秋月瑛二の「憂国」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

講談社

1511/下斗米伸夫「『政治の終焉』から政治学の再生へ」1998年日本政治学会報告など。

 下斗米伸夫「『政治の終焉』から政治学の再生へ-ポスト・ソ連の政治学-」年報政治学1999(岩波、1999)。
 これは、日本政治学会の1998年での学会総会での報告のようだ。
 ロシア・ソ連の1917年から1990年代までの政治史が概観されていることで役立つ。
 詳しい歴史叙述は10月「クー」、スターリン、米ソ冷戦期、解体過程等々について多いが、学会報告の16頁でまとめてくれているから(但し、小さい字の二段組み)、把握しやすい。
 そもそも「ソ連になぜ政治学がなかったのか」という問い自体、20世紀ならどの国でも「政治学」くらいはあるだろうと多くの人が思い込んでいるはずなので、驚きではある。
 しかし、ロシア「革命」等の経緯をある程度知ると、ロシアでは1917年以降に積極的な方向で役立った政治学も行政学も存在しなかっただろうことが分かる。それ以上に、経済学、経営学、会計学、企業論、財政学等々の国家経済を管理・運営していくに必要な学問研究の素地もほとんどなかったことが分かる。
 レーニンらにとって、マルクス(・エンゲルス)の経済学・政治学・哲学、要するにマルクス主義の政治・国家・社会論しかなかったのだから、それでよく「権力」を奪って、国家を運営していこうと、国家を運営できると、思えたものだと、その無邪気さ、またはとんでもない「勇気」に、ある意味では、茫然とするほどに感心する。
 下斗米は、上の問いに対して、①帝制以来の権威主義による未発達、②マルクス主義の陥穽-「政治」従属論・国家の死滅論等によって「政治」固有性を認識させない、③ソ連とくにスターリン体制による政治学を含む社会科学への抑圧、という説明をする(p.20)。
 学問研究を「政治」の支配もとにおけば、後者を対象とする「政治学」など存立できるはずがない。
 日本共産党に関するまともな<社会科学的研究>(政治学・社会学・思想史等々)が生まれるのは、いつになるだろうか。
 また、日本共産党という「共産主義」政党が学界に対する影響力をもっている間は、現在の中国についてもそうだが、かつてのロシア・ソ連についてのまともな学問的研究はおそらくなかったのだろう。ソ連政府による公式資料のみを扱い、決してこの体制を批判しない、日本共産党の党員研究者か又は親社会主義(・共産主義)の学者による研究論文しかなかったのではあるまいか(例えば渓内謙、和田春樹
 アーチー・ブラウン(下斗米伸夫監訳)・共産主義の興亡(中央公論新社、2012)、という大部の邦訳書がある(約800頁)。最後の三つの章名はつぎのとおり。
 第28章・なぜ共産主義はあれほど長く続いたのか。
 第29章・何が共産主義の崩壊を引き起こしたのか。
 第30章・共産主義は何を残したのか。
 下斗米伸夫(1948-)は、「監訳者あとがき」の中で、つぎのようなことを書いている(p.713-4)。
 1980年代前半の「当時の日本では、少なくとも知的世界の中では、現代ソ連論は学問の対象というよりも、まだ政治的立場の表明のような扱いしか受けておらず、戦後や同時代のソ連について議論をするのはやや勇気の要ることでもあった」。
 自分も「1970年代末にある論壇誌でチェコ介入についてのソ連外交論を書いたが、学界の重鎮から、それとなくお叱りを受けた」。
 フルシチョフ秘密報告、ハンガリー動乱、チェコ1968年の「春」等々は、ろくに「研究」されてはいなかったのだ。ソ連に<批判的>な研究発表は、国家ではなく、日本の学界自体によって抑圧されていたかに見える。
 「政治的立場の表明のような」学問研究・研究論文の発表は、じつは現在でも頻繁になされている、というのが日本の人文社会系の分野の「学問」の実態だろう、とは、この欄でしばしば記してきたことだ。
 下斗米・ソ連=党が所有した国家1917-1991(講談社選書メチエ、2002)を全面改定・増補し、タイトルも変えた、下斗米伸夫・ソビエト連邦史1917-1991(講談社学術文庫、2017)は、モロトフを主人公にすえた通史。ロシア「革命」100年がしっかりと振り返られるきっかけになればよいと思う。
 なにしろ、以下のことから書き始める、広瀬隆・ロシア革命史入門(集英社、2017)という本までが、学問研究の自由 ?と出版の自由のもとでバラ撒かれているのだから。
 広瀬隆の「まえがき」いわく-ロシア革命史を調べて「戦争反対運動を最大の目標としていた」ことに気づいた、「無慈悲な戦争を終わらせ、貧しい庶民に充分なパンを与えるために起こったのがロシア革命であった」。p.7。
 こんなことから出発する<どしろうと>のロシア「革命」史本が100周年で出るのだから、(ソ連解体があったからこそ)ソ連・共産主義の総括のためにも、「専門家」のきちんとした研究書がたくさん必要だ。

1465/櫻井よしこ・天皇譲位問題-「観念保守」つづき②のD。

○ 櫻井よしこ・週刊新潮2/16号の見出しは、「4代前の孝明天皇、闘いの武器は譲位」だ。
 そして櫻井は、光格天皇の「社会的遺産」を継承した「孫帝の孝明天皇」との言い方もし、強い意思の天皇だった旨も書いている。
 しかし、光格天皇のようには称えず、福地重孝・孝明天皇(秋田書店)によりつつ、孝明天皇が「天皇の幕府に対する最大最後の抵抗である」「退位」を示唆したとし、「このような歴史もまた、振りかえらざるを得ないのではないだろうか」、とまとめている。
 櫻井よしこは、これでいったい何を言いたいのだろうか。のんびりと、歴史を振り返る必要を指摘することくらいは、誰でもできる。。
 あるいは、天皇の「譲位」・退位の意思表示は世の中を混乱させる大変なことだ、と示唆したいのだろうか。
 ○ 櫻井よしこの記述の仕方には、奇妙なあるいは面白い側面がある。つまり、自分の強い意思をもち、能動的に行動するだけでは、天皇を肯定的には評価しないのだ。
 孝明天皇については、「開国反対の余り、天皇は幕府の考えに一切、耳を貸そうとしなかった」と断定し、「開国こそ生きる道だと説く堀田の主張は正論」だと、(後から見ての)価値評価を下している。そして、たんに<譲位は最後の抵抗手段>だという、この稿のまとめへと進んでいる。
 このような歴史理解は、櫻井よしこらしく、単純すぎる。つまり、孝明天皇は最後まで<開国反対=攘夷>に執着していたのではない。
 また、<開国>が進歩的で、<攘夷>は遅れていたという、のちの<薩長史観>に嵌まったままであることも、櫻井は吐露している。
 孝明天皇にはのちには、すでに記したα・攘夷とβ・開国という政策判断よりもむしろ、C・幕府中心体制でもA・天皇中心体制でもなく、両者が意思疎通しながらB・天皇・幕府協力体制を築いていくことを志向していた、と思われる。軍事力の差が歴然となってからは、開国せざるをえないという判断に至ったものと思われる(長州派も、いつのまにか?、開国派へと変身している)。
 それが長州・薩摩派や「過激」公家たちの路線と違ったのはなぜか。
 それは、彼らは、のちに王政復古維新をした明治新政府から旧幕府側人材(当面は)、とりわけ徳川家を除外する、という強い意思をもっていたからだ(ex.倒幕の密勅、対幕府戦争)。
 この点にこそ、のちの新政府側と孝明天皇側の、決定的な違いがあった。幕府排除・解体しての天皇中心体制か、「公武合体」体制か。孝明天皇がもっと存命であれば、歴史の展開は相当に変わっていただろうことは、しばしば指摘されている。
 以上は簡単な叙述で意を尽くした十分なものではないが、少なくとも、<開国・正、開国反対・邪>、孝明天皇は後者という、櫻井よしこのより単純な理解よりは、より適確だと思われる(櫻井よしこはもっと関係文献を読む必要がある)。
 ○ 櫻井よしこは、後から見ての特定の<勝利者史観>にもとづいて、孝明天皇を高くは評価できないと考えていることが明らかだろう。
 では、櫻井が中心に置いている<闘いの最後の武器は譲位>というのは、孝徳天皇について語るときに、適切な取り上げ方なのだろうか。いや、違う。
 レーニンは、反対者が自分に賛成してくれない場合に賛成を余儀なくさせる最後の手段として、しばしば<オレは辞めるぞ>と言ったと、R・パイプスは書いていた。
 相手を屈服させる、あるいは自分に不本意ながらも同意させるために、そんなことを言うならば、俺は辞めるぞ、それでよいのか、というのは、時代や国を問わずして、今日の日本でも十分にありうる。櫻井よしこは、人間の心理・感情・精神状態というものに知悉した人物なのだろうか。
 櫻井が用いてるのと同じ筆者の書物、藤田覚・江戸時代の天皇(天皇の歴史06、講談社、2011)には、ずばり、つぎの文章がある。1858年、井伊直弼大老就任のあと、「安政の大獄」の直前のことだ。通商条約調印強行の「報告」だけ受けての、孝明天皇。
 6月28日、朝廷公家に対して<退位とのちの明治天皇への譲位>の意思表示をした。幕府の措置に怒り「抗議のために譲位」表明するのは後水尾天皇(1600年代前半在位、幕府による禁中・公家諸法度制定などがあった)以来のこと。
 「天皇は、難局から判断不能に陥り、天皇位を投げ出したともとれるが、譲位の意思表示によって決意のほどを示そうとしたのだろう。/
 ここで重要なことは、孝明天皇は、逆鱗したとはいえ、あくまでも幕府への政務委任と朝幕融和(公武合体)という原則、江戸時代の朝廷の幕府の枠組みを大事にしていることである」。p.315。
 どういう研究者かの詳細を知らない藤田覚の言述をすべて信頼しているわけでは全くない。しかし、櫻井よしこのように単純に歴史や歴史的人物を理解して評価してはいけないこと、<譲位表明は最後の武器>という認識自体が誤っていること、を示しているだろう。
 ○ このような、何かに<取り憑かれた>ような、歴史については中学生少女レベルの人物が、日本や天皇の歴史について何を書いても、言っても、信用することはできない。その天皇譲位問題についての見解の基礎にある歴史観もまた、単純で、「観念論」的な、誤ったものである可能性がすこぶる高いわけだ。

1394/日本の「左翼」-白井聡/アラン・ブロックの著。

 一 日本共産党綱領(2004)は、つぎの数字を明示的に掲げる。
 日本の「侵略戦争」は「2000万人をこえるアジア諸国民」と「300万人をこえる日本国民」の「生命を奪った」(+「…原爆が投下され、その犠牲者は20数万にのぼり…」)。
 「ファシズムと軍国主義」を糾弾し、同党の「たたかい」を称揚するために、かかる数字を挙げて、いかに多くの人命が犠牲になったか、と言いたいのだろう。
 この数字自体に疑問はないとしても、では共産主義(者・体制)によっていかほどの人命が犠牲になったのかも示さないと、歴史を公正に見ることにはならないだろう、と思われる。
 これに関連して、クルトワ等・共産主義黒書の推測では共産主義の犠牲者数は一億人(10,000万人)を下らない、という数字をこの欄でも書いたことがある(数字を確認しない)。
 二 白井聡は、このような統計的数字を挙げることに、感情的に反発している。
 白井聡・未完のレーニン(講談社、2007)は、そのあとがき(p.229-)で、まさにクルトワ=ヴェルトの共産主義黒書への反発を最初に記したあとで、次のように書く。引用に値する文章だ。
 ・「マルクス主義・共産主義思想を単純に断罪し、…世界で最も憎むべきものとして認知させよう」という「今日声高に主張されている断罪の言説の多くが拠って立つ根拠は、それに関して何人の人が死んだか、その犠牲者はナチズムのそれよりも統計的に多かった、ということ以上のものではない」。
 ・「…反共主義者と全体主義的政治機構の首領は、暴力による人間の死という問題を統計的にしか考えることができない、という点で奇妙にも一致している」。以上、p.230。
 このあと続けて白井は、このような状況は現在の「精神的な頽廃」だろう、とも言っている。
 この白井聡という人物は、いかに<反・共産主義>を嫌悪しているのだとしても、正常な感覚の持ち主だとは、したがって、まともな学者だとは到底思えない。
 反マルクス主義・反共主義の言説の「多くが拠って立つ根拠」は共産主義の「犠牲者はナチズムのそれよりも統計的に多かった、ということ以上のものではない」 ? ?。
 こんな馬鹿なことを秋月瑛二を含む「多く」の者が述べているわけではない。
 そのあとの文章もひどい決めつけ方だ(「全体主義的政治機構の首領」とは何を指すのか不明だ)。人の「死」を「統計的にしか考えない」、というような罵倒でもって、反共産主義者を批判してはならない。
 ついでにいうと、クルトワ=ヴェルト・共産主義黒書について白井はこうも言う(p.229)。
 マルクス主義・社会主義革命を断罪し、「新自由主義化した資本主義や多くの国々でおよそ健全に機能しているようには見えない議会制民主主義を全面肯定する」ことが「正義であると結論すれば」、歴史の教訓が得られるとは思えない。
 白井聡に「諭して」おくが、マルクス主義・共産主義を厳しく批判することと、現在の、あるいは今日の日本の資本主義や「議会制民主主義」を「全面肯定」することとはまるで異なる次元の問題だ。クルトワとヴェルトの本は、上のような「結論」を示してはいないはずだ。
 2006年にこんな幼稚なことを書いていたことを、恥ずかしくは思わないだろうか。
 かくも明確な<反・反共主義>ぶりをおそらくは最初の刊行物で明らかにした白井聡が、「左傾」した日本の出版界・論壇等で受容されているらしい経緯・理由も、よく分かる。
 なお、白井聡の学生時代の指導教授は、加藤哲郎らしい。この、1990年前後に日本共産党から離れた(党員ではなくなった)加藤の文献は、日本共産党に関連して少なからず所持して(かつ一読はして)いるので、いずれ言及することがある。
 三 つぎの「統計」を述べている書物がある。レーニンを上掲書で扱った白井聡がまるで関心をもっていない、レーニンの時期の数字だ。
 アラン・ブロック・対比列伝/ヒトラーとスターリン(鈴木主悦訳)(草思社、2003)第一巻p.180は「ほとんど信じられないけれども充分な確証のある数字」の、この書が挙げる「最初の例」として、こう書いている。原著は、Alan Bullock, Hitler and Stalin - Parallel Lives (Vintage, 1993)。ロシア・ソ連に関する叙述で、以下の「内戦」とは、ロシアでの主として白軍・赤軍間の「戦い」だ。
 「子供を含む推定1000万人の男女が、1917年から21年にかけての内戦で生命を落とした。第一次大戦で死んだ軍人と民間人を加えれば、1200万人の人命が失われたのである。人口統計学者によれば、1923年のソ連の人口は、それ以前の数値にもとづいて予測される数字を3000万単位で下回っているという」。
 1200-1000で、第一次大戦でのソ連の軍民死者は200万人、ということになるのだろう。
 これら数字の原因があげてレーニンにある、と主張してはいない。だが、少なくとも「内戦」については(むろんこれはロシア革命が起こったがゆえに生じている)、個人名に限るとかりにすれば、レーニンに最も原因がある。

1380/共産主義に関する討論のテーマ-R・パイプスによる。

 Richard Pipes, Communism - A History (Random House, 2003) の巻末に、共産主義に関する討論テーマ (Discussion Guide) が掲載されている。読者が大学生や高校生であることを想定してのことだろうか。
 興味深いので、16個の質問事項(討論テーマ)をそのまま訳しておきたい。
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 01 共産主義の基礎にある古代の理想は何か ?
 02 マルクスは社会主義思想にいかなる寄与をしたか ? その理論は本当に、彼が主張するように「科学的」か ? 彼の予言は実現されたか ?
 03 社会主義「修正主義」とは何か ?
 04 レーニンはマルクスの正しい後継者だったか、それとも、レーニンはマルクス理論を修正したのか、かりにそうならば、どのようにして ?
 05 1917年10月にペトログラードで起きたのは、革命か、それともクー・デタか ? なぜ、権力掌握後に共産主義体制はあれほど早く独裁的に(autocratic)になったのか ? スターリンは、レーニンの門弟だと正しく主張していたのか ?
 06 なぜ、レーニンは革命を世界に広げることを主張したのか ? 彼とその後継者たちはどの程度成功したか ? コミンテルンのプログラムはいかなるものだったか ? なぜ、そしてどのように、ドイツの共産主義者は1932年にヒトラーの政権奪取に寄与したのか ?
 07 「ノーメンクラトゥーラ」とは何か、そしてそれはどのようにして共産主義体制の安定性と最後の失敗の両方に寄与したのか ?
 08 スターリンの大テロルの原因と過程を討論しなさい。トロツキーが共産主義国家では「服従しない者は食うべからず」と書いたとき、彼は何を言いたかったのか ?
 09 とくに1930年代に西側諸国で支持者を獲得した共産主義の成功を、あなたはどう説明するか ?
 10 冷戦の原因は何だったか ? それは不可避だったか ?
 11 なぜ、ソ連は解体したか ? 少数派のナショナリズムはその解体にいかなる役割を果たしたか ? 
 12 第三世界での共産主義運動に共通しているのは何か ? なぜ、モスクワは、西側の旧植民地だった国で勝利することが重要だと考えたのか ?
 13 中国・ソヴィエトの分裂の原因は何だったか ? どのようにして、マルクス主義者は毛沢東共産主義者だったか ? 
 14 なぜ、チリのアジェンデ共産主義体制は転覆させられたのか ?
 15 カンボジアやメンギストゥ〔秋月注-エチオピア〕のような体制がマルクスやエンゲルスの理論と同一視されうるとすれば、それは、もしあるならば、いかなる意味でか ?
 16 「社会主義者は勝利するかもしれないが、社会主義は決してしない」との言明は、何を意味するのか ? なぜ、本の著者の見解によれば、共産主義はつねにかつどこでも失敗する運命にあるのか ?     
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 上のRichard Pipes の書物(ハードカバー版は2001年刊)は、 リチャード・パイプス(飯嶋貴子訳)・共産主義が見た夢(ランダムハウス講談社、2007)として邦訳されている。
 但し、訳者(1967~)の責任ではないだろうが、巻末の上記の Discussion Guide は訳されておらず、役に立つと思われる<さらなる読書のための助言>という、著者による関連諸文献の紹介と簡単な説明(p.166-9)も訳されていない。注も索引も邦訳書では割愛されている。
 また、この種の邦訳書にはよく見られる、訳者または別の専門家による<著者(リチャード・パイプス)の紹介>や<解題・解説>もまったく存在しない。
 200頁に充たないコンサイスな書物だが、あるいはそうだからこそ、<共産主義の歴史>を概観するうえで(「共産主義が見た夢」という邦題は直接的でない)、日本人にとっても-日本共産党を理解するためにも-十分に参考になると思われるのに(上の討論テーマはすべて本文で言及されているようだ)、残念なことだ。

1114/未読の多数の書物に囲まれてBSフジで西部邁を観る。

 〇机・椅子の周囲に現在積まれている書物。順不同。
 ①竹内洋・革新幻想の戦後史(中央公論新社) ②西尾幹二・壁の向うの狂気―東ヨーロッパから北朝鮮へ(恒文社21) ③産経新聞取材班・親と子の日本史 ④船橋洋一・同盟漂流(岩波)、⑤内田樹ほか・橋下主義〔ハシズム〕を許すな!(ビジネス社)、⑥古谷ツネヒラ・フジテレビデモに行ってみた!(青林堂)、⑥b/ケストラー・真昼の闇黒(岩波文庫)、⑦産経新聞論説委員室・社説の大研究(扶桑社)、⑧宮野澄・最後の海軍大将・井上成美、⑨水田洋・社会科学の考え方(講談社現代新書)、⑨佐伯啓思・反・幸福論(新潮新書)、⑩不破哲三・現代前衛党論(新日本出版社)、⑪中島義道・人生に生きる価値はない(新潮文庫)、⑫小林よしのり編・国民の遺書(産経新聞出版)、⑬田母神俊雄=中西輝政・日本国家再建論(日本文芸社)、⑭田母神俊雄・ほんとうは強い日本(PHP新書)、⑮高橋たか子・高橋和巳の思い出(構想社)、⑯月刊正論5月号、⑰月刊WiLL6月号、⑱Japanism第6号、⑲月刊ヴォイス5月号、⑳撃論第4号、21林敏彦・大災害の経済学(PHP新書)、22池田信夫・原発「危険神話」の崩壊(PHP新書)、23佐藤優・はじめての宗教論〔右巻〕(NHK出版)、24ダワー・容赦なき戦争(平凡社)、25中島義道・ヒトラーのウィーン(新潮社)、26秦郁彦・靖国神社の祭神たち(新潮選書)、27杉原誠四郎・日本の神道・仏教と政教分離/増補版(文化書房博文社)、28石平・中国人大虐殺史(ビジネス社)、29坂本多加雄・象徴天皇制度と日本の来歴(都市出版)、30上杉隆・新聞・テレビはなぜ平気で「ウソ」をつくのか(PHP新書)、31石光勝・テレビ局削減論(新潮新書)、32不破哲三・「資本主義の全般的危機」論の系譜と決算(新日本出版社)、等々等々。
 整理し忘れのものもあれば、読むつもりで放っていたものもある。また、多少とも読んで、何がしかの感想・コメントくらいは書けたのに、書けないままになってしまっているものがすこぶる多い(言及しても不十分なままのものも含む)ことにあらためて気づく。
 〇西部邁がBSフジ(プライムニュース)の憲法特集の中で喋って(喚いて?)いた。年齢にしては頭の回転は速そうだし、間違ったことを語っているわけでもないように見えた。
 橋下徹をどう思うか旨の問いに、大した関心はないとしてまともに答えていなかったのが、興味深かった。西部邁は週刊現代3/17号(講談社)でも、橋下徹の政策論に批判的に言及してはいるが、<西部邁・佐伯啓思グループ>の総帥?のわりには、中島岳志、藤井聡、東口暁、佐伯啓思のような、「決めつけ」的な警戒論・批判論を展開してはいない。
 そのことともに、上の週刊誌の末尾には「あの世のほうがよほどに真っ当そうだ」との老人?の言葉があるが、自分の言いたいことをいうが、自分の言うようにはならないだろう、自分の主張を大勢は理解できないだろう、という日本の現実についての<諦念>または<ニヒル>な気分が濃厚であることも印象的だった。
 そのような末世的気分からは、自らの発言の優先順位に関する思考、現在の日本の状況(政治・論壇・国民意識等)を動かすことのできる重要なテーマは何で、些細な論点は何か、という戦略的な?判断は抜け落ちてしまうのではなかろうか。
 視聴者大衆への具体的な影響への配慮よりも、とにかく自分が正しい(または適切だ)と考えることを喋りまくるのでは、却って、何が言いたいのかが不鮮明になるおそれなきにしもあらずだ。
 西部邁とともに、私もまた、多分に、ニヒリスティックな気分なのだが、私とは異なり著名な<自称保守派>論客には、戦略・戦術も配慮した発言や論考を期待したいものだ。

0888/高池勝彦「ケルゼンを知らねばパール判決は読み解けないか」(月刊正論2009年2月号)再読。

 月刊正論2009年2月号(産経、2008.12)の高池勝彦「ケルゼンを知らねばパール判決は読み解けないか」(p.278-)によって、一連のパール判決・ケルゼニズム(・法実証主義)論争は終熄したかに思えた。
 内容を引用・紹介していないが、この高池勝彦の論考について、私は「このタイトルは、この欄で既述の私見と同じ」。「東谷暁や八木秀次のパール・ケルゼン関係の文章よりもはるかに私には腑に落ちる」とだけかつてコメントした。
 高池は中島岳志=西部邁・パール判決を問い直す(講談社現代新書、p.15、p.30、p.60)を挙げ、「パル判決の論理構成に関して、『パールを援用した自称保守派の東京裁判批判は、全面的に法実証主義に依拠している』とか、『法実証主義が果たして本来保守派が立つべき立場なのか』とか、『法律条文を金科玉条とする』といった批判がある」、と紹介していた(p.284)。そして、次のように批判または反論している。かつて紹介・引用していないので、ここではほぼ全文を引用しておく(p.285、旧かなづかいは改めた)。
 ①「なぜパル判事が法実証主義に依拠してはいけないのかわからない」。
 ②「そもそも本当にパル判事が…全面的に法実証主義に依拠しているのか、疑問」だ。
 ③「法実証主義が法律文を金科玉条としているというのは少なくともいい過ぎ」だろう。「ごく常識的な法実証主義」とは「法解釈にあたって…、存在と当為、事実と規範を分けて、判断することをいう」と理解するので、「これは現代の法解釈において多かれ少なかれとらざるを得ないのではないか」。「法実証主義は、実定法を解釈の対象」とし、「実定法を離れてイデオロギーや教義によって法を解釈することを拒否する」。「ただ、極端な法実証主義はそれこそ法律文を金科玉条とすることになりかねないというだけのこと」ではないか。
 ④「そもそも、国際法は、…慣習法が重要な法源であり、パル判事もそれを強調している」ので、「法律文を金科玉条とすることなど不可能」だ。
 ⑤西部・中島両氏が強調するのは「平和に対する罪」は「事後法の禁止に反する」旨をパル判事が述べているのを指すと思われるが、「パル判事はそれこそ平和の罪が犯罪ではないことを様々な条約や学説、事件などを引いて論証しているのであり、とても単なる法律文だけを根拠にしているのではない」。
 ⑥「パル判事が主としてケルゼンの学説に依拠しているといわんばかりの主張にも同意できない」。パル判事は「ケルゼンの学説をかなり理解し、必要な部分は取り入れているかもしれない」が、「それのみに依拠しているわけではなく、パル判決はそれ自体として判断する必要がある」。
 ケルゼンを批判することによってパール判事(の意見書)(の基礎的考え方・「法律観」)をも批判しようとする西部邁や中島岳志の論法には、無理があり、こじつけがある。西部邁によると「主として」制定法(法律)を基準として仕事をしている現在の日本の多くの専門法曹(裁判官・弁護士等)は「法匪」になるのかもしれないが、かつてパール意見書を読んだことがあるとも言う(p.278)、弁護士・高池勝彦の理解・主張の方が<素人>の西部邁・中島岳志よりもはるかに信頼が措ける。
 西部邁・中島岳志らによる、議論の不要な紛糾は避けた方がよく、「法」、とくに「制定法(法律)」に関する考え方について、西部邁が述べるところを信頼あるいは参照してはいけない。
 なお、かつての論争の中心点はパール判事意見書(パール判決)は<日本「無罪」論>だったのか否か、だったようだ(高池p.278)。
 この論点について高池は次のように述べて、中島岳志・西部邁とは異なる理解を示している(p.284)。
 ①<講談社学術文庫・パル判決書(上)の解説者・角田順はパール判決は「日本無罪論ではない」ことを強調しているが、小林よしのりが指摘するように仮定形の論述で、1.「仮定文の中身を真実であると認めたわけではない」、又は2.弁護側の無反論のゆえに仮定を「前提に議論を進めた」、という部分が「多い」のであり、私(高池)は「パル判決は全体として、日本が無罪であると主張しているとしか読めない」。>
 ②<但し、「無罪」とは「有罪と認定する証拠がない」ことを意味し、日本のすべての行動に「何の問題もなかった」ことを意味しはしない。「刑事上の無罪」は「道義的に無罪であるという意味ではない」とよく主張されるが、それは「当然のこと」だ。>
 高池は日本の「道義」上の問題の具体的評価に立ち入っていないが、パール判決や中島岳志=西部邁・パール判決を問い直す(講談社現代新書)をきちんと読んではいないものの、上の論旨にも「納得がいく」。
 その後、西部邁または中島岳志は、この高池勝彦論考に対してきちんと反論したのかどうか。

