秋月瑛二の「憂国」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

深瀬忠一

0639/宮沢俊義(1950)と阪本昌成(2008)における<アメリカ独立宣言>。

 一 宮沢俊義(深瀬忠一補訂)・新版補訂憲法入門(勁草書房、1993。第一版は1950)p.7は、「近代諸国のほとんどすべての憲法の基礎になっている政治原理の最も根本的なものを表明した」、世界史上「非常に重要な文書」(p.6)と前口上を述べたうえで、アメリカ独立宣言(1976.07)の一部の原文と邦訳文を掲載している。そのまた一部は次のとおり(邦訳文の中に原語を挿む)。
 「われわれは、次のような諸原理は自明だと考える。…すべて人間は平等に作られ(created eaqual)、それぞれ造物主(Creator)によって譲り渡すことのできない一定の権利を与えられている(endowed)」。
 endowは「賦与する」でもあるので、<天賦人権>論が宣明されている、と言える。
 このあと「一定の権利」として「生命、自由および幸福の追求」が例示される。現日本国憲法13条第二文の淵源はこれだ。13条第二文参照-「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」。
 さらに、「これらの権利を確保するために、…政府(国家)が作られる(instituted)」。ここでは「権利(不可譲の人権)」→「国家(政府)」という論理関係を示す考え方が示されている。
 二 日本国憲法は「基本的人権」を「この憲法が(日本)国民に保障する」もの(11条・97条)と書いて「憲法」→「人権」という考え方に立つようでもあるが、一方では「基本的人権」は「現在及び将来の国民」の「侵すことのできない永久の権利」であるとも書いている(11条・97条)。ここには、<生まれながらの=憲法前の=自然権としての>人権という考え方の影響が看取できるだろう。
 だが、社会契約説的な、自然の「権利(人権)」→それを保護するための「国家」という考え方は日本人と日本「国家」にとって、たやすく理解し納得できるものだろうか。
 なお、フランス人権宣言(1789.08)の前文等には、「生まれながらの」、「自然」の(「市民」の)」「権利」が語られている。

 まわりくどくなったが、要するに書いておきたいのは、「造物主(Creator)」なる絶対神又は一神教を前提とすると見られる観念は日本に存在せず、「天」という概念で誤魔化してみても、一神教的「神」=「造物主」観念を前提とする、「造物主」により賦与された「権利」(人権)→「国家」という説明は、日本と日本人にはそもそも馴染まない、(厳密には大多数の)日本人にはそもそも理解不能な概念を用いた、理解不能の説明にしかならないのではないか、ということだ。
 戦後の<進歩的>憲法学者たちは、この点(要するに近代「欧米」の「人権」観念はキリスト教又はそこでの「神」が背景にあること)に目をつむって、<生まれながらの=憲法前の=自然法上の>権利という<美しい>?物語のみを語ってきたのではないか。そうだとすると、「人権」観念・意識が日本人の「古層」的意識のレベルでは浸透しないことになるのも至極当然だと思える。
 三 マルクス主義を擁護してきた憲法学者たちは「反省」すべきだとソ連解体後に明記した、勇気ある憲法学者・阪本昌成の教科書、阪本昌成・憲法2/基本権クラシック(有信堂、2008/全訂第三版)を見てみると、p.11にはこうある。
 アメリカ「独立宣言」は「人権思想の歴史的な流れ」からみたとき、「さほど重要な文書ではない」。「個々人」を「神の子」として想定しつつ「不可譲の人権の主体」との「自明の理」を「神学的様相」をもって述べた、「ピューリタニズムの人間像」の表明にとどまる、等々。
 (おそらくは)米軍(正確には連合国軍)占領下において(1950年に)、宮沢俊義はあえてアメリカ独立宣言について数頁を割いたのだったが、他の現在の憲法学の概説書類がどうかの詳細は知らないものの、阪本昌成に上のように書かれてしまうと、宮沢俊義がアメリカ独立宣言は「近代諸国のほとんどすべての憲法の基礎になっている政治原理の最も根本的なものを表明した」、世界史上「非常に重要な文書」だと書いたことが、白々しく感じられる。
 アメリカ独立宣言の位置づけはともかくとしても、「国家」・「国民」・「人権(基本権)」等の概念関係の問題はこの欄ではほとんど何も言及していないに等しい。<社会契約説>も含めて、この基本的問題に(も)関心をもって憲法等々に関する本を(も)読んでみたい。

