秋月瑛二の「憂国」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

田中卓

1140/月刊正論(産経、桑原聡編集長)の編集方針は適切なのか② 。

 〇8/21に月刊正論による自民党批判を今年8月号と書いたのは誤りで、正しくは7月号。
 6月号以降は月初めに購入せず、のちに古書で手に入れることにしており、かつ従来のように月刊正論を手元に置いておく癖をなくしたまま、確認しないで書いたがゆえの誤りだ。
 月刊正論7月号は<徹底検証/誰が殺した自民党>という特集を組んでいる。10本もの論考から成っていて、編集部が設定したはずのこのテーマは、自民党を「殺した」者がいること、つまり自民党は「殺されている」=「死んでいる」ことを前提として、犯人を探索させる、という趣旨になっている。自民党は「死んだ」という前提に月刊正論編集部は立っているわけだ(ちなみに、このテーマと必ずしも正面からは一致しない論考もあるが、執筆者と犯人とされた者は誰かは、田久保忠衛→谷垣禎一、田母神俊雄→麻生太郎、適菜収→小沢一郎、佐伯啓思→小泉純一郞、上念司→竹下登、倉山満→三木武夫、西尾幹二→中曽根康弘、阿比留瑠比→野中広務、中宮崇→河野洋平、潮匡人→安倍晋三)。
 このような前提的認識自体に疑問がある。少なくとも、疑問を差し挟む余地がある。このような認識をもつとすれば、自民党ではなく現在の民主党こそが、とっくに自壊・分裂して?「死んでいる」という認識・見解も、月刊正論編集部は示さなければならないのではないか。
 民主党政権の三年間の批判的総括の特集がないのは先日に書いたとおり。6月号に<特集/左翼諸君よ、反省しなさい!>があって4本の論考を載せているが、このテーマに即しているのは佐々淳行「進歩主義者の知的退嬰を糾す」くらいで、河添恵子らの「女3人言いたい放題/保守の男と革新のオトコを比べてみれば」という、<遊び>の企画も含んでいる。そして、この特集も、「左翼」・民主党政権の具体的批判とはまるで関係がない。
 「保守派」らしき月刊雑誌が、「保守」・「右」の立場から自民党批判の特集を組むことはありうるだろうが、より熱心でなければならないのは、現実に政権=権力を持っている「左翼」・民主党に対する批判でなければならないのではないか。
 〇月刊正論9月号の「編集者へ/編集者から」の中には、目を剝く「編集者」の文章がある。
 目を剝いた、驚きかつ戦慄を覚えた部分は後回しにして、読者と編集部のやりとりを簡単に要約しておこう。
 ある80歳を超えている読者が、月刊正論には「時々、違和感のある内容の文章も散見されるので、あえて苦言と希望を併せて述べる」という観点から、月刊正論8月号の伊藤悠司「田中卓先生、それを詭弁と言うのです」(p.256-)を読んで「貴誌の姿勢というか、見解を疑いました」と書き始め、「悪意と誹謗に満ちた書きぶり」に「甚だしい違和感を覚えた」、「名のある他人に対する非礼な書きぶり」を掲載している月刊正論に「失望を禁じえない」と続けている。内容的にも「いたずらに異見を責めるのではなくて、国民のための落着点を求めようとする姿勢」が月刊正論のような「日本護持の気持ちの強い月刊誌」には「大切」ではないか、と書き送っている(9月号p.325-6)。
