秋月瑛二の「憂国」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

週刊文春

日本の「左翼」-青木理。

 何日か前に<民主主義対ファシズム>等の図式の「観念世界に生きている」朝日新聞や大江健三郎の名を挙げるついでに、青木理の名前も出した。
 その青木理が7/24夜のテレビ番組(全国ネット)に出ているのをたまたま見て、さすがに正面からは「左翼」的言辞は吐かないだろうのだろうと思っていたら、最後の方で「歪んだ民主主義からファシズムは生まれるとか言いますからね」とか言い放った。
 さすがに日本の「左翼」の一人だ。テレビの生番組(たぶん)に出て、<民主主義対ファシズム>史観の持ち主、民主主義=反ファシズムという図式に嵌まっている者、であることを白状していた。その旨を明確に語ったわけではないが、「左翼」特有の論じ方・対立軸の立て方を知っている者にはすぐに分かった。
 その青木理は、毎日新聞7/25夕刊(東京版)にも登場していた。
 同紙第2面によれば、青木は、今次の東京都知事選に関して、鳥越俊太郎の元に「野党4党が結集したことが、どういう結果をもたらすか」、「一強状態の安倍政権と対峙するための橋頭堡を首都に築けるか、否か」という「視点でもこの選挙を見ています」と言ったとされる。
 さすがに日本の「左翼」の一人だ。野党4党の結集が「結果」をもたらしてほしい、「安倍政権と対峙するための橋頭堡を首都に築」いてほしい、と青木が思っていることがミエミエだ。
 青木理の名前は、月刊Hanada2016年9月号(飛鳥新社)誌上の青山繁晴の連載のp.209にも出てくる。
 青山によれば、6/30発売の週刊文春7/07号の中で青木理が「元共同通信社会部記者」と紹介されつつ、青山を「中傷」しているらしい(週刊文春は購読せず、原則として読まないので、直接の引用はできない)。
 さすがに日本の「左翼」の一人だ。青山繁晴の考え方・主張を知っているだろうし、青山が自民党から参議院議員選挙に立候補したとなれば、ますます批判したくなったとしても不思議ではない。
 青山によれば、青木は「朝日新聞の慰安婦報道を擁護する本」を出しているらしい。これを買って読んだ記憶はまるでないことからすると、私の青木理=「左翼」という判断は、その本の刊行以前に生じていたようだ。
 青木理は<日本会議>に関する本も最近に出したようだ。菅野完の扶桑社新書も気持ち悪いが(産経新聞の関連会社で育鵬社の親会社の扶桑社がこういう内容の新書を刊行することにも、日本の「保守」派の退嬰が現れている)、青木理による<日本会議>本がもっと気持ちが悪く、「左翼」丸出しの本になっているだろうことは、想像に難くない。


