幡掛正浩・日本国家にとって「神宮」とは何か(伊勢神宮崇敬会、1995.08/7版2003.11、伊勢神宮崇敬会叢書1)に言及した昨日同時刻の書き込みには、この本の文章の位置づけ等に関して一部不正確なところがあった。第二の方に関係する。
 神鏡は伊勢神宮に在り、それは天皇(家)の私有財産であることを「前提として」とこの書の一部を引用したが、「神宮制度是正問題」(p.13~)を読んでいて、「…超国宝の神鏡を一私法人である『神宮』にもうやってしまったのか…。宗教法人というものは、規則の定める役員の同意で、解散も合併も自由だが、神宮をそんな危なげな法性格に放置したまま、政府は知らぬ顔をきめこんでいてよいのか」との感想・疑問・主張は、昭和32年度に発生した「神宮制度是正問題」の当初の頃のものだと判った。順番は逆で、このような問いかけの結果、独立後8年以上も経って!、神鏡は「皇位」とともに存在する、天皇の(私有)財産であることを政府が認めた、のだった。
 そしてまた、宮内庁は「こんな質問をされては頗る迷惑―といふ渋い態度をとった」というのもその当時の当初の態度で、下記のとおり、国会での正式な回答を池田勇人内閣が行っている。
 上記書のうち「神宮制度是正問題」(p.13~)の本文はこの問題の経緯概要をまとめた14頁半で、計63頁のうち48頁半は<関係資料>の掲載に充てられている。
 まず上の感想・疑問・主張に該当する国会議員(三重県選出・浜地民平)の質問書(1960.10.8)は要約すると以下のとおり(p.59~p.60)。
 ①伊勢神宮に「奉祀」されている神鏡は天皇と宗教法人のいずれの所有か、が曖昧では困る。「天皇の御位と不可分の関係」にあると信じるが政府の解釈いかん。
 ②「天皇の御鏡」だとすると神宮が「お預かりする」状態だが、法的には「お預かりする」とはいかなる関係か(「寄託」との学説もある)。
 ③どう法的に解しようと伊勢神宮が「お預かり」していることに間違いない。とすると、政府は「神宮当局者に対して、心得なり条件なりを明示しておくべきだと思う」が、いかに考えるか。
 この質問書に対して、当時の首相・池田勇人は答弁書を作成した(1960.10.24官報号外・衆議院会議録)。ここで示された理解が、おそらく今日まで生きているものと思われる。やや長くなるかもしれないが、できるだけ引用しておく(p.61-62、①~③は上に対応する)。
 ①「伊勢の神宮に奉祀されている神鏡は、皇祖が皇孫にお授けになった八咫鏡であって、…五十鈴川上に奉祀せしめられた沿革を有するものであって、天皇が伊勢神宮に授けられたのではなく、奉祀せしめられたのである。この関係は、歴代を経て現代に及ぶのである。したがって、皇室経済法第七条の規定にいう『皇位とともに伝わるべき由緒ある物』として、皇居内に奉安されている形式の宝鏡とともに、その御本体である伊勢の神鏡も、皇位とともに伝わるものと解すべきであると思う」。
 ②「伊勢の神鏡は、その起源、沿革等にかんがみ神宮にその所有権があると解し得ないことは明らかであると思う」が、「民法上の寄託等」と解するかどうかは「なお慎重に検討を要する」。「要するに、神宮がその御本質を無視して、自由に処置するごときのできない特殊な御存在だと思う」。
 ③「神鏡の御本質、沿革等については、神宮当局の十分承知しているところであり、神宮は、従来その歴史的伝統を尊重してきたが、新憲法施行後においても、神宮に関する重要事項はすべて皇室に連絡協議するたてまえになっている次第もあり、現状において特にあらためて心得等を指示される必要はないと思う」。
 さて、第一に、かかる政府見解が、1945年の<神道指令>以降ほぼ15年、主権回復後8年以上を経てようやく出されていること自体が、まず驚くべきことだろう。何とも曖昧な状態のまま、よくぞ10数年も持ちこたえたものだと妙に感心しさえする。
