秋月瑛二の「憂国」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

現存社会主義国

2141/J・グレイの解剖学(2015)③-ホブスボームら02。

 Johh Gray, Grays's Anatomy: Selected Writings (2015, New Edition)
 試訳をつづける。この書には、第一版も新版も、邦訳書はない見られる。一文ごとに改行。一段落ごとに、原書にはない数字番号を付ける。
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 第6部/第32章・二人のマルクス主義予言者-Eagleton とHobsbawm②。
 (7)Eagleton は、マルクスの展望が決して実現され得ないことを嘆く。-これは、彼が見るように、人間の弱さを悲劇的に示唆するものだ。
 しかし、非人間的であるとは、理想そのものだ。
 種の少数者のみならず、多数者もまた、マルクスやレーニンが想定した世界から排除されている。
 共産主義の理想が実現される社会は、人間がかつて生きてきたどの時代よりも悪いだろう。
 ボルシェヴィキは、ふつうの生活に対する憎悪に駆られて、神話や宗教のない世界を欲した。そこでは、人間が自分たち自身を理解して実現する個々の共同体は忘れ去られる。
 幸福なことに、そのような世界は最も強力で永続する人間の需要に反して作動するのであり、そのゆえに、不可能なのだ。
 (8)ソヴィエト国家が克服しなければならない障害-ツァーリ体制の遺産、外国の干渉、内戦-を繰り返し訴える在来の学問上の知識によるのとは反対に、最初から最後までソヴィエトの生活に明確な抑圧は、原理的に共産主義思想そのものから流れ出てきた。その思想によるなら、社会の残余と異なるいずれのグループも、いずれは破壊されなければならないのだ。
 興味深いことに、Eagleton はこのことを否定しない。
 多くの者と同様に、彼は、抑圧はまるでスターリンのもとでのみ苛酷になったかのごとく書いている。これはナンセンスだ。
 しかし、彼の主要な主張は、こうだ。西側諸国では達成されていない社会的団結の一類型を生むのを可能にするがゆえに、ソヴィエトの抑圧は、それを行うだけの価値があった。 彼は、ソヴィエト同盟は「西側諸国ならば別の土地の原住民を殺戮しているときにのみ掻き集めることができると思える、そのような市民間の連帯を促進した」、と我々に語る。
 もしも-Eagleton が認めるように-それが恐怖に依存しているならば、その団結にはいかほどの価値があるのか、という疑問は、別に措くことにしよう。
 もっと根本的な疑問は、彼が書く連帯はかつて存在したのかどうか、だ。
 Eagleton は一度でも、以前のソヴィエト・ブロックを訪れたのか?
 かりにそうであれば、彼はふつうの民衆たちとの接触を何とかして避けたのだろう。
 (9)そこに旅行して公式会合やホテルのバー以外の所に行く冒険心のある者に対して誰もが言っただろうように、ソヴィエト・ブロックの社会はその作動に関して完全にホッブズ的だった。
 そこにある通常の人間の状態は、連帯ではない。原子化された孤立だ。
 自由な住居、医療および教育といった装置が広がっていたのは本当だ。しかし、特権と遍在する腐敗のネットワークを通じてのみこれらのものを利用することができた。
 失業(これは違法だった)に苦しむことはなかったけれども、労働民衆は、絶えず遂行される全員に対する全員の闘争に敗れた。
 独立した労働組合または政治組織に類似したものはなかったので、彼らは、自分たちの労働条件を制御したり、社会での自分たちの地位を改善することができなかった。
 (10)共産主義の崩壊の結果として、ふつうの市民の中では、西側により援助されたショック療法によるインフレで台無しとなった年金生活者だけがおそらく、生活条件が疑いなく悪化した。
