秋月瑛二の「憂国」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

社説

0954/資料・史料-2010.12.09朝日新聞社説。

 資料・史料 朝日新聞2010年12月09日付社説

 

 離島防衛―「鎧」見せつけるだけでは
 自衛隊と米軍あわせて4万5千人が参加する過去最大規模の日米共同統合演習が、今月3日から九州、沖縄や日本海の周辺で行われている。
 北朝鮮の軍事挑発とともに中国の著しい海洋進出を牽制(けんせい)するのが狙いだ。演習には沖縄本島から与那国島にかけての、いわゆる南西諸島を防衛するための海上・航空作戦が含まれる。
 近年の中国海軍の活動をにらんで、これまで手薄だった離島地域の防衛体制を大幅に見直す。そんな議論が、「防衛計画の大綱」の年内改定に向け政府・与党内で進められている。
 ここは結論を急がず、熟慮してもらいたい。
 この地域の防衛力は現在、沖縄本島の陸上自衛隊約2100人や航空機部隊が中心で、それ以西は宮古島のレーダーサイトだけだ。地理的な制約や住民感情に配慮し、本島に駐留する米軍の抑止力に頼ってきたことが大きい。
 2004年にできた今の防衛大綱は、初めて中国の動向を意識して「島しょ部に対する侵略への対応」を盛り込み、防衛省は冷戦時代の北方重視を改め、「南西シフト」と呼ばれる部隊や訓練の見直しを進めてきた。
 同省は現在、与那国島への陸自配備などを検討している。
 9月の漁船衝突事件もあり、尖閣諸島への自衛隊配備や米海兵隊のような水陸両用部隊の創設を求める意見が、民主党内からも出た。
 とはいえ、日中両国の相互依存関係は深まる一方であり、近い将来、中国が武力侵攻を起こすとは考えにくい。日米の緊密な防衛協力体制がそれを抑止している。米中が正面から軍事的に衝突する展開も、ありそうにない。
 そうした状況で、脅威対応型の発想に傾きすぎるのは得策ではあるまい。かえって、日米中3カ国の安定した政治的枠組みを構築していく地道な作業を妨げることにならないか。
 洋上の移動手段もない陸上部隊を島々においても、中国海軍の艦艇に対する抑止効果は望めない。
 仮に海兵隊のような攻撃力の高い部隊をおけば、それこそ中国側に軍備拡張の格好の口実を与えかねない
 この地域で今後起こりうる危険は、偶発的な海上衝突だろう。それを避けるには、まずは対話を通じ両国間の連絡メカニズムや危険回避のルール作りを急ぐべきだ。
 同時に、これからも続くと見られる中国の民間船や公船との摩擦に備え、海上保安庁の警察機能を充実させ、領海警備をめぐる海自と海保の連携を深めることである。
 万一の場合の備えが必要としても、機動性の高い艦艇や航空機を遠方からでも投入できるよう即応性を高める方が賢明ではないか。「鎧(よろい)」を見せつけるだけが抑止ではあるまい
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 (下線は掲載者)

