秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

法治主義

2651/池田信夫のブログ030-02。

 (つづき)
 第二。「ルールもほとんどが法律や省令として官僚によってつくられ…」。「省令・政令を含めた『法令』で決まる文書主義…」。
 これらのフレーズから生じ得るイメージは、(官僚が実質的にはつくる)「法令」によって、またはそれらにもとづいて「行政」は行なわれている、というものではないだろうか。
 法律でもって「法令」を代表させれば、「法律による行政」または「法律にもとづく行政」というイメージだ。
 あるまだ若い憲法研究者から、行政は全て「法律」に根拠をもって行われている(はず)でないのか、と問われて驚いたことがある。
 これは誤解だ。実際にはそうではない。また、こちらの方が重要だが、日本(および諸外国)の憲法学、行政法学、ひっくるめて「公法学」で、全ての「行政」が議会制定法規という意味での「法律」によって根拠が与えられかつ制約されてなければならない、とは考えられていない(余談だが、立憲民主党議員の中には素朴かつ幼稚な<国会・行政>関係のイメージをもっている者がいるようだ)。
 「法律による」や「法律にもとづく」の意味によって多少は異なってくるが、しかし、重要なことは、「法令」=「行政法規」と無関係の、または「法令」=「行政法規」上の多少とも具体的な規定が存在しない「行政」が実際には存在する、ということだ。
 全ての行政が「憲法」に違反してはならない。<関連行政法規>が存在すれば、全ての行政はそれに違反してはならない。これらは間違いではない。
 しかし、上の後者は<存在していれば>の叙述であって、<関連行政法規>が存在しないならば、「違反」することもあり得ない。
 あえて単純化していうと、具体的な行政には、つぎの二つがある。
 ①憲法—法律—政令・省令等→行政。
 ②憲法—予算—配分基準を定める「通達」類→行政。
 法律または条例がなく、正確には多少とも具体的な規定のある法律・条例がなく、あっても「責務」規定、行政「目的」規定だけがあり、別途財源措置だけが「予算」によってなされていて、その一定の額の財源の配分先・金額の上限、交付・助成決定にいたる「手続」等が「行政法規」に定められておらず、「通達」類(<内部的>だが「公表」されていることも多い)が定めている、そういう「行政」がある。
 池田信夫も用いている言葉である「業法」というものがある行政分野ではない。
 定着した概念はないと思うが、手段に着目すれば「補助金行政」であり、目的に着目して「助成」行政とも言える。社会保障分野に多いかもしれない。だが、特定の産業、起業あるいは研究・開発を誘発・誘導しようとするものもある。
 池田信夫がよく用いている「裁量」という語は、本来は、①の行政の場合に行政法規に制約されつつも行政担当者になおも認められる「自由な判断・選択の余地」を意味する。当然に、広狭があり得る。
 だが、広くは②でも使われ得る。もともと行政法規による「制約」がなく法令との関係では「自由」なのであり、憲法とせいぜい「法の一般原理」に制約されるだけだからだ。
 ところで、上につづくとして、「関連行政法規」がなく、「予算」上の財源措置とも無関係な「行政」もあるだろう。現実にも存在すると思われる。
 この分野ではしかし、「法令」によらないでそんなことをしてよいのか、そもそも「(公)行政」ではないのではないか、という「国家」・「行政権」の存在意義に関わる深遠な(?)問題が生じることもあると考えられる。
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 さて、関連して想起してしまうのは、<行政指導>という「行政手法」だ。
 「お願いベース」という言葉が、コロナ対策に関連しても使われた。
 お願い、要請、奨励、指導。全て「法的」拘束力はない。これらは、「行政法規」が正規に国民あるいは「私人」に要求する以上のことを「求める」。上の①の行政でもあり得る。②の行政では、これらはもともと「セット」の一部のようなものだ。
 しかし、これらに国民・「私人」が従えば、正確には「任意に」従えば、「お願い」行政もまた現実化する。あるいは、<機能する>。
 反コロナワクチンを打たれる際には、あれこれのことに「同意」する旨の署名が求められていた。だが、医学上の専門用語を使った「副反応」等の説明をいったい何%の人々が「十分に」理解して「任意に同意」して(署名して)いるのか、と感じたものだ。
 諸外国と比べての相対的な意味でだが、「任意」性の曖昧さ、「意思」の曖昧さこそが、そしてその点を利用?して行なわれる<行政指導>、「お願い」、「要請」の盛行こそが、英米の他に仏独とも異なる、日本の「行政スタイル」の特徴の一つではないだろうか。
 この問題は、簡単には論じ尽くせられない。
 なお、<行政指導>概念には特定の様式に関する意味は付着していない。文書によることも、メディアを通じることもあり、個別に「口頭」で行われることもある。
 行政手続法という法律(1993年第88号)は、口頭による場合の一定の「行政指導」について、相手方私人の文書(書面)交付請求権を認めている。一種の「文書主義」だ。
 行政手続法35条第3項「行政指導が口頭でされた場合において、その相手方から前二項に規定する事項を記載した書面の交付を求められたときは、当該行政指導に携わる者は、行政上特別の支障がない限り、これを交付しなければならない」。
 その他、35条全体、32条〜36条の2も参照。「行政指導」は、一般的・世俗的用語にすぎないのではなく、ここに見られるように、法律上の(法的)概念だ。
 これ以上は立ち入らない。
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2411/法の支配①。

