秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

若宮啓文

1152/安倍晋三と朝日新聞-小川榮太郎著・阿比留瑠比書評。

 一 今秋は安倍晋三自民党総裁就任、週刊朝日橋下徹攻撃事件、日本維新の会発足、衆議院解散、石原新党設立と維新への合流等々、いろいろなことがあった。
 産経新聞や月刊正論への信頼を落としていることも一因となって、この欄(最初は産経新聞運営だとは知らなかった)に書くのも億劫になり、それぞれについて、逐一言及しないできている。
 それにしても、三年と4月もよく民主党政権下で我慢してきたものだ。いずれ<近いうちに>、3年余前に「左翼・反日」政権とこの欄で評した民主党政権から解放されることになるだうと思うと、精神衛生にはすこぶるよろしい。
 小川榮太郎・約束の日-安倍晋三試論(幻冬舎)は、たぶん安倍晋三がまだ候補のときだっただろう、新刊書を一日で読了した。
 2006-7年の安倍晋三内閣時の朝日新聞のいやらしさ・悪辣さを思い出すとともに、とくに安倍晋三の総裁選当選後には、朝日新聞による批判・攻撃が再び予想される中で、安倍晋三は大変な、過酷な挑戦を行っている、と感じた。
 民主党は「世襲」批判を行って、争点の一つにしたいごとくだが、同党立党の祖?でもある鳩山由紀夫は堂々たる世襲者で、その「お子さま手当」から民主党議員のほとんどが経済的な恩恵を受けたのではないか。世襲批判をよく言えたものだ。
 安倍晋三も世襲者かもしれないが、過酷な挑戦を再び行うには、世襲・血統あるいは「生育環境」が大きく働いているに違いない。上の本を読んでも感じる安倍晋三の(一種孤独で悲壮な)「使命感」的なものは、非世襲のありふれた政治家は会得していないものだろう。
 いずれにせよ、「世襲」一般の是非を主張するのは愚かなことだ。
 二 産経新聞の記者の中では、奇妙なことを書いているとほとんど感じたことのない阿比留瑠比は、産経新聞9/09で、上の小川著の書評を書いている。
 すでによく知られているとは思うが、紹介・引用の部分をここでさらに紹介・引用しておく。
 *安倍晋三内閣当時の朝日新聞幹部の言葉-「安倍の葬式はうちで出す」。
 *三宅久之と朝日新聞・若宮啓文の対話
 三宅「朝日は安倍というといたずらに叩くけど、いいところはきちんと認めるような報道はできないものなのか」

 若宮「できません」

 三宅「何故だ」

 若宮「社是だからです」
 *朝日新聞は「安倍内閣の松岡利勝農水相の政治資金問題の関連記事は125件も掲載した半面、民主党の小沢一郎代表の政治資金問題は14件のみ。安倍が推進した教育基本法改正に関して反対運動の記事70件を掲載したが、賛成派の動きは3件だけ」だったという。
 三 安倍晋三首相の誕生を予想する向きが多い。これは同時に、朝日新聞を先頭とする「左翼」の安倍攻撃が激しくなるだろうことも意味する。その兆しはすでに指摘されているし、「自主憲法」制定という政権公約に関する報道ぶり等には、公平ではないと感じられる報道ぶりもすでにある。
 肝心の安倍晋三または自民党幹部のこの点に関する説明又は発言ぶりは何ら報道しないまま、「危険さ」を指摘する一般国民や識者コメントを紹介しているNHKのニュ-スもあった。
 NHKはいつぞやのたしか火曜日に初めて国政選挙権を行使することとなるドナルド・キ-ンを登場させていたが、安倍・自民党の見解に触れることなく、キ-ンの、<戦争に近づく>ことへの懸念、<平和>願望を語らせていた(語りをそのまま放送していた)。むろん、改憲派は<戦争をしたがっている>のではない。
 NHKですら?こうなのだから、朝日新聞らの報道姿勢は明らかだろう。但し、「経営」に支障を及ぼさないかぎりで、という条件がついているのだから、大阪市顧問の上山信一もツイッタ-で指摘していたように、朝日新聞への広告出稿を停止する企業がもっと多くなれば、朝日新聞の報道姿勢あるいは「社是」も変わるかもしれない。
 若宮啓文ら朝日新聞幹部と、まともに話しても無駄だ。正論、まともな議論が通じるような相手ではない。<兵糧攻め>が一番効くだろう。そのような大きな戦略を立てて実践できる戦略家・戦術家は、<保守>派の中にはいないのか。

0903/TBSよ、ナショナリズムは悪か-尖閣問題を扱った「サンデー・モーニング」。

 何度か「死んだ」はずのTBSはまだしつこく生きていて、<左翼>信条にそった番組作りをしている。
 最近の朝日新聞の尖閣諸島問題に関する二つの社説は「ナショナリズム」という語を使っていないようだ。これに対して、TBSの9/26の「サンデー・モーニング」は正面から「ナショナリズム」を問題にしてきた。
 コメンテイターの発言はそれぞれニュアンスは異なり、単色のイメージで番組を作ろうとしていたわけではない。
 だが、局(この番組担当者)自体が作成したと見られる「ナショナリズム」に関する説明・コメントは、明らかに<左>に傾いている。つまり、断定的ではないにせよ、「ナショナリズム」=悪、というイメージを撒いている。
 コメンテイター以外に登場させた佐高信は<愛郷心ならよいが、ナショナリズムは「国家」と結びつくと「必ず排他的」になる>と発言した。はたしてそうか。こんなに一般化して言えるのか? ともかくも反「国家」心情がここには示されているだろう。
 コメンテイターの一人・岸井某(毎日新聞政治部記者だったか?)は他にまともなコメントもしていたが、<歴史の教訓からして、ジャーナリズムの責任は、ナショナリズムを煽らないことだ>と発言した。朝日新聞・若宮啓文の、<ジャーナリズムはナショナリズムの道具じゃないんだ>との有名な文章を思い出す。ナショナリズムを刺激せず、沈静化するのがジャーナリズム、マスメディアの義務とでも考えているならば、とんでもない誤りであり、思い上がりだと言うべきだろう。そもそもが、ナショナリズムとの関係をさほどに強く意識していることこそが、戦後のジャーナリズム・マスメディアの奇妙なところだとは思わないのだろうか。
 短い時間の番組に期待しても無理なのだろうが、あるいは、だからこそ、「ナショナリズム」に関する単純な理解にもとづくイメージ作りをしてほしくはないものだ。
 具体的な担当者は、世界で残念ながら(?)現実化していないが<グローパリズム=善、ナショナリズム=悪>という意識・観念をもっていて、賢(さか)しらに(?)、意図をもって、番組自体のナショナリズムに関する説明等を準備したのではないのか。
 加えて、番組自体の説明・コメントとコメンテイター類の発言に共通していたのは、具体的な尖閣問題を具体的に論じることなく、一般的レベルの<ナショナリズム>に関するコメントにほとんど終始していたことだ。これも、上記番組の一種の(気のつきにくい)特徴であり、いやらしいところだった。
 日中関係問題一般に遡及することもまだ一般的抽象的すぎるところがあるが、さらに日中(・日韓)問題を念頭においたような<ナショナリズム>の問題に格上げ(?)することも、本質を覆い隠す役割を果たしている。
 尖閣諸島は日本の領土なのかどうか、その領海で中国人(たんなる船長ではない可能性がある)は何をしたのか、中国政府と日本側(政府・外務省、那覇地検)の主張の内容と対立点はどこにあるのか、等々の具体的なことをおさえずして、<ナショナリズム>の是非等をほとんど一般論レベルで語らせることは、反復するが、問題の本質を視聴者が把握することを困難にさせただろう。
 この番組は必ず観てはいないが、ときにたまたま見ていると、司会の関口宏を筆頭に<戦後教育の影響を強く受けた「何となく左翼」(これが現今の日本の多数派だ)臭>を感じて、辟易することがあった。今回も同様にうんざりするところがあったので、書いておいた。
 TBSや毎日新聞は、朝日新聞と同様に、基本的なところでは、日本(人)のナショナリズムを「刺激」したり「煽動」したりしないような「冷静な」、つまりは<中国をできるだけ批判しない>、結果的には<親中>・<媚中>の報道姿勢をとり続けるのだろう。

0897/内田樹は高橋哲哉にはついていかない。

 内田樹は「卑しい街の騎士」と題する2005年の文章の中で、1995年の高橋哲哉の文章に言及している。
 高橋哲哉は1995年に簡単にはこう(も)書いたらしい。
 ・<自国の「汚れた死者」(日本人戦死者)の哀悼よりも(アジア諸国への)「汚辱の記憶」を引き受けることが優先されるべき。
 ・「侵略者である自国の死者」への責任とは「哀悼や弔い」でもましてや彼らを「かばう」ことではなく、「彼らとともにまた彼らに代わって」、被侵略者への償い=「謝罪や補償を実行する」ことだ。
 内田樹は、高橋の「理路は正しい」、しかし思想とは「こんなに、鳥肌の立つようなものなのか」とコメントしている。
 「鳥肌の立つような」とは、感動したときにも用いられる、好意的・賛同的な意味での表現でもありうるが、内田によると、「…高橋自身が日々ゆっくりと近づいている『結論』に私の身体が拒否の反応をした」ということを意味するようだ。つまり、拒否的・消極的な反応の表現として使っている。
 つづけて、内田は高橋哲哉・靖国問題(ちくま新書、2005
)に言及する。高橋のこの本は読まないままでどこかに置いているのだが、高橋は、この書の結論部でこう書いているらしい。
 ・国家によるそのために死んだ者(戦死者)の「追悼」は、つねに「尊い犠牲」・「感謝と敬意」のレトリックが作動して、「顕彰」にならざるをえない。
 ・国家は「戦没者を顕彰する儀礼装置をもち、…戦死の悲哀を名誉に換え、国家を新たな戦争や武力行使に動員していく」 。
 内田樹は次のようにコメントする。
 ・高橋の主張は「正しい」が「正しすぎる」。すなわち、これは「現存するすべての国民国家」等に適用されねばならない。つまり、「靖国神社を非とする以上、世界の共同体における慰霊の儀式の廃絶を論理の経済は要求する」。
 ・だが、中国も韓国もイスラム過激派もアメリカも欧州諸国民も受容しないだろう。それは「倫理的に十分に開明」的でないためかもしれないが、「世界中の全員を倫理的に見下すような立場に孤立」することが政治への実効的なコミットだとは思えない。
 ・「高橋哲哉の論理はそのまま極限までつきつめると、いかなるナショナリズムも認めないところまで行きつく」し、すべての民族等の否定にまで行きつく。例えば、①アジア諸国への日本の謝罪もそれを「外交的得点」とすることをアジア諸国政府に禁じる必要がある。それらの国の「ナショナリズムを亢進」させるから。②謝罪等をすることにより「倫理的に高められた国民主体を立ち上げた」という意識を日本人がもつことも禁じる必要がある。「ナショナルな優越感の表現」に他ならないから。
 高橋哲哉の原文を読んではいないが、なかなか鋭い分析と批判だ。
 だが、むろん、高橋哲哉の見解・主張の「理路は正しい」のか、「正しすぎる」のか、高い<倫理>性をもつものかは、本当にそうなのか、レトリックだけの表現なのか、という疑問が湧く。
 それに、そもそも、上の一部だけ問題にするが、高橋哲哉は本当に「いかなるナショナリズムも認めない」のか否かは検討されてよいだろう。論理的にはそうならそざるをえない、という指摘は重要だが、高橋哲哉がそのことを意識しているかどうかは別問題だとも思われる。
 すなわち、高橋哲哉は、日本国家についてのみ「ナショナリズム」の否定を要求しているのではないか。日本国家についてのみ、戦没者「慰霊」施設の廃絶を要求しているのではないか。それが高橋の本音ではないか(そして朝日新聞の若宮啓文も同様ではないか)。
 その意味で高橋はきわめてご都合主義的であり、きわめて<政治的>なのではないか。さらにいうと、論理・理論の世界に生きているようでいて、じつは(日本とその国家に対する)何らかの怨念・憤懣を基礎にして言論活動をしているのではないか(さらにいえば、それは日本「戦後」のインテリたちの基底にある心情ではないか)。
 以上は、内田樹批判ではない。内田は次のように文章をまとめている。
 「高橋哲哉の説く透明な理説」が一基軸として存在しえ、「思想的には重要」であることは認めるが、「私はこの『案内人』にはついてゆくことができない」。
 前段部分は褒めすぎのように思えるが、内田が結論的に高橋哲哉の議論を支持していないことは明らかだろう。
 内田樹の上記の題の文章は、加藤典洋・敗戦後論(ちくま文庫、2005)の「(文庫)解説」として書かれたもの(p.353-362)。
 内田は、加藤典洋は「熟練の案内人」、「正しい案内人」として肯定的に評価している。そして、高橋哲哉という「『案内人』にはついてゆくことができない」と結んでいるわけだ。
 加藤典洋の書の本体も読みたいものだが、はたして閑があるかどうか。

0870/山内昌之・歴史の中の未来(新潮選書、2008)。

 山内昌之・歴史の中の未来(新潮選書、2008)は、著者の各種書評類をまとめたもの。
 新聞や週刊誌等の書評欄という性格にもよるのか、批判的コメント、辛口の言及がないことが特徴の一つのように読める。

 1.寺島実郎・二〇世紀から何を学ぶか(新潮選書、2007)は民主党のブレインとも言われる寺島の本だが、好意的・肯定的に紹介している(p.63-64)。これを私は読んでいないし、寺島の別の本に感心したこともあったので、まぁよいとしよう。

 2.関川夏央・「坂の上の雲」と日本人(文藝春秋、2006)については、「楽天的な評論」と形容し、「プロの歴史家たる者」は関川の「司馬ワールドの解析」を「余裕をもって」眺めればよいと書いて、おそらくは「プロの歴史家」の立場からすると疑問視できる叙述もある旨を皮肉含みで示唆している。だが、全体としては好意的な評価で抑えており、これもまぁよいとしよう。
 3.だが、中島岳志・パール判事(白水社、2007)について、この書の基本的趣旨らしきものを全面的に肯定しているように読めるが(p.180-1)、小林よしのりの影響によるかもしれないが、この評価はいかがなものだろう、と感じる。いずれ、所持だけはしている中島著を読む必要があるとあらためて感じた(こんな短い、字数の少ない、研究書とはいえないイメージの本でよく「賞」が取れたなという印象なのだが)。

 4.渡邉恒雄=若宮啓文・「靖国」と小泉首相(朝日新聞社、2006)の書評部分には驚いた。

 山内昌之自身の言葉で、次のように書く。
 「…分祀は不可能と断定し日本の政治・外交を混迷させる現在の靖国神社の姿には、大きな疑問を感じざるをえない」(p.182)。

 以下もすべて、山内昌之自身の考えを示す文章だ。

 靖国神社に「戦争の責任者(A級戦犯)と戦死した将兵が一緒に祀られている。これは奇妙な現象というほかない。…兵士を特攻や玉砕に追いやったA級戦犯の軍人や政治家に責任がないというなら、誰が開戦や敗戦の責任をとるというのだろうか」。
 小泉首相の靖国参拝は「近隣諸国から抗議を受けるから」ではなく「日本人による歴史の総括やけじめにかかわるからこそ問題」なのだ(p.182)。

 このような自身の考え方から、渡邉恒雄と若宮啓文の二人の主張・見解を好意的・肯定的に引用または紹介している。

 山内は<神道はもっと大らかに>との旨の若宮啓文の発言に神道関係者はもっと耳を傾注してよいとし、二人の「新しい国立追悼施設施設」建設案を、批判することなく紹介する(p.182)。さらには次のようにすら書く。

 「良質なジャーナリズムの議論として、日本の進路とアジア外交の近未来を危惧する人に読んでほしい書物」だ(p.183)。

 何と、渡邉恒雄と若宮啓文の二人が「良質なジャーナリズムの議論」をしていると評価している。

 前者はうさん臭いし、後者は日本のナショナリズムには反対し、中国や韓国のナショナリズムには目をつぶる(又はむしろ煽る)典型的な日本の戦後「左翼」活動家だろう。

 この書評は毎日新聞(2006.04.23)に掲載されたもののようだ。まさか毎日新聞社と読売・朝日新聞におもねったわけではないだろう、と思いたいが。

 また、そもそも、「A級戦犯の軍人や政治家に責任がないというなら、誰が開戦や敗戦の責任をとるというのだろうか」との言葉は、いったい何を言いたいのだろうか。

 第一に、山内昌之も知るとおり、東京裁判が「日本人による歴史の総括やけじめ」ではない。A級戦犯を指定したのは旧連合国、とくに米国だ。かつ、とくに死刑判決を受けた7名の選択と指定が適切だったという保障はどこにもない。山内昌之は「戦争指導」者は「A級戦犯」死刑者7名、またはA級戦犯として処罰された者(のちに大臣になった者が2名いる)に限られ、それ以外にはいないと理解しているのだろうか。かりにそうならば、東京裁判法廷の考え方をなぜそのまま支持するのかを説明する義務があろう。

 そうではなくもっと多数いるというならば、山内がいう「開戦や敗戦の責任」をとるべき「戦争指導」者の範囲は、山内においてどういう基準で決せられるのだろうか。その基準と具体的適用結果としての特定の人名を列挙していただきたいものだ。
 これは日本国内での戦争<加害者>と<被害者>(山内によると一般「兵士」はこちらに属するらしい)の区別の問題でもある。両者は簡単にあるいは明瞭に区別できるのだろうか? 朝日新聞社等の当時のマスコミには山内のいう「責任」はあるのか、ないのか?、と問うてみたい。また、<日本軍国主義>と<一般国民>とを区別する某国共産党の論と似ているようでもあるが、某国共産党の議論を山内は支持しているのだろうか?

 第二に、「A級戦犯」とされた者は「開戦や敗戦の責任」を東京裁判において問われたのか? この点も問題だが、かりにそうだとすると、「A級戦犯」全員について、とくに絞首刑を受けた7名について、各人が「開戦」と「敗戦」のそれぞれについてどのような「責任」を負うべきなのか、を明らかにすべきだ。「開戦」と「敗戦」とを分けて、丁寧に説明していただきたい。

 新聞紙上で公にし、書物で再度活字にした文章を書いた者として、その程度の人格的(学者・文筆人としての)<責務>があるだろう。

 第三に、山内昌之は「責任」という言葉・概念をいかなる意味で用いているのか? 何の説明もなく、先の戦争にかかわってこの語を安易に用いるべきではあるまい。

 ともあれ、山内昌之は「靖国神社A級戦犯合祀」(そして首相の靖国参拝)に反対していることはほとんど明らかで、どうやら「新しい国立追悼施設施設」建設に賛成のようだ。

 5.山内昌之といえば、昨年あたりから、産経新聞紙上でよく名前を目にする。

 産経新聞紙上にとくに連載ものの文章を掲載するということは周囲に対して(および一般読者に)一定の政治信条的傾向・立場に立つことを明らかにすることになる可能性が高く、その意味では<勇気>のある行動でもある。

 だが、上のような文章を読むと、確固たる<保守>論客では全くないようで、各紙・各誌を渡り歩いて売文し知識を披露している、ごくふつうの学者のように(も)思えてきた。

 1947年生まれだと今年度あたりで東京大学を定年退職。そのような時期に接近したので(=学界でイヤがらせを受けない立場になりそうだから)、安心して(?)産経新聞にも原稿を寄せているのではないか、との皮肉も書きたくなる。

