秋月瑛二の「憂国」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

神社

1390/美しい日本02-神社の建築と位置01。

 なぜかは不明だが、神社というと京都の平安神宮を思い浮かべる時期があり、建築物はかつての平安宮(・紫宸殿 ?)をやや小さく模したもののようだが、その派手な朱色やその青緑色との対照などは、どぎつく感じて、私の好みではなかった。日光東照宮の楼門等も、昔の人は(江戸時代初期の人は)細かく優れた技術を持っていたことに感心はするが、その壮麗さによって却って、好みにはなれなかった。
 仏教寺院の建築物の方に、むしろ日本の古い美しさを感じていた時期があったはずだ。典型的には、大和・斑鳩の法隆寺。
 だが、遅れて伊勢神宮を知るに至って、印象は変わる。
 参拝者には全体を見ることすらできない正殿は、小さくかつ素朴で、稲倉を想起させもする、簡明な美しさがある。-はずだ。全体は写真でしか見たことがなく、斜めの位置から上部を撮影したにとどまる。北側に回れば-出雲大社のように-全体を後ろから見られるのだろうか。
 ここの正殿を見ることはできなくとも、伊勢神宮の仲間(「別宮」)である同じ三重県(・旧志摩国)にある伊雑(いざわ)宮の正殿は伊勢神宮のそれと全く同じ形をしているはずであり(神明造)、1メートル程度の間近で参拝でき、もちろん全体をしっかりと見ることができる。市街地から離れた(しかし近鉄の無人駅から簡単に歩ける)、こんもりとした叢林の中の静寂と相俟って(参拝者・観光客も少ない)、日本の原点的な美しさを感じることができる。
 神明造の建物自体は、伊勢神宮(内宮)の中にある風日祈宮(かざひのみのみや)できちんと見ることができる。いつの頃からか分からないほどの古代の頃から、日本人は、このような形の建物(にいる又は到来する=憑りつくとされる神々)に向かって「祈り」つづけてきたのだと考えると、日本人しての感慨も湧こうというものだ。
 神明造の神社建築物は、全国的には多くはない。京都府の(天橋立の北にある)籠(この)神社の正殿は、数少ない例だろう(伊勢神宮と祭神が同じ)。
 神明造ではなくとも、古い、由緒ある神社の正殿・本殿は、当たり前だが仏教くさくなく、それぞれに美しい。奉賛会の会員ではあるものの、率直にいって靖国神社の拝殿には建築美は感じないが、本殿はどうなっているのだろう(いわゆる昇殿参拝というのをしたことがない)。
 子細に立ち入ると長くなるので省略せざるをえないが、宇佐神宮・鶴岡八幡宮(鎌倉)等の八幡造も、その謂われとともに好きで、美しい、といえる。福山市の素戔嗚神社の正殿は、ふつうの本殿が二つ中心で直角にクロスした十字型をしていて、珍しい。他に類例はあるのだろうか。
 香椎宮(福岡市)の本殿も、じっと眺めてしまったほどに魅力的だ。神官によると全国でここだけで、香椎造とかいうらしい。
 住吉造の複数の本殿の並び方も面白いが(大阪・住吉神社など)、これは「美しさ」とは別の話かもしれない。
 そもそもかつての私のように、拝殿建築物を神社の最も重要なそれと何となく思っている人が多いかにも見える。いっとき以降、私は参拝のあと必ず、左右両方に動いて拝殿の奥にある正殿・本殿を見ようとしている(もっとも、大和・大神神社のように本殿がなく、三輪山自体がそれにあたるとされる場合もある)。
 多くの人は意識していないのかもしれないが、鳥居の形・作り方にも種々ある(例えば、伊勢神宮・明治神宮・靖国神社で異なる)。だが、基本的な形は同じなので、なぜ遙か昔の日本人はこのようなかたちを選んだ、又は考え出したのだろうと思ってしまうことがある。そして、決して嫌いな造形ではない。
 正殿における千木・枕木、千木の縦切りと水平切りの違いなどに触れていくとキリがないが、これらも(むろん神道という宗教の問題であるとともに)「建築美」の問題でもあろう。但し、正殿・本殿に千木・枕木類がまったくない神社も少なくない。これは<神仏混淆>の長い時代と無関係ではないと、以上のすべてと同じく「素人」の考え・印象だが、思っている。つまり、寺院の本堂が変化した、またはそれを借用した神社・本殿も少なくないのだろう。
 以上に名を出した神社は、すべて訪れた。もちろん、名前を出していない、訪れた神社の数の方が、はるかに多い。
 

