秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

池田信夫

2712/池田信夫のブログ037。

  池田信夫ブログマガジン2024/01/22号の一部から。
 「では人間はどうやってフレームを設定しているのか。
 それは子供のとき、まわりの環境を見てニューロンをつなぎ替えて自己組織化しているらしい。
 言葉を覚えるときは、特定の発音に反応するニューロンが興奮し、同じ反応をするニューロンと結合する。/
 最初のフレームはニューロンの結合で遺伝的に決まっているが、それは人類の長い歴史の中で生存に適したものが選ばれているのであり、経験から帰納したものではない。
 そこからフレームが自己組織化されるが、その目的は個体と集団の生存である。」
 ---------
 この数文のうち、重要なのはつぎの二つだ。
 ①「最初のフレームはニューロンの結合で遺伝的に決まっているが、それは人類の長い歴史の中で生存に適したものが選ばれている」。
 ②「自己組織化」の「目的は個体と集団の生存である」。
 後者②は、<利己>と<利他(帰属集団)>のどちらがヒトにとって本質的かという、池田がいっときよく論及していた主題にかかわるだろう。
 以下では、前者①にだけ触れる。
 ——
  あらためて言うまでもないようなことだが、ホモ・サピエンス(人類)としての共通性を、どの人種も、民族も、もっている。
 上の言葉を利用すれば、「人類の長い歴史の中で生存に適したもの」として「選ばれ」た、「ニューロンの結合で遺伝的に決まっている」もの、ということになるだろう。
 胴体と頭と四肢(二本の腕と二本の脚)という肉体的・身体的なことのほか、〈快・不快〉とか〈喜び・悲しみ〉といった感覚・感情・感性も、「人類」としての共通性が<かなりの程度>あるようであることは、インバウンドとやらで日本に来ている多数の外国人を見ていても分かる。
 「笑い」にも苦笑から冷笑まで種々のものがあるが、爆笑・大笑いとまでいかない「ふつうの」笑いを示すとき、どの人種も、民族も、<かなりの程度>似たような表情を見せるようだ。
 これは、いったいなぜなのだろうか。
 「身体的」と「精神的」の二分自体がずいぶんと怪しいのだが(知性・感性を生み出す「脳」はどっちか)、とりあえずこの問題は無視しょう。
 「身体的」であれ「精神的」であれ、ホモ・サピエンス(人類)は<標準的な>装備品を身につけて生まれてきているようだ。それは、共通するまたは<標準的>な人類としての「生物的遺伝子」による、と言ってよいのだろう。
 こう述べて、済ますことはできない。
 ——
  一つの問題は、一つの(一人の)個体にとって、「生物的遺伝子」によって決定された部分と生後の「環境」によって決定または制約された部分は、どういう割合であるのか、あるいは両者はどういう関係に立つのか、だ。
 全てが「親ガチャ」によるのではない。また、全てが「自分」の「自由意志」と無関係な「遺伝」と「(生育)環境」によって決せられるのでもない。
 ともあれ、上で簡単に「生後」と書いたことも、厳密には問題がありそうだ。
 シロウト的叙述になる。受胎時からまたは「生命」の発生と言ってよい瞬間から、胎児は、母体=母親からすでに、母体を通じて種々の「外界」の影響を受けているのではないだろうか。
 直感的に書くと、例えば、母体=母親の心臓の拍動と血流の変化を胎児はすでに「感じ」ていて、その「速さ」=反復の頻度は、ヒトのとっての基礎的な「速さ」の感覚としてずっと残りつづけるような気がする。
 母親の「気分」や、例えばよく聴く音楽もまた、全く関係がない、とは断定できないだろう。
 だが、モーツァルトが「胎教」に良いとかの俗説にどのような実証的な根拠があるのか知らない。何らかの関係があるのだろうが、程度・内容等々を実証的に語るのは—現今のところは—不可能だろう。
 ——
  もう一つの問題はこうだ。ホモ・サピエンス(人類)としての共通性以外に、人種や民族等々によって異なる「多様性」があることも、常識的・経験的に知っている。この「多様性」をより正確にどのように理解し、またどのように〈評価〉すればいいのだろうか。
 その多様性は、生活する地域・圏域の地理や気候の差異によって形成されてきた、一定の「人類」集団ごとの「生物的遺伝子」によって生じてきたのだろう。毛髪や眼(虹彩)、皮膚の色等の違いは、よほどの長いあいだ、交流・交雑がなかったことを推測させる。
 ここで、とくに欧米またはヨーロッパとの対比で語られてきた「日本」論や「日本人」論が視野に入ってくる。
 だが、人種や民族ごとの特性にかかわる議論は、かなりの慎重さを必要とする。
 第一に、諸「人種」や諸「民族」それ自体を同じレベルで語れるのか、という問題がある。
 「日本」や「日本人」と対照されるべき他の「民族集団」は、例えば何(どれ)だろうか。
 第二に、どちらが「優れて」いるか、「劣って」いるか、という議論につながる可能性がある。しばしば優・劣を判断する基準を曖昧にしたままでの議論だ。
 下の著は「ヒトゲノム計画」を叙述する中で、全く付随的にだが、「人種や民族集団の遺伝的違いは知性や犯罪性などと結びついている」という過去の「幽霊」を、2000年頃の某研究所長の「人種と遺伝学に関する持論」は蘇らせた、と記している。
 W·アイザックソン/西村美佐子=野中香方子訳・コード·ブレーカー—生物科学革命と人類の未来(原書2022、邦訳書2022)
 第三に、例えば「日本」とか「日本人」について語るとき、「日本」という社会集団または国家・地域意識はいつ生まれたのか(「日本」という言葉の成立とは直接の関係はない)、現在につながる「日本人」はいつ頃、どのようにして誕生したのかについて、無知であるか、または幼稚な知識を前提としている場合があると見られる。
 いったいいつの頃の、またはいつ頃から現在につづく「日本」・「日本人」を念頭に置いて論じているのだろうか。
 下の年二回刊行の雑誌は実質的に最終号のようだが、<日本とは何か、日本人とは?>を特集内容としている。
 10名近い執筆者たちにおいて、上に述べたような「日本」・「日本人」の意味や時期は明確になっているのだろうか。この点にも興味をもっていくつかの論考を読んでみよう。
 佐伯啓思監修・ひらく(年二回刊)第10号(A &F、2024年1月)
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2709/池田信夫のブログ036。

  池田信夫の最近のブログは、「科学革命」に論及していることが多い。
 「革命」にも、さまざまなものがある。
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  ユヴァル·ハラリ/柴田裕之訳・サピエンス全史(原書2011、邦訳書2023)の最初の方では、「認知革命」なるものが語られている。大きな第一部の表題自体が、「認知革命」だ。
 「約7万年年前」の「認知革命」、「約1万2000年前」からの「農業革命」、「500年前」に始まった「科学革命」の三つの「革命」があったとしたあと、「認知革命」についてこんなことを書いている。
 「認知革命」(=7万年前から3万年前にかけて見られた、新しい思考と意思疎通の方法の登場」)に伴って、「伝説や神話、神々、宗教」は「初めて現れた」。
 ホモ·サピエンスは「認知革命」のおかげで「虚構、すなわち架空の事物について語る」能力を獲得した。そして「虚構のおかげで、私たちはたんに物事を想像するだけではなく、集団でそうできるようになった」。
 これらは間違いではないだろう。
 ハラリが「思考」や「意思疎通」の方法として「言語」以外のものを排除しているとは読めないが、「思考」の結果の表現や「意思疎通」の重要な、かつ主要な手段になるのは(とくに他者・集団との関係では)「言語」であることは否定できないだろう。
 「感覚」、「感情」、「情動」の表現や伝達の方法としても、「言語」は必ずしも不可欠でないとしても、役立ちうる。
 もっとも、「言語」として一つの<祖サピエンス語>を想定し、それが諸言語に分化したとする主張や学説は存在しないはずで、ハラリが想定する「言語」はこの点で不分明であるような気もする。
 また、こうも書いている。
 「最も広く信じられている説」によると、「たまたま遺伝子の突然変異が起こり、サピエンスの脳内の配線が変わり」、従来にない思考や「まったく新しい種類の言語を使って(の)意思疎通」が可能になった。この変異を「知恵の木の突然変異」と称してよいかもしれない。
 ——
  上の最後の叙述部分を、以下は否認している。
 池田信夫ブログマガジン2023年11月13日号——「戦争は『共感革命』から生まれた」。
 こう、書かれる。
 「(ハラリ著によると)人類は7万年前に『認知革命』という突然変異で言語の能力を獲得してフィクションを信じるようになったというが、そんな証拠は遺伝的にも考古学的にもない。
 人類の脳は200万年前から大きくなり始め、ホモ·サピエンスが出てくる30万年前には現在の大きさになっていた。
 言葉の使用は脳の拡大の結果であり、突然変異で生まれたものではない。」
 どうやら、池田の言い分の方が適切なようだ。
 問題はさらには、脊椎動物・哺乳類の中で、なぜホモ·サピエンスだけが脳を大きくすることができ、その結果として、サピエンスの大まかな種別ごとに「言語」を生み出すことができたか、にあるだろう。
 なぜ、人類だけが膨大な数の(一個体に1000億個とされることすらある)神経細胞(ニューロン)を脳内に形成・蓄積できるようになり、「言語」も操作できるようになったのか、と言い換えてもよい。
 なお、神経細胞はヒト・人間の身体じゅうにあるが、ヒトの場合は数の上では圧倒的多数が脳内にあるとされる(多さと脳への偏在?が人類を他の動物と区別する)。そして、「脳」>「ニューロン」こそが言語活動を含む人間の知性的・理性的活動の源泉になっている。
 ——
  「序章」だけとりあえず読むに終わるだろうと思っていたら、邦訳のうまさもあってか、上巻の半分くらいまで読んでしまったのは、つぎの書だ。
 W·アイザックソン/西村美佐子=野中香方子訳・コード·ブレーカー—生物科学革命と人類の未来(原書2022、邦訳書2022)。
 書名にも「生物科学革命」という語がある。
 「序章」の中の一節の表題は「原子の革命、ビットの革命、そして遺伝子の革命」だ。
 その中で、こう書かれている。
 「20世紀前半」は、「物理学を原動力とする革命の時代だった」。
 「20世紀後半は、情報テクノロジーの時代だった」。その基礎は「ビット」のアイディアだった。1950年代にこれが「マイクロチップ、コンピュータ、インターネットの開発」につながり、「この三つのイノベーション」が結びついて「デジタル革命」が起きた。
 「今私たちは第三の、さらに重要な、生物科学革命の時代に突入した」。子どもたちは「デジタル・コーディング(符号化処理)」だけでなく「遺伝子コード」を学ぶようになるだろう。
 以上。
 「物理学」(アインシュタインの相対性理論・量子論以降の原子力・トランジスタ等々)による「革命」、「ビット」の二進法思考を基礎にした「デジタル革命」、「生物科学革命」の三つが語られている。
 節の表題に戻ってほぼそのまま利用すれば、「原子の革命、ビットの革命、遺伝子の革命」の三つになる。
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 こういう大きな時代変化の認識の記述あるいは「革命」に関する叙述に接すると、<資本主義から社会主義へ>という時代変化の予見や「社会主義革命」などという観念は、ちっぽけで些細なものに感じる。万が一、この予見や観念が「正しい」ものだとかりにしても、だ。
 資本主義・社会主義論は、かりにこの区別が成り立つとしても、「生産力」と「生産関係」の相剋などを基礎にした議論なのであり、人類全体の大きな見通しの中では、一部の側面にのみ着目した、ちんまりとした「細区分」に他ならないように考えられる。
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2708/池田信夫のブログ035。

 池田信夫のブログ035。
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 一 池田信夫ブログマガジンのうち前回(No.2706)に取り上げたもののさらに一つ前の号と新たに読んだ最近の号から、興味深く感じた小文章のタイトルは、以下のとおり。なお、前回もそうだが、これら以外はつまらない、あるいは全く理解できない、という趣旨ではない。
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 12月18日号
 ①「ブッダという男」。
 ②「名著再読: (A·ディートン)大脱出」。
 02月05日号
 ③「宇宙はなぜ人間のために『微調整』されているのか」。
 ④「イノベーションに必要なのは『否定的知識』」。
 ⑤「名著再読: (クーン)科学革命の構造」。
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  とくに意図せず、思いつくままの感想等。
 ④によると、古代ギリシャの自然哲学・古代ギリシャの都市国家→ローマ帝国のあいだには断絶があり、ギリシャ自然哲学はローマ帝国に継承されなかった。それはとくに、後者により「キリスト教が国教」とされたことによる。「ギリシャ文化は『異教』として排除され、イスラム圏に追いやられた。ヨーロッパが「自然哲学」を必要としたのは、「…などの実用的な科学」が必要になった、「植民地支配」を始めた「16世紀」以降だ。
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 ギリシャの哲学者と言えば、ピタゴラスを想起する。そして、この人物は<ピタゴラス音律>の創始者とされるのだが、1オクターブを12の異なる音で構成する(現在でもこの点は同じまま)ということの背景には、「神」は全てを美しく、体系的に全てを創作したはずだ(12という数字は「美しい」)という考えも少しは影響したのではないか旨、この欄に書いたことがあった。
 しかし、よく考えれば(よく考えなくとも)、ピタゴラスの時代にはまだ<キリスト教>は成立していなかったようで、「神」の理解にもよるが、上の推測は間違い。
 但し、<ピタゴラス音律>を用いた音楽の発展にはキリスト教の教会、そこでの「教会音楽」が相当に寄与したはずだ。ドイツ(と日本)では「音楽の父」とされるJ·S·バッハは、ドイツ・ライプツィヒの教会でも働いた鍵盤楽器演奏者(オルガニスト)・作曲家だったが、当時はまだ<十二平均律>は全く一般的ではなく<ピタゴラス音律>がかなり使われていただろう。
 なお、<十二平均律>が欧州で支配的になったとされるのは、—日本はその圧倒的な影響を受けるのだが—19世紀だ(こんなこともM·ヴェーバー『音楽社会楽』は書いている。日本のことは別)。
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  上の①によるとこうだ。「ブッダ(集合名詞)の思想的コア」は、「無我」(=「所有の放棄とか我執からの解放といった意味」)だろう。但し、「高度な教理」はなく、「大乗仏教になってから」、「複雑な仏教哲学」ができた。この時期の仏教が日本にも輸入されて、「既存の民俗信仰と習合した」。「それは東洋的な『無』をコアにする点」で、「それほど異質な宗教ではなかった。
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 東アフリカで生まれたヒト・人間(ホモ·サピエンス)は今のシリア・イラン(その隣国が今はイスラエル)あたりで東西に分かれて、西へはヨーロッパに、東はインド、東アジア(今の中国、日本等)へと(途方もない年月とともに)分かれていった、という。
 今でも西欧または欧米と東アジアは異質だと語られることが多い。
 どちらもホモ·サピエンスとしての基礎的な遺伝子(あるいはDNA配列)を有するだろう点では全く共通しているはずだ。しかし、外形や容貌を別としても、言語のみならず、文化や「思考方法」の点で異なることが多いとされていると思われる。
 西と東、とくに西欧(今のドイツも含める)と日本は、どういう点で異なり、それはいったいなぜそうなったのか?
 多く語られて論じられてきた主題に、秋月もまた最近は大きな関心を持っている。
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 池田の上の文章では日本を含む東アジアの「無我」あるいは「無」の哲学または宗教が語られている。
 だが、ヨーロッパには、あるいはキリスト教には、そのような意識・考え方はないのか。本当にそうならば、なぜそうなのか。
 批判をしているのではない。自問のようなものだ。
 一神教ではなく多神教だから、日本は優れているのだ、とかの日本会議系または櫻井よしこ流の幼稚な思いつき的発想では、何の回答にもならない。
 「かみ」を信仰・崇敬の対象としている点で「神道」は一神教だとも言えるし、仏教上も、釈迦に近い順らしいが、如来・菩薩・明王・天という順での、かつそれぞれの中でも多様な信仰または崇拝の対象がある。キリスト教の場合も、「聖〜」とかの複数の聖人も崇拝・拝礼の対象になっている。
 日本の「宗教」とは、日本人の「信仰」とは。この問題には当今、大きな興味を持っている。
 池田の上の文章の中には、大乗仏教と「習合」した「既存の民俗信仰」という言葉が出ている。
 仏教と「習合」したこれを「神道」だとは、池田信夫も考えていないだろう。
 「神道」という言葉・概念がない時期だったのだから、8世紀前半の日本書記や古事記から「既存の民俗信仰」の確かで明確な姿や内容を語ることはできないだろうと思われる。
 ここで何かを論じる能力・資格は、秋月にはない。
 ただ素人的にでも興味深く思うのは、日本にあった(今でもある)山岳信仰、一般的にはこれと少しは違うだろうが、<修験道>という今でも完全には消失していない(今では仏教に分類される)「道」・宗教だ。さらに、これも今は仏教の一種とされているが、<役行者信仰>というものの存在とその実体だ。
 こうしたものは、日本人のいったいどのような根本的「哲学」または「宗教」を示して、あるいは示唆して、いるのか。
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  ところで、櫻井よしこや西尾幹二は、仏教伝来までに日本にはすでに確固たる「神道」があって、「寛容な」後者が前者を受け入れた、という旨を恥ずかしげもなく書いている。
 従前にあった「神道」なるものの実体を明確にできないかぎり、この主張は馬鹿げている。
 こんな主張よりも、仏教「公伝」以前に、ある程度は半島経由だろうが、大陸中国から重要な「知識」または「文化」をすでに受容していた、そうしたものの影響を受けていた、ということの方が重要だろう。
 「暦法」または基礎的な「天文学」はこれにあたる。確認しないが、古事記でも日本書記でも天皇即位年を基準とする年次表記、元号制定後の元号を利用した年次表記、の他に「干支」を使ったものがある。これは日本産ではなく、仏教「公伝」よりも早くから知られていて、すでに利用されていたのではないか。
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 こんなふうに雑文を綴っていくと、際限がなくなる。
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2706/池田信夫のブログ034—「ニューロン」。

  日本共産党の問題には、大した興味は持っていない。池田信夫が最近に論及している主題にの方がはるかに興味深く、かつ重要だと思われる。
 秋月による言い換えが入るが、<ヨーロッパ近代>とは何だったか、キリスト教はどういう役割を果たしたか、日本が明治以降に模倣・吸収しようとした<近代(ヨーロッパの)科学>の意味、そこでの「大学」の意義、「哲学」の諸相、等々。
 そしてまた、我々の世代はヨーロッパまたは西欧コンプレックスをもってきたものだが(明治以降の日本人からの継承だ。敗戦も関係する。マルクス主義もまた欧州産の「思想」体系だった)、<ヨーロッパ近代>を徹底的に相対化する思考または論調がむしろ支配的になっているのではないか、とも思わせる。
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 このような主題に関連する、この一ヶ月余の池田信夫の小論に、以下があった。タイトルだけ示す。日本共産党にかかわる小論は2024/01/22号に含まれているのだが、これよりも本来は、下記のものの方が面白い。
 2023/12/25号。
 「『実用的な知識』はなぜヨーロッパで『科学』になったのか」。
 「自己家畜化する日本人」。
 「『構造と力』とニューアカデミズム」。〔浅田彰〕
 「名著再読: ヨーロッパ精神史入門
 2024/01/15号。
 「『科学革命』はなぜ16世紀のヨーロッパで生まれたのか」。
 「名著再読: ウィトゲンシュタインはこう考えた」。
 2024/01/22号。
 「キリスト教は派閥を超える『階級社会』の秩序」。
 「名著再読: (ヒューム)人間知性研究」。
 2024/01/29号。
 「あなたが認識する前から世界は存在するのか」。
 「名著再読: (ショーペンハウエル)自殺について」。
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  「cat」・「猫」の「言葉」問題に触れ、池田にはたぶん珍しく「ニューロン」という語を使っていたのははたしていずれだったかと探索してみると、2024/01/22号の中の、「名著再読: (ヒューム)人間知性研究」だった。
 「ニューロン」も出てくるつぎの一連の文章は、なかなかに興味深く、いろいろな問題・論点の所在を刺激的に想起させてくれる。
 最初の「フレーム」について、「フレーム問題」を池田信夫のブログの検索窓に入力すると多数出てきた。何となく?意味は分かるので、ここでは、立ち入らない。
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  「では人間はどうやってフレームを設定しているのか。
 それは子供のとき、まわりの環境を見てニューロンをつなぎ替えて自己組織化しているらしい。
 言葉を覚えるときは、特定の発音に反応するニューロンが興奮し、同じ反応をするニューロンと結合する。/
 最初のフレームはニューロンの結合で遺伝的に決まっているが、それは人類の長い歴史の中で生存に適したものが選ばれているのであり、経験から帰納したものではない。
 そこからフレームが自己組織化されるが、その目的は個体と集団の生存である。」
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 この数文は、いろいろな問題に関係する。
 秋月の諸連想、あるいは常識的・通俗的な秋月の思考の連鎖を、今後に書いてみよう。
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2705/池田信夫のブログ033—日本共産党・松竹伸幸②。

 池田信夫ブログマガジン2024年1月22日号から。同じ一節から、さらに感想等を記す。
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  池田はこう書く。
 「私は上田耕一郎とは一度、話したことがあるが、宮本のスターリニズムとはまったく違う気さくな人だった」。
 上耕と話したことがある、ということが書きたかったことかもしれない。しかし、一度話したくらいで、ある一人の日本共産党員が「スターリニズム」でない「気さく」な人だったと論定することは不可能だろう。たしかに、上田耕一郎が相対的に「自由に」語っていた印象は、私にもある。
 しかし、共産党員というものは、非党員・「大衆」に対して<演技>を平気でするものだと思う。直接には気さくに、愛想よく接しながら、党員たちだけの内輪の会合では、その非党員について辛辣な批評をし、ときには罵倒するくらいのことを平気でしているかもしれない。共産党員というのは、真面目であればあるほど、「内」と「外」を使い分ける、ある意味では<スパイ>のような二重人格者ではないか。
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  松竹伸幸は、近年では日本共産党中央とは一致していないらしき主張をしていたから、とっくに党員でなくなっていた、と私は何となく推測していた。だから、最近までまだ党員だったと知って驚いた。
 しかも、党中央による「除名」決定を不服として「再審査請求」とやらをしているらしい。
 ということは、自分の除名は不当だ、自分をまだ日本共産党員のままでいさせろ、と主張していることになるだろう。
 松竹さん、そんなに「日本共産党員」でいたいのかね
 批判しているような党中央をもつ政党など、喜んで辞めてやる、ということにならないのか、不思議でしようがない
 松竹伸幸の近年の行動は、<最後に一花咲かしたい>という程度のものでないか。その影響を受けて、朝日新聞社説が松竹への実質的支持と日本共産党への注文を書いたというのだから(私は読んでいない)、茶番劇であっても、ある程度の波風を立てるものだ(池田信夫までもが取り上げた)。 
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 ネット情報等によると、松竹伸幸は2000年の第22党大会前後に日本共産党中央委員会職員として政策委員会外交部長(2004年)等の要職にあり、2001年7月には参議院議員選挙に日本共産党の候補として立候補した(落選)。そして、2005-6年までは、中央委員会の事務局職員だったらしい。
 ということは、おそらく間違いなく、この人物は2000年の志位和夫・幹部会委員長による指導体制の発足を少なくとも容認し、その中で少なくとも5年程度は生活してきた
 にもかかわらず、種々のことがあったのだろうが、その後の彼の活動を党中央が問題視し始めるや、志位和夫の党内出自や経歴を批判し始めたのだとすれば、その心情は決して高潔なものではない(委員長公選制の主張など、この党にとっては奇抜な論点だ)。秋月は松竹伸幸という人物をほとんど「信用」していない。
 なお、松竹伸幸がまだ正統な?党員だった時代に出版した書物に、以下がある。いずれも、志位和夫・幹部会委員長の時期に出版されている。
 松竹伸幸・ルールある経済社会へ(新日本出版社、2004)
 松竹伸幸・レーニン最後の模索—社会主義と市場経済(大月書店、2009。これは、レーニンの1921年のネップ政策を擁護・称讃するもので、日本共産党・不破哲三の<市場経済を通じて社会主義へ>論に沿うものだった)。
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  池田信夫の叙述に戻ると、その小論の表題(「共産党が選ぶことのできた『もう一つの道』」にすらしているが、池田は、日本共産党が取り得た「もう一つの」可能性として、「党内闘争で上田兄弟が勝っていたら『社公民』に近い立場になり、野党を大同団結させて政権をになう社民勢力ができたかもしれない」と考えているようだ。
 しかし、池田の言う「今さら言ってもしょうがないないが」という以上に、そんな可能性がわずかにでもあっただろうか。
 日本共産党はコミンテルン日本支部として出発した、そのかぎりで「社民」主義と決別して発足した政党だ。それを維持して、日本社会党は、ある時は是々非々であっても、異質で対抗する政党だと自己認識してきた。
 したがって、「上田兄弟」路線の勝利→「社民」勢力の大同団結のためには、以下が必要だっただろう。すなわち、戦後すみやかに、または遅くとも1961年党大会=宮本体制発足までに、それまでの、「マルクス=レーニン主義」に立つ日本共産党と(かりに名前だけは維持するとしても)実質的に異なる政党になったと宣言しておくこと。
 宮本顕治には、過去の自分史からして、そんなことはできなかった。そしてまた、1970年に宮本委員長のもとで書記局長になり、1982年に宮本議長のもとで委員長となった不破哲三も、そんな可能性を(本心では)想定していた、とは思えない。不破は、宮本顕治によってこそ選抜されたのだ。
 「社民」主義への転換の最も良い機会は、1991年末のソヴィエト連邦解体だったかもしれない。欧州の「共産党」は雪崩を打ったようにソ連解体に対応し、大雑把に言うが、解党するか、「レーニン主義」政党ではなくなった。
 しかし、日本共産党は、<ソ連は社会主義国家ではなかった>と再定義して、その基本的立場を変えなかった。宮本顕治の力の弱化からしても、「社民」主義への転換の絶好のチャンスだったかもしれないが、1994年党大会までに実権をほぼ握ったかに見える不破哲三は、その「道」を選ばなかった。
 「上田兄弟」の(本音での)主義・路線なるものは、幻想であるか、または彼らの自己批判までにかぎって存在したもののように見える。
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  日本共産党が<社民主義>政党に転換または変質する可能性は、かなり読まれたらしいつぎの書物でも論及され、かつその可能性が肯定(または推奨)されているようだ。論評・感想を予定しつつ、まだこの欄でこの点に触れていない。
 中北浩爾・日本共産党(中公新書、2022)
 その可能性は、ないだろう。そのためには、1922年以降の全ての党の歴史を否定し、当然ながら「科学的社会主義」のもとで「社会主義・共産主義」の社会を目ざす、とする現在の党綱領を廃棄しなければならない。
 そんなことをこの党はできない。そして、ずるずると弱体化・劣化していく道を歩んでいくだろう。当然ながら、レーニンが1902年の「何をなすべきか」が示した<前衛>党組織・意識、1921年ロシア党大会で導入した<分派禁止>原則を、日本共産党が今になって、根本的なところで否定できるはずはない。
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2704/池田信夫のブログ032—日本共産党・松竹伸幸。

  池田信夫が「左翼」として批判的に論及してきたのは圧倒的に、のちの国民民主党と分岐した立憲民主党だった。日本共産党にはほとんど言及してこなかったように見える。
 その池田が珍しく共産党に言及している。
 池田信夫ブログマガジン2024年1月22日号—「共産党が選ぶことのできた『もう一つの道』」
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 田村智子の「スターリン的」体質うんぬんはさて措く。「レーニン主義」の共産党・組織原理をこの党が維持していることは間違いないだろう。
 池田信夫のこの小文章に触れたくなったのは、つぎによる。
 松竹伸行の書物に影響を受けつつ書いたようでもある(戦後・宮本顕治以降の)日本共産党の、とくに指導部・幹部の「歴史」のイメージは、私のそれとは相当に異なる。
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  松竹伸幸の最近の話題の?書物は、私は読む気がない。
 だから、池田の文章を読んでの推測になるが、松竹伸幸は自らと直接に対峙した日本共産党の最高幹部だった志位和夫に焦点を当てて、同党幹部批判をしているのではないだろうか。
 池田自身の文章たる性格がどの程度あるのか分からない。但し、こんなことが書かれている。
 <宮本顕治は権力を手放さなかった。
 宮本が議長退任後に上田兄弟(不破哲三・上田耕一郎)は党内人事で「リベラル派」を起用しようとしたが、宮本は「阻止し」、「東大細胞の新左翼勢力を追放した志位(和夫)を35歳で書記局長に抜擢した」。
 「志位はスターリンに対するベリアのような役割を果たして党内の反宮本派を粛清し、その功績で2000年に46歳で委員長になり、不破は議長に退いた。
 この人事も宮本が主導した」。
 上田兄弟の路線は最終的に挫折した。>
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  秋月は熱心な日本共産党ウォッチャーでないし、共産党(に関する)評論家ではない。
 しかし、上の叙述は「上田兄弟の路線」なるものを重視しすぎているだろう。
 決定的には、不破哲三の位置づけが小さすぎる、という印象が強い。
 私のイメージでは、1991年12月末のソ連解体から1994年7月の党第20 回大会までのあいだに、「ソ連」の見方に関する激しい論議とともに、宮本と不破の間での激烈な対立があった。
 そして、「ソ連」は社会主義国家でなかったと新しく定義されるとともに、党内人事でも、不破哲三が宮本に対して最終的にも勝利した。
 少しく、年表的に追ってみよう。
 1994年党大会のとき、宮本は満85歳。不破哲三は、満64歳。
 1990年の第19回党大会の時点で、不破哲三は幹部会委員長。宮本は、中央委員会議長。なお、この大会後、志位和夫が書記局長になった。
 宮本顕治は1994年党大会後も中央委員会議長だったが、1997年の第21回党大会で退き、なお維持した「名誉議長」職も2000年の第22回党大会で失った。
 この2000年、不破哲三が中央委員会議長となり、幹部会委員長に志位和夫が選ばれた。
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 松竹伸幸の影響を受けてか、池田信夫は、1990年に志位和夫を書記局長に「抜擢」したのは宮本であり、その後実力をつけて、不破哲三とは無関係に?、2000年の志位・委員長と不破・議長への就任があった、と叙述しているようだ。
 志位の書記局長職には幹部会委員長だった不破の同意・了解が少なくともあっただろう。
 また、不破70歳、宮本92歳、志位46歳のときの不破から志位への幹部会委員長職の委譲?は、もはや宮本はほとんど関係なく、不破の判断または二人の合意でもって行われたように推測される
 志位和夫が委員長になるまでは、不破が委員長だった。そして、委員長交代後も不破哲三が党内に影響を持ち続けたことは、不破はその後も中央委員会委員であることはもちろん、幹部会かつ常任幹部会の委員の一人だったことでも明らかだろう(党の社会科学研究所所長という要職?にもあった)。
 秋月は志位に対して凡庸だという印象しかもっていなかったので、幹部会の中でずっと不破哲三が「にらみ」を効かしている、と感じていたものだ。
 以上からして、宮本が「東大細胞の新左翼勢力を追放した志位(和夫)を35歳で書記局長に抜擢した」、志位は「党内の反宮本派を粛清し、その功績で2000年に46歳で委員長になり、不破は議長に退いた。この人事も宮本が主導した」という叙述は、かなり奇妙だ。
 1994年以降、宮本顕治にいかほどの「実権」があったのだろうか。この時期にそもそも、「反宮本派」はいかほどいたのだろうか。宮本に<人事を主導する>力があったのか。
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  ひょっとすると、松竹伸幸は、<志位和夫憎し>のあまり、「党史」を正しく叙述していない、あるいは正しく記憶していない、のではないか。
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2703/池田信夫のブログ031—大学・リベラルアーツ。

 一 池田信夫の昨秋あたり以降のブログマガジンは、興味深いまたは刺激的な内容が多かった。
 逐一の言及はしていない。Richard Dawkins の書物を使った又は基礎にした<利己的遺伝子>や<文化的遺伝子>等を扱っていた頃に比べて、むしろinnovate され、verbessern されていると思われるので、感心している。
 大きな流れからすると些末な主題だが、つぎの論定はそのとおりだと感じた。
 「リベラルアーツは、インターネットでも学べる陳腐化した知識にすぎない。
 実験や研究設備の必要な理系の一部を別にすると、現在の多メディア環境で『大学』という入れ物でしかできないことはほとんどない。」
 池田信夫ブログマガジン/2023年12月11日号—「近代システムの中枢としての大学の終焉」
 「別にすると」をそのまま生かして、最後の「ほとんどない」は「ない」でもよいと思える。
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 だが、今の日本で「大学」信仰はまだ強く残っているようだ。
 なぜか。どうすれば、打開できるか。これが、問題だ。
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 残っている理由の大きな一つは、戦前・戦後と基本的には連続するところのある日本の「学校教育」制度、「大学」制度によってそこそこに、あるいはそれなりに「利益を受けてきた」と意識的・無意識的に感じている者たちが、今の日本の諸「改革」論議を支えているからだ、と考えられる。
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  さて、適菜収、早稲田大学第一文学部卒。この適菜収を月刊誌デビューさせたと見られる元月刊正論編集代表・桑原聡、早稲田大学第一文学部卒。この桑原聡は同編集代表としての最後の文章の中で、「天皇をいただく国のありようを何より尊い」と感じる旨書いた。だが、一貫しているのかどうか、産経新聞社退職後は母校・早稲田大学で非常勤として「村上春樹」について講じているらしい。
 そして、西尾幹二、東京大学文学部「ドイツ文学」科卒。「哲学」科卒ですらない。
 ほんの例示にすぎないが、この人たちが何となく?身につけた「リベラルアーツ」は日本にとって、日本社会と日本国民のために、必要だったのか。
 しかし、「実験や研究設備の必要」でない、文学部の中での「文学」や「哲学」の専攻者と彼らの前提として必要な肝心の「文学」・「哲学」の大学教員は、何も「研究」していなくとも、当面は存在し続けるのだろう。
 おかしい、とは思う。だが、「おかしい」ことでも「現実」であり続ける。
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2684/池田信夫のブログ030-04。