0858/週刊現代4/10号の山内・立花の対談と青木理の「歪狭」な論。

 週刊現代4/10号(講談社)。表紙に「小沢は害毒である」、「何をしてんだか、民主党。」とあって、前号よりも<反民主党>的だ。
 表紙の前者と「ソ連共産党と化した民主党政権。この国はいま危ういところにいる」を見出しにつけた、立花隆=山内昌之の対談がある(p.36以下)。
 ソ連共産党うんぬんは、山内昌之の次の発言から取っているようだ。
 思い浮かぶのは「ソ連共産党」。「民主集中制のソ連共産党、つまりボリシェビキ最大の特徴は、書記長に全権が集中するシステム…」。「スターリンの権限が集中した書記局のアパラチキ(機関員)が、歯車のように決定をふりかざして…新参ボリシェビキを完全支配する」。これが「スターリン支配政治体制を成立させる土壌」にもなった。民主党幹事長室・周辺議員は「民主党を変質させるアパラチキのように見えて仕方がない」(p.39)。
 民主党の権力構造、そして国家全体の政治構造が一党独裁の「社会主義」国に似ているところがあるのは、私もかつて指摘したとおり。だが、本当の「民主集中性」・「共産党一党独裁」は今の民主党のような程度ではないことも言うまでもないだろう。前原や枝野はまだ小沢批判的な発言を公にできている。本当の「社会主義」だと、かつてのソ連共産党だと、そんな自由はなく、前原らは地位を失うか、<粛清(流刑または殺戮)>されている。
 この対談で立花隆は、「民主党が官僚をうまく使わないことが国家を危うくしている」(p.41)、「政治家主導のお題目は唱えるが、官僚を主導できるだけの政治家が少なすぎる…」、「司を動かせば官僚機構は動くのに、事務次官なんかいらないみたいなことを言うから…国家機構全体が糸が切れたタコ状態になっている」、「財政破綻もひどいが、官僚無視による国家のシステム破壊、アイデンティティ破綻の方がずっとずっとひどい」(p.42)と、まともなことを言っている。<護憲・左翼>の立花隆にしてすでにそうだ。
 国家基本問題研究所理事・屋山太郎は、<官僚主導>か<議会制民主主義>かなどを先の総選挙の最大の争点に見立てて、民主党を応援し、その政権誕生を歓迎し、何度でも書くが、<大衆は賢明な選択をした>とまでのたまった。
 2010年4月時点でもそう思っているのかどうか、どこかで書いてほしいものだ。なおも<政治家主導>第一主義は正しいと考えているならば、上記の理事はやめた方がよい。あるいは、櫻井よしこらは屋山を理事から<解任>すべきだ。
 対談は全体としては、山内昌之のペースで、こちらの口数の方が多い。ほとんどかつての蓄積にのっかっただけの立花隆の老いをやはりある程度は感じる。
 そういう週刊現代だが、4/03・4/10号によると、魚住昭、森功、岩瀬達哉、青木理によるリレー連載欄があり、日垣隆の連載があり、斎藤美奈子が登場し、井筒和幸の映画批評があったりで、明確な<左翼>な分子を含む売文業者等をたくさん抱えているのが分かる。
 4/10号で、青木理は、高校授業料無償化に関する「朝鮮学校外し」を、次のように批判している。
 「酷い感情論だ。いや、…社会が最低限守るべき理念を根本から腐らせる、単なるレイシズムではないのか」、「これほどに歪狭な愚論がもっともらしく語られてしまう日本のムードも、酷い憂鬱を禁じ得ない」(p.61)。
 何とも「酷い」、凝固した「左翼」が、こんな<感情論>をそのまま活字にできる<日本のムード>に「酷い憂鬱を禁じ得ない」。
 週刊現代・講談社の編集部の心底を見た思いもする。<反民主党>で今は売れる、と全体としては判断しているのだろう。しかし、青木理のような文章もちゃんと載せておく、ということを忘れない。
 青木理は「現在、国公立大学のほとんどが朝鮮学校出身者の受験資格を認めている」ことを根拠の一つとしている。
 だが、このこと自体に問題があることを想像はしないのだろうか。国公立大学(私立も基本的には同様だが)の受験・入学資格は基本的・原則的に日本の高校卒業者(・予定者)に限られる。おそらくは<その他、日本の高校卒業と同等程度の学力をもつと認められる者>という例外があり、これをタテにとった朝鮮(高級)学校側の運動と圧力(?)によって、個別的にではなく概括的に、朝鮮(高級)学校卒業(・予定)者の受験資格を認めてきているのだろう。ここには、面倒なことは避けたい、とか、あるいはひょっとして北朝鮮に「寛大」な措置をして「友好」的・「進歩」的に見られたいとかの、日本の国公立大学の弱さ・甘さが看取されるように思われる。
 彼ら朝鮮(高級)学校卒業(・予定)者はいわゆる<大検>に合格しているわけではない。とすると、本当は事前に個別に試験をして、受験資格があるかどうかを見極める必要があると思われる。しかるに、「朝鮮学校出身」というだけで例外的な受験資格を認めていることの方こそが本当は問題にされてよいように思われる。
 下らないことを書く「左翼」分子に、講談社は原稿料(これはひいては読者・購入者も負担する)を支払うな、と言いたい。 

0857/週刊現代4/03号(講談社)の山口二郎の言葉。

 サピオ=小学館=週刊ポスト、かつての月刊現代=講談社=週刊現代、という対比もあって、週刊ポストよりも週刊現代の方がより「左翼的」という印象があった。だが、最近は、表紙からの印象のかぎりでは、週刊現代の方が<反民主党>・<民主党批判>の立場を強く出しているようだ。
 もっとも、NHKを含むマスメディアの<体制派>は、民主党を批判しても、決してかつての自民党政権時代には戻らせない(とくに安倍晋三「右派」政権の復活は許さない)という強い信念・姿勢をもって報道しているように見える。
 上の点は別にまた書くとして、週刊現代4/03号(講談社)。
 山口二郎「私は悲しい。鳩山さん、あなたは何がしたかったのですか」(p.40以下)がある。
 「民主党政権・生みの親」とされる北海道大学教授が民主党・鳩山政権を辛口で批判している。
 批判はよいが、「…25%削減を打ち出した温暖化対策は鮮烈だったし、八ツ場ダムの凍結も画期的でした」(p.41)、通常国会冒頭の鳩山の「施政方針演説は、まことに立派なものでした。官僚の作文ではない、血の通った言葉だった」(p.43)とか書いているのだから、山口二郎はまだ大甘の、頭のピントが外れた人だと思われる。「小沢さんは日本政治を最大の功労者の一人であると、今でも信じています」とも言う(p.42)。
 「八ツ場ダムの凍結」はたまたま民主党の選挙用「マニフェスト」に具体名が挙げられていただけのことで、特定の案件について、いかなる基準で公共工事の凍結・継続が決められたか、およびその判断過程は明らかにされていない、と思われる。そのどこが「画期的」なのか?
 「最初の民主党ができた頃から、民主党政権を作ることが夢でした」と真面目に(?)語っている山口の心理・精神構造には関心が湧く。こんな人がいるからこそ、マスメディア(のほとんど)も安心して自民党叩き・民主党称揚の報道をしたのだろう。
 山口二郎は、北海道大学関係者にとって、<恥>なのか、それとも<誇り>なのか。
 その山口も、まともなことも言っている。
 ・民主党の「政治主導」の諸措置により「政務三役だけやたらと忙しく、他の議員はヒマ…」、「格好だけ政治家が前へ出て…その実、まともな政策論議ができていない」(p.41)。
 ・小沢一郎が「幹事長室に陣取って……自民党的な利益誘導政治をしている」(p.42)。
 これらは、<保守>派評論家とされ、国家基本問題研究所理事の屋山太郎よりもまっとうだ。屋山の判断力が、山口二郎・旧社会党ブレインよりも劣っているとは、情けない。

0763/阪本昌成・新・立憲主義を読み直す(成文堂、2008)におけるフランス革命-3。

 阪本昌成・新・立憲主義を読み直す(成文堂、2008)。
 第Ⅱ部・第6章
 〔2〕「近代の鬼子? 

 A(つづき、p.188~)
 フランス革命は「脱宗教的な形をとった文化大革命という政治的革命」で、「共同体にとっての汚染物を浄化する運動」だった。「『プープル』〔人民〕という言葉も、政治的には人民の敵を排除するための」、「経済的には富豪を排除し、倫理的には公民にふさわしくない人びとを排除するための」ものだった。だからこそフランス革命は「長期にわたっ」た。
 しかし、この「文化大革命」によって「人間を改造することはでき」なかった。「最善の国制を人為的に作り出そうとする政治革命は、失敗せざるをえ」なかった。「精神的史的大転換を表現する政治的大転回」は「偉大な痙攣」に終わった。
 B フランス革命を「古い時代の終焉」とともに「新しい時代の幕開け」だと「過大評価」してはならない。フランス革命は紆余曲折しつつ「人権」=「自由と平等」を、とくに「人の本質的平等」を「ブープル」に保障する「理想社会」を約束しようとした。それは「差別を認めない平等で均質な社会」の樹立を理想とした。しかし、「結局、中央集権国家をもたらしただけで失敗」した。「高く掲げられた理想は、革命的プロパガンダにすぎなかった」。
 「人権宣言」は法文書ではなく「政治的プロパガンダ」ではないかと疑うべきだ。立憲主義のための重要な視点は、「人権宣言」にではなく、「徐々に獲得されてきた国制と自由」にある。
 トクヴィルは冷静にこう観察した。-「民主主義革命」を有効にするための「法律や理念や慣習は変化をうけなかった」。フランス人は「民主主義」をもったが、「その悪徳の緩和やその本来の美点の伸張」は無視された。旧制度から目を離すと、「裡に権威と勢力のすべてをのみこんでまとめあげている巨大な中央権力」が見える。こんな「中央権力」はかつて出現したことがなく、革命が創造したものだ。「否、…この新権力は革命がつくった廃墟から、ひとりでに出てきたようなもの」だ(『アンシャン・レジームと革命』講談社学術文庫・井伊玄太郎訳、p.110-1)
 (Bは終わり。Cにつづく)

0741/北康利・吉田茂-ポピュリズムに背を向けて(講談社、2009)の「あとがき」。

 北康利・吉田茂-ポピュリズムに背を向けて(講談社、2009.05)の「あとがき」の次の文章は、まことに適切だと思う。
 「『民主主義は多数決だ』という教育が戦後の不幸を招いた。
 数にまかせて力をふるおうとする世論は、かつての反民主主義勢力よりもはるかに暴力的でかつ強欲である。『自分たちが主役の政治』を欲しながら、同時にまた強力なリーダーシップを持った政治家を求めている。こうした贅沢で矛盾した要求を恥ずかしげもなく堂々とできるのが世論なのだ。
 国民の政治を見る目は極端に幼稚になり、『嫉妬』という人間の最も卑しい感情が社会を支配しつつある。
 議員の財産開示などという愚にもつかぬことが行われているが、国民はここからいったい何を読み取ろうとしているのか。蓄財をしておらず、浮いた話などなく、老朽化した官舎に住んで国会に電車で通う政治家が本当にこの国を幸せにしてくれるのか。重箱の隅をつついて政治家批判をする前に、国民は政策判断できる能力を身につけるべきであろう。」(p.377)
 <国民が主人公>、<生活が第一>などの国民に「媚びる」スローガンを掲げ、「国民の皆さまに…させていただく」などというような言葉遣いをする代表がいる政党(民主党)が政権をとろうとしているのだから、うんざりするし、日本はダメになる、とも思う。
 「ポピュリズム」の形成にマスメディアは重要な役割を果たしている。産経新聞社にだって、かつて<ミンイ、ミンイ>、<ミンイ(空気)を読め>としか語れない若い記者がいたのだから。
 北康利、1960~。まだ若いので、今後にも期待したい。

0722/<どっちつかず>で<大勢・体制順応>・<勝ち馬乗り>だった月刊諸君!(文藝春秋)。

 〇佐伯啓思・大転換-脱成長社会へ(NTT出版、2009)を全て読了。この本の出版に気づくのが遅れて、初版第二刷のものだった。
 読売新聞5/18朝刊に、この本の一部(ケインズ等)の内容を佐伯啓思が語る部分を含む記者構成記事が出ている。
 内容と重要度の現代性からいって、注目されてよいし、多くの人々に読まれるのがよい。日本の「構造改革」の背景・内容の批判的分析だけでも(それも「グローバリズム」と無縁ではないが)、現代的かつ<日本的>だ。それにしては、題名が少し<軽い>気もするが…。
 いずれそのうち、一部に言及する。但し、佐伯啓思・日本の愛国心(NTT出版、2008)や同・現代日本のリベラリズム(講談社)等についてそうだったように、全体を紹介・コメントし切れないままで次の本・雑誌・テーマに移ってしまう可能性も高い。
 なお、前回、前々回の名越の中公新書についてもそうだが、この欄に書いて閲覧者の参考に供することを第一次的目的とはしていない。それならば、直接に関係文献を読んでいただく方が早い。
 産経新聞200万、月刊正論6.8万は少ないとか書いたことがあるが、イザ!のこのブログの読者の数は、月6.8万と比べてもはるかに少ない、微々たるもので、何らかの影響力を期待してはいない。
 最低限度、自分の読書録、考えたことのメモ書きとして残しておくことで満足する他はない。
 そうとでも考えておかないと、コスト・パフォーマンスからいってもCBA分析からいっても、「パフォーマンス」はほとんどなく、経済的「ベネフィット(Benefit)」はゼロなのだから、ブログを続けることはできない。所詮は自己満足と割り切る他はないのだ。プラス・アルファがあれば、望外の慶び、というところ。
 〇田母神俊雄・田母神塾-これが誇りある日本の教科書だ(双葉社、2009.03。これも第二刷だ)を2/3ほど読了。内容は新鮮なことばかり、というわけではない。だが、村山談話・河野談話等の全文を(たぶん)正確に掲載している資料欄(左側頁)が役立ちそうだ。資料確認的価値のゆえに座右に置いておいてもよい。
 〇田母神俊雄論文問題に関係するが、あらためて、月刊諸君!(文藝春秋)という雑誌について書く。
 田母神俊雄はその論文の内容ゆえに2008年10月末で事実上の解任・解職を受けた。
 時期的に言って、総合誌・論壇誌が取り上げるとすれば、今年の1月号(原稿締め切りは11月半ばか?)、2月号あたりになる。
 月刊WiLL(ワック)の1月号・2月号の背表紙の大きなタイトルはそれぞれ「総力特集・田母神論文のどこが悪い!」、「総力特集・田母神論文を殺すな!」。前者には田母神の原論文のほか、田母神の「独占手記」、中西輝政・渡部昇一・西村真悟・荒木和博・西尾幹二の各関係論考が並び、後者には田母神と小林よしのりの対談、櫻井よしこ・渡部昇一・潮匡人等の論考がある(秦郁彦の一文も)。
 月刊正論(産経)の1月号は「総力特集・誰も語らぬ田母神問題の本質」と背表紙・表表紙で謳い、やはり田母神の原論文とともに、日下公人・佐藤守・花岡信昭・百地章ら計6人の論考を掲載。同・2月号は背表紙からは外しているが、「続・誰も語らぬ田母神問題の本質」との特集を組んでいて、別宮暖朗・石平・花岡信昭・高森明勅の論考を掲載。
 以上はすべて、結論的には田母神俊雄を擁護する趣旨又はその効果をもつものだ。
 これに対して、月刊諸君!(文藝春秋、編集人・内田博人)はどう対応したか。かつてすでに<傍観者の立場を採った>と書いたような気がする。
 同誌の1月号は「防衛省大研究」と目次中に大きな文字を打ちつつ、塩田潮「自衛隊は『暴走』する」と佐瀬昌盛「田母神論文には、秘められた『救い』がある」の二つの、田母神論文を契機に自衛隊を問題視・疑問視する論考とどちらかといえば擁護する論考の二つを並べた。
 同誌2月号は、保阪正康と黒野耐の「暴発の論理-田母神論文と二・二六事件」と題する対談を用意した。
 同誌4月号では秦郁彦と西尾幹二に対談させているが(その題は「『田母神俊雄=真贋論争』を決着する/重鎮・直接対決!」)、「捨て身の問題提起か、ただの目立ちたがりか」とのキャッチ・コピー文を付けている。
 かくのごとく、月刊WiLL(ワック)・月刊正論(産経)と月刊諸君!(文藝春秋)とでは、田母神問題に関する立場・スタンスが全く異なっていた、と言ってよい。
 月刊諸君!(文藝春秋)のよく言えばジャーナリスティックな、悪く言えば<やじ馬根性>ぶりは、田母神俊雄について「ただの目立ちたがりか」と書いて、そうである可能性を否定していないことでも明らかだ。
 要するに、月刊諸君!(文藝春秋)は<どっちつかず>の立場を採ったのだ。文藝春秋本誌を確認しないが、月刊諸君!ほどにも、問題自体をとりあげなかっただろう。
 なお、月刊現代(講談社)今年1月号は最終号で、石原慎太郎批判(佐野眞一)を巻頭に置き、立花隆・保阪正康・斉藤貴男等々の文章を載せつつも、田母神俊雄論文に触れる論考は一つもない。
 月刊諸君!(文藝春秋)の最終号で、<保守派>雑誌の一つの消滅を惜しむ文章が多数並んでいた。(株)文藝春秋からの原稿料・印税による、あるいは顕名化(著書発行等による有名人化)による利得者たちは、(株)文藝春秋発行の雑誌を無碍に批判することはできなかったのだろう。
 だが、少なくとも近年の月刊諸君!(文藝春秋)はまともな<保守派>の雑誌だったのか
 <保守>か否か(「左翼」か)の基準にはいくつかの考え方があるだろうが、<東京裁判史観>に批判的であるか、そうでないか、との対立軸を少なくともその一つとして立てるという考え方・整理の仕方はひどく乱暴なわけではないだろう。
 上の基準からすると、そもそも近年の月刊諸君!(文藝春秋)は<保守>ではなかった。(皇室問題とともに)テーマとして取り上げることだけはして読者の興味を惹く、「ただの目立ちたがり」ではなかったのか。
 だが、結果的には「村山談話」=東京裁判史観に対する疑問を公にしてはならない、とのスタンスに、浜田靖一防衛相・麻生太郎首相をはじめ自民党の国会議員のかなりの部分が立っていたと見られるのは、何度も書くが、<左翼ファシズム>の成立を思わせ、気味が悪く、怖さを感じるものだった。
 上掲の田母神俊雄・田母神塾(双葉社)でも触れられているが、石原伸晃もまた田母神批判者だった(p.98)。
 録画していないが、ほとんど観ていない夜の某テレビ番組で(たぶん12月)、石原伸晃は田母神俊雄論文問題発覚の際に、<自衛隊の(言論)クーデター>を連想した旨を述べた。山本一太とかのテレビによく登場する若手議員も平沢勝栄も、同席していた民主党議員に比べて、口数は少なく、更迭・(実質的)解職に対する批判的な言葉は一つもなかった(唯一、擁護的な発言をしたのは、読売出身の評論家・三宅久之だった)。
 田母神俊雄が上掲書で言うように、「自民党はもはや保守政党とは言えない」(見出し、p.96)のだろう(といって、他により「保守的な」政党があるわけではない。いや、国民新党は?
)。
 石原伸晃の「クーデター」という感覚はヒドいものだと思うが(私もそうではあるが、二・二六事件等を現実に知らない世代の者が、簡単にこんな概念を使うべきではない)、その感覚は、月刊諸君!(文藝春秋)の、上記のような、この雑誌の編集者が選択したと思われる、「暴発」・「暴走」という言葉にも通底していると考えられる。
 <文民>に従わない軍部(・自衛隊)の「暴発」・「暴走」を許すな>との、「戦後民主主義」的な、暗黙の考え方・意識に、自民党国会議員の大勢や月刊諸君!(文藝春秋)もまた陥ったままであるかに見える。自民党国会議員の「大勢」というのが適切だとすれば、月刊諸君!(文藝春秋)は、結局は、少数派になることを恐れる、ただの<大勢・体制順応>・<勝ち馬乗り>の雑誌ではなかったか、(株)文藝春秋も結局は、そういう出版社ではないか、と感じている。
 もっとも産経新聞は最近、半藤一利雨宮処凜という明確な「左翼」(九条護持派)を登場させたりしているので、(株)文藝春秋だけを批判してもほとんど意味がない。怖ろしい時代だ。佐伯啓思の本を読んでいるのは、知的刺激もあり、<イデオロギー>過剰では全くないので、なかなかの楽しい時間だが。

0695/関岡英之・奪われる日本(講談社現代新書、2006)も全読了

 〇 刊行順ではないが、関岡英之・奪われる日本(講談社現代新書、2006.08)を全読了。反小泉「構造改革」(=米国の国益のための日本の国益の毀損・「日本的」伝統・よき慣行の否定)という主張において、基本的には同じ。
 関岡・目覚める日本(PHP、2009.02)に書いてあったことだが、p.31-「『大きな政府』と『小さな政府』、どちらが絶対的に正しいのではなく、要はバランスの問題なのです」(p.31)。
 関岡は「間接金融と直接金融」もどちららかが100%正しいのではなく「要はバランスの問題なのです」(p.39)、とも書く。
 『大きな政府』と『小さな政府』は、あくまで資本主義市場経済を前提としての「自由原理主義」・「新自由主義」と「社会民主主義?」との対立とも見られるが、こんな簡単な概念のレベルで議論しても意味がない。単純に「自由原理主義」・「新自由主義」を批判しても、それだけでは意味がないと考えられる。関岡の言うとおり、「要はバランスの問題」なのだ。しかもそれは、経済政策(実質的には国政一般に等しいほどに範囲・影響力は大きい)の個々の論点ごとに議論されなければならない。
 関岡・奪われる日本(講談社現代新書)でも強調されている一つは、日本のマスメディアのひどさ。
 関岡によると、2005年総選挙の際に朝日新聞は小泉礼賛の社説を書き、アメリカの年次改革要望書の検証・報道をすることなく<郵政民営化>反対議員たちを「族議員」・「守旧派」扱いしたらしい(p.52)。城内実、古屋圭司、衛藤晟一、古川禎久、平沼赳夫、小泉龍司ら。
 2007年参院選前の安倍晋三内閣に対する態度とは大違いだ。
 朝日新聞(の論説委員たち)は、<構造改革>の経緯と内容をどれほど分かっていたのだろうか。ある程度は理解していながら、日本政府が対米関係で苦しみ、かつある程度は米国政府の要求が通っていったことを、肯定的に(問題視しないで)理解していた可能性もありそうだ。日本政府が苦しむ、日本社会が変化していく、「日本的」なものを失ってゆくことを心底では無意識にせよ、歓迎していたのかもしれない。彼ら朝日新聞は、<自虐>意識の、日本が責められて喜ぶタイプの論説委員たちで成り立っていると思えるからだ。
 <構造改革>の少なくとも影の面を当時にきちんと批判しておかないで、今頃になって<派遣切り>を問題視したりするのは<偽善>だ。それにしても、関岡によって、あらためて、日本のマスメディアのレベルの低さを思い知らされた感もある。外国(米国)資本の保険会社等の広告費によって、現今の新聞・テレビ等々は経済的に潤ってもいるのだ。
 関岡・奪われる日本には「皇室の伝統をまもれ」と一括されている二つの文章もある。女系天皇否定、元宮様の皇籍復帰を主張する珍しくもない短い文だが、「そもそも総理大臣の臣は臣下の臣である」(p.176)との何気ない文が気を惹いた。
 たしかに「臣」とは主人(日本の場合、究極的には「天皇」)に使える従僕というのが元来の意味だ。はろけき遠くの昔に始まった律令制上の「大臣」という言葉が現日本国憲法でもなお用いられている。
 「大臣」という言葉が「君主」=「天皇」をこそ前提としているとすれば、民主主義・「国民主権」や「平等」原則は現憲法の天皇制度条項に上回るとか、後者は前者らに適合的に解釈されなければならぬとか主張している、天皇制度廃止・解体論の「左翼」憲法学者たちは、辻村みよ子や浦部法穂も含めて、まずは、「大臣」という用語を使わないように憲法改正を提言すべきではないか。
 〇佐伯啓思・現代日本のリベラリズム(講談社、1996)は三月中に全読了。もっとも、この本は数年前にすでにかなり読み終えていた可能性がある。

0686/佐伯啓思・現代日本のリベラリズム(講談社、1996)を読む-その5。

 佐伯啓思・現代日本のリベラリズム(講談社、1996)の前々回の続きを読む。「憲法の正当性とは何か」という節の最終部分。p.162-4。高校までの社会科教科書の引き写しのような防衛大学校長・五百旗頭真の叙述と相当に異なる、という以上の感想・コメント等は記さない。
 ・日本人は「戦後、…結局、革命を経験しなかった」。「敗戦による自失」のゆえであったにせよ、ともあれ、フランス型の「革命による正当性」をもつ「国家体制をつくる道を選ばなかった」。とすれば「国家体制の正当性」は「イギリス型の歴史の連続性」によるしかない。そして「ともかくも戦後憲法は、この連続性を辛うじて保持しようとした」。それが幸か不幸かは不分明だが、「幸い」だったとすれば、それは「天皇制度を維持し、何とか普遍的人権という言葉を回避した」こと、「連続性を最低限度確保した」ことだ。「不幸」だったとすれば、「事実上、普遍的な権利の思想を持ち込み、普遍的な『人』と、歴史的な『国民の断想』を、憲法の中にほとんど無自覚に持ち込んだ」ことだ。それにより、「歴史的な連続性」は「ただ見かけだけ」になり、「憲法の正当性の実質的根拠が失われかねない、という深刻な問題が持ち込まれた」。
 ・「天皇制度の存続と国民主権の間には、ロジカルな矛盾がある」。日本側は両者の「二本立て」を日本の「国家体制」と考えたようだが、「ロジカルに調和」はしない。共産党の野坂参三はこの「両立不可能」性を執拗に指摘して「これは憲法ではなく小説だ」と述べた。
 ・「天皇主権か国民主権か」を決せよと主張しているのではなく、「現行憲法の歴史的条件」について「改めて注意を喚起したい」だけ。「この憲法に内在する困難こそが、わが国の近代史そのもの」なのだ。
 ・アメリカやフランスも、「戦後独立」して憲法を初めて制定した国家も、「愛国心(国民意識)」を基礎にして「人」の「普遍的権利」と「国民」の主権を謳うことができた。「日本の歴史」は「そのどちらとも違う」。憲法を自ら創出する「愛国心」も、革命により「共和制」を樹立する「市民」も、「あの時期にもちえなかった」。「天皇制度と人民主権の間の対立は、完全に解消されることはありえない」。この「アンビバレンツは、近代以降のわれわれの国家体制の根底をなして」おり、逃れることは「残念ながら不可能」だろう。
 ・大江健三郎は近代日本の「あいまいさ(アンビギュイティ)」は日本が「前近代的、封建的要素を温存して来た」ことに由来する、と講演した。これは間違っている。
 ・「憲法に即して言えば、その正当性の基礎として、…革命的な断絶も、また歴史的な連続もどちらも完全には採用しきれていない」。換言すると、「どちらも必要とした」。「封建的なものが残存」というのではなく、「前近代的な」ものを残すことによって「辛うじて」「正当性を確保」しているのだ。これは憲法だけの問題ではなく「近代日本社会の宿命」のようなものだ。この宿命のあるかぎり、「アンビバレンツ」は「アンビギュイティ」として残る。「この宿命から容易に逃れることはできないのだとしたら、われわれは『アンビギュイティ』を手なずけ、飼い馴らす方策を学ぶ以外にないだろう」。
 以上。上の文章をもって「Ⅰ・近代への懐疑」は終わり、「Ⅱ・戦後日本の再検討」へと移っていく。