 市場での交換に支配されて、共産主義は実際には、通常は<レッセ・フェール>資本主義を想起させる略奪文化に似たものをもつにすぎなかった。
 Eagleton は、こうした事実に注意を向けない。世界についての彼の見方は、事実にもとづいて形成されていないからだ。
 彼は、「資本主義は世界のある範囲の部門に莫大な富をもたらしたという意味で、資本主義はある時代の間には機能する」ことを承認する。但し、それは、「スターリンや毛沢東がそうしたのと同じく多大な人的コストを払ってなされた」のであって、「今や地球全体をすっかり破壊してしまおうとしている」という主張へと進むためにすぎない。
 現今の資本主義の過剰はスターリニズムや毛主義が冒した犯罪と同等のものだ、という見解は、気が狂っている(crazy)。
 現在の西側資本主義は多くの欠陥をもち、それらのいくつかはおそらく致命的だ。
 しかし、自分たち自身の市民を大量に殺戮したシステムと同一の範疇でもって位置づけることはできない。そのシステムは、現代での、たぶん歴史全体での、最悪の生態学上の大災難について責任があった。
 (11)Eagleton の粗野な誇張語法は、彼が悲劇の精神を称賛するときに何を意味させたいのかを我々に語ってくれる。
 正しいものが小さくともなお邪悪なものと一時的な妥協を行うことを必要とするときに、悲劇は出現する。
 これは、チャーチル(Churchill)がスターリニズム・ロシアとの同盟をどのように理解したかを示すものだ。
 ナツィズムを破壊しなければ、ヨーロッパまたは世界で文明は生き延びることができない。だが、その文明という目的の確保は、野蛮に染まった体制に戦力を加えることを意味した。
 本当に悲劇的な対立は、論理のオッカムの剃刀(Occam's razor)によく似た禁止に適合しているがゆえに、認知することができる。すなわち、悲劇は、必要以上に複雑にされてはならないのだ。
 悲劇は、生活を楽しくかつ面白いものにする方策ではない。
 悲劇は、諸悪の間で選択を余儀なくされるという場に直面したときに生じる。そしてそれは、不可能な目的を追求して残忍非道な手段が用いられるときに生じる道徳的恐怖と、明瞭に区別されなければならない。後者は、恐ろしい犯罪が主として、犯罪を冒した者たちの生活の意味を確保するために行われているという悲劇の語を悪用するものだ。
 自殺爆弾攻撃はその例だ。また、ソヴィエト共産主義もそうだ。
 (12)Eagleton が我々に望んでいるのは、共産主義の人的対価を、共産主義が達成しようとした理想とのバランスで考察することだ。
 彼は正当に、大きな善は大きな犠牲を必要とする、と主張する。この必要性はときには、合理的な解消方法のない諸価値の対立を含む。
 しかし、彼のこのような思考が支離滅裂であることは、つぎのように彼が問うときに明白になる。-「現代科学と人間の自由(liberty)の価値を、種族社会の霊的な善とどうやって比較検討(weigh)するのか?」。
 民主主義を、ホロコーストと同じ尺度に置けば、いったいどうなるのか?
 種族的生活-どんな霊的善も可能だ-は現代の生活条件とはうまくは両立しないかもしれない。しかし、民主主義はホロコーストという犠牲を払ってのみ達成することができるという思考のために、どのような根拠が成り立ち得るのか?
 Eagleton は単直に言って、邪悪と不必要な悲劇を区別することができない。後者は、馬鹿げて不快な夢想を追求する際に招来される。そして彼は、最悪の種類の道徳的ナンセンスの中へと滑り込んでいる。
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 ホブスボームら03へとつづく。

1532/「左翼」の君へ③-L・コワコフスキの手紙。

 Leszek Kolakowski, My Correct Views on Everything (1974), in : Is God Happy ? -Selected Essays (2012). p.115-p.140.