1320/歴史・政治・個人03。

 おそらくは平均よりも多く神社仏閣をまわっている。そこでは、神社と寺院に分けて、共通する言葉を内心で語るようにしている。神社ではそれぞれの祭神に、寺院では両親と祖先に(宗派と無関係に)内心で話しかけている。参拝とかお祈りとかふつうは言う。
 もっとも、正確にまたは厳密にいえば、秋月瑛二は「神」・「仏」あるいは「霊」というものの存在を「信じて」いるわけではない。人は死ねば「仏」になるとか言われ、人間でも死後に「神」になったらしい者もいるようだが、そもそも人間は死んでのちになお「霊」として存在するのかどうか、自分についていえば-死んだことがないので分からないが-きわめて疑わしく思っている。生まれる前にはいかなる自意識もなかったが、あるいは自分にとっては悠久の静寂だったが、死んだ後もまた、再びそのような、意識のない沈黙の世界に戻っていくだけなのではないか。
 死自体を自らは感知できないとすれば、個々の人の「死」とは、逆説的ながら、生きている人間のためにこそありうるのだろう。
 池田晶子・人生は愉快だ(毎日新聞社、2008)p.268-には、「共産中国」を批判する、あるいは皮肉る、つぎの旨の文章がある。
 ・人の死後にはその人の「霊魂」など存在しないはずだ。にもかかわらず、「英霊」を祀る靖国神社参拝を批判するとは、「英霊」という「存在しないもの」の「戦争責任」を追及しており、奇妙だ。「存在しないものを存在すると信じ込んでいる日本人の『迷信』を、まず論破すべきではないか」。
 池田の説、ごもっともだ。
 しかし、池田は徹底した?「唯物論」者ではないようで、上の著のp.111-は、マルクス(の「唯物論」)を例えばつぎのように述べて批判している。
 ・「この人は、意識がすなわち自己であるというこの当たり前が理解できない」。「自己を自己として思惟する者が、『利己主義者』と見える。そこに見えるのは一個の肉体だけだからだ」。
 ・この人は「目に見える肉体、目に見える社会しか眼中にない社会革命家」で、「目に見えない思惟の類はすべて、迷妄でなければ阿片である」。
 ・「人間に葬式を禁じることだけはできない」。「いかなる民族、いかなる体制においても、人間は人間が死ぬことを『何事でもない』と思うことができない」。人はその時「一個の石でもそこに置く」。「死とは必ず何らかの意味なのである」。
 これまた、ごもっとものように思える。
 池田の書いていることについて、丁寧な議論をしようとしているのではない。
 前回に「戦犯」被処刑者、とくに1948年の今上天皇(当時の皇太子)の誕生日に「首を吊られて」死んだ7名の人たち、を念頭において、「浮かばれないのでないか」とか書いたのだったが、とくに彼らの死と彼らの(あるとすれば)「霊」 というものに想いを寄せていて、ふと池田晶子の文章に接したにすぎない。
 彼らの「霊」は実在しないかもしれない。おそらくそうだろう。しかし、生きている者が、日本人が、彼らの「霊」を感じる、あるいは感じようとすることはできる。そして、涙することはできる。 

1266/神社・仏閣めぐり-護国神社巡拝はいかが?

 神社仏閣・社寺(寺社)と一括りにいうが、寺院については四国遍路88をはじめ西国33・坂東33・秩父34の札所めぐり(四国遍路以外はいずれも観世音菩薩=観音信仰による観音菩薩を本尊とする寺院巡拝だ)等々があるのに対して、神社についてはきわめて少ない。
 もともとは「ご朱印」というのは納経の証明書のごときもので仏教に由来するものだと思われ、神道・神社にはなじみがなかったものかもしれない。それでも、いつ頃からなのだろう、神社でも、たいていは、「ご朱印」がいただけるようになっている。なお、神社も寺院も全国一律に300円の「ご志納」が代金になっていることは興味深く、これは安いだろう(あらかじめ印刷されていて捺印と参拝日付だけの記入にとどまる場合は200円であることもある)。500円出しておつりは要らないつもりでも必ず返金があることも興味深い(但し、例外はあるし、賽銭の追加のつもりでと言えば受領してもらえることもある)。
 寺院については上記の観音霊場めぐりの他に、薬師霊場巡拝、不動尊聖跡巡礼等々が各地方(おおむねプロック単位)でかなり多く存在している。北海道についてはよく知らない。
 神社についても、例えば「東京十社めぐり」という元准勅祭社巡拝もあり、専用の御朱印帳もある。個人的なことを書くと、亀戸天神社の一つだけを除いて、あとの九社はお参りをして、ご朱印もいただいている。他に、京都市内に限っての、京都五社、京都八社などもある。他にも、比較的狭い地域での神社めぐりがセット(?)されていることはあるものと思われる。
 四国、関西、関東といった広い地域での神社めぐりのコースはないようなのだが、より広く「全国一の宮めぐり」というものがある。これにはB5版の比較的大きい専用の御朱印帳が用意されており(購入でき)、「新一の宮」を加えて、沖縄・那覇、対馬、壱岐、隠岐、佐渡、会津から札幌まで、地域は日本全国に広がる。これだけの広さのある仏教寺院めぐりはないだろう。「新一の宮」を含む「全国一の宮」の数は長野県の諏訪大社四社や京都の下鴨・上賀茂の二社をどう数えるか、若狭姫神社を含めるか等の問題がありむつかしいが、御朱印帳の一頁に別々に記載されている神社数は108のはずだ(薩摩国には二、紀伊国には三、安房国には二など複数ある場合が少なくないので、旧国数や現在の都道府県数よりも多い)。
 神社についてはこれくらいのもので、あとは個人的に全国の護国神社めぐりをすることが考えられ、ガイドブックも近年になって発売されている。それによると、全国に52の護国神社がある(靖国神社は含まない)。原則として各府県に一つあるが、北海道には三つ(札幌・旭川・函館)、兵庫県には二つ(神戸・姫路)、広島県にも二つ(広島・福山)あり、なぜか神奈川県には(靖国のある東京都にも)ない。但し、残念ながら、専用の御朱印帳は発売・販売されていない。ついでに書くと、釧路護国神社があることも知っているが(但し、ご朱印はいただけなかった)、公式には?ガイドブックに掲載されていない。
 したがって、唯一専用の朱印帳がある、広い地域での神社巡拝セットは「全国一の宮めぐり」だけなのかもしれない。集客?のためといっては失礼だが、いろいろなアイデアが工夫されてよいかもしれない。
 なお、関西(三重県を除く)には神仏霊場巡拝といって、90の寺院・60の神社、計150の社寺がそれぞれの(札所のごとき)番号をもち、ぶ厚い専用の御朱印帳もあるものがある。これは寺院と神社の両方を巡るもので、かなりユニークな(そして私にはよいと感じられる)ものだ。
 ここで思い出したが、神社についても、後醍醐天皇ゆかりの神社(吉野神社、神戸の湊川神社など)については専用の御朱印帳がある。また、氷川神社、津島神社、各地の八坂神社などの素戔嗚尊を祭神とする神社は「全国清々会」という団体を作っているようで、専用の御朱印帳(但し、個別の神社名の記載はない)もある。
 以上のようなことを書いてるのも、ロクに仕事をしないで、全国の寺院・神社を、ふつうの?人に比べればたくさん訪れていると思っているからだ。その経験から、日本の宗教や日本の歴史や日本人の心情・精神等々について、いろいろと感じることが少なくない。いずれ、おりにふれて、より具体的なことをこの欄に記していってみよう。

