秋月瑛二の「憂国」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

藤岡信勝

日本共産党こそ主敵-<悪魔の100年史>刊行を。

 月刊Will(ワック)は5月号で、日本共産党批判の特集を組んでいた。
 その他、雑誌Japanism等でも特集がある。
 しかし、一瞥のかぎりだが、私は不十分だと感じている。それについては近いうちに言及する。
 さて、月刊正論6月号(産経新聞社)の藤岡信勝論考の最後にこうある。正確には「若者」に対してだが。
 「日本共産党の歴史を、戦前は立花隆、戦後は兵本達吉の本を読んで知ってもらいたい」(p.135)。
 この二つを当然ながら秋月は読んでいるが、考えさせられることがある。
 それは、そう言えば、日本共産党の歴史(と現在)に関する詳細で学問的でもある(かつ分かりやすい)文献はなさそうであることだ。上の二つは、人文社会系の学者・研究者によるものではない。
 共産主義一般に関する(日本人による)批判的文献はないではない。また、ソ連や中国(・北朝鮮)の実態等に関する書物は多いとは言えないかもしれないが、まだある。
 しかし、日本の共産主義者たち、または肝心の日本共産党についての(むろんその歴史を含む)体系的・包括的な文献はひょっとすればまったく存在しないのではないか。
 研究者あるいは評論家と言われる人たちの中に、まともな(体系的・理論的も含む)日本共産党批判書を刊行している人はいるのだろうか。これは、日本の保守派=反共産主義派の大きな怠慢ではないか。
 人文社会系の学者たち、あるいはいわゆるアカデミズムが大きくコミュニズムに汚染されていて、現に日本にあったし、ある日本共産党の客観的分析、とりわけ批判的分析ができないだろうことは理解できる。だが、そのような実態こそ、いったい保守派は、とくに保守派とされる学者・研究者たちはいったい何をしてきたのかを疑問視させるものでもある。
 日本共産党自体の「社会科学的」研究こそが望まれる。処世・世渡りのために日本共産党自体の研究と公表をおろそかにしているとすれば(自民党についてはいくつかあるはずだ。55年体制とか「吉田ドクトリン」等々について)、本来は「社会科学」の精神・学問の自由の理念から離れている。
 日本共産党は2022年、6年後に創立100年になる。現在の状況では、大々的に<日本共産党の100年>とかの書物を「党史」として刊行する可能性が高いだろう。
 まだ6年ある。共同作業でもよいから、日本共産党自身が宣伝するような歴史と実態を同党はもつものではないことを、詳しく包括的に(かつできるだけ分かりやすく) 叙述する書物を保守派=反共産主義の学者あるいは論壇人たちは出版してほしいものだ。

日本共産党こそ主敵-月刊Hanada6月創刊号を少し読む。

 月刊Hanada6月創刊号(飛鳥新社)を一読。
 すでにある月刊Will6月号(ワック)と比べてみると、月刊Hanadaの方がよい。背表紙に「本当は恐ろしい日本共産党」とある。
 月刊Willには、目次を見ても共産主義・日本共産党に関するものが一つもない。時期的・政治的センスが相当に欠ける、と感じる。但し、裏表紙裏に西尾幹二全集の広告があるのはよい。
 月刊Hanada6月創刊号の既読のものは以下、(順番どおり)。
 ・西尾幹二「現代世界史放談-ペリー来航からトランブまで」
 ・名越健郎「日本共産党に流れたソ連の『赤いカネ』」
 ・藤岡信勝「騙されるな!共産党の微笑戦術」 以上、3稿。
 かつてのようには?、細かく紹介・言及・論及しない。 
 共産主義・日本共産党に関する、手垢のついた?、これまでにもあったような批判や分析は秋月瑛二にはもう十分だ。
 むろん歴史と伝統?に由来することも少なくないが、日本共産党の現綱領のもとでの現在の活動・主張を現在または最新の同党の現実の文献・文書等を素材にして、批判・分析することが必要だ(これは名越論考の有益性の否定をまったく意味しない)。
 この点、産経新聞も月刊正論も含めて-月刊正論はようやく5月号で特集を組んでいるが-保守派の議論には大きな欠陥があったと秋月は感じている(これは日本共産党はもちろん「左翼」に対しても言えることで、だから、長谷部恭男を自民党推薦委員とするような有力?自民党国会議員も出てくる)。
 日本共産党の卑劣さ・いやらしさを具体的に感じることのない、日本共産党の議論など無視して構わないと考えている、極論すれば保守の論壇内でぬくぬくと生きていければよいというがごとき論者がいるようだからこそ、日本共産党の棲息をなおも許しているとすら思える。
 1991年のソ連崩壊によって、勝負はついたとでも思って安心してしまっているのではないか。
 日本と日本人にとっての主敵は、日本共産党と同党員にこそある。
 アジアでは、自由主義と共産主義の闘いはなおも続いたままだ。
 もっとも、上の西尾幹二の論稿は、「放談」とはいえない、自由主義対共産主義という観点すら小さく思えるような大きなスパンに立ったものだ。自由対コミュニズムという基本的観点が誤っているとは思わないものの。
 西尾は予測する-何十年先か、地球は「再び大破壊を被る」、または「地球はカオスに陥る」。いずれも、アメリカが今後どうなるかに強くかかわる。それに応じて、日本と日本人はどう考え、どう行動すべきなのか。
 追-<堤堯の今月この一冊>も月刊Hanadaに移ったようで、堤は、藤井=稲村=茂木・日米戦争を起こしたのは誰か(勉誠出版、2016)を取り上げている。秋月瑛二が長い眠りから目覚めようかという気になったのは、この本と別のもう一冊(そのうち論及する)だったので、見る人は見ているな、という感はある。