  「鳥羽伏見戦争」は終わっていた1968年8月に明治天皇が即位式を挙行し、その年の元日に遡って「明治」と改元してから、1945年8月に<敗戦>するまで、単純に引き算して、ちょうど77年。
 1945年に単純に77を足すと、2022年。
 明治の初めから明治憲法発布、日清・日露戦争等々を経て、対アメリカ戦争の敗戦までに至る時間の経過以上に長い期間が、「戦後」にもう過ぎているのだ。
 明治改元から2023年のちょうど中間に、1945年の敗戦が位置していることになる。
 明治初年から「敗戦」まで、日本は大きく変化した。開国・文明開化、明治憲法、日清・日露戦争、関東大震災、対中国戦争、対米国戦争、原爆投下・敗戦。
 1945年〜1951年にも、新憲法施行や「戦後改革」、サ講和条約発効等の大きな変化があった。
 だが、1951年以降に、明治時代の大変革やその後の「戦前」にあった変化以上の「変革」・「変化」が、あったのだろうか。
 すぐに思いつくのは、IT関係、情報通信環境の変化だ。また、1950年前後から、炊飯器・冷蔵庫・洗濯機や個人用自動車等の普及によって、「生活」の便宜や快適さが格段に増えてきていた。
 しかし、1868年・明治改元—1945年・「敗戦」までにあったような国家・行政それ自体にかかわる大変化は起きてこなかったように見える。
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  さて、池田信夫ブログマガジン2023年7月24日号から、長いが、再び引用する。
 「日本の法律は、官僚の実感によると、独仏法よりもさらにドグマティックな超大陸型だという。
 ルールのほとんどが法律や省令として官僚によってつくられ、逐条解釈で解釈も官僚が決め、処罰も行政処分として執行される。
 法律は『業法』として縦割りになり、ほとんど同じ内容の膨大な法律が所管省庁ごとに作られる。
 このように省令・政令を含めた『法令』で決まる文書主義という点では、日本の統治機構は法治主義である。
 これはコンピュータのコードでいうと、銀行の決済システムをITゼネコンが受注し、ほとんど同じ機能のプログラムを銀行ごとに作っているようなものだ。」
 「しかも内閣法制局が重複や矛盾をきらうので、一つのことを多くの法律で補完的に規定し、法律がスパゲティ化している」。
 「一つの法律を変えると膨大な『関連法』の改正が必要になり、税法改正のときなどは、分厚い法人税法本則や解釈通達集の他に、租税特別措置法の網の目のような改正が必要になるため、税制改正要求では財務省側で10以上のパーツを別々に担当する担当官が10数人ずらりと並ぶという。」
 「こういうレガシーシステムでは、高い記憶力と言語能力をそなえた官僚が法律を作る必要があるが、これはコンピュータでいえば、デバッガで自動化されるような定型的な仕事だ。
 優秀な官僚のエネルギーの大部分が老朽化したプログラムの補修に使われている現状は、人的資源の浪費である。」
 「問題はこういう官僚機構を超える巨視的な意思決定ができないことだ。
 実質的な立法・行政・司法機能が官僚機構に集中しているため、その裁量が際限なく大きくなる。
 国会は形骸化し、政治家は官僚に陳情するロビイストになり、大きな路線変換ができない。」
 「必要なのはルールをモジュール化して個々の法律で完結させ、重複や矛盾を許して国会が組み換え、最終的な判断は司法に委ねる法の支配への移行である。
 これは司法コストが高いが、官僚機構が劣化した時代には官僚もルールに従うことを徹底させるしかない。」
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  「省令・政令を含めた『法令』で決まる文書主義という点で」の日本の統治機構の「法治主義」から、「レガシーシステム」によるのではなくルールの「 モジュール化」をして重複や矛盾を許すよう「国会が組み換え、最終的な判断は司法に委ねる」という「法の支配」への移行が必要だ。
 たぶんこれが、基本的な趣旨だろう。
 「レガシーシステム」やルールの「モジュール化」という語には馴染みがないし、「法治主義」と「法の支配」の異同も、おおいに気になる。また、上の「官僚の実感」は適切かという問題はあるし、「優秀な官僚のエネルギーの…」と書いているけれども、日本の現在の「官僚」は—総じて今日までと比較して—本当に「優秀」なのか、という疑問はある。そもそも日本の「司法」はさほどに信頼できるか、という問題もある。
 だが、最大の問題は、池田がどのような時期的展望をもっているかは定かでないが、このような<行政スタイル>(塩野宏・行政法I-行政法総論(有斐閣、2015)の言葉)の大変革が、近い将来に日本で実際に起きる可能性はあるのだろうか、ということだ。
 どうも、否定的にならざるを得ない。少しずつでも池田が描くように変わってきているとも思えない。だからと言って、現在の<行政スタイル>を続けても、日本の国家運営・行政運営が突然に<破綻>したり、<崩壊>したりするとも思えない。
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  唐突ながら、新聞紙面でかつてから気になっているのは、「政治」面と「社会」面のあいだにあってしかるべき「行政」面の欠落だ。「政治」面は国会解散の意向はと何度も訊く、自民党の派閥や政党に関心を向ける政治部記者によって書かれ、「社会」面はほとんどが「警察ネタ」情報で、「警察署回り」で得られるが、「警察」は「行政」の一部にすぎない。このような感覚は、新聞を通じてテレビ等の関係者にも浸透してしまっているようだ。
 恒例行事の公示地価(行政関係「地価」には関係法令の違いに則して数種類があるのだが)に関する報道はあっても、例えば、<街づくり(防災にも関係する)>に直接かかわる建築基準法、都市計画法上の「用途地域」等の変更・改正に関する報道を、日本のマスメディアは全くかほとんど、してきていない。こうした幼稚で遅れたマスメディア、ジャーナリズムは、<日本の行政>を取り囲む重要な環境の一つでもある。
 原発または原発関係訴訟に関する記事も、公有水面埋立をめぐる国(これにも事業主体としての国と権力行使権限をもつ国との二種がある)と沖縄県(または沖縄県知事)のあいだの争訟に関する記事も、関係諸法の関係諸規定を知らない記者たちが書いているに違いない。ある意味では、行政「官僚」よりもこちらの方が恐ろしい。
 

2653/池田信夫のブログ030-03。

 (つづき)
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 第三。「内閣法制局が重複や矛盾をきらうので、ひとつのことを多くの法律で補完的に規定し、法律がスパゲティ化している」。
 「必要なのは法律をモジュール化して個々の法律で完結させ、重複や矛盾を許して国会が組み替え…」。
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 現在(2023年8月1日時点)に有効なものとして「e-Gov 法令」に登載されているのは、一つの名称(表題)をもつ一本ずつを数えて、法律2120政令2288府省令4161、計8569。
 他に、政令としての効力を今でももつ「勅令」71、国家公安委員会・公正取引委員会、海上保安庁等々の「規則」433。これら504を加えると、総計・9074。上の政府サイトによる。
 およそ10000本(1万本)と理解して、大きな間違いではない。
 これらの中には「民法」、「刑法」、「民事訴訟法」、「刑事訴訟法」、「商法」、「会社法」等々も含まれている。したがって、全てではないが、「ほとんど」、おそらくは95パーセント以上が、「行政諸法」だろう。
 なお、以上には、地方公共団体の「条例」と「規則」は含まれていない。47都道府県・全市町村の「条例」等の総数は旧自治省の総務省が把握しているかもしれないが、公表・情報提供されているのかどうか。
 地方公共団体のこれらは、<ほぼ全て>が「行政」関連だと考えられる。地方公共団体は、「民法」や「刑法」、各「訴訟法」の特別規定(特則)を定める権能を有しない。
 政令や府省令は上位の1本の法律のもとに体系化できるはずだが、一つの法律の下に政令が1つだけ、府省令が1つだけでは通常はないだろう。「府令」とは、内閣総理大臣に策定権限がある「内閣府令」のことをいう。
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 「行政法規」である法律に限っても、諸法律が錯綜していることは顕著なことだ。池田信夫の言う「スパゲティ化」の正確な意味は不明だが。
 有名なのは都市計画法分野で、「都市計画法」という法律は一般的に「建築基準法」と連結している。同法にいう「都市計画」の内容や策定手続の特則定める、「都市計画法」から見れば「特別法」にあたる「都市再生特別措置法」、「文化財保護法」、「明日香特別措置法(略称)」等々もある。同じく「都市計画法」から見れば「特別法」にあたるが、同法にいう「都市計画事業」に関して定める「土地区画整理法」、「都市再開発法」等々がある。
 これらを概観するのは、ほとんど不可能だ。一冊の書物が必要になる。安本典夫・都市法概説第三版(2017)参照。
 都市計画法という名前の法律は国土交通省(旧建設省)所管で、関係諸法令に詳しい職員がいるはずだ。それでも関連諸条項の全てを知っているはずはない。まして関連「通達」類を熟知しているはずがない。
 全「行政」諸法に詳しいのは法律(内閣提出のもの)と政令を事前に「審査」する内閣法制局の職員だろうが、担当する分野が区分されており、また長期にわたって担当するのでもない。
 したがって、日本の<行政諸法>・「行政法規」の内容の全体に関する知識をもつ者は、かりに全てについて「ある程度」であっても、日本の中に誰一人存在しない。
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 分かりにくいのは確かだが、「重複」は別としても、「矛盾」があれば問題で、その矛盾は発生が防止され、あるいは事後に是正・解消される必要があるのではないだろうか。
 「法治主義」ではなく「法の支配」原理に立つと池田信夫が理解するアメリカやイギリスで、法律または法令間の「矛盾」は公然と承認されているのだろうか。一般論としては、なかなか想定し難い。
 もっとも、イギリスでは三国(国?、イングランド・ウェールズ・スコットランド)ごとに議会があり、アメリカには各州法があるので、連邦法とそれらの間、または諸州法相互の間に「差異」が存在するのはむしろ自然で、適用法令の発見自体が司法部(・判例)に委ねられるのかもしれない。
 ドイツ、フランスのこともよく知らないが、日本では、「矛盾」が正面から承認されることはないと思われる。
 しかし、何らかの特殊な事案が発止して、「矛盾」が明らかになることはあるだろう。但し、その場合、とりあえずは、適用条項の「選択」・「発見」の問題として処理される可能性が高い。
 「矛盾」しているか否かがときに重要な法的問題になるのは、国の法律(+法令)と、「法律の範囲内」でのみ制定可能な(憲法94 条参照)地方公共団体の「条例」との間の関係だ。独自に土地利用や建築を規制しようとする条例と都市計画法・建築基準法等との関係など。
 一般論としては「矛盾」は許容されず、法律に違反する条例は、違法・無効だ。だが、「違反」しているか否かの判断が必ずしも容易ではない。「地方自治の本旨」(憲法92条)に反する法律の方が違憲で無効だ、という議論を始めると、ますますそうなる。
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 池田信夫の問題関心は、「法治主義」と「法の支配」の違い、<レガシーシステム>からの脱却、<モジュラー>化しての弾力的?運用、「最終的判断は司法に委ねる法の支配への移行」にあるのだろう。
 したがって、今回に以上で書いたことも、そうした関心に対応していないことは十分に承知している。
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  いつか書こうと思っていたのは、「法学」という学問分野の特性だ。経済学と異なり、諸「文学」とも異なる。
 法令類の有効性を前提とした<法解釈学>の場合、「真実」の発見が目的なのではない。「正しい」・「正しくない」という議論も、厳密には成り立ち難い。法的主張、法学説それぞれの間での決定的な「差異」は、裁判所、とくに最高裁判所の判決によって支持されているか否かだ。
 「正しい」解釈が最高裁判例になっているのではない。逆に、最高裁判所の判例になっている法学説こそが「正しい」という語法を使うことは(きっと反対が多いだろうが)不可能ではない。
 では、最高裁判例とは何か? 科学の意味での「真実」ではない。社会管理のために立法者が定めた基準類を具体的事案に適用するために必要な「約束事」を、立法者の判断を超えて示したもの、とでも言えようか。
 裁判所、とくに最高裁判所の判決という「指針」、「手がかり」のあること、これは<法(解釈)学>の、経済学等々とのあいだの決定的な違いだ、と考えられる。
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2651/池田信夫のブログ030-02。

 (つづき)
 第二。「ルールもほとんどが法律や省令として官僚によってつくられ…」。「省令・政令を含めた『法令』で決まる文書主義…」。
 これらのフレーズから生じ得るイメージは、(官僚が実質的にはつくる)「法令」によって、またはそれらにもとづいて「行政」は行なわれている、というものではないだろうか。
 法律でもって「法令」を代表させれば、「法律による行政」または「法律にもとづく行政」というイメージだ。
 あるまだ若い憲法研究者から、行政は全て「法律」に根拠をもって行われている(はず)でないのか、と問われて驚いたことがある。
 これは誤解だ。実際にはそうではない。また、こちらの方が重要だが、日本(および諸外国)の憲法学、行政法学、ひっくるめて「公法学」で、全ての「行政」が議会制定法規という意味での「法律」によって根拠が与えられかつ制約されてなければならない、とは考えられていない(余談だが、立憲民主党議員の中には素朴かつ幼稚な<国会・行政>関係のイメージをもっている者がいるようだ)。
 「法律による」や「法律にもとづく」の意味によって多少は異なってくるが、しかし、重要なことは、「法令」=「行政法規」と無関係の、または「法令」=「行政法規」上の多少とも具体的な規定が存在しない「行政」が実際には存在する、ということだ。
 全ての行政が「憲法」に違反してはならない。<関連行政法規>が存在すれば、全ての行政はそれに違反してはならない。これらは間違いではない。
 しかし、上の後者は<存在していれば>の叙述であって、<関連行政法規>が存在しないならば、「違反」することもあり得ない。
 あえて単純化していうと、具体的な行政には、つぎの二つがある。
 ①憲法—法律—政令・省令等→行政。
 ②憲法—予算—配分基準を定める「通達」類→行政。
 法律または条例がなく、正確には多少とも具体的な規定のある法律・条例がなく、あっても「責務」規定、行政「目的」規定だけがあり、別途財源措置だけが「予算」によってなされていて、その一定の額の財源の配分先・金額の上限、交付・助成決定にいたる「手続」等が「行政法規」に定められておらず、「通達」類(<内部的>だが「公表」されていることも多い)が定めている、そういう「行政」がある。
 池田信夫も用いている言葉である「業法」というものがある行政分野ではない。
 定着した概念はないと思うが、手段に着目すれば「補助金行政」であり、目的に着目して「助成」行政とも言える。社会保障分野に多いかもしれない。だが、特定の産業、起業あるいは研究・開発を誘発・誘導しようとするものもある。
 池田信夫がよく用いている「裁量」という語は、本来は、①の行政の場合に行政法規に制約されつつも行政担当者になおも認められる「自由な判断・選択の余地」を意味する。当然に、広狭があり得る。
 だが、広くは②でも使われ得る。もともと行政法規による「制約」がなく法令との関係では「自由」なのであり、憲法とせいぜい「法の一般原理」に制約されるだけだからだ。
 ところで、上につづくとして、「関連行政法規」がなく、「予算」上の財源措置とも無関係な「行政」もあるだろう。現実にも存在すると思われる。
 この分野ではしかし、「法令」によらないでそんなことをしてよいのか、そもそも「(公)行政」ではないのではないか、という「国家」・「行政権」の存在意義に関わる深遠な(?)問題が生じることもあると考えられる。
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 さて、関連して想起してしまうのは、<行政指導>という「行政手法」だ。
 「お願いベース」という言葉が、コロナ対策に関連しても使われた。
 お願い、要請、奨励、指導。全て「法的」拘束力はない。これらは、「行政法規」が正規に国民あるいは「私人」に要求する以上のことを「求める」。上の①の行政でもあり得る。②の行政では、これらはもともと「セット」の一部のようなものだ。
 しかし、これらに国民・「私人」が従えば、正確には「任意に」従えば、「お願い」行政もまた現実化する。あるいは、<機能する>。
 反コロナワクチンを打たれる際には、あれこれのことに「同意」する旨の署名が求められていた。だが、医学上の専門用語を使った「副反応」等の説明をいったい何%の人々が「十分に」理解して「任意に同意」して(署名して)いるのか、と感じたものだ。
 諸外国と比べての相対的な意味でだが、「任意」性の曖昧さ、「意思」の曖昧さこそが、そしてその点を利用?して行なわれる<行政指導>、「お願い」、「要請」の盛行こそが、英米の他に仏独とも異なる、日本の「行政スタイル」の特徴の一つではないだろうか。
 この問題は、簡単には論じ尽くせられない。
 なお、<行政指導>概念には特定の様式に関する意味は付着していない。文書によることも、メディアを通じることもあり、個別に「口頭」で行われることもある。
 行政手続法という法律(1993年第88号)は、口頭による場合の一定の「行政指導」について、相手方私人の文書(書面)交付請求権を認めている。一種の「文書主義」だ。
 行政手続法35条第3項「行政指導が口頭でされた場合において、その相手方から前二項に規定する事項を記載した書面の交付を求められたときは、当該行政指導に携わる者は、行政上特別の支障がない限り、これを交付しなければならない」。
 その他、35条全体、32条〜36条の2も参照。「行政指導」は、一般的・世俗的用語にすぎないのではなく、ここに見られるように、法律上の(法的)概念だ。
 これ以上は立ち入らない。
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2650/池田信夫のブログ030—官僚機構・日本の行政。

 池田信夫ブログマガジン2023年7月24日号。
  この号にある、フランクフルト学派(アドルノ、ホルクハーイマーら)と啓蒙・合理主義の関係に関する叙述も興味深いのだが、秋月瑛二にとって面白いのは、<名著再読「Cages of Reason」>の中の文章だ。
 最初にある、英米法と大陸法、英米型と日仏型の官僚機構の違いは1993年の原本著者の、日本についての研究者でもあるらしいSilberman の叙述に従っているのかもしれない。
 だが、「日本の官僚機構は『超大陸法型』」という中見出しの後の文章は、池田信夫自身の考えを述べたものだろう。
 以下、長くなるが、引用する。一文ごとに改行。本来の段落分けは----を挿入した。
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  「日本の法律は、官僚の実感によると、独仏法よりもさらにドグマティックな超大陸型だという。
 ルールのほとんどが法律や省令として官僚によってつくられ、逐条解釈で解釈も官僚が決め、処罰も行政処分として執行される。
 法律は『業法』として縦割りになり、ほとんど同じ内容の膨大な法律が所管省庁ごとに作られる。
 ----
 このように省令・政令を含めた『法令』で決まる文書主義という点では、日本の統治機構は法治主義である。
 これはコンピュータのコードでいうと、銀行の決済システムをITゼネコンが受注し、ほとんど同じ機能のプログラムを銀行ごとに作っているようなものだ。
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 しかも内閣法制局が重複や矛盾をきらうので、一つのことを多くの法律で補完的に規定し、法律がスパゲティ化している、
 一つの法律を変えると膨大な『関連法』の改正が必要になり、税法改正のときなどは、分厚い法人税法本則や解釈通達集の他に、租税特別措置法の網の目のような改正が必要になるため、税制改正要求では財務省側で10以上のパーツを別々に担当する担当官が10数人ずらりと並ぶという。
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 こういうレガシーシステムでは、高い記憶力と言語能力をそなえた官僚が法律を作る必要があるが、これはコンピュータでいえば、デバッガで自動化されるような定型的な仕事だ。
 優秀な官僚のエネルギーの大部分が老朽化したプログラムの補修に使われている現状は、人的資源の浪費である。
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 問題はこういう官僚機構を超える巨視的な意思決定ができないことだ。
 実質的な立法・行政・司法機能が官僚機構に集中しているため、その裁量が際限なく大きくなる。
 国会は形骸化し、政治家は官僚に陳情するロビイストになり、大きな路線変換ができない。
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 必要なのはルールをモジュール化して個々の法律で完結させ。重複や矛盾を許して国会が組み換え、最終的な判断は司法に委ねる法の支配への移行である。
 これは司法コストが高いが、官僚機構が劣化した時代には官僚もルールに従うことを徹底させるしかない。」
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  学術研究論文の一部として書いたものではない、印象、感想にもとづく提言的文章だろう。
 だが、テーマは重くて、多数の論点に関係している。
 これを素材にして、思いつくまま、気のむくまま、雑文を綴る。
 第一。「ルールのほとんどが法律や省令として官僚によってつくられ、逐条解釈で解釈も官僚が決め…」。
 法律の重要な一つである刑法について、法務省?の「解釈通達」はない。刑法施行政令も法務省令〈・国家公安委員会規則)もない。法律の重要な一つである民法をより具体化した、その施行のための政令も省令もない。民法特別法の性格をもつことがある消費者保護関係法律には、関係省庁の「解釈」または「解説」文書があるかもしれない。かりにあっても、民法とその特別法の最終的解釈は裁判所が判断する。
 池田信夫が念頭に置くのは、雑多な<行政関係法令>だろう。つまり、「行政」執行を規律する「法令」だろう。<行政法令>を適用・執行するのは(あとで司法部によって何らかの是正が加えられることもあるが)先ずは「行政官僚」・「行政公務員」あるいは中央省庁等であることが、行政諸法が刑事法や民事法と異なる大きな特色だ。
 その<行政法令>・<行政関係法令>を、私は「行政法規」と称したい。
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 「行政法規」は、法律、政令、省令に限られない(憲法典は除外しておく)。
 伊東乾はかつて団藤重光(元最高裁判事、東京大学教授)と交流があって「法的(法学的)」思考にも馴染みがあるようだ。そして、いつか、「告示」で何でも決められるものではないと、「告示」の濫用を疑問視していた。安倍晋三の「国葬」決定の形式に関してだったかもしれない。
 発想、着眼点は正当なものだ。だが、「告示」を論じるのはむつかしい。ここでは、「告示」には、「法規」たるものと、たんに<伝達・決定>の形式にすぎないものの二種がある、とだけ書いておく。
 学校教育法33条「小学校の教科に関する事項は,第29条及び第30条の規定に従い,文部科学大臣が定める」→学校教育法施行規則(文部科学省令)52条「小学校の教育課程については,この節に定めるもののほか,教育課程の基準として文部科学大臣が別に公示する小学校学習指導要領によるものとする」。
 こんな包括的で曖昧な根拠にもとづいて「学習指導要領」が文部科学大臣「告示」の形式で定められている。そして、最高裁判所判例は「学習指導要領」の「法規」性を肯定している。中学校・高校にはそれぞれ同様の規定が他にある。<日本の義務教育の内容>は、この「告示」によって決められている。
 教科用図書(教科書)「検定」についても似たようなもので、省令でもない「告示」が幅をきかし、最高裁判所も「委任」・「再委任」のあることを肯定し、その「法規」性を前提にしている。
 「都市計画」その他の一般的に言えば<土地利用・建築の規制のための「地域・地区」指定行為>の法的性格も怪しい。最高裁判所判例は都市計画の一類型の「処分」性(行政事件訴訟法3条参照)を否定しているので、そのかぎりで、「法規範」に類したものと理解していると解される。
 以上のほか、地方公共団体の議会が制定する「条例」や知事・市町村長の「規則」もほとんどが「行政法規」だ。条例には、法律(または法令)の「委任」にもとづくものと、そうでない「自主条例」とがある(憲法94条参照)。
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 これら「行政法規」に行政官僚は拘束される。但し、その原案を「行政官僚」が作成することがほとんどだろう。法律ですら、内閣の「法律案提出権」(内閣法5条参照)を背景として、行政官僚が作成・改正の任に当たっていることは、池田信夫が書いているとおり。
 なお、日本国憲法74条「法律及び政令には、すべて主任の国務大臣が署名し、内閣総理大臣が連署することを必要とする」
 これは、興味深い、かつ重要な憲法条項だ。
 法律・政令には「主任の国務大臣」が存在し、それの「署名」のあとで「内閣総理大臣」が「連署」すると定めている。憲法は「法律の誠実な執行」を内閣の職責の一つとするが(憲法73条第一号)、法律・政令の「所管(主任)の国務大臣」の責任が実質的には「内閣総理大臣」よりも大きいとも読める憲法条項であって、各省庁「縦割り」をむしろ正当化し、その背景になっている(ある程度は、明治憲法下からの連続性があるだろう〉。
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2647/伊東乾のブログ・「正しい解答」なき問題の思考—日本の教育①。

 一 伊東乾の文章は、ネット上のJBpressで興味深く定期的に読んでいる。
 私よりかなり若くて、参考にもなる刺激的な文章を書く。「学歴」等々の無意味さを<日本の教育>に関して述べたいのだから矛盾してはいるが、この人の経歴と現職には驚かされる。
 東京大学理学部物理学科卒業、現職は東京大学教授で「情報詩学研究室/生物統計・生命倫理研究室/情報基礎論研究室」に所属。作曲家・指揮者でもあり、『人生が深まるクラッシック音楽入門』(幻冬社新書、2012)等々の書物もある。
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  比較的最近のものに、2023年6月29日付「タイタンの乗客をバラバラにした深海水圧はどれほど脅威か」がある。
 これによると、水深2.4キロで240気圧が乗員・乗客を突然に襲ったとすると、「ぺちゃんこになる」どころか、おそらく「瞬時にしてバラバラ」になり、「海の藻屑となって四散した」だろう、という。
 関連して想像したくなるのは、その死者たちは自分の「死」を意識する余裕があったのかだ。たぶん、意識する「脳・感覚細胞」すら、「瞬時に」破壊されたのだろう。
 マスメディアでは報道されないが、「死」または「死体(遺体)」については、楽しくはない想像をしてしまうことが多い。
 だいぶ前に御嶽の噴火で灰に埋まった人々がいて、中には翌年以降に発見された遺体もあったはずだが、その遺体はどういう状態だったのだろう。
 知床半島近くの海に船の事故のために沈んでまだ「行方不明」の人々もいるはずだが、彼らの「遺体」はどうなっているのだろう。同じことは、東日本大震災のときの津波犠牲者で、まだ「行方不明」の人々についても言える。
 まだ単純な家出と「行方不明」ならばともかく、ほとんどまたは完全に絶望的な「行方不明」者について、「遺体」またはせめて「遺品」でも見ないと、「死んだという気持ちになれない」というのは、理解することはできても、生きている者の一種の「傲慢さ」ではなかろうか。
 2011年春の東日本大震災のあと一年余りあとに、瓦礫だけはもうなくなっていた(そして病院・学校の建物しか残っていなかった)石巻市の日和山公園の下の海辺を、自動車に乗せてもらって見たことがある。このときの感慨、不思議な(私の神経・感覚の)経験は、長くなるので書かない。
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 三 2023年6月23日付は「東大程度が目標の教育なら日本は間違いなく没落する」という、種々の意味での「東大」関係者には刺激的だろう表題だ。
 伊東乾が言っているのは、おそらく、正解・正答のある問題への解答ばかり学習して身につけた「知識」では役に立たない、あるいは「1945年以降の戦後教育が推進し、ある意味、明治~江戸幕藩体制期に先祖返りしていま現在に至る先例墨守、前例遵守の思考停止で共通の唯一正解しか求められないメンタリティ、能力とマインドセット」に落ち込んではダメだ、ということだ。
 そして、「正解がない問題ではない複数の正解がありうる問題に、より妥当な解を目指して漸近していく、そういう知性」が求められる。「19世紀帝国大学的な唯一解教育の全否定」が必要だ。「人々の意識の底に潜む唯一の正解という亡霊を一掃」する必要がある。
 このような旨の主張・指摘は、東京大学出身者である茂木健一郎がしばしば行なっている。特定大学名を出してのテレビ番組や同じくその番組類での出演者の「学歴表示」を、この人は嘲弄している(はずだ)。
 同じく東京大学出身者である池田信夫の印象に残った言葉に(しごく当然のことなのだが)、<学歴は人格を表示しない>旨がある。
 また、池田は<学歴のシグナリング機能>という言葉を、たぶん複数回用いていた。
 これらに共感してきたから、伊東乾の文章も大きな異論なく読める。
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  だが、「学歴」または「出身大学」意識は、日本社会と人々に蔓延していそうだ。いずれ書くが、「早稲田大学(第一)文学部卒」というのを、一つの重要な価値基準とする者も(とくに出版業界隈には、桑原聡等々)いるらしい。
 しかし一方で、「大学教育」というものはほとんどの大学と学部で「すでに成立しなくなっている」こともまた、多くの人々にとって(大学教員にすら)自明のことだと思われる。 
 その「大学教育」を形だけは目指して、高校(・中学校)や予備校・塾での「教育」と「学習」が行なわれているのだから、こんなに「無駄」、「人的・経済的資源の浪費」であるものはない。
 「大学授業料」無償化と叫ぶのは結構だとしても、そのいう「大学」での教育・学習の実態を無視した「きれいごと」の議論・主張では困る。
 とりあえず、第一回。
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2556/池田信夫ブログ029—民放テレビ局。

  「民放連」、日本民間放送連盟、とは、いわゆる地方民放局を含む200社以上で構成される団体(一般社団法人)だ。

 民放、とくにそのテレビ放送は実質的には広告宣伝事業体で、その収益で諸番組を作っている。「報道」番組はオマケのようなものだろう。全てをスポンサーが負担しているからこそ、一般視聴者は無料で観ることができる。せいぜい、娯楽・エンタメ産業の一つか。

 にもかかわらず、キー局・ローカル局を問わず、社員というだけで、少なくとも何らかの自前の番組の作成・編成に加わっている(または加わったことがある)というだけで、自分は「ジャーナリスト」の端くれだと思っている(いた)者もいるだろう。

 そして、ジャーナリストやマスメディアの使命は第一に政府に批判的な立場に立つことだと思い込む者もいて、「野党」または「左翼」的心情を明確にする者もいるに違いない。

 また、自分と同業者だと思うのか、地方民放社員の中にも、元NHKのかつての田英夫とか、現在の長妻昭あたりを心情的に応援したりする者も出てくることになる。
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  その民放全体または民放連については、池田信夫が何回かブログ発言をしていて、現在までの戦後日本の重要な「構造」の一つを作ってきたのは民放全体または民放連だ、ということを強く感じさせる。

 親の?大手新聞社との強い関係やキー局ごとのローカル局との不可分の関係は、おそらく相当に日本に独特な、または日本だけの現象だろう。ローカル民放局のほとんどの収益は中央での広告宣伝を各地方(かなり多くは県単位)の電波に乗せた分け前に違いない。放送事業以外の事業も行ってはいるだろうけれども。

 池田信夫ブログから、民放・民放連に触れているものを、以下に一部割愛で紹介しておく。池田は、かつて報道関係の仕事もしていたNHKの職員だった。
 
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 三 1 2018年5月13日。Agora。
 「次世代の無線『5G』についての話題がいろいろ出ているが、今ひとつ盛り上がらない」。

 「だがアメリカやEUでは、今の携帯端末と同じUHF帯に5Gを導入する計画が始まっている」。
 「日本では、UHF帯は大幅に余っている。テレビ局の使っていないホワイトスペースの200MHzを区画整理すれば、5Gで日本は世界のトップランナーになれる可能性もある。」

 「日本の地上デジタル放送は欧米と違って既存の放送局が立ち退く必要がないので、一足先に電波の再編ができる。これが競争力の落ちた日本の半導体メーカーが挽回する最後のチャンスだが、民放連がそれを妨害している。」

 「UHF帯の価値は時価2兆円。これを効率的に配分できれば、テレビ業界の既得権なんか大した問題ではない。『立ち退き料』として1000億円ぐらい払ってもいいし、ホワイトスペースの一部を優先的に使う権利を与えてもいい。総務省も、ITUが動き始めたら動くだろう。」
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 2 2019年3月17日。Agora。

 原英史・岩盤規制(新潮新書、2019)

 「望月衣塑子記者は、マスコミの特権意識を象徴する道化である」。

 「彼女がトンチンカンな質問を繰り返しても首相官邸に入れてもらえるのは記者クラブに加盟する東京新聞の記者だからであり、フリーランスだったらとっくに出入禁止だ。」

 「本書に書かれている去年の規制改革推進会議でも、最強の『岩盤』はマスコミだった。今まで聖域になっていた電波利権に安倍政権が手をつけたのはよかったが、電波オークションを恐れた放送・新聞業界が反対キャンペーンを繰り広げ、出てきたのは電波利用料だけだった。

 このとき読売新聞から朝日新聞までそろって展開した『放送法4条』騒動は、意味不明のキャンペーンだった。放送局に政治的公平性を義務づける4条の規定は表現の自由を侵害するので撤廃しろというならわかるが、それをなくすなというのはわけがわからない。ケーブルテレビや通信衛星で多チャンネル化した先進国では、とっくにコンテンツ規制は撤廃されている。

 本書によると、規制改革推進会議の最初の段階で、放送が多チャンネル化すると4条の規制もいらなくなるという議論が出たという。これは当たり前の話だが、マスコミは多チャンネル化には反対できないので、それと一体になっている4条の話だけつまみ食いして『偏向報道が出てくる』と騒いだのだ。」

 「電波オークションは、実は大した問題ではない」。「それよりテレビ局の占有しているUHF帯の大きな帯域を5Gに使う配分方法を考えたほうがいい、と私は規制改革推進会議で提言したのだが、マスコミは(産経を除いて)まったく報道しなかった」。

 「こういう情報操作が可能なのは、日本ではいまだに新聞と放送が系列化され、彼らがケーブルや衛星などの新規参入を阻んできたからだ。アメリカのようにケーブルが何百局もあると、記者クラブのような情報カルテルは組めないし、EUでは衛星放送が国境を超えているので、コンテンツは規制できない。

 こういう状況を日本でも変えたのがインターネットだが、放送局は地デジで垂直統合モデルを守り、著作権法を変えてインターネット放送を阻止した。いまだに地デジのネット配信は、県域ごとに権利者の許可が必要という信じられない状況だ。」

 「民主党政権のとき、彼らも電波利権に手をつけようとしたのだが、そのほとんど唯一の成果だったオークション(電波法改正)も、官僚のサボタージュでいまだに実現してない。それを報道するメディアがないので、規制改革のとっかかりもない。

 規制改革をつぶすとき張り切ったのは民放連だった
 私の発言を議事録から削除させた政治部の記者は、問題をまるで理解していない。技術者は理解しているが、決定権がない。

 こんなことをして既得権を守っても、マスコミはゆるやかに死ぬだけだ。20年前からこの問題とつきあってきた私の印象では、正直いって『バカは死ななきゃ直らない』というしかない。」

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  NHKはどうだかよく知らないが、<民放>をめぐる闇は深そうだ。それに繋がるものを、彼ら自身が報道するはずはない。

 改革者・変革者ではなく、既得権益にあぐらをかいてそれを守ろうとし(高収入も?)、非正規社員や下請け会社に負担をかけて、<おれたちジャーナリストは…>と内心威張っているふうの正規社員たちの姿が浮かんできそうだ。

 池田信夫の言及はまだ多数あるが、今回は二つだけにして、以下に続ける。

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2545/池田信夫ブログ028—泊原発地裁判決。

 すでに誰かが池田信夫に「助言」しているだろうが、気になるのでこの欄でも記しておく。
 札幌地裁805号法廷2022年5月31日判決について、池田は「泊原発の判決に欠けている『根拠法』」と題して、判決を「どんな法律を根拠とし、誰が北電の原子炉運転を止めるのだろうか」等と批判している。Agora 2022.05.31
 万人が、池田信夫ですら、あらゆる分野に通暁しているわけではないから、とくに非難する意図はない。ただ、少しは誤解を溶かしておきたい。
  これは一定範囲の近隣住民と私企業の間の(よくある)広義での「環境」訴訟で、民事訴訟だ。
 仔細を知らないまま、民事法の専門家でもないのに書くのだが、争点は北電の原子炉運転(継続?)が原告住民の「人格権」を侵害するか否かまたは「侵害するおそれ」があるか否かだ。
 ここでの「人格権」は民事上の差止請求の根拠とされている民事法上の権利で、池田が記す憲法13条を根拠とするものではない。強いて言えば、明文はなくとも、民法に根拠はあると思われる。
 差止請求の根拠として、①所有権等の物権、②人格権、③「環境権」が語られ得る。
 大阪国際空港訴訟で原告団が考案?したのが③だったが、当該事件の最高裁も含めて判例は認めず、①により難い(多くの)場合は、勝敗は別として、②による請求を許容するのが判例一般だと思われる。
  私人間の民事訴訟であるがゆえに、国や規制委員会が当事者として直接に登場していないのは当然だ(「参加」はあり得るが、していないのだろう)。
 また、人格権侵害(のおそれ)の存否が争点なのであり、原子炉規制法または原子炉規制委員会が作成している「基準」類に問題の原子炉(運転)が適合しているか否かは、<直接には>または<法的には>関係がない。
 このあたりは法科大学院の学生でも、初期には理解が容易でないかもしれない。
 この地裁判決は委員会の安全「基準」に言及しているが、これとの不適合性の認定から直接に結論を導いているわけではない(ということに法的にはなる)し、判決の「骨子・要旨」からもそのようには読めない。
 これは、隣人または周辺住民がある私人による建築物の建築工事の差止めを請求した民事訴訟で、建築基準法または同法の解釈等に関する国土交通省(・大臣)の「通達」類との適合性はどういう「法的」意味をもつか、と同じ問題だ。
 より一般的には、民事法と行政法の関係、さらに伝統的にはまたは少なくとも戦前的には、「私法と公法」の区別・関係、それぞれの役割分担の問題であり、簡単には説明し尽くせない。
 この地裁の裁判官たちは、委員会の安全「基準」類を、結論へと至る、または心証形成のための重要な<参考資料>として「利用」している気配はある(実質的な(!)「立証責任」の問題、または被告の「立証」しようとする姿勢がより大きい影響を与えている可能性はある)。だが、上記のとおり、<直接に>または<法的に>連結させているわけではない、はずだ。
 この「参考」または「利用」の仕方が、裁判官にとっても、微妙なところだろう。
  池田は「誰が北電の原子炉運転を止めるのだろうか」という疑問をもっていて、規制委員会以外にはない、との趣旨のようだ(たぶん)。
 事実行為としては、運転を停止するのは被告・北電で、被告にそれを命じたのが今回の判決だ(但し、第一審)。
 訴訟によって原告はそれを請求する権利があり、訴訟要件に問題がないかぎり(例えば、沖縄県民は本件訴訟の原告になり得るか?)、裁判所はその請求権の存否について判断する義務と権利がある。
 以上、リンクされている判決「骨子・要旨」もロクに読まないで急いで書いた。この地裁判決の結論への賛否は、ひとことも述べていない。
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2529/池田信夫グログ027—ウクライナ問題と八幡和郎。