1243/資料・史料ー<国有境内地処分法>。

 資料・史料 <国有境内地処分法>(社寺等に無償で貸し付けてある国有財産の処分に関する法律)

 伊勢神宮等の敷地等が戦前の国有地から戦後当初に宗教法人に無償譲渡されたことはよく知られている。
 その経緯(・神社側の苦労・奮闘等)を伊勢神宮について叙述した伊勢神宮崇敬会叢書の一つも所持しているのだが、仔細は省略して、まだ生きているようである根拠法律・同施行令を、やや長いがそのまま掲載しておく(附則は省略)。いずれも、現憲法施行直前に制定されたが、その後に若干の改正を受けた現行のものである。
 
 「昭和二十二年法律第五十三号(社寺等に無償で貸し付けてある国有財産の処分に関する法律
  昭和十四年法律第七十八号を次のように改正する。
 第一条  社寺上地、地租改正、寄附(地方公共団体からの寄附については、これに実質上負担を生ぜしめなかつたものに限る。)又は寄附金による購入(地方公共団体からの寄附金については、これに実質上負担を生ぜしめなかつたものに限る。)によつて国有となつた国有財産で、この法律施行の際、現に神社、寺院又は教会(以下社寺等という。)に対し、国有財産法によつて無償で貸し付けてあるもの、又は国有林野法によつて保管させてあるもののうち、その社寺等の宗教活動を行うのに必要なものは、その社寺等において、この法律施行後一年内に申請をしたときは、主務大臣が、これをその社寺等に譲与することができる。
 第二条  この法律施行の際、現に国有財産法によつて社寺等に無償で貸し付けてある国有財産で、前条の規定による譲与をしないもののうち、その社寺等の宗教活動を行うのに必要なものは、同条の申請をしたものについては、譲与をしないことの決定通知を受けた日から、六箇月内に、その他のものについては、この法律施行の日から、一年内に、申請をしたときは、主務大臣は、時価の半額で、随意契約によつて、これをその社寺等に売り払うことができる。
 2  前条に規定する行政処分について、行政不服審査法(昭和三十七年法律第百六十号)による不服申立てをした者は、前項の期間満了後も、その不服申立てに対する決定書又は裁決書を受領した日から、なお三箇月内に、前項の売払の申請をすることができる。
 第三条  第一条又は前条第一項の規定によつて、譲与又は売払をする国有財産の範囲は、勅令でこれを定める。
 第四条  第一条又は第二条第一項の規定によつて、譲与又は売払をすることができる国有財産(以下従前の土地という。)が、その譲与又は売払前に、土地改良法による土地改良事業又は土地区画整理法による土地区画整理事業の施行地区に編入せられた場合において、その従前の土地に係る換地処分に関して、国が清算金の交付又は補償金の支払を受ける場合は、主務大臣は、従前の土地にあつた社寺等が、換地処分の告示のあつた時から、一年内に、申請をしたときは、第一条に規定する従前の土地に係る清算金又は補償金については、その金額に相当する債権を、第二条第一項に規定する従前の土地に係る清算金又は補償金については、その金額の半額に相当する債権をその社寺等に譲渡することができる。
○2  国が土地改良法又は土地区画整理法の規定によつて、費用を負担せしめられる場合又は従前の土地に係る換地処分に関して、国が清算金を徴収せられる場合は、第一条に規定する従前の土地に係る負担金又は清算金については、その金額に相当する債務を、第二条第一項に規定する従前の土地に係る負担金又は清算金については、その金額の半額に相当する債務をその社寺等に負担せしめる。
 第五条  従前の土地が、その譲与又は売払前に、土地改良法による土地改良事業又は土地区画整理法による土地区画整理事業の施行地区に編入せられた場合において、従前の土地にあつた社寺等が、その交付せられた換地以外の土地に移転する必要のあるときは、主務大臣は、その社寺等が、換地処分の告示のあつた時から、一年内に、申請をしたときは、その社寺等に対し、第一条に規定する従前の土地の換地及び従前の土地に定著する国有物件については、譲与を、第二条第一項に規定する従前の土地の換地及び従前の土地に定著する国有物件については、時価の半額で、売払をすることができる。
 第六条  削除
 第七条  第二条第一項及び第五条の規定による売払代金については、命令の定めるところによつて、十年内の年賦延納又は土地による代物弁済を認めることができる。」

