秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

片山さつき

1751/「日本会議」問題としての森友問題と決裁文書②。

 片山さつきが某テレビ番組でふいに「よけつれい」という語を出していた。
「よけつれい」とは、間違いなく<予算決算及び会計令>(勅令→政令、1947年。2017年最終改正)のことだ。
 何の説明もなくこんな言葉を発するとは、時間不足のためもあろうが、視聴者・庶民には分からないかもしれないが、知らないだろうが、という感覚も感じさせられて、愉快にはならない。
 山口真由は別の某テレビ番組で率直に?、「キャリア」・「ノンキャリア」という語を使って、両者の行政・公務員感覚の違いを述べていた。
 これはこれで、そのような観点からのコメントを聞かないので、よいだろう。
 しかし、言葉不足があって、むろん山口真由が知らないはずはないが、財務省(・理財局)と同省近畿財務局の違いが「キャリア」と「ノンキャリア」の違いに該当するかのごとき誤解を生じさせかねなかった。
 本省にも「ノンキャリア」はいるし、近畿財務局にも「キャリア」はいる。
 「キャリア」組が<地方支分部局>の長を経て(渡り歩いて?)地方の実情と現場も知って(?)いずれ本省に戻ってくる、というのは、よく知られる。
 森友問題時代の近畿財務局長の迫田?という人物はいま、財務省の別の局長らしい。
 その他、八幡和郎も含めて、森友問題あるいは決裁文書改竄にかかる元「キャリア」のコメントを知るのは、なかなか面白い。
 さすがに行政経験からもよく知っている(ある範囲の問題については)と思うが、「上級行政官僚だった」ことについての<矜持>(・誇り)らしきものも、人によって同一ではないが、垣間見えて、この点も興味深い。
 ついでに書くと、第一に、文書処理に関して<公文書管理法>という法律に焦点があてられている印象もある。しかし、国会との関係以外に直接に対国民でも重要な関係法律に、<(行政機関)情報公開法>がある。
 これによると、「決裁」済み文書のみならず、<組織として行政のために用いた、用いている>文書(電子情報もこの場合は含む)も開示請求の対象になり、かつ、原則としては(この法律が定める「支障」等に該当する等の例外事由のないかぎり)請求者(国民)に開示しなければならない。
 第二に、<書き換え前>文書は「起案文書」あるいは「ドラフト(案)」ではなかったのか、という問題も提起されていたようだが、これは否定されたはずだ。
 なお、(最終)決裁文書に問題があるとすれば、もう一度決裁をやり直して、新しい、最々終の決裁文書を作成すればよいことになるはずだ(技術的な些細な修正ならやり直す必要もないかもしれない)。このことは否定できないだろう。
 しかし、<最々終の決裁文書>を作成しても、その前の<最終の決裁文書>の存在を否定・消去できるわけではない。
 本当に最後の「決裁」文書でなくとも、存在していれば、上記のとおり、情報公開請求の対象にはなる。
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 「私や妻がこの認可あるいは国有地払い下げに、もちろん事務所も含めて、一切かかわっていないということは明確にさせていただきたいと思います。もしかかわっていたのであれば、これはもう私は総理大臣をやめるということでありますから、それははっきりと申し上げたい、このように思います。/
 繰り返しになりますが、私や妻が関係していたということになれば、まさにこれはもう私は、それはもう間違いなく総理大臣も国会議員もやめるということははっきりと申し上げておきたい。全く関係ないということは申し上げておきたいと思います。」
 池田信夫が適切に指摘しているように(3/14)、この安倍晋三首相国会答弁をどう<理解>するかは、同首相又は同夫人が「かかわっていた」とか「関係していた」という言葉の意味にかかわる。
 曲解しなくとも、言葉をふつうに理解するかぎりは、「かかわっていた」・「関係していた」ことにはなるだろう。
 「(直接の)働きかけ」とか、「直接の関与」という言葉を安倍晋三は用いなかったのだから。
 この答弁の当日(昨年2月)の報道によってだろう、随分と思い切ったことを言っているな、という感想を自分が抱いたことは明確に記憶している。
 したがって、この答弁の<正確な意味・意図>が問われなければならないし、また、少なくとも安倍首相の不用意・迂闊さ(あるいは傲慢・慢心?)は指摘されなければならないだろう。
 八幡和郎は、池田信夫と同じブログ・サイトで、つぎのように書く(3/13)。
 「森友問題の本質は、文書改竄ではない。籠池さんという厄介な人にいろんな人が振り回されて、苦し紛れに、少し安すぎるかもしれない価格で国有財産を売り渡したというだけのことである。」
 これは少し違う。第一に、決裁文書の扱い方、という<行政>上の基本問題がある。
 第二に、森友某氏の娘と結婚した籠池某氏という「厄介な人」が少なくともかつて「日本会議」に属していて(日本会議もこれを否定してはいない。日本会議大阪の役員だったようだ)、この籠池某氏が「日本会議」の名(知名度?、権威?)を少なくとも<利用>したことは間違いないだろう。
 そうでなければ、竹田恒泰や安倍総理夫人は関係する小学校での講演などしなかっただろう。ましてや、経緯はあっても、強く固辞しても、最終的に「名誉校長」にはならないだろう、と普通人の私は感じる。
 <政治>的には、森友問題は「日本会議」問題だ。「日本会議」問題としての森友問題なのだ。むろん、安倍首相と「日本会議」には「関係がある」ことが前提。
 だからこそ、日本共産党も朝日新聞も躍起になって突き、叩こうとしている。
 小川榮太郞が昨年以来の各種報道は<朝日新聞の謀略>だつたと言いたい気持ちは分かるし、実際に間違いなく、日本共産党や朝日新聞の<謀略>的な政治姿勢・報道姿勢はある(なお、朝日新聞社内には日本共産党の党員もいる)。
 しかしまた、<安倍晋三あるいは安倍政権は絶対に誤らない>はずだというのも、一つの<謀略>観に似た<思い込み・観念>なのであり、<反・朝日新聞>史観?・政治観?にだけ頼るのも、危険だ。
 小川榮太郞の書物を、森友問題の「勉強」のためにいま読んでいるのだが、この本の主張内容もまた、(興味深いという意味で)面白い。
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 なお、日本共産党と「日本会議」が(まして朝日新聞と「日本会議」が)真正面から対立しているとは、秋月瑛二は考えていない。そう理解してはいない。
 180度反対では全くなく、せいぜい45度以下の、30-35度程度の角度の開きしかないだろう。
 しかし、もちろん、「日本会議」-安倍晋三と朝日新聞・日本共産党が正面から対立している「ように見えている」現実はある、ということは承知している。

