秋月瑛二の「憂国」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

海竜社

1297/西修・…よくわかる!憲法9条を読む-3。

 西修・いちばんよくわかる憲法9条(海竜社、2015)を読んでコメントしておきたい第三は、以下のことだ。
 西修は現九条をどう改正するかについて①自民党案(2012)、②読売新聞社案(2004)、③産経新聞社案(2013)を挙げ(もう一つ旧民社党議員たちの「創憲会議」案(2005)も挙げているが、ここでは省略する)、1.現九条1項の「基本的な踏襲」、2.自衛戦力(軍隊)保持の明記、等で共通している、とするが(p.112)、この1.は、はたしてそうなのだろうか。
 現九条1項-「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」。
 これに対応する各改正案の条文は次のとおりだ。
 ①自民党案-「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動としての戦争を放棄し、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては用いない」。
 ②読売新聞社案-「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを認めない」。
 ③産経新聞社案-「日本国は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国が締結した条約および確立した国際法規に従って、国際紛争の平和的解決に努める」。
 西修は各改正案が1.現九条1項の「基本的な踏襲」で共通している理由として、①を除く各案の「作成に関し、かかわりをもっているから」だとしている(p.116)。この著によると西は、②については読売新聞社内の1992年設置の憲法問題調査会に1委員として参画し、2004年案作成にも関係した。また、この欄でも既述のように、③については、産経新聞社内「国民の憲法」起草委員会5委員の一人だった。だから各案には「私の考えが大なり小なり反映されて」いる、というのだが、上記のとおり、ほとんど明らかに、産経新聞社案だけは異なっている。
 他の案は現九条1項の条文をほとんどそのまま維持している。「…は、国際紛争を解決する手段としては、」の部分をそのまま生かしており、そのあとが①「用いない」、②「永久にこれを認めない」。と少し変えているだけだ。
 これに対して、③産経新聞社案には、「…は、国際紛争を解決する手段としては」否認する、という、パリ不戦条約以来の歴史のある、<侵略戦争の放棄>の趣旨を、少なくとも明文では残していない。「…、国際紛争の平和的解決に努める」という部分でその旨を表現した、と主張されるのかもしれないが、その旨は明確ではない、と理解するのが自然だと考えられる。
 それに、この欄ですでに触れたことだが、産経新聞社案にかかる「国民の憲法」起草委員会の委員長だった田久保忠衛自身が、その著で次のように述べている。以下、田久保・憲法改正、最後のチャンスを逃すな!(並木書房、2014)による。
 「第一項は…そのまま残し」、第二項を「全面的に改める」説に「じつは私も…賛成だった」が、現第一項に「問題はないだろうか」。「国際紛争」の理解によっては「支障が出てくる」。第一項があると「国連決議にもとづく国際紛争にかかわる集団的安全保障に参加できないことになる」、また「米国が多国籍軍に入っている」ときに米国に対する武力攻撃を日本が「自国が攻撃されていないにもかかわらず」実力で阻止しようとすると「動きがとれなくなってしまう」=「集団的自衛権の行使に踏み切ることができなくなる」。そこで現第一項を含めて全面的に改める」こととした(p.172-5)。
 上にいう「国連決議にもとづく国際紛争にかかわる集団的安全保障」への参加については現一項は何も定めて(語って)いないのではないかとすでに書いたが、そうでない場合の米国との関係での「集団的自衛権の行使」については、現一項のもとでも一定の要件のもとに認められると閣議決定で解釈され、それにもとづく法案が(現一項のもとで!)国会に提出されている(2015.05)。
 この実際の動きはさしあたり別論としても、③産経新聞社案が他の、現一項をほとんどそのまま残す①や②とは異なることは、田久保忠衛が明言するようにほとんど明瞭なことではないか、と思われる。
 この産経新聞社案が絶対的に拙劣で<悪い>案だと言うさもりはない。だが、①や②には、現九条の全体に問題があるのではなく(<侵略戦争>放棄の第一項に問題はなく)、現九条二項こそが問題であってこの項こそが改正すべきなのだ、という主張・見解を国民に対して明確にアピールできる効用はあるだろう。
 自らが関係した二つの案が基本的に同じ趣旨だと主張したい気分は理解できるが、やはり、産経新聞社案だけは異質なのではないだろうか。
 全体の趣旨・論調からすると些細なことかもしれないが、気になった点であることは間違いない。
 なお、西修の改正私案は「…他国に対する侵略の手段として、国権の発動たる戦争、武力による威嚇または武力の行使を永久に放棄する」というもので(p.115-6)、「侵略」という語の使用によって趣旨をより明確にしつつ、③産経新聞社案よりも①自民党案・②読売新聞社案に近いものだ。 