  池田信夫のつぎの主張は、細かな点に立ち入らないが、しごく穏当なものだ、と思う。Agora 2022.04.05。
 「いま日本人にできることはほとんどないが、せめてやるべきことは、戦っているウクライナ人の後ろから弾を撃たず、経済制裁でロシアに撤兵の圧力をかけることだ。それは中国の軍事的冒険の抑止にもなる。八幡さんのような『近所との無用な摩擦は避ける』という事なかれ主義は有害である。」
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  これに対し、八幡和郎の書いていることは問題が多い。
 A・八幡和郎/Agora 2022.04.03「トルコ仲介の期待と戦争を終わらせたくない英米の迷走」。
 B・八幡和郎/Agora 2022.04.04「国際法・国連決議・軍事力より外交力が平和の決め手」。
  八幡の心底にあるのは、親アメリカ・親EU(またはNATO)立場を明瞭に語りたくない、語ってはならない、という心情だろう。
 上のAに「ロシア憎しで感情的にな」るのはいけない旨があるが、八幡によると、「感情的に」親ウクライナ=親EU(またはNATO)・親アメリカになってもいけないのだろう。
 ここで八幡が持ち込んでいるのは、「歴史観」や「価値観」だ。
 A①「制裁に反対しているのではない。欧米との同盟のために付き合えばいいが、歴史観などには独自の立場をとり、仲裁に乗り出すべきだと主張している」。
 「歴史観などには独自の立場をとり」という部分でうかがえるのは、親ウクライナ=親欧米の立場を支持すると、まるでアメリカやヨーロッパの「歴史観」をまるごと支持しているかのごとき印象を与える、という日本ナショナリストとしての「怯え」だ。
 B①「普遍的的価値(自由、民主主義、基本的人権、法の支配、市場経済)に基づく同盟がめざされたのだが、これは、日本外交の指針であり、それが、とくに対中国包囲網の基本理念になっているということであって、それを超えて普遍的にひとつの同盟を形成するものではないし、アメリカ的な自由経済が正義だというのも世界で広く認められているわけでない」。
 この部分も面白い。「価値観」外交は対中国の理念であって「普遍的にひとつの同盟」を形成しようというものではない、とわざわざ書いている。さらに余計に、「アメリカ的な自由経済」に批判的な口吻すら漂わせる。
 「普遍的価値」を文字通りに共有はしていない(そのとおりだと秋月も思うが)のだから、「普遍的価値」でアメリカやヨーロッパと日本は「一体」だ、という印象を八幡は与えたくないのだろう。それを八幡は「怯え」ているのだ。
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  八幡和郎の思考方法は歪んでいる、適切ではない、と思われる。
 「歴史観」や「普遍的価値観」等を持ち出してはいけない。これらは、今次の問題を論評するにあたって、ほとんど何の関係もない。 
 端的に言って、今回の事案の争点は、当初によく言われたように、<力による現状変更>は許されるか、だろう。
 ここで問題になるのは、池田信夫も直接言及していないが、ソヴィエト連邦の解体のあと、またはそれと同時に、ロシアとウクライナの間でどういう国境線が引かれたか、だ。
 独立国家共同体(Commonwealth of Independent States =CIS)が発足したとき、「独立」主権国家としてのロシアとウクライナの間の国境はどのように定められていたのか、だ。つまり、1991年の「ベロヴェーシ合意」や「アルマトイ」宣言が基礎にしていた各国の領域・境界はどうだったか、だ。これにはソヴィエト連邦時代の両共和国の境界は形式的には関係がないが、明確に又は暗黙に前提とされた可能性はあるだろう。ついでに書くと、かつてのロシア・ウクライナの両共産党の力関係も、関係がない。
 この点を私は正確には知らないのだが、ウクライナの主張や2010年代のクリミア半島等をめぐる紛争・対立の動向や主張・論評等からすると、クリミア半島もウクライナ東部の二州も、元来(1991-2年頃の時点で)ウクライナの領土だといったん確定した、エリツィンも(ゴルバチョフ)も、いかにロシア系住民が多くとも、それに文句を言わなかった、異議を申立てなかった、のではないか。
 そうすると、確定している国境を超えて武力で侵入するのは「侵略」であり、<力による現状変更>の試みだ。これ自体がすでに(自力執行力に乏しいとはいえ)「国際法」・「国連憲章」等に違反しているだろう。
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  八幡和郎は、この単純なことを認めたくないようだ。
 A②「ロシア帝国=ソ連=ウクライナ+ロシアその他であって、ロシア帝国=ソ連=ロシアでないといっても、屁理屈並べて否定するどうしようもない人が多い」。
 これは意味不明。今のロシアをかつての「ロシア帝国=ソ連」と同一視する者が本当にいるのか。
 A③「フルシチョフは幼少期にウクライナに移住、ブレジネフはウクライナ生まれで、いずれもロシア系ウクライナ人であり、ソ連統治下で有力者の地元としても、ウクライナは優遇され発展したといっても、嘘だと言い張るのだから始末が悪い」。
 これも意味不明。かりにウクライナ出身者やウクライナがソ連時代に優遇されたのだとして、そのような「歴史」は、今次の問題とは全く関係がない。
 Bにある「旧ソ連においてウクライナ出身者は権力中枢を占めており、お手盛りで地元として非常に優遇されており、ロシアに搾取されていたがごとき話は真っ赤な嘘だ」、も同様(B②)。
 戦前のスターリンの<飢饉によるウクライナ弱体化>政策を見ると、ウクライナが優遇されたというのも、八幡の日本古代史論とともに、にわかには信じ難い。スターリンの故郷・グルジア(ジョージア)には何の優遇もなかったのではないか。
 関連して、B③「ロシアは少数民族に寛容な国だが、ウクライナのロシア系住民に対する差別は虐殺だとか言わずとも相当にひどい」。
 後段の当否はさておき、「ロシアは少数民族に寛容な国」だというのは、一体いつの時代の「ロシア」のことなのか。現在のロシアも、数の上ではより少数民族であるウクライナ、ジョージア、チェチェン等に対して「寛容」だとは言えないだろう。
 ソ連、それ以前の「ロシア帝国」の時代、今のロシアが優越的地位を持っていたことは明らかだ、と思われる。ソ連時代の「ロシア共産党」は、実質的にはほぼ「ソ連共産党」で、その中核を占めた。レーニンとスターリンの間には「民族自決権」について対立があったと(とくにレーニン擁護の日本共産党や同党系論者により)主張されたものだが、ソ連全体=実質的に「ロシア」の利益に反しないかぎりで「少数民族」も保護されたのであり、民族問題についてレーニンとスターリンは50歩100歩、または80歩90歩の程度の差しかない。
 なお、評論的に言っても無意味だが、今次の問題の淵源は、少なくともソ連時代の、ソ連共産党時代の、民族問題の処理、連邦と構成共和国間の関係の扱い方、に不備があったことにあるだろう。
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  八幡は、少なくとも一ヶ月前、「アメリカ抜き」での和平を夢想していた。
 標語的には、Bの「国際法・国連決議・軍事力より外交力が平和の決め手」。
 また、いわく、B④「なにが大事かといえば、もちろん、軍事もある。しかし、それとともに、賢い外交だと思う。賢い利害調整と果敢な決断、安定性の高い平和維持体制の構築が正しい」。
 これと同じとは言わないが、吉永小百合の〈私たちには言葉というものがあります。平和のためには言葉を使って真摯に話し合いを>に少しは接近している。
 それはともあれ、A④「アメリカ抜きで交渉した結果、相当な進展があったようである」(「この交渉の進展が、英米はお気に召さないらしい」→「戦争を終わらせたくない英米」)
 A⑤「ゼレンスキーもNATO加盟は諦めてもいいといい、クリミアも15年間は現状を容認するとまでいっているのだから、両者の溝は狭い」。
 この一ヶ月の進展は、八幡和郎の幻想・妄想が現実に即していないことを証明している、と見られる。
 トルコの仲介が功を奏しているようには見えない。
 ロシアが、ウクライナが「NATO加盟は諦めてもいいといい、クリミアも15年間は現状を容認する」と言ったからといって、停戦・休戦し、和平・平和が訪れるようには思えない。
 NATO加盟とクリミア半島・東部二州だけをロシアが問題にしているようには、全く思えない。
 八幡は、日本ナショナリストで潜在的な「反米」主義=反「東京裁判史観」=反「自虐史観」の持ち主であることから、あまりアメリカに功を立ててもらいたくないのだろう。西尾幹二のようにEUをグローバリズムの「行く末」としてまるごと批判するのか、フランス・ファーストのルペンを仏大統領選では内心支持していたかどうかは知らない。
 八幡和郎は、新潮45(新潮社)の廃刊(2018年)のきっかけを作った杉田水脈(論考)を擁護する記事を、翌月号に、小川榮太郎等とともに執筆した人物でもある。
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2528/池田信夫ブログ026—馬渕睦夫著。

 池田信夫ブログマガジン2022年4月25日号「なぜ反ワクチンが反ウクライナになるのか」=同・Agora 2022.04.19。
  これは、馬渕睦夫の2021年秋の書物に対する批判だ。
 馬淵の本はいくつか所持しているが、まともに読んだことはない。
 こんな奇妙なこと(オカルト的なこと)を書く人なのだと間接的に知った。
 馬渕によると(その紹介をする池田によると)、「世界の悪い出来事」は全てDS=Deep State の陰謀で、このDS の正体は「国際共産主義運動とユダヤ金融資本とグローバル企業の連合体」らしい。
 表題によると、馬渕は「反ウクライナ」のようだが、だとすると「親ロシア」で、ロシアへの厳しい対応をしていないので「親中国」でもあるのだろうか。とすると、「国際共産主義運動」への敵意らしきものとの関係はどうなるのだろう。
 残念ながら、池田信夫の言及だけでは分からない。と言っても、馬淵のこの書物を購入して読む気もない。
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  池田信夫は、元ウクライナ大使の馬淵が「B級出版社」(池田は「ワック」をこう称する)から本を出す「ネトウヨ」となった背景をこう推測する。
 「精神疾患にかかった」とは考え難い。「右翼メディアも売れっ子になって、彼の右翼的信念がだんだんと強まった」のだろう。徐々に「過激」になるのは「よくあること」。「特にネトウヨ界隈では、穏健な右翼は目立たないので、だんだん過激にな」り、「まともなメディアには出られなくなるので、…ますます過激になる」という「悪循環」に入る。
 これは、相当に考えられ得る想定だ。「売れっ子」だとは感じていなかったけれども。 
 「ネトウヨ界隈」の雑誌類等の中で何とか「角を付けて」、だが「右翼」たる基本は失わないで泳いできた一人は、西尾幹二だろう。
 但し、池田信夫の「ネトウヨ」概念は少し単色すぎるきらいはある。
 池田によると、櫻井よしこも西尾幹二も、そして佐伯啓思も、きっと「ネトウヨ」に入るのだろう。正確な叙述を知らないが、近年に懸命に日本人・ユダヤ人同祖論を展開しているらしき「つくる会」第二代会長・田中英道もいる。
 だが、それぞれに、たぶん馬渕も含めて、違いはある。〈日本会議〉との距離も異なるし、「皇国史観」で一致しているかも疑わしいし、一致していてもその「皇国史観」の中身は同じでないだろう。
 もう一人、遅れてきた「ネトウヨ」の名を思い出した。Agora で表向きは池田と親しいのかもしれない、八幡和郎
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2492/西尾幹二批判052—神話と日本青年協議会②。

 (つづき)
  西尾幹二「神話の危機」2000年10月は日本青年協議会等の会員むけの「講演」内容だから、その点には留意しておく必要がある。
 日本青年協議会の上部団体とされる〈日本会議〉は「つくる会」を追いかけるように1997年に設立され、西尾が「撹乱」や「乗っ取り」を感じるまでは、〈新しい歴史教科書をつくる会〉と〈日本会議〉は友好関係にあり、またそれ以上に、「つくる会」の運動を支え、助ける有力な団体だった、と思われる。
 西尾幹二会長にとっては、自分自身への「力強い味方」だった。
 西尾が、日本の神話の具体的内容、古事記や日本書紀の「神代」の叙述、神道や広く日本の宗教について、1996年の「つくる会」設立段階でどの程度の知識・素養があったかは疑わしい。
 同・国民の歴史(1999)でも、日本の「神話」に言及しつつ、なぜか「日本書紀」や「古事記」という言葉を用いていないし、「神話」につながる日本の王権、といった論述もしていない。
 また、日本人の「顔」を示すという仏像等の写真を多数掲載しながら、「仏教」と「神道」の違い等には何ら触れていない。
 おそらくは1999年著の上の点を意識して、再度少し広げて引用すると、2000年講演では、こう言った。論評すると長くなるので、内容に介入しない。
 「日本人にとって仏教というものは、難しい宗教哲学というよりも、美を味わう存在だと言えるでしょう。仏教は金色の美しい彫刻を通して、美という感性的なものとして百済からこの国に入ってきた。だから、素晴らしい仏教彫刻を残すことが出来た。それは日本人のアニミズム的な自然崇拝とつながっており、だから日本の神話と仏教信仰とは初めから何らの矛盾なく整合したのだと思います」。
 きっと、だから1999年著では「難しい宗教哲学というよりも、美を味わう存在」として仏教彫刻の写真を多数掲載した、と釈明?しているのだろう(なお、それら仏教彫刻の選定は実質的には田中英道(第二代会長)の助言が大きかったことを、田中がのちに明らかにしている。全集第18巻・国民の歴史「追補」、p.734(2017))。
 ともあれしかし、1999年著と比較すると、「神話」、天皇、「神道」に関する明瞭な論述には驚かされる。
 西尾はこう断定的に語る。自分自身が、こう「信じて」いるのだ。
 ・「日本の天皇の場合は神話の世界とも、自然とも全部つながっている。これは世界に類例がありません」。
 ・「神話」は「まっすぐ天皇制度につながっている」。「もし王権につながってこないのなら日本の神話はほとんど意味がない」。
 ・「神話が王権の根拠になっていることが、世界史の中で日本民族が自己を保っている唯一のよりどころ」だ。
 1999年から一年間の間に、「つくる会」運動の有力な支持者である〈日本会議〉・日本青年協議会の歴史観・天皇観、宗教観を、相当に要領よく「学習」したのだろう。
 西尾はのちの2009年には、日本青年協議会は「西洋の思想家の名前」を出すと叱り、「天皇国、日本の再建を目指しますということを宣明させ」るような、「目を覆うばかり」の「おかしい」団体だと明言したのだったが。
 やや離れるが、西尾幹二は、読者(+書物や雑誌の編集者)や聴衆の気分・意向を考慮し、「忖度」することを絶えず(気づかれにくいように)行っている「もの書き」だと考えられる。誰しも、文筆業者はある程度はそうかもしれないが。
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  西尾幹二と〈日本会議〉または日本青年協議会との関係の変化は、つぎのようなものだろう。なお、私が初めて西尾の文章を読んだのは、下の③の時期だ。
 ①無関係—②親〈日本会議〉—③反〈日本会議〉(・反八木秀次)—④宥和的?
 ③の時期には「西洋の思想家」を排除するのは「おかしい」とし、八木秀次批判文(国家と謝罪(徳間書店、2007年)p.80)では八木は「近代西洋思想に心を開いた人で、いわゆる国粋派ではないと思っていた」と書いていた。まるで自分は「西洋」派であって「国粋」派ではないかのごとくだ
 池田信夫の2014.09.07の「冷戦という物語の終わり」と題するブログは、有力メンバーの一人として坂本多加雄が参加した「つくる会」運動は「時代錯誤の皇国史観に回収されてしまった」、と書いていた。
 それぞれの言葉の意味は問題になるが、しかし、西尾幹二は実際にはまさに「国粋」派で「皇国史観」の持ち主だとの印象を与え続けている。
 すなわち、神話=王権の根拠(かつまた「神話」にもとづく天皇位はずっと男系男子だった)という理解と主張を変えていないことは、既述の月刊WiLL2019年4月号での発言からも分かる。
 また、「つくる会」分裂後・反〈日本会議〉の時期である2009年にも、同様のことを述べている。『国体の本義』(1937年)に論及する中で、明確にこう書く。
 ・「日本のように地上の存在である天皇が神に繋がるということを王権の根拠としている国は例外的であり、唯一無比であるかもしれません」。
 ・「天照大神の御子孫がそのまま天皇の系図につながるというのは、他にかけがえのない唯一の王権の根拠なのです」。
 西尾「日本的王権の由来と『和』と『まこと』」激論ムック2009年7月発行、同・日本をここまで壊したのは誰か(草思社、2010)所収、p.188-9。
 1999年頃に日本青年協議会と〈日本会議〉の史観から影響を受けたことは、その後の西尾をかなり大きく変えたのかもしれない。
 もっとも、そうなったからこそ(かつ男系男子論を固持しているからこそ)、産経新聞出版から2020年にかつての産経新聞「正論」欄寄稿文をまとめた書物(編集担当・瀬尾友子)を刊行してもらえる<産経文化人>であり続けることができているのだろう。
 一人の個人でいることはできず、既述のように、「最後の身の拠き所」をそこに求めているのだ。
 上の④「宥和的?」とみなす根拠はあるが(この欄ですでに少しは触れてはいるが)、今回は省略する。
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2411/法の支配①。

  一義的でない概念はたくさんあるもので、「法治行政」もその一つだろう。これの意味は、大略つぎの二つに分けられそうだ。
 第一に、ドイツ行政法(学)上、Gesetsmässige Verwaltung の「原理」または「原則」というのが語られてきた。現在のドイツはともあれ、日本では、①法律の優位、②法律の留保、③法律の「法規」創造力の三原理・原則の総称として現在でも(教科書類では)使われているだろう。
 この場合の上のドイツ語は直訳すると「法律による行政」原理または「法律適合的行政」の原理ということになる。
 但し、ドイツ法上の「法治国(国家)」概念の影響を受けて、または関連させて、あるいは簡略化を意図して?、「法律による行政」・「法律適合的行政」ではなく、「法治行政」の原理・原則と称する者または書物があるかもしれない。
 この場合は、「法治」と言っても、「法」は実質的には「法律」を意味する。
 なお、日本では「法」と「法律」の二つの語の混用・共用があることが問題の理解をさらに妨げている原因になっていると見られるが、先だって言及した池田信夫の文章も書いていたように、「法律」とは議会(日本では国会)が制定した(その意味で国家機関の一つによる人為的な)法・法規範を意味する。「法」とはこれを含む法・法規範一般のことだ(道徳・宗教規範と区別される)。
 ドイツ憲法が「執行権」は「法律(Gesetz)および法(Recht)に拘束される」と明記するとき(第20条3項)、上の区別を前提にしているのであり、同じことを「法律」と「法」と重ねて言っているのではない。
 第二に、「法治行政」をむしろ字義どおりに、<法(と法律)による行政〉の意味で用いる。
 日本での「法」と「法律」の二つの語の混用・共用状況に加えて、「法治行政」という概念にはもともとこのような、二種の理解を生むような不明瞭さがある。したがって、用いられることは少なくなっているかもしれない。
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  敗戦し、憲法が新しくなり(改正?、新制定?)、とくに行政関係諸法律が改正・新制定された時点で、憲法・行政法、政治・行政を対象とする学者・研究者の関心を惹いたのは、いや関心を持たざるを得なかったのは、アメリカ的、またはその基礎にあると考えられたイギリス的 Rule of Law (法の支配)とは何か、戦前は慣れ親しんだ?ドイツ的考え方とどう違うのか、だったと思われる。
  1952年に、アメリカに詳しいと推察される行政学者と、ドイツに詳しいと推察される行政法学者の間で、雑誌上、つぎの論争がなされた、とされる。
 ①辻清明「法治行政と法の支配」思想337号(1952〉。
 ②柳瀬良幹「法治行政と法の支配—辻教授の所説について」法律時報24巻9号(1952年〉。
 つぎの日本公法学会での議論と同様に、内容には立ち入らない。
 なお、池田信夫が参照していた百科辞典類での「法治主義」の叙述は、この頃の、上ではとくに前者の、理解に近いかもしれない。
  1958年の日本公法学会総会では「法の支配」がテーマとされた(当時の理事長は宮沢俊義)。
 翌1959年刊行の『公法研究』第20号によると、当時の英米法・憲法の教授(東京大学)と行政法の教授(京都大学)がそれぞれ「法の支配」、「法の支配と行政法」と題する総括的報告を行い、当時の若手行政法研究者が「法の支配」と「法治国」の各理論を比較検討する研究報告を行っている。その後の「シンポジウム」での議論の概要も掲載されている。
 2021年から見て、60年以上前。
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  上の報告や議論の内容に(今回は全く)立ち入らないのは、細かなそれを要領よく概括するのは困難であることのほか、前回にも示唆したように、「法の支配」の意味内容、それと「法治国」または「法治主義」の異同を今日において明らかにすることの現実的意味の希薄さにある。
 それでも、イギリス法に関する若干の書物をみると、興味深くなくもない叙述もあるので、もう一回この主題に触れる。
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2408/池田信夫ブログ025。

 池田信夫ブログマガジン2021年8月30日号。
  最後に読んだ箇所の方が印象と記憶に残りやすい。
 <名著再読>の中の一節は、そのとおりだろうような気がする。
 今の日本人の中にも日本と日本人・日本民族の優秀さ、とくに近年では韓国や中国と比べての日本「文明」の違いの原因を日本人の「精神」の美しさや卓越性に求めようとしている人たちがいる。
 しかし、発想が逆だと感じてきた。
 日本人の「精神」も日本「文明」も(それらがあるとして)、その独特性は日本列島が大陸・半島から<ほどよく>近く、同時に<ほどよく>離れていたことによって生じたものだ。とくに、平安期中途から幕末までの800年ほどの間、所謂「元寇」を除いて外国からの侵略を受けず(かりに日本を一つの統一国家だとして)、外国出兵も秀吉のときにほぼ限られたことは決定的に大きかった。
 池田は、こう書いている。つぎの一段のみが概略。
 未開社会の平等主義・部族主義の「利他的」感情は農耕社会・定住者国家となって欧州では(?)「利己的」に変化したが、日本列島の気候風土は農耕に適し、「このため資源を奪い合う戦争が少なく、海で隔てられて異民族の侵略もなかった」。もともと「戦闘のための集団主義」が遺伝子にあったが、定住・農耕社会になっても、そして今日でも「部族社会」のままだ。
 これが欧州(?)と日本の違いというわけだ。
 気候風土と地理的・地形的条件、これらが「精神」などよりも先だろう。豪州・ニュージーランドやマドガスカルのことはよく知らないが、インドの一部のごときスリランカ(セイロン)は今なお仏教国で、インドと異なる。欧州諸国の国境線自体が大河川や山岳の影響を多分に受けていることも明らか。
 ついでに。日本国民の98%が日本「民族」らしいと最近に何かで見たが、この「純度」はアメリカはもちろん、欧州諸国よりも相当に高い筈だ。
 地続きだと人の(男女の)交流がある程度は自然に生まれ、複数民族の「血」をもつ者も増える。日本国民の「民族」度は少なくとも欧米と比べて異様だろう。
 レーニンもたしか5代前にはユダヤ人の租をもつ、という研究成果があるらしい(トロツキーについては周知のこと)。5代前に32人の祖先がいるとすると、1人くらいはいても、全く不思議ではない。
 日本国民についての趨勢は明らかに多様化で、人為的に阻止することはできないだろう。
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  池田信夫は、上記の中で、日本列島は約2万年前に大陸と切り離された、農耕は1万年に始まった、と数字を記している。
 日本と日本人の歴史を考える場合にどの程度のスパンで捉えるかは、「日本」という呼称の成立期とは関係なく、けっこう重要なことだ。
 一部には「皇祖神」・天照大神から始める人々もいるようだが、そもそもこの「神」にも両親がいた(但し、父親・イザナキだけの血を引くとの物語もある)。また、記録になくとも、その前、またその前の時代があったことも当然だ。
 まして、200年も遡らない明治新政権の政策が日本の本来の「伝統」だったという、いかなる証拠資料もない、
 出口治明・ゼロから学ぶ「日本史」講義/古代篇(文藝春秋、2018)は、西尾幹二・国民の歴史(1999)と大きく異なり、地球と生命の誕生から書き始めている。
 まとめて記しておく機会は滅多にないので、少なくともおおよその数字は出口を信頼して、以下にメモしておこう。
 4600000000年前、太陽系成立、その後、地球誕生。
 38〜40,0000,0000年前、「生命」誕生。
 19,0000,0000年前、「真核生物」誕生。
 10,0000,0000年前、「多細胞生物」誕生。
  6,0000,0000年前、生物が陸に上がる。
   7,000,000年前、共通祖先からヒトが分化する。
  200〜250,000年前、ホモ・サピエンス出現。
   70,000年前、言語発生。
   38〜25,000年前、ホモ・サピエンスが日本に到来。
12,000年前、日本列島が大陸と地続きでなくなる。
    3,000年前(紀元前10世紀)、稲作始まる。
    1,600年前(紀元後400年頃)、「倭」が高句麗と戦う。
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  池田の文章が興味深いのは「利他」・「利己」意識や感情の<遺伝>に関する部分で、この人が以前から言っていたことが、ようやく少し理解できるようになった。
 つぎの説明がある。
 「一つの部族の中では利己的な個体が利他的な個体に勝つが、部族間の競争では利他的な個体からなる部族の団結力が強いので戦争に勝つ。したがって利己主義と並んで、それを抑制する利他主義が遺伝的に備わっていると思われる。
 経済学の想定しているようなエゴイストだけからなる部族は、戦争に敗れて淘汰されてしまうので合理的ではない。」
 このような議論が、本来は別の記事であるハイエク・資本主義についてもなされている。
 いわく、ハイエクはその著で「生物としての人間に自然な感情は、集団を守る部族感情だ」とする。但し、そうした「ローカルな感情」は「大きな社会」では役立たないので「非人格的ルール」が必要となり、「その最たるものが市場」だった。だが、市場は「自生的秩序」ではなく、部族感情に適合しない「不自然な」ものだ。「資本主義はこの意味で不自然なシステム」だ。
 以上、定説的理解とは異なる主張が簡潔に展開されている。
 人間は本来は「利他的」部族主義なので、「利己的」で個人主義の理性的人間を想定する資本主義とは合致しない、という。
 いわく、「競争原理はつねに意識的な選択を強いるのでストレスを伴い、結果として格差を生み出すので、遺伝的な平等感情に反する」。
 これは相当に興味深い論点提起だ。樋口陽一が称揚する日本国憲法上の「個人の尊重」だけでは、最初から無理があることになる。
 もちろん、だから<社会主義・共産主義>の社会がよい、という結論になるのでは、100%ない。
 上のような論述は「法の支配」とも重要な関係があり、池田は「法の支配という不自然なルール」という中見出しすら立てて、これが「不自然な」市場の生成に寄与したとする。
 「法の支配」が資本主義を生んだのであり、その逆ではないと、この欄の前回に言及した文章でも書いていた。
 すでに池田が少し立ち入っている「法の支配」の由来、起源の問題はある。
 また、もともと気になっていたのは、「利他的」感情、平等主義的意識は<遺伝する>、という叙述または表現の仕方だ。
 たんに世代間で継承されていく(文化的に)という意味ならば分かるが、遺伝子レベルでの継承だとは思えなかったからだ。
 極論して、個体の生存のための「利己」意識の遺伝子による遺伝しかないのではないか。
 もっとも、一定のリズムや音の調性・バランスを<心地良く>感じる聴覚・脳の感覚は長いヒトの歴史の過程で遺伝的に蓄積されてきたのではないかと最近は感じているので、「利他」意識もそのようなものかもしれない、とは思う。
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  だが、現実に個々の人間の全てが「利他」感情を持つのではないことは明らかだ。例外的と言って済むのかどうか。
 親子の間ですら、育児放棄、幼児への虐待があり、老親への虐待もある。
 親が死んでも、年金を受領し続けるために、死体を押し入れや冷蔵庫に隠し続けたという事例が報道されている。親の葬儀、埋葬よりも、自己の生存上の利益の優先。これは個体の維持という観点からは、すこぶる「合理的」だ。
 一方で、母国や母国の家族のために、あるいは「世界平和」のために危険な戦場へ向かう兵士たち。これは遺伝子レベルでの「利他」感情の表現なのか。
 女王蜂と働き蜂の関係はともかく、ヒト・人間全体を「利他」、「利己」の二項で把握できるのだろうか、という気もしてくるが‥‥。
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2407/池田信夫ブログ024—「法の支配」。

  池田信夫ブログマガジン2021年7月26日号にある〈法の支配とその敵〉は、「西村大臣の騒動は、日本にまだ法の支配がないことを痛感する事件だった」から書き出す。
 〈法の支配〉の意味次第とも言えるが、これは間違っているか、大きな勘違いまたは大きな曖昧さがある。
 また、某世界大百科辞典の、「法の支配は法治主義とは異なる」以降の文章を引用したりしている。
 前者については、全ての行政法(学)の概説書類に必ず専門用語として出てくる〈行政指導〉に関する知識が残念ながら欠けている。
 もっとも、西村発言について「法(法律?)」に基づく必要があるのに怪しからんとテレビで喚いていたれっきとした弁護士もいたから、池田だけを問題にしてもほとんど意味がないだろう。
 いつでも執筆できる、〈組織管轄上の法的根拠〉と〈作用・活動上の法的根拠〉の違いとか、後者にも関係して日本の行政部も「法律」のみならず「憲法」や「法の一般原理」に拘束される、とかのタテマエ的なことは、ここでは書かない。なお、上の<根拠>概念は専門述語ではない。
 〈行政指導〉一般論でいうと、〈組織管轄上の法的根拠〉があれば十分、但し、明文の〈作用・活動上の法的根拠〉をもつものもある、というだけで十分だろう。
 私が西村康稔経済再生担当大臣の発言で興味深く感じたのは、この人は官僚の経験もあるからだろう、金融・銀行業界ならば要請に従ってくれるだろう、と思って発言したに違いない、ということだ。たとえば、食堂・レストラン業界、パチンコ店業界ならば、あんなことを直接には言わないし、言えないだろう(行政的・政治的に)。
 余計ながら、かつて<バブル崩壊>のきっかけになったのは、1990年3月の大蔵省銀行局長による、外部への、正確には同省所管のつまり農水省所管のものを除く金融機関に対する「通達」形式の<行政指導>だった。
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  ファーガソンの論述や百科辞典の叙述が正しいまたは適切とは限らない。発展させて、書きたいことを書いてみよう。
 「法の支配」と「法治主義」はどう違うか。なるほど、調べてみたい主題かもしれない。
 前者には対応する英語があるが、後者にはないようだ。
 しかし、ドイツで(現在でも使われる)「法治国原理」が最も近いだろう。
 ここですでに「法治」を訳語的に用いるのは日本的で、原語は、Rechtsstaatprinzip で、「法治国」にあたるのはRechtsstaat だから、前半は、直訳としては、「法国家」または「法的国家」の方が適切だろう。
 しかし、確認したことは私自身はないのだが、明治時代にすでに「治国」という漢語が日本に知られていて、ドイツ、プロイセン辺りからRechtsstaat という概念に接した当時の日本人が、「法」+「治国」という意味にこれを理解して、Rechtsstaat を「法治国」と訳し、かつ利用した、という話がある。
 ここから当然に「法治国原理」も出てくる。
 そして、断定できる自信はないものの、言葉は発展?するもので、この「法治国原理」が「法治主義」へも変化したものと推測される。
 Law-ism もRecht-ismus もない。日本の「法治主義」は、戦前は英米法よりも日本に影響力をもったドイツ法のRechtsstaat に起源がある、と言ってよいのではないか、と考えられる。
 とすると、「法の支配」と「法治主義」の違いはイギリス法または英米法とドイツ法の違い、ということになりそうだ。
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  しかし、池田が参照する辞典の記載内容は、決定的に古くさいようだ。
 戦前からの英米法と戦前、とくに第二帝国時代の、明治憲法が範としたプロイセン・ドイツの違い、あるいは、少なくともタテマエとしての今の日本と大日本帝国憲法下の日本の違い、を説明しているようだ。
 ドイツのことはよく知らないが、法律にさえ違反しなければよい、という国政観は、法律の合憲性審査の仕組みの不存在とも相まって、戦前の日本には、たしかにあった。なお、こういう大きな弱点は、戦後憲法を批判して明治憲法に郷愁を感じているかもしれない<保守>派が指摘することは少ない。
 だが、池田の紹介する二つの語・概念の違いは、日本の他、現在のドイツにも当然ながら当てはまらない。
 ドイツ憲法(基本法、Grundgesetz)には、行政権は「法と法律に拘束される」という明文の条項がある。「法と法律」と二つに分けている。なお、「法治国家」=Rechtsstaat も憲法が明記して謳う国家規定の概念。
 それに、ドイツが「法の支配」的考え方を自ら発展させるか、受容しない限り、(イギリスが離れてしまったが)欧州共同体なるものが設立できるはずがない(EUには議会も執行機関もある)。
 ドイツ法かイギリス法か、大陸法か英米法かを問題にしても、あまり意味はない。
 但し、日本に、かつてのドイツにも共通したのかもしれない日本の<遅れ>を指摘する論者がいるかもしれない。
 だがその遅れは、あるとすれば、「法の支配」も「法治主義」もきちんと理解しておらず、身につけていないことによるだろう。
 それにまた、法的に厳密な思考の仕方に欧米諸国の人々とはおそらくある程度は異なる様相があることを秋月も承認するとしても、それは正邪、善悪の問題ではないかもしれない。
 脱線しそうだが、日本法は、典型的にはまさに「行政指導」のようなinformal な活動の容認とその多さは、pre-modern かpost-modern かが話題になった頃があったし、今後もなりうるかもしれない。
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  そもそも、「法の支配」とは何なのか?
 興味だけはあるので、池田から離れても、もう少しつづけよう。