0843/建国記念日(2/11)の産経新聞社説。

 産経新聞2月11日付社説は「建国記念の日」をとり挙げており、よい意味で異彩を放っている。
 朝日・毎日はもちろん日経・読売新聞もこの日の社説のテーマにしていない。社説どころか、朝日や毎日のこの日の朝刊には、「建国記念の日」に関する記事そのものが全くなかったのではないか。こんなことが朝日等において他の祝日(記念日)についてはあるのだろうか。
 かかる新聞の大勢の現状こそがむしろ異様と言うべきなのだろう。
 「神話が生きる国誇りたい」を大見出しとする産経新聞社説は「日本のように連綿と歴史が続き、神話的な物語に基づいて国の誕生を祝うという例は、むしろ例外なのである」とする。そういえばそうだと意表を突かれた感じで納得する。
 建国記念日の復活等は「多くの国民」が「日本の国づくりの歴史を通して、日本や日本人の生き方を考えようとしたからだ」という指摘にも納得する。「多くの国民」と言えるかどうかを(朝日新聞的立場のように)大いに疑問視する向きもあろうが、主権者・「国民の皆さま」を<代表>する国会が法律で決定したのだから、「多くの国民」と表現するのは決して僭称ではない。
 そして、建国以来の歴史に「国民はもっと誇りを持ってよいのではないか。その誇りがひいては、日本の国を愛し、日本の伝統文化や国語を大切にする心を養うことにもつながるだろう」との最後の一文にもほとんど違和感はない。
 <ナショナルなもの>を忌避し嫌悪しあるいは無視しようとする<(容共)左翼>の広範な存在によって、あるいはすでに長くなった<戦後の平和と民主主義(・国際協調主義)>風潮の継続の中で、日本の(長い)歴史への「誇り」を正面から語ることは困難になってきたという面があることを完全には否定できないだろう。
 そうした中では、産経新聞のあたり前のような主張がむしろ新鮮に感じられる。どこかが奇妙で倒錯した時代になってきている、と言うべきだろう。
 産経新聞社説も言うように、「神話というのは、そっくり史実ではあり得ない」、「しかし、記紀につづられた神話は、民族の生活や信仰、世界観が凝縮されたもので、単なる作り話ではない」、「神話は民族の貴重な遺産なのである」。
 私にとってはしごく当たり前の指摘だが、たとえば朝日新聞の論説委員等は、このように<日本神話>や日本の歴史を捉えないのだろう。明治以降はおろか古代についても、日本独特の<誇り>ある歴史ではなく、むしろ中国や朝鮮半島からの影響や<恩恵>を強調したい気分であるに違いない、と推測する。
 「神話というのは、そっくり史実ではあり得ない」のだが、産経新聞社説は日本国家の長い歴史に触れる中で、「建国当初の国家がそのまま現在につながり、神武天皇以来125代の長きにわたって皇統も継承されてきた」と書いている。
 この文章のうち「神武天皇以来125代の長きにわたって皇統も継承されてきた」という部分は、少し気になる。
 現在の日本史学界の支配的な理解だと、皇統が長く続いていることは認めるとしても、「神武天皇以来125代の長きにわた」る継承という部分は否定されるのではないか。
 マルクス主義史学がなお支配的な現在の日本史学界に従わないとしても、つまり私のような者でも、本当に「125代」なのか、そもそも「神武天皇」は実在したのか、という疑問は持っている。
 神武天皇(神日本磐余彦命)とのちに呼ばれた「天皇」が2600余年前に<建国したということになっている>という叙述ならばよい。だが、「2600余年前」はともかくとしても、「125代」前の初代の「神武天皇」は実在した、と断定するのは私でもいささか躊躇するところがある。
 安本美典説によると、古代(ここではどの天皇から以前かの議論には立ち入らない)の天皇の生没年・在位年数は信じられないが、天皇(にあたる、スメラノミコト?)の<代の数>自体の記憶は日本書記の編纂時あたりまで残り続けただろう、という。
 そうだとすると、「神武天皇」とそれ以降の十代程度の天皇もまた、彼らにあたる人物は実在した、ということになるだろう。
 そのような可能性を私も否定するつもりはない。イザナギ・イザナミに至る複雑な系譜(系図)が、天照大御神も含めて、全くの<捏造>とは思えない。
 だが、たとえば、大友皇子(天智天皇の子)はかつては(いわゆる天武天皇系の時代=ほぼ「奈良時代」には)天皇位継承の事実は否定され、明治になってから、弘文天皇と追号され、皇位を継承したと「認め」られたのではなかっただろうか(明治以前のことだったかもしれないが、そうだとしてもここでの本筋には関係がない)。
 「125代」というのはこの弘文天皇も一代として算入しているはずだ。そうだとすると、大友皇子(弘文天皇)の皇位継承が<正式には>認められなかった時代の理解をかりに継続させると、現在の天皇陛下は「125代」めの天皇ではあられないはずなのではないか?
 南北朝時代の皇位継承(数)に関する議論も全く生じえないとは思われない。要するに、学問的にいえば、天皇の代数は必ずしも絶対的に<正しい>ものではないのではないか?
 こんな意味では、産経新聞社説がてらうことなく(?)あっさりと「神武天皇以来125代の長きにわたって皇統も継承されてきた」と(「神話」ではなく)史実の如く書いていることには、やや驚くとともに、<勇気>すら感じる。
 この<勇気>は、必ずしも肯定的な評価を伴うものではない。
 記紀等をふまえると、「神武天皇以来125代の長きにわたって皇統も継承されてきた」と<されている>、という程度でよいのではないか。
 ちなみに、神功皇后や応神天皇を祭神とする古い神社はいくつもある(天照大御神はもちろん)。神武天皇を祭神とする神社は、明治になって以降に建てられた橿原神宮以外に、あるのだろうか。神武天皇の実在性は神功皇后や応神天皇(・天照大御神)よりも薄いのではないか、という感覚的な根拠として記しただけだが。
 元に戻して続ける。
 建国記念日に現在でも反対している活動家たちや違和感をもっているかもしれない平均的な(?)日本人は、その日が「2月11日」で、神武天皇が旧暦の元旦(1月1日)に「即位」し「建国」したのは<嘘くさい>と感じているだろう。
 たしかに神武天皇(神日本磐余彦命)が<元旦(1月1日)に「即位」した>というのは記紀に書かれてあるだけで客観的な証拠があるわけではない。産経新聞社説も述べるように「神話というのは、そっくり史実ではあり得ない」のだ。
 したがって、上の疑問には理由がある、と思われる。もっとも、そうでなくとも(2月11日でなくとも)、自民党政府に対する反対者、明治以降の日本国家(=「帝国主義」・「軍国主義」国家)によって作られた記念日などは全面否定したい者たち、つまり「左翼」活動家たちや朝日新聞等の「左翼」的マスコミ人士は、「建国記念の日」の設定そのものに反対する(反対した)だろう、と思われるが。
 一方、保守派の人々も、日本「神話」を完全な史実と誤解してはいけない。記紀においてすら、たしか、「神代」という言葉が使われて、「建国」時代のことが書かれているのだ。
 したがって、<元旦(1月1日)=新暦2月11日に神武天皇が即位し建国した>というのは、<神話>あるいは<伝承>であることを認める(少なくともその可能性を否定しない)程度の柔軟性をもっておくべきだろう。
 <神話>あるいは<伝承>によると、初代天皇がその日に即位し「建国」した<ことになっている>という程度で、何ら差し支えないのではないか?
 産経新聞社説の言うように、日本は、「神話的な物語に基づいて国の誕生を祝うという」世界でも例外的な・稀少な国なのだ。
 「連綿と歴史が続」いている、「神話的な物語に基づいて国の誕生を祝うという」国家であることに<誇り>をもって何が悪い、と思っている。そう、朝日新聞の若宮啓文あたりには言ってやりたい。
 最後に、唐突ながら、某神社(神宮)の境内に建てられている石碑に刻まれた、昭和天皇御製。
 「遠つおやの しろしめしたる大和路の 歴史をしのび けふも旅ゆく」
 「しろしめす」という語の意味はひょっとして問題になるかもしれないが、自らの「遠つおやの しろしめしたる…」という感覚は、やはり常人のものではない、とあらためて感慨を覚えるところがあった。「遠つおや」とは1200年以上前の「おや」なのだ…。このような「御製」が詠われる「天皇」(にあたる地位・職)をもつ国は、日本以外にあるのだろうか。こうした点も、日本の<遅れ>・<異様さ>だと、「左翼」人士あるいは反天皇の<合理主義者・インテリ>のつもりの者たちは、考えているのかもしれないが。

0823/読書メモ2009.09~-週刊朝日・小林よしのり・渡部昇一。

 〇「左翼ファシズム」への先導者・デマゴーグである朝日新聞(社)は、鳩山「左翼(容共)・売国政権」を支持し、批判者から擁護しようとする、あるいは批判者を逆に攻撃しようとの志向を持っている。
 精神衛生によくないので逐一読む気はしないが、最近の週刊朝日の表紙の言葉だけでも、上のことはかなり明らかになる。
 10/02号-「誕生・鳩山内閣全データ/高速無料化が日本を変える」
 10/09号-「今こそ、幕末・維新に学べ!/鳩山・民主党は官僚に『大政奉還』をさせられるか」
 10/16号-「八ツ場ダム/隠された真実」〔この欄で既に言及〕
 10/23号-「景気割れ回避・民主政権の秘策/小沢が仕掛ける『自民党壊滅作戦』/…」
 10/30号-「民主党革命・日本はこうなる/甘えるな経団連」
 〇九月中に、小林よしのり・ゴマニズム宣言NEO2-日本のタブー(小学館)は、まだ未読と思われるものと書き下ろし等の文章部分を読んでいる。
 「左翼の本質そのものが全体主義だから、左翼は無意識のうちに全体主義の言動をとってしまう! これがソ連の粛清を生み、収容所群島を生み、中国の文革を生み、ナチスのホロコーストを生んだのだ! 左翼の本質をなめてはいけない! 彼らは言論の自由が大っ嫌いなのだ!」(p.162)
 たまたま再度めくっていると、上の文章があった。
 〇サピオ11/11号(小学館)の小林よしのり「新・台湾論」・「天皇論・追撃篇」
 前者に、「着々と左翼全体主義の時代へと向かっている日本…」との語がある(p.62欄外)。
 後者は、小谷野敦への反論。小谷野敦の本を読んだことはあるが、信頼できないこと、はなはだしい。小谷野はいろんな分野に首を突っ込んでいるようだが、東京大学文学部(大学院)出身という以外に、何か誇れるものがあるのか? それだけで種々の問題に口出しできる資格があると傲慢な錯覚をしているのではないか? 小谷野に原稿を依頼する編集者たちもまた、表面的学歴等に騙されているのではないか。
 自称文学評論家らしい山崎某とともに、小林よしのりは小谷野敦も無視してもいいのでは。それにしても、歴史学者の協力でもあったのか、小林は江戸時代の庶民の「天皇」観等をよく調べて書いている。
 なお、小林よしのりの『天皇論』が20万部以上売れているというのは、出版界の話としては
特筆すべき現象なのかもしれない。けっこうなことだ。しかし、20数万程度ではまだ<大衆的>な大きな力にはならない、と嘆息せざるをえない。小林よしのり批判ではなく、日本には数千万人の有権者がいる、ということだ。
 〇かなり前に読んだが、月刊ボイス10月号(PHP)の渡部昇一「東アジア共同体は永遠の幻」は、基本的論調に全く異論はない。
 朝日新聞および若宮啓文は「東アジア共同体」構想を支持しているようだ。では朝日新聞・若宮啓文にとって、<大東亜共栄圏>構想はどう評価されるのか。
 <大東亜共栄圏>構想は日本が主導権をもつ「共栄圏」で、<東アジア共同体>構想は現実的には日本ではなく中国が中心になりそうだ、というのが、朝日新聞と若宮啓文が前者を論難し、後者を支持する根本的理由ではないか。無国籍または実質中国国籍の<左翼・反日>新聞、朝日。
 渡部昇一の文章には気になる点もある。
 第一。渡部昇一に限らないが、「保守」言論人は日本が中国と異なる「文明」圏に属することを言う場合、米国のハンチントンの本の言説に触れることが多い。「ハンチントンが(も)言うように…」という具合に。渡部昇一も同様(p.73)。
 だが、ハンチントンの見解が何故正しいと言えるのかに触れないで、ただ外国人の名前を出して自己の主張を正当化しよう、補強しよう、というのならば、欧米思想等にそのまま屈従してきたかの如き従来の日本の思想界・言論界のままではないか。
 ハンチントンがどう主張していてもよい。ハンチントンが中国・日本は同じ文明圏だと改説すれば、彼ら「保守」言論人も改説するのか? そうでないならば、やたらと外国人の名前を出すのは止めた方がよいと思う。
 かつての戦争が侵略戦争でなかったことを、マッカーサーもまたのちに「…主として自衛」と証言した、と触れて正当化しようとする「保守」言論人も多い。渡部昇一も同様のニュアンス(p.77)。
 だが、たんに補強するための一材料としてのみ使うのならよいが、マッカーサーの証言だけで結論が左右されるかのごとき書き方は、論理的にも誤っているだろう(これは渡部昇一の上記の文章の直接的批判ではない)。
 それこそご都合主義的に、「都合」のよい主張の外国の論者の名前だけを並べて…、ということを慎む必要があるのは、「保守」であれ「左翼」であれ、変わりはない。もっとも、事実自体の捏造と歪曲という、論理・方法以前のレベルでの<ウソ>をしばしばつくのが「左翼」のお家芸ではある。

 第二点めは、別の機会に。

0798/資料・史料-2005.03.27朝日新聞・若宮啓文<風考計>コラム/いっそ竹島を。

 資料・史料-2005.03.27朝日新聞・若宮啓文<風考計>コラム
 平成17年3月27日

 
//竹島と独島-これを「友情島」に…の夢想
 それは、嵐の中に飛び込むようなものだった。島根県が「竹島の日」条例を定めて間もない18日、日本批判が燃えさかる韓国を訪れたのだ。
 大先輩にあたる韓国のジャーナリスト・権五琦(クォン・オギ)さんとの対談で作った『韓国と日本国』(朝日新聞社刊)が韓国語になって出版され、この日にソウルで記念の催しが行われた。そこに降ってわいたのがこの問題だった。
 日の丸が焼かれる。抗議のために指を詰める。「日本人お断り」のゴルフ場が現れる。「竹島の日」に対抗して「対馬の日」を定めようとの自治体まで出てくる。韓国政府は「断固対処」の対日新原則を発表し、やがて盧武鉉大統領は「外交戦争」と言い出す。出版会こそ無事に終わったものの、私の心は晴れないままだ。
     ◇
 いつか見た光景が目にだぶる。
 日本の高校の歴史教科書が「歪曲(わいきょく)」だと問題になり、「反日」旋風が吹き荒れたのは、私がソウルで留学生活を送っていた82年のことだ。新聞もテレビも「日本はけしからん」で明け暮れ、韓国政府は強硬姿勢を譲らない。「克日」の言葉が生まれ、国民の募金で独立記念館ができた。
 だが、あれから23年。サッカーW杯の共催を経て、空前の韓流ブームの中にいる。今年は「日韓友情年」と呼ばれ、NHKの「のど自慢」も6月にソウルで開かれる。『韓国と日本国』では権さんと率直な自国批判を語りあったが、大きな時代の変化を実感すればこそだった。それなのに、これは一体どういうことか。私も大きな戸惑いを禁じ得ない。
     ◇
 韓国が独島と呼ぶこの島に、こだわりが強いのは知っていた。だが、これほどの熱狂を招くとは。いささかあきれながらも、今回思い知ったのは島に寄せる彼らの深い情念だった。
 明治政府が竹島を日本のものとして島根県に編入したのは1905年2月。その秋に韓国が日本に強要されて保護国となり、5年後に併合されてしまう。だから、韓国にとって竹島編入は植民地支配への第一歩と映るのだが、裏を返せば、戦後に韓国が強行した竹島占拠は、植民地解放の象徴ということになる。
 いや、日本が自国領と主張する島の岩肌に「韓国領」と大書し、40人の警備隊員がこれ見よがしに駐留する姿を見ると、ひょっとして、どこかで植民地支配への報復気分を味わっているのかもしれない。日本が独立運動を容赦なく弾圧したように、彼らも「竹島奪還」の動きには過敏に鉄槌(てっつい)を加える。それが今度の騒ぎだといえば、意地が悪すぎようか。
     ◇
 それにしても、にわかに広がった日韓の深い溝は、両国の関係にとどまらない深刻さをはらんでいる。
 まず、北朝鮮との関係だ。核と拉致で「日朝」が最悪になっている折、「日韓」の好転ぶりが救いだと思っていたのに、これでは下手をすると民族と民族の対立になりかねない。
 朝鮮戦争を仕掛けられ、悲惨なテロの犠牲にもなってきたはずの韓国なのに、いまは北朝鮮に寛大だ。むしろ、拉致問題で強硬論があふれる日本に対して「日本支配時代に数千、数万倍の苦痛を受けた我が国民の怒りを理解しなければ」と盧大統領が注文をつけるのは、南北を超えて同じ血が流れているからに違いない。
 これでは北朝鮮への包囲網どころではない。韓国にも冷静に考えてほしいところだが、日本にはいまも植民地時代の反省を忘れた議論が横行する。それが韓国を刺激し、竹島条例への誤解まであおるという不幸な構図だ。
     ◇
 さらに目を広げれば、日本は周辺国と摩擦ばかりを抱えている。
 中国との間では首相の靖国神社参拝がノドに刺さったトゲだし、尖閣諸島や排他的経済水域の争いも厄介だ。領土争いなら、北方四島がロシアに奪われたまま交渉は一向に進まない。そこに竹島だ。あっちもこっちも、何とまあ「戦線」の広いことか。
 そこで思うのは、せめて日韓をがっちり固められないかということだ。
 例えば竹島を日韓の共同管理にできればいいが、韓国が応じるとは思えない。ならば、いっそのこと島を譲ってしまったら、と夢想する。
 見返りに韓国はこの英断をたたえ、島を「友情島」と呼ぶ。周辺の漁業権を将来にわたって日本に認めることを約束、ほかの領土問題では日本を全面的に支持する。FTA交渉も一気にまとめ、日韓連携に弾みをつける――。
 島を放棄と言えば「国賊」批判が目に浮かぶが、いくら威勢がよくても戦争できるわけでなく、島を取り返せる見込みはない。もともと漁業のほかに価値が乏しい無人島だ。元住民が返還を悲願とする北方四島や、戦略価値が高い尖閣諸島とは違う。
 やがて「併合100年」の節目がくる。ここで仰天の度量を見せ、損して得をとる策はないものか。いやいや、そんな芸当のできる国でなし、だからこれは夢想に過ぎないのである。//

 ふたことコメント-①「例えば竹島を日韓の共同管理にできればいいが、韓国が応じるとは思えない。ならば、いっそのこと島を譲ってしまったら、と夢想する。/見返りに韓国はこの英断をたたえ、島を「友情島」と呼ぶ」と書いた有名なコラム。②「日本にはいまも植民地時代の反省を忘れた議論が横行する。それが韓国を刺激し、…」とのさりげない?叙述が無条件で語られていることにも注意。

0788/資料・史料-2006.12.25朝日新聞・若宮啓文<風考計>コラム。

 資料・史料-2006.12.25朝日新聞・若宮啓文<風考計>コラム
 平成18年12月25日

 
//言論の覚悟 ナショナリズムの道具ではない
 教育基本法に「愛国心」が盛り込まれ、防衛庁が「省」になることも決まった日の夜だった。
 「キミには愛国心がないね」学校の先生にそうしかられて、落第する夢を見た。
 いわく、首相の靖国神社参拝に反対し、中国や韓国に味方したな。
 卒業式で国旗掲揚や国歌斉唱に従わなかった教職員の処分を「やりすぎ」だと言って、かばったではないか。
 政府が応援するイラク戦争に反対し続け、自衛隊派遣にも異を唱えて隊員の動揺を誘うとは何事か。
 自衛隊官舎に反戦ビラを配った者が75日間も勾留(こうりゅう)されたのだから、よからぬ記事を全国に配った罪はもっと大きいぞ、とも言われた。「そんなばかな」と声を上げて目が覚めた。
 月に一度のこのコラムを書いて3年半。41回目の今日でひとまず店じまいとしたいのだが、思えばこの間、社説ともども、小泉前首相や安倍首相らに失礼を書き連ねた。夢でよかったが、世が世なら落第どころか逮捕もされていただろう。
    ◇
 「戦争絶滅受合(うけあい)法案」というのを聞いたことがあるだろうか。
 条文を要約すれば、戦争の開始から10時間以内に、国家の元首(君主か大統領かを問わない)、その親族、首相や閣僚、国会議員らを「最下級の兵卒として召集し、出来るだけ早くこれを最前線に送り、敵の砲火の下に実戦に従わしむべし」というものだ。
 いまならまずブッシュ大統領に読んでもらいたいが、長谷川如是閑(にょぜかん)がこの法案を雑誌『我等(われら)』で書いたのは1929年のこと。第1次世界大戦からしばらくたち、再び世界がキナ臭くなり始めたころである。
 デンマークの陸軍大将が起草して各国に配ったという触れ込みだったが、それはカムフラージュの作り話。「元首」と「君主」は伏せ字にしてきわどく検閲をパスした。
 それより11年前、日本のシベリア出兵や米騒動をめぐって寺内正毅内閣と激しく対決した大阪朝日新聞は、しばしば「発売禁止」の処分を受けた。さらに政府糾弾の集会を報じたところ、記事にあった「白虹(はっこう)日を貫けり」の表現が皇室の尊厳を冒すとして筆者らが起訴され、新聞は廃刊の瀬戸際に立たされた。ついに大阪朝日は村山龍平社長らが辞職して謝罪し、政府に屈することになる。
 これが「白虹事件」である。かつて「天声人語」の筆者でもあった如是閑は、このとき大阪朝日の社会部長だった。言論の敗北に無念を抱きつつ退社して『我等』を創刊したのだ。
    ◇
 こんな古い話を持ち出したのも、いま「言論の自由」のありがたみをつくづく思うからにほかならない。現代の世界でも「発禁」や「ジャーナリスト殺害」のニュースが珍しくない。
 しかし、では日本の言論はいま本当に自由なのか。そこには怪しい現実も横たわる。
 靖国参拝に反対した経済人や天皇発言を報じた新聞社が、火炎ビンで脅かされる。加藤紘一氏に至っては実家が放火されてしまった。言論の封圧をねらう卑劣な脅しである。
 気に入らない言論に、一方的な非難や罵詈雑言(ばりぞうごん)を浴びせる風潮もある。それにいたたまれず、つい発言を控える人々は少なくない。この国にも言論の「不自由」は漂っている。
 私はといえば、ある「夢想」が標的になった。竹島をめぐって日韓の争いが再燃していた折、このコラムで「いっそのこと島を韓国に譲ってしまったら、と夢想する」と書いた(05年3月27日)。島を「友情島」と呼ぶこととし、日韓新時代のシンボルにできないか、と夢見てのことである。
 だが、領土を譲るなどとは夢にも口にすべきでない。一部の雑誌やインターネット、街宣車のスピーカーなどでそう言われ、「国賊」「売国」「腹を切れ」などの言葉を浴びた。
 もとより波紋は覚悟の夢想だから批判はあって当然だが、「砂の一粒まで絶対に譲れないのが領土主権というもの」などと言われると疑問がわく。では100年ほど前、力ずくで日本に併合された韓国の主権はどうなのか。小さな無人島と違い、一つの国がのみ込まれた主権の問題はどうなのか。
    ◇
 実は、私の夢想には陰の意図もあった。日本とはこんな言論も許される多様性の社会だと、韓国の人々に示したかったのだ。実際、記事には国内から多くの共感や激励も寄せられ、決して非難一色ではなかった。
 韓国ではこうはいかない。論争好きなこの国も、こと独島(竹島)となると一つになって燃えるからだ。
 そう思っていたら、最近、発想の軟らかな若手学者が出てきた。東大助教授の玄大松(ヒョン・デソン)氏は『領土ナショナリズムの誕生』(ミネルヴァ書房)で竹島をめぐる韓国の過剰なナショナリズムを戒め、世宗大教授の朴裕河(パク・ユハ)氏は『和解のために』(平凡社)で竹島の「共同統治」を唱えた。
 どちらも日韓双方の主張を公平に紹介・分析しているが、これが韓国でいかに勇気のいることか。新たな言論の登場に一つの希望を見たい。
 日本でも、外国の主張に耳を傾けるだけで「どこの国の新聞か」と言われることがある。冗談ではない。いくら日本の幸せを祈ろうと、新聞が身びいきばかりになり、狭い視野で国益を考えたらどうなるか。それは、かつて競うように軍国日本への愛国心をあおった新聞の、重い教訓ではないか。
 満州へ中国へと領土的野心を広げていく日本を戒め、「一切を棄つるの覚悟」を求め続けた石橋湛山の主張(東洋経済新報の社説)は、あの時代、「どこの国の新聞か」といわれた。だが、どちらが正しかったか。
 最近では、イラク戦争の旗を振った米国のメディアが次々に反省を迫られた。笑って見てはいられない。
 だからこそ、自国のことも外国のことも、できるだけ自由な立場で論じたい。ジャーナリズムはナショナリズムの道具ではないのだ。//

