秋月瑛二の「憂国」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

藤原書店

2157/岡田英弘著作集第一巻・歴史とは何か(2013)②。

 過去になった歴史に、正しい/間違い、よかった/悪かった、正統/逸脱、という違いなどない。少なくとも単純・幼稚には、この区別を想定したり、論じたりしてはならない。本質的には、これらを問題にしても<無意味>だ。
 <歴史の教訓>は大切かもしれないが、それからどのように「学ぶ」かは、各人の現在の主観的・「政治的」な願望を反映している。
 岡田英弘著作集第一巻・歴史とは何か(藤原書店、2018)。前回のつづき。
 ・「歴史には一定の方向がある、と思いたがるのは、われわれ人間の弱さから来るものだ。
 世界が一定の方向に進んでいるという保証は、どこにもない。
 むしろ、世界は、無数の偶発事件の積み重ねであって、偶然が偶然を読んで、あちらこちらと、微粒子のブラウン運動のようによろめいている、というふうに見るほうが、よほど論理的だ。」
 ・「しかし、それでは歴史にならない」。人間の「理解」とは「ストーリー」・「物語」を与えることだ。「名前」を付けることも「名前という短い物語」を作ることだ。「物語」がなければ「人間の頭では理解できない」。
 「だからもともと筋道のない世界に、筋道のある物語を与えるのが、歴史の役割なのだ。
 世界自体には筋道がなくとも、歴史には筋道がなければならない。
 世界の実際の変化に方向がないこと、歴史の叙述に方向があることは、これはどちらも当然のことであって、矛盾しているわけではない。」
 ・「世界はたしかに変化しているけれども、それは偶然の事件の積み重なりによって変化するのだ。
 しかし、その変化を叙述する歴史の方は、事件のあいだに一定の方向を立てて、それに沿って叙述する。
 そのために一見、歴史に方向があるように見えるのだ。」 以上、p.145。
 ・マルクス主義の史的唯物論の根底には「歴史が、古代のローマ帝国から、…19世紀の西ヨーロッパの段階に進化しようとして、<中略>足踏みを続けてきて、今ようやく資本主義の時代にまで進化したのだ、という感じ方がある」。
 さらに遡ると、マルクス主義の起源は「古代ペルシアのゾロアスター教」につきあたる。ゾロアスター教では世界は「光明(善)」と「暗黒(悪)」の二原理から成り、両者は闘っているがいずれ前者が勝利し、両者は分離して時間も停止し世界も消滅する。「その前に光明の子が下界に降臨して人類の王者となり、理想の世が実現する期間がある」。
 「この思想が、ユダヤ教によってメシア思想になり、ユダヤ教のメシア思想が独立してキリスト教の『終末論』と『千年王国』の思想がマルクス主義に入った」。
 だから、「共産制のような理想の社会を想定する」のは「マルクスが合理的に考えつめた結果」の「独自に到達した未来像ではない」。「ゾロアスターというペルシア人の思いつきが、今もなお生き続けているにすぎない」。以上、p.144。
 ・マルクス主義者は、「世界の究極のあるべき姿が、社会主義、共産主義だ、という」。
 「これは、思想というよりも気分だ。情緒的な枠組みと言ってもいい」。
 「この世界が最終的にどうなるかは、目の前の現実には関係なく、あらかじめ決まっている、という信仰は、現実にとまどい、対応しかねている凡人にとっては、わかりやすく、受け入れやすい、安心できるものだった」。
 ・「明快は明快だけれども、非現実的な空想だったマルクス主義は、<中略>…が、それでもマルクス主義の影響は、まだきわめて深刻だ」。「発展段階説の影響は、歴史の捉え方にありありと残っている」。以上、p.145。
 ***

