秋月瑛二の「憂国」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

足利義満

1997/日本共産党に期待する「文化人」55名。

 日本共産党・しんぶん赤旗7月2日号は、今次参議院議員選挙を前に、日本共産党に期待する「文化人」とやら55人の氏名を公表した。
 以下のとおり。
 下の中に、れっきとした「党員」が何人いるのだろう。
 かつて、日本共産党を「支持」するとか「推薦」するとかと名前を出した者たちの中にずっと党員である者もいたことはよく知られている。
 日本共産党員が同党に「期待する」のは当然のことだ。しかし、「日本共産党員」という肩書きだけでは意味がないので、何らかの「文化人」らしき、とくに一定の分野に所属している人たちに、ああこの人も、とか感じさせる名前である必要があるわけだ。
 ***
 葵生川 玲(詩人)、浅倉むつ子(早稲田大学名誉教授)、
 有馬頼底(臨済宗相国寺派管長)、安斎育郎(立命館大学名誉教授)、
 池内 了(名古屋大学名誉教授)、池田香代子(翻訳家)、
 池辺晋一郎(作曲家)、石川文洋(報道写真家)、井上麻矢(こまつ座社長)、いまむらいづみ(女優)、鵜澤 秀行(俳優)、
 内田 樹(神戸女学院大学名誉教授)、浦添嘉徳(日本勤労者山岳連盟理事長)、遠藤教温(日蓮宗本立寺住職)、大野 晃(スポーツジャーナリスト)、大原穣子(ドラマ方言指導)、岡崎 晃(日本キリスト教団牧師)、小川典子(ピアニスト)、
 奥田靖二(淺川金刀比羅神社宮司)、尾畑文正(同朋大学名誉教授)、北村公秀(高野山真言宗泉蔵院住職)、
 河野太通(全日本仏教会元会長)、小林 節(慶応義塾大学名誉教授、弁護士)、小林秀一(プロボクシング元日本ウエルター級チャンピオン)、小松泰信(長野県農協地域開発機構研究所長)、
 早乙女勝元(作家)、沢田昭二(名古屋大学名誉教授、被爆者)、澤地久枝(作家)、
 鈴木瑞穂(俳優)、高口里純(漫画家)、竹澤團七(文楽座、三味線奏者)、武田美穂(絵本作家)、立川談四楼(落語家・作家)、立川談之助(落語家)、
 辻 真先(ミステリ作家、アニメ脚本家)、土橋 亨(映画監督)、中原道夫(詩人)、那須正幹(作家)、西川信廣(演出家)、
 浜 矩子(同志社大学教授)、福田美鈴(詩人)、堀尾輝久(教育研究者)、本間愼(元フェリス女学院大学長)、
 孫崎 享(元外交官)、間宮陽介(京都大学名誉教授)、松井朝子(パントマイミスト)、松野 迅(ヴァイオリニスト)、松元ヒロ(コメディアン)、水尾 博(武蔵野美術大学名誉教授)、山鹿昭明(日本キリスト教団元牧師)、山崎龍明(武蔵野大学名誉教授)、山中 恒(児童読物・ノンフィクション作家)、
 山家悠紀夫(くらしと経済研究室)、横井久美子(シンガー・ソングライター)、横湯園子(心理臨床家、元中央大学教授)。
 以上。
 ***
 浜矩子(同志社大学教授)、内田樹(神戸女学院大学名誉教授)が、活躍著しく、堂々と名前を出している。
 小林節(慶応義塾大学名誉教授、弁護士)は、大学院学生時代の竹田恒泰の指導教授。
 なるほどと感じさせたのは、有馬頼底(臨済宗相国寺派管長)
 特定寺院の名をこの欄でかつて出さなかったのだが、相国寺(臨済宗)の宝物館の中に、日本共産党系反核兵器運動団体(原水協)のポスターが堂々と貼ってあった。その中には、ノーベル賞受賞者の一人の益川敏英の名前もあった。同寺塔頭の大光明寺の玄関あたりにも、同じ団体と思われるもののポスターがあった。
 別法人に今はなっているのだろうか、かつては金閣・銀閣とだけ言ってきた観光寺院の金閣寺・銀閣寺もこの相国寺系で、上のポスターを見たときの相国寺内には、きれいな金閣の模型・レプリカが展示されていた。
 ところで、この相国寺は足利将軍家と強い関係があったらしく、金閣・銀閣も足利義満・足利義政の政庁?(室町第ではない北山第)または別荘地にあったはずだ。
 そして、本山相国寺は、現在でも京都御所のまさに「真北」に所在している
 <北面の武士>というのは聞いたことのある言葉だが、<天子南面?>の御所・内裏の「真北」にあって御所・内裏を「見下ろす」(少しは南が低くなっているはずだ)のは、きわめて非礼なことではなかったのだろうか。
 寺院・神社の向きとか位置関係には関心がある。上のような関心に応えてくれる文章や文献は見たことがない。いちいち詮索していてはキリがないので、解明を中断している又は諦念している疑問は数多い。