 第二に、天皇の財産を伊勢の神宮が「お預かり」していることの根拠、神宮に格別の「心得等」を指示する必要のないことの根拠を、政府自体が、「神鏡」の「本質」・「起源、沿革等」という歴史的・伝統的なものに求めている、ということに注目したい。なぜ伊勢の神宮が?と「合理的(理性的)」な問いを発しても無駄なのだ。<古(いにしえ)からそうなっている>としか答えようがないものと思われる。
 第三に、「新憲法施行後においても、神宮に関する重要事項はすべて皇室に連絡協議するたてまえになっている」ということを、政府が公的に確認していることも重要だ。
 第四に、上の政府見解(1960年池田見解)は、「神鏡」の所有権の帰属、その<管理>の仕方に関するもので、神宮での<祭祀>、それと密接に関係する皇居内での<祭祀>の法的性格や費用負担の問題に触れるものではないことを確認しておく必要があるだろう。
 上に第三点として述べたことの反復だが、政府も「新憲法施行後においても、神宮に関する重要事項はすべて皇室に連絡協議するたてまえになっている」ことを知っており、かつ肯定している、と言ってよい。しかるに、この「連絡協議」にかかわる天皇・皇族の行為の<性格>はいったいいかなるものなのか? 現在の実務ではすべて「私的」行為として扱っているのだろうが、<奇妙>に思えることは既に何度も書いた。
 が、いずれにせよ、伊勢の神宮が、天皇(・皇室)との関係において、神社の中でも<特別の>位置を占めていることは明らかだ。その神宮を一私的法人(宗教法人)としてしか観念できないのは、天皇(・皇室)の神宮への行為を「私的」行為としてしか捉えないことの延長にある。そしてまた、憲法上採用されている<天皇制度>はかくも厳格に天皇(・皇室)の「公」的地位・「公」的立場と神道・神宮等にかかわる「私的」行為とを峻別することを要求されなければならないのか、そのような憲法解釈は憲法第一章を憲法20条に一方的に従属させるもので、<総合的で合理的な憲法解釈>とは言えないのではないか、との疑問が(すでに書いているが)生じる。
 ついでに、資料中に載っている(p.32-33)、昭和20年7月31日の「木戸日記」の中に見える昭和天皇の発言も興味深いものがある。
 木戸によると、上の月日に昭和天皇は「大要」次のように語られた、という(カタカナをひらがなに変えている)。
 <伊勢大神宮のことは、誠に重大なことと思ひ、種々考えていたが、伊勢と熱田の神器は、結局自分の身近に御移して、御守りするのが一番よいと思ふ。(中略)度々御移するのも如何かと思ふ故、信州の方へ御移することの心組で、考えてはどうかと思ふ。(中略)万一の場合には、自分が御守りして、運命を共にする外ないと思ふ。
 昭和20年7月31日という<時期>が正確に理解できないとこの発言の正確な趣旨も理解できないだろうが、昭和天皇が連綿と継承されてきた「伊勢と熱田の神器」のことを深く憂慮し
、「自分の身近に御移して、御守りする」意向を示していたことは明らかだ。
 
「万一の場合には、自分が御守りして、運命を共ににする外ないと思ふ。」における「万一の場合」はいろいろに想像できる。いずれにせよ、そのように「伊勢と熱田の神器」について語っていた昭和天皇にもつながる<天皇制度>自体は、現憲法のもとでも解体・廃止されておらず、「世襲」との(血統に意味を認め平等原則とも矛盾する)<不合理な(非理性的な)>言葉も憲法に明記されつつ、現に存続していることに留意しておく必要があろう。
 なお、幡掛正浩は、執筆当時、伊勢神宮崇敬会理事長。昭和32年頃は「さんざんに東京と伊勢で二挺櫓を漕がされ、くたくたになって敗退した〔神社本庁の?〕庶務課長」だった、という(p.9)。園部逸夫・皇室制度を考える(中央公論新社)は多数の関係文献を巻末に掲載しているが、この幡掛の本を記載していないのは、些か不思議だ。