秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

行政法

2225/田中二郎・行政法の基本原理(1949年)①。

 A/田中二郎・行政法の基本原理(勁草書房/法学叢書、1949年)。
 日本国憲法施行後2年のこの書物は、書名のとおり、「行政法の基本原理」を論述する。最終表記の頁数は297。
 4つの章で構成されていて、つぎのとおり。第二章のみ、節も紹介する。旧漢字は新漢字に改める。
 第一章・序論。
 第二章・行政法の基本原理の変遷。
  第1節・旧憲法の下における行政法の基本原理。
  第2節・新憲法の下における行政法の変遷の概観。
 第三章・新憲法の下における行政法の基本原理。
 第四章・連合国の管理における行政法の特質。
 **
 第三章(およびすでに第二章第2節)で著者が示す現憲法下での「行政法の基本原理」はつぎの四つだ。各節の表題とされている。p.58~p.264.
 ①地方分権主義の確立。
 ②行政組織の民主化。
 ③法治主義の確立。
 ④司法国家への転換。
 これらにそれぞれ(ほぼ)対比されるものが、第二章第1節で「旧憲法の下における行政法の基本原理」とされている。p.11以下。
 ①中央集権主義。
 ②官僚行政主義。
 ③警察国家主義。
 ④行政国家主義。
 従って、①中央集権主義→地方分権主義、②官僚行政主義→行政組織の民主化、③警察国家→法治主義、④行政国家→司法国家、という<行政法の基本原理>の<変化>も語られていることになる。
 「警察国家」は必ずも語感どおりのものではないし、「行政国家」・「司法国家」の対比は大まかに<行政事件>または<行政訴訟>をとくに行政裁判所(東京に普通裁判所とは別に一審かぎりのものとして、かつてあった)に管掌させるか、現在の最高裁判所以下の<司法裁判所>が一括して扱うかの違いなので、上の諸概念自体について説明や叙述が必要だろうが、立ち入らない。
 **
 上のような「行政法の基本原理」は、当時のとくに公務員志望の学生たちが教科書・参考書にしたかもしれない、つぎの田中二郎著では、少しく変更されている。
 B/田中二郎・行政法総論-法律学全集6(有斐閣、1957)。
 これのp.188-p.195によると、「現行行政法の基本原理」は、つぎの4つだ。
 ①民主主義の原理。
 ②法治主義の原理。
 ③福祉国家の原理。
 ④司法的保障の原理。
 上のA、つぎのCで出てくる「地方」行政上の「原理」は、この①の中で、新憲法にいう「地方自治の本旨に基づ」く地方行政は「団体自治」・「住民自治」の保障を意味し、これは地方自治法等の法律による首長主義による「代表制民主主義」と直接請求等の「直接民主主義の諸制度」によって実現されている(p.189)というかたちで、<①民主主義の原理>の中に包含されているようだ。
 **
 教科書としてはより詳しくなったつぎの田中二郎著は、上のAよりはBを継承しつつ、全く同じでもない。この書が、<田中二郎行政法>としては最も読まれた(利用された)かもしれない。
 C/田中二郎・新版行政法上-全訂第一版(弘文堂/法律学講座叢書、1964年)、p.33-p.44。
 ①地方分権の原理。
 ②民主主義の原理。
 ③法治国家・福祉国家の原理。
 ④司法国家の原理。
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 むろん一人の学者・研究者の<変化>を問題にしたいのではいない。
 また、「自由主義」との関係・関連も含めたそれぞれの説明・叙述を批判的に検討したいのでもない(その能力はない)。
 最も関心を惹くのは、そもそも一法(学)分野の「基本原理」とは何か、だ。
 これについて論じるまたは検討する意味が多少ともあるのは、田中二郎著について言うと、上のB・Cが「原理」とする、①地方分権、②民主主義、③法治主義(・法治国家)・④福祉国家、⑤司法国家、の諸「原理」の<法的意味・機能>ということになるだろう。
