秋月瑛二の「憂国」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

福田恆存

1488/日本の保守-小川榮太郎とその日本の「保守」批判。

 小川榮太郎は、かなり、又はきわめて、鋭敏な「保守主義」者だ。
 小川が、ほとんど適切に平川祐弘の天皇論・譲位制度反対論を批判し、「日本の保守はじつに危うい」と的確に指摘していることは、すでに言及した。
 月刊正論3月号(産経、1917年)では小川は、<「保守主義」者宣言>と題して、つぎのように書く。保守とは何か、自分にとっての保守、というのがおそらく執筆依頼された主題なので、このような批判的叙述をするのは少しは勇気が必要だっただろう。p.76-。旧かな遣いは勝手ながら現代かな遣いに変えた。
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 「戦後イデオロギーは、今や完全に全日本人の遺伝子に浸透し、保守的な『生き方ないし考え方の根本』そのものが、日本人から失われてしまった。保守を自称する人達も例外ではない」。
 安倍支持保守・安倍批判保守、熱烈天皇主義者、理論派保守(反リベラリズム・バーク・福田恆存・アメリカ共和党に依拠)等々、「様々な自称・他称保守」を見ても、保守的な『生き方ないし考え方の根本』を体現する人は「殆ど見当たらない」。
 「天皇陛下万歳を唱えながら、排他主義のはけ口にしているだけなのかもしれない」。
 蓮舫を批判しつつ「職場では権利の主張に余念がない」かもしれない。等々。
 要するに、「近年保守的な標語が世上に乱舞している状況は、ネットの断片的な情報によって過激化したナショナリズムと評すべきであって、保守的な人間像、保守的なエートスの蘇りではない」。
 「ナショナリズムを否定するつもりは毛頭ない」が、「本当に日本の核になるもの」を「保守」したいのなら「その奥に踏み込まねばならぬ」。「本当に消えつつあるのは、日本人が歴史の持続の中で鍛えあげてきた人間像そのものなのだ」。
 日本が失われるのは「反日勢力に否定された」からではない。「真に侵され、危機に瀕しているのは日本の外被ではない、我々の内側に息づいているべき日本の方なのだ」。「その記憶を取り戻す事こそが『保守』でなくて何なのだろう」。 
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 自分であればこのような表現の仕方はしない、又はできない、と感じはする。
 しかし、小川榮太郎が単純な「安倍支持保守」や「熱烈な天皇主義者」を<保守主義>者と見ていないことはよく分かる。
 秋月瑛二にとつては、「保守」という言葉で自分を意識するか自体も大した問題ではない。がともあれ、「反共産主義」や「反左翼」の意味では<保守>なのだろうという思いはある。
 そのような<保守>感情からすれば、渡部昇一・櫻井よしこらのアホの4人組、加地伸行を含めるとアホの5人組らの「観念保守」は、平川祐弘・八木秀次を含めて、批判されるべき、危険視されるべき人物たちだ。
 そのような気持ちと、小川榮太郎が述べている「保守主義」には、少なくとも部分的には、合致点があるように考えられる。

1398/日本の「保守」-奇書・月刊正論11月号(産経)02。

 一 あくまでかつての月刊正論(産経)の主論調・特集設定を示す例だが、二年前2014年7月号の背表紙には「歴史・外交・安保/中国・韓国への反転大攻勢」とあり、同年8月号のそれには、「日本を貶めて満足か! 朝日新聞へのレッドカード」とあった。他の「保守」系雑誌と同じく「中国」や「韓国」がしばしばでてくるのはいかがかという気もしていたが、(朝日新聞が「虚報」の一部を認めたこともあり)論調自体はかなり明確だった。
 2016年11月号の背表紙は「昭恵・蓮舫・クリントン」
 これはいったい何が言いたいのか、何の特集なのか ? ? 女性政治家特集なのか。いや安倍昭恵は政治家ではないはずだが。
 と思ったりして目次を見て少し捲ってみると、三人について計4論考があるだけで、統一したテーマがあるのでもなさそうだ。
 しかも表表紙と目次冒頭には「特集/安倍政権の敵か味方か」とある。
 この特集名に即した論考は、熟読していないので断言はできないが、何と渡部昇一のもの一つだけのようだ。
 なるほど客観的には、安倍昭恵インタビューも八木秀次・潮匡人の蓮舫ものも、ヒラリー・クリントンについての三浦瑠麗論考も、安倍政権を支持していることになるのかもしれない(熟読していないので確言しかねる)。
だが、少なくとも、これらは「安倍政権の敵か味方か」という問題設定のもとで、これを主テーマとして、執筆または構成された文章ではない、と見られる。
 このような編集部(代表・菅原慎太郎)設定の「特集」名そのものが、じつはかなり政治的で、読者を(そして日本国民を)幻惑させるものになっている。それは、この「特集」に最も近い問題関心のもとで書かれたとみられる渡部昇一の文章の「意図」と同様に、<卑劣な>ものだという印象を拭えない。
 二 前回にかなり引用した水島総は、連載ものの執筆者ということもあり、月刊正論編集部の意図におそらく反して、「正論」を書いている。
 当該編集部と渡部昇一が主張し、意図しているのは、<日本の「保守」派のみなさん、安倍政権を支持しないのですか ?、みなさんは安倍政権の「敵か味方か」どちらなのですか ?>という問いかけを発することだろう。
 これは問題のスリカエだ。
 西尾幹二、伊藤隆らが理解し主張しており(秋月瑛二も同様)、また中西輝政が「さらば、…」とする契機となった理解は、<安倍晋三戦後70年談話は、戦後体制の基本的歴史観を維持している>、<…、(当の月刊正論や産経新聞も批判してきたはずの)村山富市戦後50年談話を踏襲している>、<…、東京裁判史観を継承している>ということなのであり、安倍晋三・自民党内閣を全体として支持しない、安倍政権は「敵」だということではない。
 中西輝政の言いたいことの中心もまた、当面の<安倍内閣の当否>ではない、と思われる。なるほど中西は安倍晋三を「敵」とするような表現の仕方をしているが、中西輝政の敵は言うまでもなく、「戦後レジーム(体制)」であり日本国民が自主的な歴史観を育めない根因にある「東京裁判史観」にある、と考えられる。水島総が驚くほど明瞭に語っているように、「東京裁判史観」にまだ拘束されざるをえない、現在の日本国総理大臣の<宿命>・<哀しさ>を感じなければならない(むろん、アメリカというものの存在にかかわる)。
 問題は安倍晋三個人にあるのではなく、談話に誰も反対しなかった内閣の閣僚にもあり、自民党そのものにあり、あのような内容の安倍談話を許してしまった(阻止できなかった)月刊正論や産経新聞を含む「保守」系メディア・論壇にもある。
 問題を、<安倍政権を支持しますか ?>、<安倍政権の敵と味方のどちらですか ?>に歪曲してはならない。これは、卑劣な問題設定、主題設定だ。
 渡部昇一にも、月刊正論編集部(代表・菅原慎太郎)にも念のために言っておきたいが、<安倍談話は東京裁判史観(と言われるもの)を維持しているか否か>という問題には、比較的容易に答えることができる。
 いろいろな装飾・アクセサリーやレトリックが安倍談話には介在しているので幼稚な者には見抜けないのかもしれないが(その装飾・レトリック部分を朝日新聞等の「左翼」は批判し、一方でそれらを産経新聞は好意的に論評する根拠にした)、素直に読めば、東京裁判史観や村山談話等の「これまでの内閣」の立場との関係での基本的趣旨は明らかだ。
 しかし、<安倍政権を支持するか否か(安倍政権は味方か敵か)>という問題には、単純には答えられない。それは、貴方は<自民党を支持するか ?>、<自民党は味方か敵か>という質問に簡単には、つまり二者択一的には答えられないのと同じだ。
 月刊正論編集部や渡部昇一は、上の質問に<支持>・<味方>と答えるのかもしれない。
 だが、問題は、政治・政策の当否は、そのように二者択一的に判断できるとは限らない。選挙の投票に際して、いずれかの政党を一つだけ選択するのともさらに異なる、多様な評価がありうることを知らなければならない。
 つまり安倍政権であれ、自民・公明連立政権であれ、自民党という政党であれ、例えば100点満点の評価から、80、60、…20点、といった多様な評価がありうるのだ。
 上に月刊正論編集部や渡部昇一は、安倍政権を<支持>し<味方>するのかもしれないと書いたが、自民党・安倍政権が進めようとしているようでもある配偶者関連税制の「改正」も、<消費税>関連政策・方針も、種々の労働政策も、<女性を含む一億総活躍>方針も-あくまでまったくの例示にすぎないが-、<すべて>支持するのか ? 自民党が、したがって安倍政権もまた継承している<男女共同参画>行政もすべて支持するのか ? 自民党の文教政策あるいは例えば安倍政権・文科省が行っている<大学再編>政策もすべて支持するのか ?
 渡部昇一や月刊正論編集部にとって、安倍政権は「100点満点」の政権なのか ? ?
 真面目に又は厳密に考慮すれば、<分からない>とか<支持しかねる>という政治方針・政策もあるはずだ。
 渡部昇一や月刊正論編集部に訊きたいものだ。
 安倍政権はかりに<保守>政権だとして、そして自分たちをかりに<保守>派だと考えているとして、安倍首相や安倍政権の言動・政策・行政を<すべて>支持しなければならないのか ? つねに、あらゆる論点について、安倍政権の「味方」でないといけないのか ?
 農業・水産業等々の国民、タクシー事業従事者、「非正規」労働の人、コンビニの経営者あるいは個々の従業員、…、それぞれの利害は多様だ。高齢者と若者という違いもある。
 そのような多様な国民が、あるいは雑誌読者が、「保守」系と自らを感じている者が多いかもしれないとしても、いったいなぜ、渡部昇一や雑誌編集部によって、「安倍政権の敵か味方か」と問われなければならないのだ ? ?
 渡部昇一は卑劣にも、自らが1年前に<安倍談話は100点満点>、<戦後体制を脱却した談話>、<大宰相の談話>とか「手放しで」褒め称えたことについては全く触れないままで、「安倍政権の敵か味方か」という特集名のもとで、安倍晋三首相を支持し<信頼する(信頼し続ける)>ということを長々と述べているだけだ。
 しかも、最後の方を捲ると、例えばつぎのような一文の末尾は、いかなる(実証的 ?)論拠にもとづくものなのだろう。笑わせるではないか。
 94頁-「安倍さんはそういう可能性を感じているかもしれません」。
 95頁-「彼はそう考えを変えたのだと思っています」。
 同-「安倍さんは…を手にすべく精を出しているのだと考えています」。
 同-「彼は機をうかがっているのだと思います」。
 同-「…かもしれません。そうした兆候は…、明白に表れていると思います」。
 同-「…時、粛々と変えるべく安倍氏は動くものと信じています」。
 渡部昇一は、可能であるならば、自らが1年前に<安倍談話は100点満点>等々ときわめて高く評したことの論拠を、再度詳細に述べるべきだ。渡部昇一をめぐる争点・問題は、まさに1年余り前の自らの文章の適否にある。<安倍政権は敵か味方か>などと問題をスリカエて、逃げてはいけない。
  三 同じ雑誌の同じ号にほとんど真反対の方向の理解・主張の文章が別の論者によって書かれていること、「特集」名にかかわらず、それに対応していると思えるのは渡部昇一の文章一つにすぎないこと、背表紙の「昭恵・蓮舫・クリントン」という意味不分明の文字の羅列、そして「特集」名設定から推察される編集部の意図…。
 月刊正論11月号(産経)が「奇書」だという理由が、判っていただけただろうか。
 このような雑誌に、あるいは渡部昇一も登場する号にだけでも(一緒には)、論考を執筆したくない、という「先生」方が現れることを期待したい。
 四 このような投稿に時間を費すのは、本当は愚かなことだ。
 渡部昇一は、かつて、その清水幾太郎の<右>旋回に関する発言で、福田恒存によって「売文業者」と称されて批判されたことがある。
 福田恒存評論集・第12巻(麗澤大学出版会、2008)の中の107頁以下の「問い質したき事ども」の半ば辺り以降を参照(原文は1981)。
 このことを、私と同じく渡部昇一の安倍談話支持を厳しく批判する、千葉展正・「売文業者」渡部昇一の嘘八百を斬る(kindle版、2016)によって知った。
 この電子書物( ?)は渡部昇一による安倍談話支持を、この秋月の欄よりもはるかに詳細に「斬って」、批判している。千葉展正には、反フェミニズムの本もある。

