秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

渡辺淳一

1184/久しぶりに月刊正論を読む-西尾幹二論考。

 産経新聞も月刊正論も定期購読しなくなって、かなり経過した。

 月刊正論8月号(産経新聞社)の西尾幹二「日本民族の偉大なる復興・上/安倍総理よ、我が国の歴史の自由を語れ」は、まったくかほとんどか、違和感なく読める。

 論旨の一部ではあるが、橋下徹のいわゆる慰安婦発言に対するコメントも-「旧日本軍だけを責めるのはおかしい、とくりかえし主張したことは正論で、良く言ってくれたと私は評価している。/ただ橋下氏は多くを喋り過ぎることに問題があった」等々-穏当またはおおむね公平な評価と批判だと思われる。

 西尾自身が自らの月刊WiLL6月号(ワック)上の論考に言及しているが、おそらく橋下徹はその西尾論考を読んでいただろう。記者の質問に対する咄嗟の応答の過程で西尾論考の基本的な内容も頭をよぎっていたのではないかと想像している。なお、質問をして橋下発言のきっかけを作ったのは朝日新聞の記者のようだ。「歴史認識」にかかわる質問をして十分な用意のないままでの<妄言>を引き出し、韓国政府・マスコミ等に批判させて日本国内で騒ぐ(そのために辞任した閣僚もこれまで何人もいた)、というのは、今回がそのまま該当するかは不明だが、朝日新聞がよくやってきた陰謀・策略的手口で、橋下徹もその他の「保守」政治家も<用心>するにこしたことはない。

 ところで、これまた西尾幹二の月刊正論論考の重要部分でないかもしれないが、そこで紹介されている渡辺淳一の週刊新潮上の連載随筆の一つ(橋下徹発言批判)には、それを読んでいなかったこともあり、あらためて驚愕した。この人物がこの随筆欄で50~60年代の「進歩的・左翼知識人」が言っていたような奇妙で単純なことを現在でも自信をもって書いているらしきことに驚きかつ呆れていたものだが、西尾はこう断じる-渡辺淳一は「日教組教育に刷り込まれた頭のままで成人して、以後人間と世界のことは新しく何も学ばずに成功し、太平楽を並べ、身すぎ世すぎができた幸福なご仁だ…」。
 西尾は「成功」と書いているが、けっこうな収入を得て有名にもなった、ということだけのことで、渡辺は日本国家・社会、日本人にとっては何事もなしてはいない人物にすぎないだろう。それはともかく、渡辺淳一、1933年生まれ。西尾幹二にも近いが、大江健三郎にも近い、私のいう、1930年代前半生まれの<特殊な世代>の一人だ。そして、西尾幹二の指摘する、「日教組教育」あるいはその基礎・背景にあるGHQまたはアメリカによる<自虐史観>教育を受け、成人後も、あるいは日本再独立後も、「人間と世界のことは新しく何も学ばずに」戦後の日本社会で生きてきた人間たちが、この世代には「塊」となってまだ残存している、と思われる。彼らは、いわゆる「団塊」世代よりもタチが悪い(大江のほかに同じく9条の会の樋口陽一や奥平康弘もこの世代だ)。
 大江、樋口、奥平あたりにはまだ「確信犯」的なところがあるだろうが、「新しく何も学ばずに」、現在で言えば、月刊WiLLや月刊正論「的」な論調があることやその正確な中身を知らず、そうした論調の一部を知るや<脊髄反射的>に、「保守・反動」だ、<偏っている>、と決めつけてしまう「単純・素朴な(バカの)」人たちがまだ多数いる。