0684/佐伯啓思・現代日本のリベラリズム(講談社、1996)を読む-その4・戦後憲法。

 一 佐伯啓思・現代日本のリベラリズム(講談社、1996)をさらに読みつなぐ。なおも憲法にかかわる。
 ・「近代憲法の正当性の根拠」は欧州でも問題がなかったわけではなく、二つの立場があった。一つは、「ロック流の個人の社会権という社会契約というフィクション」を必要とした、「革命」により「近代社会」(普遍的「人権」等を内包する)が始まり、「その精神を憲法化する」、というやり方。フランスやアメリカで、これらには「近代社会」の「神話」を受容する「歴史的な構造」があった。もう一つは、イギリスのように「歴史的連続性」を強調するもので、統治・権利の原則を元来「イギリス人がもっていたもの」という伝統に遡及させる。「革命」という断絶は回避され、歴史の中の「本来の経験」に戻ろうとする(p.151-2)。
 ・では、日本の戦後憲法は上のどちらなのか? 明治憲法の「改正」手続を採った点で(形式的には)「歴史的連続性」が踏襲されているが、一方、実質的には、八月「革命」説のように「戦前との断層」に存在意義を主張していると見られる。ここに「日本国憲法の歴史に例を見ない奇妙な性格がある」。現憲法の「ユニークさ」はただ第九条にのみあるのではない(p.152)。
 ・欧米憲法において、国民(人民)主権原理のもとでは主権者たる国民(人民)が(議会・政府を通じて)自らの権力を制限するが(「集合的な権力の主体としての国民」)、これとは別に、そのような「権力」を超えた、「普遍的な権利をもった一人一人の個人」という範疇も成立する。国民(人民)主権を支えた、現実の「国民の一体感」・「愛国心」こそが、この二つの範疇の矛盾をとりあえず「隠蔽」し、「辛うじて調和させ」た(p.153)。
 ・アメリカ憲法修正1~10条は「連邦議会から個人の権利を守る」目的のものだが、ここでの「個人」は「抽象的で普遍的な」それではなく、アメリカ国民(人民)であり、連邦政府を作った張本人たちだ。これとは別に、「連邦政府の権限の以前に」、「自由な個人」が想定されていて、彼ら「個人」の「基本的な権利は不可侵」なのだ。
 ・日本国憲法においてはどうなのか? その11条によると「基本的人権」を保障するのは「この憲法」に他ならないが、元のGHQ案の表現では、「基本的人権」の根拠は「多年にわたる人類の自由への戦い」という歴史の「普遍性」にあった。この辺りが、現憲法では「一切不明確なまま」だ(p.156-7)。
 〔なお、ここで挿んでおくと、現憲法97条は「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである」と、-その具体的な法的意味は他の条項に比べて違和感があるほど不明確だが-書いている。この条文によっても佐伯の提出する問題は残るだろうが、佐伯がこの97条の存在を意識しているかは定かでない。〕
 ・「憲法の専門家たち」がどう説明しているのか知らないが、戦後憲法において「国民の意思」、「その由来するところ」は「きわめてあいまい」ではないか? その原因は直接にはGHQ案に基礎をもつことにあるだろうが、「もっと根本的には」、「近代憲法の正当性の基盤」という困難な問題を「回避」したことによる(p.159)。
 ・既述のように、フランス型憲法における、「革命」により「普遍的人権に基づく近代社会」の創設という「ストーリー」を支えたのは「人民の一体感をともなった愛国心」・「国民意識」だったが、「戦後日本にはそのようなものはほぼ皆無だった」(p.159-160)。
 ・「戦後の体制変革は革命ではなく占領政策」だった。「愛国心や国民意識は…打ち砕かれていた」。そんな状態で「普遍的人権」に依拠した「近代憲法を創設する」ことができるわけがない。「国民」に憲法制定能力がないとすれば、「憲法の正当性は明治憲法の改正という手続」に求めるほかはない。そうだとすると、(改正の最終的主体としての)「天皇制度の維持はきわめて重要な事項」だった(p.160)。
 ・「良かれ悪しかれ、天皇制度を国家の(象徴的な)骨格としたのが日本の歴史の連続性」で、明治憲法も「その改正を天皇の勅令をもって帝国議会に付すべきこと」を規定していた。従って、明治憲法の中核である「天皇制度…を廃止するような改正」は「事実上不可能」だったのだ。だとすれば、その存続がマッカーサーの政治的判断であろうとなかろうと、「天皇制度」は「憲法のロジックにしたがって生き延びることになる」(p.161)。
 二 以上、あまり読んだことのないような指摘、問題設定、説明等がなされている(「国民」と「人民」は意識して区別されることなく叙述されている)。
 現に生きている日本国憲法は、そもそも何によって憲法として「正当化」されているのか? (憲法前文の前の告諭が明示するように)天皇が「裁可し、公布せしめ」た現憲法が、所謂「天皇」主権を廃して「国民主権」原理を採用している(とされている)ことはどう説明されるのだろうか。「告諭」は「朕は、日本国民の総意に基いて、新日本建設の礎が、定まるに至つたことを、深くよろこび」から始まるが、「日本国民の総意に基いて」と、なぜ言えたのだろう。
 ぎりぎり間接的には「国民代表」者から成る衆議院による可決を経ているが、国民(有権者)投票が行われたわけではなく、逆に、「枢密顧問の諮詢」という明治憲法上の規定もなかった枢密院での審議・可決手続を経ており、また、新憲法によって廃止されることとなっていた「貴族院」での審議・可決すらあったのだ。
 戦後日本は、<不思議な>来歴の憲法の下で国家運営がなされてきた、とあらためて感じる。法的・論理的には、完璧な説明はできないのではないか。そのような憲法が60年以上も生き続けてきたことに、大多数の国民が違和感を持たなかったのだから、憲法学者を含むその<鈍感さ>にあらためて驚くとともに、占領期の日本人の<思考停止>状態におけるGHQの力の大きさも感じる。
 新憲法制定・施行を「祝う」行事・催事がなされたはずだし、何といっても天皇陛下が「裁可し、公布せしめ」たとあっては、大多数の国民は(その内容に関係なく)新憲法を(少なくとも当面は)「支持」せざるを得なかったものと考えられる。
 だが、その「支持」は、はたして「内容」をも全面的に支持するものだったのかどうか。表面的にはともかく(占領下に新憲法反対の国民運動が起こせる筈もない)、実感としては違和感も覚える憲法条項もあったのではなかろうか。そうした違和感を潜在的には多少とも覚えつつ、建前としては「支持」しているうちに、<ごまかした>まま60年が経過してしまった、というところだろうか(直接には「護憲」派が国会で少なくとも1/3以上を占め続けたことによる)。
 当時の国民の全てが、あるいは圧倒的多数の国民が、手続的にはともかく「内容」的に支持し、受容した、という、少なからぬ(と思われる)憲法学者等の説明は、信頼できない、と思われる。

0678/佐伯啓思・現代日本のリベラリズム(講談社、1996)を読む-その3・現憲法の「正当性」。

 佐伯啓思・現代日本のリベラリズム(講談社、1996)には、佐伯にしては珍しく、日本国憲法の制定過程にかかわる叙述もある。
 ・日本国憲法は形式的には「明治憲法の改正」という手続をとった。これは、イタリア・ドイツと異なる。イタリアでは君主制廃止に関する国民投票がまず行われ、その廃止・共和制採用が多数で支持されたあとで、「憲法会議」のもとの委員会により新憲法が作成された(1947年)。ドイツでは西側諸国占領11州の代表者からなる「憲法会議」により「基本法」が策定された(1949年)。
 ・日本国憲法の特徴は、内容以前に「正当性の形式」に、さらに言えば「正当性という問題が回避され、いわばごまかされた」点にある。明治憲法の「改正」形式をとることにより、「正当性」を「正面から議論する余地はなくなってしまった」。
 ・むろん、新憲法の「出生の暗部」、つまり「事実上GHQによって設定された」ことと関係する。さらに言えば、日本が独自に憲法を作る力をもちえなかった、ということで、これは戦後日本国家・社会のあり方そのものの問題でもある。
 ・「護憲派」は、「仮にGHQによって設定されたものであっても、それは日本国民の一般的感情を表現したものであるから十分に国民に受容されたもの」だ、と弁護する。かかる議論は「二重の意味で正しくない」。
 ・第一に、「受容される」ことと「十分な正当性をもつ」ことは「別のこと」だ。新憲法は形式的な正当性はあるが実質的なそれにはGHQによる「押しつけ」論等の疑問がつきまとっている。「問題は内容」だとの論拠も、問題が「正当性の根拠」であるので、無意味だ。「GHQによって起草」されかつ趣旨において「明治憲法と大きな断想」がある新憲法を明治憲法「改正による継続性」確保によって「正当性を与え」ることができるか、はやはり問題として残る。
 <たとえ押しつけでも、国民感情を表現しているからよい>との弁護自体が、「正当性に疑義があることを暗黙のうちに認めている」。
 ・第二に、「国民感情が実際にどのようなものであったかは、実際にはわからない」。それが「わからないような形で正当性を与えられた」ことこそ、新憲法の特徴だ。少なくともマッカーサー・メモ(三原則)は日本側を呆然とさせるものであったし、「一言で言えば、西洋的な民主化が、決してこの当時の日本人の一般的感情だなどとはいえないだろう」。「もし仮に、この〔GHQの〕憲法案が国民投票に付されたとしても、まず成立したとは考えにくい」。
 以上、p.147-p.151。
 現憲法の制定過程(手続)については何度も触れており、結果として国民に支持(受容)されたから「正当性」をもつかの如き「護憲派」の議論は論理自体が奇妙であること等は書いたことがある。
 1945年秋の段階では、美濃部達吉や宮沢俊義は明治憲法の「民主的」運用で足り、改正は不要だとの論だったことも触れた。
 さらには、結果として憲法「改正」案を審議することになった新衆議院議員を選出した新公職選挙法にもとづく衆議院選挙において、憲法草案の正確な内容は公表されておらず、候補者も有権者もその内容を知らないまま運動し、投票した、という事実もある(岡崎久彦・吉田茂とその時代(PHP、2002)に依って紹介したことがある)。従って、新憲法の内容には、国民(有権者)一般の意向は全くかほとんど(少なくとも十分には)反映されていない、と見るのが正しい。
 ついでに付加すれば、衆議院等での審議内容は逐一、正確に国民に報道されていたわけでもない。<占領>下であり、憲法(草案作成過程等々)に関してGHQを批判する、又は「刺激」するような報道を当時のマスコミはできなかった(そもそもマスコミが知らないこともあった)。制定過程の詳細が一般国民に知られるようになるのは、1952年の主権回復以降。
 「押しつけられた」のではなく、国民主権原理等は鈴木安蔵等の民間研究会(憲法研究会)の案が採用されたとか、九条は幣原喜重郎らの日本側から提案したとか、反論する「護憲派」もいる。のちには日本共産党系活動家となった鈴木安蔵は、「日本の青(い)空」とかの映画が作られたりして、「九条の会」等の<左翼>の英雄に最近ではなっているようだ。立花隆は月刊現代(講談社)誌上の連載で、しつこく九条等日本人発案説を(決して要領よくはなく)書き連ねていた。
 だが、かりに(万が一)上のことを肯定するとしても、日本の憲法でありながら、その策定(改正)過程に、他国(アメリカ)が「関与」したことは、「護憲派」も事実として認めざるを得ないだろう。彼らのお得意の言葉遣いを借用すれば、かりに「強制」されなくとも、「関与」は厳としてあったのだ。最初の「改正」への動きそのものがGHQの<示唆>から始まったことは歴然たる事実だ。そして、日本の憲法制定にGHQ又は米国が「関与」したということ自体がじつに異様なものだったことを、「護憲派」も認めるべきだ。
 ところで、長谷部恭男(東京大学)は、一般論として<憲法の正当性>自体を問うべきではない旨のわかりにくい論文を書いている。
 この点や本当に新憲法は国民に「受容」されたのか等々を、佐伯啓思の上では紹介していない部分に言及しつつ、なおも扱ってみる。

0675/佐伯啓思・現代日本のリベラリズム(講談社)を読む-その2

 佐伯啓思・現代日本のリベラリズム(講談社、1996)には、この欄の1/29に「自由主義・『個人』主義-佐伯啓思・現代日本のリベラリズム(講談社)から・たぶんその1 」と題して、p.57-60あたりに言及した。その後、佐伯・自由と民主主義をもうやめる(幻冬舎新書、2008)へと回ったので、間隔が空いたが、「その2」を続けてみよう。
 1 ・「通俗的リベラリズム、すなわち抽象的な個人、本来何物にも拘束されない個人から出発すると、国家はもっぱら個人の自由の対立物と見なされる」。だが、個人が「伝統負荷的」だとは「国家負荷的」でもあるということだ。国家の解体・衰弱は「個人」も空中分解させる(p.61)。
 ・80年代以降の「個人」と「国家」の矛盾を「やり繰り」するためには、「何物にも拘束されない個人の自由」から「話を始めることをやめなければならない」。かかる「近代主義から決別しなければならない」(p.65)。
 論点は異なるが、もともと「国家」とは「個人」を含む概念かどうかという問題がある。両者を対峙させ、後者の前者からの「自由」、前者の後者(の生命・財産)を「保護する責任」を説くという用法もかなり広く見られる。だが、もともと、主権・領土・国民という三要素を持つとされる「国家」の場合は、その一部・一要素として「国民」を含み込んでいる。とくに社会系学問分野において、この「国家」概念自体が明確にされて議論されているのかどうか。場合によっては、「国家」と「統治(政治)権力」とはきちんと区別して論じる必要がある。但し、主権は「国民」にあるとし、「統治(政治)権力」者は最終的には「国民」だと説明し始めると、またややこしくなる。とすると、「…権力」はやめて、国家と区別される「統治機構(担当者)」と語るべきか。簡単には「政府」という言葉も使われている。だが、この「政府」概念は、<地方政府>=地方自治体を含みがたいという難点があると思われる。そもそも現在の地方自治体は<(地方)政府>といえるほどの実体があるのか、という問題も含めて。だが、地方自治体も「統治機構(担当者)」ではあるだろう。
 2 ・冷戦終結以降の一般的認識はイデオロギー・思想の時代は終わったというもので、代わって「その場しのぎの現実主義」、ほぼその自動的結果としての「大衆迎合主義」が登場している。1993年以降の二つの連立政権(非自民細川・自社さ)も「依然として、慣れ合いと大衆迎合に基礎」をもつ、「大衆迎合的現実主義」の産物で、「五五年体制から一歩も出ていない」(p.66-67)。
 ・「生活者重視」たるキーワードは、元来は「経済的自由主義」・「消費者主権」という陳腐な、だが「決して自明なものとして流通」できない概念の言い換えなのだろう。だが、「生活者」との語によって、「経済的自由主義」・「消費者主権」概念の問題・「まやかし」が隠蔽されている。「場当たり的現実主義」が、「思想的課題」を排除している(p.68)。
 ・政治家のみならず、「おおかたの」学者・ジャーナリスト等の「知識人」も「確かな見通し」をもてない。自国(国益)中心の経済的枠組みを作る必要があるのに「経済的自由主義」を、「民族主義」の噴出にかかわらず「グローバルなデモクラシー」を、建前とせざるをえない、という「思想的混乱」が現出している(p.70)。
 この本は1996年刊なのだが、上のような諸指摘は2009年の日本についても、なおそのまま妥当しているのではないか。

0659/自由主義・「個人」主義-佐伯啓思・現代日本のリベラリズム(講談社)から・たぶんその1

 一 <民主主義>とは「国民」又は「人民」の意向・意思に(できるだけ)即して行うという考え方、というだけの意味で(「民主政治」・「民主政」はそのような「政治」というだけのこと)で、「国民」・「人民」の意思の内容・その価値判断を問わない。従って、「国民」・「人民」の意思にもとづいて<悪い>又は<間違った>又は<不合理な>決定が行われることはありえ、そのような「政治」もありうる。民主主義にのっとった決定が最も「正しい」とか「合理的」だとは、全く言えない。
 また、「国民」・「人民」の意思だと僭称するか(各国共産党はこれをしてきたし、しているようだ)、しなくとも実際に多数「国民」・「人民」の支持・承認を受けることによって、ドイツ・ワイマール民主主義のもとでのナチス・ヒトラー独裁のように、民主主義から<独裁>も生じうる。また、民主主義の徹底化を通じた<社会主義・共産主義>への展望も、かつては有力に語られた。
 <民主主義>に幻想を持ちすぎてはいけない。
 <自由>が国家(・および「因習」等)による拘束からの自由を意味するとして、それは重要なことかもしれないが、このような<自由>な個人・人間が目指すべき目標・価値を、あるいは採るべき行動・措置を、何ら指し示すものではない。<自由>を活用して一体何をするか、何を獲得するかは、<自由>それ自体からは何も明らかにならない。
 とくに<経済的自由主義>はコミュニズムに対抗する意味でも重要なことだろうが(むろん「自由」にも幅があるので又は内在的制約があるので、<規律ある自由>とかが近時は強調されることもある)、しかし、「自由主義」に幻想を持ちすぎてもいけない。
 <個人主義>も同様だ。人間が「個人として尊重」されるのはよいし、その個人の「生命、自由及び幸福追求に対する…権利」が尊重されるのもよいが(日本国憲法13条)、「生命、自由及び幸福追求」というだけでは、「自由な」尊重されるべき「個人」が、一体何を目指し、何を獲得すべきか、いかなる行動を執るべきか、いかなる具体的価値を大切にすべきか、等々を語るには、なおも抽象的すぎる。要するに、各個人の「自由な」又は勝手気侭な選択はできるだけ尊重されるべし、というだけのことだ。
 <平等>主義も重要だろうが、これまた具体的<価値>とは無関係だ。適法性を前提としても(法の下の平等)、平等な貧困もあるし、平等に国家的・社会的規制を受けることがあるし、平等に「弾圧・抑圧」されることもありうる。<平等>原理だけでは、特定の<価値>を守り又は獲得する手がかりには全くならない。
 二 というようなことを思いつつ、佐伯啓思のいくつかの本を見ていると、なるほどと感じさせる文章に遭遇する。
 佐伯啓思・現代日本のリベラリズム(講談社、1996)の、80年代アメリカ経済学・「グローバリズム」・「新自由主義」批判は省略。
 ①「リベラリズム」(自由主義)の「基礎を組み立てている」のは「消費者」ではなく、しいて名付ければ「市民」だとしたあと(上掲書p.56)、次のように書く。
 ・「市民」はその原語(ブルジョアジー)の定義が示すように何よりも「財産主」であり、「財産主」であることを守るためには「安定した社会秩序」を必要とした。さらに「社会秩序」の維持のためには「公共の事柄に対する義務と責任」を負い、この義務・責任は「それなりの見識や判断力、知識、道徳心など」を必要とし、これらは「広義の教育」・「日々の経験」・「人々との会話」・「読書」・「芸術」によって培われる。
 ・「公共の事柄に対する義務と責任」を負うために必要な「それなりの見識や判断力、知識、道徳心など」を、人は、「いかなる意味での『共同体』もなしに、すなわち剥き出しの個人として」身に付けることはできない。人は「近隣、家族、友人たち、教会、それに国家」、こうした「様々なレベルでの」「広義の『共同体』」と一切無関係に「価値や判断力」を獲得できない。
 ・「近代社会」による「封建的共同体からの個人の解放」は「個人主義」の成立・「近代リベラリズムの条件」だと理解されている。しかし、これは「基本的な誤解」か、「すくなくとも事態の半面を見ているにすぎない」。「一切の共同社会から孤立した個人などというものはありえない」。仮にありえたとして、彼はいかにして、「社会の価値、ルール、目に見えない人間関係の処世、歴史的なものの重要性、個人を超えた価値の存在」を学ぶのか。
 ・「通俗的な近代リベラリズムの誤りは、裸で剥き出しの抽象的個人から社会や社会のルールが生み出され、ここに一定の権利をもった『個人』なるものが誕生すると見なした点にある」。(以上、p.57-58)。
 昨年に憲法学者・樋口陽一の「個人」の尊重・「個人主義」観をこの欄で批判的に取り上げたことがある。樋口陽一や多くの憲法学者の理解している又はイメージしている「個人」とは、佐伯啓思は「ロックなどの社会契約論が思想の端緒を開き…」と書いているが、ロック・ルソーらの(全く同じ議論でないにせよ)社会契約論が想定しているようなものであり、それは「誤り」を含む「通俗的な近代リベラリズム」のそれなのではないか。
 ②次のような文章もある。
 ・80年代に「リベラリズム批判」と称される四著がアメリカで出版され、話題になった(4名は、ニスベット、マッキンタイアー、ベラー、サンデル)。これらに共通するのは、「支配的なリベラリズム」が想定する「何物にも拘束されない自由な個人という抽象的な出発点」は「無意味な虚構だ」として排斥することだ。「抽象的に自由な個人」、サンデルのいう「何物にも負荷されない個人」という前提を斥けると「個人とは何なのか」。マッキンタイアーが明言するように、「何らかの『伝統』の文脈と不可分な」ものだ。
 ・人は「書物や頭の中で考えたこと」によって「価値」・「行動基準」を学習・入手するのではなく、「日々の経験や実践」の中で学ぶ。ここでの「実践」も抽象的なものではなく、それは「必ず歴史や社会の個別性の中で形成される」。つまり、「実践」は必ず「伝統」によって負荷されている。従って、「実践」とは先輩・先人・先祖との関係に入ることも意味する。「伝統を無視し、その権威を破壊し去れば」、残るのは「極めて貧困な実践」であり、そこから「豊かな個人を生み出す」ことを期待するのは不可能だ(以上、p.58-59)。
 ・まとめ的にいうと、「確かに、リベラリズムは…、かけがえのない個人という価値に固執する」。「個人的自由」はリベラリズムの「基底」にある。しかし、「『個人』は、ある具体的な社会から切り離されて自足した剥き出しの個人ではありえない」。つまり、「特定の『実践』や『伝統』から無縁ではありえない」(p.60)。
 今回の紹介は以上。
 上の一部にあった、「伝統を無視し、その権威を破壊し去れば」、「豊かな個人を生み出す」ことを期待するのは不可能だ、ということは、わが国の戦後に実際に起こったことではないか。
 日本の戦前との断絶を強調し(八月革命説もそのような機能をもつ)、戦前までにあった日本的「伝統」・「価値」 を過剰に排斥又は否定した結果として、「伝統」・「歴史」の負荷を受けて成長すべき、戦後に教育を受けた又は戦後に社会的経験・「実践」をした者たちは(現在日本に生きている者のほとんどになるだろう)、まっとうな感覚をもつ「豊かな個人」として成長することに失敗したのではないか(私もその一人かも)。そのような「個人」が構成する社会が、そのような「個人」の総体「国民」が「主権」者である国家が、まともなものでなくなっていくのは(<溶解>していくのは)、自然の成り行きのような気もする。

0655/日本国憲法制定と宮沢俊義-あらためて・その3。

 前々回、前回のつづき。江藤淳編・憲法制定経過〔占領史録第三巻〕(講談社)の江藤淳「解説」による。
 ・宮沢俊義はおそらく1946.04に執筆し、雑誌「世界文化」5月号に「八月革命と国民主権」を発表した。その一部を抜粋引用する〔江藤解説にはもっと長く引用されている〕。
 
<ポツダム宣言には「日本の最終的な政治体制は自由に表明された人民の意思にもとづいて決せられる」とある〔この宮沢の引用は直接・そのままの引用ではない-後記〕。これは「人民が主権者だという意味」だ。これをもって日本は「日本の政治の根本建前とすることを約した」のだ。この「国民主権主義」は「それまでの日本の政治の根本建前である神権主義」とは「本質的性格」を全く異にする。「敗戦によって…神権主義を棄てて国民主権主義を採ることに改めた」のだ。
 
かかる改革は日本政府や天皇が「合法的に」は為し得ない。「従って、この変革は、憲法上からいえば、ひとつの革命だといわなくてはならぬ」。むろん「まづまづ平穏に行われた変革」だが、「憲法の予想する範囲内においてその定める改正手続によって為されることのできぬ改革であるという意味で、…憲法的には、革命をもって目すべき」と思う。
  「日本の政治は神から解放された」。「神が―というよりはむしろ神々が―日本の政治から追放せられた」。「神の政治から人の政治へ、民治へと変った」。/「この革命―八月革命―はかような意味で、憲法学の視点から」は、有史以来の「革命」だ。「日本の政治の根本義がコペルニクス的ともいうべき転回を行ったのである」。>(p.402-3)
 ・江藤淳はこの論文を以下のように分析・論評する(すべてには言及しない-秋月)。
 ①「それまでの日本の政治の根本建前」につき、宮沢自身が前年秋には採っていた美濃部直伝の「合理主義的」国家観を「惜しげもなく放擲し」、一転して明治憲法の解釈に穂積八束・上杉慎吉流の「正統」説を採用して、明治憲法を「神権主義」にもとづくものと断定している。
 
②憲法改正の根拠とされたポ宣言第十項「…日本国政府は日本国国民の間に於ける民主主義的傾向の復活強化に対する一切の障碍を除去すべし…」ではなく、第十二項「前記諸目的が達成せられ且日本国国民の自由に表明せる意思に従ひ平和的傾向を有し且責任ある政府が樹立せらるるに於ては聯合国の占領軍は直に日本国より撤収せらるべし」の一部〔下線〕を援用して、「八月革命」 発生を主張している。ポ宣言を「受諾した瞬間に、いわば自動的に」「八月革命」という「コペルニクス的」転回があったと力説する。
 ③この新説は「無条件降伏」説で、ポ宣言は日本と連合国側の双方を拘束するとの宮沢俊義の前年秋の立場を「百八十度翻している」。(以上、p.404-5)
 
<なおも続ける。>

0653/日本国憲法制定と宮沢俊義-あらためて・その1。

 一 昨年11/06に記したように、西修・日本国憲法を考える(文春新書、1999)p.33によると、①東京帝国大学教授兼貴族院議員だった宮沢俊義は、1945年10月01日、貴族院帝国憲法改正案特別委員会の席上で、「憲法全体が自発的に出来ているものではない。重大なことを失った後でここで頑張ったところで、そう得るところはなく、多少とも自主性をもってやったという自己欺瞞にすぎない」と発言した。
 また、同書p.45によると、②宮沢俊義は、1945年09月28日に外務省で、「大日本帝国憲法は、民主主義を否定していない。ポツダム宣言を受諾しても、基本的に齟齬はしない。部分的に改めるだけで十分である」という趣旨を述べた。
 二 佐伯啓思・国家についての考察(飛鳥新社、2001)は第三章「戦後民主主義という擬装」の中でやはり西修の上掲書を示しつつ上の①発言を紹介している(p.203)。
 また、佐伯は同書で、宮沢俊義の師だった美濃部達吉が朝日新聞1945.10.20紙上で次のように語ったと紹介もしている(p.202)。
 「民主主義の政治の実現は現在の憲法の下において十分可能であり、憲法の改正は決して現在の非常事態において即時に実行せられねばならぬほどの窮迫した問題ではないと確信する」。
 要するに、宮沢・美濃部らの主な又は多数の憲法学者は1945年秋の時点では、明治憲法の若干の改正で十分、天皇制と民主主義は矛盾しない、「天皇主権の維持こそが最も重要な課題」だ、と考えていた(正確には、最後の点は宮沢俊義についての佐伯啓思p.203のコメント)。
 しかし、実際には、国民主権原理に立つとされる新憲法が制定・施行された(ほぼ1年後の1946.11.03にすでに公布されるまでに至った)。
 この間の変化に関し、佐伯啓思は宮沢俊義について次のように述べる。
 ・宮沢は天皇主権の維持は国民の願望と考えていたが、新憲法はその国民の名で天皇主権を廃止した。元来の宮沢の見方とは異なり、「天皇主権の廃止」こそが「国民の総意」だと「装った」ものだった。しかるに、のちに宮沢は「新憲法の最も啓蒙的な擁護者となる」、「いわば戦後の護憲主義の元祖」となる(p.204)。
 ・家永三郎は新憲法を「押しつけられた」のは国民ではなく支配層で国民は新憲法を待望していたと書いたが、このような素朴で浅薄な「欺瞞」が必要だった。「この必要な欺瞞にイデオロギー的な同調」をできたからこそ家永のような「教条的左翼主義が戦後の歴史観をリードできた」。そして「戦後」を成立可能にするためには「この欺瞞が不可欠であることに気づいたために、宮沢は態度を一変させて、新憲法護持にまわったのだった。かかる欺瞞の根底にあるのは「無垢な」民衆・国民の措定で、宮沢の当初の判断とは異なり、国民は「天皇主義者ではなく民主主義者でなければならなかった」(p.204-5)。
 三 かかる宮沢俊義の変化・転身?の背景について、西修の上掲書は言及していたのだが、参照されている本の現物を見て紹介しようと思っていたため、昨年11/06にはあえて記さなかった。
 引用又は参照要求されていたのは、江藤淳責任編集・憲法制定経過(占領史録第3巻)(講談社、1982)だ。正確には、この本の巻末の、江藤淳による「解説」だ。
 この「解説」は、美濃部達吉、宮沢俊義、佐々木惣一(京都大学)らの1945年秋の発言をより詳しく資料として引用している。宮沢俊義に限定すれば、江藤淳は次のように書いている。経緯も含めてやや詳しく立ち入る。
 ・1945.09.28の外務省での講演・質疑応答〔今回冒頭の②がその要旨〕を読んで「一驚を禁じ得ない」。所謂「八・一五革命説」と「単に整合しないのみならず全く相容れない」からだ(p.384)。「八・一五革命説」は雑誌「世界文化」1946年5月号で初めて述べられた。
 ・宮沢が09.28に外務省での講演を依頼されたのは、1945.09.22に「米国の初期対日基本方針」が公表され、外務省がその内容がかなりポツダム宣言を逸脱していると重大視して「自主改革」の推進の必要を感じたからだろう。
 ・1945.10.04の近衛文麿・マッカーサー会談でマッカーサーは憲法改正の「指導の陣頭に立たれよ」と示唆したという「事態の急展開」があった。これを受けて、外務省は10.09にポツダム宣言遵守を連合国側に求める文書を公表したが、近衛文麿は10.11から佐々木惣一とともに「憲法改正調査」に当たった。12月に高木八尺(東京帝大法学部)が発表した天皇制を維持する主張の論考も資料の一つだった。
 宮沢俊義は毎日新聞1945.10.16紙上で、憲法改正案を政府と内大臣府(近衛文麿ら)で別々に検討することは「不穏当」と批判した。だが、「積極的な憲法改正を支持」していたのではなかった。宮沢は、毎日新聞1945.10.19紙上で、「現在のわが憲法典が元来民主的傾向と相入れぬものではないことを十分理解する必要がある」等と書いた。
 美濃部達吉も内大臣府(近衛文麿ら)による憲法改正調査を批判したが、そこには近衛・佐々木改正案がGHQの意向を反映しすぎて「極端に走る」ことへの危惧もあったかもしれない。
 ・佐々木惣一は1945.10.21毎日新聞紙上で、近衛文麿は10.25の声明で、上の批判に反論又は釈明した。だが、GHQは11.01に近衛文麿との(正式の)関係を否定する声明を発した(これとの関係性は薄いだろうが、近衛は12.06に服毒自殺)。
 1945.10.27に政府・松本丞治国務相の憲法問題調査委員会は第一回総会。宮沢俊義は委員の一人であり、かつ入江俊郎・佐藤達夫とともに「最も活躍した」委員になった。
 1945.11.26招集の臨時帝国議会の幣原喜重郎首相施政方針演説は憲法改正に言及しなかったが、質問があったため、松本委員会は12.08に「天皇が統治権を総覧せらるの原則には変更なきこと」等の四原則を明らかにした。
 ・宮沢俊義は松本委員会の小委員会の委員でもあり、これは12.24~1946.01.23に8回開催され、本委員会は12.27~1946.01.26に7回開催された。宮沢は積極的に参加したのみならず「中心的な役割を果たした」。
 宮沢は松本が1946.01.01~01.04に書いた「私案」を要綱化し、「憲法改正要綱」(のち「甲案」と呼ばれる)草案を作成した、まさにその人物だった。この「甲案」とは別に宮沢ら小委員会は改正の幅を大きくした「乙案」もまとめた。いずれも、上に触れた四原則の範囲内の案だったこと(当初の宮沢の考えと矛盾しなかったこと)には変わりはない(p.381-394)。
 長くなりそうだ。別の回に続ける。 

