秋月瑛二の「憂国」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

自民党大阪

1269/安倍首相は大阪都構想に好意的で、橋下徹は改憲のため「何でもする」。

 安倍晋三首相は昨年10/06の衆議院予算委員会で、維新の党の「大阪都構想」について「二重行政の解消と住民自治拡充を図ろうとするものだ。その目的は重要だ」と述べていた。
 昨日の1/14の大阪・関西テレビでの生発言でも、「二重行政をなくし住民自治を拡充していく意義はある。住民投票で賛成多数となれば必要な手続きを粛々と行いたい」と述べたらしい。
 これは重要なニュースだ。
 第一に、大阪市・府の自民党議員団は(したがって大阪府本部も)「大阪都構想」に反対で、住民投票にも反対している。公明党は住民投票実施には賛成に(なぜか?)回ったので、大阪の自民党は公明党よりも<反・橋下>姿勢が強固なのだ。にもかかわらず、公明党の姿勢が変化し、大阪・自民党は従来のままである中で、首相であり自民党総裁でもある安倍晋三が上記のごとく、「大阪都構想」には「意義」があるとし、「住民投票で賛成多数となれば必要な手続きを粛々と…」と語ったのだから、かりに一般論であり、かつ仮定形の発言だったとしても、ふつうであれば、驚くべきことだ。
 安倍首相は昨年10月には大阪府連の姿勢について質問されて「地方自治のことなので、そこまで私が『ああせよ、こうせよ』ということは差し控える」とだけ述べたようだが、大阪の自民党とは真っ向から異なる見解を明らかにしているに等しいだろう。
 安倍首相には、自民党大阪府連を困らせてもかまわない、という大局的判断があるものと思われる。そしてまた、この欄ですでに記したように、大阪の自民党は、橋下徹・維新の党よりも民主党や共産党と<仲良く>するような愚行をいま以上続けるな、と言いたい。大阪の自民党は<保守政党>の支部なのか、それとも<容共>の「左翼」的支部なのか。あるいは、そんなことはどうでもよい、面子と自分の選挙当選にのみ関心を持って周囲を見渡している<日和見>者たちの集団なのか。
 第二に、安倍首相の親維新・親橋下徹の姿勢だ。橋下徹は1/15に「ありがたい。僕はうれしくてしょうがない」と述べて喜び、憲法改正について、「絶対に必要で、〔安倍〕総理にしかできない。何かできることがあれば何でもする」と語ったらしい。
 安倍首相が出演したと思われる関西テレビの夕方の番組の水曜のゲスト・コメンテイターの青山繁晴はいつぞや、安倍から直接に<橋下徹をどう思うか>と尋ねられたことがあり、安倍は橋下徹に期待をもっているようだ、という旨を語っていた。
 安倍首相の、橋下徹に期待し、少なくとも<反・橋下>姿勢を示さない、という感覚、政治的センスは優れていて、1/14の発言も、大局的かつ戦略的な判断にもとづいている、と思われる。すなわち<保守>勢力を糾合し、拡大し、ひいては憲法改正を成就するためには、橋下徹あるいは現維新の党の協力が必要だ、少なくとも<敵に回す>ようなことをしていいけない、と判断しているものと思われる。地方議会議員を中心とする、自民党大阪府連の面々とは、考えていることの次元・レベルがまるで異なる。
 産経新聞社・月刊正論1月号p.377の「編集者から」はかなり露骨な安倍晋三政権擁護の回答をしており、質問者・意見者である読者を斬って捨てている観があり、気になる。この点はあらためて触れるとして、ここにも見られるように、月刊正論編集部は親・安倍晋三、親安倍自民党姿勢を採っているように見える。
