秋月瑛二の「憂国」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

罪刑法定主義

1169/朝日新聞4/11天声人語の「法的」素養の欠如。

 朝日新聞4/11朝刊の天声人語がエラそうに、じつはアホなことを書いている。
 自民党の憲法改正案を皮肉り、それとの比較で橋下徹の見解を「常識的な見解」と持ち上げる過程で、次のような馬鹿な言辞を吐いている。
 「憲法は国民が国家を縛るもの、法律は国家が国民を縛るもの。向きが逆さになる。」

 このあとこの旨を「憲法99条が象徴的に示している」と続けているのだが、憲法99条のどこに「法律は国家が国民を縛るもの」という趣旨が含まれているのか。
 そもそも「法律は国家が国民を縛るもの」という理解が間違いであり、戯けた言辞だ。
 法律は議会(立法権)が制定し、国家の中の行政権と司法権を拘束する(「縛る」)もので、第一次的機能は「国民を縛る」ものではない。行政権の諸活動や司法権(裁判所)の判決を拘束する(「縛る」)ことこそが、憲法に違反していないかぎりでの法律の本質的な機能だ。行政は「法律を誠実に執行」しなければならず、司法(を担当する裁判官)は憲法と良心のほか「法律」にのみ拘束される。

 天声人語執筆者はそのお好きな日本国憲法の73条1号と76条3項を読んでみたらどうか。

 なるほど法律は直接に特定の又は一定範囲の国民を拘束する(「縛る」)ことがあるが、それはその他のもしくは別の一定範囲の国民の利益を、又は社会公共の利益を守るためのものだ。
 「法律は国家が国民を縛るもの」と書いてしまう天声人語執筆者は、いったい何のために縛っているのか考えたことがあるのか。

 刑法は(特定の、又は特定行為をする)国民を縛っていると言えるかもしれないが、どの刑法入門書にもそれは「個人的」・「社会的」または「国家的」法益を守るためのものだと書いているはずだ。また、罪刑法定主義によって、法律の定めによらない(国家=裁判所による)刑罰の賦課を阻止しようとしている点をとらえれば、刑法という法律は当然に国民を守る重要な機能を持っている。

 民法はどのように、いかなる意味で「国民を縛るもの」なのか。朝日新聞・天声人語執筆者は具体的例を挙げてみるがよい。きっとできないだろう。基本的には、民法は国民相互の権利義務に関する紛争を解決するための、司法権(裁判所)を拘束する裁判規範として機能するものだ。決して単純に「国民を縛るもの」ではない。
 個々の行政法規は、直接に(民法とは違って国民が出訴しなくとも)行政権・行政機関を拘束するものだ。国民を拘束する命令等を行政機関に授権することもあるが、法律がないかぎりで国民を拘束する命令を出せないという意味では、国民を守っている。またそもそも例えば生活保護法という法律のように、国民に「権利」を付与するもので、決して「国民を縛るもの」という性格づけをできない法律も少なくない。
 議会(立法権)は他の二権と違って国民により選出された議員により構成されているので、むしろ議会制定法=法律は、国民代表が司法権と行政権を「縛る」ものだ、と言える。お分かりかな? 朝日新聞、天声人語殿。
 天声人語が「憲法は国民が国家を縛るもの、法律は国家が国民を縛るもの。向きが逆さになる。」などというバカげたことを書いているのは、日本のマスメディアの知識レベルの低劣さを示す典型でもあろう。
 憲法改正に関する議論でも、日本のマスコミが産経新聞も含めて、いかほどに適切な記事や論評を書いたり、議論を展開させることができるのか、はなはだ疑わしいと思っている。何しろ、<よりよい・よりマシな憲法を>という問題意識を欠落させたまま、長い間眠り続けてきた日本人を作りだし、その
先頭に立ってきたのは、朝日新聞を筆頭とする日本のマスメディア(に従事する天声人語子等)に他ならない。
 産経新聞ですら、改憲の必要はしばしば訴えてはいるものの、具体的な諸論点についての「法的」な理解は心もとないところがある。護憲派の朝日新聞・毎日新聞となるとなおさらだ。「法的」素養の欠如は、4/11朝日新聞・天声人語が見事に示してくれている。そもそも朝日新聞・天声人語に、憲法や法律に関する(以上では言及を省略したが)「そもそも」論を述べる資格はない、というべきだろう。

