山田洋次は映画人九条の会の呼びかけ人ということで、吉永小百合様は九条擁護の岩波ブックレットに登場して「私たちには言葉というものが…」とか等の朝日新聞とよく似たことを仰って(おっしゃって)いることで、さらに二人が監督・主演の映画「母ぺぇ」についても単純素朴な<反戦>観の吐露らしきことを、それぞれ批判的にコメントしたことがある。
この二人は紛れもない(一見「政治」とは関係がなさそうな)著名人なので(山田は直ちに「寅さん」に結びつくだろう)、この人たち(のしていること)を消極的に評価するのは勇気がいるし、山田洋次についてのまとまった批判文は見たことがない(吉永小百合様だってそうだろう。例外的に何となく「様」を付けたくらいだから。もっとも、少しは皮肉を込めている)。
月刊・正論6月号(産経)の大月隆寛の山田洋次批判あるいは山田洋次への皮肉はすごいし、たかがブログの一文ではないので、勇気もある。タイトルの一部に何と「今やインテリ左翼の御用監督?」!。また、本文の中には吉永小百合(様)につき、「『戦後』『サヨク/リベラル』のトーテムにおさまっちゃってる、実存なき団塊還暦越えバアさまじゃないのよ」(p.272)だと!
大月の文章はクセがあることや私が山田洋次について大月ほどの知識がない(寅さん映画以外のものを殆ど知らない)こともあって、内容に逐一共感はできないし理解不能な点もあるが、雰囲気だけは分かる。
以下、大月から離れるが、寅さん映画のいずれかで義弟の「博」の部屋の本棚に岩波の雑誌「世界」の背表紙が見えたと言っていた知人がいたことはいつぞや書いた。
映画人・映画関係者の中には、マスコミ人と同等かそれ以上に<左翼>的な者が多いというのは、その途を目指すこと自体が標準的・平均的ではなく<変わっており>、商売のためという側面を持ちつつも<文化・芸術>に関与しているというプライドから<一般大衆とは違う>との自意識が生じるからではないか、とかなり適当ではあるが、推測する。また、映画製作に携わるのは監督・助監督と主演者だけではなく多数の人々から成る組織・グループなので<団結>が必要であり、<労働組合>の力も(「左翼的」に)強くなる、という傾向が少なくともかつてはあったように推測される。
芦川いづみは1970年代前半には日本共産党の選挙パンフに支持者として名前を出していた。山田洋次も同様だった(私は忘れていない)。吉永小百合はそのような<色づけ>をしていなかったが、1960年代の日活労組の影響を受けていただろう。むろん時代的に見て1945年3月東京生まれという世代は「左翼的」になりやすいかもしれない。同じことを再度書くのは気が引けるが、吉永小百合(様)は、広島・長崎に原爆が落とされた(落とした)責任は<ポツダム宣言受諾を遅らせた日本政府にある>とだけ述べ、アメリカを批判することを一切していない。自分が生まれる確か前日の東京大空襲についても情緒的に<戦争反対>・<戦争はイヤだ>の脈絡で語るだけで、一般住民もターゲットにしたアメリカに対する批判的視点はまるでない。<日本(の国家又は当時の政府)が悪いことをしたのだからやむをえない>という、純朴な?歴史観をお持ちのようだ。
駄文と自覚しつつ続ければ、山田洋次監督の<寅さん>映画は興行的に成功して有名な、歴史に残るシリーズものになったのだが、よく考えると?、不思議な映画のようでもある。映画評論は趣味ではないが、書いてみよう。
ヒットの原因は、①毎回の如く変わる美女と渥美清という組み合わせの面白さ、②毎回異なる日本各地の街・自然のロケが<ディスカバー・ジャパン>の社会的ムード・雰囲気にも乗ったこと(山口百恵の「いい日旅立ち」はたぶん1970年代半ばだった)、③渥美を含めた出演者の芝居の巧さ、等にある(あまり「大衆」映画を観ない「左翼」系の人々も安心して観れたことも?)。
だが、けっこういいかげんな映画でもあった。偉大なるマンネリと言われもしたが、シリーズに一貫したストーリーがあったわけではない。40数作めからは吉岡某と後藤久美子の「恋」物語がメーン風になったりして、もっと続けていたら、支離滅裂になっていたのではなかろうか(晩年の渥美はさすがに苦しく、浅丘ルリ子の演技が辛うじて作品を支えていた)。
ミヤコ蝶々が母親として登場して、いつの間にか消えてしまったのも<けっこういいかげんな>ストーリー作りの顕著な例だった。
と母親に言及して思うのだが、<寅さん>映画はじつは「家族」を持たない者を主人公とする映画だった。父母は亡くなっている扱いのようであり(ミヤコ蝶々のその後はフォローされていないだろう)、寅次郎は配偶者を持たない(子どももいない)。妹・甥や叔父さん・叔母さんという<近親>との交流は描かれ、<人情>が失われつつあることが却って魅力的にしたと<人情映画>の側面が肯定的に語られているかもしれない。だが、基本は、配偶者なし、子どもなし、両親も(基本的に)なしの、中年独身男の寂しくも<自由な>行動の物語だった。しかも一時的に出てきていた母親(ミヤコ蝶々)は同情的にではなく子を捨てた残忍な女性として描かれていた(と記憶する)。決して<人情映画>ではない、と思う。むしろ主人公の<孤独>(精神的・観念的な自立?)こそが隠されたテーマかも、と感じないでもない。
香具師としてあれだけ複雑で長いセリフを流暢に語れる能力のある者が書く年賀状の字と文章の下手さの矛盾も指摘できるし、旅道中の屋台・香具師商売で果たしてまともに生活できるのかについてもリアルさはない、といった点もメモ的に指摘はできる。
ともあれ、実在はしないだろう、独身中年男の<風来坊的>生活が何らかの共感又は関心を惹起して、上記の点が相俟って、多数の観客数を維持し続けた。
山田洋次は、商売と自らの<信条>の折り合いをつけるのに苦労したのかもしれない。最も近い家族はいない、という主人公像は、何らかの意味をもっていたのだろうか。それとも、ヒットさえし続ければ自分の地位も安定しかつ高まり、結果としては<左派>に寄与できる、と考えていたのだろうか。
米倉斉加年演じるT大助教授の描き方は<庶民派>=<反権力・反権威>的だったと言えるだろうし、この映画に出てくる背広・ネクタイ姿の者は(一部のタコ社長を除き)、志村喬登場の作品が典型的だったが、「世間」摺れした、むしろ悪いイメージで描かれていた。寅次郎の生き方が<まとも>に見えるかのような、このような<倒錯>は、このシリーズ映画の特徴の一つだっただろう。
いずれにせよ、<昭和戦後>の何らかの気分を反映したシリーズ映画だったに違いない。後世、どのように評価されるのか。たんに長く続いた(48作まで)、という以上の文化的・映画芸術的意味はあるのかどうか。大月隆寛の文からだいぶ離れた。
車寅次郎
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