出して日本共産党をヨイショした「左翼」(隠れ党員かもしれない)の井上ひさしは、司馬遼太郎賞の選考委員の一人でもある。5人のうちのあとの4人は、陳舜臣、ドナルド・キーン、柳田邦男、養老孟司らしい。
 選考経過の詳細は知らないし明らかにされてもいないだろうが、「左翼」(隠れ党員かもしれない)の井上ひさしの発言力が大きい可能性もある。
 第一回(1998)の受賞者が立花隆だったことにもやや首を傾げるが、近年の2回の選考結果はかなりヒドいのではないか。すなわち-。
 第11回(2008)-山室信一・憲法9条の思想水脈(朝日新聞社)
 第12回(2009)-原武史・昭和天皇(岩波新書)

 上の二人は、所謂「左翼」だ。山室信一はNHKの「JAPANデビュー」のプレ番組に現在の学者・研究者の中では唯一人だけ登場して、「左翼的」言辞を吐いた。原武史の少なくとも現在の皇室論が奇矯であることは私も感じたことがある。小林よしのりらの批判の対象になっている人物だ。
 はて、山室信一と原武史の「作品」に続けて受賞させる賞というのは、いったいどのように性格の賞なのだろう(なお、最近は当初のような人物ではなく、「作品」単位の選考らしい)。
 山室信一の上の本を一瞥してみたが、とても何らかの「賞」に値するものとは思えなかった。
 井上ひさしの推薦があったとすれば、それは当然かもしれない。井上は「九条の会」の有力メンバーだからだ。この井上以外の陳舜臣、ドナルド・キーン、柳田邦男、養老孟司はきちんと読んで、審査・評価したのだろうか。
 財団の事業の一つなので、候補の絞り込みに専務理事・上村洋行の意向が関係している可能性は大きい。

 どんな団体が誰に授賞しようと勝手だが、<司馬遼太郎>という名が冠されているとなると無関心ではおれない。
 司馬遼太郎と山室信一や原武史では<肌合い>が異なる。かつ、あとの二人は司馬遼太郎がむしろ嫌ったタイプの人間のように思われる。なぜなら、二人とも、何がしかの<イダオロギー>を、巧妙に隠そうとはしていても、持っている。
 全く余計な第三者の感想に過ぎないのだが、瞑目している司馬遼太郎は、かりに意識・「霊」があるとすれば、草葉の陰で嘆いているのではあるまいか。
 司馬遼太郎記念財団を維持・継続させるための<経営>的感覚のようなものは、司馬遼太郎が忌避したかったものに違いない。その<経営>的感覚の事業によって司馬遼太郎の本来の意思・意向・精神が継承されていればまだよいのだが、そうでは全くなくなっているとすれば、著名人の名を騙る詐欺のような<事業>になってしまうのではないか。「司馬遼太郎賞」がそうでなければよいのだが。