 「社寺等に無償で貸し付けてある国有財産の処分に関する法律施行令
(昭和二十二年五月一日勅令第百九十号)
 最終改正:昭和二八年八月一日政令第一四七号
 第一条  社寺等に無償で貸し付けてある国有財産の処分に関する法律 (昭和二十二年法律第五十三号。以下「法」という。)第一条 又は第二条第一項 の規定によつて、社寺等に譲与又は売払をする国有財産は、左の各号の一に該当するものとする。
 一  本殿、拝殿、社務所、本堂、くり、会堂その他社寺等に必要な建物又は工作物の敷地に供する土地
 二  宗教上の儀式又は行事を行うため必要な土地
 三  参道として必要な土地
 四  庭園として必要な土地
 五  社寺等の尊厳を保持するため必要な土地
 六  社寺等の災害を防止するため直接必要な土地
 七  歴史又は古記等によつて社寺等に特別の由緒ある土地
 八  その社寺等において現に公益事業のため使用する土地
 九  前各号の土地における立木竹その他の定著物
 2  その社寺等の所属教派若しくは宗派、その社寺等の主管者又はその社寺等が主宰する財団法人の経営する公益事業がその社寺等の経営に準ずるものと認められるときは、その事業のため現に使用する土地及びその定著物は、これを社寺等に譲与又は売払をすることができる。
 第二条  法第一条 及び法第二条第一項 に規定する国有財産で、国土保安その他公益上又は森林経営上国において特に必要があると認めるものは、国有として存置し、前条の規定にかかわらず、譲与又は売払をしない。
 第三条  法第七条 の規定による年賦延納は、売払代金の全額を一時に納付することが困難な場合に限り、これを認める。
 2  年賦延納を認める場合には国債で延納金額に相当する担保を提供した場合を除いては、民法第三百二十五条第三号 に規定する先取特権の登記をしなければならない。
 第四条  法第七条 の規定による代物弁済は、売払代金が十万円以上で、現金で納付することが著しく困難な場合に限り、これを認める。
 2  代物弁済に充てようとする土地は、価額五万円以上で、担保権の設定なく、且つ管理又は処分上適当なものでなければならない。
 3  代物弁済を認めた場合は、その土地について、所有権移転の登記が完了したときに、弁済があつたものとみなす。
 第五条  法第十三条 の規定による補償は、神社又は寺院が、この勅令施行の日から、一年内に、申請をしたとき、左の各号の定めるところにより、これを行う。
 一  神社又は寺院の植栽した森林で、法第十二条 の規定によつて部分林としないものについては、主務大臣の定めるところによつて、この勅令施行の日におけるその森林の立木竹の価額の十分の八の額を立木竹又は林産物で、その神社又は寺院に交付する。但し、その十分の八の額が植林又は植林上必要な施設のため、神社又は寺院が支出した金額に年五分の複利計算による利息の額を合算した額に達しないときは、その合算額を立木竹又は林産物で交付する。
 二  神社又は寺院の植栽した森林以外の森林について、神社又は寺院が、林道又は砂防、防火その他の施設の新設改良したものについては、主務大臣の定めるところにより、その新設した施設の価値又は改良した部分の価値の現存するものに限り、この勅令施行の日におけるその評価額を立木竹又は林産物で、その神社又は寺院に交付する。但し、その評価額が、施設の新設改良費に年五分の複利計算による利息の額を合算した額を超えるときは、その合算額を限度とする。」

1219/遷宮と天皇と政教分離と。

 10月初旬の「遷宮」について、テレビは当初の予想よりは丁寧に報道していた。しかし、神宮(伊勢神宮)と天皇(家)との関係に触れたのは全くかほとんどなかったようだ。臨時祭主の黒田清子さんとの語りかテロップが入っても不思議ではないシーンにも、そのようなものはなく、映像だけが彼女を映し出していた。

 また、内宮の遷御の儀に内閣総理大臣・安倍晋三が「出席」したことを知り、そのような事前の知識がなかったので驚いた。かつまた神道という特定の宗教の祭事への出席であるので、憲法上の<政教分離>原則との関係を問題にする者がいても不思議ではないのに、そのような論調はまったく出てこなかったようであることも印象に残った。

 さて、古くなるが、2008年の春頃にこの欄で何度か、伊勢神宮・天皇(家)・政教分離について言及している。

 ・日本の起源・天皇と「神道」(3/25)   ・伊勢神宮「式年遷宮」と天皇(家)(3/27) 

 ・天皇制度と「宗教」-伊勢神宮式年遷宮費用問題から発展させて(4/04)

 ・天皇(家)と神道・神社の関係、そして政教分離(4/15)

 ・天皇(家)と神道・神社の関係、そして政教分離-つづき(4/16)

 ・天皇(家)と神道・神社の関係、そして政教分離-つづき2(4/18)

 ・1945-1947年の神社と昭和天皇(4/19)

 ・天皇(家)と神道・神社の関係、そして政教分離-つづき3(4/20)

 ・天皇(家)と神道・神社の関係、そして政教分離-つづき4(4/21)

 ・日本共産党系の藤谷俊雄=直木孝次郎・伊勢神宮(新日本新書)-1(4/24)

 ・日本共産党系の藤谷俊雄=直木孝次郎・伊勢神宮(新日本新書)-2(4/24) 

 ・天皇・神道・政教分離-つづき4(4/26)

 ほかに、この時期には、つぎのようなものも書いていた。
 ・戦後日本を支える「大ウソ」-非武装・政教分離(4/05)

 ・長部日出雄の「神道」論(諸君!5月号)と石原慎太郎「伊勢の永遠性」(4/28)

 神道関係者、とくに伊勢神宮や神社本庁関係者には自明のことを多く書いているとは思うが、5年以上前によく勉強(?)したものだという個人的な感慨も湧くので、関係者や専門家以外の方々には参照していただきたい。なお、別の時期にも同様のテーマを集中的に書いたかもしれないが、たまたまこの辺りの時期の古い書き込みを見る機会があったので、2008年3月下旬~同4月の書き込みに限っている。