1027/「ストレステスト」の法的問題性-「権威による行政」。

 <法令による行政>を軽視している(そして<権威による行政>を行っているのではないか)という感想は、(前回からのつづきで)第二に、「ストレス・テスト」導入をめぐるいきさつからも生じる。
 産経ニュースをたどれば、菅直人は7/07に参議院委員会で、民主党・大久保潔重の「首相自ら再稼働の条件について説明してほしい」との質問(・要求)に対して、次のように答えている。
 「従来の法律でいえば点検中の原子炉の再開は(経済産業省)原子力安全・保安院のチェックで経産相が決められるが、それでは国民の理解を得るのは難しい。少なくとも原子力安全委員会に意見を聞き、ストレステストも含めて基準を設けてチェックすることで国民に理解を得られるか、海江田氏と細野豪志原発事故担当相に仕組みの検討を指示している」。
 玄海原発再稼働にかかる地元町長と佐賀県知事の同意を得られそうになった時点で、菅直人が「ストレス・テスト」なるものの必要性を唐突に(?)かつ独断的に言い出して、<政治的>にも話題になった。また、上の発言に見られるように、「ストレス・テスト」の具体的内容・基準について細かな想定のない抽象的なイメージしか持っていないことも明らかだった。
 ここで問題にしたいのは、あとで自民党・片山さつきがストレステスト(合格)は再稼働の要件かと質問しているが、
海江田万里経産大臣が「今回、佐賀県玄海町の岸本英雄町長には(玄海原発の)安全性が確保されているとして(再稼働の同意を)お願いしたが、そういうわけにいかなくなった」等と述べているように、結果的にまたは実質的には、再稼働の要件を厳しくしていると見てよいことだ。
 ここでも(より十分な)安全性の確保・確認が大義名分とされている。しかし、詳細は知らないが「法律」とはおそらく原子炉規制法〔略称〕およびそれの下位の法令(・運用基準?)を意味するのだろう、菅直人の言うように「従来の法律でいえば点検中の原子炉の再開は(経済産業省)原子力安全・保安院のチェックで経産相が決められる」のだとすれば、そのような法律(・法令)上の定め以上に厳しい基準を再稼働について課すことは、原発・電気事業者からすれば、法令で要求されていないことを内閣総理大臣の思いつき(?)的判断でもって実質的に要求されるに等しい。
 これは関係法律の「誠実な執行」にあたるのだろうか? 「ストレステスト」なるものがかりに客観的にみて必要だとしても、内閣総理大臣の唐突な思いつきで事業者に対して実質的により大きな負担を課すことになるものだ。そうだとすれば、関係法律(または政令等)をきちんと改正して、あるいは関係法律の実施のために厖大な「通達」類があるのかもしれないがその場合は「通達」類をきちんと見直して改訂したうえで、「ストレステスト」なるものを導入すべきだろう。
 菅直人のあまりにも<軽い>あるいは<思いつき>的発言は、個々の関係法律(上の言葉にいう「従来の法律」)をきちんと遵守する必要はない、それに問題があれば内閣総理大臣という地位の<権威>でもって法令以上のことを関係者に要求し実質的に服従させることができる、という思い込みまたは考え方を背景としているのではないか。
 <軽い>・<思いつき>・<唐突>といった論評で済ますことのできない問題がここには含まれている、と思われる。既存の法令類に必ずしも従う必要はなく、それらの改廃をきちんと行っていく必要もない、そして首相の<権威>でもって「行政」は動かすことができる、と菅直人は考えているのではないか。<独裁者>は、法令との関係でも「独裁」するのだ。
 その他の民主党閣僚等も自民党幹部も、このような菅直人の言動の本質的な部分にあるかもしれない問題を、どの程度意識しているだろうか。
 瞥見するかぎりでは、かかる<法的>感覚または<法秩序>感覚にかかわる問題関心・問題意識は、一般全国紙等々のマスメディアにはない。阿比留瑠比(産経)は有能な記者だと思うが、法学部出身者らしいにもかかわらず、<法令と行政>の関係についての問題意識はおそらくほとんどない(少なくとも彼が執筆している文章の中には出てこない)。阿比留瑠比がそうなのだから、他の記者に期待しても無理、とでも言っておこうか。
 まだ、続ける。