 *ひとことコメント-いわゆる村山談話は「独善的なナショナリズム」を排すべきと述べるが、この若宮コラムでは「ナショナリズム」にそのような限定すらない。

0718/朝日新聞出版の「週刊昭和」なる毎週刊のシリーズ。

 朝日新聞出版が「週刊昭和」なる「週刊朝日百科」シリーズを毎週刊行している。
 一 №10の1965年の号では、和田春樹なる、北朝鮮問題で赤っ恥をかいてとっくに<化石>となっていたかと思っていた人物に、日韓基本条約締結について書かせている(p.22-23)。
 長年朝日新聞に貢献した「左翼」学者は、70歳を過ぎても(和田は1938.01生)原稿を書かせてもらえるのだ。
 「植民地支配に対する無反省」との見出しで始まる部分の中で和田春樹は、当初の「私たち」歴史家たちの反対理由の力点は「過去の日本帝国主義の朝鮮支配を肯定している」ことにあったとし、その後の反対運動の高まりの中での反対理由は、第一に「米日韓反共軍事同盟」が生まれること、第二に韓国を唯一の合法政府として北朝鮮を否認したこと、にあった、という。
 和田と朝日新聞に問いたいものだ。「米日韓反共軍事同盟」が生まれて、何故いけないのか。1965年時点で韓国を「唯一の合法政府」と見なして何故いけないのか。
 和田は国会での「強行採決」を傍聴していたらしい大江健三郎の文章を引用して、自らの文章を終えている。その大江の文章は次のとおり(一部。週刊朝日1965年11/26号らしい。)。
 日本という「怪物の進路」を「日本の市民」が「いくらかでも修正」できるとすれば、「北朝鮮および北京との関係を改善するため」の努力を、「強大な政府・与党に対して主張しつづけることのほかにない」。
 この当時から40年以上が過ぎた。2009年に公表される文章の中に、「北朝鮮および北京との関係を改善…」という元来は大江健三郎の語句をあえて引用するとは、いったいどういう神経をしているのだろう。和田春樹の精神世界の中では「ソ連」はまだ存在し、北京=中国と北朝鮮は<立派な>社会主義国としてますます発展しているのではないだろうか。一度取り憑いた魔物は恐ろしいものだ。
 上の大江健三郎の(和田によれば「名高い」)文章の見出しは「恐ろしきもの走る」というものだったらしい。
 大江健三郎、和田春樹ともに、「恐ろしきもの、まだ残る」と表現してあげたい。
 二 朝日新聞の船橋洋一は若宮啓文よりも文章が巧く、多少はより立体的・総合的思考をしているように見える。だが、「週刊昭和」毎号の巻頭の船橋の文章を読んでいると、<あゝ朝日新聞>と嘆息をついてしまう。
 第一に、ウソが一部にある。
 1960年に関する№13には、60年安保に関して「ついこの間まで戦犯として巣鴨にぶちこまれていた出っ歯の男が…」。
 これは岸信介のことだ。岸は「巣鴨」に勾留はされていても「戦犯」では全くない。せいぜい<戦犯容疑者>であり、かつ起訴されなかったのだ。かつての首相を「…ぶちこまれていた出っ歯の男」と形容する神経も<朝日新聞主筆>としてなかなか上品だと思うが、まずは最低限、ウソを書いてはいけない。
 1955年に関する№11には、バンドン会議(AA会議)における日本の評判・評価について、詳しくは立ち入らないが、ウソがある。
 船橋によると、フランスのジャーナリストは日本は「誰にも知られていない、知らないお客のように見えた」と書いたらしいが、船橋自身の文章として、「日本の存在は小さかった。戦争でアジアの人々に多大の苦痛を与えた。…。大きな顔はできない」等とも書く。日本にとっての<よい>こと、<嬉しい>ことは何も書かない。
 日本にとっての<よい>こと、<嬉しい>ことは何も書かない、というのは、船橋洋一の、そして朝日新聞のメンタリティとして深く、同社の<空気>あるいは<骨髄>になっていると考えられる。これ以上の具体的内容は紹介しないが、上の二つの文章にもそうした基調は確固としてあることを感じる。
 日本の過去と現在をできるだけ<悪く>見て、将来も<悲観的に>描くのが朝日新聞の<空気>であり<骨髄>である、と換言してもよい。しかも、そのことを自社や自分自身とは直接には関係のない他人の現象であるかのごとく、第三者的に(そのかぎりで「客観的」に)叙述するのも、船橋洋一、そして朝日新聞の特徴だ。
 上のことからは当然に<一面的で「偏向した」>叙述も出てくる。自虐、距離を置いた高みからの評論(「言うだけ」)、一面性こそ、「左翼」朝日新聞の、また朝日新聞系評論家の特徴だろう。
 ①1972年に関する№08の「沖縄問題」、②1973年に関する№21の「ひ弱な花、日本」、③1968年に関する№18の「暗殺―民主主義の圧殺」、④1971年に関する№20の「ニクソン・ショック」などにおいて、上に述べたことは明瞭に感じられる。
 船橋は、上の③で、「40年後、…。その日本もまた、非寛容と排他的民族主義が一部、噴き出しつつある」と書いている。
 ジャーナリズムは「ナショナリズムの道具じゃない」と喚いたのは若宮啓文だったが、船橋洋一においても「非寛容」な「排他的民族主義」はまず第一に闘うべき「主義」らしい。
 上の④では、35年以上後の「2008年秋」に言及して、「日本国内には」「自公政権に対する世論の苛立ちと不満は高まった」と断じる。
 三 こうした<昭和史(戦後史)>ものの影響力を無視してはいけないだろう。岩波や朝日新聞刊の必ずしも一般的には読まれない「左翼」学者たちの文献よりも、ヴィジュアルな毎週刊の<昭和史(戦後史)>は多数読まれているように推察される。そして、写真をめくったあとで文章を探すと、巻頭には現在にまで筆を及ぼす「左翼」・船橋洋一の長くない文章が堂々と付いているのだ(中ほどに、和田春樹の文章があったりすることもあることは上にも述べた)。
 全てを逐一、詳細に見たわけではない。だが、朝日新聞はしぶとく、執拗に、「左翼」の空気を撒き散らすものだとあらためて思う。

0650/闘わない八木秀次の蒙昧さと日本共産党・若宮啓文との類似性(?)。

 一 月刊正論2月号(産経新聞社)の八木秀次コラム(p.42-43)は、かなりの問題性を含む。
 
田母神俊雄論文の発表につき、八木秀次は、①「内容とは次元の異なるところで大いに問題があった」、②「村山談話」が「日本国政府の手足を縛る有効な道具であることを左翼勢力に再認識させた」と批判し、「その意味で、…田母神氏の一連の発言を褒める気にはなれない」と述べる。
 桜田淳森本敏に近い見解だろうか。
 <保守>派の一つのありうる反応なのだろうが、かかる見解はやはりおかしい。批判されるべきだ。
 せっかく温和しくして(刺激的な言動をしないで)国民の信頼も徐々に獲得してきたのに田母神俊雄論文で台無しになった、というかのごとき論調は間違っている、と考える。それに、八木秀次は別の間違いも犯し、無知蒙昧さを明らかにしている。
 二 第一に、八木は、田母神論文の影響で、統合幕僚学校等の「外部講師」の現状が調査され再検討され始めた、という。日本共産党も「外部講師」の人選を調査していた、という。
 だが、「再検討」の是非はともかくとして、統合幕僚学校等の「外部講師」の人選の現状は、日本国民一般に対して明らかにされても原則的には何ら不思議ではないのではないか。
 国公立大学(法人)はもちろん私立大学でも、専任教員の他、どのような非常勤教員が来て教育を担当しているかは、積極的にあるいは問い合わせ・調査があれば受動的にでも、明らかにされているだろうし、明らかに(公開・開示)されるべきだ。
 統合幕僚学校や防衛大学校についても、これらは上記の学校教育法上の学校でないことは承知の上だが、どのような人たちが教師・講師になっているかは、防衛に対する国民の信頼を得るためにも、国民の関心に応えるためにも、国民に公にされてよいものだ(原則的には公開されるべきだ)という見解が十分に成り立つ。
 これが消極的に解されるためには、正規教員や「外部講師」の氏名を明らかにすることが、(間接的にせよとくに中国・北朝鮮という近隣諸国に知られることによって)わが国の防衛(行政)上著しい支障が生じると認められる場合に限られるのではないか。
 自衛隊は国の一組織であり、その内部に置かれる学校についても、(行政機関)情報公開法の精神は及ぶはずだ(行政機関情報公開法=法律は防衛省も適用対象とする。そして「公にすることにより、国の安全が害されるおそれ……があると行政機関の長が認めることにつき相当の理由がある情報」は開示しないことができる(同法5条3号))。
 説明責任といってもよいし、あるいは透明性の問題であるかもしれない。軍事・防衛関係に<秘密>にしておくべき事項があることは当然のことだが、しかし、その対外的<秘密>事項の中に、統合幕僚学校等の「外部講師」の氏名は含まれるのかどうか。いかに「個人情報」だとしても、公金によって講師料を支弁されている者の<プライバシー>の保護は<秘密>性確保の理由にはならないだろう。
 八木秀次は憲法学者の筈だ。だとすれば、以上のような思考をしなければならないのではないか。
 しかるに八木は、共産党・赤旗の記者に自分の「外部講師」歴を問われて(国会に提出された資料中の)特定大学助教授だけでは「わからない」と答えたとし、自分以外のすべての「外部講師」本人が氏名公表に同意したのは「賢明な判断だとは思わない」、と批判している。
 その理由は、八木によると、①「統幕学校での講師の人選に一定の傾向があることが露見してしまった」こと、②防衛大臣が「見直しを明言した」こと(「村山談話」の線に沿った講師が選ばれそうなこと)、にあるようだ。
 八木秀次という人は、小粒の、<いじましい>人のように見える。上の①中の「講師の人選に一定の傾向があることが露見してしまった」とは、何と情けない文章だろう。<一定の傾向の講師たちで何故いけないのか>と堂々と開き直る(?)べきではないのか? あるいはそもそも「一定の傾向」とは何なのか?(「一定の傾向」について八木は自信・確信を持っているのか。自信・確信があって「一定の傾向」なる語をあえて使うだろうか?)
 また、悪いことをしていたわけでもないのに、日本共産党記者に対して、何故堂々と、自分も「外部講師」だった、とどうして言えないのか?
 そしてそもそも、前述のような、防衛行政を含む国政(・行政)についての説明責任・「情報公開」の要請といった論点は、この人の頭の中には全く存在しないようだ。
 実際の説明責任のとり方・「情報公開」制度の運用について問題が全くないとは思わない。<左翼>がこれらを利用している面は否定できない。しかし、憲法学者ならば、こうした論点があること自体は留意しておくべきではないか。こうした意味で、私は、八木秀次には憲法学者として<無知蒙昧>なところがある、と感じる。
 「外部講師」の人選の見直しの是非はまた別の次元の問題だ。さらに、こうした現状調査や見直しのきっかけを作ったのが田母神俊雄論文の発表だとして八木秀次は批判の根拠としているようだが、これまた別次元の問題だ。「見直し」に問題があるならば、それはそれとして堂々と批判すればよいのではないのか。
 三 第二に、上記とも重複するところがあるが、八木秀次は原因・結果の関係についての理解が<倒錯>しているように見える。
 すなわち八木は、田母神論文は、「村山談話」の有用性を左翼に「再認識」させた、という咎がある、と主張している。しかし、そもそもが左翼勢力が「村山談話」を生み出したのだったし、八木自ら「再認識」と書いているように、その有用性くらい、<左翼勢力>はとっくにご存知なのだ。内閣総理大臣が交代するたびに「村山談話」の継承の有無を問う朝日新聞をはじめとするマスメディアがいる。
 どの程度<左翼的>かは不明だが、1998年の日中共同声明に「村山談話」の「遵守」を盛り込んだ外務官僚もいたのだ(積極的に賛成したのだとすると、首相や外務大臣も「左翼」と称しうる)。
 本当の<保守>派は田母神俊雄の揚げ足取りをするのではなく、第一には「村山談話」をこそ問題にして、それを批判すべきではないのか。より正確には、「かつての一時期」の日本=<侵略国家>という一面的で単純な歴史認識自体を払拭するように各方面で尽力すべきではないのか。
 なお、八木は田母神論文のおかげで「自衛隊を含む政府関係機関の歴史観・国家観は二十年前に逆戻り」だという(コラムのタイトルも「逆戻りする歴史観」になっている)。
 こういう認識を私は持たない。政府関係機関(担当者)の歴史観・国家観をこのように単純に述べることはできないと思うし、かりにこれが正しい指摘だとしても、それは田母神論文が原因なのではなく、「二十年」の間に徐々に進行していた事態なのだと考える。
 四 タイトルに最初に付した「日本共産党・若宮啓文との類似性(?)」について書くのを忘れていた。
 簡単には次のようなことだ。
 1 日本共産党はかつて(1960年代後半~1970年代)、「全共闘」派あるいは<新左翼>の<暴力>を批判する際に、敵(権力)を過激な暴力行為で挑発して治安機構を拡大強化させている、自衛隊の治安出動すら生じさせようとしている、彼らは敵(権力)の「手先」・「別働隊」だ、というようなことを主張していた。
 八木の田母神俊雄批判はこれに少しは似ていないか? 「闘う」者に対して、そんな闘い方をしたら却って「敵」を有利にするだけだ、と八木は田母神俊雄を批判している、と言ってよい。
 2 若宮啓文は、朝日新聞昨年7/21のコラム(風考計)で次のように書いていた。
 日本の学習指導要領「解説書」に教育事項として<竹島は日本の領土>の旨が盛り込まれた。「それにしても、『独島』に寄せる韓国の情念を知りつつ、なぜまた刺激するのか」、「このセンスはどんなものだろう」。
 朝日新聞・若宮啓文お得意の<中国・北朝鮮・韓国を刺激するな>(なぜならかつて侵略又は植民地化した国だから)という見解・方針が露骨に示されている。
 八木秀次の田母神批判は、これに似てはいないか?
 かつての「歴史認識」に関する<左翼>の「情念」を知りつつ、「なぜ…刺激するのか」、刺激しないで(言いたいこと・書きたいことも言わず・書かずにして)おけば、従前どおりの状態でおれたのに、と八木は主張しているようなものではないか? 
 五 八木秀次に大した期待はしていないが、身辺回りのみならず、<大局>を観てもらいたい。

0636/佐伯啓思・国家についての考察(2001)を読む-「朝日新聞」の「大きな欺瞞」。

 一 佐伯啓思・国家についての考察(飛鳥新社、2001)p.76以下は「『他国への配慮』と国益」との節名で、前回紹介したようなことを、再述又は別論している(この本全部は、12/15に読了した)。
 7 ①「国益」観念が背後にない「他国への配慮」・「国際的友好」は無意味だ。そして「国益」が意義あるためにはその国の「正義」あるいは「共有価値」で支えられている必要がある。「正義」・「共有価値」は「生活上の習慣や文化的様式の中に暗黙のうちに表出」されるものだろう。
 しかし、「今日の日本」のように「暗黙裡」のものであれ「正義」あるいは「共有価値」の「存在そのものが怪しくなっている」場合には、「ナショナル・アデンティティ」の名のもとに「日本という国家を構成する精神的基盤について論議するのは当然のこと」だ(p.76)。
 ②「他国への配慮」・「国際的友好」を唱える者たちもかかるナショナリズムを前提としている筈だが、この「進歩主義的立場に立つ国際主義者」は「反国家主義」を標榜し「インターナショナリズムをナショナリズムと対立させる」ために自らの「インターナショナリズム」を骨抜きにしている。「国益」・「ナショナル・アデンティティ」を排除した「国際主義」は「ただ空疎な美辞麗句」にすぎない。
 彼らの「国際主義」は「反ナショナリズム」から発しているがゆえに、その「国際主義」自体が「『自己陶酔的で排他的な』ナショナリズムの単なる裏返し」となり、「『自己卑下的で追従的な』インターナショナリズムへと転化」している。その対中国姿勢、対国旗・国歌法姿勢等こそ、「まさに『自己陶酔的で排他的』なナショナリズムをただ裏返しただけに過ぎない」(p.76-77)。
 ③彼らの「友好」・「配慮」は「きわめて独善的」で「一国主義的」でもある。「ナショナル・アデンティティ」を排除した「国際主義」は「真の意味での国際主義=国家間主義(インターナショナリズム)とはなりえない」。「友好」・「配慮」は、「奇妙なことに『自己卑下的で追従的な』国際主義を『排他的で自己陶酔的に』追求するという結果となりかねない」(p.77)。
 ④「朝日新聞」社説が「ナショナリズム」や「ナショナル・アデンティティ」を「根本から否定」しているとは思わないが、それを語ることを「躊躇」しているために、五輪ナショナリズムはよいが「現実のナショナリズムは危険」だなどという「トンチンカン」な論説を展開している。「過激なナショナリズムを高揚させるほどの国家への切迫した思いも一体感も現代の日本人は持ってはいない」。五輪ナショナリズムは過激だが「国家意識は低調」ということは「通常は考えにくい」(p.78)。
 ⑤既述のように「朝日新聞」社説の「反ナショナリズム」は「裏返された」ナショナリズムで「隠された」ナショナリズムを背後にもつ。ナショナリズムあるいは「国家という『主体』」なくして「他国への配慮」・「国際的友好」を語り得ないのは自明のことで、朝日新聞」社説も「戦後進歩主義者」もこれを前提とせざるをえない筈だ(p.78-79)。
 ⑥しかし、「今日の日本」ではこの「国家という『主体』」という「自明性が見えなくなってしまっている」。小林よしのりの本も新しい教科書の会の運動も「戦前復古ではなく、現在の『主体』をいかに構成するかという関心」に導かれていると考える。
 「朝日新聞」社説もかかる「主体」の必要性を前提とする筈だが、しかし、「この『主体』がほとんど崩壊、もしくは溶解しつつあるとき、その主体の構成を図るための議論をナショナリズムと規定して排斥するのは一体なぜなのか?
 「ナショナリズムを隠蔽した反ナショナリズム」、「反ナショナリズムの内に潜むナショナリズム」、「この奇妙な二重構造」・「顕揚と隠蔽」あるいは「無意識の検閲」、「ここに大きな欺瞞があるのではないか?」 そしてそれこそが「『戦後的なもの』を内側から溶解させてしまった根本」要因ではないか?(p.79-80)。
 ⑦この「二重性」・「無意識の検閲」は後述もするが、そもそも「反ナショナリズムの思想的拠点は何」なのか。次にこれを扱う(p.80)。
 二 以上でp.57-80のメモは終わり。この部分は、この著の序章「なぜ『国家』を論じるのか」の次の第一章「現代日本の国家意識」の1「『戦後的なもの』の溶解」の後半ほぼ3/4にあたる。
 このあと、2「『世界市民主義』とは何か」、3「逆立ちした国家意識」とつづき、第二章「『二重言説』の戦後日本」以降へと移っていく。いずれも<朝日新聞>と無関係ではないが、覚書的紹介はとりあえずここでやめる。
 のちに丸山真男宮沢俊義(・日本国憲法)に触れるところや佐伯自身の「国家」観・論の展開が見られるところがあるので、別の機会にこの欄で言及したい。
 三 それにしても、朝日新聞、そして若宮啓文は、上のような朝日新聞的「反ナショナリズム」批判(又は批判的分析)にどう反応する(又は反応した)のだろうか。若宮啓文が佐伯啓思のこの著を一顧だにすることなく単純な「ナショナリズム」批判をしている(した)ことは明瞭だ。彼らがしていることは本能的・感覚的な「ナショナリズム」嫌悪感の表明にすぎないだろう。朝日新聞の社説執筆者やその一人だった若宮啓文の思考の<驚くべき底浅さ>は、佐伯啓思の丁寧な(そしてこの人にしては珍しく朝日新聞と明示しての大胆な?批判を含む)論述と比べると、きわめてよく分かる。
 若宮啓文はもう遅いかもしれないが、より若い世代の「戦後進歩主義者」は、佐伯啓思の上掲書を一度きちんと読んでみたらどうか。