1288/「進歩的文化人」は死滅したかー福田恆存、竹内洋らによる。

 福田恒存に、「進歩的文化人」と題する小稿がある。50年前の1965年に読売新聞に連載していた随筆ものの一つだ。そこに、こうある。
 「私がいつも疑問に思うことは、他国の事はいざ知らず、日本が共産主義体制になることを好まない人でも、結果としてはそうなる事に、少なくともそうなる可能性を助長する様なことに手を貸している事である。そういう人を『進歩的文化人』と呼ぶと定義しても良いくらいだ。その事を当人は意識しているのかどうか」(新字体等に改めている。福田恒存評論集第十八巻p.123(2010、麗澤大学出版会))。
 これによると、「進歩的文化人」とは、当人が「意識しているのかどうか」は別として、また「日本が共産主義体制になることを好まな」くとも、「結果としては」「日本が共産主義体制になる」「可能性を助長する様なことに手を貸している」人、ということになるだろう。
 福田恒存はこのあともいくつかの文章を挿んでいるが、-むろん「進歩的文化人」なるものに批判的なのだが-分量が少ないこともあって、正確な趣旨は必ずしも掴みがたい。ともあれ、「筋金入りの共産主義者は別」として、「進歩的文化人」の中の「その大部分の良識派」はつねに建前としての真実・正義(偽善?)を語っていて、読者もそれを好み、かくして「洗脳」は無意識に行われる、というようなことを書いている(p.124)。
 この福田恒存の文章は独自に発見したのではなく、竹内洋・革新幻想の戦後史(2011、中央公論新社)の中で言及されていたので原文を探してみたのだった。しかし、よくあることだが、この竹内著のどの箇所で言及されていたのかが今度は分からなくなってしまった。その代わりに、「進歩的文化人」にかかわるあれこれの面白い叙述や文章引用を見つけた。
 竹内の生年からすると1960年代初めだろう、<福田恒存はいいぞ>とか言ったら「この人右翼よ」と言われたとかの実体験(?)の記載があるなど、上記の竹内著は-学問的労作と随筆文の中間あたりの-、戦後史を知る上でも興味深い書物で、この欄でも何度かすでに触れたかもしれない(仔細を逐一確認しないままで、以下書く)。
 「進歩的文化人」の定義としては、古く1954年の雑誌上のものだが、高橋義孝のそれが詳しい(竹内の引用による。p.316)。
 それをさらに少し簡潔にすると、①「大学の教師をして」いる、②「共産党乃至は社会党左派の同調者」、③「新聞雑誌によくものを書」く、④「よく講演旅行」をする、⑤「本当の政党的政治活動をしているような口吻」をときに漏らすが実際は一度か二度「選挙の応援弁士」になった程度、⑥とくに若い人たちの「自分の人気を気にかけ」、いつも「寵をえていたい」と思っている。
 部分的には似たようなことを、「非常に左翼的なことを言って」いながら「党員」になったり「組織に足をいれ」ることなく、生活態度は「ブルジョア的で非現実的な人々が多い」、と言う論者もある(あった)らしい(p.319-320)。
 また、上の高橋義孝の定義の別の一部について、臼井吉見は1955年に、こう述べたらしい。
 「将来の世界は社会主義の方向に進むに違いないとの情勢判断に基づいて、すべての基準を、つねに将来の方向におき、そこから逆に現実を規定し、判断するという、一種独特の思考方式にすがって怪しまぬ」(p.317)。
 また、竹内は「進歩的文化人」と共産党との関係にも論及していて、「共産党神話の崩壊」によって「進歩的文化人」批判は勢いを増したが、一方で<非共産党的(進歩的)文化人>の存在感も大きくした、あるいは共産党「同伴」知識人だったものが、共産主義・共産党という中心のない「市民派」知識人が独自に出てきた(代表は丸山真男)、というようなことも書いている(p.317-320あたり)。
 そして、竹内によると、「進歩的文化人に引導を渡したのは」、保守派ではなく「ノンセクト・ラジカル」だった、ということになるらしい(p.323)。
 面白いが、しかし、「共産党神話の崩壊」とは1955年の共産党六全協での極左冒険主義批判、1956年のソ連でのスターリン批判によるものを意味するのだから、かなり古い。2015年の今日、「共産党神話」は完全になくなっているだろうか。
 また、「ノンセクト・ラジカル」とは1970年代初頭の「全共闘」またはその一部を指しているので、これまたかなり古い。「進歩的文化人」に対する<引導の渡し>は終わっているのだろうか。
 たしかに、「進歩的文化人」という言葉はもはや死滅していると言ってよいのかもしれない。清水幾太郎や丸山真男らが活躍(?)していた頃とは、時代がまったく異なる、と言える。但し、竹内も「悪いやつには怒り可哀想な人には同情する」テレビのキャスター・コメンテイターのうちに「進歩的文化人」の後裔または現代版を見ることを完全には否定していないようだ(p.306-310)。
 テレビのキャスター・コメンテイターにまで広げなくとも、上のように定義され、特徴をもつ「進歩的文化人」は、言葉はほぼ消失していても、今日でもなお存在し続けていると思われる。
 そこでの要素は、①大学の教師でなくてもよいが、一定の「知識人」層と俗世間的には見られているような人、②社会主義・共産主義を嫌悪せず、無意識的であれ<許容・容認>している人、これとほぼ同義だが歴史は一定の「進歩的」方向に進んでいると考える、又はそう進ませなければならないと考える人、③何らかの「声明」に加わることも含めて、見解・主張の発表媒体を持っている人、ということになろうかと思われる。
 最近にこの欄で取り上げた人々を例にとれば、集団的自衛権行使容認閣議決定に対する反対声明を出している憲法学者たち、特定秘密保護法に反対する声明を出していた憲法学者・刑事法学者等たちは、ずばりこれに該当するようだ。
 その場合に日本共産党との関係に興味がもたれてよい。かつては「左翼」には社会党系、共産党系、それ以外の<純粋「市民」派>とがあったと言えるだろうが、日本社会党の消滅とそれに代わる社民党の力不足もあって、相対的には日本共産党系の力が強くなっているように見える。旧社会党系の一部を吸収した非・反共産党の<民主党左派>系「左翼」もあるのだろうが、しかしかつての社会党系が日本共産党に対する独自性をまだ発揮できていたのと比べれば、今日では日本共産党との<共闘>に傾いているように見える。
 そして、上記の憲法学者・刑事法学者たち等は、日本共産党系「左翼」であり、<共産党系進歩的文化人>だと言ってよいだろう。
 日本共産党機関紙・前衛の巻頭あたりにしばしば登場している森英樹も含まれているし、逐一確認しないが、かつて紹介したことのある、日本共産党系法学者たちの集まりである「民主主義科学者協会(民科)法律部会」の会員である者が相当数を占めているものと思われる。ひょっとすれば、ほとんど全員がそうであるかもしれない。もっとも、樋口陽一のように、元来は非共産党的「左翼」知識人・学者ではないかと思われる者も声明に加わっているように、ゆるやかであれ<容共>=「左翼」の者が賛同者ではある。かつては、日本共産党又は同党系と協調・共闘することを潔しとはしない「左翼」も存在したと思うが、叙上のように、その割合は今日では相当に落ちているようだ。
 「九条を考える会」もまた、大江健三郎に見られるように、元来は日本共産党系とは言えない運動の団体だったかもしれないのだが、日本共産党の<積極的に中に入っていく>方針に添って、今日では実質的には日本共産党系の団体・運動になっていると言ってよいだろう。旧社会党系であれ「市民」派であれ、共産党との共闘を厭わなくなってきているのだと思われる(これはかつてと比べれば大きな違いかと思われる。それだけ、「左翼」全体の量が減っているのかもしれない)。
 というわけで、共産主義・社会主義「幻想」と「進歩」幻想を基本的には身につけたままの「進歩的文化人」はまだ死滅しておらず、この人たちとの「闘い」をまだ続けなければならない。
 むろんこのように言うことは、上に挙げたような人々が日本共産党員ではない「進歩的文化人」にとどまっている、ということを言っているのではない。「進歩的文化人」の中核にはしっかりと、かつ量的にも多く、「筋金入りの共産主義者」である日本共産党員が相当数座っている。本当に闘わなければならない対象は、この者たちだ。
 そして、「日本が共産主義体制になることを好まない」人で、かつ客観的には「そうなる可能性を助長する様なことに手を貸している事」に気づいていない「進歩的文化人」がいるとすれば(単純に、<戦争反対・民主主義>のためだと考えている人も中にはいるだろう)、その人たちには、できるだけ早くこのことに「気づいて」いただく必要がある。このあたりは、<民主主義・自由主義・平和主義>と<社会主義(・共産主義)>との関係にかかわってもっと論述する必要があるのだが、すでに何度も触れてきていることでもあり、とりあえず、このくらいにせざるをえない。

