秋月瑛二の「憂国」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

福田康夫

0530/西尾幹二は皇室典範等のどの法律・どの条項に基づく「皇室会議」を指しているのか。

 月刊・諸君!7月号(文藝春秋)の<われらの天皇家、かくあれかし>特集で、西尾幹二は、皇室典範(という法律)29条が内閣総理大臣を「皇室会議」の議長と定めているので、福田康夫現内閣総理大臣に対して、質問・要請する、というスタイルで文章を綴っている。最初の質問・要請事項は、皇太子妃のご病気・宮中祭祀へのご欠席等は「国家」問題・「国家レベルで解決されるべき政治問題」だと思うが、閣下(福田首相)は「そのような認識をお持ちであろうか」、のようだ(p.241)。
 内容的又は実質的問題はすでに(前回に)かなり触れたので、形式的・手続的問題について言及しておく。すなわち、「皇室会議」は「皇室」に関する事項ならば何でもすべて議題として議論することができるのか? 西尾が援用している皇室典範の全条項を、西尾自身は読んでいるのだろうか。
 皇室典範37条
皇室会議は、この法律及び他の法律に基く権限のみを行う」。
 皇室会議の権限は法律に列挙されている事項に限られる。同会議の議長としての内閣総理大臣の権限も(同会議に関する限りは)同じ範囲・事項に限られることとなる。その範囲・事項に該当しないと、議長・内閣総理大臣は「皇室会議」を招集・開催できない。

 やや急いで確認したので、見落としがありうるが、法律のうち皇室典範上の定めに限ると、「皇室会議」の権限は次のとおりだ。以下、特記がない限り、「皇室会議の議を経ることを要する」又は「皇室会議の議により…」と定められている。
 ・同3条/「皇嗣に、精神若しくは身体の不治の重患があり、又は重大な事故があるとき」に、2条に定める順序に従つて「皇位継承の順序を変えること」。 
 ・同10条立后及び皇族男子の婚姻」。
 ・同11条
一項/「年齢十五年以上の内親王、王及び女王」が「その意思に基き」、「皇族の身分を離れる」こと。
 ・同・同条二項/「親王(皇太子及び皇太孫を除く。)、内親王、王及び女王」が「前項の場合の外、やむを得ない特別の事由があるとき」に、「皇族の身分を離れる」こと。
 ・同13条但書皇族の身分を離れる親王又は王の妃並びに直系卑属及びその妃は、他の皇族と婚姻した女子及びその直系卑属を除き、同時に皇族の身分を離れる」が、「直系卑属及びその妃」が例外的に「皇族の身分を離れないものとすること」。
 ・同14条二項/「皇族以外の女子で親王妃又は王妃となつた者が、その夫を失つたときは、その意思により、皇族の身分を離れることができる」(第一項)が、これらの者が「その夫を失つたとき」、「その意思に」よらなくとも、「やむを得ない特別の事由があるとき」に「皇族の身分を離れる」こと。
 ・同16条
二項/「天皇が、精神若しくは身体の重患又は重大な事故により、国事に関する行為をみずからすることができないとき」に、「摂政を置く」こと。 
 ・同18条/「摂政又は摂政となる順位にあたる者に、精神若しくは身体の重患があり、又は重大な事故があるとき」に、一七条が定める「順序に従つて、摂政又は摂政となる順序を変える」こと。
 ・同20条
/上記の「第十六条第二項の故障がなくなつたとき」に、「摂政を廃する」こと。
 西尾幹二は、皇太子妃うんぬんの問題は、上記の皇室会議の権限のうちどの条項に該当すると判断しているのか、皇室典範以外の法律上の権限ならばどの法律の何条が定める権限に属する問題なのか、を明確にしておくべきだ、と思う。冒頭の文を「皇室典範の第二九条に…と書かれてある」から始めているのだから。

0495/総選挙→「政界再編」は必ずあるのか? それは<よい>方向なのか?

