秋月瑛二の「憂国」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

福井義高

1373/F・フュレ・幻想の終わり(1995)等-その2。

 一 フランソワ・フュレ(楠瀬正浩訳)幻想の過去-20世紀の全体主義(バジリコ、2007)を読んでも、フュレ=ノルテの"Feindliche Naehe" Kommunismus und Faschismus im 20. Jahrhundert〔敵対的近接-20世紀のコミュニズムとファシズム〕を読んでも、まずは感じることが二つある(「近似」は「近接」へと少し訳し変えておく)。
 第一は、異論はむろん国内や国外にあれ、フランスとドイツの歴史学の大家がいずれも「コミュニズム」(共産主義)という言葉を平気で用い、これにかかわる諸論点を正面から叙述したり議論したりしていることだ。
 このような知的雰囲気は、残念ながら日本にはほとんどないように見える。ましてや、「日本共産党」を俎上に載せての批判的な学問的研究は、皆無なのではないか。
 実質的に日本共産党の現在の見地を批判しているような場合であっても、「一部には」とか「という説」とか、あるいは共産主義者一般の話として、直接には日本共産党を名指ししていないことも少なくないようだ。
 第二に、フュレのぶ厚い本の題について、幻想の「終わり(終焉)」と「過去」のいずれが適訳かという話題を前回に出したが(英語版のタイトルは、The Passing of an Illusion , The Idea of Communism in the Twentieth Century だった)、共産主義という幻想が日本において「終焉」しているとは、まったく思っていない。
 つまり、もともとフュレの大著は叙述対象を「欧州」に限定しているのだが、フランスやドイツという欧州の学者・知識人にとって(おそらくは一般公衆にとっても)、ソ連の崩壊は同時に「冷戦の終わり」であり欧州人にとっての「コミュニズムの終焉」なのだろう、ということがよく分かる。
 彼らにとっては、中国(・北朝鮮)におけるコミュニズム(共産主義)などは知的関心の対象ではなく、日本にまだあることを知っているのかどうかすら分からない、日本のコミュニズム政党(日本共産党)の存在とその主張(あるいはなぜ今だに存続しているのか)もまた知的興味の対象ではないように見える。
 欧米の文献だけを読んで、日本のことを論じてはならない。
 日本共産党も含めて、日本のことは日本人こそが議論し、研究しなければならない。
 二 福井義高・日本人が知らない最先端の世界史(祥伝社、2016)p.131は、「民主主義=反・反共主義=反ファシズム」という「現代リベラルの公式」は、ソ連崩壊以降に「むしろ純化された」、と書く。
 日本人のほとんどにとって、先の戦争で日本(・日本軍国主義)は<悪い>ことをした、少なくとも<過ち>をした。ほとんどの日本人の意識にとってこの出発点はきわめて強固だと見られ、これが日本に対する勝利者の中にソ連も加わっていた、という紛れもない歴史的事実が結びついて、1990年までは大づかみに言って<反民主主義>の日本・ドイツ等と<民主主義>のアメリカ・ソ連等という対置を基本とする<歴史認識>が(少なくとも「左翼」・日本共産党には)形成されていた。
 この「日本軍国主義」は「ファシズム」に少なくとも近似のものと理解されたので、上の公式・図式は、「民主主義=反ファシズム=反日本軍国主義=反・反共主義=ソ連擁護」ということにつながった。この「ソ連擁護」を「社会主義」に置換すると、「民主主義=反ファシズム=反日本軍国主義=反・反共主義=社会主義」ということになり、「民主主義」者は「反・反共」で親「社会主義」者であるはずだ、あるいは「民主主義」と「社会主義」は対立物ではないはずだ、という倒錯が生まれた。
 朝日新聞岩波書店も、青木理斉藤貴男も、大江健三郎も、鳥越俊太郎も、日本の<左翼>は、<何となく左翼>も含めて、かつての、この大きくて単純な<図式>の意識構造のもとで、かかる観念世界の中で、生きている。
 かくして、ファシズムも日本軍国主義もすでに存在しないのだが、つねにそれらの<再来>を警戒し、<戦後が戦前にならないように>とか<再びきな臭くなってきた>などとじつに教条的な批判・攻撃をし始めるのが、日本共産党を中核とする日本の「左翼」だ。そして、安倍晋三は攻撃しやすい「ネオ・ファシスト」となる
 三 上の後半で述べたのた似た事情が、欧州にもあったことを、フュレの大著は述べている。邦訳書(楠瀬正浩訳)のp.244-5は、「コミュニズムとファシズム」と題する第6章のはじめに、つぎのように書く。
 ・歴史家は19世紀の眼鏡を通して20世紀を見たため、「民主主義対反民主主義」という図式を繰り返し、「ファシズム対反ファシズムという対立に固執した」。この傾向は第二次大戦後「殆ど神聖にして犯すべからざる思想上の観点」とさえ見なされるようになった。
 ・この「精神的束縛」はきわめて強く、フランスとイタリアでは「コミュニズムと反ファシズムは同一の立場を示す」ものと考えられて、「コミュニズムに対する分析はすべて妨げられる」ことになり、かつまた「ファシズムの歴史を語る」ことも困難になった。
 ・「反ファシズム思想が20世紀の歴史に充溢するためには<ファシズム>が敗北や消滅の後にもなお生き続けている必要があったのだ!」
 ・「ファシズム以上にわかりやすい攻撃目標を見つけることのできなかったヨーロッパの政治世界は、定期的にファシズムの亡霊を蘇らせ、反ファシズムの人々の結集を図ってきた」。
 以上。ここでの「ファシズム」をそのままか又は「日本軍国主義」または「軍国(好戦)主義者」に置き換えて、ほとんど同じことが、日本でも起きてきたし、起きていることが分かる。
 共産主義という「幻想」が生み出した別の「幻想」・「妄想」の図式からまずは脱出し、別の図式を打ち立てる必要がある。
 それはどのようなもので、どのようにして達成されるのか? 長い闘いが知的・意識のうえでも必要であり、この欄も、少しはこれに役立つことを願って記しつづける。

