秋月瑛二の「憂国」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

西尾幹二

1692/安本美典・2017年7月著。

 「組織集団がある方向にむいている場合、その内部にいる人たちには、組織集団の文化の特異性に、気づきにくくなる。/思い込みと、ある程度の論証の粗雑さとがあれば、どのような結論でもみちびき出せる。当然見えるべきものが見えず、見えないはずのものが見えるようになる」。はじめにⅲ。
 「捏造をひきおこす個人、組織、文化は、捏造をくりかえす傾向があるといわれている」。はじめにⅹ。
 「素朴な人がらのよさを持っている方が、他の分野よりも多いような感じがする。/それだから困ってしまう。/信じたい情報だけを選び、それ以外は無視する」。p.346。
 「私は、…、捏造であるという『信念』を述べているのではない。…である『確率』を述べているのである。/それは、…私が…にあった『確率』を計算して述べているのであって、『信念』を述べているのではないことと同じである。/確率計算は、証明になりうる」が、「宣伝は、証明にならない。/この違いを、ご理解いただけるであろうか」。p.347。
 以上、安本美典・邪馬台国全面戦争-捏造の「畿内説」を撃つ(勉誠出版、2017.07)。
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 「信念」だけで、物事を判断してはいけない。信念とか、<保守の気概>とかの精神論は、理性的判断を誤らせ、人々を誤らさせる狂信・狂熱を呼び起こすに違いない。
 「宣伝」をしてはならないし、それを単純に信頼してもいけない。「宣伝」する者は、事実に反していることを知っていても事実・真実だと偽って「宣伝」することがしばしばある。とくに<政治的論評・主張の分野>では。<評論家・政策研究家>の肩書きの「宣伝員」を信頼してはいけない。
 自戒を込めて、安本美典の文章も読みたい。この人は古代史、かつ「邪馬台国」所在地論争について語っているが、<歴史>全般にかかわるし、現在の種々の<認識・報道・論評>にも関係するだろう。
 上の文章を、日本共産党員に読ませても意味がない。しかし、阿比留瑠比や小川榮太郞には、多少はぶつけてみたい気がする。
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 安本美典は、もう10年前には<卒業>したつもりでいた。
 しかも、しっかりと吸収して、「邪馬台国」北九州説をほとんど迷うことなく支持し、中心地だったとする福岡県甘木市(合併によりいまは朝倉市)も訪れた。さらに、甘木の奥のわが故郷(?)秋月地区も訪れた。
 卑弥呼=天照大神説もほとんど迷うことなく支持していて、実在の人物を反映しているとみられる卑弥呼=天照大神は、3世紀半ば頃の活躍だったと推測している。
 とすると、神武天皇等々の年代も、おおよそのことは判断できる。
 いつぞや皇室の系譜はどこまで実証できるかについて、神武天皇、さらには天照大神にので遡らせることはせず、継体以降は確実だが、とか記したが、実証はほとんど不可能にしても、神武天皇や天照大神「に該当する人物」または人たちはいたのだろうと感じている(但し、血統関係の正確さはよく分からない)。
 安本美典は<神武天皇実在説>なるものに分類されていることもあるようだが、日本書記記載のそのままのかたちで存在していたなどと主張はしていない(はずだ)。
 安本美典は記紀編纂時期までの<天皇の代数>くらいの記憶・記録はあったのではないか、とする。あくまで「代数」で、在位年数とか、在位時代の記述までそのまま彼が「信じて」いるわけではない(はずだ)。
 一定時期以前に関する記紀の叙述を「すべて」作り話とする大勢の学者たちに反発しているのであって、逆に「すべて」がそのまま真実だなどと主張しているわけではない(はずだ)。
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 ちなみに、櫻井よしこは、簡単に「2600年余の」皇統とか平気で書く。
 神武天皇は紀元前660年に「即位」とされているので、以降、1940年は<紀元2600年>だったわけだ。
 しかし、天照大神より後の(とされる)神武天皇が紀元前7世紀の人の可能性は絶無だろう。
 そう<信じたい>・<信念を持ちたい>人は、どうぞご勝手に、なのだが。
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 上のように安本美典を「ほとんど迷うことなく支持」したいのは、その理性的・合理的な説得性による。「確率」の高さの主張かもしれないが、そのとおりだろうなぁ、と感じてしまう。立ち入らないが、余裕があれば、詳細にこの欄で紹介したいくらいだ。
 10年ほど前までに安本の本は読み尽くした感があったので、しばらくはずっと手にしなかった。
 ところが、数年前から、ぶ厚い書物をまだ多く刊行していることに気づいた。これまでの書物をまとめた全集ものかと思ってもいたが、実際に入手してみると、そうではなかった。
 安本美典、1934年~。もう80歳を超えている。そして、上の書物は今年7月の刊行。
 すさまじい精神力と健康さだと思われる。
 この人の本を立てて並べてだけで、2メートルほどの幅になるのではないか。
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 西尾幹二・全集第20巻-江戸のダイナミズム(国書刊行会、2017.04)。
 この本の巻末に、江戸のダイナミズム・原書(文藝春秋、2007)の出版を祝う会の叙述があり(なお、2007年!、としておこう)、その中に「安本美典」の返信文も掲載されている。
 安本美典と西尾幹二は、刊行本を交換し合うような程度の交際はあったらしい。ある程度は「畑」が違うので、西尾の本で安本の名を見て、興味深く思った。
 西尾幹二、1935年~。 
 お二人とも、すごいものだ。
 秋月瑛二は80歳まで絶対に生きられないと決めて(?)いるので、異なる世界に住んでおられるようだ。いくら「信念」があっても、いくら「根性」があっても、致し方ないことはある。

1690/産経新聞8/4社説の「憲法改正」という大ウソ。

 1000万人程度の人はダマされている可能性がある。
 産経新聞8/4社説が前提とする九条二項存置・自衛隊明記は「改憲」だというウソによっても。
 大手新聞社の一つと「日本会議」派によって。恐ろしい。デマだ。
 「憲法改正」について「首相の決意を改めて問いたい。首相と自民党は、改正案の策定や有権者との積極的な対話を通じ、改正への機運を高めてほしい」。
 と産経新聞8/4社説は叫ぶ。
 すでに社説で支持したから、後戻りはできない。伊藤哲夫・櫻井よしこら「日本会議」派が背後にあるとすると、今さら撤退できない。
 と考えてしまうのも、「商売」として、分からなくもない。
 しかし、九条二項存置のままでの、同三項又は九条の二新設による<自衛隊明記>は、本当に「改憲」・「憲法改正」なのか???
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 形の上ではそのようにも思える。
 読売新聞紙上で橋下徹が支持するようなことを発言していたので、秋月瑛二も改憲として「成り立つ」案と考えてしまった。産経新聞や、決定的には「日本会議」派の主張内容を、よく知らなかった。櫻井よしこのアホで奇妙な?論理の方に気が向いてしまった。
 集団的自衛権の行使を認めた2015年平和安全法制の基礎の憲法解釈のエッセンスを明文化するもののように、誤解していた。
 そのような程度の<高尚>さも<高潔>さも、まるでないことが分かった。ただ、<卑しい>。
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 ①「自衛隊」という語をたんに明記したところで、二項があるかぎりは、「戦力」との区別という解釈問題はそのまま残したままになるのであり、何の意味もない。
 ②「自衛隊」という憲法上の新概念が、いまの・現実の「自衛隊」を意味する・表現することになるのでは、全くない。
 ③かりに「自衛隊」という語・概念を使わなくとも、存置される二項との関係で、あるいは二項が残るかぎりは、その組織・機構は、憲法上は「軍その他の戦力」に絶対になりえない。憲法二項が「軍その他の戦力」の不保有をそれこそ<明記>しているからだ。
 ④したがってまた、<二項存置・自衛隊明記>という案は、条文自体を作ることがおそらくは絶対に不可能だと、考えられる。「おそらくは」と限定したが、修辞であって、間違いなく作れない。
 さらに追記する。<かぎりなく軍に近い自衛隊>、<実質的に戦力であるような自衛隊>関係条項を目指すのは結構だが、二項があるかぎりは、絶対に「軍その他戦力」にはなり得ない。パーフェクトになり得ない。また、<かぎりなく…>、<実質的に…>とするために、どうぞ条文案を作っていただきたい。間違いなく、不可能だ、と断言してよい。
 以上は、この数日間に書いたものも参照していただきたい。   
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 産経新聞(社)は「改憲」支持のようだ。秋月瑛二も支持だ
 憲法九条を何とかしたい。二項を削除して、日本が当たり前の国家になってほしい。
 「天皇」とともに、憲法九条・これに関する憲法改正の問題は、個人的にはとっくにカタがついていて、わざわざ論じるまでもない。個人的には、もはや主要な関心事ですらない。
 しかし、錯覚と幻想を与える議論が一部に、あるいは産経新聞や月刊正論(産経)等々で少なくとも1000万人程度にはまき散らされているかと想うと、さらには、一国の総理大臣たる自民党総裁が、<つながりのある>団体又は個人からの示唆によって錯覚と幻想を与えるような議論をさらに拡大している可能性があると想うと、黙ってはおれない。
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 産経新聞が支持する、いったんは安倍晋三が「問題提起として」?語ったかもしれない案は、上記のとおり、「改憲」案ではないし、そもそも成立・実施不可能な案だ。
 西尾幹二が安倍案を<保守への裏切り>としたのは、正当だ。保守は櫻井よしこや日本会議だけでない、としたのも正当だ。
 三浦瑠璃が、憲法解釈上の問題に、読んだ中では最も適確に、立ち入っていると思える。この人のブログ5/4。
 「9条1項2項をそのままに、自衛隊を明記したとしてもこの問題は解決し」ない。/
 「『戦力』ではないところの『自衛隊』とはいったい何なのか」。/
  この「頓珍漢な議論」が温存されてしまう。//紹介、終わり。
 <「戦力」ではないところの「自衛隊」、とはいったい何なのか。
 <「戦力」ではない「自衛隊」を「憲法に明記」する、とはいったい何のことなのか。
 文学的?にではなく、真摯に考察しなければならない。
 産経新聞(社)もまたきっと、ダマされていて、錯覚に陥っている。
 その加害者は、犯人は、いま知り得るかぎりで、「日本会議」役員の伊藤哲夫だ。
 「日本会議」が、日本国民をダマそうとしている。
 櫻井よしこも、産経新聞(社)も「付和雷同」。「日本会議」代表の田久保忠衛はお飾りなので、子細は知らないままで、これまた追従している。櫻井よしこは、そして櫻井=田久保共同代表の<美しい日本の憲法をつくる会>は、広告部隊・運動部隊になっている。

 支持・反対を<政治的に>捉えてはいけない。
 正確にいうと、あらゆる言論や文章は多少とも<政治性>を帯びるとすれば、その<政治性>の色をきわめて濃くして、判断してはいけない。
 「日本会議」の案だからとか、安倍総裁の案だから、とかの理由で支持を決めてしまうのは<きわめて政治的だ>。
 「日本会議」の案だからとか、安倍総裁の案だから、とかの理由でただちに反対するのも<きわめて政治的だ>。
 秋月瑛二は、そんなことはするつもりはない。
 九条に限っても、「改憲」一般・「改憲」それ自体に反対はしないし、むしろ積極的に賛成する(これまでにさんざん書いてきている)。
 しかし、いまの産経新聞支持の<改憲案>・<改憲への道筋>なるものは、幻影だ。
 しかも、ふつうの、まともな九条論を抑止するという意味で、弊害の方が多く、その意味で<犯罪的>だ。
 日本共産党の「別働隊」としての産経新聞・「日本会議」というテーマで、また書く。
 さらに、心づもりはあっても書けなくなってしまうことがしばしばあるので、痕跡を残しておく。-<文学部的保守>が、日本を決定的に悪くした
 池田信夫の<文学部廃止>論、<人文社会系学部(原則)廃止論>に、その基本趣旨に、大賛成だ。

1677/小林よしのり・安倍晋三改憲案と産経新聞。

 小林よしりんこと小林よしのりが、いや小林よしのりことヨシリンだったか、7/28付ブログで(また)面白いことを言っている。
 ①今年5月の安倍晋三改憲案は「ウルトラ欺瞞であって、左翼に媚びた加憲だ」。「『戦後レジームの完成』、自衛隊が永遠に軍隊になれない、盤石な左翼国家の誕生になるからだ」。「アメリカの永久属国憲法になる」からだ。
 ②「本来、社民党の福島瑞穂」らが出すべきもので、そうだったら「猛反対するくせに、安倍晋三が出したら大賛成する」産経新聞は「極左大転向というニュースになっていいくらいだ」。
 まず、①について。なかなか、やはり鋭い。
 秋月瑛二は安倍案は改憲案として「成り立つ」とまず書いた。従来にまるで想定されていなかったとみられる案だったからだ。
 しかし、当然に「成り立つ」と<賛成する>は意味が違うので、いったんネットに載せたあとすみやかに、従来からの現九条2項削除・自衛隊の「軍・戦力」化(<軍・戦力保持)の明記案も「当然に成り立つ」と追記して書いた。
 では安倍案を支持するのかしないのかについては、明言を避けた。
 それは、誰からもこの問題について質問されるような立場にないからだ。秋月瑛二は海底棲息の無名の庶民なのだ。
 だが、どちらにせよ、国民投票に架けられれば、賛成票を投じるだろうとは、思ってきた。どちらにせよ、改憲投票を失敗させるわけにはいかないだろう。
 それに、安倍晋三新案と従前の自民党案を比べての長所・欠点を、政治的なリスクの大小、国民投票で可決の可能性の大小等を含めて、十分に理解しているつもりだからだ。
 上の小林よしのりコメントも、よく分かる。
 永遠にではないにしても、「軍その他の戦力」を憲法上保持しないとする法状態をさらに長く継続させるだろうことに間違いはない、と思われる。
 一方での自衛隊合憲化という意味も、決定的に大きいわけでは全くない。なぜなら、現在において国会も、最高裁判所も自衛隊を「違憲」視していない。国家の実務解釈は自衛隊も合憲であるとしているので、わざわざ国民投票の論点にするまでもない。否決されるというリスクがあることは、読売新聞紙上で棟居快行(むねすえ・としゆき)も指摘していた。2015年の国会での平和安全法制成立について、国民の意思を再度問うようなものでもあるからだ。
 <自衛隊は違憲>とする憲法学者が多い、では十分な理由にならない。憲法学界という<魔境・秘境>の存在を重視しすぎてはいけない。
 もっと他のことを、安倍晋三も言ったはずだ。
 西尾幹二は、安倍晋三案に反対だと明言した。従来の<保守>に対する裏切りではないか、という旨だ。
 この欄に記してきていないが、つぎの二人も、安倍晋三5月九条改憲案に反対だ。
 宮崎哲哉、三浦瑠璃。
 よしりんと西尾幹二を加えると、こうなる。
 宮崎哲哉、三浦瑠璃、小林よしのり、西尾幹二。
つぎに、②について。
安倍晋三案と同じ趣旨のものを社民党等の「左翼」あるいは九条護持派の者が用意していたか、想定していたか、は不明だ。九条を「いじる」ようなことを考えていなかったのではないか。
 また、九条護持派は、正確には少なくとも、A・自衛隊自体が違憲、B・自衛隊自体は違憲ではないが集団的自衛権行使容認は違憲、の二つに分かれる。
 日本共産党の本来の立場、そして党員憲法学者である小沢隆一も明言していたのは、Aだ。一方、非党員・非日本共産党の長谷部恭男はBだ。
 したがって、これらをごっちゃにしてはいけない(小林に言っているのでない)。
 そして、社民党の立場を正確には知らないが、福島瑞穂らもまた日本共産党と同じくAだろう。
 そうすると、「社民党の福島瑞穂」らが提案しそうにはないものと思われる。
 「左翼」、「極左」は思いつかないのが、今回の安倍晋三案ではないか。
 興味深いのはやはり、よしりんイヤ小林よしのりが指摘する、産経新聞の主張だ。
 「何としたたかな男か」とまで書き、本来ならば自分自身の九条2項解釈とは矛盾する(つまりは現憲法と矛盾し、その矛盾する条項を残したままでの)安倍晋三案を「現実的」だとすみやかに支持した、アホとしか思えない「評論家」、「特定保守」運動家がいた。
 櫻井よしこ、だ。
 その後、産経新聞も、社説で支持することを明言した。
 櫻井よしこ、産経新聞が支持していること、「日本会議」役員・幹部ではないとしても伊藤哲夫も支持していること、むしろ伊藤哲夫による示唆の影響を安倍晋三は受けたという説もあることからすると、分かることがある。
 さらには、安倍晋三・自民党総裁のビデオ・メッセージは、櫻井よしこらが代表をしている<美しい日本の憲法をつくる会>らが組織する大会・会議で流されたもののはずだ。
 つまり、「日本会議」が安倍晋三案を支えている。
 この「日本会議」関係者の誰がかは分からない。しかし、誰かだ、またはグループだ。潮匡人が加わっているのかどうか。潮匡人もまたも産経新聞、月刊正論グループにあり、親「日本会議」派だろうと推測される。
 つまり、いまの時点で秋月瑛二が知ることができる、安倍晋三案支持者は、以下。
 櫻井よしこ、伊藤哲夫、産経新聞。(そして、おそらく「日本会議」)。
 月刊正論等をきちんと読めば、もっと人名を挙げられるかもしれない。
 よしりん、イヤ小林よしのりが言うように安倍晋三案が「左翼」または「極左」のものならば、櫻井よしこ、伊藤哲夫、産経新聞、そしておそらく「日本会議」は、全て「左翼」または「極左」化した、ということになる。
 但し、前提は違うだろうとは、上に書いた。
 むろん「左翼」・「極左」ではないからよい、ということには、当然にならない。
 目立つのは、一部にある<安倍晋三にくっ付いていきます>絶対主義の横行だ。
 櫻井よしこは「民進党の倒閣運動」を批判したいようだが、野党というのはつねに「倒閣」を目指すものだ。
 ここでは立ち入らないが、民進党がずさんであるとして、では安倍晋三・安倍昭恵、自民党らにこれっぽっちも問題はなかったのか、は冷静に見ておく必要がある。「日本会議」という背景こそを世論は嫌悪した可能性がほんの少しはあるだろうことに、ほんの少しは気づいているだろうか?
 ついさっき、L・コワコフスキの英語本の「試訳」を文章化していた。
 興味深い言葉の並びがあった。櫻井よしこをはじめとする、「日本会議」派のみなさんに、贈呈しよう。 
 「…は、大量の立身出世主義者(careerists)、寄生者(parasites)、追従者(sycophants)を吸い込んだ」。

1668/中西輝政と西尾幹二③。

 「保身、迎合、付和雷同という現代日本を覆う心象風景は、保守陣営にも確実に及んでいる」。
 以上、中西輝政・歴史通2016年5月号(ワック)、p.96-97。
 人間は生物として個体保存本能があるので、その本性上、「保身」は当然だ。
 何から何を守ろうとするのか。守りたいのは、日本国家か日本人か、自民党か安倍政権か、自分の「顕名」か経済的な利益か、それとも自分の肉体的な生存か。
 何から、守るのか。
 「迎合」して仲良くやっていかないと、この世を安逸に過ごすことはできない。
 誰と、いったい何に「迎合」するのか、その目的は何なのか。と質していくと、「保身」と似たようなことになる。
 「付和雷同」と「迎合」はほとんど同じ意味だろうが、前者の方が意思がなく機械的に追随しているが、後者の「迎合」は少しは意思または選択を混ぜているようだ。
 どちらにせよ、「空気」を読まないといけないし、それで「付和雷同」とか「迎合」とか非難?されるのだとすると、そして「空気」を全く読まないでいると今度は、一人勝手、協調性がないとか、また非難される。
 とかく処世はむつかしい。
 しかし、中西輝政についてよく分からないのは、つぎのようなことだ。
 中西は、「さらば、安倍晋三」と固有名詞を出して、安心して?批判している。
 では、なぜ、「保守派のオピニオン・リーダーたちが八月の『七十年談話』を、しっかり批判しておけば、安倍首相は十二月のあの慰安婦合意に至ることはなかったであろう」とか、「この半年間、私が最も大きな衝撃を受けたのは、心ある日本の保守派とりわけ、そのオピニオン・リーダーたる人々」が「…に対し、ひたすら沈黙を守るか、逆に称賛までして、全く意味のある批判や反論の挙に出ないことだった」とだけしか書かないのか。
 ここにいう心ある?「保守派」のオピニオン・リーダー(たち、たる人々)とは一体、誰々らのことなのか?
 西尾幹二、伊藤隆ら少数?を除く、櫻井よしこ、平川祐弘、渡部昇一ら多数?と、なぜ固有名詞、人名を明記して批判しなかったのだろうか。
 じつはここにも「保身、迎合、付和雷同という現代日本を覆う心象風景」あるいは、日本の腐った?論壇の「心象風景」が覗かせているのではないか。
 中西輝政もまた、「保身」から自由ではない、というべきだろう。
 なぜ、首相の名前は明記することができるのに、「保守派のオピニオンリーダ-」についてはできないのか。素朴な無名の国民、読者には、さっぱり分からない。
 中西輝政の憤懣は、2015年安倍内閣戦後70年談話に先立つ公式の「有識者懇談会」で、自分の見解、意見が軽視されたという、つまりは<馬鹿にされた>という、個人的な契機によるところも大なのではないか。 
 もちろん、櫻井よしこ、平川祐弘、渡部昇一といった(私の言った「アホの5人組」の中の3人とまた合致する)安倍談話積極擁護論者よりも遙かに優れている。
 しかし、誰も、綺麗事、理論・理屈だけでは行動していないし、文章を執筆してもいない。中西輝政先生もまた、「人間」だ。この人は、この事件?があるまでは、けっこう<日本会議>派と仲良くしていたのだ。
 (いかなる組織・個人からも「自由」な秋月瑛二は、「迎合」・「付和雷同」の気分が100%ないし、当たり前のごとく「保身」の意味すらない。)
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 西尾幹二・月刊正論2015年11月号(産経)、p.83-84。
 上の部分に限りはするが、ここでの「大局的な」歴史叙述は、文章が短い、文字数が少ないということだけに原因があるのではない、<誤り>があると、よく読むと感じる。
 典型的には、以下のように理解できる叙述。
 「西欧が創りだしたイデオロギー」の「根はただ一つ、フランス革命思想に端を発している」。p.83。
 左翼・共産主義者と違って<フランス革命>を相対化したい「保守派」が多い。坂本多加雄にもその気配があるとつい今日に感じた。それはよいとして、上のようにフランス革命を見て、その中に、①ファシズム、②共産主義、③アメリカ・イギリス・フランス・ベルギー・オランダといった、レーニンのいう「民主主義」イデオロギーないし「白人文明覇権思想」、の三つ全ての「根」を見る、というのはかなり乱暴だろう。
 なお、③は、秋月瑛二のいう<欧米近代なるもの>あるいは<(近代欧米的)自由・民主主義>だ。
 鋭く知識豊富な西尾幹二の文章にしては、イギリス(スコットランド)・バークの「保守」思想がフランス革命思想と別の系譜を作ったとみられることや、決定的には、マルクス(・エンゲルス)思想の影響力の大きさへの言及が欠けている。後者は、「レーニン」や「共産主義」への言及で足りると判断されているのだろうか。
 いかんせん、思想・イデオロギーの「系譜」を論じるのは乱暴な試みではある。しかし、常識?に反して、フランス革命-マルクス-レーニン・スターリンの「共産主義」および(かつ)ヒトラー等「ファシズム」という把握も、あり得る。かつまた、フランス革命だけが「欧米近代」の「根」なのか。

1660/「日本会議」と日本の保守と安倍一強政治・仮説。

 以下は、仮説だ。
 第一。のちに事務総長となる椛島有三等々は、日本の<保守>運動の主導権を握られるのを怖れて、<新しい歴史教科書をつくる会>設立後に追いかけるように(?)「日本会議」を発足させた。1997年のこと。歴史教科書問題に限らない、という自負が「日本会議」という名称にはあるのかもしれない。
 その当時に<保守>側の民間運動の中心または有力部隊とも見られたかもしれない<新しい歴史教科書をつくる会>に対するヤッカミ、自分たちのそれまでの運動に対するアセリがあった。
 第一の2。事務総長・椛島有三の「日本会議」は、それまでは表向きは併存しかつ協力とているように見えた<新しい歴史教科書をつくる会>を弱体化させることを、最終的に2006年頃には企んだ。
 その工作(?)の有力な対象になったのが、八木秀次だ。
 その際の口説き?文句は、藤岡信勝はニッキョー、つまり元共産党党員だぞ、という脅かし、又は警告だ。
 上の一文については、別途触れたい。
 これにより実際に、分裂した。
 この分裂に加担した「政治屋」の一人は、屋山太郎。平然と片方に同調したのが、渡部昇一。
 <採算>とかを理由にして、「日本会議」側を応援したのが、産経新聞社
 産経新聞-扶桑社、そして分裂した他方の側を出版しているその子会社の育鵬社
 産経新聞社は「商売」として、どちらを選ぶかを判断した。むろん、椛島有三らからの働きかけもあった。決して、<美しい>話ではないし、<単純な経営判断>ではない。
 この分裂頃を最終的な契機として、櫻井よしこは「日本会議」側に明確に立つ。そして、2000年頃のこの人の評論・論評とは異なるスタンスの文章がめっきりと増えるようになり、現在に至る。
 2007年12月、国家基本問題研究所設立、櫻井よしこが理事長
 なお、この直前、2007年秋に、安倍晋三第一次内閣が崩壊。
 中西輝政も、どちらかというと、「日本会議」の側に傾斜。いつか記したが、「日本会議」系の書物を出している。この点で、西尾幹二、藤岡信勝とまるで異なる
 2007年4月刊行の椛島有三の書の<主要参照文献>が、中西輝政、渡部昇一らの本を複数挙げつつ、西尾幹二、藤岡信勝の著を全て無視していることは、すでに記した。
 以上の経緯からしても、産経新聞、月刊正論(産経)がなぜ(たいしたことを書いていないのに)八木秀次を重用しているかも理解できる。
 月刊正論編集部には<八木秀次と○○は大切に>との旨の伝言文書があるのだろう。いや、そんなことは酒席でも引き継げるのかもしれない。
 しかし、ときどきは?、月刊正論に西尾幹二や藤岡信勝を登場させて、<単色ではない>旨を宣伝するために利用する。
 花田紀凱やワック社は、もちろん「商売」、雑誌販売のために櫻井よしこ、渡部昇一あるいは「日本会議」系の人々を利用してきた。いや、持ちつ、もたれつ。国家基本問題「研究所」の評議員とやらにも名を連ねる。
 レーニン関係英語書を見ているおかげで、disguise (偽装する)とか pretend (ふりをする)という言葉に慣れた。あるいは、propaganda (情報宣伝、虚偽情報宣伝、扇動)も。
 以上の「人間的な」ことよりも本来は大切なことだが、「日本会議」は決定的に<反共産主義>性が弱い、または薄い
 このことは大きく、かつ決定的に、日本の<保守>にとっての弊害になっている。
 この点は何度でも触れなければならない。じっくりと、渡部恒雄や水野成夫(二人とも日本共産党の党員経験あり)も含めて、日本の「左翼」をたどってみる必要もある。後者は、フジ・産経グループの祖。
 そして、西尾幹二や藤岡信勝の今日もまた、この「日本会議」史観?にある程度は(彼らの考える「保守」の範囲内で)ある程度は引き摺られている。
 なぜこう書くかというと、1990年代半ば、つまり「つくる会」設立前後あたりの方が、この二人の<反共産主義性>の論調は強かったように感じる。
 とはいえ、まだ櫻井よしこ、渡部昇一、平川祐弘らの<単純民族系>に比べると、はるかにマシなのだが。
 <愛国>は健全なナショナリズムの意味では、当たり前のことで、反・左翼というだけならば、ほとんど意味はない。天皇制度についてはこれまでも触れたし、また触れるだろう。貴重で偉大だったとかりにすれば、日本人が偉大だったのだ。かつ、<日本人は偉大だ>などと殊更に言い募る必要もない。
 この人たち、つまり椛島有三、伊藤哲夫、櫻井よしこらは、日本「民族」の誇り・矜恃を持ちたいだけで、「共産主義」などには理論的にも実践的にも関心が乏しいのではないか
 日ロ戦争後に「五大国と言われるまでになった」とか、戦後に「経済大国」と称されるようになった、というのは、殊の外、この人たちの自尊心?を満足させているように見える。
 しかし、「経済大国」にも俗にいう「光と影」があったのだ。もちろん戦前の「五大国」の一つにも。
 第二。安倍一強政権と言われるほどに(つい最近までは、だが)なって、「日本会議」派は、それを支えてるのはオレたちだ、と主張したくなったのではなかろうか。
 「日本会議」関係国会議員連盟とかがあるらしい。安倍内閣の閣僚のうち、我々と親しい関係のある大臣がこれだけいますと、誇りたくなったのではないか? むろん、稲田朋美もその一人。小池百合子はどうも違ったようだ。産経や月刊正論等の扱いで却って分かるのだが。
 もちろん、国会議員・政治家もまた(安倍晋三もだが)、「日本会議」をそれなりに利用している。その背景にある何百万?、何十万?世帯会員、あるいは産経新聞定期購読者は貴重でかつ固い「票」だ。「日本会議」と神道政治連盟はきっと深く関係がある。神社・神道は私の「心のふるさと」の一つなのに。
 急に「日本会議」批判本がたくさん出るようになったのは、2016年くらいからだろう。
 背景には、安倍一強政治の背景への関心もあっただろうし、安倍晋三に「ネオ・ナチ」とレッテルを貼り、「日本会議」にも系譜的に論及した不破哲三・月刊前衛掲載論考もあった。
 間違いなく、日本共産党の党員の評論家類(青木理、俵義文ら)はそれに沿って動いた。
 しかし、仮説として、また推測として言うのだが、「日本会議」の名前を、その事務総長の存在等々も、以前よりも広く知ってほしくになった者たちが、<左翼>系ジャーナリスト等に(日本共産党の党員であっても)情報を流したのではあるまいか。
 菅野完あたりは、手頃な対象者になりそうだ。菅野の本の出版元は、扶桑社。
 <油断>すると、あるいは<傲慢>になると、そんなことくらいはしそうな人々がいそうに思える
 表向きの新聞やテレビなどは産経新聞も含めて(朝日新聞らはむろんだが)それぞれに<角度が付いて>いる。
 当たり前のことだが、「日本会議」もまた、<謀略・策略>をする団体でもある。
 何らかの意図をもって(全て広義では「政治的意図」だ)働きかけたり、情報宣伝をしたり等をするのは、全て<謀略・策略>でもあると、純真すぎる傾向のあるやにも見える日本人は意識しておく必要がある。
 以上、すべて、仮説、推測。こんな投稿は、真面目に?これまでしたことがなく、きちんと根拠文献を挙げる、という姿勢でずっときたのだが、無名のこんなブログ欄に、この程度のことを記しても、きっと許されるだろう。

1658/中西輝政と西尾幹二②。

 中西輝政・歴史通2016年5月号(ワック)。
 「保身、迎合、付和雷同という現代日本を覆う心象風景は、保守陣営にも確実に及んでいる」。
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 「共産主義は当時からアジアの平和をかき乱す最大の要因だったわけです。それをなぜ、懇談会報告書は無視したのか」。「中国共産党への迎合ではないか」。p.75。
 「歴史問題には、戦後日本が抱え続けてきた『闇』が伏在しているように思えてな」らない。p.76。
 「ロシア革命の1917年ごろから、日本は共産主義の悪しき影響を受け続けてきた」。p.77。
 「戦後日本の政治経済のエスタブリッシュメントが日米関係を最重視する特定の歴史観を『オーソドクシーとして動かさないぞ』という、非常に強い意志がある…」。p.78。
 以上、中西輝政・月刊正論2015年11月号(産経)。
 「20世紀は、四つの大きなイデオロギーに支配された世紀でした」。①ファシズム、②共産主義、③「白人文明覇権思想」、④「アジア主義」。日本の④が「イデオロギーとしては最も貧弱」。20世紀はあとの三つ、「つまり西欧が創り出したイデオロギーによって攪拌された」。p.83。
 「それらの根はただ一つ、フランス革命に端を発して」おり、「アメリカのフェデラリズム」と「ソビエトの革命思想」に流れるものの二つがあった。「それに対するアンチ・フランス革命の思想としてナチズムが生まれた」。p.83。
 「そういう思想どうしの戦い」、「 いわば西洋の『内戦』に日本は否応なく参戦させられた」。中国も「参戦」した。中国は共産主義の側に立ち、日本は「欧米帝国主義に最も近いようでいて、実際にはどれにも属さない形で、西洋の価値観との争いのボーダー上のに自らを置いて歴史を刻んできた」。p.84。
 20世紀の日本には「この三つのイデオロギーが全て入ってき」たが、「どのいずれにも徹底的に属することはしなかった」。常に「どこにも所属しない孤独の中にあった」が、「そういう自己像を、当の日本人自身が把握しきれていない。そこに今日の混乱の根がある」。
 以上、西尾幹二・月刊正論2015年11月号(産経)。
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 少しばかりのコメント。①中西輝政のいう「戦後日本の政治経済のエスタブリッシュメント」なるものがきわめて気になる。読売新聞社も、産経新聞社(フジ・産経グループ)もその中に入っているのではないか。
 ②西尾幹二の歴史把握は鋭いだろうが、分類・系統化に全て賛同するものではない。

1654/中西輝政と西尾幹二。

 相対的にはマシかもしれない西尾幹二や中西輝政も、所詮は自らの「名誉」を気にしながら生きてきていて、秋月瑛二のような無名の庶民には理解できない感覚を持っているのではないかと思ってきている。
 日本の「保守」もまた、このような人たちによって支えられているのではないように思える。
 櫻井よしこや「日本会議」派はむしろ弊害になっている。良識的な人々が「保守」思想に近づくことを阻んでいる。こんなのが「保守」なら、絶対に支持しない、と。
 「保守」系雑誌などにはいっさい登場しない論者たちや、「保守」などとは自称しない無名の多数の人たちの中にこそ、本当の「保守」的な人々はいるのではないか。
 ほんの一年余り前の文章、お二人はきちんと記憶されているだろうか。
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 安倍内閣戦後70年談話(2015)を批判しないで「沈黙している保守系のジャーナリストや評論家の多く」に「何か不純な政治的動機」があるとしたら、「まさしく『政治に譲った歴史認識』の最たるもの」だ。/
 「保身、迎合、付和雷同という現代日本を覆う心象風景は、保守陣営にも確実に及んでいる」。以上p.96-p.97。
 「保守派のオピニオン・リーダーたちが八月の『七十年談話』を、しっかり批判しておけば、安倍首相は十二月のあの慰安婦合意に至ることはなかったであろう」。p.101。
 「この半年間、私が最も大きな衝撃を受けたのは、心ある日本の保守派とりわけ、そのオピニオン・リーダーたる人々」が「安倍政権の歴史認識をめぐる問題に対し、ひたすら沈黙を守るか、逆に称賛までして、全く意味のある批判や反論の挙に出ないことだった」。p.109。
 以上、中西輝政「さらば安倍晋三、もはやこれまで」歴史通2016年5月号(ワック)。
 「九〇年代に日本の名誉を守るために一生懸命調査し議論し論証を重ねてきた人たちは、悲しみが身に染みているに違いない。/
 あのときの論争は何だったのか、という言論のむなしさをひたすら痛恨の思いで振り返らざるを得ないであろう」。p.75。
 「私は本誌『月刊正論』を含む日本の保守言論界は、安倍首相にさんざん利用されっぱなしできているのではないか、という認識を次第に強く持ち始めている。/
 言論界内部においてそうした自己懐疑や自己批判がないのを非常に遺憾に思っている」。p.77。
 以上、西尾幹二「日韓合意、早くも到来した悪夢」月刊正論2016年3月号(産経)。

1637/「日本会議」事務総長・椛島有三著の研究③。

 椛島有三・米ソのアジア戦略と大東亜戦争(明成社、2007.04)。
 一 この本の最終頁はp.219で、もともと長くはない。
 しかし、1頁に横14行、縦36字(14×36)の504文字しか詰まらない作り方をしているので(つまり一つの活字文字が大きいので)、1頁あたりの文字数だけ比ると同年7月刊行の西尾幹二・国家と謝罪(徳間書店)の2/3以下程度しかない。
 したがって、かりにこれと同様の文字数を詰め込むと、最終頁のp.219というのは、じつはp.140からp.150になってしまう。厚さ・外観だけでいうと、かなりの<上げ底>だ。
 二 p.212以下にある、「主要参考資料」の数の多さも目を惹く。
 A<日本人著作関係>が85(冊)、B<外国人著作関係>が34(うち全て英語の原書が11)(冊)、C<論文関係ほか>が、14(件)。計、133件。かつまた、本文の内容との関係は不明なままだ。
 以上は、すでに書いたことの要旨。
 三 何と言っても際立つのが、ある意味では目を剥くのは、この「主要参考資料」に記載されている書物類の著者についての<差別>だ。もう少し各著者について調べてからと思っていたが、とりあえず分かることだけでも記しておこう。
 すでに別のテーマの際に簡単に記したが、①西尾幹二、藤岡信勝のものは、一つもない。一冊も「参考資料」とされていない。
 ②これに対して、中西輝政のものは、堂々とある。
 A/中西輝政・国民の文明史(2003)。
 B/中西輝政・日本文明の興廃(2006)。
 このうちAは、西尾幹二・国民の歴史(1999)のいわば姉妹書のようなものだ。ともに産経新聞社刊行であるとともに、末尾に「新しい歴史教科書をつくる会」の役員名簿が記載されているなど、個人著だが同時に1997年に正式発足の「つくる会」の企画?にもとづいてもいるようだ。
 要するに、この会の「運動」の一つとしても位置づけられるものだったのではないか。
 あらためて確認すると、「編・新しい教科書をつくる会」と、きちんと表紙に記載されていた。
 同じ性質の、同じく日本の歴史全体に関する書物だ。
 しかし、○中西輝政、×西尾幹二。これが歴然としている。なぜか?
 C/西尾幹二=中西輝政・日本文明の主張-『国民の歴史』の衝撃(PHP、2000)。
 これはどうか。西尾著の『国民の歴史』刊行の翌年の二人の対談本。内容は、中西輝政の上のA・Bに相当に重なる(主題がとの意味で、同じ文章があるとの趣旨でない)。
 だが、おそらくきっと、西尾幹二の名があるからだろう。これは×。
 本来のテーマから逸れるが、ここで以下を付記しておく。
 2007年以降にいずれかまで、「日本会議」・椛島有三と中西輝政と関係は良好?だったようで、つぎの二つの著を確認できる。
 D/小堀桂一郎=中西輝政・歴史の書換えが始まった!-コミンテルンと昭和期の真相(明成社、2007.10=<日本の息吹ブックレット>)。「日本の息吹」とは日本会議機関誌(月刊)。
 E/中西輝政・日本会議編・日本人として知っておきたい皇室のこと(PHP、2008.11)。
 2015年安倍内閣戦後70年談話への反応内容等、西尾幹二と中西輝政の二人は「かなり近い」と感じていたが、かつての、こうした<待遇?>の違いは、なぜ?
 なお、DもEも上記椛島有三著の刊行後のもので、当然に<参考資料>には入っていない。
 ③西尾幹二や藤岡信勝の書物がいっさいなくて、なぜこの人等のこの著は記載されるのか、と奇妙に感じるものがある。
 ・加藤陽子・戦争の日本近現代史(2002)。
 ・田原総一朗・日本の戦争(2000)
 その他、朝日新聞社刊のつぎの二つもある。
 ・草柳大蔵・実録満鉄調査部/上・下(1983、朝日新聞社)。
 ・日本国際政治学会太平洋戦争原因研究部編・太平洋戦争への道/1~7(1987、朝日新聞社)。
 自分の理解・主張を支えるものだけでなく、反対のものも挙げられて当然なのだが、そうすると、<日本帝国主義>、<日本の侵略>に関する膨大な日本の「左翼」の書物を挙げる必要がある。上の4つは、椛島有三において、どういう位置づけなのか?
 こんなのもある。
 ・佐藤優・日米開戦の真実(2006)。
 記載されているつぎの本は「大東亜戦争」に関係があったのか、確かめてみたい。
 ・百地章・政教分離とは何か(1997)。
 また、さすがに?、渡部昇一著3冊、渡部昇一編著1冊も堂々と?日本文献の最後にある。
 どう書いてもはっきりしているのは、つぎのことだ。
 西尾幹二、藤岡信勝の著がいっさいない。無視されている。排除されている。
 もともと、多数の「参考資料」をどのように生かしたのかは定かでない、とすでに書いた。したがって、ほとんど<推薦図書>なのではないか、とも書いた。
 そうすると、加藤陽子や田原総一朗の位置づけに読者としては迷うけれども。
 しかし、ともあれ、西尾幹二、藤岡信勝の著がいっさいない、排除されているのは、不思議だ。そして、奇妙だ。
 何らかの<意図>があるに違いない、と考えて当然だ。
 <公平さ>などよりも<政治的判断>を優先する。これ自体を批判するつもりはない。「日本会議」事務総長の本なのだから。
 「日本会議」事務総長の、2007年という時期の本。2007年に、何があったか?