1241/宮崎哲弥が「リベラル保守」という偽装保守「左翼」を批判する。

 宮崎哲弥が週刊文春1/16号(文藝春秋)で「リベラル保守」を批判している。正確には、以下のとおり。
 「最近、実態は紛う方なき左翼のくせに『保守派』を偽装する卑怯者が言論界を徘徊している」。「左派であることが直ちに悪いわけではな」く、「許し難い」のは、「『リベラル保守』などと騙って保守派を装う性根」だ(p.117)。
 宮崎は固有名詞を明記していないが、この批判の対象になっていることがほぼ明らかなのは、中島岳志(北海道大学)だろうと思われる。
 中島岳志は自ら「保守リベラル」と称して朝日新聞の書評欄を担当したりしつつ、「保守」の立場から憲法改正に反対すると明言し、特定秘密保護法についてはテレビ朝日の報道ステ-ションに登場して反対論を述べた。明らかに「左派」だと思われるのだが、西部邁・佐伯啓思の<表現者>グル-プの一員として遇されているようでもあり、また西部邁との共著もあったりして、立場・思想の位置づけを不明瞭にもしてきた。だが、「左翼」だと判断できるので、西部邁らに対して、中島岳志を「飼う」のをやめよという旨をこの欄に記したこともあった。
 「リベラル保守」または「保守リベラル」と自称している者は中島岳志しかいないので、宮崎の批判は、少なくとも中島岳志に対しては向けられているだろう。
 適菜収も、維新の会の協力による憲法改正に反対すると明言し、安倍晋三を批判しているので、月刊正論(産経)の執筆者であるにもかかわらず、「実態は紛う方なき左翼」である可能性がある。但し、宮崎哲弥の上の文章が適菜収をも念頭においているかは明らかではない。なお、産経新聞「正論」欄執筆者でありながら、その「保守」性に疑問符がつく政治学者に、桜田淳がいる。「保守」的という点では、さらに若い岩田温の方にむしろ期待がもてる。
 ところで、宮崎哲弥は「自らのポリティカルな立ち位置」を明確にするために、「リベラル保守」を批判しており、自らは「保守主義者」を自任したことはなく、「あえていえばリベラル右派」だと述べている。そして、安倍政権を全面的に支持するわけでは全くないが、特定秘密保護法に対する(一定の原理的な)「反対論には到底賛同できない」とする。単純素朴または教条的な?「保守」派論者よりは自分の頭で適確によく考えているという印象を持ってきたところでもあり、自称「保守主義者」でなくとも好感はもてる。また、「仏教」・宗教に詳しいのも宮崎の悪くない特徴だ。もっとも、彼のいう「リベラル」の意味を必ずしも明確には理解してはいないのだが。
 同じ「リベラル」派としてだろう、宮崎は護憲派でありながら特定秘密保護法に賛成した(反対しなかった)長谷部恭男(東京大学法学部現役教授)に言及している。この欄で長谷部は「志の低い」護憲論者(改憲反対論者)としてとり上げたことがある。長谷部が特定秘密保護法反対派に組みしなかったのは、この人が日本共産党員または共産党シンパではない、非共産党「左翼」だと感じてきたことと大きく矛盾はしない。長谷部恭男が特定秘密保護法に反対しなかったことは、憲法学界で主流的と思われる日本共産党系学者からは(内心では)毛嫌いされることとなっている可能性がある。その意味では勇気ある判断・意見表明だったと評価しておいてよい。
 宮崎哲弥が長谷部恭男の諸議論をすべてまたは基本的に若しくは大部分支持しているかどうかは明らかではない。
 ヌエ的な中島岳志を気味悪く感じていたことが、この一文のきっかけになった。

1222/錯乱した適菜収は自民+維新による憲法改正に反対を明言し、「護憲」を主張する。

 10/04に、適菜収が月刊正論2013年8月号で、「反日活動家であることは明白」な橋下徹を「支持する『保守』というのが巷には存在するらしい」のは「不思議なこと」とだと書いていることを紹介し、「適菜収によれば、石原慎太郎、佐々淳行、加地伸行、西尾幹二、津川雅彦らは、かつ場合によっては安倍晋三も、『不思議』な『保守』らしい。そのように感じること自体が、自らが歪んでいることの証左だとは自覚できないのだろう、気の毒に」とコメントした。「保守」とされているのが「不思議」だ(「語義矛盾ではないか」)という言い方は、橋下徹を支持する人物の「保守」性を疑っている、ということでもあるだろう。

 それから一週間後の10/11に、明確に安倍晋三の「保守」性を疑問視する適菜収の文章を読んでしまった。週刊文春10/17号p.45だ。適菜収は「連載22/今週のバカ」として何と安倍晋三を取り上げ、「安倍晋三は本当に保守なのか?」をタイトルにしている。その他にも、驚くべきというか、大嗤いするというというか、そのような奇怪な主張を適菜は行っている。

 ①まず、簡略して紹介するが、橋下徹と付き合う安倍晋三を以下のように批判する。

 ・付き合っている相手によって「その人間の正体」が明らかになりうる。橋下徹の「封じ込めを図るのが保守の役割のはず」、日本の文化伝統破壊者に対して「立ち上がるのが保守」であるにもかかわらず、「こうした連中とベタベタの関係を築いてきたのが安倍晋三ではないか」。
 ②また、安倍晋三個人を次のように批判する。

 ・組んでよい相手を判断できない人間は「バカ」。「問題は見識の欠片もないボンボンがわが国の総理大臣になってしまったこと」だ。

 ③ついで、安倍内閣自体をつぎのように批判する。

 ・「耳あたりのいい言葉を並べて『保守層』を騙しながら、時代錯誤の新自由主義を爆走中」。
 ④さらには、次のように自民+維新による憲法改正に反対し、「護憲」を主張する。
 ・「維新の会と組んで改憲するくらいなら未来永劫改憲なんかしなくてよい。真っ当な日本人、まともな保守なら、わけのわからない野合に対しては護憲に回るべきです」。