0898/朝日新聞社説6/02等と6/03の落差・矛盾を朝日新聞社員は自覚せよ。

 6/02にこの欄で紹介したように、朝日新聞5/29社説は次のように明確に書いていた。
 ・「…旧時代の『政局』的視点から首相の進退を論じるのは惰性的な発想である」。
 ・「鳩山首相が退いても事態が改善されるわけではないし、辞めて済む話でもない。……。そのいばらの道を、首相は歩み続けるしかない」。
 朝日新聞6/02社説は次のようにも明確に主張していた。
 ・「首相退陣論―これで逆風はかわせない 目前の参院選を何とか乗り切るために、鳩山由紀夫首相に辞めてもらう。そういう狙いが見え見えである。考え違いというほかない」。
 ・「昨年の政権交代の大義は、……首相の座を『たらい回し』してきた自民党政治との決別」だった、「政治の質を根本的に変える試みの意義は大きい」。/ 「そうした政治の流れから誕生した首相を退陣させようというのなら、早期に衆院解散・総選挙を実施し、有権者に再び政権選択を求めるべきではないか。それなしに『たらい回し』に走るのは、民主党の自己否定に等しい」。
 衆院解散・総選挙なくして衆議院の多数議席を背景に首相の座を「たらい回し」するのは「民主党の自己否定に等しい」と主張していたのだ。
 しかるに、鳩山由紀夫が退陣表明した翌朝6/03の朝日新聞社説は何と書いたか?
 「鳩山首相が退いても事態が改善されるわけではないし、辞めて済む話でもない。……。そのいばらの道を、首相は歩み続けるしかない」(上掲)という立場からの批判はどこにもない。
 「再び政権選択を求める」ことなく「『たらい回し』に走るのは、民主党の自己否定に等しい」と明確かつ偉そうに(?)書いた、その主張はどこへ行ったのか??
 朝日新聞という新聞は、本当に厚顔無恥だ。6/03社説では、掌を返したように、次のように書いた。
 ・「歴史的な政権交代の意義を無駄にはできない。今回のダブル辞任が『平成維新』の出直しに資するなら、必要な通過点だと考えるべきだろう。/問題はすべてこれからである」。
 前の日に「考え違い」、「民主党の自己否定」 と書いておきながら、翌日には、この新聞は、(いちおうの条件つきながら)「必要な通過点だと考えるべきだろう」と、鳩山辞任表明と民主党を擁護したのだ。何という節操のなさ!! 恥ずかしくないのだろうか。
 ぬけぬけと、「問題はすべてこれからである」とも書いた。
 これは、前日までの(上に紹介したような)社説の主張・内容はすべて御破算する、との居直りも含んでいるのだろう。
 また、「再び政権選択を求める」=衆議院解散・総選挙による首相の交代を主張していたはずなのだが、6/03社説は最後に、とってつけたように次のように付記した。
 ・「…一定の判断材料を国民に示したうえ、なるべく早く解散・総選挙をし、信を問うのが筋である」。
 <たらい回し>=民主党の自己否定という見解が、ここではなくなり、、「再び政権選択を求める」のは「なるべく早く」と一気に後退した。
 <なるべく早く>とは、いったいどのくらいの早さなのだろう。民主党に対する、何とやさしい、物わかりのよい、<変調>なのだろう。面白いが如き論調の変化だ。所詮、朝日新聞とはこの程度の新聞なのだ。この<左翼・親中>新聞が2000万ほどの読者を持っているらしいのだから(販売部数×3)、日本が奇妙な方向へと堕しつづけるのも不思議ではない。
 近づく参議院選挙に関するこの新聞の社説や報道ぶりが<客観的>であるはずがない。輿石某が日教組・教員運動について語ったらしいように、<政治的中立性(・客観性)>が、この<政治団体>でもある新聞社にあるはずはない。

0290/朝日新聞7/18社説を嘲笑する。

 朝日新聞7/18社説「政府の役割―年金解決に市場の知恵を」を読んで、奇異な思いに駆られた。
 第一に、今頃何を寝ぼけたことを言っているのか、ということだ。
 「社会の中で政府が果たす役割を、根本的に考え直す必要があるのではないか」。
 →今更言われなくとも19世紀以降、いろいろな人(傑出した者は「思想家」とも言われる)が、日本人も含めて発言し、議論してきたことだ。今頃になって発見した<大論点>だというつもりだろうか。こんな文章を大新聞の社説で読むとは想像もしていなかった。
 「
今回あらためて明らかになったことは、市場の失敗を正すはずの政府もまた大失敗をする、ということだ。
 →これまた今更指摘されなくとも常識的なことではないか。「市場の失敗を正す」ことのできない政府が、(社会主義国のように)自ら経済運営を<計画>的に行おうとすれば大失敗することもまた常識的なことではないか。大新聞の社説が今頃何を言っているのだろう。
 上の文章の前の、「19世紀から20世紀にかけてできた社会保障制度の発想は「市場の失敗を政府が是正する」というものだ。資本主義経済は暴力的で、競争に負けた人々の生活を破壊する。政府は市場経済の外側にあって市場経済という巨象が暴れないよう外からオリをつくる、という発想だ」は、少しは議論する余地があり、逆に、こんなに簡単にまとめてもらっては困る、と思われる。
 というのは、「
資本主義経済は暴力的で、競争に負けた人々の生活を破壊する」と理解の仕方はまさしく(資本主義社会を憎悪した)マルクス主義のそれであり、また(今世紀の意味での)社会民主主義やひょっとして一部はケインズ主義もこう理解する傾向があるが、「資本主義経済」を無条件・無前提に「暴力的で、競争に負けた人々の生活を破壊する」と表現するのは、暴力的」・「競争に負けた」・「生活を破壊」の各意味の問題にもなるが、誤りだと思われる。大新聞の社説が、こんな一般化した叙述をしてよいのか。
 