0725/西尾幹二は何故、「左翼」週刊朝日1/16号に寄稿して、皇太子ご夫妻を批判したのか。

 大まかな記憶では昨年の4~6月頃に西尾幹二の皇室(とくに現皇太子妃殿下)論に言及したのち、昨秋以降のこの問題に関する西尾の諸発言は(読んでも)この欄では触れないできた。
 前回に再び言及してしまったので、さらに続ける。
 西尾幹二は、週刊朝日1/16号(朝日新聞出版)の<天皇陛下と美智子さまの20年>との特集の中に、「ご自覚欠ける皇太子ご夫妻・『民を思う心』をお持ち下さい」と題する文章を寄せている。
 ここでは批判(諫言)の対象の中心は雅子妃殿下(・小和田家)ではなく、「皇太子ご夫妻」になっている。そして西尾は昨年来、「皇太子殿下と雅子殿下に皇族としてのご自覚が欠けているのではないか、天皇制度そのものが傷ついているのではないかと問題提起した」とも書いている(p.22)。
 この部分での問題は、「皇族としてのご自覚が欠けている」とする、その根拠・材料の真否にあるだろう。歴史上もいろいろな皇太子妃殿下(・皇后陛下)がおられた筈で、雅子妃殿下の、西尾が言うような宮中祭祀へのご態度などは、「天皇制度そのもの」にとっては些末な問題だと私は理解している。現皇太子殿下が宮中祭祀に粗雑に対応されているとは、西尾も語っていないはずだ。
 また、西尾幹二は、羽毛田宮内庁長官の「妃殿下にとって皇室そのものがストレス」等とする「論があることによって」、「両陛下が深く傷つけられた」という指摘は、「妃殿下を弁護する論者に対する批判」であり、「形を変えた妃殿下に対する明確な批判」だ、と「私はみています」と述べている(p.22)。
 この叙述又は論理はおかしいのではないか。<左翼・反日分子>たる「妃殿下にとって」、特有の日本文化の象徴・継承者である「皇室そのものがストレス」なので宮中祭祀へのご参加・同席も熱心ではなくなっている、とするのが、雅子妃殿下に対する批判者たちの<論旨>ではないのか。
 前回も書いたように、そうだとすると、「妃殿下にとって皇室そのものがストレス」等とする「論」を提起しているのは西尾幹二らであり、そうした「論」によって「両陛下」を「深く傷つけ」ているのは、西尾ら自身ではないのか。
 西尾によると、「妃殿下にとって皇室そのものがストレス」等とする「論」が出現していることの原因は「元をただせば」、雅子妃殿下の「公務と祭祀の長期ご欠席」が「様々な憶測を呼んでいる」ことで、皇太子殿下こそが両陛下に「謝罪の意を伝えるべき」なのだそうだ(p.23)。雅子妃殿下こそが「論」発生の元凶、というわけだ。
 だが、これもおかしい。「様々な憶測を呼んでいる」と西尾は書くが、客観的な事実だと誰もが認めているわけでもないデータを提出したり推測を語ったりして「憶測」をし、かつ、<左翼・反日分子>が<獅子身中の「虫」>になっているとほぼ断定するかのような書き方をしてきたのは、西尾ら自身なのではないか。
 「様々な憶測」をし、勝手な(部分を少なくとも含む)主張をしている者たちの側には、両陛下のご心痛に対して、いかなる責任もないのか
 西尾は最後に言う-「妃殿下の問題一つをとっても、両殿下には『公』の自覚がなさすぎます」。「今のうちに、どうかご姿勢をお改めになるよう努力して下さい」(p.23)。
 問題は、前者のように簡単に<断定>してしまってよいのか、だ。また、最後の一文については、皇太子ご夫妻に対して「…努力して下さい」と小学校の教師の言の如き書き方がなされていることに驚く。せめて、<…ご努力をお願いしたい>くらいにはならないものか。
 私自身の皇室の方々への言葉遣いにも多数の問題があるだろう。何しろ、学校・家庭で、そんなことは教育されずに育ってきた。だが、<愛国・忠君>?の筈の西尾幹二ならば、教師が生徒に、あるいは先輩が後輩に諭すような言葉遣いは慎むべきではないのか。言葉遣いは必ずしも本質的問題ではないとは思うが、西尾幹二の、皇室又は皇太子ご夫妻に対する叙述には、ある種の<冷たさ>を感じるところがある。
 あらためて観て確認はしないが、4/05のテレビ番組の中でも、皇太子殿下に対して、一般人に対するのと全く同様の言葉遣いがなされていたことがあり、一瞬驚きを感じた。
 ところで、これまた正確な内容を確認はしないが、西尾幹二は、文藝春秋は(月刊文藝春秋も(株)文藝春秋)も)立場が明確ではない、<左翼>に引き摺られているのではないか、との旨の論考を何かに書いていた。
 今回取り上げた西尾の文章は、文藝春秋とは異なって明確に「左翼」の朝日新聞系会社(子会社)の出版する週刊誌に掲載されている。しかも、西尾が望んだことではないとしても、「20の証言」の中でただ一つ別枠(罫線囲い込み)の扱いを受けており、かつ、表紙の「週刊朝日」の文字の上に、「西尾幹二」とその文章のタイトルが(他の19名とは異なり)特記されている
 このような特別扱いを朝日新聞系週刊誌によって受けたこと、さらにはそもそも「左翼」系週刊誌に(依頼を受けてだろうが)執筆したことを、西尾幹二はどう考えているのだろうか。
 20名の文章のうち皇太子ご夫妻を批判するのは西尾幹二ただ一人だ。西尾は、朝日新聞的な、どちらかと言うと「左翼」的な読者が多いとも推察される週刊誌に執筆して、「左翼」的な者たちにも支持を拡げたい、自らの問題提起を知ってほしい、と考えたのかもしれない。
 だが、西尾幹二は文藝春秋以上に朝日新聞を嫌ってきたはずだ。これまでの経緯は、むしろ<天敵>どおしであったのではないか。だとすると、西尾が週刊朝日による執筆依頼を拒否しても、何ら不思議ではなかった、と思われる。
 何故、週刊朝日に「保守」論客・西尾幹二が登場するのか(曾野綾子らも同じ号に書いてはいるが…)、奇妙でなくはない。
 そして、西尾の主観的な気持ちが、上記のように、「左翼」的な者たちにも支持を拡げたい、自らの問題提起を知ってほしい、ということだったとしても、客観的には、西尾幹二は「左翼」と手を組んで皇室内に<混乱>を生じさせようとしている(又は拡大しようとしている)、という疑念を生じさせても、即時に一笑に付されるようなものではない、と考えられる。
 また、週刊朝日編集部の側が西尾幹二の名を「利用」しようとした、との疑いには、より十分な理由があるようにも思われる。
 70歳を超えてまだまだ髙い知的水準を維持しておられるようである西尾幹二には、別の方面でもっと活躍していただきたい、と願っている。同・私の昭和史(新潮社)も早く完結させていただきたい。