1372/F・フュレの大著・共産主義という「幻想」の終わり(1995)等。

 この欄の2008年5月に言及したことがあるが、フランソワ・フュレはフランス革命の研究で知られるフランスの歴史学者で、フランソワ・フュレ(大津真作訳)・フランス革命を考える(岩波書店、1989)でも知られるように、従来の通説的フランス革命観を批判する「修正主義」派の代表者だともされる。
 一 そのフュレに、Le passe d'une illusion. Essai sur l'idee communiste au XXe siecle (1995)という著作がある(フランス文字に独特の記号?は表現できないので悪しからず)。つぎの邦訳書をほとんど読んでいないが、いくつか指摘したいことがある。
 邦訳書はフランソワ・フュレ(楠瀬正浩訳)・幻想の過去-20世紀の全体主義(バジリコ、2007)で、700頁を超える厚い本だ。
 1 訳者(だけ)の責任ではないと思うが、この邦訳書のタイトルは、正確には、<幻想の終わり-20世紀の共産主義(コミュニズム)>でなければならない、と感じる。
 後半部については、もともとフランス語の表現が「20世紀の共産主義〔又は共産主義者の思想〕に関する省察」と訳されるべきものであることは、フランス語に通暁していなくとも、上に示したフランス語の題名から、容易に理解できるだろう。
 前半部については、たしかに「幻想の過去」と日本語訳できそうだ。
 しかし、このフランス語書のドイツ語訳書(1996、Muenchen)の前半部は、Das Ende der Illusion. だ。このドイツ語の意味は「幻想の終わり」または「幻想の終焉」だろう。
 むろん、フランス語のLe passe は「過去」とも訳せるのだろうが、ドイツ語版と照合すると、<過去になってしまったもの>、つまりは<終わったもの>、という意味で、「終わり」または「終焉」の方が適切であるように思われる。
 後半部のドイツ語版の表現はやはり、Der Kommunismus im 20. Jahrhundert. であり、決して日本語訳本のように「20世紀の全体主義」と訳してはいけないものだろう。
 2 さらに翻訳者(1947-)の責任から遠ざかるかもしれないが、この邦訳書のいわゆるオビの背部分には、「コミュニズムとファシズムが繰り広げた血みどろの争いの軌跡。」とかなり大きい文字で書かれている。
 これは、フュレの真意を全く損なっているのではないか、と感じる。後でノルテとの交換書簡集にも触れるが、そのタイトルは日本語に仮訳すれば「敵対的な近似」なのであり、コミュニズム(共産主義)とファシズムの近似性こそが、フュレの(そしてエルンスト・ノルテ)の重要な関心事(の少なくとも大きな一つ)なのだと思われる。
 また、そのオビの表紙部分の最初には、「コミュニズムの『幻想』を通して、20世紀の総括を試みた初めての書」とある。
 これで誤りだとは言えないだろう。しかし、フュレが叙述する前提にあるのは、<コミュニズム(共産主義)とは「幻想」だ(だった)>、ということもまた強調されなければならない、と思われる。
 なぜこのようなオビの文章になり、なぜ明確に「コミュニズム(共産主義)」と書かれている言葉が「全体主義」と翻訳されているのか、を考えると、奇妙な気分になる。
 憶測、仮説なのだが、日本の出版界には、「共産主義」を堂々とタイトルにすることを避けたい<特殊な>事情があるのではないだろうか。