 ビ-トたけしあたりの「毒舌」または一種の「諧謔」ならはまだよいのだが、適菜収はどうやら上記のことを「本気」で書いている。

 出発点に橋下徹との関係がくるのが適菜の奇怪なところだ。与えられた原稿スペ-スの中にほとんどと言ってよいほど橋下徹批判の部分を加えるのが適菜の文章の特徴だが、この週刊文春の原稿も例外ではない。よく分からないが、適菜は橋下徹に対する「私怨」でも持っているのだろうか。何となく、気持ちが悪い。

 それよりも、第一に、安倍晋三を明確に「バカ」呼ばわりし、第二に、安倍晋三の「保守」性を明確に疑問視し、第三者に、「野合」による憲法改正に反対し、「護憲に回るべき」と説いているのが、適菜収とはほとんど錯乱状態にある人間であることを示しているだろう。

 少し冷静に思考すれば、憲法改正の内容・方向にいっさい触れることなく、「維新の会と組んで改憲するくらいなら」と憲法改正に反対し、「野合」に対して「護憲に回るべき」と主張することが、憲法改正に関するまともな議論でないことはすぐ分かる。

 適菜収は論点に即して適切な文章を書ける論理力・理性を持っているのか?

 適菜といえば「B層」うんぬんだが、そのいうA~D層への四象限への分類も、思想・考え方または人間の、ありうる分類の一つにすぎない。容共・反共、親米・反米(反中・親米)、国家肥大化肯定的・否定的(大きな国家か小さな国家か)、自由か平等か、変革愛好か現状維持的か、等々、四象限への分類はタテ軸・ヨコ軸に何を取り上げるかによってさまざまに語りうる。適菜のそれの特徴は「IQが高い・低い」を重要な要素に高めていることだが、少なくとも、ある程度でも普遍的な分類方法を示しているわけではない。
 さらにまた、適菜のいうA~D層への四象限への分類は、適菜自身が考えたのではないことを適菜自身が語っている。適菜はある程度でも普遍的だとはまったくいえない「B層」・「C層」論等を、「借り物の」基準を前提にして論じているのだ。
 そしてどうやら適菜は自らは規制改革に反対(反竹中平蔵・反堺屋太一)で「IQが高い」という「C層」に属すると考えているようなのだが、この週刊文春の文章を読むと、「D層」ではないかと思えてくる。

 また、自民党・維新の会による憲法改正に反対し、「護憲」を主張しているという点では辻元清美、山口二郎等々々の「左翼」と何ら変わらない(中島岳志とも同じ)、安倍晋三を「バカ」と明言するに至っては、かつて第一次内閣時代の安倍について「キ〇〇〇に刃物」とも称していた、程度の低い「左翼」(またはエセ保守)文筆家(山崎行太郎だったか天木直人だったか)とも類似するところがある。

 この適菜が「橋下徹は保守ではない!」という論考で月刊正論(産経)の表紙をよくぞ飾れたものだ。

 もう一度10/04のこの欄のタイトルを繰り返しておこうか。

 <月刊正論(産経)・桑原聡は適菜収のいったい何を評価しているのか。> 

1069/花田紀凱・三重博一(新潮45)と大阪市長選・橋下徹

 〇週刊新潮(新潮社)と週刊文春(文藝春秋)がともに二週続けて、橋下徹の個人攻撃記事を載せたのは、10月下旬・11月上旬だった(11/03号、11/10号)。
 この連載を疑問視したのは、産経新聞紙上での花田紀凱「週刊誌ウォッチング」の連載で、花田の正当な感覚はきちんと記録され、記憶されてよいと思われる。
 花田紀凱は産経10/29付で「なぜ今?橋下徹大阪府知事の出問題特集」と題して、こう書いた。
 「『週刊文春』と『週刊新潮』(ともに11月3日号)が揃(そろ)って橋下徹大阪府知事の出自の問題を特集している。…/両誌ともほとんど同じ内容で、…というもの。/これまで書かれなかった出自のことが、なぜ今? なぜこのタイミングで?/府知事辞任、市長選出馬表明というこの時期を考えると、明らかにネガティブキャンペーンの一環としか見えないだいたい橋下知事の出自を問題にすることに何の意味があるのか。/しかも、この件は両誌に先行して『新潮45』11月号で、…ノンフィクション作家、上原善広氏がレポートしているのだ。/月刊誌署名記事の後追いという形でしか記事にできなかったところに週刊誌ジャーナリズムの衰弱を感じる。『文春』が上原レポートに一切触れていないのはフェアじゃない。…/両誌とも後味が極めてよくない。」