0608/岩田温・チベット大虐殺と朝日新聞(オークラ出版)ほか。

 一 いつになるときちんと読めるのか分からないが、岩田温・チベット大虐殺と朝日新聞(オークラ出版、2008.09)を入手。
 帯にある目次(内容見出し)を見るだけでもなかなかにスゴい。以下、丸うつし。
 「はじめに-朝日新聞の呪縛から自由になるために
 第1部 朝日新聞のチベット報道
 第1章 豹変する朝日新聞(1945~1956)
 第2章 無神論集団・朝日新聞の暴走(1956~1959)
 第3章 口をついて出る朝日新聞の「嘘」の数々(1960~1980)
 第4章 中立を装う悪質な偽善集団・朝日新聞(1980~2008)
 第2部 朝日新聞が伝えないチベット問題の真実
 第5章 朝日新聞が報道しないチベット侵略の歴史
 第6章 中華思想という侵略イデオロギー
 第7章 中国に媚び諂う恥ずべき政治家の面々
 第8章 日本が赤旗に侵略される日~長野「聖火リレー」レポート~」
 帯にはまた、「1945年からの朝日新聞のチベット報道約6000件を徹底検証」ともある。
 著者は今年、25歳。
 二 朝日新聞といえば、月刊雑誌・論座は10月号で休刊した。同号の表紙には「進化を続ける『論座』的空間」とあるが、「『論座』的空間」が「進化を続け」ていれば月刊雑誌・論座が休刊(廃刊)する筈もなく、この雑誌の最後の<大ウソ>。
 要するに、売れなかった、購読者が少なかったのだ。
 週刊朝日、アエラ、そして朝日新聞本体も、「休刊」していただきたい。そして朝日新書も。いずれは朝日新聞社自体の消滅を。そうなれば、将来の日本に期待が持てる。

0378/血迷ったか、憲法学者・小林節。

 日本国憲法59条の定めは次のとおり。
第59条
 法律案は、この憲法に特別の定のある場合を除いては、両議院で可決したとき法律となる。
 衆議院で可決し、参議院でこれと異なつた議決をした法律案は、衆議院で出席議員の三分の二以上の多数で再び可決したときは、法律となる。
 前項の規定は、法律の定めるところにより、衆議院が、両議院の協議会を開くことを求めることを妨げない。
 参議院が、衆議院の可決した法律案を受け取つた後、国会休会中の期間を除いて六十日以内に、議決しないときは、衆議院は、参議院がその法律案を否決したものとみなすことができる。
 産経新聞1/23潮匡人のコラム「断」によると―したがって<間接>情報になるが―慶応大学の小林節は、近日にあった衆議院の再議決(新テロ措置法)について、週刊朝日1/25号上で「明らかに憲法違反」と主張している、という。
 上のような規定の定め(2/3以上による再議決は2項が明示的に肯定している)のどこに違反しているというのか、この人は<憲法学者>なのかと疑いたくなる。
 原則と例外を論じるのもいいが、それは政治論・政策論・国会運営論レベルの問題で、法的(憲法的)問題は全く生じないことは明らかだ。潮匡人の指摘するとおり。
 慶応大学法学部の学生ですら容易に小林節の誤謬を指摘するだろう。
 推測も入るが、小林節は憲法(解釈)論議ではなく、政治論議をしているのだろう。この人は、この両者を区別しておらず、意識的にか、混淆させている。そしてまた、憶測まじりだが、自民党の改憲案の作成に際して、もともとは憲法学界では珍しい<保守>的な<改憲>賛成論者であった自分が大切に扱われなかったことについて、メンツが立たない、とでも立腹しているのではないか。そして、今後は、朝日新聞系で大切にしてもらえる、朝日新聞系の「御用」学者として生きていくつもりなのだろうか。
 追記する。小林節は現在の衆議院を構成している前回総選挙を「一時的な国民的興奮」によるもので「そもそも正統性を欠いている」とも主張しているらしい。
 この憲法学者はバカか?
 <正統性を欠く>→選挙無効という「法的」議論をしているのか? そうではなくたんなる政治論・政治評論なら、小林節が出る幕でもあるまい。
 また、本当にまともに主張しているつもりならば、「正統性を欠いている」か否かを判別できる、具体的な憲法論的基準を示してもらいたい。そのための説得的な憲法論をどこかで詳細に展開してもらいたい。
 ついでにいえば、-私もまた前回の総選挙が<まともな>ものだったとは感じていないが-「正統性を欠いている」というなら、昨年7月の参議院選挙はいったいどうなのだ。
 昨年7月の参議院選挙の結果は(前回衆議院選挙と違って)「正統性を欠いて」いない、と主張するのならば、その根拠もまた詳細に述べてほしいものだ。自分が学者(様)のつもりならば、そのくらいの用意と覚悟をもっているだろう(いや、この人にはそんなものはないだろう、つまり<学者>でなくなっている…と続けたいが、この程度でやめておく)。
 このような小林節の論を掲載する週刊朝日も奇矯なのだが、朝日新聞・週刊朝日等が基本的に<血迷っている>媒体であることはすでに明瞭なことなので、あらためて論じるまでもない。