1268/先の戦争へのコミュニズムの影響。

 〇 栗田健男中将はなぜレイテ海戦の際に「反転」したのか、といった戦記ものあるいは個々の戦術ものには、ほとんど関心を持たないできた。それは戦後生まれのものにとって敗戦は既定の事実で今さら敗戦の戦術的・技術的原因を探ることがほとんど無意味と思われたことや、占領期についてでも複雑なのに、もっと複雑そうな戦時中の細かな歴史について勉強しておくことの時間的な余裕はないと感じられたことによる。
 但し、1930年代には日本共産党はとっくに壊滅していて一部の者が獄中で念仏のごとく「反戦」を唱えていたかもしれないこと程度で、戦争は日本共産党とは対極にある<右翼的・反共的>グループが継続したというイメージが強かったところ、日本国家あるいは日本の軍部・政治家等に対するコミュニズムやコミンテルンの影響やアメリカのルーズベルト政権自体の<容共左翼>性の指摘があることを知って、にわかに先の戦争と「共産主義(コミュニズム)」の関係についての関心が高まってきた、という経緯が私にはある。
 それは、アトランダムに言えば、先の戦争は<民主主義対全体主義・ファシズム>の戦争だったなどと単純には言えないだろうこと、ソ連や大戦の結果生まれた中国共産党主導の新中国は「民主主義」陣営であるはずはなく<左翼全体主義>の国家ではないか、なぜアメリカはそのようなソ連と手を組んだのか、アメリカは<共産中国>を新たに生み出す結果をもたらした(そしてそれは今日でも大きな悪い影響・問題を生じさせている)戦争をなぜしたのか、なぜアメリカは(中国ではなく)日本を執拗に敵視したのか、といった認識や疑問と関係してくる。
 〇 隔月刊・歴史通2015年1月号(ワック)のいくつかに少しばかり言及する。
 藤岡信勝「戦後レジームの自壊が始まった」の中で藤岡が1995年の「自由主義史観研究会」立ち上げの頃は「私も日本が満州から北支に進出したことは咎められるべきだと思っていました」と率直に「告白」しているのが興味深い(p.41)。その時期からまだ20年ほどしか経っていない。藤岡は、しかしもちろん?、「中国側の絶え間ない挑発に日本は対応していたに過ぎず、侵略行為とは言い難い」、「日本は挑発行為に乗せられて戦争の道に走っていったと見るべき」だ等の今日の認識を示している(同上)。
 「中国側の絶え間ない挑発」は日本の<南侵>を誘導する中国共産党、その背後のコミンテルンの戦略をおそらく意味しているのだろう。
 岡部伸「近代日本を暗黒に染めた黒幕」はカナダ人のハーバート・ノーマンを扱うもので、「日本を貶めた最大の敵ではなかったか」との基本的主張・認識があり、戦前の日本を「封建的要素が残った、いびつな近代社会」と理解する、講座派的な日本「暗黒史観」の持ち主で、戦後当初には日本共産党を「民主主義」勢力とみなした、等々を叙述している(p.70-)。ハーバート・ノーマンを自殺に追い込んだ?アメリカの戦後のマッカーシズムの評価やノーマンと都留重人、尾崎秀実やゾルゲとの関係など、すでにある程度は知っているが、もっと詳細かつ明確な研究成果を読みたいものだ(この最後の部分は岡部の一文を批判するものではない)。
 中西輝政と北村稔の対談「日米・日中/戦争の真犯人」も興味深い(p.94-)。
 北村稔は彼の「学生時代、日本史研究と東洋史研究の分野ではマルクス主義の影響がものすごく強かった」と述べているが(p.103)、とくに日本近現代史の分野では、今日までその現象は続いているのではないだろうか(従って、私は、高校教育における「日本史」必修化には、教科書の書き手からするその内容と、教える教師の、推測される「左翼」=親マルクス主義的傾向のゆえに、現時点では簡単に賛成はできない)。
 中西輝政は例のごとく?、真珠湾攻撃に関するルーズヴェルト陰謀説に近い議論は「日本の国際政治や歴史の学会ではほとんど相手に」されなかったと、<左翼アカデミズム>の支配の一端を語っている(p.104)。
 中西はまた、今後の研究・検証が必要なテーマをいくつか挙げている。例えば、①永田鉄山らの「華北分離」・<南侵>路線の背景-背後にコミンテルンの工作か。②「国民政府を相手にせず」声明(第一次近衛声明)の背景-尾崎秀実が糸を引いていたか等。③海軍の戦争推進・拡大方針の批判的検証。④近衛の「東亜新秩序建設」声明(第二次声明)の背景。
 〇 上に最後に述べた諸点とコミンテルンまたはそのスパイ(・エージェント)の関係はまだ明確には分かっていない、ということなのだろう。
 もっとも、精読したわけではまだないが、すでにある程度の自信をもって確言している論者もいる。
 中川八洋・近衛文麿とルーズベルト―大東亜戦争の真実(PHP、1995)、同・近衛文麿の戦争責任―大東亜戦争のたった一つの真実(PHP、2010)だ。ハル・ノート(日本に開戦させるための強硬な最後通牒?)についても、<保守派>あるいは「自由主義史観」では通説的かもしれない理解とは異なる評価を下しているようだ。
 かなり飛躍するかもしれないが、憲法改正論の具体的内容と同様に、<保守派>あるいは<産経史観>?の論者においても、先の大戦の具体的な認識や評価は一様ではないと見られる。簡単には表現し難いが、欧米「帝国主義」からアジアを解放するための戦争だったという評価と、共産主義者・コミンテルンに誘引されてずるずると嵌まり、拡大してしまった戦争という評価では、大きく異なると感じざるをえない。
 西尾幹二が続けている、戦後にGHQにより「焚書」された戦前・戦中の日本人の諸文献の研究・解明によって、上のような論点はどの程度明らかになるのだろうか(すべて所持しているが、わずかしか熟読していない)。
 戦前・戦中に共産主義者・コミンテルン(・工作員等々)が日本に対してはたした役割、行った悪業にだけは関心をもって、諸文献・論考等を読んでいくことにする。 