 花田は11/12付でもとくに週刊新潮を疑問視し、選挙後の12/03付でも、「未練がましく」橋下徹批判を続ける週刊新潮(12/08号)を皮肉っている。
 産経新聞その他の活字メディアは両週刊誌の(選挙直前の)報道ぶり・記事作りを明示的には何ら問題視せず、産経新聞ですら、対橋下「反独裁」キャンペーンに影響を受けた見出し・記事作りをしていたのだから、花田紀凱のジャーナリストとしての感覚は相当に鋭く、かつ、まっとうだ。マスコミにあった特定の雰囲気(空気)の中で、勇気があった、とも言える。
 〇情けなく、そしてヒドいのはとくに週刊新潮と新潮45(新潮社)だ。

 なかでも新潮45の12月号の「記者匿名座談会」(p.239-)は、いつか言及したマスコミ関係者の「うけねらい」意識を露骨に示している。「匿名」の内輪話?として、以下のようなことが活字にされている。
 ①新潮45の11月号は「増刷」になったので「乾杯」。②橋下徹伝は読ませた。③週刊新潮と週刊文春は「大特集ですぐに続いた」、「週刊誌らしい熱狂を久々に見た」、④だが、テレビのワイドショーは続かず、新聞も似たようなもの。⑤「橋下特集で『45』が増刷になったことを取り上げた新聞・テレビさえ、ほとんどなかった」。
 ①は「雑誌」記者らしいので、月刊新潮45の記者または編集長そのものの言葉だろう。「増刷」を他愛なく喜んでいるのだ。また、③・④のような<恨み節>を語らせて活字にしているのも、異様な感覚だろうと思われる。
 こんなことを語るか、語らせている新潮45の「編集兼発行者」・三重博一という人物は、(正義とか善とかにまるで関係なく)<売れればよい>・「うければよい」と考えていることを恥じも外聞もなく吐露している。新潮社にこんなことを明言してしまう編集者がいることは怖ろしいことだ。

 このような雑誌作りをしても、次号以降が従来よりも売れなかったら、一年・二年と長期的に見るとマイナスになるだろう。一冊の(一時的な?)「増刷」によって、「乾杯」と活字に残すほど喜んでいるとは驚いた。
 明確な政治的信条をもって、断固として橋下徹の市長選当選を阻止する方向で誌面作りをするのも一つの立場ではあろう。
 だが、上の座談会では、橋下が負けた場合は「半生記」を出せばよい、当選したら「ザ・ラストメイヤー(市長)」を書いてもらえる、などという無責任な発言を掲載しているくらいだから(p.240-241)、朝日新聞や岩波書店(の編集者)ほどの<信条>にもとづく橋下徹批判特集連載でもなかったようだ。
 要するに、<うけて>・<話題になる>、そして売れればよかったのだ。
 こんないいかげんな雑誌・出版社は「後味が悪い」(花田)し、気持ちが悪い。
 〇東谷暁は産経12/14付に、橋下徹批判(・警戒)と明確に読める一文を載せている。同日の遠藤浩一の「正論」は大阪市長選にも言及しているが、こちらはほとんど違和感なく読める。

 なお、櫻井よしこは週刊新潮誌上での連載や産経新聞紙上の「首相にもの申す」欄等で橋下徹(または大阪、「維新の会」)に論及する機会が最近にいくらでもあったと思われるにもかかわらず、いっさい触れていない。
 櫻井よしこは「日和見」していて、橋下徹に対する評価・判断をまだ下していないのだろう。この人の政治的感覚は、残念ながら(惜しいことに)信頼できない場合がある。
 以上の三点(三人)については、機会があれば、再び言及する。

0573/祝・朝日新聞社『論座』休刊-週刊文春7/10号・宮崎哲弥による。

 週刊文春7/10号p.117、宮崎哲弥のコラム「仏頂面日記93」によると、こうある。
 「朝日新聞社のオピニオン雑誌『論座』の「休刊」が決まったらしい。十月号がファイナル・イシューになるらしい」。
 宮崎は残念そうな言葉も漏らしているが、<左翼政治謀略団体>朝日新聞社の出版物が減ることは、日本の国民と国家にとってよいことだ。「休刊」とは実際は「廃刊」を意味するはずで、<左翼政治謀略団体>発行の月刊論壇誌が消えるとは喜ばしい(別の名前で再登場の可能性はある)。とても気持ちの良いニューースだ。宮崎哲弥の情報の信憑性が高いことを強く期待する。