 

1136/西尾幹二「私の保守主義観」と中島岳志。

 一 西尾幹二全集第3巻(国書刊行会、2012.07)所収の、「私の保守主義観」(p.45~、初出・1964)を読む。以下は、私なりの要約。
 ・「保守的な生き方というものはあっても、保守主義という特定の理論体系は存在しないし、また存在すべきではない」。
 ・「革新派」の「進歩主義」のごとき、特定の「主義」を、「保守派」は掲げるべきではない。ドグマを奉じた集団形成、イデオロギーによる現実裁断は「保守主義」と言えない。
 ・「未来への明確な見通し」により「世界や歴史を理路整然と説明」するのは「革新派の身上」で、「保守派は革新側に規定されてはじめて、自分が保守派であることを意識する」。
 ・E・バーク以来、「保守主義とはつねにそういうもの」で、彼はフランス革命に「急進的な自由主義の暴走」を見て批判・抵抗した。「革新思想」は「社会主義に衣装をかえていった」が、「保守主義」の本質的あり方に変化はなかった。「保守主義とは、一個の抽象的理論なのではなく、革新側が主張する特定のドグマや世界観に対し、そのつど具体的な状況に応じて提出される懐疑であり、批判であり、警告のことば」なのだ。
 ・「保守と革新」、「反動と進歩」という対立概念は「革新側」が過去の裁断のために作った標語で、「保守派」は関知しない。対立図式により規定するには現実は手に余るものであることを、「保守派」は知っている。
 ・「保守的な生き方・考え方とは、自己についても、世界についても、割り切れないものを割り切ろうとはしない態度、理論より理論の網目からもれたものを尊重する態度」、「楽観的な合理主義に虚偽をかぎつける本能」だ。
 ・「保守派」は「進歩を否定しているのではない」。ただ、「進歩」を最高の価値・究極の目的とする「観念的な未来崇拝」に与しないだけだ。
 ・「保守主義は進歩や改革を否定しているのでは決してない。むしろその逆である」。日本では、「もっとも自覚的であるべきはずの革新主義がもっとも無自覚な偶像崇拝のとりことなり、もっとも近代的であるべきはずの知識階級の意識が、実業の世界に生きる人々にくらべてはるかに遅れているのが現状」だ。
 ・「自由な、現実的な姿勢」で対処することが必要で、それを「保守的」と呼びたい者は呼ぶがよい。肝要なのは「呼称ではなく態度、理論ではなく理論をあつかう主体の姿勢」だ。
 以上、1960年安保騒擾時に見られたような「革新勢力」・知識人の「固定観念と集団陶酔」等への批判等は割愛したが、基本的な内容はこのようなものだ。
 私は「保守」について、思考方法ないし態度ではなく一定の「価値」の選択・選好だと書き、それは今日の日本では<反コミュニズム=反共>だ、という旨を記したことがある。
 かかる考え方は西尾幹二のそれとは異なるようでもある。しかし、西尾は「革新思想」は「急進的自由主義」から「社会主義に衣装をかえていった」という叙述もしているように、「革新派(左翼)」に規定されて意識される、<反革新(反左翼)>としての「保守派」の主張内容は、今日では(今日でも)基本的には<反社会主義=反共>だろう、と思われる。それは(反マルクス主義と当然に同義であるとともに)、反日本共産党でもあり、反中国・反北朝鮮でもある。あるいは、「革新派(左翼)」によって、歴史認識や政策を含む「そのつど具体的な状況に応じて提出される」種々の論点について、「自由な、現実的な姿勢」でもって対決、あるいは反論していくことでもある。
 したがって、西尾の考え方と私のそれが全く乖離している、矛盾しているとは、感じていない。
 二 ところで、中島岳志は某雑誌(表現者)上で「私の保守主義」なるものを語って、中島なりの「保守主義」理解を<理論的・体系的に>提示しようとしているようだ。また、中島岳志は、橋下徹を「保守」ではないと断じるとともに、「保守主義」の立場から演繹した<反原発>の主張も(同じ雑誌上で)しているように理解できる。
 中島岳志は、何らかの「保守主義という特定の理論体系」を前提としているように解される。そして、そのような前提的発想は、そもそも西尾幹二のいう「保守的な考え方」ではないのではないか。
 中島岳志は、月刊・論座2008年10月号(朝日新聞社)で、つぎのように語ってもいる(p.33)。
 ①「保守とは、人間の理性によって社会を進歩させることは不可能だという立場」だ。
 ②「保守主義本来の発想」は、「伝統や慣習、常識、共同性、といった人智を超えた所与のものに依拠する方が、世の中の秩序は安定し、よりましな社会が漸進的に続いていくんだ」、というものだ。
 三 「保守主義」と言わなくとも「保守的な考え方」は「態度」・「姿勢」にある旨を強調する西尾幹二の上の叙述にもいくばくかの疑問はあり、西尾幹二が参照していると見られ、類似点のある福田恆存「私の保守主義観」同・評論集第5巻(麗澤大学出版会、2008、初出・1959)p.126以下に、岩田温・政治とはなにか(総和社、2012)は従わず、一定の内容・価値を「保守」概念に意味させている(とりあえずは詳しくは紹介しない)。
 四 上の点はともあれ、中島岳志の述べる上の①は、<理性による社会の進歩は不可能>とするのが「保守」だ、というもので、これは西尾幹二の理解とも(そして福田恆存の理解とも)異なっている、と思われる。
 西尾幹二において(但し、1964年)、「保守主義は進歩や改革を否定しているのでは決してない。むしろその逆」なのだ。その「進歩や改革」に「人間の理性」は不要だとは言えないだろう。
 中島岳志は、「保守」という「主義」を想定している点で西尾幹二・福田恆存と異なっていると考えられ、また、「保守」の理解が(その態度・心性に着目するとしても)あまりに単純すぎるか、過度に一定の面を強調しすぎている。
 また、中島岳志は上の月刊・論座の座談会の中で「保守」への不満を述べ、(<中国や韓国への感情的反発>に偏った)日本の「保守」を変えようとしたいらしき発言をしてもいるのだが(なお、中島岳志は憲法現九条改正に反対する-p.37)、そのような日本の「保守派」の現状批判と変革について、彼自身がその「理性」を働かせているはずなのだ。
 また、中島岳志は日本の「保守」は「設計主義的」すぎるとも批判しているが、「保守主義」という主義・理論に立って日本の「保守派」や原発問題等についてあれこれと論じること自体も、ある意味では<設計主義的>だと思われる。
 要するに、まともな?「保守派」・「保守主義者」らしく振る舞っているようである中島岳志は、じつは本質的に「保守派」ではない、のではないか。
 こうした疑問または結論は、すでに何度か述べたことがある。

1125/西尾幹二が「『気分左翼』による『間接的な言論統制』」を語る。

 西尾幹二全集第2巻(国書刊行会、2012)に所収の「『素心』の思想家・福田恆存の哲学」は2004年の福田恆存没後10年記念シンポでの講演が元になっているようで、月刊諸君!2005年2月号(文藝春秋)に発表されている。全集の二段組みで48頁もあるので(p.359-406)、本当に月刊雑誌一回に掲載されたのかと疑いたくなるような長さ・大作だ。
 内容はもちろん福田恆存に関係しているが、西尾幹二の当時の世相の見方等を示していて相当に興味深い。講演からは8年ほど経っているが、今日でもほとんど変わっていないのではないか。
 6頁め(p.364)にある「『気分左翼』による『間接的な言論統制』」という節見出しが、目につく。「間接的な言論統制」には「ソフト・ファシズム」というルビが振られている。「気分左翼」も「間接的な言論統制」も、福田恆存かかつて使った語のようだ。
 なぜ目を惹いたかというと、私は「何となく左翼」という語をこの欄でも使ったことがあるし、田母神俊雄の「日本は侵略国家ではない」論文に対する政府(当時は自民党政権)や<保守>論壇の一部にすらよる冷たい仕打ちに対して<左翼ファシズム>の成立を感じ、この欄でもその旨を書いたからだ。
 「何となく左翼」(意識・自覚はしなくとも「左翼」気分のメディアや人々)による「左翼」的全体主義がかなり形成されているのは間違いないと思われる。
 メディア・世間一般ではなく、特定の学界・学問研究分野では、より牢固たる「ファシズム」、<特定のイデオロギーによる支配>がほぼ成立しているのではないかとすら思われる(日本近現代史学、社会学、教育学、憲法学等)。
 さて、西尾幹二の叙述(福田恆存ではなく西尾自身の文章)を以下に要約的に紹介しておく。
 ・昭和40年の福田恆存「知識人の政治的言動」は「現在ただいまの日本を論じているに等しい」。「今の日本を覆っているのはまさに思想以前の気分左翼、感傷派左翼、左翼リベラリズムと称するもののソフトファシズムのムード」だ。「政府、官公庁、地方自治体、NHK、朝日、毎日、日経、共同通信、民放テレビ等を覆い尽くしているもの」がある。福田恆存にいう「間接的な言論統制」だ(p.366)。
 ・「真綿で首を絞められるような怪しげなマスコミの状況に今われわれ」はいる。それは「平和というタブー」に由来し、「最初はアメリカが日本全土に懸けた呪いであり、やがて革新派が親米的政権に同じ呪いをかけて身動きできなく」なった。これが「今の日本の姿」で、「呪いは全国を覆い尽くして」いる(同上)。
 ・2004年には経済界の一部が首相に靖国参拝中止を言いだし、「共産国家の言いなりになるように資本家が圧力をかけている」。NHKは1992年頃まで「政治的撃論の可能なメディア」だったが、今や「衛生無害」の「間接的な言論統制」機関になっている。文部省はかつては「保守の牙城」だったが、いつしか「次官以下の人事配置においても日教組系に占められ、”薄められたマルクス主義”の牙城」になっている(同上)。
 ・「男女に性差はないなどという非科学的奇論、ジェンダーフリーの妄想が…官僚機構の中枢に潜りこ」み、地方自治体に指令が飛び、「あちこちの地方自治体で、同性愛者、両性具有者を基準に正常な一般市民の権利を制限する」という「椿事」が、「従順な地方自治体の役人の手で次々と条例化されて」いる。「全国的な児童生徒の学力の急速な低落は、過激な性教育と無関係だとはとうてい言えない」だろう(同上)。
 ・「官庁の中心が左翼革命勢力に占領」されるという事態を福田恆存は予言しており、福田が新聞批判を開始した頃から「日本は恐らくだんだんおかしくなり」、福田の予言の「最も不吉な告知が、今日正鵠を射て当たり始めているのではないか」(p.367)。
 以上。もう少し、次回に続けよう。 