1633/明治維新③-櫻井よしこと五箇条誓文・「日本会議」。

 「十七条の憲法、五か条の御誓文、明治憲法。そこに現されてきた価値観が国家なのです。」2007年5月。
 「十七条の憲法」は、「明治新政府樹立に際して先人たちが真っ先に発布した五箇条の御誓文の内容と重なっています。」2017年3月。
 以上、いずれも、櫻井よしこ
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 以下、①明治維新にも、②<日本会議>研究にも、③日本の「保守」の「2007年」(明記しないが西尾幹二・中西輝政らを含む)にも、全てかかわる。関心の基盤に、共通するところがあるからだ。
 櫻井よしこ・憲法とはなにか(小学館、2000.05)の「第7章」は「今こそ『十七条憲法』『明治憲法』の精神に学ぶ」と題しながらも、「五箇条誓文」への言及を、「明治憲法」の基礎的理念をすでに記していたとか書いてもよさそうなのに、一切していない、ということは先に記した。
 しかし、2007年前半、この年の末にこの人は国家基本問題研究所なる団体の理事長になるが、こう書いていた。
 櫻井よしこ「日本人の価値観/取り戻せ」/東京新聞2007年5月13日付。
 「私は、国家というのは日本人の価値観の塊だと思います。日本人の価値観が国の形となって現れたものがいくつかあります。十七条の憲法、五か条の御誓文、明治憲法。そこに現されてきた価値観が国家なのです」。 
 ここでは、日本国家という「価値観」を示す三つのうち一つとして、「五か条の御誓文」を理解している。
 そして、2017年に月刊正論3月号(産経)で、日本の「保守に求められること」を主題とする文章の中で、上の趣旨と異ならないで、櫻井よしこはこう書いた。
 「日本が自らの価値観を鮮やかに打ち出した十七条の憲法は、…明治新政府樹立に際して先人たちが真っ先に発布した五箇条の御誓文の内容と重なっています。」
 その直後にまた、こう続ける。
 「五箇条の御誓文は一人一人の国民への信頼を基本にして成り立っている点で、民主主義そのものです。」
 この後の文の「民主主義」理解は、<ああ恥ずかしい、こんなに簡単に書いてしまって後世に残るのにとても気の毒だ>という感想をもつ、日本の中学生レベルの文章だろう。
 井沢元彦が「十七条の憲法」第一条の「和を以て貴しとなす」にしばしば言及して、日本と日本人の特質に言及するが、ここでいう<和>と<民主主義>は同じ意味ではないと思われる。
 井沢が指摘するのは<話し合い尊重主義>、今日的にいうと<合議主義>あるいはさらに<議会主義>に連なるもので、<民主主義>そのものではない、と私は理解している。
 民主主義とは国家意思の形成の大元を意味するので(デモクラシー、民衆政体)、国家意思の形成の細かな過程までを問題にするのではないと思われる。国民にあるいは<民衆>や<人民>に結論・基本方向が支持されていれば、民主主義と矛盾しない(とされる。北朝鮮の国名、旧東独の国名など参照)。民主主義と議会主義は同義ではない。五箇条誓文は何を言いたかったのか ? 「公論に決すべし」とはいかなる趣旨か?
 こんな議論をしても、櫻井よしことの間に議論が成立するはずはない。
 櫻井よしこは、中学生レベルの感覚で「民主主義」という語を使っているからだ。
 再び、櫻井の月刊正論3月号の文章に戻る。そして、<五箇条誓文>がどういう脈絡で言及されているかを、確認する。
 上に引用部分のつづき。
 五箇条の御誓文は、①「広く世界に心を開くという点で国際主義です。守るべき価値観の基本は日本の国柄の中にあると強調している点で、この上なく立派な日本の国是です。…グローバル化した現代世界に住む私たちにとっての教訓でもある」。p.85。
 同四条〔旧来の陋習を破り天地の公道に基づけ〕は、②「機能しなくなった制度や価値観は捨て去り、『天地の公道』、つまり、国際社会にあまねく通用する普遍的価値観を取り入れ、その価値観に基づいて日本らしい力を発揮せよという教えです」。
 こう写していて、ああ恥ずかしいと感じてしまう。言葉・観念が、宗教言辞のごとく固まりつつ、どのようなものにも取り憑くことができるように泳いでいる。
 また、明治維新理解も、怪しい。
 上に引用のように五箇条誓文を「明治新政府樹立に際して先人たちが真っ先に発布」したものとするが、厳密にはいつの時点を「明治新政府樹立」と理解しているのかどうか。
 また、ここでは「機能しなくなった制度や価値観は捨て去り…」というが、「機能しなくなった制度や価値観」とはいったい何のことか。
 もちろん、櫻井よしこ大先生は、旧江戸(徳川)幕府の「旧来の陋習」を維持した「制度や価値観」のことを想定しているのだろう。
 しかし、こう単純には言えないことは、日本の少し真面目にこの時期を学習した日本の高校生でも知っているだろう。「機能しなくなった」単純攘夷主義に凝り固まっていたのが(ある時期・通商条約時からある時期・下関戦争頃までの)吉田松陰系の長州藩士たちだった。
 あるいは、こうも言える。「機能しなくなった」制度をやめて<大政奉還>し、新しい制度・国づくりを図ったのは徳川慶喜だった。
 ③「国民を信頼し、国民を尊重してきたのが日本の国柄であることは、五箇条の御誓文の…〔一条・二条〕にも明らかです」。p.87-88。
 これは、憲法改正に向けて国民との議論を展開すべしとの主張の中で語られている。
 それにしても、恥ずかしい。「国民を信頼し、国民を尊重してきたのが日本の国柄」だ、とそう思いたい、思い込みたい、というのはよろしい。しかし、「国民」とか「国家」とかをどういう意味で用い、また日本の歴史にいかほどに習熟したうえで語っているのだろうか。
 ④第五条の言うとおり、「日本だけに閉じこもってはなりません。世界には優れた考えや制度、価値観があります。大いに学びなさい。大いに受け入れなさい。常に柔軟に賢く対処しなさい。そして自身の鍛錬としなさいということでしょう。」p.88。
 まだ続くが、これとほぼ同じ文字数でもって、この第五条を「解釈」し、あるいはこれに基づいて、読者を(?)説教?している。
 このように④まで続けたが、最初の頁(p.84)に、十七条憲法と<五箇条誓文>の二つの「価値観」で支えられていることを認識するのが「保守の基本」だとの根本的テーゼ(?)があることもあらためて追記しておく。
 このような<五箇条誓文>観を、「日本会議」派だとされる伊藤哲夫も抱いていることはすでに記した。
 櫻井よしこも、伊藤哲夫も、明治憲法、そして明治維新(・五箇条誓文)を基本的には(櫻井にとっては全面的に?)素晴らしかった(素晴らしい)ものとして、肯定的に評価している。
 「日本会議」は、その設立文(1997年)で、次のように明確に語る。
 「明治維新に始まるアジアで最初の近代国家の建設は、この国風の輝かしい精華であった。
 明治維新以降の日本の「近代国家の建設」は「輝かしい精華」だった、と考えられている。このような基本的歴史観に立つのが、「日本会議」だ。
 (新撰組、土方歳三・沖田総司が、あるいは「偽官軍」=赤報隊等々は気の毒だなあ。中村半次郎や岡田以蔵らの「人斬り」は、いやきっと井伊直弼白昼殺戮等々も、きっと立派なことだったのだなあ。-とカゲ口も。こういう歴史観によると、孝明天皇の位置づけが困難になる、というカゲ口も。薩長史観=西南雄藩中心史観は<天皇制絶対主義>開始というマルクス主義・講座派史観や基本的に<ブルジョア革命>だったとするマルクス主義・労農派史観の裏返しのような気がするなあ、というカゲ口も。)
 上は、こう続けられる。
 「また、有史以来未曾有の敗戦に際会するも、天皇を国民統合の中心と仰ぐ国柄はいささかも揺らぐことなく、焦土と虚脱感の中から立ち上がった国民の営々たる努力によって、経済大国といわれるまでに発展した。」
 明治維新からは離れるが、「天皇を国民統合の中心と仰ぐ国柄はいささかも揺らぐことなく」、とされていること、そして、その「国柄」のもとで「経済大国といわれるまでに発展した」ことは基本的に肯定的に理解されていること、も確認しておきたい。
 これによると、<戦後レジーム>が全体として消極的・否定的に理解されていることにはならないだろう、ということを確認しておくことが重要かと思われる。
 ---
 この「日本会議」の設立の1997年、いったい何があったか(設立総会は1997年5月)。
 その一年前以内に、「新しい歴史教科書をつくる会」が発足した(総会は1997年1月)
 なお、この欄のつい前回で言及した、西尾幹二=藤岡信勝の共著は1996年に、「つくる会」発足前に、刊行された。
 要するに、「つくる会」を追いかける?ように「日本会議」が設立された。
 2005年末から「内紛」?が始まった「つくる会」は、2007年のうちに「分裂」が決定的になった。そのことは、近接した、7月刊行の西尾幹二・国家と謝罪(徳間書店、2007)の中に書かれてある。
 この西尾著の刊行の直前に、椛島有三著が発行された。同じ年の、2007年4月
 そして、2007年12月、<国家基本問題研究所>が発足して、櫻井よしこが理事長になった(確認できないが、椛島有三が事務局長だったかと思われる)。
 この「研究」所とは、西尾幹二も藤岡信勝も関係がない。役員等をしていない。
 ついでに、椛島有三著研究③も少しだけ、以下にしておこう。
 既述のように、この本には末尾に多数の参考文献が、本の長さに比べれば不釣り合いなほどに、掲載されている。その中には、中西輝政・国民の文明史(産経、2003)等も記載されている。
 しかし、西尾幹二・国民の歴史(産経、1999)等を含む西尾幹二、および藤岡信勝の書物は、主題の<大東亜戦争>あるいは広く日本人の<歴史認識>・<歴史観>と関係があるものも多いにもかかわらず、この二人の書物は、いっさい排除されている
 1997年のこと、2007年のこと、そしてこの2007年刊行の椛島有三著の参考文献記載内容。
 これらは、偶然だとは決して思えない。どこかに、何らかの<意図>があった。
 ---より下は、今後に書きたいことの要旨または予告だ。今年は、2017年。

1632/西尾幹二=藤岡信勝・国民の油断(1996)②。

 西尾幹二=藤岡信勝・国民の油断-歴史教科書が危ない!(PHP文庫、2000.05/原書1996)。
 1995-96年の二人の対談を内容とするこの本で、西尾幹二は「全体主義」について-これは下記の頁ではスターリン、ヒトラー、中国を含むものとして用いられている)、とくに、「運動としての全体主義」、「きわめて能動的な運動としての全体主義」ということを指摘している。p.136。これに対比されるのは、「単なるイデオロギーではありません」ということのようだ。p.136。
 他の本にもあったような気がする。しかし、必ずしも理解しやすい指摘ではない。静態的・状態的にではなく、動態的・行動的に把握すべきとの趣旨だとは分かる。
 しかし、批判しているのでは勿論ないが、昨秋に以下のE・ノルテの本が早くにあることに気づいて、何やら納得した。
 Ernst Nolte, Die Faschistischen Bewegung (独語, 1966).
 これには、つぎの邦訳書がある。しかし、元々の書名は、<… Bewegung>、つまり、<…の運動>が正確だ。
 ドイツ現代史研究会訳・ファシズムの時代/上・下(植村出版、1972)。
 この研究会の代表格は、「訳者あとがき」によると山口定(欧州政治史、立命館大・大阪市立大)だと見られる。
 ともあれ、「ファシズム運動」よりも「ファシズムの時代」の方が、類似の「…時代」と訳せる表題のE・ノルテの書物が未邦訳であることもあり、選ばれたかに見える。
 E. Nolte, Der Faschismus in seiner Epoche(独語, 1963(Taschenbuch, 1984)). 〔ファシズムとその時代=ファシズムの時代(未邦訳)〕
 本体・内容に立ち入らないので、些細な、かつ推測しての、したがって何ら確実性のないことだが、E・ノルテの複数の書物をある程度は読んだ上で、西尾幹二はあえて上のように「運動としての…」ということを強調したかったのではないか。
 リチャード・パイプスはその1994年の著<ボルシェヴィキ体制下のロシア>=Richard Pipes, Russia under Bolshevik Regime (1994)でこう書いていた。試訳は、この欄の3/29付・№1473も参照。
 「1956年にカール・フリートリヒとズビグニュー・ブレジンスキーが発表した、左翼と右翼の独裁制の最初の体系的な比較もまた、歴史的分析というよりも静態的な分析を提示するものだった」。
 ソヴィエト(スターリン?)、ナチスおよびイタリア・ファシズムには共通性がある、つまり一括りできるとたぶん戦後早くに指摘したのだったが、上のごとく「静態的な分析」だとも見られた。
 読まないままで言うのだが、西尾幹二は上記のように、あえて「運動」性を強調している。おそらくは、リチャード・パイプスの上の書物を読んではいない(たぶん、E・ノルテのものは見ている)。
 些細かもしれない情報源探しを、もう一つする。
 西尾幹二は、上の本では(まだ)発見できなかったが、何度か、世界大戦、とりわけ第一次の世界大戦について、ヨーロッパ(欧州)の「内戦」だった、と指摘している。
 この点が重要な論点として選ばれて、指摘されているわけではない。しかし、複数回にわたると、読み手である私の印象に残った。
 たしかに、「世界」大戦を戦った諸国は、第二次とされるものを含めても、多くはヨーロッパ諸国だ。とくに第一次とされるそれは、最初はトルコが、遅れてアメリカと日本が関与しているものの、ほとんど欧州諸国がほとんど欧州の領域内で行った戦争だ。
 <ヨーロッパ内戦>という見方は、十分に首肯できる。また、こういう命名を勝手にして、日本の歴史学もそのまま受容して(させられて)いるのだから、欧州人の<ヨーロッパ=わが世界>という見方がよほど根強いものであるかを感じさせられる。
 今はかつてほどではなく、アジア・日本やイスラム世界への関心は強くはなっているかもしれないが、しかし、欧州又は欧米中心主義はなおも根強いだろう。
 知的世界、学問・研究の分野でも、英語を母国語とする英米(・カナダ)と、ドイツとフランス(・イタリア)およびその他の欧州といったあたりで、いちおうは<完結>しているような印象がある。日本の研究者・読者などは気にすることなく、母国である国の研究者・読者と上の広狭はあるが<欧米>の研究者・読者を意識しておけば足りる。
 日本の学界の閉鎖性・そして世界に(欧米に?)稀な<容共産主義>性は、日本語だけの世界で、日本だけでいちおう<完結>しているためではないか、と思っている。
 また、日本に独特の<特定保守>の存在も、日本語だけで通じさせるしかない、<島国>に特有なことだろう(一般に日本固有のことを否定はしない)。
 学界もメディアも「論壇」も、ある程度の人口と「市場」をもつ日本という国の中で、<閉鎖的に>、<自己完結して>、つまりは日本語の分からない欧米人の批判の目にほとんど全く晒されることなく、活動している。日本共産党なるものの存在もまた、その一つ。
 ソ連解体後に<ユーロ・コミュニズム>もまた解体したことの意味を、ほとんどの日本人は理解していないように思われる。消極的意味での、日本の<特殊性>だ。
 想定外に迂回した。
 世界大戦を「欧州の内戦」と捉えるのは、じつはE・ノルテがずばり行っていたことだった。
 Ernst Nolte, Der europaeische Buergerkrieg 1917 - 1945: Nationalsozialismus und Bolschewismus (独語, 2000). 〔1917年-1945年のヨーロッパ内戦-ナチスとボルシェヴィズム〕
 1917年・「ロシア革命」と1945年・二次大戦終焉=ヒトラー・ナチス崩壊の間の時期を、一つの時代、つまり<ヨーロッパの内戦>の時代と把握する。
 西尾幹二は、これをまた、参照しているのではないか。
 ついでに書くと、E・ノルテはドイツでの<歴史家論争>の一方当事者で、その<歴史観>(敢えて簡潔化すれば、レーニン→ヒトラ-)は、むしろ<多数派>だったのではないかと見られる<左派>のユルゲン・ハーバマス(Jurgen Habermath)らに批判された。
 日本では、ユルゲン・ハーバマスの書物は多数翻訳されていて、岩波書店はこの人の論考類をわざわざ日本で一つにまとめた一冊の書を刊行している。
 しかし、エルンスト・ノルテの上の本は、邦訳書がないまま、15年以上を経た。
 なぜか。ドイツの戦後の書籍の紹介や翻訳でも西尾幹二には奮闘してほしかったと思うのだが、無い物ねだりなのかもしれない。
 西尾幹二を批判しているのではない。立場の違いはあれ、欧州で広く読まれかつ意識されていると思われるE・ノルテ、さらにはフランスのフランソワ・フュレの扱いは、日本では奇妙だ。反共産主義へと進まないようにする、産経新聞社も含む日本のメディア・出版業界での<自主規制>があると考えられる。もちろん、「左翼」学者・研究者が加担しており、朝日新聞社や岩波書店は、それを当然だと思っている。
 <自主規制>。そう、まだ日本は「閉ざされた言語空間」の中にいる。占領が終わって全ての傾向の欧米世界の書籍・論考等が「自由」に流入していると思ったら、大間違いなのだ。
 レシェク・コワコフスキ(Leszek Kolakowski)。この人の「マルクス主義」に関する大著の邦訳書すらない。しかも英訳版発行の1978年から、もうほとんど40年になる。このことを知ったのが、今年になって最も衝撃的なことだった。かなり逸れてしまった。

1629/西尾幹二=藤岡信勝・国民の油断(PHP,1996年)。

 「許してくれるだろうか、僕の若いわがままを。
  解ってくれるだろうか、僕の遙かな彷徨いを。/
  僕の胸の中に語りきれない実りが、たとえ貴女に見えなくとも。」
  小椋佳・木戸をあけて(1971年)より。
 ---
 西尾幹二=藤岡信勝・国民の油断-歴史教科書が危ない!(PHP文庫、2000.05/原書1996)。
一 この書の関連年表によると、前月に記者会見ののち、1997年1月、「新しい歴史教科書をつくる会」設立総会。初代会長は、西尾幹二。
 西尾幹二・国民の歴史(産経、1999/文春文庫、2009)等とともに、この「つくる会」に対する社会的反応はすごかった。当時に日本共産党および「左翼」系の、これに反発する書物は小さいのを含めると100冊を超えたのではないか。また、「新しい教科書」不採択運動も、日本共産党を中心に繰り広げられた。
 当時はまだ、<分裂>していなかった。産経新聞-扶桑社-育鵬社が、2007年以降に、「つくる会」とは別の教科書を発行するに至った。「つくる会」系二教科書とか、あいまいに言われる。
 ついでながら、菅野完・日本会議の研究(2016)は、なぜか<扶桑社新書>
 二 上の本を見てみると、計8章のうち共産主義・社会主義を扱うのは一つだけで、<第4章・ソ連崩壊にも懲りない社会主義幻想-時代遅れの学説で綴られる「独断」史観>だ。但し、他の章でもマルクス主義等に言及があることは、目次で分かる。
 <保守>論者の共産主義(・マルクス主義・社会主義)に関する本(!あるかどうか)や論考類・雑誌記事等をかなり見てきたが、この本程度でも、まだ優れている方だ。
 かつて戦後にも、林達夫(『共産主義的人間』)とか猪木正道(『共産主義の系譜』)とかの骨太反共産主義知識人・研究者はいたと思うが、かつ文芸評論家的<保守>はこんな仕事ができないと思うが、なぜかほとんど消えてしまった。
 中川八洋は<反共産主義>で優れていると思うが、欧米等の戦後から最近までの共産主義・「左翼」運動や議論について、詳細にフォローしていないし、たぶんL・コワコフスキ『マルクス主義の主要潮流』も(この人はたぶん英語を簡単に読めるが)知らないのではないかと思われる。
 また、日本の近年の<共産主義・社会主義陣営>の動きを精確に把握しているわけでもない。基礎にある理論的・理念的な知識・教養が、この人を支えているのだろう。
 三 さて、もう少し細かく、上の本(のとりあえず上の章)を見る。
 まず生じる感想は、スターリン批判が強いが、レーニンまで、あるいは<レーニン主義>まできちんと目が配られていない。当時の私自身の認識・理解ぶりはさて措く。
 例えば、西尾は語る。①「スターリンの犯罪を個人の犯罪と片付けて」いいのか。p.135。
 そのとおりだが、レーニンもまた、すでに「犯罪」者だった。
 ②「ナチス」国家と「スターリン型独裁体制との近似性・類似性…」、ハンナ・アレントはヒトラーのシステムは同じ1930年代に「スターリンの帝国にすっかり類似の形態をとって」具現化していたと指摘した。p.135-6。
 そのとおりだが、しかし、①と同旨だが、レーニン時代はよくて又はまだましでスターリン時代に「全体主義」国家になったのではない(そんなことはハンナ・アレントも言っていない)。
 ③「シュタージ(東独)」と「ゲシュタポ(ナチス)」は構造と様態がよく似ている。p.137。
 そのとおりだろうが、レーニン時代、すでに1918年早くには、ゲペウにつながるソ連の秘密政治警察が作られている(チェカ、初代長官・ジェルジンスキー)。
 東ドイツの類似のものは、スターリンそしてレーニンに行き着く。
 総じて、この時代の日本の知的雰囲気を考えると(悲しいことに現在もまだよく似ているが)、スターリンの批判はまだ許されても、レーニン批判までは進まないことが多い。
 なぜか。レーニン・ロシア革命を擁護する、そしてスターリンは厳しく批判する日本共産党とその周辺共産主義者と「左翼」がいた(いる)からだ。出版社、マスコミを含む。
 スターリンを厳しく批判してレーニンを美化する点では、<トロツキスト>も変わりはないし、日本共産党を離れたりあるいは同党から「除名」されたりした者も、共産主義者・容共産主義で残るかぎりは、日本の特定の共産党を批判しても、レーニンとロシア革命は「否定」しない。
 日本の<保守>派もまた影響を受けているか、そもそも、レーニンとスターリンの違いなどに全く興味を示さない、<そんなことはもう片が付いた、天皇・愛国・日本民族こそ大切>という者が多い。涙が出るが、いずれかがほとんどだ。
 日本でも、<スターリンとヒトラー>を比較した欧米の書物はたぶん複数邦訳書となって出版されている。
 最近に気づいたが、<レーニン、スターリンとヒトラー>と並べた欧米文献はあるが、全く日本では翻訳書が刊行されていない。これは、別にきちんと述べよう。
 四 誰についてもそうだが、西尾幹二は情報のソースまたは思考の方法の根源について、何によっているのだろうと、考えることがある。
 私自身がほんの少しは欧米文献や欧米歴史学界等の雰囲気を知って気づいたことがある。
 それは、西尾幹二は、ドイツのエルンスト・ノルテ(Ernst Nolte)の議論を知っている、ということだ。昨年あたりにようやく気づいたのだから、何の自慢にもならないが、西尾はとくに明記していないものの、1990年代までに、Ernst Nolte の書物を複数、何らかのかたちで参照している。
 長くなったので、もう1回書く。


1623/日本の保守-2006-2007年に何が起こったか①。

 椛島有三・米ソのアジア戦略と大東亜戦争(明成社、2007.04)。
 西尾幹二・国家と謝罪(徳間書店、2007.07)。
 こう書くと西尾の本が後で刊行されているが、その内容のほとんどは前年までに、おそらくは前者よりも早く書かれている。ともあれ、同年の刊行。
 その「あとがき」の副題は、「保守論壇は二つに割れた」だ(2007年6月)。
 その中に収載の「小さな意見の違いは決定的違い」は、2006年夏・秋のことを書いている。
 2007年。この年の初め、第一次安倍晋三内閣だった。まだ2007年の参院選挙はなかった。
 この年の3月下旬、<秋月瑛二の…つぶやき日記>がかつてあった産経・イザ上で始まった(このとき、産経新聞社が運営とは知らなかった)。
 この年の12月、櫻井よしこを理事長とする、(公益財団法人)国家基本問題研究所が発足した。
 2000年頃と、この年のこの時期までの間に(ということはこの年のおそらく前半には)、櫻井よしこは<華麗なる変身>を遂げたもののと見られる。
 つまりは、国家基本問題研究所関係者のむしろ多くが知らないのかもしれないが、椛島有三や伊藤哲夫たちの、つまり「日本会議」派と仲良くなった。あるいは、仲間になった。あるいは、前者が後者に<取り込まれた>。冒頭の著者の椛島は、言わずもがなだが、<日本会議事務総長>。
 この年以降、つまり2008年以降の櫻井よしこの論調と、2000年頃の櫻井よしこの論調は、明らかに異なる。
 西尾幹二は、上の書物全体をその全集には収めてはいないようだ。全集とはいえ、本人編集かつ追記だから、いろいろな想いが重なるのだろう。
 2007年というのは、前年またはさらにその前の年から始まった、新しい歴史教科書を「つくる会」の激変時でもあった。
 「日本教育再生機構」とやらができ、安倍内閣に「教育再生会議」なるものも設置された(今これはどうなっているのか?)。
 これの重要人物が、八木秀次。今年になって私が名づけた天皇譲位問題に関する「アホ」の一人(櫻井よしことともに)。
 この欄で言及した記憶があるが(たぶん雑誌上のものを読んで)、西尾は上の本に「八木秀次君には『戦う保守』の気概がない」と題する文章を収載している(諸君!2006年年8月号のもの)。
 こうしたものを含む単行本が7月末日付で刊行されており、上の椛島有三著は4月が刊行月になっている。そして、この年の最後の月、櫻井よしこは「研究」所理事長になった。
 以上のことは、いつでも記せるような内容だった。
 小林よしのりの本を併せて読むと、もっといろいろなことが分かるはずだ(所持しており、読んではいる)。
 10年後の今に残る「分裂」・「対立」について、誰かがきちんと総括しておかないと、日本の<保守>に未来はないのではないか。
 中西輝政は、いったいどうやって<世渡り>をしてきたのか。さらに言えば、西尾幹二ですら、その後どうやって<世渡り>をしてきたのか。なぜ月刊正論や産経新聞に執筆できるのだろう。
 無名の、大洋の底の貝のごとき秋月瑛二が、何かを記しておく意味がほんの少しはあるかもしれない。
 もう一度書いておこうか。
 ①2006年~2007年、櫻井よしこは<変身>した。あるいは<変節>した。あるいは、<狂信>先が明確になった、と思われる。
 ②この頃のことを、誰かがきちんと総括しておかないと、日本の<保守>はダメだ。もっとも、秋月瑛二は<自由と反共産主義>に執着しており、<保守>か否かは全くの副次的な関心主題にすぎないのだが。

1607/産経新聞「正論」欄担当者の姑息・卑しさ-西尾幹二に関連して。

 西尾幹二の Internet 日記6/2付によると、産経新聞6/1付「正論」欄での西尾原稿の一部はつぎのような変更・修正を求められて、西尾も最終的には了解したという。
 元原稿/「櫻井よしこ氏は五月二十五日付『週刊新潮』で、『現実』という言葉を何度も用い、こう述べている。」
 変更後/「現実主義を標榜する保守論壇の一人は『週刊新潮』(5月25日号)の連載コラムで「現実」という言葉を何度も用いて、こう述べている。』
 西尾によると、産経新聞側の要請内容はつぎの①で、つぎの②の理由によるものだった。
 ①「櫻井氏の名前は出さないで欲しい」、②「同じ正論執筆メンバー同志の仲間割れのようなイメージは望ましくないから」。
 これに従わないと、「正論」欄への投稿それ自体ができないと怖れたのかのかどうか、西尾は最終的にはこれに従ったようだ。これに<抵抗>できないのかどうか、気にはなる。最終的・形式的には西尾は「同意」している。
 しかし、最終的・形式的な「同意」があったとしても、このような変更・修正の「要請」の適切さを別に問題にすることはなお可能だ。 
 例えば、このような変更・修正の「要請」の趣旨・意図はいったい何で、その元来の意図はそれで達せられているのだろうか。
 印象としては、結局のところ、産経新聞担当者の<事なかれ主義>がさせたこととしか思われない。
 なぜなら、第一に、「同じ正論執筆メンバー同志の仲間割れのようなイメージは望ましくない」というが、西尾幹二と櫻井よしこに見解の相違があるのは事実だ。表向きに個人名を出そうと出すまいと、その事実を変えることはできない。
 担当者は「イメージ」が「望ましくない」と言ったらしいが、事実はどうあれ、表向きの「イメージ」だけは保ちたいというのだから、まさに本質・事実無視の<表面取り繕い主義>、上辺とイメージの方を重視するという、省庁や企業に全くよくありがちな<表面・形式主義>だ。
 これを解消するのはおそらく一つしかない。つまり、櫻井よしこを批判する論者を「正論」執筆メンバーに加えないこと、逆に西尾幹二が批判する論者を「正論」執筆メンバーに加えないこと。
 このいずれもしないでおいて、批判するときには個人の「名前は出さないでほしい」というのは、本来は矛盾している。論者・執筆者の表現・文章作成の自由を制限している。
 しかしてまた、そもそも「正論」執筆メンバーなるものが<全体主義>的にまたは<産経新聞一党独裁>的に諸問題について同一の見解・主張を持っていないとすれば、たまたまそれらの者たちの間で意見の相違が生じて、異見者を批判したくなること、異見者を批判すべきと考えることもあるだろう。そしてそれは、新聞社側には、文章・原稿が提出されてみないと分からないことだ。
 そうであるのに、文章・原稿の提出を受けたあとで批判先の個人の「名前は出さないでほしい」と要請するのは、<理に叶っている>だろうか
 もともと「正論」欄の一定の執筆陣・執筆担当者に意見の相違があってもよい、ということを承認しているとすれば、特定の個人名を出すか出さないかは、全く些細な問題のはずだ。個人名を出さなかったからといって、週刊新潮に執筆している「保守論壇の一人」程度ですでに実質的には特定されている。いったい何の意味があるのか?
 産経新聞担当者はあるいは、週刊新潮に執筆している「保守論壇の一人」が誰であるか分からない読者もいるので、その人たちには特定個人名(櫻井よしこ)を隠したい、と考えたのかもしれない。
 しかし、これもおかしい。
 産経新聞というのは、自由で公平な新聞・ジャーナリズムの一端を担っているつもりなのだろう。その新聞が<分からない読者は分からないままにしておけ>という態度を採ってよいのだろうか。
 今回の事案では元来はすでに、「正論」欄執筆メンバーの表現・文章作成の自由を、産経新聞の担当者は実質的に制限している。読者の「知る権利」などという<理念>などは、あるいは<情報の自由な流通という理念>などは、かんたんに吹っ飛んでいるのだろう。
 なぜか。こうした実態は、つまり「正論」欄執筆者相互では<名指し>の批判はしない、ということは、産経新聞の慣行上の<不文律>になっていて、たまたま西尾幹二がこれを侵犯した、ということなのか?
 しかし、この場合でも、この<不文律>はおかしい、自由な言論機関がこんな慣行でもっていったん執筆メンバーに加えた言論人・論壇人を縛るべきではない、という立論も当然に成り立つ
 なぜか。産経新聞の担当者は、櫻井よしこを守りたいだけではないのだろうか。
 <櫻井よしこさんの名前が特定されていましたが、削ってもらっておきましたよ>と櫻井に伝えて、<心おぼえ>をよろしくしたいだけではないだろうか。
 櫻井よしこにしてみれば、-これも本当は奇妙なのだが-自分の名前が直接に出ているよりは、週刊新潮・「保守」、という程度の方が<心穏やか>かもしれない。
 そうした櫻井よしこの個人的心情を<忖度>したのが、産経新聞「正論」欄担当者(新聞全体の編集者との関係はよく知らない)ではあるまいか
 産経新聞の阿比留瑠比は、東京新聞の内部的混乱を批判して東京新聞の<自由な言語空間>のなさを揶揄していた。
 はたして、産経新聞には<自由な言語空間>はあるのか。産経新聞にもまた<閉ざされた>面はないか。
 <月刊正論>(産経)は、執筆者の構成から当然に<自由な>雑誌ではない。それは出版・編集の<自由>というものがあるからで、特定の論者(例えば、高森明勅とか所功とか小林よしのりとか)を排除する「政治」性があっても、そういう編集方針またはその上の、私企業の月刊誌出版方針を尊重するのが<自由>尊重の日本の基本的考え方だ。
 しかし、新聞についても同じではあるのだが、いったん産経新聞上の「正論」欄執筆者の一人として迎えて原稿を依頼しておきながら、①「櫻井氏の名前は出さないで欲しい」と、②「同じ正論執筆メンバー同志の仲間割れのようなイメージは望ましくないから」という理由で<要請>または<誘導>するのは、「編集の自由」のうちに含まれるのだろうか。
 あるいは論理的・概念的にそれとかりに抵触しない(産経新聞側の法的「自由」の中にある)としても、このような<要請>・<誘導>が相手方以外のものの個人的心情の<忖度>や、ばかばかしい当該欄の表向きの「イメージ」の維持という<事なかれ主義>に動機があるのだとすれば、それは姑息で<卑しい>ものではないか。
 そしてその「姑息で卑しい」心理によって、一人の原稿執筆者・提出者の<心情>を少しでも害することがあってよいのか。
 新聞社・雑誌出版社、これらの<出版・編集の自由>と<表現の自由>・<原稿執筆の自由>との関係について、あるいは<情報の自由な流通>というものについて、考えさせられる。
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 編集者の意向の範囲内で(これが先ずは絶対に大切)、締め切り期日を、そして限度文字数を守って、原稿をきちんと提出してくれる「文筆業者」=「文章作成請負人」=「文筆で食って、顕名欲を充たしているだけの人々」をめぐっては、こういう問題を考えさせられることは、きっとない。<出版・編集の自由>と<表現の自由>・<原稿執筆の自由>の対立が生じないような「心得」=「俗世間の智恵」がお互いにあるからだ。
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 以上、一気に書いたので、論理的整合性、関連づけが不足するところがあるかもしれない。