0327/朝日新聞の「狂気」。

 別に珍しい話題ではない。
 9月の16-22日の週の発売の週刊誌だと、政界・政治の関心を自民党総裁選挙(福田か麻生か)あるいはその後の国会の動向に置きそうなものだが、表紙だけを見たにすぎないものの、週刊朝日の同週号の表紙には、大きく「安倍逃亡」とだけあった。
 かかる編集・見出しつけ方針をとって、国家・公益よりも安倍への「私怨」を晴らすことを優先しているのが、朝日新聞社のようだ。
 かかる新聞社がなぜ、まだ新聞を発行でき、雑誌等を出版できるのか。消滅するか、「朝日」関係で働いていることが対社会的、対世間的に<恥ずかしい>ことだと感じさせるような、そんな時代にならないと、日本は蝕まれていってしまう。
 「ジャーナリズムに名を借りた良識のない安倍殲滅作戦が展開された」(週刊新潮9/27の高山正之コラム)ことを忘れてはならない。

0155/週刊文春5/24-「おかしな記事」を書いても「いきり立」たないでという<甘え>。

 週刊文春5/24号(文藝春秋)の「週刊朝日vs安倍晋三/どっちもどっち/「落ちた犬」を訴えた首相の「品格」」(p.150-1)はミョウなことを書いている。さすがの文藝春秋も、同業週刊誌となれば朝日新聞社発行のものについても「仲間うち」意識が働くのだろうか。
 安倍事務所の現・元の秘書3人が朝日新聞社、週刊朝日編集長山口一臣らを被告として損害賠償請求等の訴訟を提起したことにつき、最後にこう締め括っている。
 「おかしな記事にまともにいきり立っているようでは、…狭量な政治家に見られてしまいますよ」。
 この文は、当然に、次のような意味と解される。<「おかしな記事にまともにいきり立」つ「政治家」は「狭量」だ>。あるいは、<「狭量」ではない「政治家」は、「
おかしな記事」を書かれても「まともにいきり立」つべきではない。
 こうした認識は、誤っている。
 <週刊誌がおかしな記事」を書いても(記事の関係者であっても「まともにいきり立」たないで下さいよ>という、<甘え>が丸見えの認識とそれにもとづく言明だ
こんな<甘え>で「週刊文春」全体が成り立っているならば、マスコミ又はジャーナリズムを名乗る資格は「週刊文春」にはない。こんな文章を容認した、文藝春秋社員・週刊文春編集人の鈴木洋嗣、同発行・松井清人の見識を疑う。
 むろん「どっちもどっち」などという見出しも問題で、週刊文春のこの記事は「歪んで」いる。「おかしな記事」(正確には、「おかしな」どころではなく名誉毀損の記事だ)を書くこととそれに対して
「まともにいきり立」つことの、一体どこが「どっちもどっち」なのか?
 以上でほぼ十分だが、なおも続ける。
 
この記事は、週刊朝日の記事が「お粗末だった」ことを認めている。しかし、「言論によるテロ」や「政治運動ではない」、とする。また、服部隆章・立教大学教授や田中辰巳・危機管理コンサルタントとやらを登場させて、前者に安倍首相側の行動こそが「政治行動」だ、後者に「大人げない」と語らせている。
 朝日新聞シンパかもしれないこの二人の氏名を記憶しておくが、相手が朝日新聞社だから安倍首相側が過敏に反応したのだとかりにしても、また「全国紙政治部デスク」が語っている「総理の”朝日”憎し」が事実だとしても、それには相当の根拠・背景が厳然としてある。
 そのことを、雑誌諸君!や月刊・文藝春秋を刊行している会社の週刊誌部門の者が知らない筈はないだろう。
 朝日新聞社は安倍首相(および中川昭一)が当選ホヤホヤの議員だった頃から警戒すべき「右派」と看做したと思われ、安倍らが<保守派>的とされる若手議員の会だった「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」の要職(事務局長・会長は中川昭一)についた頃からは明確に批判の対象にしてきた。そして、2005年1月の本田雅和らの記事が、その4年前の安倍・中川による<NHKへの圧力>を捏造することによってこの二人の政治的地位又は影響力を大きく損なおうとしたものであることは明らかだと思われる。
 朝日新聞は特定の政治家をターゲットにして政治的な失墜を狙ったのであり、その限りで、<(政治)運動団体>に他ならない。
 他にもきっとあるだろうが、上のような体験をもつ安倍晋三が、朝日新聞社の出版物の記事の内容に他社のそれに対するよりも過敏になり、<またか>と感じても当然のことだ。
 問題は、安倍首相が「朝日には厳しい」(某政府関係者)ことが批判されるべきことなのか否か、だ。私は、安倍首相が「朝日には厳しい」ことは当然のことだ、と考えている。
 週刊文春のこの記事の書き手は、上のような安倍vs朝日の歴史についての認識・評価が私とは違うのかもしれない。それならある程度は仕方がないとも言えるが、認識自体がない、すなわち「無知」にもとづいているのだとすれば、週刊誌の記者としては完全に<失格>だ。また、服部隆章や田中辰巳なる人物も、朝日新聞の<本質>を知らないお人好しに違いない。
 上述のことからしても、「きっこのブログ」5/11が書く<「週刊朝日」だけを訴えて「週刊ポスト」を訴えないということは、「週刊ポスト」に書いてある内容は「事実無根」ではないのでしょうか?>なんていう疑問には何の根拠もない。
 さらにまた、次の、山崎行太郎
という文芸評論家の5/10のブログの文章はまさしく書き手こそが<狂気>の持ち主(すなわち、-<キ--->という言葉を私は使うのに慣れていないので-<狂人>)であることを明瞭に示している。
 <「キチガイに刃物」という言葉があるが、この言葉から「安倍に言論弾圧」という言葉を連想する…。総理総裁に就任後も、相変わらずマスメディアの情報に敏感に反応し、新聞記事や放送内容を細かくチェックして、脅迫と恫喝を繰り返している様は、誠に情けないというか、なんというか、馬鹿丸出し…。女性戦犯法廷番組で、NHK幹部を官邸に呼びつけ、その某番組の内容の修正を、間接的に(笑)…、無言の圧力を加えつつ迫ったのもこの人であり、その官邸による放送弾圧、言論弾圧という事実を暴露した朝日新聞記者を恫喝したのもこの人だ。「ボクは言論弾圧なんかやってないよ…」と言うが、「やった」に決まっている。…安倍は、…政治権力をバックに、脅迫と恫喝を繰り返してきたわけだが、そのことの喜劇性と非常識をまったく自覚できていないという時点で、政治家失格というより、人間失格である。これぞまさしく「キチガイに刃物」である。
 こんな文章を書く者が、そして一国の総理大臣を「馬鹿丸出し」、「人間失格」、「キ---」という言葉を使って平気で罵る者が、かつまた、訴訟の提起それ自体を「言論弾圧」だと理解してしまう知能の低そうな者「文芸評論家」でかつ「哲学者」とも名乗っているとは驚いた。
 この人がもっと有名人でかつより広く多数人に読まれる機会がある文章なら、間違いなく名誉毀損等で訴訟を起こされ、謝罪の文章を新聞に掲載すべきことになろう。また相手が首相でなければ、刑法犯として立件される(逮捕され取り調べられる)可能性がある。
 cf.「刑法230条1項(名誉毀損罪) 公然と事実を摘示し、人の名誉を毀損した者は、その事実の有無にかかわらず、三年以下の懲役若しくは禁錮又は五十万円以下の罰金に処する。
 「刑法230条の2第1項(特例) 前条第一項の行為が公共の利害に関する事実に係り、かつ、その目的が専ら公益を図ることにあったと認める場合には、事実の真否を判断し、真実であることの証明があったときは、これを罰しない。
 「刑法231条(侮辱罪) 事実を摘示しなくても、公然と人を侮辱した者は、拘留又は科料に処する。
 日本の現在と将来に、それこそ薄ら寒い恐怖を覚える。こんな感覚の持ち主(「きっこ」?を含む)が多数派を占めてしまったら、それこそ「日本」はおしまいだ。

