秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

白須英子

2413/Paul Kalanithi,When Breath Becomes Air(2016)。

  この欄に主に英語文献の「試訳」を掲載している。「業」としての翻訳ではないから、正確さ、厳密さ、日本文としてのこなれ具合などに限界はあるだろう。もともと、一つの単語の和訳に一時間を費やすつもりはなく(一文章にそれくらいを要したことはある)、一つの文章に一日をあてるつもりも全くないのだ。
 気になるのは複数の英語書の「試訳」を並行させていて、いずれを優先させるべきか、確たる方針を持っていないことだ。複数の中には、Richard Pipes の二つの大著も含まれる(この人の書物で「試訳」をしてみたいものは、他にも3〜4冊ある)。
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  邦訳書として出版されているものの翻訳には、(他者を批判し罵倒する気はないが)原文の構造を残したような生硬なものもある。だが、白須英子という人の翻訳文は、とてもうまい(かつ意味内容を外していない)と感じたものだ。複数あるが、つぎは、その一つ。
 M・メイリア=白須英子訳・ソヴィエトの悲劇/上・下(草思社、1997)
 =Martin Malia, The Soviet Tragedy -A History of Socialism in Russia 1917-1991(1994).
 また、医師でもあるようなのだが、田中文という人のつぎの邦訳書も、主題とも相俟って、なかなか心を打つ。原書も所持しているが、上手な翻訳だ。
 P・カラニシ=田中文訳・いま、希望を語ろう-末期がんの若き医師が家族と見つけた「生きる意味」(早川書房、2016年11月)
 =Paul Kalanithi, When Breath Becomes Air (2016年1月).
 この邦訳書から、一部を引用し、紹介する。
 著者は、ほぼ実質的に、Paul の妻だったLucy だ。
 二人とも医師で、「末期がん」で37歳で亡くなったPaul と妻のLucy のあいだには、まだ8ケ月の女児、Cady がいた。
 ***
 Paul の生前最後の文章は、こう訳されている。
 「未来を奪われることのない人がいる。
 私たちの娘、Cady だ。」
 「これからのおまえの人生で、自分について説明したり、自分がそれまでどんな人間だったのか、何をしてきたのか、世界に対してどんな意味を持ってきたのかを記した記録をつくったりしなければならない機会が幾度もあるはずだ。
 そんなときにはどうか、死にゆく男の日々を喜びで満たしたという事実を、おまえが生まれるまでは一度も味わったことのない喜びで満たしたという事実を差し引かないでほしい。…
 やすらかで、満ち足りた喜びだ。
 今、まさにこの瞬間、これ以上のものはない。」
 以下は、Paul の死の数日前からについての、Lucy の文章だ。
 「日曜の早朝、わたしがPaul の額をなでると、燃えるように熱かった。」
 「肺炎の可能性を考慮して抗生物質(antibiotics)の投与が開始されたあとで、わたしたちは家族の待つ家に帰ってきた…。
 でもひょっとして、これは感染(infection)ではなく、がんが急速に進行しているせいなのだろうか?