0474/宮崎哲弥によるマスメディア批判。

 珍しく入手した週刊文春の4/24号宮崎哲弥のコラム(仏頂面日記)は、今年2月の日教組とプリンスホテル(高輪)の間の紛争と今月になっての映画「靖国」制作者と映画館の間の上映するしないの揉め事を比較している。そして、「同型」だとしつつ、マスメディアが前者の場合は「口を極めてホテル側を難じ立てた」のに対して、後者の場合は上映しないこととした「映画館に妙に同情的な論調に終始」しているとして、マスメディアの<矛盾>・<二重基準>を批判して(又は皮肉って)いる(p.118)。宮崎哲弥はやはり鋭い。週刊新潮の渡辺淳一のコラム週刊文春の彼のコラム記事がそっくり入れ替わってくれたら、週刊新潮はますます面白くかつ有益な週刊誌になるのに。
 <映画「靖国」上映中止の責任を「映画館側」に求めてはいけない>旨の某映画監督のコメントをとくに掲載した新聞もあったらしい(宮崎・同上)。断定できないが、これは朝日新聞ではないか。表現又は集会の場所(・会場)提供者について、一方ではホテルを批判し、一方では映画館に甘い、という<二重基準>くらい、朝日新聞ならば堂々と(無意識にでも)採用すると思われるからだ。
 宮崎哲弥=藤井誠二・少年をいかに罰するか(講談社+α文庫、2007.09)の「文庫版あとがき」で宮崎は、「この国〔日本〕のマスメディアに巣食う『愚民』どもの夜明けは遠い」とあっさり言い切る(その理由・契機の紹介は省略)。
 「愚民」どもが巣食っているマスメディアのうちでも最悪なのは、論じるまでもなく、朝日新聞

0239/森達也の憲法九条理解は誤っている。

 森達也という人の本は、たぶん少なくともまともには読んだことがない。この人が週刊文春6/28号で保阪正康監修・解説の50年前の憲法大論争(講談社現代新書、2007)の書評をしている。
 字数の半分弱が対象書の紹介・論評で残りは憲法(改正)に関する自論の展開というのも大いに気にかかる。さらには、不正確なことを平気で?書いているのでますます気になる。こう書く。
 「改憲派は自衛権を否定するのかと九条二項の撤廃を主張する。ここがまずは勘違い。自衛権は自然権でもある。…つまり九条二項は自衛権を否定するものではなく、自衛権の行使としての武力を否定する理念なのだ」(p.146)。
 森達也が「高揚した危機管理意識と被害者意識が突出するばかりのこの状況で、…憲法を絶対に安易にいじるべきではない」と主張する<護憲>派だから、指摘しておくのではない。上の短い文章(5つの文)には二つの大きな誤りがある。
 第一に、「改憲派は自衛権を否定するのかと九条二項の撤廃を主張」している、という認識は誤っている。「ここがまずは勘違い」と返しておく。
 
第二に、「
九条二項は自衛権を否定するものではなく、自衛権の行使としての武力を否定するものだとの認識は、概念用法が正確ではなく、結果として誤っている。
 まず、改憲派は自衛権が国家にありつつもその自衛権を「陸海空軍その他の戦力」によって行使することを認めていない九条二項の削除を主張している。
 したがって、「九条二項は自衛権を否定するものではなく、自衛権の行使としての戦力(の保持)を否定するものだと説明するならば正しいが、「戦力」に代えて「武力」という概念を用いるのは適切ではない。
 なぜならば、現実に存在する自衛隊は、政府・内閣法制局の言葉遣いによれば、九条二項がいう「陸海空軍その他の戦力」ではない、「武力」又は「実力」なのだ。九条二項にいう「戦力」ではないからこそ自衛隊の存在は合憲だと政府・内閣法制局は説明してきているのだ。
 九条二項の理念が「自衛権の行使としての武力を否定する」ことと述べる森達也が現実に存在する「武力」装置としての自衛隊をどう評価しているのかは不明だが、ともあれ、上のような、一見正しそうできちんと読むと誤っている憲法九条に関する言説を撒き散らす評論家・著述業者等々が-今回発見した森達也も含めて-少なくないので、ああやれやれという気がする。
 今後も、中途半端な九条理解にもとづく、一知半解の議論も多くなされるだろう。警戒が要。
 それにしても、書評欄の半分を対象著書とは無関係の自分の見解で埋め、かつ上のような基本的な誤りを含む文章を書き、さらについでに書けば最後の字数埋めのためか「今の政治家の質が悪くなっていると僕は書いた。これはすなわち、彼らを選ぶこの国の民意が、この半世紀で激しく劣化していることと同義なのだ」と、じつに陳腐な、まことに平凡な内容の文章で終えて、おそらくは結構高い原稿料を出版社(文藝春秋)から貰えるとは、週刊誌文筆商売というのは、何とイイカゲンでかつ何とオイシイものだろう。

