一 田口富久治=佐々木一郎=加茂利男・政治の科学〔改訂新版〕という本がある。1973年に(第一刷が)発行されていて、出版は青木書店。
 第一章は田口富久治が書いていて、「マルクスの史的唯物論を手がかりとして」「政治とは何か」等を考察しているように、マルクス主義に立つ(p.15~)。そのことは「あとがき」でもこの本は政治学の「マルクス主義の立場・方法から書かれた概説書」だ、と明記されている(p.201)。やはり田口が代表して書いている<まえがき>=「政治学を学ぶ人々へ」(p.7~)でも明瞭だ。例えば次のような文章がある。
 現代政治学は「マルクス主義」の立場のそれとそれ以外の「反マルクス主義」の「ブルジョア政治学」・「近代政治学」に区別される。前者=「マルクス主義政治学」は、「実践的には、階級社会とその国家を止揚することによって、自らのみならず、全人類を普遍的に解放する歴史的使命をもっている近代労働者階級の階級的立場」に立つもので、「近代労働者階級の階級的立場の立場に立つ、国家と階級闘争と革命の理論である」。「本書は、基本的にこのような立場」に立つ。
 何ともあっけらかんとしたマルクス主義政治学者たることの宣明だ。「われわれ」という言葉が使われていることからも(p.14、p.16等)、田口のみならず、佐々木一郎・加茂利男も同じマルクス主義政治学者だと理解して全く間違いはない。
 マルクス主義にも諸派がありうるが、青木書店という日本共産党系の出版社から発行されていることで容易に推測がつくだろう。また、上の<まえがき>部分には、「戦前のマルクス主義社会科学・歴史学の一つの輝かしいモニュメント」は岩波刊行の<日本資本主義発達史講座>だった、と明記されていることで、確定的になる。むろん証拠はないが、田口(1931~)、佐々木(1941~)、加茂(1945~)はいずれも、少なくともこの本の発行時点(1973年)では、日本共産党員だったものと推察してよいと思われる。
 1973年とは、連合赤軍事件(「同志殺戮」後の浅間山荘事件は1972年2月)などのあとで<極左>又は<過激派>に対する批判は高まっていたが、また<新日和見主義事件>も日本共産党内部では起こっていたが(1972年)、<穏健な>左翼・進歩派としての日本共産党の勢力は強くなっていた時期だった、と思い出される。当時、同党は<70年代の遅くない時期に民主連合政府〔社共連合政権〕を!>と謳っていて、東京・神奈川・埼玉・京都・大阪を<革新>(=社共推薦)知事が占めていたなど、日本共産党が参加する「左翼」政権の実現は全くの空想事とは思えない雰囲気がある程度はあった。
 そういう時代を背景にして、上掲の政治学の本も出されたのだろう。マルクス主義者であり、実質的には日本共産党員であることを明らかにするようなことを書いても社会あるいは狭くはアカデミズム=学界の中で異端視されない雰囲気があったのだ。
 それにしても、学問と「実践」との関係についてもまた、あっけらかんと次のように明言されているのにも驚く。-「日本のマルクス主義政治学は、現代日本の労働者階級と勤労大衆の解放闘争に奉仕する基本的任務をもっている」(p.12)。
 当時でいうと、明治大学、岡山大学、大阪市大の大学教員が堂々と上のように述べていたのだ(田口は、のち名古屋大学)。その「基本的任務」は「日本の労働者階級と勤労大衆の解放闘争に奉仕する」ことだ、と。
 その後、彼らが、とくに最も年長だった田口富久治がどういう組織的・思想的歩みを辿ったかは興味がある。若干の資料・文献は所持しており、時代・政治・社会自体が彼らが予見したようには推移しなかったことが歴然となるが、今回は田口については触れない。
 二 
加茂利男については、1991年のソ連解体の意味について<(少なくともソ連の)社会主義の敗北>という旨を書かない1998年の政治学の概説書の共同執筆者として触れたことがある加茂利男=大西仁=石田徹=伊藤恭彦・現代政治学(有斐閣、1998))。