  一義的でない概念はたくさんあるもので、「法治行政」もその一つだろう。これの意味は、大略つぎの二つに分けられそうだ。
 第一に、ドイツ行政法(学)上、Gesetsmässige Verwaltung の「原理」または「原則」というのが語られてきた。現在のドイツはともあれ、日本では、①法律の優位、②法律の留保、③法律の「法規」創造力の三原理・原則の総称として現在でも(教科書類では)使われているだろう。
 この場合の上のドイツ語は直訳すると「法律による行政」原理または「法律適合的行政」の原理ということになる。
 但し、ドイツ法上の「法治国(国家)」概念の影響を受けて、または関連させて、あるいは簡略化を意図して?、「法律による行政」・「法律適合的行政」ではなく、「法治行政」の原理・原則と称する者または書物があるかもしれない。
 この場合は、「法治」と言っても、「法」は実質的には「法律」を意味する。
 なお、日本では「法」と「法律」の二つの語の混用・共用があることが問題の理解をさらに妨げている原因になっていると見られるが、先だって言及した池田信夫の文章も書いていたように、「法律」とは議会(日本では国会)が制定した(その意味で国家機関の一つによる人為的な)法・法規範を意味する。「法」とはこれを含む法・法規範一般のことだ(道徳・宗教規範と区別される)。
 ドイツ憲法が「執行権」は「法律(Gesetz)および法(Recht)に拘束される」と明記するとき(第20条3項)、上の区別を前提にしているのであり、同じことを「法律」と「法」と重ねて言っているのではない。
 第二に、「法治行政」をむしろ字義どおりに、<法(と法律)による行政〉の意味で用いる。
 日本での「法」と「法律」の二つの語の混用・共用状況に加えて、「法治行政」という概念にはもともとこのような、二種の理解を生むような不明瞭さがある。したがって、用いられることは少なくなっているかもしれない。
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  敗戦し、憲法が新しくなり(改正?、新制定?)、とくに行政関係諸法律が改正・新制定された時点で、憲法・行政法、政治・行政を対象とする学者・研究者の関心を惹いたのは、いや関心を持たざるを得なかったのは、アメリカ的、またはその基礎にあると考えられたイギリス的 Rule of Law (法の支配)とは何か、戦前は慣れ親しんだ?ドイツ的考え方とどう違うのか、だったと思われる。
  1952年に、アメリカに詳しいと推察される行政学者と、ドイツに詳しいと推察される行政法学者の間で、雑誌上、つぎの論争がなされた、とされる。
 ①辻清明「法治行政と法の支配」思想337号(1952〉。
 ②柳瀬良幹「法治行政と法の支配—辻教授の所説について」法律時報24巻9号(1952年〉。
 つぎの日本公法学会での議論と同様に、内容には立ち入らない。
 なお、池田信夫が参照していた百科辞典類での「法治主義」の叙述は、この頃の、上ではとくに前者の、理解に近いかもしれない。
  1958年の日本公法学会総会では「法の支配」がテーマとされた(当時の理事長は宮沢俊義)。
 翌1959年刊行の『公法研究』第20号によると、当時の英米法・憲法の教授(東京大学)と行政法の教授(京都大学)がそれぞれ「法の支配」、「法の支配と行政法」と題する総括的報告を行い、当時の若手行政法研究者が「法の支配」と「法治国」の各理論を比較検討する研究報告を行っている。その後の「シンポジウム」での議論の概要も掲載されている。
 2021年から見て、60年以上前。
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  上の報告や議論の内容に(今回は全く)立ち入らないのは、細かなそれを要領よく概括するのは困難であることのほか、前回にも示唆したように、「法の支配」の意味内容、それと「法治国」または「法治主義」の異同を今日において明らかにすることの現実的意味の希薄さにある。
 それでも、イギリス法に関する若干の書物をみると、興味深くなくもない叙述もあるので、もう一回この主題に触れる。
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2407/池田信夫ブログ024—「法の支配」。