0613/宮沢俊義・憲法入門(勁草書房)は占領下が第一版。1945年秋の宮沢発言。

 一 宮沢俊義(深瀬忠一補訂)・新版補訂憲法入門(勁草書房)は、前回に書いたように、いわば<ごった煮「民主主義」観>とでも言えるものを示している。自由主義・個人主義といった多少とも実体的・内容的な価値をもつものと元来は手続的・形式的価値を示す概念だと考えられる「民主主義」とが一括され、混淆されている(「実体的・内容的」と「手続的・形式的」の区別の意味がむろん問題りなりうるが、ここでは立ち入らない)。
 この本の発行年にあらためて着目すると、第一版は1950年、つまり講和条約締結・発効前の、GHQによる<占領>下だ。
 その後の改訂を数次経ているが、おそらく宮沢俊義による「民主主義」(あるいはこれと他の主義・原理との関係)の説明は、<再独立>後も全くか又はほとんど変わっていないものと思われる。
 つまりは、<占領>下で得ていた「民主主義」観をその後もずっともち続けてきたわけだ。
 ところで、言うまでもなく、<占領>下とは、言論・出版の自由は、そして正確には学問・研究の自由も、厳密にいえば全き姿では保障されておらず、GHQが、先の戦争についての<民主主義対(日本)軍国主義>、より一般的には<民主主義対ファシズム>の闘いという見方、歴史観を大々的に(種々の方策を通じて)植えつけようとした時代だった。
 そのような時代の、とくにGHQ的な「民主主義」観に、あるいはGHQによる「民主主義」の説明に、宮沢俊義は全く影響を受けなかったのだろうか。
 影響を受けたかどうかは別としても、宮沢が<占領>下で出した本をおそらく基本的な内容自体は変えることなく出版しつづけた、<占領>下での説明の仕方を変えようとはしなかった、ということにさしあたり注目しておきたい。
 二 ところで、西修・日本国憲法を考える(文春新書、1999)p.33によると、1945年10月01日、東京(帝国?)大学教授兼貴族院議員だった宮沢俊義は、貴族院帝国憲法改正案特別委員会の席上で、「憲法全体が自発的に出来ているものではない。重大なことを失った後でここで頑張ったところで、そう得るところはなく、多少とも自主性をもってやったという自己欺瞞にすぎない」と発言した(この会の筆記要旨は1996年にはじめて公開されたようだ-秋月)。
 また、
同書p.45によると、宮沢俊義は、1945年09月28日に外務省で、「大日本帝国憲法は、民主主義を否定していない。ポツダム宣言を受諾しても、基本的に齟齬はしない。部分的に改めるだけで十分である」という趣旨を述べた。
 宮沢俊義が<八月革命>説を説いたのは、これらよりのち、1946年になってからだ。そして、新憲法の成立・施行後は熱心な「護憲」論者になった。西修の言を借りると、「護憲団体たる憲法研究会(会長、大内兵衛元東大教授)の重要なメンバーであったし、その著述・論文のたぐいは、すべて護憲に彩られたものであった」(p.33-34)。
 三 戦前・占領期・主権回復後のそれぞれについて、かつ占領期については細かな時期ごとに、宮沢俊義の発言・著作類は精査されてよいだろう。
 当時の東京大学法学部憲法担当教授の<権威>は相当なものだっただろうし、何よりもこの宮沢俊義の指導を受けた者たちが東京大学の憲法講座を継承し、さらにおそらくはさらに次の今日の世代へも影響を与えていると推察されるからだ。また、東京大学の地位からして、同大学出身者が教授・助教授となった全国の大学法学部をも含む憲法学界において、戦後最初に最大の影響力をもったのは宮沢俊義であり、その影響は結果として今日にまでも及んでいると推察されるからだ。
 そのような意味でも、今後も宮沢俊義に触れることがあるだろう。