「「政府は市場よりもすぐれた能力や善い意図を持っている、あるいは持つべきだ」という
20世紀の発想から抜け出さなければならないのではないか。
 →これまた、朝日新聞様に指摘されなくとも常識的なことではないか。ひょっとして朝日新聞様は今までは、典型的には社会主義理論・マルクス主義のように、政府は市場よりもすぐれた能力や善い意図を持っている、あるいは持つべきだ
」と理解してきたのだろうか。だとすれば、あまりに幼稚で、かつあまりにも怖ろしい。
 そのあとに示されている、「大企業中心の経済」から自由な個人や中小企業がグ
ローバルに活躍できる」「市場経済」へという時代認識が適切かどうかは、私には的確に判断できない。但し、少なくともこうは簡単に言えないのではなかろうか。
 それに、この朝日新聞社説子は「大企業」という言葉で厳密には何を意味させているつもりだろうか。日本共産党がしょっちゅう使って批判しているいる「大企業に奉仕する…」とか「大企業中心の…」とかの意味が不鮮明なのと同様の曖昧さを感じる。
 第二に、自らのこの主張を、朝日新聞も含まれる(同社が市場に参加している)新聞業界にもきちんと適用せよ、ということだ。
 例えば、第一に、<記者クラブ制度>は情報収集への新規参入を拒んで、一部マスメディアの寡占体制化・特権化に寄与しているのではないか。
 朝日社説は「
官僚や「有識者」に丸投げせず、オープンな市場の知恵をもっと信頼する。それが21世紀に市場と国家の役割を仕切
り直すうえで必要ではないか。市場とは結局、私たち自身のことなのだから」と結ぶ。
 「
オープンな市場の知恵をもっと信頼する」ということと、<記者クラブ制度>は矛盾しないのか。
 第二に、「オープンな市場の知恵をもっと信頼する
」価格設定が新聞紙についてはできているのか。朝日に限らないが、いくつかの大新聞の定期購読価格が同じというのは、<自由な市場>を信頼すれば、異常な事態ではないのか。この社説の書き手は自らが属する新聞業界も視野に入れているのだろうか。
 第三に、定価販売のみを許す、いわゆる<再販制度(再販売価格維持制度)>は、「オープンな市場の知恵をもっと信頼する」という主張と矛盾していないのか。
 新聞に特殊性が全くないとは言わないが、この社説の書き手は自らが属する新聞業界も視野に入れて主張しているのだろうか。
 自らの属する業界のことはケロッと忘れて何やら主張しているのだとすれば、<エラそうなことを言うな!>と言ってやりたい。
 補足しておけば、この社説は経済学部出身の記者が書いたものではなく、若宮啓文もそのようだが、法学部出身者が書いたのではなかろうか。そうでないと、こんな幼稚で、かつ一部は簡潔すぎる社説はできない、と思う。
 また、法学部出身者であっても、上級官僚や良質企業の幹部候補生社員はとくにそうだと思うが、入省・入社してから経済学もかなり勉強するはずで、「社会の中で政府が果たす役割を、根本的に考え直す必要があるのではないか。」などという幼稚な文章は、20歳代でも恥ずかしくて書けないのではないか。
 私はこの7/18社説「政府の役割―年金解決に市場の知恵を」を書いた朝日新聞記者を嘲笑する。