0598/中島岳志=西部邁・パール判決を問い直す(講談社現代新書)は駄書。

 中島岳志=西部邁・パール判決を問い直す(講談社現代新書、2008.07)はひと月以上前に通読している。

 あらためて精読したわけでもないが、昨日ケルゼンを最初に持ち出したのはたぶん西部邁と書いたのは誤りで、中島岳志。
 中島はp.23で言う-「法」の「背景」には「自然法」や「慣習法」がある。「保守派」なら「実定法至上主義、あるいは制定法絶対主義」の立場は「本来、手放しではとれないはず」なのに、「東京裁判や戦争犯罪をめぐっては、きわめて純粋法学のハンス・ケルゼンの立場、あるいは法実証主義と言われる立場で東京裁判批判を展開するという転倒が起きている」。
 きわめて不思議に思うのだが、中島は法学または法理論なるものについて、これまでにどれだけの基礎的素養を身に付けているのだろうか(まさかウィキペディアで済ませていると思ってはいないだろう)。
 経歴を見ると、中島岳志は法学部又は大学院法学研究科で「法学」の一部をすらきちんと勉強してはいない。むろんそのような経歴がなければ法学・法理論について語ってはいけないなどと主張するつもりはない。
 しかし、上のような論述を平気で恥ずかしげもなく公にできる勇気・心臓には敬服する。

 そもそも、第一に、少なくとも「慣習法」は「法」の「背景」にあるものではなく、すでに「法」の一種だ。「自然法」となると「法」の一種かについて議論の余地があるが、「法」の「背景」につねに「自然法」があるとは限らないことは-中島は別として-異論はないものと思われる。
 第二に、「きわめて純粋法学のハンス・ケルゼン」という言い方は奇妙な日本語文だ。「純粋(法学)」に「きわめて」という副詞を付ける表現自体に、法学やそもそものケルゼンについて無知なのではないか、という疑問が湧く。
 上に続けて中島は言う-「保守派」なら「道徳や慣習、伝統的価値、社会通念は『法』と無関係であるという法実証主義をこそ批判しなければなりません。…しかし、パールを援用した自称保守派の東京裁判批判は、全面的に法実証主義に依拠している」。
 この中島岳志は、①「法実証主義」(Rechtspositivismus)というものの意味をきちんと理解しているのだろうか。②「保守派」は、「法実証主義」を批判する(すべき)というが、では「左翼」は「法実証主義」者たちだ、ということを含意しているのだろうか。③そもそも「(自称)保守派」は「全面的に」「法実証主義」の立場で東京裁判を批判している、という論定は正しいのだろうか。
 じつはこの二人のこの本はほとんど読むに値しないと私は感じている。法学や国際法のきちんとした又は正確な知識・素養のない二人が、適当な(いいかげんな)概念理解のもとに適当な(いいかげんな)議論・雑談をしているだけだ、と思っている。講談社が月刊現代を休刊させるのも理解できるほど(関係はないか?)、講談社現代新書のこの企画はひどい。
 (朝日新聞社と毎日新聞社が授賞したという、もともとの中島岳志の本もじつは幼稚で他愛ないもので、授賞は<政治的>な匂いがある。)

 中島岳志に尋ねてみたいものだ。①現在の日本において、つまり現行日本国憲法のもとで「法実証主義」は採用されるべきものなのか、そうではないのか? 「法実証主義」なるものは、一概にその是か非かを答えることができないものであるのは常識的ではないのか(従って、その賛否が左翼-保守に対応するはずもない)。
 ②現憲法76条3項は
「すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行い、この憲法及び法律にのみ拘束される」と規定する。この裁判官は「良心」と「憲法及び法律」に拘束される(~に「従う」べき)という規定を、中島岳志は、「法実証主義」という概念を使ってどのように説明・解釈するか?

 幼稚な理解に立った(この人は誰から示唆・教示を受けたのか知らないがケルゼンを理解できていないと思う)、長講釈など読むに耐えない。
 上の中島の文章は東京裁判にまだ関係させているが、のちに西部邁はp.160で次のように言って論点をずらしている、あるいは論点を拡大させている。
 「日本の反左翼」は「ケルゼンにおける価値相対主義、法実証主義」を「受け入れるのか否かはっきりしていただきたい」。「法と道徳は全く別物だ、法に道徳や慣習が関与する余地がないという形式主義」を「自称保守派」が採るというなら、「保守」ではなく「純粋の近代主義(左翼)」に与していることが明瞭になる。
 東京裁判批判者が「法実証主義」に立っているという前提的論定自体に議論する余地があるが、それは措くとしても、「法実証主義」とは「法に道徳や慣習が関与する余地がないという形式主義」であるかの如き表現・理解だが、そもそもこの立論又は理解自体が適切なのだろうか。例えば、「法」(「実定法」でもよい)の中に「道徳や慣習」が(一部にせよ)含まれていることは当然にあり、そのことまで「法実証主義」は否定しないだろう。

 60年安保前にマルクスの一文も読まないまま日本共産党入党を申し込んだらしい西部邁は法学部出身のはずだが、まともに法学一般をあるいはケルゼンを理解しているのだろうか。平均人以上には幅広い知識・素養にもとづいて、しかし、厳密には適当ではないことを語っているように見える。
 それに何より、「ケルゼンにおける価値相対主義、法実証主義」に賛成するのか否かという問題設定・問いかけを(「反左翼」に対して)するようでは、パール意見書にかかわるより重要な論争点から目を逸らさせることになるだろう。こんな余計なことを書いて(発言して)いるから、小林よしのりや、さらに東谷暁による、瑣末な論点についての時間とエネルギーを多分に無駄にするような文章が書かれたりしているのだ。
 もっと重要な論点、議論すべき点が、現今の日本にはあるのではないか。
 八木秀次や西尾幹二のような者たちが、皇室に関する(しかも現皇太子妃に相当に特化した)議論に<かなり夢中に>なっているのも、気にかかる。
 中島岳志=西部邁・パール判決を問い直す(講談社)のような駄書が出版されたのも、日本にまだ余裕があることの証左だと、納得し安心でもしておこうか。

0585/憲法学者・樋口陽一の究極のデマ(6)-「個人」・「個人主義」・「個人の自由」/その3

  三 ふたたび、佐伯啓思・現代日本のリベラリズム(講談社、1996)から。
 「『何にも負荷されない個人』という前提をしりぞけると、個人とは何なのか。実際には、個人は…、何らかの『伝統』の文脈と不可分」だ。「人は、ただ書物や頭の中で考えたことによって価値を学び、行動の基準を手に入れるのではな」く、「日々の経験や実践の中で学んでゆく」。「『個人』と同様、…抽象的で一般的な『実践』などというものを想定」はできず、「『実践』は必ず歴史や社会の個別性の中で」形成され、「必ず『伝統』によって」負荷されている。「伝統を無視し、その権威を破壊し去れば」、「豊かな個人を生み出すなどということを期待することを不可能」だ。/(p.59)
 西洋史の中に「古典ギリシャ的伝統、中世的・キリスト教的伝統それに近代的伝統」の三者を区別する者もいるように、西洋人ですら「いくつかの伝統の折り重なりあいの中に生きている」。人間は「伝統負荷的な存在」であり、「『共同の偏見』をとりあえずは引き受けざるをえない」。「リベラリズムは、あくまで、かけがえのない個人という価値に固執する」が、しかし、「『個人』は、ある具体的な社会から切り離されて自足した剥き出しの個人ではありえないのである」。/(p.60)
 「リベラリズムは個人という価値にこだわるからこそ、…ある社会の『伝統』にもこだわらなければならない」。「伝統」とは「われわれをほとんど無意識のレベルで拘束し枠づけている思考形式、価値判断の母体」だ。この「伝統」の中には「国家」も含まれ、従って、「『国家』と『個人』の関係について…もう一度考え直さなければならない」。/(p.60-61)
 「通俗的なリベラリズム、すなわち抽象的な個人、本来何物にも拘束されない個人から出発すると、国家はもっぱら個人の自由の対立物とみなされる」。しかし、「個人が『伝統負荷的』であるということは、個人が『国家負荷的』でもあるということだ」。「有り体に言えば、日本人は、とりあえず、日本人であることの宿命を引き受けざるをえない」ということだ。「国家が解体したり衰退すれば、個人も空中分解してしまう」。このことのロジカルな帰結は、「個人は個人を保守するためにも国家を保守しなければならない」ということ。つまり、「私」は同時に「公的」な存在でもある必要がある。「『公的な』(国家的な)存在としてのわたしがあって初めて『私的な』存在としてのわたしが生ずる」のだ。/(p.61-62)
 以上。佐伯啓思は「個人」・「個人主義」を直接に論じているのではなく「リベラリズム」に関する議論の中でおそらくは不可避のこととして論及している。憲法学者・樋口陽一の「思考」・「観念」と比べて、どちらがより真実に近く、どちらがより適切だろうか。

0583/憲法学者・樋口陽一の究極のデマ―その6・思想としての「個人」・「個人主義」・「個人の自由」

 樋口陽一の文章をあらためていつか再引用してもよいが、樋口陽一その他大勢の憲法学者の「人権」 論の基礎にはその主体としての(自由なかつ自律した)「個人」があり、それを(又はその「尊厳」を)尊重するということが憲法の最も枢要な原理とされる。だが、そのような、個々の自然人たる(アトムとしての)「個人」が(社会)契約によって国家を構成しそれと対峙する、というイメージ自体が、一つの「思想」であり、一つのイデオロギーだろう。
 以下、何回か、<個人主義>を批判又は疑問視する文章の引用のみを続ける。
 一 佐伯啓思・現代日本のリベラリズム(講談社、1996)。
 欧州の元来の定義「ブルジョアジー」がそうであるように「市民」は「まず財産主」であり、それを守るための「安定した社会秩序」を必要とし、「社会秩序の維持」のためには「公共の事柄」への義務・責任を負った。この義務・責任は「それなりの見識や判断力、知識、道徳心など」を必要とし、これらは「広義の教育」、「日々の経験」、「人々との会話」、「読書」、「芸術」が与えた。/
 「人は、こうしたものを、いかなる意味での『共同体』もなしに、すなわち剥き出しの個人として、身につけることはできない。近隣、家族、友人たち、教会、それに国家、それらを広義の『共同体』と呼んでおくと、様々なレベルでの『共同体』と一切無縁に、人は価値や判断力を身につけることはできない」。/
 近代社会は「封建的」共同体からの「個人の解放」を促し、「通俗的には、共同体からの個人の解放こそが『個人主義』の成立であり、それこそが近代リベラリズムの条件だ」と理解されている。「しかし、これは基本的な誤解であるか、あるいは少なくとも事態の半面を見ているにすぎない。事実上、一切の共同社会から孤立した個人などというものはありえないし、また仮にありえたとしても、彼は、どのようにして、社会の価値、ルール、目に見えない人間関係の処世、歴史的なものの重要性、個人を超えた価値の存在を学ぶのだろうか。通俗的な近代リベラリズムの誤りは、裸で剥き出しの抽象的個人から社会や社会のルールが生み出され、ここに一定の『権利』をもった『個人』なるものが誕生すると見なした点にある」/
 「しかし、ロジカルにいっても、何の価値や判断力も、さらには恐らく理性さえまだ学んでいない、『無』の個人からどのようにして権利をもち、社会のルールについて判断力をもった個人が生まれるというのだろうか」。
 以上、上掲書p.57-58。
 樋口陽一における<視野狭窄>性・<観念>性・<通俗>性の指摘は、ほとんど上で尽きている。
 (この項、つづく。)

0547/原武史-元日経新聞記者、学者らしくない論理の杜撰さ・単純さ+反天皇感情。

 一 再び、月刊・諸君!7月号(文藝春秋)の「われらの天皇家、かくあれかし」という大テーマのもとでの諸文章について。計56人の文章を全て読み終えた。その際に、現皇太子妃(雅子)妃殿下の現況についての何らかの言及のある文章の数を調べてみたが―区別がむつかしい場合もあったが―20だった(56人の36%)。
 56人の中には外国人2人を含み、またこの56人(又は外国人を除くと54人)でもって現在の日本人の天皇・皇室論や<皇太子妃問題>(なるものがあるとして)についての見方の平均的なところを把握できるかというと、その保障はないだろう。ただし、諸君!(文藝春秋)という雑誌はどちらかというと<保守系>のはずで、文章執筆の依頼もどちらかというと<保守系>の人物に対してなされたのだろう、と言えるものとは思われる(むろん半藤一利保阪正康がしばしば登場するなどの例外はある。7月号についても同様)。
 二 さて、20の中には、皇太子妃問題を想定して、皇太子妃を責めることなく、天皇制度の解体・崩壊に言及するものが2つあった。執筆者は、森暢平原武史
 森暢平は皇太子妃の療養以後皇室は大きく変質したがじつはもっと前から変質していたのだとし、「皇室は国民の規範」たることが困難になり、「象徴天皇制の終焉」がすでにあった、とする。そのことの要因は「メディア環境の変化」でもあり、「現在の在り方を根本的に考え直さないと、ある時、一気に瓦解する可能性さえ秘めている」、と書く。
 上の最後の文は天皇制度の将来を心配しているようでもあるが、天皇・皇室についてのジャーナリステイックな書き方、「サブカル化する平成皇室」というタイトルからして、天皇・皇室制度を貴重なものとして断固守ろうというという気分の現れではないように思われる(誤っていれば、ご容赦を)。
 三 一方、原武史天皇・皇室に対する<悪意>があることは明らかだ。もともと朝日新聞社や岩波書店から本を出すこと自体、この両者は他社とは違って<思想チェック>をしているので原武史の「思想」的又は「政治」的立場はほぼ明らかだが、原武史・昭和天皇(岩波新書、2008)のp.12にはさっそくこんな文章がある。-「天皇が最後まで固執したのは、皇祖神アマテラスから受け継がれた『三種の神器』を死守することであって、国民の生命を救うことは二の次だった」。米軍による日本本土攻撃が予想された時期に「三種の神器」を自らのすぐ側に置こうとされたようだが、それを「国民の生命を救うことは二の次だった」と解釈するところには、原武史の、(昭和)天皇に対する<悪意>・<害意>を感じることができる。
 1 「宮中祭祀の見直しを」と題する諸君!7月号上の原の文章はヒドいものだ。この人は日本経済新聞記者の時代があったようで、ジャーナリステイックな、<面白い>・<話題をまき起こす>文章を書けても、研究者・学者らしい文章を書く力は充分には持っていないように見える。奇妙な点を列挙してみる。
 ①農耕儀礼と結びついた祭祀=「瑞穂の国」のイデオロギーは、日本の都市化・農業人口の減少(1970年で20%を切った)によって「社会的基盤」を失った(p.244)。
 何故このようなことが言えるのか、何故「社会的基盤」を失ったと言えるのか、さっばり分からない。余りに単純な発想をしてもらっては困る。専門家ではないので正確には書けないが、A狩猟民族に対する農耕民族の違いや特性が今なお論じられることがあるが、かりに食糧自給率の低さが問題になるほどに農業の衰弱が現在あるのだとしても、弥生時代以降、農業=主として稲作によってこそ日本人は「生き」、「生活」でき、そして社会と国家を形成したのだとすれば、そのような日本人と日本「国家」の成り立ちにかかわる記憶を将来に永続的に伝えていくためにも、祭祀の意味はある(それが「伝統」の維持というものだ)。
 また、B現代では農業が主産業ではなくなっていても、今日的な諸産業、あるいは社会にかかわる「人間の仕事」のすべてを代表するものとして「農耕」を理解し、「農耕儀礼」を通じて、自然の恵み(「運」も含めればどんな産業にだって「自然」又は「偶然」・「宿命」を逃れられないだろう)を祈り、収穫=成果の多大なことを祈り願う、ということはなお充分に意味があるものと思われる。
 ともあれ、まるで他説を一切許さないような単純な決めつけをしてもらっては困る。
 ②皇居(お濠)の「内側」=「農耕儀礼」、「外側」=都市化のギャップが大きくなっている。解決方法は、「内側」を「外側」に合わせるか、「外側」を「内側」に合わせるしかない。どちらもしなければ、「いずれ重大な局面が訪れることになるに違いない」(p.245)。
 「いずれ重大な局面が訪れることになるに違いない」とは天皇(制度)を心配しての言葉でもあるかもしれないが、突き放した、そうなっても=天皇制度が解体・廃絶しても(自分は)構わない、という意見表明である可能性もある。
 その前に書かれていることも、大学教授とは思えないほどに論理が杜撰だし、天皇(家)の研究者にしては天皇制度の歴史的・伝統的意味を意識的に無視している。
 すなわち、「内側」と「外側」を合わせる必要はない、というもう一つの選択があることが分かっているのに、それに言及していない。「内側」を「外側」に合わせる議論は、国家・国民のための祭祀行為を行っている天皇とそれを支える天皇家を、<ふつうの一般的家庭(の特殊なもの)>にしてしまうものだ。<「瑞穂の国」のイデオロギー>なるものの射程範囲はよく分からないが、それはそれで維持すればよいし、宮中祭祀の中に<「瑞穂の国」のイデオロギー>では説明がつかないものも現にある筈なので、「新たなイデオロギーを構築する必要」もない。
 またそもそも、「内側」と「外側」のギャップが大きくなったことを自然の、不可避的な現象の如く理解しているようだが、例えば「内側」の祭祀行為を天皇家の<私事>扱いして学校教育できちんと教えない、マスメディアもきちんと報道・説明しない、といった、原武史も育ってきた<教育・社会環境>にも重大な一因がある、と思われる。こうした面には、原は全く言及していない。
 2 週刊朝日2007年3/09号を読んでいないので、同じ諸君!7月号上の八木秀次の文章から借りるが、上に述べている「内側」と「外側」の矛盾が皇太子妃の心身に影響を与えていると理解しているようであり、具体的にはA「神武天皇は本当に実在したと考えられるか」、B「天照大神の存在を理屈抜きで受け入れられるか」等、皇太子妃には簡単には受け入れられない→「信じ」られなければ「祈り」もできない(=宮中祭祀への違和感)、ということから、→適応障害→治すために宮中祭祀の簡略化又は廃止、という主張を原はしているようだ(p.261)。
 他にもあるのだろうが、上のAとBくらいならば、何故「信じる」ことができないのかが、よく分からない。日本書記等の記述が全て事実を正しく描写しているとは思えないが、時期はともかくとしても、「神武天皇」とのちに称されたリーダー(+祭祀主?)が「東遷」して大和盆地で大和朝廷の基礎を築いた程度のことは、充分にありえたことだ。また、卑弥呼=天照大神説もあるように、神武天皇に先だって、天照大神とのちに称される日巫女(ひみこ)が祭祀上の中心になってより小さな地域を「国」としてまとめていた、という可能性を完全に否定することはできない。
 おそらくは、妃殿下の内心の推定というかたちをとりつつ、上のAとBは、原武史自身がもつ疑問なのだろう。日本の戦後の日本「神話」教育の欠如は、ついに原武史という大学教授が神武天皇・天照大神の存在を完全に否定する(存在を信じることができないとする)ところまで行き着いた、ということだろう。記載のすべてが真実ではないにせよ、すべてが天武朝を正当化するために作られた虚像=ウソと理解する必要はなく、何らかの史実を反映をしている部分が十分にあり、またウソの場合ではなぜそういうウソが書かれたのかも研究されてよい、というのは今日の日本古代史研究の常識なのではないか。
 3 原武史はそもそも、世襲天皇制度という<非合理>なものを気味悪く思い拒否感を持っているにすぎないのかもしれない。善解すれば、<非合理>なもの(祭祀=農耕儀礼を含む)を捨てて、「新しいイデオロギー」を構築して再出発を、という主張なのだろうが、これはやはり実質的には<天皇制度解体論>だ。朝日選書(『大正天皇』)、岩波新書(『昭和天皇』)、週刊朝日、そして最近の月刊現代(講談社)…、なるほど、この人は明瞭な<左翼>出版社とともに活動している。

0539/樋口陽一・丸山真男らの「個人」主義と行政改革会議1997年12月答申。

 樋口陽一らの憲法学者が最高の価値であるかに説く「個人主義」又は「個人の(尊厳の)尊重」について疑問があることは、私自身が忘れてしまっていたが、振り返ると何度も述べている。
 この欄の今年(2008年)1/12のエントリーのタイトルは「まだ丸山真男のように『自立した個人の確立』を強調する必要があるのか」で、こんなことを書いていた。以下、一部引用。
 佐伯啓思・現代日本のイデオロギー(講談社、1998)p.197-8によると、「日本社会=集団主義的=無責任的=後進的」、「近代的市民社会=個人主義的=民主的=先進的」という「図式」を生んだ、「『市民社会』をモデルを基準」にした「構図」自体が「あらかじめ、日本社会を批判するように構成され」たもので、かかる「思考方法こそ」が戦後日本(人)の「観念」を規定し、「いわゆる進歩的知識人という知的特権」を生み出す「構造」となった。
 佐伯啓思・現代民主主義の病理(NHKブックス、1997)p.74-75によると、丸山真男らにおいて、「日本の後進性」を克服した「近代化」とは「責任ある自立した主体としての個人の確立、これらの個人によって担われたデモクラシーの確立」という意味だった。
 憲法学者の樋口陽一佐藤幸治も、丸山真男ら<進歩的>文化人・知識人の上記のような<思考枠組み>に、疑いをおそらく何ら抱くことなく、とどまっている。
 文字どおりの意味としての<個人の尊重>・<個人の尊厳>に反対しているのではない。だが、<自立した個人の確立>がまだ不十分としてその必要性をまだ(相も変わらず)説くのは、もはや時代遅れであり、むしろ反対方向を向いた(「アッチ向いてホイ」の「アッチ」を向いた)主張・議論ではなかろうか。少なくとも、この点だけを強調する、又はこの点を最も強調するのは、はたして時代適合的かつ日本(人)に適合的だろうか。
 有数の大学の教授・憲法学者となった彼らは、自分は<自立した個人>として<確立>しているとの自信があり、そういう立場から<高踏的に>一般国民・大衆に向かって、<自立した個人>になれ、と批判をこめつつ叱咤しているのだろう。
 かりにそうだとすれば、丸山真男と同様に、こうした、<西欧市民社会>の<進んだ>思想なるものを自分は身に付けていると思っているのかもしれない学者が、的はずれの、かつ傲慢な主張・指摘をしている可能性があるのではないか。
 憲法学者が戦後説いてきた<個人主義>の強調こそが、それから簡単に派生する<平等主義>・<全国民対等主義>と、あるいは個人的「自由」の強調と併せて、今日の<ふやけた>、<国家・公共欠落の・ミーイズムあるいはマイ・ホーム型思想>を生み出し、<奇妙な>(といえる面が顕著化しているように私には思える)日本社会を生み出した、少なくとも有力な一因だったのではなかろうか。
 以上。すでに1月に書いていたこと。
 同じようなことは繰り返し書いているもので、上に出てくる佐藤幸治にかかわることも含めて、<個人主義>の問題に1年半前の昨年(2007年)1月頃には、別の所で、こんなことを記していた。再構成して紹介すると、つぎのとおり。
 八木秀次・「女性天皇容認論」を排す(清流出版、2004)は皇位継承問題だけの本かと思っていたら、1999-2004年の間の彼の時評論稿を集めたものだった(07.1/06)。この本のp.167-171は、1府12省庁制の基礎になった橋本内閣下の行政改革会議の1997.12.03最終答申に見られる次のような文章を批判している。
 行政改革は「日本の国民になお色濃く残る統治客体意識に伴う行政への過度の依存体質に訣別し、自律的個人を基礎とし、国民が統治の主体として自ら責任を負う国柄へ転換すること」 に結びつく必要がある。「日本の国民がもつ伝統的特性の良き面を想起し、日本国憲法のよって立つ精神によって、それを洗練し、『この国のかたち』を再構築」することが目標だ。戦後の日本は「天皇が統治する国家」から「国民が自らに責任を負う国家」へと転換し、「戦時体制や「家」制度等従来の社会的・経済的拘束から解放され」たが、今や「様々な国家規制や因習で覆われ、…実は新たな国家総動員体制を作りあげたのではなかったか」。
 類似の認識は2003.03.20の中教審答申にもあるらしいが、八木によると行革会議の上の部分の執筆者は、「いわゆる左翼と評される人物ではない」、「近代主義者」の京都大学法学部の憲法学者・佐藤幸治らしい(07.1/12)。
 上のように、1997.12の行革会議最終報告は「自律的個人」を基礎に「統治客体意識に伴う行政への過度の依存体質に訣別」して「国民が統治の主体として自ら責任を負う」国のかたちへ変える必要を説いた。「様々な国家規制や因習で覆われ」た、「新たな国家総動員体制」のもとで、「自律的個人」が創出されていない、という認識を含意していると思われる。また、上の報告書は「個人の尊重」をこう説明している。-「一人ひとりの人間が独立自尊の自由な自立的存在として最大限尊重」されるべきとの趣旨で、国民主権とは「自律的存在たる個人の集合体」たる「われわれ国民」が統治主体として「個人の尊厳と幸福に重きを置く社会を築」くこと等に「自ら責任を負う理を明らか」にしたものだ(八木p.168-9)。
 「自律的個人」の未創出という認識は、日本では<近代的自我>が育っていない、と表現されてもきた。加賀乙彦・悪魔のささやき(2006、集英社新書)は「『個』のない戦後民主主義の危険性」との見出しの下で戦争中も現在も日本人には「流されやすいという危うさ」があり(p.78)、「自分の頭で考えるのが苦手な国民」だ(p.82)等と言う。これは日本人の「自律的個人」性の弱さの指摘でもあろう。
 だが、加賀のように、「人権」も「個人の自由」も闘いとったのではない「ガラスの民主主義のなかで」は「個は育ちません」(加賀p.79-86)と言ってしまうと、日本人は永遠に「自律的個人」、自分の頭で考え自分の意見を言える「個人」にはなれない。日本人の長い歴史の変更は不可能だからだ。
 丸山真男等の「戦後知識人」の多くも日本社会の脆弱性を「個人主義」の弱さに求め、「個人の確立」あるいは「自律的個人」の創出の必要性を説いていたように思う。そのかぎりで行革会議最終報告の文章は必ずしも奇異なものではない。
 しかし、思うのだが、日本人は本当に「自律的個人」性が弱く、かつそれは克服すべき欠点なのだろうか。<特徴>ではあっても、「克服」の対象又は「欠点」として語る必要はないのではないか。行革会議最終報告は、「自律的個人」をどのように創出するかの方法又は仕組みには全く触れていないと思われる。弱さ・欠点の指摘のみでは永遠の敗北宣言をするに等しくないか(07.1/11)。
 八木秀次は、行革会議報告の既引用部分等を、今日でも「様々な国家規制や因習で覆われ」た「新たな国家総動員体制」のもとで「自律的個人」が創出されていない、かかる「個人」を解放すべく「『国のかたち』を変革する」必要がある旨と理解する。そして、これは「有り体に言えば、市民革命待望論」だ、今からでも「市民革命を起こして市民社会に移行せよ、という主張」だと批判し、佐藤幸治氏のような「いわゆる左翼」ではない人物でさえ「結局はマルクスの発展段階説の虜となり、無自覚なマルクス主義者」になってしまうことに注意が必要だとする。
 たしかに、伝統・因習から解放された「個人の自立」や民主主義・国民主権の実質化の主張は、日本共産党の考え方、ひいては戦前の、コミンテルンの日本に関する「32年テーゼ」と通底するところがある。日本は半封建的で欧米よりも遅れており、フランス等のような「市民革命(ブルジョア民主主義革命)」がまだ達成されていないことを前提として、民主主義の成熟化・徹底化(そのための個人の自立・解放)を主張し、「社会主義革命」に急速に転化するだろう「民主主義革命」を当面は目指す、というのは、日本共産党の現在の主張でもある(フランスの18世紀末の状態にも日本は達していないとするのが正確な日本共産党の歴史観の筈だ)。
 佐藤幸治等の審議会関係者が「革命」を意識して自覚的に「自律的個人を基礎に」と記したとは思えない。そして、おそらくは日本共産党というよりもマルクス主義の影響を受けた社会・人文諸科学の「風潮」を前提として政府関係審議会類の文書が出来ていることを、八木は批判したいのだろう(ちなみに、行革会議答申後に内閣府にフェミニスト期待の「男女共同参画局」が設置された)。八木秀次は、所謂「体制」側も所謂「左翼」又はマルクス主義の主張・帰結と同様のものを採用している、との警告をしていることになる(07.1/13)。
 まだ続くが、長くなったので省略。
 この欄でも上の今年1/12の他に、佐伯啓思の他の書物等に言及する中で<個人主義>(「自立的個人」)問題には何度も触れてきた。だが、飽きることなく、樋口陽一らの単純な<西欧的>図式・教条への批判は今後も続ける。

