些か古い話題だが、宮崎哲弥の主張は適確と考えられるので、記録として残しておく。彼は、週刊プレイボーイ2006年12/04号の時評でこう書いた。
 「近頃中川自民党政調会長や麻生外務大臣が核兵器の保有の是非を議論すること自体は別に悪くないんじゃないかという趣旨の発言を繰り返し野党やマスメディアからはその責任を追及されている。…批判する勢力は一体何を守ろうとしているのか。
 しつこいようだが、核保有是非論争を再論する。何度もいうが、私には議論もいけないという立場がさっぱり理解できない。もし閣僚や与党幹部が議論を禁じるべしと主張すれば憲法上の大問題となるが、議論を容認するならば全く差し支えない。むしろ、議論の封殺を企図するがごとき野党幹部の態度の方がよほど不審である。いやしくも国会議員やマスメディアがこんなバカげた論争で政治資源を濫費している国が日本以外のどこに存在するだろうか。
 「世界の目」とは次のようなものだ。<核兵器は偏在こそが怖い。広島、長崎の悲劇は米国だけが核を持っていたからで、米ソ冷戦期には使われなかった。…中東が不安定なのはイスラエルだけに核があるからで、東アジアも中国だけでは安定しない。日本も持てばいい>。
 これは、ゴリゴリのタカ派の発言ではない。朝日新聞10月30日付朝刊に掲載されたフランスの左翼リベラル派を代表する著名な知識人、エマニャエル・トッド氏のインタビュー記事の一節だ。さすがに朝日新聞の社論とは全く異なる見解なので、そのままではマズイと判断したのか、記事には「刺激的な議論になった」だの「頭の体操だと思ってお読みいただきたい」だのと、トッド氏には随分失礼な断り書きが入れられている。
 こういう蛇足を見ると、朝日新聞って本当に読者を信頼していないのだな、と痛感する。いや、もっと言えば、<世界の常識>が日本の各層に知れ渡り、市民が目覚めてしまうことを恐れているのだろう。
 朝日新聞の11月11日社説に本音がにじみ出ている。<世界の先頭に立って核不拡散条約(NPT)の重要性を訴えてきた日本が核保有へと急変すれば、国際社会での信用は地に落ちる。…米国には日米安保条約への不信の表明と受け止められる>。まず、核兵器保有論議是非論が核保有容認論にすり替わっていることに注意。ここの争点のすり替えも実に姑息だが今は措くとしよう。核保有なんぞしようするものなら<国際的に孤立するぞ><アメリカが懸念するぞ>といった他律的姿勢が露わになっている。
 
たしかに、日本が核を保有すれば北東アジアの軍事バランスは一変する。覇権国や周辺国がこれを警戒するのは当然だ。が、核保有とはそういう状況の醸成を目的として行なうものではないのだろうか。つまり、朝日新聞社説などに指摘されずとも、日本が核武装に踏み切る場合とは、そういう利害得失を勘案してもなお国益に資するという結論に至った時に決まっている。そうした議論をもう一度詰めてみようというのが中川氏や麻生氏の見解だが、それを批判する社説の中に議論の<結論>めいたものが混入しているのはいかなるわけか。典型的な<論点先取りの虚偽>ではないか。
 ちなみに日本テレビの最新の世論調査によれば、核について具体的な議論があってもよいという人の割合は実に72%に上っている。もはや市民の覚醒は止められなさそうだ
」。