 〇保守新党論のある程度の具体化または萌芽はあるのだな、と知ったのは、遅れて読んだ、月刊ヴォイス1月号(PHP)の平沼赳夫櫻井よしこの座談会「政界大再編へ」(p.62~)によってだった。
 この中で、現在無所属で行動しやすいらしい平沼赳夫は新党名について、「保守」という言葉は外せない、「自由」という言葉とうまく組み合わせられないか、と考えている、という旨も発言している(p.73)。
 総選挙(衆議院議員選挙)を今年中にでも行い、結果によって(民主党が第一党になっても)<政界再編成>を、という期待あるいは予測を語る論考や記事をかなり頻繁に見るようになった。
 〇昨秋から<政界再編成>の必要を説いていた中西輝政の「第二段階に入った『日本の衰退』」(表紙上の予定?タイトルは「福田総理の自爆テロ解散」)(月刊WiLL6月号(ワック))。
 安倍前首相退陣以来、具体的な政局への関心を大きく喪失し、福田康夫や同内閣について殆ど何も書いてきていないのだが、この間に、中西によれば、日本は「衰退」への道の大きな第二段階に入った、という。政局の不安定・混迷等々を見ているとそうかもしれない、と思う。そして、解決方法がない問題については人間は「問題自体がない」かの如く目を瞑る、今や「日本が衰退していることは、口に出してはならない、というタブー感が横たわっている」(p.207)、と指摘されて、具体的な政局・政治情勢から目を離したい気分の自らが批判されたような気がした。
 だが、はたして、衆院解散・総選挙・誰かが首班の内閣成立・その後のいずれかの段階で、何か本当によいことは起こるのだろうか。ともかくもいったんガラガラポンして、新しい政治・政党の枠組みを作り直そうと言っても、その<新しい>ものが日本の国家・社会・国民にとって<よい>ものである保障はどこにあるのだろうか。八方塞がりというか、憂色だけは濃い、というか、心地よくない日々が続きそうな気がする(現下の政局・政治情勢の直接の又は最大の原因・背景は、昨年の参院選での、「政治謀略」新聞・朝日らが誘導し形成した<偽装の民意>にあるのだが)。
 たぶん、中西輝政と少なくとも気分だけは共通している点があると思う。但し、上の月刊WiLL6月号論考の最後の、「古い戦後体制そのものを清算する」しかなく、その「核心」は「やはり新憲法の制定にある」という主張は、今の時点では虚ろに響く。早くても2010年以降の話だし、参議院で改憲派(とくに憲法九条改正)が2/3以上を占めるのはいつなのか。それまで何とか、「政治謀略」新聞・朝日を快くさせるような出来事・変化ができるだけ生じないで、(別に「自民党」中心でなくてもよいのだが)新憲法制定(憲法改正)への途へと繋げることができるだろうか。市井の一人ながら心配だし、ひょっとして自分の生きている間は不可能かもしれない、という不安ももつ。ますます戦後(民主主義・個人主義・平和)教育だけを受けた者たちの割合が増えていく……。

