秋月瑛二の「憂国」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

河野洋平

1198/資料・史料-1993.08.04河野談話・1995.08.15村山談話。

 資料・史料-いわゆる<河野談話>・<村山談話>

 

 1.<河野談話>

 慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話

 平成5年8月4日

 「いわゆる従軍慰安婦問題については、政府は、一昨年12月より、調査を進めて来たが、今般その結果がまとまったので発表することとした。
 今次調査の結果、長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したことが認められた。慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。
 なお、戦地に移送された慰安婦の出身地については、日本を別とすれば、朝鮮半島が大きな比重を占めていたが、当時の朝鮮半島は我が国の統治下にあり、その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた。
 いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。政府は、この機会に、改めて、その出身地のいかんを問わず、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる。また、そのような気持ちを我が国としてどのように表すかということについては、有識者のご意見なども徴しつつ、今後とも真剣に検討すべきものと考える。
 われわれはこのような歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい。われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する。
 なお、本問題については、本邦において訴訟が提起されており、また、国際的にも関心が寄せられており、政府としても、今後とも、民間の研究を含め、十分に関心を払って参りたい。」

 

 2.<村山談話>

 村山内閣総理大臣談話

 「戦後50周年の終戦記念日にあたって」
 
平成7年8月15日

 「先の大戦が終わりを告げてから、50年の歳月が流れました。今、あらためて、あの戦争によって犠牲となられた内外の多くの人々に思いを馳せるとき、万感胸に迫るものがあります。
 敗戦後、日本は、あの焼け野原から、幾多の困難を乗りこえて、今日の平和と繁栄を築いてまいりました。このことは私たちの誇りであり、そのために注がれた国民の皆様1人1人の英知とたゆみない努力に、私は心から敬意の念を表わすものであります。ここに至るまで、米国をはじめ、世界の国々から寄せられた支援と協力に対し、あらためて深甚な謝意を表明いたします。また、アジア太平洋近隣諸国、米国、さらには欧州諸国との間に今日のような友好関係を築き上げるに至ったことを、心から喜びたいと思います。
 平和で豊かな日本となった今日、私たちはややもすればこの平和の尊さ、有難さを忘れがちになります。私たちは過去のあやまちを2度と繰り返すことのないよう、戦争の悲惨さを若い世代に語り伝えていかなければなりません。とくに近隣諸国の人々と手を携えて、アジア太平洋地域ひいては世界の平和を確かなものとしていくためには、なによりも、これらの諸国との間に深い理解と信頼にもとづいた関係を培っていくことが不可欠と考えます。政府は、この考えにもとづき、特に近現代における日本と近隣アジア諸国との関係にかかわる歴史研究を支援し、各国との交流の飛躍的な拡大をはかるために、この2つを柱とした平和友好交流事業を展開しております。また、現在取り組んでいる戦後処理問題についても、わが国とこれらの国々との信頼関係を一層強化するため、私は、ひき続き誠実に対応してまいります。
 いま、戦後50周年の節目に当たり、われわれが銘記すべきことは、来し方を訪ねて歴史の教訓に学び、未来を望んで、人類社会の平和と繁栄への道を誤らないことであります。
 わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます。
 敗戦の日から50周年を迎えた今日、わが国は、深い反省に立ち、独善的なナショナリズムを排し、責任ある国際社会の一員として国際協調を促進し、それを通じて、平和の理念と民主主義とを押し広めていかなければなりません。同時に、わが国は、唯一の被爆国としての体験を踏まえて、核兵器の究極の廃絶を目指し、核不拡散体制の強化など、国際的な軍縮を積極的に推進していくことが肝要であります。これこそ、過去に対するつぐないとなり、犠牲となられた方々の御霊を鎮めるゆえんとなると、私は信じております。
 『杖るは信に如くは莫し』と申します。この記念すべき時に当たり、信義を施政の根幹とすることを内外に表明し、私の誓いの言葉といたします。」

0778/資料・史料-1993.08.04「慰安婦」河野洋平官房長官談話(河野談話)。

 資料・史料-1993.08.04「慰安婦」河野洋平官房長官談話河野談話

 //慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話
 
平成5年8月4日

 いわゆる従軍慰安婦問題については、政府は、一昨年12月より、調査を進めて来たが、今般その結果がまとまったので発表することとした。
 今次調査の結果、長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したことが認められた。慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。
 なお、戦地に移送された慰安婦の出身地については、日本を別とすれば、朝鮮半島が大きな比重を占めていたが、当時の朝鮮半島は我が国の統治下にあり、その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた。
 いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。政府は、この機会に、改めて、その出身地のいかんを問わず、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる。また、そのような気持ちを我が国としてどのように表すかということについては、有識者のご意見なども徴しつつ、今後とも真剣に検討すべきものと考える。
 われわれはこのような歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい。われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する。
 なお、本問題については、本邦において訴訟が提起されており、また、国際的にも関心が寄せられており、政府としても、今後とも、民間の研究を含め、十分に関心を払って参りたい。//

