「三種の神器」という言葉とそれが天皇位と関係のあることは知っていても、正確に何々であり何処に本体が所在しているのかとなると、多くの国民は、戦後教育のみを受けた国民に限ればほとんど全員が、知らないのではないか。特定の宗教にかかわる天皇家の<私事>として、学校教育の場では何ら教えられなかったからだ。それでよかったのか? 「三種の神器」に限られないが、国の肇まりに関する<物語>くらいは(「神代」の御伽話としてであれ)きちんと教えられてよかったように思う。国民(民族?)にとって、建国の「物語」があるだけでも誇らしいことだろう。そのようなものがない国家(・民族)もあるに違いないのだから。
 さて、安本美典・「邪馬台国畿内説」を撃破する!(宝島社新書、2001)は、「三種の神器」の一つ、神鏡=八咫鏡(やたのかがみ)の由来についても論及している。伊勢神宮や宮内庁はそれなりの説明をしていると思うが、さしあたり安本に依拠して紹介してみよう。
 安本によると、古事記・日本書紀は八咫鏡につきこう書いている。-天照大御神が天の岩戸に隠れたときに製作を命じたのが八咫鏡で、神武天皇東征に伴い畿内に移動し皇居(宮中)にあったが、第一〇代・崇神天皇の時代にレプリカが作られ、本体は(伊勢)神宮に祀られることになった。レプリカ作成の際の試鋳品が奈良県田原本町の鏡作坐天照御魂神社に祀られている。
 以下は、安本の推論又は主張。鏡作坐天照御魂神社にある試鋳品は三角縁神獣鏡なので、八咫鏡も三角縁神獣鏡の可能性がある。天照大御神=卑弥呼が没したとき(天照大御神が天の岩戸に隠れたとき)に三角縁神獣鏡の祖型を作ったとすれば、それは卑弥呼の功績を記念したもので、中国・魏と交流しその「冊封体制」に入ったことから魏の年号が記されていても自然だ。奈良県の「弥生時代」又は「三世紀」の遺跡からは(「四世紀」以降は別として)三角縁神獣鏡は一つも出土していない(北九州からは出土している)。
 安本の論はこうして天照大御神=卑弥呼の所在地に関する問題へとつながっていくが、ともあれ、邪馬台国問題で話題になる三角縁神獣鏡が「三種の神器」の一つ=八咫鏡と関係がある、と推測又は推論している。これはどの程度一般的な説なのかは分からないが、知的好奇心の湧く話ではある。八咫鏡なるものが歴史の深いかつ貴重なものだったことはある程度は判る。
 ところで、別のテーマになるが、八咫鏡本体が存置されている伊勢神宮の式年遷宮(次回は2013年)の準備のための今上天皇の「ご聴許」が宮内庁長官名で(伊勢)神宮あての文書で伝えられていると推察されることはすでに書いた。
 神宮司庁・神宮(2007.04、講談社編集)という写真集のような本によると、この一般的な「ご聴許」以外に、式年遷宮に至るまでに「天皇陛下に御治定を仰ぐ」とされている、以下の多くの行為がある。今年の、すでに産経新聞でも小さく報道のあった「鎮地祭」の挙行もそうだが、2005年の「山口祭」・「木本祭」・「御船代祭」、2006年の「木造始祭」が<御治定>にもとづきすでに行われている(それぞれの意味・内容の簡単な記述もあるが、省略)。あとは、2012年の「立柱祭」・「上棟祭」、2013年当年の「杵築祭」・「後鎮祭」・「遷御」・「奉幣」・「御神楽」がある。これらのうち「遷御」は「御神体を新宮に遷しまつる祭り」で、「天皇陛下が斎行の月日をお定めになる」と記されている。
 天皇陛下の「御治定」なるものの正確な意味は分からないが、これらの祭儀を特定の月日に挙行することを<許す>・<認める>という趣旨は少なくとも含まれているだろう。式年遷宮は、天皇(皇室)自身の祭祀行為として、「勅使」(天皇陛下の代理?)を主宰者として行われるものだからだ(なお、前回の実際の祭祀主宰者の氏名を特定していなかったが、1988年から「神宮祭主」をされている、昭和天皇の皇女・今上天皇の姉の池田厚子氏だったと判った)。
 しかして、天皇はいかなる権限にもとづいてこの「御治定」なるものを伊勢神宮という一宗教法人に対して行うのだろうか。伊勢神宮との間に詳細な<契約文書>でも交わされているのだろうか。
 そんな<近代的な法的観念>に馴染むものはおそらく存在しないだろう。天皇(・皇室)と(伊勢)神宮の特別に密接な関係にもとづき、歴史的・伝統的な慣行・慣例に従っているのだ、と思われる。それらは国家神道の時代を超えて、遅くとも明治維新以前の時代から形成されてきているのだろう(かかる歴史的・伝統的な長年の慣行・慣例に従った、<天皇制度>と不可分の天皇の行為が「私的」行為扱いされるとは解(げ)せないが、同旨のことは何度も書いた)。
 だが、一般的には(「鎮地祭」の挙行に関する産経新聞の記事によってもそうだが)、伊勢神宮の式年遷宮に関する諸行事に天皇(・皇室)が深くかかわっていることは知られていないのではないだろうか。式年遷宮の費用が基本的には国民の寄付金(奉賛金)による、ということ以外に、正確な実態は知られていないのではないだろうか。そして、それでよいのか、と疑問に思う。