 西尾幹二にはまだもっと活躍していていただく必要があるが、そういう人たちは、日本のためにも早く消え去っていただきたいものだ。

1089/渡辺淳一は「南京大虐殺の記念館」について「とくに騒ぎ立てることもない」と言う。

 〇本当の狂人は自らを狂人だとは自覚しないだろう。従って、自らが狂人であるということを意識するがゆえに自らを悲嘆して自殺するということもない。
 自殺する人は、精神的に<弱い人間>と見られがちでもあるが、人間が本来もつ生存本能に克って自らの生命を奪うのだから、ある意味では<強い人間>でもあろう。別にも触れる機会をもちたいが、45歳で自死した三島由紀夫を<弱い人間>とはおそらく多くの人が考えないだろう。三島は、動物的な生存本能にまさしく打ち勝って、意識的に自らの死を達成したのだ。
 〇1970年の日本がすでに「狂って」いたとすれば、あるいは「狂いはじめて」いたとすれば、そのような日本の「狂人」状態を告発しようとした三島由紀夫は、むしろ<正常な>感覚を持っていた、という評価も十分に成り立つ。三島の「狂気」についての少なくない言及にもかかわらず。
 さて、外国軍の占領下に自らの自由意志に完全にもとづくことなく、かつまた自由意志によると装って日本国憲法を制定した(制定させられた)日本は、異常な、あるいは狂った状態にあった、とも言える。
 主権回復(再独立)後にすみやかに自主憲法を制定していればよかったのだが、それをしないまま60年もやり過ごし、「自衛戦争」とそのための「戦力」の保持を否定する憲法を持ち続けている日本という国家は、そうすると、ずっと異常で、または「狂って」いたままだった、と言える。
 そのような「狂人」国家はしかし、自死・自壊しつつあるという指摘が(古くは三島由紀夫をはじめとして)近年も多いとはいえ、生身の人間のように自殺するわけにはいかない。
 だが、そもそも「狂った」国家だという自覚がないがゆえに、人間と同様に自殺することがなく、ずるずると生き続けているのかもしれない。
 〇週刊誌、例えば週刊新潮を購入して私がまずすることは(自宅または出張中のホテルの一室で)、広告頁をはじめとして、読むつもりがない頁が裏表にある場合はそれらを破いて捨て去ることだ。
 そうしておかないと、後からするのでは面倒だし、読むに値しない無駄な記事等を読んでしまうという時間の浪費が生じる。また、全部を捨てるのではなく保存しておくためには、少しでも薄く、軽い方が、保存スペース等との関係でもよいのだ。
 そのような、まず破り捨ててしまう頁の代表が、週刊新潮の場合、渡辺淳一の連載コラム(の裏表)だった。この人の戦後「平和と民主主義」万々歳の立場の随筆は気味が悪いことが明らかだったので、ある時から、いっさい目も通さないようにしてきた(破棄の対象にしてきた)。
 だが、「南京虐殺」を見出しにしている週刊新潮3/15号(新潮社)のコラムはさすがに無視することができず、一読してしまった。
 そして、この1933年(昭和一桁後半)生まれという、私のいう「特殊な世代」に属する渡辺淳一は、やはり異様だという思いを強くした。
 朝日新聞を購読し、ときには日刊か週刊の赤旗(日本共産党機関紙)を読んでいたりするのだろう。いろいろな議論・研究があることをまるで知らないかのごとく、河村たかし名古屋市長の発言に触れて、「加害者側の日本人」は、「数字が正しいか否かより、まず、そういうことは断じてするべきではない。してはいけない…」と断言し、「南京大虐殺の記念館は、そのため〔意味省略〕の教訓だと思えば、とくに騒ぎ立てることもないと思うのだが」、と結んでいる(いずれもp.65)。
 この世代の人間、かつ竹内洋のいう「革新幻想」をそのままなおも有し続けていると見える人間の特徴の一つは、いつかも書いたが、自らは戦争の詳細・実態を知らないにもかかわらず、戦後生まれのより若い世代の者に対して、戦争の悲惨さ等を、自分は戦争を体験したふうに語って、説教することだ。
 渡辺淳一が<南京虐殺>について上のように書く根拠も、あらためて読むと、①「親戚の叔父さんにきいた話」では野蛮な日本軍は南京で「それに近いことはやっていた、とのこと」、②「かつての軍隊や兵士の横暴さと身勝手さを見て、子供心に呆れていた」、ということにすぎず、「少なからず」南京「虐殺」が「あったろうと思う」と、これらから類推または想像しているにすぎない。
 大江健三郎と同様に小説家の「想像」または「創作」としては何を語ってもよいかもしれないが、重要な歴史の事実の有無・内容について、一介の小説家・随筆家が上のような程度を根拠にしていいかげんなことを言ってはいけない。
 この<不倫小説家>が歴史についてこうまで勝手に書ける日本は「自由」な国だが、週刊新潮編集部は、どの程度に
新潮社が渡辺作品によって儲けているのかは知らないが、(いつかも書いたように)いいかげんに渡辺淳一を執筆者から「外して」欲しいものだ。そして(これまた既述だが)宮崎哲哉あたりに代えてほしい。
 上の①・②だけで渡辺淳一が推論しているわけではない、とじつは考えられる。容易に推測のつくことだが、<日本軍国主義は悪いことをした>という占領期の教育を、この人は受けてきたのだ。1945年に12歳、1951年に18歳。この人はもろに、「民主主義」・「平和憲法」万々歳の教育を青春前期に受けている。
 その影響が現在でも続いていることは容易に推測されるところで(大江健三郎もまったく同じ)、そういう人たちはたいてい、数字(人数)の正確さはともあれ、「少なからず」、「南京虐殺」はあったに違いない、と考えがちだ。
 こんなことを渡辺淳一個人に対して言っても、ほとんど無意味だろうが、<教育はおそろしい>ものだ。
 だが、そういう占領期の教育(とプロパガンダ)によって、日本国民が「狂って」しまい、そういう教育を受けた教師や新聞記者・テレビ放送局員等々によって「狂った」時代認識が生まれてしまい(なお、「南京大虐殺」は蒋介石も毛沢東も言及しておらず、復活?したのは1980年以降のはずだ)、依然として「狂った」ままであるのは、国家としてはまことに由々しき状態にある。「狂った」人間が多数派であれば、とりわけ政権担当者がその中に含まれていれば、国家が「狂って」いることを、国民は意識しておらず、まるで「正常」だ、と感じ続けていることになる。
 狂人は狂人であることを自覚できない。怖ろしいことだ。