0370/読売新聞記者は渡邉恒雄を自社の恥と感じないか。

 産経新聞12/27、12/28は、次のように伝えている。
 1 昨年(2006年)2月16日、渡辺恒雄読売本社代表取締役会長は自ら主宰の研究会に福田康夫を招き、自民党「総裁選出馬を強く後押し」。福田は見送ったが、その後も加藤紘一らと「接触を続け」、「安倍包囲網」構築を続けた。
 2 今年(2007年)、参院選2日後の7月31日<安倍は首相続投を表明し、自民党全体もそれを支持していた、はずの時期だが>、渡辺恒雄氏家斉一郎・日テレ取締役会議長が「招集」して、山崎拓、加藤紘一、古賀誠、津島雄二の計6人が「ひそかに集結」し、「早々に安倍を退陣させ、次期総裁に福田康夫を擁立する方針を確認した」。
 3 安倍の退陣表明後の9月13日、渡辺恒雄が日本テレビに、山崎拓、古賀誠、青木幹雄らを「招集」して「極秘会議」を行い、遅れて出席した森喜朗に(後継は)「福田で固まった。あとはあんたのとこだけ」と言い、森は福田康夫も含めて「根回しを進め」、その日の夜までに麻生派を除く8派が福田支持でまとまった。(総裁選投開票は9月23日。福田330対麻生197。)
 渡辺恒雄、および同グループの氏家斉一郎は
、(安倍退陣と)福田擁立に深く関係していたことが明らかだ。
 この産経記事を前提にすると、読売新聞12/29「安倍首相退陣・空気読めず「強気」一転」たる見出しの記事の<白々しさ>はいったい何だろう。
 自社のトップが前年から安倍ではなく福田支持で動いていたこと、自社のトップ自身が参院選直後に「安倍首相退陣」→福田後継の流れを作っていたこと、等々には全く触れることなく、安倍の「読み」の甘さや体調のみを話題にしている。
 この記事を書いた読売の政治部(?)記者は恥ずかしくないのだろうか。
 
渡辺恒雄批判はすでに多いが、例えば櫻井よしこは、週刊新潮1/03・1/10合併号p.79で「渡邉さんはもはや、言論人の範疇を不公平な形で超えた」と言い切っている。
 一方で、一企業グループの幹部という一私人にすぎないはずの渡辺恒雄に唯々諾々と従っているかにみえる自民党の「大?」政治家たちの面々もだらしがない。最もみっともないのは、今年8月以降の少なくとも一時期、安倍首相に面従腹背をしていた政治家たちだろう。
 一企業グループの幹部にすぎない渡辺恒雄がかかる大きな力を事実上もちえるのは、この人個人の力量よりも発売1000万部という読売新聞の力(世論への影響力)によるところが大きいと思われる。渡邉は、自らの政治力発揮のために読売新聞というマスメディアの(潜在的)力を利用しているのだ。
 読売新聞は、朝日新聞に接近して、マスメディアを二分して巧く<棲み分ける>ことを狙っているように推測される。それは、渡邉の意図なのかもしれない。
 読売は、社説をきちんと読むと真っ当なことが多いにもかかわらず、全体として迫力がなく、スジが鮮明でなく、むろん朝日新聞の論調と「闘う」という姿勢を(かつてとは違って?)感じ取れることもなく、平板でつまらない新聞に変質しているような気がする。来月末の契約期限後には、読売新聞の購読を安心して打ち切れそうだ。

0331/保阪正康よ、「戦後レジーム」はそんなに良かったのか。

 雑誌・諸君!11月号に載っていたからこそ読んだのだが、保阪正康「『安倍政権の歴史観』ここが間違っていた」はヒドい。内容は、週刊金曜日に掲載されても不思議でないものだ。
 7月参院選の結果につき、安倍の「歴史認識、それにもとづいての言語感覚そのもの」が否定されたと「分析する論の方が説得力をもっている」、と保阪は「分析」する。こういう議論は初めて読んだ。
 きっと保阪は、個人的には詳細かつ真っ当と思っている立派な「歴史認識」をお持ちなのだろう。朝日新聞から文藝春秋まで舞台を広く活躍しておられるようである、この日本史(とくに昭和時代)関係<文筆芸者>は(本当の「芸者」さんには失礼になった。詫びる)、今後の政界のことには一言も触れず、この論稿では安倍前首相を悪しざまに罵っている。表現は一見穏やかでも、罵詈雑言に近い。「独裁的な独りよがりの体質」、「反時代的な言語感覚」-この2つは最後の4行の中に出てくる。
 言論は自由だが、文藝春秋・諸君!編集部(編集人・内田博人)は、なぜこんな人のこんな文を載せるのか?
 同号の八木秀次「艱難辛苦の福田時代が、日本の保守を本物にする」は、なるほどといく度か肯んじつつ、読み終えた。
 同号の中西輝政よりは先に言及した彼の月刊WiLLの方が面白く、優れていると感じた。もとより、福田康夫や多くの自民党議員に対する批判・皮肉・疑問はそのとおりで、反対するつもりは全くないが。
 