1292/西修・…よくわかる!憲法9条を読む-2。

 西修・いちばんよくわかる憲法9条(海竜社、2015)にかかわってコメントしたい第二は、保守派または改憲派、あるいは正確には現九条改正論者において、現在「公」的に通用している(例えば、自衛隊を法的に支えている)、政府の九条解釈の理解は一致しているのか、という疑問がある、ということだ。
 西修の理解については、すでに触れた。もう少し言及すれば、政府解釈は①「憲法は戦争を放棄した」とするものであり(上掲p.15)、「自衛戦争」も「認めていない」(p.17)、また、②憲法は自衛目的の「戦力」=「自衛戦力」も認めていない、とするものだ(p.19)。そして、③自衛隊は、禁止されている「戦力」ではない「必要最小限度の実力」として合憲である(p.16、p.21)。
 政府解釈を、このように私も理解してきた。①については、A/すでに1項からか、B/2項からかという解釈の分かれがあるが、とりあえず省略する。
 産経新聞の5/03と5/10に「中高生のための国民の憲法講座」として、奥村文男が憲法九条について解説している(なお、失礼ながらこの人の名は見聞きしたことがなかった)。
 この解説の最大の問題は、自説、つまり自らの解釈を述べることに重点を置いており、政府の解釈はいかなるものかについての丁寧な説明がないことだ。これでは、なぜ現九条を改正しなければならないのかが殆ど分からないままだと思われる。
 奥村は自らの解釈としては西修と同じ解釈を主張している。つまり、1項は「国際紛争を解決する手段として」の戦争(侵略戦争)のみを禁止(放棄)しており自衛戦争等は認めている、そのような(2項にいう)「前項の目的」のために、「自衛戦争」(や制裁戦争)・自衛目的の「戦力」保持は許容される、と解釈する。
 かかる解釈を主張するのはむろん自由だが、すでに述べたように、この解釈に立てば、現九条、とくにその2項を改正しなくとも、自衛隊を自衛「軍」と性格変更する法律制定、換言すると<自衛軍>あるいは<国防軍>設置法(法律)を制定することによって「陸海空軍その他の戦力」を保持することができ、「自衛戦争」も行なうことができる。
 なぜ現九条、とくにその2項を改正しなければならないかの理由が、かかる解釈の披瀝だけでは全くかほとんど分からない。
 また、政府解釈に言及する部分もあるが、奥村文男の理解は正確ではないと見られる。
 2項の「戦力」の意味についての、「戦力の保持は認められないが、自衛のための必要最小限度の実力の保持は認められるとする」のが「何度か変更」はあったが「政府解釈」だ(丙2説)と説明する部分は(5/03)、誤っていないだろう。
 しかし、2項の「前項の目的」についての、「国際紛争を解決する手段として」の戦争等を放棄するものだと限定的に解し、「自衛戦争や制裁戦争は禁止していないとする」のが「現在の政府見解」だとする説明は(5/03)、政府解釈の理解としては、誤っている。
 このように解釈すると、<自衛戦力>は保持できないにもかかわらず<自衛戦争>は認められている(!!)、というじつに奇妙な結果になってしまう。奥村は、そして読者はお判りだろうか。
 したがってまた、奥村が示す甲説から丙2説までの解釈の分かれの分類とそれらの説明も、適切なものではない、と考えられる。
 奥村文男の個人的な見解が自らの著書等に書かれているのならばまだよい。しかし、代表的な?<保守派>・改憲派の新聞に、このような現九条に関する説明が掲載されているのは由々しきことだと感じる。九条の解釈問題は複雑だ、ややこしいという印象が生じるだけならばまだよい。誤った理解・情報が提供されるのは問題だろう。
 田久保忠衛の書物にも櫻井よしこら編の書物にもアヤしい部分があることは、すでに触れた。
 こんなことで大丈夫なのだろうか。自民党の改正草案をまとめた人たちはさすがに政府解釈をきちんと押さえていると思われるので、憲法改正、九条改正運動のためには、田村重信らの自民党関係者または防衛省関係者の解説書を読む方が安心できるようだ。