0504/式年遷宮と大嘗祭の<復活>。

 伊勢神宮の由来又は設立年代については、日本共産党系と見られる藤谷俊雄=直木孝次郎・伊勢神宮(新日本新書、1991)で、直木が「七世紀の天武天皇の頃に天照大神を祭る神宮が伊勢にあったこと」は「間違いない」と書くくらいだから、1300年前にすでに存在したことは「間違いない」。現代人にとっては気の遠くなるような昔だ。
 七世紀後半からさらにいつ頃まで遡れるかだが、安本美典の簡単な文章に即して既述のように、記紀等によれば崇神天皇の御代に皇祖・天照大神を宮中とは別の場所に祀るために造営された。
 所功・伊勢神宮(講談社学術文庫、1993)は記紀等の記述に添ったより詳しい説明をしつつ、崇神天皇朝を三世紀後半としている。但し、古代の天皇・国王の平均在位年数は約10年という安本美典説に従い、かつ崇神天皇は第一〇代ということは正しい、ということを前提にすれば、崇神天皇朝は三世紀後半ではなくもっと後だろう(所功は西暦〇年前後に神武天皇即位、三世紀後半は大和朝廷の故地・九州では「壱与」の時代だろうと推測する。安本美典とはかなり異なる)。
 それはともかく、所功の上の本によっても、神宮の式年遷宮が、天武天皇の遺志を継いだ持統天皇(645-702)の時代に始まることは「間違いない」ようだ(所によると内宮の第一回は690年)。式年遷宮自体も1300年以上の歴史をもつ。2013年は第62回。前回・1993年の遷宮に至る、各祭儀についての(最重要な祭儀は「遷御」だと思われる)、昭和天皇に始まり今上天皇に継承された「御治定」の月日は、神宮司庁監修編集/伊勢神宮崇敬会発行・お伊勢まいり(2005.07改訂7版)の末尾に一覧表として掲載されている。
 1320年以上で62回という回数からも判るように、式年遷宮は20年毎にきちんと行われてきたのではなかった。戦後最初のそれ(第59回)は1949年の筈だったが、財源難等があったのだろう、4年遅れて1953年に行われている。
 そんな4年遅れてどころではなく、所功の上の本や高野澄・伊勢神宮の謎―なぜ日本文化の故郷なのか(祥伝社ノンポシェット、1992)によると、所謂「戦国時代」に、120~140年もの間、中断している。
 式年遷宮ではなく「大嘗祭」の挙行となると、田中卓「天皇と神道の関係」同=所功=大原康男=小堀桂一郎・平成時代の幕明け(新人物往来社、1990)p.54によれば、何と「約220年」の中断があり、江戸時代初期の1687年に再挙行された、のだという。
 120~140年あるいは220年ということは、停止と再開の両方を現実に知る人は一人もおらず、一般国民の一世代を30年とすると、4代から7代くらいが交替するだけの時間が過ぎたことを意味する。
 そして思うのは、<天皇制度>が続いている限りは、かりに100年、200年の<中断>があり、廃止されたかの如き外観を呈した時期があったとしても、<歴史的・伝統的なもの>は<復活>している、ということだ。
 多少のゴタゴタはよい。また、日本「文明」は同一ではなく変化してきたし、これからも変化はしていくだろう(固有の何かまでなくなるとの趣旨ではない)。だが、<天皇制度>とともに、自分の死後も続く「日本」の<悠久>というものを信じたいものだ。

0484/フーコー、狂人と言わなくとも「奇矯な」<左翼>思想家、と桜井哲夫。

 桜井哲夫・フーコー―知と権力/現代思想の冒険者たちSelect(講談社、2003)のある程度の範囲を概読した(学習するが如く熟読するつもりはない)。
 フーコー(1926~1984)は勿論のこと「現代思想」に詳しいとは自分を思っていないので当然に専門家に伍した議論はできないだろうが、それでもフーコー(の「思想」)の概略は把握できる。
 別の回でも言及する可能性があるので記しておくが、この本には、Aフーコーの言説をそのまま(又はほとんどそのまま)直訳又は引用している部分、B著者(桜井)がフーコーの言説を要約してまとめて紹介している部分、C引用・紹介ではなく、著者(桜井)自身のフーコーの分析・論評が書かれている部分がある。そして、BとCは区別がつきにくいと感じる場合もないではない。
 さて、 フーコーは「かつて共産党に所属」していた(フーコー自身の言葉、p.181)。
 「フーコーの師のひとり」のアルチュセールはフランス共産党の党員で(まえがき、p.214)、アルチュセールの某論文を「骨格」とした本をフーコーは著した。桜井によると前者の「国家のイデオロギー装置」はフーコーの「真理の志というシステム」のことだ(p.214-5)。
 フーコーと「二十数年にわたって同居」したダニエル・ドゥフェール(男性)は「元毛沢東派活動家」だった(p.16-17、p.214)。
 フーコーはサルトルを批判しもしたが、1969年の騒乱?後のソルボンヌ大学学生の退学や起訴に対してサルトルと並んで抗議のデモ行進をした(p.199-200)。
 以上のことからでも、フーコーが(精神的に)馴染んでいた「空気」を推察することはできる。党派的にいうと、フランス<左翼>思想家と位置づけられることは間違いないだろう。最終的にはフランス共産党か社会党かはよく分からないが、そのどちらでもなく、日本の1960年代末以降1970年代半ばくらいまでに頻繁に言われた「新左翼」なるものに最も近いのかもしれない。
 教条的又はスターリニスト的マルクス信奉者ではなかったようだが、マルクスからの「解放」のあとのマルクスの「読み直し」や「よみがえり」もフーコーについて桜井は言及しており(仔細省略、p.146-、p.162-、p.188-等々)、マルクスに起源をもつ<マルクス主義の変種>の思想家と評しても大きくは誤っていないものと思われる。
 フーコーの性的嗜好や死の原因(桜井は断定的書き方をしている)にはあえて触れないでおくが、「性」や「肉体」にかなりの関心を向けていたフーコーの本は、<多様なライフスタイルが選択できるように>などとも主張している日本のフェミニスト、少なくとも「左派」フェミニストに好んで読まれている可能性がある。桜井によると、「フーコーは『ジェンダー』についてフェミニストの研究者たちがおこなった業績を、『性』に関して打ち立てたのだといえるだろう」(p.287)。桜井は「ジェンダー」概念がまともなものではないことを知らないかの如き書き方をしているが、立ち入らない。
  「思想」(・哲学)について著書をものにし多数に読まれた思想家(・哲学者)は誰でも<偉大>だ、と評価することはむろんできない。何やらむつかしそうな、凡人には理解出来そうにないことを書いていることが<尊敬>の対象になるわけでもない。むろん人(主体としてであれ対象としてであれ)によって評価は分かれるのだが、社会・人間・歴史に対して<悪い>影響を与えた・与えている(と評価されるべき)思想家(・哲学者)もいることは当然のことだ。
 読み囓りではあるが、そして別途フーコーの本の邦訳書も所持しているので、私もまた武田徹と同様に「フーコーの言説を引用」できる状態にはあるのだが(面倒くさいのでここには引用しない)、フーコーは、狂人とは言わないが、<奇矯な>思想家だ、というのが、最も簡潔な印象だ。
 桜井哲夫(1949~)が、専門というタコ壺に入りきらないフーコーに接して感動したというのは解らなくはないし、「一人一人の内面の探求からこそ」いかなる学問研究も始まるのだと大言壮語する(p.298)のも<気分>としては理解できそうだ。
 しかし、「フーコーの道具箱」を「さらに有効な分析装置に改変」して、「日本の現実」を分析したり「日本の歴史」を「従来のイデオロギーの呪縛から解き放って書き換える」べく「知的努力」を傾ける(のが「われわれに必要」だ)(p.298)などと言わない方がよい。いくら「フーコーの道具箱」を「さらに有効な分析装置に改変」しても適切な結果をもたらすとは思えない。桜井が自ら上の如き「知的努力」を傾けて、日本の現実や歴史を実際に「分析」する又は「書き換え」る作業をしてみたらどうか(自分の言葉には自分で責任をとれ、と言いたい)。
 そのような桜井哲夫が書く「まえがき」自体に、素人の私でも容易に指摘できる奇妙さが含まれている。桜井は述べる。
 ・「フーコーの仕事は、つねに新しいといわざるをえない」。「つねに既存の枠組みへの挑戦であり続けたから」。
 ・「新しい」とは「時代に迎合」せず、「時代に」「『否』を突きつける営為」で、そうした「知的努力」こそが「世界に新たな可能性を生み出してきた」。
 ・「フーコーの仕事を吟味すること」は、「新しい知的可能性を生み出す第一歩でなくてはならない」。
 自らの仕事の積極的な意味・意義を何とか見出したいという<気持ち>は解るとしても、以上の叙述は奇妙だ。
 すなわち、「新しい」ものであれば、あるいは時代に「否」を突きつける行為であれば、なぜそれらすべてが肯定的に評価されるのか?「世界に新たな可能性」とか「新しい知的可能性」とか言っているが、その<新しい可能性>が、人間・社会・歴史にとって<よい>ものである保障はどこにあるのか? たんに「時代」・「世界」・「知」を掻き混ぜて混乱させるだけのものもあるだろうし、決定的に<悪い>方向へと(「新しく」)導く「知的努力」又は「営為」もあるのだ(余計ながらマルクスもレーニンも毛沢東も金日成も、それぞれに独特の「新しさ」をもっていた)。
 「新しけりゃよい」なんてものではないことは、<伝来的なもの>(伝統的・歴史的に今日まで継承されている事物・精神)の中にも大切なものはありうる、と考えるだけでも分かる。
 こんなことくらい大学教授、社会学者、近現代歴史・社会・文化評論家(著者紹介による)ならば容易に理解できる筈だと思われる。フーコーは「つねに新しい」、ということは(それが正しい理解だとしても)、彼を積極的に「吟味」することの意味・必要性を肯定する根拠には全くならない。
 <新奇>あるいは<珍奇>な言説や思想らしきものは絶えず生じてくる。それらの中から、貴重な<宝石>を発見し吟味する必要はあるだろう。フーコーがそれである(あった)とは、とても思えない。

0474/宮崎哲弥によるマスメディア批判。

 珍しく入手した週刊文春の4/24号宮崎哲弥のコラム(仏頂面日記)は、今年2月の日教組とプリンスホテル(高輪)の間の紛争と今月になっての映画「靖国」制作者と映画館の間の上映するしないの揉め事を比較している。そして、「同型」だとしつつ、マスメディアが前者の場合は「口を極めてホテル側を難じ立てた」のに対して、後者の場合は上映しないこととした「映画館に妙に同情的な論調に終始」しているとして、マスメディアの<矛盾>・<二重基準>を批判して(又は皮肉って)いる(p.118)。宮崎哲弥はやはり鋭い。週刊新潮の渡辺淳一のコラム週刊文春の彼のコラム記事がそっくり入れ替わってくれたら、週刊新潮はますます面白くかつ有益な週刊誌になるのに。
 <映画「靖国」上映中止の責任を「映画館側」に求めてはいけない>旨の某映画監督のコメントをとくに掲載した新聞もあったらしい(宮崎・同上)。断定できないが、これは朝日新聞ではないか。表現又は集会の場所(・会場)提供者について、一方ではホテルを批判し、一方では映画館に甘い、という<二重基準>くらい、朝日新聞ならば堂々と(無意識にでも)採用すると思われるからだ。
 宮崎哲弥=藤井誠二・少年をいかに罰するか(講談社+α文庫、2007.09)の「文庫版あとがき」で宮崎は、「この国〔日本〕のマスメディアに巣食う『愚民』どもの夜明けは遠い」とあっさり言い切る(その理由・契機の紹介は省略)。
 「愚民」どもが巣食っているマスメディアのうちでも最悪なのは、論じるまでもなく、朝日新聞

0442/読書メモ2008年3/30(日)-その1。

 〇川崎修・アレント-公共性の復権(現代思想の冒険者たちSelect)(講談社、2005)のプロローグ(p.35まで)だけ読了。外国「思想家」の文献の翻訳ものを多く読んでいく時間はないと考えているので、要領のよいかつ<基本的に間違っていない>紹介をしている日本人の本をむしろ読みたい。この講談社のシリーズがはたしてかかる要求に応えてくれるかどうか。
 ハンナ・アレントの本の訳書は三つ所持しているが、この本の前篇が扱う『全体主義の起源』の訳書は高価すぎて入手していないことも、この本を購入してみた動機だ。
 〇佐伯啓思・隠された思考(筑摩書房、1985)はp.112(第三章の途中)まで読了。ほんの少し増えた筈だ。
 〇週刊新潮4/03号の「…光市「母子殺害事件」弁護士たちの〔鬼畜発言録〕」(p.50-)。とくに驚きもしなかったのだが、産経新聞3/29花田紀凱の「週刊誌ウォッチング」で花田が「これはひど過ぎる」と全文の約8割を使ってとくに取り上げている。私の感度が鈍っているのかもしれない。しかし、光市「母子殺害事件」弁護士たちに限らず、ヒドい弁護士は多いと感じている。その中には、戦後民主主義教育の(最)優等生らしく(←そうでないと「司法試験」に合格できない)、「左翼」・「反権力」活動に邁進している者もいる。光市事件被告人の弁護人たちもたぶんこの傾向の「活動家」たちだろう。
 他にも途中(読みかけ)のものがある筈だ。

0430/佐伯啓思「現代文明論・下」を読む。「現代文明論・上」メモ。

 佐伯啓思・20世紀とは何だったのか-「西欧近代」の帰結-<現代文明論・下>(PHP新書、2004)の第二章まで、p.74まで、を3/22の夜に読んだ。
 佐伯啓思に社会主義ないしマルクス主義に関する叙述は少ないと思っているが、佐伯啓思・「欲望」と資本主義-終りなき拡張の論理(講談社現代新書、1993)の第一章(計25頁)が「社会主義はなぜ崩壊したのか」で、読んだ形跡があった(一昨年か昨年)。但し、主として社会主義「経済」を問題にしており、マルクス主義全体を対象にしているのではないようだ(なお、この本はこの第一章しか目を通していないと見られる)。
 既述のとおり、佐伯・<現代文明論・>(PHP新書、2003)には、引用して書き残しておきたい文章が多い。以下は、その一部。断片的に。要約も適宜行う。
 ・ルソー主義者は現実の政治の場でも「主権」=「一般意思」は貫徹されるべきで、「統治者」は「主権者」そのものの必要があると読んだ。「その帰結はというと、全体主義へと陥った」。(p.136)
 ・ルソーの「市民」とは、「私心」を捨てて「公共的なもの」を考える、「市民的美徳」をもつ「徳の高い公共心に富んだ」、「古典古代」的「市民」で、「共和主義」ともおおよそ重なる(p.140-2)。しかし、「近代民主主義」はルソーが復活を意図した「共和主義が、実際には大きな変質を受けて誕生した」。ルソーにおいて「古典的な市民による共和主義が、人民主権の民主主義を支えていたはず」だったが、実際には、「近代民主主義」における「市民」とは、「単なる個人の集まりで、自分の利益、権利にもっぱら関心をもつような個人」だった。そして、かかる「近代的市民」が「近代民主主義」の主役になった。(p.146-7)
 ・「民主主義を徹底して…人民主権を実現しようとすると、無理にでも民衆の一致した意思をつくり出す」必要があり、そのために「一般意思」という「フィクションを民主主義は必要とする」。「このフィクションが…『国民主権』や『国民の意思』という概念」だ。かかる「国民の意思」を「仮構せざるをえないところに近代民主主義の逆説がある」。(p.147-8)
 ・上の「考え方を徹底すると」、自分が「国民の意思」を表現しているとする「究極の代表者」=「独裁者」が現れる。「一種の全体主義の登場」だ。もっとも、「全体主義」は「目に見えない」「国民の意思」によって動かされることもある。「世論万能の政治」は「変形された全体主義」だ。「ルソーの考えたような民主主義を徹底すれば、ほぼ間違いなく全体主義へと行き着いてしまう」。(p.148)
 ・民主主義のなかには、あらかじめ何か全体主義的なものが含まれてしまっている」。「ルソーが示したものは、よくいわれるように、近代的民主主義の理論的な基礎」のみでなく、「同時に…全体主義的なものに変形されてしまう危険性でもあった」。(p.149)
 ・「われわれ」〔現代の日本人〕の考える「自由」は「公的なものと対立するもので、もっぱら『私』のみにかかわる」。一方、「アメリカの独立の指導者」たちにとって、「自由」とは、「もっと積極的に、人々との共同作業を行い、共同で何かをつくり出してゆく活動」にこそあった。「そのなかで、自己の能力を発揮し、他者から敬意を得る、こうした意味での自己実現こそが自由だということ」だった。(p.155-6)
 つづき、又は別の箇所への言及は別の機会に。 

0414/「ナショナリズム」に関する佐伯啓思の短い叙述。

 佐伯啓思・現代日本のイデオロギー(講談社)を読んでいる。掲載してメモ化しておきたい整理が一点出てきたが、その前に、「ナショナリズム」に関する論述を要約して記す。
 朝日新聞・若宮啓文は<ジャーナリズムはナショナリズムの道具じゃないんだ>と言い放った。「ナショナリズム」の箇所に「左翼リベラリズム」・「進歩主義」・「地球市民主義」等のいずれを挿入してもよい筈なのだが、彼はなぜか、「ナショナリズム」だけを持ち出して、その<道具じゃないんだ>と書いたのだ。この若宮啓文は佐伯著をじっくりと読むがよい。
 佐伯は上の本のp.275-6で、次のように述べる。
 1.「国家」とは「ひとつの主権をもつ政治社会」という一つの事実をいう。「ナショナリズム」と呼ばれるものは(「国家主義」ではなく)「国民主義」で、「国民形成についてのイデオロギーや神話を含み」もつ。国民は「言語、文化、価値観を共有した集団」だというのは「神話」で、ルナンが言う如く、「国民」を作り上げるのは「国民であろうとする」「日々の国民投票」だ。それ以上の「国民」観念はフィクションだが、「国民国家」成立のためには何らかのフィクションが必要だった。
 2.「国民」は自生的には形成されず、「主権国家」の形成とともに又はその後で作られたフィクションだ。だが、どのようにしてこのフィクションが作られるかは「国と歴史状況によって」大きく異なる。「同質性」と「多様性」のいずれを強調するかも「状況によって異なっている」。だから、「かりに『国民』というフィクションを固定化したものとして強調するナショナリズムが危険かどうかも、実は、状況によって異なっている」。「ナショナリズム一般が常に危険極まりないなどということは言えないはず」だ。
 前段に少しわかりにくい箇所はあるが、「ナショナリズム」に関する至極常識的な論述ではないか。
 朝日新聞・若宮啓文は、「ナショナリズム」に「国家」の蔭を見て、「戦後日本の知識人の良心と見なされた」「反国家主義」(p.258)の立場又は「隠された」イデオロギーにもとづいて上のような反「ナショナリズム」の言辞を吐いたのだろう。佐伯啓思が指摘するとおり、「反国家主義」・「反権力主義」は<戦後民主主義>思潮の重要な内容だった。

0413/佐伯啓思・現代日本のイデオロギー(講談社)を読みつぎ、樋口陽一の本も。

 佐伯啓思・現代日本のイデオロギー(講談社、1998)の内容の一部に今年の1/12と1/30に言及していて、自らの記載を辿ってみると、言及部分は、後者ではp.95以下、前者ではp.181以下と明記されていた。その後しばらく放念していたが、先週に思い出して、第Ⅱ章のp.260まで読了(あと40頁で最後)。p.70までの序章は読了しているか不明だが、少なくとも半分には読んだ形跡がある(傍線を付している)。
 同・自由とは何か(講談社現代新書)と同様にやはり面白い。読書停止?中の同・隠された思考(筑摩、1985)よりも読み易く、問題意識がより現実関係的だ。但し、筆者は隠された思考の方に、時間と思索をより大きく傾注しただろう。
 紹介したい文章(主張、分析、指摘等々)は多すぎる。
 p.212以下は第Ⅱ章の3・「『歴史の終わり』への懐疑」で、F・フクシマのソ連崩壊による「歴史の終わり」論を批判して、そこでの「歴史」とはヨーロッパ近代の「リベラル・デモクラシー」のことで、それは20世紀末にではなく「実際には19世紀で終わっていた」(p.219)と佐伯が主張しているのが目を惹いた。
 その論旨の紹介は厭うが、その前の2・「進歩主義の崩壊」からの叙述も含めて、意味は理解できる。
 一部引用する。①欧州思想界の主流派?の「進歩主義」(→戦後日本の「進歩的」知識人)に対して、19世紀のーチェ、キルケゴール、ドストエフスキー、20世紀のベルグソン、シュペングラー、ホイジンガー、オルテガ、ハイデッガーらは「近代を特権化しようとする啓蒙以来のヨーロッパ思想、合理と理性への強い信頼に支えられたヨーロッパ思想がもはやたちゆかないというペシミズムの中で思想を繰り広げ」た。「もはや進歩などという観念は維持できるものではなくなっていた」(p.219~220)。
 ②「歴史の進歩の観念」=「個人の自由と民主主義からなる近代市民社会を無条件で肯定する思考」は「実際には…二十世紀には神通力を失っていた」。「近代、進歩、市民社会、といった一連の歴史的観念は、一度は破産している」(p.222-223)。
 これらのあと、(戦後)日本の<進歩主義>又は「進歩的」知識人に対する<批判>らしきものがある。
 ③欧州の「進歩」観念を「安易」に日本に「置き換えた」ため、「進歩の意味は、…検証されたり、…論議の対象となることなく、進歩派という特権的知識人集団の知的影響力の中に回収されてしまった」。「進歩は、…進歩的知識人の頭の中にあるとされた。彼らが進歩だとするものが進歩なのであり、これは多くの場合、ヨーロッパ思想の中から適当に切り取られたもの」だった(p.224)。
 ④「普遍的理念としての進歩の観念(近代社会、市民社会、自由、民主主義、個人主義、人権など)は、戦後のわが国では、ただ進歩派知識人という社会集団の頭を占拠したにすぎない」(p.225)。
 このあとの展開は省略。
 「進歩的知識人の頭の中」だけ、というのはやや誇張と思われる。「進歩的知識人の頭の中」だけならいいが、書物や教育を通じて、「進歩的知識人」が撒き散らす概念や論理は<空気の如く>日本を支配してきたし、現在でもなお有力なままではないか、と思われるからだ(この旨を佐伯自身もこの本か別の著に書いていた筈だ)。
 但し、別の所(p.200)で「大塚久雄、丸山真男、川島武宜」の三人で代表させている戦後日本の<進歩的>知識人たちが、欧州<近代>を丸ごと、歴史的・総合的に<学んだ>のではなく、ルソー、ケルゼンらの<主流派>の思想、現実ないし制度へと採用されたことが多かったような「通説的」?思想のみを「適当に」摘み食いしてきた(そして日本に<輸入>してきた)という指摘はおそらく適切だろうと思われる。
 上の本に併行して、樋口陽一・「日本国憲法」まっとうに議論するために(みすず書房、2006)を先週に読み始め、2/3以上になるp.114まで一気に読んだ(最後まであと40頁)。とくにむつかしくはない。「まっとうな」憲法論議の役にどれほど立つのかという疑問はあるが、いろいろと思考はし、問題設定もしている(但し、本の長さ・性格のためかほとんど具体的な回答は示されていない)ということは分かる。
 <個人主義>(個人の尊重)との関係で佐伯と樋口の両者の本に同じ回に言及したことがあった。
 上で<ヨーロッパ近代>や「進歩的知識人」に関する佐伯の叙述の一部を引用した動機の一つは、次の樋口の、上の本の冒頭の文章を読んだからでもある。
 <自己決定原則は「自分は自分自身でありたい」との「人間像」を前提に成立していたはず。実際には、「教会やお寺」・「地元の有力者」・「世間の風向き」などの他の「だれかに決めてもらった」方が「気楽だ」という人の方が「多かったでしょう」。しかし、「そんなことではいけない」というのが「近代という社会のあり方を準備した啓蒙思想以来の、約束ごとだったはず」だ。この「約束ごと」に対する「公然とした挑戦が…思想の世界でも」説かれはじめた、「『近代を疑う』という傾向」だ。>(p.10)。
 樋口陽一は丸山真男らの先代「進歩的知識人」たちを嗣ぐ、重要な「進歩的知識人」なのだろう。上の文のように、「近代」の「約束ごと」を墨守すべきことを説き、「『近代を疑う』という傾向」に批判的に言及している。
 樋口のいう「近代」とは<ヨーロッパ近代>であり、かつ欧州ですら-佐伯啓思によると-19世紀末には激しい批判にさらされていたものだ。樋口はまるで人類に「普遍的な」<進歩的>思想の如く見なしている。
 樋口に限らず多数の憲法学者もきっと同様なのだろう。特定の<考え方>への「思い込み」があり、特定の<考え方>に「取り憑かれて」いる気がする。
 日本国憲法がそのルーツを<ヨーロッパ近代>に持ち、「人類」に普遍的な旨の宣明(前文、97条)もあるとあっては憲法学者としてはやむをえないことなのかもしれない。しかし、憲法学者だから日本国憲法が示している(とされる)価値をそのまま<自分自身のものにする>必要は全くなく、むしろそれは学問的態度とは言えないのではないか。憲法学者は、日本国憲法自体を<客観的に・歴史的に>把握すべきではないのか。<よりよい憲法を>という発想あるいは研究態度が殆どないかに見える多くの憲法学者たちは、やはり少しおかしいのではないか。
 筆が滑りかけたが、単純に上の二著のみで比較できないにせよ、参照・言及している外国の思想家等の数は樋口よりも佐伯啓思の方がはるかに多く、思索はより深い。憲法規範学に特有の問題があるかもしれないことについては別の機会に(も)触れる。