0634/佐伯啓思・国家についての考察(2001)による「朝日新聞」的<反ナショナリズム>の分析。

 佐伯啓思・国家についての考察(2001)のつづき。
 「他国」とりわけ「アジア諸国」への「配慮」の障害となるのは「危険なナショナリズム」だと言うときに、「実際に隠蔽されるものは何か」。佐伯は節名を「『戦後的なもの』の崩壊」と変えて、さらに論述を展開していく。
 5 ①「実際に隠蔽される」のは「戦後の歴史の『歪み』そのもの」だ。この「歪み」は後述するが、若干言い換えると、「排除され隠蔽され」ているのは、「今日のナショナリズム」が置かれている、「戦後日本」という<文脈>、さらに言えば「近代日本」の、「『日本』という歴史性を持った」「文脈」だ。この「文脈」の中で「『国家』をいかに理解するか」が「排除され隠蔽され」ている(p.68)。
 ②日本に限らず、ナショナリズムはその国の「独特の歴史的特性や文化的固有性」と関連があり、「ナショナリズムが歴史や文化を強調するのは当然」だ。「自己陶酔的」では全くない(p.68)。
 ③だが、日本は「戦後の歴史と戦前のそれ」との間に「大きな断層」があり、それが「文化の次元まで及ぶ」という、「いささか特異な立場」にある。「断層」は主として「ものの考え方、価値観、文化なるものの表現」にかかわり、「端的」には「戦後の、自由主義、民主主義、平和主義などという価値によって、それ以前の価値や文化的な様式はほとんど全体的に否定された、という特異な時代経験」を指す。この「断層」によって否定されたものの上に「戦後日本」という「特徴的な世界」が成立したのだ(p.68-69)。
 ④したがって、日本の「歴史意識」はこの「断層」を不可避的に問題にする。ここに、「今日の日本のナショナリズム」が「断層」を意識して「戦後を疑う」という「表現形態」をとらざるをえない「理由」がある。それは「回顧的」・「復古的」ではなく、「『断層』によって何が隠されたのか、その上に成立した『戦後』とは何か」と問うことは現代日本の「ナショナリズムの当然の姿勢」だ
 「断層」によって「見えなく」されたものは「葬り去られ」てはおらず、「今なお…ここにある」。だから、それを「掘り出す作業は歴史的『文脈』を追う」。ナショナリズムが依拠する「ナショナル・アイデンティティの意識」は「歴史的継続性と文化的共有性」(という「文脈」)の「再発見」・「再定義」によって形成される、ということが「重要」だ。だとすれば、「戦後を疑う」という表現形態は不思議ではなく「戦前への回帰」ではない。「まさに今日的な営み」だ。
 「進歩主義者たちのナショナリズムへの過敏なまでの拒絶反応」は、ナショナリズムが「時代はずれ」の「復古」ではなく「まさに今日的問題」であることを「本当は気づいているからであろう」。たんなる「時代はずれ」の「復古」ならば、「放っておけば自然に忘れ去られるはず」だ(p.69-70)。
 以上もかなり引用の密度が高いが、この部分のまとめ的な次の段落は、ほとんど引用ばかりになる。
 ⑤「『朝日新聞』社説に示されるナショナリズム批判は、今日のナショナリズムの根幹を封じようとしている」。「頑として封印」しようとするのは、「『戦後を疑う』という姿勢そのもの」だ。「『戦後を疑う』という姿勢」を許せば、「ナショナリズムはその芽を吹くことになる」。なぜなら、「戦後を疑う」ことは、敗戦・連合軍の占領以降の「自らの文化的アイデンティティの破壊、勝者が押しつけた価値のもとでの被抑圧感情、こうしたルサンチマン的感情」を「すべて表面に解き放ってしまいかねないから」。
 「朝日新聞」や「『朝日新聞』的なもの」が「その上に自らの立場を築き、地歩を確保してきた『戦後的なもの』」を彼らは「死守しなければならない」のだろう。そのためには「ナショナリズムの一切の芽を摘むことが必要不可欠となる」(「戦後的なもの」を「保守」せんとする「ナショナリズム批判者の言説が、ナショナリズムを戦前回帰として片づけようとすることは当然だ」が、それは「見当はずれ」だ)(p.70)。
 以上で今回の紹介は終わり。「戦後的なもの」の「死守」を図る朝日新聞(や意識的「左翼」)が、「ナショナリズム」言説に過敏に反応しそれを抑圧・封印しようとする背景が説得的に語られている。若宮啓文もまた<本能的・感覚的に>そうした抑圧・封印の意識を形成して(形成し終えて)いると思われる。
 こうした過敏で、本質的な問題を素通りして決めつける、<(左翼)ファシズム>的反応は、最近の田母神論文に関しても顕著に見られたことだ。田母神はまさに「戦後を疑う」、「戦後」の通念に矛盾する、「ナショナリズム」的文章を発表したのだった。今日の言論空間・「知的」空間の<主軸>または「構造」を、なおも簡潔にだが、佐伯啓思は語っていると考えられる。なおも続ける。

0633/佐伯啓思・国家についての考察(2001)を読む-朝日新聞批判・その2。

 朝日新聞社説が前回の3④で示すこと(複数)が何故「荒っぽいナショナリズム」の動向なのか、近時(2008.12上旬)の中国の領海侵犯にしても、それへの「感情的反発」は「健全」そのものではないか、と思うが、さておく。
 佐伯啓思・国家についての考察(飛鳥新社、2001)に関する前回のつづき。
 3 ⑤「ある場合には」ナショナリズムは「自己陶酔と他者の排除」を伴う「荒っぽい」ものに先鋭化しうる。それは日本だけの問題ではない。ナショナリズムは、アメリカ、中国、台湾、フランス、イギリス、クロアチア、セルビア、イスラエル、アイルランドではより強い。これらの国々のナショナリズムは「健全」なのか「危険」なのか。中国、フランス、アイルランド、ロシアのそれはどちらか、朝日新聞の「社説はどう答えるのだろうか」。外国のナショナリズムは「健全」で日本のそれは「危険」だとでも言うのか(p.63-64)。
 ⑥ どの国にもナショナリズムはあり、それが「自己陶酔と他者の排除」となるか否かは「あくまで状況の中で」決まることで予め「健全」なそれと「危険」なそれとが存在するわけではない。
 「現実政治と結びついたナショナリズムが常に陶酔的で排他的となると考える」のは「あまりに短絡すぎる」。この「短絡」は、「ナショナリズム」を常に「インターナショナリズム(国際協調)」と対立させて理解する思考だ(p.64-65)。
 つぎに節名が「なぜ議論を深めようとしないのか」へと移る。これまでに増して、引用部分を多くする。
 4 ①朝日新聞社説が挙げる「荒っぽいナショナリズム」の台頭の事例は私(佐伯)にはそう思えないが、それはともかく、朝日新聞社説には「特徴的な思考パターン」がある。それは、「日本における『荒っぽいナショナリズム』の台頭の危険というテーゼが、より本質的な議論を一切回避したまま提起されている」ことだ(p.65)。
 ②1.「中国への感情的批判を危険視する前に」、「なぜ中国がこのような挑発的行動に出るかを論じないのか?」
 2.「日米安保体制への批判を危険視する前に」、「なぜ安保体制という特異な関係性のもとに日本が置かれてきた歴史を検討しないのか?」
 3.小林よしのり・戦争論を「無条件で危険視する前に、なぜ小林よしのりが…を書くに至ったのかを問題にしないのか?」
 4.「『国旗・国歌法案』を批判する前に」、「国旗や国歌とは何かをなぜ論じようとしないのか?」
 5.森首相の「教育勅語評価発言や『神の国』発言を論難する前に、なぜ彼がそのような発言を行ったのか」、なぜ「教育勅語」や「神の国」が「今頃になって想起されるに至ったのかを論じようとしないのか?」。さらにいえば、「教育勅語の内容の何が一体問題なのか、日本はどのような意味で『神の国』ではないのか」に関する議論をなぜ深めようとしないのか(p.65-66)。
 ③問題は社説のスペースの広さではなく「その姿勢」だ。ここに、朝日新聞に限らない「今日の日本のナショナリズム批判の大きな問題」がある。朝日新聞社説が典型を示す「議論の布置、問題の設定の仕方」、そこに「今日の日本の(反)ナショナリズム論の貧困」を見る。
 「ナショナリズムの復興を批判することが戦後体制を守る基本的な課題」だとすると「進歩主義的サヨク」のかかる立論は当然かも。だが、「それでは問題の所在にはいつまでたっても踏み込めないし、不毛な議論が続くだけ」だ。なぜ小林よしのりが支持されるか、なぜ「神の国」発言が出たか、なぜ教育改革・教育基本法見直しが課題となったか、「そこにどういう事情と時代的意味があるのか」、これを論じないと「単なるイデオロギー批判が続くだけ」だ(p.66-67)。
 ④朝日新聞社説は「根本にかかわる問いを一切封印した上で、ナショナリズムの危険性を説く」。「端的にいえば、自国の歴史や固有のあり方にこだわることは他国への配慮を怠ることになる」と言わんばかり。これが「ナショナリズム批判」が「露呈」しているものだ。どの事例にせよ、「しばしば提出されるのは、それが『他国への配慮』、とりわけ『アジア諸国への配慮』をないがしろにするという批判」だ。
 1.中国の領海侵犯は不問に。「問題は、…批判が中国に対する友好的配慮を崩してしまうこと」だ。
 2.「新しい教科書」が国民の関心を呼んでいることは不問に。「問題は、それが中国や韓国を刺激すること」だ。等々。
 「要するに現下の状況のもとで他国へ配慮すること、それこそが彼らの考えるインターナショナリズムであり、この配慮に対する障害は『危険なナショナリズム』とされる」(p.67)。
 なかなかの論旨又は分析ではないか。つづきは、次回に。

0632/佐伯啓思・国家についての考察(2001)を読む-朝日新聞批判・その1。

 「市民革命」はあるが「国民革命」は聞いたことがないことを「市民」概念を愛好する理由の一つとするような朝日新聞・若宮啓文の本と文章に触れたのは、朝日新聞を批判する、あるいは朝日新聞をはじめとする<進歩的>マスコミの論調を批判的に分析する佐伯啓思・国家についての考察(飛鳥新社、2001)のとりあえずは一部を紹介的にメモしておきたいためだった。
 佐伯啓思の論旨は前の論述を前提に後に累々と続いていくので途中から紹介的引用をするのでは正確に理解したことにはならない。だが、最初から言及するのはやめてあえて中途からにする。「今日のナショナリズムの『歪み』」との節名のp.57以降だ。次のように論じられる。
 1 ①「本来性」というフィクションの大地に根ざした「国家意識」が必要だ。しかし、日本の現今のそれは「ほど遠い」もので、「国家」をめぐる言説は「奇妙にねじ曲げられている」(p.57)。
 ②いくつかの運動や議論が日本の「ナショナリズム」の代表として「しばしば進歩派の攻撃にさらされる」が、私(佐伯)には攻撃される「ナショナリズム」は理解しやすい。「全面的に賛同」はしないが、言いたいことはよく分かる。それは「決して復古的意図やまして戦争賛美」ではなく、「戦後の、そして現在の日本を問題視し批判」している。それは端的には、今日に「支配的な影響」をもつ「進歩主義的言説に対する強い疑念」だ。その意味で、彼らの「ナショナリズム」は分かりやすく「歪んでいない」(p.57-58)。
 ③問題は、明言されない「伏在したナショナリズム」の方にある。今日の「ナショナリズム」の問題は、一見「反ナショナリズム」・「反国家」心情にもとづく言説の形をとる、「国家意識」の「歪み」にこそある(p.58)。
 ④なぜ「歪み」が生じているかに、「戦後日本の言説空間の特異性」がある。この「特異性の構造」を分析することは、現代日本の「国家意識」の「歪み」・「ねじれ」を理解するためには重要だ(p.58)。
 ⑤90年代の日本の全般的「失調」のもとは、「きわめて不透明で歪んだ国家意識」に求められるのでないか(p.58)。
 ⑥90年代の日本の「危機」は「グローバル化や情報化」に対応できなかった日本の「守旧的体質」に原因があるというのが「定説」だが、「問題の根ははるかに深い」。究極的には「戦後の歪んだ国家意識にこそ今日の「危機」の源泉があった。「国家意識」の「歪み」をいくつかの局面で見てみる(p.58-59)。
 次に、節名が「オリンピック・ナショナリズム」に変わる。
 2 ①シドニー五輪を前に2000.09.14朝日新聞社説は、「国家」意識に縛られずに「あなた」自身のために参加せよと説いた。だがここ十数年、日本選手が「過剰な」期待を背負っているとの印象はなく、むしろ選手の「私」意識の強さ、「国の代表」意識の希薄さが論議されたくらいだった(p.59-60)。
 ②五輪は「形を変えた国家間競争」で、「国家や地域」の威信がかけられていることを前提に「国家間協調」が謳われる。「個人間の競争と同時に国家間のルール化された競争」があるのであり、「国家間協調」が可能になるのも、そもそも個人が「少なくとも部分的には」「国家を背負っている」からだ(p.60)。
 ③上を書いたのは「ナショナリズム」と「国際協調(インターナショナリズム)」とは「決して対立するものではない」ことを確認するためだ(p.61)。
 ④にもかかわらず、「個人の競争」・「インターナショナリズム」はよいが(「善」だが)、「国家間競争」・「ナショナリズム」は「危険」だという「二者択一」の議論がある。朝日新聞の社説にも「その傾きが見て取れる」(p.61)。
 次に、「『荒っぽい』ナショナリズム」との節名に変わって、引き続いて朝日新聞社説への論及がなされる。
 3 ①朝日新聞2000.09.24社説は再び「ナショナリズム」を取り上げ、自国の選手が勝利して「君が代が流れ、日の丸が上が」るのを見て誇らしいのは「ごく自然な感情の発露というべきだ」と書いた(p.62)。
 ②先の論調からの後退とも見えるが、同社説はこう続ける。「抑制のきいた健全なナショナリズム」はよいが、「居丈高な自己主張」の「ナショナリズム」ほど「危なっかしい」ものはない、と。つまり、「健全なナショナリズム」と「危なっかしいナショナリズム」の区別がある、という(p.62-63)。
 ③上に続けて朝日新聞上記社説は、日本が「危なっかしい」又は「荒っぽい」「ナショナリズム」に席巻されようとしているとの危惧を示す。五輪で示されるようないわば「遊びごと」の「ナショナリズム」はよいが、「本物の(現実の)ナショナリズム」は危険とする。「何とも妙な、そして煮えきらない主張」だ(p.63)。
 ④「荒っぽいナショナリズム」として具体的には、1.中国の調査船・軍艦の日本水域への侵入への「感情的な反発」、2.日米安保にかかる「思いやり予算の削減要求」、3.小林よしのり・戦争論への「若者の共感」、4.「国旗・国歌法」の制定、5.森喜朗首相(当時)の教育勅語評価、5.石原慎太郎都知事の「三国人」発言、等が挙げられている。そして、これらの動向は「固有の伝統への回帰」を訴えるあまり、「自己陶酔と他者の排除」を伴うから危険だ、とする(p.63)。
 3の途中だがここで区切る。朝日新聞・若宮啓文はこの佐伯啓思の著をまったく知らずに(手にとって読んだこともなく)、「ジャーナリズムはナショナリズムの道具ではないのだ」と幼稚に宣言したものと思われる。
 このあと、朝日新聞の論調に対する批判または批判的分析がつづく。たぶん、次回に。

0631/若宮啓文-「市民」概念愛好に理論的根拠なし、<左から>の東京裁判批判。

 一 若宮啓文(朝日新聞)という人は、元論説主幹とかで何やらエラそうに見えるが、いかほどの見識をもち思考の鍛錬を積んだ人なのか。
 馬脚を現わす、という表現がある。これにピッタリの次のような文章が2003.11.30に書かれている。若宮啓文・右手に君が代左手に憲法(朝日新聞、2007)による。
 「市民と国民はどう違うのか」。「市民運動と国民運動」を比べると分かり易い。前者は「国家や行政への対抗心がにじむ」のに対して、後者は「政府のきもいりなのが普通」。「市民革命はあっても国民革命」はほとんど聞かない。一方、「地球市民の連帯」という言葉ができるのは、「市民」が、「職業ばかりか国家や民族を超える概念だから」だろう(p.28)。
 「市民と国民はどう違うのか」、この問題設定はよい。だが、すぐさま感じる。この人はアホ、失礼、馬鹿ではないか。
 「市民」や「国民」という概念・議論にかかわる幾ばくかの文献に目を通したことが一度もなさそうだ。
 国家等への「対抗心」が滲む「市民運動」概念に対して、「政府きもいりが普通」の「国民運動」概念。「市民」概念は(「国民」と違い)<職業・国家・民族>を超えている。
 こうした<感覚的>理由で、この人と朝日新聞は「市民」がお好きなのだ。なるほど「市民運動」は朝日新聞と若宮にとってたいてい<左翼>運動であり、朝日新聞と若宮が嫌いな「国家」を避けたい、「国家」を意識から外したいためにこそ、「地球市民」という言葉を愛好しているのだ。
 もう一度、馬鹿ではないか、と言いたい。しかも、「市民革命はあっても国民革命とはほとんど聞かない」などと書いて、まるで<歴史(近代史)>又は「市民革命」という概念の(「左翼」が理解する)意味を理解できていないアホさ、いや無知かげんを暴露している。
 上のことから若宮は(この当時)民主党は「市民政党」から「国民政党」になっていると不満を呈し(p.26-27)、「市民派感覚を生かすことは大事」で、菅直人は「市民派首相」を目指すべきだ、という(p.29)。
 この「市民(派)」へのこだわりは、「反・国家」意識、「反・日本(国家)」意識がすこぶる強い、ということだろう。この「国家」嫌いの若宮は、自分が日本「国民」であるという意識がないのではないか、あるいは自分がそうだということを当然に知ってはいても、日本「国民」意識を嫌悪しているのではないか。お気の毒に。
 二 全部を読む気はもともとないが、若宮啓文・戦後保守のアジア観(朝日新聞社、1995)の前半を通読して感じる一つは、東京裁判(通称)の①A級戦犯容疑者全員がきちんと裁かれなかったこと、②A級戦犯のうち被処刑死者以外の者がのちに「釈放」され政界復帰等をしたことに対する、若宮啓文の<悔しさ>だ。
 上の①の代表者は岸信介。②は、賀屋興宣・重光葵ら。そして、①の免責や②の「釈放」は<冷戦構造>・<東西対立>の発生による米国の方針変換による旨を何度か書いて(p.48など)、明示はしていないが、A級戦犯者が「戦犯」でなくなったわけではないこと、罪状は消えるのではない旨を強く示唆している。また、明言はしていないが、岸信介も訴追されるべきだった旨の感情が背景にあることも窺える。
 そしてまた、東京裁判の罪状の中心は対米戦争開戦の責任で「アジア侵略の責任」ではなかった等々と書いて(p.92など。この部分の見出しは「東京裁判の欠陥」)、いわば<左から>、東京裁判を批判している、又はその限界を指摘している。
 若宮啓文によれば、東京裁判それ自体は何ら法的にも問題はなく、被告人の選定や訴追事由に問題があった、つまりもっと多くの「戦争責任者」を裁くべきであり、「アジア侵略」の観点も重視して被告人を選定すべきであった、ということになるのだろう。また、生存「A級戦犯」者を刑期どおりにきちんと拘禁し続けるべきであり、簡単に?(といっても日本社会党議員を含む、「戦犯」者の「釈放」運動があったのだが)一般社会に「釈放」すべきではなかった、ということになるのだろう。
 なかなか面白い東京裁判論だ。もっときちんと拡大して被告人を選定し裁いておいてくれたら、そして刑(死刑を除く拘禁刑)の執行を判決どおりに行っていれば、戦後の「保守」は実際よりも弱体になっていたのに、というような感情が見え隠れしている。
 さすがに、<左翼>・<自虐>だ。米国の助けを借りてでも、<悪いことをした日本の要人(軍人・官僚・政治家)>を徹底的に裁き、排除しておきたかった、というわけだ。
 若宮啓文の文章はあまり読みたくない。精神衛生にはよくない。だが、また読むことがあるだろう。