1004/<日本は沖縄を侵略した>という戦後教育第一世代。

 朝日新聞を長年にわたって購読し、一時的には「義理で」などと言い訳しつつも日本共産党機関紙・赤旗(日曜版も含む)を読み、そしてNHKや一般の民間放送の報道・特集番組はときに観るが、しかし岩波・世界も産経・正論も含めて月刊論壇誌を読んで少しは詳細に世界や日本の動向を勉強したり思考したりすることはなく、世界観・社会観といえば戦後初期の学校教育の影響や1960年前後に関与した「安保反対」騒擾の頃の<反体制>的雰囲気をそのまま引きずって、<反戦・平和と民主主義>(これは昨今では反自民党・親民主党の気分になる)に染まっている、というような人々は、大江健三郎(1935-)や渡辺淳一も含めて、少なくはない(大江健三郎の場合はたんに「染まっている」のではないが)。

 この世代、小林よしのりのいう「小国民」世代、ほぼ昭和一桁後半生まれを中心とする世代は、現実の「戦争」を具体的・詳細に知っているわけでもないのに、戦中・戦後の<苦しい>体験を有していることから、それを知らないより若い世代に対して何がしかの不思議な優越感をもって?、戦争というのはこんなに悲惨なのだよ、といった説教をしたがる傾向もある。渡辺淳一(1933-)は、週刊新潮(新潮社)誌上で、しきりとそのような作業をしている。

 「戦争」を、先の対米戦争(・対中戦争?)と同一視して、日本軍国主義悪玉史観というかつてのGHQの基本方針による教育の強い影響を引きずりつつ、「戦争」一般=悪、という歴史観・社会観?をもって、こういう人々は、当然に「反戦」=善、と考える。日本国憲法9条(2項)護持の方向に傾き、改憲論者に「右」・「保守・反動」というレッテルを貼って、自らは良心的・進歩的・合理的な人間の一人だと考えがちなのも、こういう人々だ。渡辺淳一は、例の田母神俊雄論文に対して、脊髄反射的な嫌悪の感情を上記週刊誌で吐露した。