 上の本は社会主義(理論)に問題・欠陥があったとは一言も書かず、<冷戦>終結へと主題をずらし、アメリカ等の西側(資本主義諸国)にも問題があったことが<冷戦>終結の「重要な原因」だった旨を書いていた(大西仁執筆部分)。
 <(少なくともソ連の)社会主義の敗北>を認めない書きぶりに呆れたものだったが、加茂利男は、同・二つの世紀のはざまで国境を超える体制改革(自治体研究社、1990)でも似たようなことを書いている(正確には講演で語っている)。
 加茂は1990年3月の時点の講演で、「二一世紀への世界の流れ」を次のように考える、と言う。
 社会主義の方では「ソ連型の政治・経済システムがうまくいかなくなり」、資本主義の方では「新保守主義が行き詰まりになって軌道修正を迫られている」。「実は社会主義も資本主義もいま意外に共通性のあるある問題、体制横断的な新しい問題にぶつかっている」。どちらも、経済効率と社会的公平・福祉のバランス、公的部門(政府・自治体)と民間部門の役割分担を考え直す必要が出てきている(p.15)。
 以下の引用又は紹介は割愛する。要するに加茂は、ソ連解体という大きな時代と歴史の変化を、社会主義(国)にも資本主義(国)にもある「体制横断的な」問題の顕在化(の一つ)、としか把握していないのだ。
 「体制改革」の課題は「国境を超える」ものであること(アメリカも日本も含むこと)は、上掲書のサブ・タイトル(下線部)でも明示されている。資本主義(国)の側に問題が全くないなどとは言わない。だが、それは、社会主義(国)と同質・同次元のものなのだろうか??
 この人がソ連を語るときにソ連「共産党」という語は注意深く避けられている。そして、「ソ連の社会主義なんてもともとまったくダメな体制だったんだというようなこともいわれますが、それはやはり言いすぎであります」と語りもする(p.16)。
 この人が語っていないことに注意を向ける必要がある。またそもそも、やや反復になるが、ソ連(等の旧東欧「社会主義」諸国)の崩壊は<経済効率と社会的公平・福祉のバランス、公的部門(政府・自治体)と民間部門の役割分担を考え直す必要>が出てきたというレベルの問題だったのだろうか。
 要するに、ソ連・東欧「社会主義」体制の崩壊の意味をできるだけ過少に評価し、ソ連・東欧「社会主義」体制と同じような問題にアメリカ・日本等の資本主義諸国も直面していることを強調して、前者の意味を意識的に相対化している。
 この1990年3月の時点で日本共産党の中央がどういう公式発言をしていたかを調査してみることはしない。同党はソ連は「社会主義」国ではなかった、スターリン以降間違った、ソ連「覇権主義」国解体を歓迎する旨等を発表した。
 これが公式見解だとすると、加茂の「ソ連の社会主義」は「もともとまったくダメな体制だった」とするのは「言いすぎ」との発言は、まだ公式見解が表明されていない時期のものか、又はレーニンやロシア革命後の当初期は「まったくダメ」ではなかった、という意味のものだ、と理解すべきことになるだろう。
 細部ではひょっとして見解・認識に違いがあるかもしれない。だが、(本来の?、「真の」?)社会主義・共産主義、そして日本共産党への悪い影響が生じることを阻止しようという点では、加茂はなおも日本共産党の路線の上にあるのではないか。
 日本の政治学(者)は「現代日本の労働者階級と勤労大衆の解放闘争に奉仕する」などとはもはや語れなくなっているものと思われる。だが、マルクス主義的、少なくとも親マルクス主義な考え方は、かつての教条的で独特な概念を用いた「理論」は語られなくなったとしても、今日でもなお生き続けているものと思われる。そして、今日の<「左翼」全体主義>の重要な一翼を彼らが担っていることを忘れてはならない。