秋月瑛二の「憂国」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

第20回党大会

1374/日本共産党の大ペテン・大ウソ23。

 一 ようやく二つのうちの第一の論点を終える。
 1991年のソ連崩壊前後の日本共産党の文献を通じて(もちろん全てではないが)、①1994年第20回党大会による綱領改定に際して、(とっくに、1930年代に)ソ連は社会主義国ではなくなっていた、という同党の歴史理解を明らかにした、ということが分かり、②日本共産党は、ソ連崩壊後の一時期はソ連(・ソ連共産党)の「覇権主義」等を厳しく批判しながらも、ソ連が社会主義国だったのか、つまりは社会主義国をめざす国家や共産党に対していわば<(国際共産主義運動の)仲間うち>の問題として「覇権主義」等の誤りをしてきたのか、社会主義国ではもはやないソ連に対して「覇権主義」等を批判してきたのかを曖昧にしてきたことも分かった。そして、③上の②の答えは1991年以前は明らかに前者、つまり<(国際共産主義運動の)仲間うち>の問題としての指摘だったにもかかわらず、ソ連崩壊以後は何と、<30年にわたってソ連を批判し続けてきた>ということを、日本共産党は「正しい」(1994年7月以降は、崩壊したのは社会主義ではない)と言い張る根拠にする、という大ペテンを仕掛けたのだった。
 1994年に至って、このようなソ連の性格に関する見地の根本的な変更、従来とは全く反対の理解をすることについて、不破哲三は、1994年の党大会で日本共産党中央委員会幹部会委員長として、「旧ソ連社会にたいする私たちの認識は、多くの逸脱と否定的現象をともないつつも大局的にはなお歴史的な過渡期に属するという見方の上にたったもので、今日から見れば明確さを欠いていた」とだけ、反省(?)の言葉を述べたのだった(2016.05.23秋月「…の大ペテン・大ウソ09」参照)。
 二 第二の論点は、すでに少し立ちいっているのだが、ソ連の歴史について日本共産党がいう、スターリン以降に「誤った」(レーニンは「正し」かった)という旨の1994年以降の日本共産党による<歴史の評価>は適切なのか、だ。
 「…大ペテン・大ウソ」の第01回めでは、「日本共産党は、レーニンまでは正しく、つまりレーニン時代は「社会主義」の方向に向かっていたが、<大国主義・覇権主義>のスターリンによって誤った、と言っているようだ。/このような、レーニン時期とスターリン時期の大きな(質的に異なると言っているような)区分論は歴史把握として適切なのか。あるいはまた、この対比は、レーニン=「社会主義」、スターリン=<それ>からの逸脱、と単純化してよいのかどうか」、と書いた。
 この問題は第一の論点と異なり、関係文献をきちんと読んで分析すれば(客観的に把握すればよい)というものでは必ずしもない。なぜなら、レーニンとスターリンの異同そのものの問題として言えば、共通性もあれば異質性もあったということになるはずなのであり、問題は<社会主義>の方向に向かっているか(「正し」かったか)、逆(又はそうでない)方向に向かっている(「誤って」いたか)という、<評価・論評>の世界に入ってしまうからだ。
 しかし、<社会主義>にとっていずれが「正しい」(正しかった)かどうかは秋月の関心ではないし、そもそもが<社会主義(・共産主義)の方向>とは何かを論じるつもりも資格もない。
 厳密に論理的にいえば、かりにマルクスが理解し主張したのが<正しい>社会主義だったとすれば、第一に、レーニンもすでに「誤って」いた(=突き詰めれば、ロシアの1917年10月にあったのは「社会主義革命」ではなかった)、したがって「誤って」いた点ではレーニンもスターリンも同じだ、という理解・論評も成り立つだろう。
 一方、第二に、かりにマルクスが理解し主張したのが<正しい>社会主義だっとして、レーニンもスターリンもともに「正しく」社会主義の道を歩んだ、ソ連の崩壊(とソ連存続中に生じた事象)は、マルクス主義自体が含む歴史的な必然の表れだった、という理解・論評も成り立つはずだ。
 上の二つ捉え方は、マルクス・レーニン・スターリンの三者の基本的な異同に着目すれば、次のように図示できる。
 A 〇-×-×。 B 〇-〇-〇。
 これらと対比すれば、日本共産党の理解・評価の仕方は、次のようになる。
 C 〇-〇-×。
 また、実際に主張者があるどうかは知らないが、ロシアに「社会主義革命」が起こったにもかかわらず、レーニンはとくに「ネップ(新経済政策)」の導入によって市場経済・「資本主義」への方向へと道を切り換えて社会主義への道を踏み外した、これをスターリンが本来の社会主義への道へと戻した、という理解・論評もありうる、と考えられる。かりにマルクスの理解・主張は「正しい」ものだという前提に立てば、この理解・論評は次のように図式化できるはずだ。
 D 〇-×-〇。
 すでに論及し始めているここでの論点は、上のC(日本共産党の評価)の適否だ
 マルクスとの間の対応関係を捨象してしまえば、より正確には、あるいは厳密には、レーニンは「市場経済を通じて社会主義へ」という道を、ロシアに特有のかつ一時的戦略としてではなく、社会主義到達方法論の一つとして<理論的に>選び、少しは<現実に>も実施したのか(そして、スターリンはそれを覆したのか)、ということになる。
 はたして「市場経済を通じて社会主義へ」という道が(とりわけマルクスから見て)一部にせよ、あるいは一般論としても、ありうるのかどうか、という問題は関心対象ではない(<社会主義>社会を夢みている人々は真摯に議論していただきたい)。
 要するに、日本共産党の理解・主張の適否は、レーニンはロシアに特有のかつ一時的戦略としてではなく、社会主義建設方法論の一つとして「市場経済を通じて社会主義へ」という道を主張しかつ実践した、と評してよいのかを、とりわけレーニン関係文献を通じて検討することによって明らかになるはずだ、と言えるだろう。
 以下、あらためてこの作業を続けていく。
 <つづく>