0245/朝日新聞6/22社説の無知と不的確。

 久しぶりに朝日新聞社説を覗いてみると、相変わらず妙なことを喚いている。6/22の「教育3法―現場を画一的に縛るな」だ。
 タイトルからしても文句を言いたい。教育現場は少なくともある程度は<画一的>でないと困る。一部の教師だけが、学習指導要領に添わず、朝日新聞社説を教材にした親中国教育をしてはいけないのだ。
 冒頭の第一文は「文部科学省がこれまで以上に教育現場に口をはさみ、画一的な考え方を押しつけることにならないか」。この社説の執筆者は改正法の中身をきちんと読んでからこんなことを書いているのだろうか。そうだとしたらとんでもない「ウソ」つきだし、そうでないとしたらとんでもない職務怠慢だ。それに一般論としても「文部科学省がこれまで以上に教育現場に口をはさ」むことを一般に非難することはできない。「画一化」については既に述べた。
 「法律が成立したとはいえ、どのように運用するのか、あいまいなところが多い」、「しかし、今後、どのようなときに指示などを出すのかははっきりしない」。これは法律(案)を批判するときの常套の論法だ。いわく、不明確な点がある-、曖昧だ-。
 法律の定めの不明確性が合憲性の法的論点になりうることは承知のうえだが、運用事項の具体化、「指示」の要件のさらなる詳細化・具体化を要求していれば、法律という一般的・抽象的定めは永久に制定できない。こんな単純なことくらい、朝日の社説子なら知っている筈だ。批判のための批判をするな、と言いたい。