 しかるに、前編集長の桑原聡は橋下徹を「危険な政治家」だ、日本を「解体」しようとしている、と明言した。そして、「今週のバカ」を某週刊誌(週刊文春)に書いて<毎週のバカ>ぶりを示し、安倍+橋下徹による憲法改正には反対だと明言した適菜収に<反・橋下徹>論考を巻頭に書かせ、さらには適菜を「賢者」の一人として扱っていさえした。
 このかつての編集長の文章は取消しされていないし、むろん謝罪の言葉があるはずもない。むろん政治家等について月刊雑誌またはその編集長がどのような評価をしようと自由なのだが、自由に評価したその結果は誤っていることを認め、自覚しておくくらいはしておいてもらいたいものだ。
 なぜなら、むろん、簡単に言って、安倍晋三擁護・支持と橋下徹批判・悪罵が両立することはありえない。安倍晋三の橋下徹に対する姿勢だけは誤っている、という見解もありうるが、そうならば、そのような趣旨を含む文章を掲載すればよいだろう。
 月刊正論の出版母体・産経新聞社は橋下徹に対して決して暖かくないし(例、1/15社説)、松本浩司のように皮肉まじりの文章を書いている者もいる。
 産経新聞社、そして月刊正論には、<堅い>読者層の支持と購読さえ得られればよい、<そこそこに>収益が出ればよい、といった程度の気構えで仕事をしてほしくない、と思っている。できるならば、<憲法改正>のための情報センターのような役割を果たすことを期待して、産経新聞には厳しいことも書いているのだが、月刊正論の執筆者に見られると感じられる偏りや(おそらくは産経新聞が想定していない定期購読者だろう)橋下徹のような人物まで<取り込む>姿勢がないように見られることは、残念なことだ。
 ついでながら、上に<憲法改正>という語を何度か使っているが、それでは本来はいけないことは別に述べる。また、産経新聞社「国民の憲法」案の地方自治条項について、橋下徹は<これではダメだ>と言い放ったが、これは橋下徹の感想の方が適切だ。いずれも、別の機会に触れる。
 安倍首相と橋下徹の関係から、産経新聞社に論点が移ってしまった。
 さらについでに、私自身は維新の「大阪都構想」に双手を上げて賛同しているわけではない。
 大都市制度がどうあるべきかは、現地方自治法制定時にも、基本的には都道府県のもとにある一市とする、どの都道府県にも属さない「特別市」とする、の二案があったところ、妥協・折衷の結果として、<政令指定市>制度ができた。近時にも、名称・細かい制度設計は違うが、似たような議論・政策提言があった。そして、砂原庸介・大阪-大都市は国家を越えるか(中公新書、2012)p.223-が述べるように、「仮に彼〔橋下徹〕がはじめから大阪市長になっていれば、現在とは異なるかたちで特別市構想が復活していたかもしれない」、と言える。橋下徹は最初に府知事になったからこそ、政令指定市・大阪市域について知事の権限が及ばない部分があることに疑問を持ったのだと推測される。最初に市長になっていれば、府知事が大阪市に関与・介入できる余地を削減し又はゼロにする運動すらしたかもしれない、とも思われる。
 「大阪都構想」の是非は、イデオロギーの問題ではなく、日本における大都市制度のあり方という、法制度・行政制度の設計にかかわる、すぐれて政策的・技術的な問題だ。それに、「大阪都構想」の具体的な制度内容はまだ詳細には詰められていないように見える。それでも、「ファシスト」であり安倍首相とも親しい憲法改正派だというだけで、橋下徹・維新提案の「大阪都構想」に絶対反対の姿勢をとる日本共産党などもいるに違いない。大阪の自民党が親橋下か反橋下かだけで態度を決めるとすれば、愚かしいことだ。