0629/慶賀し、羨望しもする朝日新聞・若宮啓文の書物二つ。

 一 失礼ながら、だいぶ遅れて気づいた。若宮啓文・右手に君が代左手に憲法-漂流する日本政治(朝日新聞社)が2007.03に刊行されている。
 竹島は「いっそのこと…譲ってしまったら、と夢想する」(p.92)とか「ジャーナリズムはナショナリズムの道具ではないのだ」(p.180)等々の若宮の<歴史的>な文章や名言?を含むコラム「風考計」等がこうして書物の一部としてまとめられ、後世に容易に伝えられることは、慶賀に堪えない。
 上の前者の発言を本人も気にしたようで、後者を含む最後のコラムの中で、「国賊」・「反日」等と批判されたとしつつ、①かつての韓国(大韓帝国)併合が「力ずく」ではなく(条約という)「合意」のうえだったと(保守派は)言うのならば「外交交渉」で「領土」を譲ってもよいのではないか、②「共同統治」を唱える韓国人研究者も出現した、などと反論又は釈明している(p.179-180)。
 上の②の論拠についてはすでに触れたことがある。①が論拠・理由にならないことは論を俟たない。
 もともと若宮は竹島の帰属について「歴史の複雑さを考えれば、日本の主張だけが正しいとも言えなかろう」と書き(p.93)、別の何かで韓国(朝鮮)帰属説につながる史料か論文の存在を喜々として?紹介していたような人物だ。
 若宮啓文が羨ましい。「国賊」的、「反日本」的主張をした日本国籍新聞人として、末永くその名をとどめるだろうから。
 あらためてこの本を見てみると(入手-朝日新聞社・若宮の経済的利益にならないように古書で-したのはかなり前だった)、「君が代」を「右」の、日本国「憲法」を「左」の象徴として書名にしているのが面白い。
 「憲法」は「左翼」のシンボルなのだ(そのとおりだ)。
 だが、次の文章は正確ではない-日本国憲法は「自由や民主主義、人権といった近代の普遍的価値をうたい、とくに平和が売り物だ」(p.8)。
 「自由」・「民主主義」・「人権」・「平和」という朝日新聞が選好する<戦後民主主義>的価値が挙げられているのは当然としても、これら(あるいは「平和」以外)を「近代の普遍的価値」と理解するのは間違っている。あくまで、せいぜい欧米「近代」に普遍的なもので、アジア・イスラム世界にまで「普遍的」ではないし、「普遍化」すべきだとも単純には言えない。そもそも「近代」とは何か、も問われる。また、欧米内部においても、これらの価値・主義の評価は国により論者により多様でありうる。
 戦後60年を過ぎてなお上のように簡単に書いてしまえるところに、GHQ史観・東京裁判史観、そして米国により唱導され、見方によれば米国によって押し付けられた「民主主義」観、の強い影響を看取できる。
 若宮は「ただ左手のみを信奉するというものでもない」と書くが(p.8)、本人の主観的な理解のみで「左」か「右」か「まん中」かを評価できないことは言うまでもない。
 二 敬意を表して、若宮啓文・戦後保守のアジア観(朝日新聞社、1995)も-古書で-入手している。
 この本の最初の文章(Ⅰ章)を読んでみる。
 ①「『侵略』を『進出』と書かせるなどしてきた高校教科書の検定事件(一九八二年)」と、これが朝日新聞によるガセ=虚報だったことを無視して、事実だったかのように書いている(p.17)。
 ②戦後50年の国会決議につき「推進」派に肯定的・好意的に言及し、1995年6月に「国会決議」がなされた意味を「軽くはみたくない」としつつ、これには「大きな限界」もあったとする。
 ここでの「国会決議」とは1995.06.09の衆議院の決議のことだが(参議院決議はない)、若宮は意識的にだろうが、「国会決議」と言い換えている。正確ではない。
 「大きな限界」もあった、とするのは、a 欧米の責任も含まれうる文章になっていること、b「侵略」ではなく「侵略的行為」とやや曖昧になったこと、c 「歴史観の相違」があることを前提とするかの文章が含まれていること、を指す(p.9参照)。
 ③1995.08.15の「村山談話」を、かつての「侵略」・「植民地支配」を「国策の誤り」だったと「心からのおわび」を表明した(②の限界を超えた)ものとして、高く評価する。当時の自民党総裁・河野洋平(外務大臣)も「積極的に支持した」と記すことも忘れていない(p.25)。
 この1章は発行年と同じ1995年に書かれている。
 朝日新聞が「村山談話」の基礎にある歴史認識・歴史観をそのまま維持したうえで、13年を経た近時の田母神俊雄論文を感情的に批判したことは明らかだ。
 また、若宮は1995年の段階で、「反省」・「おわび」・「陳謝」等の言葉が明瞭であればあるほどよい旨も述べていた(p.24)。
 若宮啓文と朝日新聞が、「村山談話」の基礎にある歴史認識・歴史観、つまりはGHQ・米国が戦後日本人に刷り込んだ、日本(「軍国主義」・「天皇制ファシズム」)はアジアに対して(道義的・道徳的に)悪いことをした、という単純素朴な歴史認識に立ち続け、国民一般に「左翼ファシズム」の空気を発し続けたことをあらためて確認して、いささかの感慨と寒気を覚える。
 多分に<文学的>でほとんど無意味な叙述だろうが、若宮は東シナ海か対馬の北の海峡上の中空にいて、日本と東アジアのことを考えているような人だと思う。日本の土のうえにきちんと立っているとは思われない。
 なお、かくのごとく、朝日新聞、同関係者、日本共産党、同関係者の本や文章を読むことを私は全く遠慮しないし、嫌がりもしない。これら(の者たち)に<洗脳>されない自信が十分にあるので。 