1122/西尾幹二全集第2巻(2012.04)のごく一部。

 西尾幹二が福田恆存を追悼して書いた文章の中に以下の部分がある。
 「マルクス主義を一種の身分証明のように利用して、反米・反政府を自明のよう語りながら、しかも日本共産党の過ちをも批判するという当時のどっちつかずの知識人の姿勢は、恐らく今なおリベラルの名で語られる政治潮流とどこかでつながっている。/福田氏が闘った相手はまさにこれである」。
 「現実を動かした強靱な精神―福田恆存氏を悼む」西尾幹二全集第2巻(第三回配本)所収p.299(国書刊行会、2012.04。初出は1994.11)。
 福田恆存の初期の評論「一匹と九十九匹と」に言及して「当時」と言っている。福田のこの評論は1946年(昭和21年)11月に書かれ、翌年3月刊の雑誌に発表されている(福田恆存評論集第一巻所収p.316以下、麗澤大学出版会・2009.09)。
 いつぞや、反自民・非共産で、後者よりの「左翼」が現在の日本の学者・知識人にとってもっとも安全な立ち位置だ、という旨を書いたことがある。
 さすがに現在では「マルクス主義を一種の身分証明のように利用して…」とは言い難く、<反自民・「左翼」ぶりを身分証明のように利用して、かつ日本共産党そのものとも一体化せす(同党に批判的な眼も向けつつ)…>とかに、少しは表現を変える必要があるだろうが、「リベラルの名で語られる政治潮流」の姿は、西尾幹二が上のように書いてから20年近く経っても、さらには福田恆存の「当時」から60年以上経っても、本質的には変わっていないようだ。その点が興味深く、ここに引用する気になった。
 西尾幹二が初めて読んだ福田恆存の評論は「芸術とは何か」で1950年のもの、60年安保騒擾の際に西尾の救いとなったのは福田の「常識に環れ」らしく、これは1960年のものだ(それぞれ、福田恆存評論集第一巻、第七巻に所収)。
 他にも有名な「平和論の進め方についての疑問」(福田恆存評論集第三巻)などに、西尾は言及している。
 読んだことがあるものもある。あらためて、多くの福田恆存論考をじっくりと読みたいものだ。そう思わせる「評論」が今日では少なくなっていると思われる。西尾幹二の書くものもまた、私には一部の内容・主張に不満があるが、数少ない「評論家」であることは間違いないだろう。 

1076/中島岳志の幼稚な「エセの(?)」「設計主義」批判。

福田恆存19121994)は、1990年に、ある文章の中で以下のようなことを述べている。
 ・「進歩主義」に対するものとしての「漸進主義」において、「進歩」は「求めて得られぬ理想ではなく、単に在るがままの現実に過ぎない…。つまり、そのまま放っておいても放っておかれないのが、人間の自然であり歴史というものなのである」。
 ・G・ワトソンが、某は「マルクスより若かったが、リフォーム(改革・改良)は変化をもたらし、リヴォルーション(革命)は屡々物事を現状のまま放置するという事実を能く見抜いていた」、と書いている。「私〔福田恆存〕と能く似た事を言うと思った」。

 以上、福田恆存「老いの繰り言」福田恆存全集別巻(麗澤大学出版会、2011p.217-8
 〇これを読んで連想したのは中島岳志による「設計主義」批判、橋下徹批判だった。
 この欄に既に書いたことの一部反復になるかもしれないが、中島岳志は「保守」系隔月刊誌・表現者39号(ジョルダン、西部邁事務所編集)で、次のように橋下徹を批判していた。
 ・橋下徹の考え方は「急進的な設計主義」と「伝統的な価値観の否定」に直結する。「保守思想」は「人間の理性や知性に対する奢りが潜んでいる」「ラディカリズム」を拒絶し、「ラディカルな合理主義」を懐疑する。橋下徹の「改革熱は、反保守的な態度としか言いようがない」。
 ・「大阪市を解体し、国家まで解体しようとする」「自称改革派」を「保守」は支持できない。橋下徹において「伝統や道徳は、既得権益を温存させる悪しき価値」で、「歴史的に構成された価値観や経験知は日教組、左派メディア……と同様に旧体制の象徴として解体されるべき」なのだ。かかる「地方で起きている破壊的ポピュリズムを阻止することこそが保守派の役割」だ(以上、p.118-120)。 
 なお、中島岳志は表現者40号(2012.01)でも、「大東亜戦争」を支えたのは「設計主義」だとし、「左翼的な思想が介在」したものとして批判している。「大東亜戦争」や特定の「思想家」の評価に関連するので、今回はこれ以上は立ち入らない(但し、かくも簡単に「大東亜戦争」を支えた「思想」を概括してしまっていることに驚いたことだけは記しておく)。
 このような中島岳志の論述(?)を読んでもつ第一の基本的な疑問は、厭うべき「進歩主義」・「革命」・「ラディカリズム」・「設計主義」と望ましいまたは自然な「漸進主義」・「改良」とはどのようにして区別されるのか、ということだ。
 「保守」主義はいかなる「変化」をも拒絶するものではないと考えられる。「保守」と「漸進主義」・「改良(改革)」は、一般論として、決して矛盾しない。これを矛盾すると理解するとすれば、それは「退嬰」主義であり「現状凍結」主義だ(あるいは「敗北主義」だ)。
 福田恆存いわく、「そのまま放っておいても放っておかれないのが、人間の自然であり歴史というものなのである」。
 中島岳志は、上のような基本的な問題に何ら言及していない。
 「保守」主義が<反・設計主義>で、理性万能・合理性重視の「設計(・構築)主義」を批判しているくらいは、私も百も承知だ。
 かかる前提に立つとしても、問題は、どこから先が「設計主義」に陥る、悪しき合理主義=「左翼」思想なのかにある。
 <戦後体制(戦後民主主義体制)からの脱却>は現状の日本の基本的な「変化」を追求するものであり、そのための「運動」が必要であり、ある程度はそれなりの「戦略」・「戦術」も必要と思われるが、中島岳志の論じ方に従えば、これまた「ラディカリズム」・「設計主義」になりかねない。憲法改正(とくに九条2項の削除)についても、同じことがいえる。
 中島岳志は、それなりの地位・自由と名誉が保護された現状(「戦後体制」・「自由と民主主義」)に保護されることを望み、それらを「保守」したいだけではないか、という皮肉または嫌味も投げかけたくなる。
 第二に、中島岳志のいう「保守」思想からする橋下徹批判は、ほとんど説得力がない。
 なぜなら、例えば、①橋下徹の考え方が「急進的な設計主義」と「伝統的な価値観の否定」に直結するとする、実証的・説得的な根拠は何ら提示されていない。②橋下徹は「大阪市を解体し」ようとしているかもしれないが、「国家まで解体」とは明言していないし、その意図もないと思われる。「国家」が「国家」それ自体ではなく<国のしくみ>のようなものだとすれば、その中には「改良」・「変革」・「解体」されてしかるべきものもある。例えば、日本国憲法それ自体に問題がある。③橋下徹は「伝統や道徳」や「歴史的に構成された価値観や経験知」を否定・無視・軽視すると論難しているが、そのための実証的かつ説得的な根拠は示されていない。むしろ逆に、橋下の考え方は(「西欧」思想に馴染んだ中島岳志以上に?)これらを尊重する人間なのではないか(参照、国歌・君が代や「護国神社」への態度)。
 こうして見ると、中島岳志という人物がますますいかがわしく見えてくる。これで大学教員(北海道大学)なのか、学者・研究者なのか。「本格的な思想格闘を行う必要がある」(表現者40号p.153)などと肩肘を張る、あるいはムキになることはない。そもそも自らにそのような資格・能力があるのかどうかを、謙虚に自省してみたらどうか。

0990/<保守派>論客を出自・元来の専門分野から見ると…。

 〇西尾幹二・西尾幹二のブログ論壇(総和社、2010)という本は、その構成・編集の仕方が分かりにくい。渡辺望という目慣れない人の「はじめに」が延々と27頁も続くが、この本の趣旨・成り立ち等を西尾に代わって書いているわけではない。冒頭に、いわば<西尾幹二論>があるのだ。最後の方に唐突に「ブログ管理人/長谷川真美」による西尾幹二のブログの「歴史」が語られたりする。残りは西尾幹二のブログ(インターネット日記)の内容だとは推測されるところだが、ブログ内容に対する読者または知名人の感想等が挿入されていたり、西尾自身の出版直前のコメント等が挿入されていたりするので、いつの時点の文章のなのかもすこぶる分かりにくい。