0630/朝日新聞・若宮啓文の<反日・反国家>、<親中・親東アジア>、「左翼」意識

 日本共産党の不破哲三や朝日新聞の若宮啓文の本を読むことを躊躇しないし怖れもしない。しかし、どこか感覚・神経が<異常>と思われる人の文章を長く読むことは一種の苦痛であり、あるいはまた、ときどき気持ちが悪くなり、心理的には嘔吐が出そうになることがある。
 若宮啓文の「反日」・「反国家」意識、そしてアジアの隣国(中国等)への配慮優先意識、「左翼(サヨク)」意識は徹底している。同・右手に君が代左手に憲法(朝日新聞社、2007)は、あくまで若干の例にすぎないが、以下の如く書く。
 ①80年代に比べて90年代には「首相の配慮」があったとして肯定的に評価する。そして、「例えば宮沢政権は…1992年秋、右派の反対を押し切って天皇陛下の訪中を実現させた。過去に大きな区切りをつける旅」だった、と書く(p.12)。
 宮沢や河野洋平・加藤紘一らを自民党の中では評価する、<親中・屈中>。
 ②「外国では…『靖国』が軍国主義の象徴として伝えられる。だからこそ、首相の参拝があれほど問題にされるのだ」(p.37)。ここでの首相は小泉。
 米国・英国の大統領・首相らはこれまで何回か靖国参拝を希望したがむしろ日本政府側が固辞したと伝えられる。そうだとすると、上の「外国」はたぶん中国と韓国の二国だけではないか(北朝鮮もだろうが、金正日が訪日する可能性はほぼない)。
 それに、「『靖国』が軍国主義の象徴として伝えられる」ことに若宮啓文は何ら疑問を呈さず、当然視しており、誤解を解こうとする又は誤解を解くべきだとする主張はどこにもない。
 ③2004.02に書く-「それにしても、である。ハト派のいきおいが弱すぎはしないか」、「ハト派に春は来るのだろうか」(p.40-41)。
 ④「町の家々からだんだん日の丸が消えたのは、世代交代や戦後教育と無関係ではあるまい」。まして君が代に「抵抗感や違和感をもつ人が増えたのは仕方がないことだった」(p.43)。
 法制化された国歌・国旗に関する若宮の文章だ。一つに、「町の家々」から「日の丸」を「消え」させたのは、そして君が代への「抵抗感」等を煽ったのは、自分自身が属する朝日新聞を筆頭とする戦後「左翼」ではないか。客観的な事実として他人事のように書くな、と言いたい。
 二つに、若宮は日の丸・君が代には「戦争当時の暗いイメージが潜んでいる…」と書く(p.42)。この人自身がもつイメージなのだろう。戦後の「反戦・民主主義」教育をきちんと受容した(-に洗脳された)真面目な?学校優等生だったかと思われる。
 ⑤2004年の元反戦自衛官等自衛隊宿舎反自衛隊ビラ投函事件につき、2004.12の東京地裁(八王子支部)の刑事判決が「無罪」としたのは朗報」だった(p.80)。ここにも<反自衛隊>意識・<反軍(軍事)>意識。
 この前に、若宮自身はこの事件を、「市民団体の3人が防衛庁官舎の郵便受けに自衛隊イラク派遣反対のビラを入れただけで逮捕され、75日も勾留された」一件と記し、「あきれた事件」の一つに挙げている。
 この刑事事件は、本の出版時点で若宮が追記しているように、控訴審で逆転有罪となった(住居侵入罪)。最高裁は今年、上告棄却した(有罪維持)。
 若宮は高裁判決後の追記中に「…確かに行き過ぎだったのだろう。だが、黙秘したとはいえ身元の分かった相手を75日も勾留することはないだろう。そういう非常識がまかり通るのが恐ろしい」と書いている(p.81)。
 こんな若宮の「非常識」こそ「恐ろしい」。<勾留>するか否かは<身元が判明していないか否か>に単純に対応しているのか? 他の要素も当然に考慮されて判断される。
 ⑥ブラントの所作(ポーランドでの跪き)、ワイツゼッカーの(演説中の)フレーズを讃え、「ナチスの断罪を徹底してきたドイツ」の作法はうまかったが、「日本の〔かつての軍国主義・「侵略」に関する-秋月〕それはあまりに下手だった」と書く(p.96)。
 ドイツ・ナチスの「ホロコースト」のような犯罪を日本人・日本軍・日本政府は行っていない。<左翼>にありがちな主張なのだろうが、ドイツと日本の戦前の「罪」を同類のものとして理解する、という大きな過ちに朝日新聞・若宮啓文も(そのことを知りつつ結果としては)陥っているようだ。
 つづけて次のように書く。
 ⑦「隣国のナショナリズムは日本よりも強烈だ」。「しかし、だからこそ…相手の気持ちをどうほぐすか、そこは日本の知恵と度胸が問われているのではないか」(p.96)。
 日本の「ナショナリズム」は強く警戒し批判する一方で、「日本よりも強烈」だという「隣国のナショナリズム」に対して(上の「…」の部分で「言うべきことは言いつつ」といちおう書くが)何と優しい言葉だろう。隣国(中国・韓国)ではなく、まずは日本政府を非難・攻撃する、又は注文をつける、という姿勢で朝日新聞と若宮啓文は一貫していると言ってよい。
 ⑧中国の「反日デモ」と小泉「靖国参拝」を相殺し、次のように提言する。南京事件につき「日本側は規模がどうあれ、市民や捕虜の虐殺という非道の事実を重く受け止める」、小泉首相は「謙譲の精神で靖国参拝をとりやめる」(中国側への提言は省略、p.101)。
 「市民」に紛れこんだ便衣兵は「市民」ではなく、抵抗や脱走をする「捕虜」は捕虜ではなく「兵士」。これらを攻撃することは合法的な戦闘行為で「非道」ではない、という論点があることを天下の朝日新聞・若宮啓文が知らない筈はないと思うが。
 また、若宮啓文はなぜ首相靖国参拝を批判するのか。「A級戦犯」合祀が理由かと思われるが(p.104以降の別の項参照)、ではB級戦犯・C戦犯の合祀はどうなのか、と同趣旨の見解をもち、主張をする人々に対してとともに、若宮にも訊ねてみたい。
 ⑨「勝者は決して非を認めない」。広島への原爆投下につき英国軍幹部は「広島市が受けた懲罰」は「日本全体への報復の一部」と語ったが、原爆投下には種々の問題がある。しかし、「非道の責任を米国にだけ求めるのはフェアでない」。沖縄では日本軍に島民が「集団自決を求められた」等々があったりした。「民間への無差別攻撃を非難する資格が果たして日本政府にあっただろうか」(p.109-110)。
 ここまでくるといよいよ<気味が悪い>。
 ここでは米国を擁護し、旧日本軍をむしろ責める。<反日>・<自虐>そのもの。
 日本の「資格」を問題にするなら、日本軍による「民間への無差別攻撃」の実例を挙げるべきではないのか。また、かりにその実例があったとして、日本は「反省し」、米国にも「反省」を求める、日本は自己批判すべきとしかつ米国も「批判する」ならば分かるが、どうして<米国だけを責めるな、その資格は日本はない>という主張のみになるのか、きわめて不思議だ。
 まず第一に、<日本が悪かった>。この一線から若宮啓文は全く抜け出すことができない。見事に(単純に)、一貫している。こんな人が論説主幹だったのだから、朝日新聞は見事で(単純で)、恐ろしい。
 もう少し記録しておきたいことがあるので、たぶん次回に。

0629/慶賀し、羨望しもする朝日新聞・若宮啓文の書物二つ。

 一 失礼ながら、だいぶ遅れて気づいた。若宮啓文・右手に君が代左手に憲法-漂流する日本政治(朝日新聞社)が2007.03に刊行されている。
 竹島は「いっそのこと…譲ってしまったら、と夢想する」(p.92)とか「ジャーナリズムはナショナリズムの道具ではないのだ」(p.180)等々の若宮の<歴史的>な文章や名言?を含むコラム「風考計」等がこうして書物の一部としてまとめられ、後世に容易に伝えられることは、慶賀に堪えない。
 上の前者の発言を本人も気にしたようで、後者を含む最後のコラムの中で、「国賊」・「反日」等と批判されたとしつつ、①かつての韓国(大韓帝国)併合が「力ずく」ではなく(条約という)「合意」のうえだったと(保守派は)言うのならば「外交交渉」で「領土」を譲ってもよいのではないか、②「共同統治」を唱える韓国人研究者も出現した、などと反論又は釈明している(p.179-180)。
 上の②の論拠についてはすでに触れたことがある。①が論拠・理由にならないことは論を俟たない。
 もともと若宮は竹島の帰属について「歴史の複雑さを考えれば、日本の主張だけが正しいとも言えなかろう」と書き(p.93)、別の何かで韓国(朝鮮)帰属説につながる史料か論文の存在を喜々として?紹介していたような人物だ。
 若宮啓文が羨ましい。「国賊」的、「反日本」的主張をした日本国籍新聞人として、末永くその名をとどめるだろうから。
 あらためてこの本を見てみると(入手-朝日新聞社・若宮の経済的利益にならないように古書で-したのはかなり前だった)、「君が代」を「右」の、日本国「憲法」を「左」の象徴として書名にしているのが面白い。
 「憲法」は「左翼」のシンボルなのだ(そのとおりだ)。
 だが、次の文章は正確ではない-日本国憲法は「自由や民主主義、人権といった近代の普遍的価値をうたい、とくに平和が売り物だ」(p.8)。
 「自由」・「民主主義」・「人権」・「平和」という朝日新聞が選好する<戦後民主主義>的価値が挙げられているのは当然としても、これら(あるいは「平和」以外)を「近代の普遍的価値」と理解するのは間違っている。あくまで、せいぜい欧米「近代」に普遍的なもので、アジア・イスラム世界にまで「普遍的」ではないし、「普遍化」すべきだとも単純には言えない。そもそも「近代」とは何か、も問われる。また、欧米内部においても、これらの価値・主義の評価は国により論者により多様でありうる。
 戦後60年を過ぎてなお上のように簡単に書いてしまえるところに、GHQ史観・東京裁判史観、そして米国により唱導され、見方によれば米国によって押し付けられた「民主主義」観、の強い影響を看取できる。
 若宮は「ただ左手のみを信奉するというものでもない」と書くが(p.8)、本人の主観的な理解のみで「左」か「右」か「まん中」かを評価できないことは言うまでもない。
 二 敬意を表して、若宮啓文・戦後保守のアジア観(朝日新聞社、1995)も-古書で-入手している。
 この本の最初の文章(Ⅰ章)を読んでみる。
 ①「『侵略』を『進出』と書かせるなどしてきた高校教科書の検定事件(一九八二年)」と、これが朝日新聞によるガセ=虚報だったことを無視して、事実だったかのように書いている(p.17)。
 ②戦後50年の国会決議につき「推進」派に肯定的・好意的に言及し、1995年6月に「国会決議」がなされた意味を「軽くはみたくない」としつつ、これには「大きな限界」もあったとする。
 ここでの「国会決議」とは1995.06.09の衆議院の決議のことだが(参議院決議はない)、若宮は意識的にだろうが、「国会決議」と言い換えている。正確ではない。
 「大きな限界」もあった、とするのは、a 欧米の責任も含まれうる文章になっていること、b「侵略」ではなく「侵略的行為」とやや曖昧になったこと、c 「歴史観の相違」があることを前提とするかの文章が含まれていること、を指す(p.9参照)。
 ③1995.08.15の「村山談話」を、かつての「侵略」・「植民地支配」を「国策の誤り」だったと「心からのおわび」を表明した(②の限界を超えた)ものとして、高く評価する。当時の自民党総裁・河野洋平(外務大臣)も「積極的に支持した」と記すことも忘れていない(p.25)。
 この1章は発行年と同じ1995年に書かれている。
 朝日新聞が「村山談話」の基礎にある歴史認識・歴史観をそのまま維持したうえで、13年を経た近時の田母神俊雄論文を感情的に批判したことは明らかだ。
 また、若宮は1995年の段階で、「反省」・「おわび」・「陳謝」等の言葉が明瞭であればあるほどよい旨も述べていた(p.24)。
 若宮啓文と朝日新聞が、「村山談話」の基礎にある歴史認識・歴史観、つまりはGHQ・米国が戦後日本人に刷り込んだ、日本(「軍国主義」・「天皇制ファシズム」)はアジアに対して(道義的・道徳的に)悪いことをした、という単純素朴な歴史認識に立ち続け、国民一般に「左翼ファシズム」の空気を発し続けたことをあらためて確認して、いささかの感慨と寒気を覚える。
 多分に<文学的>でほとんど無意味な叙述だろうが、若宮は東シナ海か対馬の北の海峡上の中空にいて、日本と東アジアのことを考えているような人だと思う。日本の土のうえにきちんと立っているとは思われない。
 なお、かくのごとく、朝日新聞、同関係者、日本共産党、同関係者の本や文章を読むことを私は全く遠慮しないし、嫌がりもしない。これら(の者たち)に<洗脳>されない自信が十分にあるので。 

0493/チベット(人)問題と日本の「左翼」団体-中国共産党による恫喝と供応?

 伊勢神宮式年遷宮広報本部・日本の源郷-伊勢神宮(2007.07)p.22には、2003年(平成15年)11月4日にチベットのダライ・ラマ法王が伊勢神宮を(玉垣内に入って)参拝する様子の写真が掲載されている。また、仏教徒であっても「日本の神道の聖地」・伊勢神宮を参拝させていただいた、「神宮の美しい自然とそれを維持する人々の態度、神宮の平和的な環境は素晴らしい…」との法王の言葉も載せている。
 西村幸祐責任編集・チベット大虐殺の真実(撃論ムック/オークラ出版、2008.05)にも、昨2007年11月にダライ・ラマ法王が伊勢神宮を参拝したときの写真が付いている。キャプションにあるように、こうしたダライ・ラマの伊勢神宮参拝を報道した日本のマスコミはあったのだろうか?(なお、これら二つは同期日のもので、どちらかの年の記載が誤っている可能性がある。)
 ところで、諸君!6月号(文藝春秋)の佐々木俊尚「ネット論壇時評」(p.262~)によると、以下のとおり。
 左翼系のメーリングリストとして著名なAML(オルタナティブ運動メーリングリスト)の中で、弁護士・河内謙策は3/19に「チベット問題を、なぜ取り組まないのか!」と題して次のように書いた。
 「日本では、なぜかチベット問題を、多くの平和運動団体がとりあげようとしていません。全労連、日本平和委員会、憲法会議、自由法曹団、連合、全労協、原水協、原水禁、許すな!憲法改悪阻止市民連合会、九条の会、ピースボート、平和フォーラム、ピープルズプラン研究所という日本の平和運動の代表的な13のサイトを見ても、現時点では、その…1頁目にチベットのチの字もありません」(p.264)。
 なお、少なくとも最初の4つと原水協は日本共産党系の団体だ。
 チベット人問題に関して、日本の<左翼>が沈黙しがちであることに対してはすでに多くの批判的指摘がある。月刊WiLL6月号山際澄夫「恥を知れ!沈黙の朝日文化人」(p.256~)もそうだし、上記の西村幸祐責任編集・チベット大虐殺の真実(撃論ムック)の中宮崇「チベット侵略を擁護する反日マスコミ『悪の枢軸』」(p.104~)は、NHK、TBSのニュース23、朝日系の報道ステイション等のテレビ・メディアを対象にする。同書の野村旗守「日本の人権団体は黙ったままか」(p.158-)は、日本ペンクラブ・日本国民救援会・自由法曹団・日本ジャーナリスト会議等を批判している。
 ダブル・スタンダードとはもう全く新鮮な言葉ではない(彼ら「左翼」には当然の、染みついた感覚なのだ)。興味深く思うのは、上に出てくる団体のうち九条の会(映画人九条の会)・日本ジャーナリスト会議は、映画「靖国」の上映を妨害したとして(政治的圧力をかけたとして)稲田朋美に対して抗議文を送った団体だ、ということだ。直接には九条・「平和」に関係がなさそうな事案には(とくに朝日新聞のガセ=捏造報道を信じて)すみやかに抗議文を送りつけておいて、一方では「平和」(と人権)に直接かつ現実的に関係しているチベット(人)問題には3/19の時点で(今回の「弾圧」は3/10~)何ら反応していないとは?!!
 九条の会(映画人九条の会)・日本ジャーナリスト会議の(たぶん事務局を握っている者たちの)おサトが知れる、とはこのことだろう。
 なぜ、<左翼>はチベット(人)に冷たく、中国(中国共産党)に甘いのか。上の佐々木俊尚論考によると、弁護士・河内謙策の「苦言」に対しては3種の反応があり、一つは、<日本はかつて中国に悪いことをしたから、大きなことを言えない。日本自身の過去の真摯な反省が必要>との旨だったとか。これは、しかし、北朝鮮による拉致をかつての戦時中の朝鮮人「強制連行」によって<相殺>しようとした辻元清美の議論と同様の詭弁だ。日本の<左翼>平和諸団体自身は<真摯に反省しているなら>良心の咎めを感じることなく堂々と<侵略>と<人権侵害>を批判すればいいではないか。日本「国家」や政府に<真摯な反省>が足りないから、という理屈も成り立たない。これらの団体は「国家」・政府からの「自由」・自立をこそ謳っている筈で、日本国・政府をこの場合に持ち出すのは卑劣であり「甘えて」いる。
 やはり第一に、社会主義・共産主義<幻想>がまだ残っていると思われる。上記のような団体の、とくに幹部活動家たちは、今なお、日本よりも中国共産党に親しみを感じるのではなかろうか。日本共産党の不破哲三は社会主義・中国の「経済的発展」をいたく喜び、さらなる発展・成長を期待していたし、立花隆は、はっきり言って<まんがチック>だが、先年の反日暴動を日本の60年安保の時期の「ナショナリズム」高揚になぞらえ、北京五輪開催を日本の東京五輪開催の時代に相応するものと捉えていた(北京五輪後にさらに中国は経済成長し、世界の「経済」大国にもなる、と彼は予想する!)。
 第二に、<幻想>・<憧れ>というよりもむしろ逆に、中国、正確には中国共産党が<怖い>のではなかろうか。将来において日本が中華人民共和国日本省となり日本人が日本(大和)「族」と呼ばれるようになる日のくることを想定して今から忠誠に励んでおく、という人は少ないかもしれないが、ひょっとすればいるかもしれない。また、中国共産党は日本国内にも当然にそのネットワークを持っているので、有形・無形の「圧力」を受けている可能性はある。
 さらに、「政治謀略」朝日新聞や朝日系文化人・知識人の中には、中国での歓待等の「供応」によって、中国に対して厳しいことを言えなくなるメンタリティを形成されてしまった者がいるに違いない本多勝一は南京大虐殺記念館から特別功労章を貰った。大江健三郎は中国で歓待付きの「講演」旅行をした。立花隆は北京大学で「講義」をさせてもらった。こうした<親中国日本人>養成を中国共産党は系統的に行っているように見える。そして中には、中国共産党に<弱味を握られた>朝日新聞関係者や朝日系文化人・知識人もきっといるだろう。
 このブログがターゲットにされることはないだろうが、中国、中国共産党、マルクス主義(を標榜する)者は、真実の意味で、<怖い>。むろんマスメディアがそれに屈すれば、政治謀略新聞・朝日の若宮啓文が好んで自己規定する「ジャーナリスト」ではもはやない。