1015/別冊正論Extra.15号「中国共産党」特集を読む。

 〇別冊正論Extra.15号(産経、2011.06)は「中国共産党―野望と謀略の90年」特集。来年は日本共産党の90年になるわけだ。
 まじめに順序を考えたわけではないが、読み終えた順番に、伊藤隆=竹内洋「なぜ共産主義という『戦犯』を忘れたのか」、筆坂秀世「日共も怒った! 国交正常化の裏で日本暴力革命を煽り続けた毛沢東」、中西輝政「日本を騙し、利用しつづけてきた『人類の悪夢』」、藤岡信勝「日中戦争を始めたのは中国共産党とスターリンだ」、西尾幹二「仲小路彰がみたスペイン内戦から支那事変への潮流」。まだ、半分に満たないが、中国共産党・日中戦争、そしてコミンテルン・共産主義に関する有益な文献だ。西部邁らの<表現者>グループは、おそらく誰も執筆していない。
 しばしば、メモしておきたい事項や表現にぶつかる。
 〇・筆坂秀世がより詳しく書いているが、伊藤=竹内の対談の中にも、1950年頃の日本共産党の<暴力>路線が朝鮮戦争時の後方(在日米軍側)の攪乱目的で、コミンフォルム(スターリン、毛沢東)の指示・要請により選択されたことが、指摘されている(p.193)。逮捕され、「青春を返せ」と叫んだり、長期にわたる法廷「闘争」を余儀なくされた当時の若い日本共産党員たちは(裁判にかかわった党員弁護士等も含めて)、その後の人生をどう生きたのか。一度しかない、かつ短い人生にとって、「共産主義」に強く囚われてしまうとそれこそ取り返しがつかない、ということがありうる。
 ・伊藤隆が「インテリ」の多くについて「反・反共」という表現を用いている(p.194)。これは非常によく分かる。日本共産党等の組織員にならなくとも、「反共」(=保守・反動)とだけは言われたくない、思われたくない、というのは、かつてのものではなく、今も強く残る、人文社会系の、党員以外の、大学教授たちの<意識>だろう。その意識は当然に<容共>となり、思想信条の「自由」(学問の「自由」)、価値相対主義あるいは多様な見解に寛大なという意味での「リベラル」意識がそれをさらに支えている。
 唐突に名前を出せば、東京大学の佐々木毅(元学長)も長谷部恭男(現、憲法学)も、いろいろなことを言い、書いているが、この<反・反共>主義者であることだけは間違いないと思われる。
 ・竹内洋は明確に「反共」の立場で発言しているが(それは月刊正論の連載でも示されていたが)、少しだけ気になるのは、京都大学(教育学部)の現役教授時代に早くから、そのような立場を明確にしていたのだろうか、ということだ。
 今なお日本史(学)のほかに「教育史学」もレフト(左翼)だという発言もあるが(p.192)、そのような「左翼」アカデミズムと明瞭に闘っていた、京都大学の助教授・教授だったのかどうか。
 現在でもそうだが、国立大学だから「政治」的発言をしにくいということはないはずだ。制限されているのは現在の特定の内閣・政党への支持・不支持のための特定の活動であって、それに直接関係のない歴史研究・教育学研究にもとづく「政治」的発言に(法律上の)制限があるはずもないのだが…。
 〇筆坂論考は、日本共産党の関係文献を渉猟していない者にとっては、資料的価値もある。
 〇中西輝政論考は、詳しく、何回かに分けて紹介したいくらいだ。既読の他の論考も含めて、漠然として不明だったところに、明確なピースがきちんと嵌め込まれたという感じで、結局のところ、共産主義、コミンテルン・コミンフォルムの方針と実践を考慮しないと、かつての「戦争」等については何も語れない、ということがよく分かる。

 すでに書いたことがあるように、敗戦から自分の時代の総括は出発せざるをえず、戦争中のことの細かな事実関係にはあえて関心を持たないようにしてきたのだが、西尾幹二が言及しているように、日本陸軍の大陸での戦闘史、海軍の太平洋海戦史、国内の政党政治史、対米外交交渉史(p.200)といったものに強い関心を持てないだけのことで、南京「大虐殺」あるいは<国共合作>あるいは張作霖爆殺事件とコミンテルンまたは中国共産党といったテーマだと、俄然興味を覚える。
 〇西尾幹二論考は、仲小路彰長野朗らの、GHQにより「焚書」された文献を主として簡単に紹介している。
 こうした人物の名前をすら知らなかったが、時代は違うものの丸山真男大江健三郎らなんぞよりも、こうした人物の方が立派な日本人だったとして、後世で評価されるようになりたいものだ。
 丸山真男や大江健三郎は無視されるか、日本にとって<悪い>影響を与えた、特定の時代の<進歩的文化人>なるものの代表として、歴史には名を残してもらいたい。
 中途半端だが、とりあえず。

0737/自由社・日本人の歴史教科書(2009)を一瞥-「市民革命」・「全体主義」。

 藤岡信勝編集代表・日本人の歴史教科書(自由社、2009.05)に収録されている最新版<新しい歴史教科書>(中学校用)の近現代部分を概読して、とりあえず印象に残ったことが二つあった。
 一つは、「市民革命」に関する叙述が、従来のもの、つまり私が学習した頃と何ら異ならないようであることだ。
 上の教科書では、17世紀後半から約100年間に欧州政治に新しい動きが起こったとし、イギリス、アメリカ、フランスについて述べたあとこう書く。「これら国々の政治の動きは、王や貴族の政治独占を認めず、人々が平等な市民(国民)として活動する社会をめざし、近代国家を生み出したので、市民革命とよばれている」(p.130、太字はママ。執筆者不明)。
 ここには「フランス革命」は「革命」ではなく支配層の中での権力の移動だった等々の<修正主義>の影響はない。のちのロシア革命(暴力革命)と共産党独裁につながるような「フランス革命」の一時期の<怖さ>、「フランス革命」の<影>の部分への言及又は示唆もない(のちのロシア革命についてはある)。
 アメリカの独立と合邦との間の理念の違いへの言及もなく、アメリカ「革命」とフランス「革命」が異なる性質のものだったとの言及・示唆もない。
 「市民革命」の「市民」の意味の詳しい説明はない。また、上の三国にのみ「市民革命」は起こったのか(そうだとすれば何故か)、他の国々も「市民革命」はあったのか=普遍的なのか(そうだとすれば、例えばドイツ・イタリア・日本はいつが「市民革命」だったのか)、といった疑問に答えてくれるところはなさそうだ。
 中学生用の簡潔な叙述なので、やむをえない、と言えるのだろうか。少なくとも、イギリス、アメリカ、フランスを例として「市民革命」を語るのは、何ら「新しい」ものではなく、かつ従来のマルクス主義的歴史学による理解・叙述と何ら矛盾していない。
 もう一つは、欧州で生まれた二つの政治思想が1920~30年代に台頭して世界に広まったとし、その二つとして①「共産主義」と②「ファシズム」を挙げて、「どちらも全体主義の一種」だと明記していることだ。その部分の項の見出しは「二つの全体主義」で、左欄には「20世紀の歴史を動かした共産主義とファシズムにはどのような特徴と共通点があったのだろうか」という文章もある(p.192)。
 このように①「共産主義」と②「ファシズム」が同種のものとして明記されていることに、よい意味で驚いた。かかる理解は、必ずしも日本人の「通念」になっているとは思えないからだ。
 かつて民社党は左翼全体主義(=共産主義)・右翼全体主義(=ファシズム)という言い方をしていたと思われる。だが、日本の戦後「思想」界・「歴史学」界等々で、かかる理解は少数派ではなかったかと思われる。
 外国では、ハイエクやハンナ・アレントなど、「共産主義」と「ファシズム(とくにナチズム)」を同列のものと扱う傾向が日本におけるよりも強かっただろう。
 日本では、例えば丸山真男は(あるいは「戦後民主主義」者のほとんど全てが)「民主主義」と「ファシズム(・日本軍国主義)」を対置させたが、その際、「民主主義」の中に、「人民民主主義」という言葉が今でも残るように、「民主主義」の徹底した形態又は発展形態としての「社会主義(・共産主義)」を含めていたように解される。
 そのような日本の戦後<進歩的文化人>にとって、「社会主義(・共産主義)」と「ファシズム(・日本軍国主義)」が「どちらも全体主義の一種」などという理解は耐えられるものではなく、「全体主義」という語を使うとしても、「ファシズム(・日本軍国主義)」のみを意味させたものと思われる。
 そして、彼らにとっては、「社会主義(・共産主義)」と「ファシズム(・日本軍国主義)」は両極にあって対立しているものであった。後者の<復活の阻止>こそが最大目標だった(そして「民主主義」の擁護・徹底による日本の「社会主義(・共産主義)」化こそが<隠された>目標だった)のだ。
 丸山真男に対して、「社会主義(・共産主義)」と「ファシズム(・日本軍国主義)」のどちらを選ぶかという<究極の>選択を要求すれば、丸山真男は間違いなく後者ではなく前者を選んだと思われる。丸山には、「社会主義(・共産主義)」も「ファシズム(・日本軍国主義)」も<同じ全体主義>などという考えは、露も浮かばなかったのではないか。
 「民主主義」対「ファシズム(・日本軍国主義)」というあの戦争の把握の仕方はアメリカ・GHQのものであり、丸山真男および戦後<進歩的文化人>は占領期当初のアメリカ・GHQの「歴史認識」あるいは<パラダイム>に少なくとも客観的には<迎合>していたと考えられるが、この点は別の回でもあらためて触れる。
 ともあれ、「二つの全体主義」とかつて学習した記憶はなく、「新し」さを感じさせた。これで教科書検定を合格するのだから、決して悪い方向にばかり動いてはいない、という感もする。
 ところで、上掲書には教科書部分のほか、寛仁親王殿下のほかに、櫻井よしこ・加瀬英明・高山正之・黄文雄・西尾幹二・中西輝政・石平等々の15名の2頁ずつの文章を収載している。
 <新しい教科書をつくる会>分裂騒ぎに関する知識も大きな関心もないが、「自由社」版の他に産経新聞社グループの「扶桑社」の子会社「育鵬社」版の、殆んどか全くか同じの教科書も刊行されているらしい。
 上の15名の名前を見ていると、八木秀次、渡部昇一、岡崎久彦あたりの名前がないことに気づく。西尾幹二と八木秀次の間に確執があるのは知っているので、どうやら八木秀次らが「育鵬社」グループらしい(屋山太郎は?)。
 だが、15名の名前の連なりはなかなか重厚だ。いわゆる<保守派>というのがあるとすれば、八木秀次らのグループはその中の少数派なのではないか。そうだとすると、八木秀次と渡部昇一の二人への信頼度は私には相対的には上の15名の平均よりずっと低いので、悪い印象ではない。些末なことながら。