 それでも、内容自体は興味深いテーマを扱っているので、読む人は読むだろうが、それにしても読者には不親切だ。関係する文章を時系列に関係なく、本文と解説等に分けることもなくごったにしてホッチキスで止めたような感じ。こんな本も珍しい。売れるとすれば、西尾幹二の名前によるところがほとんどではないか。

 〇上の渡辺望「はじめに」は、西部邁についてこう書いている。

 「福田恆存、江藤淳、竹山道雄、林健太郎、渡部昇一」らが「保守派」の論壇に存在していたが、「保守」という言葉を「現代日本に定着させた」のは西部邁の「論壇的功績」で、西部邁の1980年代の登場以降、「保守」という言葉を多くの人が使うようになった(p.19-20)。

 この西部邁論について大きな関心はないし、論評できる能力もない。興味を惹いたのは、そこで挙げられている「保守派」の論客の<出自>あるいは<(元来の)専門分野>だ。

 西部邁は経済学(・思想・歴史)だが、上の5人のうち林健太郎は歴史学・西洋史(とくにドイツ)で、あとの4人はいずれも<文学>畑だ。正確に確認しないが、渡部昇一は英語・英文学、そして西尾幹二もまた独語・独文学(・ドイツ思想・ドイツ哲学)という具合だ。

 福田恆存は英文学科卒、竹山道雄は独文学科卒、江藤淳は文学科英米文学専攻卒。

 このような<文学畑>または<文学部出身者(この場合は「歴史学」も含まれる)>によって<保守派>の論壇が形成されてきた、ということは、日本の<保守論壇>に独特の雰囲気・発想をもたらしているようにも見える。そしてそれは、必ずしもよいものばかりではないように見える。

 経済学部出身の西部邁、佐伯啓思、法学部(但し政治学系)出身の中西輝政あたりはむしろ少数派で、上記のような<文学畑>がなおも多数を占めているのではないか。櫻井よしこはハワイ大学で「歴史」を専攻したはずで、日本の大学でいうと文学部出身になる。

 どのような独特さをもたらしているかについて多少は書きたいこともあるが、ややこしいので別の機会にしよう。いつか言及した三島由紀夫と福田恆存の対談の中にも法学部出身者と文学部英文学科出身者の違いを感じさせる部分があった。

 <保守派>とはいえない屋山太郎は政治・行政に口を出しているので法学部出身かと思っていたら、文学部出身。経済についても法制についても<ドしろうと>なわけで、信頼できないことを書いている理由の一端も理解できる。政府の審議会委員をしていて見聞きして経験したことくらいで、政治・行政を「分かって」いると思っているとすれば、とんでもない勘違いだ。この人はまだ、民主党を1年半前に支持した不明を恥じる言葉を書いていない。

 〇先日の夜と翌朝にかけて、竹田恒泰・日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか(PHP新書、2011)を全読了。2/26~27に月刊WiLL4月号(ワック)の中のいくつかをすでに読了。

0962/櫻井よしこと持丸博=佐藤松男と大熊信行。

 櫻井よしこが週刊新潮12/23号で肯定的に言及していたので、持丸博=佐藤松男・証言/三島由紀夫・福田恆存たった一度の対決(文藝春秋、2010)を入手して、読んで、いや全部を読もうとしてみた。

 だが、第二章の終わりあたりで、全体の3割くらいまで進んで、止めた。面白くない。
 三島由紀夫と福田恆存の「対決」は「たった一度」ではないのでないかと12/17に書いたが、この本のp.7によると、他に対談の機会はあったことには触れていないものの、「政治的、思想テーマについて」の「たった一度の対談」だとの趣旨のようだ。なおも誤解を招きうるとは思うが、12/17の批判的コメントは(全部ではなく)かなりの程度で撤回しておく。
 ともあれ、上の本は、最初に三島・福田の「対決」の「要旨」を掲載したうえで、あとは持丸博と佐藤松男の「対談」を内容とする。

 櫻井よしこは多くの三島論・福田論があったが「その中で、持丸、佐藤両氏が論じた本書は抜群に面白い」と評している(上記週刊誌p.138)。

 櫻井よしこは全部をきちんと読めた・読んだのだろうか。適当な(当事者たちに嫌われない)褒め方をしているにすぎないように思われる。

 この本の対談者二人は三島と福田にそれぞれに<私淑>した人物で、三島・福田の知られざる個人的言動がふんだんに語られていれば興味も湧くが、三島・福田の一つの「対談」を主たる材料にして、三島・福田と同レベルで、彼らの「思想」・「考え方」をあるときは代理してのようにあるときは独自の解釈を展開するように、語り合っている(全部を読んだわけではない)。持丸博と佐藤松男はそれぞれこれまでに三島や福田についての研究書なり評論書を刊行した実績はなく、どうやら初めての著書(対談書だが)のようだ。そのような二人が、いくらかつて三島・福田と物理的に「近い」場所にいたとしても、本格的な三島論・福田論を語るのは無理というものだろう。

 多少は具体的に述べれば、日本国憲法との関係で三島が使った「縄抜け派」という語を契機として示された二人の憲法感覚の違いは、持丸・佐藤のように説明または分析されるものなのか、疑問だ(p.32-37)。また、「国家(のエゴイズム)」と「天皇」の関係についての三島・福田の対論内容も、持丸・佐藤のように説明または分析されるものなのか、疑問だ(p.41-)。

 持丸博は<国家を超えた絶対的価値>の存否に関連して日本と西洋の違いや「キリスト教」に言及し、福田と三島の違いは「福田恆存は認識者」であることだ、「世界を認識」できるが、「絶対的な存在、そんな世界があるということを認識しているがゆえに…三島先生のような行為はできなかった」、「あの行為こそが三島由紀夫の限界」だとか語り、佐藤松男は福田は三島に「絶対的な価値は何か」を問うているのではなく「国家を超えた絶対的な何ものかを追い求めて」いく必要を語っているのだ、などと反応している(p.48-50)。

 このあたりのやりとりは(も)、対談の原文をきちんと読まず、かつ三島・福田について詳しくは知らないからかもしれないが、ほとんど理解できない。三島・福田が使った表面的な言葉・文章を手がかりにして、<空を掻く>ような議論をしている可能性を否定できない。

 もともと、「政治的、思想テーマについて」の唯一の「対談」として語られた中での、三島由紀夫と福田恆存の言葉・文章、相互の「やりとり」の関係のみをほとんど唯一の手がかりにして、三島・福田の「思想」・「考え方」の違い等を析出しようとするのは、無理があるのではないか。

 対談では、ふつうの単独執筆の文章・論考等と違って、概念・論理ともに厳密な議論が少なくとも十分にはできはしないだろうと思われる。

 三島由紀夫にしろ福田恆存にせよ長大な個人「全集」を遺しているわけで、それら全体から二人の「政治的、思想テーマ」に関する立脚点・発想・論理等々を(違いも含めて)明らかにすべきだろう。

 遠藤浩一・三島由紀夫と福田恆存(上)・(下)(麗澤大学出版会、2010)はそのような試みで、この二人の書いた文献を相当に広く渉猟しかつかなり深く読んだ上で、両者を分析または対比させているようだ。だからこそ興味をもって(時間はかかったが)読み終えた。しかし、持丸博=佐藤松男の本は約70頁でもう厭きてしまった。

 櫻井よしこに尋ねたいものだ。持丸博=佐藤松男の本が「抜群に面白い」というならば、遠藤浩一の本はいったいどうなのだ。櫻井よしこは、遠藤浩一の上記著書は読んでいない可能性があるだろう。

 ついでに、再び、櫻井よしこの上掲の週刊新潮12/23号の文章に戻る。
 櫻井よしこは、持丸博=佐藤松男の本に触れる中で佐藤が言及する大熊信行・日本の虚妄―戦後民主主義批判(論創社、2009)にも触れて、「大熊の主張はもっともだ」と書いている(p.138)。

 そこで紹介されているごく一部の大熊の発言だけに限れば「もっとも」なのかもしれないが、大熊信行は決して<保守派>の論者ではなく、「護憲」(九条2項改正反対)論者だ。タイトル(書名)に惑わされてはいけない。大熊は「戦後民主主義」だけを批判しているのではない。

 櫻井よしこが不用意に名を出すことによって、不必要な誤解を招く可能性もある。一部を読んだだけで、とか、引用されているのを間接的に読んで、というだけで簡単に肯定的に(または逆に消極的に)評価するのは、産経新聞社から<正論大賞>を受けたらしい「コラムニスト」あるいは「評論家」にはふさわしくないだろう。

0955/週刊新潮12/23号の櫻井よしこ・連載コラムと福田恆存。

 週刊新潮12/23号櫻井よしこ・連載コラムは、持丸博=佐藤松男・証言/三島由紀夫・福田恆存たった一度の対決(文藝春秋、2010)に言及し、自らの文章として、「1960年の安保闘争から70年の安保闘争まで、左翼的思想で満ちていた日本で孤高の闘いを続けた福田恆存と三島由紀夫はたった一度、『論争ジャーナル』という雑誌で対談した」と書く(p.138)。
 持丸博らのミス(?)を引き継いでいるのだろうが、「たった一度」の対決・対談というのは、誤りだと思われる。
 決定版三島由紀夫全集39巻〔対談1〕(新潮社、2004)を見てみる。

 たしかに、論争ジャーナル1967年11月号で三島と福田は「文武両道と死の哲学」と題する対談をしている(全集39巻p.696-728)。

 だが、三島由紀夫・福田恆存・大岡昇平の三者は文芸1952年12月号で「僕たちの実体」ど題する対談をしている(同上p.111~127)。

 これは鼎談であって、対談でも「対決」でもないというならば、三島由紀夫と福田恆存の二人は、中央公論1964年7月号で、「歌舞伎滅亡論是非」と題する対談を行っている(同上p.415-424)。