0118/あまり目立たぬ好コメント連載-産経「花田紀凱の週刊誌ウォッチング」。

 産経5/05花田紀凱の「週刊誌ウォッチング」106回によると(イザ!にはないようだ)、読売新聞と週刊現代は渡辺恒雄氏関係記事をめぐって大ゲンカし、読売は今でも週刊現代の広告を拒否しているようだ。巨人の某選手への金をめぐって再び読売と週刊現代が争っているらしい。
 細かなことよりも、週刊現代のスタンスが読売新聞とは異なる背景を伺い知ることができて興味深い。講談社の週刊現代は論調がほぼ明瞭なサピオを出している小学館の週刊ポスト(井沢元彦の連載がある)との対抗戦略もあって、より反体制的、より反安倍的になっているのかと思っていたが、反読売というスタンスも講談社(の少なくとも週刊現代)にはあるわけだ。
 講談社がやや奇妙なことは、立花隆のかなりひどい内容の本(滅びゆく国家)を出版し、月刊現代2006年10月号の巻頭に中身はほとんど南原繁賛美だがタイトルは「安倍晋三に告ぐ、『改憲政権』への宣戦布告」との立花隆の論稿を載せたことについて、既にいつか書いた。
 花田の上の一文によるとさらに、週刊文春と週刊新潮のGW各合併号を比較すると、「文章の切れ味で「新潮」に一日の長がある」。花田は文藝春秋出身の筈なので、この評価はかなり客観的ではないか。私が買うときは週刊文春ではなく週刊新潮にしているのはきっと正解だろう(但し、販売部数は週刊文春の方が上とのデータを見たことがある)。
 もっとも、出版社自体は、新潮社よりも文藝春秋の方がよい。既述かもしれないが、何を血迷ったのか、不破哲三・私の戦後六十年(2005)を出して「商売」したのは、新潮社だ。
 その前の4/28の花田「週刊誌ウォッチング」105回によれば、週刊朝日5/04+11合併号の「ジャーナリスト・時任兼作、今西憲之+本誌・中村裕」による<山口組水心会と安倍首相の「関係」を-警察庁幹部が激白>という見出しの記事は、週刊ポスト4/13号の「安倍首相政策秘書を襲った『右翼糾弾』に『複雑骨折』の暗部」という“激震スクープ”記事の<後追い>だという。しかも、週刊新潮4/12号が「徹底検証」して週刊ポストの「“激震スクープ”は、安倍内閣の土台を揺さぶるには至らなかった」と皮肉ったらしい。
 朝日新聞社は広告のみならず記事の内容自体についても謝罪したのかどうか。
 それにしても、花田の筆は、少ない字数ながら要領よく、かつ内容は鋭い。かつての部下の勝谷誠彦よりもまだ数段上ではないか。

ギャラリー
  • 1181/ベルリン・シュタージ博物館。
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  • 1180/プラハ市民は日本共産党のようにレーニンとスターリンを区別しているか。
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  • 0840/有権者と朝日新聞が中川昭一を「殺し」、石川知裕を…。
  • 0801/鳩山由紀夫は祖父やクーデカホフ・カレルギーの如く「左の」全体主義とも闘うのか。
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  • 0800/朝日新聞社説の「東京裁判」観と日本会議国際広報委員会編・再審「南京大虐殺」(明成社、2000)。
  • 0799/民主党・鳩山由紀夫、社民党・福島瑞穂は<アメリカの核の傘>の現実を直視しているか。
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