 この憶測、仮説はさらに大きな<仕掛け>があることの想像にもつながるが、その点にはここでは触れない。
 二 少し上で言及したように、半分は本国といえるドイツ語版の書、フランスのフランソワ・フュレとドイツのエルンスト・ノルテ(Ernst Nolte)の「交換書簡(集)」=Ein Briefwechsel. として、"Feindliche Naehe" Kommunismus und Faschismus im 20. Jahrhundert.(1998、Muenchen)が公刊されている。上のフュレの大著のドイツ語訳書と同じく、ミュンヒェンのHerbig Verlag GmbH (ヘルビッヒ書店・有限会社)から出版されている。
 このタイトルの直訳を試みると(既に前半部を記したが)「敵対的近似-20世紀におけるコミュニズム(共産主義)とファシズム」ということになる。
 ほんの少し目を通しただけだが、相当に面白い(ものであるような気がする)。
 だが、この本の日本語訳書は、まだ(なぜか)ないようだ。
 なお、面白くかつ十分に教えられつつ読み了えている、福井義高・日本人が知らない最先端の世界史(祥伝社、2016)の末尾の参考文献として、フュレ=ノルテの上の本は(「敵対的近親関係」と仮訳されて)挙げられている。しかし、先の、フュレ・幻想の終わり(Le passe d'une illusion)を、福井は挙げていないようだ。邦訳本もあるのに、不思議だ。
 三 前者は日本語本の一部を読み、後者はドイツ語本の一部を通読したにとどまるので断定的なことは言えないが、いずれも、少しは知的営為を行なっている日本の<保守>派の人々は、読むべきではないか、と感じている。
 そして、前者については、2007年に日本語への訳書もあるのに、<保守>派論壇人によって紹介・言及・引用等がなされているのを読んだことがない、ということを不思議に思っている(たんに私の怠惰かもしれないが)。
 また、後者については言及されにくいのはある意味では仕方がないかもしれないが、テーマ自体ですでに(私には)魅力的であるのに、日本語への訳書が出版されていないことを不思議に思っている。
 四 なぜ、日本の<知識層>は(左も右も)、「コミュニズム(共産主義)」を(そして日本共産党を)正面から問題にしようとすることがきわめて少ないのか。
 なぜ、日本の出版界は、「コミュニズム(共産主義)」を(そして日本共産党を)正面から問題にしようとすることがきわめて少ないのか。「左翼」出版社がコミュニズム(・日本共産党)批判につながるような書物を出版したくないのは分かる。しかし、「左翼」とは言えない出版社もまた(産経新聞出版も含めて)、なぜ似たような状態にあるのだろう。
 敢えていえば、福井義高の上記の本も、表向きは<世界史>の本になっているが、じつは<反・共産主義>という観点・関心で一貫しているように読める(そう私は読んだ)。
 にもかかわらず、「共産主義(コミュニズム)」とか「共産党」とか「反共」とかを表に直接には出せないのは、日本の戦後に<特殊な>知的風土と出版界の事情があるようにも見える。
 日本人の多くは(福井義高を含めてはいない)、日本とアメリカの戦後<主流派>による<大仕掛けのトリックに嵌められた>ままではないか、ということを最近は感じる。
 報われることのない鱓(ゴマメ)の歯軋りのような作業を、生きているかぎりは、時間的余裕があれば、続けてはいく。