 持丸らの上掲書を未読なのでどのような注記等がなされているのかは知らないが、「たった一度」の対決というのは事実に反しており、櫻井よしこもその瑕疵を継承しているようだ。

 つぎに、櫻井よしこは福田恆存「滅びゆく日本」(サンケイ新聞1969年02.01。福田恆存評論集第8巻p.261-264)の一部を紹介・言及して福田による「戦後」に対する警鐘・批判に同感する旨を書いている。

 たしかに福田恆存のこの一文からも福田の考えていたことの一端は分かる。しかし、この数頁しかない一文が福田恆存の代表的論文(・評論)とは思えない。いわゆる<進歩的文化人>と対決し、彼らを批判した1950年前後以降のものも含めて、福田恆存が「戦後」を批判的に分析し、批判し、憂慮した文章は、上記の評論集(麗澤大学出版会、刊行中)の中に多数見出すことができる。
 それに、遠藤浩一・三島由紀夫と福田恆存(上)・(下)(麗澤大学出版会、2010)が今年に刊行され、全集に直接に当たらずとも、福田恆存が1950年代以前から反「左翼」の立場で評論活動も行い、1960年前後にはすでに<高度経済成長>の「影」を視ていたことも明らかにされている(この遠藤著に今回は立ち入らない)。

 というわけで、櫻井よしこによる福田恆存発言の紹介の仕方には、たんに紙数の制約によるとばかりは思えない、かなりの不備があると感じられる。ついでながら、おそらくは、福田恆存は櫻井よしこ以上の文筆活動をしたと歴史的に評価されるだろう(たんなる量の問題ではない)。

0941/「戦後」とは何か③-遠藤浩一著の3。

 1963年(昭和38年)に、「文学座」分裂事件が起こり、これには三島由紀夫福田恆存も関係している。この事件は、<親中・媚中>の「左翼」で、のちに大江健三郎のそれの次の年に日本の文化勲章受賞を拒否した杉村春子が主人公のようで、「政治」と文芸(・新劇)との関係あるいは<進歩的文化人>なるものの所為を知る上でも興味深い。1963年とは、東京五輪の前年になる。
 遠藤浩一・福田恆存と三島由紀夫(下)(2010、麗澤大学出版会)p.214-によると、福田恆存はこの1963年から翌年にかけて、「日本近代史論」を月刊文藝春秋に連載したらしい。この論考は現在刊行中の福田恆存評論集(麗澤大学出版会)には収載されていないようだ。

 遠藤によると、福田論考の内容は、次のようだ(「」はもともとの福田恆存の文章の引用部分)。

 明治以降の「近代化」は「壁なし社会」形成という成果はあるが、「大壁、小壁が存在しなくなったのではなく」、「透明な部分が多く」なりかつ「在り場所が不規則に」なっただけのこと。悪法も無視することで「存在を透明に」して「あたかも無きがごとき錯覚」を与えうる。特に戦後の日本は一九四六年製の胡乱な憲法によって拘束されているが、その歪みに対する疑念は拭われていない(「悪法は法に非ず」が安直に実現され日常化されている)。

 また、日本の国際化は国際的視野が広がったのでは必ずしもなく、「国家という大城壁が崩れ去」り「透明になり見えにくくなったという意味」にすぎない。

 さらに、大衆化現象の進展・マイメディアの発達による都市化の急速化で大都市・農村を問わず「彼等の欲望を強烈に刺激し、その欲求不満を掻立てる」ようになった。そして自然科学の進歩や技術革新により、日本人は「悪夢の中」に「他方では限り無く美しい薔薇色の夢の中」に包まれて、「自由を束縛する壁」や「危険を守ってくれる壁」の存在が「全く解らなくなっている」。

 以上だが、なかなかに含意に富む。

 <透明化>とは近年ではよい意味で使うことが多いが、ここでは存在するのに見えなくすること(見えなくなること)の意味だ。

 ①日本国憲法制定過程・手続に大げさには「悪」があったとしても、見ても見ぬふりをする(気づいていても知らないふりをする)心性にほとんどの日本人が陥っていたのではないだろうか。また、過程・手続にのみならず内容自体にも奇妙なところがあることを意識していた者も少なくなかっただろうが、あえて言挙げする者の方が少なかったのだろう(だからこそ憲法改正は現実化しなかった)

 ②1963-64年の時点にすでに福田恆存はマスメディア等が日本人の「欲望を強烈に刺激し、その欲求不満を掻立てる」現象を指摘している。大宅壮一がテレビによる<一億総白痴化>を語ったのは1957年くらいらしい。だが、経済成長に伴う、とくにマスメディアを通じた<消費「欲望」肥大化>・<「物質的」豊かさの追求>に対する批判的なコメントとしては、1963年頃でも早いと言えるだろう。

 ③「壁」が見えなくなっているとの指摘は、「国家」意識の減退・縮小や規律・秩序の弱体化・崩壊を意味しているようだ。

 そして驚くべきことに、上の①~③のような、福田恆存が1963年頃に含意させていたような事柄は、今日、2010年でも、基本的には何ら変わっていないのではないか。

 遠藤浩一も言うとおり、<「戦後」はまだ続いている>。

 「悪法を改めることもせず、その解釈拡大(無視)によってしのぎ続ける日本人。『国家という大城壁』を崩壊に任せたままの日本人。欲望の充足だけが政治の課題だと信じ込んでいる日本人。自らを守るものを見失ったままの日本人。何も変わっていない」(p.216)。

0936/講和条約から60年安保「騒擾」へ-遠藤浩一著。

 一 いわゆる「六〇年安保」の1960年が、戦後日本にとっての重要な分岐点の一つだっただろう。

 遠藤浩一は、<六〇年安保闘争>などという語は用いず、「六〇安保騒擾」と称している。ともあれ、今でも、この「闘争」なるものに参加して国会周辺デモをしたことを懐かしくかつ何の恥ずかし気もなく語っている者が知名人の中にも少なくないことはどうしたことだろう。騙されてか、信念を持ってかのいずれにせよ、樺美智子や西部邁らとともに安保改定「反対」デモに加わったということは、秘すべき、恥ずかしい過去なのではないか。

 遠藤浩一・福田恆存と三島由紀夫(下)(2010.04、麗澤大学出版会)p.47は、次のように<主権回復時(から安保改定に至るまでの経緯)>の論点を整理している。適確なのではないかと思われる。
 ・「平和憲法」により「戦力は…保持しない」として「自分で自分を守ることは致しません」と内外に宣言した日本が「主権を回復」しようとするとき、「二つの選択肢」が想定された。

 ・①「憲法を改正して普通の独立主権国家並の体制を整える」(そのうえでどこかと「同盟関係」を結ぶというオプションもありうる)。②「憲法の非戦条項を維持したまま別の国家に保護を求める」。

 ・かつまた、「東西」分裂・「冷戦」の激化があったので、この点でも「複数の選択肢」が発生した。

 ・A「自由民主主義陣営」に属する、B「共産圏」に属する、C「非同盟中立」を標榜して「独自の道」を歩む。但し、Cの場合は日本を「軍事的、経済的に保護」できる「非同盟中立の大国」は存在しなかったので、この道は「必然的に憲法を改正し自主防衛を追求」せざるをえない。

 ・以上を複合させて整理すると、「主権回復時」の日本は次の五つから進むべき途を選択する必要があった。

 ・①「憲法を改正し再軍備」したうえで「自由民主主義諸国」と連携する。②「再軍備したうえで共産圏」にコミットする。③「再軍備して非同盟・中立」を追求する。④「憲法」に手を付けず(=憲法改正をせず)「軽武装もしくは非武装」で「米国に軍事的保護を求める」。⑤同様に「軽武装もしくは非武装」で「ソ連に軍事的保護を求める」。

 ところが、と遠藤浩一は続ける。「全面講和論者」は「平和、平和」と気勢を上げるだけで、当時の日本が置かれた「状況」とそこから導出される「選択」について、「説得力ある議論」を展開したわけではなかった(p.47)。

 二 「全面講和論者」とこれにつながる「六〇年安保改定」反対論者は、現実に明確な<勝利>をしたわけではないが、戦後日本の歩みにきわめて重要な役割を果たした。その系譜は、脈々と今日まで受け継がれ、<左翼・売国>政権となって政治の現実について主導権を握るまでに至っている(「コミュニズム」の影響は今日の日本でもなお根強く生きている)。

 「全面講和論者」とこれにつながる「六〇年安保改定」反対論者とは簡単にはかつてにいう<進歩的文化人>を含み、かつこれによって煽られ、「理論」的に支えられもした。この者たちの<罪>は、永遠に忘れられてはならない。むろん、その背後にソ連共産党等の外国を含むコミュニストがいたことも明らかなことだ。

 戦前の個々の「戦史」や作戦・戦略面での<判断ミス>やその責任者について関心はなくはないが、そしてそれは戦後(・占領期)の「東京裁判」の理解と関係するが、基本的には、戦前の歴史には積極的な関心を持たないようにしている。

 時間的余裕が、現在も、想定される将来も乏しいからだ。

 日本は<戦争に負けた>、という事実から、日本の「戦後史」をふりかえるしかない。そして、<戦争に負けた>のは事実だが、そこに道徳的・倫理的な評価を混ぜることがあってはならない、ということをも前提としてふりかえるしかない。

 <戦争に負けた>のは事実だとしても、日本がその<戦争>をしたこと自体が「悪」だったとか、道義的・道徳的・倫理的に批難されるべきものだったとかの立場には立たない。<日本は(反省すべき)悪いことをした>という歴史認識は、一方に偏り過ぎている。いかにそれが、戦後の<正嫡の>「歴史観」だったとしても、<正嫡>・<公式>の歴史観・歴史認識が適切または「正しい」保障はない。言わずもがな、だが。