1067/大阪の自民党は嘆き、自らを嗤え-大阪ダブル選挙。

 〇大阪市・大阪府の選挙については<維新(の会)対反維新>または<既成政党対維新>という対立軸も示された。
 そのとおりではあるだろうが、正確には「自民・民主(・共産)という全国的政党」対「維新の会」という二年ほど前にできた地域政党(ローカル・パーティ)との対立だった。
 前者の複数の政党の支持票をまとめるだけで、十分に「維新」などという地域政党に勝てるはずだった。しかもなお、維新の会の側に対しては、「バカ新潮・文春」(11/27夜の橋下の表現)による代表・橋下に対する<陰湿な>個人攻撃まであって、これがボディ・プローのように利いて、橋下(市)と松井(府)がたやすく勝てるとは思えなかった。日本共産党は<反独裁>批判を正面に掲げ、結果的・機能的にはそれと同調する「左翼」の佐高信・中島岳志等々による橋下徹攻撃もあったのだ。
 選挙日の前までに、中田宏・政治家の殺し方(幻冬舎、2011)を半分程度は読んでいたこともあり、橋下徹の政治生命もひょっとすれば危ういのではないかとすら危惧した。
 月刊WiLL1月号(2011.11、ワック)は「週刊誌の病理」との特集?を組んで、中田宏の文章とともに宮崎学「橋下前大阪府知事の出自を暴く異常」を掲載したのだったが(p.278~)、広告・発売が選挙の前日では、ほとんど投票行動に影響はないものと思われた。
 それよりもとっくに前に、月刊新潮45(新潮社)12月号は「続・『最も危険な政治家』橋下徹研究」という「特集」を組んで、橋下批判の第二弾を撃ち、この特集名を表紙にも大きく載せていたのだ。

 にもかかわらず、維新の会の橋下と松井は、結果としては文句なしの<大勝>だった。一週間前の各新聞社の予測からの印象を上回る、十分な差がついた。

 マスコミ、とくに新潮社については別の回に触れる。
 〇この結果は既成政党に衝撃を与えているとされる。上に述べたようなことからして当然だろう。
 日本共産党の票が大阪市内で10万票あったとすると(府知事選挙での共産党候補得票数は約12万)、そして社民党その他の他の政党の票も加えて除くと、自民党と民主党の支持者からは40万票ほどしか平松某に流れていない。一方、橋下徹(維新)は75万票を獲得した。自民と民主がかりに同じ程度だとすると、20万、20万に対して、橋下(維新)は75万なのだ。
 地方自治体の首長選挙であることを強調して、衝撃・影響力を薄めたいかのごとき発言をしている民主党幹部もある。自民党幹部の中にもいるかもしれない。
 だが、すでに選挙前に書いたことだが、この選挙結果によって最も深刻な影響を受けたのは自民党だと見なすべきだ。
 自民党府連は市・府議団による<反橋下>方針をそのまま承認した。結果としては自民党の本部(中央)もまた、これを容認した、と理解して差し支えないだろう。
 実際にも、小泉進次郎を大阪には送らなかったようだが、片山さつき佐藤ゆかりという自民党の二大マドンナ?は大阪へ行って、反橋下(平松ら支持)の演説を行なっている。
 産経新聞11/28の表現・文章構成を一部引用しつつ述べれば、「深刻さでは自民党の方が〔民主党よりも〕上だろう」。
 なぜならば、「国政で〔民主党と〕対決しながら反維新の会で〔大阪では〕手を結んだバツの悪さがある」。
 このあと産経の記事には、「市長選では共産党とも共闘した。これでは国会での応酬を茶番劇だと言われても仕方がない」、とつづく。