  池田信夫ブログマガジン2021年7月26日号にある〈法の支配とその敵〉は、「西村大臣の騒動は、日本にまだ法の支配がないことを痛感する事件だった」から書き出す。
 〈法の支配〉の意味次第とも言えるが、これは間違っているか、大きな勘違いまたは大きな曖昧さがある。
 また、某世界大百科辞典の、「法の支配は法治主義とは異なる」以降の文章を引用したりしている。
 前者については、全ての行政法(学)の概説書類に必ず専門用語として出てくる〈行政指導〉に関する知識が残念ながら欠けている。
 もっとも、西村発言について「法(法律?)」に基づく必要があるのに怪しからんとテレビで喚いていたれっきとした弁護士もいたから、池田だけを問題にしてもほとんど意味がないだろう。
 いつでも執筆できる、〈組織管轄上の法的根拠〉と〈作用・活動上の法的根拠〉の違いとか、後者にも関係して日本の行政部も「法律」のみならず「憲法」や「法の一般原理」に拘束される、とかのタテマエ的なことは、ここでは書かない。なお、上の<根拠>概念は専門述語ではない。
 〈行政指導〉一般論でいうと、〈組織管轄上の法的根拠〉があれば十分、但し、明文の〈作用・活動上の法的根拠〉をもつものもある、というだけで十分だろう。
 私が西村康稔経済再生担当大臣の発言で興味深く感じたのは、この人は官僚の経験もあるからだろう、金融・銀行業界ならば要請に従ってくれるだろう、と思って発言したに違いない、ということだ。たとえば、食堂・レストラン業界、パチンコ店業界ならば、あんなことを直接には言わないし、言えないだろう(行政的・政治的に)。
 余計ながら、かつて<バブル崩壊>のきっかけになったのは、1990年3月の大蔵省銀行局長による、外部への、正確には同省所管のつまり農水省所管のものを除く金融機関に対する「通達」形式の<行政指導>だった。
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  ファーガソンの論述や百科辞典の叙述が正しいまたは適切とは限らない。発展させて、書きたいことを書いてみよう。
 「法の支配」と「法治主義」はどう違うか。なるほど、調べてみたい主題かもしれない。
 前者には対応する英語があるが、後者にはないようだ。
 しかし、ドイツで(現在でも使われる)「法治国原理」が最も近いだろう。
 ここですでに「法治」を訳語的に用いるのは日本的で、原語は、Rechtsstaatprinzip で、「法治国」にあたるのはRechtsstaat だから、前半は、直訳としては、「法国家」または「法的国家」の方が適切だろう。
 しかし、確認したことは私自身はないのだが、明治時代にすでに「治国」という漢語が日本に知られていて、ドイツ、プロイセン辺りからRechtsstaat という概念に接した当時の日本人が、「法」+「治国」という意味にこれを理解して、Rechtsstaat を「法治国」と訳し、かつ利用した、という話がある。
 ここから当然に「法治国原理」も出てくる。
 そして、断定できる自信はないものの、言葉は発展?するもので、この「法治国原理」が「法治主義」へも変化したものと推測される。
 Law-ism もRecht-ismus もない。日本の「法治主義」は、戦前は英米法よりも日本に影響力をもったドイツ法のRechtsstaat に起源がある、と言ってよいのではないか、と考えられる。
 とすると、「法の支配」と「法治主義」の違いはイギリス法または英米法とドイツ法の違い、ということになりそうだ。
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  しかし、池田が参照する辞典の記載内容は、決定的に古くさいようだ。
 戦前からの英米法と戦前、とくに第二帝国時代の、明治憲法が範としたプロイセン・ドイツの違い、あるいは、少なくともタテマエとしての今の日本と大日本帝国憲法下の日本の違い、を説明しているようだ。
 ドイツのことはよく知らないが、法律にさえ違反しなければよい、という国政観は、法律の合憲性審査の仕組みの不存在とも相まって、戦前の日本には、たしかにあった。なお、こういう大きな弱点は、戦後憲法を批判して明治憲法に郷愁を感じているかもしれない<保守>派が指摘することは少ない。
 だが、池田の紹介する二つの語・概念の違いは、日本の他、現在のドイツにも当然ながら当てはまらない。
 ドイツ憲法(基本法、Grundgesetz)には、行政権は「法と法律に拘束される」という明文の条項がある。「法と法律」と二つに分けている。なお、「法治国家」=Rechtsstaat も憲法が明記して謳う国家規定の概念。
 それに、ドイツが「法の支配」的考え方を自ら発展させるか、受容しない限り、(イギリスが離れてしまったが)欧州共同体なるものが設立できるはずがない(EUには議会も執行機関もある)。
 ドイツ法かイギリス法か、大陸法か英米法かを問題にしても、あまり意味はない。
 但し、日本に、かつてのドイツにも共通したのかもしれない日本の<遅れ>を指摘する論者がいるかもしれない。
 だがその遅れは、あるとすれば、「法の支配」も「法治主義」もきちんと理解しておらず、身につけていないことによるだろう。
 それにまた、法的に厳密な思考の仕方に欧米諸国の人々とはおそらくある程度は異なる様相があることを秋月も承認するとしても、それは正邪、善悪の問題ではないかもしれない。
 脱線しそうだが、日本法は、典型的にはまさに「行政指導」のようなinformal な活動の容認とその多さは、pre-modern かpost-modern かが話題になった頃があったし、今後もなりうるかもしれない。
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  そもそも、「法の支配」とは何なのか?
 興味だけはあるので、池田から離れても、もう少しつづけよう。