0589/西尾幹二の2007年の本による八木秀次批判。ついでに新田均。

 一 憲法学者・樋口陽一はしばしば元ドイツ大統領のワ(ヴァ)イツゼッカーの<有名な>演説に言及している。ドイツはきちんと謝罪している、それに比べて日本は、という文脈で語られることが多い。これもまた<デマ>であることを確認的にいつかメモしておこうと思うが、西尾幹二・国家と謝罪-対日戦争の跫音が聞こえる(徳間書店、2007.07)を手にしたのも、題名からして<謝罪>問題をテーマとする本だろうと思ったからだった。
 実際に見てみると、全く無関係ではないが、発刊日近く(「あとがき」は2007年6月下旬)以前の西尾幹二の雑誌掲載諸論稿をまとめたものだった。
 二 新しい教科書をつくる会の組織問題については西尾のプログで何か読んだ記憶はあったが、安倍晋三内閣をめぐる動きの方に関心が強く、また同問題は自分とほとんど(あるいは全く)関係がないと思っていた。
 現在でもほとんど(あるいは全く)関係がないのだが、西尾幹二による、上掲本の中の八木秀次批判はスゴい。p.73~p.165は「つくる会」問題で八木秀次批判が中心になっている(他の箇所にも八木秀次(ら)批判の文章はある)。
 混乱を大きくする意図はないが(いや、一般論として、かりに意図はあったとしてもこんなブログメモにそんな実際の力はない)、若干の引用メモを残しておこう。
 ・(2005年)11月半ばからの八木秀次の「会長としての職務放棄、指導力不足は意識的なサボタージュで、彼によってすでに会は…分裂していた」。
 ・八木は自分で2副会長(工藤美代子、福田逸)を指名した。この二人と遠藤浩一(つまり5人中、西尾幹二と藤岡信勝以外)に「背中を向け、電話もしな」かった。5人の副会長の中で「孤立した」のではなく、「自らの意志で離れて」別のグループに擦り寄った。だが、何の説明もなかったので3副会長(遠藤、工藤、福田)は「怒って辞表を出した」。
 ・それでも八木は「蛙の面に水」。「都合が悪くなると情報を閉ざし、口を緘するのが彼の常」だ。
 ・「彼は黙っている。語りかける率直さと気魄がない」。
 ・「自分がしっかりしていないことを棚に上げて、誰かを抑圧者にするのはひ弱な人間のものの言い方の常である」。
 ・要するに八木は「思想的にはどっちつかずで、孤立を恐れずに断固自分を主張する強いものがそもそもない人」だ。(以上、p.79-p.80)
 ・八木秀次は某の日本共産党在籍歴というガセ情報を流して「反藤岡多数派工作と産経記者籠絡」に利用した。また、八木の周辺者(又は八木本人)から奇怪なファクスが送られてきた。
 ・八木の「藤岡排除」の「執念には驚くべきものがあった」。(以上、p.81-82、p.84)
 ・「他人に対しまだ平生の挨拶がきちんと出来ない幼さ、カッコ良がっているだけで真の意味の『言論力の不在』、表現力は一見してあるように見えるが、心眼が欠けている。/…言葉を超えて、そこにいるその人間がしかと何かを伝えている確かな存在感、この人にはそれがまるでない」。
 ・「そういう人だから簡単に怪文書、怪メールに手を出す。今度の件で保守言論運動を薄汚くした彼〔八木秀次〕の罪はきわめて大きい」。
 ・そうした八木をかついで「日本教育再生機構」を立ち上げる人々がいるらしいが、「世の人々の度量の宏さには、ただ感嘆措く能わざるものがある」。(以上、p.89-90)
 とりあえず今回はこの程度にしておく。八木秀次はこうした西尾による批判に対して反論又は釈明をきちんとしたのだろうか。こうまで書かれるとはタダゴトではない(と常識的には感じる)。
 西尾幹二をこの問題で全面的に支持するつもりはないし(判断材料が私にはたぶん欠けている)、西尾「思想」の全面的賛同者でもないのだが、西尾による八木秀次評、すなわち、「言葉を超えて、そこにいるその人間がしかと何かを伝えている確かな存在感、この人にはそれがまるでない」という文章には同感するところが大きい。
 八木秀次の本も文章もいくつかは読んでいるし、月刊正論中のコラムも読んでいるが、「確かな存在感」はない。また、ハッとするような論理の鋭さも、広くかつ深い思想的造詣も感じることはできない。
 すでに書いたことだが、その八木秀次が中西輝政との対談本『保守はいま何をなすべきか』(PHP、2008)で<保守の戦略>を語ろうとしたり、<保守思想の体系化>をしたい旨を語っているのを読んで、とてもこの人の力量でできることではないと思った(そして、内心では嗤ってしまった)。また、八木秀次の問題性にはこのブログで何回かつづけて触れた(「言挙げしたくはないが-八木秀次とは何者か」というタイトルだったと思う)。
 そのような意味との関係でも、上の西尾幹二の八木秀次に関する文章も興味深く読んだ。
 三 ところで、最近の月刊正論9月号(産経新聞社)誌上の論稿に言及した新田均に対しても、西尾幹二は上掲の本で批判している(p.89)。そして、「つくる会」問題にかかわっても、新田均はどうやら八木秀次を支持する、そして西尾幹二に反対する立場にあったようだ(p.86)。ということは、今回の皇室・皇太子妃問題よりも以前から、西尾幹二と新田均は対立していたようだ。 
 それはそれでもよいのだが、だとすると、新田均は、皇室・皇太子妃問題にかかわって西尾幹二のみを批判するのは公平ではない。大仰に言えば<党派>的だ。何回か言及したように、八木秀次も(中西輝政も)「君臣の分限」をわきまえないような、西尾幹二と類似の主張をしているのだから。