0164/朝日新聞社説子は「自由・民主・人権」の意味・関係をきちんと説明できるか。

 しばらく朝日新聞の社説を読む機会がなくWeb上で見ることも忘れていた。
 憲法改正手続法(国民投票法)衆議院通過後の朝日の4/17社説について、同日のブログで<「メディア規制の問題、公務員の政治的行為の制限、最低投票率の設定など、審議を深めてほしい点がある」という理由だけしか書けず、致命的な又は大きな欠点・問題点を堂々と指摘できないのでは、「廃案」→「仕切り直し」という主張のためには不十分だろう。>と書いた。
 まさかこの文の影響ではないだろうが、ネット情報等によるとその後朝日は<最低投票率制度を導入によ(それがないから反対)>という主張をしたようだ。国会審議前にこの具体的主張をせず、参議院に送付されてからこんな主張をし始めるとは、朝日新聞はやはり<たいした>言論機関だ。いよいよ成立しそうになってからの<反対のための反対の理由>を挙げただけではないのか。
 この最低投票率制度の問題にはもはや立ち入らない。
 保存するのを忘れたが、憲法改正手続法案が参議院の委員会で議決された後の朝日の社説(5/12(土)?)は興味深かった。翌週早々に参議院本会議でも議決されて成立する見込みとなって、まるで水の中(池でも河でもよい)に落とされた犬が必死で陸に這い上がって、投げ落とした者に対して<うらみ・つらみ>の泣き言を喚いているような文章の社説だったからだ。
 もっとも、5/15(火)の社説は「投票法成立―「さあ改憲」とはいかぬ」と題して、何とか元気を取り戻した様子だったが。
 さて、最近の朝日社説にいくつかコメントをしておく。
 一.上の5/15の社説の中に、自民党の新憲法草案九条の二に関する次のような文がある。
 「つまりは、現在の自衛隊ではなく、普通の軍隊を持つということだ。自民党は、今後つくる安全保障基本法で自衛軍の使い方をめぐる原則を定めるとしている。だが、たとえ基本法に抑制的な原則をうたったとしても、憲法9条とりわけ2項の歯止めがなくなれば、多数党の判断でどこまでも変えることが可能だ
 二点指摘できる。第一に、「現在の自衛隊ではなく、普通の軍隊を持つということ」という表現の仕方、とりわけ「普通の軍隊」
という言葉の使用は、自衛隊も<普通の軍隊ではないが軍隊だ>という意味を含むとも解釈することができ、興味深い。
 第二に、「基本法に抑制的な原則をうたったとしても、…多数党の判断でどこまでも変えることが可能だ。」という部分は、別の機会にも指摘したかもしれないが、「民主主義」の価値を大いに謳っている新聞社にしては、国民の代表を通じての議会制民主主義の意味を理解できていないかの如くだ。つまり、「
多数党」
ということは、国民の多数が支持している政党を意味する筈であり、その政党の判断が国会の意思となり、何らかの事項を「変えて」いくことに一体何の問題があるのか。
 自社に気に入らない決定をする国会の場合には<多数党の横暴>といい、自社の主張に即した決定をする国会の場合には<議会制民主主義を守れ。少数党は自制せよ>という主張をしそうな、つまり所謂<ご都合主義>に毒された新聞が朝日新聞ではないのか。
 二.5/17社説「党首討論―もっと憲法を論じよう」にも面白い部分がある。
 同社説は「時間が少なかったし、そう問われなかったということもあっただろう。だが、この60年、憲法の下で民主主義人権平和主義を培ってきた国民の「成果」に対する肯定的な評価は、安倍氏からはまったく聞かれなかった」と安倍首相を批判している。
 ここでも二点指摘したい。第一に、この文の前で、<首相は戦後日本を次のように批判する。/「経済は成長したが、価値の基準を損得だけにおいてきた」「損得を超える価値、例えば家族の価値、地域を大切にし、国を愛する気持ち、公共の精神、道徳を子供たちに教える必要がある」>と安倍首相の発言を紹介している。
 「問われなかったということもあっただろう」
が、朝日社説は、上の安倍首相発言の内容に賛成とも反対とも、自らの見解を全く述べていないのだ。安倍首相が語らなかった部分に文句をつける前に、明確に語った部分について何らかの評価を明示したらどうか。批判したいけれども批判し難い、というのが本音なのだろうか。あるいは、さらにそのずっと前の辺りにある「復古主義」という言葉で批判しているつもりなのだろうか。
 朝日は安倍首相等を不明瞭・曖昧等と批判することがあるが、自社の社説はすべて明瞭で曖昧さはないと言い切れるのか、少しは反省してみるがよい。
 第二は、より大きな問題だ。朝日は5/20社説でも、古屋圭司氏を会長とする所謂「価値観議連」に参加した議員たちの発言をとり上げて、「右派の熱心なテーマばかりだ。これがめざす「真の保守主義」なのだというが、「自由・民主・人権」というより、復古的な価値観に近いのではないか」と疑問視又は批判している。
 ここでも朝日社説は守るべき価値として「民主主義・人権(保障)」等を考えているようだ。この二つの他に5/17では「平和主義」を、5/20では「自由」を挙げている。
 私の現在の強い問題関心は、「自由」・「民主」・「人権」等は現在においていかなる理念的意義を持ち得るのか、またそれぞれがどのような関係に立つのか、にある。
 とくに1990年代以降、これらの意義が少なくともある程度は疑問視され再検討される必要が出てきた、というのが私の時代認識だ。
 卑近すぎるかもしれないが、「人権」と「平等」のある意味での<いかがわしさ>は、地方自治体の行政の<腐臭>の源の発覚によって、露わになってしまったのではなかろうか。
 かかる問題意識は、私一人のものではないと思われる。
 つい先日紹介したように、ジュリスト誌上で、棟居快行・大阪大学教授は、「どうも近代立憲主義の憲法学の武器庫はかなり空になりつつある。あるいは残りをこの10年で使い切ってしまっている可能性もある」と述べていた。
 「近代立憲主義の憲法学の武器庫」には、<民主主義>も<自由>も<人権>も当然に含まれる筈だ。
 また、リベラリズム/デモクラシーを途中まで読んだ後に入手した阪本昌成・「近代」立憲主義を読み直す-<フランス革命の神話>(成文堂、2000)はその「はしがき」の中で、憲法学は<裸の王様>だと”市民”は「肌で感じ取ってきている」のではないか」とし、その理由を阪本は「暫定的に」次のように述べている。
 「憲法学は、「自由」、「民主」、「平等」、「人間性」、「自然法」、こうしたキー・ワードにさほどの明確な輪郭をもたせないまま、望ましいことをすべて語ろうとして、これらのタームを乱発してきたのではなかろうか」。
 こんなことを憲法学者の少なくとも一部は明言しているのだが、朝日新聞の社説子は、「
民主主義人権平和主義」を、あるいは自由・民主・人権」をいかなる意味で、それぞれがいかなる関係をもつ概念として用いているのかを、きちんと明瞭に説明できるのか。朝日の社説子もまた、明確な輪郭をもたせないまま、望ましいことをすべて語ろうとして、これらのタームを乱発して」はいないか?
 日本の<戦後民主主義>が当然視してきたようなことが当然ではなくなっているのが、現在だ。ソ連型「社会主義」崩壊、経済のグローバル化、「情報社会」化、中国・北朝鮮の新たな動向等々は、上に挙げたような基礎概念の意味を絶えず問うているのだ。
 朝日の社説子にはそれだけの時代認識もなさそうに見える。<フランス革命の神話>という言葉の含意を理解できる論説執筆者がどれほどいるのか。「民主主義、人権、平和主義」を、あるいは自由・民主・人権
」を<お経>の如く唱えているだけではないのか
 まだ、最近の朝日の社説についてコメントしたい点はあるが、今回はここで終わっておこう。