1369/日本共産党の大ペテン・大ウソ21ー不破哲三・新日本新書(2007)。

 不破哲三・スターリンと大国主義(新日本新書、1982.03)は、1982年1-2月に「赤旗」に連載されたものを注を付してまとめたものだとされる。ソ連共産党およびソ連の解体前の書だ。
 新装版/不破哲三・スターリンと大国主義(新日本出版社、2007.05)というものもあり、これには不破の18頁にわたる「新装版の刊行にあたって」が目次前の冒頭に付いている。そして、この新装版はソ連共産党・ソ連解体後のものだが、上記の1982年の新書版と内容は変わっていない、らしい。逐一の確認はしていないが、どうやらそのとおりのようだ。
 興味深く、かつ厚かましいと感じ、かつまた不破哲三の面の皮はよほど厚いに違いないと思うのは、2007年の本のまえがきで、①「ソ連大国主義をめぐる歴史的追跡において、根本的な訂正が必要だと思われる点が見あたらない」、②「この二十五年の間に」新しい事実も明らかになったが、「ソ連覇権主義への告発に訂正をせまるものではない」等と不破は述べているが、元となった1982年の新書では、ソ連を「社会主義」国の一つと見なしたうえで、その大国主義等を批判していることだ。重大な変化を無視して、表面的な不変性(訂正・修正の不要性)を語っていることだ。  
 そしてその重大と思われる点については、2007年の本のまえがきで、1994年の第20回党大会でソ連は社会主義ではなくなっていたと明確にした、「ソ連で崩壊したのは、社会主義ではありません」、と釈明しかつ強弁している(p.17)。
 以下で紹介しておくように1982年にはソ連を「社会主義」国の一つと見なし、「国際共産主義運動内部」での「大国主義、覇権主義」と明記しながら、2007年には「根本的訂正」は必要なかったとしつつ、1994年に日本共産党はソ連は社会主義国でなかったという見地に立った、とまえがき部分でこっそりと?、いや公然と「訂正・修正」 しているのだ。
 どういう神経をもっているのだろう。どれほどに面の皮は厚いのだろうか。これを「知的傲慢」と言わずして何と言うのだろうか。
 ともあれ、1982年には不破哲三はこう書いていた。2007年の上の①や②と対比していただきたい。1982年新書版、p.240-242。
 ・「今日の社会主義」はまだ「生成期」にあるという「歴史的制約以上に重大なことは、ソ連などの大国主義、覇権主義をはじめ、社会主義の原則に反する誤りとその蓄積が、社会主義の事業が本来もっている…威信と優越性をはてしなく傷つけていることです」。
 ・「この大国主義」は、「社会主義の道にふみだした国ぐにの経済的政治的困難の最大の要因ともなってき」ており、「大国主義克服のための闘争は、世界と日本の社会主義の事業にとって、決定的といってよい重みをもっています」。
 ・「いっさいの大国主義、覇権主義、ヘゲモニー主義を国際共産主義運動と世界政治から根絶することをめざす」闘いはレーニンの継承発展という歴史的意義をもつ。
 ・日本共産党は1981年にソ連共産党中央委員会あて書簡で、「ソ連の現在の…大国主義、覇権主義のあらわれの一つひとつを事実に即して具体的に指摘し、きびしく批判するとともに、これを国際共産主義運動内部から一掃するために最後までたたかう」意思を表明した。
 ・ すなわち、「アメリカ帝国主義」や「日本の反動支配層」とたたかうと同時に「国際共産主義運動の内部における大国主義、覇権主義のいかなるあらわれにも反対して、その是正を求め、…奮闘するでしょう」、と書き送った。
 以上は、2007年の単行本のp.266-8頁にも、同文でそのまま掲載されている。
 このように「ソ連などの大国主義、覇権主義をはじめ、社会主義の原則に反する誤り」だとか、「国際共産主義運動の内部における大国主義、覇権主義」と闘うとか書いておきながら、2007のはしがき・序文では、何と、<訂正・修正>する必要はなかった、と不破哲三は<開き直って>いるわけだ。
 ここまで傲慢になられると、そしてソ連共産党・ソ連自体の解体の意味を全くかほとんど無視されると、巨大なカラクリに眩惑されてしまいそうだ。
 日本共産党は、ソ連と三〇年以上にわたって闘ってきたと、さも自慢そうに言い、そのついでに?、崩壊したのはソ連であって社会主義ではない、とも1994年以降は明確に言い始めたのだった。しかし、日本共産党は、「社会主義」国ソ連の「社会主義の原則」に反する「大国主義、覇権主義」を、「国際共産主義運動内部」の誤りとして三〇年以上闘ってきたのだった。もはや社会主義国ではないとしてソ連(の大国主義・覇権主義)と闘ってきたわけでは全くない。
 ソ連(・ソ連共産党)は誤ったが、日本共産党は「正しい」。落胆することなく、確信をもって前進しよう。-こう党員やシンパ(・同調者たち)を説得し、煽動するために、日本共産党幹部たちは<(わが党は)ソ連の(誤った)大国主義・覇権主義と三〇年にわたって闘ってきた>ということを持ち出す。これは<大ペテン>だ。
 追記-いったんレーニンとスターリンの異同の問題に立ちいって、稲子恒夫著にも言及した。それは、産経新聞政治部・日本共産党研究( 産経新聞出版、2016.05)が発売される予定であることがその当時分かっていたので、その前に稲子恒夫著を資料として用いていることを明らかにしておく意味が個人的にはあった。この産経新聞の本には結果としては稲子恒夫著への言及がなかったので、急ぐ必要はまったくなかったことになる(産経本には、「研究」と称しつつ、参考文献の参照頁の詳しい摘示が全くない)。

1352/日本共産党の大ペテン・大ウソ19。

 一 前回(18)での叙述には、ソ連共産党の解体を1991年8月ではなく1990年8月と、日本共産党常任幹部会の<ソ連共産党解体歓迎>声明を1991年9月ではなく1990年9月と理解していた誤りがあった。したがって、これらと宮本顕治の1991年元旦の発言との関係を問題にする叙述は、すべて取り消す。<すでに6/15に必要な修正・削除をおこなった。>
 但し、宮本顕治(中央委員会議長)が1991年元旦に「赤旗」上で「われわれはソ連の失敗は希望しないし、なんとかソ連も立ち直ってほしいと思う」と公言していたことは、事実だ。
 したがってまた、その時点で宮本顕治はソ連共産党の解体もソ連邦の解体も見通せていなかったのであり、前回の元来の指摘と同じ程度ではないが、「日本共産党の指導者の、科学的な?予見・予測能力の完璧な欠如」も示すものだった、旨の指摘は基本的には当たっているだろう。