0894/<日本>はその美しい自然と四季とともに残り続けるだろうか。

 1970年11月の自裁の際の三島由紀夫の檄文に書かれた日本の近未来の予測文章はよく知られている。
 西尾幹二は1996年に次のように書いたらしい(初出、サンサーラ1996年12月号)。
 「このままいけばおそらく日本は、……いぜんとしてアジアでもっと生活レベルは高く、ハイテク文明に彩られてはいるが、国家意志といったものをもったく持たない国、刹那的な個人主義だけが限りなく跋扈する虚栄の市場としての国になり果てるであろう。…―というような悪夢を心の中で抱くこと久しい。そうなっては困るのだが、しかし、そうなるのではないか、いや間違いなく相違ないという胸騒ぎのような心理を、私はここ数年、ずっと持ちつづけてきたのである」。
 「いぜんとしてアジアでもっと生活レベルは高く、ハイテク文明に彩られてはいる」のか否か、2010年の時点での将来予測としては疑問符もつくが、上のような懸念と「悪夢」はほとんど現実化してしまっているのではないか。
 西尾幹二の書くもの、それで解る西尾の考え方等を全面的に支持しはしないが、この人の時代感覚も(三島由紀夫と同様に?)鋭いと言えるかもしれない。
 私は近年、次のような「悪夢」を抱く、あるいは将来の日本列島の<惨状>を恐怖感とともに思い描くことがある。
 日本の山岳と田畑と海岸の美しい風景はまだ残っている。だが、かつてはどこでも見られたものが無くなってしまっている。
 神社のすべてが、大から小まで物理的に破壊され、消失した(神官・宮司等は当然に職を失った)。路傍の地蔵像や祠などもすべて無くなった。寺院も文化財としてのごく一部の有名(・観光)寺院の建造物を除いてすべて破壊され、消失した。京都・奈良・飛鳥のみならず、日本列島のすべての地域で、<かつての日本>的な神社仏閣は破壊された、無くなった。伊勢神宮も例外ではない。明治神宮も橿原神宮も熱田神宮等々も同じ。
 その時代には、当然に<天皇制度>は廃止され、<皇室>なるものはもはやない。日本国家・日本政府というものももはやない。某国の一州か自治領のようなものになっている。かりに日本「国家」が残っていても、某国との間に主たる仮想敵国をアメリカ合衆国とする安保条約が締結され、日本列島人も徴兵される軍隊の指揮権は当然に某国「人民軍」総司令官にある。
 その某国政府の命令または「勧告」だが実質的には強い要請にもとづいて、日本列島人は自らの手で、神社仏閣のほとんど(一部の遺跡扱いの寺院を除く)を壊したのだった。
 その時代、日本列島人は「何語」を話しているだろうか?。
 これが、立ち入らないが、平川祐弘・日本語は生き延びるか(河出ブックス、2010)の冒頭にある、戦慄を伴う問題設定だ。
 美しい列島、美しい四季は残り続けるかもしれない。だが、<鎮守の杜>が全てなくなって、路傍の祠がいっさいなくなって、さらには日本語が話されなくなるか、正規の言語ではない「方言」の一種と見なされるようになって、いったいどこに<日本>が残っているのだろうか。顔つきだけはかつての「日本人」によく似た日本列島人は残っているとしても。
 西尾幹二は冒頭引用の文章を含む論考を、「私は自分の未来を諦める気にはなれない。自分と自分の国の歴史を見捨てる気にはなれないのだ」、と結んでいる。
 1935年生まれで私よりも10歳余年上の西尾がこう書いているくらいだから「諦め」てはいけないだろう。だが、本音をいえば、西尾の上の言葉よりは私はペシミステイック(悲観的)だ。
 他国によるイデオロギー支配を伴う占領と、その時代に生み出された実質は他国産の1947年憲法がもつ「価値観」にもとづく教育、そして当該「価値観」の実質的な(<時流>としての)押しつけ(「憲法」教育を含む)の影響を拭い去ることは、もはやほとんど不可能なのではないか。
 週刊金曜日5/01号で憲法学者らしき斎藤笑美子(茨城大学)は、皇族の「市民」的平等を確保するには<天皇制廃止>か<皇族離脱の自由の承認>しかないとの自説を述べていた。
 週刊金曜日6/04号の日米安保特集には憲法学者・早稲田大学教授の水島朝穂が(相変わらず?執拗にも)「重大なのは日本が『攻める』危険性」と題する文章を載せている。
 現在書店に並んでいる週刊金曜日には、上杉某が、憲法改正手続法を利用して<天皇制廃止>のための改憲論を展開すべしとの文章を書いている筈だ。
 <天皇制廃止>のための憲法改正を<保守>派は断固阻止しなければならない。世論動向に応じて、日本共産党や社会民主党はこの問題を積極的に提起する可能性はあり、これまた世論を見極めつつ、朝日新聞は<天皇制廃止>の方向に誘導する可能性もある(もっとも、すでにそれは目立たないかたちで実施に移されていると観るのが正確だろう)。
 <ナショナルなもの>の忌避・否定は日本<国家>への反感・怨念にも由来する。日本<国家>と<天皇制度>はもともと不可分のものと考えられる。
 <天皇制度>の維持と雅子妃殿下うんぬんの議論とどちらが大切かは語るまでもない。
 日本<国家>と<天皇制度>を否定しようとし、そして<宗教>意識は自分にはないと考えているのが多数派と見られる日本人の意識を利用して<反神社(・神道)・反寺院(・日本的仏教)>の立場へも誘導しようとするだろう、「左翼」言論人等の活動家たちの策略・大きな顔をしての言動を弱体化させなければならない。
 そうしないと、上に書いたような私の「悪夢」は正夢に、つまり近い将来の現実になってしまうのではないか。
 6/04、西尾幹二・日本をここまで壊したのは誰か(草思社、2010.06)のうち、第一部の「江沢民とビル・クリントンの対日攻撃…」(上に引用はこれの一部)、「トヨタ・バッシングの教訓」、「外国人地方参政権・世界全図」、第三部の「講演/GHQの思想的犯罪」、「『経済大国』といわれなくなったことについて」を読了。
 残りのほとんどは「激論ムック」か月刊正論で既読のような気がするが、あらためて読むかもしれない。

