<マスメディアと政治・民主主義>に関心をもつ者として、「デマと冷笑の『テレビ』」を特集テーマとするわしズム25号(2008冬号、小林よしのり責任編集)はいずれの記事・論稿も興味深い(少なくともその予感がする)。
 八木秀次「テレビキャスター&コメンテーター『思想チェック』大マトリックス」も面白く読んだ(p.56-p.61)。
 三、四点のことを感想文的に書いておく。
 第一に、政治的に公平、意見対立問題はできるだけ多くの角度から、等ゝと規定している放送法の定めは、日本のテレビ局には「ほぼ有名無実」で、テレビ朝日は…を除き「放送法違反」、「TBSに至っては放送法を無視している」と、あっけらかんと断言している。八木を批判しているのではない。そのような<違法>(法律違反)状態をほとんど誰も<法的には>問題にしない、または問題にできない状態が奇妙だ。
 第二に、新聞よりもテレビ(とくに地上波テレビ)の一般世論への影響力の方が大きいという指摘も、そのとおりだろう。かつ、テレビ局のワイドショー作成者にとって最も権威がある(あるいは番組作りのために依拠している)新聞は、各テレビ局の系列新聞ではなく朝日新聞だという記事又は文章をどこかで先日読んだことがある。想像するに、こうした番組作成に関与しているのは25歳~45歳くらいの(多くは)男性でないか。現在45歳以下の、マスコミ(テレビ局)に入社するような心性・性格の者たちがどのような<世界認識>・<歴史認識>・<日本認識>を身に付けているか(身に付けてきたか)は従って、世論または社会のムード形成にとってきわめて重要な要因になっているはずだ。調査・分析できるといいのだが。
 第三に、八木が指摘するように、新聞と異なり文書として残らないテレビ放送は、体系的・総合的な批判的分析がし難いものだろう。TBSのニュース23にはきちんとしたウォッチャーがいてこの番組に関する文春新書も出ているが、また朝日新聞やNHKに限っての批判的観察の連載記事をもつ雑誌もあるが、多くのニュース番組・ワイドショーはきちんとした国民的「監視」体制の対象から抜け落ちているのではないか。だとすると由々しい事態だろう。(それにしても、TBSのサンデー・モーニングの関口宏はいつまで続けるつもりなのだろう。じつはこの半年間ほど観ておらず録画もしていないが-イヤになったので-まだこの人が司会をしているようだ。)
 第四に、キャスター・コメンテイターの、四つの象限に分けての紹介・分析が八木論稿の「ウリ」で、参考になる。
 四つの象限とは、ヨコ軸をリベラル←→保守、たて軸を自立←→国際協調に置いてできる4つのゾーンだが、八木によると、リベラル・国際協調(第三)が筑紫哲也を筆頭に最も多く、三宅久之・辛坊次郎らの保守・国際協調(第四)がそれに次ぐ(第二のリベラル・自立は太田光のみ、第一の自立・保守は勝谷誠彦・橋下徹・桜井よしこの3人)。
 参考にはなるのだが、しかし、表を見ていてスッキリしないところが残るのは、「国際協調」の意味の曖昧さのゆえだろう。すなわち、第一と第四の「保守」における「自立」と「国際協調」の区別は、明瞭に「反米・自主防衛」と「親米・日米同盟堅持」の意味だとされているが、第二と第三の「リベラル」における「自立」と「国際協調」の八木による区別は、「反米」か「親米」かではないように見える。東アジア諸国との外交優先という立場も「国際協調」の中に含まれていると理解できるからだ。「国際協調」派であっても、アメリカ最優先とアジア優先(そしてむしろ反米の場合もある)では全く異なるだろう。この点が、せっかくの「大マトリックス」の価値を減じている。
 ところで、ここでの対象は(テレビに登場する)キャスター・コメンテイターだが、文化人・論壇人まで含めるとどうなるのだろうか。
 八木秀次自身がどこに位置するのかも興味深いのだが(本人は書いていない)、たぶん「現実的保守」と表現している第三の「保守」・「国際協調」=「親米・日米同盟堅持」なのだろう(なお、八木は桜井よしこにつき「闘う保守言論人」の「第一人者」だが「近年は自立を志向する感もある」とコメントしている)。ここに岡崎久彦も入りそうだ。
 一方、第一の「保守」・「自立」=「反米・自主防衛」には西尾幹二、西部邁、小林よしのりが含まれそうな気がする(後の二人には西部=小林・アホ・腰抜け・ビョーキの親米保守(飛鳥新社、2003)という本もある)。
 佐伯啓思は「反米」か「親米」か。どちらかというと前者のように私には彼の論述が読めるが、しかし、上の二つは程度問題で、かつ佐伯に限らず、対米問題は具体的問題に応じて議論する必要があるだろう。例えば、「自立」論者も(私もある意味ではこの考え方を支持する)、日米安保条約の即時廃棄を主張しているわけではあるまい。