0534/「北朝鮮に憑かれた人々」-稲垣武の2003年の本による。

 稲垣武・北朝鮮に憑かれた人々(PHP、2003)は、同・「悪魔払い」の戦後史(文藝春秋)の中の第10~第13章と雑誌に掲載された別の3つの論考をまとめもの。太文字で名指しされている<北朝鮮に憑かれた人々>を、稲垣に従って、列挙しておこう。()は当時又は過去。
 第一章-朝日新聞、岩波「世界」、和田春樹、坂本義和、吉田康彦、小田実、野中広務、加藤紘一、中山正暉、田中真紀子、河野洋平、村山富市、田辺誠、土井たか子、辻元清美、田英夫、木村伊量(朝日新聞政治部長)、槇田邦彦、金丸信、北川広和(社民党)、保阪展人、稲村稔夫・小山一平(社会党-朝鮮総連から金受領)、山口鶴男、佐藤三吾、菅直人、福島瑞穂、吉田猛(加藤紘一「秘書」)、青木宏之、岡本厚(「世界」編集長)、安江良介、野田峯雄、進藤榮一。
 第二章(前章までに記載の者を除く、以下同じ)-佐柄木俊郎(朝日新聞論説主幹)、田中均、本多勝一、筑紫哲也、黒川宣之(朝日新聞論説副主幹、「週刊金曜日」編集主幹)、早野透、渡辺誠毅・秦正流・伊藤牧夫(朝日新聞「左派三羽ガラス」)。
 第三章-高樹のぶ子。
 第四章-遠山茂樹・今井清一・藤原彰(岩波新書・昭和史-朝鮮戦争は韓国北侵で開始と明記)、大江志乃夫、徳武敏夫、I・F・ストーン、杉捷夫、堀江忠男(早大教授・朝鮮戦争韓国北侵説)、中川信夫、寺尾五郎(NHK解説委員・日朝協会理事)、入江徳郎(朝日新聞)、嶋元謙郎(読売新聞)、山口淑子、後藤基夫(朝日新聞東京編集局長)、宮田浩人(朝日新聞)、松下宗之(朝日新聞東京編集局長)。
 第五章-西川潤、本橋渥、藤島宇内、安井郁、槇枝元文、岩井章、岩垂弘(朝日新聞編集委員)。
 第六章-関寛治、夏堀正元。
 第七章-前田康博(毎日新聞編集委員)、高柳芳夫、中薗英助、岡留安則。
 以上。一時的誤り又は特定問題での判断ミスをした者も含んでいるだろう。だが、さすがに朝日新聞関係者に詳しく、岩波「世界」への執筆者とその内容はフォローされているようだ。だが、とくに何かの見解発表をしていなくとも、親北朝鮮(=反韓国)だった人びとは多かった筈で、それはほぼ<左翼>陣営全体へと広がりを見せていたはずだ。自民党の中にすら、<北朝鮮に憑かれた人々>がいるのが日本の特徴だろうか。
 まったく余計だが、加藤紘一は、天皇が訪中して<謝罪>的談話を述べられたときの官房長官でもある(首相は宮沢喜一)。

0284/大嶽秀夫・日本政治の対立軸(1999)を少し読む-その2。

 大嶽秀夫・日本政治の対立軸-93年以降の政界再編の中で(中公新書、1999)のp.36は、93年以前についてだが、「マスメディアは、党派的中立性を装いながらも、自民党一党支配が続くことは非民主的で、政権交代が望ましいとの主張は一貫してとりつづけた」と書く。
 宮沢喜一内閣不信任決議後の93年総選挙時に、たしかテレビ朝日の某氏が、野党に有利に(自民党に不利に)番組を作ったとのちにマスコミ関係の会合で発言して物議を醸したことを思い出す。
 現在のマスメディアは上の記述ほどには単純ではないと思うが、細川内閣誕生、さらには村山内閣誕生という<政権交代>をすでに経験し、それらの経験が国民・社会にとって決してプラスだったと少なくとも断じることができないことは明らかなのに、今なお、<とにかく政権交代を>と主張している人・考えている人がいるのには呆れてしまう(月刊WiLL誌でアリバイ的に?反安倍コラムを連載している岡留安則(元噂の真相編集長らしい)はその一人だ。私はこの人の政治的センスを疑っている)。
 さて、大嶽の本に戻ると、p.45-56あたりではこんなことが書かれている。
 1.70年代末以降「政策エリート内部」では「新保守主義」の主張が有力化し、経済政策において、「社会民主主義合意(ケインズ型福祉国家)」に対する「ネオ・リベラル」防衛・外交政策において、70年代のソ連の軍拡に対応した西側防衛への貢献論、冷戦後の積極的な国際貢献論への傾斜による自民党内のハト派や社会党の平和主義者」への対抗を内容とした(p.46-47)。
 2.新自由クラブの経済政策は「ネオ・リベラル」の先取り的面もあった。80年代の中曽根内閣の戦略も同様だ。後者は、防衛・外交政策上の「新保守主義」の登場だった(p.47)。
 3.新自由クラブ内で、河野代表-「従来の社会党寄りの保守内ハト派・中道」と西岡幹事長-「萌芽的ネオ・リベラリズムによる「保守刷新」」の対立は、同クラプの分裂・解党につながった。
 のち西岡武夫は小沢一郎の盟友として新進党幹事長となる。河野・西岡の対立はのちの自民党・新進党の保守対決を予言したかのようだ(p.49)。
 ここで私が口を挟めば、上の叙述からすると、西岡・河野の対立は<新保守的>・<親社会民主主義>という、あえていえば、西岡・右、河野・左の対決だった筈だ。しかして、現在の二人を見ると、河野洋平は自民党総裁を経て衆院議長、西岡武夫は旧日本社会党議員もおり日本共産党とも同じ候補を推薦することもある民主党の一議員として今回の参院選挙に立候補する。この分かれに小沢一郎が影響を与えたことは明らかなのだが、政治家の<政党渡り>の結果の奇妙さ・面白さを感じる。
 大嶽の本に戻る。4.中曽根首相の<新保守主義>による「政党再編」を中曽根は「左にウィングを伸ばす」と表現したが、三つの側面があった。第一にソ連圏に対する国際的「自由主義」により日本の防衛力整備を正当化する、第二に、官公労を既得権益擁護者と批判し、そのことで官公労を組織基盤とした平和運動・勢力に打撃を与える、第三に、小店主・農民への自民党の依存を小さくし、都市新中間層等に支持を広げる(p.50-51)。
 5.中曽根首相の戦略は1988年選挙での自民党圧勝等、日本社会党の重大な後退を生じさせたが、短期的で長期的政界再編はなかった(p.51)。
 6.中曽根首相の<新保守主義>による政策群は「日本の一般の有権者にとっては、理解が「難しい争点(hard issue)」だった(p.52)。その理由は第一に、外交・防衛上の「国際貢献」に関する議論は従来の保革の対立軸を覆す効果をもたず、第二に、「経済政策についてのネオ・リベラル的な処方箋は、日本政治に登場して間もなく、国民に馴染みの少ない」もので、第三に、「旧中間層を手放して、新中間層に支持基盤をシフトさせる用意」は、中曽根首相にも自民党にもなかった。
 というわけで、<社会民主主義的合意>があり、<新保守主義>又は<ネオ・リベラル>による政策が「難しい争点」だったとすると、日本国民はいったい何を<基準>にして投票行動してきたのだろうか
 たまたまのスキャンダルめいたものの多寡によって政党の議席獲得数が左右されてきたのでは、少し(いや大いに?)情けないのではなかろうか。さらに読みつづける。