 その午後、Paul は苦しむ様子もなくうとうととしていたけれど、病状は深刻だった。
 彼が寝ている姿を見ながら、わたしは泣いた。
 居間へ行くと、義父も泣いていた。/
 夕方、Paul の状態が突然、悪化した。
 彼はベッドのへりに腰掛けて、息をしようと喘いでいた。
 はっとするほどの変化だった。
 わたしは救急車を呼んだ。
 救急救命室にふたたびはいっていくところで(…)、彼はわたしのほうを向いてささやいた。
 『こんなふうに終わるのかもしれない』(This might be how it ends)。」
 「病院のスタッフはいつものようにPaul を温かく迎えてくれたけれど、彼の容態を把握したとたん、忙しく動きはじめた。
 最初の検査の結果、医師らは彼の鼻と口をマスクで覆ってBiPAP で呼吸を助けることにした。」
 「Paul の血液中の二酸化炭素濃度は危険なまでに高く、呼吸する力が弱くなっていることを示していた。
 血液検査の結果から示唆されたのは、血液中の過剰な二酸化炭素のうちのいくらかは、肺の病変と体の衰弱が進行していくにつれて…蓄積していったということだった。
 正常より高い二酸化炭素濃度(carbon dioxide level)に脳が順応したために、Paul の意識は清明なままだったのだ。
 Paul は検査結果を見て、そして医師として、その不吉な結果の意味を理解した。
 ICU へ運ばれていく彼のうしろを歩きながら、わたしもまた理解した。」
 「部屋に着くと、彼はBiPAP の呼吸の合間に、わたしに訊いた。
 『挿管が必要になるだろうか? 挿管した方がいいだろうか?』」
 「BiPAP は一時的な解決策だと彼は言った。
 残る唯一の医学的介入はPaul に挿管(intubate)すること、つまり人工呼吸器につなぐことだった。
 Paul はそれを望んでいるだろうか?」
 「問題の核心」は「この急性呼吸不全を治すことができるかどうかだった」。
 「心配されたのは、Paul の容態がよくならず、人工呼吸器を外せなくなることだった。
 Paul はやがてせん妄状態(delirium)に陥り、それから多臓器不全(organ failure)をきたすのではないだろうか?
 最初に心(mind)が、次に体(body)がこの世を去っていくのではないだろうか?」
 「Paul は別の選択肢を検討した。
 挿管ではなく、『コンフォートケア(comfort care)』を選ぶこともできるのだと考えた。
 死はより確実に、より早くやってくるけれど。
 『たとえこれを乗り越えられたとしても』、脳に転移したがんのことを考えながら、Paul は言った。
 『自分の未来に意味のある時間が残されているようには思えないんだ』。
 義母が慌てて割ってはいった。
 『今晩はまだ何も決めなくていいのよ、Pabby。…』
 Paul は『蘇生を行わないでほしい』という意思表示を確定的なものにし、それから義母のいうとおりにした。」
 「ここに家を再現できないかしら?
 BiPAP が空気を送り込む合間に、彼は答えた。
 『Cady』。/
 友人…がすぐに家からCady を連れてきてくれた。
 Cady はPaul の右腕に居心地よさそうに抱かれ、そしてCady らしい無頓着さでご機嫌な付き添いを始めた。
 空気を送りつづけ、Paul の命をつないでいるBiPAPの機械など気にも留めずに、Cady は小さな靴下を引っぱったり、病院の毛布を叩いたり、にこにこしたり、喉を鳴らして喜んだりした。」
 「Paul の急性呼吸不全はがんの急速な進行によるものと思われた。
 血液中の二酸化炭素濃度はいまだに上昇しつづけており、挿管の必要を揺るぎないものにしていた。
 家族の意見は分かれた。」
 「わたしは、急速に悪化した彼の容態を改善できる可能性を少しでも信じているなら、そう言ってほしいと医師たちに懇願した。/
 『Paul は奇跡の大逆転にかけたいとは思っていません』とわたしは言った。