0038/朝日新聞4/01社説タイトルは「悪い冗談」。中を読んでも、大嗤いだ。

  朝日新聞4/01社説のタイトルは、「恥を知る-日本の美徳はどこへ」。完璧にブラック・ジヨーク、悪い冗談だろう。朝日は「恥を知る」新聞社なのか? また、「日本の美徳」という語をこの新聞が使うこと自体笑いたいが、「日本の美徳」を率先して貶し、破壊してきたのは朝日新聞そのものではないか。バカも休み休み言い給え。
 ところで、内容自体もヒドいらしい。
 同社説は城山三郎氏の「大正から昭和初期を舞台に、新興商社鈴木商店の盛衰を描いた」「鼠(ねずみ)」という小説に言及し、「大番頭だった金子直吉」は、「近衛首相は、内閣参議に推した」のだが、「米買い占め」による「昭和二年のパニックを起こした元凶」だったとして「固辞しつづけた」とする。そして、「「恥」の大きさに潔く向き合」った金子直吉を高く評価し、それに比べて、松岡農林水産相は、安倍首相は、とつなげている。タイトルが「恥を知る」であるわけだ。
 ところが、himajinさんのブログ・エントリー(http://himazin.iza.ne.jp/blog/entry/143946/)に従ってWikipediaを確認すると、朝日新聞の「歴史」の箇所にたしかにこう書かれてある。
 朝日新聞は
大正デモクラシー期には憲政擁護運動の一角を担い桂太郎内閣を批判。寺内正毅内閣期には、同内閣だけでなく、鈴木商店を米の買い占めを行っている悪徳業者であると攻撃して米騒動を煽り、鈴木商店は焼き討ちにあった(白虹事件を参照)。しかしこの事件を再調査した城山三郎によれば、当時、鈴木商店が米を買い占めていた事実はなく、焼き討ちは大阪朝日新聞が事実無根の捏造報道を行ったことによる「風評被害」で、鈴木商店と対立していた三井と朝日の「共同謀議」という仮説を立てている」。
 つまり、朝日社説が援用した城山三郎氏の上の小説は、「
鈴木商店が米を買い占めていた事実」を否定し、「大阪朝日新聞が事実無根の捏造報道」をしたためにパニックが生じた、と城山氏は理解している、というわけだ。
 上の小説を確かめないと断定的なことは言えないが、上のWikiの解説が正しい又は適切だとすると、朝日4/01社説は、この小説をきちんと読まないで、ヤブ蛇なことを書いた、自ら墓穴を掘った、ということになる。
 朝日社説の最後にはこうある。-「日本を愛してやまないお二人には、ぜひとも「恥」の感覚を思い出していただきたい。」
 こう返したい。<日本を愛していない朝日新聞も、ぜひとも「恥」の感覚を思い出していただきたい>。これでは丁寧すぎる。<恥を知れ!>だ。

