(つづき)
 茂木健一郎はヒト・人間という「種」を超えた「生きとし生けるもの」の「意識」の同一性を語ろうとする。ヘッケル(Ernst Haeckel)の生物発生系統図に見られるような、「生物」・「生命」への根源に至る「共通の幹」があるというわけだ。すべては、我々も、「一つの意識」が<連続変換>したものだ、というわけだ。変換=transformation。
 しかし、ここまで来ると、地球上に「生命」を誕生させた地球環境条件の生成、地球の誕生、大爆発が連続したのちの?太陽系宇宙の誕生にまで行き着くのではなかろうか。
 茂木が示唆を得ているようである<One Electron Universe >のいう<一つの電子>論に、<一つの意識>仮説も逢着するのではないか。
 こうなると、問題は「自己意識」とは何か、「わたし」とは何か、という最初の問題へと還元してしまいそうだ。茂木は、モジャモジャの髪の毛も「私」の構成要素だとし、構成要素である「記憶」と同様に変化するものだ、と言ったりしているけれども。
 そして、茂木の言う<自己意識のセントラルドグマ>をなお維持しておいてよさそうに見える。
 きちんとした論文に書いているのではなく、ネット上で語っていることでもあり、議論?はこの程度にしよう。
 但し、追記すると、茂木は興味深いことも別に語っている。
 一つは、(私は感想を書き込んで投稿したりしたことはないが)視聴者の質問・疑問等にある程度は答えたようにも感じるが、<対応する認知構造がないと理解できない>ことだ、などと論理必然性なく?語っていることだ。
 問題・主題が何であれ、たしかに、<対応する認知構造>がないと何らかの主張・見解の意味を理解することはできない。余計ながら、<意識の次元や構造>が全く異なると、そもそも議論が成立しない、意味交換をすることができない。これは世俗的にも、現実的にも、日本人どおしであっても、あり得ることだ。
 二つは、茂木が<クオリア>と<志向性(intentionality)>に目覚めたとき、と語っていることだ。なぜ気を引いたかと言うと、後者の<志向性>とは、数回前に言及したつぎの書のW・フリーマンが用いる中心概念または基礎概念らしいからだ。茂木はフリーマンの名を出していないけれども。
 ウォルター•J•フリーマン/浅野孝雄訳・脳はいかにして心を創るのか—神経回路網のカオスが生み出す志向性・意味・自由意志(産業図書、2011)。
 浅野孝雄自身の「複雑系理論に基づく先端的意識理論と仏教教義の共通性」を副題とする書物以外に、つぎの書物も入手して、少しだけ目を通した。8-9割は浅野が執筆している。2021年に、少しでも論及したい。
 浅野孝雄=藤田哲也・プシューケーの脳科学—心はグリア・ニューロンのカオスから生まれる(産業図書、2010)。
 「プシューケー」は人名ではなくpsycho,Psycho (サイコ,プスィヒョ)のたぶん原語のようなもの、「グリア」細胞とはニューロン(神経細胞)を取り囲んでいる細胞。