0498/産経新聞5/08櫻井よしこ論考と佐伯啓思。

 産経新聞5/08櫻井よしこ「福田首相に申す」は、中国共産党のチベット人・ウイグル人弾圧・「文化の虐殺」が進行中だとしたあと、「近い将来、台湾制覇のため南進すると思われる」と書き、さらにつづけて「そうなれば、日本にとっても深刻な危機が到来する」とする。
 <異形の国家>・共産党独裁の中国は、まずは尖閣諸島を皮切りに沖縄諸島から始めて、日本列島全域を支配することを狙っているものと思われる。太平洋(の軍事管理)を米国と中国で東西に二分しようと中国要人が米国人に発言したとかの報道(氏名・役職等の詳細を確認しないままで記憶で書いている)も、上のことが全くの杞憂でないことを裏付ける。
 となると、日本は中華人民共和国日本州となり日本人は日本「人」ではなく日本(大和?、倭?)「族」と称されるのだろう。中国の一部とされなくとも旧ソ連と旧東欧との関係の如く、中国の<傀儡>政権(日本共産党が存続していれば参加?)のある実質的な<属国>になる可能性もある。
 そうなれば、―最近、伊勢神宮等の神社・神道のことについて書く機会が増えたが―伊勢の神宮を含めた、神社という「日本的な」ものは、―チベットの仏教施設がそうなっていると報道されているように―すべて又は殆ど破壊され、解体されてしまう可能性もある。日本全国から、根こそぎ、「神社」(お宮さん)が破壊され、なくなってしまった日本という地域は、もはや「日本」ではないだろう。同様のことは日本仏教・寺院についても言える。
 上のことが全く杞憂とは言えないのは、1945年の占領開始の頃に、主だったいくつかの神社を除く多数の神社はすべて潰される(物理的にも破壊される、又は自ら破壊しなければならない)のではないかとの危惧と<覚悟>を神社関係者はもった、ということを最近何かで読んだことでも分かる。幸い、GHQは、神社・神道があったからこそ戦争が開始された、とは理解しなかったので<助かった>ようなのだが。
 ところで、櫻井よしこは、福田首相が「念頭に置くべき」なのは、「異民族も含めた中国の人々、そして国際社会に向かって、いかなる普遍的価値観に基づいた言葉を発することができるか」という点だ、とも主張している。
 ここでの「普遍的価値観」とは生命を含む<人権>の尊重、信教の「自由」の保障を含んでいるだろう(民族の自決権は?)。
 かかる「普遍的価値観」はアメリカのそれであり、<左翼>価値観だとして日本の保守派がそれを主張するのは<奇妙な光景だ>と言ったのが佐伯啓思だった。前回言及した、佐伯啓思・学問の力(NTT出版)でも同旨のことが述べられているようだ(p.164~)。だが、アメリカの独立と統一(連邦化)を支えた思想がフランス革命の際の「左翼的革命思想に近い」(p.164)と言えるのかなお吟味が必要だと感じるし、それよりも、戦略的に(本当に「普遍的」かは厳密には怪しいだろうことは認めるが)「普遍的価値観」なるものに基づき中国(・胡錦涛)に対して発言することは当然でありかつすべきことで、少なくとも批判・揶揄されることではあるまい、と考えるが、いかがなものだろう。