0412/佐伯啓思における4種の「リベラリズム」=<市場経済>の見方。

 佐伯啓思・自由とは何か(講談社新書)からの確認的メモのつづき。
 「リベラリズム」は「自由主義」と言い換えてもよいが、前回紹介の「自由」や「現代のリベラリズム」は、佐伯が自ら述べるように、「拘束」・「抑圧」からの解放という「近代の入り口」での「自由」とはかなり性格を異にしている。かつ、あくまで「今日の代表的な立場」における「自由」観で、「アメリカ的」又は「アングロサクソン的」と限定をつけてもよい、とも言う(p.160)。
 また、佐伯によると、「拘束」・「抑圧」からの自由がおおよそ実現し、「自由」の内実が「多様な主観的価値の共存のための条件」になってしまった結果、「自由」には「それほどの切迫さも切実さも」なくなった(p.161)。
 上にも見られるように、佐伯は「現代のリベラリズム」を説明・分析しているだけで、それを自らの価値として主張しているわけではない。<価値相対主義>(「価値」に関する「主観主義」)についても、「価値」による行動は社会的「妥当性」を要求するので、「価値」は本質的に個人の「主観を超えた次元」にある(「嗜好」や「趣味」とは異なる)、と疑問視する。かかる立場からすると、例えば<援助交際>は「特定の行為に示された価値の問題」、「本質的に社会的な問題」、「社会的普遍化、妥当性要求をはらんだ問題」で、「主観の問題」ではなく、「それは個人の自由であり、自己責任だ」で済ますことはできない(p.162-163)。
 もともと予定していなかった部分の要約はこれくらいにする。確認的にメモしておきたかったのは以下だ。佐伯は、「市場経済」(「市場競争」)について四つのタイプの議論があり、それぞれに対応して、「四つのリベラリズム」がある、とする(p.187以下)。この部分はなかなか参考になる。
 第一、「市場中心主義」。共通の透明なルールのもとで人々が「自己利益を最大化」せんとするのは当然で、たとえ報酬格差が数百倍に開こうと受け容れるべきだ。
 第二、「能力主義」。人の「能力や努力」に対して報酬を付与するのは市場競争でも同じ。但し、例えば「莫大な遺産」による「不労所得」は市場の結果であっても修正されるべき。「投機的利益」への課税等も同旨。「古典的な」「プロテスタント風の倫理精神」やロックの「財産保有と労働」に基づく市場を擁護する。
 第三、「福祉主義」。市場競争により勝者・敗者が発生するが、敗者は「たまたま市場経済のなかでうまくいかなかっただけ」で、それで「彼の人格や生活のすべて」を左右すべきでない。競争が「結果としてもたらす不平等」を、敗者=弱者に対する福祉給付・所得再配分によって政府が是正すべき。敗者も「そこそこ幸福な人生を送る権利」をもつ。
 第四、「是正主義」。勝者・敗者という「不平等」は多くの場合は「ある種の人々が構造的に不利な立場」にあることから生じるので、彼らの救済には事後的な福祉給付では不適切で、「初期条件をできるだけ平等化」すべき。アファーマティブ・アクション、自立支援プログラム等によって。
 こうした分類を前提にすると、佐伯によると、第一の論者としてはミルトン・フリードマンハイエク、第二はロバート・ノージック(第一に近いかもとの注記あり)、第三は「いうまでもなく」ジョン・ロールズ、第四はロナルド・ドゥウォーキンアマルティア・センを想起できる。
 さらに佐伯はこう述べる。第一、第二は「個人主義的な側面を濃厚に持った自由主義」で、とくに第一は、しばしば「リバータリアニズム」と呼ばれる。これらは「最小国家観、夜警国家観」に立ち、国家は「特定の価値を含まない」(→中立的国家)。
 第三、第四は「どちらかといえば」、「平等性に傾いた平等主義的な自由主義」で、「狭い意味」ではこれらをとくに「リベラリズム」と呼ぶことが多い。これらは「介入主義的国家」観に立つともいえるが、介入は基本的には「個人の権利を保障するための平等化政策」で、それ以上のことを目指さない(→やはり中立的国家)。
 説明は続く。第一において、市場競争への「参加の権利」の付与が重要で、結果は特に問題視しない。第二も同じだが、「人の能力の帰結としての財産への権限」を決定的に重要視する。「能力と努力が権利を生み出す」のだ。
 第三では、福祉給付により実現される「人間として最低限の生活をなすという権利」が唱えられる。第四は弱者・構造的被差別者にも「平等な機会へアクセスする権利」が保障されるべきだとする。
 以上の論述を前提にして佐伯啓思自身による議論が続いていくが省略する。
 上にみたように、「リベラリズム」とはさしあたりは広義に、市場経済=資本主義(=広義の「自由主義」)に立つ、非・反社会主義(・共産主義)とほとんど同義に用いられているようだ(なお、佐伯は「コミュニズム」あるいは「マルクス主義」を殆ど無視している。議論の俎上に乗せる意味自体を否定しているように見える)。その上で、上記の如く「狭い意味」での、<社会民主主義>にかなり近いかもしれない「リベラリズム」概念も用いられている。
 さて、かりに上記の如き整理が適切だとして、われわれはいずれの立場・考え方を支持すべきか? こうした基底的?レベルでの思考と選択をひとまずは誰でもしておくべきではなかろうか。こうした思考と選択は、「人間」観や「人生」観にもかかわる、けっこう現実的で、その意味では<生臭い>、重要な問題だと思える。

0411/佐伯啓思における「自由」又は「現代のリベラリズム」の三本柱。

 佐伯啓思・自由とは何か(講談社現代新書)には、論理の展開が知的刺激を与えるというよりも、論理展開の途中で又は結果として、頭の整理に便利な叙述も含まれている。確認的に記しておく。
 二つ記したいが、まず、「自由」が依って立つ「基本的な柱」は彼によると次の三点だ(p.151以下)。
 第一は、「価値についての主観主義」あるいは「価値の相対主義」。これは近代「合理主義」の帰結。すなわち、論理整合性・事実との符合によって「合理的に判断」できる命題とかかる「検証」のできない命題に分ける、その上で、「実証的に検討できる客観的な事実命題」とそれができない「価値命題」を峻別する。そして、「価値」判断は人により異なる「主観的」なもので、「客観的で普遍的な」ものは存在しない(←「実証主義」)、という考え方。
 ロールズにおける「正義」は、「価値」あるいは「善」の内実いかんにではなく、いかなる「価値」・「善」を選択する「自由」は保障されるべき、ということにある(「善に対する正義の優位」、「善に対する権利の優位」)。
 第二は、「中立的国家」。つまり「価値の領域に対しては国家は介入しない」ということ。自由・民主主義等の近代的「価値」を掲げ、人々の「生命・財産の尊重」を決定的価値とする「近代国家」が「価値中立的」ではあり得ないが、「正義」(>「自由への平等な権利」)ではなく多様な「善」について国家は「中立的」とされる。さらに、種々の「政策」選択をする国家は決して「価値中立的」ではないが、「政策」決定の最終的判断者は「国民」であり、国家は特定の「政策」=「価値」=「善」を予め想定して掲げたりはしない、ということを意味するとされる。
 第三は、「自発的交換」。つまり、「個人の社会的活動は、基本的に個人と個人の間の自発的な相互作用としてなされるべき」、という考え方(秋月注-「自発的」とは、個人の「自由意思」にもとづく、と換言してよいだろう)。これを典型的に実現するのが「市場経済」だ(秋月注-ある個人と他の個人との間の「自由意思」の合致=契約にもとづく相互の権利・義務の形成・変動、と言っても大きくは離れていないだろう)。
 以上、要点のみ。佐伯は、これら三点が、やや表現を変えて、「現代のリベラリズム」の「柱」だ、とも述べ、次のようにまとめている(p.159-160)。
 「現代のリベラリズムの立場は、基本的に個人の価値の多様性を認め、それを尊重する、そのためには、『自由への平等な権利』という正義の原則がまずは確立していなければならない、そのもとで、国家は中立性を守るべきであり、また諸個人の主要な社会的行為は個人の自発的な交換としてなされるべきだというのである」。
 もう一つは次回に。

0410/佐伯啓思・自由とは何か(講談社新書)を全読了。

 佐伯啓思・自由とは何か(講談社現代新書)を全読了。
 最終章的または小括的な「おわりに」にも印象的な文章がある。一部についてのみかなり引用するのはバランスを欠くが、通覧してみる。
 ①<「自由」の意味は「抑圧や圧制」からどう「渇望し…実現」するかではなく、逆に「自由」の「現代的ありよう」が…「さまざまな問題を生み出してしまっている」。>(p.270)
 ②<「自由」を「至高の価値」としてそれを成立させている「何か」に不分明ならば、「誤ったイデオロギー」になる。「何か」を見ないと「個人の自立」・「選択の自由」・「諸個人の多様性」等は「混乱」の原因になる。>(同上)
 ③オルテガは、<我々は「多様な価値の間で選択を余儀なくされている、つまり自由へ向けて強制されている」旨論じた。カストリアディスは<「現代資本主義」の下で「自由」は「個人的な«享楽»を最大限」にするための「補助道具」になっている、と主張した。これらは「決して見当はずれではない」。(p.271-272)
 ④<「自由」(「個人の価値選択の主観性や多様性」→「選択の自由や自立的な幸福追求」)を保障するのは「市場経済」・「中立的国家」・「人間の基本的な権利の保障」という制度をもつ広義での「市場社会」だが、そこで生じているのは、「それぞれの」「享楽」(「富」・「消費物資」・「刹那の快楽」等)を「最大限手に入れようとするいわば『欲望資本主義』だ」。ここでの「それぞれの」は「個人の主体性」を前提にしている。>(p.272-273)
 ⑤<「消費物資や富に自己を預け、自己満足の基準を市場の評価に依存した」「自由」、「メディアやメディア的装置にしたがって自分を著名人にしたり、著名人に近づくことで富を得るチャンスを拡大する自由」は、いかに「個人主義」的選択に基づくと言っても「自立」しておらず、「本来の意味で個人主義的でもない」。>(p.273)
 ⑥<「個人の主体的な自立や自由な選択という概念によって『自由』を論じることができるのか」。(p.274)換言すれば、「現代の個人の自由」とは「先進国の市場経済というある特定の体制」の下でしか成立不可能なもので、「市場や金銭的評価や富と結びついた名声やメディアが生み出す有名性といった特有の現象に随伴」してしか発現できないのでないか。「個人の自立」などは「最初からあり得ず」、「個人の自立した選択」とは「市場経済に依存した見せかけの自立」にすぎないのではないか。「この種の疑問はしごくもっともだ」。>(p.275)
 ⑦<かかる議論・疑問自体が「個人の主体性、その多様性、自由な選択」等の「現代の自由の観念」によって生じている。「個人の自立」は「市場経済体制」ではあり得ないと言っても、その「市場経済体制」を拡大してきたのは「個人の主体性、多様性、自由な選択」という「自由」の観念だ。「自由な選択」がせいぜい「享楽の最大化」だとしても、そのような状況を生み出したのは「現代の『自由』の観念」で、ここに「現代」の「自由のパラドックス」がある。>(p.275-276)
 ⑧<「自由のパラドックス」は、「自由」を「個人の主体性、主観性、多様性」といった観念で特徴づけたことに「理由」がある。「現代の自由」とは「端的」には「個人の選択の自由」だが、かかる特徴づけ・定式化が「あまりに偏狭」だから、つまり「自由」に「実際上、意味を与えている条件、それを支えている条件に目を向けていない」ために「自由のパラドックス」が生じた。>(p.276-277)
 ⑨<そこで、「個人の平等な選択の自由」の背後に「もっと重要な『何か』があるのではないか」と「多層的」に「考察」する必要がある。例えば「自由」と対立的に捉えられがちな「規範」の両者は、後者が「道徳的ニュアンス」・「正義」という観念・「価値」を前提にしているかぎり、切り離すことはできない。>(p.276)
 ⑩<「もっと重要な『何か』」の第一の次元は「善」だろう。「善」とみなすか否かは「共同体」の評価だ。「ある程度共有された価値を持った共同社会がなければ、事実上『自由な選択』などというものはない」。>(p.278-279)
 「もっと重要な」ものは、「多様なレベルの共同体の規範を超えたいっそう超越的な規範への自発的な従属」だ。これをかりに「義」と呼んだ(カントにおける「定言命法」、天、道、儒教上の五倫、仏教上の六度)。(p.279)
 樋口陽一・憲法/第三版p.44(創文社、2007)にはこんな文章がある。「本書は、近代立憲主義にとって、権利保障と権力分立のさらに核心にあるのが個人の解放という究極的価値である、ということを何より重視する見地に立っている」。
 この憲法概説書の中では詳しい方の本は2007年刊。上に見てきた佐伯啓思の本は2004年刊。「個人の解放という究極的価値である、ということを何より重視する」と有力な憲法学者がなお書いている以前に、佐伯は現代の「個人の平等な選択の自由」のパラドクスとその原因、「個人の平等な選択の自由」の背後にあるはずの<もっと重要な「何か」>を論じていたのだ。
 佐伯が特段に優れているというよりも、憲法学者のあまりの<時代錯誤的な遅れ>こそが指摘されるべきだろう。こうした違いは、憲法学が法学の一種として主として<規範>を対象とする(かつ主として<規範解釈>をする)という特質をもつことだけからは説明できないだろう。憲法思想(論)もまた社会思想・政治思想をふまえ、少なくとも参照する必要があるのではないか。問題は、<個人に平等に享受されるべき「自由」>という憲法論(解釈論を含む)上の基礎的・骨格的概念にかかわっているのだから。

0408/佐伯啓思・隠された思考、同・自由とは何か、を読み続ける。

 佐伯啓思・隠された思考-市場経済のメタフィジックス(筑摩)の第二章のⅡ・「<遊び>としての交換」(p.79~95)は、先週末に読んだ。市場での<交換>と「遊び」<「ゲーム」、歴史・人間の奥底にある<交換>=<相互(関係)性>等々。
 同・自由とは何か(講談社新書)の第六章はp.263まで読んで、全読了まであと20頁。「自由」の再定義を試み、かつそれが通常の用法と違うので「義」という語で呼びたくなる、と書いている辺りまで。
 詳しい紹介はしないが、この本は面白く(イラク問題、援助交際、子供殺し事件等々にも言及がある)、座右に置いておきたい。面白く読めるのは、この本の内容は、コミュニズムはもちろん朝日新聞が代表するような<リベラル左派>に対する批判、<個人の「自由」(の尊重・尊厳)>を最高価値とでも理解しているようにも見える日本の憲法学の大勢への批判、に実質的、客観的にはなっていると思えるからでもある。
 数多いる憲法学者の中で阪本昌成は思考が広くかつ深いと思うが、経済学畑出身の佐伯啓思の思索はさらに広く深いのではなかろうか。
 広く社会を対象とする学問も、「人間」そのものを適切に(現実的にかつ生き生きと)洞察しないと、言語遊び、観念遊戯、概念・論理の瑣末な分析や整理に終わってしまいかねない、という感慨が、佐伯啓思らの文章を読んで、生じている。 

0381/朝日新聞における「個人」と国家・公共。

 いつ何でであったか、近年に、「国家主義」という言葉を、当然に非難されるべき、悪い「主義」・考え方であることを前提として、何の定義も説明もなく使っている文章を読んだことがあった。「個人」を抑圧・弾圧する「国家」の方を重視する考え方、とでも理解されていたのだろうか。
 だが、むろん、きちんと定義され、説明されないと、「国家主義」なるものをどう評価すべきかは判りはしない。
 偶々月刊現代1月号(講談社、2007.12)をめくって田原総一朗の原稿を見ていたら、冒頭で次のような一文に出くわした。-2006年12月15日に新教育基本法が成立したとき(安倍前首相が国会で成立させたとき)、翌16日の朝日新聞は「『個』から『公』重視へ-国家色強まる恐れ」という見出しをつけて新教育基本法に批判的だった(p.228)
 朝日新聞によると、「『個』から『公』重視へ」が、あるいは「国家色強まる」ことが、すでにそれ自体で批判の対象になるようだ。あるいはこういうレッテルを貼ることで批判を合理化できる、と考えているようだ。
 ここには、「国家」や「公」の介入を受けない自立的『個』人の<自由>の尊重、という戦後日本を支配してきた教条的な個人・国家観がしぶとく21世紀になっても生き残っていることを、確認することができるだろう。
 時代により、状況により、個人と公共・国家のあるべき関係は一様ではない。「国家色強まる」ことが一概に悪いことだと言えるはずもない。朝日新聞は、「国家主義」=悪だという、教条的・単純(かつ幼稚)な「主義」を牢固として維持しているのだろう。
 なお、説明は省くが、「国家」を掘り崩し、骨抜きにしている「主義」には、<個人主義>と<グローバリズム>とがある。朝日新聞の<地球市民主義>は後者の一つ又は亜流で、この二つでもって、朝日新聞は日本「国家」を弱体化させようとしている、というのが私の見方だ。
 話題を変える。今日1/31の読売朝刊には、明日からの統合インターネットニュースの開始を前に、新聞三紙の論説主幹(委員長)の対談が掲載されている。
 竹島をいっそ韓国に譲ったら、とか、新聞はナショナリズム(国家主義?)の道具じゃないんだ、とか叫んだことでおなじみの朝日論説主幹・若宮啓文は、次回の衆議院選挙で冷戦崩壊後の20年の「総決算して、次の秩序に向けた大きな節目」にすべきだと発言している。
 よく分からないのは、朝日・若宮が想定する「次の秩序」とはいかなるものかだ。国会の政党構成の新編成に限ってなのか、国家・社会全体を含む「秩序」なのかも明確ではないが、いずれにせよ、朝日新聞は、将来の日本のあるべき姿とは隔たったところで、<安倍晋三的>あるいは<ナショナリズム的>な動向を(ときには「アサヒって」)その都度潰そうとしつつ、適当に口先だけで綺麗事を言って、経済的利益を稼いで生きていくつもりの新聞社のように見える(将来の日本像が明確でないのは自民党も同様だが、民主党の方がより甚だしい。朝日新聞は民主党レベルかそれ以下だろう)。
 久しぶりに朝日新聞批判を書いた。

0380/佐伯啓思・現代日本のイデオロギーにおける「個人」と「共同体」の一端

 「個人の尊重」はけっこうなことで「個人主義」もそれ自体は問題はないかにも見える。自立した個人と自分自身を理解しているかもしれない憲法学者の中には、<欧米と比べてまだ劣る>、自立した個人たる意識・主体性のない日本国民を(高踏的に)叱咤激励したい気分の者もいるかもしれない。このことは、前回も書き、もっと前にも触れた。
 またかかる<個人>の位置づけは、当然に<国家>という「共同体」と対峙する(場合によっては<対決する>)<国家から自由>な<個人>というものを想定し、前提にしているだろう。
 かかる<個人>のイメージははたして適切なのだろうか。
 佐伯啓思・現代日本のイデオロギー(講談社、1998)には引用・紹介したい部分が多すぎるのだが、ずばり「個人」と「共同体」は対立しない」との見出しから始まる部分(p.95-)を以下に要約して、紹介してみる。
 「個人」・「個的なもの」は農村、家族、国家といった「共同体」と対立するもので相容れない、という理解は近代諸科学から「社会主義運動までを貫くモチーフ」だった。その背景の一つにはマックス・ウェーバーの「薄められたマルクス主義」としての<近代化論>があった。「共同体からの個人の解放が自我の確立である、というような思考様式」が教条化し、「呪術的」な権威をもった(p.95-96)。
 だが、かかる思考様式は「もはやほとんど有効性を失っている」。次の「二重の意味」においてだ。
 第一に、家族・村落共同体からの「個人」の解放は進展しすぎているほどで、一方、「自我の確立した主体的個人」が出現してはおらず、「「近代的自我」なるものは衰弱している」。そもそも、一切の「共同体」から解放された「個」というのは「あまりに強引なフィクション」だ(p.96-97)。
 「共同体」の解体によって「個」は「一切の価値体系や規範のルールから切り離される」。そのことに「近代」人は「自由の意味」を見い出し、「近代化」とは「個人の自由の拡大」だと考えた(p.97)。
 しかし、「価値や規範・ルールから切り離された個人」なるものは「不便でかついびつなもの」に帰結する。大勢の「個人」の自由の衝突・確執を調整する、「共有されうる価値の再確認」が必要で、これは「共同体」の再確認を意味する。「個人の自由」とは「その自由の範囲や様式を定める共有された価値、規範」を前提とするのだ。この「価値、規範」を誰かが強引に決めないとすれば、それは「歴史的に生成する」ほかはなく、まさに「共同体」の形成だ(p.97)。
 「家父長的、封建的社会」ならば個人と共同体は対立しうるが、現代日本では、「共同体」と「個人的自由」を対立させることは「さして意味をもたない」(p.97-98)。
 現代日本での「個人の自立」という「不安定な持ち場」からの「共同体」批判は、「個人」自体をいっそう「不安定」にし、それを「空中分解」させるだろう。「個人性」は「共同性」を「離れてはありえない」のだ(p.98)。
 第二に、現代社会では「共同性」は解体されておらず、逆に個人は無意識に「共同性の罠の中に捕らわれて」いきつつある。「個の確立」の主題化、意見・思想の方向性の形成自体が「ある種の共同性」を前提とし、それを作出している。「個の確立」という記号による主題化が「メディア的媒体を通す限り、ある種の共同体がいやおうなく、…作動する」(p.98)。
 現代社会とは「メディアによる共同化作用が絶え間なく生じている社会」だ。共同体の解体・個人の主体化という議論自体が「メディアを媒介に主題化」されると、「この議論をめぐる共同化された言説空間」ができてしまう。
 なぜなら、一つに、議論自体の成立が、日本語という表現手段による、「日本社会の歴史的、文化的文脈」の共有を必要とする。ここでは、議論できるグループ・階層という「共同体」が実際には想定されているのだ。
 さらに、かかる主題化自体が「共同化」作用をもつ。「何の相互につながりもない人が共通の主題のもとで一定の思考の規範を共有する」に至るから。人々はかくして、「私」の、ではなく、「われわれ」の「共同体からの解放」を問題にしだすのだ(以上、p.99)。
 メディアが議論をマーケットの極限まで拡散すれば、「われわれ」とは「国民」に他ならなくなる。ここで、「国民」という「共同体」の「不可避性」という新たな問題に到達する。
 以上のように、「個人の確立」が「戦後日本社会の課題」だとの「表現そのもの」が、「日本という共同体の文脈を前提に提起されている」のだ(以上、p.100)。
 このあと、佐伯の論述は「メディア的環境とそれが拡散する市場世界が生み出す新たな共同体」(p.101)から、さらに「国家」という「共同体」へと進み(p.111~)、「国家」と「個人」の単純な対立視を批判し(p.111の「国家とは…、『わたし』と『他者』がおりなす応答の慣習化された体系」だとの定義からすれば、「個人」は国家の一部または国家を前提にしてこそ存在しうるものだ)、「国家への深いシニシズムや「反国家主義」が横行」(p.122)していることの分析・批判等がなされているが、紹介はこの程度にとどめる。
 樋口陽一井上ひさしの「個人」観又はそれに関する議論と十分に噛み合ってはいないだろう。だが、佐伯啓思の議論を読んでいると、樋口陽一や井上ひさし、そして多くの憲法学者が想定しているようにも思われる、「個人」・「社会」・「国家」観が―専門分野の違いに帰することはできないと見られるほど―いかに単純・素朴(そして幼稚)であるかが分かるように感じる。
 多くの憲法学者は文献を通じて<頭の中>でだけ、単純なイメージを<妄想>しているのではないか。自分自身を含む<現実>・<実態>をふまえて、かつより緻密な理論を展開してもらいものだ。
 なお、立ち入らないが、佐伯啓思の議論の中に<マスメディア>が「共同体」にとっての重要な要素として登場してきているのは興味深い。<マスメディア>論にも関心を持ち続ける。

0373/まだ丸山真男のように「自立した個人の確立」を強調する必要があるのか。

 昨年の4/16のエントリーの一部でこう書いた。
 「昨年に読んだ本なので言及したことはなかったが、いずれも1997年刊の佐伯啓思・現代民主主義の病理(NHKブックス)、同・「市民」とは誰か-戦後民主主義を問い直す(PHP新書)は「戦後」・「民主主義」を考えさせてくれる知的刺激に満ちた本だった」。
 これらの具体的内容は紹介していないが、佐伯啓思・現代日本のイデオロギー(講談社、1998)も、ほぼ同時期の「知的刺激に満ちた本」として挙げておく必要がある(他にもあるだろう)。
 この本のある程度詳細な内容紹介をする意図も余裕もなく、メモ程度になる。
 p.181以下が書名と同じ「現代日本のイデオロギー」との論文だが(月刊正論1997.01~06初出)、戦後日本の「進歩」主義、丸山真男・大塚久雄らの「進歩的」文化人・知識人(大江健三郎を筆頭に?その片割れ又は後裔は現今でもまだ跋扈している)の思想・思考の(「トリック」(p.198)を含む)論理構造を分析・剔抉(てっけつ)していて、面白く、有意義なものとして読める。
 もともと佐伯啓思は上掲の現代民主主義の病理の中に「丸山真男とは何だったのか」という節を設けていて(こちらの本のp.74以下)、こちらの方が詳しいかもしれない。
 講談社の本による佐伯の表現によると、「日本社会=集団主義的=無責任的=後進的」、「近代的市民社会=個人主義的=民主的先進的」という「図式」を生んだ、「『市民社会』をモデルを基準」にした「構図」自体が「あらかじめ、日本社会を批判するように構成され」たもので、かかる「思考方法こそ」が戦後日本(人)の「観念」を規定し、「いわゆる進歩的知識人という知的特権」を生み出す「構造」となった(p.197-8)。
 NHKブックスによる佐伯の叙述によれば、丸山真男らにおいて、「日本の後進性」を克服した「近代化」とは「責任ある自立した主体としての個人の確立、これらの個人によって担われたデモクラシーの確立」という意味だった(p.74-75)。
 陳腐な内容の引用になったかもしれないが、書きたいことは以下のことだ。
 私自身が確認したのではないが、この欄でも言及したことがあるように、八木秀次によれば、憲法学者の佐藤幸治は、行政改革会議答申(省庁再編に具体的にはつながった)の中で、<自立した個人の確立>の必要性を強調していた(記憶に頼っているので微細な表現の違いがあるだろうことはご容赦いただきたい。次の段も同じ)。
 また、私自身の記憶のみに頼れば、憲法学者の樋口陽一は日本国憲法上の「個人の尊重」規定を重視し参照、第13条第一文「すべて国民は、個人として尊重される。」)、樋口と対談したことのある井上ひさしは、<個人の尊重>または<個人の尊厳の保障>が最も大切または最も基本的なこととして印象に残った旨を何かの本に記していた。
 書きたいことは容易にわかるものと思われる。憲法学者の佐藤幸治も樋口陽一も、―この二人は学界でも相当に有力な二名のはずだが―丸山真男ら<進歩的>文化人・知識人の上記のような<思考枠組み>に(疑いをおそらく何ら抱くことなく)とどまっている、ということだ。
 文字どおりの意味としての<個人の尊重>・<個人の尊厳>に反対しているのではない。
 すなわち、<自立した個人の確立>がまだ不十分としてその必要性をまだ(相も変わらず)説くのは、もはや時代遅れであり、むしろ反対方向を向いた(「アッチ向いてホイ」の「アッチ」を向いた)主張・議論ではなかろうか。少なくとも、この点だけを強調する、又はこの点を最も強調するのは、はたして時代適合的かつ日本(人)に適合的だろうか。
 佐藤や樋口が明言しているわけではないが、有数の大学の教授・憲法学者となった彼らは、自分は<自立した個人>として<確立>しているとの自信があり、そういう立場から<高踏的に>一般国民・大衆に向かって、<自立した個人>になれ、と批判をこめつつ叱咤しているのだろう。
 かりにそうだとすれば、丸山真男と同様に、こうした、<西欧市民社会>の<進んだ>思想なるものを自分は身に付けていると思っているのかもしれない学者が、的はずれの、かつ傲慢な主張・指摘をしている可能性があるのではないかと思われる。
 縷々論じる能力と余裕はないが、憲法学者が戦後説いてきた<個人主義>の強調こそが、それから簡単に派生する<平等主義>・<全国民対等主義>と、あるいは個人的「自由」の強調と併せて、今日の<ふやけた>、<国家・公共欠落の・ミーイズムあるいはマイ・ホーム型思想>を生み出し、<奇妙な>(といえる面が顕著化しているように私には思える)日本社会を生み出した、少なくとも有力な一因だったのではなかろうか。
 だとすれば(仮定形を続けるが)、<日本的なもの・日本の問題>に大きな関心を向けることなく、高校以下の学校教員を通してであれ国民に一定の<イズム>を<空気>のごとく押しつけてきた戦後憲法学の専門家たち(知識人・文化人)の責任も―一部の人にとっては主観的には善意に行われたとしても、その<行きすぎ>の弊害をもたらした結果に対して―また大きいものと思われる。