0421/「大江健三郎の言論責任―不誠実な詭弁を弄し続けるノーベル賞作家の惨憺」。

 月刊正論4月号(産経新聞社)では、徳永信一「改めて問う大江健三郎の言論責任―不誠実な詭弁を弄し続けるノーベル賞作家の惨憺」が(これだけでは勿論ないが)読まれるべきだ。
 あらためて大江健三郎という人物の<異様さ>を感じる。この人物がノーベル文学賞受賞とは、日本国民はむしろ嘆いてよいのではないか。
 徳永の文章の内容を要約的にも反復はしないし、大江の詭弁ぶりも書かないが、一点だけ。
 大江が昨年11/20に朝日新聞に掲載した文章に、法廷で証言者・大江に対して質問した代理人(弁護士)について被告側と原告側を誤って記している部分があり、朝日新聞は12/21に小さな「訂正記事」を掲載したらしい。
 大江の謝罪の言葉(質問したと虚偽を書かれた原告側の徳永に対する)はなかったとしても、あの朝日新聞が「訂正記事」を出したとは、全く明白な「ウソ」を朝日新聞紙上に大江が記したことを、朝日新聞が肯定したことを意味する。なかなか<愉快な>ことだ。徳永いわく-「この小さな訂正記事によって、…大江氏の事実認識の杜撰さと、その文章がいかに『欺瞞と瞞着』に満ちたものであるかを天下に知らしめ」た(p.214)。
 ところで、産経の上掲誌p.65によると。3月28日に予定されている対大江・岩波訴訟の判決が出た後の3/29(土)に、この判決の論理・「沖縄(集団自決)問題」をテーマとする<緊急シンポ>が開催されるらしい(杉並公会堂。櫻井よしこ、藤岡信勝等がパネラー)。私もこっそり?聴きに(+見に)いこうか。

0350/大江健三郎-「不誠実」・「破綻した論理」。

 以下、月刊Will1月号(ワック)の藤岡信勝の文章(「完全に破綻した大江健三郎の論理」)p.103による。
 故赤松大尉の弟(原告の一人)は大江の文章を知ってどう思ったかとの質問に、こう答えた。
 「大江さんは直接取材したこともなく、渡嘉敷島に行ったこともない。それなのに兄の心の中に入り込んだ記述をしていた。人の心に立ち入って、まるではらわたを火の棒でかき回すようだと憤りを感じた」。(太字は引用者)
 続けて藤岡は書く。
 「私はこの時、被告側の弁護士たちの後ろに座っていた大江氏の表情の変化を観察した。大江氏は微動だにせず、全く表情を変えなかった」。
 以上。
 こうした文章-同誌上の原告代理人弁護士の文章もそうだが-にはちゃんと大江「氏」と付けている。こうした最低限の人間・人格に対する<礼儀>も、大江は、沖縄の離島での<集団自決命令軍人>(と思い込んだ人間)に対して無視しているのだ。
 肉親の上のような言葉・裁判所での「証言」を<微動だにせず、全く表情を変え>ずに聴ける大江健三郎の神経というのは、精神医学、神経病理の興味深い対象になるのではないか。作家=創作者=創造者=捏造者には、もともと<夢かうつつ(現)か>の区別がつかなくなる性向、精神状態の(従って<正常>・<健常>者から観ると、多分にアブ・ノーマルな)者が多いとは思ってはいるが。
 同誌p.109以下には大江健三郎の証言内容が記載されていて参考資料として役立つが、「ポイントを選んで」の再現のようで、隔靴掻痒の感もある。細かい活字でよいから、どこか(の本、出版社)で、全文を登載して広く一般に読める記録にしていただきたい。
 同誌上の原告代理人弁護士・松本藤一の文章(「大江健三郎氏と岩波書店は不誠実だ」)p.99によれば、柳美里・名誉毀損訴訟の際に大江健三郎は次の文を含む陳述書を裁判所に提出したという。-「不愉快にさせたなら、書き直すべきであり、それで傷つき苦しめられる人間を作らず、そのかわりに文学的幸福をあじわう多くの読者とあなた自身を確保されることを心から期待します」。
 今回の、いや70年代以降ずっとの大江の沖縄ノートに対する態度は、松本も指摘のとおり上の大江自身の言葉と<矛盾>している。
 矛盾していないとすれば、<日本軍国主義>を担った軍人たち、<戦後民主主義の敵>、教科書問題等での(大江にとっての)<右派>の者たちは、批判・罵倒して「不愉快にさせ」てもよいし、「傷つき苦しめ」ても構わない、と大江健三郎が確固として<信じて>いる場合、または無意識的にそう<思い込んでいる>場合(この場合は、「不愉快にさせ」ている、「傷つき苦しめ」ているという自覚もない)だろう。
 大江健三郎、岩波書店、これらの欺瞞ぶりと正体を多くの心ある国民は知るべきだ。ついでに、大江健三郎のコラムや彼の動向に関する記事をしょっちゅう載せている朝日新聞についても。
 