2350/知識・教養・<学歴>信仰②—古田博司2015年著から。

 No.2334の<「知識」・「学歴」信仰の悲劇①>との表題を、少し改める。
  古田博司・使える哲学(Discover、2015)は、全篇にわたって面白そうだ。
 ヨーロッパ近代、同哲学についても、西尾幹二批判についても、関係する、かつ刺激的な文章が多々ある。
 また、学問論・大学論についても、面白い、かつ刺激的な言辞が並んでいる。
 とりあえず、以下の文章に、ほとんどそのまま大賛成だ、と書いておきたい。
 全て、そのままの引用。一文ずつに改行。p.98-。
 「先ごろ話題になった、文科省が廃止に言及した人文系学部の見直しについても基本的には結構なことだと思っています」。
 「研究者たちは自分の学問を、今を説明できるような学問にどんどん変えていかなくてはいけないというのが私の考え方です」。
 「どんな学問であっても『すぐには役立たないが、教養として必要だ』という考え方には意味がないと思います」。
 「学問の目的を、常に今の説明に置くことが大切です」。
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  学問とは何のためにあるのか。さらには、学校での「勉強」は何のためにあるのか。
 古田は学者・研究者として、誠実に思考していると思われる。自分の「名誉」とか「名声」と関係なく。
 ①上の「今を説明」するの中には、厳密には「今」の中には、我々個人もその一個体である<ヒト・人間>の客観的・現実的な諸相も含めたい。
 「今」の中には、「今」を生きる人間の諸条件も当然に含まれているからだ。ここには<(生命体として)生きている>ということの(観念的・哲学的意味ではなく)物質的ないし生物学的意味が含まれる。
 心臓の拍動、呼吸、脳・脊髄等の「神経」等があってこそ「生きている」(自分だけではなく全ての人間が)ことを、小学生くらいから教育しておくべきだ。生存条件としての食事(・栄養)から必要な自然環境(水、空気、樹木等々)までも当然に。
 したがってまた、ヒト・人間の肉体的(・精神的)生存に関係する学問、簡単には医学・生物学・薬学等々(感染症学等々も入る)等は重視されなければならない。基礎としての数学・物理学等々も。
 ②上の広い?意味での「今」と関係がない、または関係が薄い諸「学問」分野は、「学問」性がないか乏しいもので、大学または学者・研究者が行う必要はない。<法学>についてはその意味合いも含めて、別途触れたい。
 勉強・学習→教養→「人格」陶冶・完成、といった、西尾幹二が好みそうな、または旧制高校生が(エリート意識=反・非大衆意識でもって)想定していたような、時代遅れの(だがまだ残っている)観念・意識を捨て去るべきだ。
 ③何のための大学か、したがって何のための「受験」か、「受験勉強」かを、真剣に問う必要がある。
 断片的「知識」の多寡、あるいは「記憶」力や「連想」力の差でもって、せっかく同じくヒト・人間として生まれてきた者たちを<分類>したり<区別>してはならない。
 18-19歳の時点での「記憶」力や「連想」力を基礎にしている「学歴」というものは、文字通りそれだけのことだ。第三者が正解・正答をあらかじめ用意して作った問題に、要領よくかつ可能な限り迅速に解答する能力の、多少の違いを示すだけだ。だが、それ=「学歴」に(良くも悪くも?)一生拘泥する人々がいるのは、悲劇であり、かつ喜劇だ。
 「今」と無関係の、または関係のうすい知識・教養をいくら豊富に持ってても、無意味かほとんど無意味だ。
 「今」を説明し、把握し、少しでも「改める」または「変える」(または改めない・変えない・維持する)判断をするのに役立たない学問は(そもそも「学問」ではないか)無意味だ。
 このあたりは、<人間は、いったい何のために生きるか>という問題に、究極的にはかかわる。
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  文科系学部ないし人文系学問の不要論は、だいぶ前だが池田信夫も主張していた。経済学部は除外されていたかもしれない。
 最近、茂木健一郎は、YouTube 上で、(たぶん文科系でも)大学入試科目に日本史・世界史は不要で、数学が必須だと発言していた。その他、茂木は、いまの入試のあり方・「偏差値」教育に、きわめて批判的だ。
 数学論は別として、現在の高校での(または私に記憶のあるような)日本史・世界史教育や大学入試での出題傾向を前提にすると、これらは「歴史」ではなく、ほとんどたんなる「事項記憶」力を鍛えるだけに終わっている。
 そもそも「歴史」が理解できるためには<ヒト・人間>を知っていなければならない(その意識・心理も含めて)。また、<社会>または人間相互の諸関係のありようを知っておかなければならず、土地や食料等の重要性、自然環境に影響され得ることも、知っていなければならない。
 しかし、現在の高校教育まででは、高校生以下は、これらを理解するにはあまりに幼なすぎる。人間や社会の「歴史」は、絶対にまだ「理解」できない。
 本郷和人が日本史が「暗記科目」になっていると嘆くのは当然のことで、そもそもまだ難しすぎるのだ。
 また、重要な「教養」として日本史・世界史の学修は必要なのだ、と本郷和人や山内昌之は主張するかもしれないが(そのような二人の対談書を読んだことがある)、歴史を学習して「教養」が身についても、それだけでは「今」に役立つという保障は全くない。つまり存在意味がない。
 極論すれば、<お飾り>だけの「教養」など、不要なのだ。
 歴史学ですらそう思えるので、その他の現在「文学部」に配置されている狭義の「文学」や「哲学」なるものの存在意義自体を、したがってまた、「哲学」や狭義の「文学」の研究者・学者の存在意義を、厳しく問わなければならない。
 再び、冒頭の古田の文章に戻る。
 「研究者たちは自分の学問を、今を説明できるような学問にどんどん変えていかなくてはいけない」。
 「どんな学問であっても『すぐには役立たないが、教養として必要だ』という考え方には意味がない」。

2324/H.J·バーマン/宮島直機訳・法と革命I(2011)②。

 ハロルド·J·バーマン/宮島直機訳・法と革命I-欧米の法制度とキリスト教の教義(中央大学出版部、2011/原書1983)。
 つづき
 **
  L·コワコフスキ・マルクス主義の主要潮流(ポーランド語版、1976)の英訳書は1978年に三巻揃って刊行された(なお、第一巻のドイツ語訳書は1977年に出ている)。
 そして第三巻はなぜか?フランスでは出版されなかったというが、それを除くフランス語訳書も含めて、英語、ドイツ語、イタリア語、スペイン語等々の翻訳書が世界中で広く刊行された。
 しかし、この欄でしきりと書いたことだが、L·コワコフスキの大著の日本語訳書(邦訳書)は出版されなかった。
 英語が読める関係学界の学者、とくに1970年代後半以降にヨーロッパに留学経験のある者はポーランドを出てOxford にいたコワコフスキとその大著を全く知らなかったとは考え難い。しかし、それでも、邦訳書は出なかった。今後も永遠に出版されないかもしれない。
 今後のことはともかく、1978年以降の日本で、なぜ邦訳書が出なかったのか。
 要するに、その<反マルクス主義>性・<反共産主義>性によって、日本の出版社・出版業界、関係学者(とくにアカデミズム内にいる者)は、国家による<検閲>ではなく、<自主検閲>をしたのだと考えられる。その内容を、日本の学界や読者に知らせたくなかったのだ。
 なお、<反マルクス主義>等と書いたが、一片の「反マルクス」の呼号をしているのではなく、第一巻のほとんどはマルクスに充てられているなど、コワコフスキはマルクスを読んで、マルクス主義研究をしている。彼は、若いときはワルシャワ大学の「思想史」講座の正教授だったのであり、当然にマルクスやレーニン等を読んで、それらを用いて<正統な>?講義もしたことがあったと思われる。それだけの蓄積が早くからあったのだ。
  かなり似た感想をもつのは、上掲のハロルド·J·バーマンの著だ。
 1983年には母語・英語で刊行されたようだが、すみやかに邦訳書が出たわけではない。上の邦訳書は2011年刊行で、30年近く経過している。
 コワコフスキの著もバーマンの著も1991年のソ連解体前に出版されている。
 その時代に、明確な<反共産主義>の書物を日本で日本語訳として出版するのがいかに困難で、危険?だったかが、分かろうというものだ。
 むろん、<反ファシズム>・<反ナツィス>・<ヒトラー批判>の書物ならば、岩波書店のものを中心に多数刊行されていただろう(日本共産党系出版社ではもちろん)。
 上の邦訳書の訳者である宮島直機(1942〜)は、マルクス主義・共産主義というよりも、むしろ「キリスト教」との関係に着目して(この方がこの書の読み方としてはおそらく適切だろう)、「訳者あとがき」で、こう書いている。キリスト教との関係という意味では、秋月瑛二もまたきわめて納得でき、了解することのできる感想だ。一文ごとに改行。p.709。
 「再度、強調しておきたいのは、30年近くまえに出版された本書が、ヨーロッパ各国語のみならず中国語にまで訳されながら、日本語に訳されなかったことである。
 我々はキリスト教の教義に無関心なのだろうか。
 それとも、欧米の法制度がキリスト教の教義を前提にしていることを認めたくないのだろうか迷信としか思えないものが自分たちの継受した法制度を作ったなんて !!)。」
  じつに重たい主題だ。
 池田信夫が最近、「個人主義」発生の基礎には「キリスト教」や欧州領域内での長い「戦争」があった、日本では欧米的「個人主義」は根づかなかった旨を数回書いていることにもかかわる。
 上の著や池田の指摘は、日本の(とくに戦後の)法学界・法学者に重要なかつ厳しい批判を含むことになると考えられる。
 しかし、何と言っても、日本国憲法自体が、直接にはアメリカかもしれないが、その背景にある<ヨーロッパ>の法思想を基礎にしていることの影響は甚大だ。
 「西欧近代立憲主義の基本的約束ごと」をキリスト教には触れることなく無条件に擁護したいらしい樋口陽一(元東京大学教授、元日本公法学会理事長)は、1989年の岩波新書で、日本人は「…力づくで『個人』をつかみ出したルソー=ジャコバン型個人主義の意義を、その痛みとともに追体験する」必要がある、と明言した(No.0524/2008.05.30)。→No.0524
 つぎの現行憲法の条項は、秋月が(理論的には)最も改正・削除すべきものとして、この欄で何回か書いたことがある。こんなに単純には語りえない、と考えるからだ。むろん、憲法の一条項でありながら、「法的」意味の希薄性も問題だ(この条項が現在の人権条項の「改正」をいっさい認めない趣旨だとは一般には解釈されていないと思われる)。
 日本国憲法97条「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである」。
  現在も残る<自主検閲>とその主謀?学者、一方で、共産主義・「宗教」についてまるできちんとした知識・素養がなく(「左翼」も似たようなものかもしれないが)、まともな議論をする能力のない、とくに(西尾幹二を含む)「いわゆる保守」の悲惨さ、といった論点もある。
 **

2314/大学・法学部の教員人事と日本共産党。

  池田信夫が数年前のブログで、自然科学と違って<文科系学問>の評価はむつかしく、経済学を別として、法学部・文学部の(教員の)人事は「コネ」による、というようなことを批判的に書いていた。経済学を除き法学部・文学部の人事は「コネ」、という部分に記憶間違いは(たぶん)ない。
 明らかに日本共産党員だとみられ、民科法律部会の理事・副理事長の小沢隆一(小澤隆一)は、法学系教員がたぶん1名(多くて2名)と思われる東京慈恵会医科大学の教授に、何故就任しているのだろうか。もっともこれは法学部の話ではない。
 --------
  第一。ある大学・法学部である科目の教員の人事があり、特定の候補者について人事の検討を開始するか否かについての予備的な審査があったとき、審査(査読)委員の一人だった日本共産党の党員と思しき人物は、そもそも<論理展開>が論文のレベルに達していないとして正規手続きに移行するのに反対した。
 教授会の(出席者)全員による無記名投票で、僅か一票だけ賛成票が多く(予備段階なので票数はそのときは公表されなかったらしい)、人事は最後まで(提案者には結果は首尾よく)進んで終了した。
 のち、別の日本共産党の党員と思しき教員は、<あと一票だった(らしい)。惜しかったなぁ>とつぶやいて、残念がった。
 これは私が関係者から直接に聴いた話。その関係人物は「賛成(可)」票を投じたらしい。
 第二。ある大学・法学部である科目の教員人事があった。特定の候補者について人事の検討を開始するか否かについての予備的な審査があったとき、審査(査読)委員の一人だった日本共産党の党員と思しき人物は、<何故今どき、こんな主題の研究なのか>等と発言し、正規手続きに移行するのに反対した。
 提案している当該科目の関係者たちは善後策を話し合い、このままでは正規の審査後の採用決定(学部教授会としての)に必要な3分の2以上の多数を獲得できないだろうとやむなく判断し、提案自体を取り下げ、正規手続に移行しなかった。
 これも、私が関係者から直接に聴いた話。
 第三。ある大学・法学部である科目の教員人事があった。特定の候補者について人事の検討を開始するか否かについての予備的な審査があったとき、審査(査読)委員の一人だった日本共産党の党員と思しき人物は、外国語の読み方に誤りが多い等と発言して反対し、別の日本共産党シンパらしき(たぶん民科法律部会所属の)審査(査読)委員の一人は、外国の—と—は異なる「思想」であるのに並列するとは何事かという趣旨の発言をして、これまた反対した。
 提案自体の取り下げはなく正規手続に移行したが、採用決定に必要な3分の2以上の多数に1票だけ不足し、「正規に」提案が却下された。
 最初は賛成の様子だったが、最終的には「反対(否)」に回った、別の日本共産党シンパらしき(たぶん民科法律部会所属の)教員もいたらしい。
 これも、私が関係者から直接に聴いた話。
 第四。ある大学・法学部である科目の教員人事があった。特定の候補者について人事の検討を開始するか否かについての予備的な審査があったとき、複数の日本共産党員と思しき人物が反対し、結局この場合は、採用決定に必要な3分の2以上の多数に2票不足し、提案が否決された。
 これも、私が関係者から直接に聴いた話。
 その関係者が話の中で「ニッキョーというところ」という言葉を挿んでいたので何のことかといぶかった。だが、なんと、ニッキョー=日共=日本共産党で、「日本共産党」グループが反対したことを、その関係者は知らなかった。
 第五。ある大学・法学部での教員人事一般に関する話。
 日本共産党の党員+その硬いシンパのグループの人数と、これに反対する(迎合しない)グループの人数がほぼ3分の1ずつで拮抗している。
 どちらも「過半数」すら獲得することができず、人事がなかなか進まない。
 これも、私が関係者から直接に聴いた話。
 --------
  20歳くらい年上の教員がかつて言っていたことを思い出す。
 「(教授会構成人数のうち)彼ら(日本共産党員)の数を、3分の1以上にしてはいけない。」
 3分の1があれば、たいていの教員人事は、可でも否でも、「日本共産党員グループ」の意のままになるだろう。

2299/西尾幹二批判018—『国民の歴史』⑤。

  西尾幹二・国民の歴史(全集版、2017)の最後の章にあたるのは「34/人は自由に耐えられるか」だ。その最後の節にあたるものの表題は、数字番号を勝手に付せば、「04/ハイデッガーの三つの『退屈』」だ。
 前の節の最後には、西尾らしい、つぎの文章がある。全集18巻p.633。
 「自由というだけでは、人間は自由にはなれない存在だからである。
 言い換えれば、われわれは深く底抜けに『退屈』しているのである。」
 さすがだ。<自由だけでは、自由になれない>、<自由でも自由になれない>、<自由でも自由ではない>。これらにはきっと深遠な意味があるのに違いない。
 もっとも、西尾幹二・あなたは自由か(ちくま新書、2018)での「自由」概念や「自由」論からしても、ここでの、または章の表題にすら使われている西尾における「自由」という語・観念の意味は、さっぱり分からないのだが。
 上の点はともかく、表題のとおり、ハイデッガーに言及がある(ハイデッガーを使っている)。そして、この哲学者は「退屈」には三種類あると述べているとし、西尾は三番目のそれに着目しながら、「自由に耐えられない」「人間の悲劇」の前で立ち尽くしてるという「自覚」を記して、この節、この章、そしてこの書物の本文全体を終えている。
  この最終節でのハイデッガーの扱いを見て、ただちにつぎの疑問が生じる。
 ハイデッガーは、「退屈」について叙述した、論述しただけの哲学者なのか? なぜこの部分についてだけハイデッガーを取り上げるのか?
 『国民の歴史』全体を通じて、西尾はほかにハイデッガーには言及していないはずだ。
 上のことが示唆しているのは、西尾幹二はほとんどハイデッガーを読んでいない、ということだ。そして、「退屈」論だけを利用した、ということだ。
 L・コワコフスキの大著等々におけるハイデッガーに関する叙述やナツィスとの関連が問題とされることのあることを知ってはいるが、この欄での紹介等に再度言及はしない。池田信夫もブログで「反啓蒙」主義者として言及していたことがある(→No.2130/2020/01/24参照)。なお、この欄でこれまで言及していないものに、L・コワコフスキ=藤田祐訳・哲学は何を問うてきたか(みすず書房、2014 )p.217〜p.226の10頁にわたる、難解な内容の論述がある。
 ただ、英国の政治思想学者のジョン・グレイ〔John Gray〕は(反キリスト教・反啓蒙では共通性があるようにも思えるが)よほどハイデッガーをお気に召さないようで、こんなことを書いているので、再度紹介しておく。
 ハイデガーのごとく「哲学者がかくまで自己を主張し、妄想に取り憑かれることはきわめて稀である」。 →No.2077/2019/11/16参照。
 ついでに、グレイによる悪罵は(キリスト教的啓蒙批判ではやはり共通性もあると見られるが)ニーチェに対する方がより強いようで、例えばこう書いている。 
 ニーチェは「人類の歴史」の無意味を「知っていながら承服できなかった」。「最後まで信仰に囚われて」いたので「動物である人間もどうかなるという迷妄を断ち切れず」、「笑止千万な超人の思想を生み出した」。彼は「支離滅裂な人類の夢に、…悪夢を加えるだけで終わった」。同上、参照。
 回り道をしたが、指摘しておきたいのは、西尾幹二における<哲学>の欠如または希薄さだ。
 L・コワコフスキが<…のような意味での哲学者ではない>とニーチェを断じていたことと関係するだろうが、既述のように、西尾は、西欧哲学における、①<認識論>(epistemology, Erkenntnisstheorie) 、②<存在論>(ontology, Ontologie)に関する知識・素養がないのだと思われる。
 そうでなければ、最近にその2020年著の「あとがき」について紹介したような、<哲・史・文>全体によって初めて「外部の全体を見る」ことができる(No.2295/2021/02/19参照)、というような安易な文章は出てこないものと考えられる。
 すなわち、ヒト・人間という<主体>が「外部を見る」、<認識>する、ということの意味を哲学者たちは<思考>してきたのであり、「外部」現象や人間・「個人」・「私」が「ある」・「存在」するということの意味をあれこれと論じてきたのだ。カント、ヘーゲル、そしてマルクスも。
 ハイデッガーもこれらに否定的だとしても、例外ではないだろう。主著に『存在と時間』(1927)がある。
 (ついでながら、茂木健一郎・生きて死ぬ私(ちくま文庫、2006/原書1998第二章「存在と時間」の方が、西尾の文章内容よりもはるかに興味深く、刺激的だ)。)
  以上、多くはかつて指摘したことの反復だ。西尾『国民の歴史』がまるで(その挙げる書の全体を読んで理解したかのごとくして)<ハイデッガーの「退屈」論>だけを取り上げていることの異様さ(・大胆さ?)に刺激されて、記した。

2291/西尾幹二批判014+池田信夫ブログ023。

 西尾幹二におけるレトリック・<概念の揺れ>の一例を挙げる。
 2017年、「つくる会」創立20周年記念集会での挨拶。全集第17巻p.714。
 ひと続きの文だが、一文ごとに改行。
 「ですから江戸時代は『前近代』でも『初期近代』でもないのです。
 『近代』そのものなのです。
 むしろ明治以後において、われわれは『近代』を再び失っているのかもしれません。
 そういうとびっくりされるてしょうが、『近代』は動く概念です」。
 そのあと、「近代」概念を用いる、つぎの二つの文もある。
 ・「漢唐時代の官僚制度に私は、『近代』を認めるのにやぶさかではありません」。
 ・「中国や韓国のようになぜいつまでも日本のように近代文明を手に入れることができないのかを、…」。
 以上。 
 「そういうとびっくりされるでしょうが」と書いて、文字通り「びっくりさせる」、あるいは意表をつく、常人?とは異なる表現方法を意識的に使う、というのは、西尾幹二の文章にときにみられる、その特徴の一つだ。
 しかし、何やら意味深いことを言っているつもりなのかもしれないが、このような概念の「揺れ」を用い、「〜」は「動く概念です」と明認していけば、<何とでも言える>。
 秋月でも、こんな文章を<作る>ことができる。
 「最も美しいものの中にこそ、最も醜いものがあるのではないでしょうか」。
 「正義の中にこそ、本当の不正義が含まれているのです」。
 「賢者と言われる者こそ、本当は愚者でしょう」。
 「〜での前近代とは、まさに近代そのものであったのです」。
 等々。
 詩・小説等は<創作>であり、フィクションであり、言ってみれば全編にわたって<建て前としては>「捏造」なのだから、何とでも言え、何とでも書ける。
 しかし、西尾幹二は小説家(・フィクション作家)ではない(はずだ)。
 そのような西尾がフィクション作家のようにして歴史・社会・政治を「評論」してはならないだろう。とくに同じ文章の中では、同じ言葉、「概念」を上のように「揺らして」はいけないのではないか。
 この人において、自分が用いる言葉・概念の「意味を明確にしておく」という姿勢は相当に乏しい。上の「近代」もそうかもしれないが、「歴史・神話」の意味もそうだ。
 ——
 池田信夫ブログマガジン2021年2月1日号の中に<名著再読/法と革命>があり、H・J・バーマン『法と革命』(邦訳書)をとり上げている。
 この本では「近代」または「近代西欧に特有の契約社会」の成立の背景等を、宗教史ないし法制史の学者・研究者が論述しているらしい(日本の「法学」界では、自分たちの「基礎」を疑わしめるものであるためかどうか、ほとんど読まれていないと思われる)。
 「近代」についてではない。西尾幹二批判との関係で注目を惹いたのは、池田の紹介に誘われて入手した上の邦訳書/宮島直機訳・法と革命I—欧米の法制度とキリスト教の教義(中央大学出版部、2011)の冒頭(・序論)すぐに、ニーチェのつぎの言葉が引用されていることだ。ニーチェのどの書のどの部分のどのような論脈の中でのものかは分からない。
 「歴史のなかにあって、たえず変化しているものは意味を定義できない」。 
 「たえず変化しているものは意味を定義できない」—西尾幹二はニーチェのこの言葉または文章を知っているのではないか。
 そうだとしても、西尾幹二は自分をニーチェと同等の「思想家」だと考えているのか?
 そもそも、「意味を定義できない」「たえず変化しているもの」とは何か?
 上の言葉は、西尾幹二における「概念の揺れ」、「定義のなさ」を正当化するか?
 こんな関心を惹き、疑問をもたらしたニーチェの言葉だった。
 ところで、著者・バーマンは、前後をもう少し引用すると、つぎのような論脈の中で、ニーチェの言葉を用いている。一文ずつ改行する。
 「ヨーロッパ」、「法制度」、「伝統」、「革命」という「4つのキーワードの意味は、歴史に言及するなかで説明して行くことにして、いま、その意味を定義することはしない
 なぜなら、ニーチェ Friedrich Nietzsche がいっているように、『歴史のなかにあって、たえず変化しているものは意味を定義できない』からである。
 ただ誤解を避けるために、つぎのことだけは、あらかじめ断っておくことにする。」
 このあと、「ヨーロッパ」について邦訳書で3頁余の論及があり、「法制度」と「伝統」について5頁余の論及がある(まだ「序論」)。
 さすがに、学者・研究者だと思われる。提示する主題で用いる概念の「意味」、「定義」が問題になることを十分に弁えた上で、そのことを知った上で、「意味」の確定、全体的定義をするのを先に延ばしつつ、すでにある程度の叙述をかなり詳しく行なっているわけだ。 
 「歴史のなかにあって、たえず変化しているものは意味を定義できない」とかりにしても、西尾幹二の叙述・発言の姿勢とは、まるで異なるだろう。西尾には、レトリックとして?、あえて言葉の意味を「曖昧に」しておく、「一次的・暫定的な定義も行わない」で、意表をつく?論述をする、という傾向がある。

2276/池田信夫ブログ022。

 池田信夫ブログマガジン2021年1月18日号は興味深い内容を含んでいるので、当否についての議論はしないで、またその能力もないので、可能なかぎり、そのまま引用しておく。同号の<21世紀は『新しい中世末期』>から。言及されている著書ではなく、池田自身の見解・文章だと見られる。
 **
 1・冷戦終了とともに「新しい中世」に回帰したとの説があるが、「今はむしろ中世末期にヨーロッパの封建社会が崩壊した時代」に似ている。
 ・「中世にはヨーロッパが精神的にはキリスト教で統合され」た。一方、「政治的には領邦が分立していた」。その頃まで「日本とヨーロッパは(キリスト教を除いて)よく似ていた」。
 ・「しかし、12世紀ごろから」、領邦を超える商取引・貿易が盛んになり、「領主の支配」を逃れて「ヨーロッパ全域」を商圏とする商人が増えた。この商人たちは「個人の契約による株式会社を組織し、株式でリスクを分散して全ヨーロッパ的に活動した」。
 ・一方、「領邦はローカルな統治機構を維持」し、「カトリック教会による精神的支配を維持」しようとした。
 ・これに対し、プロテスタントは、教会を超える『聖書による救済』を主張し、全ヨーロッパ的な普遍主義を掲げた」。その(プロテスタントの?)「組織が株式会社のモデル」になり、個人が「地域を超えてヨーロッパを移動」し始めた。
 ・かかる動きと、「伝統的な地域支配を維持しようとした領主とカトリック教会が戦ったのが、宗教戦争」だった。
 ・「いま起こっている主権国家を超えるGAFAMなどのグローバル化」は、「中世末期に起こった領邦を超える商人の活動とパラレルな現象」だ。
 ・それが「宗教戦争のような内乱」を招くとは考え難いが、「アメリカの現状を見ているとその可能性はゼロではないようだ」。
 2・「GAFAMに国家の司法権は及ばない」。「ドイツ政府のような言論統制は無意味」だ。
 ・「国家に課税権」があっても、「GAFAMのように実体のない企業は『世界最適立地』によって納税額を最小化できる」。「実効税率」はAmazonで12.7%、Googleで15.8%、Appleで17.1パーセントと推定されている。
 ・中世末期と似ている。「個人に対して領主は課税しようとし、カトリック教会は個人を支配しようとし」た。しかし、200年以上の「宗教戦争でヨーロッパは分断され」た。かつまた、「個人が所属する共同体を失って法の支配のもとに置かれる近代国家が成立した」。
 ・日本は「中世の領邦が成立している状況を固定して江戸時代の平和を守り、ヨーロッパに300年ぐらい遅れをとった」。
 ・「明治以降」に、「キリスト教の模造品である天皇制でその遅れを取り戻した」。そして、「内戦がなかった分、共同体から自立した個人の形成が遅れた」。
 ・こういう「ローカルな共同体に依存するシステムは、グローバル化に適応できない」。「労働者を企業に閉じ込める日本型企業コミュニティの優位性」がなくなり、「クラウド・コンピューティングで契約ベースのビジネスが増える」。こういう状況は、「こうした変化を加速するだろう」。
 ・生成のときから、「契約ベースの社会」は「快適」でなかった。「人々を不断の競争にさらし、貧富の格差を広げ、伝統的な社会を破壊する」。これを「神の秩序に反する」と攻撃したのが「カトリック教会のイデオロギー」だったが、これは「今日『市場原理主義』を攻撃して、貧しい人々に施しを与えようとする人々」に似ている。
 ・だが、「経済圏がグローバルに広がるときは、両者の効率の圧倒的な差によって、このシステム間移行は避けられない」。
 ・それはかつて100年以上の「宗教戦争を引き起こした」くらいの「大きな変化」だ。そして、「国家がグローバル資本主義をコントロールしようとする動き」は今後強まるだろう。GoogleやFacebookに対する「独禁当局の訴訟は、その第一歩にすぎない」。
 **
 以上。「国家」、「共同体」、「個人」。「領邦」制、「江戸」・「明治」、「天皇」制、キリスト教、「カトリック」、「プロテスタント」、「宗教戦争」・「内乱」、「日本型企業コミュニティ」、「契約ベースの社会」、「市場原理主義」、「グローバル資本主義」、等々。

2275/池田信夫ブログ021—NEC・PC9801無印から。

 池田信夫のブログで最近よく、<デジタル資本主義>とか<資本主義の非物質化>等々の言葉が出てくる。
 これにも関係して、同ブログマガジン2021年1月18日号では、「システム間移行」という言葉を池田は使っている。
 この語は、現在は大きな「システム」の移行期にある、ということを前提にしているだろう。中世末期・欧州封建社会の崩壊期から「近代」(資本主義)への移行期にむしろ似ている、と(たぶん)言っているのだが。
 上の当否はともあれ、現在・現代はどういう時代で、これからどう「変化」していくのだろうか。日本はどうなるのだろうか。むろん、日本のことを考えて論じるためには、「世界」と切り離すことができない。
 日本の一部<ナショナリスト>の思惑とは全く無関係に、日本はとっくにグローバリズムの中に組み込まれていて、たんに<日本ファースト>と念仏の如く唱えても無意味だ。この表現は「念仏」を大切にする宗教者・宗教界にはたいへんな失礼・非礼になってしまったけれども。
 **
 このあたりのことを書く予備作業のようなものとして、以下を書く。
 「科学技術の発展」とよく言ったものだが、私のような古い世代の人間の一部からすると、最もそれを感じるのは、(1970年代末までこの言葉自体がなかった筈だが)「バソコン」をめぐる環境・状況の変化だ。
 秋月瑛二は、1982年末(または1983年初頭)に同年10月新発売のNEC・日本電気製PC-9801(無印)を購入した。価額・仕様等の仔細は省く。
 その後数台のPC98機を利用したが、特筆すべきは、たぶん80年代の半ば〜後半には<V10>という日本(NEC)製のOSが使われていた、ということだろう。
 当時、①NEC98、②MS-DOS、③Apple(マッキントッシュ)の三陣営が競っていたが、①のNEC98シリーズが個人(法人も?)市場の半分強のシェアを占めていた。パソコン関係雑誌も三種類あった(その中にSoftbank社発行のものもあったような気がする)。
 そのNEC98陣営もMS-DOS(Microsoft社)に屈し、さらに90年代になると、Windows陣営に加わる。私もまた、Windows3.0を利用した一人だった。日本独自のOSなんてものは、なくなった。それでも、アプリ・ソフト界では徳島市に本社のあるJustsystem社がいま以上に元気で、インストール済ワープロ・ソフトをMicrosoft・ワードか「一太郎」を選択することができた(私はじつに昨年中途まで、後者を使っていた)。
 Sony社も独自パソコンを生産・販売しており、私も二代ほど続けたことがあったのだが、今やパソコン(ハード)を切り離し、Vaioという別会社に移したPCも、何と数種類のノート型として売られているだけだ。
 2000年代、2010年代と変化は激しい。かつては存在しなかった言葉の「スマホ」も一般的になった。Android とかいうのが出てきた。ソフトとか称していたアプリはかつてはCDとして買って本体に入れていたものだが、今やほとんど「無線」を通じてになった。
 Wi-Fiなるものが出現して以降、さすがの秋月も?、なかなか付いていけない。
 昨年は、Google-Chromeというブラウザが WindowsでもMac でも使える(しかもなかなか便利らしい)ことを知って驚いた。
 かつて、WindowsとMac(Apple)の間の<互換性>を問題にしていた頃とは隔世の感だ。しかも、PCとしてのMac ではMac-OS の他に、Windowsも走らせることができる、という(但し、現在の新しいCPU のM1のもとでどうかはよく知らない)。
 スマホやタブレットの分野では(少なくとも現在の日本では)Apple社のものが市場第一位のようで、日本社製は肩を並べられないようだ。スマホの場合のOSはiOS、タブレットの場合のOSはiPad-OSと言って、PCとしてのMac(最新のOSはBigSurという)とある程度の共通性があるらしい。
 さらに、①CPU、②OS、③Browser の違いは何となく理解できるのだが(かつては今よりまだ単純だったが)、①についてMac(Apple)は昨秋にIntel 離れをして、自社製CPU=M1に変えた。<インテル入ってる>ではなくなった。ますます、古い世代の人間には訳が分からない。
 と、いろいろ書いていてはキリがない。要するに、現在の日本でも重要・不可欠のツールになっているPCを含むIT分野で(言及していないことかがはるかに多いが)、アメリカの世界的企業(GAFAとか)の席巻は著しい。
 池田信夫はGAFAM という語も使っているが、古く(それでも80年代だろう)からあるMicrosoftに敬意を表すと、MAGFA(マグファ)という方が、ひびきが良いような気が(個人的には)する。
 さて、ソ連解体前でのソ連・ロシアのIT技術はどうだったのか、とか、現在の中国の(世界的シェアは大きいらしい)IT 業界・産業にはどのような「新しさ」があるのか、などと想起していると、アメリカ(や日本を含む世界)でのOS 、Browser等の占有をめぐっては、「国家」とは無関係に<自由に>(開発と)競争が行われてきたことに気づく(但し、国家のもつ軍事技術の発展形という側面もあるようだ)。
 自由な競争の成果、ということなのだが、その結果としてのGAFAM(MAGFA)の諸国民の生活への浸透とその「支配」の程度は、「国家」よりも場合によっては上回り、かつ「国家」をも脅かしているのだろう。
 **
 疲れたので、この程度にする。「プラットフォーム」という語の意味も含めてよく理解していないこともあるので、さらにいろいろと読んで、思考してみることにする。
 以上、Word も(Atokも)、Google日本語入力も使わないで、書いた。

2262/池田信夫ブログ020。

 池田信夫ブログマガジン2020年12月7日号の<名著再読/資本論の哲学>の中に、つぎの文章がある。
 池田信夫が扱っている主題のうち、こんな点にだけ注目しているのでは全くないが、興味をそそる。
 「価値自体を否定するポスモダンは、社会に何の影響ももたない文芸評論的なおしゃべりにすぎない。問題は、根拠のないはずの価値がなぜ信じられ、特定のイデオロギーが多くの人々に共有されるのかである」。
 とくに面白いのは、「…は、社会に何の影響ももたない文芸評論的なおしゃべりにすぎない」という表現部分だ。
 「社会に何の影響ももたない文芸評論的なおしゃべり」の何と多いことか。文芸評論の意味・価値を認めないのではなく、人間の精神活動の一つとして、音楽や絵画とともにある詩・戯曲・小説を含む文学活動に付随した、あるいはその一部としての「文芸評論」を評価しないわけではない。
 問題は、文学や文芸評論と銘打つことなく、例えば「創作」としての小説だと明言することもなく、政治評論・社会評論を行う者たちがいて、もともとは<自己>(の名誉・顕名)のための表現活動であるにもかかわらず、社会や国家等について真摯に?思索したもののごとく文章や「作品」を発表していることだ。とりわけ世間的には明確に「文芸評論」家として出発したはずの者たちの文章・書物に著しい(古くは西尾幹二から新しくは小川榮太郎まで?)。
 <歴史>もの、<日本>ものの書物の中には、結局は「社会に何の影響ももたない文芸評論的なおしゃべり」にすぎないようなものも多い。

2257/池田信夫ブログ019-遺伝・環境・自己。

 池田信夫ブログマガジン8月24日号(先週)は①技術は遺伝するか、②国民全員PCR検査がもたらす「アウシュヴィッツ」、③新型コロナは「一類相当」の感染症に格上げされた、④名著再読:例外状態、のいずれも、関心を惹く主題で、密度が濃い。
 上の①の一部についてだけ「引っかかって」、それに関連する文章を書く。
 つぎの一文だ。すでになかなか刺激的だ。
 「獲得形質は遺伝しない、というのは中学生でも知っている進化論の鉄則である