0291/古森義久「朝日新聞の倒閣キャンペーンの異様さ」に寄せて。

 産経古森義久が氏のブログで7/11に、「朝日新聞の倒閣キャンペーンの異様さ」というタイトルで、その題のとおりのことを批判的に指摘している。
 朝日新聞の記事を全て読んでいないが、古森の感想・考えが正しいだろうことは容易に想像がつく。
 安倍内閣を支持している読売又は産経自体はどうなのかと問題をずらしている、又は公平に論じろとの旨の意見もあるようだが(読売は安倍内閣支持で明確なのか私には分からない)、それは、安倍晋三と朝日新聞の長い<敵対>関係を知らない無邪気な人だからこそ言えることだ。
 朝日新聞は、安倍が中川昭一等とともに若手の「保守派」の会である日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会の要職・事務局長を務めて以来(中川昭一が代表)、警戒すべき政治家だと注意を向け、事あらば批判し、政治的に打撃を与え、うまくいけば失墜させてやろう(政治生命を奪ってやろう)と考えてきた「左翼政治団体」だ。
 2005年になって4~5年前のできごとについて<政治家がNHKに圧力>という本田雅和ら執筆の虚報(捏造記事)を放ったのも、そうした<戦略>の一環だった。この件につき、安倍、中川およびNHK幹部にも毅然と反論されて窮地に陥ったのは、朝日新聞だった。
 その後この件について朝日新聞は訂正も謝罪もせずに勝手に<幕を引いて>いるが、朝日新聞の<挑戦>を堂々と受けて立ち、活字によっても朝日新聞を名指しで批判した安倍晋三は、朝日新聞の<私怨>の対象とすらなったのだ。 
 思い出すがよい。一年前、朝日新聞は安倍以外の者、例えば、福田康夫が自民党総裁→内閣総理大臣になるように必死の紙面づくりをし、福田の氏名を挙げて<さぁ、立て>とまでけしかけたのだった。今でもそうだが、当時も、加藤紘一のコメントを「愛用」したのは朝日新聞だった。(それにしても、加藤紘一は自分が属する政党の党首を「危ない」とか等々々々よくもまぁマスコミ上で批判できるものだ。いつも呆れている。日本共産党なら、即刻除名)。 
 その安倍は、今や内閣総理大臣になった。彼が朝日新聞発行の週刊誌(週刊朝日)の記事にでも敏感に反応するのは当然のことだ。一方、現在の朝日新聞が何とか<安倍退陣>まで持っていこうとの<戦略>を立て、個々の<戦術>を繰り出しているのも分かる。安倍関係になるととりわけ、朝日新聞は報道機関ではなく<政治団体>に姿を変える。
 朝日新聞には2000万人の読者がいるから影響は大きいだろう。また、もともと今回の選挙は自民党が議席を減少させることが容易に想定された選挙だった(6年前が勝ち過ぎだった)。だが、安倍首相が退陣を余儀なくさせられるほどに自民党を大敗させてはならない。朝日新聞の本田雅和、若宮啓文、元朝日の本多勝一、さらには週刊金曜日の佐高信、石坂啓らに<勝利の哄笑>をさせてはなせらない
 朝日新聞の紙面に問題があるなら(そうだと思うが)、産経新聞はその旨を紙面で堂々と批判すべきだ。一般常識のほか新聞倫理綱領等々に朝日新聞も拘束されているはずで、同業だから批判できないというのでは情けない。古森のブログのみでお茶を濁すような情けないことを産経新聞はするな、とむしろ言いたい。


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  • 1900/Leszek Kolakowski の写真。
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