0253/日本年金機構は独立行政法人か「特殊法人」か。

 昨夜というより今朝の「朝まで生テレビ」を見ていたら、社会保険庁解体後の日本年金機構の性格について、与党系議員は非公務員型の独立行政法人だといい、野党議員(とくに民主党)は厚生労働大臣は<特殊法人>だと答弁した、と対立していた。
 この議論はあまり生産的でない。6/26に私は非公務員型の「独立行政法人だろう」と既に書いたが、与党系議員(片山さつきら)の発言を聞いていると、これでたぶん間違いない(成立した法律全文を見れば容易に分かる筈だが容易に電子情報で発見できなかった)。
 この「独立行政法人」は独立行政法人通則法にもとづくもので概念と範囲が形式的に明瞭だが、一方の「特殊法人」となると、これは(総務省の所掌事務に関する定めに出てくるが)明確な法制上の概念ではない。独立行政法人という新しい特別の行政法人形態ができたために、これを除いて用いることもあるだろうが、独立行政法人も国・地方公共団体や純然たる民商法上の法人とは異なる「特殊な」法人であることに変わらない。
 従って、大臣答弁は含めていれば誤りとはいえない(含めていないものとして答弁したとすれば与党系議員の発言を前提とするかぎり誤りで、訂正が必要だ)。
 というわけで、それぞれの意味・範囲を明確にしないと「独立行政法人」か「特殊法人」かの議論は殆ど無意味だ。
 新聞の朝刊では「公法人」とのみ記している(たしか読売と産経はこうだった)。この「公法人」概念も曖昧又は広すぎる概念だ。純然たる民商法上の法人以外のものは全て入ってしまう可能性が高い。
 どちらにせよ、政治家もマスコミも、法制又は制度に関する基礎概念についての十分な理解のないまま発言し、記事を書いているきらいがあるのではないか。
 社会保険庁職員に関するかつての「地方事務官」制度について、きちんと説明していた新聞記事はあったのだろうか。
 さらにいえば、戦後2000年4月まで続いた「機関委任事務」制度について、新聞を含むマスコミの記者たちはいかほどの基礎知識をもっていたのだろうか。
 表面的な<政争>ばかりに目を奪われて、制度の実質的内容にかかわる記事が書かれないようだと、本当は与党(又は内閣)・野党どちらがよりよい法案を提出しているかを国民が判断することができない。
 むつかしいことを書いても一般国民に理解できないと考えているとすれば一般国民を馬鹿にしているし、自分たちの勉強不足の言い訳をしているにすぎないとも言えるだろう。
 珍しく見た今朝の番組(日テレ/読売)で、竹中平蔵が年金問題はじつは<労働問題>だと発言していた。
 社会保険庁の職員全員をいったん解雇し、新しく上記機構に採用する過程で、意識的・組織的にサボタージュやミスをしたような者は排除していく必要がある。今般成立した社会保険庁→年金機構法は、そのような意図を明瞭にもつ、安倍内閣らしい法律だ。

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