0612/宮沢俊義(深瀬忠一補訂)・新版補訂憲法入門(勁草書房、1993)を一部読む。

 一 宮沢俊義(深瀬忠一補訂)・新版補訂憲法入門(勁草書房)を見ていると、唖然とし、驚愕する。
 この本は1950年第一版、1954年改訂版、1973年新版で、深瀬忠一(元北海道大学)補訂の新版補訂は1993年が第一刷。長きにわたって出版されたものだ。補訂は「最少限の補正」にとどまる(p.2、深瀬)とのことなので、以下すべて、宮沢俊義自身の考えが述べられていると理解して紹介する。
 ①民主主義と自由主義-「自由主義」とは、「個人の尊厳をみとめ、できるだけ各個人の自由、独立を尊重しようとする主義」。「特に国家の権力が不当に個人の自由を侵すことを抑えようとする主義」。
 国家権力による個人の自由の不当な侵害を防止するには、「権力分立主義」採用のほか、「すべての国民みずからが直接または間接に、国の政治に参加すること」が必要。すなわち、「国家の権力が直接または間接に、国民の意思にもとづいて運用されること」が必要。このように国家が「運用されなければならないという原理」を、「特に、民主主義」という。
 「つまり、自由主義も民主主義も、その狙いは同じ」。「いずれも一人一人の人間すべての価値の根底であるという立場に立って、できるだけ各個人の自由と幸福を確保することを理想とする主義」。
 「消極的」な国家権力の不当な干渉の排除の側面が「自由主義」で、「積極的」な個人の国政参加の主張の側面が「民主主義」。
 「両方をひっくるめて、ひろく民主主義といっても、さしつかえありません。ふつう世間で民主主義という場合は、このひろい意味です」。
 以上、p.11-12。
 ここでは、まず「自由主義」と「個人主義(個人の尊厳)」が同義のごとく語られ、これに仕えるのが「民主主義」だとの理解も示される。そして、消極的・積極的と区別できるが、「民主主義」と「自由主義」は「狙いは同じ」で、一括して「民主主義」と言って差し支えない、とされる。
 呆れるほどに、<自由主義・個人主義・民主主義>は渾然一体のものとして説明されている、と評してよいだろう。
 ②民主主義と平和主義-「平和主義というものは、結局は、民主主義の外に対するあらわれにすぎませんから、これを、民主主義とまとめて、いってもいいでしょう」。
 これは、p.88。宮沢において、「平和主義」も「民主主義」の一種又は顕れの一つなのだ。
 ③民主主義と平等-「民主主義」は「人間の自由」・「人間の個性」を尊重する。「民主主義」は大勢の「人間を、みな同じように尊重」する。「民主主義が、平等を原理とするというのはこれです」。
 これは、p.89-90。ここでは、「平等」原理も「民主主義」によって説明されている、と言ってよい。「平等」原理自体が、「民主主義」の内容の一つなのだ。
 かくして、以下の叙述も出てくる。
 ④「民主主義」は「自由および平等の二つの原理にもとづく」結果として、「民主主義における自由」は「わがまま」・「放縦」を意味しない。「民主主義」はすべての人間が「平等な価値」をもつものと考えるので、「人間の自由は、他の人間の自由において、限界をもっている」。p.90。
 「民主主義における自由」という語も奇妙だとは思うが、「民主主義」・「自由」・「平等」の三者がほとんど一体のものとして説明されている。
 二 諸「理念」又は諸「主義」をそれぞれ関連づけあいながら説明すること一般を否定・批判しはしないが、上のような宮沢俊義の叙述は、いささか、いや過分にそれが酷(ひど)すぎるのではないだろうか。
 以上のような説明では、民主主義・自由主義・平等主義・平和主義の違いは明瞭にならないのではないか。
 それそれが循環論証的関係にあるか、又は結局は「民主主義」がその他のものを内包している関係にあると理解されているようだ。
 「ふつう世間で民主主義という場合は、このひろい意味」、すなわち「民主主義」と「自由主義」を一括したものだ(p.12)という説明の仕方が典型的だろう。
 法学部生向けの教科書ではなく一般国民むけの「入門書」だからといって、このようなヒドさは看過できないはずだったものと思われる。
 そして、このような内容の本が当時は現役の東京大学法学部の憲法担当教授によって書かれていたということに唖然とさせられる。この人は、東京大学所属の憲法研究者でありながら、諸概念を厳格に定義することのできていた人なのだろうか。
 また、大江健三郎が自分は「戦後民主主義」者だという理由で、昭和天皇名による叙勲を拒否したことにも何となく納得がいく。これの決定的な理由は(既述のように)大江は昭和天皇の前に立つ度量・勇気がなかったということだと思うが、大江における「戦後民主主義」とは、「自由主義」・「個人主義」・「平等」原理・「平和主義」をすべて含んだものだったのだろう。私が理解している「民主主義」とは異なる。そして、それらすべてと矛盾するかに彼には思えた天皇の存在・天皇制度の存続自体が彼には許されなかったのだろう(自衛隊もそうだろうが)。
 東京大学教授・宮沢俊義の単純・素朴な叙述から同大学出身の「高名な」作家・大江健三郎に思いを馳せてしまった。

