秋月瑛二の「憂国」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

近藤富美子

2097/松下祥子・阿児和成・近藤富美子④。

 奇妙で不思議なことはあるものだ。「桜を見る会」問題から
  ①「内閣総理大臣・安倍晋三」の名で招待状を発送しておきながら、<最終的なとりまとめには関与していません>という釈明が可能であるはずはないだろう。
 安倍晋三なのか内閣府か等の問題は、いわば「内部」問題で、主催者・招待者が内閣総理大臣・安倍晋三であるかぎり、安倍に全面的な「責任」の所在があることは当たり前のことだろう。組織・機関・個人(政治家個人)の意識的な混同でもって逃げているのだろう。
 ②野党議員または国会による招待者名簿の公開または提出要求に対する、<個人情報>だからという理由づけは、むちゃくちゃで、一体誰が考えだしたのか。
 <個人情報>該当性を理由にして提出・公開ができないとすれば、<春・秋の叙勲>者たちの氏名は、どうして新聞にも細かく出て報道されるのだろうか。内閣府褒賞局が、データ(名簿一覧)を積極的にマスコミに提供しているからだろう。
 しかも、現在の<叙勲>は「数字による等級づけ」はしなくなっているのかもしれないが(未確認)、何がしかの分類・評価づけはしているだろう。そのような情報提供によって他者と比べての不満・不快感を中には感じる人もいるだろうが、全員から、新聞発表についての個別の「同意」を得ているのか。
 ③さらによく分からないのは、行政機関情報公開法を引き合いに出して、一方では開示請求の対象となる「行政文書」性がないとかの議論をしながら、同情報公開法には<個人情報であれば全て開示しないことができる(開示してはならない)> という旨の規定など、どこにもないということだ。開示することによる「公益」と比較考量をすることを前提としている。要するに、<個人情報>だからというだけでは、公開しない<天下の御旗>には全くならない。
 一方で法律を細かく解釈するようなことをしながら、一方ではズルズルだ。このアンバランスは不思議でしようがない。
 <現用組織共用文書>ではない旨の、法律上は唱え得る主張も、苦しい。存在しているかぎりは、実際上アクセス可能者が限られるとしても、<現用組織共用文書>ではあって、「行政文書」だろう。もっとも、「存在しない」となると、かつそれが事実だとすると、どうしようもないかもしれない。
 存在してはじめて、開示請求の対象になる。しかし、「存在する」ことの立証・証明は申し立て側に、強制的立入・調査権でも認めないと、ほぼ困難だ。
 ④ついでに書くと、国会・野党議員の<提出・公開>要求への応じ方を、行政機関情報公開法の条項を手がかりとして論じる、というのにも違和感が残る。
 国民による法的請求に対する対応の仕方と国会に対する政治的・行政的対応の仕方は、同じである必要はないのでないか。つまり、例えば、「個人情報」の観点から問題があるというならば、一部については国会議員は自分たちだけの「秘密」にして、マスコミには氏名等々は発表しないということもあり得るだろう。

 安倍晋三首相が早々に来年度の「桜を見る会」中止を決定し、選考基準等の「見直し」・「改革」をすると発表した。
 面白いと思うのは、<今後、改革する>と強調することによって、現に発生している、または発生した問題の「責任」の所在・問題点を可能なかぎり不問にしようとしていることだ。
 こういう対応の仕方は、消費者から正当なクレームを受けた民間企業でもあるだろうが、国や地方公共団体(地方自治体)の通常の行政の過程でもある。
 問題の所在が指摘されたとき、いったい誰のどういう言動に問題があったかを特定して説明することなく、ともかくも「詫びて」、場合によっては「深く頭を下げる挙措」を芝居がかってすることによって「詫びて」、それで過去の問題はなくなったことにする。
 あとは「今後の問題」で、ときには、改革する、改善するとすでにたくさん言ったではないか、それ以上の何の文句があるのか!と<逆ギレ>して、問題提起者とケンカしようとする。
 繰り返せば、いったい誰のどういう言動に問題があったかを曖昧にし、そのような関係関係公務員にはどういう<責任>を取らせるのかを全く曖昧にしたままでだ。
 このようなことが、今回の安倍晋三首相・内閣府関係でも行われているようで、すこぶる興味深い。