 これに対する「編集者」の応答は、素っ気なく、冷たいものだ。
 「悪意と誹謗に満ちた書きぶり」という「指摘はどうでしょう」、「編集者は冷静で落ち着いた筆の運びと感じました」。
 一毫も一読者の感想・意見を容認・受容することなく、バッサリと切り捨てている。せっかく投稿してくれた読者に対して、こんな姿勢・態度でよいのだろうか、という感想がまず湧く。
 ここで問題になっているのは、女系天皇容認論者らしき田中卓(元皇學館大学教授・学長)に対する伊藤悠司の「書きぶり」だ。
 論争の中身にはさしあたり立ち入らずに、「書きぶり」ははたして「編集者」が言うように「冷静で落ち着いた」ものかどうか、という観点から、8月号の伊藤論考を見てみた。
 結論的には、月刊正論「編集者」が言うように全面的に「冷静で落ち着いた」ものとはいえず、感情的な文章を含み、読者によっては(とくに田中卓に同調したり、彼に敬意を感じている読者には)、「悪意と誹謗に満ちた…」と感じてもやむをえない文章もある、ということだ。
 例を引用しておく。
 ・「…というのは…無頼漢のサカシラゴトである」(p.259)。
 ・「…とは恐れ入る。ラーメンでも寿司でも昼飯は何でもいいというような口ふりで皇室を語っていることに〔田中卓は〕気がつかないのだ」(同上)。
 ・「これほど理を非に言い曲げるこじつけが上手な人もそうはいない。田中氏のは一級品である」(同上)。
 ・「こんな人物が皇學館大学の学長をつとめていたとは驚かざるをえない。神宮の神域に立ち入ることを禁じたらどうか」(p.260)。
 ・「この人はよく皇室を言祝ぐ」が、そうしながら「皇室を貶めるのに成功している文章に接してあきれてしまう。民族的信仰心とでもいうべき精神性からは遠い。傲慢な手つきしか見えない」(p.261)。
 ・「この人〔田中卓〕が眺めている日本の将来像や風景には、ふつうの神経の人が正視できないものが映っているのかもしれない」(p.266)。
 これらの文章を含む論考を月刊正論「編集者」は、「冷静で落ち着いた筆の運びと感じました」と評している。
 月刊正論「編集者」の感覚は、やはり少しおかしいのではないか。とくに上のp.266は対象者を(「かもしれない」としつつも)<狂人>扱いしているごとくであり、かなりの、「悪意と誹謗に満ちた書きぶり」と称しても、差し支えないように感じる。
 月刊正論編集長・桑原聡、編集部員・川瀬弘至らは、やはり、どこかおかしい。まともな、月刊雑誌編集者と言えるのだろうか。
 驚きかつ戦慄を覚えた部分については、さらに後回しにする。
 なお、この文章は女系天皇容認論を支持する立場からのものではまったくない。