1365/日本は美しい-01。

 日本47都道府県すべてに宿泊したことがある。10年ほど前は、列車・電車で通過したことすらない県が三つあった。
 但し、県庁所在都市には宿泊したことがない県が、今のところ三つある。
 山口(山口県)、徳島(徳島県)、青森(青森県)の各市だ。30歳のとき以降を旅行に関する記録のすべての基準にしているので、乳幼児時代や学生時代に宿泊したことがあるようであっても、記憶が不鮮明であることもあり除外する。
 山口県には防府市・下関市、徳島県では鳴門市、青森県では弘前市に泊まったことがある。
 全都道府県をこのようなかたちでも「知って」いる日本人は、それほど多くはないのではないだろうか。四分の三以上は、まったく<私的に>訪問している。つまり(私的)旅行中に、ということだ。
 小中学生時代に日本地図・各県地図を見たりして(また旧国鉄全国時刻表を眺めたりして)空想・想像していた都市を実際に訪れる、中心駅に降り立つ、というのは、じつにワクワクする、かつ感慨深い体験だ。
 一部地域は「知っている」とは言えないが、日本は美しい国だ、と思う。
 海、海岸、丘陵、山岳、湖、渓谷、河川、島々。なんと変化に充ちた、多様な自然環境をもつ国だろう、と思う。初めての地方の車窓の風景は、少年のときに珍しく鉄道に乗ったときと同じように、飽きさせない。
 上に、海、海岸、丘陵、山岳、湖、渓谷、河川、島々と並べて書いたが、一つの鉄道路線ですべてを眺め入ることができる地域も、日本にはある。フランスやドイツでは、信じられないことではないかと思われる。<今は山中(やまなか)、今は浜>、というのは、フランスやドイツでは(海がない国ではもちろん)生まれない唱歌だろう。
 北海道・根室市の中心部から納沙布岬を往復したとき、途中でバス道路の北方に鳥居を二、三見つけた。神社がある、ということだ(寺院の所在は必ずしもよく分からない)。
 きっと明治初期以降なのだろう、こんな東北端地域にもけっこうな密度で神社が建立されている、ということに、何やら感じ入った。
 追想を逆の南の方に持っていけば、鹿児島市の南洲神社というのも印象に残る。正確には、その神社に接した、西郷隆盛らの西南戦争「薩摩軍」兵士の墓地(南洲墓地)だ。
 西郷の最も大きい墓石柱の左右に桐野利秋(中村半次郎)と篠原国幹のほぼ同じ大きさの墓石柱があり、それらの左右と後方に、100ほどの墓石がすべて、同じく海(・桜島)に向かって立っている。それらの大きな石は磨かれず粗々しいままで、西南戦争後ほどなくして墓碑用に使われたかのように見える。
 これらの下に、それぞれの遺骨が本当に納められているのかどうかは知らない。
 しかし、じっとたたずむことができず、逃げるように立ち去りたくなる「霊的な」雰囲気が漂っている。(日本最後の)内戦・闘いに敗れた者たちの「無念さ」を感じてしまうのかどうか。
 振り返れば見える海峡のような海(錦江湾)は美しい。噴火さえしていなければ、穏やかな白い煙とともにある桜島の特徴ある姿も。
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 読書メモ-7/02-03で、福井義高・日本人が知らない最先端の世界史(祥伝社、2006)を全て読了。感想は、疑問(といってもほとんどは文献上の根拠)も部分的に含めて多いので、しばらくスルーする。