 だが1980年代はおろか2020年代に入っている今日に、これについて議論する意味または価値がいかほどあるかは、別途の説明が必要だろうが、疑わしいようにも見える。
 また、そもそも、田中二郎以降の次世代・次々世代等が、どれほどに、あるいはどのように、<行政法の基本原理>を論じ、あるいは叙述してきたか、きているか、という問題もある。
 但し、現在から70年以上前の、1949年に刊行された上のAについては少なくとも、そこでの「行政法の基本原理」の意味を検討してみる価値が、少なくとも<歴史>ないし<法史>の探求の一つとして、なおあるようだ。
 **
 結論として、上のAでの「行政法の基本原理」には、つぎの三つがあると解される。
 第一。日本国憲法上の(明文規定上の)「行政」に関する諸規定が示す、<行政に関する憲法原理>
 概念上、憲法と行政法は相互に排他的ではない。法学上の説明にはしばしばこういうのがあるが、憲法(典)の中にも<実質的意味での行政法>はある。この第一は、このことをおそらくは前提とする。
 第二。日本国憲法施行と同時に、またはその後1949年春頃までに制定(または改正)された、諸行政関係法律が有している、もしくは担っている、あるいは基礎にしている「基本原理」
 これを明らかにするためには簡単には戦後(正確には日本国憲法施行後)の行政関係立法の内容(とくに前憲法下との違い)をフォローしなければならない。子細・詳細ではないにしても、上の田中二郎著もこれを行っているだろう。
 第三。上の二つもふまえた、今後に行政関係法制を整備・改正していくための基本的な方向を示すための<基本原理>
 しかして、かりにこうだとして、かつまた1949年ないしその後数年に限ったとして、<行政法の基本原理>は誰の、どんな異論を受け付けないほどの<適正>なものとして、きちんと「把握」され得るものなのか?(だったのか?)。
 これはむろん、田中二郎の直接には1949年著による「把握」の適正さに論理的にはかかわる。
 しかしてさらに、「(法)原理」の「把握」とはいったい何のことか?
 また、その「把握」の「適正さ」の有無や程度は、いったいどのようにして<評価>され、あるいは<論証>されるのか?
 こうした論点には、純粋「文学」畑の幼稚な論者たちがおそらくは全く想定しておらず一片も理解することのできない、あるいは法学者ですら無自覚であることがあるかもしれない、<法学(的)>議論の特性、があるように見える。

2088/遠藤博也・<法の多元性>(1987年)。

 法律に違反すれば罰せられる(刑罰として)、というのが最もよくある「法」または「法律」のイメージかもしれない。
 また、<憲法は国民が国家を縛るもの、法律は国家が国民を縛るもの。ベクトルが違う>という奇妙なことを真面目に書いていた某新聞もあった(朝日新聞社説、2017年頃)。
 法の多様性、ということに関して。つぎの著を紹介しよう。
 遠藤博也・行政法スケッチ(有斐閣、1987)。
 遠藤博也、1936~1992年、享年55歳。1970年~(1992年)、北海道大学法学部教授。
 上の書は、1985-86年の雑誌連載をまとめたもの。
 この書の章の表題の中に、<二つの法・裁判-裁判と強制・公法と私法>、<三つの法根拠>、<五つの法過程>といったものがある。
 すでに一部見られるが、この書は「数字」にひっかけて?構成されている。すなわち、第18章まであるが、各章が1~18という数字に関係・関連する話題を取り上げている。
 といっても、書名から感じられるかもしれないような<行政法随筆>ではなく、専門性は相当に高いので、平川祐弘、江崎道朗、伊藤哲夫等々が読んでもほとんど理解することができないだろう。
 と書いているうちに、各章の表題を書き写しておきたくなった。
 第 7章の「七(7)」は意外にむつかしかったようで、下記のとおりになっている。
 第16章も苦しく、16=4×4で、むしろ「44」から出発している。