  先祖が<偉い>からその子孫も<偉い>のかどうか。
 万世一系の天皇家の血は「尊い」という意識の適否に関する問題には触れないでおこう。
 だが、例えば源頼朝は伊豆に流されても「貴種」として大切にされた、といわれるように、かつては「親」がどういう一族・身分かは「子」にとって決定的に重要だった。
 そんな意識・感覚がまだ残っている例がある。
 江崎道朗・コミンテルンの謀略と日本の敗戦(PHP新書、2017)は、重要人物として登場させる小田村寅次郎について、何と少なくとも四回も、小田村は<吉田松陰の妹の曾孫>だった、とわざわざ付記している。一度くらいは当該人物の係累紹介として言及してよいかもしれないが、四回は多すぎる。しかもまた、文章論理上、全く必要のない形容表現なのだ。
 これが、吉田松陰一族関係者だととくに書くことによって(小田村は吉田松陰ではなくその妹の「血」を直接には引いているのだが)、小田村寅次郎の評価または印象を高めるか良いものにしようという動機によるだろうことは明らかだ。
 なお、その影響を受けて、この書に好意的な結論的評価だけを与えた知識人・竹内洋(京都大学名誉教授)もまた、小田村について吉田松陰の係累者だとその書評の中でとくに書いている。
  獲得形質は遺伝しないのではなく遺伝し、かつまた生来(生得)形質も「子」に遺伝する、と多くの人が考えた国や時代もあった(ある)ようだ。
 北朝鮮では全国民が十数の「成分」に区別されている、という話を読んだことがある。あるいは、「成分」の違いによって、国民は十数に分類されている。
 日本帝国主義と戦った勇士の子孫から、旧日本協力者あるいは「資本家」の子孫まで。日本育ちか否かも考慮されるのかもしれない。これは、「親」の職業・地位・思考は「子」に遺伝する、という考えにもとづくものと思われる。
 かつてのソヴィエト連邦でも、少なくともスターリン時代、革命前の「親」の職業はその子の「思想」にも影響を与えると考えられたと見られる。
 ブルジョアジー・「資本家」(・富農)の「子」はその思想自体が<反社会主義>だと考えたのだとすると、「遺伝」を肯定していたと見てよいのではないか。
 上のことを側面から強く示唆する件が、自然科学・生物学・遺伝学の分野であった。<ルイセンコ事件>とも言われる。
 L・コワコフスキによると(2019/02/21、No.1921の試訳参照)、ルイセンコ(Lysenko)は「遺伝子」・「遺伝という不変の実体」は存在せず、「個々の生物がその生活を通じて獲得する特性はその子孫たちに継承される」と出張した。この考えは雑草のムギ化やムギの栽培方法の改革(「春化処理」)による増産、そして農業政策に具体的には関係するものだったが、1948年には党(・スターリン)の「公認」のものになった。
 参照、L・コワコフスキ著試訳/▶︎第三巻第四章第6節・マルクス=レーニン主義の遺伝学
 池田のいう「中学生でも知っている進化論の鉄則」をソ連共産党やスターリンは少なくともいっときは明確に否認していたわけだ。
 この否定論は、人間全改造肯定論であり、人間の改造、思想改造(・洗脳)は可能だ、そしてそれは子孫にも継承させうる、という考え方となる。
 「獲得形質」の強制的変更によって将来のヒト・人間も<変造>できる、というものだ。数世紀、数十世紀にわたっての自然淘汰、<変化>はありうるのだろうが、人間の、特定の「権力」の意思・意向による人間の「改造」論こそ、マルクス主義、あるいは少なくともスターリン主義の恐ろしさであり、このような<人間観>こそ、「暴力革命」容認とやら以上に恐ろしいイデオロギーではないだろうか。
 ルイセンコ説はソ連末期には否定されたが、フルチショフによる寛大な対応もあったとされ、かつまたこの説は、日本の生物学界にも影響を与えたらしい。
 戦後の民主主義科学者協会(民科)生物部会はルイセンコに好意的で、そのような説を説いた某京都大学教授もいた、とされる。ソ連の<権威>によるのだろうから、怖ろしいものだ。
 なお、ほとんど読んでいないが、つぎをいつか読みたい。
 中村禎里/米本昌平解説・日本のルイセンコ論争(新版)(みすず書房、2017)。計259頁。
  J・ヘンリック/今西康子訳・文化がヒトを進化させた-人類の繁栄と<文化・遺伝子革命>を取り上げての池田信夫の文章に少し戻る。
 リチャード・ドーキンス・利己的遺伝子(邦訳書、40周年版・2018)を読んでいないし、文化的遺伝子(ミーム)のこともよく分からない。但し、技術や文化をヒト・人間が生むととともに、そうした技術・文化自体がヒト・人間を「進化」させ、変化させたことも事実だろう。
 しかし、言葉や宗教・道徳の発生を含むそうした「進化」・変化はそれこそ数万年、数千年単位で起こったものだろう。それもまた「獲得形質の遺伝」と言えなくもないとしても、「技術は遺伝するか」(あるいは文化・宗教は遺伝するか)というように、「遺伝」という言葉・概念を用いるのは、やや紛らわしいのではないかと感じる。
 

2256/池田信夫ブログ018・西尾幹二批判005。

 
 池田信夫ブログ2020年7月14日付は同20日予定の「ブログマガジン」の一部のようなので、全文を読んでいるわけではないが、すでに興味深い。
 タイトルは「『皇国史観』という近代的フィクション」
 ときに、またはしばしば見られるように、紹介・論及する書物に書いてあることの紹介・要約なのか池田信夫自身の言葉・文章なのか判然としないが、片山杜秀・皇国史観(文春新書、2020年4月)を取り上げて、池田はまずこう書く。そのままの引用でよいのだが、多少は頭の作業をしたことを示すために箇条書きするとこうだ。
 ①「万世一系の天皇という概念」ができたのは明治時代だ。
 ②「天皇」は「古代から日本の中心だったという歴史観」は徳川光圀・大日本史に始まるが、一般化はしていなかった。
 ③その概念・歴史観を「尊王攘夷思想」にしたのは「19世紀の藤田東湖や相沢正志斎などの後期水戸学」だ。
 ④明治維新の理念はこの「尊王攘夷」だったという「話」は「明治政府が後から」つくったもので、「当時の尊王攘夷は水戸のローカルな思想」だった。
 ⑤この思想を信じた「水戸藩の武士は天狗党の乱で全滅」、長州にこれを輸入した「吉田松陰も処刑」。そのため、戊辰戦争の頃は「コアな尊王攘夷派はほとんど残っていなかった」。
 ⑥「水戸学」=尊王攘夷思想の最大の影響は、徳川慶喜(水戸藩出身)による「大政奉還」というかたちの「政権」投げ出しだったかもしれない。
 ⑦これは「幕府の延命」を図るものだったが、「薩長は幕府と徹底抗戦した」。
 以下、省略。
 こう簡単にまとめて叙述するのにも、幕末・明治期以降の「神・仏」・宗教・「国家神道」や戦後の神道の「宗教」化あたりの叙述と同様に、かなりの知識・素養・総合的把握が必要だ。
 片山なのか、池田信夫なのか、相当に要領よくまとめている。
 仔細に立ち入らないが、上のような叙述内容に、秋月瑛二も基本的に異論はない。
 少し脱線しつつ付言すると、①水戸藩スペア説・水戸出身の慶喜が一橋家養子となっていたため「最後の」将軍になった、という偶然?
 ②「大政奉還」は全面的権力放棄ではなく(1967年末には明治新政府の方向は未確定で)、とくに「薩長」が徳川家との全面対決と徳川権力の廃絶を意図して「内戦」に持ち込み、勝利してようやく<五箇条の御誓文>となった(ついでに、この第一項は決して今日の言葉での「民主主義」ではない)。
 ③尊王攘夷の「攘夷」は<臆面>もなく廃棄されたが、それは「長州ファイブ」でも明らか。-上に「コアな尊王攘夷派ほとんど残っていなかった」とあるのは、たぶん適切。
 
 明治維新を含んでの、上のような辺りに関する西尾幹二の<歴史観>を総括し分析するのは容易ではない。これは、日本の歴史・「天皇」についての理解の仕方全体にも当然にかかわる(容易ではない原因の一つは、同じ見解が継続しているとは限らないことだ)。
 だが、西尾幹二にも、明治期以降に「作成」された、あるいは本居宣長等以降に「再解釈」された「歴史観」・「天皇観」が強く反映されていることは明瞭だと思われる。
 <いわゆる保守派>によくある、明治期以降の「伝統」が古くからの日本の「伝統」だと思い込んでしまう(勘違いしてしまう)という弊害だ。
 西尾幹二自身も認めるだろうように、「歴史」の<認識>は少なくともある程度は、<時代の解釈>による。明治期あるいは大日本帝国憲法下の「歴史観」(=簡単には「皇国史観」)という一つの「解釈」に、西尾幹二も依拠しているものと思われる。
 この点は、いくつかの西尾の書物によって確認・分析するだろう。
 上のブログ叙述との関係でいうと、池田信夫が、①藤田東湖ら「後期水戸学」の尊王攘夷思想は「ローカルな」ものだったが、②明治政権が明治維新の理念に関する作り「話」として「後から」作った、③但し、真底から?これを実践したわけではない、と述べている部分は(最後の③は秋月が創作した)、西尾幹二とかなり関係している。
 「自由」を肯定的意味でも用いることのある西尾幹二によると、藤田東湖の父親の藤田幽谷は、こう叙述される。あくまで、例。
 ①藤田幽谷が幕府と戦ったのは「あの時代にして最大級の『自由』の発現でした」。
 ②「徳川幕藩体制を突き破る一声を放った若き藤田幽谷…」。
 西尾幹二・あなたは自由か(ちくま新書、2018)、p.205、p.379。前者に先立つp.181~に「後期水戸学」に関するかなり長い叙述がある。
 また、つぎの著は本格的に?、藤田父子を挟んで、水戸光圀から天狗党の乱までを叙述している。
 西尾幹二・GHQ焚書図書開封11-維新の源流としての水戸学(徳間書店、2015)
 このように西尾は藤田幽谷・東湖を高く評価している。但し、つぎの書には「水戸学」関係の叙述は全くないようなので、西尾が藤田幽谷・東湖らに関心を持ったのは、どうも2000年-2010年より以降のことのように推察される。
 西尾幹二・決定版/国民の歴史-上・下(文春文庫、2009/原著1999)。
 (ところで、西尾幹二全集第18巻/国民の歴史(国書刊行会、2017)p.765によると、「新稿加筆」を行い、上の「決定版」の三文字は外した、という。西尾『国民の歴史』には、1999年・2009年・2017年の三種類がある、というわけだ。「最新」のものだけを分析・論評の対象にせよ、ということであるなら、まともな検討の対象にはし難い。<それは昔書いたことで、今は違う>という反論・釈明が成り立つなら、いったん活字にしたことの意味はいったいどこにあるのか?)。
 さて、西尾幹二によるとくに「後期水戸学」の評価にかかわって、つぎの疑問が生じる。
 第一。西尾幹二は別途、「豊穣な」江戸時代、「すでに近代だった」江戸時代という像も提示していると思われる。
 西尾幹二・江戸のダイナミズム(文藝春秋、2007)。/全集第20巻(2017)。
 この書は本居宣長をかなり扱っている。しかし、珍しく「索引」があるものの、「水戸学」も「藤田幽谷」・「藤田東湖」も出ていない
 それはともかく、江戸幕藩体制を「突き破る」精神・理念を提供したという後期水戸学・藤田父子への高い評価と、上の書の江戸時代の肯定的評価は、どのように整合的・統一的に把握し得るのだろうか? 必ずしも容易ではないように思えるのだが。
 第二。池田信夫ブログにあるように、「尊王攘夷」思想が現実化された時期があったとしても、ごく短い時代に限られる。
 したがって、藤田幽谷ら→明治期全体、という捉え方をすることは全くできない。ましてや、藤田幽谷ら後期水戸学→「近代日本」という(少なくとも直接の)連結関係もない。
 余計ながら、明治時代こそ、現在の西尾幹二等々が忌み嫌う「グローバリズム」へと突き進んだ(またはそうせざるを得なかった)時代だった。「鹿鳴館外交」とはいったい何だったのか。
 したがって、今日において藤田幽谷らを「称揚」することの意味・意義が問われなければならない、と考えられる。西尾において、この点はいかほどに意識的・自覚的になされているのだろうか。
 そんなことはどうでもよい、と反応されるのかもしれない。とすれば、いかにも「西尾幹二的」だ。

2252/熊代亨「『生きづらさ』の根源を…」(2020-06-28)。

 最初はBLOGOS 上で見つけたのだったが、熊代亨が書いていることは面白いし、有益だ。
 池田信夫のものはたぶんすみやかに全てのものを読了しているが、名前(書き手)や主題を見ただけで読む気がしないものも多い。
 その点、シロクマ(熊代亨)氏のようなブロガーを発見するのは楽しい。
 →熊代亨ブログ
 2020.06.28の「『生きづらさ』の根源を…」では、資本主義、人間・生物、仏教等々に論及がある。
 またどこかでこの人は、白衣で仕事をしているときは「精神科医」の「役割」を果たし、脱ぐとブロガーに変身するとか書いて、「役割」論に触れていた。
 各人が自己について認める「役割」、あるいは<演じている(つもりの)>役割というものがある、というような趣旨を含んでいると思われ、「役割」という概念およびこの視点は、identity 論や「自己」論にもかかわって興味深い。
 さっそくに、以下を入手した。但し、まだ読んでいない。
 熊代亨・健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて(イースト・プレス、2020年6月)。
 --や××の書物を読むより、きっと有益だろう。もっとも「益」か否かの判断基準の問題はあるが、少なくとも私には<面白い>だろう。
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 熊代亨は現役の精神科医のようなのだが、「精神科学」には関心を持ってきた。
 一度だけこの欄で、木村敏(1931~)について言及したことがある。
 所持だけはしている、精神科医・精神医学者の書物に、以下がある。
 木村敏・異常の構造(講談社現代新書、1973)。
 木村敏・分裂症の現象学(弘文堂、1975)。
 木村敏・自己・あいだ・時間-現象学的精神病理学(ちくま学芸文庫、2006/原著1981)
 木村敏・時間と自己(中公新書、1982)。
 木村敏・自分ということ(ちくま学芸文庫、2008/原著1983)。
 木村敏・偶然性の精神病理(岩波現代文庫、2000/原著1994)。
 木村敏・心の病理を考える(岩波新書、1994)。
 中井久夫・「思春期を考える」ことについて(ちくま学芸文庫、2011/原著1985)。
 中井久夫・最終講義-分裂病私見(みすず書房、1998)。
 大塚明彦・「精神病」の正体(幻冬舎、2017)。
 ほかに、中野信子のものも一冊くらいは所持しているかもしれない。
 隣接・周辺に広げると、福岡伸一茂木健一郎(例、同・脳と創造性-「この私」というクオリアへ(PHP、2005))、養老孟司から、さらに団まりな(この欄に既出)まで入ってくる。
 もっとも、専門性が高いものも多いことや、私自身の怠惰と時間的余裕のなさで、なかなかじっくりと読書することができない。
 「自己」・「精神」・「名誉心」は、特定の一部の<文学部>出身者だけが扱えるものでは全くない。 

2189/新型コロナウィルス-池田信夫・松岡正剛。

 新型コロナウィルス(Virus=ヴァイルス)に関して、耳情報や紙情報ではなく、ネット情報に興味深くて有益そうなものがある。
 池田信夫ブログの最近は、ほとんどこれがテーマだ。
 日本の死亡者数、人口あたり死亡者率は異常に少ないらしく(10万人比0.04、1万人比0.004)、その原因探索とそれにもとづく対策を最近は提言している(3/31)。
 また、同ブログマガジン2020年03月30日号の<名著再読>欄の最後の文章も、池田らしい。
 人間の歴史をマクロ?な視点で捉えれば、「資本主義がいいか悪いか」を論じても、「キリスト教と仏教のどっちがいいか」を論じるのと同じように「意味がない」。「人類が地球の生態系にとって最大の疫病だからである」
 おそらくそのとおりだろう。
 記憶に残る池田信夫の表現には、たしか<キリスト教マルクス主義派>というのがあった。なるほど。ジョン・グレイもたぶん、キリスト教またはヒューマニズム批判の論脈の中でマルクスに触れていた。
 秋月瑛二のこの欄は<反朝日新聞・反日本共産党>で始め、途中から<反共産主義・反日本共産党>にサブタイトルを変えたが、これでも些細すぎるかもしれないという気が、この数年はする。
 女系天皇否定か是認かなどという、一部<保守>界隈での激しい論争?など、馬鹿馬鹿しいほどの些少な問題だ。<日本>を主題にするとしてすら。
 新型コロナ・ウィルスによる感染症に関して、当然のことながら、上記のように国・地域によって罹患・発症の程度は異なるようなのだが、ウィルスは<ヒト>には同等に棲みつき増殖もするようで、根本的には、日本か欧米か、グローバリズムかナショナリズムか、とかを論じるレベルの問題ではない。
 肌の色・眼の色等の違いはあっても、二本の脚の上に二本の腕をもつ胴体を乗せ、その上に頭部があって中に脳があり、ふつうは二本の脚を前後に動かして前に進むということでは、人種も民族も関係はない。
 個体か、国家・民族か、人種か、人間・ヒトという種か、動物全体か、生物・生命体全体か、あるいは太陽系宇宙全体(の生態系か)かというという種々の次元が、頭をよぎる。ヒトの一個体の中にも、大腸菌のような別の細菌=生物が「共生」しているらしいのだけれども。
 松岡正剛千夜千冊/生代篇1737夜-2020年03月27日。
 Carl Zimmer, A Planet of Viruses (2011)とその邦訳書(飛鳥新社、2014)についてだが、この書に限らず、論述対象はウィルス全体で、これには「感染症」に関する邦語文献もズラリと掲載されている。池田が取り上げていた書も含む。
 松岡がこたわっているように見えるのは、ウィルスは「細菌」ではなく「生命体」ではない、というおそらく一般的らしい前提の当否だ。「生命」をもつか、したがって「生物」か否かという問題には、生物には動物と植物があり人間は前者で、ヒト科・ヒト属・ヒト種で、…、とかの幼稚な知識では太刀打ちできない。
 「生」とは何か、「死」とは何か。ウィルスが宿主の中で「増殖」するというのはいったいどういう現象なのか。人体自身がが外界の刺激を受けて(急激にかつ悪く)変化しているのだろう。
 「精神」活動の中枢の「脳」も身体にいわば寄生しているので、身体が破壊されれば、各個体は「精神」活動をできなくなる。人間の決定的な<外部依存性>だ。
 そんなことも考える。当たり前のことを確認しているにすぎないだろう。
 

2144/池田信夫のブログ017-三輪寿壮。

 2/10のブログマガジンで全部を読めることになっているが、2/05の池田ブログが三輪寿壮に言及している。直接にというよりも、池田が素材とするつぎの書の中身にかかわってだ。
 鯨岡仁・安倍晋三と社会主義-アベノミクスは日本に何をもたらしたか(朝日新書、2020)。
 三輪寿壮という人物名にも記憶があるし、安倍内閣の経済政策の性格にも関心がある。
 そこでさっそく上掲書を見てみると、目的の一つは「アベノミクスのルーツが『社会主義』であるという仮説を補助線」としてその「形成過程をあきらかにする」ことだとされている。
 この「ルーツ」に安倍晋三の母方の祖父・岸信介と三輪寿壮の二人がかかわる。
 かつての東京帝国大学法学部で、岸信介・三輪寿壮・蝋山政道・我妻栄・三木清・平岡梓(三島由紀夫の父)らは同学年だった。
 三輪寿壮について、池田がたぶんこの書に依拠してすでに書いていること以外のことを記しておこう。
 三輪寿壮、1894~1956。
 真っ先に書いてしまえば、反共産主義の「社会主義」者または「社会民主主義」・「民主社会主義」者だ。
 従って、日本共産党的「左翼」から見ると<保守反動>となる。一方、日本会議的?<宗教右翼>または<いわゆる保守>によると、<左翼>というレッテルが貼られるかもしれない。「右派」社会党の国会議員であっても、「社会党」=「社会主義政党」という見方からすると「左翼」視されてもやむを得ないのかもしれない。
 但し、私は「左翼」=「容共」の意味で用いてきているので、その意味ではこの人は決して「左翼」ではない。
 この人物の名を知ったのはたぶん、すでにこの欄で言及したことがある、以下による。
 石原萠記・戦後日本知識人の発言軌跡(自由社、1999)。
 この石原萠記(1924-2017。自由社・社長)という人物自体がもっと知られてよいかもしれない。
 この石原が上の書の最終章で<生き甲斐を与えてくれた人びと-忘れ難き学者・文化人に学ぶ>を列挙して、それぞれについて長短あれ文章を書いていることは、すでにこの欄で紹介した(№2002/2019.07.11)。
 そこで記したように、石原がまず第一に挙げているのが、三輪寿壮だ。
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 石原の叙述によって、三輪の公式的な面では分からない、三輪寿壮やこの人と石原の関係を紹介しよう。
 ・1954-55年頃、「三輪寿壮先生のすすめ」もあり、山梨県(石原の郷里)で「右派社会党」を再建して、この地で衆議院議員選挙に立つべく活動していた。
 日記1954.12.30-「午前中、三輪先生宅で、山梨、長野県連の実情を報告。山梨県連再建のため、衆議院に立候補の準備をしろといわれる」。p.906、p.1157。
 ・しかし、別に他の人から勧誘を受け、「国際的視野」をもつことも(将来の政治家のためにも)必要だと考え、1955年から「国際自由文化会議」と関係をもち、1956年に<日本文化フォーラム>を発足させ、事務局長となった(「フォーラム」の語は林健太郎の案による)。以降、<日本文化会議>結成にもかかわり、雑誌『自由』を出版する<自由社>の社長となる。p.907以下。
 ・三輪寿壮は「河上丈太郎、河野密氏らとともに、日労三羽烏といわれた」英才で、「革新政治運動」に生涯を捧げ、法曹界でも「東京第二弁護士会の会長」を勤めた。知己は幅広く「高潔な人格の故に信頼関係は強く深い誠実な方」だった。p.1156。
 ・中国から帰国の敗戦後に、公私にわたり「先生にご迷惑をかけた」。
 妹(和子)は三輪寿壮が「亡くなられるまで、先生の秘書をつとめていた」。 同上。
 ・「私ども夫婦の仲人」をしていただいた。長男(寿記)の「名付け親」として「寿」の字をいただいた。p.1158。
 ・一度だけ、意にそむいた。1952年4月に岸信介を中心に<日本再建連盟>ができたとき、手伝いをせよと言われたが、断った。
 とりあえずは以上だが、他にもあるかもしれない。
 上の石原萠記著は巻末に、<月刊『自由』創刊35周年記念-石原萠記氏を励ます会>(1993年10月29日。石原69歳のとき)の代表世話人・世話人の多数の名前と「挨拶」等の言葉を掲載している。
 その諸氏名だけでも「歴史」的記録かもしれないが、その直前に、石原萠記自身の文章で、支援・協力に感謝する旨が、つぎの人々を明記して語られている。こちらの方を、ここでは紹介しておこう。上の著発行の1999年時点のことだ。三輪父子だけは冒頭に挙げた。外国人名を除く。p.1238。
 ○故人-三輪寿壮。高柳賢三、尾高朝雄、木村健康、平林たい子、蝋山政道、中村菊男、竹山道雄、藤井丙午、瓦林潔、河上丈太郎、小島利雄、江田三郎、松前重義、直井武夫、伊藤英治、木川田一隆、福沢一郎、大平善悟、福田恆存、高橋正雄、大来佐武郎、村松剛、村上健、二宮信親、松井政吉、佐野猛、瀬尾忠博。
 ○「各方面で御活躍中」-三輪正弘。平岩外四、那須翔、荒木浩、山本勝、塙章次、木野文海、内藤勲、青木勲、関嘉彦、林健太郎、松前達郎、小渕恵三、堤清二、大橋博、江副行昭、遠山景久、河上民雄、田中健五、江田五月、中嶋嶺雄、加瀬英明、堅山利文、宇佐美英信、笹森清、高木剛、野口敞也、大池文雄、元木昌彦、赤塚一、古川俊隆、里縞政彦、重光武雄、中江利忠、渕上貫之、宮崎吉政、内村昌樹、久保田司。
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 安倍晋三(・同内閣)は、「社会主義」的または「社会民主主義」的もしくは「民主社会主義」的経済政策・金融政策・労働政策-<瑞穂の国の資本主義>-で「左派」からの大きな・現実政策上の非難・攻撃を回避しつつ、<改憲>姿勢をともかくも維持することで「宗教右翼」・「いわゆる保守」からの「右派」からの攻撃も封じて、長く政権を維持してきたのかもしれない。
 もともと「経済政策」の持ち合わせが何もない精神論・観念論だけの「宗教右翼」・「いわゆる保守」は、年金・社会保障・労働問題等あるいは諸種の産業にかかわる具体的な政策形成とその執行に文句を言うことが全くかほとんどできない。
 まだ立憲民主党らの方が「政策」に通じているだろうが、もともと経済政策に(たぶん)「決め手」はないので、野党がそろってこの分野で与党・安倍内閣に対峙することもできない。
 残る一つは、<改憲>か<(安倍による)改憲阻止>か、の不毛な対立
 ここでの「改憲」は自民党が現在に掲げている内容のもので、ゆえに賛成・反対は不毛だ。
 残るもう一つは、<何としても安倍支持(安倍防衛)>か<何でも安倍反対>か、の不毛な対立。これは、スキャンダル軽視・無視か、スキャンダル重視・一本か、と言ってよいかもしれない。

2130/池田信夫のブログ016-近代啓蒙・西尾幹二。

 池田信夫ブログマガジン2020年1月20日号は「『不自然なテクノロジー』が人類を救う」と題して、この欄で別の著の一部を紹介したスティーヴン・ピンカー〔Steven Pinker〕/橘明美=坂田雪子訳・20世紀の啓蒙(草思社・2019)〔S. Pinker, Enlightment Now: The Case for Reason, Science, Humanism and Progress(2018)〕を紹介するふうだ。
 但し、池田はこの著については「本書のアメリカ的啓蒙主義に思想的な深みはない」とするだけだ。
 そして、むしろ、啓蒙主義によって「人類は幸福になった」とし、科学技術(テクノロジー)は「平和と安全」をもたらした、として、「原子力」の安全性や「環境」の改善等を強調する。
 ***
 この文での「啓蒙主義」・「西洋文明」・「テクノロジー」等の厳密な意味は問題になりうるとして、また西尾幹二がいかなる気分・「主義」で文章を書いていたかは正確には知らないとしても、以下の西尾の文は、おそらく明らかに「啓蒙主義」・「西洋文明」・「テクノロジー」に反対・反抗したい<気分>を示しているだろう。すでに、ある程度は言及した。
 西尾幹二=岩田温「皇室の神格と民族の歴史」歴史通2019年11号再収載。p.222。
 ・女系天皇否認は「日本的な科学の精神」だ。
 ・「自然科学ではない科学」が蘇らない限り、「分析と解析だけでは果てしない巨大化と極小化へとひた走って」しまう。
 ・「自分たちの歴史と自由を守るために自然科学の力とどう戦うか、それが現代の最大の問題で、根本にあるテーマ」だ。
 なお、この対談には岩田温のつぎの発言もある。
 ・「皇室は、近代的な科学に抗う『日本文化の最後の砦』であり、無味乾燥な『科学』では言い尽くせない複雑な人間社会の擁護者であるともいえ」そうだ。
 これらは総じて、天皇・皇室あるいは日本の神話を「近代科学」・「自然科学」の対極に見ていて、後者を疑問視・批判するとともに、「日本」を対峙させる。
 西尾幹二には、「社会科学」を軽蔑するかのごとき、つぎの文章もある。
 西尾幹二・あなたは自由か(ちくま新書、2018)。
 ・「経済学のような条件づくりの学問、一般に社会科学的知性では扱うことができない領域」がある。それは「各自における、ひとつひとつの瞬間の心の決定の自由という問題」だ。
 これらには「近代」も「啓蒙」も出てこないが、岩田は別論として西尾幹二は、もともとは西欧から生まれた「近代啓蒙主義」にもとづく、またはそれに連なる人文社会系学問および「自然科学」(生物心理学から宇宙論まで)を批判するという<気分>をもつことが明らかだと思われる。
 <批判>あるいは「限界の指摘」どころか、西尾は「自然科学の力とどう戦うか、それが現代の最大の問題で、根本にあるテーマ」だとか、「社会科学的知性」が扱わない「ひとつひとつの瞬間の心の決定の自由という問題」がある、というのだから、明治期以降に日本も「継受」してきた(和魂洋才?の)「自然科学」・「社会科学」を<否定>するニュアンスすらがある。
 これは困ったものだ。「血迷っている」、と評してよい。
 近代啓蒙、「ヨーロッパ近代」なるものに自分も影響を受けていることを肯定しつつ、所詮は西欧・欧米の「精神」にもとづくものなので、簡単に別の言葉を用いれば、それらにおける「自由と民主主義」=(自民党の名の由来でもあるLiberal Democracy)を「日本」的に修正する、「日本化」することに秋月もまた反対ではなく、むしろそう主張してきた。「自然科学」はよく知らないが、<人文社会科学>の「欧米かぶれ」は今だにひどすぎる、と感じている。日本の「人文社会科学」(ここでは狭義の「文学」を除く)はより自主的で「日本的」なものにしなければならないだろう。
 その意味では、「日本」は「西洋」とも「東洋」とも違うのだろう。
 しかし、西尾幹二のように、「日本文化は西洋と東洋の対立の中にあるのではなく、西洋と東洋がひとまとめて、日本文化と対立している。そういう風に私は思っています」(上の前者)と発言するのは、「日本・愛国」主義の月刊WiLL(ワック)読者のお気に召すかもしれないが、「血迷った」空文であり、観念的被害意識の発露だ。
 ***
 反近代・反啓蒙には大きく二つがある、とも言われる。
 一つは「右翼」からのもので、「近代科学」の進展や世界規模での交流についていけず、「民族」・「一国家」、あるいは「非科学的」かもしれない「精神」的なもの・宗教・「神話」等への執着を示す。
 もう一つは「左翼」からのもので、「近代科学」の進展や世界化は<資本主義の発展>だと見なし、「資本主義」のもとでの科学技術の発展・「大衆文化」の成熟は<資本主義的欺瞞>のもとにあり、「真」の人間の成長にはむしろ有害だと見なす。
 わずかの文章から簡単に推察することはできないが、西尾幹二の近年の上に引用した文章には、上の二つの<気分>が、いずれもある。
 皇室・「日本」・「神話」の重視は、上の「右翼」的反近代論だと言える。
 一方、すでに№2124〔2020.01.17〕に書いたように、「自然科学」と戦うのが「現代」の最大の課題だとか、「社会科学」は(「条件」づくりではなく「真に」)重要な「ひとつひとつの瞬間の心の決定の自由」の問題には役立たないとかの旨の言明は、擬似マルクス主義「左翼」である<フランクフルト学派>の「反啓蒙」論(・「反経験主義」)に相当に似ている。
 池田信夫は上記の本文の中で、一般論としてこう記す。
 「啓蒙主義に対して『美しい自然を人間が汚してきた』というハイデガーやアドルノのようなロマン主義は、いつの時代にも絶えない。
 『人類は破滅の道を歩んでいる』とか『西洋文明はもう終わりだ』といった暗い予感は、啓蒙主義より人気がある。
 しかし、西洋文明は終わらない。
 反啓蒙主義者が『帰るべき自然』と考えているものは、西洋文明が自然破壊を破壊し尽くした後に生まれた農耕社会なのだ。」
 「ハイデガーやアドルノののようなロマン主義」とフランクフルト学派は同義ではない。しかし、上の「西洋文明」を(西洋から発達した)「資本主義文明」あるいは「自由主義経済のもとでの文明」と読み替えると、上の「ロマン主義」やフランクフルト学派の基本的な論調と西尾幹二の「気分」はかなり似ている。西尾は、<大衆とは異なる鋭敏な知識人>の一部がかつてそうだったように、現況に「暗い未来」を感じとっているかのようだ。悪化しているとして現況を嘆く(ふりをする)のは「知識人」には「人気」があることかもしれない。
 むろん、両者が全く同じだとは言わない。西尾にはジョン・グレイ<わらの犬>が皮肉っている<道徳主義>・<人格主義>・<教養主義>が多分にある。これらは現代では日本でも相当に廃れている。
 そして、上の点はどの程度にフランクフルト学派論者に当てはまるかは分からないが、西尾はこうしたもの(=人格・教養等)が尊重された(と彼が思っている)時代への「ノスタルジー(郷愁)」があるようだ。
 しかし、<処方箋>を示すことなく、具体的な政策論を展開することもなく、「ひとつひとつの瞬間の心の決定の自由」の問題が大切だなどと幼稚に言っているだけでは、何も始まらない。
 西尾が資本主義社会と社会主義社会を「相対化」して、共通する「現代」文明の(あるいは共通する「真の?自由」の喪失の)病弊があると言いたいようであることは別に触れることにしよう。
 ***
 思い出したが、西尾幹二は<いわゆる保守派>には珍しい<反・原発>論者だ。ろくに読んでいないから確言できないが、原発・原子力の<安全性>に関する非イデオロギー的・科学技術的議論を行っているのではなく、中島岳志にような「『保守』精神」論から出発したり、独自の「現代文明」論・「現代の科学技術」論を基礎にしているのだとすれば、ろくな結論と論理構成にはなっていないだろう。
 ***
 「各自の、ひとつひとつの瞬間の心の決定の自由の問題」を扱わなければならない、という旨の西尾幹二の高邁な?一文は、おそらくは現に生きている日本を含めた世界じゅうの人間たちのほとんどを「軽蔑」・「蔑視」するものだ。
 「物質」あるいは「物的条件」よりも「こころ・精神」が大切、という主張は一部の宗教家や哲学者によって歴史上、幾度となく語られてきた。西尾が特段新鮮なことを述べているわけではない。
 そもそもは、「脳科学」・「進化心理学」等々は、西尾幹二が知る以上にはるかに、人間の「精神」・「意識」・「こころ」に迫ろうとしている。アメリカが中心のようだが、近代啓蒙の基盤なくして、この分野での急速な進展は生じなかっただろう。
 この点は別として、キリがない話なので池田信夫の上の文章から手がかりを得て書くと、原発によるのであれ何であれ、「電気」エネルギーの助けがなければ、西尾幹二の住居の暖房も冷房もたぶん機能しない。「停電」・電力供給の停止の怖さを、西尾は想像したことがあるのか。「水道」事業もまた、長い歴史をもつ人間の技術的工夫の結果だ(一部は近代以前に遡り、一部では現在なお整備されていない国々が地球にはある)。「死亡率」は戦争・内乱によるのを含めるのかどうか知らないが、「幼児死亡率」とともに各段に下がったと思われる。これは医学・人間生物学・栄養学・薬学等およびこれらに関係する技術的開発の、さらには医療制度(医療保険制度を含む)等の社会制度(・法制度)のおかげでもある。
 常識的なことなのでキリがない。それでも西尾は、自分だけは「こころ」だけで生きているつもりで、いや「こころ・精神」が大切だ、と言い張るのか。「自然科学」と戦う、というその「自然科学」の成果を、西尾自身がタップリと享受している。
 エネルギー供給、交通手段の確保・運営、生活必需品の生産・販売等々、「より快適な条件で生物として生きていく」ために、多くの人々が働いている。
 台風・豪雨等の前や最中には、道路・河川・建物等の安全確保のために「働いて」いる多くの関係者がいる。災害によって生命を失う人もいる。西尾は、冷笑するのだろうか、いや「生命」よりも身の「安全」よりも、「各自における、ひとつひとつの瞬間の心の決定の自由という問題」の方が大切だ、と。
***
 「社会科学」もまた、人間で構成される「社会」を対象とするかぎり、その人間の「意志・意思」の決定の過程・ありようは、重要な研究対象となる。<合理的意思決定>論、<意思の自由>論(例えば刑法上の「責任能力」の議論)、<人間・日本人一般または各人の「心理」>等々は、人間一般の又は個別の人間の「こころ」の問題に直接または密接に関係する。経済学も経営学も法学も歴史学も同様。
 キリがないので、この点は別に機会があれば、書こう。
 西尾幹二は、「ふつうの、まともな人間のこころ」を持つのか?