 前回のつづき。
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 君が極楽に住み、我々は地獄にいると君に信じさせようとしているのではない。
 私の国のポーランドでは、飢えで苦しんでいないし、刑務所で拷問されているわけでもないし、集中強制収容所もない(ロシアと違って)。最近二年間は数人の政治犯がいただけだし(ロシアと違って)、多くの人が比較的容易に国外へ行ける(再び、ロシアと違って)。
 しかし、国家の主権は奪われている。これは、フット氏やパウェル氏が共通市場に入ればイギリスは主権を失うかもしれないと言っているのとは意味が違い、悲しくも直接的かつ明白な意味においてだ。
 軍事、外交、貿易、重要産業およびイデオロギーといった生活について鍵となる部門は、相当に几帳面に権力を行使する外国の帝国の硬い統制のもとにある、という意味だ。
 (例えば、特定の書物は発行できない、特定の情報は明らかにされない、深刻なことについて語ってはいけない。)
 まだ言えば、ウクライナ、リトアニアのような国々と我々を比べると自由の縁の部分をたくさん享受している。
 これら諸国は、自立の政府の権利に関するかぎりでは、イギリス帝国の昔の植民地よりも状況は数段悪い。
 この自由の縁は、重要なんだけれど(ハンガリー以外の『ルーブル』地域の他のどこより、重要なことを言ったり出版したりできる)、法的な保障に何ら支えられていなくて、全てが(かつてそうだったように)一夜のうちに、ワルシャワかモスクワにいる党支配者の決定によって消滅してしまう。これが、問題なのさ。
 これはたんに、権力の分化という詐欺的なブルジョア的装置がないことによる。単一性という社会主義者の夢を実現したのだが、これは同じ国家機関が立法権、執行権、司法権、さらに加えて全生産手段を支配する権力をもつことを意味する。
 同じ人間が法を作り、解釈し、実施する。国王で、議会で、軍司令官で、裁判官で、検察官で、警察官で、(新しく社会主義が生み出した)全ての国富の所有者で、唯一の雇用者で、全てが同じ机にいる-どんなに社会主義単一性が素晴らしいか、君は想像できるか ?。//
 君は政治的な理由でスペインに行かなかったことが誇りだ。
 私は原理的でないので、二度行った。
 抑圧的で非民主主義的だのに、あの体制は他のどの社会主義国よりも(たぶんユーゴスラビアを除いて)市民に自由を与えている、と言うのは不愉快だ。
 小気味よく(Shadenfreude)言っているのでなく、恥ずかしげに言っている。内心には内戦に関する哀感を持ち続けている。
 スペインの国境地帯は開かれていて(この場合に毎年300万人の観光客がいる理由を気に懸けるな)、その開かれた国境には全体主義的支配は働いていない。
 スペインでは、出版について事後検閲はあるが事前にはない(私の本は出版されて押収され、その後で数千部のコピーが売れた。ポーランドで同じ状態だったらよかったのだが)。
 スペインへ行くと、書店にはマルクス、トロツキー、フロイト、マルクーゼ等々がある。
 我々のように彼らには選挙がなく、政党がない。しかし、我々と違って、国家と支配政党から独立した多様な形態の組織がある。
 スペインは、国家として主権をもつ。//
 現存する社会主義国に理想など見ていないし、民主主義的社会主義のことを考えていると君は明言できるので、私は無駄のことを書いているようにたぶん思っているだろう。
 たしかにそうだ。そして私は、社会主義秘密警察の支持者だと君を責めはしない。
 それでも、私が言おうとしていることは、君の論考には二つの理由できわめて重要だ。
 第一に、現存する社会主義国を(確かに不完全な)新しくより良い社会秩序の始まりだと、資本主義を超えて進みユートピアを目指している過渡的な形態だと、考えている。
 この形態が新しいことを否定しないが、それがいかなる点でもヨーロッパの民主主義諸国よりも優れているというのは否定する。
 私は君の言うことを否認して、逆のことを論証する。言い換えると、民主主義制度を上回る(人々には厄介さは少なくても)全ての専制制度の悪名高き利点を除いて、現存社会主義が主張するのかもしれない優越性が根拠とする点を示す。
 第二の同じく重要なのは、民主主義的社会主義の意味を君が知っているふりをしているが、じつは知らない、ということだ。
 君は、つぎのように書く。『2000年先にある私自身のユートピアは、モリスのいう「残余時代」のようなものではない。それは(D・H・ローレンスならこう言うだろうように)「貨幣価値」が「生活価値」に、または(ブレイクならこう言うだろうように)「肉体」戦争が「精神」戦争に道を譲る世界だろう。
 ある男女は、力の源泉を容易に利用できるようになり、シトー派の修道院のように偉大な自然美の中心に位置する、単一化した諸共同体で生活するのを選べる。そこでは、農業、工業および精神的な仕事は、結びつき合っている。
 別の男女は、多様さを好んで、都市国家のいくつかの長所を再発見する都市生活の歩みを選ぶかもしれない。
 また別の人々は、隠遁の生活を選ぶだろう。
 これら三つうちをどれでも、みんなが選ぶことができる。
 学者は、パリで、ジャカルタで、ボゴタで、議論を続けることになる。』//
 これは、社会主義者の著述のきわめて良い例だ。
 世界は善良であって悪くないはずだ、と語るにまで至っている。
 この点については君の側に、完全に立つ。
 人々の心が際限のない金の追求に占められたり、需要が無限の成長をもたらす魔法の力をもったり、使用価値ではなく利益の動機が生産を支配する、といったことはきわめて嘆かわしいことだ。そのような結論をもたらす君の(マルクス、シェイクスピア、その他多数の)分析者たちと、私は無条件に、同じ立場だ。
 君が優秀なのは、こうしたことから抜け出す仕方を正確に知っていることだ。私は、知らない。//
 左翼のイデオロギストは簡単に無視しているが(よろしい。これは例外的事情でなされており、このやり方を真似しない。我々はもっと巧くやろう)、現存する唯一の共産主義の問題が社会主義思想にとって、なぜきわめて深刻なのかは、つぎに書くような理由でだ。
 すなわち、『新しい選択肢のある社会』の経験は、社会の害悪(生産手段の国家所有)に対して人々がもつ唯一の世界的な医療薬は資本主義世界の厄災、つまり搾取、帝国主義、環境汚染、貧困、経済的浪費、民族憎悪および民族対立、には完全に効かないだけでなく、その医療薬自体の一連の厄災、つまり非効率性、経済的誘導動機の欠如、とりわけ全能の官僚制や人類史がかつて知らなかった権力の集中がもつ制限なき役割、を資本主義世界に付け加える、ということをきわめて説得的に明らかにした。
 不運な一撃にすぎない ?