0133/安倍首相秘書ら朝日新聞社等を提訴-阿比留瑠比5/09メモ。

 報道されているように、5/09に安倍首相の秘書2名と元秘書1名、計3名が朝日新聞社等を被告として、損害賠償、謝罪広告等を求めて提訴した。
 この提訴にかかわる「詳細な背景」等を知らせてくれるものとして、阿比留瑠比の5/09午後11時台のエントリーはとても重要で、かつ興味深い。
 直接に彼のブログ・エントリーを読めば済むことだが、あえて殆どをコピーして、こちらの方の記録にもしておきたい。
 1.訴状の内容-<原告(元秘書)らが長崎市長銃撃事件を起こした「山口組系水心会幹部から脅かされていた事実は全くない」と指摘…。つまり、週刊朝日に掲載された記事を、その前提から否定…。週刊朝日は、警察庁幹部がそうした内容を証言したと書いていますから、その証言自体がどうなの?、ということ…。関係者は、「冷静に考えて、どうして長崎ローカルの暴力団から秘書が脅かされるのか」と指摘…。
 2.週刊朝日編集長・山口一臣からの直接謝罪の動き(訴状による)-<安倍首相が訪米に出発した4月26日午前10時30分の直後に、週刊朝日の山口編集長から安倍氏に謝罪にうかがいたいとの申し入れがあった…。これに対し、安倍事務所側は、安倍氏が出発後で本人に伝えられないこと、25日付朝日朝刊の隅の小さな、週刊朝日の記事内容に何ら触れることのない記事をもって「謝罪」とする朝日側と会うことはできない旨伝えた…。
 3.週刊朝日編集長からの手紙(訴状による)-<同日、山口編集長から「記事は安倍晋三首相と射殺犯の関係を報じたものではありませんが、一部広告であたかも直接関係があったかのように受け取られる不適切な表現がありました。安倍首相のご発言を聞いて、心の痛む思いです。重ねておわびします」などと書いた手紙が郵送されてきた…。ただ、この手紙の中でも、一番傷ついた元秘書らへの謝罪は一切なかった…。
 4.阿比留のコメント-「こうして見ると、朝日サイドは、なんとかことを穏便に収めようとはしたものの、安倍首相に対して詫びるだけで、一番被害を蒙った元秘書については、眼中になかったようです。安倍氏が何に対して一番怒っているかは、ちょっと自社の元安倍番記者にでも聞けばわかることでしょうに。
 5.請求された謝罪広告文面-《平成19年4月24日付朝日新聞朝刊に掲載された週刊朝日の新聞広告及び同誌記事において、安倍首相の元秘書が長崎市長射殺事件の容疑者が所属する暴力団から脅かされていたとの記事を掲載しましたが、そのような事実はまったくありませんでした。
 なお、平成19年4月28日には朝日新聞朝刊社会面、毎日新聞朝刊社会面、岐阜新聞朝刊社会面及び中日新聞朝刊に「お詫び」と題する記事の中で「記事は、首相の元秘書が長崎市長射殺事件の容疑者の所属する暴力団の組織の幹部などから被害を受けていたとの証言などを伝えたものでした。」と記載しましたが、全く事実に反する記事でした。この記事を取り消させていただきます。
 さらに週刊朝日(平成19年5月18日号)誌上でも「おわび」と題する記事を掲載し、あたかも安倍首相の元秘書がとの広告や記事を掲載しましたが、まったくそのような事実はありませんでした。この記事を取り消させていただきます。
 安倍首相及び元秘書の方並びに関係者の方々には二度にわたり大変な迷惑をおかけしました。衷心より深くお詫び申し上げます。