0032/朝日新聞の意識的?無知と異様さ-沖縄集団自決命令教科書修正三社説比べ。

 教科書検定による沖縄集団自決命令に関する記述の修正に関して、朝日、読売、産経の三紙を簡単に比べてみた。中でも、なぜ修正がなされたのかを、どう認識しているかに焦点を絞ってみた。
 朝日はこう書く。-「文科省は検定基準を変えた理由として「状況の変化」を挙げる。だが、具体的な変化で目立つのは、自決を命じたとされてきた元守備隊長らが05年、命令していないとして起こした訴訟ぐらいだ。/その程度の変化をよりどころに、教科書を書きかえさせたとすれば、あまりにも乱暴ではないか。」
 読売はこう書く。-「今回、文科省が着目したのは「近年の状況の変化」だったという。/ 70年代以降、軍命令の存在を否定する著作物や証言が増えた。一昨年には、大江健三郎氏の著書に命令した本人として取り上げられた元将校らが、大江氏らを相手に名誉棄損訴訟を起こしている。/生徒が誤解するおそれのある表現は避ける、と規定した検定基準に則して、今回の検定から修正要請に踏み切った。妥当な対応だったと言えよう。」
 産経はこうだ。-「集団自決の軍命令説は、昭和25年に発刊された沖縄タイムス社の沖縄戦記『鉄の暴風』に記され、その後の刊行物に孫引きされる形で広がった。/しかし、渡嘉敷島の集団自決について作家の曽野綾子さんが、昭和40年代半ばに現地で詳しく取材し、著書『ある神話の背景』で疑問を示したのをはじめ、遺族年金を受け取るための偽証が基になったことが分かり、軍命令説は否定されている。/作家の大江健三郎氏の『沖縄ノート』などには、座間味島や渡嘉敷島での集団自決が、それぞれの島の守備隊長が命じたことにより行われたとする記述があり、元守備隊長や遺族らが、誤った記述で名誉を傷つけられたとして訴訟も起こしている。/軍命令説は、信憑(しんぴょう)性を失っているにもかかわらず、独り歩きを続け、高校だけでなく中学校の教科書にも掲載されている。今回の検定で「沖縄戦の実態について誤解するおそれがある」と検定意見がつけられたのは、むしろ遅すぎたほどだ。」
 一目瞭然なのだが、朝日は1.訴訟提起しか挙げない。勉強不足=無知なのか、それとも意識的にか。ついで読売は、1.訴訟提起に加えて、2.否定・疑問視する著作物・証言の増大を挙げている。正確だ。
 産経は、読売の2.の部分を詳細に書いている。とくに「遺族年金を受け取るための偽証」だったことを受給者遺族が明らかにしたことが、この件では意味が大きいと思われる。
 こう比べても、朝日新聞はやはり異常だ。「集団自決―軍は無関係というのか」というタイトル自体、冷静さを失い昂奮しているようで、みっともない。
 朝日は最後に「国民にとってつらい歴史でも、目をそむけない。将来を担う子どもたちにきちんと教えるのが教育である」と書く。これに異存はない。しかし、「国民にとってつらい」かどうかは別として、その「歴史」自体が虚偽または不正確なものだったとすれば、そのような偽りの「歴史」を「将来を担う子どもたちにきちんと教え」ては絶対にいけない。
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