2156/岡田英弘著作集第一巻・歴史とは何か(2013)①。

 人間は「時間」をどう感得し、認識してきたか。
 ヒトが誕生し、何らかの知的関心が芽生えたそのときから、地球上のほとんどで、明るい・暗い、昼と夜、という繰り返しを判別することができたに違いない。
 その「一日」という感覚は、まさに「日」という語でも表現されているが、「地球が自分の軸のまわりで一回時点する」時間的距離をいい、明暗は太陽の存在による。太陽は朝昇り、夕方に沈み、夜になった。
 太陽に次いで、または同時に、「月」も意識されたに違いない。月はほぼ真っ黒から満月になり、欠けていく。この循環から、人間は、まさに「月」という語でも表現されているが、「一月」という感覚をもった。そして、「一月」はおおよそ28ー30日だということも、早くから知ったに違いない。一月は「月が地球のまわりを回る公転一回転」に要する時間的距離だ。
 また、赤道真上か両極上でないかぎり、おおまかには春・秋あるいは冬・夏という感覚ももち、春夏秋冬があるということも、地球上の立地にある程度はよるが、気づいただろう。そして、おおよそは12月余でその一周・一循環が過ぎる、そして再び新しい循環が始まる、ということも知ったに違いない。「一年」という感覚だ。ここになるとある程度の注意力の蓄積が必要だつたかもしれない。集団的記憶・知識の累積が必要だっただろう。
 では、「一年」より先は、時間をどうやって捉えたのか。
 一年の繰り返しだから、その数を記憶していけばよいが、起点は人間によって異なって普遍的ではないし、個々の「人生」の長さには限りがある。
 一個人にとってすら、「生まれてから」何年かは生後に教えられなければ分からないし、記憶が始まってから数えても、50~100回以上も数えることはできない。
 「そこで、個人の範囲の限界を超えた時間を、どうやって管理するか、という根本的な問題が起こる」。
 ***
 岡田英弘著作集第一巻・歴史とは何か(藤原書店、2013)。
 上は、この本のp.136ー7に刺激を受けて書いた。長い「」内は、これからの引用。
 すでに№2152(2/09)でこう書いてしまっている背景も、たぶん同じだ。
 「太古の日本人(日本列島居住者たち)は「時間」や「方位」をどうやって感得し、把握したのだろうか。
 何らかの知識を蓄えていたに違いない。そうでないと、生き残ることはできない。
 だが、おそらくは公式の仏教伝来以前から、半島や大陸の人々との交流を通じて、「時間」(=つまり「暦」)や方向・方位に関する、より綿密で体系的な「知識大系」を得てきたのだろうと推察している。」
 「一日」・「一月」・「一年」を発見した日本列島人はどうやって、「一年」の反復以上の時間を感得し、認識したのだろうか、ということも上には含めている。
 古墳や考古資料にどういうものがあるのかの正確な知識はないが、日本列島の独特の「紀年法」あるいは「暦」があったようには思えない。かりに言語があり、列島の人々に断片的「認識」があったとしても、まだ<理論>・<体系>とは言い難かっただろう。
 日本書記もその少し前の古事記も、時間・「年」を、①天皇即位年や②元号の初年を基準としていることがあるようだ。しかし、①は「天皇」または「大王」の所在を前提とし、②はもっと遅れて、「元号」の使用を前提とする。
 これら以外では一般には、③いわゆる<干支>が用いられたようだ。この<干支>は日本創始のものではないと考えられる。
 乙巳の変(645年)、壬申の乱(672年)、戊辰戦争(1868年)等々、今日でもこれを使って歴史事象が表現されることがある。「甲子園」というのもある。
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 再び、岡田英弘著作集第一巻・歴史とは何か(藤原書店、2013)。
 第Ⅱ部・歴史の定義と国民国家/第1章・あらためて歴史を定義する。
 これの「1・歴史の定義」の中に上で参照した文章がある(p.136ー7)。
 この「1」のまとめ的文章は、つぎのとおりだ。p.141。
 「直進する時間の観念と、時間を管理する技術と、文字で記録をつくる技術と、ものごとの因果関係の思想」、この「四つがそろうことが、歴史が成立するための前提条件である」。
 「2・時代区分は二つ」の中にも、有益な文章はある。これら1・2の原書にあたるのは岡田英弘・歴史とは何か(文春新書、2001)の一部だとされている。
 歴史学とは総合人間学そして総合人文学であり、人文・社会・自然を超えた<総合・統合>学だということがあらためて感じられる。いわゆる狭義の「文学」者がよくなし得るものではない。

2146/岡田英弘著作集第三巻・日本とは何か(2014)①。

 岡田英弘著作集第三巻・日本とは何か(藤原書店、2014)。
 これのうち、第Ⅰ部/<日本の歴史への基本的視点>のうちの「倭国をつくったのはだれか」より。
 ・「『日本書記』に特徴的な記述の第一は、紀元前660年に最初の天皇・神武が即位して日本が生まれ、日本は紀元前7世紀以来、天皇によって統一されていたとしていることにある。
 これが嘘であることはだれが見てもわかるのだが、『日本書記』のそもそもの目的からすると、そのようにしなければならなかった。」
 ・…。「こうした構成がとられたのは、舒明系統の流れをくむ日本の皇室が、みずからの尊厳を正当化するという目的があったからだ。神武以来の、架空の「万世一系」の系譜をつくり、みずからの王権の古さと由緒の正しさを主張すること、ここにこそ『日本書記』編纂の目的があった」。以上、p.31。
 ・「日本が建国される以前の日本列島には何があったか。
 先に触れたが、そこには「倭国」と呼ばれる有力な王国があった。
 この倭国はけっして日本列島を統一していなかったし、倭国王が列島のなかの唯一の王だったかどうかはきわめて疑わしい。
 7世紀のシナの史料『隋書』や『北史』の「倭国伝」をそのまま解釈すると、倭国は日本列島を統一するような国ではありえなかった」。以上、p.32。
 ・「紀元57年の「漢委奴国王」の金印に触れた記事が、『後漢書』の倭伝にある。
 …。倭人の代表を「王」に任命したということは、倭人が今後漢の皇帝と交渉しようとする場合、その窓口にいる倭人の「王」を通さなければならない、という「お墨付き」を与えたことになる。
 奴国は博多湾にあり、韓半島に渡る出発地だった。倭人社会の出入口に位置する場所の酋長に「王」の称号を与えて、いわばシナの名誉領事的な地位を授けたのである」。p.43。
 ・「それから50年経った107年に倭国王・帥升が歴史に現れる」。
 その頃の後漢王朝は内外ともに混乱していた。「困難な情勢を乗り切るために後漢が演出したのが、倭国王・帥升の使いだった。 
倭国王の使者は、107年に生口(奴隷)を従えて洛陽に現れ、倭国王が自身で来朝して皇帝に敬意を表したいと申し出た。…。
 「王」の使者の来朝は、シナの政治の安定に重要な意味を持った。
 朝貢を受けた皇帝には、異種族を感化する徳がある、という証明にもなるからである。
 この朝貢は、あくまでシナ側の都合によって演出された事件だった」。以上、p.44。
 岡田英弘、1931~2017。
 少なくとも近年の西尾幹二の「取り憑かれ」ぶりよりは、冷静だ。