1286/西修・いちばんよくわかる憲法9条(2015)を読む。

 西修・いちばんよくわかる憲法9条(海竜社、2015)を、当面関心をもつ部分のみに限って読む。
 最近読んだ憲法改正ものの本の中で、田村重信著につづいて非常によく分かる。さすがに憲法学者の書物だ。いかに志は高く、同じであっても(?)、非専門家の叙述には、奇妙だと感じたり、趣旨が分からないものもあった。
 きちんとフォローしておこうと思っていた政府解釈の内容(・変遷)も、残念ながら原文どおりではないかもしれないが(p.15-17)、基本的なところは紹介されているので、役に立つ。
 西修が紹介している政府解釈のポイント(p.17-23)も、私も同様の理解であるので、目くじらを立てる(?)ところはない。
 というわけで上だけの言及で十分とも言えるのだが、いくつかの感想・コメントを記しておく。
 第一。西は憲法九条(とくに二項)についての自らの解釈を(も)示している。それは、いわゆる芦田修正を文理どおりに生かし、九条二項により保持が禁止されているのは「侵略戦争を目的とする」戦力であり、認められないのは「自衛権」の範囲を超える「交戦権」だ、というものだ(p.40)。
 むろんこのような解釈は成り立つし、また文理に即していえば最も素直な解釈だ。ゼロ・ベースで考えると、私もこう解釈したい。さらに、芦田が挿入した意図もこのような解釈を可能にすることだったかとも思われる。
 しかし、西修もよく理解しているように、かかる解釈を一貫して日本政府は採用してこなかった、ということが重要だ。西説もいわば私的な、成立しうる解釈の一つにすぎず、自衛隊の現在までの存立を法的に支えているのは政府解釈という「公的」解釈だ(そしてこれを最高裁も少なくとも否定したことはない)、ということが重要だ。
 この区別が明確に意識されているとは思われない叙述も、改憲派の文献の中に見られる。
 櫻井よしこ=民間憲法臨調・日本人のための憲法改正Q&A(産経新聞出版、2015)p.39以下はいわゆる芦田修正の文言の意味を解説しているが、この部分の執筆者の憲法解釈を示しているのか、それとも(現実には通用している)政府解釈の説明をしているのかが明確ではない。そして、「自衛のためであれば、軍隊や戦力を保持できることを明確にすべく」「前項の目的を達成するため」との文言を入れた、と書いており、これは上の西修の解釈と同じだ。
 しかし、このように政府は解釈していないことが重要なのであり、その旨をきちんと記しておくべきだろう。
 上の櫻井ら著が記すように、この著が示す解釈が採用されているならば、つまり「文意にそって解釈していけば」、「自衛のための組織である自衛隊は、憲法に何ら違反していない」ことになる。
 さらに重要なのは、そうだととすれば、九条2項はあえて<改正>する必要がないことになる、ということだろう。
 もちろん種々の疑義を晴らしておくための条文改正もありうるところだが、芦田修正文言が文字通りに解釈され、政府・国会議員・国民等々の間に疑問が生じていなければ、自衛隊は名実ともに憲法適合的な存在であったはずなのであり、その点については憲法改正は不要であるのだ。
 この辺りを上の櫻井ら著は理解しているのかはっきりしない。例えば、この著は「…自衛隊は、憲法に何ら違反しない」に続けて、「また、政府見解も『自衛力』としての自衛隊を合憲としています」と書いているが、この続け方は意味不明だ。自衛隊が自衛力の行使のための(必要最小限度の)実力組織であって合憲であるということと、九条2項にいう「軍隊その他の戦力」であって合憲(上述の文理解釈)であるというこことはまったく意味が異なる。
 西修は理解していると思うが、西修解釈そして櫻井ら著の解釈(p.40)を強調すると、じつは九条2項の改正という、改憲派が最重要視しているかもしれない課題の達成は不要になってしまう、という逆説的状態が生じる、ということにも留意が必要だ。
 さらにいえば、西修解釈・櫻井ら著の解釈が占領期、遅くとも1950年段階で採用されていれば、「自衛隊」ではなく「国軍」・「国防軍」等の名称の正規の?軍隊を(現九条2項のもとで)設置することも憲法上可能であったわけだ。だが、現実の歴史はそうは動かなかった。
 なお、コメントの最後にまで至っていない、田久保忠衛・憲法改正/最後のチャンスを逃すな!(並木書房、2014)のp.112は「芦田解釈」で「何ら不都合はなかったはずだ」、しかし「芦田修正案は政府の見解ではない」と、上の櫻井ら著よりも正しく明確に記述している。但し、「芦田解釈」を「政府解釈にしていれば、日本は自衛隊を改め、…軍隊を持って」よかった、と語っている(p.112)。揚げ足取りのようだが、上記のとおり、「自衛隊を改め、…軍隊」に、という必要はなく、当初からあるいは主権回復時から(自衛隊という中間項?を経ることなくただちに)「軍隊を持って」よかったことになる、と解される。
 第二点以降は、さらに続ける。
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