石原萌記・戦後日本知識人の発言軌跡(自由社、1999)。
 計1260頁、別に人名索引計12頁。石原萌記、1924~2017。
 前回の№1990/L・コワコフスキら編著1975年編著③で、L・コワコフスキの序文の一部を紹介して、こう書いた。
 「1972年4月に東京で開催された『変化する社会における社会主義』と題する国際セミナーで報告された。
 これは、文化的自由のための国際協会〔International Association for Cultural Freedom〕および二つの日本の雑誌と連携した日本文化フォーラム〔Japan Cultural Forum〕によって、後援(財政支援)された。」
 この「国際セミナー」について、ネット上の簡便な情報よりも、この石原著の方がはるかに詳しく、正確だろう。
 会合の後援者というよりも実質的な主催者は日本文化フォーラム(英語名のJapan Cultural Forumも上掲書にある)で、1956年2月18日発足。会長・高柳賢三、副会長・尾高朝雄-急逝により木村健康、事務局長・石原萌記。以上、p.908。
 この団体の「国際的母胎」は1955年6月に西ベルリンで設立された国際文化自由会議だった。p.905。先に<文化的自由のための国際協会>と訳出したものと同じだろう。石原萌記はこの団体の「日本駐在員」だったらしい。
 厳密には日本文化フォーラムの機関誌ではなかったようだが、別組織で雑誌「自由」を発行し、4号目からは「自由社」出版になった。p.911。石原萌記は、初代社長。
 日本の少なくとも一つの「雑誌」は、この自由社発行<自由>だろう。
 これらの内容・性格等は次回以降回しとして、1972年4月の「国際セミナー」についても4頁余りの記述がある。
 このセミナーの主題は前回の訳とは少し異なり、<変貌する社会と社会主義>だった。p.1127。
 Richard Lownthal (独)およびGilles Martinet (仏)の報告があったことも記されている(但し後者はコメンテイターのようだ)。
 しかし、E・ライシャワー(米国駐日大使)等のほか中山伊知郎、高橋正雄、林健太郎、大来佐武郎が議長団を構成するなど、最初に想像したものよりもはるかに大がかりな会合だ。
 日本人報告者は、以下だったとされる。p.1128。
 イデオロギー/関嘉彦。
 政治/芳賀綏。
 経済/力石定一。
 文化/武藤光朗。
 発展途上国/喜多村浩。
 日本側の「討論参加者」は以下だったとされる。p.1128。
 石川忠雄、江田三郎、岡野加穂留、霧生和夫、公文俊平、香山健一、佐瀬昌盛、重枝琢己、清水慎三、志水速雄、曽弥益、宝樹文彦、富永健一、正村公宏、松本七郎、山本登、和田春生、他。
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 つづく。