  「桜を見る会」問題に関連して、JBpress のサイト上で、伊東乾は厳しい立場に立つ。
 2019.11.22付「民主主義を知らない『桜を見る会』擁護者」-「現在の内閣が本件を契機に終焉を告げる可能性が高いと思います」。
 2019.12.03付「ついに疑獄へ発展『桜を見る会』」-「実際、進んでも退いてもこの政権はもたないことが、いまやまともにものを見る大人の目には明らかで、…事態はいまや『桜を見る会』疑獄事件と呼ぶべき段階に到達してしまいました」。
 2019.12.05付「なぜ官僚は嘘の見え透いた言い訳に終始するのか?」。
 郷原信郎によると、安倍首相は<もう詰んだ>らしい→2019.11.28 付/HUFFPOST。
 こうした意見が公にされるのはよいことだ。
 それにしても、伊東乾は物理学と音楽が専門とは。パリのノートルダム寺院の構造が音響・音楽に関係していたとかのかなり前の話題提供には驚き、感心した。また別の機会に。

2062/松下祥子・阿児和成・近藤富美子③。

 前回№2043/2019年09月16日付に「要旨」という語は法律用語ではないと記述したが、法令で用いられている概念ではない、という趣旨であるとすると、誤りだ。
 行政不服審査法50条第1項は、こう定める。
 「裁決は、次に掲げる事項を記載し、審査庁が記名押印した裁決書によりしなければならない。
 一 主文
 二 事案の概要
 三 審理関係人の主張の要旨
 四 理由(<中略>を含む。)」
 他にも、何らかの文書について、その「要旨」の記載や公表を求める法令上の条項がある。
 しかし、「この法律(や政令等)において、要旨とは…をいう」などといった定義規定はおそらく間違いなく存在しないので、前回に記したように、「要旨」の語意は、「結局は、健全な適切な<社会的感覚>または<社会的常識>で判断するしかない」。
 そして、常識的な日本語の用法からして、例えば元の文書・文章よりも<長く>なっている文書・文章は、前者の「要旨」だとは言えないだろう,と書いたのだった。
 上に引用の条項によると、「裁決」なるものには「審理関係人の主張の要旨」を記載しなければならない。
 これはいわば必要的記載事項だから、これを欠く、または「要旨」ではない文章を記載している「裁決」は、瑕疵あるものになるだろう。
 但し、行政不服審査(行政不服申立)制度やそこでの「裁決」の意味・位置づけ等にはここでは立ち入らない。行政事件訴訟法3条2項によると、同法上の「取消訴訟」には「処分」についてのそれと「裁決」についてのそれがあるようなのだが。
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 G・トノーニら/花本知子訳・意識はいつ生まれるのか-脳の謎に挑む統合情報理論(亜紀書房、2015)、p.78に、つぎのような文章がある。
 「脳に損傷を受けた患者に意志に基づく身動きが見られるならば、確かに意識があるといえる」。しかし、「身動きがまったく見られない場合でも、意識がある可能性がないとはいえない」。
 相当に幼稚な叙述になるが、上の文章は、単純にはつぎのことを意味することが容易に分かる。
 Aであれば、Bといえる。しかし、Aでなければ、Bでない、ということにはならない。
 そして、ここでG・トノーニらが問題にしているのは「意識」があると言えるか否か、であることも明らかだろう。彼らは、「意識」の有無に関心があるのだ。
 ーーーー
 幼稚な叙述を続けるが、「要旨」という語を使って、つぎの文章があると想定してみよう。
 ①A文章と<まったく(ほとんど)同じ>だから、B文章はAの<「要旨」とは言えない>。
 このような主張・指摘に対して、某行政担当者で法規・文書関係の責任者(知事または市長の「専決」権をもつ者)は、つぎのように反論・釈明または主張をしたらしい。
 ②<まったく(ほとんど)同じ>ではなく、<少し異なっているし、少し詳しくなっている部分もある。>
 分量的には、B文章の方がA文章よりも<少し長い>か<ほとんど同じ>であることを、この話題は前提にしている。
 しかし、上の②を述べることによって、この人物は、<BはAの「要旨」とは言えない、ということにはならない>、という趣旨を述べたつもりだったらしい。G・トノーニらの場合に問題は「意識」の存否であつたのと同様に、この場合の問題は<BはAの「要旨」と言えるか>だったのだから、厳密にはまたは論理的には同一ではないとしても、上の②を述べることは、まるで<BはAの「要旨」だと言える>というに等しいだろう。
 幼稚で、馬鹿らしい話だ。
 この人物は、<BはAの「要旨」とは言えない、ということにはならない>と明言しただけで、その後自らは何もせず、何の反応もしなかったらしい。
 そして、この人物が、上にいうB文章はA文章の「要旨」であるとは言えない、ということを公式に?肯定したのは、一ヶ月半のち、つまり約6週間後だった、とされている。
 ここまでをまとめると、<まったく(ほとんど)同じ>だからB文章はA文章の「要旨」ではない、というのが主旨である主張・指摘に対して、この人物は、B文章はA文章と<まったく(ほとんど)同じ>ではなく<少し異なっているし、少し詳しくなつていいる部分もある>といったん明確に回答した。そののち、ひょっとすれば両者の文書をきちんと比較して読んでみたのか、一ヶ月半、約6週間後になってようやく?、上にいうB文章はA文章の「要旨」であるとは言えない、と認めた、というのだ。
 いったいなぜ、こんなことが生じるのだろうか。
 じつに興味深い。人間というものの意識・発言・行動について、考えさせられる。
 人間個人(自然人)といっても様々だ。組織・団体に帰属している場合、そしてその帰属によって<食って生きている>場合、自分の身を守るために、あるいは自分の身の安全を図るために、その組織・団体との関係で、あるいはその組織・団体のために、その人間個人はどう振る舞うのか。
 (つづく)