2225/田中二郎・行政法の基本原理(1949年)①。

 A/田中二郎・行政法の基本原理(勁草書房/法学叢書、1949年)。
 日本国憲法施行後2年のこの書物は、書名のとおり、「行政法の基本原理」を論述する。最終表記の頁数は297。
 4つの章で構成されていて、つぎのとおり。第二章のみ、節も紹介する。旧漢字は新漢字に改める。
 第一章・序論。
 第二章・行政法の基本原理の変遷。
  第1節・旧憲法の下における行政法の基本原理。
  第2節・新憲法の下における行政法の変遷の概観。
 第三章・新憲法の下における行政法の基本原理。
 第四章・連合国の管理における行政法の特質。
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 第三章(およびすでに第二章第2節)で著者が示す現憲法下での「行政法の基本原理」はつぎの四つだ。各節の表題とされている。p.58~p.264.
 ①地方分権主義の確立。
 ②行政組織の民主化。
 ③法治主義の確立。
 ④司法国家への転換。
 これらにそれぞれ(ほぼ)対比されるものが、第二章第1節で「旧憲法の下における行政法の基本原理」とされている。p.11以下。
 ①中央集権主義。
 ②官僚行政主義。
 ③警察国家主義。
 ④行政国家主義。
 従って、①中央集権主義→地方分権主義、②官僚行政主義→行政組織の民主化、③警察国家→法治主義、④行政国家→司法国家、という<行政法の基本原理>の<変化>も語られていることになる。
 「警察国家」は必ずも語感どおりのものではないし、「行政国家」・「司法国家」の対比は大まかに<行政事件>または<行政訴訟>をとくに行政裁判所(東京に普通裁判所とは別に一審かぎりのものとして、かつてあった)に管掌させるか、現在の最高裁判所以下の<司法裁判所>が一括して扱うかの違いなので、上の諸概念自体について説明や叙述が必要だろうが、立ち入らない。
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 上のような「行政法の基本原理」は、当時のとくに公務員志望の学生たちが教科書・参考書にしたかもしれない、つぎの田中二郎著では、少しく変更されている。
 B/田中二郎・行政法総論-法律学全集6(有斐閣、1957)。
 これのp.188-p.195によると、「現行行政法の基本原理」は、つぎの4つだ。
 ①民主主義の原理。
 ②法治主義の原理。
 ③福祉国家の原理。
 ④司法的保障の原理。
 上のA、つぎのCで出てくる「地方」行政上の「原理」は、この①の中で、新憲法にいう「地方自治の本旨に基づ」く地方行政は「団体自治」・「住民自治」の保障を意味し、これは地方自治法等の法律による首長主義による「代表制民主主義」と直接請求等の「直接民主主義の諸制度」によって実現されている(p.189)というかたちで、<①民主主義の原理>の中に包含されているようだ。
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 教科書としてはより詳しくなったつぎの田中二郎著は、上のAよりはBを継承しつつ、全く同じでもない。この書が、<田中二郎行政法>としては最も読まれた(利用された)かもしれない。
 C/田中二郎・新版行政法上-全訂第一版(弘文堂/法律学講座叢書、1964年)、p.33-p.44。