 つぎに、前回(18)、「しかし、『ソ連解体にさいして』日本共産党常任幹部会等が、上の宮本発言の論理的帰結であるような〔=残念だ旨の〕声明は出していないはずだし、また、逆に<(歴史的巨悪の?)ソ連邦の解体を歓迎する>という声明を出した痕跡もない」と書いた。
ソ連共産党解体とは別にソ連邦解体について、残念と感じるか歓迎するかのいずれの明確な反応もなかったようだ、との趣旨であり、誤っているわけではない。
 但し、日本共産党による反応が全くなかったわけではない。
 日本共産党の七十年/下(新日本出版社、1994)p.422-3にも言及されているように、1991年12月23日付(翌日「赤旗」掲載)で、日本共産党中央委員会常任幹部会「ソ連邦の解体にあたって」が発せられている。以下、日本共産党国際関係重要論文集24(同党中央委員会出版局、1993)による(p.203-5)。趣旨の理解について上記党史/七十年をも参考にすれば、次のように言う。
 ・ソ連共産党と国家としてのソ連邦の解体とは「次元を異にする問題」だが、「『歴史的巨悪』としての覇権主義」が「決定的要因となったことでは、共通の歴史的な状況がある」。(p.203)
 ・ソ連邦の解体の「最大の根源は、スターリンいらいの覇権主義および、その害悪に対するゴルバチョフ指導部の無自覚と無反省にあった」。(p.204)
 ・「大局的にいって、ソ連邦とともに解体したのは、科学的社会主義からの逸脱を特質としたゆがんだ体制であって、…いかなる意味でも、科学的社会主義の破綻をしめすものではない」。(p.204)
 ・「世界平和にとって重要な問題は、ソ連がもっていた核兵器がどうなるか」だ。「ソ連邦の解体とともに生まれた新しい情勢を、核兵器廃絶にすすむ積極的な転機とするために、あらゆる努力をかたむけることを、よびかける」。(p.205)
 以上、引用終わり。
 以上について特徴的なのは、<残念と感じるか歓迎するか>は明瞭ではないが、党の解体と同様に<スターリン以降の覇権主義>に原因があった、と淡々と分析?していることだろう。その意味では、前回紹介の宮本顕治発言よりも、<ソ連共産党解体歓迎>声明に近いかもしれない。
 ともあれ、ソ連共産党解体のときのような、<歓迎>声明そのままではない。したがって、ソ連共産党の場合と同様にソ連邦解体の場合も対応したとその後のまたは現在の日本共産党(・の幹部たち)が説明・主張しているとすれば、それは必ずしも正確な日本共産党の歴史ではない、と見られる。
 また、この時期には、ソ連共産党やソ連邦の解体の最大の原因を、日本共産党は<(大国主義・)覇権主義>に求めていた、ということを確認しておくべきだろう。レーニンの<市場経済から社会主義へ>の道をスターリン以降が覆したことに原因がある、あるいはこの道に対する態度がレーニンとスターリンの大きな違いだ、などという分析・説明は全くなされていない、ということだ。
 二 宮本顕治が、概念や論理の一貫性をもって思考している人物ではまったくないことは、上に言及の1991年元旦発言と、ソ連邦解体等のあとの翌年の1992年元旦付の「赤旗」上の発言を比べても分かる。前回と同様に宮本顕治・日本共産党の立場5(新日本文庫、1997)p.53-によるが、日本共産党国際問題重要論文集24(1993)にも収載されている。宮本は語る。
 ・「ソ連の崩壊は社会主義の崩壊ではなくて、社会帝国主義、覇権主義の破たんです。ソ連がスターリン・ブレジネフ型の、官僚主義・命令主義の体制となった結果、第二次大戦後の米ソ関係、東西関係は、資本主義体制対社会主義体制という対立から、一定の時期を経て、事実上は帝国主義と社会帝国主義の対立に転化した面があります」。(p.54)
 ・「ソ連、東欧の体制は崩壊したが、自分の誤りによって自壊したのであって、体制としての資本主義が社会主義にたいして最終的な勝利をおさめたわけではありません」。(p.55)
 以上は一部だが、誤っているとはいえなお<社会主義>国の一つと見ていたかのごとき1年前とは違って、解体したソ連等を突き放した、評論家ふう?の叙述になっている。自らと日本共産党に火の粉が降りかかるのを懸命に避けているようだ。
 また、上の発言の基本は1994年の日本共産党綱領改定にも継承されているようで、この時期の日本共産党の指導者たちの考え方が示されているだろう。
 しかし、宮本顕治が好んだかもしれない「社会帝国主義」というソ連に対する論難の仕方は、1994年およびその後の日本共産党の見解または語法としては採用されなかった、と見られる。
 また、資本主義が「最終的な勝利をおさめた」わけではない、という言い方をしているのは、<中間的には>資本主義が勝利していることを認めているようでもあり、興味深い。
 ところで、宮本顕治の発言等を追っていくと、この時期の日本共産党の最長老の現存の「教祖」らしい、<未来への確信をもって頑張れ>との宗教家的煽動の言葉が目につくが、ソ連について、つぎのようにも述べたようだ。1994年5月、すなわち同年7月の第20回党大会直前の中央委員会総会での一文だ。第19回党大会/日本共産党中央委員会総会決定集/下(同党中央委員会出版局、1994.08)による。
 「総会では、最後に宮本議長が閉会のあいさつ」を述べ、「…われわれの闘争いかんにかかっているのであり、甘い期待をもつのではなく、心をひきしめてたたかうべきことを指摘。//
 ソ連崩壊によって覇権主義の害悪とたたかう苦労から解放されたことはすばらしいことで、最後には真理は勝利することをしめしている、…、…とのべた」(p.463)。
 //は原文では改行でない。
 宮本顕治は1961年に正式に日本共産党の最高幹部になったとき、(すでにスターリンは死亡し、スターリン批判もあったが)ソ連邦をどのように理解していたのだろうか。解体してみれば、「ソ連崩壊によって覇権主義の害悪とたたかう苦労から解放されたことはすばらしい」と言ってのける神経の太さは並大抵ではない。
 なお、ここでは立ちいらないが、この時期の宮本顕治は<スターリン(指導下のソ連)にも良い面があった>、すべてを<精算主義>的に理解してはならない旨も強調している。そしてそれは、1994年改定綱領にも採用されたと見られる。第二次大戦時でのソ連邦のはたした役割等についてだ。
 しかし、2004年の綱領全面改定によって、スターリン(指導下のソ連)の<よい面>に関する記述は削除された。不破哲三体制の誕生を示していたのかどうか、この点にはいずれまた触れるだろう。
 <つづく>