2043/松下祥子・阿児和成・近藤富美子②。

 恐るべき「行政」、行政担当者、の実態がある。
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 行政機関情報公開法(平成11年法律42号。略称)は「行政文書」をこう定義している。
 第2条第2項本文「この法律において『行政文書』とは、行政機関の職員が職務上作成し、又は取得した文書、図画及び電磁的記録(電子的方式、磁気的方式その他人の知覚によっては認識することができない方式で作られた記録をいう。以下同じ。)であって、当該行政機関の職員が組織的に用いるものとして、当該行政機関が保有しているものをいう。ただし、次に掲げるものを除く。」
 「行政文書」なるものには地図・写真や「電磁的記録」も含む、というのがこの定義の仕方のミソだ。その際、「電磁的記録」も必ずしも一般的用語でないかもしれないが、それを「…その他人の知覚によっては認識することができない方式で作られた記録」と定義して、「知覚」・「認識」をいわば法律用語または法的概念として用いている。
 しかして、「知覚」や「認識」という行為が厳密に何を意味するかのさらに厳密な定義はない。
 ここでの「知覚」や「認識」という語法は私の何となくのこれらの語の理解の仕方に近いので、違和感はない。しかし、哲学的には?、あるいは脳神経生理学的には?、当然にこれらの正確な意味が問題になるはずだ。類似語に、「意識」、「感知」、「認知」、「理解」などがある。
 しかし、そのような言葉の厳密化を循環させるとキリがないので、法律用語としては、または「電磁的記録」をさらに定義する際に使う言葉としては、ギリギリ「知覚」と「認識」でとどめた、ということだろう。法律の適用・運用としては、この程度でおそらく十分なのだ。あとは健全で適切な<社会的感覚>または<社会的常識>に委ねている、ということだろう。
 ついでに、上の法律が「開示」を義務づけられない情報類型の一つとして定めるいわゆる「個人情報」(にかかる行政文書)の原則的・一般的な定義はつぎのとおりだ。
 第5条本文<略>
 同条第1号本文「個人に関する情報(<中略>を除く。)であって、当該情報に含まれる氏名、生年月日その他の記述等(文書、図画若しくは電磁的記録に記載され、若しくは記録され、又は音声、動作その他の方法を用いて表された一切の事項をいう。<以下略>)により特定の個人を識別することができるもの(他の情報と照合することにより、特定の個人を識別することができることとなるものを含む。)又は特定の個人を識別することはできないが、公にすることにより、なお個人の権利利益を害するおそれがあるもの。ただし、次に掲げる情報を除く。」
 ここでは「記述等」が原則的には「…に記載され、若しくは記録され、又は音声、動作その他の方法を用いて表された一切の事項」とされ、「等」が曖昧なまま「一切の事項」に包み込まれているとともに、「記載」・「記録」・「音声、動作その他の方法を用いて表された」もの、というこれら自体がなおも曖昧さを残した規定の仕方をしている。
 「記述」、「記載」、「記録」、「表された…」。これらは一体どう違うのか?
 文学的には(または文学趣味的には)、あるいは人間の「表現」にかかわる行為態様の分類という関心からは、さらに厳密な議論をすることが可能であるのかもしれない。
 しかし、<個人情報>を限定するための条文上の書きぶりとしては、上の程度で十分だろう、という判断を立法者は(そして法律案作成者は)したのだろう。
 あとは、健全で適切な<社会的感覚>または<社会的常識>に委ねているわけだ。
 同じことは、上の定めの中に出てくる、「照合」と「識別」についても言えるだろう。