 ①地方分権の原理。
 ②民主主義の原理。
 ③法治国家・福祉国家の原理。
 ④司法国家の原理。
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 むろん一人の学者・研究者の<変化>を問題にしたいのではいない。
 また、「自由主義」との関係・関連も含めたそれぞれの説明・叙述を批判的に検討したいのでもない(その能力はない)。
 最も関心を惹くのは、そもそも一法(学)分野の「基本原理」とは何か、だ。
 これについて論じるまたは検討する意味が多少ともあるのは、田中二郎著について言うと、上のB・Cが「原理」とする、①地方分権、②民主主義、③法治主義(・法治国家)・④福祉国家、⑤司法国家、の諸「原理」の<法的意味・機能>ということになるだろう。
 だが1980年代はおろか2020年代に入っている今日に、これについて議論する意味または価値がいかほどあるかは、別途の説明が必要だろうが、疑わしいようにも見える。
 また、そもそも、田中二郎以降の次世代・次々世代等が、どれほどに、あるいはどのように、<行政法の基本原理>を論じ、あるいは叙述してきたか、きているか、という問題もある。
 但し、現在から70年以上前の、1949年に刊行された上のAについては少なくとも、そこでの「行政法の基本原理」の意味を検討してみる価値が、少なくとも<歴史>ないし<法史>の探求の一つとして、なおあるようだ。
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 結論として、上のAでの「行政法の基本原理」には、つぎの三つがあると解される。
 第一。日本国憲法上の(明文規定上の)「行政」に関する諸規定が示す、<行政に関する憲法原理>
 概念上、憲法と行政法は相互に排他的ではない。法学上の説明にはしばしばこういうのがあるが、憲法(典)の中にも<実質的意味での行政法>はある。この第一は、このことをおそらくは前提とする。
 第二。日本国憲法施行と同時に、またはその後1949年春頃までに制定(または改正)された、諸行政関係法律が有している、もしくは担っている、あるいは基礎にしている「基本原理」
 これを明らかにするためには簡単には戦後(正確には日本国憲法施行後)の行政関係立法の内容(とくに前憲法下との違い)をフォローしなければならない。子細・詳細ではないにしても、上の田中二郎著もこれを行っているだろう。
 第三。上の二つもふまえた、今後に行政関係法制を整備・改正していくための基本的な方向を示すための<基本原理>
 しかして、かりにこうだとして、かつまた1949年ないしその後数年に限ったとして、<行政法の基本原理>は誰の、どんな異論を受け付けないほどの<適正>なものとして、きちんと「把握」され得るものなのか?(だったのか?)。
 これはむろん、田中二郎の直接には1949年著による「把握」の適正さに論理的にはかかわる。
 しかしてさらに、「(法)原理」の「把握」とはいったい何のことか?
 また、その「把握」の「適正さ」の有無や程度は、いったいどのようにして<評価>され、あるいは<論証>されるのか?
 こうした論点には、純粋「文学」畑の幼稚な論者たちがおそらくは全く想定しておらず一片も理解することのできない、あるいは法学者ですら無自覚であることがあるかもしれない、<法学(的)>議論の特性、があるように見える。