 このような人たちの中には、NHKの「スベシャル」との名の付いた歴史回顧の特集番組を見て、<日本は沖縄を侵略したのだ>などと大発見のごとく主張したりする者もいる。もともと日本軍国主義悪玉史観あるいはいわゆる「自虐」史観を持っていることもあって、中国や朝鮮半島諸国には<甘い>のがこの世代の人々の特徴だが、<日本は沖縄を侵略したのだ>という認識・理解・主張が、尖閣諸島や西表列島の侵略や、現在の沖縄県(琉球)の日本からの独立を画策していることの間違いのない共産中国(中国共産党の支配する中華人民共和国)の政策・意図を助けるものである、ということの認識はまるでない(なお、論旨は同じでないが、撃論第1号(オークラ出版、2011)所収の、中川八洋「”風前の灯火”尖閣諸島と国防忘却の日本」(p.6-)、藤井厳喜「震災日本だからこそ考える改憲と核」(p.21-)等々参照)。おそらく彼らの多くは、中国がそんなことをする筈がない、考えている筈がない、と思っているのだろう。<反・反共>意識は旺盛ながら、共産主義・コミュニズムに対する警戒心はきわめて薄いのもこの世代の特徴だ。

 この世代は、戦前から戦後への時代転換をうまく切り抜けた、あるいは<新しい時代精神>に巧みに?迎合した、いわゆる戦後<進歩的文化人・知識人>の教育・指導を受けた、戦後第一次の世代の者たちだ。

 彼らの影響・指導を受けたのが、ほぼその次のいわゆる<団塊>世代になる。この世代を<全共闘>世代ということもあるが、<全共闘>運動の影響を強く受けた者は実際には大して多くなく、多く見積もってもせいぜい1割だろう。だが、周辺には、彼らの言うことも分かる的な、<全共闘>シンパまたはそれよりも弱い<全共闘>容認派も、大学出身者に限ればだが、半分近くはいたかもしれない。積極的な支持者または組織員の一人が仙石由人で、菅直人や鳩山由紀夫は容認派だっただろうか。

 こういう<団塊>世代が生じたのも(そして怖ろしくもそれが現在の日本政治の中心に居座っている)、その前の、戦後<進歩的文化人・知識人>の教育・指導を受けた戦後第一次世代の者たちがいたがゆえであり(この世代は、後続世代に比べて、日本社会党支持率が一貫して高かった)、現在の日本国家と社会に対する世代的責任は、「団塊」世代よりも大きいと言わねばならないだろう(もっとも、GHQによる占領とそれに迎合した進歩的文化人・知識人よりは小さいのは確かだ)。

 「世論調査では共産党の支持率はせいぜい二~三%にすぎないのに、教科書になると九〇%を超える割合で共産党に近い見解が教えられている」(伊藤隆「日本がもっと好きになる育鵬社教科書」月刊正論(産経新聞社)2011年6月号p.228)。

 こういう怖ろしい現実があるのも、親コミュニズムあるいは容共の心性を持った日本人がなお多数派を占めているからだと思われ、その典型が、ここで言及した、戦後教育を受けた<容共>(反戦・平和の)第一次世代で、この世代がなおもしぶとく存在し、後続世代の者を性懲りもなく<説教>しようとしたりしているからだと思われる。