 というわけで、あるいは、ということを前提として、遠藤浩一の本等に言及しながら、「戦後史」をふり返る作業も、この欄で行う。

0907/遠藤浩一・福田恆存と三島由紀夫1945-1970(麗澤大学)①。

 遠藤浩一・福田恆存と三島由紀夫/1945-1970(麗澤大学出版会、2010)、上・下巻、計650頁余を、10月上旬に、全読了。
 まとまった、ある程度長い書物を読了して何がしかの「感動」を受けたのは、おそらく2008年の佐伯啓思・日本の愛国心(NTT出版)以来で、かつ、佐伯啓思のものよりも大いに感心した。

 いわゆる旧かな遣いは慣れていない者にはいささか読みにくいが、何と言っても、カタカナ名の人名が(おそらく)まったく出てこず、福田恆存と三島由紀夫を中心とする日本人の文章のみが紹介・引用ないし分析されていることが―本当は奇妙な感心の仕方なのだが―新鮮だ。
 また、著者によると、「『戦後』という時代を俯瞰的に眺めて」みることが「基本的なモティーフ」だとされるが(下巻p.292)、書名からする印象以上に、(ほぼ1970年くらいまでだが)「戦後史」の本になっている。
 この欄で触れたように、半藤一利・昭和史/戦後篇(文藝春秋)は、売れているらしいが、とても歴史書とは言えない、訳の分からない紛い物。林直道・強奪の資本主義-戦後日本資本主義の軌跡(新日本出版社)はマルクス主義の立場からする、日本共産党的な(教条的な)戦後日本「資本主義」史の叙述。

 中村政則・戦後史(岩波新書)は、多少は工夫しているが、マルクス主義(史的唯物論・発展段階史観)を基礎にしては、まともに歴史を描きえないことの証左のような作品。

 これら三冊についてそれぞれ、既にコメントした。

 これらに比べて、遠藤著は、1970年頃までの「昭和戦後史」と謳っているわけではないものの、随所に出てくる各時代・時期の認識・評価等は本格的で、ほとんどまっとうなものだ、と感じる。三島由紀夫と福田恆存に特段の関心はなくとも、両者を絡めての正当な戦後25年史(1945-1970)に関する書物としても読めるだろう。細部の個々の論点に関する理解・認識について議論の余地はあるとしても。

 <左翼>は、この本のような時代叙述に反発し批判するのだろうが、私にはほとんど常識的なことをきちんと文章にしている、と感じられた。まっとうで常識的なことを書くことはむつかしい時代が現在でもあるので、このような本の存在意義は大きいだろう。

 さらに、著者によると、書名にある二人の仕事を再読するのは「過去を振り返るためではなく、現在について考えるためである」(下巻p.292)。ここにも示されているが、叙述の対象は1970年頃でほぼ終わってはいるものの、日本の現在と、なぜそのような現在に至ったのか、ということにも認識・分析が言及されていて、それらを読者に考えさせる本にもなっている。

 やや褒めすぎかもしれないが、率直な感想だ。遠藤浩一は、並々ならぬ文章力・表現力と、じつにまともな(素直で常識的な)歴史を観る力をもっていると感じざるをえない。後者には、戦後「政治」史を観る力も当然に含まれている。

 福田恆存と三島由紀夫が論じ、考えていたことについてもあらためて教えられるところが多い。

 今回はこれくらいにして、別の機会にこの本(上下、二冊)により具体的に言及してみる。

0679/福田恆存「私の保守主義観」(1959)を読む。

 福田恆存評論集第五巻(麗澤大学出版会、2008.11)の中に収載されている「私の保守主義観」、初出は「読書人」1959年6月19日号、はたった5頁だが(p.126-)、興味深い。以下、要約又は引用。
 ・私は「保守的」だが「保守主義者」とは考えていない。「保守派」は「保守主義」を「奉じるべきではない」。
 ・「保守派」は眼前の「改革主義」という「敵」を見て自らが「保守派」であることに気づく。「保守主義」はイデオロギーとしては「最初から遅れをとっている」。それは、「本来、消極的、反動的であるべき」ものだ。
 ・「保守派がつねに現状に満足し、現状の維持を欲している」とは、「革新派」の誤解。「保守党」が自分たち支配階級の利害しか考えず、「進歩や改革を欲しない」との「革新派の宣伝」は、日本では「古すぎるし、効果もない」。
 ・「保守派」と「革新派」の差異は、「進歩や改革」を前者はただ「希望する」だけなのに対して、後者は「義務」と心得ることにある。前者における「私的な欲望」は後者において「公的な正義になる」。「進歩」は前者において自然な「現実」・人間活動の「部分」・「手段」だが、後者においては最高の「価値」、生存の「全体」・「目的」になる。
 ・「保守派が合理的でないのは当然」。「進歩や改革」を嫌うのはその「影響や結果に自信がもてないから」。一部の改革が全体の総計に与える不便に関する見通しがつかないから。
 ・「保守派」は「態度によって人を納得させるべきで」、「イデオロギーによって承服させるべきではない」。「保守派が保守主義をふりかざし、それを大義名分としたとき、それは反動になる」。「大義名分」は「改革主義」のもの。
 ・「保守派は無智といわれようと、頑迷といわれようと、まづ素直で正直であればよい。…。常識に随い、素手で行って、それで倒れたなら、そのときは万事を革新派にゆづればよいではないか」。
 以上。今や死語になったかの「革新(派)」という語が出てくるなど、時代を感じさせる。だが、「まづ素直で正直で」、「常識に随い」…とは、<左右>を問わない、人の生き方そのものだと思える。無理をする必要はない。イデオロギー闘いを挑み、「左翼」を論難するのも本来は「保守派」ではないかもしれない。
 中西輝政=八木秀次・保守はいま何をなすべきか(PHP)というような問いかけも、少しは肩肘が張りすぎているのかもしれない、と思ったりする。「常識に随い、素手で行って、それで倒れたなら、そのときは万事を革新派にゆづればよいではないか」。このくらいの神経を持っていないと、今の時代を精神の安定を保って生きるのはむつかしいのかもしれない。
 ところで、保守又は「保守主義」を論じるとき、イギリスのE・バークはフランス革命に際して…と始める論者も多いように見えるが、福田恆存はその「保守派」の考え方をどのようにして形成したのだろう。バークを読んだから、ではないことは確かなのだが。 

0674/福田恆存「平和論に対する疑問」・「芸術と政治―安保訪中公演をめぐって」を読む。

 一 清水幾太郎の剽窃ではないかと疑った者もいたらしい福田恆存「平和論に対する疑問」は中央公論1954年12月号公刊で、(再?)刊行中の福田恆存評論集の第三巻(麗澤大学出版会、2008.05)に収載されている(p.135-155)。
 現時点で読むと特段に斬新なことが書かれているわけではなく、こんな論考が当時では話題になるほどの(進歩的)「文化人」の意識状況だったということに、感慨をもって驚かされる。
 福田恆存は「平和論に対する疑問」を5点挙げている(p.149-。おそらく本意には反するだろうが、原文の旧字体等は改めている)。
 ①「二つの世界の平和的共存」を「どういう根拠で…信じられるのか」。日本の「平和論」は世界的には力はなく、「知っているのは、おそらく共産圏の指導者たちだけ」。それは、「若い青年たち」を「平和か無か」という「極端な思考と生活態度に駆りやる作用」をもっている。
 ②「平和か無か」は「共産主義か資本主義か」の問題につながることを承知しているのか。「平和論者」はこんな問いを発しないし反対の印象すら与え、「ただちに共産主義との間に二者択一を迫る」ようには見えない。だが、「平和論」をまじめに受け取ると、「資本主義国はすべて悪玉」に映じてくる。
 ③「平和論者たち」は本当にイギリスを信頼しインドに範を仰ぎ「スイスに羨望」しているのだろうか、等々。
 ④「平和論者たちは、ソ連が二つの世界の平和的共存を信じ、その努力をしていると信じているのでありましょうか」。
 ⑤「インドのネールへの憧憬の正体」が分からない。「ほんとうにネールのような政治家を、日本の指導者としてもちたいのでしょうか」。
 二 杉村春子「女の一生」中国迎合「改作」問題に直接にかかわる(杉村への手紙ではない)論考は「芸術と政治―安保訪中公演をめぐって」というタイトルで芸術新潮1960年10月号に発表され、福田恆存評論集の第五巻(麗澤大学出版会、2008.11)に収載されている(p.102-125)。
 「政治的な、あまりに政治的な」と題する節の中で紹介されている「改作」の具体的例(一部のみ引用)。
 「清国へ渡って馬賊になろうと…」→「中国へ渡ってあの広い大地で労働をしたいと…」。
 原作にはない追加。-「…。世界は金持と貧乏人に分けられるってことは言うまでもない。…」、「…いい世の中になるために、幸福な生活になるために、貧乏人も金持もない世の中をつくること、そういうことを考えている…」。
 終幕部分の全面改定(ほとんど追加)。-「…そういう連中が、まるで気違いのように戦争を呼び起こし、そして戦争は彼等を罰しました。…」、「…ほんとうにはずかしいことだと思います。多くの戦争犠牲者に、とりわけ私達の家に最も縁の深い中国の人民の方達に、心からお詫びをいいたいと思います。…」
 こういう「改訂」(改作)は、日本での60年安保闘争を背景にして、中国(共産党)当局の<示唆>によって、文学座(杉村春子)側が「自発的」に行ったらしい。
 村山富市、社民党、週刊金曜日編集人たち、戦時「性犯罪」補償法案提出者たち、そして朝日新聞社内の多数派「左翼」等々の先輩たちは、むろん1960年段階ですでに立派に育っていたのだ。今まで続く対中<贖罪>意識、ひどいものだ。これも、GHQ史観の教育・宣伝の怖ろしい効果。