 いや、君は正確にはそうは言っていない。君はたんに問題を無視するのを選んでいるだけだ。そして、正当にそうしている。
 この経験を検討しようと少しでもしてみれば、偶発的な歴史的事情のみならず、社会主義のまさにその思想をも振り返ることになり、その思想に隠された両立しえない諸要求(少なくともその要求の両立性が証明されないまま残っていること)を発見することになる。
 我々は大きな自治権をもつ小さな諸共同体で成る社会を欲する。そうでないかい ?
 また、経済についての、中央集中的計画を欲する。
 この二つがどうやって両方ともに働くのかを、考えてみよう。
 我々は産業の民主主義を求め、かつ効率的な管理を求める。
 この二つはともにうまく機能するのか ?
 もちろん、そうだ。左翼のお花畑(天国)では全てが両立でき、解決できる。子羊とライオンは同じベッドで寝る。
 世界の恐怖を見よう。そうすれば、新しい社会主義の論理に向かう平和革命をいったん起こせばそれから免れることができるのが容易に分かる。
 中東戦争やパレスティナ人の不満は ?
 もちろん、これは資本主義の結果だ。
 革命を起こそう。そうすれば、問題は解決される。
 環境汚染 ? もちろん、少しも問題ではない。新しいプロレタリア国家に工場を奪わせよう。そうすれば、環境汚染はなくなる。
 交通渋滞 ? これの原因は、資本主義者が人間の快適さに関する不満を配慮しないことにある。力を与えてくれるだけでよい(実際、これは優れた点だ。社会主義では、車がずっと少ないので、従って、交通渋滞もずっと少ない)。
 インドの人々が飢えて死んでいる ? 
 もちろん、アメリカの帝国主義者が彼らの食糧を食べているからだ。
 だが、ひとたび革命を起こせば、等々。
 北アイルランドは ? メキシコの人口統計問題は ? 人種間憎悪 ? 種族間戦争 ? インフレ ? 犯罪 ? 汚職 ? 教育制度の悪化 ?
 これら全てに対して、ただ一つの同じ答えがある。全てについて同じ答えだ!//
 これは風刺画ではない。これっぽっちも、そうではない。
 これは、改革主義という悲惨な幻想を克服して人類の諸問題を解決する有益な装置を考案したとする人々の、標準的な思考方法だ。
 そしてこの有益な装置とは、反復されるだけでしばしば十分な数語で成り立ち、革命、選択肢ある社会、等々の内実があるかのごとく見え始めるものだ。
 そして追記すれば、我々には、恐怖を生み出すたくさんの消極的な言葉がある。
 例えば、『反共産主義』、『リベラル』。
 エドワード君、君はこれらを、説明なしでよく使う。その目的は多くの多様なことを混合させ、曖昧で消極的な連想を生じさせることにあると、きっと気づいていると思うのだけれど。
 実際のところ、反共産主義とは何だ。君は、表明できないか ?