0478/朝日新聞・若宮啓文の駄文、産経新聞・武田徹の「サヨク」・反日文。

 (2008年)4月の何日かは特定できないが、朝日新聞紙上で若宮啓文が「風考計」コラムを再開させて、何やら書いている(日付を特定できないのは、切り抜きのコピーでそこには日付が含まれていないため)。
 社説2つ分(従って一日の社説欄)以上の字数を使っていると思うが、「アジアの頼れる受け皿に/地図に見る日本」との大文字のあるこの文章で、若宮啓文はいったい何が言いたいのだろう。趣旨不明のこんな文を月に一つ二つだけ(?)書いて多額の収入が得られるのなら、結構なご身分だ。
 真面目に印象を書いているが、本当に趣旨がつかめない。アジアの地図を逆に見ると日本が「ふた」のようだが、改めて正しく見ると「アジアを支える」「お皿」のようだ、というのがタイトルの由来?らしい。だが、そもそも<アジアの受け皿>とは何の意味か? いちおうは何やら書いてはいるが、言葉又は観念の遊びの文章の羅列だ。
 むしろ、かつて「アジア支配に野望を燃やした」、「台湾や朝鮮を植民地とし」などと簡単に書いているのが若宮らしいし、何となく、日本が「四方に後遺症を抱えた国」であるために現在の周辺諸国との間の懸案もうまく解決できない(つまり今日の諸問題の責任は日本にある)のだ、と言いたいようにも読める。
 「やれやれ…である」、「悩ましき外交である」等とだけ書いて、具体的かつ現実的な解決方途を展開しているわけではない。こんな駄文を頻繁に読まされる朝日新聞の読者は気の毒だ。
 唖然とするのは、産経新聞4/24の「ジャーナリスト」武田徹のコラム(「複眼鏡」)も同様だ。但し、こちらは若宮コラムと違って、趣旨は比較的によく解る。問題は、この、<哲学的新左翼>で<フーコーの言説を引用できる>らしい武田徹の書く内容だ。
 重要ポイントの全文を引用したいし、すべきかもしれないが、二点を要約させていただくと、次のとおりだ。
 1.<「チベット問題の遠因は、実は日本にあるという説」がある。それによると、日清戦争での日本勝利→清国での「国民国家的統一を目指せ」との「ナショナリズム」発生→蒋介石・中華民国や毛沢東・共産中国への継承→「チベット同化政策」という連関があり、最後のものは結局(日本が火をつけた)「ナショナリズムの産物」だ。>
 これは風が吹けば…の類の妄言だろう。そもそも「説がある」とだけ書いて誰の説かも明らかにしていないが、その説に武田は同調的だ。
 疑問はただちに、いくつも出てくる。すなわち、「国民国家的統一」の範囲・対象に民族・宗教・文化等の異なるチベットを何故含めなければならないのか? あったのは「統一」ではなく、<膨張>であり<侵略>ではなかったのか?  かりに日清戦争で日本が敗北していたら、現在のチベットは中国の一部になっていなかったのか? 現在もネパールで<間接侵略>をしているが、ベトナムやインドと戦争を実際にしたりして領土拡張志向を示したのは、日清戦争とは無関係に、1949年に政権を奪取した中国共産党の方針そのものではないか?。
 2.<「今でも親日家の多い台湾は、日本の植民地経営が珍しくうまくいっていた」と評価されることがあるが、それは、「『精神の征服』まで果たされた結果だったのかもしれない」。
 まさに<そこまで言うか>という感想が生じる内容だ。「植民地」(という概念自体に疑問をもつが便宜的に使う)の経営がうまくいかなかったとすればそれはそれで批判し、うまくいけば「精神の征服」まで果たした、とこれまた自虐的に日本を批判しているのだ。台湾の人々はこの文章を読んでどう感じるだろうか。李登輝元総統は、日本に「精神の征服」をされた代表的人物なのだろう、武田から見ると。
 以上のようなことを書きつつ、最後に武田はこういう。-「チベット問題は…だろう。だが、その一方で、翻って自分の『国』がどのように作られてきたか、周辺諸国にどのように働きかけてきたか、この機会にそれを省みることにも意味がある」。
 武田徹は中国(「共産中国」)に対する批判を一切しない。逆に、チベット問題の遠因は日本にあるとの「説」に実質的に同調し、「この機会に」自国=日本の行動を「省みる」ことに意味がある、と主張している。
 このような、何かに「精神の征服」をされたとしか思われない内容は、上に偶々取り上げた若宮啓文のコラムとも通底する所があるようであり、朝日新聞に掲載されていたら、奇妙に思わないかもしれない。
 だが、なぜ、こんな<親中国的・反日的・自虐的>な内容の文章が産経新聞に載っているのだろうか。産経は「この機会に」じっくりと「省みて」=反省していただきたい。
 なお、武田徹のコラムに言及したものとして、以下も参照。→ http://akiz-e.iza.ne.jp/blog/entry/370928/ 

0447/朝日新聞社説と「愛国心」教育と佐伯啓思の新著。

 月刊正論5月号(産経新聞社)の石川水穂「マスコミ照魔鏡」によると、朝日新聞は新学習指導要領発表翌日の2/16社説で、「道徳心を子どもに教えることは必要だが、特定の価値観を画一的に押しつけるようになっては困る」と書いたらしい(p.188)。毎日新聞も同旨だったようだ。
 この問題はむろん、改正教育基本法が「我が国と郷土を愛する」態度の涵養を教育目標として掲げたことに関係している。
 朝日新聞社説は、やはりおかしい。というのは、簡単にいって<愛国心>教育を「特定の価値観」というのなら、朝日新聞もそれに反対する<特定の価値観>をもっている筈だろう。何度も言及するが、先日までの論説主幹・若宮啓文は<ナショナリズムに反対>という<特定の価値観>をもっていることを公言していたのだ。
 自らは「特定の価値観」をもち、それに基づいて社説や記事等を書きながら、「特定の価値観」(の「画一的…押しつけ」)に反対するのは論理一貫しているだろうか。何らかの「特定の価値観」に反対しているだけで、自らが支持する「特定の価値観」についてならば、<積極的に教育することが大切だ>などと平然とのたまうのが朝日新聞ではないか(「ご都合主義」、ダブル・スタンダード)。
 上の点を、前回に言及した、佐伯啓思・日本の愛国心(NTT出版、2008)は明瞭かつ見事に述べて、「愛国心教育」を批判する「左翼・進歩派」の論拠のなさを衝いている。以下のとおり。
 「左翼・進歩派」の批判の主眼(第一)は<「心」を教育できないし、すべきでもない>ということにあるが、この批判は「あまり意味がない」。①「改正基本法が唱えている」のは<「心」の教育>ではなく、<「国や郷土を思う心の大切さ」を教えること>だ。②<「左翼・進歩派」も「自由や民主主義の精神」の涵養は教育の役割と主張してきた。まさに「自由や民主主義を大切に思う心」を教育せよ、と言ってきたのだ。「…心」は教育できない、というのでは「筋が通らない」。(p.112-3)
 「左翼・進歩派」の主張の第二は<「愛国心を上から押し付ける」のは間違い、ということだ。だが、彼らも「自由・民主主義・平和主義といった普遍的価値の押し付け」は「正しい」と考えてきたのではないか。だとすると「愛国心という価値の押し付け」間違い論が成立するのは「それほど容易ではない」。(p.114-5) 
 上の朝日新聞社説でも「特定の価値観を画一的に押しつけるようにな」ることに反対していた。上の二点はいずれも、この社説に対する批判・反駁にもなっているだろう。
 こんな論理的な分析も、朝日新聞の社説執筆者は理解できないのかもしれない。「国家」というものを無視したい、又は悪者視したい彼らにとって、「愛国心」やその教育に対して、理屈抜きで、感覚的に嫌悪を覚えているだけの可能性もある。<論理的思考の停止>状態にあるのだ。
 あるいは、「自由・民主主義・平和主義」と「愛国(または愛郷)主義」とは異質で同列に論じられない、とでも主張するだろうか。だが、「愛国(または愛郷)主義」を異質だと感じるその感覚こそが、「特定の価値観」にもとづいていることを知らなければならない。

0436/月刊WiLL5月号(ワック)に見る最近の朝日新聞。

 月刊WiLL5月号(ワック)には、朝日新聞を主対象とする記事(論稿)が三つもある。
 1.海上自衛隊イージス艦漁船衝突事故について、さぞや朝日新聞は大きくかつ自衛隊に厳しく報道しているだろうと思っていたが、山際澄夫「イージス艦事故があぶりだす朝日と福田は似たもの同士」(p.208)によると、想像以上だ。
 すなわち、事故発生を伝えた2/19夕刊から27日頃まで「数日を除いて連日のように朝夕刊トップという、それこそ洪水のような」報道を続けた、という(p.210)。もとより初めから自衛隊側を「悪者」扱いで、日本共産党・志位和夫と同じく「自衛隊を悪魔視して国民と対立」させようとしている(p.212)。
 想像以上だが、朝日新聞のことだから分からなくはない。よく分からないのは、紹介・引用されている2/22社説の一部だ-「海上自衛隊が目の前の漁船すらよけられないのなら、どうやって日本を守るのか」(p.211)。
 朝日新聞(社)は本当に自衛隊に「日本を守る」ことを期待しているのだろうか(このことを前提として上の文がある筈だが)。それにしては、山際によると、自衛隊に対する「敬意」がない文章表現で、むしろ「嘲弄」の感がある(p.211-212)。

 こんな文章を綴っていると精神衛生に悪い。朝日新聞のような新聞のない地域・国へ行きたくなる。
 2.本郷美則「今月の朝日新聞・第14回」(p.140-)は、若宮啓文論説主幹が4/01付で退任、同社コラムニストになるということから、若宮の社内での<出世街道>?の経緯を中心に書いている。
 「朝日新聞社コラムニスト」とは何のことやらよくは解らないが、定年後も朝日の紙面に登場し、朝日新聞社から金を貰い続けるわけだ。本郷は若宮の<有名な>記事をいくつか取り上げている。本欄でいく度か言及した、<ジャーナリズムはナショナリズムの道具じゃないんだ>(コラム・風考計)もけっこう重要な名?文なので、紹介してほしかった。
 ところで、本郷によると、キャノン・御手洗富士夫と朝日新聞が1年半”冷戦”状態で、キャノンは朝日新聞への広告出稿を絞ったらしい(全面広告が2006年は36本、2007年は7本、2008年は若宮退任報道後に最初の1本)。
 恥ずかしくも、”冷戦”の原因も含めて知らなかったのだが、キャノンは勇気がある。立派だ(関係ないが、わがプリンタは歴代、キャノンだ)。「1本数千万円」の広告減収をもたらすのだから、朝日新聞を気嫌う経営者たちは、朝日新聞に広告を出すな、と呼びかけたいものだ。同じことは、朝日新聞系のテレビ放送局や(毎日系の)TBSへの広告フィルム(CF)の掲出についても言える。
 テレビ朝日にせよTBSにせよ、あれだけヒドい報道ぶりをしたり、ときどきは目立った<事件>も起こしているのに、何故に所謂コマーシャルが減らないのだろうか、と不思議に思っている。言葉による精神的・理念的な批判よりも、経営基盤自体にかかわる広告取り止めの方を(広告収入に大きく依存している)マスメディアは実際には懼れているはずなのだが…。
 3.創刊号から連載の勝谷誠彦「あっぱれ!築地をどり」(p.130-)は、イージス艦事故によって朝日新聞が「盆と正月が一度に来たような大騒ぎ」、「築地をどり」は「大臨時興行」、「いやもうはしゃぐことはしゃぐこと」と皮肉っている。
 また、勝谷によると、朝日新聞内の「天声人語」子と「素粒子」子は「宿命のライバル」で、上の事故に関して俳人<所作>や「駄洒落の所作」を競い合っているらしい。
 勝谷誠彦は、この程度の短い文章(2頁程度)だと、なかなか冴える。
 再度いうが、朝日新聞に関して何か書くのは、なぜか鬱陶しい。しかし、ときどきは触れないわけにはいかない。

0414/「ナショナリズム」に関する佐伯啓思の短い叙述。

 佐伯啓思・現代日本のイデオロギー(講談社)を読んでいる。掲載してメモ化しておきたい整理が一点出てきたが、その前に、「ナショナリズム」に関する論述を要約して記す。
 朝日新聞・若宮啓文は<ジャーナリズムはナショナリズムの道具じゃないんだ>と言い放った。「ナショナリズム」の箇所に「左翼リベラリズム」・「進歩主義」・「地球市民主義」等のいずれを挿入してもよい筈なのだが、彼はなぜか、「ナショナリズム」だけを持ち出して、その<道具じゃないんだ>と書いたのだ。この若宮啓文は佐伯著をじっくりと読むがよい。
 佐伯は上の本のp.275-6で、次のように述べる。
 1.「国家」とは「ひとつの主権をもつ政治社会」という一つの事実をいう。「ナショナリズム」と呼ばれるものは(「国家主義」ではなく)「国民主義」で、「国民形成についてのイデオロギーや神話を含み」もつ。国民は「言語、文化、価値観を共有した集団」だというのは「神話」で、ルナンが言う如く、「国民」を作り上げるのは「国民であろうとする」「日々の国民投票」だ。それ以上の「国民」観念はフィクションだが、「国民国家」成立のためには何らかのフィクションが必要だった。
 2.「国民」は自生的には形成されず、「主権国家」の形成とともに又はその後で作られたフィクションだ。だが、どのようにしてこのフィクションが作られるかは「国と歴史状況によって」大きく異なる。「同質性」と「多様性」のいずれを強調するかも「状況によって異なっている」。だから、「かりに『国民』というフィクションを固定化したものとして強調するナショナリズムが危険かどうかも、実は、状況によって異なっている」。「ナショナリズム一般が常に危険極まりないなどということは言えないはず」だ。
 前段に少しわかりにくい箇所はあるが、「ナショナリズム」に関する至極常識的な論述ではないか。
 朝日新聞・若宮啓文は、「ナショナリズム」に「国家」の蔭を見て、「戦後日本の知識人の良心と見なされた」「反国家主義」(p.258)の立場又は「隠された」イデオロギーにもとづいて上のような反「ナショナリズム」の言辞を吐いたのだろう。佐伯啓思が指摘するとおり、「反国家主義」・「反権力主義」は<戦後民主主義>思潮の重要な内容だった。

0382/1/14成人の日の朝・読・産三紙社説比べ。

 明日からの新サイト「あらたにす」で、日経・読売・朝日三紙の社説等が読み比べられるらしい(ますます読売を定期購読する必要はなくなった)。
 これを記念して?、日経の代わりに産経を入れて、今年1月14日の成人の日関係の三紙社説を比べてみた。
 結論は、朝日1、読売6、産経8(10点満点、6点以上合格)。
 朝日社説は、恥ずかしいと思わないのか、と言いたいほどヒドい。<手抜き>社説の最たるもの。
 他人(谷川俊太郎)の文(・詩)を引用・紹介して字数を稼ぎつつ執筆の苦労を削減するのは<築地をどり>の流儀かもしれぬが、この社説で主張しているのは、大げさな「そこで、一つ提案をしたい」との前口上の後の、「大人になったら、ぜひ自分の力で考え、自分の足で立ってみよう」、ということだけだ。
 「考えをめぐらすなかで、他人の意見に耳を傾けてもいい。でも、その発言をただうのみにするのではなく、「自分はどう思うか」と一歩立ち止まって考える。そんなくせを、まずはつけたい」とも書いているが、こんなことを全国紙の社説が何故書かなければならないのか。どこかの中学校・高校の平凡な校長が卒業式にでも生徒に語っているような内容だ。
 しかも、「「えらそうに」と反発されそうだ。それでもあえてこの一文を書いたのは、いまだに自分自身が心もとないからだ。長いこと大人をやっているが、自分で考え抜くことがどれほどあったか。自分の意見と思っていることが、実は他人の受け売りではなかったか。/そうした自戒を込めつつ、…」と社説子自身が畏まっているのだから、説得力ないこと夥しい。
 もっとも、「長いこと大人をやっているが、自分で考え抜くことがどれほどあったか。自分の意見と思っていることが、実は他人の受け売りではなかったか」というのは朝日新聞の記者としての本音と実態かもしれず、そうだとすると<貴重な告白>ではある。
 前回に言及の座談会で朝日・若宮啓文(論説主幹)は「議論を通して社説を作っていく。議論が割れるとか判断が難しいときは、最終的に論説主幹の責任で断を下す…」と言っている。上のような程度の社説でよく議論がまとまり、あるいは若宮主幹の「断」が下ったものだ、とじつに感じ入る次第だ。
 ほとんど無内容の朝日に比べて、産経の社説(主張)は読ませる。格調も高く、衝いているポイントが鋭い。
 まず朝日が触れてもいない統計数字(新成人135万人等)への言及がある(読売にもある)。
 その数字が戦後最低で、「少子化」時代を実感する旨の指摘もある。この程度のことすら、朝日は触れていないのだ(読売は、新成人をめぐる歴史的・社会的環境については産経よりも詳しい)。
 産経社説の(読売とも違う)特徴はそのあとにある。次のように言う。
 かつては「大人になるためには自我の確立が欠かせないこと」で、イエ・ムラ・セケンがともすれば「自我を押しつぶす圧力と感じられる」こともあったが、それらとの「葛藤を経験する」ことが「自我を鍛えた側面もあった」。
 「しかし、今や自我を抑圧する外的圧力は総じて力が衰えた個人を尊重するあまり、家族がめいめい起きたいときに起きて、食べたいときに食べるという生活習慣を身に付けた青年も珍しくなくなった。自由すぎて葛藤する機会もないのが実情ではないか」。
 こんな環境では「本当の自我」ではない「子供のような肥大した自我」が形成されてしまう。
 「大人になるということは、自我を他者に映し出す技術に他ならない。そうして客観的に自我を把握するのである」。それは他人の喜びと悲しみを自分のものにできる心を育てるだろう。「子供サイズの自我の殻を破って、…大人サイズの自我を確立してほしい」。
 朝日社説が「成人の日に―「KY」といわれてもいい」とのタイトルだったのに対して、こちらは「大人サイズの自我確立を」。どちらがより優れた社説であるかは一目瞭然だろう。
 1/30の書き込みで佐伯啓思の<家族・村落共同体からの「個人」の解放は進展しすぎているほどで、一方、「自我の確立した主体的個人」が出現してはおらず、「「近代的自我」なるものは衰弱している」>との叙述を紹介した。産経社説のいう<イエ・ムラ・セケン>は「共同体」であり、同社説の指摘するとおり、「共同体」の「外的圧力」が「衰えた」ことにより、あるいは<個人を尊重するあまり>、あるいは<自由すぎて葛藤する機会もない>ためにこそ、以下は佐伯著から引用すれば、「自我の確立した主体的個人」は出現せず、「「近代的自我」なるものは衰弱している」のであり、このことは新成人にも当然のごとくあてはまっているのではないだろうか。
 「団塊」世代は大人数がひしめき合っていたために、また、家族や地域(・学校)がそれなりにまだ機能していたために、今の若者とは異なる<自我>形成環境にあっただろう。こうした世代間比較を考えさせる点に論及している産経社説は、なかなか鋭い観点をもっていると感じた。
 むろんより専門的な研究・検討は必要なのだろう。「戦後民主主義」教育のみを受けた者を両親とする、そして右肩上がりの経済成長を経験したことがない若者が大人になり、社会人となっていく。異なる<時代感覚>と<自我>をもつ者たちによって今後の日本は担われていく…。こんなことを感じさせる産経社説だった。一方、朝日社説からは、時代も歴史も何も感じ取ることはできない。10年前、20年前でも通じるようなことを書いていたのが、朝日新聞1/14の社説だった。
 読売新聞についての仔細は省略する。/2回続けて、朝日新聞批判となった。

0381/朝日新聞における「個人」と国家・公共。

 いつ何でであったか、近年に、「国家主義」という言葉を、当然に非難されるべき、悪い「主義」・考え方であることを前提として、何の定義も説明もなく使っている文章を読んだことがあった。「個人」を抑圧・弾圧する「国家」の方を重視する考え方、とでも理解されていたのだろうか。
 だが、むろん、きちんと定義され、説明されないと、「国家主義」なるものをどう評価すべきかは判りはしない。
 偶々月刊現代1月号(講談社、2007.12)をめくって田原総一朗の原稿を見ていたら、冒頭で次のような一文に出くわした。-2006年12月15日に新教育基本法が成立したとき(安倍前首相が国会で成立させたとき)、翌16日の朝日新聞は「『個』から『公』重視へ-国家色強まる恐れ」という見出しをつけて新教育基本法に批判的だった(p.228)
 朝日新聞によると、「『個』から『公』重視へ」が、あるいは「国家色強まる」ことが、すでにそれ自体で批判の対象になるようだ。あるいはこういうレッテルを貼ることで批判を合理化できる、と考えているようだ。
 ここには、「国家」や「公」の介入を受けない自立的『個』人の<自由>の尊重、という戦後日本を支配してきた教条的な個人・国家観がしぶとく21世紀になっても生き残っていることを、確認することができるだろう。
 時代により、状況により、個人と公共・国家のあるべき関係は一様ではない。「国家色強まる」ことが一概に悪いことだと言えるはずもない。朝日新聞は、「国家主義」=悪だという、教条的・単純(かつ幼稚)な「主義」を牢固として維持しているのだろう。
 なお、説明は省くが、「国家」を掘り崩し、骨抜きにしている「主義」には、<個人主義>と<グローバリズム>とがある。朝日新聞の<地球市民主義>は後者の一つ又は亜流で、この二つでもって、朝日新聞は日本「国家」を弱体化させようとしている、というのが私の見方だ。
 話題を変える。今日1/31の読売朝刊には、明日からの統合インターネットニュースの開始を前に、新聞三紙の論説主幹(委員長)の対談が掲載されている。
 竹島をいっそ韓国に譲ったら、とか、新聞はナショナリズム(国家主義?)の道具じゃないんだ、とか叫んだことでおなじみの朝日論説主幹・若宮啓文は、次回の衆議院選挙で冷戦崩壊後の20年の「総決算して、次の秩序に向けた大きな節目」にすべきだと発言している。
 よく分からないのは、朝日・若宮が想定する「次の秩序」とはいかなるものかだ。国会の政党構成の新編成に限ってなのか、国家・社会全体を含む「秩序」なのかも明確ではないが、いずれにせよ、朝日新聞は、将来の日本のあるべき姿とは隔たったところで、<安倍晋三的>あるいは<ナショナリズム的>な動向を(ときには「アサヒって」)その都度潰そうとしつつ、適当に口先だけで綺麗事を言って、経済的利益を稼いで生きていくつもりの新聞社のように見える(将来の日本像が明確でないのは自民党も同様だが、民主党の方がより甚だしい。朝日新聞は民主党レベルかそれ以下だろう)。
 久しぶりに朝日新聞批判を書いた。