0067/中国にオボエのメデタイ政治家・河野洋平と村山富市。

 温家宝中国首相の国会演説への諸コメントにつき、加藤紘一のものは、安倍首相の名を出して暗に彼を批判しており、まるで野党の議員のコメントのようだ。他の諸コメントも楽観視しすぎ、褒めすぎだと思うが、多分に「外交辞令」も含んでいるものもあると見るべきだろう。
 読売4/12夕刊によると、温首相が演説中で名前を出した日本の政治家は、河野洋平と村山富市の二人のみらしい。中国にとってオボエのメデタイ政治家が日本にとって素晴らしい政治家かというと、それはない。お二人は、決して勘違いをなさらぬように。

0066/細川護煕談話を生み、村山社会党首相も生んだ小沢一郎・現民主党代表。

 前野徹という人のことを知らなかった。知ったのは昨年以降、いく冊かの本を買ったからだ。1926年生まれで今年2007年02月08日に亡くなった。享年81歳。
 同・戦後六十年の大ウソ(徳間書店)は2005年07月刊なので、79歳のときの、彼の最後の著書だった可能性がある(その年齢で著書を刊行できること自体に感心するし、羨望しもする)。
 この本のはしがきで彼は、「本気で国の将来を憂えはじめた」のは竹下登内閣(1987.11発足)以降で、「決定的となった」のは、細川護煕、村山富市両首相の日本=「侵略国家」発言だった、と書く。そして、「抑え難い憂国の情」がこの本を書かせた重要な理由だとする(p.5、p.9)。
 主としてこの本から引用するが、細川首相発言はこうだった。1993.08.10(現在問題になっている河野談話の直後。細川首相就任記者会見)-先の戦争は「侵略戦争で、間違った戦争だった…。過去の歴史への反省とけじめを明確にする」。
 同年08.23(所信表明演説)-「わが国の侵略行為や植民地支配などが、多くの人に耐え難い苦しみと悲しみをもたらした」、「深い反省とお詫び」を表明。
 同年11.06(韓国訪問中)-「日本の植民地支配で…姓名を日本式に改名させられ、従軍慰安婦徴用などで耐え難い苦しみと悲しみを体験されたことについて、心から反省し陳謝する」。
 羽田孜短命内閣を経ての村山首相が、その出身政党からして、細川首相と同旨の見方をしていたことは言うまでもないだろう。1995.06の国会決議では「侵略」や「謝罪」の言葉は盛り込まれなかったようだが、同年08.15の首相談話では、「植民地支配と侵略…痛切な反省の意…、心からのお詫び…」との言葉が入る。
 前野をして憂国の情を「決定的」にならしめた、これらの首相という公職者の発言内容には、「植民地支配」とか「侵略」とかの概念の意味は厳密にはどういうものだろう、という疑問だけ記して、ここでは立ち入らない。
 改めて記憶を新たにしてよいと思われるのは、細川内閣の成立過程だ。すなわち、この内閣は反自民・非共産の従来の野党連立内閣で、自民党(又はその前身政党)が加わらない戦後初めての内閣だった。そして、なぜかかる内閣ができたかというと、小沢一郎、羽田孜、渡部恒三らの旧自民党グループが同党を離党し、新生党を結成して(その直前に武村正義らも離党して新党さきがけを結成した)宮沢内閣不信任案を可決させ、解散後の総選挙で細川らの日本新党と新生党が「躍進」したからだった。
 この十数年前の一種の「政変」において、この人物がいなければかかる変化もなかった、と言き切れる政治家を一人だけ挙げるとすれば、それは、小沢一郎だろう。自民党からの相当数の議員の離党と選挙後の多数政党間の「連立」工作は、小沢こそが実質的には先頭を切り、小沢こそが最も練達に行ったのだ、と思われる。
 細川談話(・発言)は彼が1938年01月生まれで、じつは殆ど戦後教育しか受けていない(しかも彼は7年弱の「占領」下の、日本(軍)=悪という教育をまるまる受けている)ことによることも大きい、と思われる。過去の日本を批判し反省することが「進歩的」で「良心的」だとの想いを無意識にでも植えつけられた世代ではなかったか、と思う。
 だが、そうした人物が首相になれたのは、彼自身の力というよりも(彼は国会議員としての経歴は短いものだった)他の力、すなわち、小沢一郎という政治家の力だったのではなかろうか。
 以上のような意味では、細川の日本国首相としての「侵略行為や植民地支配」謝罪発言は、小沢一郎がいなかったら、生まれなかったのではないか、とおそらく確実に言える。
 細川連立内閣と羽田内閣が終焉したのは、日本社会党が小沢一郎に従っていけなくなったからだった。言い換えると、小沢が日本社会党軽視又はいじめをしたからこそ両内閣は潰れ、ギリギリの接戦を経て、今度はいわば「小沢抜き」の自社さ連立政権(村山内閣)ができたのだった。
 当時の自民党総裁は河野洋平で、彼自身にマルクス主義・共産主義はともかくも社会民主主義程度には抵抗感が殆どなかったように思われることも、この新連立内閣成立の背景の一つだろう。だが、やはり、村山内閣成立に対しても、消極的な意味で、重要な影響を与えたのは小沢だったと思われる。小沢一郎こそが、社会党を自民党の側へと追いやったのだ。
 とすると、村山首相談話(およびその後の橋本龍太郎首相談話)を生んだ不可欠の人物は、小沢一郎だった、と言えるだろう。
 1993年以降の政界の「混乱」の原因と責任は小沢一郎に帰する所が大きいと考えるが、日本の首相又は内閣が「贖罪」的見解を明瞭に表明し始めたのも、じつはかつての小沢一郎の行動と無関係ではない、と言ってよいのだ。
 むろん諸談話に小沢が直接に関与したことはないのだろう(あったかもしれないが、そのような情報は記憶にはない)。だが、彼が全く無関係とはいえないことは、上に述べた通りだ。
 さて、小沢の1993年以降の政治的行動はいったい何だったのだろう。結果的には、日本を一つも良い方向に前進させはしなかったのではなかろうか。
 今、彼は民主党の代表だ。そして、選挙戦術的思考のみをして、ともかくも民主党の議員数増大のみを目標としているようだ。そこには彼が本来もっていたかもしれない、国家観も政策論も何もないのではないか。国益という観念は「民主党益」のために消失しているのではないか。
 かつて小沢が果たした役割を考えると、彼が当面目標とする方向に一緒に向かうのは、つまり、民主党を現在よりも大きくさせるのは(とりわけ自民党よりも多数の議席を民主党に与えるのは)きわめて「危険」だ、と私の直感は囁いている。