0371/水島朝穂(早稲田大学)は学者なら真摯に反応したらどうか。

 1/03頃に、川人博・金正日と日本の知識人(講談社現代新書、2007.06)を読了。
 親北朝鮮の「日本の知識人」を批判した本だが、具体的に固有名詞が挙げられ、批判的論評がされているのは、姜尚中、和田春樹、佐高信、水島朝穂の4名。
 和田春樹佐高信の二人についてもはや言う必要もない。姜尚中については、この本とは別の観点からいつか近い将来に述べたいことがある。
 残る水島朝穂はこのブログでも批判的に取り上げたことのある早稲田大学所属の憲法学者だが、私も所持はしている同著・憲法「私」論(小学館)や他の発言等を対象に、著者の川人(弁護士、特定失踪者問題調査会常務理事)は次のように批判する(p.91~p.99)。
 ・2002年9月以降に(いったん北朝鮮から)帰国した五人について、安倍晋三(当時、官房副長官)は(帰国させないという)「駄々っ子のような方向」を選んだが、返せば(帰国させれば)よかったと主張した。「ここまで人を罵倒する発言をする」なら、「もっときちっと根拠を示しなさい」。
 ・具体的には第一に、五人は日本に滞在したいとの意向だったのに、日本が無理やり北朝鮮に連れて行くべきだ、という主張は、「国際人権法の、あるいは日本国憲法の、どの規定に基づき正当性を有するのか、ぜひ、憲法学者として責任をもって明確にしてもらいたい」。
 ・第二に、北朝鮮に戻った五人とその家族が無事に日本に帰国できるという「具体的根拠を述べていただきたい」。
 ・上記の憲法「私」論の中で、「韓国での米軍犯罪、日本の戦争責任」等には多くを語りながら、「拉致問題」には「わずか一〇行程度触れるだけ」で、「北朝鮮国内の人権侵害に関しては、一言も語っていない」。「中国国内での人権侵害にも一切触れていない」。また、「国境を超えた市民運動」が重要との旨を主張しつつ、「北朝鮮独裁者と対峙して活動しているNGOや民衆」について一切語らず、「北朝鮮独裁体制に親和的なNGOの活動を紹介するのみ」。
 総括的に、こんな批判的な言葉もある。
 「民衆の闘いを忘れ、独裁者の『メンツ』を気にするのが、憲法学者のとるべき態度であろうか」。(p.96)
 「自らの思想や論理を真摯に総括することもなく、『半径平和主義』(狭い『平和主義』のわく)ともいうべき殻の中に閉じ籠もる、それが水島氏の姿」だ。(p.98)
 「真にアジアの民衆の人権と平和を希求している」のなら、「まず、過去の暴言を真摯に反省していただきたい」。(p.98)
 名指しされてこうまで批判されると―姜尚中は週刊誌上で<応戦>したようだが―、ふつうの人ならば、反論(あるいは釈明、可能性は少ないが「真摯な反省」)をしたくなるだろう。ましてや、水島朝穂は、著書の数も多そうな大学教授なのだ。このまま黙っていれば「学者」の名が廃(すた)り、批判を甘受していることになってしまうのではないか。水島氏よ、真摯に対応したら、いかがか(すでにどこかでしているのかもしれないが、私は気づいていない)。
 いや、そもそも水島朝穂は学者・研究者ではなく活動拠点を早稲田大学に置く政治活動家なのかもしれない。とすると、弁護士・川人博についても―かりにこの文を彼が読んだとして秋月瑛二についても-<「保守・反動」が何やら喚(わめ)いている>といったレッテル貼りで内心で反論したつもりになって済ますのかもしれない。
 怖ろしいのは、憶測にはなるが、水島朝穂ほどには目立たなくとも、憲法改正反対・憲法九条擁護の憲法学者には、水島の上記のような対北朝鮮反応、対北朝鮮感情と同様のものを<空気>として抱え込んでいる憲法学者が日本には少なくない、と見られることだ。日本の憲法学者・憲法学界とはかくも<異様な>ものだということは広く大方の共通理解になってよいものと思われる。
 ところで、この本は昨年6月に刊行されているが、新聞・雑誌の書評欄で採り上げられているのを読んだことはなく、その存在自体を昨年末に知った。テーマは単純ではあるが、少なくとも紹介くらいはされる価値のある本だろう(新書で読みやすくもある)。
 だが、かりにだが、どの新聞・雑誌も採り上げなかったとすれば、それは、姜尚中、和田春樹、佐高信、水島朝穂という特定個人(の主張)を批判している書物のためなのかもしれない。
 各「知識人」または新聞・雑誌への各寄稿者(またはその可能性ある特定個人)に遠慮し、その背後にいるグループ・団体・出版界にも遠慮しているのだとすれば、新聞・雑誌の「表現・出版の自由」も疑わしいものだ。この例のみで言うつもりは全くないが、一般論としても、新聞・雑誌の「書評欄」を(参考にしてもいいが)<信頼>してはいけない。
  

0351/諸君!はどこへ。サピオの新聞特集の方がマシ。

 やや古いが、諸君!12月号(文藝春秋)は<「朝日崩れ」が止まらない>を特集の一つにしている。
 だが、その先頭又は中核のはずの上杉隆の論稿は「朝日崩れ」を叙述したものでも論じたものでもない。朝日のあくまで一端・一側面に言及があるだけだし、最後の文に見られるように、朝日新聞に限らない新聞(社)一般を問題にしているところも多い。他の企画?も含めて、上の<「朝日崩れ」が止まらない>というタイトルは羊頭狗肉だ。
 サピオ11/14号(小学館)の特集<大新聞の「余命」>の方がはるかによい。
 上の中のp.18~19で塩澤和宏はこう書いている。
 今年4月に、新聞への「信頼度」調査で朝日が読売・日経に次ぐ第三位との「実態が明らかに」なって朝日の「一部役員・幹部に衝撃が走った」。「60代や70代以上など、朝日が勝っている世代もあるが、働き盛り世代では『惨敗状態』」。/朝日新聞社の「出版本部はこの9年間で営業収入が半減。07年度は10億円を超える赤字が見込まれる。/…秋山耿太郎社長は7月…『06年度の営業収入は13年ぶりに4000億円を割った。3年後には新聞事業が赤字になってしまう』などと危機を訴えた。
 出版本部には朝日新書も含まれるのだろうか。同新書の人気のなさ、精彩のなさ(と私は感じている)を見ると、上のような状態の一端は分かる。そして、塩澤は、こう締め括る。
 「前政権への『安倍叩き』でも常軌を逸していた朝日新聞。その『劣化』は、止まる気配がない」。
 こちらの方には、諸君!の中によりもまともな指摘がある。
 いつぞや諸君!11月号保阪正康論稿を「ひどい」とこの欄で書き、同誌編集人の名も記したが、諸君!12月号は「読者諸君」という読者の声欄に、11月号の保阪論稿の「多角的な分析は断然光っていて、ご意見は実に的を射ている」等と述べる一意見又は感想文をとくに掲載している。
 諸君!中の韓国・北朝鮮・中国に関する記事や座談会はのちに文春新書としてまとめられて発売されたりして、文藝春秋に利益をもたらしている筈だが、そうした記事や座談会の論調と<戦後民主主義>者の範疇に入ると私は評価している保阪正康の議論とは基調が異なっている。
 保阪正康が安倍前総理を罵倒する論文を載せ、それを支持する<投書>もとくに載せるとは、諸君!(編集人・内田博人)のスタンスはいったい奈辺にあるのだろうか。文藝春秋の「オピニオン」は分裂し、漂流しているのではないか(やや<左・リベラル>辺りの月刊現代(講談社)に近くなるのだろうか)。
 というわけで、近年諸君!は毎号購入し目を通してきたのだが、しばらくは見合わせることにしている。

0296/小沢一郎とは何者か。同・日本改造計画(1993)を読む-その2。

 小沢一郎という人は、1.十数年前の考え方を今はすっかり変えてしまったか、2.変えてはおらず現在はウソをついているか、のいずれかだろう。
 大嶽秀夫・日本政治の対立軸(中公新書)p.59によれば、小沢・日本改造計画(講談社、1993)は<「新保守」の立場を鮮明にした>もので、その主張の中には、1.地元利益・職業利益によらない「党中心の集票」、2.「ネオ・リベラリズム」も含まれていた(7/17参照)。この2.の方に焦点を当ててみよう。
 小沢・日本改造計画p.4-5は、世界を含む時代と日本社会の変化に対応した「変革」の目標として「政治のリーダーシプの確立」、「地方分権」につぐ第三として「規制の撤廃」と明記し、「経済活動や社会活動は最低限度のルールを設けるにとどめ、基本的に自由にする」と書く。そして、次のように連ねる。
 「これらの究極の目標は、個人の自立である。個人の自立がなければ、真に自由な民主主義社会は生まれない。国家として自立することもできない…。国民の”意識改革”こそが、現在の日本にとって最も重要な課題といえる。そのためには…個人に自己責任の自覚を求めることである。
 十数年前に小沢はこのように主張していた。現在の彼は、国民・有権者に「個人の自立」・「自己責任の自覚」を訴え、国民に<意識改革>を求めているだろうか
 国家(政府)と国民(個人)の関係にかかわり、上の本p.185-6は、「個人を解放することを提案」して個人の「五つの自由」の最後に「規制からの自由」を挙げ、次のような叙述をしている。
 「個人に自由が与えられれば、結果的に選択肢の多い社会になる。多様な生き方が可能になる……不要な規制は一刻も早く撤廃すべきである。…要するに、まず国民を保育器から解放することである。もちろん、それによって国民は自己責任を要求される。しかし、それでよいと私は思う。自己責任のないところに、自由な選択など存在しない。…政治が個人の選択に口をはさむべきではない。政治に求められることは、国民にできあいの「豊かな生活」を提供することではない。…障害を取り除き、環境を整備することだ」(p.186-7)。
 また、次のような文章もある。
 「自由主義社会では基本的に自由放任であるべきだ。そのうえで、どうしても必要なところに必要最小限の規制があればよい」(p.244)。金融機関の「利用者にもある程度の自己責任原則を要求する。…自分の判断で選び、その結果に責任を負うようにするのである」(p.248)。「民間の知恵とアイディアと活力を生かすために、民営化努力は今後も続けていかなければならない」(p.249)。
 以上のような考え方は、大嶽の指摘のとおり、<ネオ・リベラル>=<新自由主義>と称してもよいものだ。そして、<空白の~年>のあとの橋本内閣以降、規制緩和・民営化という<ネオ・リベラル>志向が基本的な政策課題になってきた、と言ってよいだろう(厳密な議論はしない)。<規制緩和>・<民でできるものは民で>は小泉純一郎首相のキャッチコピーの如くですらあった。<構造改革>と言われることもある。
 具体的に日本における<規制緩和>・<構造改革>の問題・評価に立ち入ることはしない。問題は、上のように書いていた小沢一郎は、いま何を言っているかだ。
 小沢は、この選挙戦中に、<小泉改革のおかげで「格差」が拡大した>と明確に述べて批判していた。それを聞いて、私はかつての小沢の主張の基本的なところは知っていたので、奇異に感じ、<ウソをつくな>と思ったものだ。
 なるほど、小沢の1993年の著書には<格差拡大容認>とは書いていない。しかし、規制緩和・自己責任領域の拡大とはじつは、「格差」の発生・拡大に他ならないことは常識的に考えても明らかなことだ。
 小沢一郎は、「国民を保育器から解放」すべきと明言していたのだ。また、「政治に求められることは、国民にできあいの「豊かな生活」を提供することではない」とも明言していたのだ。
 国民を「保育器」から解放するとは(規制緩和等により)自己責任領域を拡大し、<国家の保護>を縮小させることだ。当然に既得権益は少なくなり、<格差>も発生する。そのような<格差>を埋めるのがごく簡単には社会保障政策ということになるが、小沢はかつて、政府に求められるのは「国民にできあいの「豊かな生活」を提供することではない」と明言していた。
 私は1993年の著書の考え方が小沢一郎の本音だろう、と推測している。彼の考え方はじつは、彼が逃げ出した自民党与党政権によって少しは実現されてきているのだ。
 しかし、小沢は民主党の代表だからこそ自民党を批判するために<格差の拡大>なんていうことを問題にしているのだ(<格差拡大>か否かの客観的認識の正しさを私は知らない)。選挙対策として、言葉だけの主張をしているわけで、私には何とも奇妙に、かつ小沢一郎を可哀想にすら思う。
 小沢はかつて主として外交・軍事面で<普通の国家に>と主張し(上の本第二部p.101以下のタイトルは「普通の国になれ」だ)、新党さきがけの武村正義が「小さくともキラリと光る国に」と応じたりしていたが(当時も今も、前者・小沢の方がまともだと考える)、あの頃は彼はまだ輝いていた。
 現在は民主党代表という「役割」を演劇・芝居の如く演じているだけではなかろうか。民主党の議席数の増加だけを自らの「役目」として、彼の元来の理念・主張と無関係に、精一杯頑張ろうとしているだけではないのか。
 もう彼も六〇歳代半ばで、心臓に疾患があるという<噂>もある。小沢の心境を想像するとき、ある程度は憐憫の情も、じつは生じる。
 しかし、小沢一郎は、本能的な<選挙>観にもとづいて、国民に自分の本来の理念・主張とは異なる<ウソ>をついていることは間違いない。
 何が<小泉改革による格差…>だ。何が<生活が第一>だ。笑わせるな、と言いたい。自らこそ、かつては<ネオ・リベラル>な主張をし、かつ政府に求められるのは「国民にできあいの「豊かな生活」を提供することではない」と明言していたではないか。さらに普通の国家」としての自立を強調していたではないか。
 ついでに言えば、彼の本来の「民営化」論は、民主党の支持基盤の重要な一つの公務員(労働組合)の利益と衝突するものだ。
 選挙戦術としての小沢一郎の発言に、この<政略家>の言葉に、騙されてはいけない。この<政略家>が率いる政党を支持し勝利させれば、日本に歴史的な禍根を遺すだろう。

0295/小沢一郎とは何者か。同・日本改造計画(1993)を読む-その1。

 小沢一郎という人は、1.十数年前の考え方を今はすっかり変えてしまったか、2.変えてはおらず現在はウソをついているか、のいずれかだろう。
 小沢一郎・日本改造計画(講談社、1993)とは、大きな古書店には4、5冊も並んでいる、小沢が自民党を脱党した頃に出した本だ。この本には、大嶽秀夫の本を紹介する中でも言及し、大嶽のおおよその理解も紹介した(7/17)。
 この本のp.252にはこんな文がある。
 「民主主義の前提が日本人に欠けたまま…実際には民主主義が根づかないまま現在に至っている。…民主主義の土壌をつくるはずの戦後教育も、その使命とは裏腹な方向に進んできたのではないだろうか。自己の確立どころか、非行・犯罪の増加、学校と家庭での暴力、麻薬やエイズの拡大など、青少年の自己の崩壊さえうかがわせる問題が深刻化しているのが現状である。教育がこうした荒廃状況と無関係であるとは、誰も断言できまい。教育改革を断行しなければならない」。
 第一に、こう書いたこの人が現在率いる政党は、なぜ自民党の教育基本法改正案に反対投票したのか。なぜ教育再生関係三(四)法案に反対したのか
 考え方が変わっていないとすれば、自民党に同調だけはしないという<党利党略>のために反対したのだ。理念と行動が一致しないこの人物を私は全く信用していない
 ついでに第二に、上では日本の「民主主義」の未成熟さを嘆いているが、カネにかかわる、<大衆(衆愚)>に解りやすい問題を選挙の争点化し、<生活が第一>などという<大衆(衆愚)>の心に一番響きそうなキャッチフレーズを採用したのはいったい誰なのか
 この小沢という人物は、日本人の<弱点>あるいは<大衆民主主義>=<衆愚政治>の問題点を熟知しつつ、あえて、その弱点を衝いた問題を争点とし、最も<大衆(衆愚)>受けしそうなスローガンを掲げているのだ。
 彼の少なくともかつての考え方が<生活が第一>などと要約できるものでないことは、別の機会に書くだろう。
 小沢という人物は、本気・本意を胸の裡に隠した<策士>だ。さすがに<選挙上手>と言われるだけのことはある。
 すでに読んだ大嶽の本に依れば、小沢一郎とは、かつては、地域・地元利益(自民党)、職業(=公務員・組織労働者)利益(社会党)という<集票構造>を壊そうとした人物ではなかったか。
 それが今はどうだ。街頭にあまり立たず、労働組合の本部や農業団体の事務所をこまめに回って地域・地元利益も職業(=公務員・組織労働者)利益も代表しようとしている。
 この人物を私は全く信用しない。この人の言葉と本音はおそらく全く違う。<政略家>に騙されてはならないだろう。こんな<政略家>が率いる政党を支持し勝利させることは、日本に歴史的な禍根を遺すだろう。

 

0283/マスコミ・出版界(の一部)は何故<反安倍>なのか。

 7/15(日)午後の某テレビ局のなんとか委員会に、講談社の今は某女性月刊誌の編集長だとかいう藤谷英志という者がパネラーとして出演していて、安倍首相・安倍政治に対して明らかに批判的な論調でコメントしていた。それを聴きながら、マスコミ・出版界の少なくとも一部には強固に存在するのだろう<反安倍ムード>を感じることができた。また、藤谷某はそのような人びとの中の典型的な人物のような気がした。
 むろん推測なのだが、安倍首相に対する批判意識の理由の第一は、安倍氏は頭が悪い、というものではないかと感じることがある(上の藤谷某氏の発言の中にもそのように受けとめられる口吻はあった)。その際、むろんこれまた推測なのだが、安倍氏の出身大学が問題にされて(成蹊か成城か、私はじつは正確に記憶していない)、もっと<いい>大学出身のマスコミ・出版界の連中が安倍首相をバカにするにような風潮があるのではないか、と推測している。
 だが、誰でも一般論としては認めるとおり、18ー19歳の時点での特定の分野での知識・能力でもって、現在の、とりわけ政治家としての、能力・技量を判断してはならない。
 先日の7?党党首討論会の模様を録画で概ね観たが、個別政策についての詳しさ、個別政策の全体から見ての位置づけの確かさ等について、安倍晋三は、他の党首に抜きん出て優れている、と感じた。日本共産党の志位某も社会民主党の福島某も東京大学出身の筈だが(民主党の小沢一郎氏は慶応?)、これらに安倍はむろん引けをとってはいない。
 事務所費用問題では歯切れが悪かったし、首相ならぱもう少しゆっくりと堂々と語った方がよいようにも多少は感じたが、数の上では多い野党党首たちを相手とする議論という<修羅場>に十分以上に耐えていた。
 安倍首相はこれまでの自民党総裁=内閣総理大臣の中でも決して政治家としての知見・能力について劣ってはおらず、むしろ優れている方に属するのではないだろうか。たんなる二世議員、「坊ちゃん」政治家ではない。あまたいる自民党議員の中から50歳代前半の若さで総裁(→首相)に選出されたのだから、やはりそれなりの、あるいはそれにふさわしい知見・能力・技量・人格をもっている、と感じる。
 それでも、世の中にはアベとかアベシンゾーとか安倍首相を呼び捨てにして、<低能(脳?)>等々の罵詈雑言を書きまくっているブロガーもいるだろう。6/20に紹介したが、曽野綾子の文章を再び思い出す。
 「素人が現政権の批判をするということほど、気楽な楽しいことはない。総理の悪口を言うということは、最も安全に自分をいい気分にさせる方法である。なぜなら、…これは全く安全な喧嘩の売り方なのである。…相手もあろうに、総理の悪口を言えるのだから、自分も対等に偉くなったような錯覚さえ抱くことができる」。
 安倍首相に対する批判の第二は、その<右派的・(明瞭な)保守派>的立場に向けられていそうだ(この点を上の藤谷はより明確に語っていたと思う)。
 ここで先日も言及したが、平和祈念=革新=進歩的・モダン=そして善軍事を話題に=保守=反動的・伝統的=そして悪、という何ら論証されていない(朝日新聞がかかる雰囲気を醸成しているかもしれない)二項対立的な強いイメージがなお残っていることを感じる。
 そして、マスコミ・出版界の者たち(の一部)にとって重要なことは、<インテリ(と自らを思う者)>は、上の二つのうち前者を採るべきだ、と彼らは無意識にせよ<思い込んで>いると見られる、ということだ。
 <庶民>の目線でなどと言いつつ、彼らの多くは、自らを<庶民>とは自己規定しておらず、<庶民>と区別された<インテリ(の端くれ)>と思っているのではないか(講談社の藤谷の如く、ふつうの会社員・銀行員・公務員とは違う長髪両分けスタイルも一つの<スタイル>なのだろう)。
 そして、上のとおり、(似非インテリのゆえに?)現実ではなく観念が先走って、<軍事を話題にする=保守=伝統的>の方を嫌悪し、その中にいると彼らが断じる安倍首相をかなり強く嫌悪する原因になっているのではなかろうか
 そのようなマスコミ・出版界の者たちが作る紙面・誌面を読まされる多数の国民は、いうまでもなく<被害者>だ。

0277/立花隆の「護憲論」(月刊現代)を嗤う-その6。

 10番目ということにしておくが、立花隆という人は、内容のない罵詈雑言的言辞を好む品性の物書きのようだ。
 私自身もかなり批判的な言葉を使うこともあるので完全に他人事にすることはできないが、立花の表現技術?もなかなかのものである。
 月刊現代8月号p.44によれば、彼のいう「自明の理が見えない政治家は愚か」で、「自明の理が見えずに改憲を叫ぶ政治家は最大限に愚か」で、「金の卵を産む鵞鳥の腹を裂いて殺してしまう農夫と同じように愚か」である。この「愚か」というのは、立花隆お得意の批判の言葉のようだ。相手を見下して、<莫迦>と言っているわけだ。
 こうも言う-「いまの改憲論者のほとんど」は「安倍首相も含めて」、「憲法に関して基本的知識をちゃんと持ち、深くものを考えた上での改憲論者というよりは、頭の中が軽くて浅いだけの軽佻浮薄な改憲論者か、時の勢いに安易に乗るだけの付和雷同型の改憲論者と思われる」。
 本人は気持ちよく書いているのかもしれないが、論理も内容もないこうした殆ど罵倒だけの文章は、改憲論者に対して何の影響も与えないだろう。少なくとも私に対してはそうだ。
 私から見れば、立花隆こそが、「憲法に関して基本的知識をちゃんと持ち、深くものを考えた上での」護憲論者ではない。彼が「頭の中が軽くて浅いだけの軽佻浮薄な、「時の勢いに安易に乗るだけの付和雷同型の」護憲論者である可能性も十分にある。護憲論、とくに九条護持論は巷に溢れており、その中には「軽佻浮薄」あるいは「付和雷同」的なものも多いからだ。
 ところで立花隆は「いずれ軽佻浮薄派と付和雷同型が多数を占めて、憲法改正が実現してしまう日がくると私は見ている」とやや唐突に書いている(p.45)。
 これは一体何だろう。この人が「私の護憲論」を書いているのは憲法改正を阻止したいからではないのか。だとすれば、かりに内心思っていても、こんな予想を書くべきではないのではないか。
 この文を見て、立花隆という人は、歴史又は政治の当事者では全くなく、安全な場所に身を置いて社会を論評する、無責任な評論家だとあらためて感じた。結局は、現実がどうなってもよい、あれこれと自由に論評でき、駄文を綴れる自由があればよいとだけ考えている、歴史という舞台の鑑賞者にすぎないのではないか。
 第一一に、立花隆は憲法九条が「占領軍の押しつけではなく、日本側の発案でできたものだということを明らか」にする、という。
 ここでの「日本側」とは幣原喜重郎のことで、マッカーサーと二人での密室の会談において幣原が提案したという、これまでも語られた又は主張された歴史上の理解の一つだ。但し、支配的見解ではない。
 さて、幣原がかりに提案したのだとしてもそれを「日本側」の発案と表現するのは厳密にはおかしい。内閣の承認を受けた内閣総意の発案ではないし、国会の多数派の意見でも(天皇の意見でも)ないからだ。
 そんなことよりも、そもそも、憲法九条が「占領軍の押しつけではなく、日本側の発案でできたものだということを明らか」にすることによって、立花隆は何が言いたいのだろうか。
 <押しつけ>られたのではなく「日本側の発案」によるものだから、現在及び今後いっさい改正してはならない、ということなはならないことは明らかではないか。
 このことをじつは立花隆も認めている。日経BPのサイト上の連載コラム「改憲狙う国民投票法案の愚・憲法9条のリアルな価値問え」において、立花自身がこう書いていたのだ(今年4月)。
 「
憲法9条を誰が発案したかについては、いまだに多くの議論があり、いずれとも決しがたい。参照すべき資料はすでに出尽くした感があり、いまつづいている議論は、どの資料をどう解釈するかという議論である。同じ人物の同じ発言記録をめぐって、そのときその人がそう発言していたとしても、その真意はこうだった(にちがいない)というような形で、いまだに延々と生産的でない議論がつづいている。
 
私はそのような議論にそれほど価値があるとは思わない」。
 「いま大切なのは、誰が9条を発案したかを解明することではなく(究極の解明は不可能だし、ほとんど無意味)、9条が日本という国家の存在に対して持ってきたリアルな価値を冷静に評価することである」。
 立花隆は月刊現代誌上で、自らつい最近に「生産的でない」とか「それほど価値があるとは思わない」と書いた議論を展開するつもりのようだ(まだ終わっておらず、9月号へと続く)。
 私は幣原発案説は採用し難いと考えている。だが、そんなことよりも、幣原発案説の正しさを論証しようとし、かつかりに論証し得たとして、一体何に役立つのか。立花隆自身が4月に述べていたように、「大切なのは、誰が9条を発案したかを解明することではなく」、9条の現在・今後の存在意義ではないか。
 立花隆は月刊現代の誌面を無駄に費しそうだ。
 なお、このブログでも既述だが、憲法<押しつけ>論に対しては、国民主権原理の明記や基本的人権条項のいくつかは「日本側」の私的な研究会(鈴木安蔵らの「憲法研究会」)の案がかなりの影響を与えた、あるいは採用されたとの議論があり、小西豊治・憲法「押しつけ」論の幻(講談社現代新書、2006)がほぼ全面的にこのテーマを扱っており、実教出版の高校「政治経済」教科書にまで書かれている(執筆はおそらく浦部法穂。6/14参照)。
 立花隆はなぜか、こちらの方には関心はないようで、「憲法全体は基本的に押しつけだったのに、どうも問題の憲法九条だけは…」(p.49)という書き方をしている。
 立花の議論は、どうやら、かなりムラがありそうな気もがする。せっかくの「日本側」の鈴木安蔵らの「憲法研究会」案には一切の言及がないのだから。
 月刊現代9月号発売は先のことになる。とりあえず「嗤う」シリーズはこれで終えておこう。
 立花隆、老いたり、の感が強い。

0276/立花隆の「護憲論」(月刊現代)を嗤う-その5。

 立花隆「私の護憲論」を嗤う、を続ける。対象は月刊現代7月号から8月号(講談社)に移る。
 すでに書いた(批判した)ことなので新しい番号は振らないが、立花隆はこの号でも「日本を世界一の成功国家にした「戦後レジームの国体」とは何であるか。それは、昭和憲法そのものである。なかんずく憲法九条がもたらした国家的リソースの配分のゆとりが、戦後国家日本を成功にみちびいた最大要因」と反復している。
 戦後レジームと日本国憲法の同一視という論理的誤謬をも含むこのような信仰又は<迷信>に嵌ってはいけない。
 「憲法九条がもたらした国家的リソースの配分のゆとり」という部分には、二重の欺瞞が隠されている。
 一つは、正規の軍隊を持った(西)ドイツも韓国も戦後に「成功」した国家の一つと言えるからだ。
 二つは、憲法九条にもかかわらず、立花自身ものちに触れている自衛隊(←保安隊←警察予備隊)が存在し、それに一定のリソースを割かざるを得なかったという事実、及び米軍の駐留経費も相当部分を負担してきたという事実だ。これらを全く無視して立花は論を進めている。
 そして、上に引用した部分のことを<自明の理>とまで言い切っている。失礼ながら、上品ではないが、アホか、と言いたくなる。
 日本の<繁栄>・<成功>の原因は、前回に書いたとおりだ。立花隆の文章を借りれば、前回に私が書いたような「自明の理が見えない立花隆は愚かである。この自明の理が見えずに改憲反対を叫ぶ立花隆は最大限に愚かである」。この<立花隆>の部分に、憲法九条(二項)のおかげで平和と繁栄を達成できたという理由で九条(とくに二項)絶対護持を主張しているどなたを入れても構わない。
 さて、嗤いたい点の第八はつぎのことだ。立花隆は、改憲論の中に「環境権」や「知る権利」を加えたらよいとの加憲論があるが「「環境権」も「知る権利」も、いまさら憲法を改正しなくても、すでにとっくに現行憲法の枠内で十分に認められている」と書く。
 私は大いに嗤いたい。
 立花隆なら知人に弁護士(又は裁判官)も多数いるだろう。その法律専門家に尋ねていただきたい、「環境権」も「知る権利」も、現行憲法の枠内で十分に認められている>か、と。ふつうの専門家であれば、否、と答えるに違いないのだ。
 民事上の「環境権」存在の主張・学説はあるかもしれないが、裁判例は民事上の「環境権」などは一度も認めてはいない(公法上も)。「知る権利」も同様で、憲法によってではなく、情報公開法(法律)や情報公開条例によってはじめて情報開示請求権が認められた、と解されているのだ。憲法(たぶん13条)から直接に導かれる権利とは、せいぜい<私事権(プライバシーの権利)>くらいではないか。
 抽象的・理念的に憲法が援用される程度では「権利」性を語るには十分ではない。
 この上の記述によって、立花隆は自分では憲法・法律に詳しいと思っているのかもしれないが、じつは<法律の素人>であることがよく分かる。
 第九に、立花隆は、憲法を改正しなくても、「自衛隊は憲法違反の存在ではない」と明言する。そして、自衛隊法という「組織法」がちゃんとあり、「毎年約五兆円にも及ぶその存在を支える資金も、毎年の国会審議を経た上で、国家財政から出ている」、「自衛隊は堂々たる合法存在である」と言ってくれている。
 上の方で引用した成功の原因としての「国家的リソースの配分のゆとり」とここで言う「毎年約五兆円
」がどういう関係に立つのか気になるところだが、そして「毎年約五兆円」くらいならまだ「ゆとり」はある(あった)とでも説明しておいてほしいところだが、この問題には言及はない。
 それはともかく、立花隆が「法制局」まで持ち出して言っていることは、要するに、政府解釈と同じく、自衛隊は、憲法九条二項でいう「陸海空軍その他の戦力」に該当しない、ということだ。立花隆においては、今日までの政府の言い分と同じく、自衛隊は「軍」又は「戦力」ではない(それ以外の)「実力」組織なのだ。
 私は、自衛隊は「軍」・「戦力」ではないというのは、きちんと憲法改正されて正規に自衛軍が持てるまでの、<戦後レジーム>の<大ウソ>の最たるものだと考えている。
 世界で有数の上位国となる「毎年約五兆円」の国費が支出され、20万人以上の隊員がおり、迎撃ミサイルも保有している「実力」組織は、常識的にみれば、疑いなく「軍」・「戦力」だろう。
 立花隆は改憲=九条二項の削除による「自衛軍」の認知に反対するために、これまではむしろ政府側がついてきた<大ウソ>に乗っかっているとしか思えない。
 1960年に20歳になった立花隆は、学生としておそらく所謂60年安保反対のデモに参加しただろう。その頃、彼は自衛隊は憲法九条に違反する違憲の組織と考えていなかっただろうか(旧日本社会党は、日本共産党もだが、違憲と主張していた)。その立花隆は考え方を改めたように思われる。いつの頃からかは興味の湧くところだ。
 自衛隊を自衛軍として正規に「軍」・「戦力」と認知するためには、姑息な解釈(「大ウソ」つき)によるのではなく、憲法改正>現九条二項の抹消が必要だ。従って、少なくともこの部分についての改憲は、立花隆がいう「「必要性の誤信」にもとづく」「軽々の変更」(p.44)にはあたらない。<つづく>