1270/<保守>派の情報戦略-櫻井よしこ・週刊新潮連載コラムを読んで1。

 櫻井よしこ週刊新潮1/22号(新潮社)の連載コラム639回で「外交も戦争も全て情報戦が決める」と題して、「情報戦」の重要性を説いている。そのことにむろん異論はないが、書かれてあることには、不満が残る。
 櫻井はビーアド・ルーズベルトの責任/日米戦争はなぜ始まったか(開米淳監訳、藤原書店)を読んで、先の戦争時におけるルーズベルトや同政権の認識・言動等をおそらくは抜粋して紹介している。しかし、対ドイツ関係のグリアー事件(1941年)に関することを除いて、すでに何かで読んで知っていたようなことだ。
 また、ビーアドの書物がどこまで立ち入って書いているのかを知らないが、櫻井よしこがここで紹介しているかぎりでは、なおも突っ込みが足りないと感じる。まさかとは思うが、櫻井よしこはビアードのこの本によってここで書いてるようなことを知ったのではないだろう。そして、ビーアドの叙述による事実・現象のさらにその奥・背景が(も)重要なのだと思われる。
 例えば、ビーアドによると、大多数のアメリカ人には対日戦ではなく対ドイツ・ヒトラー戦争こそが重要だったにもかかわらず、ルーズベルトは1941年7月に「在米日本資産を凍結し、通商を停止し、日本を追い込みつつ」対日戦争を準備していた、ということのようだが、「在米日本資産を凍結し、通商を停止し、日本を追い込」んだ原因・背景がアメリカにも日本にもあったはずで、ルーズベルトの個人的な意思のみを問題にしても不十分だろう。
 また、「日本に事実上の最後通牒であるハルノートを突きつけ」ながらも、日本政府がこれを受諾しないで開戦してくるという確信をルーズベルトは隠していた、という旨も書き、さらに、春日井邦夫・情報と戦略(国書刊行会)によりつつ、ルーズベルトはハル・ノートの手交当日にも戦争準備をしており、日本の真珠湾攻撃を「待ち望んでいた」「口実」として対日戦争・参戦を始めた、という旨も書いている。
 何で読んだかは忘れたが、上のようなことは私はおおむねすでに知っていたことだ。
 問題は、ハル・ノートの作成・手交や開戦前の日米交渉において、ルーズベルトだけではなく、同政権内部の誰々がどのような役割を果たしたか、同様に同時期の日本政府は、具体的には誰々が、どのように判断してどのように行動決定したかの詳細を明らかにすることだろう。別の機会に関係コメントは譲るが、コミンテルン(・ソ連)およびその工作員・スパイの役割に論及する必要があると思われる。櫻井は、コミンテルンにもコミュニズム(共産主義)にも何ら触れていない。
 最後に櫻井は、「情報戦の凄まじさ、恐ろしさを実感する。いま、日本は中国の情報戦略で深傷(ふかで)を負わされつつある」と書いて、「情報戦」を戦う強い意思を示している。このことに反対しないが、しかし、揚げ足取りまたはないものねだり的指摘になるかもしれないが、<情報戦略>をもって日本に対応・対抗しているのは、中国だけではない。アメリカも韓国も北朝鮮も、その他の諸国も、多かれ少なかれ、日本に対する<情報戦>を行っている。そして、それに応えるような、日本を謀略に自ら陥らせるような「報道」の仕方をするメディアが、それに巣くう日本人が、日本国内には存在する。
 「情報戦」は、朝日新聞等々の、日本国内の<左翼>・<容共>勢力との間でも断固として行わなければならない。歴史認識、「憲法改正」等々、戦線はいくらでもある。朝日新聞のいわばオウン・ゴール?で少しは助かっているようにも見えるが、日本国内の<左翼>・<容共>勢力の「情報戦略」は決して侮ってはいけないレベルにある。
 私が懸念しているのは、<保守>・<自由>・<反共>陣営にはどのような「情報戦略」があるのか、だ。
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