1357/香西秀信・レトリックと詭弁(ちくま文庫)より。

 先日6/21に言及した福井義高の論考の中に香西秀信の著の一部の引用・紹介があったので、確認すべく捲っているとやはりなかなか面白いので、ここでもう少し詳しく引用・紹介しておく。本来の文脈=レトリック関連は無視する。
 香西秀信・レトリックと詭弁(ちくま文庫、2010/原著2002)p.105。
 以下、引用。「私」とは、著者・香西秀信。
 私も…、大学教師が「『進歩的』と思われる」ことの利益など何もなかったと思っています。その理由は、少なくとも社会主義諸国崩壊の前までは、社会科学や人文科学系の大学教師にとっては、「進歩的」ポーズをとることなどほとんど常態だったからです。皆がそうなのですから、「『進歩的』と思われる」ことに利益など生じるはずもありません。/ …。何よりも、社会科学や人文科学の分野では、「進歩的」でないと見なされたら、(国立)大学に職を得ることすら困難でした。誰もが「進歩的」であるように見せかけていた時代に「『進歩的』と思われる」ことなど何も利益はない…。…「進歩的」でないと思われることと比較して、初めて隠された「御利益」が見えてくるのです。
 以上、引用終わり。つぎは同上著p.106。直接の引用はしづらいので、筆者(秋月)がほんの少しは修正を加える。「私」は香西秀信。
 ①戦時中に「少年期にあった人たち」が戦後になって、戦時中に「鬼畜英米」・「一億火の玉」とか言っていた大人たちが突然に「民主的」になり「こんな馬鹿な戦争がうまくいくはずがないと思っていた」と「したり顔」で解説するのを聞いて、「その後の彼らの人生観、ものの見方」に大きな影響を受けた、という話を私はしばしば聞いた。
 ②私にも「似たような経験」がある。「ソ連、東欧の社会主義諸国が崩壊した」とき、かつては「社会主義を賛美していた、少なくともシンパシーを感じていたはずの人たち」が、「ショックで発狂すると思いきや」、「あんな体制が長生きするはずはない」と涼しい顔で傍観していた。その人たちは、かつて戦後すぐの大人たちの変節に大きな影響を受けたと話してくれたのと、同じ人たちだった。
 ③その人たちは、1960年代には「反革命」と評価していた同じものを、社会主義諸国崩壊直前の1990年頃には「民主化」と言い始めた。「『その後の彼らの人生観、ものの見方』に大きな影響を受けた」のは間違いないだろう。かつて軽蔑した大人たちと同じ年頃になって、まったく同様の振る舞いをし始めたのだから。
 以上。上の「民主化」とは、旧ソ連のペレストロイカ等を指しているのだろう。
 上のような、<非・コミュニスト的な左翼>は、現在の日本人、とくに60-65歳以上の者たちの中に、かなり多くいそうだ。なるほど。
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 いちいちメモをしてきていないのだが、6/23には、以下を(も)、たぶん15分くらいで読了。
 梶川伸一「レーニンの農業・農民理論をいかに評価するか-十月革命後の現実を通して」上島武=村岡到編・レーニン/革命ロシアの光と影(社会評論社、2005)p.14-32。