0671/福田恆存に関する二つの連載もの(竹内洋・遠藤浩一)と再び櫻田淳。

 一 偶然なのかどうか、福田恆存に論及する連載ものが二つの雑誌で数ヶ月続いている。月刊諸君!(文藝春秋)の竹内洋「革新幻想の戦後史」(4月号は17回「『解ってたまるか!』と福田恆存」)と月刊正論(産経新聞社)の遠藤浩一「福田恆存と三島由紀夫の『戦後』」(4月号で31回)だ。
 前者の4月号も面白い。①金嬉老事件(1968)にかかわっての、中嶋嶺雄、鈴木道彦、日高六郎、中野好夫、金達寿、伊藤成彦ら(当時の)「進歩的文化人」の<右往左往>も、その一つ。
 ②朝日新聞の顕著な<傾向>を示す次の叙述も。-福田恆存が発表した論文が朝日新聞「論断時評」欄でどう扱われたか。「昭和四一年まで」は比較的多く言及されたが、昭和26年~昭和55年の間での「肯定的言及」数は福田恆存は28位で肯定的言及数でいうと中野好夫・小田実・清水幾太郎の「半分にも達していない」。一方、総言及数のうち「否定的言及」数は福田恆存の場合31%で、林健太郎(21%)、清水幾太郎(15%)を上回り、三一名中のトップ。「昭和四二年あたりから」は、福田恆存論文への言及そのものが「ほとんどなくなる」(p.234。竹内は辻村明の論考を参考にして書いている)。朝日新聞「論断時評」欄のこの偏り・政治性は、今も続いているだろう。
 なお、月刊WiLL4月号(ワック)の深澤成壽「文藝春秋/福田恆存『剽窃疑惑』の怪」(p.236~)は「左傾」?メディアの一つ・文藝春秋批判という位置づけなのか、この竹内連載中の福田恆存・清水幾太郎「剽窃」問題のとり挙げ方を批判している。そうまで目くじらを立てるほどではあるまいと感じたが、当方の読みが浅いのかもしれない。
 一方、後者(月刊正論の遠藤浩一)の4月号では、文学座の杉村春子の暴走、「女の一生」の中国迎合改作(改演)の叙述(p.269-273)が興味深い。演劇界にも戦後<進歩主義・対中贖罪意識>は蔓延したようで、「札付きの左翼劇団」だった民芸や俳優座だけでなく、政治と一線を画してきた文学座も「昭和三十代」に入ると「反安保」・「日中友好」を通じて「左翼観念主義」・「左翼便宜主義」に取り憑かれた(p.269)。
 滝沢修も日本共産党員らしき者(少なくとも70年代に「支持者」以上)だったが、どの劇団だったか、すぐには思い出せない。仲代達矢もそうした傾向の劇団を経ていたのかもしれないが(「左翼」五味川原作の「人間の条件」の主役もした)、そうした<傾き>をほとんどか全く感じられないのは(実際にも<傾き>がないのかもしれないが)好印象をもつ。
 杉村春子(1906-97)といえば、意外に知られていないかもしれないが、大江健三郎が受賞を拒否した翌年に文化勲章受章をやはり拒否した人物でもある。こじつけ理由の差異はともあれ、少なくとも拒否の点では、大江健三郎のエピゴーネン。
 二 ところで、櫻田淳は福田恆存につき、戦前の「古き良き日本」を思慕した言説主だとの前提に立っているようだ(月刊諸君!4月号p.52-53)。そうした面はあっただろうが、はたしてそう単純に福田恆存を概括してよいのだろうか。杉村に対する福田恆存の「助言」を読んでも、<昔(戦前)は良かった>を骨子とする<保守・反動>ではないことは明らかだ。
 櫻田には三島由紀夫や福田恆存の世代とは異なるんだという意識が透いて見える。それはよいとしても、-前回に記し忘れているが「戦後の実績」を「明確に肯定する」ことを前提にしてこそ「保守・右翼」言説は「拡がりを持つ」だろうとの指摘(p.53)には唖然とした。これは、「保守・右翼」言説の<左傾化>を推奨しているようなものだ。<左傾化>すれば「拡がり」を持つだろうが、もはや「保守」言説でなくなっている可能性が大だ。
 むろん、何が「戦後の実績」かという問題はある。<日本国憲法体制>あるいはGHQ史観・東京裁判史観の(基本的に)肯定的な評価までも含意させているとすれば、この人は「真正保守」どころか、「保守」だとも思われない(なお<日本国憲法体制>=1947年体制への私の疑問・批判は、同憲法無効論を前提としてはいない)。
 三 さらに前回記し忘れたことだが、産経新聞2/26「正論」欄の櫻田淳「『現在進行形の努力』と保守」の中には、一部、大きな過ちがある。すなわち、櫻田は、「定額給付金」は減税の一種だと理解し、<定額か定率か>つまり<定額減税か定率減税か>が問題だったはず、等と述べている。
 「定額給付金」は減税ではなく、所得税・住民税の非課税者(減税があっても利益にはならない人たち)にも給付される。このことは常識だと思っていたが、櫻田は理解できていない。まさに「右か左かはどうでもいい」(月刊諸君!4月号、櫻田p.55)基礎的知識レベルの問題なのだが。この人は信頼してはいけないように思える。

0665/遅れて月刊諸君!2月号(文藝春秋)の一部。

 諸君!2月号(文藝春秋)を遅れて入手。
 一 田母神俊雄論文に関する編集の仕方は、さすがに(株)文藝春秋らしい(褒めているのではない)。
 二 竹内洋「革新幻想の戦後史15/『進歩的文化人』と『保守反動』」p.272以下を併せて読むと要するに、福田恆存「平和論の進め方についての疑問」(中央公論1954.12号)は清水幾太郎の剽窃(的)だと大熊信行は論評したが、事実は逆で、清水が福田の真似をした、ということのようだ。
 京都市立旭丘中学校事件のことをほとんど知らないので、興味深い。また遡って、未購入の1月号を入手しようか。
 同事件に関連して懲戒処分を受けた「左翼」教員側は、寺島洋之助、山本正行、北小路昴(北小路敏の父)ら。最高裁判決1974.12.10で懲戒免職処分は適法視された。これら教員側を応援した「進歩的」文化人・学者は、太田嶤(東京大学)、末川博(立命館)。市教委を支持して「左翼」側を批判したのは、臼井吉見(評論家)、坂田期雄(京都大学)。
 このあと、竹内洋はじつに興味深いことを書いている。
 坂田期雄が「進歩的」京都文化人等と対立したのは「かなり勇気のいる」ことだった。そして、この事件以来、坂田は「保守反動のレッテル」を貼られ、その「禍はその弟子」に及び、「有名国立大学」に転出する話が出ていた弟子(助手)の人事が「流れて」しまい、その弟子は結局は京都の某私立大学に就職した。坂田は、自分がレッテル貼りされたことは甘受するとしても、「弟子の就職の邪魔をした」ことになり慚愧に堪えないと語っていたとか(p.269-270)。
 政治学の分野で、<保守反動>の指導教授は大学院生たちを早く又はより有利に就職させられない状況にあったことを、中西輝政がたぶんほぼ2年前のやはり諸君!の座談会で語っていた(指導教授は高坂正嶤)。坂田期雄は当時京都大学人文研究所所属で専攻は日本史だが、広く思想史や政治学の「弟子」もいたようだ。
 中西輝政や竹内洋の証言?にかかる時代はだいぶ前だが、歴史学、教育学、政治学、法学、経済学等々の社会・人文系分野では、似たようなことが現在でも程度の差はあれあるのではないか。「左翼」的=学界<体制派>でないと、就職がむつかしいか、<よい>大学等には就職できないのではないか。逆に、平均的な業績があれば、例えば日本共産党員であるということは就職や転任にとって決定的に有利な要因になるような学問分野、科目、大学や特定の学部もあるのではないか。<大学の自治>、<学問の自由>の名のもとで、世間相場よりも多くの<左翼>たちが、そして日本共産党員を含む多くの左翼<組織員>たちが、大学には(社会系・人文系学部では)今なお棲息しているのではないかと思われる。そういう者たちの圧倒的な影響のもとで、学生たちは公務員(官僚)やマスコミ社員等となるべく卒業してきたことに、あらためて瞠目しておくべきだろう。
 三 中西輝政「日本自立元年」は巻頭の計13頁ぶん。ふつうならこの中西論考を読むだけでも購入するに値しただろうが、田母神俊雄論文に関する唯一の企画である対談の一人が保阪正康だと知って買わなかったのだった。
 2007年秋には中西はすでに「政界再編」への期待を語っていたと記憶する。この論考でも、最後の部分はこうだ。
 「日本生存のためには、どうしても劇的な政界再編を経て、真の保守勢力が結集されなければならない」。次の総選挙は「その第一歩となるはず」で、「そうならなければ、日本の明日はない」(p.36)。
 「真の保守勢力」の意味や核となるべき政治家集団が必ずしも明確になってはいないと思うが、かかる主張に反対するつもりはない。
 ただ、その現実的可能性を楽観視はできないと感じる。また、「そうならなければ」という条件つきの「日本の明日はない」との表現は、そうならないことがあれば文字通り「日本の明日はない」との意味で、じつはかなり悲壮な訴えかけなのではないか。

0390/読書履歴2/11付。佐伯啓思・福田恆在ら。

 たぶん2/07夜に、佐伯啓思・イデオロギー/脱イデオロギー(岩波、1995)を全読了。同・現代日本のイデオロギーは未読の部分がまだある。
 2/09夜に福田恆存・同評論集第八巻(麗澤大学出版会、2007)の一部を読む。
 既読の月刊正論3月号(産経)の新保祐司「伝統を大切にするという事」は、保守とは、たんに「守る」のではなくつねに「伝統を新鮮にし、蘇らせ」る営為だ(p.99)、旨の主張をしているようだ。反対はしないが、しかし、現在の日本と日本人にとっての「伝統」とはそもそも何なのか。この点を明瞭にしてもらわないと隔靴掻痒の感あり(この人の他の文章は読んだことがない)。
 戦後60年余、現在70歳(1937~38年生)未満の者は、ほとんど又は全く、戦後教育しか受けず、戦後の空気しか吸っていない。<戦後民主主義>もまた(あるいはこれこそが)、<保守>すべき日本の<伝統>と考えている(又は感じている)人々が既に多数いるのではないか。

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