0084/菅直人・安倍首相の4/20国会論戦を半分くらい観た。

 4/20の菅直人・安倍首相の論戦をテレビで途中から立ち見をした。「藤岡氏」などという名前を出して「知っているか」と菅氏が安倍首相に質問したところからだった、と思う。
 新聞では詳細には報じられていないが、どうやら安倍首相が「つくる会」の藤岡信勝と親しく、彼の助言・協力があって、安倍首相の関与のもとに、沖縄戦集団自決「命令」に関する歴史教科書の修正があったのでないか、と菅は疑っているふうだった。
 伊吹文明文科相は菅の挑発もあってボロを出しそうな懸念をもったが、安倍首相は、首相や文科相は個々の検定意見に無関係とだけ答えて突っぱねていた。
 菅は、慰安婦問題では「狭義の強制性はなかった」と自分の見解を述べたのにこの沖縄戦集団自決問題では答えないのは矛盾しており卑怯だとか言っていたが、安倍首相は、「狭義の強制性はなかった」というのは当時の政府の調査結果のことで、その旨の見解(たぶん石原信雄発言)を紹介しただけとかわしていた。
 安倍首相の「元気さ」ぶりも印象的だったが、菅直人の不勉強ぶりも目立つ。首相の指示で教科書書換えがなされる制度にはなっていない。宮沢首相時代に「近隣諸国条項」なるものができたらしいことの方が大問題なのだ。
 もう一点、菅は、米下院での慰安婦日本非難決議問題に関して、ずっと静かだったのに、安倍首相になってからこの問題が出てきた、首相発言が火をつけたのではないか、旨を質問していた。安倍首相は、関係ない、とかわしていた。
 この決議案は毎年のようにホンダ議員らによって提出されてきた筈だ。そして、下院で米民主党が多数派になったからこそ採択可能性が生じ、日本でも話題になり始めたのだ。
 意識的に曖昧にしていたのかもしれないが、菅は、安倍「戦後体制脱却=歴史認識是正」内閣の登場が、米下院に「火」をつけたかのようにも理解できる質問の仕方をしていた。
 菅直人はそれなりに能力のある政治家だとは思うが、前提としての事実認識が不正確又は曖昧であれば、適切な意見・主張になるはずがない。対立する政党の党首でもある安倍を困らせてやろうとの<政略的>意図があれば尚更だ。
 藤岡に関して「誰を知っているか私が答えることに何の意味があるのか」とか、沖縄戦集団自決問題に関して「首相としての私が認識を示すことに何の意味があるのか」旨等の安倍首相の答弁は、見方によれば「逃げ」・「ごまかし」にも見えるのだろうが、答弁内容自体が不適切なわけではない。
 菅の設定した土俵の上に簡単には乗らない強い自信と発言力をとっくに安倍首相は身につけている。結構なことだ。
 菅には<辛ガンス問題>という過去の弱点、いや「汚点」がある。また、それなりに能力はあっても、鳩山由紀夫と同様に、やはりまだ<戦後民主主義>教育の弊害から抜け出ていない。