0273/立花隆の「護憲論」(月刊現代)を嗤う-その4。

 立花隆月刊現代7月号上の「護憲論」批判を続ける。
 前回からの続きで第五に、立花は、1962年に南原繁が憲法制定過程への不信の発生を予言していた等と高く評価している(p.43)。
 具体的な問題はさておき、立花隆による南原繁の肯定的評価は、同じ彼による<戦後レジーム>の肯定的評価と両立できない、矛盾するものだ。
 南原繁は、1950年5月に吉田茂首相によって「曲学阿世の徒」と揶揄されたが、それは南原が所謂<全面講和>論を唱えた一人だったからだ。<全面講和>論とはソ連や中国との国交回復を伴う、これらの社会主義国をも含めて<講和>すべきとする論で、多数の自由主義国との<講和>による再独立を急いだ吉田茂内閣の方針に反対するものだった。
 しかして、<戦後レジーム>とは何か。立花隆はこの語について詳細な又は厳密な意味づけをしていないので分かりにくいが、日本の<戦後レジーム>の基礎にあるのは、あるいは日本の<戦後レジーム>の前提条件は、日本が自由主義諸国の一員となり、資本主義経済の国として生きていく、ということだろう。
 南原繁が真に日本が社会主義国になることを願っていたかどうかは分からない。しかし、彼を含む<左翼>的又は<進歩的>知識人は、<全面講和>論を主張して、客観的にはソ連や中国の利益になる、少なくともこれらの国に対して<媚び>を売ることをしたのだ。
 ということは、南原繁は、日本の再独立後のそもそもの<戦後>のスタートに際して、現実に築かれた<戦後レジーム>には反対していたのだ。
 一方で南原繁を高く評価し、他方で<戦後レジーム>も肯定的に評価する。これは、大いなる矛盾だ。論理的にも、決定的に破綻している。立花隆が<戦後レジーム>を肯定的に評価するのならば、少なくとも南原繁らの<全面講和>論を厳しく批判しておくべきだ。こうした批判の欠片も語らない立花隆が、知的に誠実な人物とは思えない。<戦後レジーム>を基本的な点で担ったのは、南原繁らとは異なる、別のグループの、現実的かつ良識的な人びとだったのだ。
 ちなみに、岡崎久彦・吉田茂とその時代(PHP文庫、2003。初出2002)p.366はこう書く-「日本のいわゆる進歩的文化人のあいだでは中ソを含む全面講和論が高まっていた。…振り返ってみると、やはりソ連共産党-日本共産党-共産党前衛組織-進歩的文化人というつながりによって、日米講和反対というクレムリンの政策が日本の言論に反映される仕組みになっていたのであろう。…当時の共産主義勢力としては当然やるべきことはやっていただろうことは推察にあまりある。…全面講和論というのは、日本を自由主義陣営の一員として安全に保つという吉田構想による平和条約をつぶすということである」。
 
第六に、これは批判ではなく検討課題として残したい点だが、立花隆は新憲法下の最初の国会開会直後にマッカーサー司令部は憲法「修正」の必要性を「日本政府側に確認して」いるが、「衆議院も参議院も再改正の必要はないとちゃんと回答しているんです」と記述している。
 いったん成立し施行された日本国憲法の改正をGHQも認めていたのに、従って、改正の機会はあったのに、日本側が放棄したのだ、と言いたいように読める。
 上の事実について立花が何を典拠にしているかは分からない。しかし、<再改正の必要なし>との回答は十分にありうるし、非難されるべきものではない。
 なぜなら、GHQの占領が継続している限りはその政策の範囲内でしか憲法改正ができなかっただろうことはほぼ明らかなことで、講和=主権回復を待ってから<自主>的に憲法を改正しようと政府あるいは両議院は考えていたとすれば、それは適切なものだったと思える(現に1955年結成の自由民主党は「自主」憲法制定を謳った)。
 なお、岡崎久彦の上の著p.218-9によると、日本国憲法公布後の1947年1月3日にマッカーサーは吉田茂宛書簡で「憲法施行後一、二年ののち、憲法は公式に再検討されるべきであると連合国は決定した」と通告した、という。また、芦部信喜・憲法第三版(東京大学出版会、2002)p.29にも「極東委員会からの指示で、憲法施行後一年後二年以内に改正の要否につき検討する機会が与えられながら、政府はまったく改正の要なしという態度をとった」との記述がある。
 立花隆が上に書く憲法施行後初の国会開会直後の話は、岡崎の著や芦部の著には出てこない。さらには、 芦部信喜・憲法学Ⅰ(有斐閣、1992)にも、大石眞・日本憲法史〔第二版〕(有斐閣、2005)にも、立花隆が上に書いたような新国会開会直後の話は記載されていない。
 いずれにせよ、1947年1月の段階で将来の憲法改正の可能性を語られても、その時に占領が解除されているかどうかが分からない状況では、岡崎も示唆しているように、吉田茂はいかんとも反応しようがなかっただろう。
 第七に、立花隆は南原繁が国民投票の提案をしていたとし、「そのとき国民投票を行って日本国民の意思を確認していたら、文句なしに、当時は新憲法支持者が圧倒的という結果が出たでしょう」と書いている。
 問題なのは「そのとき」とはいつか、だ。立花はその前に1962年の南原繁の論文から一部引用しているので1962年だとすると、上のように「文句なしに」という結果が出たとは全く考えられない。自主憲法制定(九条改正)を党是とする自民党が第一党だったのであり、国民投票は過半数で決するのだとすると、「確認」ではなく「否認」決定が出た可能性だって十分にある。
 国民投票については上に岡崎久彦著に関して触れた1947年1月3日のマッカーサー書簡も、連合国が必要と考えれば「国民投票の手続を要求するかもしれない」と書いていたようだが(岡崎p.219)、国民投票で「文句なしに」新憲法支持が「圧倒的」に示され得たのは、占領期間中か、法的な疑念を回避するためという目的をもって政府が主導した場合の主権回復直後すみやかな時期(1952年秋くらいまで)ではなかろうか
 その後はとくに鳩山一郎内閣成立以降、憲法改正をめぐっての対立が続き、改憲派が過半数ではなく発議に必要な2/3の議席を獲得できない状況が続いて数十年間は終熄したのだ。
 立花隆は「そのとき」がいつかを明確にしないまま、国民投票をすれば「新憲法支持者が圧倒的」だっただろう、などと書くべきではない。時期によれば、これはとんでもない誤りである可能性が十分にあるというべだ。

0272/立花隆の「護憲論」(月刊現代)を嗤う-その3。

 立花隆の月刊現代7月号上の「護憲論」批判を続ける。
 第三に、立花隆は現憲法が「押しつけ」られたものであることは簡単に肯定し、「押しつけられた」おかげで「歴史上最良の憲法」を持っている、とする。そして、「この憲法のおかげで」「戦後日本というレジームは、日本歴史上最大の成功をおさめ」た、「安倍首相は、戦後レジームをネガティブに捉え、これを根本的に変革」しようとしているが、「戦後レジームこそ、数千年に及ぶ日本の歴史の中で最もポジティブら捉えられてしかるべきレジームだ」とする(p.40-41)。別の箇所から同趣旨を反復すれば、「日本国憲法、とくに憲法九条がつくりだした戦後レジームをなぜそれほどまでに高く評価するかというと、それはこの憲法が、…歴史上最も繁栄させてきたからです。戦後レジームこそ、日本の繁栄の基礎だったからです」。
 さて、ここでの立花の議論の特徴は、<戦後の繁栄>←日本国憲法←とくに九条という単純な思考によっていることだ。九条関係は次に触れることとして、次のような疑問がある。
 第一に、歴史を全面的に又は100%、是か非に評価することはできない。安倍首相もまた、立花が上に言うようには<戦後レジーム>を全面的に又は100%否定しようとしているとは思われない。立花隆には<戦後レジーム>がもたらした日本国家・日本社会・日本人に対する問題点・課題等々が一切見えていない(少なくとも一切記述がない)。彼は全面的に又は100%、<戦後レジーム>を肯定しているのだ。こんな大まかな議論をして、よくぞ評論家・文筆業と名乗っていられるものだと感じる。
 第二に、戦後レジームと日本国憲法をほとんど同一視しているのも特徴だ。憲法の定めに関係なく、又は憲法に制約されない範囲内で、人びとの生活や国家活動がなされうることをこの人は看過している。
 万が一<戦後レジーム>を全面的に又は100%肯定するとしても、そのことは日本国憲法(とくに九条)を全面的に肯定的に評価することには、論理的にも、ならない。憲法外的に又は憲法の範囲で形成されてきた<戦後レジーム>もあるのだ。
 第三に、かりに戦後日本が日本の歴史の中で最も「繁栄」していた(この「繁栄」の意味を立花は詳細には述べていない)ということを認めるとしても(かりに、である)、そのことは<戦後レジーム>を維持すべきであるとの結論には、論理的にも、全くつながらない。
 なぜなら、<戦後レジーム>が今日までで「最もポジティブ」に捉えられるべきレジームだったとしても、そのことは、より高い又はより大きな「繁栄」を将来において導く、<よりよいレジーム>の存在を否定することには全くならないからだ。
 一般的に言って、いかなるレジームにも<賞味期限>があるだろうし、<制度疲労>も生じているだろう。<戦後レジーム>の悪しき部分又は問題点を改めて、新しい時代に対応する<よりよい21世紀レジーム>づくりを目指すべきだ
 立花隆の文章に横溢しているのは、見事な「保守的」気分だ。<戦後>は良かった、今後も維持したい、という、それだけの気分だ。
 現在の日本が抱える国際・国内の具体的問題・課題を忘れて、きわめて大雑把な、きわめて大まかな議論を展開しているにすぎない。
 第四に、立花隆は憲法九条のおかげで軍事費を少なくすることができ諸リソースを民生用に回せたことが、戦後の「未曾有の経済復興と経済成長による国家的繁栄をつくった」、とよく見かける議論を展開している。
 この俗論が誤りであることは、すでに何回か触れたことがある。この議論によるならば、憲法九条二項のような条文を憲法に持たず正規軍を有しているドイツや韓国や、さらにはアメリカもフランスも<経済的繁栄>をしていない筈だが、立派に<繁栄>しているのではないか。軍隊をもつドイツも韓国も、「未曾有の経済復興と経済成長」を遂げた、と言いうるのだ。
 経済的繁栄と軍事費の間には、ほとんどの場合は有意の関係はない。但し、旧を含む社会主義国においては、軍事費の負担が大きすぎて崩壊した国もあったし、崩壊寸前である国家もある。
 立花隆は「この憲法のおかげで…平和のうちに繁栄を続けている」と述べている。但し、立花は、自衛隊という<軍隊まがい>のものがあり、それに世界各国中で上位の費用支出がなされていることには全く言及していない。まるで<実質的軍事費>が戦後一貫してゼロだったかの如き書き方だ。防衛省・自衛隊の存在を考慮せずして、軍事費のなさを経済的繁栄を簡単に結びつけることのできるとは、すばらしく大胆な論理展開だ。
 上の自衛隊の点は別としても、立花隆は、日本人であるなら、次のことくらいは常識として知っておいてほしい。
 戦後日本の平和は、憲法九条(とくに二項)によるのではなく、核兵器を保有してにらみ合った両大国間の冷戦体制、そして日米安保体制のおかげだった。日米安保がなかったならば、日本国憲法の条文がどう書いていても、ソ連軍又は中国軍による<侵略>を受けただろう。あるいは<間接侵略>、すなわち、ソ連共産党や中国共産党と意を通じた勢力が日本の政権を握って、<日本人民共和国>ができ、社会主義的な憲法に変わっていた可能性もある。
 経済的繁栄もまた憲法九条(とくに二項)とは関係がない。ドイツ・韓国の例による反証は上に既に書いたが、「繁栄」という言葉を使うなら、日本が所謂「西側」、自由主義陣営に属して、同じ自由主義諸国に大量に良質の製品を輸出できたからこそ、経済的に「繁栄」できたのだ。むろん日本人(民族)の誠実な努力、独特の技術力や会社経営の仕方等も「繁栄」に寄与しただろう。
 立花隆には戦後の歴史がきちんと「見えて」いるのだろうか。憲法(とくに九条二項)のおかげで「繁栄」した、などという謬論、いや<大ウソ>をつかないで欲しい。自らの声価を将来において決定的に落とし、侮蔑の対象となる原因になるだけだろう。

0271/立花隆の「護憲論」(月刊現代)を嗤う-その2。

 立花隆による月刊現代7月号(講談社)の「護憲論」の嗤うべき点の指摘を続ける。
 前回に続けていうと第二に、立花隆は「たしかに、最終案を煮詰める過程は二週間ほど」だが、「その過程に入る前に、実は数年間にわたる先行研究があるんです」と書く(p.38-39)。
 まるで憲法草案の作成作業が数年間にわたって行われた如くだが、彼の表現を使えば、数年間にわたる先行研究の対象は、戦後の「日本の体制をどう変えればいいか」、「戦争が終わったらどうするか」なのだ。その中に、新しい憲法草案の起草が含まれている筈がない。立花自身がそのように理解されるのを注意深く避けつつ、しかし、そのように誤解されてもよいようにも書いてあり、かなり巧妙な文章になっている。わずか一週間(立花のいう二週間ですらない)で条文原案作りがなされたということを立花隆すら、隠したいのだろう。
 GHQ側の憲法改正の内容に関する考え方が明瞭に示されたのは、松本蒸治委員会案が新聞で報道されたあと、1946年2/03のマッカーサー・ノートによる「三原則」だろう。それは、1.天皇制度の存置、2.戦争放棄、3.封建遺制の排除だった。この時点までは、GHQはこれらの基本的考え方以上の具体的な草案などは全く用意していなかった。立花隆の上の文章はこの点を誤魔化すものだ。
 なお、立花は現憲法三章の「基本的人権の部分は、非常によくできた部分であって、国際的にも評価が高い」としし、さらに現憲法97条を特筆して重要な条文だと言っている。
 考え方の違いになるが、初めて日本国憲法の内容を知ったとき(小学生高学年か中学生だっただろう)、私が一番違和感を持ったのは97条だった(「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである」)。というのは、他の条項はそれぞれ何らかの内容を持っているのに、この97条は「基本的人権」一般の性格を述べているだけで、かつ国民の<心構え>をお節介にも述べているように感じたからだ。今の時点で言えば、これは<美しい作文>であるとの疑問を持ち、自然法による、又は自然権としての基本的人権という考え方にも違和感を持った、ということかもしれない。
 この条文の内容を「人類の共有財産」・「人類共通の遺産」等と高く評価する立花隆は、「人類」の中に全アジア・全アフリカ、イスラム圏の人びとも含めているはずだが、その点は措くとしても、多くの憲法学者とともに、<美しいイデオロギーに嵌っている>。

0269/立花隆の「護憲論」(月刊現代)を嗤う-その1。

 立花隆とは、2年前の中国での反日デモが、日本での1964年東京五輪を前にした1960年安保改定反対の国民的盛り上がりに相当するものと<直感的に>捉え、北京五輪を前にした中国の経済成長段階が日本の1960年頃に達していることの表れとも書いた、その程度の評論家に少なくとも現在は堕落している。
 日本の過去と共産党支配の中国の経済成長段階とを単純に比較しようとする立花隆の感覚は、私の<直感>からして、まともな、冷静なあるいは論理的な評論家・文筆業者ではない(又は、なくなっている)ことを明瞭に示している。
 その立花隆が、月刊現代7月号(講談社)以降に「私の護憲論」なるものを連載している。大いに嗤わせてくれる論文?だ
 立花隆は安倍内閣成立時にも昨年8/15の南原繁関係のシンポジウムの原稿をほとんどそのまま用いて、大部分を南原繁のことに費し、最後にその南原繁の基本的考え方と異なるとする安倍首相を批判するという、タイトルと中身が相当に異なる「安倍晋三「改憲政権」への宣戦布告」と題する論文?を月刊現代の昨年10月号に載せていた。
 今回の護憲論も5/6の講演「現代日本の原点を見つめ直す・南原繁と戦後レジーム」を加筆・修正したもののようだ(p.43の注記参照)。元々はタイトルに<憲法>も<護憲>も入っていないのに、立花隆も出版元の講談社も、講演記録の焼き直しを「護憲論」と銘打ってよくぞ書き、書かせると思うが、昨年のものよりは内容が憲法に相当に関係しているので、まぁ許せる。
 だが、月刊現代のために書き下ろした文章ではないことは確かで、立花隆という人は、こういうふうに一つの原稿をタネにして二度も三度も同じようなことを喋り、執筆して、儲けているわけだ。
 さて、最初の10頁は私には退屈だったというだけだが、妙な記述が10頁めを過ぎると出てくる。以下、嗤いたい点を列挙する。
 第一に、安倍首相が4/24に「現行憲法を起草したのは、憲法に素人のGHQの人たちだった。基本法である以上、成立過程にこだわらざるを得ない」と発言したのを<安倍首相「素人」発言の不見識>との見出しののちに紹介し、「それは全然違うんです。あの草案を作ったのは、全部法律の専門家です。それこそハーバード大学の法科大学院を出て、法曹資格をとり、プロの弁護士をしてきたような連中が陸軍の内部にちゃんと法務官として在職していたわけです」と反論している。
 安倍首相の発言は適切だ。
 立花隆よ、ウソをつくな
 私は4/09にこう書いた。<古関〔彰一〕・新憲法の誕生〔1995、中公文庫〕によれば、民政局行政部内の作業班の運営委員4名のうちケーディス、ハッシー、ラウエルの3名は「弁護士経験を持つ法律家」だった。/小西〔豊治〕の著〔憲法「押しつけ」論の幻(講談社現代新書、2006)〕p.101はホイットニー局長と上の3名は「実務経験を持つ法律家」でかつ「会社法専門の弁護士」という点で共通する、ともいう。「会社法専門」でも米国では問題は広く(州)憲法に関係するとの説明も挿入されている。
 九条護持論者のこの二人の本に依っても、あの草案を作ったのは、全部法律の専門家」などとはとても言えない。運営委員4名のうち3名が「弁護士経験を持つ法律家」だったのであり、1名は異なる。
 さらに、<米国では問題は広く(州)憲法に関係する>とされつつも3人ともに「会社法専門の弁護士」だったと小西著は明記している。そして私はこう書いた。
 <上の二冊を見ても、GHQ案の作成者は法律実務家(当時は軍人)で、米国憲法の基礎にある憲法思想・憲法理論の専門家・研究者でなかったことは間違いない。ましてや基本的にはドイツ又はその中のプロイセン(プロシア)の憲法理論を基礎にした当時までの日本の憲法「思想・理論」を熟知していたとはとても言えない。そしてもちろん、日本の歴史・伝統、天皇制度や神道等々の日本に独自のものに対する十分な知識と理解などおそらくは全くないままに、草案は作られたのだ。米国の!弁護士資格をもつ者が草案作成に関与していたことをもって「まともな」憲法だと言うための根拠にするのは、いじましい、嗤われてよい努力だろう。
 あらためて別の本を参照してみると、百地章・憲法の常識/常識の憲法〔文春新書、2005)p.にはこう書かれてある。
 「草案の起草にあたった民政局のスタッフは、総勢二十一名、アメリカのロ-スクールを出たエリート弁護士等はいたものの、憲法の専門家は含まれていなかった」。
 これによると、民政局行政部の憲法担当幹部の中にはたしかに米国のロ-スクール出身者はいたが、憲法の専門家ではない。また、彼ら以外には、上の「総勢二十一名」の中にロ-スクール出身者はいなかった、というのが実態だ。草案作りの最初の作業をしたのはまさに「法律の素人」の者たちであり、幹部又は上司の中にいたのも、
「会社法専門の弁護士」ではあっても<憲法の専門家>でなかった。「法律の専門家」と<憲法の専門家>とはむろん同じではない。「法律の専門家」であれば<憲法>に関しても専門家だろうというのは、それこそ<素人>判断だ。
 それに、上のかつての私の文章でも指摘しているように、米国の法律等を勉強した米国の法律家が、どれほど的確に又は適切に、歴史も文化も異なる日本の憲法草案を起草することのできる資格があったのか、極めて疑わしい、と言うべきだろう。
 また、中川八洋・正統の憲法/バークの哲学(中公叢書、2001)p.204にはこう書かれてある。
 現憲法の第三章の基本的人権等の諸規定と第十章の97条(これは元来は第三章の一部だった)の「原案は、憲法の素人ばかりのたった三名が書いた。主任がロストウ中佐〔秋月注-法律家とされる上記の三名に入っていない〕、次が…H・E・ワイルズ博士、三人目がベアテ・シロタ嬢であった」。
 重要な<国民の権利及び義務>(現在の章名)について草案諸規定を起草したのは「法律の専門家」では全くない。なお、ベアテ・シロタは百地著によると当時22歳、中川著によると5歳~15歳の間日本に滞在していて語学力が買われ、タイピストとして雇われていた(という程度の)人物だ。
 立花隆よ、<あの草案を作ったのは、全部法律の専門家ですという大ウソをつくな。この辺りの見出しは<立花隆「素人」記述の不見識>が適切だ。
 なお、メモ書きをしておくが、日本政府内に憲法問題調査委員会が作られ(委員長は松本蒸治国務大臣・商法学者)、1945年12/08に松本四原則を発表ののち1946年2/08に改正案を
GHQに提出したが、拒否された。松本改正案の内容を事前に察知していたGHQは1946年2/03にホイットニーに対して草案起草を命じ、一週間後!の2/10に草案(マッカーサー草案)を完成させ、2/13に日本政府に<突きつけた>。  *つづく* 

0244/原武史・滝山コミューン1974(講談社、2007)を読んで。

 原武史・滝山コミューン1974(講談社、2007.05)の書評文に刺激を受けて何か書いたことがあったが、この本そのものを全読了した。
 東久留米市の滝山団地近くにあった七小(第七小学校)という公立小学校での著者の「特異な」経験体験をノンフィクションとしてまとめたもの。
 「特異な」というのは、日教組の影響下にあったと見られる全生研(「全国生活指導研究協議会」)の「学級集団づくり」を実践した教師が同学年の著者とは別の組を担当していて、同組を中心に学年・学校全体が1974年には(大げさにいうと)「コミューン」化した(その翌年には崩壊した)というもの。
 著者によれば、全生研は1959年に日教組教研で生まれた民間教育研究団体で、「人間の尊厳と個性の尊重、平和と民主主義の確立」とともに「個人主義、自由主義的意識を集団主義的なものに変革する」という「社会主義からの影響が濃厚にうかがえる」ものを目的とし、集団=学級は「民主集中制を組織原則とし、単一の目的に向かって統一的に行動する自治的集団」になるべし等と説いた。
 日本共産党員か日本社会党員か、それともいずれかのシンパだったかは分からないが、これを熱心に実践する教師が実際にいて、著者のいた小学校のとくに児童活動を殆ど「乗っ取った」、という話だ。なお、2004年のヒアリングでその教師は、全共闘運動の影響を明確に否定した、という。
 全体を要約することはしない。この経験は、東京郊外の所謂新住民(団地住民)の子供だけで殆ど構成されている「特異な」公立小学校で、「特異な」教師とそれを支持する親たち(そして少なくとも表向きは生徒たち)によって生じたものと思われ、1970年代の教育について一般化はできない(著者の小学校時代は1969~1974年)。
 全生研の運動はクラスを班に分け、班に異なる任務を与えつつ競争させることがまずは出発点のようだが、私には次の点が印象深い。
 全生研は「議会主義的な児童会・生徒会活動」には批判的で「民主と集中直接民主主義と間接民主主義の統一を追究するなかで児童会・生徒会民主主義を発展させようとしてきた」(全生研文献による)(p.107)。
 上の点を象徴するのが、4-6年生の3年間、同じ生徒の組を担当し続けたという熱心な教師の組の生徒が「代表児童委員会」の委員長等に立候補するときに演説の中で言ったという、「代表児童委員会をみんなのものにする」という言葉だ、と思う。
 抽象的で意味不明で何となくニュアンスだけは分かるという表現でもあるが、これこそ、「民主と集中直接民主主義と間接民主主義の統一
」を目指す言葉だと思われる(著者は明記してなかったと思うが、演説原稿に担任教師は筆を入れていると見られる)。
 そしてまた、ルソーの人民主権論をかじった後だからこそ言うと、この言葉は、委員長その他の役員は児童全体と一体のもの、「代表児童委員会」の意見=児童全体の意見というように両者を同一視したいという意味でもあるだろう。すなわち、児童全体の意見と一致した「代表児童委員会」の意見はルソーにおける<一般意思>なのだ。代議制を疑問視し直接民主主義にできるだけ接近させたいとの言葉こそ、「代表児童委員会をみんなのものにしたい」なのだ。
 私の印象・感想は以上に殆ど尽きる。資本主義的又はブルジョア民主主義的な「代議制」又は「間接民主主義」ではない、児童全員=「代表児童委員会」を追求する直接民主主義の方がより「進歩的」との<思い込み>を全生研および上記教師はしていた、と思われる。ルソーの影響が後年の日本の小学校にも残っていた、とも言える。そしてまた、筆者が比喩的にいう「滝山コミューン」という<全体主義>の被害者として、これを批判的に見ていたというのも、ルソーの人民主権論→全体主義(共産主義)という構造が具体的に証明されているようで興味深い。
 この小学校では著者のいた間は君が代斉唱・日章旗掲揚はなされていないようだ。1960年代の前半に小学校生活を終えた私の小学校ではいずれもなされていた(と思う)。「仰げば尊し」も毎年歌った気がする。5-6年のときクラスが班に分割され班長とかがいたが、任務分掌や競争とは無関係だった。私が5-6年生のときの教師はたぶん「全生研」の「学級づくり」運動とは無関係だっただろう。
 それにしても、私よりも10歳以上若い著者は、小学校時代の記録と記憶をよく残していたものだ。また、著者は学者らしいのだが(専門も経歴も調べていない)、自らの小学校時代(とくに4-6年)の話で一冊の本を出版してしまうことに感心するとともに羨望する。振り返ってみて、余程印象深い「滝山コミューン」生活だったのだろう。
 ないものねだりをすればキリがないかもしれない。東久留米市等の区域は「左翼」、とくに日本共産党が強かったというが、教師の運動やそれを支えた親たちと政党の関係をもっと調べて欲しかった、という気もする。
 筆者は最後に、旧教育基本法のもとで「「個人の尊厳」は強調されてきたのか」と問い、「自由よりは平等、個人よりは集団を重んじるこのソビエト型教育」につき語っているが(p.276-7)、やはり筆者の体験は特異なもので一般化できないだろう。戦後教育において「個人の尊厳
」が強調されすぎたとの私の考えに変わりはない。一方でまた、旧軍隊的又は戦時中の「集団主義」教育が「ソビエト型教育」=<社会主義国の教育>と近似していることも忘れてはならないことだろう。
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