 なお、「謝罪広告に使用する文字は①表題及び作成名義人の記載は12ポイントのゴシック体②本文は10ポイントの明朝体。大きさは社会面に2段・横5センチと指定」。
 以上。朝日がすみやかにこれを「のめ」ば、朝日側の完全敗北だ。だが、抗弁して争っても完全敗北となる可能性は高い。ただ、その場合の判決確定は数年先になりそうなので(朝日側が主張する証人採用の人数如何によるが)、朝日の打撃はより少ない印象になるかもしれない。
 ともあれ、安倍首相側は(現・元の秘書たちはご苦労だが)朝日による「言論によるテロ」を敵にして、是非とも奮闘していただきたい。

0130/「きわめて執拗な悪意と恐ろしさ」-朝日新聞社。

 読売夕刊5/09によると、4/24発行の週刊朝日の今西憲之らによる記事<長崎市長射殺事件と安倍首相秘書との「接点」>について、安倍首相の公設秘書2人と元公設秘書1人、計3人が、朝日新聞社、週刊朝日編集長、記者らを相手に総額約5000万円の損害賠償、記事取消し、謝罪広告を求めて、この日、東京地裁に提訴した。朝日の広告のみでなく、記事本体も対象にしている。
 安倍首相事務所の5/09の談話がよい。読売によると、こうだ。
 「根拠薄弱な記事でも、〔安倍〕首相に関することであれば、躊躇なく掲載する判断が朝日新聞社でまかり通っている事実に、きわめて執拗な悪意と恐ろしさを感じる」。
 この通り、朝日新聞は安倍首相に「きわめて執拗な悪意を持っている。彼が若いときから<保守的>活動をしていたことに目をつけていたのだろうが、再度書くと、成功しなかった2005年1月からの<NHKへの圧力>キャンペーンは「きわめて執拗な悪意と恐ろしさを感じ」させるもので、かつ訂正も謝罪もしなかった。
 朝日新聞社は日本国家そのものに対しても「
きわめて執拗な悪意」を持っているに違いない。教科書書換え検定の虚報、「従軍慰安婦」の虚報を放って日本を貶めて、虚報であると分かっても、訂正も謝罪もしない。
 安倍首相が進め、日本を<強く>する憲法九条二項削除等の憲法改正に、この新聞が賛成するわけがない。
 構図は明白だ。安倍政権を長期化させること、憲法改正すること-朝日新聞、そして日本共産党が主張していることとは反対の方向に進むこと、これを選択すると少なくとも相対的には日本はうまくいく。これが戦後の歴史的教訓だ。

0118/あまり目立たぬ好コメント連載-産経「花田紀凱の週刊誌ウォッチング」。

 産経5/05花田紀凱の「週刊誌ウォッチング」106回によると(イザ!にはないようだ)、読売新聞と週刊現代は渡辺恒雄氏関係記事をめぐって大ゲンカし、読売は今でも週刊現代の広告を拒否しているようだ。巨人の某選手への金をめぐって再び読売と週刊現代が争っているらしい。
 細かなことよりも、週刊現代のスタンスが読売新聞とは異なる背景を伺い知ることができて興味深い。講談社の週刊現代は論調がほぼ明瞭なサピオを出している小学館の週刊ポスト(井沢元彦の連載がある)との対抗戦略もあって、より反体制的、より反安倍的になっているのかと思っていたが、反読売というスタンスも講談社(の少なくとも週刊現代)にはあるわけだ。
 講談社がやや奇妙なことは、立花隆のかなりひどい内容の本(滅びゆく国家)を出版し、月刊現代2006年10月号の巻頭に中身はほとんど南原繁賛美だがタイトルは「安倍晋三に告ぐ、『改憲政権』への宣戦布告」との立花隆の論稿を載せたことについて、既にいつか書いた。
 花田の上の一文によるとさらに、週刊文春と週刊新潮のGW各合併号を比較すると、「文章の切れ味で「新潮」に一日の長がある」。花田は文藝春秋出身の筈なので、この評価はかなり客観的ではないか。私が買うときは週刊文春ではなく週刊新潮にしているのはきっと正解だろう(但し、販売部数は週刊文春の方が上とのデータを見たことがある)。
 もっとも、出版社自体は、新潮社よりも文藝春秋の方がよい。既述かもしれないが、何を血迷ったのか、不破哲三・私の戦後六十年(2005)を出して「商売」したのは、新潮社だ。
 その前の4/28の花田「週刊誌ウォッチング」105回によれば、週刊朝日5/04+11合併号の「ジャーナリスト・時任兼作、今西憲之+本誌・中村裕」による<山口組水心会と安倍首相の「関係」を-警察庁幹部が激白>という見出しの記事は、週刊ポスト4/13号の「安倍首相政策秘書を襲った『右翼糾弾』に『複雑骨折』の暗部」という“激震スクープ”記事の<後追い>だという。しかも、週刊新潮4/12号が「徹底検証」して週刊ポストの「“激震スクープ”は、安倍内閣の土台を揺さぶるには至らなかった」と皮肉ったらしい。
 朝日新聞社は広告のみならず記事の内容自体についても謝罪したのかどうか。
 それにしても、花田の筆は、少ない字数ながら要領よく、かつ内容は鋭い。かつての部下の勝谷誠彦よりもまだ数段上ではないか。