0887/西部邁には「現実遊離」傾向はないか②。

 いかなる理由だったのか、中島岳志=西部邁・パール判決を問い直す(講談社現代新書、2008.07)をきちんと読まなかったし、この欄でコメントしたこともおそらくない。
 と思っていたが、記憶違いで、概読して、中島岳志の法的無知等について批判的
コメントすら書いていた。  その後、所謂東京裁判法廷のパ-ル判事の<真意>をめぐる東谷暁等と小林よしのりの月刊正論(産経)等での論争を知り、ケルゼン(・「法実証主義」)の理解はパ-ル判事の意見書(所謂パール判決)の理解や評価と関係はない等と書いて、このときは小林よしのりを応援したのだった。
 西部邁が書く上掲の本の「おわりに」(p.197-、計10頁)をあらためて読んで、この人の「法」等に関する考え方、「法律観」はかなり奇妙だと感じざるをえない。
 要約的に紹介しつつ、コメントする。
 ①「近代の社会秩序を方向づけている法哲学は法実証主義だといってさしつかえない」。
 ②「実証主義」は観察・計量可能な社会の規範体系を重視し、それをできめるだけ「(形式的)に合理的に構築」しようとする。規範体系は「慣習法」も含むが、「法実証主義」の「主たる対象」は「いわゆる制定法」になる。(p.198)
 →「法実証主義」が近代「法哲学」を「方向づけ」る、との理解は適切なものか、確信はもてないが、それが、のちにも西部邁が(極端なかたちを想定して)理解するものを意味するとすれば、すでに誤謬または偏見が含まれているだろう。
 ③上のことが「過剰なほどに明確」なのはケルゼン。ケルゼンは、1.「価値相対主義」に立ち、2.「根本規範」が採用する「価値観」は「民主主義的な」「多数決」によって決定されると説き、3.「根本規範」から「合理的に導出され制定され」るのが「実定法の体系」だとする(4.略)(p.199)
 ④ケルゼンの法哲学は「ハイエックの批判した」「設計主義(…)の法哲学」であることは「論を俟たない」。
 ⑤「いささかならず奇怪」なのは、「自称保守派の少なからぬ部分が、社会秩序の維持に拘泥するのあまり、こうした(制定)法至上主義に与している」ことだ。
 →鳩山由紀夫はもともとは「最低でも県外」と言っていたのに、「できるだけ県外」との約束を履行できなくて…と謝罪した。「最低でも」と「できるだけ」では、まったく意味が違う。ごまかしがある。西部邁もまた、「法実証主義」、「主な対象」は「制定法」、という前言を、この⑤では「(制定)法至上主義」と言い換えている。批判したい対象を批判しやすいように(こっそりと)歪めることは論争においてしばしば見られることだが、西部邁も対象の歪曲をすでに行っているのではないか。
 ⑥東京裁判にもかかわる「自称保守派」の「罪刑法定主義の言説」はケルゼンの「もっとも狭い近代主義にすぎない」。<罪刑法定主義>によって「見過ごしにされている」のは、次の二つ。第一に、「制定法はつねに何ほどか抽象的に規定されるほかない」ということ。そして、「法定」 の「実相」は「権力(…)による決定」だということ。第二に、制定法の「解釈と運用」は「根本規範」に「従い切れる」ものではなく、「制定法を基礎づけたり枠づけたりしている法律以外のルール、つまり徳律(モーラル)」やその苗床たる「国民の習俗」やそれが促す「国民の士気」等を参照せざるをえない。(p.200-1)
 →この⑥には、<罪刑法定主義>への偏見と無知がある。
 <罪刑法定主義>といっても「制定法」が「何ほどか抽象的に規定されるほかない」ことは、法学または刑法学の入門書を読んだ学生においてすら常識的なことだ。また、「徳律」・「習俗」・「士気」などとは表現しないが、とくに裁判官が、法律上に明記された文言では不明な部分を何らかの方法によって<補充>して解釈していることも常識的なことだ。
 <罪刑法定主義>は上の二点を「見過ごし」にしている、などという大言壮語は吐かない方がよい。
 ⑦欧州の「慣習法の法哲学」をD・ヒュームも語り、E・バークは、「啓蒙的な自然法」とは区別される「歴史的自然法」が基礎に胚胎する「慣習法体系」を語った。「歴史的自然法」とは「歴史の英知」ともいうべき「国民の規範意識」で、憲法についての国民意識も「政治的に設計され」ず、「歴史的に醸成される」。(p.202-3)
 ⑧「保守思想」は「歴史的自然法の考え方」に「賛意を表する」。
 →「保守」=「歴史的自然法の考え方」、「左翼」または反・非「保守」(「自称保守」の多く)=「法実証主義」と言いたいのであれば、あまりも単純な整理の仕方ではないか?
 ⑨「歴史的自然法」の理解者は多少とも「法実証主義」を批判する。後者は「民主主義の多数決によって何らかの特定の直観を採用する」との見解だ。その「直観の妥当性」を「歴史的英知」、「いいかえると伝統精神」に求めるのが「保守思想における法哲学の基本」だ。
 ⑩「保守思想における法哲学」は「罪刑法定主義」に「もっとも強い疑義」をもつ。「法実証主義」の目標である「精緻な制定法」の「設計」をすれば、社会秩序は「リーガル・アルゴリズム(法律的計算法)」に任されることとなり、「法律的計算法」の支配する社会は「(民主主義という名の)牢獄」にすぎない。(p.203)
 →じつに幼稚な思考だ。たしかに、法律(制定法)の精緻さを高める必要がある場合のほかに、あまりに詳細で厳密な法律(制定法)作りを避けるべき場合もあるだろう。だが、「精緻な制定法」作りによって社会は「(民主主義という名の)牢獄」になるなどと簡単に論定すべきではないだろう。
 また、ここにはほとんど明らかに「制定法(法律)」ニヒリズムとでも言うべきものが看取できる。さらに、現代国家・現代社会につき「法律」によって国民(人民)を監視し管理する「牢獄」に見立てているらしきM・フーコーの言説を想起できさえする(M・フーコーの議論をあらためて確認はしない)。西部邁とは存外に―少なくとも「法律(実定法)」に関する限りでは―「左翼」的心情の持ち主なのではないか。

