秋月瑛二の「憂国」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

笹倉秀夫

1429/日本共産党の「大ウソ」31 -池田嘉郎・ロシア革命(岩波新書)。

 一 日本共産党の現在の綱領は、「10月社会主義革命」によってロシアは資本主義を離脱して社会主義への道を切り拓いたが、スターリンの誤りによって道を踏み外し、ソ連は社会主義国ではなくなった、とか書いている(はずだ)。
 また、同党幹部会委員長・志位和夫は、党員向け研修で、上に加えて、ロシア「革命」後にレーニンらは外国からの干渉(干渉戦争)に耐え抜き、<クロンシュタットの反乱>を「やむなく」鎮圧したのち、レーニンは本格的に社会主義への道の具体化を(実践の中で)思考しはじめ、<ネップ>政策への変更時に「市場経済を通じて社会主義へ」という路線を明確に打ち立てた。しかし、レーニンの死によってこれは十分には実現せず、かつ後継者・スターリンによってこの道は葬り去られて、1930年代半ばにはソ連は社会主義をめざす国(社会主義国)ではなくなった、と講義している。
 記憶によって書いたが、以上二つは大きくは誤っていないだろう。それぞれ、昨年のこの欄に直接の引用によって紹介・記載している。
 二 志位和夫・不破哲三・レーニン(全集)の本を並べて、文献実証的に ?、不破哲三のレーニン理解は誤っている、レーニン全集の当該文献・論文は不破哲三のようには全く解されない、ということを書く直前のところまで進んでいた。
 「日本共産党・不破哲三には<何もなかった>」ということを示すのはこの回も先送りして(自信がないのでは全くなく、結論は出ている。不破文献やレーニン全集の該当頁を示しつつきちんと書くのが億劫なだけだ)、日本共産党が根本の前提にしている「ロシア革命」による社会主義への道への出発、つまりロシア「社会主義革命」は歴史を「進める」、人類にとつて良きものだった、という前提がそもそも「誤っている」 ということについて、記しておきたい。
 三 レーニンまたはロシア「革命」関係の文献を和洋とわず渉猟して、一瞥または一読して感じた、予想よりも異なる感想は、「ロシア革命」を肯定的・積極的に評価する文献は、とくに1990年以降は、ほとんどない、ということだった。
 ほとんどは、レーニンとスターリンを連続的なものと見ている(全く同じでは勿論なく、同方向にあったと見ている)。
 レーニンとスターリンをあえて区別して、異質なものと考えているように読める、そして「ロシア革命」とレーニンだけは批判していないと読める学者・研究者は、つぎの三名のみ。日本共産党自身の文献はむろん除く。
 すなわち、藤田勇、渓内謙、笹倉秀夫
 これらの人の文献にはまだ全くかほとんど言及していない。藤田勇は、1970年代のマルクス主義法学講座(日本評論社)の編集委員の一人だった。一部言及した笹倉秀夫は、長く民主主義科学者協会(民科)法律部会の理事を務めている。
 あらためて論及することがあるだろう。老人となってしまった前の二人の近年の言述は、もはや哀れを誘うほどだ。
 また、日本共産党のように、レーニンが<市場経済から社会主義への道>という路線を明確にした、と書いているのは、ほとんどか全くか、日本共産党の幹部たちしかいない。
 不破哲三、志位和夫、聴濤弘。
 もう一人、(日本平和学会員とか書いてあった)学者らしき者が同党の教条的公式の敷衍のような文献を刊行していたが、その本は現在手元からなくなっている(判明次第にこの欄で明らかにする)。
 つまり、レーニンによる<市場経済から社会主義への道>という路線の明確化というのは、ロシアまたはソ連の歴史に関する大学・学界(アカデミズム)ではまったく相手にされていない、と見られる。
 これは喜ばしい、予想はずれだった。日本近現代史をほとんど講座派系マルクス主義学者に占められていると感じていたので、歴史学全体が、ソ連・ロシア史も含めてやはり日本共産党の影響が強いのかと思っていた。
 四 池田嘉郎・ロシア革命-破局の8か月(岩波新書、2017)も、ロシア・ソ連史分野の現在のアカデミズムの状況を反映している、と考えられる。ロシア「10月革命」は、何ら美しくは描かれていない。
 但し、全9章のうち最後の9章だけが「10月革命」であとは二月革命とその前史なので、「10月革命」の叙述は詳しいものではない。
 だが、日本共産党の文献・綱領のごとくこれを賛美するものではないことは全く明らかだ。
 「10月革命」の叙述については、不満も含めて別に感想も記すが、R・パイプスの本も通じてある程度は知識があるので、一気に難なく読めた。
 ここでは、池田のつぎの文章部分だけを引用・紹介しておきたい。「はじめに」から。
 「社会主義者のなかの急進派、ボルシェヴィキ」は、「民衆と臨時政府」のあいだの「裂け目」に食い込み、「指導者レーニン」は「ロシアで直ちに社会主義の実現に着手するという途方もない目標」を掲げた。
 「世界大戦」が示すように「資本主義体制は滅びの淵」にある。臨時政府を打倒し、戦争から抜け出し、「ヨーロッパ革命とひとつとなって、…あたらしいロシアをつくりだそう」-「この力強い、そして、根本において誤っていた展望に促されて起こったのが、十月革命である」。
 池田の「民衆」概念とその分析、レーニンの個性、つまりその<狂信>・強固な<理論・観念>、への言及、がほとんどないこと、あるいは、マルクス主義・共産主義「理論」への論及もほとんどない(「マルクス」は索引にもない)ことなど、コメントしたいことも多い。しかし、日本共産党の歴史叙述とはまるで異なることは、一目瞭然だ。
 日本共産党や同党員は、冷静に上のような学者の見解を読む<勇気>あるいは<人間らしさ>を持っているかどうか。