1350/日本共産党の大ペテン・大ウソ18。

 少し元に戻る。
 1.日本共産党がソ連を<社会主義国ではなかった>と公式かつ明確に性格づけたのは、1994年7月の第20回党大会においてだった。
 既述だが、この1994年7月まで、ソ連は「社会主義」国ではなかった、と性格づけたことは、1991年12月のソ連(の公式)解体後も、一度もなかったと見られる。
1991年12月(ほぼ1992年1月)から1994年7月第20回党大会の直前まで、上の性格づけの明言はなく、まだ曖昧にであれ「社会主義」国の一種と見ていたと理解するほかはない文献上の根拠はすでに挙げたが(2016.05.19の「07」の3②)、いま一度、もう少し詳しく紹介しておく。
 2.上記第20回党大会の2月前の 1994年5月に発行された、日本共産党中央委員会・日本共産党の七十年/下は次のように、その時点からは過去の同党大会について、叙述している。かりにすでに<「社会主義」国理解>を放棄していたとすれば、以下のような叙述にはならない、と考えられる。
 ①p.238-9- 1985年の第17回党「大会は、党綱領の内容をいっそう充実させる一部改正をおこなった」。「第一に、覇権主義の克服を綱領上の課題としてとりあげた」。「また、綱領の一部改正は、…、社会主義諸国、国際労働者階級、…、社会の社会主義的変革のためにたたかっている勢力は、『内部にそれぞれの問題点をもちながらも、社会の歴史的発展にそう活動』によって、今日の時代における『…を決定する原動力となりうるものであり』と規定し、これらの勢力が世界平和、…、社会進歩をめざして『ただしい前進と連帯をはかることが重要』と明記した。この規定は覇権主義、官僚主義などをもつ『内部にそれぞれの問題点』をもつ社会主義諸国がその誤りのゆえに世界史の発展の原動力となりえない場合のあることを意味していた。旧ソ連・東欧の体制の劇的破たんは、これらの規定の歴史的先駆性をあざやかにしめすことになった」。/〔改行〕
 「第二に、『資本主義の全般的危機』という規定を削除した。『資本主義の全般的危機』論は、①……、②社会主義体制が世界史を決定し資本主義体制の危機をふかめることを一面的に強調し、社会主義国依存の傾向をうみ、主体的力を軽視する傾向をうみがちであること、③社会主義国の一部に覇権主義の誤りがつよまり、帝国主義の態勢立て直しと延命をたすけているという情勢の変化がうまれたこと、-以上から誤った理解をうむ不適切な規定をとりのぞいた」。/〔改行〕、<第三、第四、第五および「その他」は省略>
 引用終わり。
 上のうち『』内は1985年改定綱領の中に含まれる文であり、それ以外の「」内は、1994年5月発行の上掲書自体の文章だ。1985年時点の日本共産党のソ連理解を忠実に反映しているとも言えるが、1994年5月時点で、「社会主義(諸)国」の中にソ連を含めて叙述していることは明らかだろう。
 ②p.377-8-「『社会主義崩壊』論による異常な反共攻撃と…のなかで、党は1990年7月9日から…、第19回党大会を、…ひらいた」。<中略>
 「大会は、『現存の社会主義体制をみるさい、レーニンが指導したロシア革命の最初の時期と、スターリンによる逸脱が開始されて以後の時期を区別して分析する必要がある』と指摘して、レーニンの死後『ソ連の体制は対外的には大国主義、覇権主義、国内的には官僚主義・命令主義を特徴とする政治・経済体制へと転換させられていった』ことを解明し、そのうえで『日本共産党は、……』と強調した」。<以下、略>
 引用終わり。上のうち『』内は1990年の党大会決定(または不破哲三幹部会委員長報告)の中に含まれる文であり、1990年7月時点で(ソ連共産党やソ連の解体は1991年)日本共産党がソ連を「現存の社会主義体制」の一つと見ていたことが分かるが、今のここでの文脈では重要なのは、1994年5月の日本共産党の文献が、上のように1990年時点のソ連理解をそのまま引用して「党史」を叙述していることだ。
 なお、日本共産党中央委員会・日本共産党の八十年(2003、日本共産党中央委員会出版局)は、上のような詳しい?叙述を回避している。
 3.1.不破哲三・ソ連・中国・北朝鮮-三つの覇権主義(新日本出版社、1992.11)、2.不破哲三・日本共産党に対する干渉と内通の記録-ソ連共産党秘密文書から/上・下(新日本出版社、1993.09)はいずれも、1991年12月のソ連解体と1994年7月の第20回党大会の間に書かれ、出版されている。
 注目されてよいのは、かなり分厚い上の2冊(または3冊)において、ソ連またはソ連共産党の覇権主義等々を厳しくかつ詳しく批判しながらも、ソ連は<社会主義国ではなかった>という旨の叙述は、いっさい存在しないことだ。
 かりにソ連解体後にソ連は<社会主義国ではなかった>と不破哲三または日本共産党がすでに?理解していたとすれば、上に述べたような叙述には決してならなかっただろうと思われる。
 上の1.の最初の大きなタイトルは、「ソ連共産党とたたかって三十年」だ。
 この30年とは1961年綱領・宮本賢治体制確立以降のことだと考えられるが、日本共産党・不破哲三の1994年7月第20回党大会以降の説明・主張によれば、1961年の時点でソ連はとっくに<社会主義への道>を踏み外し、<社会主義(を目指している・生成途上の)国>ではなくなっている。にもかかわらず、ソ連は<社会主義(を目指している・生成途上の)国>ではなくなっていた、そのような国家又はソ連共産党と「三十年」にわたって「たたかって」きた、というのならば、その旨がはっきりと叙述されているはずだろう。
 この点もまた、1991年12月と1994年7月の間、日本共産党はまだソ連を<社会主義国>と見ていた、あるいは少なくとも(下記の文献の一部も斟酌すれば)、ソ連共産党解散につづくソ連解体に遭遇して明瞭な見地に立ち得ず、<混乱していた>、ということの証左になる、と解される。