1003/独裁者・菅直人、一刻も早くクビをとるべきだ。

 一 かりに目的がよくても為政者はいかなる手段を用いてもよいわけではない。

 万が一「共産主義」社会が理想的なものであっても、その社会実現のために、邪魔になる「反共」主義者をその思想ゆえにのみすべて殺害することは許されるのか?。

 菅直人は、上と似たような発想をする<独裁者>のようだ。

 なるほど浜岡原発は、その立地において他の原発と比べて地震・津波の安全性に疑問が高いように見える。安全性の確保が(東北地方・太平洋側の原発とともに)急がれる原発かもしれない。

 上のような印象がただちに浜岡の「運転停止」を正当化するものではない。この点についても検証が必要だが、これもスルーして、浜岡は「運転停止」すべき原発だということが合理的判断だ、ということにしてみよう。

 そうしてみたところで、内閣総理大臣による「停止」要請が正当化されるわけではまっくない。

 二 菅直人による今回の要請はなるほど唐突であり、総合的・長期的考察を欠いているだろう。

 だが、より大きな問題は、内閣総理大臣たる菅直人が(口頭によったのか文書によったのかも新聞紙上では不明確ななままで)「要請」という<行政指導>によって、「運転停止」を実現しようとし、かつ実現しそうだ、ということにある。

 菅直人は、法律と行政に未熟な、かつ「左翼」的心性をもった菅直人は、その「独裁者」ぶりを、いよいよ発揮してきた。

 三 自民党の石波茂(政調会長)は菅直人の措置の「根拠」を問題にしているが、相手方が任意に協力してくれるかぎりでの「行政指導」に具体的な法的根拠(法律上の根拠条項)は要らないだろう。

 だが、思い出しても、バブルを終熄させたのは、1990年3月の大蔵省銀行局長の「行政指導」通達だった(農林系金融機関は対象外だったことが大きな問題を残したことは周知のとおり)。

 このときはたかが銀行局長の…と感じたものだが、今回は内閣総理大臣たるものの「要請」=「行政指導」だ。建て前上、行政指導に拘束力はない、従うか否かは相手方の任意といってみたところで、強く規制・監督されるかわりに強く保護されている電力会社が内閣総理大臣の「要請」を拒否できるはずがない、と考えるのが常識的な感覚だろう。

 そして、菅直人によると「指示や命令は現在の法制度は決まっていない」らしいのだが、「現在の法制度」では不可能なことを、便宜的な「行政指導」という措置で実現しようとした、かつその意思形成過程はほぼ菅直人の脳内にあり、わずかにせよ存在するはずの国(行政)の意思形成システムをもほとんど無視してそれはなされた。ここに問題の本質がある。

 四 浜岡原発の運転停止を求める「指示や命令は現在の法制度は決まっていない」のだとすれば、そのような正規の法的権限を与えるように原子炉等規制法等を改正して、内閣総理大臣または経済産業大臣等に<運転停止>権限を付与するのが、正常な法的感覚だ。