 市長選での日本共産党との「共闘」は、<共産党があとから勝手に乗ってきただけ>と言い逃れることができるかもしれない。しかし、紛れもなく言い逃れできず、説得力ある説明ができないと思われるのは、市・府のいずれにおいても、<なぜ民主党と手を組んだのか?>だ。
 11/29に自民党中央の石原伸晃(幹事長)は大阪で、「維新の会との距離感」について、「自民党出身が多いことから『維新は保守の陣営。シンパシーもある』と秋波を送った」とされる(産経ニュース)。
 「維新は保守の陣営」などと選挙が終わってから、かつ選挙で自党推薦候補がダブルで敗れてから、よくぞ言えたものだ。
 むろん、実質的な責任は、石原伸晃(・谷垣禎一)よりも、自民党の大阪府連、そして大阪市議団・府議団に、より大きいのだろう。
 自民党中央の幹部はもちろんだが、深刻に受けとめて反省すべきなのは、<反橋下>・<反維新>を選択・判断した同党の大阪府連、大阪市議団・府議団だろう。
 上記の元横浜市長による中田宏・政治家の殺し方(幻冬舎)には、地方議会の議員たちは党派は違っても(首長対議会という二元構造からくる)「仲間意識」があり、「市議会は相乗り=オール与党議会が一番楽なの」だ等の指摘がある(p.55-60)。
 こうした事情に、国会議員の大多数は「小選挙区」または「一人区」から一人だけ当選するのに対して、政令市の市議会や府議会の議員は複数者当選の選挙区から選出される、ということが加わる。
 すでに同旨は書いたことだが、とくに大阪市について言えば、民主党らの議員とともに平松某市長の与党議員であり続けたい、与党議員としてうまく棲み分けたい、というのが自民党大阪市議団の本音であったかに見える。
 与党議員であってこそ、支持者からの要望・要求を(市長に直接にではなくとも)局長以下の行政公務員に「伝えて」、支持者に感謝され、次期選挙での再選を期待することができる…。
 このような至極幼稚な(政策理念のほとんどない)意識のもとで、じつに安易に平松某支持=反橋下を選択したのではなかっただろうか。これで天下の?大阪市の議会議員とは、情けないものだ。
 自民党支持者・有権者の方が賢明に判断していた、とも言える。新聞・テレビ等によりデータは同一ではないが、自民党支持者のおおむね50%が、(平松某らの)<反維新>候補ではなく、橋下・松井という<維新>候補に投票したようだ。そうした票の少なくとも一部には、日本共産党までが支持している候補に投票したくはない、という者もいたに違いない。
 もはや遅いかもしれない。大阪の自民党は、かりに<維新の会>がそれなりに適切な候補を出し続ければ、大阪市議会でも府議会でもそして国政選挙でも、<維新の会>に負け続けるのではないか。
 それだけの痛みをもって、大阪の自民党は今回の選挙の「総括」をするだろうか?
 繰り返しておくが、全国ニュースでは、自民党が民主党政権を終わらせるために来年前半にでも衆議院解散・総選挙を目指す、という報道がなされているときに、同じ自民党の大阪では、民主党と闘いもせず、同じ候補を担ぐとはいったいどうしたことか?
 他に候補がいなかったわけではない。自党で候補を擁立できないならば、(少なくとも相対的にはマシな候補として)橋下徹・松井一郎がいたと思われるのに、なぜ後者を支持・推薦できなかったのか?。最悪でも(公明党と同じように)自主投票という苦渋の?選択もあり得た。
 大阪の自民党は大いに嘆くべきだ。その愚かな判断を自らで嗤うべきだ