 西尾幹二等々、例外のあることは承知している。そのような一部?を除いて、早々に時代の舞台からご退場願いたいものだ。

 これまで書いてきたことと基本的趣旨は同じで、まるで新味はないが。

0863/月刊正論5月号と週刊新潮4/15号(新潮社)から。

 〇潮匡人のコラムの後半(月刊正論5月号、p.51)をあらためて読んでいて、この人が言いたいのは、次のようなことなのだろうか、とふと思った。

 <兼子仁著は、新地方自治法によって国と自治体が「対等」になったとする、つまり地方自治体も国と同様に、かつ国と対等の「権力」団体になった。とすれば、外国人に「国政」参政権が認められないならば、国と「対等」の地方自治体についても、国の場合と同様に外国人参政権は認められないのではないか。>
 これは分かり易い議論・主張のようでもある。だが、かりに潮匡人の主張の趣旨がこのようなものであるとすれば、基本的なところで、やはり無理がある。

 第一に、地方公共団体が国と同様の「統治団体」(または「権力」行使ができる)団体・法人であること、広い意味では地方公共団体もまたわが国の<統治機構>・<国家機構>の一つであること、は戦後(正確には日本国憲法施行後または独立回復後)一貫して認められてきたことであり、2000年施行の改正地方自治法によってはじめてそうなったのではない。
 第二に、地方公共団体と国の「対等」性とは、基本的にそれぞれの行政機関は上下関係には立たないということを意味し、立法権能レベルでは国の法令は地方公共団体の条例に対して優位に立つので(憲法94条参照)、そのかぎりでは決して「対等」ではない。法律自体が「地方自治の本旨」に沿うように旨の注意書き規定が2000年施行の改正地方自治法で新設されたが、合憲であるかぎりは法律の方が条例よりも「上」位にあることは、改正地方自治法の前後を通じて変わりはしない。

 第三に、国と地方自治体(地方公共団体)の「対等」性が、それぞれの議会の議員等の選挙権者の範囲を同一にすべし、という結論につながるわけでは必ずしもない。法律のもとでの「対等」性、とりわけ法的にはそれぞれの行政機関間に上下の指揮監督関係はないということ、と議会議員(や地方自治体の長)の選挙権者の範囲の問題は直結していない。

 かりに潮匡人が上の第一、第二のことを知らないとすれば、幼稚すぎる。かりに日本の地方自治制度を岩波新書(兼子仁著)あたりだけで理解しているとすれば、あまりに勉強不足だろう。
 かりに潮匡人が上の第三のように考えているとすれば、単純素朴すぎる。結論はそれでよいかもしれないが、(いつか何人かの憲法学者の議論を紹介するが)外国人地方参政権付与に賛成している論者に反駁するには弱すぎる。議論はもう少しは複雑だと思われる。

 〇期待もした、長尾一紘「外国人参政権は『明らかに違憲』」(月刊正論5月号)はかなり不満だ。しばしば言及されてきた当人の文章なので読む前には興味を惹くところがあった。しかし、最初の方だけが憲法学者らしい文章で、あとは、政治評論家の如き文章になっている。つまり、憲法研究者としての分析・検討・叙述がほとんどない。最高裁平成7年2月28日判決への言及すらない。

 憲法学者ならばそれらしく、憲法学界での「外国人選挙権」問題についての学説分布などを紹介してほしかったものだ。民主党の政策を批判するくらいは、長尾でなくともできるだろう。1942年生まれで今年に68才。もはや<現役>ではないということだろうか(だが、現在なお中央大学教授のようだ)。

 〇週刊新潮(新潮社)はもっとも頻繁に購入する週刊誌。4/15号もそうだが、また、他の週刊誌についても同様だが、まず初めにすることは、広告および渡辺淳一の連載コラム等々で表裏ともに不要と考える部分を<ちぎって破り捨てる>こと。半分程度に薄くなり軽くなったものを(主要部分を読んだあとで)保存するようにしている。

 渡辺淳一のコラムをいっさい読まず<破り捨てる>対象にし始めたのは、渡辺の田母神俊雄問題に関するコメントがヒドかった号以来。したがって、一昨年秋以降ずっと、になる。この週刊誌を買っても、それ以降は渡辺の文章はまったく読んでいない。

 田母神俊雄論文を渡辺は、<日本は侵略戦争という悪いことをした>という<教条的左翼>の立場で罵倒していた。その際に<戦争を私は知っているが…>ということを書いていた。