1605/櫻井よしこや日本会議は保守の核心層ではないー西尾幹二。

 遅れてようやく気づいた。西尾幹二の産経新聞6/1付「正論」欄を読んだ。
 一 産経新聞を購読していないからでもある。<歴史右/安保右>でなくなって読売新聞ととともに<歴史左/安保右>では、この基本点に関するかぎりは、産経新聞と読売新聞は変わりないだろう。となると当然に、より多くの国民・有権者が知ることとなる情報を掲載している新聞の方を読みたくなる。
 二 西尾幹二の主張内容は、当然に成り立つ。少なくともある時期は一項を含めての九条改正を主張していた田久保忠衛や産経新聞社案を除いて、自民党を含む大多数派改憲論者は、現二項を削除しての自衛隊の実質的「軍その他の戦力」化を構想していたからだ(第一次の自民党(桝添要一担当責任者)案では「防衛軍」、現案では「国防軍」)。
 三 上のある意味では当然にありうる主張内容とは別に、西尾が同インターネット日誌上で明らかにしていることの方が、はるかに興味をそそる。
 上の産経新聞用原稿で「文章の分量が完全にはみ出ていた」ので「勿論これは削除された」、「再録しておく」という部分だ。
 一つは憲法九条関連改正にかかる5月安倍晋三発言の経緯だ。
 本当に西尾幹二が書いているとおりだとすると、げんなりする。
 だが、かりにそうだとしても、伊藤哲夫の主張内容もどうも怪しいことは、以下で述べる。
 二つは、産経新聞も同様だろうが、安倍晋三案にどういう反応をすべきかについて<保守>の側に一定の混乱を生じさせているだろうことは間違いないないだろう。
 櫻井よしこらのように(「少々の」法的矛盾を意識しつつも!)さっそく安倍晋三に「迎合」する、<阿諛追従>一色の<保守>の人々ばかりでもないだろう。
 その意味でまさに、「櫻井よしこ氏や日本会議は保守の核心層ではない」。
 西尾幹二の言うように、安倍晋三に対して「保守の核心層もそろそろ愛想をつかし始めているのではないだろうか」、とも思われる。
 もっとも「保守の核心層」も一義的に明確な言葉ではなく、「核心」か否かは「真」か「偽り」か、「正統」か「修正」かという価値評価にかかわるし、もともと「保守」とは何かも問題になる。
 そうした意味で「核心」なのかは別として、しかし、櫻井よしこなる私から見れば多くの点で信用できない単純素朴な観念主義の「文筆業者」がえらく<保守産業>界で人気があるのはたしかなようで、産経新聞社・正論は<一冊まるごと・櫻井よしこさん>を別冊として恥ずかしげもなく発行し、月刊Hanadaと月刊WiLLの現編集長(花田紀凱ら)は二人とも櫻井よしこを理事長とする「国家基本問題研究所」の評議員で<理事長-評議員>という上・下の関係に(形式上は)なっている。したがって、あくまで印象またはたんなる<数合わせ>では櫻井よしこら「観念派」・「原理主義派」あるいは「特定保守」の方が-悲喜劇として-優勢であるような観はある。
 もっとも、左から右まで、共産党・「左翼」からレベルなき評論家や現憲法無効論者までが揃い踏みの奇怪・奇態きわまりない月刊日本(KKプレス)という月刊誌は櫻井よしこを批判しているようだが。
 そうした中でしかし、言葉の意味の問題はあろうとも、西尾幹二が「櫻井よしこや日本会議は保守の核心層ではない」と言ってくれているのは、勇気づけられる。
 「左翼」でもそうでなくとも、様子見、「どっちが得かようく考えてみよう」とする待機主義、身内迎合、要するに<日和見>主義者はいくらでもいる。
 西尾幹二のように<自由・独立>の人間がいてくれないと困る。*この論点は注釈がいるが今回は省略。
 四 西尾が参照している伊藤哲夫等々に関する資料を入手できない。
 しかし、伊藤哲夫所長の日本政策研究センターのウェブサイトに掲載されている伊藤自身の文章とされるもの(『明日への選択』平成29年6月号掲載らしい)は、どうも怪しい。
 「怪しい」というのは、つぎのような意味でだ。
 現一・二項を存置したままで新三項または新九条の二を挿入する場合に、当然にその条文・文章内容をどうするかが問題になる。
 伊藤は次のように記す。「改憲論議を一変させた『安倍発言』」2017年6月1日。
 「3項の内容をどうするのかということが議論の中心課題」になる。「首相の案は、ただ現在の自衛隊をそのまま認めるだけにも見えるが、果たしてそれしか道はないのか」。「それに留まらず、自衛隊を『自衛のための戦力』として認める道はないのか。問題は3項の内容にかかっており、公明党の立場を考えればことは簡単ではないが、何とか根本的解決により近い案になるよう、今後議員諸兄には大いに知恵を絞ってほしい」。
 この文章は、ほとんど<アホ>に近い部分を含んでいる。従来の<保守>派の構想にも配慮しているつもりなのかもしれない。
 「それに留まらず、自衛隊を『自衛のための戦力』として認める道はないのか」。
 伊藤哲夫をもともと何ら信頼していないのだが、この一文はひどいだろう。
 つまり、二項「軍その他の戦力は…保持しない」を残しつつ、「自衛隊を『自衛のための戦力』」と認める方策はないのか、と言っている。
 憲法でも法律でも離れたところにある同じ言葉・概念が異なる意味で解釈されるということはある。
 法律が違えば、同じ言葉・概念でも異なる範囲・意味をもつことが当然にありうる。
 しかし、現二項の直後の三項(九条の二でもよい)で、『自衛のための戦力』を認めることは、二項と三項が明らかに矛盾・抵触しあうことになる。「戦力」という語をともに使うからだ。
 これを回避するには現二項の<目的>規定に意味を持たせる(「自衛」目的の軍・戦力は二項は禁止していない)ように解釈すればよい。しかし、もしそうならば、新三項がなくとも、現在でも自衛隊は「軍その他の戦力」だと解釈できるのであり、新三項追加などは必要がない。
 現二項の<目的>規定(芦田修正)に意味はないものとしているのが政府・実務解釈だからこそ、安倍晋三提言も出てきているのだ・
 伊藤哲夫はいったい何を「つぶやいて」いるのか?
 伊藤は何やら「智恵者」らしくあるが、本当は憲法または法的議論の基礎的なところをまるで分かっていないのではなかろうか。
 これでは、安倍晋三も、安倍支持の議員・政治家たちも、条文作りに困るだろう。
 その条文を伊藤哲夫が用意していないことも、上から分かる。西修の<私的解釈>を今さら前提にするわけにはいかない。百地章に相談をしていないだろう。また、相談しても無意味だろうが、八木秀次が伊藤哲夫案の作成に協力したのでもなさそうだ。
 五 天皇譲位問題につづいて、「特定保守」派の無知・無責任さを曝け出すことになるのかどうか。
 しかし、どういう経緯であれ安倍晋三は自ら率先して語ってしまっているので、ウヤムヤにもできない。
 西尾幹二のような主張は当然にありうることは予期しているだろうから、内心は少しは困っているのではないか。
 この1年、天皇(生前)退位問題の登場や、二項存置・自衛隊容認規定新設案の登場など、想定していなかった憲法上の論点が出てきている。これからもさらにあるかもしれない。

1569/「日本会議」事務総長・椛島有三著の研究②。

 「一九七〇年にかけては、ひょっとすると、僕も、ペンを捨てて武士の道に帰らなければならないかもしれません。/
 東京の話題といふと大学問題ばかりで、ほかのことは何一つありません。たのしい時代は永遠にすぎさりました。しかし、たのしくない時代も、亦、それなりにたのしいものですね。」
 三島由紀夫全集第38巻443-4頁(新潮社、2004)、1969年2月2日/D・キーンへの書簡より。
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 椛島有三・米ソのアジア戦略と大東亜戦争(明成社、2007.04)。
 この本を手にして捲ってみて、すぐに気づくのは、活字の文字が大きいことだ。
 小学校高学年生の教科書よりも、大きな字ではないか。
 たまたま手近にあった、外形がほとんど同じ(たぶんB5版)のつぎの二つと、一頁あたりの行数、縦の文字数を比べてみた。
 各著の中でとくに大きくも細かくもない、つまり各著では標準の行数・縦文字数だと思われる、(頁数印刷の)100頁めのところで計算してみる。
 ①椛島有三・米ソのアジア戦略と大東亜戦争(明成社、2007.04)。
  横14行、縦36字。14×36=504文字(一頁に印刷可能)。
 ②母利美和・井伊直弼/幕末維新の個性6(吉川弘文館、2006.05)。
  横16行、縦45字。16×45=720文字(一頁に印刷可能)。
 ③西尾幹二・国家と謝罪(徳間書店、2007.07)。
  横18行、縦43字。18×43=774文字(一頁に印刷可能)。
 やはり、違いは歴然としている。
 ①椛島著は、②母利著の5/7以下、③西尾著の2/3以下しか、文字数がない(つまり活字が大きい)。
 したがって最終頁は、①p.219、②p.244、③p.315、なのだが、①椛島著は③西尾著と同じ組み方をすると、計140頁くらいにしかならないと思われる。
 ①椛島著は、②母利著と同じ組み方をしても、計153頁くらいだ。
 要するに、一見はふつうの書物のようにも感じるが、実際は、長さだけでいうと、140~150頁の本だ。
 つぎに、体裁的にも異様に感じるのは、<主要参考資料一覧>としてp.212以下にある、「主要参考資料」の数の多さだ。
 数えてみると、A<日本人著作関係>が85(冊)、B<外国人著作関係>が34で、うち全て英語の原書が11(冊)、C<論文関係ほか>が、14(件)。
 もともとこの一覧を含めて219頁の本で、上記のように、実際には140-150頁の本だと見てよい。
 この長さの本にしては、この「参考資料」の件数は、つまり合計133(冊+件)は、異様に多すぎるのではないだろうか。
 しかも、「主要」なものに限っている、とされる!。   
 「主要」なものだけで、極論すれば、一頁あたり一冊の専門?書または一件の専門?論文が使われている。
 常識的には、こんなことはありえない。これほど多数の「主要」参考文献を用いれば、書物自体の長さ、大きさがもっとはるかに長く大きいものになつているだろう。
 また、本文の内容を読んでも、これだけ多数の文献を駆使した、かつ綿密な、密度の濃いものになっているとも感じられない。
 したがっておそらく、<主要参考資料一覧>というのは、この書物を書くために実際に(基礎的であれ直接にであれ)用いたものではなく、多くは、著者・椛島有三が「気に入っている」または読者に「推薦したい」書物等の<一覧>なのだと思われる。
 繰り返すが、もともとでも219頁の本に、計133冊・件という「参考資料」の数は多すぎる。しかもそのうち、単行本和書85、同翻訳書23、洋書11、という数字なのだ。
 これらをよほどうまく「参考」にして吸収したうえで、かつ要領よくまとめないと、219頁(実際は140-150頁)の書物にはならない。それだけの吸収と概括が本文にあるようには、日本史・戦前史の素人である私には思えない。なお、個別の章等のあとには、「参考文献」の提示はない。まとめて最後に、<一覧>が示されている。
 さて、<保守>論者の諸文献を少しは読んで、かつ所持もしている秋月瑛二の目から見ると、この<主要参考資料>の掲載の仕方・内容は、あくまで主観的にだが、きわめて異様だ。
 つづく。

1566/『自由と反共産主義』者の三つの闘い⑥-共産主義とリベラル民主主義。。

 「池よりも、湖よりも海よりも、深い涙を知るために。/
  月よりも、太陽よりも星よりも、遠くはるかな旅をして。」
 小椋佳・ほんの二つで死んでゆく(1973)より。作詞・小椋佳。
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 1) 「民主主義対ファシズム」という虚偽宣伝(デマ)
 2) 反「共産主義(communism)」-強いていえば、「自由主義」
 3) 反Liberal Democracy-強いていえば「日本主義」または「日本的自由主義」。
 -
 すみやかに正しておこうか。
 前回に 1) 2) は勝利できる可能性はあるが(つまりは極端にいえば<全面対決>の問題だが( -1)はデマとの闘い)、3) はこれと違って、どう<切り分ける>かの問題だというようなことを書いた。
 次元の違いを意識したつもりだったが、どうも考え不足だ。
 つまり、Liberal Democracy の中に、「共産主義(communism)」は含まれるのか、という問題だ。
 言葉ないし概念の問題として、含まれているとすれば、Communism をまずはLiberal Democracy から除去する闘いを先にして勝利したうえで、Liberal Democracy のうちから「日本」と矛盾しない、又は積極的に採用すべきものを<切り分けて>取り出すことになる。
 含まれていないとすれば、それはそれで、前回のとおりの説明でよい。
 しかし、欧米的 Liberal Democracy は、Communism と異質なものだろうか。
 これは言葉・概念の問題として処理してもよいが、歴史的・思想史的な考察も必要だ。
 既存の知識によれば、二つの理解がありうる。
 一つは、ズビグニュー・ブレジンスキーが語っていたことで、欧米的なフランス革命以降の「自由・民主主義」は「共産主義」とは無縁で、後者は前者の正常な進行から「逸脱」したものだとする。
 一方で、読んできたものの中では、フランス革命-ロシア革命を一つの線上に、つまり前者の不可避的な(あくまで一つだが)結果と考えるものが多いようだ。
 ルソー/フランス革命-マルクス・レーニン/ロシア革命、という系譜になる。
 フランソワ・フュレもその一人で、この人は、フランス人だからだろうか、マルクスの諸叙述の中のルソーやフランス革命への言及の仕方を追跡しようとすらしている。下記。
 マルクスとフランス革命=今村仁司他訳(法政大出版局、2008)。
 ルソー・「市民革命」にマルクス主義やロシア革命の淵源の確かな一つを見る。
 また、マルクスも、<ブルジョア民主主義革命>の担い手たちへの敬意を隠さなかったし、一度だいぶ前に、レーニン『国家と革命』に関する平野義太郎の分析・注釈書を通じて、レーニンもまたフランス革命を大いに参照していたことを記したこともある。
 前回に書いたときの感覚とは違って、やはり、欧米的 Liberal Democracy とCommunism は無関係ではない。そもそも、後者は、日本とは無縁に、ヨーロッパで(ドイツ人により)生まれた異質な思想であるとともに、欧米的 Liberal Democracy がなくしては、誕生していないだろう。
 「奇胎」・「鬼子」かそうでないかは、一種の価値判断を含む。
 「奇胎」・「鬼子」か正嫡子かのどちらかであれ、あるいは「逸脱」か「発展(の一つ)」のいずれであれ、欧米的 Liberal Democracy の基礎のうえに「共産主義」もある、という理解がおそらく適切だろう。
 そうだとすると、2) の闘いは、当然に、3) の中にも持ち込まれ、やはり結局のところ、三つの闘いは相互に分かち難く、相互に関連しあっていることになる。
 しかし、どうもこの 3) の論点が最終の基本的課題にはなりそうだ。ずるずると他の論点を引き摺りながら、この論点を意識した論争もまた必要であることになる。
 あえて文献を提示しないのだが(それをすると途方もない時間がかかる)、中川八洋には、2) に関するきわめて旺盛な問題意識がある。彼の目からすると、反共産主義の姿勢が明確でない者は、全て<日本共産党員>であると-ここでは極端に概括しているかもしれないが-見なされる可能性がある。西尾幹二も、櫻井よしこも変わりはない。
 しかし、中川八洋の問題性は(反共産主義の点で全く問題がないとは思わないが、それはさて措き)、3) の問題意識がないか希薄なことだろう。
 一方、佐伯啓思には、3) に関する問題意識が強くある。しかし、佐伯啓思には、2) の問題関心がないかきわめて乏しい。「日本会議」宣言書のご託宣のごとく、「マルクス主義」との闘いはもう必要がないがごとくだ。
 また、せっかく反 Liberal Democracy の趣旨を詳しく説きながら、佐伯啓思における「日本」は曖昧なままだ。西田幾多郎等々に少し遡っただけでは、たどり着けないのではないだろうか。
 「日本」とか「愛国心」とかを語りつつ、佐伯啓思における日本の将来像はクリアではない。
 誰も完璧ではないし、誰かに完璧さを期待してもいない。
 それぞれに限界はあるものだと、思わざるをえない。
 佐伯啓思は「日本会議」派に比べるとはるかに理性的・合理的だが、しかし、例えば日本の現実政治についての「感覚」は、どこかおかしい。橋下徹について<ロベスピエールの再来の危険>などを指摘し始めてから、私は佐伯から離れてしまった。たかが大阪府知事・大阪市長にこのような大仰なことを言うのは、<ファシスト(ハシスト)>扱いと、どこが違うのだろうか。
 もとより、日本に関する中川八洋の個々の政治的「感覚」が適切である保障もない。
 個々の政治的選択・判断を問題にしようとは考えていない。
 日本の論者は、月刊誌や週刊誌に書きすぎる。書きすぎるから、本来の得意分野以外にまで手を出して、つい<識者>らしきことを書いてしまう。
 これは、産経新聞社を含む日本のメディア、出版業界の問題でもある。多くの「評論家」・大学教授類の一部は、出版業に雇われる「使い走り」・「文章作成係」になっている。
 きちんとした評論書・時代分析書・将来展望書は、2年くらいの期間をかけないときちんとは執筆できないのではないか。
 月刊誌(または櫻井よしこのごとく週刊誌)に書いたものをあとでまとめて、ハイ一冊、という本の作り方では、いかほどに真摯な思考が、体系的にまとめられているかは疑問だ(もちろん、人によるが)。櫻井よしこは、自分は毎年少なくとも二冊を刊行している大?「評論家」・「ジャーナリスト」などと妄想しない方がよいだろう。既述のとおり、自分の言葉は10%以下、他人・第三者からの紹介・引用が半分程度、あとは公開事実の<要領のよいまとめ>だ。また、この人には、平気で<剽窃>のできる、希有の才能がある。
 じっと深く思考することが必要だが、その際に重要なのは、基本的な<論争点についての位置の自覚>だ。
 いったい何のための、いったいどういう次元の、いったい誰を相手(「敵」)にした議論をしているのか?
 日本の<保守>派の混迷は、基本的に、これに無自覚なところにあると思われる。
 櫻井よしこ又は「日本会議」派は、いったい何を追求しているのか?
 訳が分からなくなって、精神的頽廃に落ち込んでいる者もいる。ただ毎日を忙しく過ごして、自分の「名誉」又は「顕名欲」さえ守れればよいと思っている人もいる。
 西尾幹二にも、中西輝政にも、十分な満足は感じていない。相対的にまだマシだと思っているだけだ。
 誰も完璧ではないし、誰かに完璧さを求めるつもりはない。
 上のように並べても、西尾幹二と中西輝政が同じであるはずはない。
 こんなことを書いていても、<大海の底の小さな貝の一呼吸>が生むほんの小さな水の揺るぎにすぎないだろう。
 それでよい。つまらないことを書きなぐって、後世に恥をさらす櫻井よしこよりは、まだ生きている価値がある。
 それにしても、櫻井よしこの<悲しいほどに痛々しい>ことの理由、背景は、いずれにあるのか。

1561/『自由と反共産主義』者の三層等の闘い⑤ー「日本会議」とは何か。

 1) 「民主主義対ファシズム」という虚偽宣伝(デマ)。
 2) 反「共産主義(communism)」-強いていえば、「自由主義」
 3) 反 Liberal Democracy-強いていえば「日本主義」または「日本的自由主義」。
 ---
 1) の点にしか関心を持たない人々はまだ多い。
 <民主主義対ファシズム>は、<民主主義対日本軍国主義(の再来)>でもよいし、<ふつうの人対右翼・反動>でもよい。
 こう二項対立的にだけ捉えて、上の文字対比もそうだが、<右側>にさえ進行させなければ日本は助かる、と思っている人々だ。
 <右翼>にだけは進ませてはならない、それを代表するのは安倍晋三であり、橋下徹であり、自民党の背後にいる「日本会議」ら<極右>団体だ、と警戒する。
 <左側>には誰がいるのか ? 日本共産党という「左翼」もいるが、この政党は温和しくて「平和的」そうだし、われわれの戦いの力強い味方になってもくれそうだ、とまるで警戒しない。
 そういう、<真ん中ふうの>、良心派・良識派だと自分を位置づけている人は、少なくはないだろう。
 <保守>の側からすれば、<民主主義対ファシズム>という定式自体が、誤謬へと導くもので、悪質な虚偽宣伝図式だ。なぜならば、ファシズムといってもそれと同じ又はきわめて類似した「コミュニズム(共産主義)」もあるのであり、「民主主義」と対抗させるならば、ファシズムと共産主義とを合わせた「全体主義( the totalitarianism, die totale Herrschaft)」を挙げるべきだ。
 そして、元来の<民主主義対ファシズム>とは、第二次大戦での対独伊(・日)での対立軸とされ、<民主主義>の中にソヴィエト連邦も含んでいたという欺瞞があると、まともな<保守>は考える。
 英米仏・ソ連-対ー日独伊、という対立図式を語るのは、<連合国史観>だ。
 今日に「民主主義対ファシズム」という対立図式を維持しようとする無邪気な人々は、この決定的に重要なことを忘れている。
 ソ連は、いかなる意味で「民主主義」国だったのか ?
 戦後の東欧諸国等も含めて、「人民民主主義」あるいは「プロレタリア民主主義」の国だったのか。英米仏の(ふつうの ?)民主主義とどう違うのか。
 ここまですら立ち入らないで、<民主主義対ファシズム>という図式で思考したい無邪気な人々はまだ多いかもしれない。
 この対立図式を喜ぶのは、かつて日独伊を敵にして戦った(とされる)国の一つ、ソ連の公式イデオロギーだったマルクス主義・共産主義をなおも支持し、基礎にしている、国家(例えば共産中国)や政党だ(例えば日本共産党)だ。
 巧妙に、自分たちを「民主主義」陣営の中に隠してしまう。
 だがそれはじつは、例えば日本共産党にとっての「革命戦術」でもある。つまり、「民主主義革命」-「社会主義革命」という<二段階革命>論を採ることを明記・明言する日本共産党にとって、当面は「民主主義(の徹底)」を擁護し、周囲に「民主主義」を警戒しない国民たちを引きつけるのは、重要な戦略であり、当面の目標ですらある。
 <保守>の側には、「東京裁判史観」の拒否を主張する、唱道する人々が多いようだ。
 しかし、「東京裁判史観」という語は必ずしも適切ではない。
 つまり、アメリカの単独軍事占領途上のこの「東京裁判」の主体はアメリカだった、正確にはアメリカのみだった、という印象を与えかねない。
 時期的にもむしろ、アメリカの対戦争観は日本占領時に形成されたのではなく、戦時中からあったと見るべきで、それはとっくに<戦後処理>のための諸会談等に現れていた。
 したがって、<連合国史観>とでも呼ぶべきだろう。
 <東京裁判史観>という語は、戦後直後のある一時期にのみ焦点、関心を集めてしまう、そして「敵」をアメリカにのみ求めがちになりやすい、という難点があるだろう。
 間に「東京裁判」の語について挿んだが、元に戻ると、<民主主義対ファシズム>という幻想・虚偽宣伝を打破するためには、やはり2)の<反共産主義>の意識化、明確化が同時に必要だ。単層、一面だけの思考をしてはいけない。
 すでに述べた<民主主義対ファシズム>意識者は、一面・一相・一層でしか物事の基本的事項を理解できない人たちだ。これに反対する<保守>は、多面的・多構造・多様相の、総合的・立体的な思考をしなければならない。
 時代的かつ論理的には 1)の基本論点が先行するようにも思えるが、1) と2) は厳密に分けることができない。
 したがってまた、「反共産主義」を明確にできない、正面から掲げない<保守>は、決して、<民主主義対ファシズム>という幻想・虚偽宣伝を打倒することはできないだろう。
 そのような<保守>は、逆に、<ファシズム>の側に追いやられて、相変わらずの ?「右翼だけはダメだ」という単純な思考に負けてしまう可能性が高い。最終的に勝利することは、おそらくないだろう。
 <反共産主義>を主張しない、あるいはそもそもコミュニズムという思想とそれがもたらした(もたらしている)凄絶な現実に対する関心・興味を示していないと見える櫻井よしこや、あるいは椛島有三ら「日本会議」派は、この基本的な論争点・軸の視点について、大きな欠陥を抱えている。欠陥というよりも、欠如しているごとくで、話にならないのだ。例えば、「日本会議」ウェブサイトで「マルクス主義」や「冷戦」がどう語られているかを見てみたまえ。
 もっとも、そのような、つまり<反共産主義>を具体的・明確に説かない<保守>論者は、櫻井よしこ等々または「日本会議」系以外にも多い。これが、日本のじつに憂うべき点だ。例えば、佐伯啓思には<反共産主義>が全くかほとんどない。「自由と民主主義はもうやめる」だけではダメだ。西尾幹二においても不足している。
 1) と2) は、論理的に不可分だが、勝利すればよいし、それは不可能とはいえない。
 しかし、3) は、そうではない。つまり、近代的または欧米的 Liberal Democracy は、われわれ日本と日本人の一部にすでになってしまっている。
 明治以降の歴史の現実によって、そうなってしまっている。戦後に特有な現象ではない。むしろ戦前・戦中の方が、日本<独自>性の意識は強かったかもしれない。
 したがって、<切り分け>が必要だ。
 近代的または欧米的 Liberal Democracy とは、現日本国憲法の「思想・理念」でもある。今の日本は、<1947年憲法>体制の時代だ。
 3) をくぐり抜けるには、この憲法との大きな戦いが必要でありかつ、擁護すべき所は擁護する必要がある。
 自衛隊にかかる九条問題や緊急事態条項などは、理論的・歴史的には、じつは些細な問題で、九条に特化したような<護憲対改憲>の対立が大きな根本的対立軸になっているのは、一種の<幻影>だろう。あるいは、そのように、<平和・軍事>問題に関心を集中させたい勢力があるのだろう。
 現九条二項は、近代的・欧米的 Liberal Democracy と何の関係もない。
 現九条二項護持論者は、じつは全くの<日本独自>論者で、偏狭なナショナリズムの持ち主だ。あるいは、「社会主義(共産主義)」国に対する武力を日本に持たせたくない、又は自分たち「共産主義」者に武力が向けられるのを怖れている「共産主義」者たち、つまり日本共産党等だ。
 近代的・欧米的 Liberal Democracy との闘いという意識は、西尾幹二や佐伯啓思らにはきっとあるだろう。
 しかし、この点でも決定的な欠陥をもつのは、櫻井よしこらおよび椛島有三ら「日本会議」系の<保守>だ。
 <天皇・皇室>は、これだけでは「価値」にならない。
 <日本>を語るのはよいが、その具体像に踏み込まなければいけない。日本の<歴史と伝統>だけではほとんど全く意味がない。
 この人たちは、何を追求しているのか、「訳が分からない」人々だ。
 現憲法のどれを基本的には残してどの部分は「改正」するのか、という議論が本当は必要だ。
 明治憲法にいったん戻って、そのあとどうするのか? まさかそのままでいくわけにはいかないのでは?
 三権分立-最高裁判所等は維持するのか? 「国家」と「国民」との基本的な関係をどう築くのか(いわゆる<公共>と<人権>の問題)?
 じつは重要な将来の課題はいっぱいあるのだ。
 中央国家(この場合は国会と裁判所機構を含む)-都道府県-市町村という(東京都区部を除く)三層構造は憲法の問題か法律の問題か?
 最高裁判所とは別に「憲法裁判所」を、ドイツや韓国のように、設置するという議論はどうなのか? 今のような「参議院」でよいのか? そもそも現在のような国会-内閣の基本的関係を維持するのか(議院内閣制か大統領制か。これは上の三権分立に関係する話でもある)。
 真面目に思考する人はほとんどいない。
 <保守>を商売にしている人が多すぎる。<左翼>を生業としている人々は、さらにもっと多い。いいかげんにして死んでしまわないと、精神の健康さを保てないようにすら思える。

1553/『自由と反共産主義』者の三つの闘い③-櫻井よしこ批判。

 1) 「民主主義対ファシズム」という虚偽宣伝(デマ)。
 2) 反「共産主義(communism)」-強いていえば、「自由主義」。
 3) 反「自由・民主主義(liberal democracy)」-強いていえば「日本主義」または「日本的自由主義」。
 ---
 上の三点の概略でも少しは語った方がよいのかもしれないが、三つは分かち難いところがあるので、順番に一つずつというわけにはいかない。
 <神道・天皇主義>は、上では<「日本主義」または…>辺りに関係しそうで、そうすると、3) の最も先端的な、または最も将来的な論点にすでに関係しているようにも見える。
 しかし、そんなことは全くない。
 櫻井よしこが主張・議論していることは、上の三点の違いはもちろん、どれを意識しているのかも、ほとんど感じさせない、率直に言って<無茶苦茶(むちゃくちゃ)>なものだ。 
 いずれは日本人は欧米的<liberal democracy>の基本的束縛から脱して、対等な<日本主義>を主張する必要がある。
 リチャード・パイプス、レシェク・コワコフスキらに感心し、アンジェイ・ワリツキの紹介がほとんどない(邦訳書はもちろんない)と不満は述べても、日本人が広い意味でのヨーロッパ化すればよいとは全く思っていない。
 彼ら欧米人の、「共産主義」に対してかつてもった切迫した現実感を思うととともに、対ソ連「冷戦」終結とともにまるで共産主義は消滅したかのごとき(日本の著名な論者にもしばしば見られる)欧米中心主義には賛同できないし、神道も仏教も知らないキリスト教世界での、ある意味では気楽さも看取できる。
 日本と日本人が欧米化してしまえばよい(自由・民主主義の点で欧米に追いつく ?)と考えている「左翼」がいるかもしれないし、<保守>派の中川八洋の英米中心主義らしき主張・立場(強い反共産主義はけっこうなことだが)もあるが、従えない。
 櫻井よしこが決して欧米的<liberal democracy>を克服しているわけではないことは、その安倍晋三支持論を読んでもすぐに分かる。
 櫻井よしこは(他にも同調する<天皇主義者>でかつ何としてもという安倍内閣支持者はいると思うが)、安倍晋三または安倍内閣の<価値観外交>を何の留保をつけることなく支持しているようだ。
 <自由・人権・法の支配>といった価値は、元来は欧米のもので、究極的には、日本国家と日本人は完全には、いわゆる欧米西側諸国や欧米人と同じ<価値観>に立つことはないし、その必要もない、と考える。
 「法」や「権利」に対する感覚は、欧米と同じだとは思えない(欧米でも例えばアメリカとドイツで同一ではないだろうが)。
 上に「日本的自由主義」と仮に書いているように、自由・民主主義等々といっても、日本的に変質させたものにきっとならざるを得ない、と考えられる。現に今でも、軋み(きしみ)があると、私は認識している。
 この辺りに注意を払わない、口先だけの<ナショナリスト>・<愛国主義者>あるいは<天皇主義者>を信用することができない。
 櫻井よしこもその一人で、この人には、例えば<戦後民主主義と日本人>という主題で深刻に(もちろん自分自身のこととして)苦悩した形跡はない、と見られる。
 だからこそ平然と、安倍<価値観外交>の支持を語れる。
 つぎに<神道・天皇主義>といっても、この立場の人々がどの程度に終始一貫しているのかは、はなはだ疑わしい。
 「日本の宗教」として神道だけを語るふうであることには、もう触れない。
 <天皇>については、議論がきわめてしにくい。たくさんの人が種々のことを論じてきた。この一年の間に何度か三島由紀夫をもう一度読もうとして、果たしていない。
 しかし、櫻井よしこの論旨一貫性のなさくらいは、簡単に指摘できる。
 櫻井は「立憲君主制」(とこの人が考えるもの)を諒としているらしく、昨年11月の政府リアリングでは、わざわざ昭和3年の田中義一首相関連のことを持ち出して明言している。要するに、<政治への介入>を慎んだ、又は反省したとして、誉め称えているのだ。
 こんな奇妙なことはない。
 明治憲法上の天皇の権力が単純に「権威」にとどまった、俗世間または「政治」と関係がないものとされた、とは私は全く理解していない。
 なぜなら、例えば二・二六事件の際の昭和天皇の言動、終戦の「ご聖断」という決意の表示、これらは完全に、側近の影響はむろんあったにせよ、<権力>の行使だった、と考える。
 そのような権力行使の余地を明治憲法自体が残していた、と法解釈せざるをえないと思われる。
 櫻井よしこに問いたいものだ。終戦「ご聖断」は立憲君主制の範疇にとどまっていたのか否か。
 目的あるいは結果がよければそれでよし、というならば、朝日新聞の<ご都合主義>と何ら異ならないだろう。
 また、ヒアリング発言ではとくに昭和天皇を称える旨を何点か述べているが、八木秀次や平川祐弘ほどではないにしても、暗に<それに比べて現在の天皇は…>と言いたいのが透けて見えて、じつに見苦しい。
 自分たちの考えと同じ言動をする天皇は「ご立派」で、そうではない天皇は「ご立派」ではないと櫻井は自分が語っていることになることに気づいていないのだろうか。これまた、<存在と祭祀>による評価という自分たちの根本的出発点を逸脱している。
 天皇・皇室中心主義などと言いつつ、じつに奇妙奇天烈なのだ。
 月刊正論の今年3月号(産経、編集代表・菅原慎太郎)へと移ろう。
 櫻井よしこは簡単に、鎌倉・徳川幕府は、あるいは「俗世の権力」は「皇室の権威」に服し、あるいは「皇室の権威の下にあ」った、「究極の権威」は幕府や世俗にはなく「皇室」にあった、と書く(月刊正論1917年3月号p.86)。
 これは日本の歴史の「偽造」だ。「偽造」が厳しすぎれば、「極度の単純化」だ。
 時代によって異なるが、実質的な権力は完全になかったかときもあるかもしれないが(そのときはおそらく「権威」もなかった)、多くの時代は<権力>は<分有されてきた>、というのが私の理解で、日本史学界の多くとも、たいして異ならないのではないか、と考えている。
 西尾幹二は何かに「権権体制」という言葉を使って権力・権威の分離を語っていたが、これまたかなり単純化しすぎているだろう。
 櫻井よしこは、天皇が「征夷大将軍」を任命した(たしかに形式上はそうかもしれないが)という<絵空事>に欺されているのではないか。そしてまた、究極の権威はずっと天皇・皇室にあった、という歴史観は、明治新政府およびその後の政府が、そしてとりわけ大戦時の政府・文部省がかなりの程度作り上げたものだ、と私は思っている。
 マルクス主義・マルクスらの発展段階史観のごとき<単純な>ものこそが、受容されやすい。原始共産制-農奴制-封建制-絶対王政-資本主義-社会主義(・共産主義) ? ?
 やや飛ぶが、櫻井よしこや現在の<保守>の一部の<天皇中心主義>または<天皇中心史観>は、日本のマルクス主義的史観の真反対であるようでいて、じつは発想がよく似ている。
 つまり一方は天皇に実質的な力(権威)があったことを肯定的に理解し、片方は、天皇にこそ実質的な最高権威があったとして否定的に理解する(そして打倒を叫ぶ。あるいは叫んだ)。
 対立していそうでいて、前提は同じなのではないか ?
 そうしてまた、立ち入ると手に負えなくなるが、櫻井よしこや現在の<保守>の一部の<天皇中心主義>は、戦時中の「國體の本義」のレベルにすら達していないし、むろんそれを克服してもいない。  櫻井よしこらは「國體の本義」の要旨だけでなく、全文をきちんと読んで、もっと「勉強」すべきだろう。
 さらに、最近はあらためて北一輝に関心をもっているが、櫻井よしこと似ている(表面的には同じ)理解または主張を北一輝がしている部分があって面白い。
 北は「純正社会主義」・「社会民主主義」の標榜者だが、明治維新を、かつての政変・権力交替とは違って、国家・国民関係を作りだし、日本に「民主主義」をもたらしたものとして肯定的に評価する(その理念を当時の財閥・政治家等が壊したと言うのだ)。そして、確認しないまま書くが、櫻井よしこが近年にやたら肯定的に持ち出す(月刊正論上掲も同じ)「五箇条の御誓文」を「民主主義」宣言書としてこれまた肯定的に語る。
 櫻井よしこと北一輝は、どこが違うのか。
 もちろん同じではないのだが、櫻井よしこや一部の<保守>派は、北一輝あるいは「青年将校たち」の主張と自分たちの主張とどこが同じでどう違うかくらいはしっかりと理解したうえで、何らかの主張をしたり、「運動」をしたりする方がよいのではないか。
 最後の方は筆がいわば走っていて、きちんと文献提示ができない。だが、言いたいことは朧気にでも分かるだろう。