0587/天皇制度・皇室をめぐる<保守派>の分裂―新田均・月刊正論9月号の西尾幹二批判。

 月刊正論8月号(産経新聞社)には斎藤吉久「皇室伝統を蔑ろにする宮内官僚を糾す」(p.150~)というのが載っていて、特定の皇族個人を問題にするよりも、戦後教育と戦後政治の影響を受けている国家公務員・宮内庁官僚をこそ、より問題視し、批判する必要があるのではないか、と感じたことだった。
 月刊正論9月号(同)では、神社神道系と思われる<保守派>の新田均による「皇太子さま『御忠言』の前に考える・君と臣の分限について-それは本当に皇室と日本の弥栄を願ってのものだろうか」(p.120~)が、田中卓や葦津珍彦の論を援用しながら、西尾幹二を実質的には相当に厳しく批判している。
 田中卓が月刊日本7月号に書いたところによれば(私は未読)、西尾幹二は皇室の中に彼にとって不適当と思う人物がいれば放逐させ、天皇制度自体の「廃棄」も辞さない、「天皇抜きのナショナリズム」論者らしい。
 私は西尾幹二を八木秀次などに比べてはるかに尊敬できる<思想家>だと思っているが(「保守」と冠するかどうかは自信がなくなってきた)、これまた孫引きになるが、新田均によると、西尾幹二はかつて次のように書いたことがあるらしい。
 ・自分(西尾)は天皇については「怨恨もなければ、なんら愛情もないという無関心な感情」で、「天皇制に対する感情は希薄」だ(論争ジャーナル、1967年12月号)。
 ・「個人生活の上で天皇の存在を必要としていませんし、自分を天皇陛下の臣下だと特別に意識したこともありません」(撃論ムック217(号?))。
 これにはいささか驚いた。
 後者は西村幸祐責任編集・撃論ムック217号・中国の日本解体シナリオp.139-141(オークラ出版、2008.07)で、より長く引用しておくと、次のとおり。
 「私〔西尾〕は…天皇問題に関心の強いほうでは」ない。「日ごろ無関心なのが、むしろ保守の証しだと言っておきたい」。「現実に私は天皇と聞いて感涙にむせぶ種類の人間」でも「政治的反発を覚える者」でもない。「個人生活の上で天皇の存在を必要としていませんし、自分を天皇陛下の臣下だと特別に意識したこともありません」。だが、「…天皇制度はつねにわたしたちの歴史意識に触れてくる重大な問題の一つ」で、「突如として人に薦められて」、「皇太子ご夫妻の問題について危機を感じていた」こともあって「皇室問題について論じることになった」。日本では西洋や中国とは異なり「王権が権力を一切もたない代わりに、静かなる宗教、神としての信仰の対象にもなっている」。この点について「比較王権論という視点から」「一つの仮説」を出したのが「最大の目的」だった。
 新田均の紹介するほど単純ではないが、しかしやはり…、というところだろうか。
 西尾幹二は月刊WiLL9月でも「もう一度だけ(これで最後)」の発言をしている。当初の厳しい、そしていくぶん奇矯な、皇太子妃殿下批判からすれば、天皇制度・皇族一般の話へと変わってきており、皇太子殿下はどうかご留意を、というニュアンスが強くなっていると感じている。だが、上のような意識が基底にあるのだとすると、年齢上は年下になる皇太子ご夫妻に対する、西尾の<対等な>又は<教え諭すような>物言いの仕方も不思議ではないと思えてくる。そして、西尾幹二に対してすら、戦後の<合理的>教育にもとづく思考方法、<天皇制度>に関する教育や社会風潮の影響が及んでいる、と深く慨嘆せざるをえない。
 近年の皇室問題、率直に言って<皇太子妃殿下問題>については、西尾幹二と八木秀次・中西輝政は、月刊諸君!7月号(文藝春秋)上の記述では、<共闘>又は<統一戦線>を組んでいるようでもある。
 だが、二年ほど前の(一年半前?)新しい教科書をつくる会問題では、西尾幹二と八木秀次・中西輝政はそれぞれ対立するグループに属するようだ。何をやっているのだろうねぇ。<保守派>のおエライさんたちは?!。イヤ、八木秀次は<保守派>のおエライさんたちの一人とは決して考えてはいない(そして、いけない)。
 元に戻ると、西尾幹二に数回(4回?)も皇室問題に関して執筆させ、福田和也が皇太子・皇太子妃両殿下の将来を楽観視しているのを産経新聞紙上のコラム(週刊誌ウォッチング)で疑問視していた月刊WiLLの編集長・花田紀凱もまた、まさしく戦後の教育と社会風潮のもとで、「畏敬心」を微塵も感じない、ジャーナリスティックな<天皇(制度)>観又は<皇室>観をはぐくんできた一人に間違いないように思える。この人による月刊WiLL(ワック)よりも(西尾幹二も八木秀次も登場するが西尾批判をする新田均も出ている)月刊正論の方がまだマシで、多面的で多様だ。
 西尾幹二は上掲の撃論ムックの中で、「突如として人に薦められて」とか「雑誌WiLLの話に乗り」とか書いている。昨今の皇室・皇太子ご夫妻問題にかかわる<騒ぎ>に、この花田紀凱が棹さしているのは確かなようだ。
 日本も、日本の<保守>派も、崩壊しかかっている、溶解しはじめている、という恐怖(・懸念)をもつ者は私一人ではないのではないか。

