秋月瑛二の「憂国」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

船橋洋一

0726/そろそろ「謀略」を仕掛ける朝日新聞と<週刊昭和>。

 〇総選挙告示まで三ヶ月を切った、とも言われる。
 2007年7月末投票の参院選の場合、マスコミ、とくに朝日新聞および同グループが<年金が消えた>キャンペーンを本格的に始めだしたのは、同年5月くらいからではなかったか。今はどのマスコミも全くとり挙げなくなった政治家の事務所経費問題(最初は日本共産党の指摘がきっかけだった。そして、一人の現職大臣が生命を絶った)を取り上げ始めたのも5月頃ではなかったか。そしてそれは、下らないことに、別の後継大臣の顔のバンソウコーまで行き着いたのだった。
 朝日新聞(+同グループ)は、そろそろ何かを仕掛けてくるだろう。もともと民主党支持の方向で、民主党を叱咤激励する立場での社説を書き、報道してきた。
 週刊朝日の5/12号(朝日新聞出版)の表紙の文字は「民主党・鳩山新代表誕生!」で鳩山由紀夫の顔が大きく出ている。昨年秋の月刊世界(岩波)の「政権交代選挙へ!」という露骨な見出しとともに、この週刊朝日も、朝日新聞グループ挙げての<策略>(あるいはよく言っても<世論誘導>)の始まりの一つかと思われる。
 こんな週刊誌に西尾幹二は寄稿していたのだ。もっとも、民主党・自民党いずれも「(真の)保守」ではなく、似たようなもの、同類、五十歩百歩と西尾は見ているのかもしれないが。
 マスコミ(とくに大新聞・テレビ)の主張や報道ぶりあるいはそれらが行う世論調査に国民の多くが大きな影響を受けるわけではない。しかし、有権者の10%でも、投票率を考えれば6%でも、投票先政党を逆にすれば、かりに前回選挙又は現状が3対2だったとしても、同程度の1対1になりうることは既に書いたとおりだ。
 マスコミ(とくに大新聞・テレビ)の影響力を無視できない。それが<大衆民主主義>の時代であり、とくに近年は目立つ<ポピュリズム>の手段になっている。
 〇朝日新聞主筆(!)・船橋洋一の<左翼>かつ<(第三者的)評論家>ぶりは、依然として維持されている。週刊昭和№24・1947年の号の巻頭では、この年に施行された日本国憲法につき、<押しつけ>論を批判・揶揄するかと思ったらそうではなく、「憲法改正は戦後、ついぞ成功しなかった」等と書いたのちこうまとめる。
 マッカーサーの占領期の改革の中で「憲法はもっとも生命力のある改革理念であり続けた」。T・ジェファーソンは<各世代は「自らの憲法を選ぶべきだ。死者が生者をとらえる理由はない」>と「喝破した」が、「日本の戦後世代は、…死者の思いを背負って生きてきたのであろう。憲法は日本の戦後の骨格そのものだった」。
 これが朝日新聞の社是たる現憲法護持の観点から書かれているだろうことは言うまでもない。「日本の戦後の骨格」を否定又はそれから離反するような、<戦後レジームからの脱却>論を、朝日新聞と船橋洋一は断乎として許すことができないのだ。
 それにしても、改憲論者に有利に援用されそうなT・ジェファーソンの言葉を使うとは勇気がある。
 船橋洋一によると、戦後に生きた日本人は「死者の思いを背負って」きたのだ。この「死者」が日本人同朋・先輩のみだったらまだよいかもしれない。
 だが、1945~1946年の当時のアメリカ(・GHQ)の政策という「死者」が今も日本人を拘束しているとすれば、それは<異様・異常>だとは、船橋は少しも感じないのだろうか。
 ジェファーソンの言葉どおり、「それぞれの世代は自らの憲法を選ぶべきだ」。かりに万が一制定過程に問題はないとしても、内容の面だけでも、既にその時期に来ている。