1550/「つくる会」は小池百合子、「日本会議」は増田寛也を支持した。

 ○ もう一年近く前になるが、桝添要一辞任後の東京都知事選挙で、「新しい歴史教科書をつくる会」は小池百合子を支持し、「日本会議」は増田寛也を支持した
 前者が印象に残り、こうして今まで憶えている。
 有力三候補のうち、政権与党および東京都の支部の支援を受けたのは増田寛也だった。有力政党で小池支持はなかったかと思われる。
 選挙の結果が「正しい」とは限らない。あるいは、「正しい」か「誤り」かという問題設定をすること自体に問題があると、最近は感じている。<現実>はそれなりの必然性あるいは「やむをえなさ」によって生じたと<合理的に>推認したい人たちも多いのかもしれないが、それは過ちだ。
 ともあれしかし、都知事となるという<現実>を手にしたのは小池百合子で、増田ではなかった。増田寛也には何の個人的な好悪の情はないし、小池についても全く同じ。
 しかし、やはり興味深いのは、自民党等が公式に(都連も含めて)支持・推薦した候補が圧倒的に敗れたことで、これは、好ましい<選択肢>が自民党等(の候補)以外にもう一つあれば有権者のかなりの部分が、 「自民党」の名前とか機関決定に関係なく、もう一つの「選択肢」に投票する可能性があることだ。立ち入らないが、似たことは最新の大阪府知事・大阪市長の選挙でも起きた(反自民・反民主の<維新の会>候補の圧勝だった)。
 自民党と安倍晋三内閣は、国政レベルでは「もう一つの選択肢」の欠如のゆえにこそ、支持率をまだ高く維持しているようであることを知らなければならないだろう。
 もう一つ興味深いのは、略称「つくる会」の、結果としては<現実>と同じになった小池支持の判断(役員決定だろう)だ。小池の方が増田よりも「歴史認識」が近い、または「つくる会」の活動に理解をより示してきた、というのが根拠だったかと思われる。
 これに対して、<現実>にはまたは結果としては無様(ぶざま)な判断だったことになったのは「日本会議」だ。おそらくこの団体・組織は、自民党が支持・推薦する候補を支持・推薦する、というほとんどルーティン的な思考と決定をしたものと思われる。
 そのかぎりでは、はるかに「つくる会」の方が<自由な>あるいは<柔軟な>思考ができていたわけだ。
 ○ 2007年3月に正規にこの欄を立ち上げたとき、「新しい歴史教科書をつくる会」という団体があるのを知っていたが、<分裂>等々に関する知識はほとんどなかった。
 但し、一度だけ、西尾幹二・国家と謝罪(徳間書店、2007)の中の、とくに手厳しい、全人格的な(または学者・研究者ないし<保守>活動家全面についての)八木秀次批判についてこの欄で言及したことはある。
 今では、例えば、以下の書物を持っているし、たぶんとっくに熟読し終わっている。
 したがって、種々の経緯については、その頃よりもはるかに詳しい。
 小林よしのり責任編集/新しい歴史教科書をつくる会編・新しい歴史教科書を「つくる会」という運動がある(扶桑社、1998)。
 鈴木敏明・保守知識人を断罪す-「つくる会」苦闘の歴史(総和社、2013)。
 小林よしのり・ゴーマニズム戦歴(ベスト新書、2016)の関係部分。
 西尾幹二・藤岡信勝らの書物等は除く。
 こうした「歴史」を知ると、いろいろなことが分かる。
 例えば、なぜ、八木秀次は、産経新聞または月刊正論で継続的に「重用」され続けているのか。
 10年ほど前に西尾幹二が感じていたことと、私は基本的に同感で、八木秀次は「信用できない」。
 また、ついでに記せば、天皇・皇室敬慕を謳っているにもかかわらず、譲位問題についての今上天皇に対する<きわめて個人的な嫌悪感>を示す、最近の文章部分に喫驚したこともある。
 また、渡部昇一がいわば初期または第一次の(西尾幹二理事長時代の)「つくる会」には何ら関与しておらず、西尾幹二の退任後に関係をもち始めたことも、私には興味深い。
 屋山太郎がどうやら反西尾・反藤岡側で、産経新聞社・扶桑社側に立って<政治的>活動をしたのも、なるほどと思わせる。この人は、八木秀次とともに「教育再生会議」に関与していたはずだ(屋山太郎批判はさんざんこの欄でした。国家基本問題研究所の立派な「理事」の一人だ)。
 櫻井よしこは、「つくる会」の運動とは関係がなかった。さらに言及したいが、2000年刊行の憲法とは何か(小学館)は自衛隊違憲論のほかにも「左翼的」議論がある(政教分離という基本問題への言及が全くないことには既に触れた)。
 この人は、今のごとき<保守派のラウド・スピーカー>(某左翼論者-名前を忘れた-)ではなかった。
 また、櫻井よしこが2015年夏の安倍内閣・戦後70年談話の評価を、のちにまとめた本の当該部分の「追記」で実質的に反対方向に変えるという<信じがたい荒業>をしていることをこの欄で指摘したが、その際に支持するとして明記したのは、「中西輝政、伊藤隆」の月刊正論上等の論考による安倍談話の「歴史認識」批判だった。
 それを記載しているときにも感じたのだが、中西輝政はともかく、安倍70年談話の「歴史認識」批判者としては、少なくともその次に「西尾幹二」の名を明記してよかっただろう。
 しかし、おそらくあえて、櫻井よしこは意識的に西尾幹二を除外している
 <保守>的論壇の人間関係など私が知る由もないが、おそらく、西尾幹二と櫻井よしこの間の人間関係は、良くはないようだ。
 もちろん、このように二者択一的に提示されれば、私は西尾幹二の側に立つし、西尾幹二により近い。
 しかし、西尾幹二には語ってみたいこともある。いや、もう少し、「つくる会」について書いてからにしよう。

1510/日本の保守-宗教・神道と櫻井よしこの無知④02。

 ○ 櫻井よしこ「これからの保守に求められること」月刊正論2017年3月号(産経)p.84-89。
 この櫻井よしこの論考は、月刊正論3月号の<ポスト安倍・論壇は誰か ?>を主題とする、<保守>に関する特集の中にある。そして、この月刊正論3月号は、10人以上の論者に「保守」を語らせながら(その中にこの欄で紹介した小川榮太郎のものもあった)、前に八木秀次「保守とは何か」、最後に櫻井よしこ「これからの保守…」をもってきてそれらを挟むという編集スタイルをとっている。
 このように八木秀次と櫻井よしこを<保守>論者として重視するという編集姿勢そのものにすでに、産経新聞的または月刊正論的、または月刊正論編集部・菅原慎太郎的な<保守>の現況の悲惨さ、惨憺さが現れているだろう。
 上の櫻井論考は6頁あるが、神道・古事記等々は出てきても、「仏教」という語は一回も出てこない。
 櫻井よしこは「保守の特徴」の第一は「日本文明の価値観を基本とする地平に軸足を置」くことだとしている(そして「世界に広く心を開き続ける」ことだとする)。
 この程度のことは誰でも語ることができるし、場合によってはナショナル左翼もまた、この文章自体に反対することはないかもしれないレベルのものだ。
 問題はもちろん、「日本文明の価値観」として何を想定するかにさしあたりはなる。
 櫻井よしこが一切「仏教」に触れていないことは既に記した。櫻井が頻繁に言及しているのは、「十七条の憲法」と「五箇条のご誓文」で、後者は「ご誓文」だけの場合も含めて、(6頁に)7箇所も出てくる。
 「日本文明の価値観」を示したものとして櫻井が最初に挙げるのが「十七条の憲法」で、これと「五箇条のご誓文」は重なるとか似ているとかしきりに言っている。
 そして、聖徳太子・十七条の憲法-天武天皇・古事記-神道-天皇・皇室という流れの中で、「神道」を位置づける。
 明記はないが、「五箇条のご誓文」は(神道・)天皇・皇室中心の<明治>国家の最初の宣言文書という扱いだと理解して、まず間違いないだろう。
 ○ 「十七条の憲法」といえば聖徳太子だが、この人物名の問題は別として、聖徳太子は、仏教を日本で容認してよいかどうかの蘇我氏と物部氏の間の紛議・対立に際して前者を支持して仏教容認派勝利を決定的にした。これは、中学生の教科書にもあるだろう。
 櫻井は上の論考でも最近の別の文章でも聖徳太子を高く評価しているが、「仏教」とのかかわりはどう見ているのだろうか。週刊新潮2017年3/09号にこうある。
 「神道の神々のおられるわが国に、異教の仏教を受け入れるか否かで半世紀も続いた争いに決着をつけ、受け入れを決定したのが聖徳太子である。キリスト教やイスラム教などの一神教の国ではおよそあり得ない寛容な決定である」。
 この部分以外に「仏教」は出てこない。
 しかも、「異教」のそれを受容したことに日本文明または神道の「寛容」性を見る、という文脈の中で位置づけている。
 この頃からおよそ1400年経った。しかも150年ほど前にすぎない1800年代の後半までは、<神仏混淆>・<神仏習合>と言われる時代が長く続いた。かりに600年~1850年として、1250年も続いた。
 この歴史を、櫻井よしこは無視、または少なくとも軽視しているのではないか。
 天皇譲位問題に関するこの人の主張の基礎と同じく、ほとんど明治期以降にしか目を向けていないのではないか。あるいは、<明治日本>を最良・最高の日本だったと観念しているのではないか。
 別の観点から批判的にいえば、日本文明は「異教の仏教」を受け容れたが、基本的にいえば、キリスト教やイスラム教を受容しなかった。
 キリスト教・イスラム教と仏教は、日本人と日本国家にとって、明らかに違うだろう。
 しかし、櫻井よしこの文章には、そこに立ち入っていく姿勢・雰囲気はまるでない。
 聖徳太子以前の時代にだけ「日本文明」を限れば別だが、今や、あるいは飛鳥・奈良・平安等々という時代を通じてずっと、ある程度は日本化した、また日本で新登場した(新解釈された)と見てよい「仏教」を無視または軽視して、日本の伝統的な「文明」も「文化」も語ることはできない、と考えられる。
 櫻井よしこの視野は、偏狭だ。
 ○ 西尾幹二は「仏教に篤い心を持つ天皇も歴史上少なくありませんでした」と述べた(前回参照)。
 そのとおりだ。諸天皇・皇族は、<信教>のことなどを考える物質的・精神的余裕がなかった時代は別だが、おおむね神仏をともに崇敬していて、中には「仏教」により強く傾斜した天皇も少なくなかった、と思われる(逆に神道の方を重んじた時代・天皇もあったかもしれない)。
 キリがないだろうが、例えば西国三十三カ所巡拝(観音菩薩信仰)は平安時代の花山天皇に由来するともされる。
 また例えば、京都市には今でも無数に(正確には数多く)「門跡」寺院というのが残っていて、これは天皇・皇族が出家して法主等を務めた「仏教」寺院を意味する。
 北白川の曼殊院には秋篠宮殿下家族がご訪問の際の写真が掲示されている。有名寺院の中でも、他に、青蓮院、聖護院、三千院、仁和寺、大覚寺等々、数多く「門跡」である仏教寺院はある。
 櫻井よしこの蒙を啓くためにも、天皇・皇族の<墓陵/陵墓>について、以下に述べる。
 なお、秋月瑛二はこの問題についても<専門家>ではない。そうでなくとも、櫻井よしこがきっと知らないことを知っているし、櫻井よしこが関心を持たないことにも興味をもつのだ。
 ○ 櫻井よしこは、光格天皇を、天皇・皇室の<皇威>を高めた天皇として高く評価していたようだ。
 しかし、光格天皇は、櫻井よしこが本当は反対だったはずの<生前退位>を行なった天皇(最後の)であり、「院政」を敷いたかはこの概念の理解にもよるだろうが、現在のところ最後の<上皇>だった。
 天皇・皇室問題に関連して櫻井よしこがこの天皇に触れたとき(週刊新潮で取り上げたとき)、上のことはどの程度意識されていたのだろう。
 かつまた、光格天皇の死後どのように天皇の「墓陵」は造営されて管理された(管理されている)のか。
 いつぞや「美しい日本」との連載ものの中で下り参道の珍しい例として泉涌寺(京都)を挙げ、ほんの少し「御寺(みてら)」と呼ばれて天皇陵も周辺にあることを記した。
 明治天皇の曾祖父にあたる光格天皇の墓陵は「後月輪陵」といって、泉涌寺の周辺にある。以下、地図も付いて分かりやすいので、つぎの書物を参照する。
 藤井利章・天皇と御陵を知る辞典(日本文芸社、1990年)。
 祖父の仁孝天皇も同じ「後月輪陵」、父親の孝明天皇はその東の「後月輪東山陵」で、-現地で確認したことはないが-泉涌寺の近くでいわば寄り添っている。
 さらに、17世紀最初の皇位継承者だった後水尾天皇から、明生、後光明、後西、霊元、東山、中御門、桜町、桃園、後桜町、そして1770年即位の後桃園天皇まで、200年近くの各天皇の墓陵・御陵は全て「月輪陵」であり、泉涌寺の周辺に集中している。
 何となく「御寺(みてら)」という語を印象的に記憶していたが、こうして見ると、泉涌寺と天皇(家)の関係は、少なくとも日本近世ではきわめて密接だった。
 いや、場所的に近いだけで、寺院と墓陵は別だろう、という人が必ず出てくるので、さらに立ちいる。とりあえずは、上掲書の後水尾天皇の項にこうあるとだけ紹介する。
 「…崩御され、…泉涌寺において陵地を決定し、…夜入棺して、泉涌寺の僧徒がこれを手伝った」。p.243。
 つづける。

1508/日本の保守-「宗教観念」・櫻井よしこ批判④。

 ○ 西尾幹二・維新の源流としての水戸学/GHQ焚書図書開封第11巻(徳間書店、2015)に、つぎの旨の叙述がある。p.41-70、p.78-、p.95-101、p.167など。(以下、必ずしも厳密でない再述がありうる。但し、大きくは誤っていない)
 水戸光圀・大日本史の編纂にあたって論争点になった三つの「難問」があった。
 ①南朝(後醍醐)は正統か-楠木正成は逆賊でないのか、のほか、
 ②大友皇子(天智の子)は天皇としてよいか、②神功皇后を皇統の一代に数えるべきか。
 これらは、明治維新後の新政府の「歴史」理解の問題ともなり、「水戸学」・大日本史と同じ結論が維持された。
 ①南北朝のうち南朝が正統、②大友皇子は天皇に即位していた(弘文天皇と追号)、③神功皇后(=応神天皇の母)は天皇と同様には扱わない(天皇のように一代とは数えない)。
 以下は、内容も秋月の文になる。
 日本書紀は天武天皇とそれ以降の天武系の天皇のもとで編纂されたので、天智の子・大友皇子(母は伊賀采女)を天皇扱いにしているはずがない(当然だと思うので、確認しない)。大友が天皇に即位していたことを認めてしまえば、<壬申の乱>で天武は天皇を弑逆したことになるからだ。天皇から皇位を奪い取ったことになるからだ。
 大友が即位していなければ、辛うじて、天智天皇の死のあとの弟と子(天武からいうと甥)の間の<皇位継承の争い>という説明ができる。
 明治になって公式に大友皇子=弘文天皇とされたので、当然だが、その一代だけとっても(天智より後は)、日本書紀と今日の理解での各天皇の代数は、少なくとも一つずつ異なる
 <保守>の人々はときに、例えば櫻井よしこも、平気で<~代までつづく>と今日までの代数を示すが、これは明治期以降に「確定」 ?したものだ。
 ○ 同じく、西尾幹二・維新の源流としての水戸学/GHQ焚書図書開封第11巻(徳間書店、2015)は、西尾自身の言葉として、つぎのことを主張している。同旨は多々あるようだが、つぎの一箇所に限る。p.40。
 明治新政府の「廃仏毀釈というのは善い意味でも悪い意味でも非常に影響の大きい運動」でした。「『国家神道』が唱道され、仏教を廃し神道を重んじる」ことになった。「それが天皇家の復活に寄与したという一面がある」。
 「しかし長い目で見ると、仏教を否定したのは精神史上マイナスであったといわざるをえません。仏教に篤い心を持つ天皇も歴史上少なくありませんでした」。
 神道の重視は「天皇家の復活には役立った」。「しかし、その結果、日本人の宗教を痩せ衰えさせてしまったという面があるのです」。
 秋月瑛二も、この辺りの理解に賛同したい。私は、神社も寺院もたいていは好きで(レーニンやロシア革命にだけ関心があるのではない)、全国のかなり各地を回っているが、神社・神道と寺院・仏教の違いや類似性、日本化した(おそらく神道の影響を受けた、強いて今日的に分類すれば)仏教・寺院の存在を、肌感覚で感知することがある。
 ○ 櫻井よしこの、以下の論考は、その<保守(主義)宣言>と理解して、今後も複数回とり挙げる。
 櫻井よしこ「これからの保守に求められること」月刊正論2017年3月号(産経)p.84-。
 この中に、つぎの一節がある。
 「古事記は」、「日本が独特の文明を有することや、日本の宗教である神道の特徴を明確に示して」いる。
 「神道は紛れもなく日本人の宗教です」。p.85。
 このあと段落すら変えないで(改行することなく)、櫻井は古事記の話に入り、「自然が神々であり、それらはやがて人間になり、天皇と皇室が生まれたわけです」と、段落を結ぶ。p.85-86。 
 先に最後の部分に触れると、櫻井よしこは竹田恒泰の著を参照文献のごとく括弧内で挙げている。しかし、竹田恒泰もさすがに自然・神々・人間・天皇の関係を(永遠の自然史の流れとしてはともあれ)「事実」として主張しているのではなく、あくまで古事記に記述された<物語>の内容を説明しているだけだと思われる。
 しかるに、この櫻井よしこの書き方では、まるで天皇とは「現人神」だ。
 そのように「観念」するのはまだよいが、「神」と「天皇」・人間を同一視するかの叙述を「事実」のごとく叙述すべきではないだろう。
 そもそもはこのあたりにすでに、<観念・意識・精神>と<現実・事実>の境界の不分明な櫻井よしこの叙述の特徴が出ている。
 ○ 本来言及したいのは、上の点ではない。
 神道は日本の宗教である、というとき、二つの基本的な論点がある。
 一つは、そもそも「宗教」とは何かだ。明治期には、むしろ特定の<宗教>もどきのものとは神道は扱われなかったという逆説的な理解も可能だ。
 つまり、日本の神道は「宗教」ではなく、「伝統的習俗」類であって、例えば現在の憲法がいう「宗教」とは異なる、という理解も不可能ではないのだ。
 二つは、では、「仏教」は、日本の宗教ではないのか、という問題だ。
 上の引用部分では明らかではないが、櫻井よしこは明らかに、仏教よりも神道を重視している。一つだけとすれば、間違いなく、躊躇することなく、神道を挙げるに違いない。
 一つだけ取り上げる、又は最重視する「宗教」を敢えて名指しする、という考え方は、日本の<保守>あるいは日本国家や日本人にとって、望ましいことなのだろうか。
 ここで再び、冒頭近くに紹介した西尾幹二の主張・叙述に、目を向けるべきではないだろうか。
 櫻井よしこの「頭」は、観念的・単純で、偏狭なのだ。もともと関心があるテーマなので、つづける。

1496/日本の保守-歴史認識の愚弄・櫻井よしこ③03。

 ○ 櫻井よしこ的「保守」にはいいかげんうんざりしていると、既にいく度か書いた。
 本当は読みたくもないし、それについて何か書きたくもない。精神衛生によくない。
 しかし、自分自身が始めてしまったから、誰にも強いられない立場ながら、やむをえない。櫻井による米大統領トランプ批判(ケチつけ)や、その「天皇」・「宗教」観について、ある程度すでに、書き記す用意ができてしまった。
 ○ 前回に2015年戦後70年安倍内閣談話についての、週刊新潮(同年8/27)誌上での高い評価を見た。
 ところが、櫻井よしこは、この週刊誌の連載ものをまとめた書物では、何と微妙に、あるいはほとんど逆方向にすら、論評内容を変える「追記」を付加している。
 櫻井よしこ・日本の未来(新潮社、2016.05)、p.192。
 毎週の週刊誌読者に対して失礼だろう。また、櫻井よしこにとっての「歴史認識」とは何か、櫻井にとっていったん活字にした自分自身の論評とは何か、を強く疑わざるをえない。要するに、この人にとっては、歴史認識も安倍談話も、じつはどうでもよいのではないか。そのときそのときで適当に書いて原稿を渡せればよいのではないか。
 上の本の8カ月ほど前に櫻井は書いて、活字にした。
 例えば、談話は「安倍晋三首相の真髄」、「大方の予想をはるかに超える深い思索に支えられた歴史観」を示す。/談話は、有識者会議「21世紀構想懇談会」の「歴史観を拒絶した」
 ○ それが何と、上掲書では変質してしまう。これを読んだとき、秋月は、すぐさま、<保守論壇の「八方美人」>と感じて、その旨を一行、一言だけだが、この欄に書いた。
 この変化は、戦後70年安倍談話に対して、(私には当然のことだが)厳しい批判が明言されたことにあるようだ。
 櫻井よしこは、中西輝政と伊藤隆の二人を明示しつつ、「少なからぬ専門家から厳しい批判が寄せられた」と書く。上記、p.192。
 このような反応に櫻井よしこは困ったようで、かつまた、中西輝政らの批判の正当性に(ようやく?)気づいたようで、何とか綻びを繕おうとしている。
 櫻井は何と、つぎのようにここでは言い切っている。
 「両氏の主張、つまり談話批判は全くそのとおりであると認める」。
 中西輝政の批判の中には当然ながら、有識者「21世紀構想懇談会」の報告書によって国家の歴史解釈を規定すべきでない、ということがあった。
 にもかかわらず、週刊新潮の段階では櫻井は、有識者会議「21世紀構想懇談会」の「歴史観を拒絶した」ことを、安倍談話を高く評価する根拠の一つにしていた。
 中西・伊藤らの主張・談話批判を「全くそのとおりであると認める」ということは、有識者会議「21世紀構想懇談会」の「歴史観を拒絶した」というかつての自分の読み方が、完璧に誤りだったと正面から認めているのに他ならない
 しかし、ここが櫻井よしこのしぶとい( ?)ところで、中西輝政が一部で「政治文書」という言葉を使っていることに着目して、つぎのように書く。
 両氏の談話批判は「全くそのとおり」だが、私(櫻井)が安倍首相談話を「評価する理由はそれが政治文書であるという点だ」
 唖然とするとしか、言いようがない。
 中西輝政が「政治文書」と語ったのはおそらく、十分に皮肉を込めてだろう。安倍晋三氏よ、日本国家の歴史認識を「政治」的に操作してよいのか、という意味だろう。ついでに記すと、西尾幹二も「政治的文書」という語を用いて表向き褒めるような導入をしつつ、そのあとで、談話の歴史認識を実質的に批判している(西尾幹二・日本/この決然たる孤独(徳間書店、2016)-原論考・月刊正論2015年11月号「安倍総理へ『戦後75年談話』を要望します」)。
 中西の「政治文書として賞賛措く能わざるほど素晴らしいできだ」という文章が、そのまま安倍談話を「政治文書」として高く評価するものと理解するのは、幼稚すぎる。批判をこめた皮肉だろう。
 すなわち、これまた、日本語文章の意味を全文の中で、種々のレトリックをくぐり抜け、行間も推察しつつ理解する、ということを櫻井よしこができないことを示しているだろう。
 さらに、櫻井は、やや意味不明だが、つぎのようにも書く。
 「政治文書」として高く評価できるが、「歴史理念としては村山談話を超えるものではなかった」。上記、同頁。
 この部分は、週刊新潮誌上での、安倍首相談話は「大方の予想をはるかに超える深い思索に支えられた歴史観」を示した、という無限定の高評価と真反対だ。
 平然とこのように書けるのが櫻井よしこであることを、多くの国民は、とりわけ「左翼」ではない人々は、知らなければならない。「歴史理念としては村山談話を超えるものではなかった」というニュアンスなど、2015年夏の時点では何も語っていない。
 本来はかつての文章を全面的に取消し、単行本に収載するに際してはこれを含めない、削除する、というのが、良心的なかつ正義感のある、自己懐疑心のある、立派な「ジャーナリスト」・評論家だろう。
 では、後から持ち出した「政治文書」として評価する、という論じ方は適切なのか。
 中西輝政らの指摘を知ったあとでの後出しジャンケンのごとき論法を持ち出すな、と言いたいが、まともに取り上げてみよう。
 簡単に、論駁できる。
 首相、内閣、大臣等々の談話は、すべてが<政治的>だ。
 彼らが発表する談話、声明等々は、すべて「政治文書」だ。もともと学者の研究論文ではない。
 その「政治文書」の中に、日本国と日本人の<歴史認識>に大きく関係する内容を、しかも根幹的内容として含めてしまってよいのか、というのがそもそもの問題だったのだ。
 櫻井よしこの論法でいえば、村山富市談話も、慰安婦にかかる河野談話も、「政治文書」だからという理由で、免罪されてしまうことになりかねない。
 櫻井よしこは、村山談話や河野談話に対して、「政治文書」か「歴史認識」・「歴史理念」を示す文書かの区別をしたうえで批判してきたのか。
 そんな区別をしていないだろう。
 しかるになぜ、安倍首相2015年談話については、2016年になって「歴史理念」は「村山談話を超えるものではなかった」が、「政治文書」であるという理由で「評価する」と、ヌケヌケと語れるのか。
 ○ 2009年にはすでに、櫻井よしこは信用できない、と感じてきた。
 このような人物を「保守」的「研究」団体の理事長にまつり上げる、又はかつぎ上げることをしなければならない<日本の保守>というものは、本当に絶望的なのではないかと、本当に危ういのではないかと、むろん櫻井のような人物だけなのではないが、強く感じている。
 櫻井よしこ「研究」を、さらにつづける。


1492/日本の保守-歴史認識の欺瞞・櫻井よしこ③。

 ○ 「歴史認識」という日本の保守にとって譲れないはずの基本的な問題領域で、日本の保守は、大きく崩れてしまっている。正確にいえば、読売新聞系ではない産経新聞系「保守」あるいは自国の歴史について鋭敏なはずの<ナショナル・保守>の保守「論壇」人についてだ。
 おそらく、「観念保守」の人々の歴史認識は、ほとんど全ての人々において、狂っているだろう。あるいはそもそも、きちんと正確に日本の歴史を見つめる勇気がない。あるいは語る勇気がない。あるいは、関心自体がない。
 以上のことを、2015年8月の安倍内閣・戦後70年談話に対する論評の仕方で、残酷にも知ってしまった。
 秋月瑛二自身も、これによって、産経新聞や一部の<保守>をきわめて強く疑うようになった。そして、「観念保守」という概念も見出した。
 ○ もちろん、正気の、まともな<保守>の人たちもいる。
 水島総が月刊正論(産経)誌上の連載を中止しているのは、産経新聞や月刊正論編集部の基本的な<歴史認識>(日韓慰安婦最終決着文書も含む)に従えないという理由でかは、私は知らない。
 だが、安倍晋三とその内閣の<歴史認識>の表明内容を、水島総はきちんと批判している。
 但し、この人の発言等を全部信頼しているのではもちろんない。この人の天皇・皇室への崇敬の情は、私には及びもつかない。
 中西輝政は、歴史通(ワック)2016年5月号で、上記談話への反応に関して、つぎのように書いた。
 「保身、迎合、付和雷同という現代日本を覆う心象風景は、保守陣営にも確実に及んでいる」。p.97。
 「この半年間、私が最も大きな衝撃を受けたのは、心ある日本の保守派とりわけ、そのオピニオン・リーダーたる人々」が「安倍政権の歴史認識をめぐる問題に対し、ひたすら沈黙を守るか、逆に称賛までして、全く意味のある批判や反論の挙に出ないことだった」。p.109。
 西尾幹二は、この欄に既に引用していることを上に続けてさらに掲載するが、月刊正論2016年3月号で、つぎのように書いた。
 「私は本誌『月刊正論』を含む日本の保守言論界は、安倍首相にさんざん利用されっぱなしできているのではないか、という認識を次第に強く持ち始めている。言論界内部においてそうした自己懐疑や自己批判がないのを非常に遺憾に思っている」。
 西尾幹二と中西輝政の二人が、今年に入ってから読んだ雑誌で対談していたが、すぐには見当たらないので、関係する部分があるかもしれないが、省く。
 記憶に頼れば、戦後70年安倍談話を正面から批判したのは、われわれ二人だけだった、という旨を西尾が語っていた。
 二人だけではない。雑誌上でも、伊藤隆は批判派だったし、藤岡信勝や江崎道朗もおそらくそうだろう。他にも、渡部昇一、櫻井よしこ、田久保忠衛らの迎合的反応を苦々しく感じている人々が多数いると思われる(国家基本問題研究所の役員の中にも。しかし、全てではない。「アホ」もいるからだ)。
 小川榮太郎の見解は、知らない。
 ○ ふと気づいたが、櫻井よしこは、週刊新潮2016年12/8号で、朝日新聞社説を批判して、つぎのように言った。
 「朝日社説子は歴史認識について」某を批判した。「噴飯物である。如何なる人も、朝日にだけは歴史認識批判はされたくないだろう。慰安婦問題で朝日がどれだけの許されざる過ちを犯したか。その結果、日本のみならず、韓国、中国の世論がどれだけ負の影響を受け、日韓、日中関係がどれだけ損われたか。事は慰安婦問題に限らない。歴史となればおよそ全て、日本を悪と位置づけるかのような報道姿勢を、朝日は未だに反省しているとは思えない。」
 櫻井よしこは、2015年末日韓慰安婦最終決着を、2015年夏の戦後70年安倍内閣談話を、どう論評したのか。「噴飯物である」。
 歴史認識について、朝日新聞を、上のように批判する資格が、この人にあるのだろうか。
 ひどいものだ。日本語の文章の趣旨を理解できない人物が、「研究」所理事長になっており、田久保忠衛という同じく日本語の文章を素直にではなく自分に?都合良く解釈できる人物が、その研究所の<副理事長>におさまっている。
 いずれこの「研究」所の役員たちには言及するとして、櫻井よしこが戦後70年安倍内閣談話をどう読んだか等について、さらに回を重ねる。
 ○ ついでに、先走るが、櫻井よしこによる米大統領・トランプ批判の底にある、単純な<観念>的なものにも気づいた。
 櫻井よしこは、天皇や日本の歴史にかかわってのみ「狂信者」になるのではない。いや、正確には、「狂信」とまではいかないが、この人は、詳しい知識があるような印象を与えつつ、じつは単純・素朴な<観念>に支えられた、要領よく情報を収集・整理して、まるで自分のうちから出てきたかのように語ることのできる、賢い(狡猾な)「ジャーナリスト」だ。
 心ある、冷静な判断のできる人々は、例えば「国家基本問題研究所」の役員であることを、恥ずかしく思う必要があるだろう。

1484/日本の保守-櫻井よしこという「ジャーナリスト」①。

 ○ 櫻井よしこは「ジャーナリスト」を自分の肩書きにしているようだ。
 たしかに、歴史家でも思想家でもない(社会思想、経済思想、政治思想、法思想等々のいずれの意味でも思想家ではない)。
 また、学者・研究者だとも言えないだろう。少なくとも、そのような<世俗>の資格を持ってはいなさそうだ。
 もちろん、歴史家、思想家(・哲学者)、研究者などは自称すれば誰でもなりうるのだが、「ジャーナリスト」というのは謙虚であるかもしれない。
 いや、ジャーナリストの何らかの積極的な意味に、誇りを持っているのかもしれない。
 ジャーナリストにもいい意味はあるだろう。
 しかし、ジャーナリストは、多数の情報を入手し、整理し、要領よくまとめて、多くの又は一定範囲の人々に伝搬する者たち、という印象もある。
 櫻井よしこはまさにその印象どおりの人で、例えば週刊新潮の連載でも、「評論家屋山太郎氏によれば…」とか「百地章教授によれば…」とかのインタビー記事か問い合わせへの回答(又は親しい会話)で1/4ほどを埋めたり、何らかの雑誌・新聞記事の紹介で半分ほどを埋めたり、光格天皇や孝明天皇について特定の書物から長々と引用・紹介したりしたうえで、自分の感想・コメントを最後のあたりで(又は冒頭あたりで結論提示しつつ)ごく少なく述べる、ということをしてきている。きっと、週刊ダイアモンドでも同様なのだろう。
 もっとも、その引用・紹介やまとめ方が一見は要領よさそうでも奇妙なこともあるのは、例えば、光格天皇・孝明天皇についても見られる。
 のちに福地重孝・孝明天皇(秋田書店、1974)も入手して見てみたが、この本は「最後の闘いの武器は譲位」という趣旨を第一の主眼点にしているわけではない。また、当時に攘夷(・反幕府)を孝明天皇にも熱心に迫って動いた公家たちの中に岩倉具視がいたこと(福地は明記し、藤田覚は不確実だが推定されるとする)には、櫻井よしこは何ら触れていない。
 紙数、頁数に限りがある、という釈明はできない。限りあるなかで、なぜ一定の、限られた情報しか選択しなかったのか、と問われれば、答えに窮するのではないか。
 ○ 「国家」の「基本問題」を「研究」する国家基本問題研究所という(任意・私的)団体の理事長は、櫻井よしこだ。
 「ジャーナリスト」にすぎない、あるいは思想家・歴史家でも研究者でもない、あるいは常識的意味では「政治家」でもない櫻井よしこを、なぜ役員の方々は理事長に戴いているのだろうか。
 あるいはその人々はなぜ、櫻井よしこが呼びかけた団体に喜んで?加入して、役員として名を連ねているのだろうか。
 二つめの○の第一文の内容はすでに、日本の「保守」の現況がいかに悲惨なものであるかを、かつまた日本国民に、決して良い影響を(少なくとも長期的には)与えないだろうことを、十分に示唆している。
 さすがに、敬愛する?西尾幹二や中西輝政は、この団体と少なくとも形式上の関係はなさそうだ。
 しかし、役員の方々の名前を見ていると、じつに興味深いことも分かる。