 もちろん民主主義=多数者の判断=「正義・善」などという単純な考え方を前提にしてはいない。民主主義が誤った結果をもたらすことはありうる。
 だが、大阪の自民党の判断が「現実の力」にはつながらなかったことは間違いのないことだ。政治的にはやはり「敗北」だ。
 なお、こうした大阪の自民党の態度を捉えて、(谷垣)自民党と民主党は<同根同類>だなどという櫻井よしこの認識に同調しているわけでは全くない。
 外国人地方参政権付与を求めているようである民団(韓国系)の集会に、(民主党や公明党等とは異なり)自民党は挨拶をする国会議員を一人も送っていない。この点だけでも、民主党と自民党は「同根同類」だとは言えない。そのような違いがあるはずなのに、そうした「政策」・「理念」よりも、大阪の地方議会議員は<保身>を優先した、ということをきちんと記録しておきたい。

1066/橋下徹はなぜ「左翼」に攻撃されたのか。

 橋下徹が大阪市長選で勝利。大阪府知事選でも大阪維新の会の松井一郎が当選。
 感想や書きたいことは多い。
 (日本)共産党は大阪市内で最低でも10万票くらいあると言われていたが、独自候補を降ろして民主党等と「統一戦線」を組んでも、共産党のいう「独裁」者・橋下に勝てなかった。府知事選でも、独自候補・梅田某と民主党・自民党推薦の倉田某の票を合わせても、松井の得る票数を下回るようだ。独自の府知事候補を立てていなければ、という可能性も否定されたことになる。府・市いずれも慶賀すべきことだ。
 なぜ、日本共産党はすでに自民党(大阪府)も推薦している候補を勝手連的に支持してまで橋下徹の「野望を打ち砕く」(敗戦後の梅田某の言葉)ことを企図したのか。
 なぜ、はるばると札幌(北海道)から、山口二郎中島岳志(いずれも北海道大学教授)という「左翼」教授が飛んできて、民主党等の候補・平松某と並んで立って反橋下演説をぶったのか(中島岳志は西部邁グループでもあるので注記が必要だが、省略)。
 なぜ、佐高信香山リカ等の「左翼」知名人は大阪まで行って橋下徹攻撃をしたのか。元社民党・現在民主党の辻元清美が反橋下で演説したのは大阪出身なので当然として、あえて念頭には置かない。
 それは、橋下徹に、明瞭な<反左翼>心情(>「反共」意識)があることに気づいていたからではないか、と思われる。
 そうでないと、日本共産党を含む、執拗とも思える<反橋下>の動きを理解できない。
 橋下徹の人間・言説を十分には知らないが、かつての日弁連執行部(日弁連に「巣くう活動家」)批判らしきものを仄聞していると、おそらく橋下はやはり明確な<反左翼>主義者だろう。
 そして、民間テレビ局出身の典型的な<戦後民主主義者>と見える平松某とは異なり、既存の<戦後体制>らしきものを壊そうと藻掻いているのが橋下徹であるように見える。
 その点を私は肯定的に評価しているのだが、従来の<平和と民主主義>体制の維持(・強化)を意図する「左翼」勢力にとっては、(「自由と民主主義はもうやめよう」と説く佐伯啓思と同じように?)橋下はきわめて<危険な>人物だと判断されたのではないか。
 将来はまだ未知数のところはあるが、現状を大きく逸脱・変化させるだけの意図も力もないことが明らかだと見える平松某に比べるのは平松某に気の毒なほどに、橋下はかなりの可能性を秘めた人物だ。
 石原慎太郎(東京都知事)は最終日に大阪市へ行ったらしいが、「出自に関する暴露的な報道」に「義憤」を感じて、だとも伝えられている(読売新聞11/26ほか。マスコミ・週刊誌の問題は別の機会に書く)。
 と同時に、石原慎太郎は橋下徹について「見所がある」と評価していたとも伝えられている。
 石原慎太郎は、橋下徹のうちに自らが持つのと同じような心性・心情のあることを感じとっていたのではないか。
 自民党幹事長・石原伸晃は愚かにも父親が大阪へ行くのを(少なくとも最終日までは)止めた、という情報もある。
 自民党(とくに大阪)についても別に書く。
 ともあれ、日本共産党が集中攻撃していた「反左翼」橋下徹らの勝利は目出度いことだ。逆の結果であるよりは、はるかに精神衛生によい。
 なお、橋下徹らが表向き「反左翼」であることは、もともとは自民党・公明党の支持を受けて民主党の候補を破って大阪府知事になったのであること、松井一郎はもともとは自民党選出の大阪府会議員だったことでも明らかなことだ。
 だが、長期的な将来や日本全体のことを考えている「左翼」陣営は(佐高信はもちろん、山口二郎や中島岳志を含む)、表向き以上の(思想にまで及ぶ?)<危険性>を橋下徹のうちに見ていたに違いない、と思っている。それで、とりあえず、このような一文になった。

1062/「独裁」批判と「大笑い」大阪・自民党。

 〇大阪の選挙で、「政治手法」とやらが争点の一つになっているらしい。もっと正確に書けば、「独裁(的)」か否かだ。
 11/13夕方の産経ニュースでも大阪市長選について、「市役所組織の解体につながる『大阪都構想』や、平松氏が『独裁的だ』と批判する橋下氏の政治手法の是非などが主な争点」と記している。
 上では民主党・自民党・共産党の支持する平松某の主張として「独裁的」が出てくるが、産経新聞も含めて、引用のかたちではなく、「独裁(的)」という語を橋下徹に関して用いているように見える場合もある。
 教育に関してだが、産経新聞11/09の「『政治の関与』か『独裁』か」という大きな文字も、橋下が後者だとは断定していないが、そのような見方のあることを少なくとも強く伝えるものになっている。
 また、府知事選への倉田某(民主党・自民党支持)の出馬表明を報道する産経新聞の10/27の記事の最も大きな文字の見出しは「『橋下氏は恐怖政治』」となっている。これは倉田某の発言の引用で、産経自体の見方を示しているのではない。だが、最大の見出しにする必要があるのか、という疑問がまず湧く。
 それに本文を読むと、倉田某はこう発言していることになっている。
 「橋下氏の府政運営については『恐怖政治』と厳しく断じたが、『やんちゃだが、大好きだ。純粋さ、スピード感はいい』とも」。
 これが倉田某の発言紹介の大部分なのだが、この発言をとらえて、「『橋下氏は恐怖政治』」という大きな見出しを打つのは、乱暴で、公正さを欠いている