 4.1990年8月(日本共産党の第19回党大会の翌月)、ソ連共産党は解体した。
 日本共産党中央委員会常任幹部会は、1990年9月1日付で「大国主義・覇権主義の歴史的巨悪の党の終焉を歓迎する-ソ連共産党の解体にさいして」と題する声明を発表した。同声明は述べる。以下、日本共産党中央委員会出版局・日本共産党国際問題重要論文集23(1992.01)、p.283~による。<後日6/15に訂正ー上に記した二箇所の1990年は、いずれも正しくは1991年>
 「ソ連共産党の解体は、…を直接の契機としたものであったが、長期にわたって…に巨大な害悪を流しつづけてきた大国主義、覇権主義の党が終焉をむかえたことは、これと30年にわたって党の生死をかけてたたかってきた日本共産党として、もろ手をあげて歓迎すべき歴史的出来事である」。/〔改行〕
 「ソ連共産党が、スターリン・ブレジネフ時代から世界に及ぼしてきた大国主義、覇権主義の誤りが、二十世紀の世界史にもたらした重大な否定的影響は、はかりしれないものがあった。1940年の…、45年の…、56年の…、68年の…、79年のアフガニスタン侵略など、くりかえしおこなわれた野蛮な武力による民族自決権のじゅうりんは、ほんらい対外干渉と侵略には無縁である科学的社会主義の理念を傷つけ、平和と社会進歩のためのたたかいにおおきな混乱をもたらした」。<以下、省略>
 引用終わり。
 上のうち、まず、ソ連共産党の罪悪として「科学的社会主義の理念を傷つけ、平和と社会進歩のためのたたかいにおおきな混乱をもたらした」と(まず第一に、または基本的・総括的に)述べているにすぎないことが注目される。たんに「傷つけ」たにすぎず、「おおきな混乱」をもたらしたにすぎないのだ。
 つまりは、この声明の前提には、ソ連共産党も、(科学的)社会主義の理念を追求し、「平和と社会進歩のためのたたかい」をすべき政党だった、という見地があるものと理解して差し支えないだろう。
 したがってつぎに、この声明は(この時点ではまだ存在していた)ソ連邦は<社会主義(を目指している・生成途上の)国>ではなくなっている、という旨など、まったく述べていない、ということに注目しておかなければならない。
 1994年7月になってはじめて、上の旨を明確に述べたのだったから、上の点は当然かもしれない。しかし、ソ連共産党解体の時点で、ソ連を「(現存)社会主義国」の一つと見ていたことを、現在の日本共産党は正直に肯定しなければならない。
 なお、スターリン以後のソ連共産党およびソ連をどのように見ていたかということは、レーニンの時期との対比をどう説明していたかという、(ネップにもかかわる)第二の大きな論点に関係する。再び、上の叙述部分には言及することがあるだろう。
 5.<以下の叙述は、6/15に一部削除したうえでのもの>
 宮本顕治は、1991年1月1日付「赤旗」紙上で、年頭のインタビューに答えている。
 内容としてきわめて重大なのは、宮本のつぎの言葉だ。以下、宮本顕治・日本共産党の立場5(新日本文庫、1997.11)p.7以下の「情勢と科学的社会主義の本道」による。上記の、日本共産党国際問題重要問題集23にも収録されている。「ソ連の事態」についての質問を受けて語る中で、こう言う。
 「…残念ながら、ソ連の出口を科学的に解決できる勢力はいまのところ見あたらない。われわれはソ連の失敗は希望しないし、なんとかソ連も立ち直ってほしいと思うし、現在の経済危機も乗りこえてほといと思うわけですが、しかし、根は深いということです」(p.14)。
 以上、引用終わり。
 宮本顕治は、ソ連共産党という政党とソ連という国家をおそらくは確実に区別して、ソ連については「失敗は希望しないし、なんとか…立ち直ってほしいと思う」と明言し、1991年元旦の党の機関紙上で公にしていたのだ。
 このような言い方が、ソ連はすでに<社会主義の道から踏み外した>、<社会主義国ではもはやない>という理解から生じるはずがない。
 宮本顕治自身が、この時点で、きちんとまだ?、ソ連を「社会主義国」の一つと見ていたのだ。だからこそ、正しい姿へと「立ち直ってほしい」と明言していたわけだ。
 ここには、日本共産党の指導者の、科学的な?予見・予測能力の完璧な欠如も、示されている。宮本は、ソ連が(あるいは社会主義・ロシアが)正式に崩壊することを、全く見通せていなかった、ということになるだろう。
 また、日本共産党の常任幹部会は1991年9月にソ連共産党の解体を「もろ手をあげて歓迎」したのだったが、その一員であったはずの宮本顕治は1991年1月には、「ソ連の失敗は希望しない」と、ソ連邦については明言していたのだ。
 ところで、現在の日本共産党、あるいは不破哲三らは、1991年9月の<ソ連共産党解体歓迎声明>をもって、同党は<ソ連解体も歓迎した>というつもりでいるようだ。そのような趣旨の不破哲三らの文章に出くわすこともある。
 しかし、上の宮本顕治の言葉の論理的な延長は、<ソ連は解体(失敗)してほしくなかった。ソ連解体は残念だ>ということになるはずだ。
 だがしかし、「ソ連解体にさいして」日本共産党常任幹部会等が、上の宮本発言の論理的帰結であるような声明は出していないはずだし、また、逆に<(歴史的巨悪の?)ソ連邦の解体を歓迎する>という声明を出した痕跡もない。いったいどちらだったのだろう。
 日本共産党や同党幹部には知的または論理的な思考力や誠実さはまるでなく、もっぱら<政治的に>・<戦術的(・戦略的)に>、そのつど、無定見に、一見詳しくて、理論的?ふうの戯れ言を撒き散らしてきただけではないだろうか。
 -という、疑いをますます濃くさせる。
 もちろん、<ソ連と30年間にわたってたたかってきた>という言い分は、<大ペテン>だ。
 「社会主義国」ではないソ連や社会主義政党ではないソ連共産党と闘うのと、「社会主義国」の一つであるはずの、あるいは社会主義政党であるはずの、ソ連邦やソ連共産党と闘うのとでは、まるで意味が異なることは明白だろう。嗤ってしまう。