1355/共産主義の罪悪とナチス②ークルトワ=ヴェルト。

 クルトワ=ヴェルト・共産主義黒書<ソ連篇>〔外川継男訳〕(恵雅堂出版、2001)の「序・共産主義の犯罪」の中のp.25-26に、以下の文章がある。
 「ナチスの犯罪の研究」は多いのに(また『夜と霧』・『ソフィーの選択』・『シンドラーのリスト』等の映画も成功したのに)、「共産主義の犯罪については、このような〔秋月-「ユダヤ人の殺害方法の詳細」についてのラウル・ヒルバークの著のような〕タイプの研究は存在しない。//
 ヒムラーやアイヒマンの名前は現代の蛮行の象徴として世界中に知られているのに、ジェルジンスキーやヤゴーダやエジョフ〔三人はいずれもソ連秘密警察の長官〕の名は大部分の人にとって未知である。レーニン、毛沢東、ホー・チ・ミン、そしてスターリンさえ、驚くべきことに依然として尊敬の念をもって語られている。〔/改行〕
 ヒトラーの犯罪に対して向けられた並はずれた注目は、完全に正当な裏付けのあるものだった。〔中略〕それなのに、共産主義の犯罪についての世論や証言の反響が、こんなに弱々しいのは、いったいなぜなのだろうか? とりわけ、八〇年にわたって人類の約三分の一を四大陸において襲った共産主義の大惨事に関して、なぜ『学会』はこのように沈黙しているのだろうか?
 このあと、一文を省略して、つぎのように続く。「我々がこれらの問題を理解することが、どうしてもできないというのだろうか? それよりも、むしろ絶対に知りたくない、理解するのが恐ろしいからではないだろうか?」
 上の「学会」は「学界」の方が適訳かもしれない。
 さて、アウシュビッツ/ホロコーストはよく知られているだろうが、一方で、カティン(の森)事件やポル・ポト派(カンボジア/クメール・ルージュ)の大量殺戮の実態等は、いかほどに日本人の教養的?知識になっているのだろう。日本<軍国主義>の悪行を頻りにいい募る者たちがいるが、その者たちはいったい何故、旧ソ連による強制連行と労働強制を日本国民に対する犯罪として指弾しないのだろうか?(「シベリア抑留」!)
 カティンの森事件について、①ザスラフスキー〔根岸隆夫訳〕・カチンの森-ポーランド指導階級の抹殺(みすず書房、2010)、②ザヴォドニー〔中野五郎=朝倉和子訳〕・消えた将校たち-カチンの森虐殺事件(みすず書房、2012)などがある。
 この事件は、どこかの高校教科書に名前だけでも記載されているのだろうか。上のいずれも読了していないが、互い違いに(頭の方向を逆に)積み重ねられた何段・何列もの発掘された死体群の写真が付いたりしているので、愉しく読み続けられるものではなく、ナチスの場合と同様に、人間はこんなことまでできるのかと戦慄させられる。
 なお、前回紹介したヘインズとクレアの本の一部の文章を訳出した部分以外も含めて多少読むと、コミュニズム・コミュニストはほとんどか全く消滅して<反共>一本槍だろうという単純な印象を持っていたアメリカにおいて、コミュニズムの影響はまだ(とくに知識人層に)あり、アメリカ共産党の評価に対立があることも分かる。ヘインズ=クレアは反共「伝統主義者」だが、ローゼンバーグ夫妻やH.D.ホワイトらの旧ソ連協力者(コミュニスト)を理想主義者として擁護する反・反共「修正主義者」も学界では有力であるらしい。仔細はむろん知らないが、このような雰囲気がアメリカのとくに民主党員たちに影響を与えていないはずはないとも思われる(バーニー・サンダースは「民主社会主義者」とか自称しているらしい)。
 とくにアメリカ共産党やコミンテルン諜報者に関するアメリカの歴史学界の動向については、月刊正論(産経)昨年・2015年9-10月号に、福井義高の連載論稿がある(それぞれ、p.228-「リベラルの欺瞞・上」、p.258-「同・下/元KGB工作員が持ち出した…の衝撃」)。 