0200/岡崎久彦著等による現憲法制定過程と説得力なき古関彰一・九条護持論。

 主として岡崎久彦・吉田茂とその時代に依りつつ、他の文献にも言及しながら、憲法制定過程への論及を続ける。
 岡崎著p.151は1946年2月頃の幣原喜重郎について言う-「大筋として、今後必ず平和主義憲法をつくり、そしてそれは占領軍の強制ではなく、日本側の発意だったとすることを約束する以外になかったのである」。
 前回言及の古関彰一の冊子p.19以下は同年3/06の閣議後の新憲法案要綱発表に際しての天皇「勅語」にはGHQ作成の原文があった旨を示す点で新味があるが、幣原又は吉田茂は現九条の内容を発案してはいないとする点では岡崎等の研究と同じだ。
 孫引きだが、憲法学者・元北海道大学教授の深瀬忠一は「戦争放棄の発想の起源は幣原首相」だ、「幣原提言なくして、第九条が生まれたか疑問」としていた(古関・前掲書p.8参照)。九条は「押しつけられた」又は「与えられた」のではなく日本人の発案だと主張したいのだろう。
 古関も引用し、私も購入している元東京大学教授・芦部信喜(高橋和之補訂)・憲法第三版(岩波、2002)p.55は幣原首相の発案らしき事実を信頼して九条は「日米の合作とも言われる」等と書く。憲法学界ではかかる理解が有力であるかに見える。
 だが、再び孫引きをするが、五百旗頭真によれば、のちにマッカーサーが書いたように「幣原首相のほうから憲法に戦争放棄と戦力不保持の規定を入れることを提案したと信ずる研究者は皆無に等しい」(岡崎・前掲書p.136)。
 少なくとも古関の冊子は別のようだが、「皆無に等しい」はずの研究者が憲法学界には多数いるようであるのは、日本の憲法学界の「異様さ」を、先走って言えば「政治性」を示してはいないか。
 今回の冒頭に紹介した岡崎の文と類似のことを古関p.27-p.28もGHQと昭和天皇について言う-GHQの米政府宛報告書が天皇は「幣原に、最も徹底的な改革を…全面的に支持すると勧告された」と記したのは、「昭和天皇は、明治天皇下の昭和天皇とはまったく異なり、…平和と人権の擁護者として、日本国憲法の制定に積極的にかかわったことを米国はじめ連合国に示す必要があった」からだ。
 こうして見ると岡崎と古関は九条制定史につき同様の理解に立つといえる。しかし、古関が「岩波」の冊子に書いているように、彼は不思議なことに?九条改正反対論者だ。その論理を辿ってみると、結局は九条は日本国民に支持された、受け入れられた、ということを根拠にしているに過ぎず、かつ―立ち入らないが―相当に杜撰な論理展開だ。また、「九条は、単に日本が戦争をしないというだけではなく、…二度と戦争をしないということを連合国、あるいはアジアの戦争被害国にたいして誓った誓約書でもある」等としめ括るが(p.47)、九条はGHQ又はマッカーサーの「戦略」の所産だったという前半での叙述と整合しているのか、不思議極まりない