 また、産経新聞10/22の橋下「知事辞職へ」の記事の最大のヨコ見出しは「破天荒な橋下府政」であり、「知事辞職へ」よりも大きなフォントを使った見出しに、「過激発言、都構想…借金6兆円」もある。

 ついでに、産経10/25の「ハシズムを斬る」集会の記事は、これを「…市民集会」と称しつつ、中島岳志・雨宮処凜・寺脇研の主張(橋下批判)を紹介するだけだ。
 産経(の少なくとも大阪の編集者)は、橋下徹には好意的ではないようだ。
 産経ですらこうなのだから、あとの新聞の論調(あるいは誘導方向?)はほとんど明らかだ(いちいち確認していないが)。

 このような産経新聞の論調が、大阪の自民党が橋下徹の対立候補を支持していることと関係があるとすれば、産経(大阪)もまた、まともな感覚をもってはいない。ますますもって「大政翼賛会」的、あるいは<左翼ファシズム>的になっている。
 〇その「独裁(的)」だが、橋下がつぎのような旨を言ったのはそのとおりだ。何度もテレビ報道がなされている。
 <政治で一番重要なのは独裁です。
 とくにこの部分を捉えて、橋下の「独裁」(的)政治手法批判に結びつけている者たちやメディアもあるのかもしれない。
 だが、一度だけ、テレビで見た(聞いた)が、上の部分にすぐ続けて、橋下徹は次のような旨を言ったのだった。
 <独裁と言われるような(ほどの)、強いリーダーシップが必要なのです。>