 『意味のある時間を過ごせる可能性が残されていないのなら、マスクを取ってCady を抱きしめたいと思っています』。/
 わたしはPaul のベッド脇に戻った。
 彼はわたしを見て、はっきりと言った。
 BiPAPのマスクの上の目は鋭く、その声は静かだけれど揺るぎなかった。
 『用意ができたよ』(I 'm ready)。
 呼吸器を外す用意が、モルヒネを開始する用意が、死ぬ用意ができたということだった。/
 家族が集まった。
 Paul の決意のあとの貴重な時間に、わたしたちはみんな、愛と尊敬を彼に伝えた。
 Paul の目に涙が光った。」
 「一時間後、マスクが外されてモニターが切られ、モルヒネの点滴が始まった。
 Paul の呼吸は安定していたものの、浅かった。
 苦しそうな様子はなかったけれど、わたしがモルヒネを増やしてほしいかと訊くと、彼は目を閉じたままうなづいた。…。
 そして、とうとう、Paul は意識を失っていった。」
 「Paul の両親、兄弟、義理の姉、娘とわたしは9時間以上、彼のそばを離れずにいた。」
 「親しいいとこと叔父、そして司祭が到着した。」
 「北西向きの窓から暖かな夕陽が斜めに差し込むころ、Paul の呼吸はさらに静かになった。
 寝る時間が近づくと、Cady はぽっちゃりとした拳で目をさすり、彼女を家に連れて帰ってくれる友人がやってきた。
 わたしはCady の頬をPaul の頬につけた。
 ふたりのそっくりな黒髪には同じような寝ぐせがついていた。
 Paul の表情は静かで、Cady の表情は不思議そうだけれどもおだやかだった。
 彼の愛する娘はこれが別れの瞬間だとは思ってもいなかった。」
 「部屋が暗くなって夜が訪れ、低い位置の壁灯が暖かな光を放つころ、Paul の呼吸は弱々しく、そして、途切れがちになった。
 体は休んでいるように見え、四肢に力ははいっていなかった。
 もうすぐ9時だった。
 Paul は目を閉じて唇を開いたまま、息を吸い、そして、最後の、深い息を吐いた。」
 死亡日、2015年3月9日。
 以上、邦訳書のp.227-8, p.237-p.246。挿入の英語は、原著によって引用者。
 ーーーー

1840/M・メイリア・ソヴィエトの悲劇(1994)とL・コワコフスキ。

 マーティン・メイリア(白須英子訳)・ソヴィエトの悲劇-ロシアにおける社会主義の歴史 1917-1991/上・下(草思社、1997年)。
 =Martin Malia, The Soviet Tragedy – A History of Socialism in Russia, 1917-1991(New York, 1994).
 この本には、数度言及したことがある。但し、書名にも見られるようにロシア革命期またはレーニン時代に対象範囲が限られていないこともあって、つねに座右に置いてきたわけではない。
 だがそもそも、こういう本が草思社によって日本語となって、つまり邦訳書として出版されていること自体が、素晴らしく、価値のあることだ。日本の邦訳書出版業界の全体的状況を考えるならば。
 最近にこの著に関連して、というよりも正確にはレシェク・コワコフスキに対する関心から出発して、この著について二点触れたくなった。
 第一は、私はどういう経緯でL・コワコフスキの、とくに『マルクス主義の主要潮流』の存在を知り、原著を注文するに至ったのだったか、だ。
 この点ははっきりしない。あるいは、福井義高・日本人が知らない最先端の世界史(祥伝社、2016)による参考文献または注記一覧がきっかけだったかもしれない。この本に挙げられている洋書のうちロシア革命、レーニン・「ネップ」に関連していて入手できそうなものを手当たり次第に?注文していた時期があったように記憶する(日記はないので確言し難いが)。現時点のようにはロシア革命、レーニン・「ネップ」に関する知識自体をもっていなかった頃の話だ。
 マーティン・メイリア=白須英子訳・ソヴィエトの悲劇/上巻(草思社、1997年)によると、「はじめに」の後の第一章、したがって本文では冒頭の章全体の注記(原著者=メイリアによる)のさらに最初に、こうある。