0049/阿比留瑠比の最近のブログ・エントリーの中で目を惹いたこと。

 阿比留瑠比氏のブログ・エントリーは熟読ではないにせよ、目は通しているつもりだ。近日のもののうちから、いくつか目を惹いたものを取り出して、何がしかの感想を記しておく。
 1 2007/03/26-「国会議員会館内で開かれた反日慰安婦問題集会」/2005年2月1日に、衆院第2議員会館で「女性国際戦犯法廷に対する冒涜と誹謗中傷を許さない日朝女性の緊急集会」という集会があった。その内容の紹介だが、当時すでに社民党委員長だったはずの次の福島瑞穂の発言が目を惹いた。
 「福島氏 (前略)この女性戦犯国際法廷につきましては、もともと私自身も、いわゆる従軍慰安婦とされた人たちの裁判を担当する弁護士で、この女性国際法廷にも、傍聴人として一般の市民として、あそこの会館のところに出席しておりました。今回、ものすごい危機感を持っております。ファシズムというのは、こういう形で起きていくのだということを痛感しております。(中略)/今回のケースは、もちろんNHKもしっかりしてほしいとか一杯思いもあります。ただ、政治権力によるメディアへの介入の問題である、政治家によるパワハラだと思っております。こういう形で恫喝をし、メディアの問題を私物化していくこと、安倍晋三さんがこれで何も問題はなかったと居直ることを許してはいけないと。(後略)
 上の発言のうち最もスゴいのは、「ファシズムというのは、こういう形で起きていくのだということを痛感…」だろう。仰々しいが、日本はファシズム・軍国主義へと向かっていっている、という時代認識が、この人やこの党(社民党)にはあるのだろう。「ファシズム」をどう定義しているかのかと突っ込みたくもなるが。
 次に、「
こういう形で恫喝をし、メディアの問題を私物化していくこと、安倍晋三さんがこれで何も問題はなかったと居直ることを許してはいけない…」。完全に朝日新聞と同じ認識ですなぁ。こういう認識から出発して、安倍氏や同内閣への見方が「真っ当な」ものになる筈がない。
 2 2007/03/31-「河野衆院議長のふざけた新「河野談話」と教科書検定」
 これは長くてとてもまともなしっかりした文章で、河野洋平という人物がますますいやになる。それはともかく、本来の主題ではないが、彼の次の文章が目を惹いた。
 「私も長年取材していますが、文部科学省は日教組などと馴れ合い、左派からの攻撃を恐れる一方で、保守派が大人しいのをいいことに、甘く見ているように感じます。
 これは見過ごせない情報だ。自社さ連立政権のおかげで文部省と日教組が仲良くなった旨の指摘も別の日にあったが、それよりも「保守派が大人しい」と見られていることも大問題だ。何が「保守派」かは難しいが、日本の「保守派」なるものが必ずしも強くはないこと、たしかに国民は自民党等を与党とする政権に政治を委ねているが、自民党に投票する国民の全員が「保守派」と意識しているかは疑わしいし、自民党の国会議員すら、全員が自らを「保守派」と自覚しているとは思えない。別言すれば、自民党の国会議員すら、全員が明確な「保守」理論=「保守」思想に支えられているとは思えないのだ(ただ政権与党だから、選挙区国民のために仕事がしやすい党だから程度の理由で自民党員である国会議員もいるのではないか)。
 中川八洋・正統の哲学/異端の思想(徳間、1998)p.55のグラフは、「思想」の分布・割合につき(私の目分量だが)、英米では保守(真性自由主義)が4:リベラル(左翼的自由主義)が5:社会主義(全体主義)が3なのに対して、日本では、保守(真性自由主義)が1:リベラル(左翼的自由主義)が4:社会主義(全体主義)が5だということを示している。
 ソ連等社会主義国崩壊後もかかる分析又は印象がなおある(そして私も相当程度現実でもあると感じている)ことについては別に論じる必要があるが、ともかく、日本にはきちんとした「保守主義」が強くは育っていないのではないか。これはむろん、「きっこ」?氏が出てくるような、戦後「平和・民主主義」教育と無関係ではない。阿比留氏の何気ない一文に、色々なことを考えさせられる。
 3 2007/04/07-「民主党の立派な「慰安婦議連」と岡田克也元代表」
 民主党は雑多な人たちの政党で、改憲が現実的争点になってくるときっと分裂する、と私は想定している。
 それはともかく、このブログ中では、「慰安婦問題で謝罪と反省を表明した平成5年の河野官房長官談話の見直しを求める動き」が民主党内にも出たという3/10の記事が引用されていて、その議員連盟「慰安婦問題と南京事件の真実を検証する会」の呼びかけ人メンバー全員の名が記載されているのが目を惹いた。次の16人だ(前原誠司の名はない)。
 衆議院-「石関貴史、市村浩一郎、河村たかし、北神圭朗、小宮山泰子、神風英男、鈴木克昌、田名部匡代、田村謙治、長島昭久、牧義夫、松原仁、三谷光男、吉田泉、笠浩史、鷲尾英一郎、渡辺周
 参議院-「大江康弘、芝博一、松下新平」。
 松原仁と河村たかし(+西村真悟)くらいしか名を憶えていなかった。自民党の某、某、等々よりもむしろ、こうした特定の民主党議員は、選挙でも当選させるべきではないか。
 岡崎トミ子、平岡秀夫らは落選させなければならない。