1649/天皇制はなぜ存続したか②。

 「天皇制が存続したのは、時代を超えた何か普遍的な要因によるのではなく、その時代の固有の事情による」。
  家近良樹・幕末の朝廷-若き孝明帝と鷹司関白(中公叢書、2007)。p.24。
 「天皇・皇室制度に内在する、固有の理屈・価値というものなどは存在しないのではないか。」
 「天皇・皇室制度は、飛鳥・奈良・平安・鎌倉・…・江戸・明治・…昭和…と連綿と続いているが、それぞれの時代に、天皇・皇室制度には内在しない、各『時代の価値』・各『時代の精神』があったはずなのだ。/つまり、日本の「天皇」制度は、各時代の「価値・精神」に合わせて、姿・形を変えてきたのだ、と思われる。」
 以上、この欄の執筆者。7/14付・№1644。
 天皇制が存続したのは、個々の時代の「固有の事情」による。天皇制は、各時代の「価値・精神」に合わせて、姿・形を変えてきた。
このような見方に対して、3世紀後半からだと1600年以上、6世紀からだと1300年以上、これだけ長く「天皇」制度が続いてきたことの説明にはならないのではないか、との疑問がやはり生じるだろう。
 しかし、こうした長さは、直接に考慮に入れる必要はない。
 つまり、「制度」にはいわば<慣性>というものがあり、いったん設定されてしまうと、改廃を意識しないで長々と続く可能性がある、という面がある
 例えば、戦後72年、明治維新から先の敗戦まで78年、江戸時代の250年以上、平安時代の300年以上、いったん設定された各時代の「天皇」制度はそれぞれに長く継続してきた。つまり、日々あるいは毎年のように、その存続の是非が重大な問題として問われ続けたわけではない。
 上記の、家近良樹・幕末の朝廷-若き孝明帝と鷹司関白(中公叢書、2007)。
 この本は、天皇制が廃止されても不思議ではなかった、換言すれば「天皇にとって替わってもおかしくない権力者や当該時期が幾度も出現した」として、六回または六時期を挙げている。p.18-19。秋月において整理すると、以下になる。
 ①蘇我氏の独裁権力/6世紀後半-崇峻天皇暗殺。*聖徳太子一族滅亡もこの時期。
 ②道鏡/8世紀後半-称德天皇から皇位継承? *宇佐の神言。
 ③北条氏/1221年-承久の変・後鳥羽上皇等の挙兵。土御門・順徳も。
 ④足利義満/室町時代第三代・「日本国王」。*14世紀後半。
 ⑤織田信長・豊臣秀吉/16世紀後半。
 ⑥徳川氏/第三代家光時代くらいまで。*17世紀。
 これにおそらく、⑦?/第二次大戦終結直後-1945-6年、というのを加えてよいだろう。
 長い天皇制の歴史の中で、それが危機を迎えた、あるいはその存廃が現実的な問題になりえた、というのは、さほど多くないことが分かる。
 信長と秀吉を2回に分け、漠然と平安時代の藤原氏による皇位簒奪?というのを想像して加えてみても、計9回ほどにしかならない。
 これらの「危機」、「存廃が意識され得た」時期を、天皇制は、それぞれの時期の固有の事情でもって「乗り切った」のではないか、と思われる。
 その中には、上の④のように、<天皇を目ざした?>足利義満の「死」による決着もあった。
 この④は例外だが、それぞれの時期の世俗権力者は、天皇制の廃止に関して、廃止することのコストと利益、廃止しないことのコストと利益を、つまりは要するに簡単には<費用効果分析(CBA)>を行って、敢えて廃止しようとするときのコスト・不利益も考慮して、それぞれに天皇制そのものには手をつけない、という判断をしたのではないか、と思う。むろん、天皇・朝廷を存続させておくことのコストと「利益」(や「不利益」)もまた配慮したに違いない。また、各時代の様相として、存続を前提にすれば、天皇にある程度の「権力」が少しずつは認められたとも考えられる。
 簡単に書きすぎてはいるのだが-上の各人・各氏・各時期によって事情は異なる-、要するに、そういうことではないか。
 なお、応仁の乱以降の戦国時代は、信長まで、日本は「国家」だったのか、という疑問を持っている(その限りでは天皇制もきちんとは「連続」・「継続」していないのではないか、とのシロウト思いつきにつながる)。
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 現在の日本国憲法のもとでの天皇制を支える世俗権力とは何か ?
 憲法自体が根拠になっている。したがって、憲法制定者だ。建前として、国民主権という場合の「国民」 ? それとも、実質的には戦勝諸国、とくにアメリカ?
 また、<世襲・象徴>としての天皇制を憲法改正によって廃止しようとはしていない、憲法改正権者、つまり有権者国民が支えているとも言えるし、そのような改正発議をしようとはしていない、国会もまた、そして国会内多数派政党も、これを支えている。
 だが、論理的可能性としては、国会内多数派政党の「発議」、国民投票有権者の「国民投票」によって廃止されることが全くないとはいえない。
 この場合、神社神道の「長」、または<最高祭祀者>として憲法には明記されないままで一族は存続する可能性はある。
 上の発想は別として、ともあれ、天皇制の安定性というのは絶対的ではないし、そうではあり得ない、と考えられる。
 長く続いている日本の伝統だから今後も、という考え方はある意味では自然だ。
 このことを批判したり、否定するつもりはない。
 ただ、そういう世俗国民の<気持ち>によってこそ-維持されるとすれば-維持されるのであり、天皇制の中に、それに固有の<存続力>、存続すべき「価値」が先験的に?あるわけではないように思われる。

ギャラリー
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  • 1920/L・コワコフスキ著第三巻第四章第5節。
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  • 1916/S・フィツパトリク・ロシア革命(2017)⑳完。
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  • 1901/Leszek Kolakowski-初代クルーゲ賞受賞者。
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  • 1900/Leszek Kolakowski の写真。
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  • 1811/リチャード・パイプス逝去。
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  • 1809/S・フィツパトリク・ロシア革命(2017)⑧。
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  • 1767/三全体主義の共通性⑥-R・パイプス別著5章5節。
  • 1734/独裁とトロツキー②-L・コワコフスキ著18章7節。
  • 1723/2017年秋-兵庫県西脇市/大島みち子の故郷。
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