今年の(厳密には昨年末刊行以降の)月刊雑誌の記事で最も印象に残っているのは、諸君!07年02月号(文藝春秋)の、伊藤隆・櫻井よしこ・中西輝政・古田博司による「「冷戦」は終わっていない!」との「激論」(p.34-66)だ。
 具体的な一部分にはすでに言及したかもしれない。
 この「激論」は「戦後日本の負の遺産ともいうべき、冷戦における知識人の戦争責任」につき論じるもので(櫻井、p.35)、「戦争責任」ある「冷戦における知識人」とは、私流にいえば(ソ連・)中国・北朝鮮との「冷戦」中にこれら諸国を客観的にでも応援している(した)者たちだ。
 対論中に登場する順に、一時期のことにせよ批判されている者又は批判的にとり上げられている者の名を生(・没)年の記載もそのまま引用しつつ以下に掲げる。田中角栄(1918-93)、金丸信(1914-96)、野中広務(1925-)、和田春樹(1938-)、大江健三郎(1935-)、丸山真男(1914-96)、大塚久雄(1907-96)、竹内好(1910-77)、加藤紘一(1939-)、河野洋平(1937-)、橋本龍太郎(1937-2006)、山田盛太郎(1897-1980)、石母田正(1913-2001)、井上清(1913-2001)、家永三郎(1913-2002)、遠山茂樹(1914-)、蝋山政道(1895-1980)、大内兵衛(1888-1980)、有沢広巳(1896-1988)、尾崎秀実(1901-44)、西園寺公一(1906-93)、風見章(1886-1961)、横田喜三郎(1896-1993)、石田雄(1923-)、加藤周一(1919-)、南原繁(1889-1974)、中島健蔵(1903-1979)、千田是也(1904-1994)、武田泰淳(1912-1976)、秋岡家栄(1925-)、杉田亮毅(1937-)、清水幾太郎(1907-1988)。
 対談者の専門の関係で日本史学者の名もある程度出てくる(石母田正、井上清、家永三郎、遠山茂樹)、丸山真男、石田雄、南原繁は政治学者だ。秋岡家栄は朝日新聞の元北京特派員、同社退職後は中国「人民日報」の販売代理店の代表とかの御仁だ。過日紹介した「平和問題談話会」のメンバーも多い。
 1955年の南原繁の、「中国では毛沢東主席、周恩来総理、そういう偉大な政治家を持っておる国民は非常に幸福だと思う」との発言が、中国による対日工作との関係で紹介されている(p.57)。この南原繁に対して最大級の尊敬の言を発していた立花隆(1940-)に読んでもらいたいものだ。だが、立花隆もこの南原と同じ考えだったりして!?
 なお、同誌同号には細谷茂樹「金正日をあやし肥らせた言説」との論稿もあり(p.67-75)、タイトルどおりの諸氏の言説が引用・紹介されているので、記録又は資料として価値がある。
 言説がとり上げられているのは、野中広務鳩山由紀夫不破哲三村山富市辻元清美土井たか子日本社会党石橋政嗣小田実都留重人和田春樹坂本義和安江良介(元岩波書店)、松本昌次西谷能雄(以上2名、元未来社)、朝日新聞、だ。