 そんな悠長なことをいっておれない、緊急性を有する、と菅直人は考えたのかもしれない。しかし、幸い?国会は開会中で、官僚たちに指示して原案を作らせて国会で審議すれば、菅直人の浜岡原発の焦眉の危険性が国会議員多数に共有されるかぎり、数週間で法律は(場合によっては政令・省令も)改正できるはずだ。

 法律改正が難航して、いよいよ浜岡原発が危ない、となれば、その時点で停止「要請」しても間に合うだろう。国会での審議中に浜岡に放射性物質にかかわる震災または津波が起こったときにかぎり、菅直人の措置は結果として(カンが当たったとして)正当化されるだろう。

 なぜ、関係法令の改正をしようとしないのか、なぜ、そのための改正案を菅直人(内閣)は国会に提出しないのか。

 「熟議を」とかいいながら、国会を軽視・無視している菅直人(そして民主党)内閣の本質が一段と明らかになっている。

 国会の軽視・無視、国会に諮らないままでの事案処理、これはまさしく<行政独裁>であり、さらにほとんど菅直人の脳内でのみ意思形成がなされたようであることも含めて、<菅直人の独裁>に他ならない。

 五 場当たり的、人気取り、原発政策全体との整合性は?、とかの批判は当たっていないことはないだろう。

 だが、最大の問題は、現行法制上は不可能なことを内閣総理大臣たる菅直人個人の「行政指導」で行った、という点にある。目的さえよければ(菅直人は「国民の安全と安心」のためと明言している)、現行法制を無視して、いかなる事項・問題でも首相の「行政指導」によって実現する、という道が拓かれた、という点にある。これを座視すれば、今後のその他の問題でもまた、同様のことが繰り返されるだろう。「国民の安全と安心」のために、現行法制では決められていないので「行政指導」で、という行政スタイルが構築されようとしている。しかもまた、その「行政指導」にあたって、行政部内全体での十分な検討が行われたようにも見えないのだ。

 国会軽視・無視の、かつ行政部内全体の調整も不十分なこの行政スタイルは、菅直人(個人)による<独裁体制>だ、と言って過言ではない。

 六 目的さえよければ、手段はどうでもよいとするのが「左翼」の基本的な発想だ。さっそく日本共産党・社民党、そして民主党系・容共らしき川勝某静岡県知事は<英断を歓迎する>と述べている。

 そこには、法律(国会)と行政の関係あるいは行政にかかわる法秩序感覚は乏しい。

 一種の非常事態の中で、日本の立憲主義、法治主義は危機に瀕している

 菅直人という政治・行政の「素人」が、まがりなりともある程度は築かれてきた日本的な立憲主義、法治主義を破壊している。

 そのような深刻な危険性を、今回の浜岡「停止要請」はもつものだ。この点を良識ある人々は鋭敏に見抜くべきだ。

 菅直人はあぶなっかしいのではなく、現に危ない。独裁者は退場させなければならない。早くクビを取らなければならない。

 七 菅直人のクビを取ること、そしてさらにそもそも「現行法制」はどうなっているのか、について次回以降に書く。

 三万人近い死者にとっては「勇気を」、「希望を」等々とか言っても空しいだけだ。死者が、どのようにして「勇気」・「希望」をもちうるのか?? そう感じ、言葉の無力さをひしひしと感じてしばらくこの欄に向かわなかったが、菅直人の行動により「日本」という国家がさらに一段と自壊していくのを感じて、再び文章をつづる気になった。