1481/天皇譲位問題-小林よしのり・天皇論平成29年の一部を読む①。

 ○ 小林よしのり・天皇論平成29年(小学館、2017)のp.479以下を読んだ(又は拝見した)。
 入手が遅れたのは、主題についての関心の薄さ、「観念保守」(=小林よしのりが「自称保守」とか称しているものに近いかもしれない)の文章を思い出すことへの嫌悪にもよる。 
 ○ 最後の方の p.544に、小林が批判の矛先を向けている8名の人物の顔の似顔絵が出てくる。
 ちなみに、昨秋あたりの月刊正論(産経)はこの似顔絵化を、<卑劣>だとか批判していた。
 しかし、小林よしのりの絵から、私でもかなり人物名を特定できる。しかるに、月刊正論(産経)は最終頁あたりで「教授」・「先生」・「女史」等とだけ冠名する人物を登場させて、個人名を隠したままで勝手な?ことを言わせている。
 良心的なのはまだ小林よしのりで、月刊正論編集部(産経)の方が<卑怯>だろう。
 元に戻る。8名のうち、左の2名はすぐには分からなかったが、どうやら加瀬英明と加地伸行らしい。
 残るは、右から、八木秀次、渡部昇一、小堀桂一郎、竹田恒泰、平川祐弘、櫻井よしこ。ほんの少し頭を覗かせているのが大原康男かと思われるが、さしあたり計算から省く。
 上の8名のうち政府・天皇関連有識者会議のヒアリング対象者は、八木秀次、渡部昇一、平川祐弘、櫻井よしこの4名
 なんと、秋月瑛二が「観念保守」と批判し、<アホの4人組>と酷評した4名と全く同じ。100%の合致だ。
 しかも、上の点はかりにさておいても、8人のうち4名が該当するだけでも、相当な<打率>だ。なお、大原康男を含めても、4/4.3くらい、および4/8.3くらいの高い<打率>になる。
 小林よしのりの上の基本的な感覚または彼らの論旨(譲位反対論)に対する非難は、まことに健全だ。
 ○ 加地伸行がヒアリング対象者だったとすれば、平川祐弘と同じかさらに低レベルの発言をしていた可能性がある。 
 たぶん昨年中に、西尾幹二は(確認しないが)月刊正論あたりでたしか天皇・皇室問題で加地伸行と対談していたが、加地の発言にほとんど頷くばかりで、容喙していなかった。加地の発言のあまりのヒドさに思わず、私は当該雑誌自体を放り投げたほどだ。
 もっと前にも、西尾幹二と加地伸行の二人は天皇・皇室問題でかなりひどい対談か論考を載せて話題になったらしい(これもかすかな記憶はある)。
 西尾幹二は、ときに一緒に酒呑みするくらいならよいが、加地伸行レベルの人物と雑誌用の対談などはしない方がよいと思われる。せっかくの高名を辱めるだけだろう。
 ○ とここまで書いて、まだ小林よしのり著の内容にはほとんど立ち入っていない。
 これまた連載にするしかない。


1462/西尾幹二は「国体」を冷静に論じる-「観念保守」批判。

 ○ 櫻井よしこが書いていることは1937年・文部省編纂『國體の本義』とよく似ており、部分的には酷似している、と最近に書いた。そして、そのような一面的・観念的な「史観」による歴史叙述を簡単にしてはいけない、とも書いた。
 日本書記・古事記の記述は全部ウソだという人に対しては、いやいや、かなりの程度は少なくとも事実を反映している、何らかの民族的記憶を背景にしている、と言いたくなる。一方で、日本書記・古事記の世界をそのまま日本の歴史として(たんなる「お話」と事実と合致する歴史叙述を区別しないで)「信じる」人に対しては、いやいや、そう思いたくとも事実ではないところが多い、と言いたくなる。
 全か無か、正か邪か、善か悪か、真か偽か、物事をこのように二項対立的に単純に理解してはいけない。
 ○ 産経新聞社の、かつて月刊正論・編集代表者だった桑原聡は、退任するにあたって、同誌2013年11月号でつぎのように書いた。この欄の2013年11月14日付=№1235も参照。 
 「自信をもって」、「天皇陛下を戴くわが国の在りようを何よりも尊いと感じ、これを守り続けていきたいという気持ちにブレはない」と言える、と。
 ここには、「何よりも尊い」、「天皇陛下を戴くわが国の在りよう」を護持しようとするのが<保守>だという、強い観念、強い思い込みがあるようだ。
 <保守>の意味もさまざまだから、そのように考えている<保守>の主張を一概に否定するつもりはない。
 しかし、秋月は、「天皇陛下を戴く」ことが日本と日本人にとっての最高の価値、最大限に追求すべき価値だとは思っていない。
 むしろ、天皇・皇室制度が「左翼」、とりわけ共産主義者によって利用されることを怖れている。例えば、日本人に親天皇・親皇室感情が強いと知っている共産中国は、かりに将来に日本を何らかのかたちで侵攻して日本の政権を事実上であれ従属させた場合、少なくとも当面は<天皇制度をともに戴く>ことを躊躇しないのではないだろうか。
 共産主義者は、目的達成のためならば、何でもする、何とでも言う、と想定しておかなければならない。日本共産党も同じ。
 なお、かつて雅子皇太子妃に対する批判が<保守>論壇でも有力になされたときに、いわゆる「東宮」側に立ったコメントをこの欄に書いたのは、何が何でも雅子妃を含む皇室を守るという気持ちからではなく、主としては、そのような(私が知らない何らかの情報があったのかもしれないが)批判をするのはもはや遅い、無意味だ、という反発からだった。
 率直にいって、美智子皇后に<ベアーテ・シロタは女性の人権拡張に貢献した>という発言があるという噂・風聞の方が怖ろしい。
 ○ 西尾幹二・GHQ焚書開封4-「国体」論と現代(徳間書店、2010/のち文庫化)は、サブ・タイトルどおり、「国体」論を扱う。その他の巻で扱われている書物もそうだが、GHQが「焚書」にしたからといって、それらの書物の内容が全面的に正しい、または真実だ、ということにはならない。当然ながら、西尾幹二は、そのことをふまえている。
 冒頭で言及した1937年・文部省編纂『國體の本義』に限る。西尾はつぎのように冷静に、この本を読んでいる(p.131~)。櫻井よしこに読ませたいような部分に限って、以下に部分的に引用する。
 『國體の本義』のすぐの冒頭部分を「読んで、正直ちょっとやりきれないな、と感じる人が普通で」はないか、「現代のわれわれの感覚からするとまったく浮世離れして見えるから」だ。p.134。 
 「ここからは私の批評です。ある意味では、この『國體の本義』に対する批判です」。p.154。
 日本人の心の「まこと」が「わが国の国民精神の根底だといわれると、たしかに…、それだけでよいのだろうか」。<和>に加えて<まこと> を説いて「自己完結しているところに、かえって問題を感じます。日本人にわかり易いがゆえに逆に曲者なのです」。p.159。
 「和と『まこと』」の一節を読んで、「日本は戦争に負けたのは当然だ」と思わざるを得なかった。「明き浄き直き心」だけでは「主観的すぎて、他の存在感を欠き、自閉と弱さの表明でもあることをあの大戦を通じて民族的に体験した」のだから、「戦前の『国体論』にそのまま戻ればいいという話ではまったくないということをしかと肝に銘じるべきです」。p.161。
 この書の天皇中心の歴史記述、親政天皇については詳しく(例えば後醍醐)、武士・幕府政治については冷淡だということ、に対する西尾の批判的コメントもあるが、省略する。
 ○ 小林よしのりが何かに、西尾幹二は天皇についてはあまり興味がない、と書いていた。
 たしかにそのようなところはあるが、櫻井よしこ、渡部昇一、平川祐弘らのような<天皇中心史観>のもち主よりは、はるかに冷静で、優れている。つまりは、「観念」論に嵌まってはいない。
 なお、西尾幹二は(日本共産党のように ?)『國體の本義』を全否定しているわけではないことを付記する。西尾は、部分的には、秋月が必ずしも同意できないことも述べている。
 ○ 西部邁の語源探りは読んでいて鬱陶しいのだが、その弊をふむと、R・パイプスの『ロシア革命』原著を読んでいて出くわした spritualism という語の意味は、ある辞書によると「観念論」で、「精神主義」という訳語は出てこない(後者は誤りでもないだろう)。またこれは、「心霊主義」、「降神術」という意味ももつらしい。
 櫻井よしこらの「観念保守」の者たちの「観念論」は、純化すると、すみやかに「心霊」にかかわる、特定の<宗教>に転化するに違いない。

1431/西尾幹二全集第16巻(国書刊行会、2016)。

 一 西尾幹二全集のうちの一つの巻を購入・入手しての愉しみは、明らかに未読のものや著者の後記、そして月報を読むことだ。
 その中に、西尾幹二は文学部出身にしては「社会科学的」だ、とか言われたことがある、というような趣旨のものがあった。最新刊行のものの中ではないので少し刊行順に遡って捲ってみたが、その趣旨の記述を再 ?発見できなかった。
 西尾は別に、文学部出身者が日本の<保守>論壇の多数または有力派を形成してきたとか語って、そのことを誇りにしているかのごときことも書いていた(と思う)。
 小林秀雄、福田恆存、江藤淳…と並べると、そうかもしれない。ここで並べるのはイヤだが、渡部昇一もそうらしい。
 だが、文芸(文学)評論家的<保守>論者は日本の<保守>派のしっかりとした形成にとっては悪影響をもたらした、少なくとも日本に独特の議論の仕方を生じさせた、と感じているので、上の趣旨の文章には違和感をもった。
 但し、西尾幹二自身は、<文芸(文学)評論家的保守>ではない。
 「評論家」では小さすぎるし、「思想家」というのも必ずしも妥当ではないだろう。
 というのは、教育政策、労働(移民)政策等々への発言も目立っているし、「新しい歴史教科書をつくる会」の初代会長という<実践家>でもあったからだ。
 「歴史家」と言ってしまうのも、その対象は日本に限らず世界に広がっているが、狭くとらえすぎるだろう。
 佐伯啓思、西部邁らの「思想家」タイプと比べても、西尾幹二の大きさ・広さは歴然としている。櫻井よしこ、八木秀次ら、そして渡部昇一とはまったく比べものにならない。
こんなことから<人文系と社会系>の差違について述べたかったし、また、西尾幹二のような論者と「専門家」という者の違いについても思い巡らしたかったのだが、別に扱おう。
 なお、追記するが、上のように記したからといって、秋月は西尾幹二の全ての主張・認識等に100%賛同しているわけではなく、100%「信頼して」いるわけでもない(そんな人物は一人もいない)。かつての皇太子妃関連の主張には異を唱えたこともある。原発に関する考え方もたぶん同じではない(秋月瑛二はすべての人物や組織から「自由」だ。それは、いかなる人物・団体の<支援>もなく「孤独」であることも意味している)。
 二 西尾幹二全集第16巻(2016、12)の「後記」を少し捲ったあと最初に読んだのは、「嗚呼、なぜ君は早く逝ったのか」と題する坂本多加雄の逝去・葬儀に関するものだった。「インターネット日録」掲載のもののようだが、知らなかった。
 坂本死去の2002年の頃の論壇等々の雰囲気を知って、テーマからするとやや非礼かもしれないが、興味深い。
 秋月もまた、坂本多加雄の少なくとも単行本化されている書物は、かなり高価だった中古本の<象徴天皇制度と日本の来歴(1995)> も含めて、ほとんどを所持し、一読はしているのだ。
 興味深い、というのは、けっこう著名な人物名が出てくるからでもある。
 伊藤哲夫、高森明勅、中川昭一、粕谷一希、北岡伸一、杉原啓志、ら。
 また、この当時の<保守>的活動の内容の一端をかなり生々しく知ることができるからでもある。
 坂本多加雄、52歳。この人の<反マルクス主義>の歴史観および歴史叙述観は、ひょっとすればこの欄に紹介したかもしれない。そして、西尾幹二の文章とともに、人の死ということをあらためて考える。
 のちに、遠藤浩一も亡くなった。いずれも、交際相手として選ばれるはずもない凡人の私の、個人的な知り合いでは全くなかつたのだが。
 この人たちが存命であれば、<保守>論壇の現状は、少しは良くなっていたような気がする。しかし、そう想ってみても、現実を変えることはできない。
 そのつぎにおそらく「後記」を読み直した。主として<路の会>のことだ。
 また、「月報」が挿入されていることに気づいて読んだ。書き手の名もその内容も興味深く、思わず集中してしまった。
 これらの感想、種々思うことは、この回には書けそうもない。

1430/西尾幹二全集第15巻(国書刊行会、2016)。

 西尾幹二全集第15巻(2016)の内容のほとんどは「わたしの昭和史」で(全集では「少年記」)、二冊の新潮選書(1998)で読んだことがある。
 いつか忘れたが読んだあとは、こんな記憶力とそれを呼び覚ます資料は自分にはない、したがって自分には書けない、という思いと同時に、1935年生まれの、私のいう<特殊な世代>、あるいは国民学校・小国民世代の人物が、よくぞ「左翼(的)」にならなかったものだ、という感想が生じた。
 もしあらためて読めば何かのヒントがあったのかもしれず、著者がこの問題に触れているのかもしれないが、読み返す余裕はたぶんない。
 1960年の時点、著者がちょうど25歳の頃に「左翼」でなかったことは上記単行本のp.505でも記述されている。
 すなわち、同年に樺美智子が死亡したのちの東京大学での演説会で日本社会党国会議員が「虐殺」うんぬんを述べていたとき、「私〔西尾幹二〕があれは虐殺ではない、圧死だと口走った」とある。
 このあと「口走ったとたん、巨漢の柏原〔柏原兵三、のち芥川賞作家-秋月〕の大きな掌が私の口をふさいだ」、彼は「私が殺されるのを恐れたからだった」、と続いて、生々しい。
 ともあれ、「虐殺抗議」のプラカートを先頭に掲げたデモの写真を見たこともあり、当時の各大学での(樺美智子もその一員だったが)「左翼」的雰囲気を想像することもできる。だが、西尾は明らかに「左翼」ではなかったようだ(なお、同じ文学部の同期入学生に、大江健三郎がいたはずだ)。
 そして、それはなぜ ?、いかにして<保守>論客に ?という感想が生じるが、それは全集をよくよく読み込めば判るのかもしれない。
 ところで、上の柏原某も出てくる文章はこの全集版で初めて読んだのではない。だが、示されている月刊正論1995年2月号で読んだのでもないとも記憶していて、やや不思議だ。
 この上の文章は<少年記>とは別の「付録/もう一つの青春」の一部で、私は上の部分のみを憶えていたかに見えるが、今回に(といっても昨2016年の刊行直後に)読んで印象に残ったのは、一つに、大学院学生の西尾は、当然ではあるのだろうが、研究の対象等の自らの将来に思い悩んでいた、ということだ。
 「私は相変わらず何を書くべきなのか、あるいは何が書けるのかも分らず、学校と自宅の間を往復し、文学と思想の広大な海を漂流していた」。(余計だが、「美しい」文章だ。p.504)
 もう一つは、大学院に進学したのちの「指導教官」を、当時にすでに故人ではあるものの、氏名を明示して、「私はその思想、研究業績を軽蔑していた」と明記していることだ。この「指導教官」は「日本の典型的な『進歩派』文学者」だったらしい。
 それで西尾は「ニーチェを師として選んだ」ようだ。
 さて、個々の人間の人生にはいろいろな偶然的な出逢いがあるものだ。西尾幹二にとっても、若き学生時代のいくつかの偶然はのちのちの西尾幹二が生まれる原因の一つだったことには違いなく、「指定された」という「指導教官」もまた、その一つだっただろう。
 さらに発展させれば、西尾は拒否したようだが、「指導教官」が日本共産党の党員学者だったり、明確な親共産党の者だったりすれば(そんなことは大学院の学生レベルでは通常はあらかじめ判っているものではないだろう)、西尾のように実質的に離れれば別として、その「指導」を受ける学生は、どのような学者・研究者に育っていくのだろうか、と想像して、暗然とする。
 そういう特定の教師・学生の特殊な「身分関係」は-それは学生にとって「就職」という生活・生存にかかわる-、今日まで、容共・「左翼」的な人文社会系学者・研究者たち(大学教授たち)の誕生に、大きく寄与してきたのではないか、と推測される。
 -と、かなり西尾の全集それ自体からは離れたことまで書いてしまった。

1426/「保守」とは何か-月刊正論編集部の愚昧③。

 一 月刊正論編集部のマップ(月刊正論3月号p.59)の基礎的問題点の一つは親米・反米に拘泥していることであり、これはアメリカを対象化・客観化して認識し議論することをきわめて困難にすることになる。
 すなわち、アメリカ自体が変容・変化する可能性があるが、<親米か反米か>という見方によれば、アメリカの変化によって親米の内容も反米の内容も変わってしまう、ということが看過される危険性がある。日本(人)の見方が、大きくアメリカの思想や政策に依存してしまうことになる。
 また、日本のほかに欧米も視野に入れた思考をできにくくする。例えば、アメリカの二大政党は私のいうB内部の対立なのか、BとCの対立に相当するのか(反共のブレジンスキーによれば前者のようだが、今の民主党は<容共>のようでもあり、私には判断しかねる)、既述のようにトランプ大統領はBからAに向かうのか、といった関心を封じることとなる。
 秋月瑛二の図表もイスラム・アフリカや共産主義諸国内部では不適切だろうが、それでも月刊正論編集部のそれよりは、広い視野を持つものだと思われる。
 二 西部邁・佐伯啓思らの表現者グループについて、その「保守」性を疑問視したり、<左翼との通底 ?>と書いたこともある。中島岳志を「飼って」いたり、佐伯啓思が橋下徹について<ロベスピエールの再来の危険>とか書いたこと等をきっかけとしてだった。
 しかしいちおう自己申告?に従って、「保守」だと見なすことにしよう。西部邁も含めて、その反米主張や「自由・民主主義」に対する疑問は日本の「左翼」に利用されかねないし、類似性もなくはないと思うが、<反共産主義>者たちだとは思われる。
 そうすると、菅原慎太郎らの月刊正論編集部は、他の保守との区別がつかなくなるではないかと、秋月瑛二の分類の仕方を非難するかもしれない。
 そのとおり、<保守・リベラル>=おおよそ読売新聞社系「保守」以外の保守は、私のいうA保守(反共)・ナショナルに含まれ、そのかぎりで、表現者グループと同じだ。
 想定しているのは、西尾幹二、中西輝政、櫻井よしこら。小林よしのりも。中川八洋については、かなり迷う。中川は<反共>意識旺盛だが、<親英米>の、私のいうBグループではないか、と。
 中西輝政も含めて、なお論評したいことは多いが、今回は避ける。
 櫻井よしこについては、渡部昇一に対するのと同様にこの欄で批判し続けてきているが、それは、こんなことを書いて<本当に保守派なのか>という疑問提示と叱咤激励のつもりだった(だが、昨年以降は、「観念保守」としてさらに距離を置いて批判する必要があると感じている)。
 ともあれ、A保守(反共)・ナショナルの内部にこそ、月刊正論編集部が注目している区別があるようであり、かつ、その区別を強調して過度に肥大化させる必要はない、と思っている。月刊正論編集部はいわば広い<身内>にのみ関心を寄せていて、視野が狭いようだ。
 すなわち、八木秀次に依頼したかにみえる論考タイトルは「保守とは何か-エセ、ニセの見分け方」で(但し、八木はこの「見分け方」を明示していない)、編集部のマップの中にも「保守・自称保守」と並べた言葉があるが、このような発想方法は、「真正保守」は何か、誰々か、を探ろうとするもので、ヒマな人々は勝手にすればよろしいが、ほとんど建設的・生産的な意味がない、と思われる。
(但し、「観念保守」という概念の設定はこれに反しているかもしれない。この概念の発見?は、なぜA保守ナショナルは多数派になっていないのか、その理由を考えたりしているうちに生じた。)
 「真正」か否かではなく、具体的に、あるいは個別テーマに即して、どのような主張・政策が<保守>派として最適なのか、を論じなければならない。2015年戦後70年安倍談話をいかに評価すべきかは基本的論点だが、他にも、憲法改正で急ぐべき条項はいずれか、原発問題は ?、皇位継承問題は ?、いっぱいある。
 もとより、一般的・抽象的な議論として<保守とは何か>を議論できるし、する必要があるのかもしれないが、国によって、また日本でも論者によって内容は様々で、「正しい」解答などは存在しないのではないか。
 「真正」・「自称」・「エセ・ニセ」といった形容句の玩弄はやめた方がよい。それはすぐさま、回避すべき<観念>的議論につながる可能性が高い。
 三 「保守とは何か」、これを論じるつもりはない、と前々回に書いた。しかし、私には、答えは簡単なのだった。
 反共産主義こそ、「保守」だ。そのかぎりで、<保守には、いろいろ(諸種・諸派が)あってよい>。

 なお、4分類、4象限化という思考・作業は当然に類型化・抽象化を伴っていて、「観念」化そのものだ、ともいえる。本来は相対的でありうる区別を絶対化して不要な分類作業をしてはいけないことは、自認・自戒している。

1420/<観念保守>という日本の害悪-例えば天皇譲位問題。

 仲正昌樹が、精神論保守と制度論保守を区別して、後者ならば支持できる、又は属してもよいような気がしてきた、と何かで書いていた(この欄で触れたかは失念)。
 経緯はばっさりと省略するが、この対比を参考にしつつも、<観念保守>と<理性(合理)保守>の区別という語法の方が適切だと思ってきている。
 天皇譲位問題についての主張を、新聞報道または週刊誌を含む雑誌の記事による紹介、さらにはそれらを読んだ記憶に頼ってのみ以下書くのだが、日本の<観念保守>のまさしく観念論ぶり、いい加減さ、そして欠陥は、渡部昇一、平川祐弘、八木秀次、櫻井よしこらの同問題についての(識者懇談会のヒアリング時での)主張ぶりに現れていそうだ。
 平川祐弘が本当に「保守」派なのかは、もともと怪しく思っていて、数十年前にいた竹山道雄・安倍能成らの(反共・自由主義の)「オールド・リベラリスト」程度ではないかと思っている。だから、ここでの本来の対象にはしたくない。
 安倍70年談話支持の平川の論考はひどいものだったし、その後目にする平川の雑誌論考も、半分ほども他人の文章の引用だったりして、相当に見苦しい。
 そのような平川に執筆を依頼する保守系雑誌の(編集部の)レベルの低さ、あるいは「保守的」な文章作成者の枯渇ぶりを感じざるをえない。
 子細は省略したが、櫻井よしこは<保守派の八方美人>だとこの欄で記したことがある。この人はこちこちの<観念保守>ではなく、天皇譲位問題についても<拙速はいけない。よく考えるべき>とだけ当初は書いていたが、上記ヒアリング時点では、譲位制度化反対へと考えを決したようだ。<保守>系論壇人の状況について<日和見>していたのかもしれない。
 この項はすべて記憶に頼る。月刊正論(産経)の編集長・菅原某は当該雑誌の秋頃の末尾に、譲位制度創設反対か<議論を尽くせ>のいずれかが<保守>派の採るべき立場であるかのごとき文章を載せていて、これが産経新聞の主流派の見解だろうかと想像したことがある。
 百地章は当初は<摂政制度利用>論=譲位制度創設反対論だったように見えたが、ヒアリング時点では、皇室典範(法律。なお、憲法2条参照)を介しての特別法(法律)による(おそらく一代限りの)譲位容認論に変わったようだ。
 譲位制度導入反対論-これはほとんど摂政制度利用論といえる-に反対する立場に百地章が転じた背景は興味深い。その背景・理由はよくは分からないが、譲位制度導入反対論がいう摂政制度利用論は現憲法と現皇室典範を前提にするかぎりは採用できない(法的に不可能)と秋月は考えているので、上の基本的立場については、私も百地と同様だ。
 さて、いくつか考えることがある。
 第一は、渡部昇一や平川祐弘が前提的に主張したらしい、天皇とは「祈る」のが本来の仕事という理解の仕方は、典型的に「観念保守」に陥っていることを示している。
 つまり、「天皇」についてのそれぞれが造成している「観念」を優先させている。さらに正確にいえば、現実の(現日本国憲法下での)天皇が「祈る」ことまたは「祭祀」を行うだけの存在ではないことは、現憲法が定める「国事行為」の列挙だけを見ても瞭然としている。にもかかわらず、この人たちは、現憲法の天皇関係条項を全く知らずして、又は知っていても無視して、自らの主張を組み立てている。
 同問題懇談会のメンバーは、代表的にのみ言えば、この二人が開陳した意見を、すべてまったく無視してかまわない。
 ついでに言うと、西尾幹二は「観念保守」ではないと思うし、小林よしのりが少なくとも少し前までの月刊サピオ(小学館)で揶揄し批判していたこの問題の一連の主張者(渡部昇一、八木秀次ら)の中に含まれていない。
 だが、西尾幹二ですら天皇(または皇室)は京都に戻るべきと何かに書いていた(二度ほどは読んだ)。だが、首相任命・閣僚任命や衆議院解散等にかかる現憲法上の天皇の重要な権能を考えると、京都市在住では実際上国政に支障をきたすおそれが高い。余計なことを書いてはいるが、憲法を改正して現在の天皇の「国事行為」をほとんど除外しないと、京都遷御ということにはならないだろうと思われる。
 第二に、「観念保守」論者が「保守」したい天皇制度とはいったい奈辺にあるのだろうか。
 櫻井よしこは、明治の賢人たちが皇室典範制定に際して生前退位を想定しなかった、その「賢人」の意向を尊重すべきとか、今はよくても100年後にどうなるかわからない(制度変更の責任を持てるのか、という脅かし ?)とか主張しているらしい。
 櫻井よしこは、明治憲法下の天皇制度が最良だと考えているのだろうか、そしてそうであればその根拠は何なのだろうか。
 これは一般的に、<保守>派のいう保守すべき日本の「歴史・伝統」とは何か、という基本問題にかかわる。
 ついでに書けば、大日本帝国憲法にいったん戻れという議論は法的にも事実上も不可能なことを可能であると「観念」上は見なしているもので、議論を混乱させる、きわめて有害なものだ(産経新聞社・月刊正論は、この議論に一部は同調的であるらしい-その理由はバカバカしくも渡部昇一の存在 ?)
 秋月瑛二は、明治期の日本が維持されるべき(復元されるべき)日本であるとはまったく考えない。八木秀次もそのようだが、明治期の議論を持ち出して、譲位容認にはあれこれの弊害・危険性があるというのは、明治の賢人 ?たちを美化しすぎている。
 伊藤博文らには、何らかの「政治的」意図もあった、と考えるのが、合理的かつ常識的なのではないか、と思われる。
 今はよくても100年後にどうなるかわからない、という櫻井よしこの主張(らしいもの)についていうと、旧皇室典範以降100年以上経って、限界が明らかになっているとも言える。つまり、100年後にどうなるかわからない、という時期が皇室典範の歴史上、今日になっている、とも言える。また、譲位制度を作っても、問題があれば、100年後にまた改正すればよいだけの話だ。<今はよくても100年後にどうなるかわからない。改正してよいのか>という議論の立て方は、全く成り立たないものだ。
 したがって、櫻井よしこの脅かし ?-これはいわゆる「要件」設定の困難さを想起させてしまう可能性があるが-に専門家懇談会のメンバーは、そして政府も国会も、屈する必要は全くない。
 問題は要するに、現皇室典範が明記する摂政設置の要件充足にまではいたらないが(したがって「摂政」設置で対応することはできないが)、高齢化により国事行為やその他の公的行為(祭祀の問題はかりにさておくとしても)を適切にはかつ完璧には行えなくなったと見受けられる(文章の1、2行の読み飛ばし、儀式日程の一部の失念などは、高齢の天皇には生じうることだろうと拝察される)場合、かつ譲位の意向を内心にでも持たれた場合に、日本国家と国民は、どう対応すればよいかにある。
 詳細は知らないが、天皇の高齢化問題ととらえているようである、所功の主張は、立論において秋月に似ているかもしれない。
 天皇についての特定の(適切だとは論証されていない)「観念」を前提にした議論をするのではなく、最小限度、現憲法の規定の仕方を考慮した「制度」論を行うべきであるのは、「天皇」もまた制度である以上、当然なのではないか。
 また、明治日本はあくまでの日本の歴史の一時期にすぎない。明治期を理想・模範として描いているとすれば、「観念」主義の悪弊に陥っている。
 現憲法を視野に入れるのは論者として当然の責務だが、それを度外視しても、長い日本の歴史と「天皇」の歴史を視野に入れる必要がある(書く余裕はないが、天皇・皇室をめぐって種々の歴史があった。今から考えて、有能な天皇も無能らしき天皇もいた。暗殺された天皇もいた-崇峻天皇。孝明天皇は ?-。祭祀が、あるいは式年遷宮がきちんと行えない時代もあった。「祭祀」が皇太子妃とまったく無関係に行われていた時期がたくさんあった。そうした問題をすべて解決したのが実質的には今に続く明治期の皇室典範だったとは全く思われない。なお、戦後、現憲法のもとで法律化)。 ゛
 以下、追記する。渡部昇一は、今上天皇に「助言」して思いとどまらせるべきだとか述べたらしい。この人物らしい傲慢さだ。
 平川祐弘は、現天皇(又は昭和天皇も含めて戦後の天皇)が勝手に「象徴天皇」の行動範囲を拡大しておいて辛さを嘆くのはおかしい旨述べたらしい。
 「象徴天皇」の範囲を-とくにいわゆる「公的行為」について-国民やメディアが広げた可能性はある。しかし、「祈る」行為だけにその任務・権能を限らず、「内閣の助言と承認」のもとにではあれ重要な国政・政治上の権能を多く付与したのは、現憲法だ。平川の議論は、現憲法批判もしていないと一貫していないだろう。
 思い出したが、自民党改憲案その他の<保守的> 改憲案は天皇を「元首」と定めることとしている。この「元首」化論と、天皇は「祭祀」が主な仕事だという議論は、ともに成り立つものとは思われない。
 ともあれ、渡部昇一も平川祐弘も、じっと現憲法の天皇条項を読んで確認してから、自らの考えを述べたまえ。勝手な「観念」の先立つ議論は有害だ。
 櫻井よしこについてはなおも、書きたいことがある。八木秀次には、もはやあまり興味がない。
 「真の」保守派の天皇・皇室論があるわけでは全くない、と思われる。月刊正論の編集部・菅原某あたりは、勘違いしない方がよい。
 ヒアリング対象者の発言はそのまま詳細に官邸ホームページ上で読めるらしいので、別途に論じるかもしれない。
 以上は、手元に何も置かず、記憶にのみ頼って書いた。したがって、前提認識に誤りがある可能性はある。

1368/歴史・政治・個人04-01ー「滝口までの生」。

 一 関川夏央・人間晩年図鑑1995-99年(岩波、2016)を一瞥していて江藤淳(-1999)の項に達したとき、「ナイアガラの瀑布が落下する一歩寸前の水の上で、小舟を漕いでいるようなもの」という表現に出くわした。江藤の妻が数ヶ月後に亡くなるらしいことを江藤が知った時点でのその妻と江藤自身の状況を表現している。江藤淳自身のたぶん1999年刊行の書からの引用部分の一部だ。
 なぜ印象に残ったかというと、鋭いアフォリズムに溢れた西尾幹二・人生について(新潮文庫、2015/原書2005・同全集第14巻にも所収)の「死について」の中に、かなり似た表現があるからだ。どちらが先かという話をしているのではない。
 西尾幹二は1989年逝去の詩人・上田三四二の書(この世この生、新潮社・1984)を参照・引用しながら、(川の下流の)「滝口までの線分の生」という生あるいは人生の本質を捉えた見方に共感を示す(p.205-6)。
 もう少し上田の文章を要約的にでも引用しないと分かりづらい。直接に見てみると、上掲の上田の書はこう述べている(もちろん一部)。
 ・残された人生の時間を「滝口までの河の流れのようなもの」と想像した。「滝口」とは「死の瞬間における死」だ。滝口までが「生の持時間」で「水流となって刻一刻、滝口に向かっている」。
 ・「滝口にちかい思い」も「あくまで予感」で、「私の死」は「いつ来るか予測のつかない曖昧なものとして目の前に」にあるが、「実際にやって来たとき、それを体験しようとしても私はその瞬間において死んでおり」、「その到来を知ることができない」。
 ・「私自身の死は、私自身にとって…、ないのである」。そこに、「死後なき死というおそろしい認識〔=恐怖〕に耐えるせめてもの慰藉を見い出してきた」。
 ・「死はある。しかし死後はない。死の滝口は、…水流をどっと瀑下に引き落とすとみえたところで、神隠しにでもあったように水の量は消え」る。
 ・「死後はすでに考慮外」だ。「死を避けることはできないが、死後はないと思い定め、…、滝口までの線分の生をどう生きるかに思いをひそめればよい」。以上、上田p.10-11。
 江藤のいう「ナイアガラの瀑布が落下」し始める地点が上田=西尾のいう「滝口」のことだ。
 その地点・時点以降(=死後)は「ない」=認識・意識不可能だ、という深遠な?洞察がここにある。
 自己(または肉親)の近づく「死」を意識した際に、人というのは同じようなことを考えるものだと思う(むろん、江藤が上田の上記のような比喩?を知っていた可能性はある)。
 二 だが、と揚げ足取りをすれば、「滝口」はまだ「死」ではないだろう。
 「滝口」から水瀑とともに落ちる途中か、滝壺の水に衝突してか、あるいは滝壺の中に深く沈んで溺れることによって、ようやく「死」に至るのではないだろうか。漕いでいた「小舟」もろとも落下し始めることだけでは、おそらくまだ「死」に至ってはないのではないか。
 江藤淳や西尾幹二(・上田三四二)を貶めようという気はさらさらないし、あくまでの喩え話に「理屈」でもって容喙しても意味がない。
 厳密には、と考えてしまうのも、どのような「死に方」が楽だろうか、不可避の、切迫した自らの「死」を意識して「自分が消滅するという恐怖」(西尾幹二・上掲書p.202)が発生したときから、実際の「死」までの、<恐怖>が継続する時間、または<苦しみ>の程度は、自分の場合はどうなるのだろう、とときどき想像してしまうからだ。
 「滝口」とは、「死」の意識が、つまりは「自分が消滅するという恐怖」が現実的・具体的に発生する地点だと思われる。理屈を言えば、じつは、落ちたと思った(「滝口」だと意識した)としても滝の高さが2メートルほどで、ずぶ濡れになっても平気でまだ生きている可能性はある。
 三 死刑囚が処刑される(刑を執行される)までどのような心理でいるのだろうと想像すると、なかなか恐ろしい。
 そしてまた、そもそもが江藤のいう「瀑布が落下する一歩寸前の水の上」の心理から書き始めたくなったのは、いわゆるA級戦犯のうち松井石根ら7名は東京裁判法廷の判決日から処刑される=刑を執行されるまで、どういう意識・心理だったのか、Death by hanging というが、厳密にはいつの時点で彼らは「死」に至ったのかその直前に何を一瞬にでも感じたのか・想ったのか、ということに思いを馳せることがあるからだ。
 どうやら最後まで書けそうにない。
 <つづく>