 「識別」とは特定の個人の「識別」(英訳すると動詞はきっとidentify)を指しているのだから、きわめて重要な概念ではある。しかし、これをさらに詳細に記述することができない、またはそうしても実際上の意味がない、ということなのだろう。
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 <要旨>という言葉、概念がある。
 これは、法律用語、法的概念(または法学上の専門用語)ではないだろう。その意味では、一般的な、または日常的な用語であり、言葉、概念だ。
 もっとも、種々の判決例(を掲載した雑誌類)を見ていると、判決文自体の上下に<判旨>との注記があって、傍線(下線)と連動させていたり、判決文紹介の最初に、「判旨」とか「要旨」とか「判決要旨」とかと題されて、当該判決の<要旨>が記述されていることがある。
 また、例えば「原審判決の要旨」とか「この最高裁判決の要旨」とかは、裁判実務にかかわる情報の流通に際して、法学系論考の執筆や法学教育の場を含めて、かなりよく用いられるようでもある。
 しかし、ある判決の作成者(裁判官たち)が自らその判決の<要旨>なる文書をまとめることはないものと推測される。少なくとも、最高裁判所の判決については。
 下級審の判決であっても、その内容をメディア等に発表する場合に、その内容・「要旨」の作成は裁判官ではなく、裁判所の書記官が行っているのではなかろうか。
 よく知らないことが多いが、そうした文書を作成したり、注記を施すのは、当該判決の作成の過程にかかわった(最高裁の場合には)最高裁判所調査官であり、判決例を掲載する雑誌の編集者だったりするものと思われる(公的とされる雑誌・裁判例集の場合は、調査官・書記官が関与しているかもしれないが、民間の雑誌・裁判例集での判決例の「要旨」作成にまで携わっていないはずだ)。
 ともあれ、「要旨」は一般的・日常的な用語ではあるが、裁判や法的実務にかかわって、ある程度はよく使われている言葉かもしれない。
 だが、「要旨」とは、いったいどういう意味なのか。
 これは結局は、健全で適切な<社会的感覚>または<社会的常識>で判断するしかないと思われる。そして、各種「国語」辞典での意味記述・解説が、最も安直かもしれないが最も有力な手がかりになるだろう。
 とくに出典を明記しないが、<要旨>という語は様々に、しかし核心部分は一定して、その意味が説明されている。つぎのとおりだ。
 ①「主要な内容。あらまし。大要、サマリー。
 ②「述べられていることの主要な点。また、内容のあらまし。
 ③「講演・研究発表・論文などに述べられる(述べられた)事の、大事な部分を短くまとめたもの。
 ④「肝要な趣旨。大体の内容。
 ⑤「内容のあらまし、述べられているものの内容の主要な点を短くまとめたもの。
 国語辞典類に見られるこのような<要旨>という日本語の意味の説明のされ方からすると、健全で適切な<社会的感覚>または<社会的常識>と言ってよいものを前提とすれば、物理的・算術的な意味で、原文よりも<長く>なっている文章は、原文の<要旨>では、-あくまで通常はと丁寧に留保を付けておくが-あり得ない。
 だが、行政担当者の中に、しかも「法務」ないし「法規」関係の行政実務を担当している行政公務員の中に、上の意味で「あり得ない」言葉の用い方をする者、または そのような「あり得ない」言葉の用い方を擁護する者、あるいは少なくとも明示的にはそのような言葉遣いを何ら問題視しない者、がいるとなると、そもそも日本語の用い方に根本的な間違いがある点で、恐るべき「行政」、恐るべき行政担当者、の実態が存在する、と言えるだろう。さしあたりは、あくまで通常は、と丁寧に留保を付けておくが。
 憂うべきであるのは、決裁文書の<改竄>にとどまらない。
 (つづく)