0099/朝日の「謝罪広告」は<新聞広告の見出し>についてのみ。それでよいのか。

 新聞紙上の報道では安倍首相自身が朝日新聞社に対して「法的措置」をとることを考えているように読めたが、4/26の阿比留瑠比のブログによると、正確には、安倍首相は4/25に、こう述べたようだ。
 「私は総理ですから、基本的には慎重でなければならないと思っていますが、私の(元)秘書は、それは本人や家族の名誉がかかっていますから、当然法的な処置をするとこのように思います。
 これでは、「私の(元)秘書」が「法的な処置をする」ように理解できる。そして、首相自身による場合も積極的に反対はしないが、元秘書の方が「法的処置」をとることにもむろん反対ではない。
 かかる安倍首相側の積極的な(戦闘的な!)姿勢に、さすがの朝日も「怯んだ」のだろうか、28日に謝罪広告を出す、という。
 しかし、イザ!の報道によれば、「週刊朝日が…とする見出しの新聞広告を掲載したことについて」の「謝罪」にすぎないようだ。
 問題は<広告の見出し>にすぎないのだろうか。本誌の記事自体に問題はないのだろうか。朝日新聞側は、本体に全く問題はないが、宣伝広告の一部に問題があったので…、と誤魔化しそうな気がする。むろん、安倍首相を<何とか批判してやろう>との姿勢を反省して改めるということはありえないだろう。
 周知のことだが、安倍晋三・中川昭一両氏を「攻撃」した、本田雅和らによる二年前のいくつかの記事について、朝日は、<取材が不十分だった>ことのみを認め、<訂正>も<謝罪>も全くしていないのだ。