1364/日本の「保守」-水島総という勇気ある人、月刊正論(産経)誌上で。

 中西輝政「さらば安倍晋三、もはやこれまで」歴史通2016年5月号(ワック)から再び引用する。
 ・「保身、迎合、付和雷同という現代日本を覆う心象風景は、保守陣営にも確実に及んでいる」(p.97)。
 ・「心ある日本の保守派」が、「安倍政権の歴史認識をめぐる問題に対し、ひたすら沈黙を守るか、逆に称賛までして」、意味ある批判・反論をしないことに「大きな衝撃を受けた」(p.109)。
 こうした中で、水島総という人物は、勇気がある。
 月刊正論(産経)3月号p.106で水島は言う。「時が経つにつれ、安倍政権が歴史的大愚行を犯してしまったことが明らかになりつつある」。
 このあと2007年のアメリカ下院決議に当時の第一次安倍晋三政権は「反論も抗議も」せず、安倍総理も「残念」だとしたにとどまるという経緯等を、批判的に述べている。
 この2007年7月米国下院決議については、秋月も当時、警戒しなくてよいのか、放置してよいのか等を(たぶん直前に)記していた。その過程で、岡崎久彦が<じっと我慢するしかない>旨を書いていることを知って(正確な文章は最近の中西輝政論考の中にある)、改めて確認しないが、当時、そんなことでよいのか旨の疑問を示したこともあった(はずだ)。
 また、水島総は、2015.12の日韓慰安婦問題「合意は、我が国の安全保障体制にも重大な痛手を与える可能性がある」として、「人心」・「自衛隊員の士気」への影響等に論及している(p.108-9。異なる観点からの安全保障の観点からの疑問・批判は、後出の西尾幹二論考にもある)。
 そして水島総は、安倍政権「打倒」は主張しないが、安倍政権「不支持」を宣言する(p.110-1)。
 同じ3月号の西尾幹二「日韓合意、早くも到来した悪夢」は、最後にこう述べていた(p.81)。
 「日本人の名誉と運命を犠牲にしてこのような決断をあっという間にしたことが成功だったと言えるかどうかは、本当のところまったく分からない」。
 「言論界はいま、この問題で政治的外交的に過度に配慮する必要はなにもない。日本人の名誉を守るために、単純にノーと言えばよい」。
 「政治と言論、政治家と思想界とは立場が違うのだ。…。こちらから政治家に歩み寄るのはもってのほかである。安倍シンパの協力者たちには、そうあえて苦言を呈したい」。
 この言からすれば、水島総は同時期に、西尾幹二の言うような姿勢を示していたことになる。
 一方、別の雑誌の翌4月号で、2015.12日韓慰安婦問題「合意」を擁護、支持していた<保守>派らしき者もいたわけだ。この人物はいつから<安全保障・軍事>評論家になったのだろう。この分野の専門知識はほとんどないはずだが。また、いつから「政治評論家」になったのだろう。
 水島総月刊正論2016年8月号(産経)では、いわゆるヘイトスピーチ法に反対して、「だから言ったじゃないか、一体なぜ…こんな思いを第二次安倍政権樹立以来、もう何度も味わってきた。ざっと思い出しても、…」と書き始める(p.274)。そして言う。
 「『左ウィング』を拡げようとしたとき、安倍政権の根幹が崩壊する」(p.279)。
 成立してしまったこの法律に秋月も反対だ。この法律が責務法・理念法としてあるならば、在日本の「本邦外出身者に対する」<不当な優遇>を解消するための基本法があってもよいだろう。ここでまた?「歴史」とか「謝罪」を持ち出してはならない。
 それはさておき、上のような水島総の主張も、勇気がある。この論点を、産経新聞や月刊正論(産経)はいかほどに取り上げてきたのだろうか。
また、水島総は、上の法律の背景に<外国>があることを指摘しつつ、つぎのように締めくくる。p.279-280。
 「冷戦終結で、ソ連共産党は消失したが、共産主義は依然として、形を変えて生き残り続けている。それを私たちは夢々忘れてはならない。その中心が中国共産党である」。安倍政権を打倒したいのは、「国内の野党勢力だけではない」、「中国共産党政府」だ。「スパイ天国と言われる我が国に、様々な国際共産主義謀略工作組織が深く広く浸透しているのは公然の秘密である」。
 秋月は<保守派>の中でもごく少数派に属していると自覚しているのだが、このような、 (中西輝政、西岡力、江崎道朗らと同様の)明確な<反・共産主義>の主張を読むと、少しは安心する。もっとも、「様々な国際共産主義謀略工作組織が深く広く浸透している」としても、それは決して「公然の秘密」と言われるほどにはなっていないように見える。具体的な指摘と具体的な<暴露>が必要だ。
 なお、以上は、2016年参院選における投票行動をまったく意識しないで書かれている。
 そう言えば、ネット上で、安倍晋三の実際の言葉かどうかは確認していないが、つぎの面白い表現を見かけた。
 <いいですか、皆さん。民進党には、必ず共産党が付いてくるんですよ。

1363/月刊正論8月号(産経)ー江崎道朗から西岡力=中西輝政へと。

 一 月刊正論8月号(産経)で、江崎道朗が与えられた4頁の紙面のうち1頁を使って、中西輝政「さらば安倍晋三、もはやこれまで」(歴史通5月号(ワック)に言及し、中西の分析に「ほぼ同意する」、と書いている(p.241)。
 江崎道朗自身の最後の文章は、こうだ。
 「歴史戦の勝利を望むすべての人々にこの中西論文は読んでいただきたい。//
 厳しい現実から目を背けていては、勝利を手にすることはできない。」
 江崎道朗と中西輝政に「通じる」または「共感しあう」ところがあるだろうことは、中西輝政=西岡力・なぜニッポンは歴史戦に負け続けるのか(日本実業出版、2016)の西岡力による「まえがきにかえて」からもある程度は分かる。
 西岡力によると、産経新聞2015.02.24付「正論」で「冷戦の勝利者は誰かを問いたい」を書いたところ、中西輝政から「見方に賛成だ」との「連絡」があり、それを機縁として、月刊正論2015年5月号の西岡力=島田洋一=江崎道朗の鼎談ができた、という。
 産経新聞紙上のものを読んだ記憶ははっきりしないが、その内容は上の「まえがきにかえて」の中におそらくかなり引用されており、ほとんどか全くか賛同できる。
 というよりも、中西輝政=西岡力の上掲著を読み始めて最後まで了えた(たぶん2016年3月)こと自体、この西岡力の「まえがきにかえて」に引きつけられたことによる可能性が高い。
 その西岡力らの西岡力=島田洋一=江崎道朗鼎談「歴史の大転換『戦後70年』から『100年冷戦』へ」月刊正論2015年5月号p.86以下については、かなり印象に残ったに違いない、秋月はこの欄で2015年5/18から2回に分けて「戦後70年よりも2016末のソ連崩壊25周年」と題し、「面白いし、かつすこぶる重要な指摘をする発言に充ちている」と書き始めて紹介・引用している。
 やや遠回りだが、江崎道朗と中西輝政というとこんな些末なことも思い浮かぶ。
 元に戻って、江崎道朗の文章のうち、「歴史戦」をめぐる「厳しい現実」という言葉が心を打つ。「厳しい現実から目を背けていては、勝利を手にすることはできない」。
 厳しい現実を理解せず、また理解しようとせず、従来の<保守の小社会>で安逸に生きていきたい言論人も多いのだ。
 二 西尾幹二の刺激的な言葉を再引用。月刊正論2016年3月号p.77。
 「本誌『正論』も含む日本の保守言論界は、安倍首相にさんざん利用されっぱなしできているのではないか」、「言論界内部においてそうした自己懐疑や自己批判がない」のは「非常に遺憾」だ。
 三 江崎道朗が読んでほしいという中西輝政論文の最後に、以下の叙述がある(初めて見たのではない)。歴史通5月号p.117-8。
 ・日本政府・日本人が「自前の歴史観」を世界に臆することなく自己主張するには「あと三十年はかかる」。このための条件の整えるのに「それだけの年数」がかかると思うからだ。
 ・条件の一つは、国内または日本国民内で「歴史観」での闘いが、「たとえば東京裁判史観をめぐって、せめて四対六くらいに改善していること」。
 ・「現在は一対九にも及ばない」だろう。「とくに、マスコミや歴史学界においては、この一対九にもはるかに及ばない」。
 なんとも厳しい現実認識なのだが、冷静に日本を俯瞰すると、こんなものかもしれない。中西輝政のそれは悲観的すぎる、とは言えないかもしれない、と感じる。
 中西輝政が感じていることは、日本国民の中で<東京裁判史観>に(明確に)反対する者は10%に及ばず、「マスコミや歴史学界」では10%に「はるかに及ばない」、ということだ。
 さて、と思うのだが、<保守>派とは<東京裁判史観>反対派のはずであり(と思っており)、とすれば例えば産経新聞「正論」や月刊正論(産経)に登場する論壇人・言論人のほとんどは<東京裁判史観>維持に反対の者たちだということになりそうだが、最近、これを強く疑うようになってきている。
 また、産経新聞や月刊正論(産経)のような新聞・雑誌ばかりを読んでいる(幸福な?)人々は、安倍晋三「保守」政権ということもあって、何となく国民の過半数が、少なくとも三分の一程度は<保守的>な「歴史観」を持っていると感じているのかもしれないが、大きな勘違いだろう、と思われる。
 冷厳な現実は、中西輝政の指摘するものに近いのではないか。
 四 ついでに。平川祐弘「『安倍談話』と昭和の時代」月刊WiLL2016年1月号(ワック)p.32以下は昨年夏の「安倍談話」を支持する立場からのものだが、こんな悪罵を投げつけている。誰に対してかの固有名詞はないが、中西輝政や西尾幹二を含んでいるかに見える。
 ・「どこの国にも、自国のしたことはすべて正しいと言い張る『愛国者』はいる」。
 ・とくに日本では「反動としてお国自慢的な見方がとかく繰り返されがちになる」。
 ・「おかしな左翼が多いからおかしな右翼も増えるので、こんな悪循環は避けたい」。
 ・「不幸なことに、祖国を弁護する人にはいささか頭が単純な人が多い」。以上、p.35-36。
 「東京裁判史観」を基本的に批判する立場の者は、私も含めて「自国のしたことはすべて正しいと言い張」っているわけではない筈だ。
 「おかしな右翼」、「いささか頭が単純な人」とはいったいどのような人々なのか、平川祐弘は言論人ならば明瞭にすべきだろう。
 平川うんぬんが主テーマではない。このような内容を含む論考を巻頭に掲載する、花田紀凱編集・月刊WiLLが(今は編集長が替わったので、花田紀凱編集長の新雑誌や月刊WiLLという名の雑誌が)<保守>派を代表する論壇誌(の一つ)として扱われている、という悲惨な現実がある、ということをしみじみ感じている。今なお、渡部昇一の文章を掲載する非「左翼」系のはずの雑誌がある(月刊Will8月号「それでも、やっぱり安倍晋三!」!。産経・月刊正論8月号もその一つ)、という現実も。
 「厳しい現実」を直視して、鱓(ゴマメ)の歯軋りの如く呟きつづけても、「あと三十年はかかる」。

1361/渡部昇一批判3-<東京裁判史観>批判をしない「保守」。

 一 渡部昇一「『安倍談話』は百点満点だ!」月刊WiLL2015年10月号p.32-というものがあり、このタイトルは目次にも、雑誌表紙にも、さらには背表紙にも大きく謳われている。
 別の雑誌のものであるはずだが、月刊正論「メディア裏通信簿」欄に「編集者」として登場する人物は、同2015年11月号の「19」回で、つぎのように渡部昇一をおそらくは「擁護」している、または「庇って」いる。
 「渡部先生の文章には『百点満点』という表現はなく、『首相としての談話においては、これ以上の内容は現時点ではあり得ないだろう』と書かれているだけです。…現状では、首相の立場で出せる談話としては最高だ、と評価されたということでしょう」。
 そして、「弊誌正論10月号にも違う観点から論考をいただきましたが、やはり談話は高く評価されました」と続く。以上、月刊正論2015年11月号p.408-9。
 この「編集者」と月刊正論の実際の編集人・小島新一や同編集部とどう関係しているのか正確には分からないが、ふつうの読み方としては、同一またはほとんど同一であり、月刊正論編集部(・編集人小島)もまた、渡部昇一と同じく安倍「戦後70年談話」を「高く」評価しているのだろう。
 そしてまた、伊藤隆=中西輝政対談と西尾幹二論考を掲載している同号について、まさしく「編集者」は、「同じ正論なのに論調が少し変わっています」と認めている(p.397)。
 さて、月刊WiLL2015年10月号の渡部論考のタイトルがまるで著者の意思と無関係に付けられたかのごとく「編集者」が述べているのは、おそらく実態とは異なるだろう。そうであれば、渡部昇一はさすがに抗議するだろう。了解があった見るのが常識的だ。
 また、渡部昇一は「首相としての談話においては、これ以上の内容は現時点ではあり得ないだろう」と書いているだけなのか。
 月刊正論2015年11月号の「編集者」なるものは、きちんと日本語文章が読めるのだろうか。あるいは、読めても、マズイと思って、無視して=存在しないものとして扱っているのだろうか。
 渡部昇一の月刊WiLL2015年10月号論考の最後のまとめ部分には、こうある。以下、引用する。p.41。何十年先も、何百年先も、この渡部昇一の文章は記憶されるべきだ。
 「おわび」・「植民地支配」・「侵略』・「慰安婦」…。
 「これらの文言を盛り込みながら、村山談話はおろか、東京裁判史観をも乗り越えた安倍総理の、そして日本の大勝利である」。/
 「安倍総理の談話によって、日本はようやく村山談話をふっ切ることができた。安倍総理は悲願だった戦後レジームからの脱却にいよいよケリをつけ、名実ともに戦後を飾る大宰相となったのだ」。/
 「この未来志向の談話があれば、少なくとも『戦後百年』までは新たな総理談話は不要である。…」。/
 「『戦後』は安倍談話をもって終わりを告げることになったと言えるだろう」。/
 なるほどこの渡部論考の冒頭には、上の「編集者」のような理解を導く部分がないではない。しかし、「現時点」であれ「首相の立場」としての評価であれ、以上引用部分のとおり、渡部昇一が、安倍「戦後70年談話」を、村山談話を「ふっ切る」ものと、「東京裁判史観を乗り越え」るものと、そして「戦後(レジーム)」に「終わりを告げる」ものと、評価していることは明白だ。
 二 安倍首相「戦後70年談話」それ自体にここで立ちいることはしない。つまり、たしかに単純に意味が分かる理解しやすいものではないが、「解釈」の仕方・内容を詳しく述べることはしない。
 この安倍談話の内容については、例えば西尾幹二が、月刊正論2015年11月号で、安倍談話の「歴史認識」をかなり詳しく分析して、批判している。
 また、秋月瑛二の「解釈」・理解が決していびつなものでないことは、上にも言及の伊藤=中西対談で伊藤隆が「保守系全体の高い評価に驚き、もう一度読み返しましたが、やはり『歴史解釈が東京裁判と同じだ』と確信しました」(p.74)と述べていることで、おそらく十分だろう。
 はたして、渡部昇一の読み方が適切なのか、中西輝政や伊藤隆の読み方が適切・自然なのか。<(政治的)願望>をもって、日本語文章の意味を理解してはいけない。
 三 渡部昇一はまた、2015年12月の日韓「慰安婦」問題合意をも、擁護する。
 すでに言及したように<共産主義・反共産主義の対立は終わった>旨もこの中で書いていた、月刊WiLL2016年4月号「日韓慰安婦合意と東京裁判史観」においてだ。
 渡部昇一もさすがに、この「最終決着合意」なるものが<当時の日本軍事当局の関与(英訳文)>によって「慰安婦問題」が生じたことを認めていることを否定しようとはしていない。だが、言い方もいろいろあるものだ、渡部は述べる。
 すなわち、今次の日韓合意は、「国の名誉という国益」と「日本国民の生命財産を眼前の軍事的脅威から守る」という「国益」の選択を迫られて後者を、「河野・村山談話の継承によって、日本人の、よりによって嘘から始まった『恥』を末代まで残す危険性を除去しなければならない」という「国益」と「現在の日本国民の生命財産を守る」という「国益」の二つのうち後者を、選択した(選び取った)ものだ(p.34-35)。
 これは誤っている。<保守>派にあるまじき詭弁だ。
 国家や国民(日本と日本人)の「名誉」を守る、あるいは「嘘から始まった恥を末代まで残す危険を除去」する、という利益を捨ててよいほどの<国益・公益>とはいったい何か。
 一般論として、そのような<国益・公益>あるいは抽象的にいう「日本国民の生命財産」がありうるだろうことを否定はしない。
 しかし、渡部昇一がいう「眼前の軍事的脅威」とは何か。おそらく間違いなく、中国や北朝鮮のそれを指している(p.34)。だが、今次の合意は韓国との間でなされたものであってこれらは直接の当事者ではない。
 だが、と、渡部昇一は主張するのだろう。韓国との間の外交関係を良くしておかないと、中国や北朝鮮からの軍事的脅威の現実化の際に、韓国とも共同して防衛できなくなる、日韓だけではなく、アメリカ合衆国の意向も配慮せよ、と。
 一見筋が通ってはいそうだが、問題ははたして、日本国家と日本人の名誉を傷つける歴史認識を示してまで、つまりは「嘘から始まった『恥』を末代まで残す危険性」にあえて浸ってまで、昨年の12月に韓国と「合意」しなければならなかったほどに、「日本国民の生命財産」に対する危機は切迫していたのか、だ。
 このような具体的な「切迫性」はなかった、あるいは少なくとも、韓国との外交関係を良く(正常化?)することによってはじめて回避されるだろうような具体的な「危険」はなかった、と考える。
 問題は「眼前」とか、「切迫」性とか「具体」性とかの<程度>でもありそうだが、渡部昇一とは結論的に、<感覚>が異なる。
 秋月もまた、中国または北朝鮮が核やミサイルを日本列島に向けて発射する具体的な危険がいよいよ明確になった際に、これらに「歴史認識」問題で屈してでもその発射とそれによる日本国民・列島の惨害を防ぐ必要に迫られること、または韓国に対して「歴史認識」問題で屈してでも韓国(・軍)の協力を得なければ中国または北朝鮮による対日本武力攻撃の具体的な開始を阻止できない、という事態が全く生じえないとは思わない。
 だが、そのような<具体的危険>の<切迫>時に、中国・北朝鮮は「歴史認識」問題で態度を変えるのだろうか。同じく、韓国(・軍)は「歴史認識」問題で<有事>の際の対応を変えてしまうのだろうか。
 また、今次の日韓「合意」が上のような危険回避(日本人の生命財産の保護)のために有効であるためには韓国がそれを誠実に履行する意思・意欲を持っているか、も問題になる。渡部は、これを100%大丈夫だと言い切れるのだろうか。
 より重要なのは、韓国との外交(・軍事協力)関係が大切だとしても(さらにアメリカ合衆国の意向に配慮することがかりに必要であるとして)、その外交(・軍事協力)関係を良好なものにする方法は、今次の内容のような「合意」に限られるのか、他に選択肢はないのか、「合意」するとしても他の面での合意もいくらでもあったのではないか、ということだろう。
 なぜ、「慰安婦」問題が現在の日本の安全保障問題と結合されなければならないのか。
 渡部昇一は、きちんと説明してほしい。むろん、韓国(・朴大統領)があれこれと言っているらしいことは知っているが、なぜ「慰安婦」/「歴史認識」問題で屈しないと、日本はその安全を、日本人はその生命・財産の安全を守ることができないのか
 日本のまともな<保守派>は、かりに上のような現実が実際にあるとすれば、それこそ悲劇だと、大惨事だと感じる必要がある。そして、断固として、上のようなことに、つまり「慰安婦」問題を現在の日本の安全保障問題と結びつけることに、反対すべきだ。
 渡部昇一はいみじくも、「嘘から始まった『恥』を末代まで残す危険性」について語った。そして、上の論考で渡部昇一は、より大きな国益のためには、「嘘から始まった『恥』を末代まで残す」のもやむをえない、と明言したに等しいのだ。
 上のように述べて渡部は、「河野・村山談話の撤回」を求める「保守派」の人々に対して(p.34)、我慢せよ、怒るな、闘うな、と主張しているわけだ。この人のいったいどこが、<保守>言論人なのだろう。
 四 安倍首相「戦後70年談話」や昨年末の日韓合意が<村山談話>や<河野談話>を継承するものであることは、そしてより大きくは<東京裁判史観>に従っていることは、存命である村山富市や河野洋平が両談話(・声明)について好意的にコメントしていることでも明らかだ。また、朝日新聞が社説等で上のいずれも批判してはいない(基本的には支持している)ことでも明らかだろう。
 こういうときに、<保守派>の「大物」らしき者の中に「闘い、やめ!」と叫ぶ者が登場してくるのだから、うんざりして、ますます憂鬱になったわけだ。
 さらに追記すれば、産経新聞社(産経新聞出版)・国会議員に読ませたい敗戦秘話(2016.04)は安倍「戦後70年談話」や昨年末の日韓合意のあとで、これらを知っている時期での編集・準備を経て出版されていると見られるが(少なくとも「70年談話」よりは後だ)、全体で<東京裁判史観>を批判的に扱いながら、安倍「70年談話」や安倍・日韓合意には全く言及していない。これまた、うんざりすることだ。
 これら二つは、すでに<東京裁判史観>にもかかわる「歴史」になってもいるのだが、産経新聞(社)は、この無視を、恥ずかしいとは感じないのだろうか。
 産経新聞(社)には「政治家よ!もっと歴史を勉強してほしい!」(同上書オビ)と国会議員たちを説教する資格はあるのだろうか。やれやれ、という感じだ。

1360/渡部昇一批判2-<保守>の危機。産経の「歴史戦」はどうなったか?。

 一 今年2016年4月16日に、半年以上ぶりのこの欄で、こう書いた。
 「安倍晋三首相は、昨年(2015年・平成27年)8月、そして12月、いったい何のために誤りを含む歴史認識を示してしまったのだろう。秋月瑛二はうんざりしてますます憂鬱になっている。こんな歴史理解をする政権のもとで、自分は生き、そしてやがて死んでいかなければならないのか。/憂いは深い。ひどくいやな時代だ。」
 この、いやで憂鬱な気分は変わらないが、何とか生き続けて、日本共産党批判等をしようとなおも思っているのが不思議だ。
 二 見たくない、読みたくない、というものは「保守」派の人々にもあるだろう。しかし、つぎのような重要な発言を、無視してよいのか。
 ①中西輝政発言・伊藤隆との対談/月刊正論2015年11月号(産経)。
 「歴史問題には、戦後日本が抱え続けてきた『闇』が伏在しているように思えてなりません」。(p.76)
 「戦後日本の政治経済のエスタブリッシュメントが日米関係を最重視する特定の価値観を『…動かさないぞ』という、非常に強い意思があるように思います」。(p.78)
 ②中西輝政「さらば安倍晋三、もはやこれまで」歴史通2016年5月号(ワック)。
 「保身、迎合、付和雷同という現代日本を覆う心象風景は、保守陣営にも確実に及んでいるのである」(p.97)。
 「保守派のオピニオン・リーダーたちが8月の『70年談話』を、しっかりと批判しておけば、安倍首相はあの慰安婦合意に至ることはなかったであろう」(p.101)。
 「この半年間、私が最も大きな衝撃を受けたのは、心ある日本の保守派とりわけ、そのオピニオン・リーダーたる人々が、…安倍政権の歴史認識をめぐる問題に対し、ひたすら沈黙を守るか、逆に称賛までして、全く意味のある批判や反論の挙に出ないことだった」(p.109)。
 ③西尾幹二「日韓合意、早くも到来した悪夢」月刊正論2016年3月号。
 「90年代に日本の名誉を守るために一生懸命調査し議論し論証を重ねてきた人たちは、悲しみが身に染みているに違いない。…言論のむなしさをひたすら痛恨の思いで振り返らざるを得ないであろう」(p.75)。
 「私は本誌『正論』も含む日本の保守言論界は、安倍首相にさんざん利用されっぱなしできているのではないか、という認識を次第に強く持ち始めている。言論界内部においてそうした自己懐疑や自己批判がないのを非常に遺憾に思っている」(p.77)。
 三 渡部昇一自身の文章に今回は言及しないが、上のいずれも、少なくとも渡部昇一の「言論」をターゲットにしていると見られる。
 渡部昇一はその戦前史に関する著書で、定義することなく一軍人グループを「右翼社会主義者」または「右翼共産主義者」とか称していた。日本共産党という少なくとも自称では「共産主義者」たちは、安倍内閣に<河野談話>・<村山談話>を継承させることを方針とし、少なくとも安倍内閣や自民党に対する関係では、いわゆる<東京裁判史観>(これと共産主義が無関係だと理解しているごとくである渡部昇一は愚かだ)を維持させようとしている。渡部昇一は、客観的には、<右翼社会主義(・共産主義)者>ではないのだろうか。
 「保守」言論界の<八方美人>・櫻井よしこは、櫻井よしこを支えてもいる「日本会議」会長・田久保忠衛は、この一年間、いったい何と発言してきたのだろうか。
 さらに、産経新聞は比較的最近まで一面等で「歴史戦」特集の連載をしており、月刊正論の背表紙にもしばしば「歴史」という言葉が載る。産経新聞社主流派や月刊正論の編集部に対して問いたい。「歴史戦」は続いているのか、どのような状況(戦況)で続いているのか。あるいは、「歴史戦」に敗北しているのか、勝利しているのか? それとも決着はついて、敗北したのか、勝利したのか?
 <たぶんあと1回だけ、つづける。>

1356/共産主義と闘ってこそ「保守」だ-渡部昇一批判1。

 一 今年2016年春に、目覚めて再び秋月瑛二になろうかと考える契機になった、既述のほかのもう一つは、中西輝政=西岡力・なぜニッポンは歴史戦に負け続けるのか(日本実業出版社、2016.03)および中西輝政「『さらば、安倍晋三』-政治に譲った歴史認識・完」歴史通2016年5月号(ワック)だった。
 判る人には判然としているテーマ・論点にかかわる。
 いくつかのテーマを平行させているが(2015年以来の残し物も二つある)、このテーマもようやく?扱うすることにする。
 二 「大物保守」と称されている(月刊正論2015年11 月号p.408)人物は、呆れたことに、こんなことを書いている。渡部昇一「日韓慰安婦合意と東京裁判史観」月刊WiLL2016年4月号(ワック)p.37。
 「戦後、言論界における対立軸は明らかに『共産主義を信奉するか、反共産主義か』であった」。
 「1991年、ソ連が崩壊してからは対立軸が鮮明ではなくなり、中国は台頭してきたが、改革開放によって延命している中国は『共産主義の理想』を体現する存在ではなかった。『最後の楽園』であった北朝鮮の厳しい現実も知られるようになった。共産主義の夢は瓦解したのである」。
 「次に鮮明になってきたのが、『東京裁判史観を認めるか否か』という対立軸なのである」。
 これを含む文章の雑誌表紙のタイトルには、上の表題に「保守分裂の愚」と追記されている。
 この雑誌の号は花田紀凱編集長最後のものだが、同編集長自体の意向も上の渡部昇一論考に反映されているのだとすれば、月刊Hanadaの購読も警戒しなければならない。
 中国についての理解とか、<共産主義・反共産主義>から「東京裁判史観を認めるか否か」へという対立軸の認識の問題には、書き出すと長くなるだろうので、立ち入らない。
 結論的に言っておきたいのは、共産主義との闘いをしない、共産主義との闘いは必要がない、共産主義はもはや敵ではない、という主張をするのは、「保守」言論人ではない、ということだ。
 「保守分裂の愚」という<左翼>が喜びそうな言葉が表紙についているのも気になるが、渡部昇一が昨年2015年夏以降に行なっているのは<保守崩壊の愚>だ。つまり「保守」の名前で、「保守」論壇を崩壊させようとしている。「暗愚」もひどすぎる。
 三 中西輝政「共産主義と日米戦争-ソ連と尾崎がやったこと・上」月刊正論2016年7月号には、つぎの文章がある。
 「日本人が冷戦を忘れてはならぬもう一つの理由は、軍備や核戦力の増強に励み、核兵器を使用する意図をちらつかせて他国を威嚇する現旧の共産主義国が日本を囲むように存在している、ということである」。
 「彼ら〔中国、北朝鮮、ロシア-秋月〕の体制は、いまや十全な意味での共産主義とは言えないかもしれない。しかし、彼らの体制が依拠しているのは、間違いなく『共産主義的価値観』である。…。この全体主義的ナショナリズムは、今日の中国、ロシア、北朝鮮のいずれにもはっきりと見られる価値観である」。
 「東アジア、日本周辺においては、冷戦は終わったとは到底言えない。マルクス流に言えば、 "ネオ共産主義" ともいうべき妖怪が、アジア・太平洋、特に東アジア、西太平洋といった日本周辺を徘徊しているのである」。以上、p.150.
 「にもかかわらず、日本人はなぜ、共産主義の脅威とそれによって起こされた冷戦を忘れ、それ以前の戦争について一方的で無条件の反省と謝罪を強いられ続けるのか」。p.151.
 「日本のアカデミズムに籍を置く近現代史研究者や昭和史家たちはこうした共産主義の裏面史や謀略工作の歴史をいっさい視野から除外して研究してこなかった。戦後長年にわたり左翼・リベラルが牛耳ってきた日本の知的風土は、共産主義や『進歩派』の思想にきわめて寛容で、共産主義の脅威などは存在しないかのように振る舞ってきたのである。それどころかソ連や共産中国を『平和陣営』などと呼び、逆に……」。p.153-4.
 「さすがにいま、ロシアや中国、北朝鮮のネオ共産主義国家・体制を『平和陣営』と呼ぶ知識人はいないしメディアもない。しかし、『平和陣営』を奉った勢力の系譜につらなる現代日本の左派・リベラルは、それらの脅威になぜか全く目を背け、あたかも『ないもの』とし、加えて、そうした脅威に適切に対処しようとする動きを『戦争を招く動き』と、かつてと同様、"ネオ共産主義" 陣営を利するかのように喧伝している」。//
 「こうした知的空間の中で出来上がったのが、『冷戦忘却』あるいは『冷戦隠蔽』史観である。安倍首相の『70年談話』が、全く冷戦体験に触れなかったのは、今も日本に残る、こうした『冷戦隠蔽史観』に屈したからである」。以上、p.154。//は原文では改行ではない。
 この中西輝政の文章のうち「いまや十全な意味での共産主義とは言えないかもしれない」という部分については、「十全な…」の意味が不明確ではあるものの、ロシアと北朝鮮には当てはまるかもしれない。しかし、市場経済政策を採用している中国も、少なくともわが日本にある日本共産党によれば、レーニンが見つけ出した<市場経済を通じて社会主義へ>の道を歩んでいる国家として(今のところは、かつ全体としては)肯定的に評価されているのであり、その意味では、れっきとした<社会主義国>であることに注意しなければならない、と蛇足的には考える。
 しかしともあれ、中西の基本的趣旨には全面的に賛同できる。中国は「改革開放によって延命して」おり、社会主義(・共産主義)国ではなくなっているかのごとき渡部昇一の認識と比べて、天地の差があるほどに優れている。
 渡部昇一は、「冷戦隠蔽史観」に、まさしく立っているのだ。本来の「保守」からすれば、敵の側にある。
 四 渡部昇一は「東京裁判史観を突破した『縦の民主主義』の歴史力」月刊正論2015年10月号(産経)p.64以下で、安倍晋三首相「戦後70年談話」について、「高く評価したい」、「大変良かった」、「眼前の歴史戦に大きくプラスに働く」等と高く評価した。
 また、渡部昇一は、「『安倍談話』百点満点だ!-東京裁判史観を克服」月刊WiLL2015年10月号p.32以下でも、「これ以上の内容は現時点ではありえない」、「全体として『東京裁判史観』を払拭する」等々と述べ、「村山談話はおろか、東京裁判史観をも乗り越えた安倍総理の、そして日本の勝利である」、「『戦後』は安倍談話をもって終わりを告げることになった」、とまで言い切った。
 2015年8月、「安倍談話」の内容を初めて知ったとき、秋月瑛二が感じたあの<違和感>を、今でも覚えている。談話の文章内容に即して立ち入りはしない。
 だが、月刊正論2015年11月号p.396に掲載されている、同誌読者の一人の「安倍談話」(正確にはその一部)に対する感想に、まさしく共感を覚える。
 すなわち、「これでは靖国で眠る英霊は、浮かばれない」。
 渡部昇一は「東京裁判史観」を乗り越えたとか払拭したとか評価しているが、いったいどこからそのような言葉が出てくるのだろう。例えば、まさしく「東京裁判」判決によって死刑判決を受け、「首を吊られて」死んだ7人のいわゆる「A級戦犯」たちの<霊>は、「戦後70年談話」によって癒されただろうか、名誉が回復したと喜んだだろうか。
 渡部昇一は、静岡県熱海の伊豆山・興亜観音にまで行って、松井石根らにまともに向き合うことができるのか。あの「談話」では、処刑された「戦犯」たち、かつての戦争を闘った「英霊」たちは「浮かばれない」。これが、まっとうな、日本人の感覚だ、と思う。
 五 いわずもがなだが、とくに渡部昇一には申しておきたい。
 かりに自民党を支持しているとしても、自民党のすべての政策に賛同しているとは限らない。かりに安倍内閣を支持しているとしても、安倍内閣のすべての政策を支持しているとは限らない。かりに安倍晋三を全体として支持しているとしても、安倍晋三のすべての個々の発言・行動を支持しているとは限らない
 これらは、多少は理屈の分かる中学生・高校生であれば、当たり前のことではないか?
 「安倍談話」を支持しなければ安倍内閣支持者(・自民党支持者?)ではないかの如き主張の仕方であるとすれば、論理的にも誤っている。
 ましてや、「安倍戦後70年談話」を基本的に又は全体として支持しなければ、あるいは一部についてであれ批判するような者は<保守>派ではない、と言いたいかの主張をしているとすれば、<ほとんど発狂している>。
 言葉はきついだろうが、論理的には、上のとおり、のはずだ。
 「安倍戦後70年談話」に盲従して?それを賛美せよ、と言うのは、<教祖>または<何とか党の最高指導者>を批判するな、と言っているに等しい。花田紀凱なのか渡部昇一なのか知らないが、何が「保守分裂の愚」だ。笑ってしまう。
 まっとうな<保守派>の人々は、冷静に物事を見て、思考しなければならない。
 六 安倍晋三の「戦後70年談話」や2015年12月の<慰安婦問題最終決着>文書についての、以上に言及した文献以外のものも、当然に読んでいる。
 秋月瑛二は、この論点について、断固として、中西輝政・西尾幹二・西岡力等の側に立ち、渡部昇一・産経新聞社主流派(?)等に反対する。
 <このテーマ、つづける。>

1321/日本共産党こそ主敵-月刊Hanada6月創刊号を少し読む。

 月刊Hanada6月創刊号(飛鳥新社)を一読。
 すでにある月刊WiLL6月号(ワック)と比べてみると、月刊Hanadaの方がよい。背表紙に「本当は恐ろしい日本共産党」とある。
 月刊WiLLには、目次を見ても共産主義・日本共産党に関するものが一つもない。時期的・政治的センスが相当に欠ける、と感じる。但し、裏表紙裏に西尾幹二全集の広告があるのはよい。
 月刊Hanada6月創刊号の既読のものは以下、(順番どおり)。
 ・西尾幹二「現代世界史放談-ペリー来航からトランブまで」
 ・名越健郎「日本共産党に流れたソ連の『赤いカネ』」
 ・藤岡信勝「騙されるな!共産党の微笑戦術」 以上、3稿。
 かつてのようには?、細かく紹介・言及・論及しない。 
 共産主義・日本共産党に関する、手垢のついた?、これまでにもあったような批判や分析は秋月瑛二にはもう十分だ。
 むろん歴史と伝統?に由来することも少なくないが、日本共産党の現綱領のもとでの現在の活動・主張を現在または最新の同党の現実の文献・文書等を素材にして、批判・分析することが必要だ(これは名越論考の有益性の否定をまったく意味しない)。
 この点、産経新聞も月刊正論も含めて-月刊正論はようやく5月号で特集を組んでいるが-保守派の議論には大きな欠陥があったと秋月は感じている(これは日本共産党はもちろん「左翼」に対しても言えることで、だから、長谷部恭男を自民党推薦委員とするような有力?自民党国会議員も出てくる)。
 日本共産党の卑劣さ・いやらしさを具体的に感じることのない、日本共産党の議論など無視して構わないと考えている、極論すれば保守の論壇内でぬくぬくと生きていければよいというがごとき論者がいるようだからこそ、日本共産党の棲息をなおも許しているとすら思える。
 1991年のソ連崩壊によって、勝負はついたとでも思って安心してしまっているのではないか。
 日本と日本人にとっての主敵は、日本共産党と同党員にこそある。
 アジアでは、自由主義と共産主義の闘いはなおも続いたままだ。
 もっとも、上の西尾幹二の論稿は、「放談」とはいえない、自由主義対共産主義という観点すら小さく思えるような大きなスパンに立ったものだ。自由対コミュニズムという基本的観点が誤っているとは思わないものの。
 西尾は予測する-何十年先か、地球は「再び大破壊を被る」、または「地球はカオスに陥る」。いずれも、アメリカが今後どうなるかに強くかかわる。それに応じて、日本と日本人はどう考え、どう行動すべきなのか。
 追-<堤堯の今月この一冊>も月刊Hanadaに移ったようで、堤は、藤井=稲村=茂木・日米戦争を起こしたのは誰か(勉誠出版、2016)を取り上げている。秋月瑛二が長い眠りから目覚めようかという気になったのは、この本と別のもう一冊(そのうち論及する)だったので、見る人は見ているな、という感はある。