 かりに上半分のみを捉えて「独裁(的)」か否かが争点だとしているのだとすると、マスメディアや反橋下の人々は、じつは「強いリーダーシップ」が必要か否かが争点だとしていることになり、または「強いリーダーシップ」に反対していることになることを知らなければならない。
 マスコミ、とりわけテレビとは怖ろしいものだ。ほとんどの場合、橋下自身は「強いリーダーシップ」に少なくとも近い意味で用いている「独裁」を、後者の言葉を使った部分のみを(後続部分をカットして)放映してきたのだ(最近は減っているかもしれない)。
 橋下がおそらくはこの点について、マスコミの報道ぶりに反発しているらしいのもよく分かる。
 〇大阪の自民党の愚劣さ(「バカ}・「アホ」ぶり)については、すでに書いた。
 とくに大阪市長選について、その愚劣な選択はさらに際立つことになった。日本共産党が独自候補を(予定変更して)立てず、民主党・自民党とともに平松某を支持することに決めたからだ。
 11/07か11/08の夕方のテレビで途中から、府・市の有力?候補5人がナマ出演して討論しているのを視聴したが(府知事3名、市長2名)、その中で、日本共産党の府知事候補某は、市長選での平松某支持について<反ファシズム(反ファッショ)統一戦線ですよ>と言い放った。
 平松某を積極的に支持してきたわけではないが、「ファシスト」橋下徹の当選を阻止することを優先して、自党候補を立てず、平松某を応援する、というのだ。
 コミンテルンは社会民主主義者を「社会ファシスト」とか呼んで批判してきたところ、それを改めて、社民主義者とも<統一戦線>を組んでドイツ・ナチスと対抗しようとした。主唱者は、ディミトロフだった。
 中国における<国共合作>もこれと同じまたは類似の戦略だったが、それはともあれ、日本共産党は橋下陣営と橋下徹をファシズム・ファシストと見なし、これを敗北させることを最優先課題と位置づけたわけだ。
 橋下陣営・橋下徹についての「ファシスト」という性格づけはそもそも問題で、厳密には十分に検討する余地がある。「強いリーダーシップ」の必要を訴えて、あるいは教育行政への「政治(首長)関与」の増大を訴えて「ファシスト」と呼ばれたのでは、たまらないだろう。だが、「ハシズム」という造語に見られるように、反橋下陣営は「ファシズム(・ファシスト)」という語を自分たちに有利に使おうとしている。
 旧東ドイツの政権党(実質的に共産党)が「社会主義統一党」(SED)という名称だったのは、元来の共産党と社民党の合同・統一政党だったからに他ならない。
 そのような、もともと「左翼」の戦略としての「統一戦線」に、今日の日本の大阪では、「保守」または「自由主義」政党のはずの自民党(自由民主党)までが入っている。
 これはもはや「お笑い」・「大笑い」としか言いようがない。
 大阪の自民党は共産党とともに、元来は民主党推薦だった現職候補を支持する、というのだ。
 大阪の自民党諸氏は恥ずかしくないのだろうか。奇妙だとは感じないのだろうか。
 京都や大阪では(東京等とともに)共産党の力が強く、1970年代途中まで社共連合の(社共統一候補による)「革新」知事が続いた。社会党の離反によりそれは消滅したのだったが、代わりに生じたのは(きちんと確認しないで書くが)<非共産>連合による府知事だったように思われる。つまり、自民党と旧社会党は、非共産という点で一致し、ともに与党であり続けてきたわけだ。
 それは国政と全く同じではないが、一種の<55年体制>であっただろう。自民党と旧社会党がそれなりにうまく<棲み分けて>きたのだ。
 今回の<反維新>・反橋下の自民党の行動も、そのような意識を引きずっているように見える。
 つまり、民主党系・公明党とうまく<棲み分けて>市議会や府議会を構成して、その「既得権」を守りたいにもかかわらず、橋下徹らの「維新の会」が誕生し、その地域政党が自分たちの「既得権」を侵そうとしていることに、自民党の市議たちは我慢ができない、ということなのではないか。
 そこでは、もはや<反共>政党という理念などは忘れ去られている。国政の小選挙区とは異なり複数の定数をもつ地方議会選挙において、自分たちが他党と<うまく棲み分けて>当選してしていきたいのに、それを邪魔するのが橋下徹・「維新の会」だと感じているのではないか。
 政策論もあるかもしれないが、むしろ自民党(大阪)が優先したのは市議会・府議会議員の「保身」だと思える。
 今からでも遅くはない。<共産党と同じ候補を支持するわけにはいかない>という勇気ある、そしてまっとうな声は、大阪の(とくに大阪市の)自民党内からは出てこないのか。
 〇最近に書いた、<赤(コミュニズム)か自由か>、および反・反共=「反ファシズム」という表現については、補足しておきたいこともあるので、別の機会に書く。

ギャラリー
  • 1181/ベルリン・シュタージ博物館。
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  • 1180/プラハ市民は日本共産党のようにレーニンとスターリンを区別しているか。
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  • 0840/有権者と朝日新聞が中川昭一を「殺し」、石川知裕を…。
  • 0801/鳩山由紀夫は祖父やクーデカホフ・カレルギーの如く「左の」全体主義とも闘うのか。
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  • 0800/朝日新聞社説の「東京裁判」観と日本会議国際広報委員会編・再審「南京大虐殺」(明成社、2000)。
  • 0799/民主党・鳩山由紀夫、社民党・福島瑞穂は<アメリカの核の傘>の現実を直視しているか。
  • 0794/月刊正論9月号の長谷川三千子による朝日新聞、竹本忠雄による「厄災としてのフランス革命」論。
  • 0790/小林よしのり・世論という悪夢(小学館101新書、2009.08)を一部読んで。
  • 0785/屋山太郎と勝谷誠彦は信用できるか。櫻井よしこも奇妙。
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