0512/宗教・政教分離・大嘗祭あれこれ-大原康男・小堀桂一郎らの論述。

 一 ドイツでは、市町村又は基礎的自治体のことを「ゲマインデ(Gemeinde)」というらしい。「ゲマイン」という部分は、ゲマインシャフト(Gemeinschaft=「共同体」)とも共通する語頭だろう。
 この程度の知識をもってドイツの標準的・平均的な国民の一人と思われる某人とドイツ滞在中に話していたら、その人は「ゲマインデ(Gemeinde)」という語で連想するのは、まずは「教会」だ、という旨を言ったのでやや驚いた。あとで、ドイツの(小さくとも美しい又は可愛い)「ゲマインデ(Gemeinde)」にはたいていは街の中心部の広場に面して(プロテスタント系の?)教会が存在していて、すぐ傍らに役場もある、したがって、地域自治体(「ゲマインデ」)の宗教的拠点又は一種の霊的(聖的)な集会場所として、「教会」は「ゲマインデ」を連想させるのだろう、などと漠然と考えていた。
 二 田中卓=所功=大原康男=小堀桂一郎・平成時代の幕明け-即位礼と大嘗祭を中心に-(新人物往来社、1990)の共著者の4つの論文を殆ど読了した。上のようなことを書いたのも、<宗教>にかかわって、何となく連想してしまったから。
 1 大原康男「政教分離をめぐる問題」によると、①最高裁が津地鎮祭訴訟判決(1977.07.13)で国・地方公共団体も「一定の条件のもとで宗教と関わることができるという限定的分離主義」(「目的効果基準」等を用いた個別的・実質的判断)を採用したにもかかわらず、「完全分離主義の誤った解釈を今なお憲法学者とマスコミがあきもせず墨守している」(p.123、p.127)。
 この指摘のとおりだとすると、「憲法学者とマスコミ」の責任は重大だ。政教分離原則違反を原告が主張する訴訟の多さも、「憲法学者とマスコミ」に支えられ、又は煽られているのかもしれない。
 また、大原・同上によると、②占領中の1951年に貞明皇太后(今上天皇の祖母・昭和天皇の母)が崩御されたあと、皇室の伝統・慣例により(戦前は法令の定めがあったので事実上はこれに則り)神道式で、国費で支弁して「国の儀式」として「事実上の準国葬」として御葬儀が挙行された(p.115-6)。1949年11月に当時の参議院議長・松平恒雄(会津松平家・秩父宮妃の父)が逝去した際の葬儀は「参議院葬」として(つまり国費を使って)「神式」で行われた(p.121)。1951年に幣原喜重郎(元首相・前衆議院議長)が逝去した際の葬儀は「衆議院葬」として(つまり国費を使って)「仏式」(真宗大谷派)・築地本願寺で行われた。同じく1951年、長崎市名誉市民・永井隆が逝去した際の葬儀は長崎「市民葬」として(つまり市費を使って)「カトリック式」・浦上天主堂で行われた。これらにつき、GHQは何もクレームを付けなかった(松平恒雄の葬儀ではマッカーサーは葬儀委員長あての哀悼文すら寄せた)(p.115-6、p.121-2)。大原による明記はないが、マスコミ・国民もこれらをとくに問題視しなかったと思われる。
 しかるに、と大原は今上天皇による大嘗祭ついて論及するが、尤もなことだ(但し、大嘗祭は「宗教上の儀式」との理由で「国事行為」とはされなかったが、「私的行為」とされたわけでもなく、皇位継承にかかわる「公的性格」があるとされ、皇室経済法上の「宮廷費」から費用が支出された、ということも重要だろう。p.136-7の資料(政府見解)参照)。
 そして思うに、<南京大虐殺>が戦後当初、東京裁判の際もさほど大きくは取り上げられなかったにもかかわらず、のちに朝日新聞の本多勝一のルポ記事によって大きな<事件>とされ<政治・歴史問題>化したのと同様に、<政教分離>問題の浮上も、戦後当初は(国家と宗教の分離には厳格だった筈のGHQ占領下ですら)大きな論争点ではなかったのに、一部の<左翼>や「政治謀略新聞」・朝日新聞等が<政治・憲法問題>化するために騒ぎ立てた(?)ことによるのではないか、という疑念が生じてくる。
 2 小堀桂一郎「国際社会から見た大嘗祭」は君主・国王をもつ外国各国における<国家と宗教>の関係につき有益だ。
 但し、①折口信夫による「天皇霊」という概念を持ち出しての大嘗祭の性格づけ(p.157~)は不要ではないかと、素人ながら、感じた。第一義的には天皇・皇室自体が判断されることだが、皇祖・天照大神に新しい食物(その年の新しい収穫物による米飯)を捧げ、かつ新天皇も同じそれを食すること等によつて<一体化>をシンボライズする、天皇家と「日本」国家の「歴史」を継承するための<歴史的・伝統的な>儀礼なのではないか(不必要に「秘儀」化することもないだろう)。
 ②「宗教的」とは何か、とはまことに重要な問題だ(p.171)。あらためて、日本国憲法20条等がいう「宗教」あるいは「宗教活動」の厳密な意味を問いたい。小堀は西洋近代の「宗教」概念と「日本古来の祭儀儀礼…」は同じではない、キリスト教・イスラム教・仏教それぞれに特有の「宗教的」な面があるとしても「平均値をとってすむような、普遍的概念」としての「宗教的」なるものはない、と述べる(p.170-1)。これらは正鵠を射ている指摘だろう。
 宗教を、あるいは神道を(反「神道」意識→反<天皇制度>感情)、政治的闘いの道具にするな、あるいは社会的混乱を生じさせるための手段として使うなと、ある種の政治的活動団体に対しては、朝日新聞も含めて、言いたい。

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