1316/憲法学者の安保法案「違憲」論は正しくない-4。

 一 つまみ食いになるが、西尾幹二・同全集第11巻-自由の悲劇(国書刊行会、2015.06)の「後記」で、西尾は「立花隆、加藤典洋、姜尚中、内田樹、藤原帰一、中島岳志、加藤陽子、保阪正康、香山リカ」の名を挙げ、「いわゆる『リベラル派』と称せられる一群の勢力」の者たちについて、つぎのように語っている(p.747)。
 「彼らは専門知に長け、世界を詳しく知っているが、現実の判断となるとウラ目に出る」。
 「彼らには学問上の知識はあるが、判断力はなく、知能は高いが、知性のない人たちなのだ」。
 もともとは外国人移民問題に関する西尾の論敵およびその「後続部隊」の者たちについての文章なのだが、<リベラル派>憲法学者・長谷部恭男に対する指摘としても読めなくはない。
 戦後教育の優等生としての長谷部恭男は、「専門知に長け」、「学問上の知識はあるが」、「現実の判断」・「判断力」はじつに乏しいのではないだろうか。安倍内閣による憲法解釈の変更の背後にある「現実」=安全保障環境の変化については別に扱う。
 二 日本共産党機関誌・前衛2015年7月号に、安保法案を批判する日本共産党・志位和夫の最近のテレビ発言類が資料として掲載されている。それによると、志位はいわゆる新三要件の第一の<存立危機事態>の認定について、こう述べて批判している。
 「明白な危険」かどうかを「判断するのは政府なんです」、「政府の一存で広がっていくわけですね」(p.54)。
 これがなぜ批判となるのか、さっぱり分からない。<存立危機事態>に該当するかを認定するのは「政府」であってなぜいけないのだろうか。最高裁(長官)であれば、あるいは国会(・両院議長?)であればよいとでも日本共産党は主張しているのだろうか。まずは「政府」が判断・認定せざるをえないのは当たり前のことだろう。
 にもかかわらず日本共産党が問題視しているのは、「政府」として安倍政権のような自民党中心内閣を想定しているからに他ならないだろう。そして、安倍政権は適切にこの具体的「判断」を行なわず、濫用するに違いない、という予断と偏見を持っているのだ。このような、思い込み・予断を前提にしているかぎり、まともな批判になるはずがない。もっとも、日本共産党からすれば、安倍晋三を首班とする内閣は、アメリカとともに「二つの敵」である日本の大企業(独占資本)の利益に奉仕する内閣なので、日本共産党の基本方針(綱領)自体が歪んでおり、まともなものではないことに由来することではあるが。
 このような、「時の政府」の恣意的判断によることとなるという批判は、日弁連会長・村越進の昨年の抗議声明にも見られる。いわく-「…等の文言で集団的自衛権の行使を限定するものとされているが、これらの文言は極めて幅の広い不確定概念であり、時の政府の判断によって恣意的な解釈がされる危険性が極めて大きい」。
 そしてまた、前回に述べたように、長谷部恭男の批判の仕方とも同じだと言える。長谷部が読売オンライン上の一文で最も強く表明していたのは、「現在の政府」あるいは「時々の政府」に対する不信だった。
 日本共産党(・党員憲法学者)のような教条的議論はせず、共産党中央からの<指示>とも無関係だろう長谷部恭男の<非共産党・リベラル>意識は尊敬しなければならないかもしれないが(?)、しかし、一見アカデミックな装いをもって語られる内容は、上のように日本共産党の<政治的>主張と同一だ。民主党や共産党の「政府」ならば信じられるかと問いたくなるような感情的な批判の仕方は「学問」とは言い難いだろう。
 なお、この欄に掲載しているが、2015.06.09政府見解は、新三要件は「いかなる事態においても、我が国と国民を守ることができるように備えておくとの要請に応えるという事柄の性質上、ある程度抽象的な表現が用いられることは避けられないところである」と述べたうえで、具体的「判断」について、さらにつぎのように述べている。
 「ある事態が新三要件に該当するか否かについては、実際に他国に対する武力攻撃が発生した場合において、事態の個別具体的な状況に即して、主に、攻撃国の意思・能力、事態の発生場所、その規模、態様、推移などの要素を総合的に考慮し、我が国に戦禍が及ぶ蓋然性、国民が被ることとなる犠牲の深刻性、重大性などから客観的、合理的に判断する必要があり、あらかじめ具体的、詳細に示すことは困難であって、このことは、従来の自衛権行使の三要件の第一要件である「我が国に対する武力攻撃」に当たる事例について、『あらかじめ定型的、類型的にお答えすることは困難である』とお答えしてきたところと同じである」。
 三 長谷部恭男は憲法審査会で参考人として、今次の安保法案が拠る憲法解釈は①従来のそれとの<論理的整合性を欠く>、②<立憲主義を害する>、と述べたらしい。
 この①についてはすでに触れた。1972年政府答弁書が示した「基本的な論理」は維持されており、批判はあたらない。
 上の②は、長谷部が述べたという<法的安定性を害する>という批判と、まったくかほとんど同じだと見られる。
 結局のところ、長谷部恭男の頭の中では<集団的自衛権行使否認>=憲法九条の規範的意味、という観念がこびりついてしまっているので、<集団的自衛権行使容認>の解釈に変更することは憲法違反=立憲主義違反であり、したがって<法的安定性を欠く>ということになる、というだけのことだ。
 長谷部恭男が1972年以降の数多くの政府答弁・内閣法制局見解を丁寧に読んで堅く信じてきた(?)憲法九条の規範的意味、自衛権にかかる憲法適合的解釈、が崩されたがゆえに立腹し、長谷部の内心での「法的安定性」が揺らいでいる、のだと思われる。
 すでに書いたようなことだが、<よい子の僕ちゃんは政府が40年以上も集団的自衛権行使は違憲と言ってきたのでギリギリそうだろうと信頼しそう解釈してきたにもかかわらず、急にそれを変更してよい子の僕ちゃんの『憲法』の意味を変えるなんて、勝手なルール破りで、よい子の僕ちゃんの内心の(精神的)安定性をひどく害する>と喚いているようなものだ、と表現できる。<信じた私が悪いのよ>という類ではないか。
 政府の憲法解釈は変更しうる。産経新聞記者の中では信頼度の高い阿比留瑠比は産経新聞6/18付の紙面で、民主党・枝野幸男は2010年6月に朝日新聞のインタビューに答えて「行政における憲法の解釈は恣意的に変わってはいけないが、間違った解釈を是正することはあり得る」と語った、と記している。また、菅直人内閣官房長官・仙谷由人は当時に「憲法解釈は政治性を帯びざるを得ない。その時点で内閣が責任を持った憲法解釈を国民、国会に提示することが最も妥当な道だ」と語ったらしい。憲法解釈が一般に「政治性」を帯びるとは断じ難いだろうが、枝野、仙谷発言の基本的趣旨は、妥当なところだ。こうした<憲法解釈観>が奇妙であるならば、民主党内閣時代に憲法学者たちは批判の声を大きく上げるべきだった(そこで阿比留瑠比の文章のタイトルは「民主政権に甘かった憲法学者」となっている)。
 ところが、朝日新聞6/12によると、憲法学者・駒村圭吾(慶応大学)は、「1972年の政府見解はすでに『憲法の重み』を持っている」と発言している(聞き手・二階堂友紀)。これには驚いてしまった。こうまでただの政府見解の法的意味が高められては、その政府見解にとっては有難迷惑だろう。
 この駒村という憲法学者はおそらく、今次の法案を批判するために政治的・戦略的に1972年政府見解は「憲法の重み」をもつと言っているのだろう。そして、この政府見解を変更するためには、何と「憲法改正」が必要だとまで述べているのだ。
 一般論として、古い政府見解は新しい政府見解にもとづく法律の制定・変更によって、当然に変更される。政府見解よりも国会の憲法解釈の方が優位する。憲法改正を待つまでもない。
 朝日新聞に登場するのだから(朝日新聞が登場させるのだから)当然なのかもしれないが、この駒村圭吾がまともな憲法学者だとはとても思えない。かつての内閣の憲法解釈がなぜ「憲法の重み」を持つのだ。馬鹿馬鹿しいほどだ。 
 さらに続ける。  

1291/幻想・妄想と正気-門田隆将・西尾幹二。

 一 もう1カ月以上前になったが、産経新聞4/19付の門田隆将「新聞に喝!/本当に『右傾化』か、いまだ左右対立をいう朝日」はほとんどそのとおりだと感じさせ、かつ示唆に富むものだった。
 統一地方選の結果を受けての朝日新聞4/13社説を素材にしているが、今日(現在・現代)についての一般論的叙述でもある。
 門田によれば、もはや「左右対立」の時代ではない、対立しているのは「空想と現実」だ。あるいは、「空想家、夢想家(dreamer)」と「現実主義者(realist)」の対立だ。
 したがって朝日新聞がいまだに「右傾化」という論評の仕方をするのは、「時代の変化に取り残され」ている、という趣旨でまとめられている。
 門田が「1989年のベルリンの壁崩壊以降、左右の対立は、世界史的にも、また日本でも、とっくに決着がついている」とか、自社両党による「55年体制」的思考の時代ではもはやない(旨)とか書いているのは、とくに前者はそのままでは支持できないことは何度も書いた。
 しかし、対立は<左右>あるいは<左翼と保守>といった「思想」または「イデオロギー」にあるのではない、という基本的な趣旨は、最近はとくに共感するところがある。
 門田が「空想家、夢想家」と「現実主義者」の対立を“DR戦争”とも言えるとしているのは、熟していない概念・用語だ。それはともかく、現在の日本での議論の基本的な対立は、かなりの部分、<考え方によっていろいろ>、と割り切れる又は理解してよいものではなく、「空想・夢想」と「現実(直視)」の違いが表れているものだ、と理解して差し支えないように思われる。
 「空想・夢想」は、ここでは<幻想・妄想>と表現したい。一方、「現実(直視)」あるいは「現実主義」は、他に適切な語はないだろうかと感じられる。最終決定?ではないが、とりあえず、<正気>とでも表現しておこう。となると、<幻想と妄想>=<狂気>と<正気>の対立になってしまい、陳腐な用語法ではある。しかし、<狂気>と<正気>の違いという把握の仕方は、存外、本質を衝いているようにも思われる。
 集団的自衛権行使容認の政府解釈に反対する憲法学者たちの声明を読んで、私は<幻想と妄想>に陥ったままである、と感じる。学者さまたちだからより丁寧に言えば、<正しさが論証されていない観念に嵌まったまま>だ、と感じる。そして、言葉はきついが、<幻想と妄想>を抱いたままの人たちは、<狂気>の持ち主である、と表現することができる。すでにこの声明はこの欄で紹介しているが、批判的コメントは別に記述する予定だ。
 二 <左右>あるいは<左翼と保守>といった「思想」または「イデオロギー」の問題ではない、というイメージを形成したきっかけは、どうやら、西尾幹二全集第14巻(2014、国書刊行会)を一瞥したことにあるようだ。
 <保守>の論客としての政治的・文化的な書物や論考に接してきたのだったが、上の本の内容におそらく明確に示されているように、西尾幹二は<左右>・<左翼と保守>とかの「イデオロギー」を<超えた>人物だ。そのことに初めて気づいたような気がした。西尾幹二のものはかなり読んできたようにも思っていたのだが、そして全集もすべて購入はしてきたのだが、全集の中を丁寧に読んでみる時間的余裕がなかった。
 上の著の全体は簡単に「人生論集」と題されているが、そこで種々に語られている、人生や人間についての洞察は、(あくまで凡人による論評ではあるが)深く、鋭い。その内容は直接には政治にも<左右対立>にも関係しておらず、基礎的でかなり普遍的だ。
 これまでこの欄に記してきたようなこととは性格をかなり異にするので、西尾幹二「人生論」の内容への言及はこの程度にする。
 西尾幹二の名前を知っている「左翼」は、すぐに「右派」、あるいは「右翼」の評論家というイメージと評価をしてしまうのかもしれない。だが、上に言及した「左翼」憲法学者たちも含めて、「左翼」論者たちは(但し、教条的日本共産党員を除く)、自らの考え方に自信を持っているならば、西尾幹二の上の著も読んで自らの感覚と思考方法の適切さを試してみよ、と言いたい。
 念のために付記しておくと、かつての<雅子皇太子妃問題>をめぐる議論でも示したように、西尾幹二の諸主張・見解のすべてに同意してきたわけではない。この問題については、西尾幹二を批判し、竹田恒泰に基本的には同調していた(「東宮擁護派」というレッテルを貼られたこともあった)。原発問題も、率直にいってよくは分からない。とはいえ、上に記した西尾著についての感想等を変えるつもりはない。
  

1282/日本人・日本国民は憲法改正「すら」できないのか。

 4/08夜にチャンネルを変えていたら、たまたま某BS局で西尾幹二小林よしのりが対談しているのに気づいた。ややのちに思いついて録画ボタンを押したのだったが、間に合わず録画していないときに、日本国憲法改正にも言及があった。
 もっぱら記憶に頼るしかないが、小林が憲法改正もアメリカの意向の範囲内だというようなことを言ったのに対して、西尾が<その改正すらできないのか、ということなんですよ>とか述べていた(正確ではないかもしれない)。両人の発言の趣旨は必ずしも同じではないように思われた。そのあとは、この問題への論及は続かなかったと思われる。
 西尾が「改正すら」という言葉を発したのはおそらく確かで、印象に残った。
 さて、池田信夫が国会改革をしないような憲法改正はほとんど無意味というようなことを彼のブログサイトに書いていたが、なるほど九条2項の削除・「軍」設置の明記も現状を根本的に変えるようなものではないかもしれない。
 渡部昇一は憲法九条(2項)は現憲法前文から「導かれる必然的な話」、「当然の帰結」だとして、「前文の見直し」から始めるべきだとする(月刊正論5月号p.63(産経))。しかし、前文の法規範的意味から考えると、前文のみを対象とした「改正」の発議・国民投票は想定されるのだろうかという疑問を持っている。また、現在の前文のままでも集団的自衛権の行使を容認する政府解釈が採られたのであり、現在の前文を何ら変えないままでの憲法九条2項の削除・「軍」設置の明記も可能であるように考えられる。前文中の「平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」という部分は保守派論者によってしばしば非難と嫌悪・唾棄の対象とされるところだが、そして私もこれを残すことに積極的に賛成するわけではないが、しかし、この部分と「軍その他の戦力」の不保持は論理的に不可分のものとは思われない。つまり、もともと現前文は厳密な法規範ではなく、緻密な法解釈が要求されるされるものではなく、基本的な方向性または「理念」を抽象的に叙述したものと理解すれば、現前文のもとで集団的自衛権行使容認の解釈をすることも(これはすでになされた)、「軍」設置を憲法典に明記することも、まったく不可能ではないと思われる。
 民主党の参院議員・小西洋之は集団的自衛権行使容認の解釈が現在の前文と九条に違反すると、前文と九条はセットのものだとする(前者の必然的な帰結が九条であるという旨の)理解に立って主張している(小西のウェブサイト参照)。むろん憲法制定時にはあるいは憲法制定者においては前文と九条の間の密接な論理的関係が意識されていたのしれないのだが、保守派は「左翼」の憲法解釈と同じ前提に立つ必要はないのではないか。繰り返せば、現前文と改正後の「軍」設置の明記とは矛盾するとただちに理解してしまう必要はなく、両者は併存しうると憲法解釈することは十分に可能だと思われる。現在の前文のもとでも日本国家の「自衛権」が否定されるのではないと解釈されてきた(昨年にはその一部である「集団的自衛権」の行使は可能と解釈されるに至った)。そうだとすれば、「自衛権」行使のための実力組織を「軍」と称することがただちに現在の前文(とくに上記の部分)と矛盾するとはとても言い難いと考えられる。
 現在の自衛隊は日本国憲法上は「軍隊」ではないが国際法上は「軍隊」であるらしい(最近の政府答弁書)。そうだとすると、日本国憲法を改正して、現在の自衛隊にあたる組織等を「軍隊」と称することができるようにしても、実態にさほどの大きな変更は生じないとも言えそうだ。
 ここで、冒頭で記したことに戻る。現在における諸議論のテーマのうち最重要なものは憲法改正問題ではないという含意が西尾の言葉の中には含まれていたように感じられる。対アメリカ(あるいは対中国)姿勢はどうあるべきかがより基本的な問題かもしれない。あるいは、「左翼」等との対立軸の最大のものは憲法改正問題ではないかもしれない。
 そして、あらためて感じさせられる。日本人は、日本国民は、主権が実質的にはなかった時期に制定された、内容的にも少なくとも決して日本人・日本国民だけで決定したとはいえない日本国憲法・現憲法の<改正>「すら」できないのか、と。
 近年に何やら<本格的な保守派らしき>雰囲気をばら撒いている倉山満は現憲法の「改正」は、1/3以上の護憲勢力がつねにいるのだから不可能だと断じている。あきらめてしまっているのだが、では倉山はどうすれば新しい「自主」憲法を作ることができるかについてはほとんど何も語っていないに等しい。大日本帝国憲法に戻れ、そこから出発せよ、と言葉だけで言ったところで、そのための方法・戦略・手続等が具体的に示されていないと、たんなる「喚き」にすぎない。
 「改正」ではなく「廃止(廃止)」をとか「無効」宣言をとか言ったところで、そのための方法・権限主体・手続等を適切に明らかにすることができなければ、とても現実に通用する主張・議論にはならない。現憲法を「廃止」はするが当面は「効力は維持する」という渡部昇一の主張・議論に至っては、奇妙奇天烈な意味不明のもので、「左翼」が容易にかつ喜んで批判・攻撃できるようなものだ。
 石原慎太郎が現憲法「破棄」論を唱えていたことから次世代の党という政党はこのような主張を採用しているのかもしれないという印象もあったが、同党の代表・平沼赳夫は次のように述べて、その立場ではないことを明らかにしている。
 「思想的には現行憲法は無効だという『無効論』の立場に私は立ってい」る、「しかし、…現実論としては難しい」。「現実の政治の場では改正手続を経ながら自主憲法を制定するやり方が妥当だと考え」る(月刊正論2015年4月号p.116(産経))。
 同じ政党の議員・中山恭子は安倍晋三に対して<憲法全体の一括改正>もありうるのではないかという旨を国会・委員会で質問し、安倍は<世論の動向を見極めつつ優先順位を考えていきたい>という旨の、噛み合っていない回答をしていたが(先月)、かりに全体の「一括」改正であっても(それは不可能だと予想しているが、それはともかく)、<改正>であることには変わりはない。そして、「改正」とは対象となる条項の効力を失わせることおよび同時にその代わりに新しい規範的な意味内容の条項を設けること(別の定めに法的効力を持たせること)を当然に意味することを知っておく必要がある。
 ともあれ、次世代の党もまた憲法改正(による自主憲法制定)を目指すのだとすると、渡部昇一の主張は論外として、日本国憲法「廃止」・「無効」論に立ってそれらの宣言・確認をいずれかの国家機関が行なうべきだとする主張をしている政党はおそらくゼロであるはずだ。国会議員や地方議会議員の、多く見積もっても1%ほども、日本国憲法「廃止」・「無効」論を支持してはいないだろう。
 このような現実の政治状況のもとで、日本国憲法「廃止」・「無効」論者は、いったいどのようにして自分たちの主張を現実化するつもりなのだろうか。
 もともと日本国憲法は「無効」であるとは、制定時においてすでに効力がなかった(無効であった)ことを意味し、それを現実化するためには日本国憲法のもとでだからこそ生じたすべての法的行為・法現象の効力を否認することを意味する。そんなことは遅くともサ条約の批准・発効、再「独立」の時点以降は不可能になったというべきだ。
 選挙無効訴訟において選挙制度の憲法違反(違憲)判断が裁判所により示されることがあるが、そうであっても問題とされた選挙を「無効」とした判決はいっさい出ていない。違憲・違法=無効、ではまったくない。そして、裁判官たちは、かりに無効とすれば、問題とされた選挙の「やり直し」をしなければらならないこと、いったんは選出されたはずの国会議員が関与して制定・改正した法律もまた「無効」になるのか等の<後始末>の問題が生じざるをえないこと、を考慮して、分かりやすくはない判決を下しているのだ。
 そのような苦慮を(本来の意味での)「廃止・無効」論者はしているのだろうか。
 現実の政治状況を見ても理論的・概念的問題を考慮しても、現憲法を「廃止」はするが当面は「効力は維持する」という渡部昇一の主張・議論はもちろんだが、日本国憲法「廃止」・「無効」論を採ることはできない。あるいはかりにこうした議論の影響を受けて行動・運動すれば、憲法改正はそれだけ遅れる。
 倉山満とは違い、憲法改正が不可能であるとは考えない。自民党内においてどの条項から(今のところ「前文」は含まれていないようだ)改正を始めるべきかの議論がなされ、形だけでも国会内に憲法問題の審査会が発足していることは、一〇年ほど前と比べても、2009-12年の民主党政権下と比べても、大きな変化だ。
 ひょっとすれば思っているほどには、また「左翼」が不安を煽っているほどには、改正の実質的意味は少ないかもしれないのだが、現憲法九条2項の改正くらい「自主的に」行うことが、日本人・日本国民はできないのだろうか。日本人・日本国民は現憲法の改正「すら」できないのだろうか。
 この程度ができないのでは、日本国憲法全体の「廃止」・「無効」宣言ができるわけがないのは自明のことだ。
 日本国憲法「廃止」・「無効」論者は、<護憲・左翼>陣営を客観的には応援することとなるようなことをしてはいけない。

1268/先の戦争へのコミュニズムの影響ー藤岡信勝・中西輝政らによる。

 〇 栗田健男中将はなぜレイテ海戦の際に「反転」したのか、といった戦記ものあるいは個々の戦術ものには、ほとんど関心を持たないできた。それは戦後生まれのものにとって敗戦は既定の事実で今さら敗戦の戦術的・技術的原因を探ることがほとんど無意味と思われたことや、占領期についてでも複雑なのに、もっと複雑そうな戦時中の細かな歴史について勉強しておくことの時間的な余裕はないと感じられたことによる。
 但し、1930年代には日本共産党はとっくに壊滅していて一部の者が獄中で念仏のごとく「反戦」を唱えていたかもしれないこと程度で、戦争は日本共産党とは対極にある<右翼的・反共的>グループが継続したというイメージが強かったところ、日本国家あるいは日本の軍部・政治家等に対するコミュニズムやコミンテルンの影響やアメリカのルーズベルト政権自体の<容共左翼>性の指摘があることを知って、にわかに先の戦争と「共産主義(コミュニズム)」の関係についての関心が高まってきた、という経緯が私にはある。
 それは、アトランダムに言えば、先の戦争は<民主主義対全体主義・ファシズム>の戦争だったなどと単純には言えないだろうこと、ソ連や大戦の結果生まれた中国共産党主導の新中国は「民主主義」陣営であるはずはなく<左翼全体主義>の国家ではないか、なぜアメリカはそのようなソ連と手を組んだのか、アメリカは<共産中国>を新たに生み出す結果をもたらした(そしてそれは今日でも大きな悪い影響・問題を生じさせている)戦争をなぜしたのか、なぜアメリカは(中国ではなく)日本を執拗に敵視したのか、といった認識や疑問と関係してくる。
 〇 隔月刊・歴史通2015年1月号(ワック)のいくつかに少しばかり言及する。
 藤岡信勝「戦後レジームの自壊が始まった」の中で藤岡が1995年の「自由主義史観研究会」立ち上げの頃は「私も日本が満州から北支に進出したことは咎められるべきだと思っていました」と率直に「告白」しているのが興味深い(p.41)。その時期からまだ20年ほどしか経っていない。藤岡は、しかしもちろん?、「中国側の絶え間ない挑発に日本は対応していたに過ぎず、侵略行為とは言い難い」、「日本は挑発行為に乗せられて戦争の道に走っていったと見るべき」だ等の今日の認識を示している(同上)。
 「中国側の絶え間ない挑発」は日本の<南侵>を誘導する中国共産党、その背後のコミンテルンの戦略をおそらく意味しているのだろう。l
 岡部伸「近代日本を暗黒に染めた黒幕」はカナダ人のハーバート・ノーマンを扱うもので、「日本を貶めた最大の敵ではなかったか」との基本的主張・認識があり、戦前の日本を「封建的要素が残った、いびつな近代社会」と理解する、講座派的な日本「暗黒史観」の持ち主で、戦後当初には日本共産党を「民主主義」勢力とみなした、等々を叙述している(p.70-)。ハーバート・ノーマンを自殺に追い込んだ?アメリカの戦後のマッカーシズムの評価やノーマンと都留重人、尾崎秀実やゾルゲとの関係など、すでにある程度は知っているが、もっと詳細かつ明確な研究成果を読みたいものだ(この最後の部分は岡部の一文を批判するものではない)。
 中西輝政と北村稔の対談「日米・日中/戦争の真犯人」も興味深い(p.94-)。
 北村稔は彼の「学生時代、日本史研究と東洋史研究の分野ではマルクス主義の影響がものすごく強かった」と述べているが(p.103)、とくに日本近現代史の分野では、今日までその現象は続いているのではないだろうか(従って、私は、高校教育における「日本史」必修化には、教科書の書き手からするその内容と、教える教師の、推測される「左翼」=親マルクス主義的傾向のゆえに、現時点では簡単に賛成はできない)。
 中西輝政は例のごとく?、真珠湾攻撃に関するルーズヴェルト陰謀説に近い議論は「日本の国際政治や歴史の学会ではほとんど相手に」されなかったと、<左翼アカデミズム>の支配の一端を語っている(p.104)。
 中西はまた、今後の研究・検証が必要なテーマをいくつか挙げている。例えば、①永田鉄山らの「華北分離」・<南侵>路線の背景-背後にコミンテルンの工作か。②「国民政府を相手にせず」声明(第一次近衛声明)の背景-尾崎秀実が糸を引いていたか等。③海軍の戦争推進・拡大方針の批判的検証。④近衛の「東亜新秩序建設」声明(第二次声明)の背景。
 〇 上に最後に述べた諸点とコミンテルンまたはそのスパイ(・エージェント)の関係はまだ明確には分かっていない、ということなのだろう。
 もっとも、精読したわけではまだないが、すでにある程度の自信をもって確言している論者もいる。
 中川八洋・近衛文麿とルーズベルト―大東亜戦争の真実(PHP、1995)、同・近衛文麿の戦争責任―大東亜戦争のたった一つの真実(PHP、2010)だ。ハル・ノート(日本に開戦させるための強硬な最後通牒?)についても、<保守派>あるいは「自由主義史観」では通説的かもしれない理解とは異なる評価を下しているようだ。
 かなり飛躍するかもしれないが、憲法改正論の具体的内容と同様に、<保守派>あるいは<産経史観>?の論者においても、先の大戦の具体的な認識や評価は一様ではないと見られる。簡単には表現し難いが、欧米「帝国主義」からアジアを解放するための戦争だったという評価と、共産主義者・コミンテルンに誘引されてずるずると嵌まり、拡大してしまった戦争という評価では、大きく異なると感じざるをえない。
 西尾幹二が続けている、戦後にGHQにより「焚書」された戦前・戦中の日本人の諸文献の研究・解明によって、上のような論点はどの程度明らかになるのだろうか(すべて所持しているが、わずかしか熟読していない)。
 戦前・戦中に共産主義者・コミンテルン(・工作員等々)が日本に対してはたした役割、行った悪業にだけは関心をもって、諸文献・論考等を読んでいくことにする。 

1224/西尾幹二・憂国のリアリズム2-安倍内閣の歴史的使命。

 西尾幹二・憂国のリアリズム(ビジネス社、2013)の冒頭の第一章・第一節は「第二次安倍政権の世界史的使命」。

 月刊WiLL3月号初収だから今年1月半ば-2月初めころに書かれたと思われるが、7月参議院選挙の結果も前提としているので、加筆修正も行われているようだ。以下のようなことを論じる。

 ・民主党政権は「全共闘」内閣だった。マルク-ゼらの東西いずれの体制にも属さない<左翼知識人独裁>という「観念的ラディカリズム」は日本でも「新左翼」として影響をもち、浅間山荘事件を経て消滅したとも思われたが、「体制内反体制」として官僚・学者・マスメディアの世界に「秘かに潜り込んでいった」。「現実がまったく見えない…ままごと民主主義」をやった民主党政権はこれにつながる。

 ・ドイツは共産主義を精算し、大学では「歴史と哲学におけるマルクス主義者」を排除したが、日本では「共産主義やスタ-リニズムの無効」が明らかになっても、「旧左翼」は整理されず、「新左翼」も姿を替えて残った。彼らの「環境学とか女性学」は民主党政権への流れを作ったが、「NHKの深部」、「TBSや朝日新聞」にも同様に浸透した。「全共闘世代が定年」になれば少しは変わると言われたが、そうはならず、彼らの残党・残滓は「しっかりと官界、学界、マスメディアの中枢を握っている」。「日本のために働きたくない。日本を壊したいのが新左翼の本音だ」。

 ・2012総選挙の結果は新左翼のみならず「戦後左翼全体の退潮」を印象づけた。2013参院選の結果から見ても「左翼リベラルがかった勢力」は片隅に追いやられ、内閣の布陣を見れば安倍晋三は、自民党内でも石破茂が「孤立して包囲される」、「明確に左翼潰しの内閣を作り上げた」。この安倍新政権には「世界史的大目標」が必要で、「世界史的使命」がある。
 ・第一は、「中国共産党の独裁体制の打破」。ロシアや東欧は「共産主義制度をいったん精算した」が、中国には「共産主義独裁体制がいまだに盤踞している」。ここに東アジアの「すべての不幸の原因」がある。

・安倍内閣は「尖閣への公務員派遣や港の造成」をまだ急ぐ必要はないが、「『竹島の日』の政府式典や靖国参拝、世界に向けての慰安婦問題の堂々たる説明は実行すべきだ」。「このままでは、六年前の第一次安倍政権と同じことにかりかねないからである」(p.10-21)。

 ここで区切っておく。コメントすれば、第一に、「全共闘」という語の意味・用法は固まっていないと思われ、私には西尾の使い方にはやや違和感がある。旧左翼に対する明確な「新左翼」が中心にはいただろうが、明確に日本共産党に反対ではない者も一部には含まれるような、気分的な<反体制>グル-プの総称、代表名詞であるような気がする。たしかに日本社会党は中核派・革マル派等に甘く、この点で日本共産党と違っていたが、元来はやはり「旧左翼」の一部で、民主党政権の中には「全共闘」、ましてや「新左翼」には含みがたい、仙谷由人、赤松広隆らの旧社会党グル-プもいたはずだ。それらを含む「左翼」政権だったとの表現で十分だと思われ、「全共闘内閣」という規定は本質を衝いているかどうか。

 第二。安倍は「明確に左翼潰しの内閣を作り上げた」等々のあたりには全く異存はない。高市早苗の政調会長起用は党人事だが、稲田朋美の官僚起用その他、総務大臣や文部科学大臣等々の指名の仕方を見ても<安倍色>に溢れている。朝日新聞あたりは、ゾッとしたのではないか。にもかかわらず、有効な批判をできなかったのだ。

 「左翼潰し」とはもちろん「保守」のすることだ。にもかかわらず、橋下徹との関係を理由として<安倍晋三は本当に保守か?>と疑問視する「B層」か「D層」のバカ「哲学者」=適菜収が週刊誌原稿で「小銭を稼いで」いるのは大笑い・大嗤いだ。

 第三。「共産主義」という語を明確に使い、中国は「共産主義独裁」国家だと明記し、ソ連・東欧・ドイツとは違って日本には容共「左翼」がまだ残っている旨の叙述についても、まったく異存はない。かくも明確に語られているのは珍しいとすら言える。この点で、世界的に・グロ-バルに見ても、日本は<異様>なのだという意識・自覚をもつ必要がある。この点はこの欄で何度も書いた。

 第四。「『竹島の日』の政府式典や靖国参拝、世界に向けての慰安婦問題の堂々たる説明は実行すべきだ」。「このままでは、六年前の第一次安倍政権と同じことにかりかねないからである」という指摘が印象に残る。

 橋下徹のいわゆる慰安婦発言の直後に安倍晋三は国会で「私、安倍内閣、そして自民党の立場とはまったく違う」と明言してしまった。また別に、河野談話を少なくとも当面は継承すると述べたともされる。これらははたして、参院選対策のための、一時的なものにすぎなかったのか?