1334/日本共産党(不破哲三ら)の大ペテン・大ウソ09。

 旧ソ連は社会主義国だったのか、そうでなかったのか、という問題を直接に話題にしているわけではない。それは「社会主義(国)」概念の理解によって異なりうるだろう。現実の歴史からすると、<国家によるテロル>はその概念要素の一つのようにも見えるが。
 ここで問題にしているのは、上の点についての日本共産党の見方の変化(という「事実」)だ。また、変化させることがありうるとしても、そのためのきちんとした理由づけ・根拠づけが日本共産党によってなされたのかどうかだ(これまた、基本的には「事実」の認識の範疇に入る)。
 一 日本共産党幹部会委員長・不破哲三は、1994年7月の第20回党大会で、旧ソ連の社会が「社会主義社会でないことはもちろん、それへの移行の過程にある過渡期の社会などでもありえないことは、まったく明白ではありませんか」(不破「綱領一部改定についての報告」)とまで、言い切った。
 「まったく明白」だったにもかかわらず、その党大会の2カ月前刊行の日本共産党の文献がソ連を「社会主義国」として記述していたことは、すでに紹介した。
 不破哲三自身も、幹部会委員長として、1990年3月の時点で、いわゆる「現存社会主義」という言葉を使っていた。
 すなわち、「…、現存社会主義国が『歴史的制約や否定的傾向を克服』してゆく過程が前進することが避けられない、ということを指摘しました」(第18回党大会・日本共産党中央委員会総会決定集/下(1990.08)p.280 、<不破・第8回中央委員会総会「幹部会報告」>)。
 誤りをもつ「社会主義国」ソ連も<社会主義の復元力>によって正しい道に戻るのは不可避だ、という旨を述べていたわけだ。
 二 こうまで見通しが狂い、「社会主義国の一種」視から社会主義への「移行の過程にある過渡期の社会などでもありえない」へと理解・認識を変えてしまうのなら、何らかの反省が、より明確にいえば、かつては(1994年7月党大会以前は)<誤った>理解と見通しを持っていたことを認め、それについて<自己批判> しなければならないのではないか。
 党員たちの一部は、さざ波通信36号(2004年)で、「当時の日本共産党指導部は不破を筆頭に先見の明のない愚か者であったことを自己批判しなければならないはずだが、もちろん、ただの一度も不破指導部はそのような自己批判を行なっていない」、と批判していた。
 もっとも、不破哲三が<反省>とも見える言葉をいっさい述べていないわけではないようだ。上でも言及した1994年7月第20回党大会での不破哲三の報告の中の一部に、つぎの文章がある。
 ・「しかし、当時はまだ、旧ソ連社会にたいする私たちの認識は、多くの逸脱と否定的現象をともないつつも大局的にはなお歴史的な過渡期に属するという見方の上にたったもので、今日から見れば明確さを欠いていたことを、ここではっきり指摘しなければなりません」。
 この一文は、日本共産党中央委員会・日本共産党の八十年(2003)で、そのまま引用・紹介されている(p.287)。
 さて、「私たちの認識は、多くの逸脱と否定的現象をともないつつも大局的にはなお歴史的な過渡期に属するという見方の上にたったもの」だったという自己認識は誤っていない、と考えられる。
 しかし、そのあとの、「今日から見れば明確さを欠いていた」という表現しか使っていないことは、いかにも、不破哲三、そして日本共産党らしい。
 何度もここで記したソ連についての見方の変化・変質は、「明確さを欠いていた」で済ますことができるものなのか。20回党大会、そしてこの報告のソ連観が<正しい>のだとすれば、かつてのそれは明確に<誤っていた>と言わなければならないだろう。「明確さを欠いていた」などと形容できるものではないはずだ。
 すでに記したような日本共産党の<大ペテン>の前提には、このような自己欺瞞、知的不誠実さ、がある。
<こっそりと自己批判のないまま>重要な路線変更を行った可能性が高い。
 三 上記の不破報告の部分は、その後現在まで<生きて>いるのかどうかは疑わしくもある。少なくとも強調されてはおらず、また積極的に(不破哲三によっても)言及されてはいない。
 したがって、この部分は1994年7月段階での<歴史的な>文書の一部であり、今日時点で、「今日から見れば明確さを欠いていた」ということすら、認めてはいない、と日本共産党・同指導部は主張する可能性がないではない。
 そうだとすれば、日本共産党はまことに度し難い、最低の知性すら持ち合わせていない政党だということになるだろう。
 あるいは、現在の日本共産党にとっては、可能なかぎり触れてもらいたくない、そして思い出したくない、不破哲三報告の一部だったのだろうか。
そのように自己欺瞞・自己隠蔽することによってはじめて、<大ペテン>(=日本共産党は誤ったソ連と30年も闘ってきた)が、ある程度は成功したのかもしれない。
 <つづく>
 

1333/日本共産党(不破哲三ら)の大ペテン・大ウソ08。

 一 日本共産党がソ連を「社会主義ではなかった」と公式かつ明確に性格づけたのは、1994年7月の第20回党大会においてだった。繰り返しになるが、再度紹介すれば、以下。
 ①ソ連等の「崩壊は、社会主義の失敗ではなく、社会主義の道から離れ去った覇権主義と官僚主義・専制主義の破産」だった。ソ連等は「社会の実態としては、社会主義とは無縁な人間抑圧型の社会」として解体した。(1994年7月第20回党大会・改訂党綱領)
 ②旧ソ連の社会が「社会主義社会でないことはもちろん、それへの移行の過程にある過渡期の社会などでもありえないことは、まったく明白ではありませんか」。「スターリンは、…社会主義とは無縁な社会への道をつきすすんだ」。「スターリン以後の転落は、…、反社会主義的な制度を特質として」いた。(1994年7月第20回党大会・不破哲三(幹部会委員長)「綱領一部改定についての報告」)
 このときまで、-党員たちには事前に改定綱領の「案」が知らされていたのだろうが-日本共産党はソ連についての上のような理解・認識を明らかにしていたことはなかった、とほぼ断じることができる。ソ連崩壊後の第19回党大会/日本共産党中央委員会総会決定集/上・下(日本共産党中央委員会出版局)がその根拠になる。
要するに、1991年12月のソ連解体後、2年半ほどあとになって(ようやく?)上の新しい性格づけに至っているわけだ。
  したがって、これもすでに紹介したが、上の党大会の直前(2カ月前)の1994年5月に刊行された日本共産党中央委員会・日本共産党の七十年/下が、少なくともソ連を含めて「社会主義国」という語を使っていたのも、自然ではある。日本共産党にとって、1994年7月の直前まで、ソ連(旧ソ連)はまぎれもなく「社会主義国」だったのだ。
 ・1985年綱領改定がソ連覇権主義との闘争の必要性を明記したのは、「覇権主義、官僚主義など『内部にそれぞれの問題点』をもつ社会主義諸国がその誤りのゆえに世界史の発展の原動力となりえない場合のあることを意味」した。また、「社会主義国の一部に覇権主義の誤りがつよま」ったという「情勢の変化」から「資本主義の全般的危機」規定を削除した。(1994年5月刊行の日本共産党中央委員会・日本共産党の七十年/下)
 二 1994月7月の第20回党大会後の第2回中央委員会総会での「幹部会報告」の中で、不破哲三は、「旧ソ連社会論」として次のように述べている。
 「わが党は、ソ連が解体される以前から、第19回党大会において、…、ソ連史の二つの時期、レーニンが指導した時期とスターリン以後の時期とを根本的に区別すべきことを指摘してきました。//
 第20回党大会では、そこにさらに新たな解明の光をあてました。すなわち、スターリン以後は、…、社会体制としても全面的な変質の道に引き込まれたのであり、崩壊した旧ソ連は、社会主義社会でなかったことはもちろん、それへの過渡期の社会でもなく、人民への抑圧と搾取を特質とする社会だったことを、あきらかにしたのであります」。
以上で引用終わり。//は原文では改行ではない。
 不破によると、「社会主義社会」でもそれへの「過渡期の社会」でもなかった等のことは、「さらに新たな解明の光をあて」たことによって得られた結論だ、という。
 ここにはゴマカシがあるだろう。ソ連解体という「厳然たる事実」を認識して、日本共産党は旧ソ連とともに「社会主義」の側にいたのだ、というこれまた明白な事実を隠蔽し、自己欺瞞をするために、旧ソ連の「社会主義国」性を否定するという、それまでの日本共産党のソ連社会理解とは根本的に異なる、全く反対の理解・認識を、1994年7月になって示したのだ。これを「さらに新たな解明の光をあて」たと表現するのは、本質を隠蔽するゴマカシであり、<大ウソ>だ。
 同じことは、2003年1月に刊行された、日本共産党中央委員会・日本共産党の80年(日本共産党中央委員会出版局)の中の、第20回党大会(1994.07)に関するつぎの叙述についてもいえる。
 ・「党は、1994年にひらいた第20回党大会で、党綱領を情勢にてらして現代的に発展、充実させる一部改定をおこないました。//
 とくに、旧ソ連社会の内実のたちいった研究にもとづいて、旧ソ連社会論を大きく発展させました。」
引用終わり。//は原文では改行ではない。
 旧ソ連を「社会主義国」の一つと理解することを「社会主義でなかった」へと<変更>させることは、上によると、「情勢にてらして現代的に発展、充実させる」ことであり、旧ソ連の見方を「大きく発展させ」たものなのだそうだ。
 これも大きなゴマカシであり、<大ウソ>だ。嗤ってしまう。
 三 上に言及した不破哲三の1994月7月第20回党大会・第2回中央委員会総会「幹部会報告」の中で、不破はつぎのように述べている。
 ・三大選挙にむかって党の政策文書案を作成したが、「日本共産党の存在意義」を語るのが第二の重視点で、その中では「5つの角度」から党の性格を述べている(中央委員会総会決定集p.33-34)。
 秋月の文章に戻せば、その5点のうちの一つは、つぎのようなものだ。
 ・「ソ連の干渉・横暴・謀略と30年間たたかいぬいた自主独立の党」(p.34)
ここに大ペテンがある。すでに解体・崩壊しているソ連と「30年間たたかいぬいた」というが、解体・崩壊後もなお「社会主義国」の一つと見ていたし、東欧の激動時の頃は「現存社会主義国」と称してもいた(この点は別に文献を紹介する予定だ)。解体後は「たたかう」相手がいないから、30年間というのは、1961年~1990年のつもりなのだろうか。
 厳密にいえば、日ソ共産党の間に対立が生じた(ソ連からの「干渉」があった)のは1964年のはずなので、30年には満たない。
 そんなことよりも、ソ連=社会主義国、ソ連崩壊=社会主義の失敗・社会主義国の消滅というふうに多くの国民が<感じて> いたなかで上のように<宣伝>することは、失敗した<ソ連社会主義>の側には日本共産党はいなかった、それと長らく「たたかって」きたのだ、ということをアピールしたいのだろう。日本共産党は、そのように2016年の今日まで宣伝している可能性はある。
 しかし、上のような<宣伝>は、日本共産党は(1994年7月まで)ソ連を(生成途上であれ)「社会主義国」の一つと見なしており、かつ日本共産党も「社会主義」をめざす政党である、という明白な事実を隠蔽して、より本質的ではない論点にかかるイメージを拡散しようとするものだ。
 <こっそりと自己批判のないまま>過去の言明と真逆の理解をもちこみ、かつ上のような<大ペテン>を仕掛ける。日本共産党とは、そのような政党だ。
 <つづく>