0470/天皇(家)と神道・神社の関係、そして政教分離-つづき3。

 1.昨日4/19未明に書いたように1945年10月28日に宗教団体法が廃止され、同日に<宗教法人令>が公布・施行されたが、この法令では宗教法人は「届出」制で、かつ宗教法人であれば「所得税・法人税」(おそらく今の固定資産税にあたるものも)も免除されることになるため、宗教団体が「乱立」した。そこで翌1946年・昭和21年の4/03に<宗教法人法>が制定され、「宗教法人」の設立は「所轄庁」(都道府県知事か?)の「認証」によることになった。
 一方、上の<宗教法人令>は「神社神道」(<教派神道>と区別するためにこの語があるようだ)を対象にしておらず、同令の1946年(昭和21年)2/02改正により対象とされた。その結果、「神社神道」団体も他の宗教団体と同様に「届出」すれば宗教法人になれたが、届出期間は「6ケ月以内」と限定され、届出しない場合は「解散」したものと見做すこととされていた。
 神社はこの届出をして「宗教法人」となるか民法34条により「祭祀法人」(「公益法人」の一種)になるかの選択を迫られた。だが、所管の文部大臣が民法34条の適用(「主務官庁」の「許可」が必要)を認めない方針だったため、<宗教法人令>による届出をして「宗教法人」になる以外に「生き残りの道」はなかった。
 以上、()内部分を除いて、神社本庁研修所編・わかりやすい神道の歴史(神社新報社、2005)p.246-7による(新田均執筆部分)。
 2.かくして伊勢の神宮等の神社は1946年(昭和21年)2月以降6ケ月以内に、国の一機構(営造物)ではない「宗教法人」として新たに出発したことになる。
 そして、占領下では実質的には憲法と同等かそれ以上の力をもったGHQの指令=<神道指令>によって、さらにはGHQが草案を作成した新憲法20条(政教分離原則)の定めの影響もあって、神社と国(・天皇)と関係は大きく変容することとなった。
 この政教分離(一般論ではなくわが国で現実に採用された実態)について、神社本庁の上掲書(新田均執筆)p.249は、三点に分けて、問題点を指摘している。
 そのうち最初の二つは、殆ど容易に理解・首肯できるものだ。要点は次のとおり(①・②はこの欄の筆者)。
 第一。「日本人の倫理感の根底をなす天皇・国民・国土に対する神聖感」を「軍国主義・超国家主義」と同一視して「全面的に否定したこと」。これに伴い、「神社神道の国家性」が否定され、「バラバラ」の「地域的性質」が「神社本来のもの」との見方が強調された。
 この冒頭の「日本人の倫理感の根底をなす天皇・国民・国土に対する神聖感」なるものについては、今日ではこの存在を否定・消極視する人もいるだろう。上野千鶴子佐高信辻元清美日本共産党なら、「天皇…に対する神聖感」など、とんでもない、と言うかもしれない。だが、多くの国民は天皇(・皇室)への「神聖」感を少なくともある程度は有しているのではないか。また、だからこそ、かつての敗戦直後において、GHQも<天皇>制度そのものの廃棄へと踏み切れなかったのではないか。
 上の論点よりも、GHQはこうした「神聖感」を「軍国主義・超国家主義」と同一視して(不当にも)「全面的に否定した」、という批判は的確だと考えられる。万が一「軍国主義・超国家主義」というものがかつてあり、かつそれは<悪い>ものであったとしても、そのことと<国家神道>とは、そして神社・神道(伊勢の神宮等)とは論理的には関係がない。「軍国主義・超国家主義」が神社・神道を<利用した>と言える面がかりにあるとしても、神社・神道そのものに非難が向けられるべきものではあるまい。なお、井沢元彦は、<国家神道>は本来の神道とは異なる、ということを強調している(同・仏教・神道・儒教集中講座(徳間書店、2005)p.118)。
 また、上に「神社神道の国家性」と語があり、それの否定を批判しているが、ここでの「神社神道の国家性」とは、<国家神道>を意味しているのではない、と理解されるべきものだろう。すなわち、神道が日本という「国」の成り立ち(肇まり)に深く関わっている、いやむしろ、神道なるものと成立とのちに「日本」と称されるようになった日本列島の重要部分を占める「国」の成立とは殆ど同じ時期のことであり、殆ど同じことを意味する、ということが「神社神道の国家性」という語で表現されているのではないかと思われる。
 第二。①「発生史的に見て国家とは本来無関係な宗教」であるキリスト教と国家との関係についての「信仰の自由・政教分離」という原則を、不可分の密接な関係のある日本「国家」と神道との関係に「強引に当て嵌めた」こと。これは「一つの肉体を切り分け、一つの人格を分裂させるに等しい暴挙」だった。
 ②キリスト教が「唯一の伝統宗教」である地域では「各宗派に共通の基督教的要素は政教分離の対象とはされ」ていない。また、そのことによって「国家」の「無限」の「世俗化」を抑制している。しかるに、日本では「複数の伝統宗教が存在」し、各様に国家との関係を結んできたので、キリスト教に見られる「共通の要素」は見出し難い。にもかかわらず、「単純に政教分離の原則を適用すれば、宗教間の相互摘発によって、国家は無限に世俗化してゆく可能性」がある
 この①・②のような旨は別の論者による何かで読んだ記憶があるが、いずれも鋭い指摘だと思われる。
 GHQは、あるいは当時日本に滞在したアメリカ人は、神道をキリスト教の如きものと理解したに違いない。その上で<政教分離>も構想したに違いない。かの国での<政教分離>は基本的にはキリスト教の中での諸派のうち特定の宗派を優遇しないことを意味すると簡単には理解しているが(大統領就任の宣誓の際に<聖書>の上に手を置くことはしばしばこの脈絡で語られている)、そのような理解にもとづく<政教分離>原則がそのまま日本(・神道)に適用できるわけはないだろう。
 日本での厳格な、あるいは形式的な<政教分離>原則の適用によって<国家・政治>が際限なく「世俗化」していく(又はその可能性がある)という上の指摘はなかなか新鮮だ。
 <無宗教>的な国民が多数生まれ、戦後社会が形成されてきたため、日本の<国家・政治>は倫理的・道徳的・宗教的な<歯止め>を失い、「無限に世俗化して」いっている(又はすでにそうなってしまった)のではないか。キリスト教国においてすら、<大衆民主主義>の時代となり、その問題性・危険性が指摘されている。<無宗教>国・日本ではなおさらそうなのではないか。これは興味深い論点だ。
 以上と重なる所はあるが、そもそも神道は「宗教」の一つなのか、という問題があることも強く意識せざるをえない。国家と神道の分離は「一つの肉体を切り分け、一つの人格を分裂させるに等しい」という上にも紹介した表現からは、神社関係者(神社本庁、新田均)の強い不満と抗議の感情が伝わってきそうだ。神道は少なくとも、<ふつうの宗教>ではないのではないか。
 以下と同旨のことはすでに書いたことがあるが、鎌田東二編・神道用語の基礎知識(角川選書、1999)p.12-13は、ラフカディオ・ハーンの文章を引用したりしたあと、「神道は教祖をもたない、教義がない、教典はない、教団という明確な組織をもたない、ないないづくしの宗教であ」る、と書く。
 むろん「宗教」概念の理解の仕方いかんによることだが、反復すれば、神道は少なくとも、<ふつうの宗教>ではないのではないか。そのような神道と国家(日本)との関係を欧米的に理解された<政教分離>原則によって律してよいのだろうか
 さらに言えば、国家と神道の形式的な分離によって、日本と日本人は「一つの肉体を切り分け」られ、「一つの人格を分裂させ」られたがゆえに、アイデンティテイを喪失し(又は少なくとも喪失感をもち)、日本「国家」を気嫌う<無国籍>者的な日本人も多くなったのではあるまいか(先日某書店内で、佐高信・国畜(出版社不確認)という本を見た。「国畜」とは家畜、森村誠一の造語の「社畜」から連想した造語だろう。佐高信は<無国籍>者の代表の一人だ。「左畜」とでも呼んでやろうか)。
 とりあえず今回はこのくらいにして、あと何回かは神道・皇室・政教分離にかかわるテーマで書いてみよう。