 安倍晋三あるいは安倍内閣には、「世界に向けての慰安婦問題の堂々たる説明」を実行する意欲・姿勢があるのだろうか。ここで、先だって紹介したような中西輝政の指摘が脳裏にうかんでくる。
 西尾幹二がしているような上のような期待・要求は「保守原理主義」であり、ともかくも憲法改正が成就するまでは賢明な「保守」はじっと我慢すべきなのだろうか。「歴史認識問題」を大きく取り上げるのは「あまりに性急すぎる」のだろうか。

 とりあえず経済政策問題が重要であることは判るし、ある程度の内閣支持率を獲得し続ける必要があるのも判る。だが、自民党が「左」または「リベラル」の方向にぶれたときにこそ、固い「保守」層は自民党から離れ、自民党が弱体化した(する)ということは、中西輝政も述べていたのではなかったろうか。

 なお、安倍新内閣の現在までの「歴史認識問題」対応を見て、<真の保守>ではない、あるいはたんに<保守でない>ということは不可能ではないだろう。しかしそれは、橋下徹と連携を図っていそうだから「保守ではない」旨の適菜収の論法とはまるで異なることは言うまでもない。

 ともあれ、適菜収とは文章力・論理構成力自体においてすでに次元の異なる有力な「保守」評論家・思想家である西尾幹二が、「靖国参拝、世界に向けての慰安婦問題の堂々たる説明は実行すべきだ」、「このままでは、六年前の第一次安倍政権と同じことにかりかねないからである」、と述べていたことは十分に記憶にとどめておきたい。

1223/西尾幹二・憂国のリアリズム(2013)を全読了。

 西尾幹二・憂国のリアリズム(ビジネス社、2013)を、10/12~10/13に、数回に分けながら、すべて読んだ。

 〇最終章(第五章「実存と永遠」)の最後の節のタイトルは「宗教とは何か」。

 その中で自然科学者や社会科学者は「実在」を対象としていて、「自己」をとくに問題にしない、一方、人文科学はそうはいかない、と書いているのは興味深い。たしかに、経済・政治・法等を対象とする学部・学科に所属するまたは出身の「評論家」・論者に較べて、西尾幹二の文章には「自己」というものが相対的には色濃く現れているように感じるからだ。
 西尾は続けて、歴史学に言及し、歴史研究の認識対象たる「実在」は「過去」だが、「歴史は記述されて初めて歴史になる」、記述には過去の「特定の事実の選択」が先行し、この選択には記述者の「評価」が伴う、歴史研究の対象たる「客観世界」は「自己」が動くことによって「そのつど違って見える」、というようなことを書いている(p.321)。
 そのとおりだろう、と思われる。但し、瑣末で余計なことだが、歴史学は現在の大学での学部・学科編成とは異なり、元来は「社会」系の学問分野ではないか、と感じている。そして、おそらくは西尾の論述の仕方とは逆に、「社会科学」なるものも厳密には「自己」なるものの立場を抜きにしては語られえないのではないか、とも感じている。

 さて、西尾幹二は「宗教」を、「過去」なる具体的・有限の「実在」を前提としたりするのではなく、「何もない世界、死と虚無を『実在』とする心の働き」だと、ひとまず定義している。ここに学問と宗教の違いがある、ということだろうか。そしてまた、「何もない世界、死と虚無を『実在』とする」のは「途方もないこと」で、「死ではなく永遠の生、虚無ではなく永遠の実存を信じ」る多くの宗教組織・教団類があるが、「どれか一つの宗派の選択だけが正道である」とする強靱さを自分は持てない、「特定の宗教に心を追い込むことがどうしてもできない」と西尾が告白?しているのも(p.322-4)、興味深い。

 最も最後の段落の文章は、なかなか難解だ。-学問と宗教は相反概念だが、明治以来日本人は欧州から「近代の学問の観念を受け入れ、死と虚無を『実在』として生きているのが現実であるにもかかわらず、このニヒリズムの自覚に背を向け、誤魔化しつづけて生きている。そのため宗教とは何かを問われたり問うたりしたりして平然と『自己』を疑わないでいるのである」(p.325)。

 〇ところで、この著書は西尾幹二の2010年~2013年6月に諸雑誌に発表した論考をまとめたものだ。五つの章に分類されてはいるが、数えてみると全部で26本の論考から成り立っている。
 どの雑誌に発表されたものかを「初出一覧」(p.330-)で見てみると。月刊WiLLまたは歴史通(いずれも、ワック)が計7で最も多く、ついで、言志(これは知らなかったのでネットで調べてみると、ブクログが発行所、編集長・水島総、編集者・井上敏治・小川寛大・古谷経衡)が5。第三位なのが月刊正論(産経新聞社)で3、続いてサピオ(小学館)と週刊新潮(新潮社)が各2ジャパニズム・週刊ポスト・テーミス等が各1、になっている。

 言志なる雑誌(メールマガジン?)に関心をもった。同時に、西尾幹二は現在は月刊正論(産経)に連載しているようだが、月刊WiLL+歴史通と言志で12/26を占めており、月刊正論掲載は3論考しかないので、とても<産経文化人>とはいえない、ということが明確になってもいる。産経新聞の「正論」執筆グループの一人でもないはずだ。些細なことかもしれないが、こんなことも興味深くはある。

 「産経」を批判または皮肉っている部分も数カ所あった。この本の内容についてはさらに言及する(今回に上で言及したのは最も非政治的な論考かもしれない)。

1222/錯乱した適菜収は自民+維新による憲法改正に反対を明言し、「護憲」を主張する。

 10/04に、適菜収が月刊正論2013年8月号で、「反日活動家であることは明白」な橋下徹を「支持する『保守』というのが巷には存在するらしい」のは「不思議なこと」とだと書いていることを紹介し、「適菜収によれば、石原慎太郎、佐々淳行、加地伸行、西尾幹二、津川雅彦らは、かつ場合によっては安倍晋三も、『不思議』な『保守』らしい。そのように感じること自体が、自らが歪んでいることの証左だとは自覚できないのだろう、気の毒に」とコメントした。「保守」とされているのが「不思議」だ(「語義矛盾ではないか」)という言い方は、橋下徹を支持する人物の「保守」性を疑っている、ということでもあるだろう。

 それから一週間後の10/11に、明確に安倍晋三の「保守」性を疑問視する適菜収の文章を読んでしまった。週刊文春10/17号p.45だ。適菜収は「連載22/今週のバカ」として何と安倍晋三を取り上げ、「安倍晋三は本当に保守なのか?」をタイトルにしている。その他にも、驚くべきというか、大嗤いするというというか、そのような奇怪な主張を適菜は行っている。

 ①まず、簡略して紹介するが、橋下徹と付き合う安倍晋三を以下のように批判する。

 ・付き合っている相手によって「その人間の正体」が明らかになりうる。橋下徹の「封じ込めを図るのが保守の役割のはず」、日本の文化伝統破壊者に対して「立ち上がるのが保守」であるにもかかわらず、「こうした連中とベタベタの関係を築いてきたのが安倍晋三ではないか」。
 ②また、安倍晋三個人を次のように批判する。

 ・組んでよい相手を判断できない人間は「バカ」。「問題は見識の欠片もないボンボンがわが国の総理大臣になってしまったこと」だ。

 ③ついで、安倍内閣自体をつぎのように批判する。

 ・「耳あたりのいい言葉を並べて『保守層』を騙しながら、時代錯誤の新自由主義を爆走中」。
 ④さらには、次のように自民+維新による憲法改正に反対し、「護憲」を主張する。
 ・「維新の会と組んで改憲するくらいなら未来永劫改憲なんかしなくてよい。真っ当な日本人、まともな保守なら、わけのわからない野合に対しては護憲に回るべきです」。

 ビ-トたけしあたりの「毒舌」または一種の「諧謔」ならはまだよいのだが、適菜収はどうやら上記のことを「本気」で書いている。

 出発点に橋下徹との関係がくるのが適菜の奇怪なところだ。与えられた原稿スペ-スの中にほとんどと言ってよいほど橋下徹批判の部分を加えるのが適菜の文章の特徴だが、この週刊文春の原稿も例外ではない。よく分からないが、適菜は橋下徹に対する「私怨」でも持っているのだろうか。何となく、気持ちが悪い。

 それよりも、第一に、安倍晋三を明確に「バカ」呼ばわりし、第二に、安倍晋三の「保守」性を明確に疑問視し、第三者に、「野合」による憲法改正に反対し、「護憲に回るべき」と説いているのが、適菜収とはほとんど錯乱状態にある人間であることを示しているだろう。

 少し冷静に思考すれば、憲法改正の内容・方向にいっさい触れることなく、「維新の会と組んで改憲するくらいなら」と憲法改正に反対し、「野合」に対して「護憲に回るべき」と主張することが、憲法改正に関するまともな議論でないことはすぐ分かる。

 適菜収は論点に即して適切な文章を書ける論理力・理性を持っているのか?

 適菜といえば「B層」うんぬんだが、そのいうA~D層への四象限への分類も、思想・考え方または人間の、ありうる分類の一つにすぎない。容共・反共、親米・反米(反中・親米)、国家肥大化肯定的・否定的(大きな国家か小さな国家か)、自由か平等か、変革愛好か現状維持的か、等々、四象限への分類はタテ軸・ヨコ軸に何を取り上げるかによってさまざまに語りうる。適菜のそれの特徴は「IQが高い・低い」を重要な要素に高めていることだが、少なくとも、ある程度でも普遍的な分類方法を示しているわけではない。
 さらにまた、適菜のいうA~D層への四象限への分類は、適菜自身が考えたのではないことを適菜自身が語っている。適菜はある程度でも普遍的だとはまったくいえない「B層」・「C層」論等を、「借り物の」基準を前提にして論じているのだ。
 そしてどうやら適菜は自らは規制改革に反対(反竹中平蔵・反堺屋太一)で「IQが高い」という「C層」に属すると考えているようなのだが、この週刊文春の文章を読むと、「D層」ではないかと思えてくる。

 また、自民党・維新の会による憲法改正に反対し、「護憲」を主張しているという点では辻元清美、山口二郎等々々の「左翼」と何ら変わらない(中島岳志とも同じ)、安倍晋三を「バカ」と明言するに至っては、かつて第一次内閣時代の安倍について「キ〇〇〇に刃物」とも称していた、程度の低い「左翼」(またはエセ保守)文筆家(山崎行太郎だったか天木直人だったか)とも類似するところがある。

 この適菜が「橋下徹は保守ではない!」という論考で月刊正論(産経)の表紙をよくぞ飾れたものだ。

 もう一度10/04のこの欄のタイトルを繰り返しておこうか。

 <月刊正論(産経)・桑原聡は適菜収のいったい何を評価しているのか。> 

1218/月刊正論(産経)・桑原聡は適菜収のいったい何を評価しているのか。

 〇何度も書いたことだが、月刊正論(産経新聞社)編集長・桑原聡は同2012年5月号の末尾の編集長欄とでもいえる「操舵室から」一頁の中で、「編集長個人の見解だが、橋下氏はきわめて危険な政治家だと思う」、「橋下氏の目的は日本そのものを解体することにあるように感じるのだ。なぜ…特集を読み判断していただきたい」、とほとんど理由・論拠を示すこともなく明言した。
 以下はたぶんまだ触れていないと思うので、記録に残しておきたい。

 月刊正論の翌月号、つまり2012年6月号の「編集者へ/編集者から」の欄で内津幹人という人が、前号の「操舵室から」について、「民意」という語が8回、百文字に一回以上出てきた、「こういう書き方もあるのか、と学んだ」と皮肉っぽく記したのち、次のように感想を記した。
 「編集長個人の見解だが--これほど自信を感じさせる書き方はない。”個人”以外何百万人が異議を唱えても、俺は勝つ。/特集を読み判断していただきたい--と結ぶ。/編集長はいいなあ、と思う。よく、
男は一度は野球の監督をやりたい、というが、編集長と較べたら子どもの遊びだ」。

 どう読んでも、この文章は前号の桑原聡編集長の文章に対する<皮肉>であり、かつ隠してはいるがかなり批判的な感想の文章だ。

 これに対して、同号の「編集者から」は、上に引用した部分に言及せず、投書者(内津幹人)の後半の叙述の一部を採用して「新聞が橋下氏を取り上げなければ『大阪のバカ騒ぎは収まる』というご指摘はその通りですね。無視こそが最強の意思表示であることは分かりますが、それではメディアの責任は果たせないと思います。悩ましいところです」と書いている。これが全文で、上に引用した「編集長個人の見解だが」、「編集長はいいなあ、と思う」等を含む文章への反応は全くない。

 編集者は「編集者から」応えやすい部分のみを扱ったようで、<皮肉>まじりの部分には反応を避けているのだ。
 それとも批判的感想を含む「皮肉」であるということが、まったく理解できていないのだろうか。そうだとすれば、月刊正論編集者は日本語文章の意味・含意を理解できない、きわめて低能力の「編集者」だろう。

 〇上記の月刊正論2012年5月号は適菜収「理念なきB層政治家…橋下徹は保守ではない」を大阪維新の会特集の最初に置き、かつ雑誌表紙に最も大きい文字でそのタイトルを表示していたのだが、相変わらず、月刊正論は適菜収を重用しているようだ。
 月刊正論2013年8月号では「正論壁新聞」執筆者4人の1人として登場し(最近の他号でもそうかもしれない)、内容のきわめて空虚な文章で1頁余りを埋めたあとで、橋下徹慰安婦発言に言及したあと、次のように断じる。
 「橋下の……を見れば、反日活動家であることは明白である。/不思議なことに、こうした人間を支持する『保守』というのが巷には存在するらしい。これも…語義矛盾ではないか」(p.47)。

 月刊正論という産経新聞社発行の「保守系」雑誌の冒頭近くに適菜収が出てくること自体が奇妙なのだが、上の文章も不思議だ。
 橋下徹に批判的な佐伯啓思らもいるが、橋下徹を支持しているまたは彼に好意的であることを明らかにしている人物に、佐々敦行、加地伸行、西尾幹二、津川雅彦らがいる。また、産経新聞社から個人全集を発行しかつ同新聞紙上に連載欄も持っている石原慎太郎は同じ政党の共同代表だ。

 なお、①中島岳志は憲法改正に反対し、週刊金曜日の編集者の一人でもあるという「左翼」または「かくれ左翼」なので、中島が橋下を「保守ではない」と批判したところで、何の意味もない。

 ②安倍晋三は首相になる前も後も橋下徹と個人的に会話等をしているようだ。政治家どうしだから単純に支持か反対かを分けられないが、安倍晋三は橋下徹を「敵」と見ていないことは間違いないだろう。
 さて、適菜収によれば、石原慎太郎、佐々敦行、加地伸行、西尾幹二、津川雅彦らは、かつ場合によっては安倍晋三も、「不思議」な「保守」らしい。そのように感じること自体が、自らが歪んでいることの証左だとは自覚できないのだろう、気の毒に。

 適菜は、月刊正論誌上でこれから毎号、上記のような人物を批判して「改心」させる文章を書き続けたらどうか。
 〇元に戻ることになるが、上記の月刊正論2012年6月号の「編集者へ」の投稿者(内津幹人)は次のようにも書いていた。

 「執筆者たちは、どんなに偉そうに書くときも、チラッと操舵室が浮かぶだろう。そりゃそうだ。原稿料は生活の糧だ。ボクはどの人を呼んでも、操舵室が浮かんだ文字をみつけるのが好きだ。編集長がいなければ、こう書きたいのだろうな、と」。

 この投稿者はかなりの書き手であると見える。この文章は、編集者(・編集長)の顔色をうかがいながら、「生活の糧」である「原稿料」を稼ぐために、編集者(・編集長)の意向に添った文章を書かざるをえない雑誌原稿執筆者の性(さが)または苦労を指摘している。

 適菜収は、週刊新潮上では「保守系」論壇雑誌を批判している文章を書いていることはこの欄でたぶん先月に触れた。適菜は、月刊正論に書かせてもらうときは、編集長・桑原聡の顔色(・意向)をうかがいながら原稿を執筆しているに違いない。
 適菜収は「哲学者」という肩書きしかない。大学や研究所等からの給与はなさそうだ。日本の大学は信頼できないが、まともな研究論文が書けて、ある程度の研究業績があれば、日本の大学の教員の職を見つけることは決して困難ではないだろう。おそらく適菜にはそのような研究業績がなく、当然に博士号すら持っていないのだろうと思われる。

 日本の大学も博士号も決して信頼できるものではなく、アカデミズムの世界以外で大学研究者以上の仕事をした人もあるだろうが(小室直樹ら)、適菜収にはそれだけの実力がないことは、二頁を埋めるだけの内容と密度のある文章が書けていないことでも分かる。

 どのような背景・経歴の人物かよく知らないが、あまり大言壮語は吐かない方がよい。もちろん、そのような人物を重用する月刊正論編集部もおかしい。とても40周年とやらを祝う気になれないし、最新号を購入する気もないのである。

1212/東京大学文学部社会学科はなぜ上野千鶴子を東京大学教授にしたのか。

 日本の大学の人事において、とくに歴史学や社会学を含む「社会系」については、その人物の「思想」・「イデオロギー」(それらによる所属団体、それらについての指導教授の「傾向」)がかなりの影響をもっているかを、この欄で何度か触れたことがある。マイナスになることもあれば、「左翼」/マルクス主義者・親マルクス主義者/日本共産党員であることがむしろプラスに働いて、これらを大学または学界における「処世の手段」として利用している者も少なくないのではないか、等をかつて記したことがある。   2007.07.06「大学の歴史・社会系ではまだ共産主義系が多数派!?」   2009.02.06「<処世の手段>としての『左翼』/マルクス主義者/日本共産党員」。   2010.10.02「『共産党ではないが左翼』の社会・人文系学者たちの多さ」、など。

 長らく失念していたが、上野千鶴子の東京大学への招聘について、西尾幹二らが当時の東京大学文学部長と社会学科長に対して「公開質問状」を出していたことを思い出した。
 ネット上で、全文かどうかは不明だが見つけたので、再掲して紹介しておくことにする。なお、この質問状は西尾=八木・新・国民の油断(PHP、2005)に全文・経緯が掲載されているようだ。所持しているが、確認作業を節約させていただく。

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 「『上野千鶴子』問題については、東京大学の社会的責任を問う必要があると考えます。

 『女遊び』は、上野千鶴子氏が東京大学文学部教授会に迎え入れられる前、平安女学院短期大学教員の名で出された本で、東京大学の資格審査の際の参考文献に当然なっていたはずですから、同書と同書著者を受け入れた社会的責任が、東京大学文学部長と社会学科主任教授とにあると思います。もちろん、それに先立ち、文学部教授会全体にも社会的責任があります。

 憲法で『表現の自由』と『学問の自由』は保障されていますが、表現の『評価』は無差別ではありません。社会的影響力の大きい機関は『評価』に対し、当然、社会的責任を有しています。

 『女遊び』がどのような文献であるかは本書中で紹介したとおりで、必要なら古書でなお入手でき、再調査が可能でしょう。関係各位はご調査のうえ、判断や評価が適切であったか否かを、いまあらためてマスコミにおいて公表してほしい。

 もちろん機関としての判断決定の見直しは、いかに失敗であるとはいえ、もう時機を失しているでしょう。けれども、文学部所属の教授たち、ことに社会学科所属の関係者が上野千鶴子氏の『評価』の見直しを、己の学問的良心に照らして再度ここで行うことは可能です。私たちのこの提案に対し、開き直って彼女を礼賛するか、賛同して彼女を批判するか、いずれも自由ですが、沈黙するのは社会的無責任の表明と見なします。開き直って礼賛する人の論法は見物で、いまから楽しみにしています。

 なお、『女遊び』は学術的著作ではないので、審査対象からは外していたという見え透いた逃げ口上は慎んでいただきたい。業績の少ない若い学者の資格審査においては一般著作も参考にすべきで、それを怠ったとすれば、かえって問題です。

 まして『女遊び』は、上野氏のその後の反社会的思想と日本社会に及ぼしている悪魔的役割と切り離せない関係にあるだけに、見逃したという言い方は弁解としても成り立たないと思います。

 平成16年12月8日
  西尾幹二・八木秀次」

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 上野千鶴子は京都大学文学部・同大学院出身で上記の京都市内の女子短大や京都精華大学の教員だったが、突然に?東京大学文学部の助教授になった。
 上野の著「女遊び」とやらは読んだこともないが、上野のたった一つの学問的研究書と言えそうなのは同・家父長制と資本制-マルクス主義フェミニズムの地平-(岩波書店、1990)だろう。ここに見られるように、上野はたんなる「フェミニスト」またはフェミニズムの研究者ではない。「マルクス主義フェミニズムの地平」を目指して、ベルリンの壁崩壊・ソ連解体の頃以前に研究した文章をまとめて、1990年に、あの「岩波」から出版したのだった。<容日本共産党>の人物であることにもこの欄で言及したことがある。現在では東京大学を定年退官して優雅な「おひとりさまの老後」を過ごしているのだろうか。

 ところで、上の質問状からは不明だが、質問を受けた2004年度の東京大学文学部長ではなく、上野を採用することを決定した時点(1992年度と思われる)での東京大学文学部長は柴田翔であったと見られる。柴田翔とは、大学院学生だったとみられる1964年の芥川賞を「されどわれらが日々」で受けた人物。

 興味深いことに、西尾幹二と柴田翔(本名)はともに1935年の早生まれで(これは大江健三郎も同じ)、ともに東京大学独文学科で学んだ「学友」にあたる。そして、上野千鶴子問題を離れてさらに次のように思うのだ。

 失礼かもしれないが、西尾幹二は東京電気通信大学という理系の大学のドイツ語・ドイツ文学の教員だったのに対して、柴田翔は東京大学文学部教員として東京大学に残り、文学部長にまでなった。
 これまでの仕事・業績の全体を見ると、ドイツ関係に限ってすら、圧倒的に西尾幹二が柴田翔を凌駕しているのではないか。西尾幹二には「個人全集」すらある。柴田翔は芥川賞のおかげで世間的には著名かもしれないが、いったいいかほどのものを学界に残したのだろう。彼らの20歳代においても、東京電気通信大学と東京大学とでイメージされるような力量の差はなかったのではないかと思われる。しかるに、なぜ、柴田翔は東京大学に残り、その専任教員になれたのか。あくまで推測にはなるが、<思想傾向>がまったく無関係だったとは思われない。

 日本の大学というのは、「大学の自治」・「学問の自由」といった美名に隠れてはいるが、じつはかなり異様で奇妙な世界ではないかと感じている。  *後記(訂正)ー西尾幹二は1935年の「早生まれ」ではなく、同年7月生まれ。なお、大江はいわゆる<一浪>をしているので、結果として西尾と同年の入学のはずだ。

1195/西尾幹二=竹田恒泰と小川榮太郎の本、全読了。

 8月中に読了した書物に、少なくとも次の二つがある。いつ読み始めたかは憶えていない。感想、伴う意見等を逐一記しておく余裕はない。以下は、断片的な紹介またはコメントにすぎない。
 第一、西尾幹二=竹田恒泰・女系天皇問題と脱原発(飛鳥新社、2012)。

 1.第三部は「雅子妃問題の核心」。かつて対談者の二人はこの問題に関して対立していて、私は西尾幹二の議論に反対していた(ということはたぶん竹田と同様の見方をしていた)。この本では、正面からの喧嘩にならずに平和的にそれぞれが言いたいことを言っている。
 離れるが、①皇太子妃に「公務」などはありえない。皇后についても同様だ。②美智子皇后が立派すぎるのであり、皇后陛下を標準として考えてはいけない。かつての時代を広く見れば、模範的な皇族を基準とすれば、異様な皇族など、いくらでもいたはずだ、皇太子妃であっても。また、おおっぴらに語られることはなくとも、異様な天皇もいたであろう。それでも皇統は続いてきた。皇族が「尊い」理由は各人の人格・人柄等にあるのではなく「血統」にある。皇太子妃は皇太子の配偶者であるというだけで、「尊い」と感じられるべきだろう。

 2.本件当時に「怒り」のような感情を抱いたものだが、2012年4月に羽毛田宮内庁長官は今上天皇・皇后の薨去後の方法についての希望ごを記者会見で発表したことがあった。
 今上天皇が何らかの意見をお持ちになることはありうるだろうが、天皇の「死」を前提にする具体的なことを平気で宮内庁長官がマスコミに対して話題にすること自体に大きな違和感を覚えた。

 よろしくない場合もあるが、日本と日本人は井沢元彦の言うように「言霊」の国なのではないか。一般人についてすらその将来の「死」に触れることが憚られる場合もある。ましてや天皇や皇族についてをや。

 また、この本p.148によると、羽毛田は皇后陛下のご本意と異なることを発表したらしい。ひどいものだ。竹田は宮内庁ではなく皇居域内に建物はあっても「宮外庁」だと言っていたが、その通りのようだ。羽毛田は元厚生労働省の官僚。憲法改正の必要はないとしても、皇室に関係する組織のあり方は行政機関も含めて、検討の必要がある。
 3.第四部の「原発問題」では二人の意見は基本的に一致しているようだが、私は賛同していない。竹田の最初の論考に原発労働者の実態が詳しく書いてあった記憶があるが、それを読んだとき(この欄には何も書かなかったはずだが)、それなら労働環境を改善すればいいだけのことで、原発自体に反対する理由にはならない、と感じたことがある。その他、二人の<反原発>文献は読んでいない。

 第二、小川榮太郎・国家の命運-安倍政権・奇跡のドキュメント(幻冬舎、2013)。
 1.p.143-4、昨年末の総選挙についてのマスコミ報道-マスコミは二大政党からの選択という「文脈を敢えて無視するかのように、『第三極』をクローズアップした。民主党三年三カ月の検証番組はなかった。自民党に政権復帰能力があるかどうかの検証もなされなかった。第三極や多党化という泡沫的な現象を追うばかりだった」。「日本のマスコミのこの二十年に及ぶ、度重なる浅薄な選挙誘導の罪、日本を毀損する深刻度において民主党政権と同格だ」。以上、基本的に同感。
 朝日新聞等の「左翼」マスコミは民主党政権に対して何と「甘く」、優しかったことだろうか。批判するにしても<叱咤激励>にあたるものがほとんどだっただろう。そして思う、いかに「政治的」新聞社・報道機関であっても<報道>業者であると自称しているかぎり、「事実」についてはさすがに真っ赤なウソは書けない。あれこれの論評でもって庇おうとしたところで、「事実」自体を変更することは(あくまで通常はだが)朝日新聞であってもできない。民主党政権にかかわる「事実」こそが、同党政権を敗北に導き、同党の解党の可能性を生じさせている。

 2.つぎの文章は、しっかりと噛みしめて読まれるべきだろう。-安倍晋三の「微妙な戦いは、我々国民一人一人が、安倍政治の軌道を絶えず正し、強い追い風で安倍の背中を押し続けない限り、不発に終わる。そして、もしそれが不発に終われば、日本は、中国の属国となってその前に這いつくばり、歴史と伝統を失い、日本人ではなく単に日本列島に生息する匿名の黄色人種になり下がるであろう。/その危機への戦慄なきあらゆる政策論は、どんな立場のものであれ、所詮平和呆けに過ぎない」(p.203)。

 3.知らなかった(大きくは報道されなかった)ので戦慄すべきことが書かれている。p.234以下。

 「事実上の発射準備」である「射撃管制用レーダーの照射」を中国海軍艦艇が行ったのは1/30で、翌月に小野寺防衛相が明らかにし抗議した。「最早挑発ではない。歴とした武力による威嚇」であることに注目すべきことは言うまでもない。問題は、以下だ。
 「
民主党政権時代にも、レーダーの照射は少なくとも二回あったが、中国を刺激するとの理由で公表しなかった」。

 小川が書くように(p.235以下)、民主党政権が続いて「その極端な対中譲歩が続いて」いれば、尖閣諸島はすでに「実効支配されていた可能性が高いのではないか」。

 小川はその理由を言う。-中国が「軍事」衝突なく施政権を奪えば、尖閣に日米安保は適用されない。「もし民主党政権が『中国を刺激するな』を合い言葉に、軍事行動なしに中国に施政権を譲ってしまえば。その段階でアメリカには防衛義務はなくなる」。
 ここでの「施政権」とは、「事実上の支配」とおそらくほぼ同義だろう。民主党政権が中国による何らかの形での尖閣上陸と実力・武力・軍事力による「実効支配」を、日本の実力組織(さしあたり、海上保安庁、自衛隊)を使って妨げようとしなかったら、かかる事態は生じていたかと思われる。小川はさらに、次のように書いている(p.237)。

 「勿論、民主党政権は口先で抗議を続けただろう。型通りの抗議を続けながら泣き寝入りを…。しかし現在の国力の差では、中国に実効支配を許したものを日本が取り返すことは至難だ」、日本は「世界の笑い者になる」。この点だけでも、「安倍政権の誕生は、間一髪だった」。

 さて、中国が強い意思をもって尖閣に上陸し「支配」しようとする状況であることが明らかになったとき、朝日新聞は、あるいは吉永小百合を含む「左翼」文化人は何と言い出すだろうか。<戦争絶対反対。上陸と一時支配を許しても、その後で中国政府に強く抗議し原状回復を求めるとともに、中国の不当性を国際世論に広く(言葉を使って)訴えればよい。ともかく、日本は武力を用いるな>、という大合唱をし始めるのではないか。かかる「売国奴」が「左翼」という輩たちでもある。

 4.この本は安倍晋三支持の立場からのもので、そうでない者には異論もあるかもしれない。だが、悲観的、絶望的気分が生じることの多い昨今では(今年に入っても程度は質的に異なるが、似たようなことはある)、奇妙に安心・楽観的気分・希望を生じさせる本だ。  

1190/中西輝政の主張・見解は熟読されてよい。

 一 中西輝政の、自民党と日本維新の会の連携の必要を説いた文献(雑誌)は何だったかと探しているうちに、中西輝政の主張はたんなる両党の連携等というよりも、遠藤浩一の今年最初の<保守合同>論でもない、両党による<二大保守政党>成立への展望だったように思い出してきた。その場合、維新の会を自民党よりも<右>または<より保守的>と位置づけていたような気がする。
 また、同じ論文においてだったかは定かではないが、中西は、<憲法改正(とくに9条2項)を最優先し、そのためには「歴史認識」問題を犠牲にしてもよい>、というきわめて重要な(そして私は賛同する)主張・提言を行っていたことも思い出した。細部の内容に自信はないが、執筆者を間違えている筈はないと思っている。
 二 ところで、故三宅久之らが安倍晋三に対して自民党総裁選への立候補を勧めるために、そして激励するために安倍に文書を手渡しているシ-ンをテレビで何度か見たが、数少ないものの、三宅久之の隣に座っていたのは中西輝政であることが明確に分かる(視野のやや広い)撮り方をしたビデオを流していたテレビ番組もあった。
 京都大学を退職していたことと関係があるのかは知らないが、もっぱら「語る」または「書く」だけの、まだ京都大学教授である佐伯啓思と比べて(同じ研究科所属だったのに)、現実の政治へのかかわり方はずいぶんと違うものだ。
 そして、佐伯啓思よりもあるいは櫻井よしこ等よりも、政治的感覚が鋭いのは、あるいは大局的見地から適切な現実政治にかかわる戦略的思考をしているのは(そしてそれを文章化しているのは)、逐一この欄に書いてはいないが、中西輝政だろう、と判断している。
 このことを例証するためにも一で触れた内容の中西輝政論考を見つけ出さなければならず、その時点であらためて詳しく紹介しよう。以下は、探索過程でいくつかあらためて見た(すべて一度は読んだ)中西輝政の最近の論考だ。読書録のつもりで、列挙しておこう。
 A 月刊WiLL(ワック)
 ①「私が安倍総理に望むこと/『国家観の再生』を」(2013年1月号)

 ②「中国の奥の手は『敵国条項』」(2月号)

 B 歴史通(ワック)

 ③「中国という狂気」(2013年3月号)

 ④(阿比留瑠比との対談)「米中韓『歴史リンケ-ジ』の何故?」(7月号)

 C 月刊ボイス(PHP)

 ⑤「次期政権は大義の御旗を掲げよ」(2013年1月号)

 ⑥「憲法改正で歴史問題を終結させよ」(7月号)

 ⑦「中国は『革命と戦争』の世紀に入る」(8月号)

 D 月刊正論(産経新聞社)

 ⑧「現代『歴史戦争』のための安全保障」(2013年2月号)

 以上。

 産経新聞お気に入りの?櫻井よしこよりも、月刊正論で「大物扱い」の?遠藤浩一よりも(ついでに新潮45お気に入りの佐伯啓思よりも)、中西輝政諸論考の方が視野が広く、複眼的・総合的だ(かつ現実的だ)。そして上のように列挙してみると、中西は産経以外の媒体にむしろ多く執筆しているようだ。質量ともに中西に匹敵する仕事を依然として行っているのは、こちらは最近の月刊正論によく登場している(アメリカという国家の本質を探っている)西尾幹二くらいではあるまいか。

1184/久しぶりに月刊正論を読む-西尾幹二論考。

 産経新聞も月刊正論も定期購読しなくなって、かなり経過した。

 月刊正論8月号(産経新聞社)の西尾幹二「日本民族の偉大なる復興・上/安倍総理よ、我が国の歴史の自由を語れ」は、まったくかほとんどか、違和感なく読める。

 論旨の一部ではあるが、橋下徹のいわゆる慰安婦発言に対するコメントも-「旧日本軍だけを責めるのはおかしい、とくりかえし主張したことは正論で、良く言ってくれたと私は評価している。/ただ橋下氏は多くを喋り過ぎることに問題があった」等々-穏当またはおおむね公平な評価と批判だと思われる。

 西尾自身が自らの月刊WiLL6月号(ワック)上の論考に言及しているが、おそらく橋下徹はその西尾論考を読んでいただろう。記者の質問に対する咄嗟の応答の過程で西尾論考の基本的な内容も頭をよぎっていたのではないかと想像している。なお、質問をして橋下発言のきっかけを作ったのは朝日新聞の記者のようだ。「歴史認識」にかかわる質問をして十分な用意のないままでの<妄言>を引き出し、韓国政府・マスコミ等に批判させて日本国内で騒ぐ(そのために辞任した閣僚もこれまで何人もいた)、というのは、今回がそのまま該当するかは不明だが、朝日新聞がよくやってきた陰謀・策略的手口で、橋下徹もその他の「保守」政治家も<用心>するにこしたことはない。

 ところで、これまた西尾幹二の月刊正論論考の重要部分でないかもしれないが、そこで紹介されている渡辺淳一の週刊新潮上の連載随筆の一つ(橋下徹発言批判)には、それを読んでいなかったこともあり、あらためて驚愕した。この人物がこの随筆欄で50~60年代の「進歩的・左翼知識人」が言っていたような奇妙で単純なことを現在でも自信をもって書いているらしきことに驚きかつ呆れていたものだが、西尾はこう断じる-渡辺淳一は「日教組教育に刷り込まれた頭のままで成人して、以後人間と世界のことは新しく何も学ばずに成功し、太平楽を並べ、身すぎ世すぎができた幸福なご仁だ…」。
 西尾は「成功」と書いているが、けっこうな収入を得て有名にもなった、ということだけのことで、渡辺は日本国家・社会、日本人にとっては何事もなしてはいない人物にすぎないだろう。それはともかく、渡辺淳一、1933年生まれ。西尾幹二にも近いが、大江健三郎にも近い、私のいう、1930年代前半生まれの<特殊な世代>の一人だ。そして、西尾幹二の指摘する、「日教組教育」あるいはその基礎・背景にあるGHQまたはアメリカによる<自虐史観>教育を受け、成人後も、あるいは日本再独立後も、「人間と世界のことは新しく何も学ばずに」戦後の日本社会で生きてきた人間たちが、この世代には「塊」となってまだ残存している、と思われる。彼らは、いわゆる「団塊」世代よりもタチが悪い(大江のほかに同じく9条の会の樋口陽一や奥平康弘もこの世代だ)。
 大江、樋口、奥平あたりにはまだ「確信犯」的なところがあるだろうが、「新しく何も学ばずに」、現在で言えば、月刊WiLLや月刊正論「的」な論調があることやその正確な中身を知らず、そうした論調の一部を知るや<脊髄反射的>に、「保守・反動」だ、<偏っている>、と決めつけてしまう「単純・素朴な(バカの)」人たちがまだ多数いる。

 西尾幹二にはまだもっと活躍していていただく必要があるが、そういう人たちは、日本のためにも早く消え去っていただきたいものだ。

1181/ベルリン・シュタージ博物館。

 ベルリン・フリートリヒ通り駅から地下鉄に乗り換えて「北通り」駅で降りると、近くに「壁記念館」がある。ポツダム広場南西の「壁博物館」に比べると、展示史料・資料は少ないが、すぐ近くに「壁」そのものはより長く保存されている。
 その記念館の前の(旧東ベルリン地域にのみ走っていて現在もそうである)路面電車の停留所から終着駅近くまで乗り、一度だけ地下鉄に乗り換えると、地下鉄「マルダレーネン通り」駅の北側に<国家保安省(シュタージ、Stasi-Staatssicherheit)博物館>がある。国家保安省には、MinfSまたはMifS(ミンフスまたはミフス)という略称が別にあったかもしれない(Ministerium fuer Staatssicherheit)。 
 旧国家保安省の敷地・建物群はかなり広くかつ多かったようで、現在はその一部・一角、たぶんかつての省の中枢部分にのみある「博物館」へ迷いなくたどり着くのは必ずしも容易ではない。地下鉄駅を西口から出て、南北の大きな通りを少し北上して西門から入ると、ちょうど博物館の正面に着くようだ。
 チェコの共産主義博物館もそうだが、戦前の例えばナチスに関する(反ファシズム?)博物館ではなく、1989年という、24年ほど前までは東ドイツの政府機関として現実に機能していた「シュタージ」の大臣室・会議室等がそのまま保存され、関連資料が写真も含めて展示されているのだから、まだ十分に生々しい。
 さて、そこにもレーニンの胸像は置かれていたが、スターリンのものはたぶんなかった。
 この博物館は上記のチェコのそれとは違って現在のドイツ政府の関係機関(独立行政法人?)が管理・運営しているようであり、どこからか、ドイツ人の小学校高学年生たちが教師に連れられて、団体バスを使って来て、見学?していた。
 レーニンの胸像が置かれているということはスタ-リンから誤ったという日本共産党の主張に対する直接の反証にはならないかもしれないが、かつての「社会主義」体制の象徴的な人物または現実的「始祖」として、いわゆるロシア革命を実際に成功させたレーニンがイメージされていること、そしてそのイメージはむろん肯定的なものではなく、消極的・否定的なイメージであることを、示しているだろう。
 ついでながら、「STASI-AUS!(シュタージ、出てゆけ!)」という大きな落書きを写したなどの1989-90年頃の写真類も展示されていた。また、推測になるが、この旧国家保安省のあった「リヒテンベルク(Lichtenberg)」という(かなり広い地域を指す)地名は、現在でも大きな鉄道駅等の名前として残っているが、かつてのベルリンおよび東ドイツ国民にとっては独特の、つまりは「シュタージ」に代替するような(日本共産党を「代々木」というがごとき?)響きをもった言葉ではなかっただろうか。
 その省内には(廃止されているためか見学させていなかったとみられるが)監禁・拘留施設があったに違いなく、かつ「スパイ」を使っての厖大な個人情報が集積されていたはずなのだ。
 以下の写真の一つは、公園内の?樹木内に隠されていた盗聴装置、もう一つは館内のレーニン像。
 

 東独国家保安省の役割を含めて、「旧東欧社会主義」の実態については西尾幹二のものも含めて多数の文献があるが、小説ではあるものの、春江一也「プラハの春」、同「ベルリンの秋」も薦めておく価値がある。

ギャラリー
  • 1181/ベルリン・シュタージ博物館。
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  • 1180/プラハ市民は日本共産党のようにレーニンとスターリンを区別しているか。
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  • 0840/有権者と朝日新聞が中川昭一を「殺し」、石川知裕を…。
  • 0801/鳩山由紀夫は祖父やクーデカホフ・カレルギーの如く「左の」全体主義とも闘うのか。
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  • 0800/朝日新聞社説の「東京裁判」観と日本会議国際広報委員会編・再審「南京大虐殺」(明成社、2000)。
  • 0799/民主党・鳩山由紀夫、社民党・福島瑞穂は<アメリカの核の傘>の現実を直視しているか。
  • 0794/月刊正論9月号の長谷川三千子による朝日新聞、竹本忠雄による「厄災としてのフランス革命」論。
  • 0790/小林よしのり・世論という悪夢(小学館101新書、2009.08)を一部読んで。
  • 0785/屋山太郎と勝谷誠彦は信用できるか。櫻井よしこも奇妙。
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