 週刊昭和№25・1945年の号の「竹馬依存」と題する巻頭で船橋は最後に書く。-「しかし、日本はその後も長い間、米国市場と米国の安保という二本足の竹馬に乗り続けたのである」。
 ①日本国憲法を「骨格」とし、②「米国市場と米国の安保という二本足の竹馬に乗り続けた」、というのが、船橋洋一の日本戦後史の基本的な認識のようだ。
 問題は、①は肯定的に見ているようであるのに対して、②をどう評価しているのか不明確なことだ。
 もともと「左翼」は日米安保条約に批判的で、日本社会党等の「革新」勢力は<安保廃棄>の立場だったはずだ。だとすると、朝日新聞も「米国の安保」を批判的に見ていなければおかしい。そうではないとすれば、A・日本の(とくに軍事の)対米自立に反対するために、それを制約してくれる米軍駐留を伴う日米安保条約支持へと態度を変更したか、B・この点を曖昧にして、<(第三者的・ヤジ馬的)評論家>の立場に逃げている、のいずれかだろう。
 上の②の点をアメリカに対する批判的視点を全く含めないままで、もっぱら日本(歴代政府)の対米<従属性>を批判するために使っているとすれば、まさしく<自虐的>だ。
 いつも感じるのだが、船橋洋一や朝日新聞の社説等には、日本人又は日本国内にいる者の立場ではなく、東シナ海の中空上に浮かんで日本を見ているような、国籍不明の(むしろ場合によって中国やアメリカへとなびく)視点があるのではないか。
 朝日新聞好みの研究者・大学教授も依然として育っており、あるいは健在なようだ。
 1947年の号で、大内裕和(松山大学、教育社会学。1967~)はこの年に制定された教育基本法を高く評価し、「教育における国家管理や中央集権支配が強化されるのは、1950年代以降のことである」等と書く(p.6-7)。この人は『教育基本法改正批判』との著があるらしいが、安倍晋三内閣のそれに反対したのだろう。
 40歳代前半の者が、もはや<化石>のような<左翼教条>文章を今だに書いて公にしているのだから、怖ろしい。日教組(民主党系)や全教(日本共産党系)の学校教師たちが、1950年代の「革新」思想をそのまま維持しているのだとすれば、現実にはもっと怖ろしいことだ。
 同号にはまた、雨宮昭一(獨協大学、日本近現代政治史。1944~)の日本国憲法関係の文章もある(p.24-25)。雨宮は日本国憲法は「自由民権運動以来、日本で芽吹いた民主主義の内容も入った産物」だとし、あるいは「内容は決して押しつけではないが…」と書いて、<押しつけ>論を批判又は回避している。この論点にはここでは触れない。再び論及することがあるだろう。
 問題は、日本国憲法についての次の叙述だ。-「(決して押しつけではないが、)いずれにしても国内外の諸力の複合した産物であり、制度は多かれ少なかれそうして作られる」。
 この文章はあまりにも、日本と日本国民自身が作るべきだった基本的「制度」(日本国憲法)の意味を看過している。「制度は多かれ少なかれ」、「国内外の諸力の複合した産物」だなどと言って正当化できるのならば、憲法を含む国内の諸制度がいかに「外国」による内政干渉的介入によって創出・変更されたとしても批判できなくなる。日本人の一部によく見られる、一種の<奴隷>根性が書かせた文章だろう。
 また、上の文章は日本国憲法制定過程の日本の「自主性」に疑問があるからこそ敢えて書かれているのであり、別の問題だと、雨宮はこのようには書かない可能性もある。そうだとすれば、この大学教授もまた、<左翼・ご都合主義>者なのだ。
 ともあれ、前にも一度触れたように、朝日新聞社系の週刊昭和(週刊ムックの一つ)には、巻頭コラムとともに、<左翼>が色濃く滲んでいる。