0362/朝日新聞-日本共産党とともに陰鬱にさせる最たるもの。

 朝日新聞若宮啓文が<ジャーナリズムはナショナリズムの道具じゃないんだ>との奇妙な叫び声を紙上に載せたのはほぼ一年前だった(2006年の12/25)。
 これについて、全文を紹介をしつつすでにコメントしたことがある。
 自分の文ながら、一部を引用すると、「日本人ではない「無国籍」者であることの宣言だ」。この「言明が適切だとしても、次のようにも語って貰いたい。『ジャーナリズムは左翼運動の道具ではないのだ』、『マルクス主義及びその亜流の道具ではないのだ』、『空想的・観念的平和主義の道具ではないのだ』、『国家を忘れた地球環境主義の道具ではないのだ』、『フェミニズム(又はジェンダー・フリー運動)の道具ではないのだ』。これらのどこに誤りがあるだろうか。若宮さんは、何故、なぜ「ナショナリズム」のみを問題にするのか。返答できるなら返答してみなさい」。
 むろん返答はなく、若宮啓文らはその後、安倍「右派」政権打倒のために狂奔した。
 さて、山際澄夫・これでも朝日新聞を読みますか?(ワック、2007.12)。
 読了はしていないが、たぶんほとんどのことは知っており、かつほとんどの指摘・主張に異論はないだろう。
 まえがきp.2にこうある。
 「全面講和論の主張に始まって、非武装中立、日米安保反対、毛沢東の文化大革命礼賛、湾岸戦争時への後方支援妨害、自衛隊のPKO派遣反対、教科書改ざん協力、靖国参拝の政治問題化、北朝鮮拉致の無視――等々、戦後のマスメディアの誤謬を一社で代表してきた観さえある」。
 月刊Will2008年2月号(2007.12発売)の本郷美則による朝日ウォッチの連載記事にはこうある(p.141)。
 「…「ねじれ国会」によって国際公約を頓挫させ、国会に機能不全をもたらした」のは、戦後「レジームの恩恵を貪って、数多の利権をほしいままにしてきた新聞界と役人集団」、そして「国外では、日本の弱体化をしつこく画策している『ネオコミンテルン』の勢力」だ。
 「人権を顧みぬ全体主義と、独裁が支えの『革命』を夢見続けて、特定の国際勢力に呼応し、読者を誤らせてきた朝日『社説』の罪は極めて重い」。
 そして、朝日新聞なるものが何故まだ存在しているのかと訝る気分はむろん強いが、こう書いていても空しい。
 こんな文章に影響をうける人は読者の中にはおらず、それでも朝日新聞を読みます、という人が世の中には数多(あまた)いるだろうことを考えると、歯がゆいというよりも、げんなりとなり、陰鬱になる。大江健三郎、佐高信、本多勝一、福島瑞穂、自民党の加藤某等々々々、熱心な朝日の読者はたくさんいるのだろう。こういう人たちが、今さら、山際澄夫や本郷美則等の言論の影響を受けるはずがない。
 日本国内に、したがって日本人の間に、大きな「国論」の対立、基本的考え方の違い、があることは歴然としている。この対立の中で、いずれかが勝利し、<安定>することは近い将来にあるのだろうか。
 朝日新聞が代表する「戦後民主主義」勢力の決定的勝利は、「日本」という国家を消失させる可能性がある。それは「日本」という独特の意味とも無関係に、主権を失って某国日本省に変わるという形で、「日本」国家を文字通り消滅させる可能性すらあるだろう(その場合、公用語は日本語ではなくなるだろう。あるいは、少なくとも別の言語が第一の公用語になるだろう)。
 このような戦慄すべき事態を想定しなくとも、大きな「国論」の対立・分裂が国家を弱体化させることがあることは、近代のアジアの某国を見ても明らかだ。
 対立も闘いもむろん必要な場合があるのだが、無駄な混乱と対立を通過する必要もない。一方の極に立って、空想的観念論によって国家・国政に、国民の間に、不毛な対立を持ち込んでいる(だ)のは、朝日新聞・とくにこの新聞社の歴代の政治記者たちではない(なかった)か。朝日新聞の言論、この新聞社の政治記者の動きこそ、日本を弱体化し外国の一部<不純>勢力を喜ばせることに(少なくとも客観的には)つながっていることに、もっと多数の人が気づく必要があるのだが……。

0321/朝日新聞の若宮啓文よ、喜べ。

 安倍首相辞職記者会見。生まれて初めて支持したいと考えた首相と内閣だっただけに残念だ。親共産主義・社会主義でないことはもちろん、親中国・親北朝鮮ではないことの明瞭な(つまり谷垣・加藤らではない)後継者が、安倍晋三の基本的理念を引き継ぐことを期待したい。また、安倍はまだ若いので、一有力政治家としての活躍と再起に期待する。
 朝日新聞の若宮啓文ら、そして北朝鮮・金正日は、勝利の雄叫びをあげているのではないか。朝日社内では今頃、祝杯を飲んでいるのだろう。
 今日に至ったのも、もともとは参院選の結果にあり、その結果をもたらした不可欠の要因は、<異様な>朝日新聞等の報道ぶりにあった。8月以降も<安倍憎し>で凝り固まった<安倍降ろし>の報道を続けたのは朝日だった。
 週刊朝日は、ふつうなら、「自民党惨敗(大敗)」との見出しでよさそうなところを、表紙に、安倍首相の顔の写真にかぶせて「安倍惨敗」と大きな見出しを打ったのだった。異様な反安倍報道は(政治家はこれを口が裂けても言わないようであるし、同業者も、花田紀凱等々の一部の勇気ある-といっても私にはふつうに思えるが-人々を除いては言及しない)後世の歴史に、マスコミの<腐敗>あるいは<犯罪>として記録されるだろう。
 朝日新聞が進めたい方向に進んだら、日本はおかしくなる。参院選の結果がすでにそうだったのだが、真剣に考えると、きわめて憂慮すべき事態だ。「日本」ははたして存続し得るのか?
 文明には、あるいは国家には、全世界史的に見ても、栄枯盛衰がある。日本は、1990年前後に国際・国内環境が質的に変化したことに気づかないままの視野狭窄症の者ばかりが政界や言論界・マスコミ界をリードしたために、<衰亡>の過程を着実にに歩んでいるのではないか。これを阻止することを安倍政権には期待したのだったが…。
 「日本」なんて、「(国民)国家」なんてどうでもよい、個人の尊厳と「地球市民」であることの方が大切だ、と考えている朝日新聞の要職にあるような人々には、何も言うことはない。<マスコミはナショナリズムの道具ではないのだ>と叫びながら、「日本」と「日本国家」が弱体化し消失していくのを、喜んで眺めていたまえ。
 ところで、コミュニズムを支持しているわけではないが、自民党の(これまでの基本的な)安倍政権の方向・理念にも反対する、という塊として存在する潮流を、何と称し、どう性格づければいいのだろう。
 八木秀次・日本を愛する者が自覚すべきこと(PHP、2007)は「フランクフルト学派」と言っている。又は、これの強い影響を指摘している。産経9/03の正論欄で渡辺利夫は「ポストモダン思想」と称している。
 素人ながら筆者には、上の後者は広すぎ、前者は狭すぎるような気がする。だが、どちらにせよ、戦後レジームこそが、あるいは「日本国憲法」体制こそが生んだ思想・思潮・心性であることに間違いないだろう(単純ではないが、これに外国のポスト・マルクス主義思想が影響を与えているのだろう)。
 長くは書かない。産経9/01の正論欄で佐伯啓思は、参院選での安倍首相への逆風三つのうち一つを「サヨク的勢力」と称していた。正確には、「憲法改正論や教育改革論を回避して、問題を年金記録に矮小化しようとした『サヨク的勢力』。これにはサヨク的メディアだけではなく、民主党も含まれる」と書いていた。
 この「サヨク」を甘く見ていた、勢力減退気味の「サヨク」が反安倍の総抵抗をした、等々の分析を私はひととおりは読んでいる(逐一は紹介しない)。
 この「サヨク」あるいは「サヨク的勢力」はいったい、いかなる(たんに反-ではない、積極的な)主義・思想・理念を、いま、掲げているのか?。民主党のそれも含めて、私にはさっぱりわからないのである。

0312/安倍首相続投と世論-朝日新聞の策略は完遂ならず。

 安倍首相続投に関する各社の世論調査の結果を、産経・阿比留瑠比の8/01ブログが紹介しており、全紙を読まない(読めない)者にとっては有り難く、有益だ。
 それによると、支持(評価)する・支持(評価)しないの順での%は次のとおり。
 読売-44%・45%。
 東京-44%・50%(コンマ以下四捨五入)。
 朝日-40%・47%。
 日経-36%・50%。
 自民党支持者に限っての続投支持率は、読売で74%、朝日で77%、日経73%
 テレビでは続投疑問視のコメントが完全な多数派の印象だったし、朝日新聞の社説は「安倍続投・国民はあぜんとしている」とのタイトルまで打ったのだが、阿比留も指摘するように、世論は続投批判が多数派では必ずしもない。少なくとも大多数派ではない。
 朝日新聞は上の数字に関しては特段の見出しをつけなかったようだが、きっとガッカリしているだろう。30%対70%、悪くても40%対60%くらいの数字が出るだろうと想定(期待)していたのではないか。不支持が47%では、「過半数が…」との大きな見出しをつけるわけにもいかない。残念ながら、朝日新聞・若宮啓文らの<策略>は、最終的には挫折した。彼らは最終目的を達成することはできなかった。
 そして朝日には、野党が過半数取っても国会は混乱せず大丈夫、むしろ「正常化」だ、などと社説でいったん書いた重みが今後のしかかることになるだろう。
 自民党支持者の数字もほぼ3/4が支持で、自民党支持者が安倍首相を決定的に見離しているわけでもない。
 これらの数字は、民主党に勝たせ過ぎたという感想にもよるのかもしれないが、自民党支持者に限らず、(朝日新聞にとっては極めて残念なことだろうが)もともと安倍首相に自民党敗北の責任の過半があるとほぼ一致しては考えられていない、そういう印象は大多数にはもたれていない、ということを示しているのではなかろうか。
 だが、上の数字のような世論の「空気」を自分は「読め」ず、安倍首相は空気を読めるか>と問題にしている新聞記者がいる。産経の、山本雄史という、政治部所属らしい記者だ。この人の書いていることはかなりの問題点を含むので、別に(本格的に)扱う。

0291/古森義久「朝日新聞の倒閣キャンペーンの異様さ」に寄せて。

 産経古森義久が氏のブログで7/11に、「朝日新聞の倒閣キャンペーンの異様さ」というタイトルで、その題のとおりのことを批判的に指摘している。
 朝日新聞の記事を全て読んでいないが、古森の感想・考えが正しいだろうことは容易に想像がつく。
 安倍内閣を支持している読売又は産経自体はどうなのかと問題をずらしている、又は公平に論じろとの旨の意見もあるようだが(読売は安倍内閣支持で明確なのか私には分からない)、それは、安倍晋三と朝日新聞の長い<敵対>関係を知らない無邪気な人だからこそ言えることだ。
 朝日新聞は、安倍が中川昭一等とともに若手の「保守派」の会である日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会の要職・事務局長を務めて以来(中川昭一が代表)、警戒すべき政治家だと注意を向け、事あらば批判し、政治的に打撃を与え、うまくいけば失墜させてやろう(政治生命を奪ってやろう)と考えてきた「左翼政治団体」だ。
 2005年になって4~5年前のできごとについて<政治家がNHKに圧力>という本田雅和ら執筆の虚報(捏造記事)を放ったのも、そうした<戦略>の一環だった。この件につき、安倍、中川およびNHK幹部にも毅然と反論されて窮地に陥ったのは、朝日新聞だった。
 その後この件について朝日新聞は訂正も謝罪もせずに勝手に<幕を引いて>いるが、朝日新聞の<挑戦>を堂々と受けて立ち、活字によっても朝日新聞を名指しで批判した安倍晋三は、朝日新聞の<私怨>の対象とすらなったのだ。 
 思い出すがよい。一年前、朝日新聞は安倍以外の者、例えば、福田康夫が自民党総裁→内閣総理大臣になるように必死の紙面づくりをし、福田の氏名を挙げて<さぁ、立て>とまでけしかけたのだった。今でもそうだが、当時も、加藤紘一のコメントを「愛用」したのは朝日新聞だった。(それにしても、加藤紘一は自分が属する政党の党首を「危ない」とか等々々々よくもまぁマスコミ上で批判できるものだ。いつも呆れている。日本共産党なら、即刻除名)。 
 その安倍は、今や内閣総理大臣になった。彼が朝日新聞発行の週刊誌(週刊朝日)の記事にでも敏感に反応するのは当然のことだ。一方、現在の朝日新聞が何とか<安倍退陣>まで持っていこうとの<戦略>を立て、個々の<戦術>を繰り出しているのも分かる。安倍関係になるととりわけ、朝日新聞は報道機関ではなく<政治団体>に姿を変える。
 朝日新聞には2000万人の読者がいるから影響は大きいだろう。また、もともと今回の選挙は自民党が議席を減少させることが容易に想定された選挙だった(6年前が勝ち過ぎだった)。だが、安倍首相が退陣を余儀なくさせられるほどに自民党を大敗させてはならない。朝日新聞の本田雅和、若宮啓文、元朝日の本多勝一、さらには週刊金曜日の佐高信、石坂啓らに<勝利の哄笑>をさせてはなせらない
 朝日新聞の紙面に問題があるなら(そうだと思うが)、産経新聞はその旨を紙面で堂々と批判すべきだ。一般常識のほか新聞倫理綱領等々に朝日新聞も拘束されているはずで、同業だから批判できないというのでは情けない。古森のブログのみでお茶を濁すような情けないことを産経新聞はするな、とむしろ言いたい。


0282/朝日7/12社説-「左翼政治団体」日刊機関紙の如く、ひどい。

 朝日新聞は、参院選の投票を前にして、いよいよ<狂気>じみてきているようだ。公示日7/12の社説については、すでに産経・古森義久が詳しい紹介・分析を掲載している。
 それによると(私も朝日の当該社説を見ているのだが)、朝日は今回の参院選を、1.<「宙に浮いたり、消えたり」の年金不信>、2.<閣僚に相次いて発覚した「政治とカネ」のスキャンダル>、3.<無神経な失言の連発>という、「逆風3点セット選挙」(又はたんに「年金選挙」・「年金記録信任選挙」)と理解しており、また国民にも理解してほしいようだ。
 なぜなら、そのように選挙を性格づければ安倍首相率いる自民党にマイナスになることは必至だからだ。上のような点の強調又は反復には、朝日新聞の<必死の想い・願望>が込められている、と言ってよいだろう。
 古森が前提としているように、また前回言及の佐伯啓思のコラムが述べていたように、争点はこんなところにはない筈だ。
 とはいえ、朝日社説はアリバイ的に他のことにも言及している。いわく、<同時に、この9か月に安倍政治がやったこと、やらなかったことを、その手法も含めて有権者がしっかりと評価するのが、この選挙の重要な目的であることを忘れてはならない>、<これからの日本の政治のあり方をめぐって重要な選択が問われていることを心にとめておこう。/安倍政治がめざす「戦後レジームからの脱却」か、小沢民主党がめざす政権交代可能な二大政党制か――。投票日までの18日間、しっかりと目を凝らしたい>。
 しかし、古森も指摘するように、「この9か月に安倍政治がやったこと、やらなかったこと」や「安倍政治がめざす「戦後レジームからの脱却」」については、まるで殆ど言及がないのだ。言及する場合には、「国民投票法など対決色の強い法律を、採決強行を連発しながらどんどん通していった。/教育再生や集団的自衛権の解釈などでいくつもの有識者会議をつくり、提言を急がせたりもしている」と、批判的・否定的にのみ言及する。
 古森指摘のとおり、「「安倍政治」を語るならば、当然、教育基本法の改正、憲法改正を目指しての国民投票法の成立、天下りを規制する公務員制度改革法の成立、防衛庁の省昇格、そして中国や韓国との関係改善、さらにはNATOとの初の首相レベルでの接触、インドやオーストラリアとの「民主主義の共通価値観」に基づく新連携などなどが、少なくとも言及されるべき」だ。
 朝日社説はまた、アリバイ的言辞を挿入していることもあって、論理をたどることがかなり困難だ。
 重要な選挙の告示日に、朝日新聞はこのような、安倍内閣に打撃を与えてほしいとの魂胆だけがミえみえの、論旨のわかりにくい、勿論格調の低い社説しか書けないのか。
 もちろん<左翼政治団体>の日刊機関紙だと公言してくれていればそれでよい。安倍批判をしたいがために<前のめり>になるのも分かる。しかし、報道機関たる天下の「新聞」の社説として、若宮啓文らは恥ずかしくないのだろうか。
 今、あらためてこの朝日社説を読んでみた。ひどい。これで700万部発行され、2000万人の眼に触れているとは、怖ろしい。心ある多数の国民の良識に期待するほかはない。