0022/すべては原告団リーダーの娘婿の朝日・植村隆の記事から始まった。そんな経緯無視の卑劣な朝日・星浩。

 月刊WiLL5月号が慰安婦問題の特集を組んでいる。暫くぶりに読みごたえがある。まず、西岡力「すべては朝日新聞の捏造からが始まった」がよい。経緯をきちんとまとめてくれている。
 1982年まで、慰安婦「問題」はなかった。1982年の朝日による侵略→進出への教科書書換えとの誤報が一つのきっかけになった。韓国が、歴史問題を利用して、日本批判をし援助・協力をさせることができる、と学んでしまった。翌年に強制連行に携わったとの詐話師・吉田清治の本が出たがすぐには大きな話題にならなかった。最初から信憑性に疑問があったのだ。
 1990年に某日本人女性が韓国で、原告となって日本国相手に訴訟を起こそうと強制連行された人・慰安婦に呼びかけるビラを撒いた。これに現在でも運動団体にいる、軍関係者に強制連行されたのではなく「身売り」された某韓国人女性が反応して登場してきたのだが、その点(慰安婦になった経緯)を曖昧にしたまま、従軍慰安婦(氏名を書きたくないが、やむをえない。金学順氏)が名乗り出たと報道したのが、1991.08.11の朝日の植村隆だった。現在の米国下院で生じていることも、すべてはこの朝日・植村隆の記事から始まった。
 朝日・植村隆は金学順らが実際に提訴すると、彼女らを応援するためのキャンペーンを展開した。1992.01.11には慰安所への軍の関与を示す資料発見と1面で大々的に報じたが、その資料とは、吉見義明中央大学教授が発見した、業者が軍の名を騙って強制連行するな、という旨の悪徳業者を取り締まる方向での文書だった。朝日は卑劣にもこれを慰安婦に軍が関係しているというイメージを作るために用いたのだ。
 なぜ当時の自民党の政治家は朝日新聞の雰囲気作りに欺されたのだろう。1992.01.13に宮沢内閣の初代官房長官・加藤紘一が「お詫びと反省」を発表して謝罪し、同年01.17に訪韓した宮沢喜一首相は韓国・盧泰愚大統領に直接に何度も謝った。吉田清治の本の内容が事実ではないことは判明していた。また、その後韓国の大学教授による40名を対象とする調査で、とりあえず信憑性ある証言を得られたのは19名、そのうち「強制」されたと述べたのは4名だったが、4名のうち2名は戦地以外の釜山と富山で「強制」されたとの証言で最終的には信用できず、残る2名(うち1名が金学順氏)は訴訟の原告となったが、その訴状には軍により「強制連行」されたではなく「身売り」されたと書かれていた。日本政府の調査(聞き取り)でも軍による「強制連行」の事実は証明されなかった。
 にもかかわらず日本政府は謝罪し続けた。現在問題にされている「河野談話」(河野洋平は宮沢内閣の二代目の官房長官)は1993.08.04に出た。それは、軍(国・公権力)による強制はなくとも「本人の意思に反して」だったことに「強制」性があるという、「強制」性の意味を元来の意味とは(所謂狭義から広義へと)すり代えるものだった。「本人の意思に反して」慰安婦になったことについて、国がそれを「強制」したわけではないのに、なぜ国が謝罪するのか。朝日の「すり代え」が河野談話に影響を与えたのだろう。
 概ね上のような経緯を西岡力氏は書いているが(一部私自身の記述がある)、同氏は金学順氏につき「思い出したくない自分の履歴を公開し、日本の反日運動家に利用され、批判され、それによって証言を変えるとウソをついているんじゃないか、と言われる。二重、三重に名誉を傷つけられ、引きずり回された」のではないか、と言う。そして、朝日についてこう書く-「弱者の立場に立つと言いながら、弱者を貶めているのです。女性の人権を守ろうというのではなく、朝日新聞は単に日本が悪ければいいのです」。
 もう一度書いておく。朝日新聞は「女性の人権を守ろうというのではなく」、「単に日本が悪ければいいのです」。
