一 「安倍晋三首相の誕生は『歴史の必然』であった」と帯にある辻貴之・「保守」の復権(扶桑社、2006.10/二版)は日本人の国民性・政治・教育・社会の4章に分けての「保守」派の考え方又は「保守」というものの見方を教科書風に書いたような読み易そうな本で、既読の4章の最後の節(見出し)は「朝日新聞の悪」だ。
 その中で言及・引用されている中西輝政の予想(p.222~3)に微かな怯えを感じた。この欄の10/22に「もっぱら戦後教育のみを受けた者たちが指導的中心層となってどの程度適切・的確に国家・社会を運営していけるか、心配なくもない」と書いたのだが、中西は日本は冷戦後も安心できず「左翼」は日本社会の枢要部分に目立つことなく入り込んでいるので、「昭和10年代後半から団塊世代も含めて、35、6年以前生まれまでの世代が頂点に来たときこそ、この国が一番厄介な形で左傾化し、日本は深刻な崩れの時代に入ってゆくだろう」と書いていたようだ(初出は2002年9月)。
 <昭和10年代後半から…35年以前生まれまで>とは1945年~1960年生れで「もっぱら戦後教育のみを受けた者たち」であり、「頂点に来たとき」を55~65歳とすれば2000年~2025年だ。まさに現在、「一番厄介な形で左傾化し、…深刻な崩れの時代」にすでに入っていることになる。
 アジアでは冷戦は終わっていないと書いたことがあるが、日本国内にもまだコミュニズム及び「容共」勢力は存在している。基本的・根本的「対立」は終焉していないのであり、抽象的な言葉だが、中西の言うような(共産党・社民党といった目立つ存在以外の)巧妙な・隠れた「左翼」に注意する必要がある。「何となくの」反体制も朝日新聞の読者を中心にかなりいるだろう。
 上のように中西は書く一方で、2000年の時点で憲法改正を強く望み期待する発言もしていた。
 同・いま本当の危機が始まった(文春文庫、2004)によれば、「戦後の真只中で教育を受け、…すでに十代の半ばから、憲法の改正なくしては、どうもこの国は「まともな国」になり得ないのでは、と感じるようになっていた、…青年期に、この憲法九条という「大いなるウソ」に気づいた瞬間、私の人生は大きな意味で方向づけられた…。根本に大きな「ウソ」がある国が、いかなる理想やきれいごとを並べようとも、…結局「最後の破綻」を大きくしているだけではないのか」(p.196~7)。
 私とまるで違った、ほぼ同世代の中西の感受性に感心し、自らの知的怠惰を恥じるばかりだ。
 二 私の感慨は別として、中西は「ベルリンの壁が崩壊した瞬間、はっきり『九条改正は今や不可避になった』と感じた」と書き、当時は「2010年」頃までの「達成すべき目標とも考えていた」が、その後の中国の情勢・動向を見ると急ぐべき旨を強調している。それこそが「日本のサバイバルに不可欠な戦略の営みであり、国としての『生きようとする意志』の発露なのである」、と(p.230-2)。
 こうした中西からすると改憲を政策目標として明確に掲げる安倍内閣の発足は大々歓迎だったに違いない(反面では、この人が安倍のブレインの一人とされることがあるのも分かる)。
 と、こういう具合なので、中西は2000年以降を悲観的にのみ見てはいないと考えられる。但し、厳しい「左翼」との「闘い」が不可避なことは当然に予想しているだろう。
 私もまた、安倍内閣が何年続くか、憲法改正に少なくとも道筋をつけられるかどうかが将来の日本の姿を大きく変えるに違いない、と「感じて」いる一人だ。
 憲法改正を政策課題と明言する首相は安倍の祖父・岸信介以来だ。前回冒頭に触れた辻貴之の本は二人の間の空白を「失われた半世紀」と表現し、その間の「損失は、あまりにも大きい」と述べる(p.4)。
 1951年生れの辻ともほぼ同世代の私は、小学生時代から現在まで、この「失われた半世紀」を生きてきたことになる。この半世紀の間、経済成長と物質的生活の豊かさ以外に日本はいったい何を獲得したのか、と想起すると、この指摘は少なくとも全面的には誤っていないだろう。
 なぜ憲法改正が現実的問題にならなかったかについて簡単に書けはしないが、一つに旧社会党等の反対政党が国会議席の1/3以上を占め続けたこと、二つに自民党自身が結党の精神を忘れたかのごとく地元利益代表や派閥争い、ひどくは「金権政治」という経済主義の政治版を演じて、(党の大勢は)国家・国益を放念していたこと、を少なくとも挙げてよいだろう。
 前者に、あるいはひょっとして後者にも影響を与えたのは、コミュニズム・容共勢力(朝日新聞を含む)の似非又は戦術としての「平和」主義だった。筑紫哲也・本田雅和・加藤千洋といった人名を特定しつつ朝日新聞等を明示的に「毅然と」批判する安倍内閣の登場によって、時代は少しは転回しつつあるようでもある。
 この日記09/26で安倍は「小泉純一郎と同じではない」旨を記したが、歴史認識・時代認識の精度・深さでは、小泉
は安倍にとても敵わないように思う。安倍のもとで時代・社会はどう変わるか。