1408/歴史と感情と科学と-R・パイプス、そして笹倉秀夫。

 一 前回10/12の末尾に、「歴史に関する学者・研究者でも、<怒るべきときは怒る>、<涙すべときは涙する>という人間的『感性』を率直に示して、何ら問題がないはずだ」。 これは歴史叙述そのものに「感情」を明示してもよい、という趣旨ではない。
 このように書いたのは、何かを読んでその印象が残っていたからだ。
 R・パイプス・ロシア革命史の「訳者あとがき-解説にかえて」の西山克典の文章だったかもしれないと探してみたが、そうではなかった。別の本を捲ったりしているうちに、上記のR・パイプスの書物(邦訳書)の本文自体のほとんど末尾にある、「16章/ロシア革命への省察」の中の文章であることが分かった。
 ブレジンスキーと同様にR・パイプスは、日本共産党とは違って、レーニンとスターリンとがほとんど真反対のベクトル方向にあるとは見ていない。R・パイプスは、1917秋(10月革命時)と1922年の初めまで(レーニン時代だ)のソ同盟の人口減を1270万人(戦死、餓死=500万人以上、疫病死、海外逃亡等を含む)とし、自然状態では増大していたはずの人口を想定すると、実際の人的損失は「2300万に達する」などを指摘したのち、つぎのように記述する。
 R・パイプス(西山克典訳)・ロシア革命史(成文社、2000)p.404-5による。〔〕の英語は、原著(A Concise History of the Russian Revolution、p.403-4 )を直接に参照した。
 ・かかる「前例のない惨禍を、感情に動かされずに見ることができるであろうか、また、見るべきであろうか」。
 ・現代において「科学」の威光は強く、「道義的にも感情的にも超然とした科学者」の、全現象を「自然」で「中立的」と見なす気質を身につけてきた。彼らは「歴史」における「人間の自由意志」を考慮することを嫌い、「歴史」の「必然性」を語る。
 ・しかし、「科学の対象と歴史の対象」は「著しく異なる」。医師・会計士・調査技師・諜報局員の調査は「正しい決定に達するのを可能にする」ためで、「感情に絡みとられてはいけない」。
 ・「歴史家にとっては、決定はすでに他人によって為されており、超然と構えることで、認識に付け加えるものは何もない。実際には、それ〔超然と構えること〕は、認識を低下させることになる。というのは、激情のさなかに〔in the heat of passion〕生み出された出来事をどうやって、感情に動かされずに〔dispassionately〕、理解することができるというのであろうか」。
 ・19世紀ドイツの某歴史家は、「歴史は怒りと熱狂をもって書かれなければならない、と私は主張する」、と書いた。
 ・アリストテレスは「あらゆる問題について節度を説いた」が、「『憤りを欠くこと』が受け入れがたい状況がある、『怒るべきことに怒っていない人々は馬鹿と思われるからである』」と述べた。
 ・「関連する事実〔facts〕の収集整理は、確かに感情に動かされることなく、怒りも熱狂もなく行われなければならない。歴史家の技能のこの面は、科学者と何ら異なるものではない。しかし、これは、歴史家の任務の始まりにすぎない」。
 ・「どれが『関連している〔relevant〕』かの決定は、判断〔judgment〕を求めており、そして、判断は価値〔values〕に基づいているからである。事実は、それ自体としては無意味である。何故なら、それをどう選別し、序列化し、そしてどれを強調するかに関し、事実自体は何ら指針〔guide〕を提供しないからである。過去が『意味をなす〔make sense〕』ためには、歴史家は何らかの原則〔principle〕に従わなければならない」。
 ・「通常、歴史家はまさにそれをもって」おり、「最も『科学的な』歴史家でさえ、意識しようがしまいが、予見〔preconceptions〕から行動しているのである」。
 ・一般的にその予見は「経済的な決定論に根ざしている」。経済・社会のデータは「不遍性という幻想〔illusion of impartiality〕」を生んでいるからである。
 ・「歴史的な出来事への判断を拒むことはまた、道義的な価値観にも基づいている。すなわち、生起したことは、何であれ、自然〔natural〕なことであり、従って正しい〔right〕という暗黙の前提〔silent premice〕であり、それは、勝利を得ることになった人々の弁明〔apology〕に帰すことになる」。
 以上。