0123/5/06のサン・プロに朝日・若宮啓文登場-<文学少女>的。

 昨日のサンデー・プロジェクトは珍しく生で見た。読売、毎日、朝日の論説委員長・主幹の三人が登場して憲法改正問題を論じていたが、録画によって確かめてみると、最初の発言の機会の、朝日・若宮啓文の言葉はこうだった(質問者は田原総一朗)。
 「九条はそのままにしようということですから、九条に関しては護憲です。ただすべての憲法をこのままで何が何でもということではないという意味では、改憲ではないけど、何が何でも護憲というのではないかもしれないけど、しかし九条に関しては今の方がよい、こういうことです。」
 湾岸戦争のようなことが起きたとき、日本は参加するのか? 「平和安保基本法を作ろうという趣旨は、九条はやはり、日本の、きわめて特殊かもしれないけれど、世界に対するメッセージとして、こういう憲法を持ってるんだというのは、資産ではないか。これからいろんな意味で日本が世界のために、世界は大変ですよ、地球のためにいろんな分野で貢献していくうえで、やっぱり九条は持ってた方がよいと、それは国民の多数の意見にもかなうのでないか。
 とくにね、読売新聞もそうだし自民党の案もそうだけれど、九条を変えて自衛軍隊にしようというわけですね。軍隊を持つというのは、そりゃまぁ自衛隊はかなりね軍隊に実体は近いかもしれないけれども、あえて軍隊にしようというのはね、世論調査をやっても、かなり低いんですね。だから、さっき朝日新聞の調査で自衛、ごめんなさい、九条を改正してよいという人は33%ですね。33の中にもね、自衛軍にしたいという人も勿論います。いるけれども、今の自衛隊を九条に位置づけるくらいはいいじゃないか、その方が解りやすいという人もいるわけです。自衛隊はだいたい定着しているのだから。」
 「まぁそこのところはむつかしいところだけど、僕らの判断として、やはり九条はメッセージ性が強いから、このまま変えないでおいておこうと。その代わり、自衛隊の役割は、憲法の意も体して、こういうものだというようなものを基本法で作ったらいいんじゃないかと。」
 太田光の「憲法は世界遺産だ」を社説で取り上げたが、遺産だと思っている?-「遺産というともう終わっちゃった古びたものというんで、遺産という表現がいいかどうかわからないけど、しかし、戦争が終わったときに、日本人の多くも、もうこりごりだ戦争はと思った、アメリカはアメリカでもう日本にこういうことはさせまいと思った。そういうものが合致して、いわば押しつけだけじやなくてね、日本人の多くの意思と合致して、いわば共同で作った、そういう意味での奇跡だと言ってるわけね、彼は」。
 安倍さんたちは占領軍の押しつけだというが、そうじゃないと、占領軍の思惑もあるけれど、日本の側にもそういう熱い希望があった、と?
 「そうです。もちろん、占領軍の強い意思によって、原文が書かれたのは事実だけれども、日本人の多くがこれを非常にホッとして受け入れたわけですよ。そのことを忘れて、何か押しつけられたんだから、いつまでもこれを持っているのが占領体制の継続だというのは、僕はちょっと……。」
 のちの発言もとり上げるとより正確になるだろうが、これだけでも朝日新聞の見解はほぼ分かる。
 第一に、九条維持論の中には違憲の自衛隊を解体又は縮小して、九条という憲法規範に現実を合わせようという<積極的九条実現論>という立場がありうるが、朝日はこの立場ではない。
 朝日(若宮)は「自衛隊は…軍隊に実体は近いかもしれない」ことを肯定しており、「自衛隊はだいたい定着している」とも言っている。現状に大きな変更を加える意向ではないことは、樋口陽一長谷部恭男両教授の考え方と同じか近似している。
 にもかかわらず、九条は変えないと言っているのだから、自衛隊は憲法上の「軍隊」又は「戦力」ではないというウソを今後もつき続けましょう、というのが朝日の考え方だ。言葉の上だけは<日本は軍隊を持っていないのだ>と思って安心したい、又は自己満足したいのだろう。だが、再三書いているが、国家の基本問題について欺瞞を維持することは、国民の、とくに若い世代の規範意識、道徳観念を麻痺させ、損なってしまう。朝日は今後も「大ウソ」大行進の先頭に立つつもりのようだ。
 第二に、「九条はメッセージ性が強いから、このまま変えないでおいておこう」という言葉があるが、「メッセージ性が強い」とはいったいいかなる意味か。リアルな現実ではなく、雰囲気・イメージ・印象を問題にしているとしか思えない。
 また、世界の国々や人々が日本は九条二項を含む憲法を持っていることを知って、可愛いよい子だと頭を撫でてくれるというのか。そして恍惚としていたいのか。<文学少女>的嗜好は、いい加減にした方がよい。
 第三に、憲法制定時の日本人の意識につき太田光の考えも持ち出して何やら言っているが、正確ではない。
 すぐあとで読売の朝倉敏夫がかりに憲法制定過程の初期はそうだったとしても、それは現在に改憲を批判することの根拠にはならないと適切に批判していたが、それはともかく、憲法制定過程の知識が十分ではないようだ。
 1.多くの日本人が「戦争はもうこりごりだ」と思ったのは事実かもしれない。だが、多くの護憲論者には論理・概念のごまかしがあると思うのだが、多くの日本人が「もうこりごりだ」と思った「戦争」は「戦争」一般ではなく、「あのような戦争」、すなわち昭和に入って以降の特定の戦争の如き戦争のはずなのだ。日本語には定冠詞・不定冠詞というのがないのだが、日本人がコリゴリだと感じたのは、theが付いた、特定の「昭和戦争」の如き戦争だろう。冷静に考えて、自衛戦争を含む「正しい」戦争まで一般に毛嫌いしたのだ、とは考え難い。
 2.占領軍自体が、のちに九条(二項)を桎梏視し始めた、という経緯が語られていない。新憲法の審議過程ではまだ<冷戦>構造の構築は明瞭には見えなかったが、1947年に入るとそそろ見え始め、1949年の東西ドイツの分裂国家誕生、共産中国の誕生、1950年の朝鮮戦争開戦によって決定的になった。
 <戦争放棄>、元来の意味での九条二項の趣旨につき占領軍と多くの日本人が一致したとかりにしても、それはせいぜい1946年末までくらいだろう。
 立花隆は九条幣原喜重郎発案説に傾いているようだが、万が一かりにそうだったとしても、幣原以外の日本人は知らなかったとすれば、<日本人が提案した>との表現は誤りだろうと思われる。幣原が秘密に個人的に伝えたものにすぎない。
 占領軍は、1947年以降に<冷戦>構造が明確になるにつれて、日本に九条二項を「押しつけた」ことを、失敗だった、と反省し始めただろう、と私は思っている。そのような政策の失敗(社会主義国陣営の動向に関する見通しの甘さに起因する)を覆い隠すためにマッカーサーは米国に帰国後、九条は幣原が提案したと書き遺した(証言した?)のだと思われる。
 要するに、九条二項は、すみやかに占領軍と米国にとっても邪魔な条項になったのであり、占領軍と多くの日本人の意識が万が一合致したと言えるとかりにしても、それはほんの一時期にすぎない。本当に双方が強く合致していたなら、警察予備隊も保安隊も自衛隊も生まれなかっただろう。
 <夢>を語り得た「ロマンティックな」かつての一時期の存在を根拠に、現在の重要な判断を決しようとするのはきわめて愚かなことだ。
 テレビを観ていて、読売の朝倉主幹の落ち着き・自信と対照的に、朝日・若宮がややエキセントリックな雰囲気を示しつつ緊張している様子を十分に(私は)感じることができた。朝日・若宮は、自社又は自分の主張が、非現実的な、言葉に必要以上に拘泥する、半分は<夢想>の世界を生きている<文学少女>的なものであることを、心の奥底では自覚しているのではあるまいか。

0042/「団塊」世代のみが「隠れた世紀病」に罹ったのか-「正論」5月号・田中英道論文を読む。

 月刊正論5月号(産経)に田中英道「「68年世代」の危険な隠れマルクス主義-左翼思想に染まったのは日本の「団塊の世代」だけではない」がある。新聞広告にこのタイトルが載っていて、関心を持ち買って読んだ。
 日本の「団塊の世代」は「左翼思想に染まった」ことを前提とする副題が気になった。当時は大学進学率はたぶん約1/3で、大学生でなかった者、そして大学生でも少なくとも過半は(たぶん3/4は)、大学での「全共闘」運動を経験していないからだ。
 だが、一時期新しい教科書をつくる会々長だったという田中の主題は、「団塊」世代の厳密な分析ではなさそうだ。すなわち、大雑把に言って反権力・反(資本主義)体制ではマルクス主義と共通する(その意味で「隠れマルクス主義」の)、マルクーゼ(1898-1979)やハーバーマス(1929-)を代表とする所謂フランクフルト学派の論文・発言・行動の影響を受けて欧米でも「68年」頃に過激な学生運動があり、日本の「68年」を中心とする、「団塊」世代が担った全共闘運動もその一環だった、その意味で世界的な同一世代による社会変動がこの頃に起きた(そして社会はより悪くなっていった)、というのが最も主張したいことのように読める。
 それはそれで興味深いし、恥ずかし乍ら、ルーマンとやらの論争でも有名な(だが読んだことのない)ハーバーマスがフランクフルト学派に属することも初めて知った。だが、背景的な欧米の同時代の雰囲気は指摘のとおりだとしても、「全共闘」運動(又は「団塊」世代)とフランクフルト学派の関係については、そもそも「全共闘」運動は何だったか、どういう理論と組織に支えられていたのか、を含めて、もう少し実証的な叙述又は根拠が欲しい、という感じがする。
 また、この論文は「団塊」世代批判だ。かいつまんで紹介すると、この世代による「自由教育」が「寒々しい日本人とその家族を生み出した」、フランクフルト学派の影響も受けて、環境・男女同権・原発等々につき「反権威主義」という名の「破壊運動」を継続しており、「大学とかマス・メディアを支配している「団塊の世代」が、保守主義の傾向に、常に反対の態度」をとり、「贖罪観を、日本人に植え付けようとする動き」を支えているのもこの世代だ、「大学教員やマス・メディアに巣くうこうした運動」を注意深く見守り、阻止すべきだ、この世代の「隠れた世紀病」の克服は容易でない。
 省略しすぎの紹介だが、論証にはあまりに具体的・実証的・統計的根拠がなさすぎるだろう。殆ど何も示しておらず、田中の「直感」によるものと思われる。
 しかし、じつは半分は、私の直感も田中の見方を支持している。朝日新聞の若宮啓文は1948年生まれで、自ら「社会党支持だった」ことを雑誌上で明言しているくらいだから、田中の主張を裏付ける、恰好の、典型的な人物かもしれない。一方、支持できない、又は不十分だと思う残り半分は、つぎの点に関係する。
 第一に、「隠れた世紀病」あるいは「隠れマルクス主義」あるいは「反権威主義」という病に罹っているのは、日本においては「団塊の世代」だけだろうか。この著者を含む60年安保世代のある程度の部分も、田中はきっと健康だったのだろうが、すでに罹っていたと思われる。
 1960年に20歳になった人は1940年生れで、1945~1952年の「占領下」の教育を少なくとも部分的には経験しているのだ(その間に東京裁判があり「新」憲法施行もあった)。フランクフルト学派の動向などに関係なく、彼らが受けた、GHQ批判・日本の伝統擁護等々が許されない教育が<病原菌のない、正常な>ものだったとは思われない。また、その時期に日本のマルクス主義は復活しているのだ。
 第二に、「団塊」世代に全く責任がないとは言わないが、指導・煽動した別の世代が存在すると思われる、ということだ。「団塊」世代は完全に自分たちだけの力で67年~71年頃の全共闘運動等々を展開したのだろうか。使嗾し、誘引する、もっと年上の別の人たち又は世代がいたに違いない、と私は思っている。いつか触れた川上徹は1940年生まれの筈で「団塊」世代ではなく、日本共産党・民青同盟の側の指導者だった。中核派の北小路敏は生年を確認できないが、60年安保の際もブントに属して主流派全学連幹部として「活躍」したようで「団塊」世代ではなく、かつ67年~71年頃は革共同中核派の指導者で同派を通じて「全共闘」や「全闘委」にも影響を与えていただろう。東京大学全共闘の議長だった山本義隆は1941年生まれで、「団塊」世代ではない。
 私の印象では、それこそ相当に「直感」的だが、「団塊」世代、大まかには1952年生まれ(今年に55歳)辺りを下限として、それ以上の年齢の人々でおおよそ1928~29年生まれ(今年78~79歳)までの人々は、それ以下の世代よりも、「反権力」的信条あるいは「何となく左翼」の気分がより強い。
 きちんとした資料は示せないが、日本社会党又は(日本共産党を含む)「革新」勢力の支持者が最も多かったのは、日本社会党がなくなるまでの数十年間の世論調査の報道の記憶では、おおよそ「団塊」世代を含むそれ以上の世代だったように思うのだ。

0004/朝日新聞の若宮啓文さん、返答できるなら返答してみなさい。

 朝日新聞のサイトの「コラム」にはまだ、恥ずかしげもなく、2006年12月25日の若宮啓文・風考計「言論の覚悟・ナショナリズムの道具ではない」が載っている。
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 教育基本法に「愛国心」が盛り込まれ、防衛庁が「省」になることも決まった日の夜だった。
 「キミには愛国心がないね」
 学校の先生にそうしかられて、落第する夢を見た。
 いわく、首相の靖国神社参拝に反対し、中国や韓国に味方したな。
 卒業式で国旗掲揚や国歌斉唱に従わなかった教職員の処分を「やりすぎ」だと言って、かばったではないか。
 政府が応援するイラク戦争に反対し続け、自衛隊派遣にも異を唱えて隊員の動揺を誘うとは何事か。
 自衛隊官舎に反戦ビラを配った者が75日間も勾留(こうりゅう)されたのだから、よからぬ記事を全国に配った罪はもっと大きいぞ、とも言われた。「そんなばかな」と声を上げて目が覚めた。
 月に一度のこのコラムを書いて3年半。41回目の今日でひとまず店じまいとしたいのだが、思えばこの間、社説ともども、小泉前首相や安倍首相らに失礼を書き連ねた。夢でよかったが、世が世なら落第どころか逮捕もされていただろう。
 「戦争絶滅受合(うけあい)法案」というのを聞いたことがあるだろうか。
 条文を要約すれば、戦争の開始から10時間以内に、国家の元首(君主か大統領かを問わない)、その親族、首相や閣僚、国会議員らを「最下級の兵卒として召集し、出来るだけ早くこれを最前線に送り、敵の砲火の下に実戦に従わしむべし」というものだ。
 いまならまずブッシュ大統領に読んでもらいたいが、長谷川如是閑(にょぜかん)がこの法案を雑誌『我等(われら)』で書いたのは1929年のこと。第1次世界大戦からしばらくたち、再び世界がキナ臭くなり始めたころである。
 デンマークの陸軍大将が起草して各国に配ったという触れ込みだったが、それはカムフラージュの作り話。「元首」と「君主」は伏せ字にしてきわどく検閲をパスした。
 それより11年前、日本のシベリア出兵や米騒動をめぐって寺内正毅内閣と激しく対決した大阪朝日新聞は、しばしば「発売禁止」の処分を受けた。さらに政府糾弾の集会を報じたところ、記事にあった「白虹(はっこう)日を貫けり」の表現が皇室の尊厳を冒すとして筆者らが起訴され、新聞は廃刊の瀬戸際に立たされた。ついに大阪朝日は村山龍平社長らが辞職して謝罪し、政府に屈することになる。
 これが「白虹事件」である。かつて「天声人語」の筆者でもあった如是閑は、このとき大阪朝日の社会部長だった。言論の敗北に無念を抱きつつ退社して『我等』を創刊したのだ。
 こんな古い話を持ち出したのも、いま「言論の自由」のありがたみをつくづく思うからにほかならない。現代の世界でも「発禁」や「ジャーナリスト殺害」のニュースが珍しくない。
 しかし、では日本の言論はいま本当に自由なのか。そこには怪しい現実も横たわる。
 靖国参拝に反対した経済人や天皇発言を報じた新聞社が、火炎ビンで脅かされる。加藤紘一氏に至っては実家が放火されてしまった。言論の封圧をねらう卑劣な脅しである。
 気に入らない言論に、一方的な非難や罵詈雑言(ばりぞうごん)を浴びせる風潮もある。それにいたたまれず、つい発言を控える人々は少なくない。この国にも言論の「不自由」は漂っている。
 私はといえば、ある「夢想」が標的になった。竹島をめぐって日韓の争いが再燃していた折、このコラムで「いっそのこと島を韓国に譲ってしまったら、と夢想する」と書いた(05年3月27日)。島を「友情島」と呼ぶこととし、日韓新時代のシンボルにできないか、と夢見てのことである。
 だが、領土を譲るなどとは夢にも口にすべきでない。一部の雑誌やインターネット、街宣車のスピーカーなどでそう言われ、「国賊」「売国」「腹を切れ」などの言葉を浴びた。
 もとより波紋は覚悟の夢想だから批判はあって当然だが、「砂の一粒まで絶対に譲れないのが領土主権というもの」などと言われると疑問がわく。では100年ほど前、力ずくで日本に併合された韓国の主権はどうなのか。小さな無人島と違い、一つの国がのみ込まれた主権の問題はどうなのか。
 実は、私の夢想には陰の意図もあった。日本とはこんな言論も許される多様性の社会だと、韓国の人々に示したかったのだ。実際、記事には国内から多くの共感や激励も寄せられ、決して非難一色ではなかった。
 韓国ではこうはいかない。論争好きなこの国も、こと独島(竹島)となると一つになって燃えるからだ。
 そう思っていたら、最近、発想の軟らかな若手学者が出てきた。東大助教授の玄大松(ヒョン・デソン)氏は『領土ナショナリズムの誕生』(ミネルヴァ書房)で竹島をめぐる韓国の過剰なナショナリズムを戒め、世宗大教授の朴裕河(パク・ユハ)氏は『和解のために』(平凡社)で竹島の「共同統治」を唱えた。
 どちらも日韓双方の主張を公平に紹介・分析しているが、これが韓国でいかに勇気のいることか。新たな言論の登場に一つの希望を見たい。
 日本でも、外国の主張に耳を傾けるだけで「どこの国の新聞か」と言われることがある。冗談ではない。いくら日本の幸せを祈ろうと、新聞が身びいきばかりになり、狭い視野で国益を考えたらどうなるか。それは、かつて競うように軍国日本への愛国心をあおった新聞の、重い教訓ではないか。
 満州へ中国へと領土的野心を広げていく日本を戒め、「一切を棄つるの覚悟」を求め続けた石橋湛山の主張(東洋経済新報の社説)は、あの時代、「どこの国の新聞か」といわれた。だが、どちらが正しかったか。 
 最近では、イラク戦争の旗を振った米国のメディアが次々に反省を迫られた。笑って見てはいられない。
 だからこそ、自国のことも外国のことも、できるだけ自由な立場で論じたい。ジャーナリズムはナショナリズムの道具ではないのだ。
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 やはり若宮啓文という人は「おかしい」。こんな人が論説主幹の朝日も「おかしい」。教育基本法改正・防衛省設置法成立の日の夜、「キミには愛国心がないね」/学校の先生にそうしかられて、落第する夢を見た。」だと。-ウソを書くな。最低限の心得だろう。
 古い話を持ち出したあと言う。「では日本の言論はいま本当に自由なのか。そこには怪しい現実も横たわる。…気に入らない言論に、一方的な非難や罵詈雑言を浴びせる風潮もある。それにいたたまれず、つい発言を控える人々は少なくない。この国にも言論の「不自由」は漂っている」。-ヌケヌケと書いているが、朝日は「気に入らない言論に、一方的な非難や罵詈雑言」を浴びせたことはないのだろうか。朝日の論調のために「つい発言を控える人々」はいなかったのだろうか。そもそも歴史の捏造をし事実の虚報を放って「言論の「不自由」」以前の状態を作り出して、例えば慰安婦問題につき政府(河野)談話まで出させてしまったのはどの新聞社だったのか。若宮さん、恥を知りなさい。
 「100年ほど前、力ずくで日本に併合された韓国の主権…」。-平気でこんなことを簡単に書けるとは呆れる。若宮さん、歴史を勉強しなさい。竹島を「いっそ…韓国に譲ってしまったら、と夢想する」と書いた有名な(いや悪名高い)050327コラムを、韓国の某氏も「共同統治」を唱えたと言い訳するが、その人は韓国の大統領・首相・外交通商相それとも大手新聞論説主幹のうちいずれに含まれる人なのか。はっきりさせて貰いたい。一若手学者にすぎないではないか。
 ほぼ最後にこう言う。「自国のことも外国のことも、できるだけ自由な立場で論じたい。ジャーナリズムはナショナリズムの道具ではないのだ」。-この文に彼の真骨頂が表れている。日本人ではない「無国籍」者であることの宣言だ。かつ、ナショナリズムに一切の限定を付けずに自分=ジャーナリストは「ナショナリズムの道具ではない」という。これは、いかなる意味においても「ナショナリズム」には反対する、との宣言だろう。若宮さんはきっと北朝鮮拉致被害者家族会に何ら共鳴しない「冷酷」な人物に違いない。このコラム欄は今回で最後らしい。朝日新聞の減紙のきっかけが少なくなって、朝日には喜ばしいのではなかろうか。
 週刊新潮1/18号(新潮社)によると、若宮啓文さんは社長を狙っており、一方現秋山社長は若宮を切ると後任がさらに左派になる怖れがあり躊躇しているのだ、とか。恐るべし、いや驚くべき朝日だ。東京大学卒かつ長年の経験で、あの程度の文章しか書けない人物が、社長を狙えるとは!!
 万が一、上の「ジャーナリズムはナショナリズムの道具ではない」との言明が適切だとしても、次のようにも語って貰いたい。「ジャーナリズムは左翼運動の道具ではないのだ」、「マルクス主義及びその亜流の道具ではないのだ」、「空想的・観念的平和主義の道具ではないのだ」、「国家を忘れた地球環境主義の道具ではないのだ」、「フェミニズム(又はジェンダー・フリー運動)の道具ではないのだ」。これらのどこに誤りがあるだろうか。若宮さんは、何故、なぜ「ナショナリズム」のみを問題にするのか。返答できるなら返答してみなさい。朝日新聞社の言論の「政治」的偏向又は極偏は、このコラムで典型的に吐露されている。

-0040/若宮啓文、有田芳生はいい名前だ。

 これまた古いが朝日の「いっそ…夢想する」で有名な若宮啓文が同紙8月28日のコラムで加藤紘一自宅放火という「テロ」に対する小泉首相等の反応の遅さを詰っている。拉致という明確な国家「テロ」の問題をとりあげるのは日朝国交正常化の「障害」と明記して横田滋氏等から総スカンを食った朝日が、再述すれば、国家「テロ」問題よりも国交正常化優先すべきとの見解だった朝日が、「テロとの戦いはどうした」という見出しのコラムを掲載する資格は全くない。
 何げなく有田芳生のサイトを見ていたら0912付の最後に「安倍の改憲を含む戦後の枠組み解体路線には断固として与しない」とあった。改憲問題は別として、「戦後の枠組み」とは一体何を意味しているのかが問題だ。常識的にみて、「戦後」の全てが良かったか悪かったかという問いは、従って「解体」に一括賛成か反対かの選択は無意味だろう。むろん、「進歩」があったことを否定しないが、しかし、有田の詳しいオウム事件・サリン事件や悪質少年犯罪事件はまさに「戦後」が生み出した現象でないか。「解体」との結論にならないとしても憲法・教育も含めた「枠組み」の妥当性を疑ってみること自体は大切だろう。
 渡部昇一=林道義=八木秀次・国を売る人びと(PHP、2000)を読了し、西尾幹二=八木秀次・新国民の油断(PHP、2005)を通読した。
 フェミニズム・ジェンダーフリー論の帰結のヒドさに愕然とした。有田は後者で紹介されている「自由な」教育も「解体」しないで維持したいのか。また、後者によると、エンゲルスは『…起源』で家庭内で夫は支配者でブルジョアジ-、近代家族は「プロレタリア-ト」たる妻の「家内奴隷制」で成立とまで書いていた。なるほど、マルクス主義とフェミニズムは「個人」のために「家族」を崩壊させる理論なのだ。そして、男女平等といった表向き反対しにくいテ-ゼが利用されて、「家族」の解体がある程度進行してしまっていることも感じる。その結果が、親の権威の欠如(=親子対等論)等々であり、「家族」の崩壊はオウム事件、悪質少年犯罪等と、さらに晩婚化・少子化とも決して無関係でないと考えられる。結局はマルクス主義の影響によってこそ、日本社会は大切なものを喪失してきたのだ。まさに「悪魔の理論」といえる。

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