 「数あるマルクス主義的思考の評価のなかで群を抜いて重要なのは、Leszek Kolakowski, Main Currents of Marxism, 3. Vols., trans. O. S. Falla (Oxford: Clarendon Press, 1978) である。本書も広範囲にわたってこの本から引用している」(訳書446頁。なお、上の原著p.525)。
 この部分にかつて気づかなかったはずはなく、これによってLeszek Kolakowskiの名を知った可能性はある。しかし、もっと多数の後注の、数行にわたってKolakowskiの著と頁数が記載されていた洋書を見たような記憶もある。
 なお、M・メイリアの本は頻繁にL・コワコフスキを「引用」してはいない。しかし、M・メイリアがL・コワコフスキの影響を受けていると感じたことはある。
 それは、―日本共産党とは違って―「ネップ」期の叙述をレーニン時代末期に位置付けるのではなく、むしろスターリン期の冒頭に位置付けていることだ。詳細は他の点も含めて省くが、このあたりの<時期区分>、つまり歴史叙述の体系的区割りが、M・メイリアのそれはL・コワコフスキのそれに似ているか同じだ、と感じたことがある。
 第二に、上記邦訳書/下巻にある長谷川毅「解説」の中に、つぎの文がある。
「この著を理解するうえで最も重要なキーワードは、翻訳不可能な『ソヴィエティズム』という言葉である。『ソヴィエティズム』とは、ポーランドの哲学者クワコフスキーによって用いられた造語であり、…」(訳書・下巻348-9頁)。
 憶えがないのでM・メイリアの本の邦訳書を捲ると、「本書の刊行に寄せて」(原書では、Preface。その後にある「はじめに」(原書ではIntroduction)とは区別される)の第三段落冒頭にこうある。
 「まず最初に、七十四年間にわたってひとつの制度として機能してきたソヴィエティズムの誕生から終焉のまでの経緯を述べる」(訳書9-10頁、原書ix)。
 訳書にはすでに「ソ連共産党方式。詳しくは下巻巻末の解説を参照」という挿入注記が入っているのだが、小なくともこの辺りではまだ、M・メイリアはL・コワコフスキの名前を出してはいない。
 L・コワコフスキの『マルクス主義の主要潮流』の原書の索引(Index)を見てみたが、Sovietism という項・言葉は出ていないようだ。
 むろん、長谷川毅のM・メイリア著やL・コワコフスキの理解を疑っているのではない。それぞれ、そのとおりなのだろう。
 むしろ、今のところ確認はできなかったが、L・コワコフスキの造語である「ソヴィエティズム」をキーワードとしてM・メイリア著は書かれている、またはそれを「最も重要なキーワード」とすればM・メイリア著はよく理解できる、と長谷川が書いていることが興味深い。
 長谷川毅はアメリカ在住のアメリカの学界の中にいる学者・研究者なので、<容共性が異様に高い>日本国内にいる、日本の学界・論壇・出版業界からの「自由」性は(相対的にかなり)高いだろう。そう推測できそうに思える長谷川の言葉なので(なお、長谷川自身の書物や訳書を一瞥したことはある)、信頼性は高い。
 なお、第一に、長谷川かそれとも訳者・白須英子のいずれの発案?か分からないが、「レシェク・コワコフスキ」は、「レシュチェク・クワコフスキ」と表記されている。
 ひょっとすれば、こちらの方が実際の発音には近いのかもしれない。これまでどおり、「レシェク・コワコフスキ」とこの欄では記していくけれども。
 第二に、これまで試訳してきた人物・学者との関連でいうと(少しは言及したことがあるが)、長谷川「解説」にもあるようにM・メイリア(1924~2004)はリチャード・パイプス(1923~2018)とHarvard 大学(大学院)の同窓で、メイリアはカリフォルニア大学バークレー校の、パイプスはハーヴァード大学の、ともにロシア(・ソ連)史専門の教授だった。
 M・メイリアの文章の中に、R・パイプスの主張・議論を意識してあえて違いを述べているような部分もある。