2091/西尾幹二・あなたは自由か(ちくま新書,2018)④。

 西尾幹二は、もしかすると(vielleicht)、自身を「思想家」だと考えている(または考えてきた)のかもしれない。
 というのは、つぎの書のオビか何かの宣伝文に、自分の名で、<新しい思想家出現!>とか書いていたからだ。
 福井義高・日本人が知らない最先端の世界史(祥伝社、2016)。
 少なくとも<民主主義対ファシズム>史観の虚妄性・偽善性については秋月よりもはるかによく知っていて、英・独・仏・ロシア各言語を読めるというのだから優れた人であることは認めるが、「新しい思想家」とまで称賛されたのでは、福井もさすがにいい迷惑・有難い迷惑だと思ったのではなかろうか。
 そして、「新しい思想家」が出てきた、というからには、西尾幹二自身が「古い」、現在の「思想家」だと自認しているのではないか、と感じたものだ。
 上の疑問が当たっているかどうかは別として、西尾幹二は、哲学・思想分野に詳しいようでみえて、実のところどの程度の素養・蓄積があるかは疑わしいと思っている。
 哲学・思想にも法哲学(・法思想)、経済哲学(・経済思想)、政治哲学(・政治思想)等と様々ある。講座・政治哲学(岩波書店)も刊行されたことがある。
 これらの夾雑物?を含まない「純哲」=「純粋の哲学」という学問分野もあるらしく、哲学(または思想)分野のアカデミズム(学界)もある。
 この欄で既に触れたように、岩波講座/哲学〔全10巻〕(2008-2009)新・岩波講座/哲学〔全16巻〕(1985-1986年)が、各時代の哲学(哲学学)アカデミズムの総力挙げて?刊行されている。
 アカデミズム一般を無視するとか、岩波書店だから嫌悪するとかの理由があるかのかどうかは知らない。だが、西尾幹二の書の長い<主な参考文献>の中には<世界の名著>(中央公論社)<人類の知的遺産>(講談社)のいくつかは挙げられているにもかかわらず、上のいずれも挙げられず(個別論文を含む)、本文の中でも言及されていないようであるのは、不思議で奇妙だ。哲学(・思想)にとって、「自由」(と必然)は古来からの重要主題であり続けているにもかかわらず。
 上の<講座・哲学>類には「自由」に関係する論考も少なくない。
 また、この欄で既述のように、<岩波講座・哲学/第5巻-心/脳の哲学>(2008)は、デカルト以来の「身脳(心身)二元論」の現在的段階と将来にかかわるもので、当然に人間・ヒトの「自由」や「自由意思」に関係する。
 西尾幹二が「自然科学」を拒否して「哲学・思想」という「精神」を最も尊いものとし、哲学は「万学の女王の玉座」(上の講座本の「はしがき」冒頭)に位置していると考えているとすれば、100年くらい、少なくとも40年ほどは時代遅れだろう。
 また、「物質」を対象とする「自然科学」ではない「哲学・思想」という「精神」を人間・個性にとって最も尊いと考えているとすれば、そのわりには、多様な「哲学・思想」分野にさほど通暁しているわけではないことは、日本の哲学(哲学学)アカデミズムの状況をほとんど知らないようであることからも分かる。
 いまや、フッサールの某著を引き合いに出すまでもなく、学問分野としての「哲学そのものの存立基盤が脅かされている」、とされている(上記「はしがき」ⅶ)のだが。
 ***
 西尾幹二・あなたは自由か(ちくま新書、2018)。
 もう一度、第1章後半の、Freedom とLiberty の違い問題に言及する。
 西尾は、こう書いている。あらためて抜粋的に引用する。p.34-p.56。A・スミス言及部分にはもうほとんど触れない。
 p.34。/「世には二つの『自由』があります」。
 p.35。/「ヒトラーが奪うことのできた自由は『公民の権利』という意味での自由であり、奪うことのできなかった自由は『個人の属性』としての自由です。
 『市民的権利』としての自由と『個人的精神』としての自由の概念上の区別だというふうにいえば、もっと分かりやすいかもしれません。」
 「ヒトラー独裁体制」の下での「ドイツ国防軍の内部」の動き等は「まだ、『公民の権利』『市民的権利』の回復のための戦いであり、どこまでも前者の自由の概念」に入る。
 「強制収容所の苛酷な条件においても冒すことのできない人間の内的自由」があった、という場合の「自由の概念は『個人の属性』としての、あるいは『個人的精神』としての自由の概念を指しています」。
 「この二つの自由を区別するうえで、英語は最も用意周到な言語です
 すなわち、前者をliberty とよび、後者をfreedom と名づけております。
 フランス語やドイツ語には、この便利で、明確な区別がありません。
 フランス語のliberté には、内面的道徳的自由をぴったり言い表す一義性は存在しません。」
 liberté は「邪魔されないこと、制限されないことを言い表す以上のもの」ではありません。
 p.36-。/逆に、「ドイツ語のFreiheit には、二つの自由概念の両義性を含んではいますが、やはりどうしても後者の自由概念、内面的道徳的自由のほうに比重がかかりがちです」。
 人間が住居を快適にまたは立派に整えたり、子どもの成長を妨げる悪い条件をなくすのは「liberty の問題」で、「真の生活」が行われることや子どもが「成長」することは「freedom の問題」で、これら「二つの概念上の区別をしっかりと意識しておく必要があるでしょう」。
 「ところで、私の友人の話によると、アダム・スミスは、『自由』という日本語に訳されていることばにliberty だけを用いているそうです。
 それはそうでしょう。経済学とはそういう学問です。」
 「住居をいかに快適に整えるか、子供の教育環境をいかによくするか、が経済学の課題と等質です」。ここから先は、快い住居での「真の生活」やよい環境での「子供の成長」は、「経済学のような条件づくりの学問、一般に社会科学的知性では扱うことのできない領域」に入ってくる。「ひとつひとつの瞬間の心の決定の自由という問題です」。
 p.37。/「サイバーテロなどコンピュータ社会に特有の不安」からいかに免れるかは「所詮liberty の自由概念の範囲です。」
 「liberty の領域が広がるか、制限されるのかの問題」ではなく、「まったくそれと異なる自由概念、精神の自由の問題をここであらためて示唆していることを強調しておきたいと思います」。
 p.43-。/〔p.38-p.42で長々と引用した〕エピクテトスが論じたのは「アダム・スミスのような経済学者がまったく予想もしなかった自由の概念ではないでしょうか。freedom の極言形式といってもいいでしょう」。 
 p.44-/「ヒトラーやスターリンの20世紀型テロ国家」は社会の全成員から「liberty (公共の自由)を全面的に奪い取って」、「freedom (精神の自由)も死滅してしまうのでないか」。21世紀でもなお、これら国家と同質の「全体主義的強権体制は中国、北朝鮮その他」ではまだ克服されていない。
 ハンナ・アーレントの「全体主義」。ナチス、ソ連、毛沢東、…。
 p.45-。/「敵の内容が移動していくことが全体主義が終わりの知らない運動であることの証明で、…体制の敵に何ら咎め立てられる『個人の罪』が存在しないことが特徴です。
 ここでは敵視されない人々はliberty を保障されます」。
 p.56。/一方、V・E・フランクル・夜と霧(邦訳書1956年〕〔p.47-p.55に長い紹介・引用あり〕から言えることは、「人間はliberty をことごとく失っても、freedom の意識をまで失うものではないということ」です。
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 紹介、終わり。
 こうぬけぬけとかつ長々とliberty とfreedom の違いを語られると、思わず納得していまう人もいるかもしれない。しかし、西尾幹二の<思い込み>にすぎない。
 どのようにすれば、このように自信をもって、傲慢に書けるのだろうか。
 既述のように、このように両者を単純に理解することはできない。A・スミスもF・ハイエクも、liberty とfreedom を西尾の理解のように単純に対比させて用いたのではないと見られることは、すでに記した。
 また、西尾のいう二種の「自由」以外に、種々に分類・体系化される「自由」が日本国憲法上保障されるとされていることもすでに示した。
 話題を移せば、そこでの諸「自由」は西尾に従えばどのように、liberty とfreedom に分けられるのだろうか。
 精神・内心の自由はfreedom で、それ以外はliberty なのか? いや、宗教の自由や学問の自由も「内面的道徳的自由」であり、その他全ての「自由」はこれを基礎にしたfreedom だとも言えそうだ。そうすると日本国憲法上の「自由」はすべてfreedom だ、ということになる。
 そして、西尾のように公共生活条件の整備がlibertyという自由概念の問題だとするのは、相当に違和感の残る概念用法だ。freedom 享有の基盤づくりを、再び「自由」=liberty いう必要はないし、そのような用法は日本にはない。また、freedom 享有の基盤づくりに際して問題になるのがliberty の概念だというのも、きわめて難解で、こうした用法は避けた方がよいだろう。
 要するに西尾の概念用法をある程度は「理解」することができるが、しかし、了解・納得できるものではない。西尾幹二の<思い込み>にすぎない。
 なお、平川祐弘と同様に、「文学」系知識人らしきものによる「経済学のような条件づくりの学問、一般に社会科学的知性」に対する侮蔑意識が明記されているのは、まことに興味深いことだ。
 物質・生活条件整備ではなく「心」・「精神」・「内面的道徳性」が、こうした人たちにとっては尊いのだ。ある意味で、この人たちは物質・身体と心・精神を峻別する16-17世紀のデカルト的意識状態にまだいるのではないだろうか。
 人間、日本人の生活条件よりも、自分の「精神」・自分の「独自性」こそがおそらく尊いとされるべきなのだろう。なぜならば、自分たちは、衣食住に関係する多数の仕事を行っている「庶民」ではなく、水・エネルギー供給・交通手段等々の利益を享受しているとしても、それに感謝することもなく、高見で「きみは自由かね」と問う資格のある「知識人」だと自負しているのだろう。そのような「文学」畑の人間が、建設的な政策論議をろくに行うことができないで、「教養」と「精神論」だけしか示すことができずに、情報・出版産業界での非正規文章執筆自営業者となり、その数と影響力によって日本を悪くしてきた。
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 さて、この問題に再度触れようと思ったのは、西尾が第1章の参考文献としてハンナ・アレントのものを挙げていることに気づいたからだ。
 さらにそのきっかけは、池田信夫blog/2009年5月19日で、つぎの書を紹介し、論及していたことだった。
 仲正昌樹・今こそアーレントを読み直す(講談社現代新書、2009)。
 池田によって紹介される、仲正のH・アレント・<革命について>の理解はこうだ。
 アレントはフランス革命を否定しアメリカ独立革命を肯定したが、「彼女はliberty とfreedom を区別し、前者をフランス革命の、後者をアメリカ独立革命の理念とした」。
 「Liberty は抑圧された状態から人間を解放した結果として実現する絶対的な自然権だが、Freedom は法的に構成される人為的な概念で、いかなる意味でも自然な権利ではない」。
 すでに、西尾幹二の両語の理解と質的に異なることは明らかだろう。
 仲正昌樹の上掲著の<二つの自由>以降は難解だが、おおよそは池田の紹介のようなことが書かれている。
 ハンナ・アレント/志水速雄訳・革命について(ちくま学芸文庫、1995/原邦訳書1975)にさらに、原書、Hannah. Arendt, On Revolution(1963)も参照しつつ、立ち入ってみよう。
 (つづく)

2072/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史06。

 一 産経新聞2019年10月21日付は、自民党有志「日本の尊厳と国益を護る会」提言を報道する中で、こう記述している。ネット上による。一文ごとに改行。
 「皇統は126代にわたり、父方の系統に天皇をもつ男系で維持されてきた。
 女性天皇は10代8人いたが、いずれも父方をたどると初代の神武天皇に行き着く男系だ。
 女性天皇の子が即位した『女系天皇』は存在しない。」
 これが日本会議諸氏・櫻井よしこや「126代」と明記した西尾幹二らの見解として書かれているならばよい。
 驚いたのは、これが、「沢田大典」という署名のある産経新聞記者による「地」の本文の中にある、ということだ。
 産経新聞社または産経新聞記者は、日本の(天皇の)歴史をこう確定的に記述する、いかなる資格・権限があるのだろうか。歴史の「捏造」ではないか。せめて、<~と言われている>くらいは追記しておくべきだ。
 日本書紀には代数の記載はなく(近年の<日本書記>現代訳文の書物には参考として日本書記原文にはない代数を記載しているのもあるが紛らわしい)、「大友皇子=弘文天皇」の記事はなく、一方、女性の「神功皇后」の記事は(神武等々と同じ扱いで)いわば一章を占める。
 冒頭の「皇統は126代にわたり」という数字自体、明治期以降の<決定>にもとづくものだ。
 また、「初代の神武天皇」という記述自体、<日本書記によれば>という話で、<史実>性は疑わしい。
 「女系天皇」の存否や「神武」以降の不連続性の可能性には立ち入らないが、明治維新以降、戦前までの<国定・公定>歴史解釈を現在の全国民が採用して「信じる」義務はない。
 しかるに、産経新聞の記者は何を考えているのだろう。
 堅い読者層の中に<天皇・愛国・日本民族>の「右翼」派が多いからといって、歴史を勝手に「創造」してはいけない。朝日新聞の「虚報」・「捏造」ぶりと本質的にどこが違うのか。
 二 池田信夫Blog/2019年11月7日付(全部は11/11の電子マガジン配信予定らしい)は、こう書く。こちらの方が適切だろう。但し、以下は一部省略しているが、「儒教の影響」だとする等の専門的知見は、私にはない。
 「天皇家をめぐる論争では、天皇が『万世一系』だとか、男系天皇が日本の伝統だと主張するのが保守派ということになっているが、これは歴史学的にはナンセンスだ。
 万世一系は岩倉具視のつくった言葉であり、『男系男子』は明治の皇室典範で初めて記された原則である。」
 「それまでの政権は万世一系どころか、継体天皇以前は王家としてつながっていたかも疑わしいが、そのうち有力だった『大王』が『天皇』と呼ばれた。
 中国の建国神話をモデルにして『日本書記』が書かれ、8世紀から遡及して多くの天皇が創作され、天皇家が神代の時代から世襲されていることになった。」
 「武士が実権を握るようになると、天皇は忘れられた。
 それを明治時代に『天皇制』としてよみがえらせたのが、長州の尊皇思想だった。
 それは『王政復古』を掲げていたが、実際には新しい伝統の創造だったのだ。」
 三 <古式に則り>という言葉を最近によく聞くが、その<古式>の全てではないにせよ、明治期以降の<古式>・儀礼方法であることが多いだろう。
 先月10月22日の「即位礼正殿の儀」を、テレビでたぶん全部視ていた。
 最近の関心からは、<神道>的色彩がどれほどあるかに興味があった。
 所功(ところ・いさお)らによると京都御所には「宮中三殿」はなかったらしいから、「宮中三殿」中での賢所等での天皇の儀礼は、大正天皇からなのだろう。しかし、これは<神道>的・式なのかもしれない。もっとも、神道式とは特定できない<天皇・皇室に独自の儀礼>かもしれない。「神道」の意味・範囲にもかかわる。
 一方、<高御座>で言葉を述べられる等の「国事行為」は、当然に特定の「宗教」色があってはならずせいぜい<日本の伝統>に即して、ということに理屈上はなると思われる。
 だが、素人の私の感触では、「日本」独特というよりも、「中国」(むろん過去の)の影響・色彩を強く感じた。
 なるほど十二単衣等は「平安王朝」的かもしれないが、前庭に立っていた「幟」の様子・色彩や「萬歳」と明らかに明確に漢字で書かれた旗などは、日本の「みやび」・「わびさび」等々の<和風>とは離れた<中国>風に感じた。高御座の建築様式自体も、どちらかというと神社ではなく寺院に見られるように感じた。これが仏教的なのか、道教なのかあるいは儒教ふうなのかは正確にはよく分からない。
 ひるがえると、明治天皇の即位の場合はどういうふうだったのだろうか。
 新政府が安定した(戊辰戦争勝利)後だったのか否かも、確認していない。
 しかし、まだ<神武天皇創業>以来の「日本的」儀礼の仕方が確定されていない時期だとすると、<即位の礼>が純粋に<日本的>ましてや<神道式>であったかどうかは疑わしいだろう。そして、この明治天皇を含めてそれ以降の大正天皇等の<即位の礼>の様式を、今回も採用したような気もする。
 上のことは、<即位の礼>に関することで、天皇の死後の葬礼・墳墓の性格となると、つぎのように、話は異なるようだ。
 四 この欄で、京都・泉涌寺に関係して、室町時代から江戸末期の仁孝天皇までとは異なる、つまり<仏教式>ではない葬礼と陵墓が明治天皇の父親の孝明天皇について行われたようだ、と書いた。№.1982、2019/06/18。
 専門家がいずれの分野にもいることは分かっているので「大発見」のつもりで記したのでは全くない。
 きわめて興味深く感じたので、孝明天皇陵については陵墓の方式自体が九重仏塔を持たない「円墳」のようだと書いたのだった(一般には立ち入れないので、既存の写真に頼るしかなかった)。
 しかし、推測が妥当であることを、上記の池田信夫Blog が挙げているつぎの書物によって確認することができた。
 小島毅・天皇と儒教思想-伝統はいかに創られたのか?-(光文社新書、2018)。
 こう書かれている。
 「文久年間に在位していた孝明天皇は、…慶応へと改元されたその二年の年末、12月25日(グレゴリオ暦では1967年1月30日)に崩御する。
 翌慶応三年にはその陵墓が、じつに1000年ぶりに山稜形式で造営された。
 陵墓に埋葬され、かつ国家管理の聖地とされたのは、明治政府の陵墓政策を先取りするものだった。」
 この「山稜」というのは、南向きで南側に拝礼場があると見られる、<後月輪東山陵>のことで、現在も京都市東山区・泉涌寺の東の丘の中腹にある。
 先だっては記さなかったが、それまでの天皇は「仏式」でかつ「火葬」のあとで納骨されて葬られている(かつ真西の方向を向く)のに対して、孝明天皇については(「神道」式か否かは不明だが少なくとも)「仏教式」ではなくかつ「土葬」の陵墓のようだ。
 しかも、上の書物によると、「じつに1000年ぶりに山稜形式で造営された」、とある。
 これまた、<新しい伝統の創造>だっただろう。
 もっとも、かつての「山稜形式」は「神道」式と称し得るものであるかについては、疑問が残る。
 いわゆる前方後円墳(伝仁徳天皇陵、伝応神天皇陵が著名)が「神道」式なのかというと、おそらくこれを肯定する学者・論者は存在しないのではないか。
 この問題は、「神道」というのはいったい何だったのか、いつ頃どのように形成され、意識されたのか、といった疑問にかかわる。
 櫻井よしこは、神道の「寛容」性のゆえに仏教伝来を許した、という旨を明記している(別に扱う)。聖徳太子の時代頃の「仏教伝来」以前にすでに確たる「神道」があった、という物言いなのだが、果たして本当か? 
  天皇家と「神道」に(神武天皇以来?)強く密接な関係がある、天皇家の「宗教」はずっと神道だ、と主張するならば、古代天皇は「神道」式で葬られたのか? その儀礼や墳墓の様式は?
 尊いはずの初代・神武天皇陵の場所が特定されて整備され、近傍に橿原神宮が造営されたのは、いったいいつの時代にだったのか? まだ150年ないし120年ほどしか経っていない。
 「初代の神武天皇」と「史実」のごとく平気で書く産経新聞記者・沢田大典は、そのような「初代」天皇の「墓」の所在地が<2000年以上>も不明なままだったことを、不思議とは感じないのだろうか。「古い」ことだから仕方がない、では済まないと思われる。
 このあたりは、あらためて触れることにする。

2057/池田信夫のブログ015-高坂正堯。

 池田信夫ブログマガジン2018年10月29日号「高坂正堯の孤独な現実主義」。
 高坂正堯が書いたものを熱心に読んだ記憶はないが、ごく常識的なことを書いたり語ったりしていた記憶はある。
 池田信夫はいう。高坂が「論壇」で孤独だったのは京都大学出身と関係がある。東京大学(法学部)を中心とする「論壇の主流は非武装・非同盟の理想主義」だったからだ。
 「非武装・非同盟の理想主義」とは日本共産党ではなくかつての日本社会党の主張だろうか。そして、池田によると、「論壇はなくなったが、今もマスコミの主流は彼の批判した一国平和主義である」。
 2018年時点での「マスコミの主流」はどうなのかはよく分からないが、朝日新聞・東京新聞および系列のテレビ局等は、アメリカ(と日本?)の「好戦」気分に反発する「平和かつ護憲」路線なのかもしれない。
 そういうことよりも、池田信夫が高坂正堯を好意的・肯定的に取り上げていることの方が興味深い。
 池田によると、高坂は「民社党に近いリベラルだった」。
 そして、「こういう中道右派が育てば、日本の政策論争も少しは健全なものになったかもしれないが、彼の早すぎた死で、日本には安全保障に関する論争がなくなってしまった」。
 おそらく確かなのだろう。高坂は「自民党には投票したことがない」と言っていたらしい。
 高坂を<保守反動>の国際政治学者とみていた<容共・左翼>も多かっただろうから、上の指摘はすこぶる関心を惹く。
 そして再び思い出すのだが、かつて自由社の社長だった石原萌記は、もともとは日本社会党右派の人脈の中から出発した。そして、「社会党」というと<左翼>のイメージではあるが、しかし<反共産主義>の明確な人物だった。だからこそ江田三郎・江田五月を応援し、またかつての民社党関係者や財界を含む<保守>的人々との交流も深かった。
 高坂正堯、1934年5月生~1996年5月。満62歳。
 確かに、早すぎた。
 石原萌記、1924年11月生~2017年2月。満92歳。
 石原は長寿だったが、石原萠記・戦後日本知識人の発言軌跡(自由社、1999)を刊行してその人生の一区切りをつけたと見られる。この本には 高坂の論考類による主張の紹介も何箇所かで行われている。そして、この年は、高坂の死の3年後。
 この時期、つまりソ連解体1991年12月の後の10年足らずの間は、重要な時代だったとともに、日本に明確な<反共・自由主義者>が消失していった、または数少なくなっていった大きな画期だったようにも思われる。
 いや、実質的には<反共・自由主義者>は多くいたに違いない。
 しかし、重要なのは、多くいたし、現にいるのだろう<反共・自由主義者>たちが、かつての福田恆存等々と違って、「保守」とは自称しなくなった、そう標榜しなくなった、ということだ。
 なぜか。1997年設立の日本会議、「愛国」・「日本」・「天皇」の右翼団体が<保守>を標榜し、産経新聞社等のマスコミ・メディアがこの団体とその背後の情報・読書<需要>を商業的に利用しようとしたからだ、と思われる。これに巻き込まれた、または進んでこの界隈に入っていった<もの書き>=文章作成非正規雇用者たち、もいた。
 これは、この頃にはイメージがよくなってきたとされる「保守」という言葉の、誤用であり、簒奪だった。
 石原萠記やその著書については、さらに触れなければならない。間接的にせよ、L・コワコフスキらが1970年代前半に組織したシンポジウムと関係があったことは、この欄ですでに触れた。
 雑誌・自由に寄稿していた、日本文化フォーラム(1956年~)や日本文化会議(1968年~1994年、初代理事長・田中美知太郎)のメンバーたちの論調や人脈は、この1990年代の半ばから後半にほとんど途切れたのではなかろうか。
 日本会議の活動家たちは石原萠記の「左翼」性を強調し、日本文化フォーラム・日本文化会議の歴史を決して高く評価しないのだろうが、日本会議には全く欠如している感のある「知性」・「理性」があり、また<反共産主義>の明確さにおいて、立派な<保守>だったと思われる。
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 1991年/ソ連解体。
 1991~93年/宮沢喜一内閣。
 1993~94年/細川護熙内閣。
 1994年/日本共産党第20回党大会-「ソ連は社会主義国でなかった」。宮本顕治・中央委員会議長。不破哲三・幹部会委員長。
 1994年/日本文化会議解散。村山富市内閣発足。
 1994年/福田恆存、逝去。
 1995年/戦後50年・村山内閣談話。新進党結成。
 1996年/新しい歴史教科書をつくる会発足。
 1996年/高坂正堯、逝去。
 1997年/日本会議発足。
 1997年/日本共産党第21回党大会。書記局長・志位和夫。宮本顕治は退任。
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2042/講座・哲学(岩波)や哲学学者と政治・社会系学者・評論家。

 岩波講座/哲学〔全10巻〕(2008-2009)の各巻共通の編集委員一同による「はしがき」は、途中で、「以上のような現状認識を踏まえた上で、…」と述べて、編集の基本方針を記している。
 その前に叙述されている「現状認識」は、番号が付されてはいないが、四点を記しているものと解される。
 第一は、「大哲学者の不在」を含む「中心の喪失」だ。興味深いのでもう少し引用的に抜粋すると、つぎのようになる。
 「20世紀の前半、少なくとも1960年代まで」は、「実存主義・マルクス主義・論理実証主義」の「三派対立の図式」が「イデオロギー的対立も含めて成り立っていた」。
 20世紀後半にこの図式が崩壊したのちも、「現象学・解釈学・フランクフルト学派、構造主義・ポスト構造主義など大陸哲学の潮流」と「英米圏を中心とする分析哲学やネオ・プラグマティズムの潮流」との間に、「方法論上の対立を孕んだ緊張関係が存在していた」。
 だが現在、「既成の学派や思想潮流の対立図式はすでにその効力を失っている」。
 <日本の>哲学状況はどうなのだと問いたくなるが、かなり面白い。
 第二は、「先端医療の進歩や地球環境の危機」によって促進されて、諸問題が顕在化した、ということだ。
 第三はのちに紹介するとして、第四は、「政治や経済の領域におけるグローバル化の奔流」が諸問題を発生させている、ということだ。
 上の第二点と一部は重複すると考えられるが、第三に、つぎのように語られている。全文を引用しよう。ここでは、一文ごとに改行する。
 「哲学のアイデンティティをより根底で揺るがしているのは、20世紀後半に飛躍的発展を遂げた生命科学、脳科学、情報科学、認知科学などによってもたらされた科学的知見の深まりである。
 かつて『心』や『精神』の領域は、哲学のみが接近を許された聖域であった。
 ところが、現在ではデカルト以来の内省的方法はすでにその耐用期限を過ぎ、最新の脳科学や認知科学の成果を抜きにしては、もはや心や意識の問題を論ずることはできない
 また、道徳規範や文化現象の解明にまで、進化論や行動生物学の知見が援用されていることは周知の通りであろう。
 そうした趨勢に対応して、…、哲学と科学の境界が不分明になるとともに、『哲学の終焉』さえ声高に語られるにまでになっている。」
 以上。
 このように叙述される「現状」の「認識」は、正当なものではないか、と思われる。
 そして、「文学部哲学学科」の存在意義というちっぽけな問題は別として、つぎの感想が生じる。
 第一に、人文社会系の学者・研究者および評論家類(自称「思想家」を含む)の中には、「実存主義・マルクス主義・論理実証主義」の「三派対立の図式」になお「イデオロギー的」にこだわっている者がいるのではないか。そうでなくとも、「現象学・解釈学・フランクフルト学派、構造主義・ポスト構造主義」、「分析哲学やネオ・プラグマティズム」といった「潮流」にこだわり続ける者も少ないのではないか、ということだ。
 むろん、そうした「哲学」の「潮流」などを知らない、意識していない人文社会系の者の方が、はるかに多いかもしれない。そんなことを知らなくとも、学界・大学や情報産業界の一部で「生きて」いける。
 第二は、まさに上に明記されている、「生命科学、脳科学、情報科学、認知科学」は、人文社会系学問(歴史学を当然に含む)や社会・政治系の評論家類の営為の対象となり得る、ヒト・人間の「性質」・「本性」にかかわっている。この<自然科学>の進展を、この人たちは、どれほどに知っているのか、知ろうとしているのか、ということだ。
 経済学部出身らしい池田信夫の言述を(好意的・積極的に)評価するのは、この人がこの分野にも強い関心を向けていると見られることだ。
 この欄に名を出したことはないが、雑誌・Newton の愛読者だという元々は文科系の大原浩にもたぶん上のことがあてはまる。
 また、福岡伸一(<動的平衡>というテーゼ)や茂木健一郎(少なくとも当初は<クオリア>への関心)は、人文社会系の学者・研究者や読者たちと交流?する意識を排除していない、と推察される。
 圧倒的多数の人文社会系学者・研究者や社会・政治系評論家類(自称「思想家」を含む)は、おそらく、人間の(覚醒・意識の成立を前提とする)「認識」が(究極的に)脳内作業であって、「文章」を書くことも全く同様であること(むろんメカニズム・システムは複雑多様だが)を意識していない、と推察される。「自分」は<物質>などとは無関係の、「独立の」、「個性ある」、たんなる生物ではない<知識人>だと考えている、のではないか。これは<右も左も、斜め右上も斜め左下も、中央手前も奥も>、変わりがない。
 そうであっても、学界・大学や情報産業界の一部で「生きて」いける。
 なお、上の講座(全集)の第5巻の表題は<心/脳の哲学>。
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 上の講座(全集)は21世紀に入ってからのものだ。ソヴィエト連邦等の解体後であるとともに、今日までの10年間で、「脳科学」・「神経生物学」等はさらに進展している可能性がある。
 では、一つ前の同様の企画ものである講座(全集)は、異なる編集委員によってどういう「まえがき」を書いていただろうか。
 新・岩波講座/哲学〔全16巻〕は1985-1986年に刊行されている。上よりも20年ほど前だ。このとき、まだソヴィエト連邦等が存在した。
 各巻に共通する編集委員「まえがき」を一瞥すると、つぎのことが興味深い。
 第一に、「哲学の終焉」の危機感などは全く感じさせないような叙述をしている。つぎのとおりだ。
 「学問分野としての哲学は、明治期以降一世紀あまりの歴史をふまえて、研究者の層が厚い。また、前回…が出版された後、研究動向の多彩な展開がみられると共に若いすぐれた担い手たちも育っている。」
 ほぼ20年後の上述の講座(全集)とは、相当に異なっていることが分かる。
 しかし、第二に、つぎのような叙述が冒頭にあることは注目されてよいだろう。一文ごとに改行する。
 「…今日、私たち人類はこれまで経験したことのない状況に直面している。
 エレクトロニクスや分子生物学に代表される科学・技術の発達が人間の生存条件を一片させつつある。
 と同時に、文化人類学、精神医学、動物行動学の成果からも、人間とはなにかということ自体が改めて問い直されるに至っている。」
 30年前すでに、「文化人類学、精神医学、動物行動学」の成果を参照しなければならないことが(たぶん)意識されてはいたのだ。
 なお、この講座(全集)の第6巻の表題は<物質・生命・人間>、第9巻のそれは<身体・感覚・精神>。
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 この講座(全集)類の発行は日本の「哲学学界」または「哲学学・学界」を挙げての一大行事だっただろう。そしてまた、「まえがき」は時代と「編集委員」の意識を反映している。
 もっとも、学界所属者たちがいかほどに「まえがき」記述と同じ意識・認識だったかは疑わしい。
 また、「哲学」学界は略称<純哲>とも言うらしいのだが、<法哲学>、<社会哲学>、<経済哲学>?等々の学界と共通する意識・認識だったとは言えないだろう(但し、2008年ものの編集委員の一人は「法哲学」の井上達夫)。純粋の「哲学」の方が「こころ」・「精神」そのものに最も関係するかもしれない。
 なお、少し元に戻ると、あえての推測なのだが、1985-86年時点では、公式に?表明するか否かはともかく、日本ではなおも「マルクス主義哲学」の立場に立つ哲学・学者・研究者は多かったのではないか。その影響は、今日の比ではおそらくなかっただろう。
 この点は、1985-86年とソ連解体と日本共産党や「マルクス主義」の動揺のあとの2008-09年の、無視できない、学界を包む雰囲気の違いだろう。

2034/池田信夫のブログ014-A・R・ダマシオ②。

 池田信夫は、2011年7月3日付アゴラ「合理的意思決定の限界」でもダマシオに触れている。以下のごとし。
 「ダマシオの二元論を引用して」原発稼働に関する経済学・経済政策論を正当化する論があるが、「合理性」は「アジェンダが与えられたとき計算するアルゴリズム」を示すだけで、アジェンダ設定の「メタレベルの感情」と対立しない。「むしろダマシオもいうように、感情がなければアジェンダを設定できないから、感情は理性の機能する条件なのだ」。
 さてさて。
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 アントニオ・R・ダマシオ/田中三彦訳・デカルトの誤り-情動・理性・人間の脳(ちくま学芸文庫、新訳2010・原版2000/原新版2005・原著1994)。
 「感情」・「情動」・「理性」・「推論」・「合理(性)」等の、もともとの英語は何なのか。
 上の原新版(2005年)のkindle 版を所持している。
 邦訳書の「新版へのまえがき」(原書ではPraface)と「序文」(同、Introduction)だけを原書と照合して、もともとの英語を確認しておきたい。邦訳文庫版は、p.11-p.31.
 関心と知識のある「理科系」の人は知っていて当然かもしれないが、ど素人の「文科系」人間にはそういうわけにはいかない。
 田中三彦の訳は(語・概念の訳が少なくとも一定・一貫しているという意味で)信頼できるものとする。
 内容、ダマシオの見解・主張には立ち入らない。専門用語的ではないものも含む。また、関係学問分野での定訳なのか否かについても、複数の原書(英語)を確認しないと明確には判別できないことなので、立ち入らないことにする。
 その意味で以下は、田中三彦の訳語に対応する、ダマシオが用いている英語だ。
 原題は、Antonio Damasio, Descartes’ Error: Emotion, Reason and the Human Brain。これですでに、「情動」と「理性」の対応語は分かる。
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 「情動」=emotion、「感情」=feeling 。「情動システム」=emotional system。
 「直観」=intuition、「直観的感情」=gut feeling。
 「理性」=reason、「推論」=reasoning。「推論システム」=reasoning system。
 「合理性」=rationality、「合理的行動」=rational behavior、「合理性障害」=impaired rationality。
 「認知」=cognition、「認知的プロセス」=cognitive process、「認知的情報」=cognitive information、「社会的な認知や行動」=social cognition and behavior。「認知的、神経的」=cognitive and neural。
 「知覚」=perception。「思考様式」=thinking mode。
 「心」=mind。「意識的、意図的に」=mindfully and willfully、「心的かつ神経的」=mental and neural、「心的機能」=mental function。
 「身体」=body、「肉体」=flesh。
 「人間的な精神とか魂」=human soul or spirit。
 「適応」=adaptation。「意思決定」=decision making、「意思決定空間」=decision-making space。
 「脳損傷」=brain damage、「脳回路」=brain circuitry、「脳中枢」=brain center、「脳のある部位」=a brain lesion、「辺縁系」=limbic system。
 「前頭葉」=frontal lobe、「前頭葉患者」=frontal patient。
 「前頭葉皮質」=prefrontal cortices、「前頭前皮質」=brain's prefrontal cortices、「視床下部」=hypothalamus、「脳幹」=brain stem。「末梢神経系」=peripheral nervous system。
 「内分泌、免疫、自律神経的要素」=endocrine, immune, and autonomic neural components。
 「神経症患者」=neurological patient、「神経的疾患」=neurological disease。
 「神経科学」=neuroscience、「神経生物学」=neurobiology、「生理学」=physiology、「神経生理学」=neurophysiology。「生物化学」=biochemy。
 「神経組織」=neural edifice、「神経的基盤」=neural substrate。
 「生体調節」=biological regulation、「生物学的習性」=biological disposition。
 「若年発症型」=early-onset、「成人発症型」=adult-onset、「発育期」=formative years。「臨床的、実験的」=clinical and experimental。 
 「人文科学」=humanities。
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 翻訳というのはむつかしい。例えばつぎは、どう訳すのが最適なのだろうか。
 <the neural process that we experience as the mind>→「我々が経験する『心』に対する神経的プロセス」。p.27.
 訳すことができても、「理解」するのが(私には)困難な表現もある。あくまで例として、以下。
 ①「絶対的な外界の実在」=absolute external reality。
 ②「主観の感覚」=sense of subjectivity。
 ③「統合された有機体」=integrated organism。