 古関・岩波冊子の九条改正反対論の根拠は何か。これを直接の主題にしていないため解りにくいが、結局はほぽ、日本国民に支持されたということを述べるにとどまる。世論調査を援用して1954年頃には護憲論が改憲論を上回り97年頃まで続いたとする(p.43-45)。世論調査結果をどの程度議論に援用できるかは慎重な考慮が必要と思うが、それは別としても、事実上改憲の是非が争点になったという1956年の総選挙で護憲政党が議席の1/3以上を獲得して改憲が阻止されたことを世論上護憲論が優勢だったとの流れの中に位置づけるのは(p.44)殆ど詭弁だろう。
 たしかに1/3以上の改憲反対勢力が国会を占有し続けたことは重要なことだが、あくまで1/3~1/2であり、旧社会党等の「革新」勢力が多数派を形勢したことは一度もない(90年代半ば以降の複雑な展開は捨象する)。1/3以上と過半数とを混同してはいけない。過半数で改正発議可能との憲法条項であったなら、自民党も改憲を諦念せず、既に「自主」憲法に変わっていた可能性の方が高い。
 国民世論を根拠にするならば、古関自身がいう97年以降は改憲やむなしという結論になるのが自然だが、その論法を彼は採らない。ということは、世論調査結果を援用したのも所謂「ご都合主義」、有利な材料は何でも使えの類の議論であり、九条は維持すべきとの彼自身の根拠が別にあることになる。
 その根拠を探ってみると、1.前回引用した九条は世界への「戦争しないとの誓約書」との理解、2.「刀狩り」以降の武力による紛争解決を好まない日本人の心性、3.「軍備を持ち、戦争のできる国になったら高枕で寝ていられる」のか、「むしろ、近隣諸国を刺激することによって、軍備競争を加速化する…」、をさしあたり挙げうる。
 これらのうち3.となると、もはや議論は噛み合わない。この古関某という人は九条さえあれば「戦争」に巻き込まれないと本当に考えているのだろうか。九条があっても「戦争」(他国からの他国領土内への武力攻撃と理解しておく)を仕掛けられれば、現状でも自衛隊等による自衛権の発動をせざるをえないのではないか(米軍の行動も加わるがとりあえず省略)。
 すでにいつか書いたが九条があれば戦争は起きない、九条がなくなれば戦争をする国になる、というのは大変なデマだ。九条と無関係に「戦争」は起こりうるし、九条のもとでも日本には自衛隊という九条二項の「戦力」ではないとされる「武力」はある。九条を変えて日本を「戦争のできる」国にしようとしているという護憲論者の主張(p.41も参照)は大ウソだ。
 丁寧な歴史分析の能力をある程度もつかに見える人でも現実問題となると「九条教」・「九条言霊主義」に陥るのは、日本にあるいくつかの不思議の最たるものの一つだろう。
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