 しかし、日本では<反共・右翼>とすぐにレッテル貼りされてしまいそうなほどに、二人とも<共産主義>・<ソヴィエト体制>に対してはきわめて冷静なまたは厳しい立場を採る。
よくは知らないが、この二人がHarvard と Berkeley の教授だったということ自体で、この二人のような説・考え方がアメリカ合衆国で異端またはごく少数派でなかったことを示すだろう。
 そして、J. E. Haynes と Harvey Klehr の本を原書で一瞥して初めて知ったことだったが、上の長谷川「解説」も言及しているように、大雑把にいって、レーニン、スターリンにある「全体主義」性または一貫した「ロシア・ソ連的共産主義」性を認めるのこそが<正統>で、これに反対するまたは疑問視したのがアメリカ社会科学または歴史学の「修正主義」派だとされるらしい(少なくも有力な理解の仕方では)。
 日本の、または日本に関する「歴史認識」でいう「修正主義」とは方向が反対だ。
 こう見ても、「ソヴィエティズム」、Sovietism の意味はほぼ明らかだろう。
 これはマルクス主義と同じではないことは勿論のこととして、マルクス・レーニン主義でもない(当たり前だがトロツキズムではない)。そして、あえて秋月が造語すれば、<レーニン=スターリン主義(体制)>とでも表現できるものだ、と考えられる。
 長谷川「解説」にはその中身に関する10行以上の説明があるのだが(下巻349頁)、引用は省略する。
 このような言い方が、日本の「政治」組織・運動団体・政党である日本共産党にとって<きわめて危険>なものであることは言うまでもない。

1504/絶望は人を死に至らしめるか-例えば、レーニンの死。

 ○ 昨年2016年5月に一度、次の本の最後にある山内昌之「革命家と政治家との間-レーニンの死によせて」に言及した。
 D・ヴォルコゴーノフ(白須英子訳)・レーニンの秘密/下(NHK出版、1995)。
 山内の文章をあらためて読むと、レーニンの死、あるいはその死因について、興味深い文章が並んでいる。
 長い引用は、避ける。つまるところ、精神(神経)と肉体の関係が語られている。
 例えば、心臓血管と大動脈の狭窄による「動脈硬化症だったと推定されている」が、「しかし、死を早めたのは」、レーニンがその「猛烈なストレスと過労に対して、身体に適応する準備ができていなかったことであろう」。p.381。
 これは、D・ヴォルコゴーノフの著の影響を受けての叙述なのかもしれない。
 ○ ロバート・サーヴィス(河合秀和訳)・レーニン/下(岩波、2002)はもちろんもっと長く、レーニンの死の問題を扱っている。
 そして、やはり「動脈の硬化」に原因を求める(p.256)。
 但し、レーニンの「名誉」を傷つけることとなるような死因ではないことも、強調している。
 この、岩波書店とR・サーヴィスという組み合わせの本に、他に以下がある。
 R・サーヴィス(中嶋毅訳)・ロシア革命/ヨーロッパ史入門(岩波、2005)
 これら二組の岩波+R・サーヴィスの本は、レーニンに対して「穏和」的、「宥恕」的であることに共通性がある。いずれまた、述べる。
 ○ マーティン・メイリア(白須英子訳)・ソヴィエトの悲劇/上・下(草思社、1997)は、きわめて有益な本だと思われる。白須英子の和訳の上手さにも感心する。
 M・メイリア(Martin Malia)はリチャード・パイプスと同世代・同門で、パイプスとは異なると言いつつも(とくにロシア風土とレーニン・ボルシェヴィキとの関係)、ネップあたりの叙述は、基本的なところで、R・パイプスとよく似ている。
 シェイラ・フィツパトリック(Seila Fitzpatrick)とともに(R・サーヴィスとは違い)、反共産主義の意識が強いように見える。
 そのメイリアの<ネップ>に関する総括的叙述も知的刺激を十分に生じさせるもので、邦訳書が刊行されていなければ、手元にある原著を見ながら日本語に訳出してみたいほどだ。