0020/伊藤剛、本多知成、林潤の三裁判官は、良心に疾しくはないか-2。

 東京地裁平成11.09.22判決は、これまた不要で、かつよくもまた大胆にと思うのだが、次のようにも述べていた。―「本件当時我が国が中国においてした各種軍事行動は、以下で述べる昭和6年(…)の満州事変、昭和7年の第一次上海事変、同年の満州国の独立宣言、昭和8年の国際連盟脱退、昭和11年(…)の2.26事件等々を経て、我が国の軍部がその支配体制を確立し、昭和12年以降、しばしば交替する内閣の閣内不一致や、時に下克上的な軍部等に引き回されるまま、近代における欧米列強を模倣し、ないし欧米列強に対抗しつつ中国大陸における我が国の権益を確保拡大しようとして、中国内部の政治的軍事的極めて複雑な混乱に乗じて、その当時においてすら見るべき大義名分なく、かつ十分な将来的展望もないまま、独断的かつ場当たり的に展開拡大推進されたもので、中国及び中国国民に対する弁解の余地のない帝国主義的、植民地主義的意図に基づく侵略行為にほかならず、この「日中戦争」において、中国国民が大局的には一致して抗日戦線を敷き、戦争状態が膠着化し、我が国の占領侵略行為及びこれに派生する各種の非人道的な行為が長期間にわたって続くことになり、これによって多数の中国国民に甚大な戦争被害を及ぼしたことは、疑う余地がない歴史的事実というべきであり、この点について、我が国が真摯に中国国民に対して謝罪すべきであること、国家間ないし民族間における現在及び将来にわたる友好関係と平和を維持発展させるにつき、国民感情ないし民族感情の宥和が基本となることは明らかというべきであって、我が国と中国との場合においても、右日中戦争等の被害者というべき中国ないし中国国民のみならず、加害者というべき我が国ないし日本国民にとっても極めて不幸な歴史が存することからして、日中間の現在及び将来にわたる友好関係と平和を維持発展させるに際して、相互の国民感情ないし民族感情の宥和を図るべく、我が国が更に最大限の配慮をすべきことはいうまでもないところである」。のちにも「我が国が朝鮮半島、満州、中国に進出し、ついにはあからさまな侵略行為、侵略戦争にまで及んだ」、「期待と信頼を裏切り、中国に対して侵略行為を継続したことはおよそ正当化できない」という文もあり、「将来にわたる両国民間の友誼と国家間の平和と友好関係」の樹立の必要も説いている。
 この判決は「帝国主義的、植民地主義的意図に基づく侵略行為」と断言し、日本は「真摯に中国国民に対して謝罪すべきである」と贖罪意識も明言する。この判決が「政治的・外交的」性格をもつことは疑いえない。しかるに、判決を書く裁判官は政治家又は外交官になってよいのか
 以上までに引用したのは歴史学・政治学の概説書でもなければ一部は戦後50年村山富市社会党内閣の談話でもない。裁判にかかる判決理由中の文章だ。
 あえて原告にリップ・サービスをするつもりなら、原告らの被害が日本軍によることを認定するだけでもよかった。しかしこの判決は南京「虐殺」の事実まで認定した。これは前者にとって絶対不可欠でなかった。また、南京「虐殺」の事実のみならず、1931年以降の日本軍の行動を「帝国主義的、植民地主義的意図に基づく侵略行為」と言い切った。こう言う必要性は南京「虐殺」の事実認定にとっても絶対不可欠でなかった。何故ここまで立ち入ったのか。それは、裁判官が「我が国が真摯に中国国民に対して謝罪すべきである」との(認識というよりも)価値判断に立ち、「相互の国民感情ないし民族感情の宥和を図る」ために、自らが政治家・外交官のつもりで判決を書く必要があると「錯覚」した、又は「倒錯した感情」に陥っているためだと思われる。
 しかして、最後に、この判決の語る「認識」や「価値判断」は適切なものだろうか。これらを語る必要は全くないのに触れているのはこの判決の致命的欠陥だが、そこでの「認識」・「価値判断」が誤っているとすれば、少なくとも常識的な認識として誰もが一致していることでは決してないとすれば、その欠陥は犯罪的ですらあるだろう。そして、判決のいう「日中戦争」の認識にせよ南京「虐殺」の真偽にせよ、日本の誰もが一致する常識的なものとは全く言えない。判決はこれと矛盾する「認識」があることを恐らく知りつつ意識的に完全に排除している。その際、「『南京虐殺』自体がなかったかのようにいうのは…、断定し得る証明がない以上事実そのものがなかったというに等しく、正当でないというべき」との開き直りすら見せて、事実上「虐殺」がなかったことの証明を要求し、それができていないから「あった」のだとの強引な(裁判官と思えない)論法をとっているし、南京事件が「政治的意図をもって、…誇大に喧伝された」側面があったとしてもそれは「当時我が国は『世界の孤児』であり、真実の友邦はなく、ほとんどの国から警戒され、敵対されていた」からだと述べて、責任が日本にあるとすら示唆する。問題は日本が信頼されていたか否かではなく「当時から世界に喧伝されていた」内容が真実か否かの筈だ。
 この判決の裁判官はその贖罪意識・日中友好意識から、いちおうは「一般的な歴史図書」に依ってとしつつ(明記されているのは正村公宏・世界史の中の日本近代史中村隆英・昭和史I中央公論新社・世界の歴史30NHK・映像の世紀等) 、原告ら及び支援団体が「気に入る」ような歴史認識をあえて述べたのではなかろうか。
 かりにそうだとすれば、伊藤、本多、林の三裁判官は憲法が保障する裁判官の独立を自ら放棄している。あるいは憲法と法律にのみ拘束され良心に従う(憲法76条3項)という場合の「良心」を、失礼ながら自ら「歪めて」いる。
 所謂東京裁判のウェッブ判事は歴史に対して傲慢だったと思うが、所詮は連合国の官僚で実質的にはマッカーサーの部下だった。独立性が保障された彼らはなぜこれほどに歴史に対して傲慢なのか。「日中戦争」の性格を、南京「虐殺」の事実を何故あれほどに簡単に述べてしまえるのか
 もともと彼らが明記する参考文献は旧すぎる。彼らはこの判決前に出版されていた東中野修道・「南京虐殺」の徹底検証(展転社、1998)も、南京「虐殺」説批判に130頁以上を割いている小室直樹=渡部昇一・封印の昭和史(徳間書店、1995)も、判決直前の藤岡=東中野・「ザ・レイプ・オブ・南京」の研究(祥伝社、99.09)も、読んでいないだろう。前者には和書だけで100以上の「参考文献」が列挙されているが、多様な歴史上の議論を知りうるほんの数冊でも、彼らは読んでいないに違いない。そして、大学生でも書けるような戦前・戦時史の「レポート」文を判決理由中に載せたのだ。
 既に書いたように、裁判官は戦後教育の最優等生たちだ。そして「歴史認識」もまた基本的には戦後教育のそれを受容している。「何となく左翼」は裁判所の中にも浸透している。ここでも鬱然たる想いを覚える。藤岡信勝・前掲書p.337-8によれば、この判決につき産経新聞論説委員石川水穂は的確に、「裁判官といえども、歴史を裁くことはできない。…軽率な事実認定を行った判決は必ずや、後世の裁きを受けるであろう」と書いた。
 彼らは上掲の本や判決後に出た北村稔・「南京事件」の探究(文春新書、2001)やマオ(上・下)(講談社、2005)、松尾一郎・プロパガンダ戦「南京事件」(光人社、2004)、東中野修道他・南京事件「証拠写真」を検証する(草思社、2005)、東中野修道・南京事件-国民党極秘文書から読み解く(草思社、2006)等々を読んで少しは恥ずかしくなっただろうか。少しは恥ずかしくなったとすれば、まだ少しは合理的な人間としての「良心」が残っている、と言えるのだが。
 くどいが、追記する。再引用すると、東京地裁判決は「南京虐殺は日本軍及び日本兵の残虐さを示す象徴として当時から世界に喧伝されていた(…政治的意図をもって、その当時及び我が国の敗戦直後誇大に喧伝されたという側面があるかもしれないが、そうであるからといって、『南京虐殺』自体がなかったかのようにいうのは、…結局、現時点において正確な調査や判定をすることが難しいことに乗じて、断定し得る証明がない以上事実そのものがなかったというに等しく、正当でないというべきであろう。)」と述べた。
 「当時から世界に喧伝」されていたことを事実認定の補強証拠として使い、かつその「喧伝」が「誇大」だったとしても事実を否定し得ない、と論じているのだ。だが、当時の「喧伝」が「誇大」どころか全くの虚偽だったら、中国国民党(及び同党に潜入の中国共産党)の工作員だった外国人が国民党の意を受け金も貰って世界に発した全くのガセだったらどうなるのか。伊藤剛、本多知成、林潤の三人は、その可能性を完全に否定するのか。(了)