 ⑪「制定法」中心になるのは「文明の逃れ難い宿命」だろうが、「歴史的自然法」を「考慮」すべしとするのが「保守的な裁判観」だ。

 ⑫所謂東京裁判の「法実証主義・罪刑法定主義」違反に対する批判に終始して当時の「国際慣習や国際歴史(の自然法)に一顧だにしない」のは「法匪のにおいがつきまとう」。
 ⑬「左翼(近代主義)的な法律観」を排すべき。「左翼的」「裁判観」を受容したうえでの「東京裁判批判などは屁のつっぱり程度にしか」ならない
 →所謂東京裁判に関連させてだが、「法実証主義・罪刑法定主義」に立つ者を「法匪のにおいがつきまとう」との表現で罵り、「左翼的」裁判観だと断定している。
 かかる単純な議論には従いていけない。東京裁判を離れてより一般的に言えば、前回に書いたこととほとんど同様になる。つまり、西部邁がこの文章で言っている「歴史的自然法」・「慣習法の法哲学」あるいは「歴史的英知」・「伝統精神」に従った<制定法(法律)>の「解釈運用」や、新しい<制定法(法律)>案の具体例を示していただきたい。
 現実に多数ある政策課題(そして、どのような内容の法律にするかという諸問題)を前にしてみれば、「歴史的自然法」を考慮せよ、と言ってみたところで、ほとんど<寝言に等しい>
 西部邁は自分が毎年払っているだろう(原稿料・印税等の)所得税の計算方法にしても、自分が利用していると思われる公共交通・エネルギー供給事業等々にしても、どのような関係法令があり、どのような具体的定めがあるかをほとんど知ってはいないし、ひょっとすれば関心もないのかもしれない。<現実遊離>を感じる所以だ。
 ついでに。現憲法76条3項は「すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される」と定めている。裁判官が依拠すべきなのは「法律」だけではない。「憲法」も含まれるし、何よりも「良心に従」うべきとされている。
 西部邁が嫌いな現憲法すら、<制定法(法律)至上主義>を採用していない。

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