1331/日本共産党(不破哲三ら)の大ペテン・大ウソ07。

 第1回めに、いくつかの雑誌の日本共産党特集を見ても「疑問を払拭できない、いくつかの基本的と思われる論点・問題」の「第一」として、「日本共産党は、かつてのソ連=ソヴィエト「社会主義」共和国連邦は「社会主義」国ではなかった、と1991年以降は言っているようだが、1989-91年以前はどのように理解・主張していたのか」ということを挙げた。
 上のうち「1991年以降は言っているようだが」は、「1994年7月の第20回党大会による綱領改定以降は言っているようだが」、が正しい。
 一 さて、この論点・問題について日本共産党(・不破哲三)はどう書いてきた(いる)か、どう言ってきた(いる)か、の「事実」は、あらためて整理すれば、つぎのとおりだ。
 1-1994年7月の第20回党大会以降今日までの「理解」
 ①ソ連等の「崩壊は、社会主義の失敗ではなく、社会主義の道から離れ去った覇権主義と官僚主義・専制主義の破産」だった。ソ連等は「社会の実態としては、社会主義とは無縁な人間抑圧型の社会」として解体した。(1994年7月改定党綱領)
 ②旧ソ連の社会が「社会主義社会でないことはもちろん、それへの移行の過程にある過渡期の社会などでもありえないことは、まったく明白ではありませんか」。「スターリンは、…社会主義とは無縁な社会への道をつきすすんだ」。「スターリン以後の転落は、…、反社会主義的な制度を特質として」いた。(1994年7月第20回党大会・不破哲三「綱領改定についての報告」)
 ③「ソ連型の経済・政治体制、社会体制」は「社会主義とは縁のない」ものだった。「『ソ連型社会主義』というのは、社会主義の典型でないことはもちろん、社会主義のロシア的な道でもない」(2000年8月の不破哲三・日本共産党の歴史と綱領を語る〔ブックレット版〕)
 ④「ソ連で崩壊したのは何だったのか。ソ連で崩壊したのは、社会主義ではありません」。「崩壊したのは、社会主義に背を向け、ソ連を反社会主義の軌道に引き込んだ覇権主義と専制主義」だ。「その覇権主義は社会主義の産物ではなく、スターリンとその後継者たちが社会主義の事業に背を向け、社会主義を目指す軌道を根本的にふみはずすことによって生み出したもの」だ。(2007年5月の不破哲三・スターリンと大国主義・新装版のまえがき)
 2-上のように「理解」した経緯
 ①「スターリン以後のソ連にたいするわれわれのこうした認識は、ソ連が解体してからにわかに生まれたものではありません。これは、三十年にわたるソ連の大国主義、覇権主義との闘争を通じて、私たちが到達した結論であります。」(2000年8月の不破・日本共産党の歴史と綱領を語る〔ブックレット版〕)
 ②「ソ連から覇権主義的な干渉を受け、それを打ち破る闘争」の中で、「私たちはつぎの点の認識を早くから確立してき」た。1.「覇権主義の干渉・侵略を平然とおこなう体制は、社会主義の体制ではありえない」。2.「国民への大量弾圧が日常化している恐怖政治は、社会主義とは両立しえない」。(2004年第23回党大会・不破哲三「綱領改定についての報告」)
 ③「私たちは、早くからこの認識をもってい」た。そして、「ソ連の体制崩壊のあと、その考察をさらに深め、94年の第20回党大会において、ソ連社会は何であったかの全面的な再検討をおこな」った。「その結論は、ソ連社会は経済体制においても、社会主義とは無縁の体制であったというもの」だった。(同上)
 3-ソ連解体直前・後にソ連を「社会主義」国と見ていた例
 ①「一部の社会主義国に生まれた覇権主義というのは、まさに、歴史の発展にそむき、『国際緊張の一定の要因』になるとともに、『対外干渉と侵略にほんらい無縁である科学的社会主義の理念』を傷つけ、…害悪である…」。(1991年12月-ソ連崩壊直前-の不破哲三・ソ連覇権主義の解体と日本共産党)
 ②1985年綱領改定の主要理由の一つはソ連覇権主義との闘争の必要性の明記で、「覇権主義、官僚主義など『内部にそれぞれの問題点』をもつ社会主義諸国がその誤りのゆえに世界史の発展の原動力となりえない場合のあることを意味」したが、「旧ソ連・東欧の劇的破たん」はこの明記の「歴史的先駆性をあざやかにしめすことになった」。もう一つは「資本主義の全般的危機」規定の削除で、「社会主義国の一部に覇権主義の誤りがつよまり、帝国主義の態勢立て直しと延命をたすけているという情勢の変化がうまれたこと」が背景の一つだった。(1994年5月-綱領改定した同年7月の党大会直前-の日本共産党中央委員会・日本共産党の七十年/下)
 4-じつは<ソ連は社会主義国でなくなった>論(完全変質論)を批判までしていた。
 ①誤りの「もう一つは、あれこれの社会主義大国が覇権主義の重大な誤りをおかしているということで、その国はもはや社会主義国ではなくなったとか、その存在は世界史のうえでいかなる積極的役割も果たさなくなったとかの結論をひきだす、いわゆる『社会主義完全変質論』」だ。「わが党は、社会主義大国の覇権主義にたいして」最も厳しく闘っているが、「その誤りがどんなに重大なものであっても」、「その国家や社会が社会主義でなくなったとするのは、『社会主義無謬論』を裏返しにした、根本的な誤り」だ。(1982年7月・第16回大会での不破哲三「中央委員会の報告」) 
 ②「社会主義国の党や政府の指導のうえで、あれこれの重要な誤りがあるからといって、その国が社会主義国でなくなったとするなどの結論を簡単にひきだす、いわゆる社会主義変質論も、われわれがとるところではないし、科学的な見地でもない」。「わが党が、それを社会主義の国におこった誤りとしてとらえるのにたいして」、中国側は「ソ連は社会主義国から資本主義国家-ブルジョア独裁の国家に変質してしまったという立場をと」ったので「明確な理論的批判をくわえ」た。「中国のこの非科学的なソ連変質論はその後さらに奇怪な発展をとげてい」る。(1979年の、不破哲三・現代前衛党論)
 ③「誤った見方のもう一つは、あれこれの社会主義大国がそうした重大な誤りをおかしているということを根拠に、『この国はもはや社会主義国ではなくなった』とか、『その存在は世界史のうえでいかなる積極的な役割も果たさなくなった』とかみなす、いわゆる『社会主義完全変質論』」だ。中国側とは違って、「わが党代表団は、ソ連の大国主義、干渉主義…は断固として批判するが、だからといって、その誤りを理由に、ソ連は社会主義国でなくなったとする見方は」とらなかった。(1984年の、不破哲三・講座/日本共産党の綱領路線)
 二 上の4を読んだあとで、1や2を読めば、ただちに一貫性がまるでないことが分かる。そして、4と2を対比させるならば(3と2でもよいのだが)、不破哲三、そして日本共産党は<大ウソ>をついていることが明白だ。
 日本共産党は、ソ連は「社会主義」国ではないとの「認識を早くから確立してき」た??、 「早くからこの認識をもってい」た??
 よくぞヌケヌケとこういう言葉を吐けるものだ。不破哲三とは、そしてそれを温和しく聴いて(読んで)承認している日本共産党の代議員や党員たちとは、まともな神経を持っている人間だとは到底思えない。
 過去にどう言っていたのかという簡単かつ基本的な「事実」 を無視して、あるいは忘れてしまって、矛盾することを平気で書ける(言える)、これを<大ウソ>つき、という。 何のためにこういう<大ウソ>をつくのか。それは、ソ連(・東欧)解体後に高まった「社会主義・共産主義」 批判を回避するために、それから逃げるために、ソ連(・東欧)は「社会主義」国ではなかった、解体・崩壊したのは「社会主義」国ではない、と強弁したかったからだろう。
 そう強弁したのは、ソ連の「覇権主義・大国主義」と「30年にわたって」闘ってきた、という<自負>があったからに違いない。
 しかし、その際に、ソ連の「覇権主義・大国主義」との闘いは「社会主義」国・同共産党と他の共産党間の「内部」での闘いであったはずなのに、つまり誤りを批判しつつもなおソ連を「社会主義」国の一つと見ていたはずなのに(完全変質論否定)、まるでソ連はすでに「社会主義」国ではなくなっていた、その「反社会主義」体制と闘ってきたのだという<大ウソ>による<大ペテン>を仕掛けたのだ。
 日本共産党の党員たちは表向き、このペテンに引っかかったままのようにも見える。しかし、すべての文献を見ることはできないが、日本共産党や同党幹部自身の文献を少しばかり丁寧に見ていけば、これが<大ペテン>であることが分かる。
 そしてまた、上の2のように近年では壮語?することができる不破哲三の<知的傲慢さ>も感じざるをえない。あのように述べて、党大会代議員たちを「騙せる」 と思っているのだろうか。「誤魔化した」つもりなのだろうか。そうだとすれば、あまりに<傲慢>すぎる。
 また、<自らの過去の言明と向き合う>ことができないのは、<知的怠惰>でもある。不破哲三のみならず、志位和夫も含めて、現在においてまだ日本共産党員である者は、すべて<知的緊張感>を失っているのだろう。
 このような、<知的誠実さ>がまるでない人々がなぜ、「科学的社会主義」を、「科学」を、語ることができるのか。
 <つづく>