2007/松下祥子・阿児和成・近藤富美子①。

 佐川宣寿(元財務省理財局長)に対する衆議院・参議院各予算委員会の「証人喚問」があったのは2018年(昨平成30年)3月末で、いわゆる決裁文書の改竄・書換えについて検察(大阪地検)が不起訴としたのは同年5月だった。まだ1年余しか経っていないが、この問題は(も?)今やすっかり忘れられているかもしれない。
 不起訴の報を受けて野村修也(弁護士・中央大学法科大学院教授)は、日本テレビ系番組の中で、つぎの旨を言った。正確な引用ではないが、趣旨は間違いない。
 <違法でない(違法だと断じがたい)というのは、道義的に問題がなかったということを意味しないのだから、その点は注意していただきたい。>
野村修也は会社法(・商法)専門だと紹介されている。また基本的諸法律しか勉強していなくとも弁護士になれるのだから、弁護士一般にもしばしば見られることだが、上の発言内容には大きな問題がある。
 上の一般論はそのとおりだろうが、これを公務員による<決裁文書改竄・書換え>に当てはめるのは間違っている。
 野村修也も知っているように、刑法上の犯罪の構成要件と民事法上の不法行為の成立要件は異なり、それらにおける「違法」の意味も同一ではない。
 書くのが恥ずかしいほどの常識だろう(もっとも麻生太郎が担当する財務大臣が「国」という行政執行団体(法人だ)の「機関」だという認識がなく、政治家としての麻生太郎とごっちゃにしている藤原かずえ(kazue fgeewara)は知らないかもしれない)。
 さらにまた、刑法・民法との関係以外でも「違法」を語ることはできる(憲法との関係での「違憲」もその一種だろうが、ここでは別に措く)。
 つまり、国の行政省庁・地方自治体の職員の大多数を規律し拘束する<公務員法>(国家公務員法・地方公務員法という法律)に、<決裁文書改竄・書換え>は間違いなく違反しており、道義的には問題があるというのみならず、明確に「違法」な行為だ。
 いったん成立した決裁文書を、それに誤記等のごく軽微な瑕疵があるという場合ではなく、内容的にも変更するために遡って取消し、別途新しい決裁をする(新しい決裁文書を作成する)というのは通常よくあることではないだろうが、法的には可能であるし、何ら違法ではない。
 しかし、いったん成立した決裁文書を決裁そのものがなかったかのごとく「抹消」して、おそらくは時期・期日も同じにして内容的には別の文書に「差し替える」というのは、条項名の逐一の確認を避けるが、明らかに違法だ。公務員としてしてはならないことになっている、禁止されているに決まっている。
 いったん成立した決裁文書を「改竄・書換え」してはならないことは、かりに明文規定がなくとも、公務員としての根本規範だろう。
 だからこそ、佐川宣寿らは国家公務員法にもとづく正規の「懲戒処分」を受けているのであり、これは刑法上の「違法」にかりに至らなくとも、公務員法上「違法」であることを前提にしている(なお、法令ではない行政内部基準に従わないことも、後者が上司の職務命令にあたるかぎりは、公務員担当職員の「違法」な行為だ(国家公務員法の関係条項参照))。