0093/週刊朝日編集長(又は朝日新聞社々長)は官邸で謝罪文を安倍首相に手渡せ。

 司馬遼太郎が「街道をゆく」を長期にわたって連載したのは、週刊朝日だった。朝日新聞本紙には、彼は連載小説は書かず、多くは産経新聞紙上で連載していた筈だ(「竜馬がゆく」も「坂の上の雲」も)。
 朝日新聞社は上のことを最大限利用して、さも司馬遼太郎が朝日と関係が深かったかの如く、没後にいろいろな出版物を刊行して「商売」に利用している。最近では週刊・司馬遼太郎とやらも出しており、かりに朝日が版元でなければ、私は毎週買う可能性が高い。
 その週刊朝日が、さすがに朝日新聞社発行だけあって、虚報によって安倍首相を攻撃した。同5/4+5/11号だ。
 私が見た見出しは<山口組水心会と安倍首相の「関係」を-警察庁幹部が激白>だったが、産経の阿比留瑠比によると、昨日の朝日朝刊上の週刊朝日の広告では「総力特集 長崎市長射殺事件と安倍首相秘書との『接点』-城尾容疑者所属の山口組系水心会と背後にある『闇』を警察庁幹部が激白!」だったらしい。
 内容も通読したが、「警視庁幹部の一人」、「水心社の関係者」、「長崎県警の関係者」の話をつなげて、某元秘書に関する問題を介して、安倍首相と暴力団が何がしかの「関係」があると<疑わせる>又はそういう<印象>になっていた。
 週刊朝日は汚い。この記事を書いたのは「ジャーナリスト・時任兼作今西憲之+本誌・中村裕」だ。このうち、今西憲之は京都大学教授だった今西錦司の孫の筈で、こんなゴロツキ記事又はヨタ記事の作成に関与しているとあっては、今西錦司の(あるとすればだが)「名声」を傷つけるのではないか。あとの二人の氏名もきっちりと記憶しておこう。
 安倍首相の「怒り」の反応に応じてか、朝日新聞は今日4/25の朝刊に「山口一臣・週刊朝日編集長の話 一部広告の見出しに安倍首相が射殺犯と関係があるかのような不適切な表現がありました。おわびいたします。」と掲載したらしい。
 一国の内閣総理大臣に関して少なくとも広告上に「不適切な表現」を用いたことについて、「おわびいたします」とだけとは、何たる言い草だろう。せめて、<謹んでお詫び申し上げます>くらいにはしろ、と言いたい。
 しかも、「不適切な」のは広告上の表現だけだろうか。実際に販売されている出版物に全く問題はないのか。おそらくは、聞いたことをそのまま活字にしただけ、安倍事務所にも公平に取材した、と釈明するのだろう。だが、この記事の目的は、上記のように、安倍首相と暴力団が何がしかの「関係」があると<疑わせる>又はそういう<印象>を与えることにある。そして、朝日新聞の読者やもともと反安倍首相の立場の人々はそう信じてしまいかねない記事になっている。
 このように、安倍首相を何か材料があれば<信憑性がきわめて乏しくても>それを使って批判してやろうという姿勢そのものが、朝日新聞社および週刊朝日編集部が報道機関としての資格をもっていないことを示している、と考える。
 安倍首相も明確に述べたようだ。産経本紙によると、「言論のテロ」、「(倒閣をめざす)政治運動」だ、と。私も、何度も、朝日新聞は報道機関ではなく「(政治)運動団体」だと書いてきた。2年前には安倍晋三・中川昭一両氏を「貶める」ためにNHKを利用した<策略>を行った。昨年の今頃からは、安倍氏を首相にさせないための<運動>を社説や記事を使って行っていた。そして現在は、参院選で与党を敗北させて安倍首相を退陣させるために<運動>している(いずれも首尾良くいかなかったし、いかないようだが)。
 繰り返すが、朝日新聞は「ふつうの」新聞社、「ふつうの」報道機関ではない。上に述べたこと以外のことを挙げればきりがない。媚中(屈中)・自虐・国籍不明・「左翼」・「反日」等々のいろいろなレッテルが貼れそうな(そうすることは私の趣味ではないが)、実質的には(「政治団体」として政治資金規正法上の登録していなくとも)「(政治)運動団体」に他ならない。
 不思議なのは、産経を除いて、この問題を報道しているメディアが殆どないことだ。産経の阿比留によると、「読売、日経両紙はミニ・ニュース扱い」ということらしいが、読売の読者の私は気づかなかった。NHKは一切とり上げていないのでないか。週刊朝日の記事だけでとり上げる必要はないかもしれないが、阿比留によると、朝日批判につき「首相になってからこれだけ激しいのは初めて」らしいのに、首相発言を無視する(スルーする、と言うらしい)とはどういう神経を各メディアはしているのだろうか。
 阿比留のブログの中に安倍首相の発言が全文掲載されているので、ここでもそれをコピーしておく。
 「私はこの週刊朝日の広告を見まして愕然としました。まるで私や私の秘書が、あの卑劣な凶行を行った犯人、あるいはその彼が所属している暴力団と関係があるかのごとくの記事です。一切関係がありませんし、これは全くのでっち上げで、ねつ造ですね。私は驚きとともに憤りを感じています。全くこれは私や私の秘書に対する中傷でしかない記事です。私にも私の秘書にも家族や親族もいますし、その中には子供もいるわけです。この記事を書いた朝日の記者、あるいは朝日の皆さん、恥ずかしくないですかと、このように申し上げたい。いくら私が憎くて、私の内閣を倒そうということであったとしても、これはもう全く事実に基づいてないのであれば、これはいわば言論によるテロではないかと、このように思います。これは報道ではなくて、むしろ政治運動ではないかとすら申し上げたくなります。私や私の秘書が、犯人や暴力団の組織と関係があるのであれば、私は直ちに総理大臣を、衆議院議員もやめる考えです。そのことを、関係を証明できないのであれば、謝罪を、潔く謝罪をしてもらいたい。」/法的措置を検討するかの問いに対して「これはもう、法的措置、私は週刊誌も読みませんし、相手にしない姿勢でありました。しかし、いくらなんでもあのような凶行をした犯人、あるいは凶行そのものと関係していると、こんなことを言われたら、これはやはりいくら何でも黙っているわけにはいかないと思います。」
 阿比留によると、「安倍は、朝日のわずか5行程度のお詫びで話を終わりにする気はさらさらないよう」だ。どういう適切な方法があるのかはよく分からないが(訴訟提起してもよいが、長期間がかかりそのうち忘れられてしまう)、安倍首相には断固として頑張っていただきたい。
 少なくとも朝日新聞社(又は週刊朝日編集部)に要求できるのは、新聞紙上で「わび」の言葉を掲載することのみならず、「詫び」(本当は「謝罪」と言うべきだが)の文書を官邸まで持って来させ、対面して「詫び」(「謝罪」)の言葉を述べさせるとともに、何故「不適切な」表現になったのかについての釈明を求めることだ。
 朝日新聞社(・週刊朝日編集部)が「まとも」な感覚の人々で構成されているならば、上記の程度のことはできる筈だ。安倍首相は最低でも上のことを公の場で(記者会見等の機会に)要求できるはずだ。
 週刊朝日編集長(又は朝日新聞社々長)は、少なくとも、官邸で「謝罪」文を安倍首相に手渡せ。

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