 第14章は表題にはないが日本国憲法14条(法の下の平等)に関係させている。
 第17章は日本国憲法17条に入っていき、現実の国家へと及ぶ。但し、冒頭に、江崎道朗や櫻井よしこらが詳しいはずの聖徳太子・十七条の憲法への論及が計6~8頁もある。
 第18章は苦しい<お遊び>ではなく、「数字」に関する優れた哲学的考察?も語られている。
 なお、<行政法(学)>分野に特有な話題だけではなく、以下でも言及するように、「法」・「法学」・「法律」一般に共通する論点も少なくない。
 **
 第 1章/一つの行政-統一的法と内部・外部の法。
 第 2章/二つの法・裁判-裁判と強制・公法と私法。
 第 3章/三つの法根拠-制定法・法の一般原則・当事者自治。
 第 4章/四つの基本原則-公共性・権限分配・権利尊重・公正手続。
 第 5章/五つの法過程-行政先攻の基本構造。
 第 6章/六つの法局面-適法・違法概念の相対性。
 第 7章/なぜか行政行為の諸分類-行政行為の分類に関する代表的学説。
 第 8章/八つの行政委員会-行政委員会による準司法手続。
 第 9章/民法709条と憲法29条。
 第10章/時効一〇年-安全配慮義務と守備ミス型の不作為の違法。
 第11章/11時間めに来た男-「特別の犠牲」の基準と適用。
 第12章/一二の法律-公共施設周辺(地域)整備法。
 第13章/行訴13条・請求と訴え-取消訴訟の訴訟要件と実体的請求要件。
 第14章/武器平等の原則-行政争訟手続における当事者間の公平の確保。
 第15章/取消判決の効力-取消判決の形成力と拘束力。
 第16章/行訴44条・仮の救済-行政に関する訴訟における仮の救済制度。
 第17章/一七条の憲法-憲法構造と現代行政国家の現実。
 第18章/一八番(おはこ)・本書のまとめ-分類と体系における数の不思議
 **
 <法の多元性>に関係する部分は多数あるが、最も直接に関係するのは、第6章・六つの法局面(p.117~)だ。
 遠藤博也著のこれによると、-特別に新奇なことが書かれているのではないが-つまりは3×2の計6種の「法」が語られている。
 冒頭部分に、こんな一般論が記述される。
 「法はなかなか複雑なものだから、あちらこちらから多面的、多極的に観察しなければならないわけである。ひとくちに行政が違法だとか、適法だとかいっても、それが具体的にいみするものが、場合によって違っている。」
 具体的に遠藤は、つぎの各種「法」を挙げる。
 A/「内部の法」と「外部の法」
 B/「主観的法」と「客観的法」
 C/「適法性に関する法」と「責任に関する法」
 三つの観点から二つずつに区別されているので、3×2で、計6の「法」あるいは「法局面」が語られているわけだ。
 以下、遠藤著に依拠しないで、自由勝手に書いてみよう。
 上のうちAの二つは、かなり<行政法(学)>的だ。その他の法(学)分野にはない公務員法(国家公務員法という法律等々)や行政組織法(内閣法、国家行政組織法という法律等々)にかかわるからだ。前者は一般の<労働法>の一分野かもしれないが、公務員が行政機関の担当者(たる人間)である点で、なお特有性がある。
 これに対して、BやCの各二つは、かなりの法(学)分野にも関係する。
 Bの二つは、現日本国憲法上の「司法」権概念に直接に関係する。
 つまり、思い切り簡略化せざるを得ないが、憲法上固有の意味での「司法」とは、私人ないし国民の「権利義務に関する」(それらの存否や内容等に関する)具体的紛争を裁断する(そして権利を保護する)作用(・機構)と、圧倒的に解釈・理解されていて(むろん個々の事案での争いはある)、たんに「法」または「法律」等に違反するか否かという「客観的」問題についてのみ判断する作用(・機構)ではない、とされているからだ。この点で、異なる基本法制を採る国もある(例、ドイツ)。