 Martin Malia, The Soviet Tragedy, A History of Socialism in Russia, 1897-1991 (1994)
 邦訳書だと二巻ものになるが、1991年までを対象としつも、原著はR・パイプスの1930年頃までに関する二著の合計にはるかに及ばない。それでも、大判の一冊で、全てを含めて600頁ほどにはなる。
 すでに得ている知識によっても、レーニンは1921年の半ばあたりから体調不調を訴え始めており(1921年3月が第10回党大会)、翌1922年に最初の発作があって半年ほどモスクから離れてかつ戻ったのちに再度の発作、病床にいて<レーニンの遺書>の「物語」の材料を、または「最後の闘い」(日本共産党・不破哲三ら)の痕跡を残しつつ1924年1月に死ぬ。
 上記・メイリアの邦訳書に戻る。上巻のp.267あたりにこうある。
 「病床のレーニンは…こうした危機に絶えず怒りを感じていた。/
 なぜならば、彼は心のなかで、メンシェヴィキが正しかったのかもしれないと懐疑的になっていたにちがいないからである。/」
 レーニンの「肉体的な衰え」は暗殺未遂事件の際の二発の銃弾や「かんばしくない心臓病の遺伝」でもなく、
 「革命家としての失望が『体細胞に作用した』からだと推論する人がいてもおかしくない
」。
 秋月は医学あるいは精神医学の専門家でもちろんないが、精神(神経)と肉体が厳密なところでは分けられないようであることは知っている。
 レーニンについての「動脈硬化」の原因に種々のストレスがあるとすれば、そのストレスの原因に、つぎのこともあるのではなかろうか。
 すなわち、<内戦>をいちおう乗り切った後のロシアの(とくにその経済、そして農業の)疲弊ぶりに直面し、クロンシュタットの水兵暴乱は何とか「鎮圧」したが農民反乱がなお続き、1921年中には<飢饉>も発生しているという現実を意識しての、1917年10月の「革命」は何だったのか、自分は正しく共産党を指導してきたのか、このままで果たして<社会主義>が実現できるのか、という不安や失望・絶望。
 1921年10月の「革命」4周年演説で、<戦時共産主義>とのちに称される基本政策が失敗だったことを、レーニンは自ら認めていた。(*ちなみに、これは<戦時>のゆえではなく、政権奪取後の<共産主義という観念・教条の機械的適用>に、つまりは私的所有否定・国有財産化といった<共産主義>自体に、現実に対応できない、かつ人間の本性を無視した、理論・観念としての過ちがあった、というのが秋月の今の理解だ。)
 では、これからは、どうすればよいのか。1922-23年の段階で、「ネップマン」に見られるような<私的取引の自由>や<市場経済>の限定された復活はあったが、はたして、社会主義・共産主義へと「正しく」進めるのか? 自分の後継者はどうなるのか?
 レーニンに不安や失望・絶望感が襲っても、やむをえないような状況に「客観的には」あっただろう。
 したがって、「動脈硬化」が死因でよいが、強い失望・絶望もまた、死に至らしめた原因だったように思える。
 ○ 他にも例証は挙げられ得るだろう。例えば、戦地での恐怖と絶望、強制収容所での不安と絶望。これらは場合によっては人を自殺へと追い込むことがあるだろう。しかしまた、人の健康・肉体を精神的に(神経を通じて)確実に傷つけるに違いない。勿論、繰り返せば、失望・絶望は、自殺の直接の原因になりうる。
 もとに戻れば、レーニンという人間一人の死は、原因が何であれ、些細なものであるかもしれない。
 だがしかし、レーニンによって指導された党による権力奪取とその後の一党支配・独裁下で、さらにはそれを継承したスターリン体制のもとで、残虐に殺されていった、とりわけロシア・ソ連の多数の人々はいったいどうなるのだ。
 彼らは何のために人として生まれ、死んでいったのか。
 R・パイプスの著の表紙近くの「献辞」は、<犠牲者たちに捧げる>。
 日本人は、決して<共産主義>という過ちを犯してはいけない。
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