 なるほど私と違って、戦時中の苦しさを実感として知っているのかもしれない。だが、1933年10月生まれで敗戦時にまだ11才の少年だった渡辺に、あの戦争の<本質>の何が分かる、というのだ。この人も、占領下の<日本は悪かった>史観の教育によって左巻に染められた、かつての「小国民」だったのだろう。

 〇渡辺淳一の2頁分のコラムに比べて、昨年あたりから始まった1頁に充たない、藤原正彦の文章(巻頭の写真付き連載の「管見妄語」)の、内容も含めての美しさ、見事さ、そして(とくに皮肉の)切れ味は、ほとんどの号において素晴らしい。
 渡辺淳一と、別の週刊誌にコラムを連載している宮崎哲弥と、週刊新潮・新潮社は交代させてほしい。

 〇4/15号の櫻井よしこ連載コラムは「朝鮮高校の授業料無償化は不当だ」。

 こんなまともな意見もあるのに、朝日新聞は仕方がないとしても、読売や毎日新聞の社説は問題視していない(朝鮮高校も対象とすることに賛成している)らしいのはいったい何故なのだろう。

 これまた、<ナショナルなもの>の忌避・否定、<日本(人)だけ>という排他的?考え方をもちたくない、という現代日本の<空気>的な心情・情緒に依っているのではないだろうか。

 社民党・福島瑞穂的な<反ナショナリズム>・<平等主義>には、じつは<ナショナルな>部分をしっかりと維持している点もある、という矛盾がある、ということをいつか書く(こんな予告が最近は多い)。

 〇週刊新潮の、並みの?用紙部分の最後にある高山正之の連載コラム「変見自在」は、ときに又はしばしば、こちらの前提的な知識の不足のために、深遠な?内容が理解不十分で終わってしまうときがある。いつかも書いた気がするが、関係参照文献の掲記(頁数等を含む)がないことと、字数の制約によることも大きいと思われる。

 4/15号の「不買の勧め」は朝日新聞批判で、これはかなり(又はほとんど)よく理解できた。

0400/朝日新聞・本田雅和はまだ「反動的」という語を使う。

 週刊新潮桜井よしこ・高山正之のコラムはほとんどきちんと読む。今はなくなったようだが、野口悠紀夫のそれもかなり読んでいた。福田和也のそれは文体・中身が分かりづらいこともあって、これら三者ほどには読んでいない。渡辺淳一のそれは目を通しているかもしれないが、殆ど記憶に残らない。文学や医療と関係のない、政治・国家・一般社会のこととなると、この人には書く資格がほとんどない(つまり一般読者と同じレベル)と思うのだが、さも立派なことを言っているかの如く書いていたりすることもあって、むしろどちらかというと嫌いなコラム・ページだ。
 コラムではないが、週刊新潮2/21号p.50のある部分が目を惹いた。朝日新聞・本田雅和に関する記事だが、記事の主題(同が「夕張はパレスチナと同じ」と講演)よりも、この記事の括弧つき引用による、本田雅和が「…そういう記事を送っても札幌のデスクが反動的で載せてくれない」と講演(発言)した、という部分だ。
 目を惹いたのは、この人はまだ「反動的」という語を使っているのか、という驚きと呆れによる(「」付き引用なので、週刊新潮関係者が勝手に使ったのではないだろう)。
 かつて1970年代、あるいは1980年代くらいまでは、<保守・反動>とか<日米(米日)反動勢力は…>という表現はかなり耳(と目)にはしたが(それでも一部の世界で、であっただろう)、遅くとも日本社会党消滅時までには、この<反動>という言い方は消えたのではないかと思っていた。
 まだこの言葉が何かしらの意味をもつ有効性ある(つまりは「進歩」・「革新」に対して<時代逆行>を意味する)概念だと思いこんで使っているのは本田雅和のほか、佐高信、上野千鶴子、そして熱心な日本共産党員、社民党員くらいではないか。ズバリ皮肉だが、<なつかしい>。

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