1326/日本共産党(不破哲三ら)の大ペテン・大ウソ03。

 日本共産党は1991-92年頃にはどう言っていたか。
 一 1994年の不破哲三によれば、「スターリン以後の転落は、政治的な上部構造における民主主義の否定、民族自決権の侵犯にとどまらず、経済的な土台においても、勤労人民への抑圧と経済管理からの人民のしめだしという、反社会主義的な制度を特質として」いた。
 ここでは、①「経済的な土台においても」ととくに挿入されていることに留意してよい。
 また、②「経済管理からの人民のしめだし」がなぜ「反社会主義的な制度」なのかという<理論>問題もある。社会主義において基本的な経済管理は国家が行なう(ことになっている)のではなかったのか。ここではとりあえず無視して、はしよる。
 また、不破哲三によれば、「三十年にわたるソ連の大国主義、覇権主義との闘争を通じて、私たちが到達した結論」は、「ソ連は社会主義でも、それへの過渡期でもなかった、抑圧型、人間抑圧型の体制だった」こと、「ソ連で崩壊したのは、社会主義では」なく、「社会主義に背を向け、ソ連を反社会主義の軌道に引き込んだ覇権主義と専制主義」だった。
 ここでは、「大国主義、覇権主義」とは諸国の各共産党間で(ソ連共産党と日本共産党の間で)見られたというもので、そのような「主義」はいかほどに「大国主義」国の<社会主義>国家性に関係するのか、上の最初の文章もいうように「政治的な上部構造」の問題にすぎないのでないかという疑問も生じる。だが、これも無視して、はしよる。
 二 さて、1989年11月09日・ベルリンの壁崩壊、1990年10年03日・東西ドイツ統一、1991年8月25日・ソ連共産党解体、、1991年12.月21日・ソ連邦解体。
 なお、日本共産党第19回大会が1990.07で、直後の第1回中央委員会で宮本顕治は(中央委員会)議長にしりぞき、不破哲三が(幹部会)委員長に、志位和夫が書記局長になった。1994年の第20回党大会まで党大会は開催されていない。
 この1990年半ばから、名目的にも不破哲三が日本共産党のトップに立った。
 1991年から既に紹介した1994年第20回党大会での綱領改定までの不破哲三らの文章を読むと、党員でも同党シンパでも全くないのに、なかなかに息苦しい。
ソ連・東欧での<混乱>が続き、ついにはソ連共産党が解散してまうという事態に遭遇して、以下は秋月の文章だが、<日本共産党だけは誤っていない、何とでもこの危機を乗り越えなければならない>、という日本共産党指導部の焦りや緊張感が伝わってくる。
 そして、1994年党大会以降のようにはまだ明確に、歯切れ良くは論じられておらず、日本共産党の論調にもまだ(ソ連共産党やソ連の解体「後」であっても)用語等の混乱が見受けられる。
 ソ連共産党解体後の1991年9月に、日本共産党は「中央の弁士」を全国の都道府県に派遣してソ連問題(と同党)に関する「特別の演説会」を開催した。聴衆総数は全国で6万人近くだった、という。
 委員長の不破哲三も1ケ月の間に、名古屋、東京、盛岡、新潟で「演説」している。
 以上は、不破哲三・ソ連覇権主義の解体と日本共産党(1991.12、新日本出版社)のまえがき等による。
 聴きに集まった者たちはおそらく、ほとんどが日本共産党員だっただろう。ソ連はどうなるのか、そして「わが党はこれからどうなるのか」と心配(?)していたに違いない。
 上の不破著の冒頭はそのときの演説内容を整理してまとめたもので「覇権主義の党の解体と日本共産党」と題されている。
 ソ連共産党はなくなっても(各邦の共産党がまだあるから?)ソ連はまだ残存しているから、という理由づけが成り立つのだろうか、上の論考の特徴は、ソ連の「覇権主義」に対する批判を内容のほとんどにしていて、ソ連国家自体の(新たな)性格づけについては何も語っていないことだ。
 ソ連国家自体について語っているのはむしろ、ソ連はまだ「社会主義」国だ、という理解だと読める。以下のとおり。
 不破哲三は、ソ連の覇権主義を「社会帝国主義」とも称しつつ批判・分析していることについて、1981年6月の宮本顕治(当時の委員長)のつぎの発言を引用している。もちろん、否定・批判しているのではない。
 ・ソ連の「アフガニスタンへの軍事的な浸入というのは、われわれは社会帝国主義的である、社会主義であるけれどもやっていることは帝国主義だという点では『社会帝国主義』という言葉もあえて使っているわけですが、これがやはり、…を仮借なく徹底的に分析しています」(不破・上掲p.21)
この部分はソ連は「社会主義である」ことを前提としているとしか読めない。かつ不破哲三は1991年12月刊行の本で、何の警戒?もなく肯定的に引用していたわけだ。
 つぎに、不破は、「ソ連の覇権主義者」による干渉の例として1963年頃の日本国内の大衆運動等の「分裂」を挙げ(日本社会党との友好化・「日本のこえ」等々)、次のように述べている。
 ・資本主義国の共産党に対して「これをつぶすためための全面攻撃をするなどということは、世界の共産主義運動に例のない、階級的な犯罪行為というべきものでした」(p.32-33)。
「世界の共産主義運動に例のない」ことだから「共産主義運動」ではないとの趣旨ではないだろう。上の文章の最後にある注記として、日本共産党がソ連共産党に対して1964年8月に送った「返書」のつぎのような一部が紹介されている。
 ・ 「あなたがたは、…。これは国際共産主義運動の歴史のなかでも、いまだかつて例のないものです」(p.33)。
 ところで、不破は「三十年にわたるソ連の大国主義、覇権主義との闘争…」と言っている。それは第8回党大会での1961年綱領採択後の日本共産党・宮本=不破体制において、という意味だろう。
 それほど重要な闘争であるならば綱領中に行動目標的に掲げられてもよかったはずだ。しかし、不破も言うように、「綱領に、覇権主義とのたたかいを、党のもっとも重要な任務の一つとして明記」したのは1985年の第十七回党大会での綱領一部改定によってだった。
 その改定綱領の内容を、不破哲三はつぎのように紹介している。『』内が綱領中の文章だろう。
 ・「一部の社会主義国に生まれた覇権主義というのは、まさに、歴史の発展にそむき、『国際緊張の一定の要因』になるとともに、『対外干渉と侵略にほんらい無縁である科学的社会主義の理念』を傷つけ、…害悪であること、これを克服することは、…、私たちが負っている大事な『国際主義的任務』であるということです」(p.40-41)。
 「一部の社会主義国」とはソ連に他ならず、明確に、ソ連は「社会主義国」だ、と理解していたことになる。
さらに、不破の同著中の「覇権主義の党の解体と日本共産党」は、ポーランド問題について1981年12月25日付赤旗に掲載された西沢富夫(当時、副委員長)の発言を「スターリン以来の官僚主義・命令主義が、社会主義からのいかに重大な逸脱であるかの、明確な分析をおこなった」と評価するが、そこで引用されている西沢発言の一部はつぎのようなものだ(p.83-84)。
 ・「今日の社会主義諸国と官僚主義の問題一般についてくわしく立ちいる」ことはしないが、「スターリンがソ連の最高指導者」だった時期に「根づき、強まった」。「ソ連のモデルは、戦後社会主義の道へふみだした他の東欧の社会主義国などにも」持ち込まれた。
 ・「あとから社会主義の道へふみだした国では、社会主義大国の覇権主義と国の指導部の自主性の欠如が結びついて。官僚主義の弊害が重大化するのです」。
 「社会主義大国」がソ連を意味するだろうことは明らかだ。
 なお、日本共産党は今日、スターリン時期以降のソ連のみならず、同時期以降の東欧諸国もまたソ連と同じ道を歩んだとしている。にもかかわらず、上では(日本共産党が今日ではもはや社会主義とは無縁だったとする戦後に!)東欧諸国も「社会主義の道へふみだした」としている。
ソ連が「社会主義」でもそれへの「過渡期」でもなく「人間抑圧型」体制になっていたはずの時期に、東欧諸国は「社会主義の道へふみだした」と言っているのだ!
 三 日本共産党中央委員会・日本共産党の七十年/下(新日本出版社)は1994年5月に、ソ連の性格づけを綱領で大きく<変更・修正>した1994年の第20回党大会が開催される前に、出版されている。
 執筆者名は不明だが(むろん中央委員会による正規の文章ではある)、1985年の第17回党大会での綱領改定にもこの党史は触れている。
 改定の主要点とされる第一は、先に言及したが、ソ連覇権主義との闘争の必要性の明記だとされている。そして、この明記は、つぎのことを意味するとされる。
 ・「覇権主義、官僚主義など『内部にそれぞれの問題点』をもつ社会主義諸国がその誤りのゆえに世界史の発展の原動力となりえない場合のあることを意味していた。旧ソ連・東欧の劇的破たん」は、この明記の「歴史的先駆性をあざやかにしめすことになった」(p.239)。
 この文章は「旧ソ連・東欧の劇的破たん」の後で書かれている。にもかかわらず、ソ連と東欧諸国は「社会主義諸国」だったことをも明瞭に認めている叙述になっている。
 改定の主要点の第二は「資本主義の全般的危機」規定の削除だとされるが、その削除の理由の一つはつぎのことだと書かれている。
 ・「社会主義国の一部に覇権主義の誤りがつよまり、帝国主義の態勢立て直しと延命をたすけているという情勢の変化がうまれたこと」
 ここでも、(少なくとも)ソ連は社会主義国だったという理解が前提とされていることは明らかだろう。
 四 以上は、1991年と1994年の、それぞれ一つずつの文献の一部の紹介にすぎない。それでも、ソ連を「社会主義」国の一つと見る理解がなおも示されていることは明らかだろう。
 日本共産党と同党員たちはおそらくは1990年末、あるいは1991年末のソ連解体まで、ソ連は社会主義国だと思っていただろう。しかるに、ソ連・東欧「社会主義」国の崩壊によって混乱してしまったのだ。
 そこで、生き延びるために想起したのは、幸か不幸か、日本共産党はソ連の覇権主義と闘ってきた<栄光>の歴史がある、ということだったに違いない。
 そこで、もともとは「社会主義」諸国または諸共産党の間での、「国際共産主義運動」内部での闘いだった日本共産党のソ連(ソ連共産党)との闘いを、社会主義ではなくなっていたソ連との闘いだったと強引に理解し直すことにし、かつまた、長きにわたって闘ってきたのだ、などと姑息にも言いつくろうことにした。
 これが、不破哲三の、そして日本共産党の大ペテン・大ウソの一つだ。
 「スターリン以後のソ連にたいするわれわれのこうした認識は、ソ連が解体してからにわかに生まれたものではありません。これは、三十年にわたるソ連の大国主義、覇権主義との闘争を通じて、私たちが到達した結論であります」(不破・日本共産党の歴史と綱領を語る〔ブックレット版(2000)〕p.63)とは、よくぞ言えたものだ。
 ソ連解体後またはソ連共産党の解体後の1994年や1991年12月にもまだちゃんと(?)、ソ連等は「社会主義」国である(だった)旨を書いているではないか。あるいは、その旨の1980年代の共産党指導者たちの発言等を、その時期になお肯定的に引用・紹介しているではないか。
 不破哲三、そして日本共産党は、「ソ連は社会主義でも、それへの過渡期でもなかった、…、人間抑圧型の体制だった」と、1989-91年の以前に、いつ、どの文献で述べていたのか。
 さらにだが、かりに不破が、いかにスターリンに問題・欠点があっても、ソ連はもはや社会主義国ではなくなった、などと言ってはいけない、という旨をかつて明確に主張していたとすれば、一体どうなるのだろう??
 文献上の(実証的な)根拠はある。<反共デマ宣伝>をしているのではない。日本共産党や不破哲三自身の文献をきちんと見て書いている。
 <つづく>
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