0468/1945~1947年の神社と昭和天皇。

 先の大戦終了後、GHQによる占領開始期の神社(とくに伊勢の神宮)と天皇(・皇室)の関係やそれに関するそれぞれの対応・行動は現在の日本人に広くは知られていない。
 1.敗戦前において、ということは明治維新以降の所謂<国家神道>の時代だが、神道は「宗教」とは考えられていなかった。戦前に<宗教団体法>という名の法律があったが、「教派神道」と言われたものを除く神道(およびその関係機構)はこの法律の規制対象ではなかった。
 この宗教団体法は1945年12月28日に廃止され、同日に<宗教法人令>が公布・即日施行された。
 2.その約二週間前の12/15に発せられたのがGHQの「神道指令」。その第一項は「伊勢の大廟に関して宗教的式典の指令、ならびに官国幣社その他の神社に関しての宗教的式典の指令はこれを撤廃すること。」だった。GHQは神道も「宗教」と見なし、(日本)国が伊勢の神宮等の神社による式典挙行の指示を出すことを禁じた。
 以上の二点はほとんど、千田稔・伊勢神宮―東アジアのアマテラス(中公新書、2005)p.203-4による。この著の表現によると、「神道指令」により、「…軍国主義、…過激なる国家主義的宣伝」のための再利用の「防止」を目的として「GHQは国家と神道の結びつきを断ち切った」(p.204)。
 3.この「神道指令」が発せられる約1カ月前、したがって神道(と神社)が制度上もまだ「国家」と不可分だった時期の最後に、天皇(昭和天皇)は(伊勢)神宮等を行幸・巡幸された。
 細かく書けば、11/12-皇居出発・神宮内宮「行在所」泊、11/13-外宮(豊受大神宮)・内宮(皇大神宮)参拝、京都・大宮御所泊、11/14-奈良・神武天皇陵(畝傍御陵)参拝、京都・桃山の明治天皇陵参拝、京都・大宮御所泊、11/15-京都駅から東京へ。
 以上も千田・上掲書による(p.201-2)。この際の天皇陛下の心境を私ごときが正しく推測することなどできる筈もないが、この「巡幸」は「終戦奉告」(千田)であり、昭和天皇は<敗戦>を皇祖(天照大神)・神武天皇・明治天皇の順序で、それぞれの御霊に対して<報告>されたのだと思われる(千田は明記していないが、参拝の順序は無意味・偶然では全くなかっただろう)。
 4.敗戦前において、神社の土地(境内地)は国有財産(>「公用財産」)だった。なお、寺院の土地(境内地)は国有財産のうち「雑種財産」とされ、寺院が使用する間は(おそらく「無償」で)国から各寺院に「貸しつけ」られていたが、1939年(昭和14年)に(おそらく「無償」で)「譲与」された。神社境内地はその年以降も国有財産(・「公用財産」)のままであり、土地以外の建物や組織(・人員)を含めた意味での「神社」は、「国の営造物(公共施設)」の一種だった。
 以上は、「おそらく「無償」で」の部分を除いて、神社本庁研修所編・わかりやすい神道の歴史(神社新報社、2005)p.254による(執筆=新田均)。
 5.敗戦後のGHQの国家・神道分離方針のもとでは、上のような法的状態は維持できない。GHQ「神道指令」(1945.12.15)の後で、神社の土地を戦前の昭和14年までの寺院との関係と同様に国有財産としての「雑種財産」に変更したうえで各神社に「貸しつけ」ることが計画された。だが、1946年3月に憲法改正草案(あるいは「新憲法」草案)が発表され、そこには<政教分離>も掲げられていたため、この計画実現は不可能となった。<(無償)貸しつけ>は神社(・神道という宗教)を有利に扱う(特定の宗教に「特権を与える」)ことになるからだった。一方で、<有償での(土地等の)買取り>では、資力のない神社は「自滅する以外に」なかった。
 以上も殆ど新田均執筆部分の神社本庁の上掲書p.254によっている。そして、かかる状況のもとで<無償譲渡>の実現が「緊急の課題」となり、日本国憲法の施行の前日(1947年5月2日)に国から各神社への<無償譲渡>が―<用地等(無償)払い下げ>とも表現できる―実現した、という。
 知らなかったが、何とも際どいドラマが展開されていたものだ。
 もともと書き記しておきたかったことにまだ至っていない。再び回を改める。
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