0407/呉智英-産経3/01でまた珍論。

 産経新聞3/01のコラム欄(「断」)で、呉智英がまた奇妙なことを書いている。
 やや単純化すると、三浦和義が米国の裁判でクロになったら、「保守主義者よ、かかる近代国家、法治国家で、道徳の再興を説き、道徳教育の実現を画することが、どうしてできようか」、と言う。
 この論理はあまりにも唐突だが、媒介項としてあるのが、道徳と国家・法律が衝突すれば、近代国家・法治国家では後者が勝つのが自明だ、という主張だ。
 呉智英は率直に言って、莫迦(失礼乍ら=アホ)ではないだろうか。
 道徳と法律が衝突すれば、近代国家・法治国家では後者が優先する(反道徳的でも合法でありうる)という主張はおそらく基本的には(なお後述)適切だ。
 だが、そのことから、「道徳の再興を説き、道徳教育の実現を画する」、「しかめつらしい顔をした」「保守主義者」に対する皮肉あるいは批判がどうして出てくるのか
 第一に、「道徳」に明瞭に矛盾している<法律>が優先するのは、国家の裁判・訴訟という場面での現象で、一般的に「道徳」規範の意味がなくなるわけではない。裁判上は<無罪>であっても<無実>とは限らないこと、その場合に犯罪者は道徳・<良心>による別の(法的ではない精神的)裁きを受けうること、は常識的なことだろう。
 道徳も(近代法治国家では)法律には負ける→道徳の再興・道徳教育の実現を説くことはできない、という論理がいったい何処から出てくるのか。かかる幼稚な論理が公然と語られることに心寒い思いがする。
 第二に、「道徳」と「法律」は別次元に存在しているのではなく、前者の観点から絶えず後者の見直し(=改正)が図られるべきものだ。両者が矛盾することはあるのが当然だが、それが常態となるような社会は健全ではないだろう。
 呉智英のいう「近代国家、法治国家」においても、<道徳>の意味が失われるわけでは全くない。それは、「近代国家、法治国家」の具体的内実を変えていく機能を果たしうる。
 とりあえず以上ですでに十分だが、第三に、①<道徳>の意味、②「近代国家、法治国家」の意味(呉智英は「法の支配」と「法治主義」(<「法治国家」)の異同を知っているのか?)、を呉智英はどれほど明確・厳密に理解したうえで執筆しているのか? ③やや細かいが、(刑事)裁判といっても日本と米国で手続や有罪とするための基準は同一ではないと見られることについて、いかほどの考慮を払っているのか、との疑問もある。(なお、同一国家でも、ある時点で有罪とされたが数十年後の新証拠発見(発生)により再審・無罪となることもある。ということは、その逆も(裁判手続上の認定は無理でも事実としては)ありうるのであり、時間軸を無視した過去と現在の単純な比較は意味がない。)
 呉智英は産経新聞紙上で「保守主義者」を刺激したいようだ。残念ながら、全く成功していない。「保守主義」者という言葉自体がどういう意味で用いられているかも、厳密には不明なのだが。
 ついでに書いておく。「法治国家」という場合の「法」には法律の他に憲法も含んでいるだろう。憲法>法律なのであって、法律でも破れない規範的枠・基準を憲法は定めていて、主として法律制定者(<国家)を拘束する。その憲法の背後又は基礎には、「道徳」と呼ぶかどうかはともかく、より高次の<理念>(<最高規範>?)があるはずだ、と思われる。この「道徳」、基本的<理念>の具体的内容については多様な議論がありうる。
 呉智英は「保守主義者」のみが「道徳」という(「法律」とは矛盾しうる)より高次の規範・価値基準の存在を主張しているかの如き書き方をしているが、「保守主義者」でなく「進歩主義」者・「左翼」もまた、何らかの(「法律」とは矛盾しうる)高次の規範・価値基準の存在を前提にしており、主張していると思われる。
 問題は、「法律」と矛盾しうる高次の規範・価値基準の具体的内容なのだ。政策や法律改正をめぐる議論と闘争は、多様な高次の規範・価値基準のうちどれが適切かをめぐってなされているとも言えるのだ。
 一部では著名らしい(本当か?)評論家らしき者に対してこんな幼稚で常識的なことを書いて時間を潰すのも莫迦ゝゝしく思えたが、せっかく書いたので残しておこう。
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  • 2293/レフとスヴェトラーナ18—第5章①。
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  • 2283/レフとスヴェトラーナ・序言(Orlando Figes 著)。
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