0019/伊藤剛、本多知成、林潤 の三裁判官は良心に疾しくはないか-1。

 司法試験合格者は司法試験の受験科目のみ集中的に勉強したはずだ。とすれば、その他の一般的知識につき欠けることがあってもむしろ当然だ。このことは、法学部出身の(ふつうの)弁護士についても、さらに裁判官についても言えそうに思われる。つまり彼らは、司法試験科目を中心とした法律(・憲法)の専門家だが、例えば日本の歴史・伝統・文化について、「昭和戦争」について、無論総じての話だが、平均的な人以上には詳しくは知らない筈だ。しかし、彼らは日本の戦後教育の「優等生」ではある。そして、専門家の部分以外の分野については、高校・大学で又は社会一般・マスコミから「一般教養」を身につけている。その「一般教養」がじつはマルクス主義又は「左翼」思想から派生しているとすれば一体どうなるのか。これは現実的な問題だ、と思っている。
 南京事件・同「大虐殺」という語をタイトルに含まなくともこれに言及している本は多い。藤岡信勝・「自虐史観」の病理(文春文庫、2000。初出1997)もそうだが、その中に愕然とすることが書かれている。直接には事件の具体的内容に関係のない筈の、一判決についてだ。東京地裁平成11.09.22判決で、南京事件の被害者・遺族(と称する)中国人が日本(国・政府)を被告に国家賠償請求した事件にかかるものだが、個人が外国政府に対して直接に戦争被害にかかる損害賠償請求をする権利はない、とした。棄却の結論(判決主文)を導くためにはこれで十分と思われるが、何とこの判決は「南京「虐殺」はあった」旨をも述べている、という。ネット上で何とかこの判決を探してみた。確かに次のように「事実認定」している。長いが引用する。
 「日本軍の上海攻略は1937年11月05日の杭州湾上陸(…)によりようやく一段落し、同月中旬上海を制圧したが、日本軍及び日本兵はその戦闘により多大の損傷を受けた上で、心身ともに消耗、疲弊した兵士らの士気低下、軍紀弛緩等が問題となっていたまま、11月20日南京追撃が指令され、正式な命令のないまま強行された南京攻略は、日本国民の期待とあいまって、12月01日正式に決定された。南京の特別市の全面積は東京都、神奈川県及び埼玉県を併せた広さで、11月末から事実上開始された進軍から南京陥落後約6週間までの間に、数万人ないし30万人の中国国民が殺害された。いわゆる「南京虐殺」の内容(組織的なものか、上層部の関与の程度)、規模(「南京」という空間や、虐殺がされたという期間を何処までとするか、戦闘中の惨殺、戦闘過程における民家の焼き払い、民間人殺害の人数、便衣兵の人数、捕虜の人数、婦女に対する強姦虐殺の人数)等につき、厳密に確定することができないが、仮にその規模が10万人以下であり(あるいは、「虐殺」というべき事例が1万、2万であって)、組織的なものではなく「通例の戦争犯罪」の範囲内であり、例えばヒトラーないしナチスの組織的なユダヤ民族殲滅行為(ホロコースト)と対比すべきものではないとしても、「南京虐殺」というべき行為があったことはほぼ間違いのないところというべきであり、原告Aがその被害者であることも明らかである」。
 結論が如上のとおりである限り全く不要な叙述で、井上薫のいう「司法のしゃべりすぎ」(新潮新書、2005参照)の典型例だ。かつ「歴史認識」に関係するためにさらに悪質だ。「『南京虐殺』というべき行為があったことはほぼ間違いのないところというべきであり、原告Aがその被害者であることも明らかである」との判断まで示したこの判決を書いたのは、伊藤剛、本多知成、林潤の三裁判官だ(伊藤が裁判長)。
 この人たちは歴史家のつもりなのか。「『南京虐殺』というべき行為があったことはほぼ間違いのないところ」などと普通の人でも簡単には書けない。国家行為の一つの判決に書けるとはどういう神経・精神構造の持ち主だろう。
 上に引用の文章の直後にはこう続けている。「南京虐殺は日本軍及び日本兵の残虐さを示す象徴として当時から世界に喧伝されていた(…少なくともその当時我が国は「世界の孤児」であり、真実の友邦はなく、ほとんどの国から警戒され、敵対されていたものである。そのような状況からして、政治的意図をもって、その当時及び我が国の敗戦直後誇大に喧伝されたという側面があるかもしれないが、そうであるからといって、「南京虐殺」自体がなかったかのようにいうのは、正確な調査をしようとせず、「南京」の面積と当時の人口が小さいとし、結局、現時点において正確な調査や判定をすることが難しいことに乗じて、断定し得る証明がない以上事実そのものがなかったというに等しく、正当でないというべきであろう。)」。
 先に引用の部分と併せて、この長い叙述は一体何だろう。「原告Aがその被害者であることも明らかである」と書いた直後に「…当時から世界に喧伝されていた」と述べるが、この後者は被害=損害発生の事実認定のための理由づけのつもりなのだろうか。さらにその後の()内は一体何だろう。「断定し得る証明がない以上事実そのものがなかった」という主張を「正当でない」と非難しているが、これは裁判官が吐くべき言葉だろうか。不法行為・損害賠償請求訴訟において原告に加害行為の事実の立証責任があるのは常識的だが、あえて逆のことを述べている。この判決は「本件に関する基本的な事実関係」につき「認識するところ」を「当裁判所の限られた知見及び能力の範囲内」で「一般的な歴史書物」等に依って「最小限度で言及」すると前の方で述べているので、歴史の「基本的な事実関係」については法的な立証責任の問題と無関係に「認識」しているのだろう。だが、かかる方法は歴史認識について適切なのか。また、既述のように、そのような「認識」を「示す」必要性はそもそもなかったのだ。
 中国人は戦争(日本軍人による)被害につき日本国に対して損害賠償請求権を持たないと述べるだけで訴訟の処理としては十分だ。日本軍人による損害がかりにあってもとか、戦争損害の有無にかかわらずとかを付加し、その余の諸点を論じるまでもなく、と書けば十分だ。にもかかわらず、何故この判決は(引用しないが)14世紀からの!中国・日本の歴史を長々と書くのか。上海攻略後、「日本軍及び日本兵は、…心身ともに消耗、疲弊した兵士らの士気低下、軍紀弛緩等が問題となっていたまま」などとさも<見ていたかの如く>書けるのか、つまりは「認識」できるのか。この判決は、従って三裁判官の神経は、常軌を逸している、と思う。なぜこうなったのか。三裁判官の基本的な対中「戦争」観・贖罪意識によるのではないか。(つづく)
ギャラリー
  • 1181/ベルリン・シュタージ博物館。
  • 1181/ベルリン・シュタージ博物館。
  • 1180/プラハ市民は日本共産党のようにレーニンとスターリンを区別しているか。
  • 1180/プラハ市民は日本共産党のようにレーニンとスターリンを区別しているか。
  • 0840/有権者と朝日新聞が中川昭一を「殺し」、石川知裕を…。
  • 0801/鳩山由紀夫は祖父やクーデカホフ・カレルギーの如く「左の」全体主義とも闘うのか。
  • 0801/鳩山由紀夫は祖父やクーデカホフ・カレルギーの如く「左の」全体主義とも闘うのか。
  • 0800/朝日新聞社説の「東京裁判」観と日本会議国際広報委員会編・再審「南京大虐殺」(明成社、2000)。
  • 0799/民主党・鳩山由紀夫、社民党・福島瑞穂は<アメリカの核の傘>の現実を直視しているか。
アクセスカウンター