昨秋にネットを散策していると、5年ほど前の「かつては渡辺洋三がそうであったが、最近では樋口陽一がもっとも多く一般向けの法学書を書いているのではないだろうか」という書き込みの一文に出くわした。
 樋口陽一著にはいずれ触れることとして、「渡辺洋三」という名で思い出したことがある。約20年前だろう、30歳ほど年上の人が、<渡辺洋三は日本共産党の「大学部長」だ>と私に言った。正確に「大学部長」だったかの自信はないが、また私に真偽を確かめる術はなかったが、おそらく事実で、大学所属の教員・研究者党員のトップ、「大学(学術)政策」の最高責任者だろうと想像した。渡辺洋三(1921-)は世間的な知名度は必ずしも高くないが、1970年代は東京大学社会科学研究所の教授だった。
 昨年8月に、渡辺洋三・日本社会はどこへ行く(岩波新書、1990)を通読してみたのだが、西側先進諸国よりも日本は「遅れて」おり、日本の「特殊的体質」等を除去しての日本社会の「民主的改革」が不可欠だとしていた。西欧との差違を強調して=日本を批判するための方便としての西欧なる基準をもち出して民主主義の徹底を主張するのは、まさしく日本共産党の路線そのままで(「遅れた」日本には「民主主義革命」が必要なのだ)、その枠内での具体的諸指摘・ 諸主張をしていた。あらためて手にとってみると、「西側の国で、日本くらい市民にとって自由のない国はない」と平然とのたまっている(p.234)。
 ドイツやアメリカには共産党はなく、一定の要件に該当する共産主義政党は結成・設立自体が禁止されているはずだ。しかし、日本では、日本共産党のれっきとした幹部が国立大学の教授を務めることができ、一般国民むけ書物を(岩波書店や朝日新聞社等の出版社を通じて)自由に出版でき、自由に(共産党的)意見を述べられる。コミュニスト、共産党員にとって「日本くらい自由のある国はない」のではなかろうか。国公立大学教員―私立大学を含めてもよいが―のうち共産党員が占める比率は、西側先進諸国中で日本が最大ではなかろうか。
 岩波新書に限らず、朝日新書、ちくま新書等々の「一般」向け書物を日本共産党員がその旨を隠して執筆している例は、歴史・経済部門も含めて、多数あるはずだ。かかる実態は広く知られておいてよいと思われる。
 1996年初めに首相は村山富市から橋本龍太郎に変わったのだったが、この頃に最終的執筆があったと思われる渡辺洋三・日本をどう変えていくのか(岩波新書、1996.03)も、見てみた。最後の方に当時の政局又は政党状況を前提にした各党への批判的コメントがあり、自民党、小沢党首の新進党、新党さきがけ、村山退陣とともに日本社会党から改名した社会民主党に触れている。しかし、何と日本共産党には何も言及していない。日本共産党という言葉は一回も出てこず、日本共産党が最も優れているとか自分の主張と近い(同じ)という旨も書かれていない! このことは、当時衆議院に15議席を占めていた共産党を小党という理由で無視したわけではなく、渡辺の主張が日本共産党のそれであることを問わず語りに証明しているようなものだろう。その意味で、とても面白い部分をもつ本だ。
 今は大学の入学式の季節だ。むろんその中には、法学部に進学した若者もいる。岩波新書は一定年齢以上の者にはまだ「権威」があるようで、そのような感覚の両親をもつ新入の大学生は、岩波新書の中から基礎的教養書又は入門書を購入しようとするかもしれない。法学(法律学)関連では、上に言及した二つを重複を避けて除外しても、渡辺洋三・法とは何か(1998)、同・法を学ぶ(1986)、同ほか・日本社会と法(1994)がある。
 但し、いかにマルクス主義又は共産党に独特の用語は出てこなくとも、上に述べたように、渡辺洋三はれっきとした日本共産党員だと推測される(樋口陽一氏の岩波新書もあるが、「基礎的教養書・入門書」にはならないだろう)。
 日本史関係では羽仁五郎・日本人民の歴史(1950)はさすがにもう絶版だが、井上清・日本の歴史(上)(中)(下)(1963-66)はまだ売られているようだ。井上清は元日本共産党員、のち「新左翼」支持のマルクス主義歴史学者だ。
 渡辺洋三や井上清の本を読むとマルクス主義者にならなくとも、少なくとも「反体制」、「反権力」的雰囲気だけはしっかりと身につけるに違いない。それが、岩波新書、そして岩波書店の出版意図だとも言える。読者本人や勧める親等の勝手なことではあるが、やや老婆心ながら。