 この区別が分からないことには、<ふるさと納税>制度をめぐって泉大津市が国・総務省(地方自治・地方税所管)に対して訴訟を提起したということの意味等も、<辺野古・公有水面埋立>をめぐって沖縄県(・知事)と国(国土交通省等)が長い間争っていることの意味等も、正確には理解できない。国地方係争処理委員会なる行政機関の法的位置づけも。
 民法上の法的紛争で訴訟の対象となるものも、当然ながら私人の<権利義務に関する>(それらの存否や内容等に関する)具体的紛争だ。たいていはこの制約をクリアするが、なかには「司法」権の対象性自体が否定されることもある。
 <権利義務に関する>はしばしば<主観的>と表現される。「主観性」ともいう。ドイツ法から継承したものかもしれない。但し、<~に関する>という表現自体には、なお曖昧なところがあるだろう。
 Cの二つはむしろ、民法や刑法(民事法や刑事法)の分野でとくに語られるものだ。
 各「法典」との関係での適合性または「違法」性なるものと<責任>の負わせ方はどう関係するのか。後者は、<民事法上の責任>や<刑事法上の責任>のことだ。<民事上の責任>の中で主要なものはおそらく「不法行為による損害倍賞」責任であり、<刑事法上の責任>とは主として「刑罰」(を受けて「責任」を果たすこと)だ。
 藤原かずえ(kazue fgeewara)がこれらの「法的」責任に関する議論を全く知らないままで麻生太郎・財務大臣等の「責任」を-何やら知ったふりをして<造語>までして-「論じて」いたことは、この欄ですでに触れた。
 かりに<責任をとる>=<辞任する>と理解していたとすれば、呆れるほどの「無知」だ。
 行政・公務員の分野でも、政治的・行政的なものではない「法的」責任と言いうるものがある。不法行為責任の一種が民法・不法行為法の特別法だと一般には解されている国家賠償法という法律による「損害賠償責任」だ。また、公務員個人が公務員であるがゆえに刑事法上の特別の犯罪の「責任」を課されることもあるがあるし(収賄罪、暴行陵虐罪等)、公務員法制にもとづく「懲戒責任」、いわば「懲戒罰」(こんな専門用語はないだろうが)を受ける責任、正確には各種<懲戒処分>を受け得ることも、公務員としての一種の「責任」だろう。同様の懲戒は私企業でもあるが、公務員法制上に根拠があることや争訟の手続・方法が民間企業の場合とは異なる。
 といったわけで、「法」は単色・単様ではない(上の記述や遠藤著がこれを全て説明しているわけでもない)。
 「法学士」たちには以上はかなり常識的なことだろうが、とくに「文学」畑の知識人または「知識人らしく勿体ぶっている人」たちにとっては難解かもしれない。
 平川祐弘にもそうだろう。西尾幹二も、2018年の著<あなたは自由か>(ちくま新書)で、「自由」を論じながら、あるいは「自由」に関する随筆らしき文章を書きながら、現行法制にもとづく国民・私人の「自由」の実態・現実、法制・法学・法哲学・法思想、そして政治哲学・思想上の「自由」論には全く、またはほとんど立ち入っていない。
 それでもって「自由」論を扱えるのが奇妙で、不思議だ。それでも、日本の現在の情報産業界では通用するらしい。
 A・スミスも当時のイギリス等の取引や貿易に関する具体的法制または制度や慣行をふまえていたように思えるし、F・ハイエクも「法」について頻繁に言及している。知られるように、書名からして、Law やLegislation を用いるものがある。マルクスも、レーニンも、「法学」をいちおう修業しているのだから、「法学士」にも様々な人物がいるのはむろん承知しているけれども。
 なお、遠藤博也の個別論文に、同「行政法における法の多元的構造について」田中二郎先生追悼論文集・公法の課題(有斐閣、1985)がある(あった)。こちらの方が、さらに専門性が高い。上掲書にも出てくるが、「既判力」とか「権限の重複・競合」とか書かれていても、上に名を挙げた人々には、何のことかさっぱり分からないに違いない。
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