 なお、別の本で読んだ記憶があるが、朝日の植村隆は、金学順を含む原告団組織・太平洋戦争犠牲者遺族会のリーダー的な某氏の娘と結婚している、ということを西岡も明記している。つまりは、義理の母親が原告団のリーダー格だったからこそ(情報を早く知るとともに)当該訴訟の原告に有利になるような記事を書き続けたのだ。このような家族関係があってはとても公正な報道記事にならない。朝日が日本相手の訴訟の原告団の「機関紙」になってしまったのも当然だったとも言える。むろん朝日を擁護しているのではない。そんな個人的利害関係をもつ人物に記事を書かせた朝日新聞社こそが、もはや「ふつうの」新聞社ではなく、「運動団体」になっていることの証左の一つだ。
 そんな朝日の影響を受けた、朝日にだけは好かれたいのかもしれない加藤紘一や河野洋平が行ったことは、正気の沙汰とは思えない。きちんと事実を確認しもせず、謝罪する必要はないのに国を代表して謝罪してしまった。そして、彼らの大きなミスが14-15年後の現在にまで尾を引き、現政府と日本人を、要するに日本という国家全体を苦しめている。日本の名誉が不当に、虚偽の事実によって汚される瀬戸際にある。
 以上のような経緯からすると、3/27の朝日朝刊の編集委員・星浩の「政態拝見」コラムは噴飯ものだし、自社こそが「問題」を発生させた元凶であることに全く言及しない、極めて卑劣なものだ。朝日に都合のよい、この「問題」をめぐる経緯の解釈しか示していない。しかも、社会主義国・ベトナムの政府要人が昨年秋の河野洋平の彼国での演説を高く評価していた、という日本共産党の志位委員長から聞いた話からコラムを書き始めるとは、星浩なる男の社会主義・共産党に対する抵抗感のなさ・無防備さを露骨に明らかにしている。
 朝日の星浩よ、見出しの如く、一度、自社や自分自身の「歴史・戦争…」に関する「見識を問おう」としてみたらどうか。

0001/上野千鶴子は4/08後に福井県に転居するか。

 「アサノ〔浅野史郎〕と勝とう!女性勝手連」の3/18現在の呼びかけ人名簿を見た。
 上野千鶴子、木村民子(全国フェミニスト議員連盟元共同代表)、澤地久枝、白石冬美、辛淑玉、中山千夏、山崎朋子、樋口恵子、三井マリ子、新谷のり子、落合恵子、三木睦子等々。フェミフェミしているし、九条の会関係で名が出ていた人もいる。石原慎太郎でない有力候補なら、きっと誰でもよいのだろう。上野千鶴子は石原知事が居座るんだったら都民をやめる、と言っているらしい。他県へ転居するのをいずれ知りたいものだ。訴訟を起こしている福井県は如何?
 週刊新潮3/22号「「従軍慰安婦」問題のガン「河野談話」はこうして作られた」は1993年河野談話の当時の政権内部の動き・韓国の意向等をきちんとまとめており、櫻井よしこ連載コラムは、アメリカよこんな理不尽な決議をしてよいのかと(タイトルは「同盟国ゆえ、敢えて米国に問う」)最後にこれだけは言っておく、との感じ。やはり、週刊新潮はBestだ。と思うが、版元の新潮社は不破哲三の本や決して作家を追いかけないFocusを出すなど、儲ければ何でも手広く、との印象がある。出版社としては、新潮新書と文春新書を比較しても、文藝春秋の方が好きだが。
 大月隆寛という人の本は読んだことはないが、この人が産経3/14に「福島サンは弁護士ですよね?との小文(コラム)を書いて、慰安婦問題で「証言者がいるんだから事実なんですぅ」とのみ言っているのを皮肉っている。裁判ならば公開で(傍聴者がいて)、裁判官の前で、証言者は反対尋問を受ける。反対尋問(その際に裁判官も質問できる)に晒されていない証言は「証拠」にはならないのは当然のことだ。この当然のことを当面の日韓関係を優先して無視したのは河野洋平であり、政治的に無視しているのは福島瑞穂であるわけだ。
 上の週刊新潮の記事の最後-「しかし、今日の有様を見れば、むしろ日韓関係を悪化させる種を蒔いたばかりか、日本の国際的立場を貶めたと言わざるをえない。安倍首相は、河野談話を見直すべきである」」。