0687/「ヴェノナ」文書と米国のマッカーシズム。

 中西輝政が「ヴェノナ」文書なるものを使って、種々書いていた。
 別冊正論Extra.10(産経新聞、2009)の福井義高「東京裁判史観を痛打する『ヴェノナ』のインパクト―ソ連-アメリカ共産党の諜報工作と第二次大戦」によると、「ヴェノナ」とは解読プロジェクトのコードネームで、何の解読かというと、第二次大戦中から戦後にかけてソ連がアメリカや他国で活動するKGB・GRUの工作員のモスクワの本部間の暗号電信を米軍の情報機関であるNSAが入手していたもの。作業は1943~80年に行われ、未解読部分等がまだあるものの、ソ連崩壊以降、一部が「公開」されるようになった(NSAのHPで閲覧できるらしい)。
 むろん、「ヴェノナ」文書によって何が明らかになったのかが強い感心の対象になる。
 以下では、マッカーシーの「赤狩り」についてのみ言及する。マッカーシーの「赤狩り」又は<マッカーシズム>は、親コミュニストではなくても、反共主義者の行きすぎた弾圧だという印象を持っているごく平凡な「左翼」あるいはアメリカ(史)研究者が多いと見られるからだ。そうした人々はおそらく、別冊正論を購入しないだろう。目にとまることを期待しながら、抜粋的に引用する。
 ・300人以上のアメリカ人(又は永住権者)が「ソ連のエージェント」で、中には「何人もの」ルーズベルト政権高官もいた。「政府内部にソ連のスパイが多数入り込んでいるという、『赤狩り』で悪名高いジョセフ・マッカーシー上院の荒唐無稽とされてきた主張は、少なくとも一般論としては正しかったのである」(p.93)。
 ・アメリカでは共産党は進歩勢力の最左派で「民主的体制下での批判勢力」にすぎず、戦後アメリカの反共政策はマッカーシーが代表する「根拠のないデマに基づく進歩派弾圧」だとの主張が「一種通説」だった。だが、アメリカ共産党の「ブラウダー書記長以下、アメリカ人エージェントのほとんどが共産党員であり、アメリカ共産党が組織的にソ連のスパイ活動の一翼を担っていたことが明らかとなった」。しかもその周囲には「スパイ活動を知りつつ彼らを擁護するジャーナリストや知識人が存在した」。
 ・共産党員=ソ連のエージェント、「親ソ知識人の背後にソ連影」、は「絶対確実」ではないとしても、「作業仮説、デフォルト・ポジションとしては有効」だった。1945~50年代の「赤狩り」を政府は適正手続のもとで慎重に行っていたが、「マッカーシーの必ずしも証拠に基づかないセンセーショナルな追及方法」は正当な行為にも汚名を着せることで「かえってソ連とその同調者を利する」こことなり、「皮肉にもマッカーシーこそソ連の最大の『味方』」になった(以上、p.94)。
 ロバート・デ・ニーロ、アネット・ベニング出演の映画「真実の瞬間」(1991)も映画業界(ハリウッド)内の共産党員(少なくともその疑いをかけられた者)を被害者として描き、調査・弾圧する側が「悪」であるという前提で作られているはずだ。こうしたシェーマ(図式)で理解してしまうことが誤りである可能性も少なくないことに留意しておくべきだろう。

 日本でも戦時中に政権中枢又は周辺にソ連又はコミンテルンの「エージェント」がいたことは間違いない(そして、例えばその代表者・リヒァルト・ゾルゲを英雄視するかのごとき映画が近年の日本で制作されていたりするのだから、日本は(少なくとも一部は)狂っているとしか言いようがない)。
 今日における日本人(日本国民)の中にも、どのような肩書きであっても、ひょっとしてときには本人の自覚かなくても、中国(中国共産党)、北朝鮮、そしてアメリカの「エージェント」はいるに違いない。日本国籍を有しないで日本に在住している外国人の中にそのような者たちがいても当然だ。政府、政党、マスコミ界等の中には、あるいは官僚、経済人、文化人・マスコミ人(作家等を含む)等々の中には、「日本」以外の国家に役立つことを少なくとも客観的にはしており、対価・代償であることが不明瞭にされたまま他国との何らかの「つきあい」をしている者は、けっこう多いと思われる。そうした可能性を多少意識しているだけでも、新聞の読み方、諸行事、諸事件の理解は少しは変わってくるかもしれない。

ギャラリー
  • 1181/ベルリン・シュタージ博物館。
  • 1181/ベルリン・シュタージ博物館。
  • 1180/プラハ市民は日本共産党のようにレーニンとスターリンを区別しているか。
  • 1180/プラハ市民は日本共産党のようにレーニンとスターリンを区別しているか。
  • 0840/有権者と朝日新聞が中川昭一を「殺し」、石川知裕を…。
  • 0801/鳩山由紀夫は祖父やクーデカホフ・カレルギーの如く「左の」全体主義とも闘うのか。
  • 0801/鳩山由紀夫は祖父やクーデカホフ・カレルギーの如く「左の」全体主義とも闘うのか。
  • 0800/朝日新聞社説の「東京裁判」観と日本会議国際広報委員会編・再審「南京大虐殺」(明成社、2000)。
  • 0799/民主党・鳩山由紀夫、社民党・福島瑞穂は<アメリカの核の傘>の現実を直視しているか。
  • 0794/月刊正論9月号の長谷川三千子による朝日新聞、竹本忠雄による「厄災としてのフランス革命」論。
  • 0790/小林よしのり・世論という悪夢(小学館101新書、2009.08)を一部読んで。
  • 0785/屋山太郎と勝谷誠彦は信用できるか。櫻井よしこも奇妙。
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