2033/池田信夫のブログ013-A・R・ダマシオ①。

 日本共産党の機関紙や同党出版物、同党員学者等の書物、その他「容共」であることが明確な学者・評論家類の本ばかりを読んでいると、広い視野、新しい知見をもてず、<バカ>になっていく。少なくとも、<成長がない>。
 西尾幹二が例えば、①日本会議・櫻井よしこを批判するのは結構ではあるものの、日本会議・櫻井よしこをなおも当然に?「保守」と理解しているようでは、②かつての日本文化フォーラム・日本文化会議に集まっていた学者・知識人は「親米反共」の中核であっても「保守」ではないと認識しているようでは(例、同・保守の真贋(徳間書店、2017))p.160)、むろん改めてきちんと指摘するつもりだが、「保守」概念に混濁がある。そして、西尾が「保守」系の雑誌だとする月刊正論、月刊WiLL、月刊Hanada 等やそれらに頻繁に執筆している評論家類の書物ばかりを読んでいると、広い視野、新しい知見をもてず、<バカ>になっていく。少なくとも、<成長がない>。
 池田信夫の博識ぶりはなかなかのもので、デカルト、ニュートン、ダーウィン、カント等々に平気で言及しているのには感心する。むろん、その理解・把握の正確さを検証できる資格・能力は当方にはないのだけれど。
 進化・淘汰に強い関心を示したものを近年にいくつか書いていたが、もっと前に、 アントニオ・R・ダマシオの本を紹介していた。
 2011年6月26日付/アゴラ「感情は理性に先立つ」だ。
 ここでは反原発派の主張に関連して<論理と感情>の差違・関係を問題設定しつつ、つぎに、紹介的に言及している。
 アントニオ・R・ダマシオ/田中三彦訳・デカルトの誤り-情動・理性・人間の脳(ちくま学芸文庫、新訳2010・原版2000/原新版2005・原著1994)。
 「感情はいろいろな感覚や行動を統合し、人間関係を調節する役割を持っているのだ。
 感情を理性の派生物と考えるデカルト的合理主義とは逆に、感情による人格の統一が合理的な判断に先立つ、というのが著者の理論である」。
 「この場合の感情は個々の刺激によって生まれる情動とは違い、いろいろな情動を統合して『原発=恐い』といったイメージを形成する」。
 「…感情は身体と結びついて反射的行動を呼び起こす、というのが…『ソマティック・マーカー仮説』である」。
 「感情が合理的判断の基礎になるという考え方は、カントのカテゴリーを感情で置き換えたものとも解釈できるが、著者は近著ではスピノザがその元祖だとしている。
 身体が超越論的主観性の機能を果たしているというのはメルロ=ポンティが指摘したことで、最近ではレイコフが強調している」。
 原発問題を絡めているのでやや不透明になっているが、それを差し引いても、上をすんなりと理解することのできる読者は多くはないだろう(「近著」というのはダマシオ/田中三彦訳・感じる脳-情動と感情の脳科学・よみがえるスピノザ(ダイヤモンド社、2005))。
 この2010年刊の新訳文庫を計400頁ほどのうち1/4を読み了えた。その限度でだが、上はダマシオ説の正確で厳密な紹介にはなっていない、と見られる。
 但し、池田のいう<感情と理性>、<感情と合理的判断>の差違・関係にかかわるものであることは間違いない。
 そして、人間関係における個人的<好み・嫌悪感>や「対抗」意識が、あるいは<怨念>が「理屈」・「理論」を左右する、あるいは物事は<綺麗事>では決まらない、といった、実際にしばしば発生している(・発生してきた)と感じられる人間の行動や決定の過程にかかわっている。
 (この例のように、「感情」と「理論」・「判断」の関係は一様ではない。つまり、前者の内容・態様によって、後者を「良く」もするし、「悪く」もする。)
 ややむつかしく言うと、<感性と理性>、<情動と合理性>といった問題になる。
 まだよく理解していないし、読了すらしていないが、アントニオ・R・ダマシオの上の著の意図は、池田の文を受けて私なりに文章化すると、このようになる。
 この問題を脳科学的ないし神経生理学的に解明すると-つまりは「自然科学」の立場からは、あるいは「実証」科学的・「実験」科学的には-、いったいどのようなことが言えるのか。
 著者自体は「新版へのまえ書き」で、こう明記する。文庫、p.13.
 「『デカルトの誤り』の主題は情動と理性の関係である。
 …、情動は理性のループの中にあり、また情動は通常想定されているように推論のプロセスを必然的に阻害するのではなく、そのプロセスを助けることができるという仮説(ソマティック・マーカー仮説として知られている)を提唱した」。
 ここで、「通常想定されている」というのは、感情・情動は理性的・合理的判断を妨げる、<気分>で理性的であるべき決定してはいけない、という、通念的かもしれないような見方を意味させていると解される。
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 ところで、上にすでに、「感情」・「情動」・「理性」・「推論」・「合理」という語が出てきている。
 第四章の冒頭の一文、文庫p.104は、「ある条件下では、情動により推論の働きが妨げられる-これまでこのことが疑われたことはない」、だ。
 こうした語・概念の意味がそもそも問題になるのだが、秋月瑛二の印象では、人文社会系の論者(哲学者・思想家)では基礎的な観念・概念の使い方が多様で、たとえ「言葉」としては同じであっても、論者それぞれの意味・ニュアンス・趣旨をきちんと把握することができなければ、本当に「理解」することはできない。
 つい最近では、ルカチとハーバマスでは「実践」の意味が同じではない、というようなことをL・コワコフスキが書いていたのを試訳した。試訳しながらいちおうはつねに感じるのは、「認識」とか「主体」とか「外部」とかを、L・コワコフスキが言及している論者たちは厳密にはどういう意味で使っているのだろうということだ(それらをある程度は解き明かしているのがL・コワコフスキ著だということにはなるが、すでに十数人以上も種々の「哲学者」たちが登場してくると、いちおう「試訳」することはできても、専門家でない者には「理解」はむつかしい)。
 これに対して、あくまで印象だが、自然科学系の著書の方が、一言でいうと<知的に誠実>だ。あるいは<共通の土俵>の程度が高い。
 つまり、それぞれの学問分野(医学(病理学・生理学、解剖学等々)、物理学、化学、数学等々)で、欧米を中心とするにせよ、ほぼ世界的に共通する「専門用語」の存在の程度が、人文系に比べてはるかに多く、(独自の説・概念については「ソマティック・マーカー仮説」だとか「統合情報理論」とか言われるようなものがあっても)、自分だけはアカデミズム内で通用しないような言葉遣いを、少なくとも基礎的概念についてしない、という<ルール>が守られているような感がある。
 したがって、日本で、すなわち日本の(自然科学)アカデミズムが翻訳語として用いる場合も、一定の(例えば)英語概念には特定の日本語概念が対応する訳語として定着しているように見られる。
 「意識」=conciousness、というのもそうだ。Brain は「脳」としか訳せないし、それが表象している対象も基本的には同じはずだろう。
 では、「感情」・「情動」・「理性」・「推論」・「合理(性)」等々の、もともとの英語は何なのか。
 なお、アントニオ・R・ダマシオはポルトガル人のようだが、若いときからアメリカで研究しているので、英語で執筆しているのではないかと推察される(ジュリオ・トノーニら・意識はいつ生まれるのか(亜紀書房、2015)の原著はイタリア語のようだ)。

2026/池田信夫のブログ012-小堀桂一郎。

 小堀桂一郎、1933~。日本会議副会長。
 櫻井よしこや江崎道朗等々は「日本」やその歴史を、聖徳太子も含めて、語る。
 その場合に、参考文献として明記していなくとも、日本会議の要職にずっとある小堀桂一郎の書物を読んでいないはずはない、と想定している。
 櫻井よしこは日本会議現会長の田久保忠衛について、「日本会議会長」とも「美しい日本の憲法をつくる国民の会」の(櫻井と並ぶ)「共同代表」とも明記せず、平然と「外交評論家の田久保忠衛氏は…」とか「田久保忠衛氏(杏林大学名誉教授)は…」とかと書いて頻繁に(週刊新潮等で)言及している。
 このような「欺瞞」ぶりだから、日本会議の「設立宣言」や「設立趣意書」、あるいは日本会議の要職者・役員が執筆した文献を文字どおりに<座右に>置いて文章を「加工作成」しつつも、本当の参照文献としてそれらを明示することはない、ということは当然に容易に推測できることだ。
 このことは、例えば聖徳太子についての、元日本会議専任研究員の江崎道朗の文章についても言えるだろう。
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 池田信夫ブログマガジン2017年10月30日号「皇国史観の心情倫理」。
 小堀桂一郎・和辻哲郎と昭和の悲劇(PHP新書、2017)に、つぎのように論及している。
 ・「右翼にも心情倫理がある」。小堀桂一郎は「それを語り継ぐ数少ない戦中世代だが、その中核にあるのは皇国史観」だ。
 ・<皇室のご先祖である初代の神武天皇>から説き起こす歴史は「学問的には問題外」だ。だが、「心情としては理解できる」。
 ・小堀は和辻哲郎の考え方(の一端)を「敷衍」して、「『万世一系』の天皇家が続いていること自体が正統性の根拠だという考え方が、日本人の自然な歴史認識だという」。
 「このような美意識」は戦前の「立憲主義」で、「天皇中心の憲法を守るという意味」だが、これは「明らかに明治以降の制度であり、日本の伝統ではない」。
 ・小堀は和辻を「援用」して、「明治憲法は鎌倉時代までの天皇中心の『国体』に戻った」、鎌倉「幕府」以降の「700年近く、日本の伝統が失われてきた」とする。
 「これは歴史学的にも無理がある」。「万世一系というのも幻想にすぎない」。
 ・「明治の日本人を統合したのが天皇への敬意だったという心情倫理は、その通りだろう」。和辻のいう「集合的無意識」のようなものだったかもしれない。
 以上。
 上に出てくる「心情倫理」は丸山真男が「責任倫理」とともに使った語のようで、池田のいう「心情としては理解できる」という文章も、厳密には「心情倫理」概念にかかわってくるのだろう。
 上の点はともかく、ここでも感じさせられるのは、「歴史学」という「学問」または広く「人文社会科学」ないし「科学」と、上に出てきた言葉を借りれば「心情」・「美意識」の違いだ。あるいは、<歴史>や<伝統>に関する「学問」と「物語」・「叙情詩」・「思い込み」の違いだ。
 小堀桂一郎もむろんそうだろうが、長谷川三千子も櫻井よしこも、もちろん江崎道朗も、「学問」として日本の<歴史>や<伝統>を追求するのではなく、<物語・お話>として美しくかつ単純に「観念」上(自分なりに)構成できればそれでよい、と考えているように見える。
 人文社会科学の「学問」性・「科学」性あるいは歴史叙述に際しての「主観」的と「客観」的の区別などは、おそらくどうでもよいのだろう。
 日本の<歴史>や<伝統>に関して、賀茂真淵でも本居宣長でも和辻哲郎等の誰でもよいが「先人」・「先哲」の文献・文章を重要な<手がかり>として理解しようとしても、それは、その各人の観念の中にあった、やはり<観念世界>なのであって、<観念の歴史>の研究にはなるかもしれないが、<歴史>そのものの研究にはならない。
 <観念の歴史>の研究が無意味だとは、全く考えていない。
 「神」・「神道」意識も「天皇」意識も、あるいは日本での又は日本人の「怨霊」・「魔界」意識等々にも、おそらくは強い関心をもっている。
 「意識」・「観念」が現実を変えてきた側面があったことも、認めよう。
 だが、「日本の神々」・「天皇」等々が独り歩きして現実の日本を作ってきたような歴史観をもつのは、あるいは<本来の、正しい>歴史がある時期に喪失したとか回復したとか論じるのは、観念・意識と「現実」の区別を(無意識にせよ)曖昧にしがちな、ひどく「文学」的、あるいは「文学部」的な発想だ。
 なお、池田信夫ブログマガジンの上の2017年の号には、①「スターリン批判を批判した丸山真男」、L・コワコフスキの大著に紹介・論及する②「マルクス主義はなぜ成功したのか」もあって、なかなか密度が濃い。

2018/池田信夫のブログ011-identity①。

 池田信夫のブログ検索欄で「アイデンティティ」を探して見ると、数十件も出てきたので驚いた。 
 NHKについて、「公共放送なのか有料放送なのかというアイデンティティをはっきりしないまま…」(2008年8月8日)。
 最も新しいのは、「ユダヤ人というアイデンティティ…」(2019年2月17日)。
 日本語としてのこれに言及してこうある。2019年1月17日付より。
 -「2010年代の政治の特徴はidentity が前面に出てきたことだが、これは日本人にはわかりにくい。
 そもそも日本語には、これに対応する言葉さえない。
 1万年以上前から、地理的にも文化的にも自然なアイデンティティをもつ日本人は『私たちは何者か』と問う必要もないからだ。」
 この指摘にもあるように、identity をどう「訳す」か自体が、日本語を用いる日本人にはむつかしいところがある。
  「1万年以上前から、地理的にも文化的にも自然なアイデンティティをもつ日本人は『私たちは何者か』と問う必要もない」という一文自体もきわめて興味深く、含蓄が多いと思われる。素朴な(そして健全な範囲にある)民族意識、ナショナリズムを日本人はふつうに有している(と思われる)ので、日本会議という政治運動団体のように、これを「皇室を戴く」という点を結合させたうえで狂熱的に煽るのはむしろ異常だと感じる。だが、今回はこの点に触れない。
 identity はこの欄での試訳作業でもよく出てくる。最近も多いが、かつてS・フィツパトリクはその<ロシア革命史>叙述の中で、レーニン時代の人たちの「アイデンティティ」は職業だったか出身階層だったかとかいう問題に関心を示していた(この欄に既出)。
 さらに論理的に遡ると、対応する・該当する言葉自体がない、という意味では、レーニンがボルシェヴィキ党の中で占める地位の名称(中央委員会「委員長」?)や1917年新設のソヴナルコム(人民委員会議)で占める地位の名称(首相?、議長?)がはっきりしない、ということも興味深かった。
 「トップ」であることが当然視されていると、特別の言葉は必要なかったのだろう。
 人民委員会議の構成委員だった最初の外務人民委員のトロツキーには、外務人民委員あるいは「外務大臣」という呼称があった。
 元に戻ると、identity とは一体性、同一性、自己帰属性、自己認識等と種々に訳出することが可能で、identification という名詞もある。。
 一方、identify という動詞は当然に上にかかわる意味も持つが、<見分ける>、<見極める>、と訳出することのできる場合がある。
 (ときには主体自身も含めて)対象物は何であるかを明瞭に認識する、という意味だが、その場合にはその対象物の他者の何かとの同一性あるいは同一視可能性を肯定することによって対象物を明瞭に認識する(見分ける、見極める)という認識の過程?の意味が包含されているので、上のようなidentity の訳と矛盾しているわけではない。
 ***
 さて、我々は、あるいは現在の日本人は、どのようなidentity をもつのだろうか。
 上に出てきた、「日本人」は除く。ヒトとしては最も基礎的なidentity かと思われる<男か女か、オスかメスか>も除く。また、他の生物、すなわち脊椎動物、哺乳類等々と区別されるヒト、というidentity (これもあり得るだろう)も、論外とする。
 前近代と近代を分かつ標語的なものとして、かつて<身分から契約へ>を語った人がいた。
 各人間がしぱしば世襲の<身分(・地位)>に束縛されていた、またはそれによって予め決定されていた時代から、本人自身の「意思」または<契約>、つまり自分の「自由意思」または原理的には対等当事者相互の「自由意思」の合致でもって自分自身の行動を決定することができる時代への大きな変化だ。
 いつから日本は「近代」に入ったのか。こう思弁的に?議論してもたいした意味はない。いわゆる「明治維新」後の時代に一気に「近代」になってしまったのでもなさそうだ。
 「日本」よりも(いやその「日本国民」意識は大いに形成されていったのだが)、薩摩、長州、土佐、会津、等々の「旧藩」ないし新しい地域の<出自>意識は各人において相当にまだ強かったのではないだろうか。
 大正時代になっても、当時の皇太子(昭和天皇)の婚約・婚姻をめぐって旧「薩摩」への対抗意識から「宮中某重大事件」が生じたとの風聞(と強調しておく)があったくらいだから、政権中枢?の中ですら、薩長の対抗意識はたぶんまだあったわけだ。
 それに戦前にはまだ、士族・平民等の区別が公式にあった。
 華族も含めて、まだ「身分」意識はある程度は残っていただろう。
 戦後の日本国憲法施行や改正新民法(但し、民法典のうち<家族法(親族法・相続法)>部分)によって、皇族以外の国民はみな「平等」となり、ほとんど<身分>意識は喪失したように思われる。
 自分はどの<身分>にあるのかは、旧皇族または旧士族の人々には「かつての」ことの記憶・意識としてまだ残ってはいそうだが、政治的・社会的にこれによる差違が生じるわけではない。
 日本国憲法14条は、「社会的身分又は門地によ」る「政治的、経済的又は社会的関係にお」ける「差別」を禁じている。これと符合して、戦後の「家族」法制は存続してきた。
 ところで、いつか書こうと思っていたので脱線するが、日本国憲法「無効」論者の無知・論理的一貫性の欠如は、上のことにも関係する。
 すなわち、昭和天皇はGHQにダマされたのだ(渡部昇一)等々の種々の理由で日本国憲法は「無効」だとする、あるいは<原理的には否定されるべきものだ>とする者たちは、現憲法と同時に、現憲法と一体のものとして制定・改正され施行された多数の法律もまた「無効」(原理的否定)と主張しないと、まったく一貫性がないのだ。
 多くの人が、戦前と戦後の大きな違いは「家族」(・相続)制度にあるという意識を持っているだろう。もはや「戸主」はなく成年男女の婚姻に親の「同意」は不要だ。
 日本国憲法は「無効」だ(少なくともいったん大日本帝国憲法を復活させるべきだ)と喚いていた(いる)人々には、では民法・家族法部分も戦前体制に(いったん)戻すのか?と問い糾さなければならないだろう。
 民法の中の「家族」法制だけではない。
 国会法、内閣法、裁判所法、地方自治法、(学校教育制度の基本である)学校教育法や地方教育行政の組織及び運営に関する法律、等々の多数の諸<法律>が新憲法と同時に施行されて、戦後の日本を形成してきた。
 上に挙げた諸法律だけでも、戦後日本にとってきわめて根幹的なものだ。
 要するに、「憲法」だけを問題にするのは一貫していないし、かつほとんど無意味なのだ。
 <美しい日本の憲法>に憲法改正したいらしい田久保忠衛らは、上に書いた意味が理解できるだろうか?
 元に戻る。では、戦後の日本人は、<身分>ではなく、どのような自らのアイデンティティ感覚を有しているのだろうか。
 つまり、自己認識規準、自己が帰属する集団意識、他者との同一性・類似性を意識する要素、といったものを、無意識にせよ、自覚的にせよ、どう考えているのだろうか。
 この点にもすこぶる「戦後日本」的な、または「日本人」的なものがあるのではないかと思っている。つづける。

2012/池田信夫のブログ010-天皇・「万世一系」。

 菅義偉官房長官は天皇位は「古来例外なく男系男子で継承してきた」=女系天皇はいなかった、との政府見解(政府の歴史認識)を明言しているが、これは「正しい」または「適切な」ものなのか。①「古来例外なく」とはいつからか。②「男系」・「女系」という意識・観念はその「古来」からあったのか。
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 池田信夫ブログ2019年5月5日付「『男系男子』の天皇に合理的根拠はない」。
 ・愛子様への皇位継承に反対する人々は「かつて『生前退位』に反対した人々と重なっている」。
 ・<男系男子継承は権威・権力を分ける日本独特のシステム>と言うのは「論理破綻」しており、「権威と権力が一体化した中国から輸入したもの」
 ・「江戸時代には天皇には権威も権力もなくなった」。
 ・「天皇家を世界に比類なき王家とする水戸学の自民族中心主義が長州藩士の『尊王攘夷』に受け継がれ」、「明治時代にプロイセンから輸入された絶対君主と融合したのが、明治憲法の『万世一系』の天皇」だった。
 ・旧皇室典範が男系男子としたのは「天皇を権威と権力の一体化した主権者とするもの」で、古来のミカド…とはまったく違う「近代の制度」だった。
 ・日本の「保守派には、明治以降の制度を古来の伝統と取り違えるバイアスが強いが、男系男子は日本独自の伝統ではなく、合理性もない」。
 ・「男系男子が『日本2000年の伝統』だというのは迷信」だ。
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 この池田ブログ・アゴラ5月5日付は丁寧に、「男系男子は権威と権力を分ける日本独特のシステム」は八幡和郎の意見ではないとして、「訂正版」と銘打つ。
 但し、「権威と権力を分ける」は別として(この「権権二分論」は西尾幹二にも見られる、西尾を含めての<いわゆる保守>または「産経文化人」の有力主張だ)、八幡和郎の<万世一系>に関する見解・意見の重要部分は、つぎの文章でも明らかだ。
 八幡和郎「万世一系: すべての疑問に答える」アゴラ2019年5月31日付。
 ・日本が外国と異なるのは「万世一系の皇室とともに生まれ」、独立を失ったり分裂したことがないとされることだ。
 ・「女系天皇を認めるべきだという議論…」、「こうしたトンデモ議論…」。
 上の両者をつなげると、八幡和郎は「万世一系の皇室」に肯定的であり、かつそこには「女系天皇」を含めていない、と理解してよいだろう。
 そうすると八幡和郎はおそらくは、池田信夫のいう「明治以降の制度を古来の伝統と取り違える」「男系男子」論という「迷信」に(2000年とまでその歴史の長さを見るかは別として)嵌まっていることになる。
 「皇統」はこの<男系男子>天皇で続いてきた、かりに「女性」天皇はいてもかつて「女系天皇」は存在しなかった、というのは、現時点以降の皇位継承のあり方について、可能なかぎり「女性」天皇も認めない、それにつながる可能性のある「女性宮家」の設立も認めない、という<いわゆる保守>派の主張の有力な「歴史的」根拠になっている、と見られる(これは、現行皇室典範(=明治憲法期のそれと同じく男系男子論を採用)を改正する必要は全くない、という主張で、この部分については現行皇室典範に触るな、という主張でもある)。
 八幡和郎には、つぎの書物もある。一つだけ。
 八幡和郎・皇位継承と万世一系に謎はない(扶桑社新書、2012年1月)。
 熟読していないが、上に触れたことと併せてこのタイトルも見ただけでも、八幡の意見・見解が池田信夫とはかなり異なることは十分に推測することができる。
 上に記した、かつて日本に「女性」天皇はいても「女系天皇」は存在しなかった、というのは、例えば典型的には、<いわゆる保守>派の中でもまだ相対的には理知的だと感じてきた西尾幹二についても明言されている「歴史認識」だ。
 西尾幹二発言・西尾幹二=竹田恒泰・女系天皇問題と脱原発(飛鳥新社、2012)p.11。
 「歴史上、女性の天皇が8人いますが、緊急避難的な"中継ぎ"であったことは、つとに知られている話です。そうしますと男系継承を疑う根拠は何もない。
 なお、この発言の頭書の見出しは、<女系容認は雑系につながる>。
 また、「緊急避難的な"中継ぎ"」の部分についての編集者らしき者による注記は、「いずれも皇位継承候補が複数存在したり、幼少であったことなどからの」緊急避難的措置だった、と記している(同上、p.13)。
 男子継承の理念?を最優先すれば、複数の男子候補のいずれかを選ばざるを得ないのではないか、と思うのだが。また、文武(男子)は何歳で即位したのか?。
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 さて、いくつか、コメントしておきたい。
 まず手近に上の西尾発言、というよりも<いわゆる保守>の公式見解・公式歴史認識らしきものについて。
 ①過去の全ての「女性」天皇について、上の意味のような「緊急避難」的措置だったことを、8天皇ごとに、具体的かつ詳細に説明する必要がある。
 「女性」天皇による重祚の例が2回あるが、その各回についても、背景事情を詳しく説明すべきだ。
 西尾幹二はむろんのこと、男系男子論者(この点についての皇室典範改正不要論者)がこれをきちんと行っているのだろうか。
 <男系男子論>(これは日本会議・同会議国会議員連盟の主張のようでもあるが)を「社是」としているらしき産経新聞社(あるいは同社関係雑誌・月刊正論編集部)は、これをきちんと行ってきているだろうか。
 また、日本史学界を全幅的に信頼しはしないが、上の「歴史認識」は学界・アカデミズムではどう評価されているのかも気になる。
 ②そもそも皇位継承について、「男系」と「女系」の区別は、明治維新以降はともかくとして、皇室関係者その他の各時代の論者・社会の各分野で、どの程度明確に意識または観念されてきたのだろうか。
 ア/聖武天皇皇后(光明子)が初めて「民間」(といっても藤原氏)出身らしいのだが、そうすると、それまでの皇后は、そしてのちに「女性」天皇となった前皇后は(なお、全「女性」天皇がかつて皇后だったわけでは必ずしもない)、当然に「皇族」だった。
 とすると、全ての「女性」天皇は、その父親が天皇だったかを問わず、全て「男系」ではある。
 イ/一方で、例えば持統天皇(天武天皇皇后)の子や孫で天皇になった人物は、男女を問わず、天智・天武の血統であっても、持統天皇の皇統?にあるという意味では、「女系」天皇だと観念または理解して、何ら誤っていない、と思える。なお、高市皇子・長屋王は持統の子・孫ではない。
 ウ/具体的にいえば、孝謙天皇・称徳天皇(同じ一女性)は、いかなる「緊急避難」的必要があって、二度も天皇位に就いたのか?
 西尾幹二は、これらを実証的に、歴史的に、説明できるのだろうか。
 エ/すでに書いたことだが、少なくとも奈良時代後期の光仁天皇までは、天皇は「男系男子」でなければならないなどという観念・意識はまったく支配的ではなかった、と思われる。
 まだ十分に確認していないし、母親の地位・「身分」が問題にされたことも承知はしているが、持統天皇就位のとき、年齢的にも問題のない<男系男子>はいなかったのか。これは、奈良時代の全ての「女性」天皇について言える。また、わざわざ男系男子の淳仁天皇を廃して孝謙が称徳としてもう一度天皇になったのは、いかなる意味で「緊急避難的な"中継ぎ"」だったのか。「つとに知られている話」とはいったい何のことか。
 西尾幹二は、あるいは日本会議派諸氏、あるいは八幡和郎は、これらを実証的に、歴史的に、説明できるのだろうか。
 おそらく明らかであるのは、<男系男子>を優先するなどという考え方あるいは「イデオロギー」は、この当時はまだ成立していなかった、少なくとも支配的ではなかった、ということだ。男系男子の有資格者がいたにもかかわらず「女性」天皇となった人物がいるだろう。
 なお、高森明勅と大塚ひかり(新潮新書、2017)のそれぞれの「女系天皇」存在の主張には言及を省略する。元明ー元正。元正の父は草壁皇子で天皇在位なし。元明は持統の妹。
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 少し遡った議論を、一度行っておこう。
 第一。今後の皇位(天皇位)継承のあり方につつき、日本の「古来の」伝統的に立ち返ることが一般的に非難されるべきことであるとは思えない。
 しかし、将来・未来のことを「歴史」や「伝統」だけで決めてしまってよいのか。
 そのような発想を、「伝統」や「歴史」を重視するという意味では、私自身もしたことはある。しかし、かりに、または万が一「男系男子」で継承が「伝統」・「歴史」だったとしても、将来をもそれらが未来永劫に日本国民を拘束するとは考えられない。
 かりに天皇制度の永続を最優先事項とするならば、「女性」天皇はむろんのこと「女系」天皇も認めないと、そもそも天皇制度を永続させることができなくなる、という事態の発生の可能性が全くないとは言い難い。
 かりにそうして「女系」天皇が誕生したならば、それは、日本は従来とは異なる(しかし「天皇」制はある)新しい時代に入った、ということになるにすぎない、と考えられる。
 こういう発想に対して、「男系男子」論者は、おそらくこう言うだろう。
 そんな天皇は「本来の天皇」ではない、「天皇制度」が継続されているとは全く言えない、と。
 そのとおりかも知れず、気分はよく分かる。しかし、そう主張し続けることは、男系男子が皇位を継承しなければ「天皇」とは言えない、「天皇制度」ではない、と言っているに等しく、これは、<天皇制度の廃止>を実質的には主張している、または同意していることになる。
 偏頗な「男系男子」論は、じつは<天皇制度の廃止>をも容認する議論に十分につながってしまう。
 第二。こういう議論に対して、「男系男子」論者はおそらくこう主張するのだろう。
 天皇(男性)に側室・私妾を認めて男子が誕生する可能性を拡大する、と主張はしない、だからこそ皇室・皇族の範囲を拡大して皇位継承資格のある男子の数・範囲を広げることが喫緊なのだ、と。いわゆる<旧宮家・皇族復帰論>だ。
 しかし、ここで絶対に検討しておくべきであるのは、<旧皇族復帰>を現実化する、つまり法制上の「皇族」を拡大することの現実的可能性だ。
 つまり、「旧皇族または旧宮家」(この範囲には議論の余地はある)にどの程度の人数(男子)がおり、彼らが(いたとして)どういう「意思」であるかの問題は全く別の問題として、<旧皇族復帰論>を現実化するためには、皇族範囲を定めている皇室典範(法律)を改正する必要がある。または新しい特別法を制定する必要がある。
 要するに、上の方向で皇室典範(法律)が改正される現実的可能性がいかほどあるか、だ。
 しかして、「法律」であるがゆえにその改正には両議員の国会議員の過半数の同意を必要とする(特例等は省略)。そして、現在および今後の日本の国会は、上のような趣旨の皇室典範(法律)改正・特別法制定を議決する可能性が、いかほどにあるのだろうか。
 西尾幹二はつぎのことも、新天皇・新皇后に「お願い」している。
 西尾「新しい天皇陛下にお伝えしたいこと/回転する独楽の動かぬ心棒に」月刊正論2019年6月号p.219。
 「安定した皇統の維持のために、旧宮家の皇族復帰、ないしは空席の旧宮家への養子縁組を進める政策をご推進いただきたい」。
 まさか西尾幹二が皇室典範は天皇家家法であって天皇(・皇后)の意向でいかようにも改正できると考えているとは思えないが、天皇(・皇后)に一定の皇室「政策」の推進を求めるのはいささか筋違いで、八木秀次によって「国政」介入の要請と厳しく批判される可能性もある。建前論としては国会・両議員議員に対して行うべきものだ。
 第三。この機会に少しだけ立ち入れば、「旧宮家の皇族復帰」等の趣旨でかりに皇室典範改正の基本方向が国会で賛同を得たとしても、検討する必要がある、そして必ずしも簡単に解決できそうにない法的論点がいくつかあると思われる。
 例えば、①対象者(旧宮家の後裔たる男子)の「同意」は必要か否か。必要であるとすると、「同意」しない者は対象者にならないのか。
 ②高度の「公共」性(天皇制度の安定的継続)を理由として、対象者(旧宮家の後裔たる男子)の「意思」とは無関係に、(一方的・強制的に)「皇族(男子)」と(法律制定・改正により)することはできるのか。その場合にそもそも、高度の「公共」性(天皇制度の安定的継続)を理由として、これまで皇族でなかった対象者の「身分」を変更することが<基本的人権>の保障上許容されるのか(皇族になるまでは一般国民だ)。
 ③「身分」変更に伴う、財産権等々にかかわる細々とした制度変更をどう行うか。
 上の①と②は、たんなる「法技術」の問題ではない。
 さらに、より「そもそも」論をしておこう。
 第一。池田信夫のように、「明治以降の制度を古来の伝統と取り違える」「男系男子」論という「迷信」について語る者もいる。
 いかなる「歴史認識」が(むろん運動論・政治論ではなく)より歴史学的ないし学問的に「正しい」かは、相当程度において、日本書記(・古事記)を信じるか・信頼するか、どの程度においてそうするか、に関係する。
 これは、二者択一の問題ではなく<程度と範囲>の問題だ。相対的に、秋月瑛二よりも、八幡和郎や西尾幹二のそれへの「信頼度」は高いようだ。
 しかし、古代史一般について言えるだろうが、「信じる」程度の問題になってしまうと、いずれが「正しい」かの議論にはならない。「神話」という「物語」を微妙に「史実」へと転換している部分がある西尾幹二についてもこれは言えると思われる。
 「信仰」の程度で、重要な問題の決着をつけては、あるいは重要な問題の根拠にしては、いけないのではないか。あるいは、よくわからないこと、信憑性の程度がきわめて高くはないことを、現在時点での問題解決の「歴史的」根拠にしてはいけないのではないか。
 なお、孝謙・称徳天皇あたりの「話」になると、続日本記等の記述の信頼性の程度の問題が生じてくる。
 公定または準公定の史記に相当に依拠せざるを得ないことは当然かもしれない。
 しかし、天武以前に関する(壬申の乱を含む)日本書記の記述を天武・持統体制?の意向と無関係にそのまま理解することはできないのと同様に、光仁・桓武天皇期以降の続日本記等の叙述や編纂が、平安京遷都以前の歴史につき、必ずしも公正には記していない可能性があるだろう。
 こんなことを感じるのも、孝謙・称徳天皇に関する記述・「物語」は先輩の?天皇に対するものとしてはいささか冷たい部分があるように、素人には感じられるからだ。
 なお、八幡和郎は変化も交替もなかったかのごとく叙述しているが、奈良王朝と平安王朝?の違いとその背景については(意味の取り方にもよるが)、関心がある。八幡が想定するよりももっと複雑な背景があると見るのが、より合理的な史実理解でありそうに見える。
 第二。皇位継承の仕方・あり方は(かりに「歴史」・「伝統」が有力な論拠になるのだとしても)、日本書記等での記述の仕方を含めて、ときどきの時代の史書がそれをどう理解していたか、も当然に配慮しなければならない。
 明治期以降の櫻井よしこらのいう「明治の元勲たち」が日本古代からの皇位継承の仕方・あり方をどう観念・理解したのかは考慮すべき一つの事項にすぎず、「明治以降の制度を古来の伝統と取り違える」のは、思考方法としても全く間違っている。
 <天皇親政の古来の在り方>に戻ったとし、仏教、修験道等を「神道」の純粋性を汚すものとした、明治新政府とその後の薩長中心藩閥政権等々が、日本古代からの皇位継承の仕方・あり方を本当に客観的または冷静に分析し理解し得たとは、とても思えない。
 昭和に入ってからの<国体の本義>に書いてあることが全てウソまたは欺瞞または政治的観念論だと主張はしないが、「天皇」に関する叙述・論述をそのまま信頼することもできない。これは当たり前のことだろう。そして、「万世一系」もまた、明治憲法が用いた術語であることを知らなければならない(むろん、その趣旨の論は江戸時代等にもあったかもしれないがどの当時から「体制」のイデオロギーではなかったように思われる)。
 第三。江戸時代の「女性」天皇についても上記の「緊急避難的な"中継ぎ"」の意味は問題になり得る。その点は別としても、しかし、歴代の天皇の大多数が男子(男性)だったことは間違いないようで、なぜそうだったかは別途論じられてよいだろう。
 池田信夫は冒頭掲記の文章の中で、「日本で大事なのは『血』ではなく『家』の継承だから、婿入りも多かった。平安時代の天皇は『藤原家の婿』として藤原家に住んでいた。藤原家は外戚として実質的な権力を行使できたので、天皇になる必要はなかった」と書いている。
 但し、その後の時代も含めて、武家等が「天皇」になる必要はなかったとしても、その天皇はなぜほとんど男子で継承されてきたのか、という疑問はなお残る。
 簡単な論述には馴染まないが、結局のところ、人間・ヒトとしてのオスとメス(男と女)の違いに求めるしかないのではないか、と私は思っている。むろん、ただ一つの理由、背景として述べているのではない。
 中国の模倣も少しはあったかもしれない。しかしそもそもは、「天皇」になることがいかほどの特権だったかは時代や人物によっては疑問視することもでき(例えばかりに同族が天皇位に就いていて自分の生活・財産が保障されていれば、あえて「天皇」になる必要はないと考えた候補者もいたかもしれない)、また「女性」天皇が少ないことは女性蔑視思想の結果だとも思えない。
 妊娠・出産はメス・女性しかすることができない、というのは古来から今日までの、日本人に限らない「真理」だろう。このことと「天皇」たる地位の就位資格と全く無関係だったとは思われない。むろん代拝等によることによってあるいは摂政・代理者によって祭祀行為や「執政」等々をすることはきるのだが、日本史の全体を通じて、妊娠し出産し得るという身体性は、天皇という「公務」執行の支障に全くならなかったとは思えない。むろん100%決した要因ではないだろうと強調はしておくが、この要素を無視できないのは当然のことではなかろうか。
 これは女性「差別」でも何でもない。むしろ「保護」をしていたのかもしれない。
 第四。天皇の問題だけではないが、日本の「文化」・「文明」の独自性・特有性は、日本人の「精神」・「こころ」・「性格」等によるのではなく、大陸や半島から「ほどよく」離れた、かつ東側にはさらに流れ着く島等がないという列島という地理関係とそこでの自然・気候等の「風土」によるのだろうと思っている。天皇という制度の継続もこれと全く無関係とは感じられない。
 「民族」・「日本人」が先ではなく、人が生きていく列島の「地理的条件」・「自然」・「風土」が先だ。
 前者という「観念」的なものを優先させるのは、この列島にやって来たヒトたち・人間たちの本性とは決して合致していないだろう。