 ところで、こう書きつつ思い出した。
 第一に、決裁裁文書等の「行政文書」の保存期間は「三ヶ月」だ等の佐川答弁等を鵜呑みにして、これをそのまま肯定的に叙述していたのが、小川榮太郎だった。
 小川榮太郎は自らが代表を務める研究所らしきものの、光熱水費にかかる請求書も領収書も、三ヶ月経過しないうちに廃棄してしまう(のを許す)のだろうか。
 小川は、「文学」的に、<政治文書>と<行政文書>を勝手に?区別して、後者は重要でない文書だと思い込んだのだろうか? 「行政文書」とは正規の法制上の概念だ。
 しかしそれでも、佐川宣寿らが関係した文書の保存期間が「三ヶ月」とは短かすぎると思わなかったのか。いや、そう感じた可能性はある。但し、制度上そうなっているから問題はない、という趣旨も書いて、財務省側を擁護していた。
 要するに、この小川榮太郎という、どの分野が中心かよく分からない「評論家」には、<社会常識>が決定的に足りないのだ。
 <政治的に>判断して、合理性・正常性・社会常識に関係なく、財務省(ひいては安倍晋三・安倍内閣)を擁護し、杉田水脈も擁護する。
 一定の<政治グループ>の(締め切りを守って文章を書いてくれる)「お抱え文章書き」に堕していることに気づく必要がある。
 第二。この欄に書かなかったが、冒頭の国会答弁(証人喚問)で佐川宣寿(元財務省理財局長)は、籠池泰典・森友学園側への土地売却価額につき、<専門家による第三者的鑑定を経ている>から問題がない(安すぎることはない)と何度か答弁していた。
 国会議員(および政界・行政関係マスメディア担当記者)の無知・無能さは限りなく知っているので別に驚くほどのことではないが、上の答弁を疑問視した、質問者・国会議員は、与野党ともに一人もいなかった。
 正確な引用ではないが、<専門家による第三者的鑑定>とは不動産鑑定士によるものを意味するのだろうが、(かりに複数の鑑定意見があってそれの平均をとったのだとしても)それで<問題がない>ことの証拠には全くならない。
 不動産鑑定士による鑑定価格はそれなりの「権威」をもつのは知っているが、決して「正しい」ものではなく、<考慮要素>をどう見るかによって相当程度に可変的なことは、ほとんど常識だろう。とくに問題の土地には、通常の土地価格鑑定の方法・基準・技術はあてはまらなかったように見える。
 それでも佐川宣寿の答弁をそのままやり過ごして、「それでなぜ問題がない(正当な)ことの根拠になるのか」と突っ込む国会議員がいなかったのだから、呆れ返った。
 <議会・国会による行政に対する統制>。これは相当に幻影になっている。
 ***
 もともと書き記す予定の内容にまで、前書きを書いていて、到達しなかった。
 恐るべき「行政」の実態、「国と地方」の関係の実態。
 こうしたことに(も)、政治評論家でも行政評論家でも全くないが、言及していくことにする。
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