-0061/民主党は頑張った。しかし、「新鮮さ」はもうなく、将来は暗い。

 10月22日の衆院補選民主党は負けたが、二選挙区ともに投票者に対する得票率は昨年9月の総選挙時よりも上げており(神奈川32.7→40.3%、大阪39.7→41.7%。自民党はいずれもやや下げている)、その点では善戦で「どぶ板選挙」の効果はあったのかもしれない。
 新聞でほとんど触れられていないが、共産党は神奈川で11642票、大阪で19537票減らし、得票率も神奈川8.0→4.9%、大阪9.7→8.0%と明らかに減少させた。
 補選では党の余力を二選挙区に回せるはずなのにこの数字だ。来年7月頃の北朝鮮情勢等がどうなっているか分からないが、この党は参院選挙も経て緩やかに消滅方向に向かうのではないか(と期待している)。
 福田和也という人の本は読んだことはないし、週刊誌のコラムもとくに印象に残ったものはなかった。しかし福田は、文藝春秋11月号p.160~163でいい指摘をしている。
 福田はまず、朝日新聞の9/27記事が安倍内閣の陣容で「小沢民主党に対抗できるだけの迫力」を出せるかと疑問視したのを、民主党又は小沢への「贔屓の引き倒し」だとする。そして、小沢民主党を過大に見せようとすることに「メディアの貧困が救いようなく露呈している」と切り捨てる。
 次いで小沢や民主党の批判に移り、「昔なつかしい…何でも反対の野党ぶりを、演じている」、それは「参院選の勝利、政権奪取」のためなら「短期的には国益を犠牲にしてもかまわない、という小沢的マキャベリズム」、安倍内閣を「論功行賞内閣」というなら、民主党のネクスト内閣は「典型的な派閥均衡型」だ等々。
 そして、私も所持だけはしている小沢の13年前の書物に福田は触れて、「13年が過ぎて、みずからの理念が大方実現してしまい、時代に追い抜かれてしまったことを率直に認めるべだろう」等と締め括る。
 まことに鋭く、かつ同感だ。
 安倍自民党にとっては、民主党が小沢を戴いたまま今のような政府対応をしてくれている間に来年の参院選を迎えることは、他の新鮮な?党首の下で対北朝鮮政策についても「国益」の観点から政府に協力しもする民主党と対決するよりは楽なのではないか。
 民主党は小さな分裂も経て、将来的には大分裂するのでないか。その際、東アジア政策や「大きな政府」維持論等の共通性から、河野洋平、加藤紘一らと民主党の旧自民党勢力は、合同したらどうか。自民党が衆院で480のうち殆ど300議席を占めているのは、やや多すぎると感じなくもない。
 また、民主党内の旧社会党勢力は社民党に移るのがよい。人間関係の問題を全く知らないまま書いているのだが。


-0054/中国・南京大虐殺記念館、本多勝一に授賞。河野洋平へは?

 やや旧いが、週刊新潮10/12号p.47によると、中国「南京大虐殺記念館」が9/24に元朝日の本多勝一他1名に「特別貢献賞」を授与した、という。
 所謂東京裁判で触れられていたが70年代に「南京大虐殺」を呼び醒まして教科書に記載されるまでに至らしめたのは本多勝一だった。受賞を彼は喜んでいるだろう。だが、中国共産党の支配と「南京大虐殺記念館」は永続するだろうか。真っ当な歴史認識をもつ新政権と社会が支那に生まれれば、記念館の外観・30万受難者を刻む大きなメダル・楯を伴う今回の受賞は紛れもなく「売国」=「反日本人」の証となるのでないか。
 動きに関する多少の情報は読んだかに思うが、読売新聞の本日5/16社説によれば、米下院の一委員会が「従軍慰安婦」にかかる日本非難決議案を議決したという。外務省はいったい何をしていたのか。読売のタイトルどおり「日本政府はきちんと反論せよ」。
 この事態は、1993年05月に宮沢内閣官房長官・河野洋平(現衆院議長)がきちんとした証拠もなく「慰安婦強制連行」を実質的に肯定する談話を発したことに遡るだろう。
 江沢民の時代だったので一部で「江の傭兵」とまで言われたらしい河野は、今からでも誤りを日本国民に詫び全世界に発表すべきだ。それとも朝日新聞のように、広い意味での「強制性」はあったと誤魔化して平然と議長席に座っているのか。
 朝日新聞・日本共産党等々もそうだが、戦後日本が行き着いた現状については自民党の責任も大きい。
 1994年に自社さ連立政権が成立したことには、与党復帰という政治的願望があったにせよ、マルクス主義者・社会主義者を忌避しない河野洋平が自民党総裁だったことも与っているはずだ。こんな人を抱え込みかつ要職に就かせるのだから、かつての自民党も骨・芯がない。社会主義と戦う強い意思を持たない者が自民党内にいくらでもいたのだ。
 福岡県筑前町教育長が昨日、教師による自殺生徒への「いじめ」を明確に肯定していたのが記憶に残ったが、今日校長は「いじめ」は認めつつ自殺との間の因果関係を否定する(少なくとも肯定しない)姿勢に変更?した。
 因果関係を肯定すれば町には明らかに遺族に対する損害賠償責任が発生する。訴訟で不利となる発言を慎むようにとの法律的「助言」が誰か又はどこかの機関からあったのではないか。

ギャラリー
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  • 1777/スターリン・初期から権力へ-L・コワコフスキ著3巻1章3節。
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  • 1734/独裁とトロツキー②-L・コワコフスキ著18章7節。
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