 ---
 ④につづく。

1334/日本共産党(不破哲三ら)の大ペテン・大ウソ09。

 旧ソ連は社会主義国だったのか、そうでなかったのか、という問題を直接に話題にしているわけではない。それは「社会主義(国)」概念の理解によって異なりうるだろう。現実の歴史からすると、<国家によるテロル>はその概念要素の一つのようにも見えるが。
 ここで問題にしているのは、上の点についての日本共産党の見方の変化(という「事実」)だ。また、変化させることがありうるとしても、そのためのきちんとした理由づけ・根拠づけが日本共産党によってなされたのかどうかだ(これまた、基本的には「事実」の認識の範疇に入る)。
 一 日本共産党幹部会委員長・不破哲三は、1994年7月の第20回党大会で、旧ソ連の社会が「社会主義社会でないことはもちろん、それへの移行の過程にある過渡期の社会などでもありえないことは、まったく明白ではありませんか」(不破「綱領一部改定についての報告」)とまで、言い切った。
 「まったく明白」だったにもかかわらず、その党大会の2カ月前刊行の日本共産党の文献がソ連を「社会主義国」として記述していたことは、すでに紹介した。
 不破哲三自身も、幹部会委員長として、1990年3月の時点で、いわゆる「現存社会主義」という言葉を使っていた。
 すなわち、「…、現存社会主義国が『歴史的制約や否定的傾向を克服』してゆく過程が前進することが避けられない、ということを指摘しました」(第18回党大会・日本共産党中央委員会総会決定集/下(1990.08)p.280 、<不破・第8回中央委員会総会「幹部会報告」>)。
 誤りをもつ「社会主義国」ソ連も<社会主義の復元力>によって正しい道に戻るのは不可避だ、という旨を述べていたわけだ。
 二 こうまで見通しが狂い、「社会主義国の一種」視から社会主義への「移行の過程にある過渡期の社会などでもありえない」へと理解・認識を変えてしまうのなら、何らかの反省が、より明確にいえば、かつては(1994年7月党大会以前は)<誤った>理解と見通しを持っていたことを認め、それについて<自己批判> しなければならないのではないか。
 党員たちの一部は、さざ波通信36号(2004年)で、「当時の日本共産党指導部は不破を筆頭に先見の明のない愚か者であったことを自己批判しなければならないはずだが、もちろん、ただの一度も不破指導部はそのような自己批判を行なっていない」、と批判していた。
 もっとも、不破哲三が<反省>とも見える言葉をいっさい述べていないわけではないようだ。上でも言及した1994年7月第20回党大会での不破哲三の報告の中の一部に、つぎの文章がある。
 ・「しかし、当時はまだ、旧ソ連社会にたいする私たちの認識は、多くの逸脱と否定的現象をともないつつも大局的にはなお歴史的な過渡期に属するという見方の上にたったもので、今日から見れば明確さを欠いていたことを、ここではっきり指摘しなければなりません」。
 この一文は、日本共産党中央委員会・日本共産党の八十年(2003)で、そのまま引用・紹介されている(p.287)。
 さて、「私たちの認識は、多くの逸脱と否定的現象をともないつつも大局的にはなお歴史的な過渡期に属するという見方の上にたったもの」だったという自己認識は誤っていない、と考えられる。
 しかし、そのあとの、「今日から見れば明確さを欠いていた」という表現しか使っていないことは、いかにも、不破哲三、そして日本共産党らしい。
 何度もここで記したソ連についての見方の変化・変質は、「明確さを欠いていた」で済ますことができるものなのか。20回党大会、そしてこの報告のソ連観が<正しい>のだとすれば、かつてのそれは明確に<誤っていた>と言わなければならないだろう。「明確さを欠いていた」などと形容できるものではないはずだ。
 すでに記したような日本共産党の<大ペテン>の前提には、このような自己欺瞞、知的不誠実さ、がある。
<こっそりと自己批判のないまま>重要な路線変更を行った可能性が高い。
 三 上記の不破報告の部分は、その後現在まで<生きて>いるのかどうかは疑わしくもある。少なくとも強調されてはおらず、また積極的に(不破哲三によっても)言及されてはいない。
 したがって、この部分は1994年7月段階での<歴史的な>文書の一部であり、今日時点で、「今日から見れば明確さを欠いていた」ということすら、認めてはいない、と日本共産党・同指導部は主張する可能性がないではない。
 そうだとすれば、日本共産党はまことに度し難い、最低の知性すら持ち合わせていない政党だということになるだろう。
 あるいは、現在の日本共産党にとっては、可能なかぎり触れてもらいたくない、そして思い出したくない、不破哲三報告の一部だったのだろうか。
そのように自己欺瞞・自己隠蔽することによってはじめて、<大ペテン>(=日本共産党は誤ったソ連と30年も闘ってきた)が、ある程度は成功したのかもしれない。
 <つづく>
 
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