 二 歴史は怒り等の感情をもって書かれてよい、というふうの部分が印象に残っていたのだったが、きちんと読むと、それ以上の内容を含んでいる。
 ここでの「歴史」学には、<政治思想史>や<法思想史>、<政治史>や<法制史>などの学問分野も含まれうるものと考えられる。
 こうした分野の文献を、かついわゆる<アカデミズム>内の文献・論文も最近は読むことが多い。そうして、上にパイプスが書いていることも、相当によく分かる。
 基本的なから些細なまで、種々の「事実」があるに違いない。書き手はどうやってそれを<序列化>し<関連づけ>ているのだろう、と感じることもある。また、この人は何らかの<価値判断>に基づいている、あるいはさらには何らかの<政治的立場>に立っている、これで<学問的作業>なのか、と思うこともある。
 また、思い出すに、ソ連崩壊により「東・中欧での社会主義化は挫折」したことは事実として認めつつ、その原因としてマルクス主義自体やレーニン(またはレーニズム)には大きな注意は払わず、「スターリニズム」の「問題点」などをかなり詳しく叙述しつつ、「それらの運動」〔社会主義・共産主義運動 ?〕を「スターリニズムに解消させて、マイナス面だけを」論じて、「社会主義化の実践」の肯定面に「目を閉ざすのは、研究者の公正な姿勢ではない」と強弁(!)する日本の「研究者」の書物があった。
 笹倉秀夫・法思想史講義/下(東京大学出版会、2007)p.315-6。
笹倉は、「社会主義化の実践」が示した「ヒューマニズムや自由・民主主義・世界平和運動の面での貢献」に「目を閉ざすのは、研究者の公正な姿勢ではない」とし、「例えば」として三点を挙げる。
 その三点にはここでは立ち入らない。しかし、社会主義・共産主義運動(「社会主義化の実践」)が「ヒューマニズムや自由・民主主義・世界平和運動の面」で「貢献」した、という前提自体が、何ら実証されていない「暗黙の前提」であり、この<科学的と自認しているのかもしれない学者>の「原則、principle」なのだろうと推察される。マイナスだけではなく積極面も見るのが「研究者の公正な姿勢」だという表向きの言い方自体にすでに、(隠された)何らかの(おそらくは政治的な)<価値判断>が含まれているだろう。
 立ち入らないが、ファシズムと共産主義ではなくファシズムとスターリニズムを併せて<全体主義>と称するのは誤りだとの叙述(p.316注)も含めて(全体主義論はファシズムとレーニンを含む共産主義全体を包含するものだが、おそらく意識的にスターリンに限っている)、上のような叙述・説明は今日では日本共産党以外には珍しく、おそらくは、この人は、日本共産党員なのだろうと思われる。
 それは別として、これまでこの欄で「歴史学」なるものについて、坂本多加雄、山内昌之らのその性格や役割に関する議論を紹介したことがある。ひょっとすれば、人文・社会系学問のすべてに当てはまるかもしれないのだが、上のパイプスが述べるところも、充分に読むべきところがある。
 なお、パイプスのロシア革命に関する書物自体は、個別「事実」について相当に密度の濃いもので、<感情>的な文章で成り立っているわけでは全くない。諸事実の<解釈>あるいは<取り上げ方・並べ方>におそらくは、パイプスのロシア革命に対する何らかの(<価値>にもとづく)<判断>が働いているのだろう。
 三 忘れていた。上のパイプスの文章の最後の部分は、とくに意識・自覚される必要がある、と考えられる。
 パイプスによれば、歴史事象への<判断>を峻拒する歴史叙述は、公正で客観的な印象を与えるかもしれないが、じつはその歴史または歴史の結果としての現在の<勝利者>に味方している。生起した歴史事象、その結果としての現実が「自然」で「正しい」と思ってしまえば、それは<現実>(を支持する大勢 ?)を擁護していることになる
 この観点は忘れてはいけない、と思う。
 徳川家康は「正しかった」から長い江戸時代を拓いたわけではないし、明治維新が(薩長両藩等が)「正しかった」から、明治時代があったわけでもない、と思われる。
 「日本に生まれてまぁよかった」という題の本を出している人がいるが(平川祐弘)、この人が安倍戦後70年談話を擁護しているように、彼が生きた戦後日本は彼にとって「まぁよかった」のだろう。そして、この人の今年1月号の論考に明かなように、戦前・戦中の日本は<誤って>いた、と判断されることになる。それでもなお、この人(平川祐弘)は「保守」派論壇人らしいのではあるが。
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