1996/池田信夫のブログ008-マルクス。

 池田信夫ブログ2019年6月26日/7月1日「共産党の時代がやって来た」。
 最後に「意外に共産党の時代が来るかもしれない」とは、冗談がきつい。
 池田はマルクス主義の歴史をよく知っているらしい。今回も、こんな文章がある。
 ・「マルクスは国有化を否定したが、その後の社会主義では『生産手段の国有化』が最大のスローガンだった」。
 ・「マルクスが『プロレタリア独裁』を主張したのは戦術論であり、レーニンが暴力革命を起こしたのは、労働者階級の存在しないロシアでは、それ以外に政権をとる手段がなかったからだ」。
 ・マルクスは「未来の共産主義社会では、生産を管理するのは簿記のような機械的な仕事になると考えた」(→人工知能→共産党でも)。
 いくらでも議論ができそうな気がするが、ともあれ、池田信夫はマルクスに「若い頃に影響を受けた」とこの数年以内にどこかで明記していた。
 そして印象としては、マルクスだけは守りたい、または少なくともマルクスだけは全面的には否定したくない、という気分を持っていることが分かる。
 マルクスと資本論に関する著書もあるくらいだから、私などよりはるかにマルクスを読んでいる(読んだ)に違いない。
 しかし、マルクスと解体した「ソ連」またはマルクス・レーニン・スターリンの「関連」を冷静に、かつ多面的に論じるのは困難だし、<現実政治>または日本共産党の存在のもとでの日本での議論・検討がいかほどに学問的に?きちんと行われたかは、はなはだ疑わしい。
 秋月もまた、単純にマルクス=レーニン=スターリンと等号化できないことは当然のこととして理解できる。
 「マルクス=レーニン主義」というのはスターリンによる、その「真」の継承者として自分を正当化するための造語だった。上の三者のうちの最大の断絶はマルクスとレーニン・スターリンの間にあるだろう。日本共産党・不破哲三らが同意するはずはないが、後者は<レーニン・スターリン主義>または<ボルシェヴィズム>または<ロシア共産主義>と一括することができる。
 つい最近に試訳した1975年論考=<スターリニズムのマルクス主義的根源>でも、L・コワコフスキはスターリン時代に定式化された以上にマルクスの思想は「豊かで、繊細で、詳細だ」ということを認めている。
 また、その大著の中には、<レーニン主義はマルクス主義に関する可能な「解釈」の一つ>だと明記されていて、レーニン(・スターリン)の「責任」は全てマルクスに起因する、などとは書かれていない。
 L・コワコフスキほどに慎重で、注意深い、冷静な見方をする人物は稀少だろう。
 そして一方で、彼は、スターリニズムの「根源」はマルクスにある、レーニンもスターリンも決してマルクス主義を「歪曲」し、それから「逸脱」したのではない、決して「反マルクス主義」ではないと熱心に説く。
 彼によると、<真実=プロレタリアの意識=マルクス主義=党のイデオロギー=党指導者の考え=党のトップの決定>という等式には、「非マルクス主義のものは何もない」。
 あるいは、「マルクス主義の歴史哲学」は、「本質的に歪曲される」ことなくその「解釈」を通じて、スターリニズムに「イデオロギー上の武器」を与えた。
 150年ほど前のマルクス(・エンゲルス)の書いたことと、レーニンの書いたこと・したこと、スターリンの書いたこと・したことの「関連」を、単純に語れるはずがない。単純な原因・結果の関係ではない。
 思想、政治綱領、個別政策方針、さまざまの次元がある。<イデオロギー>が全てを決定したわけではないが、<マルクス主義>が全く無関係だったわけではなく、レーニンもスターリン(のイデオロギーと現実政治)も<その数ある延長線上にあったものの一つ>だと見ることも全く不可能ではない。
 これは、歴史の見方に関連する。ある観念・主張(例えばマルクス主義)があったとして、その後の進展はそれの<必然>か、無関係の<偶然>か。
 これがL・コワコフスキが1975年の小論考で最後に触れていた点だ。
 ***
 そして、<必然>か、無関係の<偶然>かは、社会・歴史のみならず、個々人・ヒトの一生についても語りうる基本要素だ。
 ①遺伝(生物的必然)、②環境(生育中の影響)、③本人の<自由な意思>。
 マルクス主義に魅力があるのは、こうしたことをも考えさせ、適切だったかは別として、人間の、とくに青年期の男女たちに<生き方>に関する観念を与え、若者に特有の(幼くて単純な)<理想>に訴えかけたことにあるだろう。

1992/池田信夫のブログ007-西部邁という生き方②。

 池田信夫のブログ2018年1月23日付「『保守主義』に未来はあるのか」は、なるほどと感じさせた。かなり遅いが、在庫を少しでも減らしたい。
 池田によると、西部邁・保守の真髄(講談社現代新書、2017)を読むと、西部は20年ほど前から進歩していない。西部の「保守主義」には「思想としての中身がない」。以下も、要約的紹介。
 西部の「保守主義」の中身は「常識的で退屈」なので、「『反米保守』を自称して」あらゆる改革に反対するようになった。それは「文筆業として食っていくために『角度』をつけるマーケティングだったのかもしれない」。
 「保守すべき伝統」、「国柄」、「民主主義」…、「最後まで読んでも、それはわからない。…中身は陳腐な解説だ」。
 要するに彼は、「アメリカ的モダニズム」を批判しても対案のない「右の万年野党」だった。「保守主義はモダニズムの解毒財」としての意味はあったが、それ以上のものでなく、「彼に続く人はいない」。
 ***
 最も印象に残ったのは、「文筆業として食っていくために『角度』をつけるマーケティングだったのかもしれない」、かもしれない。
 勤め先・大学を辞職したあと、彼は自分と家族?のためにも文字通り「食って」いく必要があり、それは当然としてもさらには、手がけた雑誌を継続的に出版していく必要等もあった。
 第三者的想像にはなるが、そのためには活字上もテレビ上も、可能なかぎの<目立つ>必要があった。私はたぶん使わない言葉だが、やはり「マーケティング」が必要だったのではないか。
 そして、西部邁にかぎらず、何らの組織(大学・研究所)に属していない<自営業>の物書き・評論家類には、名誉心・顕名意欲に加えて、程度の差はあれ、こういう<本能>はあると思われる。
 脱線するが、上の著と並んで、西尾幹二・保守の真贋(徳間書店、2017)が出た。このタイトルは、ライヴァルの?西部の本を意識したものでは全くなかっただろうか。また、その内容(「いわゆる保守による安倍内閣批判」)は、いかほどの影響があったのかはともかく、「保守」の論としては「角度」がついている。
 そもそも上の西部著を所持すらしていないのだから、その中身・西部の「思想」はよく分かっていない(別の書について「保守」というにしては反共産主義性が弱いか乏しいというコメントをしたことがある)。
 但し、池田の上のコメントは、ある程度は「近代」批判の佐伯啓思にも当たっているような気がする(近年はとんと読まなくなった)。
 ところで、西部邁死去後の諸文の中で最も記憶に残っているかもしれないとすら思うのは、産経新聞紙上(だと思われる)の、桑原聡の追悼コメントのつぎの部分だった(記憶による)。
 <「保守論壇」の中心部分にいた人ではなかった(又は、「保守論壇」の「周辺部」にいた人だった>。
 すぐに感じたのだろうと思う。
 では、桑原聡のいう、<「保守論壇」の中心部分・中央>にいるのはどのような人々か?
 桑原聡、そして月刊正論、そして産経新聞社にとって、それは櫻井よしこ、渡部昇一らではないのか。日本会議派または、親日本会議の論者たちだ。
 そして、何とも気味が悪い想いをもったものだ。中央、中心の「保守」とは、何の意味か。

1983/池田信夫のブログ006。

 池田信夫ブログマガジン6月17日号「『ブログ経済学』が政治を変えた」。
 池田のおそらく意図ではない箇所で、あるいは意図していない態様で、その文章に「引っかかる」ことが多い。「引っかかる」というのは刺激される、連想を生じさせるという意味なので、ここでは消極的で悪い意味ではない。
 「物理学では学界で認められることがすべてだが、経済理論は政策を実行する政治家や官僚に認められないと意味がないのだ」。
 十分に引っかかる、または面白い。
 後の方には、こんな文章もある。
 「主流経済学者が…といった警告を繰り返しても、政権にとって痛くもかゆくもない。そういう批判を理解できる国民は1%もいないからだ。」
 学校教育の場では各「科目」の性質の差違、学術分野では各「学問・科学」の性質の差違は間違いなくあるだろう。
 理系・文系の区別はいかほどに役立つのか。自然科学・社会科学・人文科学といった三分類はいかほどに有効なのか。
 文系学部廃止とか人文社会系学部・学問の閉塞ぶりの指摘は、何を意味しているのか。
 経済学(・-理論、-政策)に特化しないでいうと、近年に感じるのは、<現実>と<理論・記述>の区別が明確な、または当然のものとして前提とされている学問分野と、<現実>と<理論・記述>のうち前者は遠のいて、<理論・記述>に該当する叙述が「文学」または「物語」化していく学問?分野だ。
 文学部に配置されている諸科目・分野でいうと、地理学・心理学は最初から別論としたい。ついで、歴史学は理系ないし自然科学に関する知見も本来は!必要な、総合的学問分野だろう。<歴史的事実>と<歴史叙述>が一致しないことがある、ということは古文献にせよ、今日の学者・研究者が執筆する文章にせよ、当然のことだろう。
 法学というのは「法規範」と「現実」は合致するわけではないことを当然の前提にしている。規範の意味内容の「解釈」を論じてひいては何がしかの「現実」に影響を与えようとする分野と、法史学とか法社会学とかの、直接には「法解釈」の議論・作業を行うのではない分野の違いはあるけれども。
 池田信夫もおそらく前提とするように、「経済」に関する「理論」とそれが現実に「政策」として政権・国家によって採用されるかは別の問題だ。さらには、特定の「理論」が「経済政策」として採用されても、それが「現実に」社会または国民生活にどういう影響を与えるかは、さらに別の話、別に検証を要する主題だろう。
 なお、日本では法学部内に置かれていることが多い政治学は、少なくとも<法解釈学>よりは経済学に近いような気がする。もちろん、「政治」と「経済」で対象は異なるけれども。よって、「政経学部」という学部があるようであるのも十分に理解できる。
 上に言及したような文学部内の科目・分野を除くと、<現実>と<物語化する記述>が曖昧になってくる傾向があるのは、狭義での「文学」や「哲学(・思想)」の分野だろう。
 そして、こうした分野で学部や大学院で勉強して、大学教授・「名誉教授」として、または種々の評論家として文章を書いたり発言をしたりしている者たちが、戦後日本を「悪く」してきた、というのが、近年の私の持論だ。
 なぜそうなるのだろうか。「事実」ないし「経験」によって論証するという姿勢、「事実」・「現実」にどう関係しているかという問題意識が、もちろん総体的・相対的にかもしれないが、希薄で、<よくできた>、<よくまとまった>、<読者に何らかの感動を与える>まとまりのある文章を作成することを仕事としている人々の基礎的な学修・研究の対象が「文学」だったり哲学者の「哲学書」だったり、本居宣長等々の「作品」だったりして、そしてそれら<著作物>の意味内容の理解や内在的分析(むろん書き手・読み手両方についての「他者」との比較を含む)だったりして、直接には<事実>・<歴史的現実>を問題にしなくとも、あるいはこれらを意識しなくとも仕事ができ(報酬が貰え)、評価もされる、ということにあるだろう。
 適切な例かどうかは怪しいが、「狭義」の文学とはいったいいかなる意味で「学問」なのだろう。
 ある外国(語)の「文学」に関する論考が大学の紀要類に掲載されていて、それを読んだとき、これは「学問」か?と強く感じたことがある。
 その論考は要するに、ある外国(語)の「文学」作品を原外国語で読んで、邦訳し(日本語化し)、そのあとでコメントないし「感想」を記したものだった。
 こんな作業は、中学生・高校生が日本語の「文学」作品について行う「読書感想文」の記述と、本質的にいったいどこが違うのか。
 外国語を日本語に訳すること自体が容易でないことは分かるが、翻訳それだけでは一種の「技術」であり、あるいはせいぜい「知識」であって、とても「学問」とは言い難いのではないか。
 唐突だが、小川榮太郎が産経新聞社系のオピニオン・サイトに昨2018年9月28日に、書いていたことが印象に残った。表題は、「私を非難した新潮社とリベラル諸氏へ」。
 毎日新聞に求められて原稿を書いたが、掲載されなかった。その内容は、以下だった、という。以下、引用。一文ずつ改行。
 「署名原稿に出版社が独断で陳謝コメントを出すなど言語道断。
 マイノリティーなるイデオロギー的立場に拝跪するなど文学でも何でもない。
 …に個の立場で立ち向かい人間の悪、業を忌憚なく検討する事も文学の機能だ。
 新潮社よ、『同調圧力に乾杯、全体主義よこんにちは』などという墓碑銘を自ら書くなかれ」。

 この文章は昨年夏の新潮45(新潮社)上の杉田水脈論考をきっかけとし生じた「事件」の当事者によるものだ。
 きわめて違和感をもつのは、どうやら小川榮太郎は自分の「文学」の仕事として、杉田水脈を応援し?、防衛?しようとしたようであることだ。
 杉田水脈論考は国会議員の文章で、「政治的・行政的」なものだ。
 そして、小川榮太郎がこれを支持する、少なくともリベラル派の批判に全面的には賛同しない、という立場を明らかにすることもまた、「政治的」な行動だ。
 執筆して雑誌に掲載されるよりも前にすでに、新潮45編集部からの(一定の意味合いの)執筆依頼を受諾したということ自体が、「政治的」行動だ。
 小川榮太郎は「文学」と「政治」の二つの「論壇」で自分は活動していると思っているらしく、これもまたきわめて怪しい。
 主題がやや別なのだが、「論壇」人とは要するに、少なくとも現在の日本にとくに注目すれば、いくつかの何らかの雑誌類への執筆という注文を受けて、文章という「生産物」を販売し、原稿料というかたちで対価を受け取っている、「文章執筆自営業者」にすぎない。
 大学・研究所その他ら所属していれば、副業かもしれないが、小川榮太郎のような者にとっては、「本業」としての「文章(執筆)請負・販売業」なのだ。
 企業である出版業者が<経営>を考慮するのは当然のことで、新潮社の社長の権限や内部手続の点はよく知らないのでともあれ、小川榮太郎が<表現の自由>の剥奪とか新潮社の<全体主義>化とかと騒いでいるのは、根本的に倒錯している
 元に戻ると、小川榮太郎が新潮45に掲載した論考が彼の「文学」だとは、ほとんど誰も考えなかったのではないか。
 今回に書きたかったことは、強いていえばここにある。つまり、「文学」と「政治」の混同・混淆で、自分の文章を「文学的」に理解しようとしないとは怪しからん、自分の「文学亅を理解していない、などという開き直りの仕方の異様さだ。
 もともと小川榮太郎は「文芸」評論の延長で「政治」評論もしているつもりなのだろう。
だから、文学・政治の両「論壇」で、などと書くにいたっている。
 そして、安倍晋三に関するこの人の「作品」は「文芸」評論の延長で「政治」にも関係した典型のもので、ある種の感動・関心を惹いたのだとしても、その内容は「物語」だ。
 現実・事実を最初から「物語」化してはいけない。あるいは「文学」化してはいけない。
 それらの基礎にある、何らかの「思い込み」、「妄想体系」の<優劣>でもって勝負あるいは<美しさ>、<作品の評価>が決まってしまう、というようなことをしてはいけない。
 それは狭い「文学」の世界では大切なことなのかも知れないが、事実・現実に関係する世界に安易に、あるいは幼稚に持ち込んではならないだろう。
 というわけで、ひいては、「文学」の<学問>性や他人の文章ばかり読んでいる「哲学研究者」なるものの「哲学」性を、ひどく疑っているわけだ。
 池田信夫の文章に関連して、さらに書きたくなること、連想の湧くことは数多いが、今回はここまで。

1964/池田信夫のブログ005。

  最近はあまり論及がないが一時期池田が熱心に書いていたことに関連して、生物・ヒトとしての「個体」=自己最優先の本性からして、日本国憲法上の「個人の尊重」もドイツ憲法上の「個人の尊厳」も普遍的なもののように感じていた、という旨をこの欄で記したことがあった。
 しかし、なるほど生物としての本能とこれらとを簡単に結びつけることはできないようだ。
 つまりおそらく、「近代」憲法が前提にしている<個人>はアメリカ独立期にも淵源のある、いわゆる「近代的自我」とか「近代個人主義」の成立を前提にしているもので、「近代」に特有な一種のイデオロギーのものであるかもしれないと思い至る。
 夏目漱石は、日本的な「近代的自我」の確立に苦闘したともされる。欧州留学・滞在経験があったからでもあろう。
 だがむろん、「近代」以前にもふつうの意味での「個人」はいたはずだ。
 「近代的自我」あるいは「近代個人主義」が成立していない(としてその)前の例えば日本人は、「自己」・「自分」のことをどう意識してきたのだろうか。
 身分制を前提として生来の「自分」の地位や生活をほとんど当然視し、自然現象が示し、あるいは両親・一族が語る宗教・観念・通念等々を当然のこととし、たまには僧侶や神官が語ることを知って物珍しく、あるいは別世界のことと感じ、「天子さま」の存在とやらも教えられたのだろうか。
 むろん、時代や地域、「層」によって異なる。京や大きな城下町をはじめとしする都市では物(やサービス)の<売買>が限定ながらも行われていたとすると、取引を通じて、商品等を<より美しい>、<より便利な>等々のものにしようという改善意欲は、生存と生活に直結するかぎりは、日本人の一部も早くから有していたように思われる。
 もっとも、よく分からないのは平安時代だ。
 7世紀、8世紀は政治的にもかなりの変動.動乱があった(中枢部での「乱」とか「変」とか)。
 だが9世紀以降だろうか<摂関政治>が落ち着いてくると、<院政>開始から<武士の勃興>という辺りまで、何と江戸時代よりも長い時代が続く。だが、皇室や藤原家等々に関係する事件・事象がほとんどで(いくつかの大きな「乱」はあったようだが)、公家たちの「恋愛」物語や「心象」の様相はある程度は分かっても、後の時代に比べて、どうも一般庶民の姿がよく分からない。
 この時代、どのように「国家」運営が、政治・行政が現実に行われていたのかも実感としてはよく分からない。
 日本国憲法「九条原理主義」が蔓延していたかのごとく「軍隊」がなく、幸い外国との戦乱もなかったようなのだが。
 むろん、私の知識不足、勉強不足が大きいのだろう。
  池田信夫が<集団のための遺伝>というものに言及していたが、<個体>よりも<集団>を優先する「淘汰」、そのような生物的遺伝というものには、疑問を感じていた。
 だがこれは、「集団」というものの捉え方ないし範囲によると気づく。
 つまり、「自分」よりも「一族」(~家)や「民族」(例えば日本「民族」)等を優先して自己犠牲を承認するような遺伝子の継承などあり得るのだろうかと、幼稚にあるいは素朴に感じていた。
 だが、この「集団」なるものが生物の一種としてのヒトという「種」全体を意味するのだとすると、腑に落ちる。
 つまり、そのような遺伝子は生物的に相続・継承されているような気もする。
 かつて、月等の宇宙の惑星への「旅」を人間が試みていることについて、地球では生存してゆけない危機感をもった「人類」が本能的に別の惑星を探しているのだ、ということを語った人もいた。
 むろん立証・証明は困難だろう。
 地球温暖化とか「核」兵器・電発の問題とか、どの程度に「人類」の将来に関係しているのかは、幼稚な一市民としてはよく分からないことも多い。
 だが、池田信夫のおかげで(それだけではないが)、「原発」問題はかなりイデオロギー化、政治化していて、どうも「人類」規模・次元の問題ではないだろうことは分かる。
 単純な言い分、分かり易い言い分。人間は、現在の日本人も、<できるだけ楽をして、自分で面倒なことを考えないようにしたい>という本能を一方で確実に、あるいは強く持っていると思われるので、いろいろとやむを得ない、「ヒト」の本性だから仕方がない、人間という生物の「弱さ」・「限界」だ、と感じることは多々ある。

1958/池田信夫のブログ004。

 「池田信夫(の)ブログ」を表題の一部にして、昨2018年の09/27、10/29、12/07と三回投稿しているので、今回をを№004として、続ける。
 原則的に毎日または毎夕に読んではいるので、感想めいたことを書き出すとキリがない。
 かと言って、少しでもメモしておかないと、そのうち忘れてしまって、<貴重な>知的体験類を再現できなくなる。
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 池田信夫ブログマガジンレヴィ=ストロースの「美しい文章」を、たぶん紹介している邦訳書から引用していたのは、(もっと最近かと感じていたが)2019年3/11号だった。
 ここでは、一文ごとに改行。「名著再読」の項の一つ。
 「人は未来もずっとここにいることはできず、この惑星の表面から消えることは避けられないが、その惑星も死ぬ運命にある。
 人の労働や悲しみや喜びや希望など、はかない現象の記憶を保持する意識も生き残りえず、やがて人類のわずかな証拠も地球の表面から消されるだろう。
 --まるでそれは最初から存在しなかったように。

 フランスの哲学者らしき者には関心もほとんどなかったが、読んでみてもよいかな、と思わせた。
 個々の人間が生まれていつか必ず死ぬように、ヒトという「種」(ヒト科・ヒト属)もまたいつか必ず消滅するのだろう。
 始まりまたは誕生があるとすれば、終わりまたは死滅も必ずある。
 それどころか、ヒトその他の動物、さらに生物を生んだこの地球もまた、いずれ、何らかのかたちで消滅するだろうと、「科学的」に予知されている。
 それどころか、そもそも太陽自体が、いずれ燃え尽きるか、大爆発して消滅するだろうとされている。
 太陽に生成があったとすれば、いずれ消失もある。
 私は、このかけがえのない自分は、いったいどこから来たのか。ヒトの一個体として、たまたまこの時期に、地球上のある地域(日本列島)に、生まれた。
 その「意識」もいずれ近いうちになくなり、私にとっての「悲しみや喜びや希望など」の全ては消失するが、同じことは「人類」自体について、そうであるに違いない。
 ヒトの個体とその意識・感情が死滅を避けられないように、人類自体もまた、そうだと思われる。
 決して、何らかの「よい」方向へと、試行錯誤しつつも「進歩」しているのではない。
 何らかの、一定の前提、<約束事>の中で藻掻いているにすぎない。
 「知識人」?、「言論人」? 「論壇人」? /どの(日本の)大学?、学歴?
 そのような、それに関する、自意識をもって世俗的に生きているらしき多数の人々(もちろん日本人を含む)の<底の浅さ>を、「深いレベル」での感受性の欠如を、感じさせざるを得ないだろう。

1908/言葉・文章と「現実」①-「文学部」出身者。

 言葉・観念・文章・修辞と「現実」について、書こうと思う。
 そして、両者の違いについての意識・感覚が少ないかほとんど全くない場合があるのは、大学の出身学部でいうと相対的には(経済学・経営学・法学・政治学)ではなく「文学部」(・外国語学部または一部の「教育学」)の出身者であり、そういう人々がかなり多く日本の<(知的)情報産業界>の要職に就いているらしいがゆえに、必要だったまたは不可避だった以上に戦後日本は<悪くなった>、という面があることも、 書こうと思う。
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 渡部昇三(故人)、櫻井よしこ、小川榮太郎、江崎道朗、平川祐弘、加地伸行、長谷川三千子、花田紀凱
 こう並べただけで一定の<主張・思考>の傾向がある。(櫻井よしこが外国の「歴史」卒業とされている以外は)全て日本の大学の「文学部」出身者だ。外国語学部出身者を含む。
 文学部にもいろいろあるが、哲学/思想・(狭い)文学系に著しいかもしれない。
 本来は「社会学」は社会系のはずだし、「歴史学」も総合的な社会系のように思われるが、しかし、日本の悪しき<文学部>系の影響を、これらも受けている可能性がある(心理学、地理学は、理・文の両者にかかわるだろう)。
 いつぞや池田信夫が日本の人文社会系学部の廃止を主張しており、共感するところがある(極論としてはいったん指導教師-学生の関係を全て断ち切るべきだ)。しかし、では司法・行政の官僚または人文社会系の「専門家」・「技術者」をどう養成するかという重要な問題は残る。
 しかし、上に上げたような「文学」関係分野は、そもそも大学という「高等」教育機関には不要ではないか。人文社会系学部全体とはいえなくとも、人文系学部くらいは原則廃止くらいの方が、日本のためになる。
 これは「素養」・「教養」のようなものにかかわる。大学で本来、「素養」・「教養」のごときものを教育する必要があるのか?
 現実には通用しない主張であり、議論であることは承知している。
 より大きな問題は、「大学」なるものに、同世代人口の今や半分近くが進学しているという「現実」そのものにあるのだろう。
 この数は、-時期によって異なるが-戦前の「旧制中学」への進学者よりもはるかに多く、従ってまた、現代日本の「大学教授」様たちは、戦前の「中学」の教師たちよりもはるかに(相対的な)知的等のレベルは劣っている。大学の大衆化は、大学教師の大衆化・劣化でもある。
 それにそもそも、明治以降の「教養」重視教育も関係があるものと思われる。
 「教養」がある、「知識」が多い、というだけで、なぜエライのか??
 教養や知識は「現実」に対して何らかの意味で<有用>であって初めて、有意味なものになる。
 それでもしかし、(すぐに役立たなくとも)長期的に有益であればよい、あるいは、<役立たない学問にこそ意味がある>というような主張をする人がいるだろう。
 しかし、日本のいわゆる<リベラル・アーツ>教育・研究のあり方は、根本的に再検討されるべきだろう。
 本当に「何ら役に立たない」のであれば、存在しても無意味だと考えられる。
 役に立っているのは、某大学であれ、某々大学であれ、その「文学部」であれ、そこを卒業している、という<レッテル付け>でしか、もはやないのではなかろうか。
 しかし、似たようなことは、50パーセント近い大学進学率となると、経済学部や法学部についても、もちろん言える。
 しばしば思うのだが、現在の学校・教育制度の根本的な変化がないかぎりは、<戦後レジーム>の終焉はない、と考えられる。矛盾しているようでもあるが、逆に、<戦後レジーム>の終焉があってはじめて、六三三四制という学校・教育制度の変化も生じるのではないか、と思われる。
 しかし、ほとんど誰もそれを口にしないのは、いつか触れたが、右であれ左であれ、斜め右上であれ斜め左下であれ、手前であれ奥であれ、<戦後レジーム>の受益者たち(またはそう「感じて」または「思い込んで」いる者たち)が、日本の既成権益階層(establishment)を形成しているからだ、と思われる。
 その中には、少なくとも中堅以上の、新聞社、放送局、雑誌・書籍等の出版会社、簡単に言って<情報産業界>の社員等も含まれる。これらに登場したり、執筆したりしている者も含まれる。
 なお、別の論点だが、情報産業の中では「広告・宣伝」がむしろ最重要の業務であって、新聞社、放送会社のほとんどは、かなり、又はほとんど「広告・宣伝」業者でもある。「広告・宣伝」企業の一員であるにもかかわらず、<ジャーナリスト>などと自分を考えない方がよいと感じる者もいっぱいいる。
 一度誰かが調査・研究すればよいと思われる。
 テレビ番組の制作者・構成作家、新聞の論説委員・記者、雑誌の編集者等々には、かりに大学出身者だとして、いったいどの学部出身者が多いか? 「文学部」ではなかろうか。
 表向きのテレビ・コメンテイター類や論壇?雑誌の執筆者ではなくて、日本の「知的」雰囲気を形成しているのは、じつは、テレビ番組の制作者・構成者、雑誌の編集者等々、だろう。

1885/池田信夫ブログ-主として2018年11月から。

 池田信夫のブログのうち、日々の話題に関するコメント類も興味深いが、とくに急いで掲載する必要はないように見える、ヒト・人間の「進化」や「本性」、これらを「歴史」と関連づけるような主題の叙述も面白い。
 と言って文献紹介が主で詳細に論じられているわけでもないが、適度に思考を刺激してくれる。近時にこんなテーマを書き続けることのできる、もともとは「文科系・経済学」出身の人物は稀有だろう。
 前回に触れて以降、以下のようなものがあった。
 ①2018/11/01「江戸時代化する日本」ブログマガジン11/05。
 ②2018/11/04「言語はなぜ進化したのか」同11/05。
 ③2018/11/08「文化の進化をもたらした『長期記憶』」同11/12。
 ④2018/11/10「人類は石器時代から戦争に明け暮れてきた」同11/12。
 ⑤2018/11/14「新石器革命は『宗教革命』だった」同11/19。
 ⑥2018/11/17「文化は暇つぶしから生まれた」同11/19。
 ⑦2018/11/23「猿や動物にも『公平』の感情がある」同11/26。
 ⑧2018/11/26「感情にも普遍的な合理性がある」同12/03。
 ⑧2019/11/29「退屈の小さな哲学」同12/03。 
 ⑨2018/12/01「人はなぜ強欲資本主義を嫌うのか」同12/03。
 いちいちの感想、湧いた発想等はキリがないので省略する。
 いくつか、感じた、少しばかりは思考したことがある。
 個人と「共同体」または「集団」の関係。
 もともとはヒト・個人の一個体としての生存本能最優先で、その一個体の生存本能が充たされる、または守られるかぎりで、「集団」や「共同体」に帰属する、帰属してきた、あるいは、これらを個体のための必要に迫られて、作ってきた、というイメージを持ってきた。
 これは憲法学等の法学がいう<近代的な合理的人間(個人=自然人)>というイメージと合致するもので、経済学的な<自己の利益を最大化しようとする合理的個人>という近代資本主義の人間像とおそらく重なるところがあるだろう。
 そしてまた、「個人の尊重」(日本国憲法13条)や「人間の尊厳」(ドイツ憲法1条)も、それだけがあまりに強調されるのは困るが、理念としてのそれはかなり普遍的なものではないかとも考えてきた。ヒト・人間・一個体の究極的本性とも合致しているのだから。
 しかし、池田の叙述には、これを動揺させるものがある。
 ヒトはもともと「集団」帰属本能を有している、「他集団」と闘って「自集団」が勝たないと生きていけない(いちいち元の文章は探さない)、といった記述だ。
 そうすると、上の「合理的人間」イメージも、近代以降に限定された、歴史的制約をもつことになるだろう。
 樋口陽一(憲法学、元東京大学)は1989年(ソ連解体の前々年)に「個人主義」の大切さを説きつつ、つぎのようにまで主張した(同・自由と国家(岩波新書、1989))。
 「1989年の日本社会にとっては、二世紀前に、中間団体をしつこいまでに敵視しながらいわば力ずくで『個人』をつかみ出したルソー=ジャコバン型個人主義の意義を、そのもたらす痛みとともに追体験することの方が、重要なのではないだろうか」。
 <ルソー=ジャコバン型個人主義>を称揚するという点で社会主義・共産主義に親近的な「個人」主義、つまり日本はまだ「真の個人主義」を確立していない、日本人は「真の個人」を経験していないという近代西欧に比べて日本は…、という「左翼的」論じ方には反発を覚えた。
 だが、池田信夫の示唆をふまえると、そうした点をさらに超えて、樋口陽一が井上ひさしとの対談本で、日本国憲法で一番大切なのは13条の「個人の尊重」です、などと説くこと自体が、そもそもヒト・人間の本性・本質に迫っているのか、という大きな疑問が出てくるだろう。
 ついでに余計なことを書くと、日本の(欧米のも?)憲法学者たちは、個人の「内心の自由」こそが基底的な個人の「自由」であって侵犯されてはならないと、しばしば説く。教科書類にそう書かれているかもしれない。
 しかし、そういう憲法学者やそうしたことを論じる最高裁を含む裁判所の裁判官や法曹たちは、そもそも個人・人間の「内心の自由」なるものはいかにして形成されるのか、を思考しているのか、思考したことがあるのだろうか、という感想を持ってきた。
 ヒト・個人に「内在的に」、つまりその個人の精神または「頭脳」の中に「内心」なるものが存在する、ということを前提としているが、「内心」が生まれつきで存在しているわけはないだろう、生後の環境・教育等々々によって形成されていくものであって、そのことを無視した議論は空論または観念論・「建前」論だろう、と感じてきた。
 もう一点だけ触れると、池田信夫の説明等ではなお、(生物として継承される)生物的遺伝子と社会的遺伝子の区別はいま一つまだ分からない。そもそも「進化生物学」なるものを知らないからだが、後者が形成するのは宗教・国家等々と語られて「社会的に」継承されると言われても、いま一つよく分からない。
 広義の文化、宗教等が国家・民族等々によって異なるのは当たり前のことだ。国家・地域・民族等々ごとに異なる文化が形成されていて、ヒト・人間は生まれ落ちた後でそうしたものに無意識であれ影響を受けていく、という程度のことであれば、しごく当然のことで社会的遺伝子・ミームという言葉を使う必要もないとすら感じられる。
 「集団帰属」感情あるいは「不平等に反発する」感情が生物的遺伝子の中に組み込まれているのかどうか、という問題であるとすると、きわめて興味深い。ヒト・人間の本性・本質にかかわる問題だ。もっとも、「生物的」・「社会的」の区別自体の意味を私が理解していない可能性もある。

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