0718/朝日新聞出版の「週刊昭和」なる毎週刊のシリーズ。

 朝日新聞出版が「週刊昭和」なる「週刊朝日百科」シリーズを毎週刊行している。
 一 №10の1965年の号では、和田春樹なる、北朝鮮問題で赤っ恥をかいてとっくに<化石>となっていたかと思っていた人物に、日韓基本条約締結について書かせている(p.22-23)。
 長年朝日新聞に貢献した「左翼」学者は、70歳を過ぎても(和田は1938.01生)原稿を書かせてもらえるのだ。
 「植民地支配に対する無反省」との見出しで始まる部分の中で和田春樹は、当初の「私たち」歴史家たちの反対理由の力点は「過去の日本帝国主義の朝鮮支配を肯定している」ことにあったとし、その後の反対運動の高まりの中での反対理由は、第一に「米日韓反共軍事同盟」が生まれること、第二に韓国を唯一の合法政府として北朝鮮を否認したこと、にあった、という。
 和田と朝日新聞に問いたいものだ。「米日韓反共軍事同盟」が生まれて、何故いけないのか。1965年時点で韓国を「唯一の合法政府」と見なして何故いけないのか。
 和田は国会での「強行採決」を傍聴していたらしい大江健三郎の文章を引用して、自らの文章を終えている。その大江の文章は次のとおり(一部。週刊朝日1965年11/26号らしい。)。
 日本という「怪物の進路」を「日本の市民」が「いくらかでも修正」できるとすれば、「北朝鮮および北京との関係を改善するため」の努力を、「強大な政府・与党に対して主張しつづけることのほかにない」。
 この当時から40年以上が過ぎた。2009年に公表される文章の中に、「北朝鮮および北京との関係を改善…」という元来は大江健三郎の語句をあえて引用するとは、いったいどういう神経をしているのだろう。和田春樹の精神世界の中では「ソ連」はまだ存在し、北京=中国と北朝鮮は<立派な>社会主義国としてますます発展しているのではないだろうか。一度取り憑いた魔物は恐ろしいものだ。
 上の大江健三郎の(和田によれば「名高い」)文章の見出しは「恐ろしきもの走る」というものだったらしい。
 大江健三郎、和田春樹ともに、「恐ろしきもの、まだ残る」と表現してあげたい。
 二 朝日新聞の船橋洋一は若宮啓文よりも文章が巧く、多少はより立体的・総合的思考をしているように見える。だが、「週刊昭和」毎号の巻頭の船橋の文章を読んでいると、<あゝ朝日新聞>と嘆息をついてしまう。
 第一に、ウソが一部にある。
 1960年に関する№13には、60年安保に関して「ついこの間まで戦犯として巣鴨にぶちこまれていた出っ歯の男が…」。
 これは岸信介のことだ。岸は「巣鴨」に勾留はされていても「戦犯」では全くない。せいぜい<戦犯容疑者>であり、かつ起訴されなかったのだ。かつての首相を「…ぶちこまれていた出っ歯の男」と形容する神経も<朝日新聞主筆>としてなかなか上品だと思うが、まずは最低限、ウソを書いてはいけない。
 1955年に関する№11には、バンドン会議(AA会議)における日本の評判・評価について、詳しくは立ち入らないが、ウソがある。
 船橋によると、フランスのジャーナリストは日本は「誰にも知られていない、知らないお客のように見えた」と書いたらしいが、船橋自身の文章として、「日本の存在は小さかった。戦争でアジアの人々に多大の苦痛を与えた。…。大きな顔はできない」等とも書く。日本にとっての<よい>こと、<嬉しい>ことは何も書かない。
 日本にとっての<よい>こと、<嬉しい>ことは何も書かない、というのは、船橋洋一の、そして朝日新聞のメンタリティとして深く、同社の<空気>あるいは<骨髄>になっていると考えられる。これ以上の具体的内容は紹介しないが、上の二つの文章にもそうした基調は確固としてあることを感じる。
 日本の過去と現在をできるだけ<悪く>見て、将来も<悲観的に>描くのが朝日新聞の<空気>であり<骨髄>である、と換言してもよい。しかも、そのことを自社や自分自身とは直接には関係のない他人の現象であるかのごとく、第三者的に(そのかぎりで「客観的」に)叙述するのも、船橋洋一、そして朝日新聞の特徴だ。
 上のことからは当然に<一面的で「偏向した」>叙述も出てくる。自虐、距離を置いた高みからの評論(「言うだけ」)、一面性こそ、「左翼」朝日新聞の、また朝日新聞系評論家の特徴だろう。
 ①1972年に関する№08の「沖縄問題」、②1973年に関する№21の「ひ弱な花、日本」、③1968年に関する№18の「暗殺―民主主義の圧殺」、④1971年に関する№20の「ニクソン・ショック」などにおいて、上に述べたことは明瞭に感じられる。
 船橋は、上の③で、「40年後、…。その日本もまた、非寛容と排他的民族主義が一部、噴き出しつつある」と書いている。
 ジャーナリズムは「ナショナリズムの道具じゃない」と喚いたのは若宮啓文だったが、船橋洋一においても「非寛容」な「排他的民族主義」はまず第一に闘うべき「主義」らしい。
 上の④では、35年以上後の「2008年秋」に言及して、「日本国内には」「自公政権に対する世論の苛立ちと不満は高まった」と断じる。
 三 こうした<昭和史(戦後史)>ものの影響力を無視してはいけないだろう。岩波や朝日新聞刊の必ずしも一般的には読まれない「左翼」学者たちの文献よりも、ヴィジュアルな毎週刊の<昭和史(戦後史)>は多数読まれているように推察される。そして、写真をめくったあとで文章を探すと、巻頭には現在にまで筆を及ぼす「左翼」・船橋洋一の長くない文章が堂々と付いているのだ(中ほどに、和田春樹の文章があったりすることもあることは上にも述べた)。
 全てを逐一、詳細に見たわけではない。だが、朝日新聞はしぶとく、執拗に、「左翼」の空気を撒き散らすものだとあらためて思う。

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